2022年09月03日
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毎日放送開局30周年記念の一環として開催された「’80 ニューミュージックフィエスタ1179kHz」
出演バンドが日替わりでライブをしました。
アリスのライブは、1980年9月3日(水)大阪フェスティバルホール





このコンサート、チケット販売は全て往復はがきの抽選のみ。
その頃のアリスの大阪公演は発売日前に2日徹夜で並べば何とかチケットが買えたのですが、
全て抽選というのは当選確率は相当なものだったと思う。
自分は往復はがきを何枚出したのか覚えてないけど、100枚どころじゃなかったと思う。
ハズレの印刷されたハガキがどっさりどこかにまだ置いてると思う。
ハズレハガキが届く少し前に当選ハガキが1枚届けられた。

無料って事ではなくてここでやっと購入する事ができる。
チケット代金を振り込んでチケットが送られてきた。1階席4列目! 凄いラッキーでした。 
かなり上手側でしたが、大満足。

7月12日13日14日と大阪厚生年金会館で「サマーコンサート」3days観た約50日後の大阪公演。
「サマーコンサート」からこの9月3日の間には日本平で開催された「HOT JAM '80」2daysを観たので
1980年の夏は6回、アリスのライブに行けてた。

この9月3日の5日前にタイのバンコク・タマサート大学大講堂でアリスとして初の海外ライブを開催。
そのライブは24時間テレビの中で1時間に短縮して放送されました。
9月3日の事を書く前に少しだけバンコクでのライブの事を。
(アリスはバンコクでのコンサートだけではなく、カンボジアの国境での取材。1980年のカンボジアは
 まだまだポルポト派の悪夢が消えたわけではなく紛争は続いていました)










1つ目はチェンマイ出身のフォークバンド「ジョラン・マノベット」
  このバンドは8人編成で何と、全員兄弟です。30分
2つ目は 10人編成のブラスをフィーチャーしたバンド「インポシブル」
  このバンドはラストにはタイ語での「HAND IN HAND」を演奏。40分

そしてアリス!


1曲目「スナイパー」
2曲目「南回帰線」
3曲目「メシア(救世主)」
4曲目「ラ・カルナバル」
5曲目「Near Dawn(タイ語)」 タイで有名な曲のカバー
6曲目「カリフォルニアにあこがれて」
7曲目「I Believe in the Sky」(「この空の下」の英語バージョン)
8曲目「狂った果実」
9曲目「遠くで汽笛を聞きながら」
10曲目「チャンピオン」
11曲目「昴」
12曲目「帰らざる日々」
13曲目「HAND in HAND」

3000人収容の会場に500人オーバーの3500人を動員!
チケットは全席70バーツ
興行収益はカンボジア難民救済支援金に寄付
当時の70バーツがどれほどなのかわかりませんが、テレビ中継された映像からは
客席は興奮の坩堝と化しているのがよくわかった。
ステージに押し寄せてくる観客を必死に止めるスタッフが印象に残ってる。

このバンコクでのコンサート、英語で歌った「この空の下(I Believe in the Sky)」はアリスファンの中でも
語り継がれる感動的な歌唱でした。
「スナイパー」〜「南回帰線」の熱量は強烈でした。
「ちんぺいさんは「昴」で2番から泣いてしまって、それでも必死に歌い上げる姿が感動的でした。
「狂った果実」のべーやんの歌唱もめちゃくちゃカッコいい。






バンコクから8月31日に帰国。
その3日後がこの大阪フェスティバルホールでのコンサート
この日のコンサートはほとんどのMCでタイ、カンボジアで感じた事を話しています。
5日前に体感した事の大きさがよくわかるコンサートでした。
アリスの3人もバックのバンドも、異様な熱を帯びた演奏、そして歌唱でした。


1980年9月3日 大阪フェスティバルホール セットリスト
1曲目「スナイパー」
2曲目「南回帰線」
   mc1
3曲目「メシア」
  mc2
4曲目「秋止符」
 mc3
5曲目「街路樹は知っていた」
 mc4
6曲目「ラ・カルナバル」
 mc5
7曲目「デラシネ」
  mc6
8曲目「ボッサ・デ・スー」
 mc7
9曲目「昴」
 mc8
10曲目「狂った果実」
11曲目「遠くで汽笛を聞きながら」
 mc9
12曲目「チャンピオン」

【アンコール】
13曲目「帰らざる日々」
 mc10
14曲目「さらば青春の時」






バンコクから帰ってきて1発目の日本でのライブ。
その最初のMCはこんな感じでした。

ち「こんばんは ちょっと…(笑う)今、叫びすぎて自分自身あげっぽくなってしまいまして…
 久しぶりに大阪に帰ってまいりました。
 つい、ちょっと前までタイのバンコックって所でコンサートをしました。マラリアの汚染地区から
 帰ってまいりまして初めてのコンサート(笑)
 一応あの〜わたくしの方は衛生管理の方から証明をいただきまして、でもまだ完璧にマラリアの
 疑いが晴れたわけではないと…。ここにいらっしゃるみなさんに向かってひょっとすると
 マラリアを撒き散らしながら歌っているという可能性もあるのかも知れませんが
 笑って許していただきたいと・・(笑)
 え〜堀内さ〜ん 紹介します、ありがとうおじさん堀内孝雄さんです」

べ「こんばんは バンコクから帰ってきまして、本当にこの大阪が3日にあると言うことを
 前々から知ってたんすけどね 3日にちゃんと帰れるかなという不安がいつもありましたけど
 あのー今、帰ってきて言えるのはやっぱり行ってきて良かったなと思いますね。
 最初、行く前は向こうで大砲の弾で殺されるとか、変な恐怖感があったりしましたけど
 今、凄く爽やかな感じでね…。今日もあの・・今年、特に体の調子が良くて なんかもう
 また大阪で、この前は厚生年金でやりましたけど、今日はほんとに頑張っていい汗かきたいと
 思っています。よろしくお願いします」

ち「え〜我々、平均が31歳に近づいてまいりまして極力、身に赤いものをつけようと言う
 無言のうちの約束ができてまいりまして… 紹介します 矢沢透です」(拍手)

ち「えーバンコクに行きまして、地元の人間と間違われなかったただ一人の人物、矢沢透でございます。
  べーやんと私は完全に現地人と混ざっておりまして一緒に記念撮影しましても
  どれが自分かわからない、という見事な混ざり方でこざいます。
  えー今夜は新しい曲などを織り交ぜて・・・
  あの・・このっ・・ほんっとに・・・(急に笑い出すちんぺいさん)
  あのね・・・みなさんの方からは我々の角度でご覧になれないと思うんですけど
  このフェスティバルホールというのは、前の方にずーとこう、何と言うんですか「さん」って
  言うんですか?これがありまして、ちょうどこの辺から見ますと最前列の方の首だけが
  その上に(笑い出す)・・乗っているという形に見えまして・・・(笑い止まらず)・・
  鈴ヶ森の晒し首みたいで・・ニヤッと笑われたりしますとドキッとしたりしまして…
  ・・・さあ、2階席の方も決して忘れておりません
  次の曲なんかはほぼ2階だけにお送りしもいいというぐらいの気持ちでやってみたいと思います。
  (2階席からの凄い拍手)ありがとう・・・
  えー新しいアルバムが出まして、その中にある1曲を聴いていただきたいと思います。
  ノストラダムスという人物がおりまして、彼の予言によりますと1999年にこの世は終わってしまう
  助けて神様、そういう歌です、救世主メシア」


バンコクでの海外初ライブの興奮冷めやらぬって感じで1曲目「スナイパー」から熱量が凄い!
ティンバレスのど頭のフィルインを珍しくきんちゃんが勢い余った感じでリズムが狂ってしまう
ハプニングがありましたが、すぐにインテンポに。
二人の歌はヤバイぐらいに熱かった。
なのでmc1でちんぺいさんが「叫びすぎてあげっぽくなった」と語った。

mc2はこんな感じ
ち「えー、久しぶりに大阪に帰ってまいりまして、一番うれしいのは日本語でしゃべれると言う事
  それも大阪弁を使っても通じるっていう、・・
  あのーバンコクでやりました時、終わりの方になるともう英語が出てこないんですよね
  一生懸命に頭の中で単語だけを並べてやってるんですけど、えーい、じゃまくさい!
   わかるかー?っていうと「わかる」と言うんですよね。
  あーそんなもんかなと気合いで、けっこう雰囲気で伝わったりするもんですね
  いろんな歌を聴く機会がありまして、あのー難しいですよね向こうの歌っていうのは
  通常では信じられないうようなメロディーがたくさんありまして・・・」
  (ここでタイのコンサートで歌った「ニアドーン」をアカペラで歌う)
 「こういうあの・・・中国料理のバックで出てくるようなメロディーが多いもんですからね・・
  無事に成田空港に降り立った時に思わずみんなで抱き合って泣いた・・(笑)
  だんだんと年をとりますと感激をするっていう・・・
  今日、うるさい曲でオープニングが始まりまして、ご年配の方は「なんじゃ?うるさい」
  「こんなはずやない」とかいろいろ思ってらっしゃる人もいるのではないかと・・・
  最初、脅かしといてこれからじわじわと首を絞めていくという、蛇の生殺し・・こういうやり方を
  我々は好んでおりまして・・今日会場にちらほらとカップルでJoyしてる方・・
  あ、Joyって難しい言葉を…(笑)・・・」
 そこから「秋止符」のMCへ


mc5
「ラ・カルナバル」を歌い終えた後は、ちんぺいさんとべーやんの漫才のようなトーク。
冬の札幌公演でのタクシーでのハプニングを話をひとしきりした後に
ち「・・・ほんとにね・・これみなさん聞いてください、愚痴ばっかり!なりますけど、
  旅に出ますでしょ、朝、とりあえず一番最初に起きるの私なんです。血圧高いもんやから(笑)」

べーやんが話に割り込むように

べ「もの凄く陽気なんですよ。オハヨーみんな〜!どこにそんな力があんねやろ?」
ち「も、もうしょうがないですね、元気やから。ほいでその〜血圧低いチームってのがありまして
  堀内、矢沢というチームがあります。
  きんちゃんの方はまだ可愛いんですよね、あの「ふん、ふぅーふぃーでよう〜」(モノマネ)と言って 
  こう起きてきますでしょ、ところがあの・・コイツ、コイツは悪いんでっせぇ〜
  ほんと食ってかかって来よるんです。」
べ「はへへへ」
ち「オハヨー!って言うと 「何がおはようやねん!」」
べ「朝、何でかしらんけど腹立つんですね」
ち「そんなこと・・・朝に怒ってもしゃーないやんか、そんなもん」
べ「例えばあの「コーヒーでらっしゃいますか?」なんてウエイトレスの人に「やかましなお前」、
  「おまえ俺、紅茶好きなん知ってるやろ」
ち「知らんがなそんなもん」
べ「すぐ、こう喧嘩腰になってしまうんですよね・・・」
ち「その代わり、夜は寝かしてくれません。明け方まで起きてるよね?わんわん言いながら」
べ「え、あのーやかましいの好きなんです(笑)」
ち「夜中、廊下声出して走ってるのは彼しかいないんです。
 そんな彼が今からみなさんに1曲、嘘みたいですけど歌います。
  アリスってグループは歌も歌えるという所を聴いていただきたいと思います、堀内孝雄です」
  (この後、デラシネ)

mc7  「昴」の前のMCはカンボジア国境での話でした。それはこの時だけだったような気がします。
   MCのために決めた言葉じゃなく、カンボジアの国境に行って感じた事をその場で言葉にして
   思うままに話したように感じました。
   こんな感じのMCはかなり珍しい。

ち「あのーカンボジアの国境地帯のノンチャンって村に行きました。そこでずいぶんいろんな物を 
  見てきました。少し向こうでは戦闘がついこないだまであった・・・
  急に地雷の爆発する音とかね・・ドカーンって言うんです、我々3人でオロオロしておりますと
  そしたら通訳の人が「あ、誰か地雷踏んだんでしょう」って言う・・
  「え〜その人どうなりはるんですか?と言うと「いや、死んでるでしょ」・・えー・・
  なんかこう、いつ敵が攻めてくるかもわからないって所に自分がいる・・・・・
      行く前の方が怖かったんですよね。無事で帰って来れるのか?とかいろいろ言われまして
  「いやそりゃわからんけど、とりあえず行ってみない事には」
  毎日こう生活していろんな事を考えてとかやっているつもりなんですけど
  何となくこう自分自身に甘えが出て来たりする瞬間ってのがあって、そんな時自分たちをこう
  崖っぷちに追い詰めないと何か考えられない時って言うのもあるのかも知れないっていう・・・
  そんな密かな気持ちもあって行ってみて、やっぱり良かったなと思いました。
  あの、自分の子供たちに父親なり母親なり親がもがいて苦しんだって姿を堂々と見せてやれれば
  これ以上のプレゼントはないんじゃないかと思います。
  やがて自分たちの子供が成人して生活して行く頃、やっぱり世界が平和であればいいなと・・
  「世界が平和であればいいな」と言うとみんな笑うんですよね。
  「そんなん別にお前が考えんでも」って。でも、みんなが考えん事には何もならへんのと違うかなと
   ふと、こう思ったりもするんです。
   でも、あそこでボランティアの方が働いていらっしゃって
   「誰かを助けようなんていうそんなつもりで来ていたらここでは務まらない」って事を
    言われました。みんな自分の為だ。自分がやりたいからやるんだって、その言葉に
   凄く衝撃を受けました。他人がいろんな事を言ったりする、
   でも他人のために生きているんじゃないって事を確認したいって事を彼女もおっしゃりました。
   なるほどそうだなと、自分がしたいのかどうか、自分がいきたいのかどうか、
   それだけが一番大きな問題のような気がします。この歌を「昴」」


「チャンピオン」の前のMCもタイ、カンボジアで感じた事を話しています。
ち「きんちゃんがチラッと言ったんですけど、難民キャンプとかああいう所に行ってた時に
  音楽がないんですよね。なにも音楽がなくて…音楽がまるっきりない生活が3日間ぐらい続きました。
  そして久しぶりにちょっとだけ都会の方に帰って来た時に、そこに音楽が流れておりまして
  思わず涙が出そうになった…。普段、自分たちはひょっとすると音楽を聴きすぎてるんじゃないかな
  と、だんだん耳が麻痺してやる事もやる方も聴く方も感動がなくなって来てるのかも知れないね、
  なんて話をしておりました。ホントにふと空白の中から飛び出してきた音楽は
  凄く新鮮で衝撃的でした。
  そんないろんな思いを込めて、最後の曲です「チャンピオン」!」

「チャンピオン」の前にこのようなMCをした事はこの時限りじゃないかと思う。


アンコールでのMCは
ち「今日はなんかこう、ドキドキのしっぱなしで久しぶりにこう、緊張、緊張で
 硬くなってしまったステージです。最後まで本当にたくさんの拍手ありがとうございました。
 そして、最後になりましたが、我々を育ててくださったと言っても過言じゃない毎日放送に
 心から感謝いたします。どうもありがとうございました。」

「冬の稲妻」も「ジョニーの子守唄」も「今はもうだれも」も「夢去りし街角」も「涙の誓い」も
歌わないコンサート。これはこれで新鮮で好きなセットリストでした。
それらのヒット曲を歌わないセットリストは1981年3月1日NHKホールまで続きました。
中には「冬の稲妻」か「ジョニーの子守唄」がセットリストに組み込まれた日もあったようです。


42年前の今日はきっと朝からドキドキで学校に行ってたんだと思う。
急いで帰ってきて大阪に向かったんだろうなぁ。
1980年9月3日大阪フェスティバルホールでのアリスのコンサートはいつもとはちょっと違う
緊張感と熱量に包まれたコンサートでした。

3日前に東京に行った時、きんちゃんに、
この前の24時間テレビの時の写真にサインしてもらった。
アリスの昔の話や今の話など、いろいろ話せて良かった。
お酒と料理はいつも通りに大満足の美味しさでした!





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最終更新日  2022年09月03日 07時35分52秒
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