おしゃれ手紙

2010.11.10
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カテゴリ: 映画
別れの曲:あらすじ

ショパンを愛したふたりの女性

1830年、ショパンは、ワルシャワを去りウィーンに向かう。
告別演奏会で『ピアノ協奏曲第1番』を披露、恋人、コンスタンツィアも歌を披露。

ショパンのウィーン到着後まもなくワルシャワ蜂起が起こると、ウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、十分な演奏の機会も得られなかったため、パリ行きを決断する。

パリでの音楽界には、無名の新人ながらも、ビクトル・ユゴーやデュマ、ジョルジュ・サンドなどの当時の来ていた。
中でも、ジョルジュ・サンドは、ショパンを絶賛する。

激動のワルシャワから芸術の都パリへ・・・。
“ピアノの詩人”ショパンの若き日の愛と苦悩が、初恋の人コンスタンティアとの悲恋を縦糸に、ジョルジュ・サンドやフランツ・リストら豪華な登場人物たちとの交流を横糸にして、鮮やかに描き出される。
1934年に制作されたこの映画は、翌年の昭和10年(1935)に日本でも公開され大ヒットとなった。

先週は、■ アマデウス ■を見に行き、7日には、クラッシック音楽会に行った。
そして今度は、またまた「別れの曲」とこのところ、クラッシックが続いている。

今年は、ショパン生誕200年ということで、1934年に制作されたモノクロ映画が上映されたのだ。
映画の中では、「別れの曲」がふんだんに使われている。

この曲は、《エチュード第3番ホ長調》とよばれるが、この映画のタイトルを「別れの曲」としたため、
以来、日本では、「別れの曲」とよばれている

 当時の音楽家は、今のシンガーソング・ライターのようなものだったみたいだ。
作曲した曲を演奏会を開いて聴いてもらい、人気が出れば、演奏会によばれるといった、いわば、アイドルスター。

それだけに、パリの華やかな社交界などにも出入りしていたのだろう。


オープンカフェ映画のシーンにあったが、19世紀の前半には、もうパリには、オープン・カフェがあったのだろうか。
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昔◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2010年11月7日 *七つまでは神のうち/麹(こうじ)の花咲く町/あそび唄:とおりゃんせ *
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Last updated  2010.11.10 19:16:59
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