全6010件 (6010件中 1-50件目)
■見はらし世代■2025年未明家族、東京、あたらしい景色再開発が進む渋谷で、胡蝶蘭の配送運転手として働く青年の蓮は、幼い頃に母を失って以来、ランドスケープデザイナーの父とは疎遠となっていた。ある日、配達中に数年ぶりに父と再会し、姉の恵美にもそのことを話すが、恵美は我関せずといった様子で自分の結婚の準備を黙々と続けている。そんな状況のなかで、蓮は家族の距離を測り直そうとする。 短編『遠くへいきたいわ』の団塚唯我監督のオリジナル脚本による長編デビュー作。再開発が進む渋谷を舞台に、母が亡くなり取り残された父と、疎遠になった姉弟が関係を見つめ直す姿を描く。主人公の蓮を『さよなら ほやマン』の黒崎煌代、ランドスケープデザイナーとして働く父を『スオミの話をしよう』の遠藤憲一が演じるほか、井川遥、木竜麻生、菊池亜希子らが出演する。★映画のシーンがどこを切り取っても大都会。主人公の仕事が胡蝶蘭の配送運転手。胡蝶蘭って、開店のお祝いの時に贈る花だけど、毎日生まれる店があるってことは、それだけ大都会ってことだ。★電動キックボードの多さ。5月にフランスに行ったとき、電動キックボードで移動する若者の多さにびっくりした。日本でもこんなに増えていたんだとびっくり。キックボードも短距離移動に適しているので、大都市に適している。★高いビル、地上を走る高速道路、いや日常の道路も地上にある。そんな手塚治虫の描いた未来図のような大都会・東京が何回も何回も出てくる。★主人公・蓮の父親の職業が、ランドスケープデザイナー。この職業も大都会でしか成り立たない。そんな東京の今を見ているような映画だった。人が街を作るのと同時に、街が人を作っていく 団塚唯我★主人公の蓮を見て、誰?と思ったけど、黒崎煌代(こうだい)だった。「煌代(こうだい)恐ろしい子・・・」by月影千草★黒崎煌代★2002年生まれ、兵庫県出身。2023年後期NHK連続テレビ小説「ブギウギ」のオーディションにて、主人公・鈴子の弟、六郎役を勝ち取り俳優デビュー。『さよなら ほやマン』(23)にて映画デビューも果たし、第33回日本映画批評家大賞新人男優賞(南俊子賞)を受賞するなど、今後の活躍が期待される。直近の出演作に、映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』(25)、『アフター・ザ・クエイク』(25)、『ストロベリームーン 余命半年の恋』(25)などがある。*朝ドラ「ブギウギ」も、「さよならほやマン」も見た。★父親の事務所の台湾から来た女性が「この会社の女性は、みんな髪が短いのはなぜ?」と問うシーンがあった。実は、私もオリンピックの陸上選手やバレーボールの選手がみんな短髪なのを気にしていた。アメリカなど欧米では、長い髪をして、マニキュアや化粧も完璧にした選手が多かったのに・・・。これは、日本人は、勝つことに必死でそこまでゆとりがないからだろう。最近は、日本女子もきれいにしている選手もいるが・・・。★お母さんは、「(家族のために)一緒にいて」と仕事に行こうとする夫に言う。子どもより自分が寂しかったのだろうが、仕事では仕方がないのではないだろうか。自分も仕事で忙しくなればいいのにと思った。★母親は、寂しさから死んでしまうが、死んだお母さんが出てくるって・・・。幽霊オチはないやろ・・・。( ;∀;)・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.17
コメント(0)
■ホーリー・カウ■父が死んだ。残されたのは、行き詰ったチーズ工場と幼い妹コンテチーズの生産地であるジュラ地方で、18歳のトトンヌは仲間と酒を飲み、パーティに明け暮れ気ままに過ごしていた。しかし、ある日突然チーズ職人だった父親が不慮の事故で亡くなってしまい、7 歳の妹の面倒を見ながら、生計を立てる方法を探す事態に。そんななか、チーズのコンテストで金メダルを獲得すれば3万ユーロの賞金が出ることを知ったトトンヌは、最高のコンテチーズを作ることを決意する。 不慮の事故で父を失ったことをきっかけに、不良少年が幼い妹や仲間たちと共にチーズコンテストの優勝を目指す姿を描く青春ドラマ。本作が初長編映画となるルイーズ・クルヴォワジエが監督を務める。キャストには地元の演技未経験者を起用し、農場を営むクルヴォワジエ監督の家族が音楽や美術スタッフとして参加している。★トトンヌ役:クレマン・ファヴォー実⽣活では養鶏場で働き、農業学校の外で友⼈とタバコを吸っているところを監督にスカウトされた。最初は役を断ったものの、監督が何度もアプローチし、最終的に出演を決意。「彼の顔、⽬に宿る暴⼒性と脆さが混ざり合った姿こそ、まさに私が求めていたものでした」とクルヴォワジエ監督が語るように、本作での演技が⼤きく評価され、2025年のリュミエール賞最優秀新⼈男優賞を受賞した。☆ピッタリの役だった。友人役も地元の若者を起用。彼らは今後どうする、どうなるのだろう。★フランス・ブルゴーニュの東、スイスとの国境沿いにあるジュラ地方の美しい自然と放牧された牛たちを背景に、主人公トトンヌのチーズ作りに取り組む姿を描く。舞台の位置は、フランスのストラスブールとリヨンの間くらいの位置にあるようだ。★「holy cow」とは、英語圏で一般的に使われる感嘆表現である。直訳すると「神聖な牛」だが、その実際の意味は驚きや驚愕、あるいは強い感動を表す。特に、予想外の出来事や驚くべき事実に対して使われることが多い映画の冒頭、馬鹿な事をするトトンヌに対して、友人が「ホーリー・カウ!」という。「マジか!」と訳されていた。★チーズは大好きだけど高いなと思っていた。けどこんなに時間も労力もかかるのなら仕方がないかと思っていたら、今は違うやり方もあるそうだ。★ケン・ローチ監督の感じとあったが、私もそう思う。最後、くすっと笑え、明るく終わった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.16
コメント(0)
■2025.9.27(土)-2♪北海道のあるある言いたい〜、早く言いたい〜北国の信号機は、縦型が多いのは、雪がたまっる面積を少なくして、壊れるのを防ぐため。道路に防風柵がありがち。暴風を防ぐことによって、雪が道路に積もるのを少なくするため。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆留萌(るもい)市街の北25kmほどの小平町(おびらちょう)の日本海オロロンライオン(国道232号)沿いに建つ、旧花田家ニシン番屋。明治から大正にかけて全盛を極めたニシン漁の番屋の跡で、道内では最大の規模の「ニシン御殿」。国の重要文化財で、北海道遺産にも認定。一帯は「 道の駅おびら鰊番屋」としても整備されています。(▲漁夫たちは、左側で寝ていた人もあり。)旧花田家ニシン番屋は、明治38年頃(壁紙下張の新聞紙の日付が明治37年、38年だったことから)に建てられた番屋で、全盛期には漁夫、船大工、鍛冶職に至るまで、約200人もの人たちが暮らしていました。建物は、目の前の浜に向かって建てられ、浜辺はニシンの加工、煮炊きなどに使われました。番屋の1階は親方家族の居室と若衆(やんしゅう=雇漁夫)が暮す広間、2階には前浜の漁場の様子が見渡せる「見張り台」や商談の間などがありました。▲陶器の重箱、うちにもある(⌒∇⌒)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■北緯45度モニュメント■北海道幌延町には北緯45度を横切る国道、道道、農道、町道が何ヶ所もありますが、もっとも景観が良く、記念撮影にも絶好のスポットが、日本海オロロンライン・道道106号(稚内天塩線)沿いの通過点。ちょうど北半球の真ん中という位置ですが、海越しに利尻富士を眺める絶景の地に北緯45度モニュメントが設置されています。 自分の住んでいる所が、北緯何度かご存知だろうか?私は、知らなかった。調べてみると大阪は、北緯34度 41分11秒沖縄の那覇は北緯26度 12分 45秒、北海道の札幌は北緯43度 3分50秒だ。■ニュージーランドで南緯44度を通ったことがある。■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆オロロン街道を北上する。13幌延町内ではオトンルイ風力発電所の風車群28基が3.1 kmにわたり道路に沿うように南北一直線に設置され、サロベツ原野駐車公園(トイレ設備有)は、風車群と利尻山のビューポイントとなっている。▲延長140メートルの浜里パーキングシェルターが設置されている。 これは、特に冬の激しい地吹雪(視程障害)や吹き溜まりから緊急避難するための施設で、その中に駐車スペースや水洗トイレなどの設備がある。▼▼利尻島と夕日。夕日というより、落暉(らっき)という方が似合う夕日だった。安達太良(あだたら)は智恵子の空よ冬落暉(ふゆらっき)/椎橋清翠8357●歩■9月26日(金)■宗谷岬から襟裳岬へ/留萌市(るもいし)/北海道あるある■■9月27日(土)-1■映画「駅 STATION」の舞台:増毛■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.14
コメント(0)
■2025.9.27(土)-1新千歳空港から北海道の北端の宗谷岬を目指して北上。この日は、朝9時に旧JR増毛駅でガイドさんと合流。増毛(ましけ)はアイヌ語で「カモメの多いところ」を意味する「マシュケ」より。「増毛」という駅名が薄毛に悩む人の間で人気を博し、当駅の入場券が縁起切符として販売され、1980年度と1981年度には合計54000枚以上が売れた。 増毛駅舎とその周辺は、高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台となったことで有名です。(▲駅の天井は「格天井(ごうてんじょう)」駅舎をはじめ、高倉さんふんする刑事の実家、「風待食堂」になった建物が今も残っています。現在は、開通当時の駅舎に復元整備し、公衆トイレや駐車場なども整備され、増毛を訪れる人の交流の拠点として活用しています。旧富田屋旅館は、昭和8年に建築された、旧増毛駅前にある木造三階建ての駅前旅館です。駅前旅館として多くの旅行客や海水浴客などに利用され、昭和50年代前半に営業を終了。旅館休業後も、所有者が一般住宅として平成30年5月まで居住していました。▲豪華な彫刻の増毛厳島神社。▼1706年(宝永3年)、増毛に運上屋を設けた村山伝兵衛が弁財社を祭ったのが創祀である。▲大正時代に流行ったドイツ壁の建物。9約120年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家(きゅうしょうかまるいちほんまけ)。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど 当時の建築職人の心意気が感じられます。19世紀初め、増毛に北方警備の拠点があった!津軽藩はエトロフ、ソウヤ、シャリの守備を命じられましたが、冬季間の寒さと野菜不足による水腫病(現在の壊血病)で多くの藩士の命を失っています。そのため津軽藩は幕府に窮状を訴え、その願いが聞き入れられて文化6年(1809年)以降の宗谷の越年を増毛に変更することができました。そのため増毛に築かれたのが勤番陣屋。志満川食堂の横に標柱と説明版が立つのみですが、当時の宗谷樺太詰め人数は200~300人と推測されるので往時はかなりの規模の陣屋がここに建っていたことがわかります。 ちなみに幕末の安政2年(1855年)、幕府は仙台、秋田、南部、津軽、松前の各藩に再び蝦夷地警備の命を発し、増毛には秋田藩が拠点となる元陣屋を築き(兵員詰所、火薬庫など28棟を建設)、ソウヤとシラヌシ及びクシュンコタン(現・サハリン)に出張陣屋を建て、沿岸の警備にあたりました。当時、秋田から増毛までの道程は険しく、数ヶ月を要して到着しています。▲鉄道が通って、人の行き来があったころの増毛のまちがわかる駅前の建物。増毛に来るまで、こんなに昔から栄えていたところだとは知らなかったので、びっくり。■9月26日(金)■宗谷岬から襟裳岬へ/留萌市(るもいし)/北海道あるある■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.13
コメント(0)
■2025.926(金)9月26日(金)から10月8日(水)、北海道の北の端、宗谷岬から南(?)の端、襟裳岬をレンタカーで廻った。大阪の気温は、31度だったけれど、新千歳空港に着くと21度か22度くらい。今回で3度目の北海道ドライブの旅は、「宗谷岬から襟裳岬」がテーマ。上の写真の赤〇が宗谷岬、青●が襟裳岬。新千歳空港から北上して、留萌(るもい)市に着いた。赤●(地図の左)「るもい」とは、アイヌの言葉で「汐が奥深く入る川」を表す「ルㇽモオッペ」が自然な説とされている。江戸時代まではアイヌと日本人が混在、明治期にニシン漁の北上に伴い漁村として日本人の村が市内に点在。この地に江戸時代から多くの内地の人がいたことにびっくりした。▲海沿いの古い倉庫が栄華を語っている。大正期に入り、各地に炭鉱(大和田炭鉱、豊平炭鉱、浅野炭鉱、達布炭鉱)が発見され隆盛をきわめる。昭和22年頃には留萌本線、羽幌線、天塩炭砿鉄道、留萠鉄道、達布森林鉄道など多くの鉄道路線が留萌駅に乗り入れしていた。▲海沿いの倉庫。1960年代までの人口は4万人以上であったが、ニシン漁の衰退や炭鉱の相次ぐ閉山により減少に転じた。かつては、多くの商店があったようで、手ぬぐいなどに、その名残はあるものの、今は典型的な過疎のまちだった。泊まった宿もそんな感じで哀愁ただよう北海道旅行の始まりとなった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆♪北海道のあるある言いたい~、早く言いたい~雪が降ってどこまでが道なのか分からなくなるので、上に印がある。▼道路の両脇に棒があるパターンもあり。8260●歩・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.11
コメント(0)
■澪つくし:深川澪通り木戸番小屋■流れる川音に包まれた江戸・深川澪通りの木戸番小屋に住む笑兵衛(しょうべえ)とお捨(すて)の夫婦。押しつぶされそうな暮らしを嘆き、ままならない運命に向き合い、挫けそうな心を抱えた人々が、今日もふたりのもとを訪れる。さりげないやさしさに、誰もが心の張りを取り戻していく。人生の機微を端正な文章で描く傑作時代短篇集。(講談社文庫)■いま、ひとたびの町木戸も夜になれば閉める。医者や産婆など、やむをえない用事のある者は木戸番がくぐり戸を開けて通し、次の木戸番へ拍子木を打って木戸を通った者がいることを知らせる。■花柊■澪つくしお捨がころがるような声で笑いながら言った。ふっくらと太っていて背も高く、はじめて会った時は、肉づきと背丈の釣り合いがとれている人だと思った(略)このうえなく美しく見えるのである。亭主の笑兵衛も背が高く、こちらは古武士の風格があった。■下り闇鋳掛屋は三日おきにやって来る。■ぐず豆腐■食べくらべ■初霜■ほころび■解説「深川澪通り木戸番小屋」はシリーズもので泉鏡花賞など多くの賞を獲っている。また、NHKで「金曜時代劇 とおりゃんせ~深川人情澪通り」として放送された。主人公の木戸番夫婦に神田正輝と池上季実子。1995年度放送だそうだ。私は見ていない。( ;∀;)・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.09
コメント(0)
■街道をゆく26:嵯峨散歩■嵯峨野の旅は、古くは、「絶壑ノ間ニ孤立ス」と表現された山峡の水尾から始まった。司馬遼太郎は、はるか昔この地に辿り着いた清和天皇に触れ、天皇を祀るお社を護持し続ける里人の心遣いに注目する。嵐山の渡月橋では、古代、山城国(京都)に定住し、土木技術によって田野を切り開いたといわれる渡来系氏族の秦氏について考える。見まわせば、渡月橋下の中洲も松尾大社も、現代に残る秦氏の足跡なのだった。天竜寺塔頭の妙智院で嵯峨名物の湯豆腐を食べながら、司馬さんの思いは遠く豆腐の起源にまで遡る。旅は「芸能」や「売り掛け」の神として信仰を集める車折神社で締めくくられる。かつてこの社を「ヨリナリサン」と呼んでいた女性の懐かしい思い出を振り返りながら。●目次(「BOOK」データベースより)●嵯峨散歩(水尾の村/水尾と樒が原/古代の景観/大悲閣/千鳥ヶ淵/夢窓と天龍寺/豆腐記/渡月橋/松尾の大神/車折神社)●著者情報(「BOOK」データベースより)●司馬遼太郎(シバリョウタロウ)1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。(72歳)主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)●読書メモ●●ひとつの川が桂川とよばれ、大堰川ともよばれる。あるいは保津川ともよばれる。日本の河川の名のややこしさである。(略)統一せよ。という声がたとえあっても、それぞれの名に歴史・風土の上の実感が累積しているために、そうはいかない。●ついでながら上方(かみがた)では、葬式には造花の花輪を用いず、シキミの盛大な枝葉を形づけて葬家を荘厳(しょうごん)する。●原始仏教は花が好きであった。(略)長安では、いつも手軽に花が採取できるわではない。日本もそうである。シキミをもって花に代用したのであろうか。*シキミを花枝といっていた。*シキミを養う。●(岩を砕く方法)水面上の岩は、岩上で烈火を焚き、もろくしてからくだく。●土佐の豊臣期での国主は、長曾我部氏である。(朝鮮侵略のさい)帰国のとき朝鮮人30人がつき従ってきた。(彼らに)浦戸城下に住まわせた。山内氏は、鏡川沿いに土地をあたえ、唐人町を形成させた。(略)かれらの生計がなりたつように、豆腐の製造販売の特許をあたえた。豆腐屋の開業は唐人町のこの「座」以外は許されなかった。●(大久保利通は)堺付近の白砂青松の海岸松原が「士族授産」という他愛もない企画のもとで伐採させられつつあるのをやめさせた。●(ハンとサンの違い)明治以前、京都のひとが公家のことを、「ゴッサン(御所サン)」とよんでいたところをみると、ちょと改まった相手には、サンなのかもしれない。また大名に対しても殿サンであって殿サマではない。自然、神社仏閣も、ゴッサンやトノサンと同様、サンになる。●嵯峨の車折(くるまざき)神社のあたりは、当時清原氏の領地だったらしく、頼業(よりなり)は、死後、いまの車折の境内地に葬られた。さらに、子孫によって墓所に祠堂(しどう)も設けられたらしい。やがて武家の世になり、他の公家と同様、清原氏も所領をうしなったが、祠同は土地のひとびとが護持し、いつのほどか村社になり、また桜大明神とも車折神社ともよばれるようになった。(略)*清少納言は、清原頼成(よりなり)の末裔。●嵯峨野を愛した亀山天皇は、上皇になるとしばしばいまの天龍寺付近にあった亀山殿に通ったのだが、当然ながら、下嵯峨街道ぞいのこの社を通りつづけたことになる。あるとき社前で牛車がうごかなくなった。やむなく車を降り、「ここはどこか」と聞いた。車折(くるまざき・あるいは車先)という名はそこから出たといわれている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.08
コメント(0)
・アガワはなぜ、還暦すぎて入籍したのか・新婚生活は「聞かない力」が大事・ホットフラッシュ、情緒不安定……更年期になったら周囲に宣言すべし!・「これしかない」という仕事を見つよう◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★大石静という脚本家を知ったのは、大河ドラマ「光る君へ」がはじめて。調べてみると、NHK朝の連続ドラマ「ふたりっこ」、「オードリー」NHK大河ドラマ「功名が辻」、「光る君へ」NHK「セカンドバージン」、「永遠のニッパ 北海道と名付けた男松浦武四郎」。みんな知ってる!!★NHK朝の連続ドラマ「オードリー」を再放送で見た。主役の女の子・美月は、産みの母と育ての母が隣に住んでいる。育ての親は、有名な旅館を経営していて、作家がよく缶詰にされていた。主役の女の子・美月は、アメリカ帰りの父親にオードリーとよばれる。女優になりたいと思う・・・。などなどほぼすべて、大石静の生い立ちと一緒。★阿川佐和子「ここは私の場所じゃない、私の能力が生かせる場所はほかにある」という考え方は、ちょっとおこがましいと思う。大石「まったく同意見です。今いる環境で与えられた仕事もきちんとこなせない人が、別のところへ行ってうまくいくなんて思えないから。*私は、自分になんの能力もないから、ここにしがみつこうと会社に勤めた。★阿川佐和子「みんながみんな、イチローになれるわけがない。大石静「そう、みんな平等じゃないのよ。(略)」★大石静脚本家の山田太一先生は「キャラクターは語尾に宿る」という持論で、演じる側が絶対に語尾を変えちゃいけないのよ。「寒いね」「寒いですね」「寒くね?」これだけでも全然性格が変わってくる。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.06
コメント(0)
■愛の妖精■コッス村の農家の家に、美しい双子(一卵性双生児)の男の子が生まれる。父親は誰からか「双子はお互いの愛情が強すぎて、離ればなれになると生きていけない」と聞いていて、それがちょっと心配だった。双子はすくすく成長し、次第に性格の違いができてきた。弟ランドリーは陽気で快活で、兄のシルヴィネは優しいがちょっと内気だった。しかし仲は良く、いつも一緒だった。 生活が苦しくなったこともあり、双子のどちらかを奉公に出そうということになり、ランドリーが志願する。シルヴィネには奉公は耐えられないだろうと思ったからだ。事実、離ればなれになることでシルヴィネは見るも哀れなくらい落胆していた。 村の子供たちに魔法使いとおそれられている老婆・ファデばあさんには、二人の孫がいた。姉・ファデットは小柄で、痩せていて、色は黒くておしゃべりで、からかい好きで、子供たちに敬遠されていた。もちろん双子も苦手だった。あだなは「こおろぎ」。弟は「ばった」と呼ばれていた。シルヴィネは、ランドリーが奉公先の娘や新しくできた友達と遊んでいると思うと、どうしようもない疎外感におそわれた。そんなある日、シルヴィネが行方不明になった。ランドリーは兄が命を絶とうとしているのではないかと、慌てて探しに行くが見つからない。絶望に目の前が真っ暗になりかけた時、ファデットが現れ、シルヴィネの居場所を教えてくれた。シルヴィネは無事見つかった。 ランドリーはそれまでファデットとろくに話したことがなかったが、事件以降、話す機会も増え、ファデットが物知りで、踊りが上手で、また根は優しくて気だてのよい娘だということに気付く。ランドリーはファデットに惹かれていく。ファデットもまたランドリーと付き合ううちに、身だしなみに気を遣ったり優しい気持ちを素直に表したりするようになる。それまでファデットは自分は醜いと思い、周りもそう思っていたのだが、見違えるように変わっていく。二人の仲が深まってきたことを知ってシルヴィネはいてもたってもいられなくなる。父親も世間体を気にして反対する。ランドリーは理解してもらおうと懸命だが、シルヴィネが泣き出し、見かねたファデットは自分が村を出て行くと言い出す。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★登場人物★★ファデット(ファンション・ファデ)ファンションは本名フランソワーズの略称。ファデットは「こおろぎ」の意。すぐ憎まれ口を叩くが、子どもたちには密かに人気がある。★ランドリー双子の弟。体力があり奉公に出る。最初は嫌っていたファデットに好意を抱くようになる。★シルヴィネ双子の兄。体が弱い。双子の弟と引き離されるのを嫌がっている。★「ばった」ファデットの弟。★ファデばあさんファデの祖母。魔法使いとおそれられている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「愛の妖精」を読むきっかけになったのは、田村せつ子の「おしゃれなおばあさんになる本」に「愛の妖精」が出ていたから。昔読んだことがあるが覚えているのは、「鬼火(おにび)」、「石切り場」という単語だけ。主人公・双子の弟のランドリーが魅力的に描かれている。また、女主人公のファデット(ファンション・ファデ)が、ランドリーへの愛からどんどん魅力的な女性になっていく様子もよい。この小説、漫画になったらいいのになと思う。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●ジョルジュ・サンド(1804~1876)●「なぜ我々は子羊のもとに帰ってきたか」子羊のもとに帰るという言葉には、本題に立ち返るという意味がある。●原文はベリー(地方)の方言で書かれている。●解説・・・昭和11年五月。再版・・・昭和34年2月1936年9月5日・・・第1刷1959年3月5日・・・第25刷1991年3月15日・・・第66刷360円・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.04
コメント(0)
■潟のみち■耕作に適した土地に恵まれなかった人々が、それでも苦労して田畑を拡げていった歴史に興味をひかれた司馬さんは、新潟の低湿地を訪れた。まず、信濃川と阿賀野川の中州にできた亀田郷を訪ね、亀田郷土地改良区の事務所で佐野藤三郎理事長の話を聞いたり、排水機場や鳥屋野潟を見学して、低湿地を水田に変えていった労苦を思う。ついで、阿賀野川を渡って豊栄市(現・新潟市)では、全国に名をとどろかせた木崎村小作争議の話を、当時を知る古老たちに聞いた。翌日は、この旅行のもう一つの用事として、村松町の山中に、友人で詩人のぬやまひろし氏の息子さんらがやっている「新潟・中国語講座・上杉専門課程研修所」を訪ねた。*亀田は、今では「♪亀田のあられ、おせんべい」というCMソングで知られる菓子メーカーがある場所になった。これも土地改良による米の生産が増えたからといえよう。●「潟(かた)」という日本語はよほど古いものらしく、「万葉集」にも紀州の若の浦の潟を詠んだ歌として『若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 山部赤人 』というのがある。●郷という行政単位は、こんにちのものではない。大化改新によって国の下は郡、群の下は郷というふうに制定され、郷をもって行政の最末端とされた。●石山の「山」ということばは、亀田郷の地理用語では陸(おか)のことだ(略)●奈良朝のころまで「ぬたり(今は、沼垂(ぬったり)」といわれたこのあたり・・・(略)●「通船川」という川が、明治の地図には信濃川河口東岸と阿賀野川との間を東西につないでいるのである。●日本の中世から明治まで、通称のほかに「いみな(頼朝、義経、家康、慶喜といったような名)」というのがあった。その人の実名であるが、他の人はその人の死後に言うことになっている。大石内蔵助もその主君や親友でさえもこの人を「良雄」とよばなかったろうし、坂本龍馬も「直柔(なおなり)」といういみなを生前使わず、西郷吉之助も「隆盛」といういみなを明治前、一度もつかったことはない。(略)たとえば現天皇を「裕仁(ひろひと)」というのは、われわれは敗戦後、アメリカ人がそうよんでいることで知った。*そういえば、「光る君へ」の一条天皇の名前を知らない。●ぬやま(ひろし)氏の息子さんは、なぽり君という。その姉さんはみらのさんである。■街道をゆく 北のまほろば (夏)■■街道をゆく:北のまほろば(冬)■■街道をゆく27因幡・伯耆のみち■■街道をゆく7:甲賀と伊賀のみち■■街道をゆく3:肥薩のみち■■街道をゆく:湖西のみち/竹ノ内街道/葛城みち■■街道をゆく10:(羽州街道)佐渡のみち■■街道をゆ42:三浦半島く■■街道をゆく1:長州路■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.03
コメント(0)
今年はへび年ですからとヘビにまつわる話を書いている。大阪市に「口縄坂(くちなわざか)」という坂がある。口縄坂は、大阪府大阪市天王寺区にある坂で「天王寺七坂」の一つ。「大阪みどりの百選」に選定されている。天王寺区下寺町2丁目から夕陽丘町にかけて東西に延びている坂で、東側(夕陽丘町)の標高が高くなっており、途中は石畳の階段になっている。前後の道はそのまま西側は松屋町筋、東側は谷町筋(大阪メトロ谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅付近)につながっている。「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。坂下の善龍寺・称名寺が下寺町(25箇寺)の一画となる他、谷町筋沿いの六万体町にかけて天王寺寺町(14箇寺)が形成されており、仏教寺院が多い。坂を登りきった場所の北側にある梅旧院には松尾芭蕉の供養塔がある。南側に織田作之助の文学碑があり、 彼の著書である『木の都』の一節が刻まれている。また、織田作之助が七坂の内、一番愛した坂でもある。■夕日丘女学校跡■1906年 (明治39)- 大阪府立島之内高等女学校として、島之内で開校。1909年(明治42) - 夕陽丘に移転。大阪府立夕陽丘高等女学校に改称。1■辰巳は天井■2■杖にからむ蛇■3■蛇篭(じゃかご)■4■干支の名前■5■♪蛇と蛙は仲良くなれぬ・・・■6■蛇の目■7■北条家の家紋「三鱗(みつうろこ)」■8■蛇口■9■巳(みィ)さん信仰:山崎豊子■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.10.01
コメント(2)
●戦国時代の武将は連歌をやった。連歌(れんが)は、日本の古来に普及した伝統的な詩形の一種。5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。一番有名なのが、ときは今あめが下知る五月哉 明智光秀 天正10年(1582年)5月、本能寺の変の9日前に、京都の愛宕山あたごやま西之坊威徳院いとくいんにて催された連歌会『愛宕百韻(あたごひゃくいん)』で、明智光秀によって詠まれた連歌の発句。連歌には、みんなでいい歌を作ろうという座の空気がみられるという。そんな連歌も戦国末期に衰退した。●信長は茶道を好んだ。茶道というサロンの芸術に対(むかい)あうものは、それよりも古典的な連歌であったが、連歌は無数の古歌を暗唱しておくという信長にとっては愚にもつかぬ教養が必要だったために、彼はそのグループに近寄らず新興の茶道に熱中した。「街道をゆく4・郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか 」 司馬遼太郎信長らしいとわろた((´∀`*))ヶラヶラ■9月見た映画■*小鹿のゾンビ*マルティネス*ヒックとドラゴン*遠い山なみの光*ベートーヴェン捏造*ブラック・ショーマン*ザ・ザ・コルダのフェニキア計画*ファンファーレ ふたつの音■書き残したネタ■*天皇の跡継ぎ*関西大阪万博*旅行*チップ*枇杷の樹*関西万博*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.30
コメント(2)
そのあまりにも有名なキャッチコピー「NO MUSIC, NO LIFE?」"音楽があることで気持ちや生活が豊かになる"という事。で、私も「NO俳句NOライフ」というタイトルを考えたけど、語呂が悪いので辞めた。■2023年9月■秋涼し私がコロナに罹って欠席。■2024年9月■新米*新米や菜(さい)は漬物だけでよい*秋暑し道路工事の多き事*人がみな正気に戻る九月かな*髪切って涼しさを待つ九月かな*思い出も込みで仕舞わん秋の蚊帳■2025年9月■菊*小さき墓小さき白菊薫りけり*秋場所や異国で生きる力士多々*雨やんで急に鳴きだす蝉の声*我が庭は虫のジャングル盆の風*だんじりを曳く乙女らの逞しき■2019~2022・1月■■2019~2022・2月■■2019~2022・3月■■2019~2022・4月■■2019~2022・5月■■2019~2022・6月■■2019~2022・7月■■2019~2022・8月■■2019~2022・9月■■2019~2022・10月■■2019~2022・11月■■2019~2022・12月■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■2023~2025・1月■■2023~2025・2月■■2023~2025・3月■■2023~2025・4月■■2023~2025・5月■■2023~2025・6月■■2023~2025・7月■■2023~2025・8月■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.29
コメント(2)
■ファンファーレ ふたつの音■さあ、はじめよう。世界を飛び回るスター指揮者ティボは、ある日突然、白血病と診断された。ドナーを探すなかで、自分が養子であること、そして生き別れた弟ジミーがいることを知る。かつて炭鉱で栄えたがいまは寂れた町の食堂で働くジミーとは、育ちも性格もまるで違うティボ。だが、ジミーが類まれな音楽の才能を持っていることを知ったティボは、これまでの運命の不公平を正そうと、彼を応援することを決意する。 運命の再会を果たしたスター指揮者とその生き別れの弟が、お互いに助け合いながら未来へと歩きだす姿を描くヒューマンドラマ。『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』のバンジャマン・ラベルネが兄のティボ、『秋が来るとき』のピエール・ロタンが弟のジミーを演じる。『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』のエマニュエル・クールコルが監督を務める。 ★重い展開がありながらもテンポが良く無駄がないので、103分という長さになっているのは、よかった。このテーマでのラストは、どうするのかと思っていたが、納得。★去年、「ロボット・ドリーム」という映画の■セプテンバー■を聞き、映画の内容と音楽は切り離せないと思ったところ。今回は、「ボレロ」という誰もが知る曲を映画の中に効果的に使っていた。 「愛と哀しみのボレロ」というバレエの名画を見てから、大好きになった曲。不治の病が再発してしまった兄に送るラストのボレロには感動した。シーンでは、悲しみもある中で満足感と幸福感を得られる、気持ちの良い音楽映画だった。★同じように音楽の大きな才能を持ちながら、かたや世界的な指揮者、かたや、町の素人楽団・・・。才能はもちろんだが、育った家庭環境がいかに大切かということがわかる映画。俗に、「親ガチャ」という言葉を絵にかいたような兄弟だった。■ガチャ(おやガチャ)は■生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子供は親を選べない」ことを、スマホゲームの「ガチャ」 に例えた日本のインターネットスラング。■ファァンファーレとは?■ファンファーレというのは、「太鼓・トランペットなどを用いた、はなやかで勇ましい、短い楽曲」ということらしい。ファンファーレは式典とかで、最初に威勢よく鳴らされたりする。競馬でもファンファーレが鳴ってからレースが始まるらしいし、映画ファンなら「20世紀フォックス・ファンファーレ」と聞けば、すぐにその旋律が思い浮かぶかもしれない。そんな意味では、ファンファーレは何かの始まりを示すことになっている。これから始まる出来事に対して、聴衆の気を引き締めるような効果があるのだろう。と同時に、ファンファーレという言葉が比喩的に用いられると、「派手な騒ぎや宣伝・誇示活動、優勝(チャンピオン)を祝福する行為などを表す」ようだ。本作のラストは、そんなふうに何かを祝福するようなラストになっていた気がする。ここでは詳細には触れないけれど、『ファンファーレ!ふたつの音』はラストに向かって組み立てられているところがあり、ラストで一気呵成に盛り上がるのだ。そして、その最高の瞬間で終わりを迎えることになる。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.27
コメント(2)
今から65年以上前の話。私は、岡山県の田舎で小学生だった。村の女たちは、井戸端や川で洗濯をしながら、話をしていた。私も休みの日であれば、母の隣で洗濯の手伝いをしていた。そんな中で、女たちの話は、まさしさんという名の村の若者の話になった。「まさしさんが、嫁さんをもろうた」「嫁さんは、潮来から来たんじゃてぇ」まさしさんという若者は、浪花節語りで全国を廻っていた。当時1960年頃は、殆どの家に、テレビも電話もなかった時代。しかし、潮来という地名は知っていた。「潮来花嫁さん」という歌が大ヒットして、ラジオから流れていたからだ。潮来がどこにあるのか知らなかった私も、遠いところということだけは分かっていた。■YouTube:潮来花嫁さん■♪潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でゆく月の出潮を ギッチラ ギッチラ ギッチラコ人のうわさに かくれて咲いた花も十八 嫁御寮後になって私が推理したことだが、まさしさんの嫁になった女性は、若い浪花節語りのまさしさんに恋をして、潮来から岡山の田舎までついてきたのだと思う。1960年頃、まだ東京、大阪間に新幹線も無い時代で、東京・大阪間は、7時間ほどかかった時代だ。潮来から東京、東京から大阪、大阪から兵庫県・姫路、姫路から岡山県へ。一日がかりの行程だったと思う。遠い所に行く娘に対して親は当然反対しただろう。親と別れ、見知らぬ遠くの土地に嫁いでいったK子は、どんな思いで岡山に来たのか・・・。昨年■潮来に行ってきた。■関西国際空港から成田飛行場に着き、そこからレンタカーで行った。潮来では花嫁船を見た。花嫁船を見ながら、K子は、実家に帰ったことがあるのだろうかとふと思った。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.26
コメント(2)
■ザ・ザ・コルダのフェニキア計画■資金と父娘の「ギャップ」、ただいま修復中。1950年代、6度の暗殺未遂から生き延びた大富豪ザ・ザ・コルダは、大規模プロジェクト「フェニキア計画」の実現を目指していた。そんななか、とある妨害によって赤字が拡大し、財政難に陥り、計画が脅かされてしまう。ザ・ザは離れて暮らす修道女見習いの一人娘リーズルを後継者に指名。2人は、資金調達と計画推進、そしてリーズルの母の死の真相を求めて旅に出る。 架空の大独立国フェニキアを舞台に、資金集めの旅を経て家族の絆と再生を描くコメディ。『グランド・ブダペスト・ホテル』のウェス・アンダーソンが監督を務める。ヨーロッパ屈指の富豪、ザ・ザ・コルダを『トラフィック』のベニチオ・デル・トロ、ザ・ザの疎遠だった修道女の娘、リーズルを「バカニアーズ」のミア・スレアプレトンが演じる。『ダージリン急行』■ファンタスティック Mr.FOX■ 『ムーンライズ・キングダム』 『グランド・ブダペスト・ホテル』・・・。ウェス・アンダーソンの作品は独特で、ポップ。ポスタービジュアルや予告編を見ただけでわかる強烈な個性、作家性を持つ監督だといえる。月曜日というのに、ほぼ満員状態で、人気がわかる。私も、『ダージリン急行』で、大好きになり、『ファンタスティック Mr.FOX』は、映画のチラシを部屋に飾ったし、『ムーンライズ・キングダム』も大好き。だが、今回の映画「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」については、「???」である。今回は、いまいちだったけど、次に期待しよう。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.24
コメント(0)
「新・御宿かわせみ」を読んで、明治の初め東京に牧場があったということを知った。ついでに明治時代の牛乳について調べてみた。●・・・かつての江戸の町に牧場ができていたことで、それも並大抵の数ではなかった。江戸前と呼ばれていた江戸城の東、最も繁華といわれた日本橋界隈に三か所も牧場が出来ていて、その両隣、神田附近に四か所、京橋あたりは八か所も牧場があると知って開いた口がふさがらなくなった。●牛乳 壱合代価 二銭八厘 同 五勺に付 一銭五厘 同 四合以上 二銭四厘「新・御宿かわせみ」◎この時代は、明治7年の設定。◎「明治牛乳」はこの時代に出来たのかと思って調べたが違っていた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆牛飼(うしかひ)が歌よむ時に世の中の新(あらた)しき歌大いに起きる 伊藤 佐千夫 遺歌集「佐千夫歌集」(大九)巻頭の有名な歌。子規門に入った明治三十三(1900)年の作とされているが、実際はそれ以前の旧派時代の作かともいう。東京本所で牛乳しぼり業デボン舎を営んだので「牛飼」と自称したのだ。「あらたしき」は「新」を万葉風に言った。牛飼たる佐千夫が歌をよむ時、上流人士の風雅と教養の道具化して久しい和歌にも、再び新しい血が通い、新風が大いにまきおこるのだという自負と決意を歌う。「折々の歌」****************伊藤 佐千夫は、豊功舎という牧場で毎日早朝から深夜まで働き、数年で独立。26歳のときに現在の錦糸町駅前に牛舎を建て、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を始めた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 明治維新を経て、明治4年(1871年)に、「天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む」という記事が新聞・雑誌に載ると、国民の間にも牛乳飲用が広まった。しかし馴染めない人も多く、まずい栄養薬のような扱われ方をすることもあった。 1875年(明治8年)には、当時の北海道開拓使において、国産第一号の欧米風チーズが試作された。このとき、元来の農家は家畜から搾乳する行為を嫌ったとされ、牛乳販売を事業として行ったのは主に士族出身者であった。牛乳販売は、失敗が多かったとされるいわゆる「士族の商法」の代表的な成功例である。これにより、北海道で大規模酪農としての牛乳の生産が行われるようになった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.22
コメント(2)
■ブラック・ショーマン■手段を選ばず、手品のように華麗に謎を解く・・・。コロナウイルス流行後、観光客も減り活気を失っていた町で、元中学校教師の神尾英一が何者かに殺害されたという報せを聞き、2か月後に結婚を控えた娘の真世は町に帰る。なぜ殺されたのか真実を知りたい真世の前に元マジシャンで叔父の神尾武史が現れる。卓越したマジックとメンタリスト級の巧みな人間観察、誘導尋問を武器に持つ武史と共に、真世は殺人事件の謎に挑む。 東野圭吾のミステリー小説「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」を福山雅治主演で映画化。実の父が何者かに殺されたことをきっかけに、その娘と叔父の元マジシャンがバディを組み、謎に挑む姿を描く。『ちひろさん』の有村架純のほか、成田凌、生田絵梨花、森崎ウィン、生瀬勝久、仲村トオルらが脇を固める。監督は「コンフィデンスマンJP」シリーズの田中亮。★「ガリレオ」シリーズの<原作・東野圭吾×主演・福山雅治>というゴールデンコンビが再びタッグを組み、新時代のダークヒーローが誕生します!★原作が東野圭吾ということも「ガリレオ」のコンビということも知らずに見に行った。★「ブラック・ショーマン」というタイトルだけに徹底的に“エンターテイメントであること”にこだわった作品★主人公の福山雅治があと10歳若かったらと思う。今回は、ラスベガスで名を馳せるほどの卓越したマジックの技術を持つ、元マジシャンの個性的な主人公だったからマジックの練習が大変だったんだろうな・・。★舞台は、マジシャン・神尾とその姪、真世の実家のある田舎。インバウンドの観光客も来ない名もなき町という設定だが、田舎の多くを郡上八幡で撮影したそうだ。中学生二人が、川に突き出した岩の上から飛び降りて、泳ぐというシーンがあったので、「郡上八幡かも?」と思ったけど当たっていた。郡上八幡は名もなき町どころか■郡上踊り■で30日で25万人の踊り手が集まる有名な町だ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.20
コメント(2)
■ベートーヴェン捏造■暴走する愛が、歴史を変える。音楽家ベートーヴェンは、耳が聞こえないという難病に打ち克ち、歴史に刻まれる数多くの名曲を遺したことで知られているが、実際の姿は下品で小汚いおじさんであった。彼の秘書であるシンドラーは、どん底にいた自分を救ってくれたベートーヴェンを守りたい思いから、彼の死後、“聖なる天才音楽家”という崇高なイメージに仕立て上げていく。しかし、その嘘は若きアメリカ人ジャーナリストのセイヤーによって追及されていく。 19 世紀ウィーンで巻き起こる音楽史上最大のスキャンダルの真相に迫った、かげはら史帆による歴史ノンフィクション「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」を実写映画化。『かくかくしかじか』の関和亮が監督、「ホットスポット」のバカリズムが脚本を務める。『木の上の軍隊』の山田裕貴、『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』の古田新太らが出演する。 音楽史上最大のスキャンダル「会話帳改竄事件」。現代に語り継がれるベートーヴェン像は、秘書により捏造されていた!? 「会話帳改竄事件」の真相に迫る、衝撃的な歴史ノンフィクション。「会話帳」とは、聴力を失ったベートーヴェンが周囲の人とコミュニケーションを取るために用いた筆談用ノートのこと。 100年以上にもわたり多くの人々を騙し続けた「犯人」の名は、アントン・フェリックス・シンドラー。音楽家でもあり、誰よりもベートーヴェンの近くで忠誠を誓い、尽くした人物である。なぜ、何のために彼は改竄に手を染めたのか? 音楽史上最大のスキャンダルの「犯人」・シンドラーの目を通して、19世紀の音楽業界を辿る。音楽ファンもミステリーファンも絶賛した名作がついに文庫化! 「会話帳」とは、聴力を失ったベートーヴェンが周囲の人とコミュニケーションを取るために用いた筆談用ノートのこと。★誰もが知るベートーベンのイメージは秘書によるでっち上げだった。耳が聞こえなくなったベートーベンは、会話をするとき、ノートに書いてもらっていた。それが「会話帳」。この映画を見るまで会話帳のことは、まったく知らなかった。★その会話帳を改ざんして、あるいは、処分してベートーベン像を変えたのが主人公。★主人公のベートーベンの召使に山田裕貴。この人、はじめはあまり気にならなかったけど、最近、気になる。正統派のイケメンではないが、なんだか気になる顔。『木の上の軍隊』でも主演。★ベートーベンに古田新太、その他、染谷翔太、前田旺志郎(まえだまえだ)、小手伸也、生瀬勝彦・・・。クセ強の俳優がずらりとならんだ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.18
コメント(0)
稲の生産を主体として、年中行事のリズムを育んで来たわが国では、収穫にまつわる儀礼も様々である。 全国的には収穫をもたらした田の神や、鎌や鍬などの農道具への感謝などが、稲刈り初め、刈り上げ、そして収穫後の祭礼時にきめ細やかに行われている。北海道では九月半ばの稲の刈り初めの日を、「カマハジメ(鎌初め)」、「イネカリハジメ(稲刈り初め)」、「カリハジメ(刈り初め)」と呼び、家々では稲を一株刈りとって、お神酒とともに神棚に供える。収穫物を神棚に供えるのは、この稲刈りの初日だけである。 妹背牛町の富山県出身者は、稲刈り初めをカマガジメと称して新米で餅をつき神棚に供える。 その持ちを重箱に数個ずつ詰めて子供達が配り歩くと、お返しに小銭を半紙に包んだオヒネリが重箱に入っていたと言う。殆どの家では、稲刈りが始まると月明かりの中でハサカケをするきつい作業が続くので、餅を搗く人手もなかったという。また、妹背牛町の富山県や石川県出身者は、稲刈りが終了した日を「カリアゲ(刈り上げ)」、「カリジマイ(刈りじまい)」と言って、新米を神棚に供えたり、赤飯やボタモチを作ってこれを神棚に供える。この日のボタモチを母村同様にカリアゲボタモチと呼んでいるが、母村に見られる、稲刈り鎌や俵にボタモチを備える儀礼は見られない。 稲刈りが終わると「刈りきりの祝い」と称して、★カッキリ餅★をついて神棚に供えるのは伊達市や宮城県出身者である。餅は、隣近所や★テマガエ(手間替え)★にきてくれた人にも配る。★かっきり餅秋に田んぼの仕事が全部終わったところで神棚や床の間の神様たちに新米のお餅をお供えして今年の無事を感謝して食べる餅のこと。*稲刈りの終わりの「刈りきり」がなまったのだと思う。★「手間替え」とは【手間替え】農村などで、労力を貸し合うこと。助け合うこと。結(ゆい)。■18日間北海道ドライブ旅行■■北海道歳時記:秋の彼岸■■北海道歳時記:秋じまい・庭じまい■■北海道歳時記:餅つき■■北海道歳時記:節分、豆占い■■北海道歳時記:ひなまつり■■北海道歳時記:半夏生(はんげしょう)■■北海道歳時記:北海道の七夕■■北海道歳時記:竹細工■■北海道歳時記:盆踊り■■北海道歳時記:節分ヤイカガシ■■北海道歳時記:雛祭■■北海道歳時記:雛おくり■■北海道歳時記:八十八夜■■北海道歳時記:ローソクもらい■■北海道歳時記:お九日(くにち)■■北海道歳時記:ふいご祭■■北海道歳時記:漁村の正月、農村の正月■■北海道歳時記:節分・鬼やらいと厄払い■■北海道歳時記:歯固め■■北海道歳時記:正月と主な行事■■北海道歳時記:端午の節句:山形・秋田の耳クジリ■■北海道歳時記:正月と主な行事(初詣)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村
2025.09.16
コメント(0)
■すてきなおばあさんのスタイルブック■女性イラストレーターの元祖、「カワイイ」の生みの親、田村セツコが画と写真で贈る、すてきなおばあさんのスタイル集!ファッションのお手本は、すてきなおばあさん!「カワイイ」ファッションの生みの親として、いま注目を集める田村セツコさん。74歳になった現在もおしゃれが大好き。そんなセツコさんの子どもの頃からの夢は「すてきなおばあさんになること」。セツコさんがあこがれる「すてきなおばあさんファッション」と、すてきなおばあさんになるためのアイテムを、イラストと写真で紹介する、日本初のおばあさんのおしゃれ本です。◎75歳。「カワイイ」の元祖。田村セツコのおしゃれのひみつ。女性初のイラストレーターとして60年代から『りぼん』『なかよし』などの表紙やおしゃれページで活躍、少女文化をリードしてきた著者。愛らしいファッション、明るい生き方が今、再び注目されています。本書では、そんなセツコさんが大切にしているおしゃれや暮らしの創意工夫を、イラスト写真たっぷりにご案内します。◎「すべてのおばあさんは魔法使い。幸せをいっぱいつくれます」ゴキゲンな気分になれる服、自分好みの気ままな暮らし、いやなことをなくす方法、ひとりぽっちを楽しむコツなど。かわいくて、ちょっぴりおちゃめな世界を紹介。◎ずっと昔からおばあさんにあこがれていました。おままごとをすることからかわいい少女とおばあさんが大好きで、私の中ではそれはほとんど同じ意味合いで輝いていました。考えてみれば今はいつも今。たとえ70年の歳月があったにしても「今」という一瞬は、イキイキとした新しい瞬間。私は朝が大好きなのですが、毎日新しい一日が生まれることにいつも感動します。そんな朝をたくさん経験したおばあさんは感動がいっぱいつまっていてなんだかおごそかにすてきです。女の人は夢みることがとても上手。少女は少女の夢をみるし、いくつになっても夢みることは続いていく……。その夢が日々の暮らしを彩り、生きていくことを励ましてくれたりもします。すてきなおばあさんを光らせているものは、ユーモアとエスプリ!! 年齢をポジティブに受けいれ、無理をせず、ほほえみながら楽しそうに生きるおばあさんにあこがれています。神さまから与えられた特別な時間。人生の実りのときこそ、その人らしさが輝くとき。楽しむことを極めたおばあさんの魔法はいよいよ本番です。この本で、そんなおばあさんのすてきな世界をたっぷりご紹介したいと思います。(「はじめに」より)◆田村セツコという名前が懐かしすぎて、図書館で借りた。◆すてきなおばあさんになるのは、難しい。*健康であること。健康でなければ、何事も意欲が湧かない。*深い教養があること。文学、社会問題、芸術・・・。誰かと話をしても、どんな話にでも興味を持って、会話できること。*楽器が出来る。ピアノを弾ければ一人でも楽しめる。バイオリン、ギター、三味線でもなんでもよい。*料理上手。特に、保存食。*和服を着慣れている。歳をとったら和服、そのためにお茶なんかもいいなと思っていたが、私には無理だった。40代から着こなしていないと無理だと思う。*縫物、編み物が上手。 そんな中で、私が選ぶ究極のすてきなおばあちゃんは、ターシャ・チューダー。電気や水道等、近代設備は最小限に留め暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う昔ながらの生活を実践した。一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスやエプロンを手作りし山羊の乳を搾り、庭でとれた果実で、ジャムやジェリー(透明なジャム)を作りパイを焼いたりした。16歳の時にパン作りのコンクールで優勝したこともあるほど料理は得意で、料理の秘訣は「近道を探さないこと」がモットー。9月15日は「老人の日」。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.15
コメント(2)
●わずか16歳で監獄部屋とよばれる、おそろしタコ部屋に売られた、孤児の佐石があわれでもあった。タコがすっぱだかに赤いふんどし一つで、道路工事をしているのを、敬造は、学生時代に旅先でみたことがある。(あれが人間か)と思われる恐ろしい形相の棒頭が、けもののようにわめいていた。過酷な労働にたえかねて脱走すると、鉄砲をもった棒頭たちが、軍用犬数頭とともに、それを追い、運わるく連れ戻された男は、他のみせしめに、川の中にさかさにつけられたり、背に焼けひばしをつけられる話も、その時きいた。北海道や樺太の鉄道、道路、河川の工事などは、前借金で重労働する、このタコと呼ばれる人夫達のぎせいによって進められたことを敬造は知っていた。■氷点(上)■◎(コメント)敬造は、自分の娘を殺した男、タコとして暮らした佐石をあわれむ。●農村からはみ出し東京へ出てきた若い者がぶらぶらしている。いまならあたり前の現象だが、募集人はそういう者に眼(がん)をつけ、甘言でだまし、周旋屋と結託して北海道のタコ部屋へうりとばすのである。送り出すことを玉出しという。「街道をゆく:北海道の諸道」●タコ部屋労働(タコべやろうどう)は、主に昭和中期に北海道の非人間的環境下で労働者を身体的に監禁・拘束して行われた過酷な肉体労働である。タコ労働とも呼ばれる。これに類似した状況は九州の炭田地帯の納屋制度にもみられた。一種の強制労働であるタコ部屋労働は、日本では労働基準法第5条により禁止されている。また労働で使役された労働者をタコと呼び、タコたちのいわゆる土工部屋はタコ部屋・監獄部屋・人夫部屋とも呼ぶ。 ◎労働基準法第5条で禁止されたタコ部屋とタコが今もある。それが東南アジア各地に拠点 で軟禁状態で、「かけ子」として電話をかけさせられた人々。特殊詐欺において被害者に電話をかけ=かけこ、巧妙にだます役割を担う人物だが、本人たちも、騙されて、東南アジアに来た。東南アジア各地に拠点 で軟禁状態で、「かけ子」として電話をかけさせられた。メンバーの多くは「稼げる仕事がある」などと誘われ、東南アジアに渡航。(このあたり、昔と一緒だ。)パスポートを取り上げられ、月1日しか休みは与えられず、毎日9時間近く電話をかけさせられていた。逮捕されたとき、オフィスのように机が並ぶ拠点からは大量の携帯電話、水溶紙に記載された約2万6000人分の名簿が押収された。 上の例は、「ブラック企業」ではなく、犯罪集団だ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.13
コメント(0)
■遠い山なみの光■「私」がついた嘘1980年代のイギリス。ロンドンで暮らし大学を中退して作家を目指すニキは、執筆のため疎遠になっていた母の悦子が一人で暮らす実家を訪れる。悦子は長崎で原爆を経験し、戦後イギリスに渡ってきたが、ニキはその過去について聞いたことがなかった。イギリス人の夫と長女を亡くした悦子は、ニキと数日間過ごすなかで、最近よく見る夢について語り始める。それは1950年代に悦子が長崎で知り合った女性の佐知子とその幼い娘の夢だった。 2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの同名小説を映画化したヒューマンミステリー。戦後間もない1950年代の長崎と1980年代のイギリスで、女性3人の記憶に隠された嘘と真実を紐解いていく。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★主人公悦子役(イギリス時代)に吉田羊。吉田の役は全て英語。撮影前から単身イギリスに入り、数週間ホームステイをして英語のレッスンを受けるなど渾身の想いで本作に挑んだ吉田。はじめての全編英語での演技という難しいもの。娘のニキ役の人は、英語が上手だなと思ったら、日系人だ。★「私」がついた嘘というキャッチコピーは、どういう意味か分からん( ;∀;)タイトルの「遠い山なみの光」の意味も分からない。原題は、なんというのだろう?★時代が1950年代ということで、女性のファッションを期待していた。佐和子役の二階堂ふみが素敵だった。ワンピースにスカーフを頭に巻いて、頭の部分をとって首にゆったりと巻く。衣装さんが考えるんだろうけど、素敵だった。★1950年代の悦子(広瀬すず)は、20代で妊娠していた。その子は、どうしたの?謎・・・。他の人のコメントでも不思議がっていた。★広瀬すずの主演の映画、今年で3本目。売れっ子だ。■片思い世界■■ゆきてかえらぬ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.11
コメント(2)
■ヒックとドラゴン■相棒に乗って新次元の大冒険・・・。バーク島に暮らすバイキング一族は、ドラゴンと戦うことで自然豊かな暮らしを守ってきた。ある日、族長の息子ヒックは自作の投石器で、ドラゴンのナイト・フューリーを撃墜するが、臆病なヒックはとどめを刺すことはできなかった。ヒックは傷ついたドラゴンをトゥースと名付け、また飛べるように人工の尾翼を開発し、トゥースは徐々に活力を取り戻す。★ヒックが戦って石で攻撃した、ナイト・フューリー(Night Fury)とは。その姿を見て生きて帰った者はおらず、ドラゴンマニュアルで唯一「戦うな」と書かれたドラゴン。「稲妻と死神の間に生まれた子ども」「もし出くわしたら、姿を隠してひたすら祈るのみ」とだけあり、姿や体長、飛行スピードなどほとんどが不明。バーク島のバイキングにとっては最大の脅威のひとつ。漆黒の鱗に全身を覆われ、金色の眼をもつ。耳のような板状の角の動きで感情を読み取れる。知られているドラゴンの中では最も知能が高い。映画の中のナイト・フューリーは、かわいい!!!★ドラゴン:ダブル・ジップ(Hideous Zippleback)ひとつの胴体に頭と尾を二つずつもつドラゴン。長い二本の首がジッパーのようにつながるのでこの名がついた。★傷ついたドラゴンの翼をなおして飛べるようにするヒック。ヒックとドラゴンの間に友情が芽生え始めるシーンがいい。ユニークなドラゴンが人間を乗せて空中を飛び回るのは痛悔。人間とドラゴンが共生できたらいいなと思った。 ★いつもなら、バイキングとドラゴンが一緒に暮らせばいいと思うのだが、無理だと感じた。ドラゴンの餌はどうすると考えたから。ドラゴンは魚を食べるという設定になっているので、そこは人間と競争になってしまう・・・。なんかいい方法はないかと真剣に考えてしまった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.09
コメント(0)
8月20日、3時頃、自転車でジムに向かっていたら、反対方向から40代くらいの男性がタバコを吸いながら歩いてきた。すれ違いざま、「あのう」と声を掛けられたので、道を聞かれるのかと自転車を降りたら「3日間食事をしてないんです。1000円、カンパしてもらえませんか?」「今、ちょっとお金を持ち合わせて・・・」と私が最後まで言わないのに、その男性は、何も言わなかったかのように、軽快に歩き始めた。 お金がない人を見て、その人のことを悪く思わないし、今、大成功して金持ちの人を偉いとも思わないけど、この人は、間違ってると私は思った。★その1。お金を頼むのに、1000円と指定するのはおかしい。本当に3日間食べていなのだったら、飲み物と食べ物をくださいにならないか?★その23日も食べ物が買えないのに、タバコをプカプカふかしているのは、おかしい。★その3カンパという言葉を使うのは、おかしい。★その4答えがどうであれ、話の途中で礼も言わずに去るのはおかしい!!! カンパとは、「大衆に運動を促すこと、そのための寄付を募ること」を意味するが、日本においては、もっぱら「資金集め」の意味で用いられることが多い。英語由来の同様の意味であるクラウドファンディングというカタカナ語も使われる。元々は左翼運動における用語だったが、今日の日本では、例えば政治資金カンパや企業カンパ、町内会行事のカンパなど広く市民権を得た言葉となっている。決して、飢えている本人が、本人のため、食べ物を買うお金に「カンパ」という言葉を使わない。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.08
コメント(2)
■マルティネス■彼の恋人は、孤独死した隣人女性メキシコで暮らすチリ人のマルティネス。偏屈で人間嫌いなマルティネスは、日々のルーティーンを崩さずに生きている。しかし、そんな彼の規律的な日々は、会社から退職をほのめかされ、後任がやって来たことで終わりを迎える。時を同じくして、アパートの隣人である同年代の女性アマリアが部屋で孤独死していたことが発覚。彼女の私物に自分への贈り物が残されていたことを知ったマルティネスは、しだいにアマリアに興味を抱き始める。60歳の男性が、老いや死、孤独に直面し愛に迷う姿を描くヒューマンドラマ。★映画の中で、チリの話をしていたので、チリの映画と思ったが、メキシコの映画だった。メキシコで暮らすチリ人の設定。メキシコもチリも公用語がスペイン語。メキシコ ・ コロンビア ・ スペイン ・ アルゼンチン ・ ペルー など南米は多い。 スペイン語を公用語にしている国 は 22ヶ国で、スペイン語を話せる人は世界で約5億4300万人いるとされていて、世界で話される言語のうち 4位の話者数。 日本の九州の人が四国で働いても言葉の不自由は感じないように、チリの人がメキシコで働いても、言葉の壁がないのが羨ましい。★主人公・マルティネスは、なぜ、あんな風に何にも興味を示さないで毎日を過ごしているのだろう?毎朝、懸垂をしたり、時々、水泳をしたりして体も丈夫なのに、もっと楽しめばいいのに・・・。そんなマルティネスに影響を与えたのは、孤独死した隣人女性。彼女の遺品から、生前の暮らしが見えてくる。★主人公・マルティネスは、孤独死した隣人女性に影響されて、少しづつ暮らしを変えていく。部屋に花を飾ったり、自炊をしたり、カラオケに行ったり、仕事仲間にキャンディーを贈ったり・・・。★私は、毎週ひとりで映画に行っている。一人暮らしだからって孤独とは限らない。一人だから寂しいとは限らない。「おひとりさま」という言葉がネガティブな響きを持っていたのは、もはやひと昔前のこと。今は未婚既婚関係なく、たくさんの人が「ひとりの自由時間」=「ソロ活」としてポジティブに楽しんでいます。マルティネスが変わっていく姿が嬉しい。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.06
コメント(3)
■小鹿のゾンビ■せんべいだけじゃ、生きていけない。森で幸せに暮らしていた子鹿「バンビ」は、ある日猟師に母鹿を撃ち殺されてしまった。そして大人になったある日、人間による森林開発で妻のメス鹿がトラックに轢き殺され、幼い子鹿までもが行方不明になってしまう。またバンビ自身も川に捨てられた化学薬品を知らずに飲み、誰もが恐れるモンスター・ゾンビに変貌。ゾンビ化したいま、全てを奪った人間への復讐のため、そして子鹿と再会するため、人間たちに襲い掛かるのだった…!★森の中の木を伐る、森林伐採によって棲み処を奪う。動物の交通事故、プラスチック汚染や釣り針による魚の死。森や海に罠を仕掛けたる。そのうえ、化学薬品を川に流して、それが動物の生態に影響する。映画「小鹿のゾンビ」は、そんな人間の横暴に対して、モンスターになった鹿が人間を襲うという物語。 映画の中の話ではなく、私たちは自然を壊して、自然から復讐されていないか。いつまで続くか分からない、人間の体温を超える猛暑。この温暖化は、明らかに人間のせいで、自然からの復讐のように思う。オゾン層の破壊や、原発事故による自然への影響。 モンスター化したのは、バンビではなく、人間だ。この物語はめでたしでは終われない。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.04
コメント(0)
「大阪づくし 私の産声」山崎豊子★わが家は代々の昆布店で、古くからの仕来りがいつくもあり、時として閉口させられた。一番、いやだったのは、父の巳(みぃ)さん信仰であった。巳さんの祈祷師がやってくる日は、きまって日曜日の午前中で、商売繁盛、家内安全を祈願する家内(いえうち)の行事だったから、その時間になると、家族全員、蔵の二階の板の間に祀った祭壇の前に座らされる。白蛇の神霊のまします祭壇には、魚、野菜、果物がそれぞれ三方に盛って供えられ、床もいつにもまして拭き清められた。 そこへ、髪をオールバックにした由比正雪とはかくあらんという容貌の白装束の祈祷師が、袴の裾を払いつつ、巫女を一人連れて、しずしずと現れる。まず父がハハーッとばかりに平伏して迎え、私たち兄弟もそれに倣ってハハーッと頭(こうべ)を下げる。 祈祷師は、祭壇にまします白蛇神に恭しく一礼し、祓い串をゆっくり左右に振りながら、「高天原にまします神々の尊(みこと)・・・」(略)悶絶の表情でのたうち廻らんばかりになると(略)「あぁ・・・神降(かみお)み神降(かみお)み、巳(みぃ)さんが降(くだ)れれます。あぁ、巳さんが・・・」(略)山崎豊子の「花のれん」、「女系家族」が大好きだ。彼女の実家は、老舗昆布屋の小倉屋山本である。船場のお嬢さま育ちで子ども時代の記憶が「大阪づくし 私の産声」に書かれている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 生い立ち:大阪府大阪市南区(現:中央区)船場出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本である。1936年(昭和11年)に旧制大阪市芦池尋常小学校(現:大阪市立南小学校)を卒業して旧制相愛高等女学校(現:相愛中学校・高等学校)に入学し、1941年(昭和16年)に卒業した。相愛入学後、年一回刊行されていたらしい校友会誌『相愛』に作文を寄稿しており、12歳時の「淡路島」が現存する最初期の文章とみられる。太平洋戦争下の1944年(昭和19年)、旧制京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文学科卒業。毎日新聞社に入社した。1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー。出版後すぐに映画・ドラマ化され、人気を博した。翌年吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』を上梓。同作により第39回直木賞受賞。新聞社を退職して作家生活に入った。新聞記者時代の上司に後に作家になった、井上靖がいた。1■辰巳は天井■2■杖にからむ蛇■3■蛇篭(じゃかご)■4■干支の名前■5■♪蛇と蛙は仲良くなれぬ・・・■6■蛇の目■7■北条家の家紋:三鱗(みつうろこ)■8■蛇口■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.03
コメント(0)
私の家から自転車で10分くらいのところにあるスポーツジムに通っている。市の建物をジムを運営する会社が借りていて、運動した後は、風呂やサウナを使用できる。7月のはじめ頃、ジムに行くと、スタッフが「すみません、今日、水が出なくて・・・。お風呂が使えないんです・・・。トイレだけは、水が流れるんですけどね・・・」と言う。 スタッフに確認はしなかったのだけれど、トイレに使っている水は、雨水を利用しているのではないだろうか?雨水を集めて、水やりやトイレの流し水などに利用というのは知っていたけれど、ここで使っているとは知らなかった。東日本大震災など災害発生時には断水が続き、雨水利用が見直された。 この施設は、市のもので、災害時の避難場所にもなっているからいざというときのためにも、また環境保護の観点からも、日頃から雨水を貯めて利用するのが望ましい。 地震などの災害時にライフラインがストップしてしまったときに、雨水は大きな役割を担ってくれます。トイレに利用したり、濾過をして手洗いなどに利用したりもできます。 そのまま飲用することはできませんが、雨水を飲用水として浄化できる濾過器も市販されていますので、万が一のために用意しておくとよいでしょう。●雨水利用で最も多いのが、植物への水やりです。雨水は塩素を含まないので、水道水よりも植物にとって良い影響を与えます。■沖縄に旅行した時■人家の屋根の上に雨水を貯めるタンクがあちこちで見かけた。(▲沖縄では、雨水を貯めるタンクが屋根の上にあった)八重山諸島に行ったときに、「雨垂(あまだ)い水(みじ)や醤油(そーゆ)使(じげ)」という言葉を知った。雨水を醤油のように(大切に)使えという意味。今日、9月1日は防災の日。■雨水利用■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.09.01
コメント(0)
私のPCがダウンしたのは、7月24日。翌25日に、ヤマダ電機で新しいPCを買うことに・・・。家に運んでもらえるのは、8月3日の昼から。PCのない日が10日以上も続いた。夫のノートパソコンを使わせてもらったりしたが、不便で不便で・・・。 しかし、パソコンのない日々のブログは全て予約していた。今回のパソコンも壊れたパソコンからデータを引き継いだりしてもらったので、総額30万円以上かかった。 1997年から家でもパソコンを使っているが、これで何台目だろう。初めは一家に一台だったが今や一人に一台以上持っている。 私たち夫婦は、パソコン関係にいくらお金を使ったのだろう。このパソコンが最後のパソコンになるのだろうか?老人ホームにパソコンは持ってはいれるのだろうか?■8月見た映画■*ニーキャップ*冬冬(とんとん)の夏休み*秋が来るとき*桃太郎 海の神兵*ぶぶ漬けどうどす*おばあちゃんと僕の約束*リンダ、リンダ、リンダ*パルテノペ ナポリの宝石■書き残したネタ■*チップ*スポーツジムの水が出なくなった話。*枇杷の樹*関西万博*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.31
コメント(0)
■パルテノペ ナポリの宝石■息をのむほどに彼女から目が離せない・・・。1950年、南イタリア・ナポリで生まれた赤ん坊は、人魚の名でナポリの街を意味する“パルテノペ”と名付けられた。美しく聡明なパルテノペは、兄・ライモンドと深い絆で結ばれていた。年齢と出会いを重ねるにつれ、美しく変貌を遂げてゆくパルテノペ。だが彼女の輝きが増すほど、対照的に兄の孤独は暴かれていく。そしてあの夏、兄は自ら死を選んだ…。彼女に幸せをもたらしていた<美>が、愛する人々に悲劇を招く刃と変わる。それでも人生を歩み続けるパルテノペが果てなき愛と自由の探求の先に辿り着いたのは――。 愛を探すパルテノペの生涯をノスタルジックに描きだす人生讃歌。新星セレステ・ダッラ・ポルタの瑞々しい<美>と、故郷ナポリへの愛を、圧倒的な映像美で描き出し、青春の輝きと、愛と孤独に向き合った、巨匠の新境地かつ真骨頂といえる渾身の傑作。製作にはサンローラン プロダクションが名を連ね、ブランドのクリエイティブディレクター、アンソニー・ヴァカレロが衣装のアートディレクションを手掛ける。第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、気鋭の配給会社A24が北米配給権を獲得した。★美しい映像が心に残った。映画の冒頭、パルテノペと彼女を崇拝する男性が海辺で座る。立ち上がって、男は、敷物を掲げて風になびかせる。敷物が美しくなびく。★大学に入学したパルテノペ。街を歩くとき、上着を手に持つ。上着は、風になびいて、男たちの目が彼女を追う。★終盤、船の上の3人の乗客のうちの一人が、スカーフだろうか、薄い布を風になびかす。海の上を吹く風にスカーフが美しくなびく・・・。映像に魅せられた。★なによりも、周囲の運命まで左右してしまうほどの美しさを持って生まれた一人の女性“パルテノぺ”を演じるイタリアの超新星セレステ・ダッラ・ポルタの豪華な美貌が素晴らしい。1997年、イタリア・ロンバルディア州モンツァ生まれ。イタリア国内のTVシリーズなどに出演。オーディションの末、本作の主役に抜擢されて銀幕デビューを飾り、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で主演女優賞にノミネート、新人賞を受賞した。★パオロ・ソレンティーノ監督はナポリ生まれ「パルテノペ」は神話の人魚の名で、ナポリの古代の呼び名でもあるそう。人魚たちは、船乗りを惑わし海に沈める。しかし、恋をしてしまった人魚「パルテノペ」は、悲しみのあまり身を投げた。その亡骸が、ナポリの街になった・・・。古代ギリシャの吟遊詩人ホメロス「オデッセウス」より■月影のナポリ 森山加代子■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★華やかな美貌のパルテノペも70歳を過ぎた頃には、やはり、かつての美貌は、色あせている。彼女は、なぜ結婚して娘を持たなかったのだろう。もしも、子供がいたら、自分の美貌が色あせても、娘が美しく成長することで、美貌の衰えを納得することが出来るのに・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.29
コメント(0)
■リンダ、リンダ、リンダ■過ぎていく時間 何よりもやさしい 何よりもあたたかい軽音楽部に所属する女子高校生の3人は、高校生活最後の文化祭直前にバンド崩壊の危機に陥ってしまった。しかし、文化祭前日に韓国からの留学生ソンをボーカルとして迎え入れ、突如バンドを組むことになる。本番まであと3日、THE BLUE HEARTSのコピーに励む4⼈の寄り道だらけの猛練習が始まった!文化祭で、THE BLUE HEARTSの演奏に挑む女子高生バンドの奮闘を描く青春映画の4Kデジタルリマスター版。『あしたの少女』のペ・ドゥナ、『川のながれに』の前田亜季、『大人ドロップ』の香椎由宇、ロックバンドBase Ball Bearの関根史織らが出演している。監督、脚本を手掛けるのは『カラオケ行こ!』、『化け猫あんずちゃん』の山下敦弘。★製作年:2005年、今からちょうと20年前の映画。高校生役で松山ケンイチが出ていたが、若い!!★生徒たちを優しく見守る小山先生甲本雅裕も若い!!「THE BLUE HEARTS」のボーカル・甲本ヒロト氏の実弟ということは、今回初めて知った。★文化祭の青春を描いた作品に「ウォーターボーイズ」がある。成り行きから文化祭でシンクロナイズドスイミングを発表することになった男子高校生の奮闘と友情を描く青春コメディ。これも大大大好き!!!★1960年代の四国・観音寺市が舞台で、ベンチャーズの影響を受けた少年が高等学校入学後、ロックバンドを結成し、ロックに明け暮れるメンバー4人の高校生活を描いた「青春デンデケデケデケ」。題はベンチャーズの曲から。こちらは、1992年の作品でこれも大好きだ。友人の夫が、ギターが趣味で、高校時代は、この映画にそっくりな高校生活だったという。 私は、ブルーハーツの時代に青春時代を送ったのではないけれど、曲を聴きながら、青春だな~と感じた。音楽っていいな!!!今から60年前に高校生だった私。「リンダ、リンダ、リンダ」の世界は、うらやましい。文化祭という青春の1ページを切り取った作品。♪リンダリンダ♪作詞 甲本ヒロト作曲 甲本ヒロト♪ドブネズミみたいに美しくなりたい写真には写らない美しさがあるからリンダリンダリンダリンダリンダリンダリンダリンダリンダリンダ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.27
コメント(0)
今から50年ほど前、夫の実家には、親戚がよく集まっていた。★集まるのは、ニコニコと聞いているだけのまりさん。後に、老化で耳が遠いと知った。★眼鏡をかけてインテリ風な河野さん。★■戦中・戦後の記録■を残した最年長の中村のお母さんと息子の嫁。★夫の父親の姉、夫の伯母。★夫の母親・万智子(仮名)は、ホステス役で話を回していた。私は、義母の手伝いをしていた。ある日の会話で、夫の伯母、正子(仮名)が話した戦争中の話が今も鮮明に残っている。「空襲の時、たーぁと逃げて助かったんやわ。次の日、縄を持って焼け跡に行って『ここは、うちのんや』言(ゆ)うてうちの土地にたーぁっと、縄を張ってん」。彼女は、大笑いしながら言った。空襲で命からがら逃げて、次の日は、自分の土地を守るため、縄を張る。幼い頃、乳母さんに育ててもらったという、正子が、なんとも逞しい。■船場の末裔■この話を聞いたのは今から50年ほど前だから、戦後30年くらいの時だ。今年は、戦後80年。戦争を体験した人は、みんなみんな亡くなってしまった。 *.蝉時雨 会いたい人はみなあの世 *敗戦やもんぺで作った芋の味*ゴマ塩が欲しいと便り終戦忌*夏の日の学徒動員握り飯天地 はるな 2句目からは、中村さんの手記を読んで作った句。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■中村さんの手記■■ある大阪府・堺市民の戦中戦後<1>:学童疎開の息子が欲しがったもの■■ある大阪府・堺市民の戦中戦後<2>:庭に防空壕■■ある大阪府・堺市民の戦中戦後<3>:空襲7.9■■ある大阪府・堺市民の戦中戦後<4>:戦後の暮らし■■ある大阪府・堺市民の戦中戦後<5>:戦後の暮らし・焼け跡で野菜を作る■ ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.26
コメント(2)
プレイバック俳句:2023~2025.3月そのあまりにも有名なキャッチコピー「NO MUSIC, NO LIFE?」"音楽があることで気持ちや生活が豊かになる"という事。で、私も「NO俳句NOライフ」というタイトルを考えたけど、語呂が悪いので辞めた。■2023年8月■打水*打水や読経沁み込む庭の緑(あお)*昼寝より目覚めて頬に畳の目*我の名に「和」の文字ありて終戦日*敗戦日知らず生まれて古希過ぎぬ*八月や争いのなきこと願う■2024年8月■墓参り*墓参り知らぬ先祖の多きこと*蝉時雨恋しき人はみなあの世*冷たくば水さえ甘し夏の午後*戒名はいらぬと父の墓参かな*饒舌な五輪選手や夏の空 ■2025年8月■(休み)■2019~2022・1月■■2019~2022・2月■■2019~2022・3月■■2019~2022・4月■■2019~2022・5月■■2019~2022・6月■■2019~2022・7月■■2019~2022・8月■■2019~2022・9月■■2019~2022・10月■■2019~2022・11月■■2019~2022・12月■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■2023~2025・1月■■2023~2025・2月■■2023~2025・3月■■2023~2025・4月■■2023~2025・5月■■2023~2025・6月■■2023~2025・7月■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.25
コメント(0)
★米大リーグ、マリナーズは8日、イチローさんがアジア人で初めて米国野球殿堂入りしたことを祝うイベントを開催した。9日には背番号51の永久欠番セレモニーが行われる。●米国野球殿堂入りを去年にせず、来年にせず、今年に決めたのは、イチロー選手が、今年51歳だがからなのかな?だとしたら凄!!以前、イチロー選手が飛行機に乗ろうとしたら、飛行機会社のサービスで、搭乗口を51番にしたという。●そんなイチローも、高校球児時代は、寮生活で「これ以上の地獄はないという経験」をしたそうだ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■深夜に鉄拳制裁は日常茶飯事。■「自分の体験で言えば、まず、1年時に風呂とシャワーの使用を禁止されていたのが辛かった。汚れた体を冷たい水道水で洗うんです。とにかく上級生は絶対的な存在で、下級生は目を合わせることすら許されない。寮内では彼らの顔を見ないようにと、常に下を向いて歩いていました。話しかけられた時には、語尾に“です”を付けて返事をするのがルール。だから“ボールを取ってくるです!”などと、おかしな日本語を使っていましたよ」無論、体罰も日常茶飯事だった。そう話すのは、イチローより4学年下だった元野球部員だ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 広島県の広陵高等学校硬式野球部の部内で2025年1月下旬に暴力行為があったとする投稿がSNS上で拡散されたことを発端として、同部が第107回全国高等学校野球選手権大会の出場を大会途中で辞退するに至った一連の騒動。2025年1月下旬、硬式野球部1年生の男子(当時)が寮内で消灯後にカップラーメンを食べるという禁止行為を行ったことで、4人の2年生男子が当該部員に対して暴力行為を行った。というのが事の始まり。こんなささいなことで暴力をふるうのか?!◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 広陵高校の8月21日朝の発表によると、野球部の中井哲之監督と息子の中井惇一部長を交代させるという。また野球部員全員にアンケートを実施し、暴力などの問題がないことを確認し、23日に開幕する来年春の甲子園に繋がる秋の県大会には、新しい監督と部長で出場するとしていう。ここには、被害にあって転校した生徒に触れていないのだが、どうなっているのだろう?被害者が転校するなんておかしい。転校すべきは、被害者にも野球部にも学校にも迷惑をかけた加害者だ!!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.23
コメント(2)
■おばあちゃんと僕の約束■一緒に暮らそう。大学を中退してゲーム実況者を目指す青年エム。従妹のムイが、祖父を介護したことで豪邸を相続したと聞き、自分も楽をして暮らしたいと画策。エムには一人暮らしの祖母・メンジュがおり、ステージ4のガンに侵されていることが判明。不謹慎にもエムはメンジュに近づき、彼女から信頼され相続を得ようとする。しかし、メンジュの慎ましくも懸命に生きる姿に触れる中で彼の考えは変わっていく。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★孫のエムは、汗をかいて働くのが嫌い。楽して儲けたいと大学を中退してゲーム実況者を目指すも、ニート生活。一人暮らしの祖母・メンジュと暮らし、遺産をもらおうと安易な考えだ。★相続問題と介護問題が出てくる。私も去年やっと父の残した実家の土地の名義を書き換えた。夫も数年前、100歳の母親をみとった。夫は介護施設に入所するまで、母親を介護し、介護施設に入所してからも、いろいろとサポートし続けたけれど、だからといって、全部相続しない。★私の両親は、孫をかわいがった。娘は、夏休み中、ずーっと私の田舎の岡山せ過ごし、小学校も私の父母のところから通うというくらいにおじいちゃん、おばあちゃんが好きだった。次女が高校2年くらいの時、阪神大震災が起こって、大阪から岡山までの途中の神戸で鉄道が止まった時も、娘はバスで迂回して岡山に行ったくらいおじいちゃん、おばあたん子だった。★しかし、今大学4年生と私の間には、そんなに強いつながりはない。これが普通だろうけど・・・。一年に一回会うくらいの祖母と孫が親密になれるはずがない。しかし孫は優しくて、私の話をよく聞いてくれる。お互いの誕生日のメールを忘れずにくれるし、先日は、大学院に合格したことを電話してくれた。★おばあちゃんと孫の物語というから、孫は小学生かと思いきや、大学を中退したニート青年。これで感動的な物語があるのかと思いながらみたら、終わりに伏線回収的な感動があった。おばあちゃんと暮らしたエムは、思いやりと働くことを身に着けた。「孫」で検索したら孫正義氏が出てきた。(*`艸´)ウシシシ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.21
コメント(0)
■永六輔のお話し供養■故人のことをお話すること、それも供養です。「人は、肉体の死を迎えても、誰かの記憶に残る限り生き続けている」という著者の思いをこめて、親しかった友との、今まで明かさなかったエピソードを語りおろします。登場する故人は、渥美清、淀川長治、坂本九、石井好子、いずみたく、中村八大、岸田今日子、立川談志。故人との思い出とたくさんの挿画で、古き良き昭和の面影を偲ぶことができる大人のための絵本です。巻末に、読者がそれぞれ、大切な故人への思いを綴れる「あなたのお話し供養」付き。 目次(「BOOK」データベースより)はじめに お話し供養するということ/渥美清さんー下町の品性/ 淀川長治さんー生きることを愛した達人★淀川長治、永六輔、イラストレーターの和田誠、さだまさしは、誕生日が同じ、4月10日。 石井好子さんーお嬢様の底力 坂本九さんー伝統芸能の申し子★坂本九は、三味線が上手だった。都々逸、清元、端唄、何でも歌えた。 中村八大さんといずみたくさんー昭和を代表する作曲家★中村八大は、曲先行。曲に合わせて、作詞する。いずみたくは、作詞先行。 岸田今日子さんー心を鷲づかみにする朗読 立川談志さんー江戸前の偏屈●朝ドラ「あんぱん」に永六輔が「六原えいすけ」として出ている(* ´艸`)クスクス あなたのお話し供養毎月26日に家族の思い出を書いている。蝉時雨 恋しき人はみなあの世 はるな・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.19
コメント(0)
■ぶぶ漬けどうどす■なんでも言葉通りに受けとったらあかんで東京からやって来たフリーライターの澁澤まどかは、京都の老舗扇子店の長男と結婚し、歴史を誇る老舗の暮らしぶりをコミックエッセイにしようと、義実家や街の女将さんたちの取材を始める。しかし本音と建前を使い分ける京都の文化を知らず、女将さんたちを怒らせてしまう。まどかは、京都の正しき伝道師になるべく努力するが、街中を巻き込む思いがけない事態へ発展する。 京都が好きすぎて一番の理解者になろうと暴走した女性が引き起こす大騒動を描くシニカルコメディ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「ぶぶ漬け」とは、お茶漬けのことで、タイトルの「ぶぶ漬けどうどす」とは、京都の人が早く帰って欲しいお客に対して本心を隠して、遠回しに言う言葉。雅なだけではない、京都の本音を包んできたベールを剥がしてしまう本作への期待が高まる映像になっている。ぶぶ漬けの「ぶぶ」とは、京都弁でお湯やお茶など温かい飲み物を指します。熱い飲み物にふうふうと息を吹きかけて冷ますことから、お湯を「おぶ」や「ぶ」と呼ぶようになりました。それが由来となり、お茶漬けがぶぶ漬けと呼ばれるようになったそうです。★主人公・まどかの嫁ぎ先は、京都の老舗扇子屋。店先に、ハンディファンが並べられていた。(* ´艸`)クスクス◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★嫁ぎ先に赤飯が届く。「一日と十五日はいつも赤飯」を食べる習慣のある京都の嫁ぎ先。太陰暦を基準としていた昔、1日は新月(朔日)、15日は満月でしたから、始まりと満ちた日にお赤飯を炊いたそうです。「おついたちさま」「じゅうごんちさま」ともいわれます。神社への御一日参り(朔日参り)、十五日参りも同じ由来ですね。★今から40年ほど前、会社の取引先で、東北出身の人が、京都を熱く語っていた。四条烏丸を「しじょうからすまる」と言って何度も「からすまる」やあらへん、「からすま」やと注意されていた。関東や東北の人は、京都をありがたがるなと感じたことが何度もある。★洛中、洛外の差。洛中は、京都市のど真ん中で、洛外は、少し離れたところ、例えば嵐山など。以前、テレビで出身を問われた女性タレントが「京都です」と答えたら「京都ゆうても宇治やないですか」とツッコまれていた。「京都と一括りにしないで」という思いが出ていると思った。 ★扇子屋夫婦は、ボケたりツッコんだりと夫婦漫才のような会話を展開する。京都出身のお笑い芸人が多いなといつも思っていた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★チュートリアル・徳井、福田★ブラックマヨネーズ:小杉竜一★麒麟・川島明★チョコレートプラネット長田庄平などなど・・・。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 江戸時代から大坂・道頓堀の作家が京都でも活躍していたということを本で知ったが、昔より京大坂は行き来が盛んだったのでお笑い文化も同じように生まれたのだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.18
コメント(0)
■桃太郎 海の神兵■富士山のふもとにある動物たちが住む村に、海軍に出征していた猿、犬、雉、熊が休暇で帰ってくる。思いおもいに休暇を楽しむ彼らのうち、猿は弟を含む近所の子供たちから海軍の仕事について聞かれると航空兵であると語るがそれは嘘で、実際は猿と犬、熊は極秘で編成された海軍陸戦隊落下傘部隊であった。やがて休暇が終わり、彼らは海軍設営隊と現地民が協力して建設した飛行場に赴き、現地民に日本語を教える傍ら桃太郎隊長と共に訓練に明け暮れる。やがて、かつて平和な島だったが鬼のだまし討ちにより征服された「鬼ヶ島」への空挺作戦が発動される。 海軍落下傘部隊に所属する桃太郎隊長と部下の猿、犬、雉、熊の活躍を描く長編アニメーション。日本初の長編アニメーション映画「桃太郎の海鷲」の姉妹篇。監督・脚本は瀬尾光世。戦後永らく失われた作品となっていたが、1982年に松竹撮影所の倉庫よりオリジナルネガが発見され、国立近代美術フィルムセンターにて現像。1984年4月7日に、東京・京橋フィルムセンターにて、瀬尾光世監督をゲストに上映された。 『桃太郎 海の神兵』(うみのしんぺい)は、日本の海軍省より国策動画映画製作の命を受け1944年に松竹動画研究所によって製作され、戦時下の1945年4月12日に公開された長編アニメ映画(白黒、74分)でフィルムは9巻。日本初の長編アニメ映画といわれることがある。74分という当時の国産動画映画としては長編作品であり、当時の日本政府、海軍より27万円という巨費と100名近い人員を投じて制作されたという。ひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従するという、今日では考えられないような贅沢な作画体制がとられた(作画スタッフの木村一郎の談話より)。1943年3月に企画が立ち上がり、取材を経て製作が開始されたが、戦況は次第に悪化の一途をたどり、若いスタッフは次々と徴兵、徴用されて減っていった。その上、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で、一時は公開も危ぶまれたという。また物資不足も深刻で、国策映画といえども製作に必要な資材の調達がままならなくなり、質の悪いザラ紙の動画用紙は利用が終わると消して新たな動画を描き、セルも絵具を洗い落として再使用するなどの大変劣悪な制作環境のもと、1944年12月に完成した。当初70名近くいたアニメーターは、完成時には15名ほどに減っていた。完成はしたものの、悲愴なシーンや軍規に触れると判断されるシーンなどに対して海軍省からクレームがつき、指摘部分の修正に手間取った末、ようやく翌1945年春に公開出来たと瀬尾は語っている。 手塚治虫は1945年4月12日付けの日記に、映画を観た感想の文章と映画の1シーンの印象を絵で書き留めている。また後年にもその感銘を度々語っている。★映画の中に明らかにポパイと思しきキャラクターが出てきた(敵として)。終戦後、カットされたそうだ。★映画館は「シネヌーヴォ」というミニシアター。梅田でもミナミでもないのに、この日は盆休みだからなのか、この映画が幻の映画ということを知ってか沢山の人が来ていた。■ロザンの楽屋:【8月15日】戦争の悲惨さを伝えるより…■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.16
コメント(0)
■秋が来るとき■探しにいきましょう、これからの人生を。80歳のミシェルは、パリでの生活を終え、自然豊かなブルゴーニュの田舎で一人暮らしをしている。秋の休暇を利用し、娘と孫が彼女のもとへやって来る。彼らのためにミシェルが振る舞ったキノコ料理をきっかけに、それぞれの過去が浮き彫りになっていく。人生の最後を豊かに過ごすため、ミシェルはある秘密を守り抜く決意を固める。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ある秘密を抱えながらも人生の最後を豊かに過ごそうとする女性の姿を描くヒューマンドラマ。『Summer of 85』のフランソワ・オゾンがメガホンをとり、『セラヴィ!』のエレーヌ・ヴァンサンが主人公ミシェルに扮する。また、ミシェルの親友を『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』のジョジアーヌ・バラスコ、その息子を『12日の殺人』のピエール・ロタンが演じる。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆パリからブルゴーニュへ。「人生の秋」を楽しむために必要なのは、親友とのおしゃべり、映画に読書、旬の食材。それから私だけの秘密。★美しいフランスの田舎で暮らす老女という予告編にひかれて見に行ったがミステリーでサスペンス・・・。なんやかんやと事件が起きる。★主人公の娘は、パリのアパルトマンを母親からもらっているのに、どうしてあんなにキツイ態度が出来るのか。私だったら、そんな娘にアパルトマンをあげないで、人に貸しす。優しい母をなぜそこまで嫌うのか徐々に明らかになる後半。★冒頭の教会の牧師の説教に「マグダラのマリア」というのが出てきたが伏線だった。■動画:秋が来るとき■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.14
コメント(0)
夏の海水兵ひとり紛失す 渡辺白泉昭和44年(1969)55歳で死去した白泉は、社会的現実を俳句形式によっいて内面化し、端的にその本質を表現しようと務めた。昭和19年、応召して水兵となり、監視艇隊母艦勤務となった。当時の句には厳しい軍律下の水兵生活が、仮借ない非情な簡潔さで詠まれている。この句もそのひとつ。訓練の厳しさに耐えきれず洋上へ逃亡したのか、水兵が一人消えたのである。「紛失す」は意識的に選ばれた言葉で、用語そのものによって、人も物品も同じ扱いを受ける軍隊というものの非情さをえぐっている。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」も有名。名句歌ごよみ<夏>:大岡信 イジメの次元ではなく、リンチ、拷問でした。士官たちは見て見ぬふり。下士官・兵にはそれなりの世界がある、と放置していた。下級兵の自殺は陸海ともにありましたが、病死、事故死で誤魔化してしまった。**************** 戦後、捕虜になった米兵に暴行したと戦犯になった日本人がいる。日本人に対して、暴行を加えた日本兵はどうなったのだろうか?戦争に行った時のことを多く語らないというが、多かれ少なかれ、暴行を見ていて、その記憶を蘇らせることを本能的に拒否したのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.13
コメント(0)
■冬冬の夏休み■眩い光の中で世界と出会った。小学校を卒業し終えた冬冬(とんとん=王啓光)は、妹のティンティン(リー・ジュジェン)と一緒に入院する母(丁乃竺)を見舞った後、叔父の昌民(陳博正)に連れられ祖父(古軍)がいる銅羅に夏休みを過ごしに行く。途中の駅で冬冬と妹は叔父と離れ離れになってしまうが、なんとか銅羅駅に到着する。駅前で叔父を待つ間、冬冬は村の子供阿正國(顔正國)らと知り合う。叔父とは無事会い祖父のいる診療所に辿り着く。冬冬は村の子供たちと川に泳ぎに行く。ティンティンは男の子ばかりの仲間には入れてもらえず、怒って近くに脱ぎ捨ててあった彼らの服を川に流してしまう。その為、少年たちは裸で家に帰る羽目になった。裸のまま飼牛を追った阿正國が行方不明になるという一騒動も起こる。 祖父の住む田舎で夏休みの数日を過ごす、幼い兄妹の様々な人々との出会いと体験を綴った物語。監督は「風櫃の少年」の侯孝賢、脚本は侯孝賢と朱天文、撮影は陳坤厚が担当。出演は王啓光、リー・ジュジェン、陳博正ほか。2016年5月21日デジタルリマスター版ユーロスペースにて公開。2025年8月1日より、デジタルリマスター版を劇場上映。 「絵の中のぼくの村」や「少年時代」を思わせる懐かしい感じの映画。昭和、それも30年代の農村の景色が美しい。川は夏の間子供たちが毎日泳いだ。飛び石もあったし、野菜を洗っている人の姿もあった。 冬冬たち子どもが遊ぶ大きな木が、私も夏に、こんな木の下で遊んだことを思い出す。秋になったら実が熟れて黒い色で甘かった。台風の後、落ちた実を拾って食べた。私の思い出の木は「椋(むく)」だったけど、映画の中の木はなんだろう。 映画の冒頭、「仰げば尊し」が流れてきた。中国語なので意味は分からないけど、いい曲だなと思った。日本は、いろいろ変えているけど、私は「仰げば尊し」がいい。 「赤とんぼ」の曲が流れていた。私が中学2年から過ごした兵庫県・竜野市は、「赤とんぼ」の作者のふるさとで、夕方になるとこの曲が流れていた。 冬冬は、小学校6年生。子供最後の思い出の夏をノスタルジックに描いている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.11
コメント(0)
■ニーキャップ■俺たちの言葉(プライド)を取り戻せ。アイルランド語が公用語として認められていなかった2019年の北アイルランド。ベルファストで生まれ育ったドラッグディーラーのニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と、幼馴染のリーアム(MCネーム:モ・カラ)。ある日、ドラッグの取引で警察に捕まったモウグリは、英語を話すことを頑なに拒否、反抗的な態度を貫いていた。そんななか、通訳者として派遣された音楽教師のJJ(MCネーム:DJプロヴィ)はモウグリの手帳に綴られていたアイルランド語の歌詞を発見し、その才能に目をつける。やがてモウグリ・バップ、モ・カラ、DJプロヴィの3人はアイルランド語の権利を取り戻すべく、アイルランド語のヒップホップを始めるのだが……。過激なリリックとパフォーマンスで注目を集めるアイルランドのヒップホップ・トリオ、KNEECAPの誕生を描く、半自伝的物語。★ニーキャップとは★北アイルランド出身のヒップホップ・トリオ。メンバーは、モ・カラ、モウグリ・バップ、DJプロヴィの3人で構成され、全員アイルランド語のネイティブスピーカー。モ・カラとモウグリ・バップは西ベルファスト、DJプロヴィはデリー出身。MCネームはそれぞれ、モ・カラはアイルランド語を意味する“私の友だち”、 モウグリ・バップは幼少期のニックネームが『ジャングル・ブック』(67)のモーグリだったこと、DJプロヴィはIRA暫定派を指す“Provie"に由来する。アイルランドのナショナリズムに強く影響を受けており、北アイルランドがイギリスからの独立を目指すリパブリカニズムを中心に、ベルファストの労働者階級の若者文化、アイルランド語の権利をテーマにした楽曲が多い。バンド名も、ベルファストで北アイルランドのパブリカン民兵組織が行う膝を撃ち抜く私刑“KNEECAP”という言葉から。 ★北アイルランドのイメージは、常にイギリスからの独立を目指してドンパチやっているという冒頭のシーン。今回は、これは置いといて、と始まる。「いや、置いとくんかい!!」★ベルファスト市民は、警察とのもめごとが大好きだ。(* ´艸`)クスクス★アイルランドの言葉が禁止されていたとは知らなかった。★方言は、インパクトがあって、曲には必要だ。「涙そうそう」も「涙がぼろぼろ」というタイトルだったら、同じ意味でもこんなにヒットしなかっただろう。★アイルランド語は「ドードーだ」と聞いてもモ・カラ、モウグリ・バップ、にとって「ドードー」がわからない。ドードーは絶滅した鳥。日本でも消えそうな言葉がある。沖縄の言葉、アイヌの言葉・・・。学校で時間をとって教えるとかアナウンサーが7時のニュースを沖縄やアイヌの言葉で伝えるなど支援が必要だ。★■はじまりのうた■■once ダブリンの街角で■そして■ニーキャップ■とアイルランドの映画が続いている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.09
コメント(0)
1886年(明治19年)に宿場内の旧街道中央を流れていた用水路を2つに分けて両側に移し、街道の道幅を広げたりしたものの、賑わいは次第に失われていった福島県にある重伝建大内宿。昔の街道には、用水路が道の真ん中を流れていたのが時々ある。ここもそうだったようだ。「眠った流し」という年中行事もこの水路を使ってやっていた。8月7日、早朝、健康で一生懸命働けるようにと「眠ったは、流いよ豆の葉はつっかかれ」と三回唱えて、水で豆の葉をぬらし目をこすって豆の葉を流してやる。という行事がある。「眠気は流れろ。豆の葉は引っかかって残れ」の意味。七夕行事のひとつに、秋の収穫前に労働の妨げとなる睡魔を追い払うため、人形などの形代に睡魔を委ねて祓え流す「眠り流し」という習慣があり、これがさまざまな祭りになって発展しました。 ねぶたは「眠たい」の方言の「ねぶたい」が訛ったものと考えられています。「眠り流し」にまつわる風習は全国でもみられましたが、とりわけ東北地方で発展しました。青森の「ねぶた」や弘前の「ねぷた」の他、秋田の「竿燈まつり」や能代の「ねぶながし」も、「眠り流し」の行事といわれています。ねぶたも竿燈も七夕も、7月7日の夜に川や海に穢れを流す灯籠流しや灯籠送りが変形したものと考えられています。 私の子どもの頃の七夕祭りは、8月7日。翌日、笹を河原に持って行って、そこで「手火(てび)」という行事をしていた。 大阪の河内地方の農家では、夏は、昼寝をする。これを「ひのつじ」という。大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場の呼称。■大内宿■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.07
コメント(0)
8月は、太平洋戦争を振り返る月。戦中、戦後の物不足も聞く機会があるが、川柳で描く物不足。●戦時下であらゆる物がない。★「校章の陶器ボタンに和みあり」 岡田弦一郎鉄の学生ボタンは、陶器にかわった。★「もったいない鉄は踏むまいマンホール」田中南都★「包帯が切れて外科医は門を閉め」 磯野いさむ★「石鹸と相談をして風呂にゆき」 岡本青鳥 ★「インキ瓶これに一ぱいなどと出し」 紋太★「夕焼けで暮れたが鐘も鳴らぬ寺」 斎藤芳光寺の鐘は戦時中、金属不足に応じて供出させられたままなのであった。 「道頓堀の雨に別れて以来なり(下)」:田辺聖子・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.06
コメント(0)
■竹光始末■■内容■世の中変っても、変らないのは男の心ー。一家の糊口を凌ぐために刀を売り、竹光を腰に仕官の条件である上意討へと向う浪人の心意気『竹光始末』。口喧しい女房を尻目に、藩の危機を未然に防ぐ一刀流剣士の手柄『恐妻の剣』。他に『石を抱く』『冬の終りに』等、小説巧者藤沢周平が、世の片隅で生きる男たちの意地と度胸を、ユーモラスに、陰翳豊かに描く傑作時代小説全6編。■目次(「BOOK」データベースより)■竹光始末/恐妻の剣/石を抱く/冬の終りに/乱心/遠方より来る■著者情報(「BOOK」データベースより)■藤沢周平(フジサワシュウヘイ)1927-1997。山形県生れ。山形師範卒業後、結核を発病。上京して五年間の闘病生活をおくる。’71(昭和46)年、「溟い海」でオール読物新人賞を、’73年、「暗殺の年輪」で直木賞を受賞。時代小説作家として、武家もの、市井ものから、歴史小説、伝記小説まで幅広く活躍。『白き瓶』(吉川英治賞)、『市塵』(芸術選奨文部大臣賞)など、作品多数。●戦場で用いる猿頬(さるぼう)をあてたように見える。◎猿頬(さるぼう)とは、 武具の名。顔を守る面具の俗称。頬当(ほおあて)に同じという。●気ぶっせい◎きぶさい(気塞)に同じ。気づまりなさま。●まだ七つ(午前四時)の前で・・・◎♪お江戸日本橋七つ立ちという歌があるが、四時に出発したのかとビックリ!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.04
コメント(0)
蛇口みかん↑今年はへび年ですからとヘビにまつわる話を書いている。水道の蛇口という言葉は普段からよく使う。「蛇口をひねるとみかんジュースが出る!?」という都市伝説も一時期有名になりましたが、今や愛媛の人気観光スポットとして「蛇口からみかんジュース」の体験出来る場所がいくつかある。■松山空港1階 Orange BAR■ところで、蛇口って「蛇」がついている。■(▲スロベニアで見た龍の蛇口)■■「蛇口」の語源は■日本の近代水道初期に道路脇の共用栓(公共水飲み場用の水栓)のデザインで、生物としての蛇を用いたことに由来する。1887年(明治20年)に横浜から日本の近代水道が始まったが、当時はイギリスから輸入した共用栓に欧州の水の神である獅子の頭部が採用されており、日本製の共用栓を製作する時には龍を用い、一時期は「龍頭(竜頭 りゅうず)」と呼ばれたが、その後、その名称は空想上の動物である龍の元となった蛇にちなみ、「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれた。やがて専用栓が作られ、この共用栓の名称から「蛇口」と呼ばれるようになった。「カラン」の語源はオランダ語で「鶴」を意味するkraanから来ており、銭湯などでこの表記が用いられることが多い。 *獅子の頭部や龍がデザインされた共用栓(公共水飲み場用の水栓は何度もみたことがあるけれど、蛇のデザインはないな・・・。1■辰巳は天井■2■杖にからむ蛇■3■蛇篭(じゃかご)■4■干支の名前■5■♪蛇と蛙は仲良くなれぬ・・・■6■蛇の目■7■北条家の家紋:三鱗(みつうろこ)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.02
コメント(0)
八月一日のこと。稲作の激しい労働も一通り終わって、ほっと一息いれ、秋の豊作を期待している季節なので行事にもそれにちなんだものが多い。この日をタノミまたはタノモの節句と称し、稲の穂出しを祈願する行事が西日本に盛んである。 この日の早朝に、稲田の畔に出て作頼みということをするところが多い。八朔に穂掛け、すなわち刈はじめの神事を行うところもある。まだよく熟さなくても稲の穂を少し取ってきて*焼米*を作り、老人たちはそれを持って観音堂などに集まって念仏をし、これを焼米念仏と呼んでいる。■焼き米(やきごめ・やっこめ)とは■日本に古くからあり、未熟米の青いお米や種籾を利用した食べ物。籾を釜で煎って加工して「おやつ」や「保存食」として食べられ長い間親しまれていたもの。でも、現在では生産する農家さんがほとんどいない状況で伝統的製法を守る農家も少なく、 日本人でも、知らない人も多いといわれてる幻の商品です。■18日間北海道ドライブ旅行■■北海道歳時記:秋の彼岸■■北海道歳時記:秋じまい・庭じまい■■北海道歳時記:餅つき■■北海道歳時記:節分、豆占い■■北海道歳時記:ひなまつり■■北海道歳時記:半夏生(はんげしょう)■■北海道歳時記:北海道の七夕■■北海道歳時記:竹細工■■北海道歳時記:盆踊り■■北海道歳時記:節分ヤイカガシ■■北海道歳時記:雛祭■■北海道歳時記:雛おくり■■北海道歳時記:八十八夜■■北海道歳時記:ローソクもらい■■北海道歳時記:お九日(くにち)■■北海道歳時記:ふいご祭■■北海道歳時記:漁村の正月、農村の正月■■北海道歳時記:節分・鬼やらいと厄払い■■北海道歳時記:歯固め■■北海道歳時記:正月と主な行事■■北海道歳時記:端午の節句:山形・秋田の耳クジリ■■北海道歳時記:正月と主な行事(初詣)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.08.01
コメント(0)
7月20日投開票の参院選で、14議席を獲得するという大躍進を果たした参政党。その参政党神谷が選挙演説で「医療費無償化とかやめよう。だってウチの子供、元気だから病院行かないんですよ。無償化関係ない」と発言していたそうだ。 そのコメントに対して、「お前のガキは*5種混合ワクチン*も射ってねえのかよ」というツッコミがあったが、まったくだ。私は、後期高齢者ということで、無償ではないが若い人達よりも公的支援を受けている。 20年近く前、友人が生活保護を受ける人に対して、怒っていた。しかし彼女は、県営住宅に住んでいた。私たちからみたら、住宅に関しては、公的な援助を受けているのに、何で気が付かないんだろうと思ったことを思い出した。 *5種混合ワクチン*とは、これまでの4種混合ワクチン(ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ)にHib(インフルエンザ菌)ワクチンが加えられたもので、同時に5種類の感染症の予防を行うことができるワクチン。■7月見た映画■*フロントライン*ハルビン*おい、太宰(劇場版)*once ダブリンの街角で*ババンババンバンバンパイア*スーパーマン■書き残したネタ■*チップ*スポーツジムの水が出なくなった話。*枇杷の樹*関西万博*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.07.31
コメント(2)
プレイバック俳句:2023~2025.3月そのあまりにも有名なキャッチコピー「NO MUSIC, NO LIFE?」"音楽があることで気持ちや生活が豊かになる"という事。で、私も「NO俳句NOライフ」というタイトルを考えたけど、語呂が悪いので辞めた。■2023年7月■蝉*よろめきつ蝉は歩めりアスファルト*百歳の夏は越さざり母逝きぬ*夕涼み口笛流る闇の中*今日という日に別れいう夏の真夜*まな板に焼き茄子の肉くずれおり■2024年7月■半夏生*半夏生無人となりし生家かな*番傘の音ジワジワと半夏雨*「ばばへら」の名の氷菓あり旅の味*青蚊帳で燃やす蛍の命の灯*マスクなき世のありがたさ七月来■2025年7月■祭*息合わせどんどこ舟の祭かな*豆絞り鉢巻にして夏祭*潜(くぐ)り行く赤き提灯夏祭*我が辞書に夏痩せはなし昼の膳*炎昼や影を探して立ち話■2019~2022・1月■■2019~2022・2月■■2019~2022・3月■■2019~2022・4月■■2019~2022・5月■■2019~2022・6月■■2019~2022・7月■■2019~2022・8月■■2019~2022・9月■■2019~2022・10月■■2019~2022・11月■■2019~2022・12月■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■2023~2025・1月■■2023~2025・2月■■2023~2025・3月■■2023~2025・4月■■2023~2025・5月■■2023~2025・6月■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.07.29
コメント(0)
全6010件 (6010件中 1-50件目)