おしゃれ手紙

2022.07.02
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テーマ: トリビア?(277)
カテゴリ: トリビア

6月9日(木)から6月27日(月)まで、東北地方を夫とレンタカーで旅行して来た。
旅の日記をつける前に、まず、「東北地方」とは?

東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。
「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。

*(それで奥州というのか・・・。)

最大都市は仙台市である。

その範囲に法律上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。
これら6県は、本州の約3割の面積を占める。


*(今回、行ったのは、青森県、秋田県、岩手県の3県だけだったけど、めちゃ広かった。)

東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。

*(大阪では、30度を超える日が続いていたが、肌寒い日が続いていた。
25℃を超えたのは、数回で、それもすぐ、涼しくなった。
6月27日の秋田市は、23度だった。)

この地方の名称は、歴史的に変遷している。
まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。

*(「みちのくひとり旅」という歌がある。)

後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。
また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に 「奥州」ともといわれた。
 *(兄に追われた義経が目指したのは、奥州平泉。)

「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。
地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、慶応4年(1868年)に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。
ただし、この場合の「東北」は五畿七道の内の「東北3道」(東海道・東山道・北陸道)、すなわち、天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており、西南4道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)と対比される。
または、東国と北陸の合成語とも考えられる。
なお、奥羽および現在の東北地方は「東山道の北部」に位置している。


*「東北」という言い方は、案外新しい。

6月27日、19日ぶりに、家の近くの駅に降りて、家に向かうまでに、数軒の家が取り潰されていた。
道路拡張のため、駅の近くはどんどん変わっているが、19日間で景色が変わっている。

家の花壇に植えているキュウリがなっていて、お隣さんが収穫してくれていた。
巨大なキュウリで重さがバナナの6倍あった!!!
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Last updated  2022.07.02 00:09:01
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