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第三十五回「真の万物の日」敬礼式後の御言1997年6月5日イーストガーデン 礼式に参加することのできる資格 今後は、このような「真の万物の日」などの敬礼式の行事には、だれでも参席できるようにはなっていません。すべてチェックして、問題のない家庭を参席させるようにするつもりです。「世界平和統一家庭連合」の世界本部では、このような行事に参席する人たちを一年前から点検しなければなりません。 私たちの教会は、今まで蕩減路程というものを歩んできました。そのなかで、歴史的な出発や歴史的に重要な事件など、あらゆることがありましたが、そのようなすべての条件を乗り越える蕩減条件を立て、提示されたすべての条件を守った人たちが、ここに参席しなければならないのです。国家的メシヤ、あるいは氏族的メシヤは、特別に責任を完遂した人たちが参席しなければなりません。 氏族的メシヤの使命である百六十家庭から百八十家庭以上の祝福家庭を残せない人は、参席することができないようにするつもりです。 祝福家庭は、一世でも二世でも分け隔てなく、だれでも人々を祝福してあげることのできる時代に入りました。ですから先日、祝福を授ける権能を全部、分配してあげたのです。 祝福家庭には、既成祝福家庭であるとか二世祝福家庭であるとか、いろいろの立場があります。世界が復帰されるときまでは、外的世界にもまだ、それらと同じような家庭があるので、祝福家庭は、自分の受けた祝福に該当する分野に関連した外的世界の人たちに対して、各自が責任を持たなければならないのです。二世も同じです。 既成祝福を受けた家庭たちは、既成家庭の世界の人、二世の祝福を受けた人たちは、二世の世界の人たちが残っているので、同じ責任分野を完成しなければならないということを知らなければなりません。 どの家庭であっても、人類のすべての家庭が氏族圏を経て、世界に越えていくので、国家形成をしようとすれば、必ず氏族が必要であり、氏族をつくるためには祝福家庭から編成していかなければならないのです。自らの属する系列的な氏族を全部連結させていかなければならないというのです。 それゆえ、国家的メシヤ、氏族的メシヤ、また百六十家庭を祝福できない人は、今後、このような礼式に参席できる道が遠のくであろうというのです。 今後、このような行事は統一教会の限界を越えて、国家的行事に近づいていくのです。王圏時代となり、国家的行事として転換する時になってくるので、もはや教会の礼式をしていた時代は過ぎ去るのです。国家的礼式に参席するためには、必ず氏族と民族を持たなければなりません。国家と世界に連結し得る同参者でなければなりません。その同参者は、入籍をしなければならないのです。 ですから、このような大会に参席するためには、氏族的メシヤとして百六十家庭、百八十家庭以上を成した家庭を中心として、その氏族たちが、自分たちの氏族から代表となる模範的な家庭を選出して送らなければならないのです。世界のすべての氏族たちから選出して送るので、今後、何百万対一、何千万対一の確率で選出されて来るということを知らなければならないのです。 ですから、氏族的な基盤を持つ一家庭を中心として、教会で行う礼式のすべての法を代行しなければならないのです。 氏族的メシヤの使命 すべての蕩減条件を中心として、今まで先生が生きている間に提示したことのすべては、どこで完結されなければならないのかというと、それは、家庭を中心とした氏族的基盤において、すべてのものが清算されなければならないのです。 そして氏族的メシヤは、氏族的基盤の百八十家庭全部を天の前に奉献しなければなりません。家、土地、あらゆる万物など、祝福を受ける前の所有物はすべて、本来、神様の所有であったものが、祝福とともにアダムの前に伝授されなければならないものなのです。これが原則なのです。しかし、堕落することによって、神様が主人の立場に立たれることもできず、真の父母が主人の立場で来られることもできなかったのです。 それが今になって、主人の立場に立つことができなかったものを全部、蕩減復帰するのです。サタン世界において天使長の使命を果たすことのできる人、息子、母親を通し、父親を通して、族長を中心とした全体が献納しなければならないのです。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰を、七代を中心として献納して、帰らなければならないのです。 ですから、皆さんには絶対に、三大天使長に該当する三人の息子がいなくてはいけないというのです。それは、信仰の息子・娘のことです。その息子を通して、自分の息子・娘へと復帰していくのです。 天使長が息子を通して、母親を通して復帰して、百八十家庭を中心として入ってくるのです。それが七代です。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰なのです。七代なのです。それが百六十家庭で一族になります。それが一チームです。それが一つのカテゴリー(部門)になるのです。アダム家庭を中心として、そのような七代を失ったというのです。父母、夫婦、兄弟、神様までで七数になるのです。これが一族です。 ですから、入籍するようになるときは、自分が全権を持つことができるのです。その位置は天使長の位置の復帰です。そうして、それを真の父母を通して神様の前にささげたものを、再び天から頂いて、皆さんに返してあげるようになるのですが、それがアダムの所有権復帰です。天使長の所有権を蕩減して、アダムの所有権になるのです。 ですから、百六十家庭がなくてはなりません。本来は百八十家庭です。一八〇〇家庭がサタン世界を復帰した家庭になるのです。 それを中心として、世界的家庭を形成するのが六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭になるのです。それから三万双です。それはカインとアベルを復帰したものです。 それから三十六万家庭であり、それから三百六十万双で最後なのです。三家庭から始まり、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、それから三万双、三十六万双、三百六十万双、これが十二の峠です。 「アリラン峠は十二峠だ」という言葉があるではないですか? 「アリラン」というのは愛するの「愛(ア)」の字と里の「里(リ)」の字なのです。ですから、「アリラン」というのは、愛する里を訪ねていく峠のことなのです。それを越えていかなければならないのです。愛する村を訪ねていくためには、峠を越えていかなければなりません。ですから、サタン世界の峠を越えてこそ、重生することができるのです。そうしてこそ、家庭が定着するのです。 ですから、氏族的メシヤの責任を果たさなければならないということが、どれほど重要であるかということを知らなければなりません。それを成すために先生は七年間、家庭教会をつくったのです。家庭教会を成したのが、その準備なのです。家庭教会を全部成せば、あとは氏族はそのまま皆、越えていくのです。 ホームチャーチをすれば、カインを中心として家庭教会に連結させ、一族を一度に追い入れることができるのです。そうすれば、世界が完全に私たちの世界になるのです。 私たち祝福家庭は、アベル家庭として親戚たちを束ねるのです。その基盤の上で氏族的メシヤの役割を果たすことができるのです。分かりましたか? このようにしたならば、一度に百八十家庭を祝福するのは問題がないというのです。 その準備を皆、したのです。そのようなことを皆、軽んじて、さっと過ごしてしまったのです。 国家的メシヤとは 国家的メシヤたちは皆、自分の一族たちを連れていかなければなりません。国家的メシヤは、自分だけ行くのではなく、一族を連れていって、その国を、国家メシヤの立場をもって救ってあげなければならないということを知らなければなりません。自分一人で行ってはいけないのです。 国家的メシヤが立つためには、氏族的メシヤと家庭的メシヤがいなければなりません。それを連結した中心が国家的メシヤです。国家的メシヤは反対経路で復帰することを通して、その国の王の立場を占有することができるのです。 氏族的メシヤがその国に行けば、家庭的メシヤであるアダム家庭がおり、イエス様が築くことのできなかった氏族基盤などがあるのです。その基盤を中心とした国家的メシヤなのです。 そのようにして、すべての人たちに手本を示してあげて、その氏族の影響を受けさせ、その国家を復帰しなければなりません。それが国家的メシヤの責任です。アダム家庭とイエス様が氏族的メシヤの使命を果たすことができずに亡くなられたことを蕩減した、その基盤の上に立たなければならないのです。それゆえ、祝福を受けて、子女たちが行くのです。国を占有することができるというのです。 百八十家庭の祝福家庭が、男性と女性が行きましたが、女性たちと子孫たちを各県まで連れていけば、一度に国を復帰できるというのです。その百八十家庭が何千家庭を動かすことができるというのです。 今までの国家的メシヤ教会であるとか、すべての費用は、自分の一族と一家が責任を持たなければなりません。皆、そのようにささげて成したので、国のすべてのものをもらって、天の前に復帰することができるのです。 ですから、国家的メシヤになるためには、氏族的メシヤを勝利しなければなりません。イエス様が失敗するようになったのは、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭が一つになれなかったからなのです。その家庭だけ一つになれば、これが皇族になり、国家形成するのは問題ありません。 一番根本になるアダム家庭において家庭的メシヤになって、家庭的皇族をつくっていくのです。長子権を中心として繁栄するようになっているのです。それを失ってしまったのですが、国家的メシヤは、その基盤の上に立たなければならないのです。その基盤の上に立って祝福を受け、国家的メシヤになるようになれば、世界版図のローマを支配できる時代に移っていくのです。 今、ちょうどその要所に来て、国家メシヤをつくり、イエス様が果たせなかった氏族的なメシヤ、家庭的なメシヤを平面的に展開するので、世界の祝福を開門させるのです。 ですから、氏族的メシヤさえ先頭に立って、縦的な基台を築いていけば、個人、家庭、氏族、このようにさっと上がっていくのです。このようにして、全部、氏族的メシヤだけが入籍するのです。ですから、国が築かれるのです。 氏族的メシヤは祝福を受け、息子・娘をもうけたのですから、国家的メシヤの代身者です。国家的メシヤは、すべての氏族的メシヤの代表として行っているので、同じ内容です。氏族編成が横的に拡大されていくのです。ですから、氏族的メシヤが一族を復帰できなければ、入籍することはできません。 国家的メシヤの持つ蕩減復帰の使命 もし宗親連合会がつくられれば、氏族的メシヤの時代は過ぎ去ります。氏族的メシヤの時代はさっと越えていくのです。宗親連合は、自動的に編成していくことができるというのです。 文氏と韓氏の宗親会がありますが、その各宗氏たちにおいて、宗親会がつくられるようになれば、その圏内にいる人は強制的に引っ張って氏族編成をして、国家的基準に越えていくことができるのです。命令によって、十二支派のように民族を編成するのです。これは不可避なのです。アダムが家庭を失い、イエス様が氏族を失ったことを復帰しなくては、国家を復帰する道がないというのです。 イエス様が氏族的メシヤになられて、国家的メシヤの立場で祝福を受けて夫婦になれば、天の国の王圏出発が成されるのです。イエス様が息子・娘さえ生んだなら、その一族が世界の皇族になるのです。 もし、イエス様が祝福を受け、その一族を中心として今まで進んできたとするならば、その一族はどれほど多いことでしょうか? ですから、三十三皇族の中から、世界国家の代表として立てるのです。そのようにして、サタンがエバを奪っていったのを、イエス様を中心としてこのエバを復帰した立場に立てるのです。 百二十門徒は、サタン世界の復帰された天使長と同じなので、彼らが全部、イエス様の一族の女性たちと結婚するようにすれば、終わるのです。そのように結婚するようになれば、国が成立するのです。 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の皇族の娘たちを集めて、天使世界の立場にある百二十門徒と結婚させます。百二十門徒は天使たちなのです。自分勝手に結婚したものを、全部奪い取って、思い通りにすることができるのです。彼らが皇族の乙女たちと結婚したならば、新しいアダム家庭編成が始まるのです。 イエス様の一代を中心として蕩減するために、三十三歳を中心として、イエス様が王であられるなら、王圏を中心とした皇族圏内で女性たちを七百八十人選出して、立法、司法、行政、政党、教会、それから有力者たちを中心とした六つの分野に百三十人ずつ、七百八十人を中心として結婚させるのです。七百八十人の女性を準備して十二支派と部署の長たちと結婚させれば、皆、終わるのです。国が成立するのです。それができなかったというのです。 政党、教会、一般社会の人たちをイエス様が祝福してあげれば、長たちがイエス様の一族の娘たちと完全に一つになります。そうして、国を神様を中心として完全に復帰するのです。ですから、七百八十人が絶対に必要です。 それができなかったので、国家的メシヤはこの使命を果たさなければならないのです。これさえしっかりと整えば、世界はそのまま回るのです。ですから、サタン世界の王圏を中心として、王宮には女性たちが多いのです。先生の時代に、皆さんたち国家的メシヤがそのような仕事をしなければならないので、その国の代表的な女性たちを選出して、再び祝福させてあげるのです。 統一教会から見れば、祝福をしてあげるには、本来は未婚の男女でなければならないはずなのに、そのようにはなっていません。乙女がおり、それから男女関係を結びながらも結婚することができない独身者たち、そして自分の思いのままに結婚した人たちの三段階があるので、三段階を越えていくのです。ですから、統一教会の結婚も三段階を越えていくのです。教会祝福、国家祝福、世界祝福です。 今、祝福された家庭が、今までの段階を越えていかなければならないのです。本来は蕩減条件がない解放された人たちが結婚をすべきであるのに、蕩減条件に引っかかっているのです。教会の前に迫害する国があり、国の前に世界があるのを越えていかなければなりません。家庭を導き、迫害のない解放された立場に越えていって、一つの統一された世界において、アダム家庭で天が祝福した相続権が生まれ、解放が成されるのです。 ですから、教会圏、国家圏、世界圏があるのです。全世界圏へと越えていくことによって、サタン世界の讒訴圏を抜け出すようになり、地上天上世界の解放が始まることによって、その立場に上がっていって、祝福を受けなければならないのです。そのような立場を三度引き継いで越えていくのです。 国家的メシヤがその国に行って、王圏を復帰できる立場に立つようになれば、王圏を持った立場で自分の一族を招請して、入っていくのです。イスラエル民族において、七十二人がエジプトの国に行ったことと同様です。しかし、七十二人ではなく、百二十人が行くのです。 百二十門徒たちが、新しく世界的に入っていって歓迎を受けて、その民族の核にならなければなりません。今、そのようなときであるというのです。ヤコブのときには、七十二家族が入っていきました。今のときは百二十家庭です。イエス様の百二十門徒と同じであり、民族を中心とした国家的代表として百二十人なのです。そうして接ぎ木して、韓国に帰らなければなりません。 次に、入籍が何であるかというと、氏族的メシヤ入籍時代があり、世界国家時代に国家が入籍すべきときが来るというのです。それが国家的メシヤの責任です。国を早く復帰しておけば、このような家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤがただ命令することによって皆、連結し、越えていくことができるのです。 市民権をもらうようになれば、アメリカの国民になることができ、国を超えて嫁いでいけば、ほかの国の民になることができるのと同様に、いくら未開の地の人間であっても、アメリカに嫁いでいけば、アメリカの人と対等な立場になるのです。統一教会に後で入ってきても、入籍することによって同じ立場に立つのです。 そのようにすることによって、アダム家庭を復帰して、アダム家庭が国家を越えて世界のどこでも思いどおりに越えていくことができ、イエス様の氏族圏も思いどおりに行くことができ、イエス様も思いどおりに解放され、再臨主が四十年間迫害を受け、統一教会が受難を受けたことも解放されるのです。 そうして、真の父母が世界の平面途上において、家庭、氏族、民族、国家、世界、どこにでも経由していくことができるというのです。ですから、世界的メシヤは国家的メシヤを、国家的メシヤは氏族的メシヤを、氏族的メシヤは家庭的メシヤを率いなければなりません。そのように連係されるのです。中央政府があり、「道」があり、「郡」があって、連結されるのと同じなのです。縦的にそのまま連結されていくのです。 ですから、縦的に押さえ、横的に拡散させれば、どこにも問題がないというのです。縦と横で循環が生じるので、どんな障壁もあり得ないのです。 こうして、ご父母様が解放され、神様が解放され、万物が解放されるのです。もはや、万物解放を宣言するときであるというのです。 蕩減の道 ですから、先生は地上にあるいかなる国のだれよりも万物を愛し、その国を愛したという条件を立てるのです。アメリカに来れば、アメリカの歴史上の先祖たちも、先生の上に立った人はいないのです。すべての国に代わって、そのように暮らしたのです。それゆえ、最高の汗を流さなければならないし、血を流さなければなりません。祭物の立場なのです。 祭物とは、死んだものを割いては祭物になりません。生きて祭物の過程を経ることによって、サタンは侵害することができないのです。生きて祭物をささげなくては、サタンを追い出すことができないのです。 サタンを追い出すためには、一対一で闘わなければなりません。蕩減条件とは違います。一対一です。実体で闘争して打ち勝たなくては、サタンを屈伏させることができません。そうしてこそ、割かない祭物として、天の前にささげることができるのです。 『新約聖書』の「ローマ人への手紙」八章22節を見れば、「実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、私たちは知っている」とあり、万物が嘆息していることが書かれていますが、その嘆息を解放しなければならないので、万物をだれよりも愛したという道を築くことによって、万物を解放させることができるのです。 私は、海に行って、ただ釣りをするのではありません。海に行って、あらゆるものすべてが嘆息するのを解放するためには、嘆息以上の立場の苦労とその道を築いておかなければなりません。ですから、この地上の歴史上のどこのだれよりも、陸地と海を愛したという立場に立たなければならないというのです。 今や、海にも手をつけるときが来たのです。海の王になり得るすべての代表的な魚、南米の一番の代表的魚を皆、釣ったのです。それは、食べるためではありません。私は、自分が捕まえた魚を食べません。最初に捕まえた魚は、放してあげます。そうして、それをそっくり祭物としてささげるのです。そのために、放してあげるのです。 蕩減というものは、このように恐ろしいものです。ですから、海に行って断食する気持ちで、おなかの空いたのも我慢しなければならないし、海に落ちて死んでいった人たちのあらゆることを体験し、経験しなければならないし、引き付けを起こして死ぬかもしれないという、死地に至ることも体験しなければなりません。そのようなことを皆、体験しなければならないのです。 金興泰は来ていませんか? 同じ釣りをするのに、先生の後をついて回りながら、自分なりのありったけの力を込めて精誠を尽くし、座って釣りをしても、自分は一匹も釣れず、先生一人がいつも釣り上げるというのです。 先生が釣りざおを下ろせば、いつも何の魚か、すでに先生の釣り針に食いついているというのです。その十センチほど横にほうり込んでおいても、ほかの人の釣り針には食いつかないというのです。(笑い)魚が知っています。 ですから、愛しなさいというのです。すべてのものは、より愛する所を訪ねていき、すべてのものは、より愛する人がその主人であるというのです。それゆえ、海に行って座っていると、海で嘆息していた魚たちが先生を見て、「かわいそうな先生」と言いながら、嘆息を忘れ、祝福をしてあげなければならなくなるというのです。そのような心情がつづられているのです。 先生は、そのような霊的な現象が起これば、皆、対話をします。夜、帰るときは、「明日、私が先生の釣り針を訪ねていくので、しっかりしてください」と、魚たちが話までもするのです。それで、「私たちは午前四時半、いや四時前に行って待っていますから、遅れずに来てください」と言うのです。ですから、その時間に出掛けなければいけないというのです。(笑い)それを一般の人は知りません。「なぜ先生は、五時前に釣りに行くのか」と言うのです。 お母様が、お父様が寝ている所に来て、「変だ」と言います。先生が変わっているということを初めて知ったのです。このような集会をすれば、明日、集会で話すみ言を全部霊界で話し合い、説教をするのです。訓練をするのです。 最近の話ですが、私が『ワシントン・タイムズ』創刊十五周年記念日に話をしようとすれば、精誠を尽くすではないですか? その原稿を何十回でも読むのです。何度も読めば、霊界で協助するのです。自分が書き、自分が知り尽くしている原稿を何度も読むのです。読み重ねれば、霊界が後について読むのです。「先生が、どのようなみ言をあのように何度も読むのか?」といって、霊界で後からついて読むのです。たくさん読むほど、霊界では世界的な舞台が連結されていくのです。そうしなければ、破壊は起こりません。空気がなければ、音波が届かないことと同じ道理です。 二世たち、これは偽者たちです。原理をあなたたちは座ってそらんじなければなりません。韓国人たちに対しては韓国語で話し、日本人たちと話せば日本語で話す、というようにです。英語で話すべきときには、英語も話せるようでなければならないのです。 そのような何かがあるので、自分が行くべき道が分かります。例えば、あることが失敗するかどうかが分かるのです。失敗するときは、見ればすでに影になり、成功するときは真っ昼間のようになるのです。そうして明るいところを探していくのです。 ですから、原稿のようなものを一週間前に書けば、一週間後のことがどのようになるかが分かるので、できるだけ原稿を書かないようにするのです。数千人、数万人が集まったのに、一分前になっても題目が出てこないのです。 しかし、そうであるほど、恐れてはいけません。自分が瞑想の中、深い祈祷の中で天と接することのできる本然の心情圏内に入るようになれば、いつの間にか口が開いて言葉が与えられるのです。そのようになれば、一万人なら一万人の聴衆全員が、水に浸ったように恩恵の中に浸るのです。 皆さんが原稿を書いたとしても、自分が書いたその原稿を、壇上に出ていって、泣きながら感動した立場で自ら読むことのできる立場を経ていってこそ、聴衆と一つになって、彼らが恩恵を受けるようになるのです。 心と体が一つになった立場で、涙を流しながら話すので、聴衆も一つになるのです。ですから、涙が出てくるのです。そうではないでしょうか? 天の悲しみまで至れば、自分も抑えることができずに痛哭するのです。 ですから、あなたたちは、教会の仕事を自分でつくってはいけません。計画してはいけないというのです。 早く復帰せよ 皆さんは今、祝福問題についてもそうです。私は、南米の三十三人の国家的メシヤたちを呼んで話しましたが、だれでもご父母様が三十六万双を祝福する写真を自分が首から掛けて、宝物の中でも一番の宝物を掛けたようにして、男性も女性も同じように祝福を執り行うのです。 女性が祝福を一人で代身して授けるときには、自分の夫の写真をその真のご父母様の写真の右側に着け、夫が一人で祝福を授けるときには、自分の妻の写真をご父母様の写真の左側に着けて祝福を行うのです。 自分たち夫婦の写真は、できるならば自分たちが祝福を受けたときの写真がよいのです。そうして、真の父母の代わりに祝福の主礼をするのです。祝福は、自分たちがしてあげるのではありません。真のご父母様がしてあげるのです。 そのようにするならば、自分たちが祝福を受ける当人である人たちは、蘇生としてアダム家庭であり、祝福をしてあげる皆さんはイエス家庭であり、先生は国家的家庭として、祝福をして上がっていくことによって、全体を連結させるのです。全世界の祝福家庭として、霊界に行った人たちがその周囲を取り囲むことによって、サタンを完全に追い出し、祝賀パーティーが起こるのです。 アダムとエバが祝福を受けるときに、天使たちが取り囲むのと同じように、祝福家庭がこの地に来て、祝福の環境でサタンを追い出し、解放された立場で祝福をしてあげるのです。 そうなれば、もう氏族的メシヤの責任も果たせない人は、大変なことになります。今からは、帰って、パーティーをし、四十日間食べずに痛哭してみなさいというのです。そのようにしてでも、早く復帰しなさいというのです。 祝福を受けた家庭たちは妻、夫、子供たちまで、四十日間、全部「飢えて死んでしまう」と言いながら、「祝福を受けなさい」と言ってみなさいというのです。そうすれば、町内が団結して、全部祝福を受けるようになるのです。 四十日間泣くのに、お父さんが一日泣き、お母さんが一日泣き、息子・娘が五人いるならば五日間泣き、そのように子供、妻、おばあさん、おじいさんが交代で、大声で泣いてみなさい。いっぺんに「どうしたのか?」と言ってくるようになるのです。そうすれば、「一族が滅びていくようになって、私はそれを防ぐためにこのような祭物となって祭祀を行うのです。死にゆくありさまなので、生かすためにそうするのです。今、死につつあるのです」と言ってみなさい。 八月九日までに三百六十万双が終わったとすれば、陰暦の七月七日七時七分七秒までに先生が七十七歳を迎えたそのときに、三千六百万双の祝福を宣布すれば、これはだれでも祝福を受けるのです。解放なのです。 三千六百万双をするといえば、霊界が降りてきて、強制で打って追いやって、祝福を受けるように引っ張ってくることのできる時になるというのです。一九九七年は、先生の歳が七十七歳であり、七月七日七時七分七秒に連結されるのです。 今まで、安息日を越えることができませんでした。七数を越えられなかったのです。再出発ができません。それで、六千年歴史から七千年に越えなければならないのです。 自然のオーケストラ それゆえ、地上にいるあらゆる昆虫であろうが何であろうが、「私たちは、真の父母の所有物である」といって賛美し、「神様の所有物である」といって賛美し、「神様の愛を育成するための一つの祭物である」といって誇るというのです。そうして解放が起こるのです。 皆さん、昆虫世界を見れば、昆虫世界でも全部、オーケストラが始まります。セミの鳴き声から一度聞いてみなさい。ミンミンと鳴くのも全部、拍子を合わせて鳴くのです。オーケストラの中でも自然のオーケストラは、現在有名な、どんなオーケストラも問題ではないのです。 今回、私が南米に行って驚いたのは、鳥類たちが一度に数千羽、数万羽集まって、音楽会でもするのでしょうか、チュンチュンと同じ鳴き声をするのにも、拍子を合わせてすることです。大したものです。「鳥のオーケストラとは、ああいうものなんだなあ」と思いました。 昆虫のオーケストラ、鳥のオーケストラ、動物のオーケストラ、人のオーケストラ。このようなオーケストラたちが、一緒に一団となって歌うのが、この世の中でも最高にすてきなオーケストラではないでしょうか? それを聞きながら酔いしれ、神様は「私の腕前はいいなあ。ああ、小さいものたち、大きいものたち、皆、歌がうまくて、私より優れているな。ははは」と、そのように喜ばれるのではないでしょうか? 南米に行って私が発見したことは、歌えない魚がいないということです。私はそれを発見しました。(笑い)北半球では全部、歌が歌えません。(笑い)それがなぜなのか、というと、第一に、南米はいつも春であり、いつも夏であり、いつも花が咲き、いつでも食べるものが多いのです。ですから、歌うことしかすることがないので、そのように歌うというのです。(笑い) 六か月、四か月の間、冬眠の世界に入らなければならないとすれば、歌を歌うことができるでしょうか? 「ああ、寒くなる前に、早く準備をしなければならない」というのです。そのように縮こまっている状態なのですから、歌に何の意味があるでしょうか? ですから、私が南米に行って考えることは、「神様が一番考えられるのは、いつも水と青い地帯が、人間が暮らすことのできる理想地帯であると同時に、動物やあらゆるものが暮らす理想地帯なのだ」ということです。 青い地帯に幸福で暮らせる天国をつくり、人間として動物とともに踊りを踊りながら、人間のオーケストラ、動物のオーケストラ、自然のオーケストラ、その環境で楽しみ暮らす人が、天国の一番いい所に行くであろうと思うのです。そうではないでしょうか? 皆さんに話をしてあげようとして、もう九時になってしまい、ご飯も食べられずに、また出掛けないといけませんね。(笑い)きょう、ベルベディアで話すべきことを皆、話してしまいましたね。(笑い) 今まで、あなたたちはここに参席することを軽んじていました。千年の恨みと千年の精誠をささげても来ることのできない日があるということを知らなければなりません。 勝利者になりなさい 今や、一族が全部競争をするようになれば、一族がどれほど精誠をささげて、ここですべて天の前に献納するかというようになります。自ら、天の国の民として税金をささげなければならないのです。税金制度が訪れるということを知らなければなりません。 皆さんは、このような場所に参席することのできる氏族的メシヤを中心として、一族が全部精誠をささげて、最高の水準にいる何人かを選抜してくるのです。 あらゆるものをどのように集めて、どのように献納するか。どのようにすれば、全人類を救うことができるかということを考えるのです。今まで神様は、人間と万物、このすべてのものをごらんになることを願われたのです。 今や、世界が全部救われたならば、どうなるでしょうか? だれが息子・娘をたくさん産むかということが重要になるのです。 次は、何でしょうか? 受けたのですから、返さなければなりません。それは、皆さんの所有の三三パーセントです。それは、蘇生、長成、完成ということからきています。 サタン世界が蘇生、長成、完成段階まで支配すれば百パーセントになりますが、六六パーセントくらいまでしか、サタン世界は占領できなかったのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦では、サタン側は六七パーセントまで勝ったのです。そして、残りの三〇パーセント圏内で負けるのです。その残りの三三パーセント以上は、天に属するのです。そうすると、イエス様の三十三歳という年齢には、そのような意味もありそうです。 税金も同様です。それは、国民として果たすべき義務です。ですから今後、未来とその国を発展させようとすれば、自分たちが決めて、それ以上にパーセントを増やしていくべきであるというのが、今後、天の国民たちがあの世に行って福を受けることのできる土台になるであろうというのです。 ですから、夜にも働いたりして、後代においてこの国が栄えるようにさせなければならないのです。国の人たちが税金を取りにきてはいけません。全部、自発的にささげなければならないのです。 個人主義のアメリカの人たち、西洋の人たちは、大変なことになりました。「世界平和統一家庭連合」の世界本部では、守るべき規則を全部私に報告し、そのうえで、その中に条件を減らしてあげることができ、減らしてあげればよいと思われるものは、私が引いてあげようと思います。それを準備しなさい。 今からは、既成教会が統一教会に反対すれば、「この者たち、なぜ統一教会に反対するのですか?」と言いなさい。 彼らが、「あなたたちが『キリスト教だ』と言うので反対するのだ」と言うのならば、「キリスト教だから反対するのですか? あなたは偽者です! キリスト教時代は、もう過ぎ去ったのです。私たちは『世界平和統一家庭連合』ですが、家庭に反対するのですか? あなたの家を全部、打ち壊すのですか? 私たちは、あなたの家を救ってあげようとするのです」と言いなさい。最初から堂々と訴えなさい。 「世界の家庭が、すべて私たちを歓迎するのに、なぜ反対するのですか? 反対すれば、あなたの家庭が神様の怨讐になるのです」と言いながら、闘わなければなりません。 先生が皆、準備したのです。まったく、国もなく、何も持たない私を一番怖がるのです。武器はありませんが、皆、恐れているのです。統一教会の組織、世界において先生がつくった組織は、世の中のどのような武器よりも強力なのです。 出掛けていきなさい。出掛けていって成しなさい。行動を開始しなさい。何でもできるのです。世の中をきれいに整理しなさい。世の中を収拾しなさい。この道を行くうえで、何の問題もないというのです。それは、あなたたちがもっと度胸を持ちなさいということです。先生より度胸を持たなければなりません。 あなたたちは世の中を知らないので、先生の話だけ信じれば、度胸が百倍強くなるのです。 特に二世たちは、もっと強く、度胸を持たなければなりません。これ以上、迫害はないのです。ばーん! がーん! がん! と、三度撃つのです。一度だけ撃ってやめてはいけない、というのです。蘇生! 長成! 完成! それで解放されるのです。世の中を目覚めさせなさい。そして、先生が万王の王になったように、この世の中と天宙の中心存在として勝利者になりなさい。アーメン。 神様が祝福してくださいます。日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗 玄太郎 編令和の魔女狩り 旧統一教会バッシングの深層 (View P Books) [ 世界日報社編集局 ]一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.27
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真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙日付:一九九七年五月十九日場所:ウルグアイ、モンテビデオ、ビクトリアプラザ・ホテル行事:「新救国連合」国家指導者晩餐会尊敬する内外の貴賓の皆様、特にこの場に参席してくださった著名な紳士淑女の皆様。公私共に御多忙にもかかわらず、この場に御来席くださった皆様に深く感謝申し上げます。このような貴い日に、私が心から皆様に差し上げたい最も貴い返礼の贈り物があるとすれば、それは私がこれまで世界を巡回しながら説いてきた、最も代表的な二つのみ言を御紹介することです。それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのみ言は、その根本的な解決方案を提示しています。各自が帰って、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このみ言を読んで深く考えれば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなるでしょう。皆様はこの二つのみ言を、皆様の年の数ほど読んでくださるようにお願いします。年齢が八十歳を超えていれば、八十回以上読まなければなりません。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあるでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むので、何度も読んでくださるようにお願いします。最初のみ言の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダムの家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られ、これを国家的な次元で復帰しなければなりません。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであるイエス様は第二次アダムとして来られたのですが、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることにより、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。ですから、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰であるという事実も明らかにしています。二番目のみ言の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間の堕落の根本が愛によって成立したため、人類は真の愛を失ってしまいました。ですから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったというのは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として誤ったので、これを取り戻そうとすれば、その反対に、正しく行かなければならないということです。このように、誤った愛がエデンの園で植えられたので、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題です。それで、「性」の混乱時代が来るというのです。これを清算するのは、絶対「性」でなければなりません。この絶対「性」の概念によってのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。 三大主体思想とメシヤ思想この時間は、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題で、み言を分かち合おうと思います。ここに集った皆様には父母がいます。そして、師がいて、その次に国の主人がいます。彼らは、誰にとっても絶対的に必要です。しかし、いくら父母だとしても、真という基準を中心として見るときには、様々な基準があるものです。皆様自身は、果たしてどれほど真の父母になったと思いますか。また師といっても、アメリカにあるハーバード、エール、そしてコロンビアのようなアイビー・リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学の教授であれば真の師でしょうか。国の主人も、真という基準から見るとき、同じにはなり得ないのです。皆様は、アメリカのような強大国の大統領であれば、真の大統領だと思いますか。事実、今日の家庭では、子女が父母を信じられず、夫婦同士も互いに信じられず、兄弟同士でも不信する関係になっています。学校では師を信じられず、国では国の責任者を信じられないというのが今日の実情です。このように、皆様が願うこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、そして国の主人の中で、真という基準を中心として、どれか一つでも合格できるのか、ということが問題なのです。皆様が真の父母になり、真の師になり、真の主人にならなければならないとすれば、そのような世界最高の基準、そのすべてのモデルの中心とは誰でしょうか。その方が正に神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子、娘になるとすれば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければなりません。そして、神様のような真の主人となる道を行かなければならないのです。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは神様です。旧約聖書に記録されている、イスラエル民族に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られる方であり、真の師として来られる方であり、真の王として来られる方です。しかし、イエス様はこの地上で家庭をもち、民族を一つにできなかったので、再び来なければなりません。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と真の師権と真の王権を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所であれば、いつでもどこでも、三大主体思想が正しく確立されなければなりません。人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形になるのです。皆様の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題、国の問題、もしくは世界の問題を扱うときに、公式は一つです。個人を中心として、上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心になるのです。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様にまで行かなければならないのと同じ道理です。皆様には宇宙の中心になりたいという気持ちがあるだけではなく、そのようにもなれるのです。 宇宙の核のような真の家庭このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事(働き)するとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点でなければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけません。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように、七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となり、調和と統一を形成する家庭になるということです。私たちがよく「ラッキーセブン」と言うのも、このような観点から見れば、一理あることなのです。そうして、これが一つに定着して回るようになれば、八数だというのです。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったというのです。神様の真の愛をすべて追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。西洋と東洋は、その生活習慣においてあまりにも異なる点がたくさんあります。多くの面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きをしますが、西洋の人に対してそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか」と誤解するようになっているのです。西洋の文字は横的で、左側から右側に進みますが、東洋の文字は縦的で、本来、上から下に書いて読むのです。ですから、西洋の本は左側から開いて見ますが、東洋の本は右側から開いて見るのです。西洋文明は一種の横的文明です。握手で挨拶するのは、横的な挨拶です。頭を下げながら挨拶する東洋文明は縦的です。東洋には、家庭制度の核が先祖にならなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心です。すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべて動きません。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせても、すべて合うというのです。祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟間も一体であると言うのです。一つの体です。何を中心としてこのような関係が一体なのかというと、愛の中心である神様の真の愛を中心として一体になるのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同じなのです。このようになることにより、すべてのものの価値が同等になるのです。 人間が行くべき真の真理の道それでは、神様がその子女に願うこととは何でしょうか。お金をたくさん稼いだ億万長者になることでしょうか。国の最高権力を手にした大統領になることでしょうか。神様が息子、娘であるアダムとエバに願われたのは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。それでは、皆様は神様が願われるように、家庭で孝子になろうという考え、国では忠臣になろうという考え、世界では聖人になろうという考え、そして天地の前に聖子になろうという考えをもったことがありますか。歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子となり、忠臣、聖人、そして聖子になりなさいと教えてきたのです。今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間のその人格完成に必要なものが、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理であるという観点から見るとき、ここに合格したと見ることができますか。このような内容を知らなければ、家庭で真の父母の役割を果たせません。真の父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的な内容を教えてあげなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、そののちに神様まで行くべきだということを、自分の子女たちに教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様が御覧になるとき、真の父母、真の師、そして真の主人であると考えるのです。皆様に真の父母の資格があり、真の師の資格があるというときには、真の主人の資格も備えるようになり、さらには真の王になれる資格まで備えるようになります。堕落した人間に、真の孝子という概念があるでしょうか。忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もないのです。ですから滅びるのです。誰が聖子になることを願うのでしょうか。神様が願われるのです。聖人になることを誰が願うのでしょうか。世界が願います。国は何を願うのかというと、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真の真理の道です。愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知りませんでした。それで、真の父母になれなかったのです。国の真の主人になれませんでした。聖人や真の聖子になれなかったのです。イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がおらず、国と世界にそのような真の主人がおらず、結局、天地に真の主人がいなかったのです。どのようにしてその道理の道を行くのかを知らなかったのです。しかし、もはや知らなければなりません。真の父母は、「孝子になったから、忠臣にはなるな」とは言いません。真の父母はその孝子に、「お前は家庭を犠牲にして、忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして神様を訪ねていかなければならない」と教えてあげなければならないのです。そのようになるためには、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければならないのです。聖人は、自分の国を犠牲にして世界を救わなければなりません。聖子は世界を犠牲にして、天の国と地、地上天国を築かなければならないのです。ですから、すべての父母の中で、より子女のために生きる父母が真の父母であり、どのような師よりも、よりために生きる師が真の師であり、どのような大統領よりも、よりために生きて犠牲になろうという大統領が真なのです。このような概念があることを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に訪れません。 自分のために生じたものは一つもない個人主義を主張する根拠はどこにあるでしょうか。自分の中で、自分だけを主張する部分は一つもありません。子女が父母の愛によって、母親のおなかの中で精子と卵子が結合して生まれてきますが、九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉を受けて育ちます。父親の精子は○・○○一パーセントにすぎません。そこには自分という概念はありません。誰でも生まれるときは、自分自身という概念がなかったのです。いくら立派だという人でも、自分一人で立派になったと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも、皆様も同じです。骨や血、肉など、すべて母親のおなかの中で譲り受けたのです。この体の重要な部分は、母親の体の延長だという事実を認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、卵子と精子に含まれていたというのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。「上」というのは、「下」を認めたうえで語る言葉です。「上」というものだけで、個人主義が成立するでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで語る言葉です。「前後」を見ても、「前」というのは「後」をまず認めたうえで語る言葉です。「男性」という言葉も、男性一人を念頭に置いて語る言葉ではありません。「女性」を先有条件として語る言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉ではなく、宇宙的な事実です。男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性はよく、「自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がない」などと言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないのです。結局、自分のために生まれたものは一つもないというのです。私たちの五官を見てください。自分の目は、自分の目を見るために生じたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生じたのです。五官を総動員して集中させられる力とは何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、そして手は、真の愛のために生じた、真の愛の道具なのです。自分のために生じたものは一つもありません。他人のものを自分のものにする人をどろぼうと言うのです。人のものをもってきて、自分のものとして使う人はどろぼうではないでしょうか。ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人はどろぼうなのです。男性と女性は、何が互いに異なりますか。まず、性の器官を含む体が異なります。それでは、男性の性の器官は誰にとって絶対に必要でしょうか。男性の性の器官は、女性のためにあるのです。人間の性の器官の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになっているのでしょうか。二つとも尖らせたり、二つとも平たくしたりすることもできるのに、なぜそのように違う形になっているのでしょうか。すべて、相対のためです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。女性のものは絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものであるという事実を知らなかったのです。それを占領することにより、愛を知るのです。二人が一つになるような経験を通してのみ、最も高い境地の愛を知ることができます。どのような者も、このような事実を絶対に否定できません。誰もがみな、認定しなければならないのです。二人が完全に一つになるその場から、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在するのです。ですから、絶対「性」は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家、もしくは経済人たちは、文学作品や言論を通して、フリーセックスの刺激を与える場合が多くありました。ですから、今から私たちは、政治家や経済人、作家、言論人と一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは完全になくならなければならないのです。 神様から玉璽を受けたレバレンド・ムーンレバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは一八〇度違う人になり、違う国になり、違う世界になります。間違いなく変わるというのです。変化させるべきこの悪の世界を完全に変化させるのは、絶対に必要なことです。ところが、サタンを含む悪の世界の人々は、神側の人々を好みません。それで、世の中のすべてがレバレンド・ムーンに反対してきたのです。国家と世界的次元においても反対したのです。しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してきました。サタンはレバレンド・ムーンを嫌いますが、神様は好まれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、下に押さえつけて無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは下がっていきませんでした。かえって、最も高い立場にまで上がっていくようになりました。そうして、今は誰もレバレンド・ムーンに反対できないようになったのですレバレンド・ムーンはあらゆる迫害を受けながら、どのようにしてこのような世界的基盤を築けたのでしょうか。どのような力でもって、世界の碩学と最高の指導者を教え導く基盤を築けたのかというのです。神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も続けて保護し、教えてくださるので、レバレンド・ムーンは常に成功の道を進んでいるのです。歴史始まって以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者がいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、あの天の国、霊界を統一してきた人は、この地上に一人もいないことを知らなければなりません。そうして、レバレンド・ムーンは神様から玉璽をもらいました。そうでなければ、地上統一はできないのです。神様が霊界で誰よりも訓練させて育てられたように、この地上においてもそのように引き続き導いていらっしゃることを知らなければなりません。二十年以上の間、レバレンド・ムーンは新教(プロテスタント)の地、アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられてから二千年間、途方もない殉教の血を流したキリスト教をこの国に定着させようという神様のみ旨を知ったので、アメリカを捨てることはできなかったのです。旧教(カトリック)の地、南米も同じです。四十年以上前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南北米がどのようになっていただろうかと考えてみてくださることをお願いします。韓国は、なおさら考えてみる必要があります。 「神様のもとの一つの世界」を成し遂げるための努力それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか。自分の生命を投じたのち、また復活して、三度以上より投入しようというところから、真の愛が始まります。私たちは堕落した血を受けたので、自分の生命を懸けてでも、これを越えなければなりません。それで、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と言うのです。 イエス様もこの地上に来て、その道を行きました。それによって世界を治めたのです。利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は一生の間に数百億ドルのお金を稼ぎましたが、一銭も私たちのものはありません。すべて、世界のために投入して忘れてしまい、また苦労して稼いでは投入するということを反復するのです。「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか。一部のアメリカ人は、「神様のもとの一つの世界」が好きではありません。また一部の白人は、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒がアメリカの支配的位置を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えをもたなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのであれば、存続できないのです。今は、時代が変わってきています。到来する時代は、「神様のもとの一つの世界」が成し遂げられる時代です。神様はこのような世界のために働いていらっしゃり、また、そのような摂理のために働く人を助けていらっしゃいます。そして、これからも永遠にそのような人を助けられるでしょう。ところで問題は、すべての人々がこのような世界で暮らすことを願いながらも、その摂理の同参者になることは好まないということです。一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦は様々な努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけでなく、東西文化の和合を通して、東洋と西洋の葛藤までも収拾するという次元で、「統一思想」と「統一医学」を開発しなければなりません。東西思想と医学が合わさってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになるでしょう。韓国では、医学教育を全く受けていない農村の若者の中に、エイズのように現代医学でも治すのが難しい病を治せる特別な治療法を霊界から教えられた人々がいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。このすべての課題は、既にアメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心として、実践に移されつつあります。さらに私たち夫婦は、既にアメリカの「ワシントン・タイムズ」だけでなく、南北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。この言論機関は、間もなく世界百八十五カ国にまで拡張され、世界が一つになって学び、協力することに大きく貢献するでしょう。レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが世話になったのです。天から受けた祝福で、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福してあげました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎し、アメリカのような祝福を受けるようにお願いします。いくら反対しても、より多く愛する人が主人になります。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れてしまう人が中心存在になるのです。これが正に天法です。これから皆様は、家庭において父母に孝行し、国の前に忠臣となり、世界の前に聖人となり、神様のみ前に聖子となる道を行くべきです。誰であろうと家庭、国家、世界、天地の前に恥ずかしくない自分、この宇宙と自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築かなければなりません。そうして地上天国に転換し、天上天国に入籍して、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と幸福と統一の世界を訪ねていく国際合同祝福結婚式を迎えなければなりません。皆様も全員、今年の三百六十万双祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同祝福結婚式に参加してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になり、永生の道を見つけてくださるようにお願いします。私たち全員が神様と真の父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真の家庭と真の世界(宇宙)文化創建の主役になって、来たる二十一世紀には平和と統一の世界を建設することを願いながら、これで私の話を終わります。皆様と皆様の家庭、そして行っている事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。令和の魔女狩り 旧統一教会バッシングの深層 (View P Books) [ 世界日報社編集局 ]一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.25
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[旧統一教会]世界の動きをアメリカからレポートです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.25
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第14回天の父母様聖会 孝情ヌリ23.02.26 09:30より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。孝情ヌリの実際の映像は14:00ごろからです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 令和の魔女狩り 旧統一教会バッシングの深層 (View P Books) [ 世界日報社編集局 ]
2023.02.24
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地勝日宣布1977年 2月 23日、米国・ニューヨーク ベルベディア修練所【参考記事】◆「天一国摂理史--第44 回天地勝利の日(地勝日、1977.02.23)」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.23
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第1回ソ連・統一原理研修会統一教会史上最大規模の大修練会ファミリー 1992年2月号 掲載み言は「楽天ブログ み言が生命 掲載」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.23
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(日語)私たちのアイデンティティ - キム・ソクジン大教区長20230219平和ヌリの題目は「私たちのアイデンティティ」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.21
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世界平和統一家庭連合時代の開幕宣布真のご父母様は一九九七年四月八日、韓国九里市の中央研修院(水沢里)にて、「第三十八回真の父母の日」の指導者会議に参加した各国の国家メシヤ、日韓の牧会者等、千六百余名の世界の代表たちが参加する中、統一教会の名称を「世界平和統一家庭連合」に変更し、四月十日から使用するように語られた。 昨日は第三十八回の「真の父母の日」でしたが、三数と八数はアダム時代、イエス時代、再臨時代の三段階の時代を代表した八数に該当する数です。これからの三年路程、三年分別期間……。いつも大転換の時期には三年路程が必要なのですが、この分別期間を中心として歴史的な新しい方向、新しい目的地に向かって出発する時代が訪れるということを、皆さんは知らなければなりません。 皆さんも知っているように、私たちの組織は今、二重組織になっています。これからは「世界平和統一家庭連合」が中心となって先頭に立っていきます。今までは統一教会が先頭に立っていましたが、これからは家庭連合が先頭に立って、統一教会は徐々になくなっていくのです。統一教会の「世界基督教統一」という言葉がなくなるのです。 キリスト教は責任を果たせませんでした。ゆえに、その次元を超え、キリスト教の祝福が万民の前にすべて委譲される時代に入ったということを、皆さんは知らなければなりません。世界基督教統一神霊協会ですが、神霊というのも結局、真の父母を中心として地上に家庭的メシヤの基準が定着する時には終わるのです。神霊の実体をこの地上に迎えて生きるべき人たちが、真の父母の継承者たちなので、その真の父母は、霊的完成と地上完成を代表した家庭の出発から、国家出発、世界出発、天宙出発を代身し得る、一つの模型的な基台になるということを皆さんは知らなければなりません。 したがって、今後残る名前は何でしょうか? 世界基督教統一神霊協会の時代は過ぎ去りました。それは闘わなければならないのです。キリスト教を統一しなければならないのです。統一するためには闘いを経なければなりません。平和の基準がありませんでした。闘争的概念を中心として、サタン世界に引継・委譲していく過程にあるため、平和という概念もなく統一という概念もないのです。キリスト教を統一する時代は既に過ぎ去ったのです。 長子権復帰、父母権復帰を完成したので、イエス様がイスラエル圏に着地し、ローマ帝国という世界舞台に移っていけるはずだったその基盤を、統一教会において長子権復帰、父母権復帰、王権復帰時代に移行していくことによって、すべてを回復したのです。ですから、キリスト教の統一だけではありません。世界統一時代に移行したのです。 ですから、今日この第三十八回の「真の父母の日」を中心として、統一教会という名称はなくなり、世界平和統一家庭連合とするのです。四月十日からこの名称を使うのです。 堕落によって植え付けられたために、終わりの日には堕落のその実が、普遍的に世界人類の家庭で結ばれるのです。実が結ばれるにあたって、サタンもどうすることもできません。取り返しがつかないのです。神様もどうすることもできません。ですから主人がいません、主人がいないのです。 今、統一教会が教えているのは復帰路程における血統復帰、その次は何ですか? 二つ目は所有権の復帰です。神様は主人になれませんでした。血統を中心として人間を失いました。その次に物を失いました。その次に何ですか? 心情圏の復帰です。一族が生きることのできる環境と、人と、天の伝統をすべて失ったのです。 心情圏というのは七代先祖、一族のことを言います。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、その一族というのは自分の所有圏、自分の血族ではありません。神様に帰らなければなりません。神様の血族となって所有権をもたなければなりません。この地は自分の地でも、一族の地でもありません。この宇宙の地なのです。宇宙の主人となり、宇宙の先祖となるためのものなのです。 ですから、自分の一族に対する血統問題、一族に対する所有権問題、一族に対する心情圏が問題ではありません。神様を中心として宇宙の心情圏へと拡大しなければならないのです。そのような大転換を標準として統一教会は進んでいるのです。心情圏復帰とは何かというと、氏族的メシヤ圏の確立です。そこでは血統転換、所有権の転換がなされなければなりません。人を失い、万物を失いました。ですから、人と万物を取り戻さなければなりません。人と万物を取り戻して一つに結び、「この地上の私たちが生きた地が、神様の所有圏となり、神様が活動できる生活の基台となり、神様の心情的な対象圏となりましたから、神様の前にお捧げします。天のものと致します」と言わなければならないのです。 氏族さえ編成すれば、民族が自動的に編成され、国が自動的に編成されるのです。七代になれば何家庭になりますか? ヤコブのときは一族です。系列的な出発です。その次にモーセ時代は民族時代であり、イエス時代は国家時代です。国家を編成しなければならないのです。すべての家庭の目的は国を探し求めることです。そうではないですか? 家庭があれば自然に国が形成されるでしょう? 個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代、神様時代、この八段階を越えていかなければならないのです。この縦的な歴史を横的にすべて展開し、サタンのすべての蕩減条件、サタンが残した壁や穴をすべて埋めなければなりません。そうして水平にしなければなりません。 ですから、先生は今まで多くの団体をつくりました。すべてをつくったのです。つくっておいて、そのままにしておいたものもあります。縦的にすべて橋をつくったのです。コンクリートの家を建てるには、まず、コンクリートで水平な基盤を固めるための基礎が必要です。一階、二階をすべてコンクリートでつくれるようにするためなのです。ちょうどそれと同じです。さまざまな団体をつくりましたが、時が満ちるまで横的に結びつけませんでした。 今は横的に結びつける時になったのです。今はどのような時かというと、一週間だけみ言を聞いて祝福が受けられる時なのです。内容は簡単です。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰、一族が一つになって天に戻っていくのです。 真の父母は何を持って来るのでしょうか? 何も持っては来ません。神の血統圏と愛、それが財産です。神の息子、娘の種を持っているのです。エバ国家はそれを全面的に受け入れなければなりません。それは世界的な復帰です。日本民族が氏族的使命を完遂し、韓国と世界をひっくり返さなければならないのです。 そのような面において、日本女性たちはエバ国家の使命を果たさなければならないのです。キリスト教は新婦の宗教ですね? 再臨主を何千年も待ちながら、死の峠を乗り越えてきたのがエバ国家です。それは霊的な母親の立場です。体がありません。霊的なものには体はないのです。エデンの園で本来完成すべきであった母親の霊的な基準が、神様の懐に帰ってきました。アダムと共に帰ってきたのです。アダムとエバが完成すべき霊的な基準が、神の懐に帰ってきたのです。創造以前の心情圏として帰ってきたのです。 完成圏が地上に現れればそれを移植し、アダムとエバが十六歳で墜ちる前の基準、その心情一致圏に従って、国家の出発がなければなりません。その国家基準の完成圏を探し求めてきたのが、アダムからイエス時代を経た四千年の路程だったのです。それはカイン・アベルです。イスラエル国家がカイン、ユダヤ教がアベルです。それが一つになって母親を迎える準備をしなければならないのです。 メシヤが来られるとき、女王と息子と娘を準備しながら迎えて、氏族圏に定着すればいいのです。それがザカリヤ家庭とヨセフ家庭でした。プラスとマイナス、カイン・アベルが問題なのです。それで、この二つが一つになって結婚式をして定着するのです。伝道も、何も必要ありません。その家庭から「世界平和統一家庭連合」が成立するのです。平和の家庭を通じなければ統一されません。 平和になれば、統一は縦的な基準でなされなければなりません。平和は横的なものであり、統一は縦的なものなのです。それで「世界平和統一家庭連合」というのです。 神様は復帰の心情をもっていますね? 偽りの父母によってこのようになってしまったので、青少年たちの淪落防止と家庭防備を逆に展開し、新しい家庭の上に氏教、民族、国家の編成がなされるのです。国家というのは家庭の上に立つようになっています。しかし、今まで神様を中心とした家庭がありませんでした。それゆえ、家庭を編成する時が再臨の時代なのです。 神様とアダムを中心として完全に一つになった基台の上に、統一世界が成立するのです。キリスト教文化圏を復帰すれば、統一世界が訪れるのです。その統一世界の主体国家は、再臨主を迎えなければなりません。再臨主はたった一人です。何ももっていません。財産も何もないのです。エバがアダムを含めて、すべてをサタンに渡してしまったのです。ですから、再臨主を一〇〇パーセント以上に迎え入れる基準を立てなければなりません。父や母だけではなく、夫や息子や娘までも母親として産みかえて、再臨主に預けなければならない責任があるのです。 ところが、キリスト教文化圏が統一教会に反対してきました。それで「世界基督教統一神霊協会」という名前を付けたのです。ある時期までは、それが必要でした。その名前ゆえに迫害を受けたとしても、蕩減の峠を越えなければならないのです。今は既に乗り越える時となりました。間接主管圏ではなく、直接主管圏に入ったからです。蘇生と長成の段階を越えて、完成の蘇生段階に入った者は、サタンが関係を結ぶことができません。サタンが手を出せないのです。 韓国はアダム国家になることはできません。アダム国家は先生一人しかいません。誰一人しかいないと言いましたか?(「お父様です」)。エバ国家は?(「お母様……」)。お母様はいつ現れましたか? 選ばれて立てられたお母様が女性連合をつくったのは、一九九二年四月十日でした。その日がその記念日です。 お母様も先生が立ててあげてこそ、立つことができるのです。アダムに似せてエバをつくったでしょう? アダムがまだ未完成であったのに、それに似せてつくったのでしょうか、完成すべきアダムに似せてつくったのでしょうか? 完成すべきアダムに似せて、生理的な観点で合うようにつくったのです。 アダムは凸で、エバは凹です。その二つはうまく合うようになっているのですか、合わないようになっているのですか? 合うようになっているのですが、セクシャル・オーガン(sexual organ :生殖器)が「ああ、まっぴらだ!」と言って逃げ出すようになっていますか、くっつくようになっていますか? くっつきます。何を中心としてですか? 愛、どんな愛? 堕落した愛ではありません。真の愛です。人間は愛を自分勝手に扱う群れです。堕落した子孫なのです。原理原則に背いて、ちょうどそのような立場にいるのです。 愛の主人は女性でもなく男性でもありません。誰ですか? 神様です。それを知らなければなりません。愛を自分勝手に扱おうとする連中は皆、地獄へ行くのです。フリーセックス! 女性にしろ男性にしろ、勝手に愛し合うような連中は皆、地獄に行くべきでしょうか、天国に行くべきでしょうか? 犬畜生のような姿をして、地獄に行かなければなりませんか、天国に行かなければなりませんか? 地獄に行かなければなりません。地獄のどん底に行かなければならないのです。 絶対性(absolute sex)です。絶対的な聖なるものがそれです。ですから、そこを通じて出てきた息子、娘が絶対的な聖なるものなのです。父と母が身も心も傾けて愛さなければなりません。骨髄が溶けるほどに愛さなければならないのです。彼らはどこから生まれましたか? □から出てきましたか、どこから出てきましたか? 生殖器から出てきましたね? ですから、聖なる息子、娘を抱きたいと思うのですが、その聖なる息子、娘を生めるようにしたのが生殖器であるがゆえに、聖なる王の座にあるのが生殖器ということになるのです。「王性」ですか、「性王」ですか?「性王」の立場にあるのが生殖器です。そのように貴く感じますか? 王は二人ですか、一人ですか? 一人です。絶対的に一人です。変わることのない王権を残さなければなりません。 一九九二年までに、兄弟一体圏が成立することによって、お母様の座が準備されました。世界的な反対がありましたが、すべての家庭を収拾して関係を結ぶことによって、お母様が一九九二年四月十日に「女性連合」を結成したのです。女性連合は絶対に必要なのです。その女性連合をつくる前に何をつくったかというと、「全国大学原理研究会」と「青年連合」をつくりました。復帰原則によって、原理研究会をつくったのちに、女性連合をつくりました。そして女性連合と原理研究会をつくったのちに、青年連合をつくったのです。青年連合をつくったのは三年前です。それは公式です。 ですから、女性連合、青年連合、学生連合が一つにならなければなりません。青年連合と学生連合が、その女性連合と一つになって何をするかというと、「家庭連合」をつくるのです。真の父母を中心として血統転換をさせ、新たに天側に移動していく基盤が「世界平和統一家庭連合」なのです。その家庭連合をいつ結成しましたか? 一九九六年につくりました。 この家庭連合をつくれば、エデンの園の家庭でアダムに対して守れなかったすべての約束を完成することができるのです。それで、一九九三年に「真の父母と成約時代」が宣布されたのです。その次は「真の父母と成約時代の安着」ですから、移動することはできません。歴史以来、全人類を代表した父母の家庭が、完全に安着したので、サタンもどうすることもできないのです。 直接主管圏である神様の権眼下に入ったので、サタンとは何の関係もありません。先生に反対することはするのですが、先生の生命はどうすることもできないのです。それで、大きな腹をもって前進して退けるのです。打ってくれば打った人が直ちに後退するようになるのです。そのような原則に従って世界を収拾してきたのです。 世界平和統一家庭連合! 世界、平和、統一! 家庭を忘れてはなりません。それゆえに連合体であり、一人ではないのです。 世界を忘れず、平和を忘れず、そして何ですか? 統一を忘れず、家庭を忘れるべからず! 連合体をつくらなければなりません。すべてが相対的です。その相対基準の中に愛を連結すれば、世界は一つに連結されます。そのようになっているのです。 今後、重要視すべきことは世界平和統一家庭連合ですが、世界を失ってはならないのです。世界を失えば、平和であっても何になるのですか? また、平和を失ったら統一することができません。また、統一がなければ、家庭連合をつくって何になるのですか? また、家庭は一つの家庭ではありません。連合的です。そのような連合基盤がなかったら、家庭があっても何になるのですか? すべてこのような関係になっています。カイン・アベルです。世界と平和もカイン・アベル、その次には統一もカイン・アベル、家庭と連合もカイン・アベルです。すべて二人の息子が対になっているのです。連合を考えるときには、統一を考え、家庭を考え、平和を考え、世界を考えなければなりません。世界を考えるときには、平和を考え、統一を考え、家庭を考え、連合を考えなければなりません。一体なのです。 家庭がそのようになってこそ、神様が臨在できる世界代表の主人……、平和の主人、統一の主人、家庭の主人、連合世界の統一天下の主人となるので神様が臨在することができるのです。 ですから、人自体も一人では行けません。今後は、人事の措置さえも家庭単位で行います。なぜでしょうか? 夫婦一身です。夫が責任者ならば、女性は副責任者です。その息子や娘が、あらゆる実力基準において優秀ならば、彼らを重要な部署につけて、家族的に配置することができるのです。 自分の氏族の中で優秀な人を選出し、国民の前に立てて推薦を受けるような時が来るのです。ですから、父母が自分勝手にはできません。大統領になったとしても自分勝手にはできません。父母が一つにならなければなりませんし、父母が一つになれば、親子が一つにならなければなりません。父母を中心として長男と一つにならなければなりませんし、長男を中心として弟や妹が一つならなければならないのです。そうなれば、非行に走るようなことはないのです。 夫は勝手にはできません。今までは、女性が干渉できませんでした。これからは違います。副責任者です。 そのような時代に移行していきます。今すぐにしなければなりません。二千年を越えて国家的時代に入れば、間違いなくこのような組織体になるので、父親が大統領であったとしても勝手にはできません。母親の承諾を得なければなりません。み旨の道に忠誠を尽くす母親が、勝手にみ旨を放り出して、道を外れるようなことはできないのです。 また、父母は自分たちの行くべき道を知っている長男の前で、道を外すことはできません。父母がどうあるべきかをすべて知っているのです。弟や妹は、兄がどうあるべきか、父母がどうあるべきかを知っていますし、自分たちも父母に黙ってこっそり通過できません。全体で家庭会議を開いて、すべてを収拾しなければならないのです。 家庭が平和の基準です。家庭が世界を代表することのできる平和の基準、統一の基準、連合的基準になるということを知らなければなりません。したがって、単一の人事措置ではありません。家庭です。ですから、今後は立派な家庭が出世することでしょう。そのような時代が来るのです。 今後は、組織をどのようにすべきでしょうか? これは原理的に行わなければなりません。組織には今後、学生がいるのです。中高生、大学生、大学院生……博士コースを正式にたどれば二十四歳まで含まれます。 このように見るとき、二十歳前後を中心とした学生たち、大学に籍を置く者たちは、「世界平和総学生連合」に加入するのです。そして、大学を卒業して社会に出た人々は、皆兄になるのです。カインになるのです。そして、社会に出て政党と連結するのです。 これを家庭と連結させなければなりません。学生を中心としては家庭、青年を中心としては国と連結します。国はカイン的です。何もかもカイン的なのです。政党や国など、あらゆる機関が今まで統一教会に反対してきました。統一教会に今まで反対してきたあらゆる政府が、カインの立場に立つのです。 しかし、学生たちは母親を中心として家庭に通じるのです。ですから、これからは母親を中心としなければならないのです。王権時代になれば、青年会と学生会が一つにならなければなりません。今まで女性たちは、そのような系統を立てることができませんでした。歴史以来、長子と次子が一つになって、母親を天のように侍るという伝統を立てることができなかったのです。本然の母親が現れなかったからです。今は本然の母親が、長子権復帰と父母権復帰をして、母親復帰圏に入ったので、母親を中心として見るとき、長子と次子は母親の名のもとに絶対服従しなければならないのです。 服従するようになれば父と連結します。父の代を引き継がなければなりません。天国の祝福をすべて母を通じて……、母の伝統を受け継ぎ、父母の伝統を受け継いで代表となるのが長子であり、長子と長子の伝統を受け継ぐのが次子なのです。 それゆえ、父の命令に対して母が絶対服従し、母の命令に長子が絶対服従し、長子の命令に弟が絶対服従しなければならないのです。このようになります。そのような家庭にならずしては、神様に侍る家庭にはなれないのです。これが原理的な総観です。 統一教会において、もともと原理研究会は、中高生を対象とした成和学生の組織から始まりました。成和学生から始まった原理研究会の組織を中心として、そこには兄の組織もなく、女性組織もありよせんでした。国家的なあらゆる試練を経て、母親を中心とし、ようやく南北の統一的な条件的カイン・アベルの形態を経て、女性連合が創立されたのです。 復帰しなければなりません。出産しなければならないのです。ちょうどそのような組織なのです。その基盤の上に「世界平和統一家庭連合」が出てきたのです。その創設大会を開いたのは昨年です。ですから、一番最後に「家庭連合」が出てきたのです。本来は昨年の七月三十一日までに終えるように言ったのですが、一日遅らせて八月一日までにすべてを終えました。陰暦では七月中に行ったということになるのです。そのようにしなければならないのです。 これで形が整いました。家庭が定着できる「世界的な家庭連合」になったのです。はじめは、世界的な女性連合の組織が必要なのです。それから世界的な青年連合、世界的な学生連合をつくったのです。この学生連合は、縦的な直においてカイン・アベルです。中高生をしっかりと教育しなければなりません。それができなければ、またカインが生じるのです。 国家的メシヤになれば、王権復帰時代を迎えて、それをすべてパスできる憲法と法を制定しなければなりません。万年無事通過という法をつくることができるのです。そうして小学校から中学校、高校と、すべて法による教育をしていくのです。 多くの礼式をもつ宗教は必要ありません。家庭礼式、単一礼式です。平和の単一礼式、統一の単一礼式、家庭の単一礼式、連合の単一礼式なのです。それが家庭です。家庭の中には父や母や息子や娘がいます。それを延長した族長にも、父や母や息子や娘がいるのです。民族長にしても同様です。すべて家庭が中心なのです。家庭を中心としてすべてが成立するのです。家庭が核なのです。 天国に行っても、神様と真の父母を中心として家庭的な核は、同様の公式なのです。公式となる立場に立つので「代表的家庭」というのです。代表的家庭ですから、進む道は水平線です。山もなく谷間もありません。 復帰摂理の核を組み合わせてつくったのが、この家庭盟誓文です。私たちが盟誓文をもったという事実は驚くべきことです。 今回先生が講演した内容、盟誓文をつくって説いたすべては、旧約と新約という主流宗教の思想ですが、第一アダム、第二アダム(イエス)、第三アダム(再臨主)……、それがいかに完成するかという要点さえ、しっかりとしていれば、宗教は必要ありません。儒教もその道をたずねていかなければなりません。仏教もその道をたずねていかなければなりません。何々経といったものは一切必要ありません。よこしまなもの、消耗的なものはみな、一挙に焼かれてしまうかも知れません。 世界基督教統一神霊協会も必要ありません。家庭が定着すれば、世界と通じることができる「代表的家庭」になるので、エデンで願った神の創造理想の結実が現れなければなりません。息子、娘を中心として横的に拡大すれば、それが神様が願われる氏族となり、自動的に民族となります。自動的に国家にもなります。そうですか、そうではありませんか? ですから、宗教は必要なく、サタン世界の血族は必要なく、単一国家になるのです。それで、世界・平和・統一・家庭・連合です。これですべて終わりです。家庭は一人ではありません。 アダム家庭のすべてを解消しなければなりません。それはイエス様がなすべきことでしたが、なせませんでした。イエス様の時代には何家庭ですか? 一二〇家庭です、一二〇家庭。先生の時代には何家庭ですか? 一六○家庭が原則です。本来は一八〇家庭ですが、それは一六○家庭と内容的にも価値的にも対等であるため、多くを蕩減しなくてもいいように、一六〇家庭としたのです。本来は一八〇家庭です。 家庭というものは、そのように驚くべきものであり、恐ろしいものです。ですから、家庭盟誓の内容は天宙的な大宣言である、ということを忘れてはなりません。昨年から真の父母が講演する講演文の内容は、家庭をもたなければならないというものでした。これは鉄則です。霊界解放の祝福式をしなければならない時が追っているのです。三百六十万双が終われば、霊界祝福式をします。相手が霊界に行っていれば呼び出して結びつけてあげる時代に入ったのです。ですから地獄世界までも解放されるのです。 世界平和統一家庭連合! その中心は何かというと家庭です。完成した家庭は、完成した男性と完成した女性の絶対性(absolute sex)を中心として、夜もアーメン! 昼もアーメン! 春夏秋冬、一年中アーメン! 万年生涯を捧げてもアーメン! 不平を言うなというのです。どんなことにも不平を言わず、これも感謝、あれも感謝、死んでも感謝、生きても感謝せよというのです。 日本の牧会者たちは皆、鮮文大学の神学校を卒業しなければなりません。それから、UTS(統一神学大学院)まで卒業しなければなりません。今、年配の人たちの中でも大学を卒業した人たちは、二年間を終了し修士学位を取ってから出発しなければ、指導者として中間以上のレベルに立つことはできません。ですから大学院を卒業しなければ、中間レベルの指導者にはなれないのです。 すべての機関長も、今後神学校を卒業しなければなりません。霊肉が一つになっているため、霊的基準を受け入れることのできる相対的な立場に立とうとすれば、神学校を卒業しなければなりません。 自分の特性に合わせて職業をもったとしても、統一教会の信者たちは専門的な学科を卒業したとしても、二年間は必ず神学校を経なければならないのです。そうしなければ今後責任者にはしません。なぜならば職場は外的教会と同じです。内的教会とか外的教会とか、すべての道は、拍子や呼吸が合わなければなりません。 呼吸するとき、息を吸ったり吐いたりするのは相対的です。そうではありませんか? 息を吸うのは短く、息を吐くのは長い、ということはありません。すべて同じなのです。それと同じく、呼吸を合わせようとしたら、霊的なあらゆる知識的基盤が同じでなければならないのです。それでこそ呼吸が合うのです。それゆえ、どんなに職場にいたとしても、信仰的に解決した基盤の上に立たなければならないのであって、事業的基盤の上に立って信仰してはならないのです。信仰的基盤の上に立って、事業的な面を解決しなければならないのです。 そうなると、これからは協会が問題なのです。統一家庭が願うことは何ですか? 家庭が願うことは何ですか?「世界平和統一家庭連合」が願うことは何ですか?「世界平和統一国家」を願うのです。そうではないですか? 国家がありません。国家を完成すれば世界です。世界がなくなります。自分が世界になるのです。自分が世界平和統一家庭になりませんか?「代表的家庭」になって、「中心的家庭」になれば、すべてが完成するのです。それがなされていないので、橋を架けていかなければならないのです。 では、統一教会の旗と、世界平和統一家庭連合の旗はどうなるのでしょうか? 世界平和統一家庭連合は、現在使っている家庭連合の旗を使います。今まで統一教会が使ってきたマークは、国家を象徴しています。私たちには国がありませんが、それは国旗になるのです。 ですから、どんな大会であれ、必ず右側には過去に使っていた統一旗をさし、左側には家庭連合旗をさせばよいのです。家庭連合は、統一教会の国家を求めゆく道を行けばよいのです。それが成されていないので、右側の天を中心としていかなければならないのです。 これからはそれが問題です。そして、統一教会の教会組織はなくなります。なくなるというのは何かというと、組織はそのまま続けて、名前だけを変更するのです。国家に公告し、統一教会の名前を変更すればよいのです。 かといって、教会の原理の本が変わるわけではありません。教える原理の本はすべて同じです。家庭が定着しなければなりません。教会というのは個人の救いでした。今まで宗教というものは、個人の救いを目標としてきたのであって、家庭の救いを目標としてきたのではありません。誰もが皆出家をしました。家庭を捨てていったのです。時代が違うのです。 どんな宗教であろうと、個人の救いを目標にするのであって、家庭の救いや、氏族の救い、国家の救いという話はしません。統一教会は家庭を中心として、国家の救い、世界の救いを説いています。それゆえ、世界を再創造しなければならず、国を再創造しなければなりません。投入して再創造しなければならないのです。 分かりましたか? 過去の統一教会はなくなります。なくなるのですが、存在しなくなるのではなく、名義を変更するのです。ですから、名義を変更して新聞公告だけ出せば、何の差し障りもなく、宗教法人であろうと何であろうと、そのまま通過するのです。「世界平和家庭連合」ですが、名義を変更して、そこに「統一」という言葉を一つ入れればそのまま使うことができるのです。 統一教会を掲げていけば反対する人はたくさんいますが、「家庭」という言葉を入れたので反対する人はいません。マフィアも、やくざも反対できないのです。マフィアも家庭が問題ですし、やくざも家庭が問題なのです。「歓迎いたします」、「おもてなしをします」と言いながら、ついてくるようになるのです。こんなにもいい名前を使わずにはいられるでしょうか? 世界基督教統一時代は過ぎ去りました。世界統一の方が早いのであって、キリスト教の統一は一番最後です。それなのに、どうして「世界基督教」をつけて回るのですか? そして「神霊協会」ですが、神霊も必要ありません。神霊の実体になったのです。座って誰もが皆、神様と語り合える時代に入ったのです。祈祷をして神霊の役事を受けなくてもよいのです。良くないときは、すべて教えてくれるのです。心がそのようになるのです。次第に明るくなります。統一教会の原理だけ聞いて、そのみ旨の世界に方向さえ合わせれば、自然に聖化されて、天と通じるようになるのです。必ずそのようになっています。心が変わらずに、行く先さえ正していけば……。 飛んでいく矢はまっすぐに行くのであって、勝手に行ったり来たりしますか? 皆さんは放たれた矢のようなものです。ターゲットに的中しなければなりません。皆さんは、「世界統一国家」というターゲットに向かって飛んでいく矢のようなものです。途中でどこかに行って留まるということはあり得ません。 今や組織を編成すべき時が来ました。体制をもって生きなければならない時です。一人ではなりません。組織編成をしなければなりません。 神様の経綸を見てみると、アダム家庭に対する組織編成、イエス家庭に対する組織編成、再臨主家庭に対する組織編成、このような話が出てきます。 アダム家庭に対する組織編成は家庭形態ですが、それは世界の手本となる内容を備えた組織編成なのです。そのような内容を、イエス家庭を中心として国家的基準で実現しようとしたのです。そのような国家的編成の基準が立てば、アダム家庭の完成はもちろん世界的完成に至るまで、その標準基準となる組織編成がなされたのです。 しかし、それを果たせずしてイエス様が亡くなったので、その組織編成が、世界を中心として再臨主時代になされるのです。その再臨主は世界的分野です。世界完成をするには、アダム家庭の完成オーケー、イエス家庭の完成オーケー、滞りのない体制を整えて、家庭から世界に到るまで高速道路を通って走れる組織編成にならなければならないのです。 では、再臨主の家庭を中心とした組織編成はどのようになるのでしょうか? これは世界的です。天宙的です。それは天の事実を知らなければ分かりません。霊界を知らなければ分からないのです。霊界と一体化し、霊界と共に地上で組織編成をしなければならないのです。 第三次アダム時代の組織編成の完成は、第一次アダム時代の完成はもちろんのこと、第二次アダム時代の国家組織編成の完成、その次には世界まで拡大されます。その世界というのは、地上天国と天上天国になるので、一つにならなければならないのです。 霊界にいるすべての霊人の願いは、堕落していない本然の世界、理想的な第三次アダム以上の基準における組織編成です。人間世界も同じです。そのような組織を編成して、霊界と対等な立場で息を合わせなければなりません。 今後、統一教会を解体したとしても、霊界を通じてすべてを連絡できる組織編成がなされるということを知らなければなりません。アダム家庭的な組織体制でも、イエス様の国家的体制でもありません。世界的体制なのです。この世界的体制というのは、霊界とバランスが取れているのです。そこにすべての国家的体制も、家庭的体制も入るのです。ですから、自分の家庭体制を越えなければなりません。国家体制を越えなければなりません。家庭体制、国家体制を越えなくては、その世界に入っていくことができません。 今日集まったのは他でもありません。このようなことを教えてあげるために集めたのです。アダム家庭の体制、イエス家庭の体制、再臨主家庭の体制は、それぞれ異なるのです。イエス様はローマを越え、世界的段階を越えて、天を救うことができませんでした。統一教会は今やそのような立場を越えたのです。ですから、王権時代を叫んでいるのです。今回の三百六十万双の祝福さえ終われば、霊界祝福が行われるようになります。 このような驚くべき役事を前にして、この地上において歴史に一度しかない……、二度とない天地開闢が起こるのです。天上世界、霊界の門が開くこの役事を、地上の私たちがなせるということは、とてつもないことなのです。輝く歴史を私たちが……、転換時期に一度しかないこのような時代において、岩を押し除け高速道路を築くにあたり、その道を開拓できるということは……、食べられず、非難され、育ててくれる人の血を見ながらも、感謝し、賞賛に値することなのです。 ですから、今は三十三人を世界的に組織しなければなりません。国家団体に三十三人、州に三十三人、それらを中心として、六大機関に七百八十名をすべて編成せよというのです。それは郡でも可能であり、面(町)でも可能であり、班(字)でも可能です。そのような組織をつくらなければなりません。過去においては、上から下まで通じる系列、天の組織から地の組織まで通じる系列、班(字)まで通じる系列がありませんでした。段階がありませんでした。今ではそのような段階ができるのです。 今後、班(字)で形成され、里(村)で編成され、郡で編成されるのです。国でしなければならず、道(県)でしなければならず、郡でしなければならず、面(町)でしなければならず、里(村)でしなければならず、班(字)でしなければなりません。班(字)において七百八十名がいれば、三十三名を中心として比例数で広げていき、七百八十名を完結していく発展を図らなければならないのです。 三十三人を中心として、七百八十名を教育しなければなりません。公式です。ほかの人たちを伝道するなというのです。それに乗っていくのです。ほかの人を伝道してはならないのです。 そして、すべてに「女性連合」をつくらなければならず、「青年連合」をつくらなければならないのです。七百八十名になれば、その女性たちを中心として息子や娘、夫がいるので、「青年会」をつくることができ、「学生会」をつくることができ、「家庭連合」をつくることができるのです。これは見込みのない話でしょうか、不当な話ですか? 見込みがあるので、私がつくってあげたのです。ただなんとなくやっているのではありません。 調査委員(韓国の世界日報社の民間リポーター)も同じです。妻に祝福を受けさせ、その次は息子と娘を押し込み、その次はみんなで家庭連合に入らなければなりません。 ですから、女性連合と青年連合と学生連合が必要なのです。自分の妻を女性連合に入れなさいというのです。自分の長男がいれば青年連合に加入させ、学生がいれば学生連合に加入させ、それから祝福を受ければ家庭連合になるのです。金城鉄壁のような基盤が、順理的な環境において、その国の中心体制を築くことができるのです。 それさえつくっておけば、祝福を受けたので誰も奪っていくことができません。サタンも否定することができないのです。七百八十名に教育さえすれば、すべてが終わるのです。その次は、国が反対しようが、何をしようが、その息子と娘を中心として、親戚を中心として、遠い親戚、娘婿や嫁までを押し込んで、祝福を受けさせればいいのです。 カイン・アベル、長子圏を復帰した時代に入ったので、母親に従って、母親の命令に絶対服従し、長子の命令に絶対服従する時が来ました。一人でやれというのではありません。ですから調査委員として家庭にいる妻を抱き込み、長男と次男を抱き込んでこそ大きなことができるのです。そうでなければ水の泡として消えてしまうのです。 そして、今日ここに来た人々を中心としても同じです。学生であれば皆、母親を抱き込み、妹を抱き込み、兄を抱き込み、弟を抱き込まなければならないのです。原理的な推進方法、体制方法に従わなければならないのです。 こうして祝福を受けることによって、はじめて再臨主が自らの父の立場に立つようになり、天に属するようになるのです。祝福を受けなければなりません。ですから、祝福家庭が何をすると言いましたか?「世界平和統一家庭連合」になるのです。そこに神様が臨在し、神様が役事するのです。それを中心として役事するので、再創造の火がつき、ぐるぐると回転運動をすれば、環境が知らず知らずのうちに引っ張られてくるのです。周りにいる先祖たちが降りてきて、霊的に教えてくれるのです。霊的に一つになって運動をしなければなりません。 このように、この体制を中心として今後は、国で祝福したら郡で祝福し、郡で祝福したら面(町)で祝福し、面で祝福したら里(村)で祝福し、里で祝福したら統・班(字)で祝福するのです。そうすることで、祝福の恵沢圏が上から下まで、地にまで至り、霊界がその下についているので、霊界祝福時代に連結されるということを知らなければなりません。そうでなければなりません。地に着地しなければならないということを知らなければならないのです。 家庭連合というのは、着地するためのものです。地に着地することによって、新たに霊界が下についてくるのです。それを連結してこそ復帰することができるのです。 今までは愛し合う者同士が霊界に行っても、皆離ればなれになっていました。霊界に行けば、自分の度数に合った基準の霊界に入っていくのです。霊界に入ると、ビデオ・デッキのボタンのようなものがあります。それを押すと、自分がどのように生きてきたかがすべて現れるのです。すべて記録されているのです。そうして「この者は○○番!」という声がすると、その番号の所に自分を連れていく人が、既に来ているのです。そこへ行くのです。家族が十人いたとしても、心霊基準が皆異なるため、ばらばらになってしまうのです。会うことはできません。 これからは、それから解放されるのです。地上において、霊界に行っている愛する人たちを霊界祝福してあげられるのです。大母様も大兄様もそのように祝福してあげたのです。忠母様も祝福してあげました。 霊界にいる人たちを祝福してあげたのです。その門が開いたのです。それでこそ、地獄の解放が可能なのです。エデンの園の堕落していない本然の世界、天国に入る一方的な通行として天国編成を完成したと言える基準を、地上で分裂した個人や家庭をかき分けて世界的に編成するのです。それを一斉に組み合わせることによって、地上天国と天上天国の統一圏が展開し、神様が解放されるのです。(二八三‐一九、九七年四月八日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.19
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23.02.18 09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ [LIVE案内Ⅱ]02.19天苑宮天勝教会 平和ヌリ(AM09:00~)
2023.02.19
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天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会の講演文真の父母経 - 第13篇 - 第1章 - 第5節 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会が、二〇一〇年七月八日に天正宮博物館、七 月二十四日にアメリカ、ニューヨークのマンハッタンセンターなど韓国とアメリカにおいて数回にわたり開催されたのに続き、二〇一一年四月二十四日には、仁 川の松島(ソンド)コンベンシアにおいて、韓国の公職者と食口、平和大使など、一万二千人以上が参加する中で挙行された。真の父母様は、この大会を通し て、神様の祖国と故郷が韓国であることを闡明(せんめい)された。真の父母様は、この日の早朝にアメリカを出発し、長旅の末、韓国の仁川空港に到着して、 休む間もなく数時間後に大会を主管されたのである。そして、その翌日には、ヨーロッパ巡回大会のために長時間、飛行機に乗ってヨーロッパに向かわれた。真 の父母様は、肉身の限界を越えて、すべての摂理を終結させ、人類を生み変える心情で、ヨーロッパ八ヵ国アメリカのラスベガス大会に至るまで、悲壮な覚悟と 決断の中、十ヵ国の世界巡回を断行された。真の父母様は、天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を通し、最終一体を成し遂げ て復帰摂理を完成、完結、完了し、この地に来たすべての責任と使命の完成を宣布された。そして、すべてのことを成し遂げたその基盤の上で、万王の王天地人 真の父母様の立場と権威をもって、定着完了されたのである。この大会を通して、本然のエデンを復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代 が到来したことを宣布されたのである。5 み言が先でしょうか、実体が先でしょうか。今日の宗教では、実体に関することには確信をもつことができず、教えを重要視するので、実体と教えが一体になる というのは、本当に難しいことです。統一教会では、み言が先ではありません。実体があって、その実体が行った事実をみ言で証するので、内外が一致し得る内 容を知ることができるというのです。今まで、宗教界や学問世界において真理を探究するに当たって、問題となっていた焦点を解決するために、実体み言宣布大 会が始まったのです。6 「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」は、み言を宣布する大会ですが、み言の前に実体をもってきました。個人から天地を連結させ、最終的な内容が完 結するものとして、天地人真の父母定着と実体み言宣布と天宙大会があってこそ終わるのです。天地を連結させるというのは、和合統一を意味します。和合が先 でしょうか、統一が先でしょうか。和合が先です。和合しなければ統一されず、自分勝手に進みます。和合統一しなければなりません。体と心を統一できない人 が、統一の主体になる道理はありません。二人が一つになってこそ、息子、娘を一つにすることができます。二つが一つにならなければ、三と四の存在もありま せん。7 天地人真の父母が定着しました。そのため、実体み言を宣布しなければなりません。真理の実体、定着した実体が語る言葉が、宇宙を解放できるのです。それが 実体み言宣布です。天地人真の父母が定着したというのは、実体が定着したということです。ですから、実体み言宣布なのです。8 真の父母様が祈り、願うことは、地に落ちません。天の父母が解放された立場で守っており、それを再び、くじく者がいないので、いずれにせよ成し遂げられる のです。そのように考え、皆さんはみ旨の路程で躊躇する哀れな群れにならないようにしなければなりません。氏族的な世界メシヤの責任を代表する立場で語ったこのみ言は、解放の勝利覇権的自由天地の、自主張(自分の主張どおりにすること)と堕落がなかった それ以前の世界の勝利の栄光を宣布するものです。最初と最後まで一つにしてその結末をつけるための内容を、真の父母様の生涯全体の結実として宣布するみ言 です。それが、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言です。9 天宙父母は無形の神様であられ、天地父母は実体の父母のことを言うのですが、二つの父母が一つになってこそ、人格的な父母になり、天宙・天地・天地人父母 になります。人格的な神様にならなければ、真の父母になれないというのです。神様も、体をまとい、息子、娘を生むことができる人格的な神様にならなければ なりません。10 天宙父母、天地父母、天地人父母という言葉は、言い換えれば、天宙天地人父母です。人にならなければならず、人の父母にならなければなりません。すなわち、人間が神様の代わりに体をまとい、見える神様、見える実体になるのです。神様も体をまとわなければなりません。そのため、無形の天宙父母と天地父母をそのまま受け継ぐのです。霊的な闘いで勝利し、神様と一致するための復帰的な過程を経て、天宙天地人父母になるのです。11 天地人父母は、天宙父母と天地父母が愛を中心として喜びながら、一緒に生活できる無形実体と有形実体が合徳(和合)したものです。霊的神様と実体の神様に 侍る夫婦が先祖になります。先祖は二つではありません。父母は二つにはなり得ないのです。絶対に一つです。父も一つであり、母も一つであり、先祖も一つ、 孫たちも一つです。神様に似て、神様の体と心を展開させて、実体の形状をまとったのです。体をもってこそ、繁殖できます。体をもった天地人父母の家庭は、 天の国の民を相続し、この地から直接天国に入れるように定着して、堕落や復帰という傷跡のない息子、娘、天国に直行できる息子、娘を生んで育てるべき召命 的責任を担っています。12 祝福家庭は、蕩減革命、良心革命、心情一体圏を中心として、八段階を経なければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的王の位置で、神様 を中心として相対になり、縦横に与え合う実体にならなければなりません。地上世界で種を蒔き、天上世界で実を収めるのです。この地上では種であり、霊界で は実です。その愛の実を倉庫に納入させる所が天上天国です。その倉庫に入るために準備する所が地上世界なので、地上世界が完成してこそ、天の国が完成する のです。ですから、天一国主人だというのです。天宙父母と天地父母が完成したものを、皆さんが相続できるので、孝子の王にならなければならず、忠臣の王にならなければなりません。そのようになることができる位置に天は立たせるので、これを固着させて、万世の太平聖代、祖国光復を成し遂げてこそ、解放時代になるのです。13 すべての存在は神様に似ました。神様の愛の実体圏である真の父母の完成のためのものです。ですから、霊的神様と実体の神様が一つにならなければなりませ ん。この実体圏を求めるために父母様は苦労したのです。個人、家庭、氏族、民族、国家など、八段階のすべてが反駁しましたが、砕けませんでした。自分たち が砕けていったのです。彼らは自分を中心とした自我自覚圏を中心として現れましたが、父母様は他我自覚面を中心として、ために生きて投入し、自分のことを 考えなかったので、堕落世界のすべての因縁を抜け出してしまい、神様の体を定着させることができたというのです。そうして、個人的な体定着、家庭的な体定着、氏族、民族、国家、世界、天宙的な体定着、八段階の体定着を通して、聖子の家庭を中心として神様に似な ければなりません。また、真の父母の家庭的形態を受け継ぎ、腹中時代から結婚時代まで再び体験して、神様の心情圏を受け継いで体を完成させて天の国に入る のです。14 実体時代には、体を知っているだけではいけません。実体の体と神様まで知らなければならないのです。実体時代は、本然のエデンを復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代だというのです。天使たちの世界もアダムの命令どおりに動く時代です。神様のみ意のままに動く時代です。その意向に反対することはできません。そこに相対になろうという息子、娘たちになってこそ、永遠の父子関係が結ばれるのです。15 二〇一二年までに家庭的エデン復帰時代を蕩減し、天国に入籍しなければなりません。第四次イスラエル国を中心として、国家圏と宗教圏の一致圏を連合し、真 の父母を中心として天地人父母の安着をもって、無形の世界と有形の実体世界が一つになり、人間を中心としたすべてを完成、結実する天地人定着、天宙天地解 放世界を中心として、地から天に直行できる天国理想の実現を終結することのできる時を迎えました。この時を迎え、宣布したすべてのものが父のみ旨と一致し、私たちが宣言したものが天のみ旨と天宙・天地・天地人父母様の一体理念と一致して、安着できる一和統一の世界に前進するようになりました。16 神様を中心とした家庭には、誰もが安着します。すべてが平安、幸福で、理想のユートピアだという言葉が必要ないので、気掛かりや心配なことはないというのです。生きさえすればよく、すべて成就するのです。ですから、今からは祈るとき、「解放・釈放時代を完了しました。私は安着太平時代を生きなければなりません」と、自信をもって報告しなさいというのです。17 安着という言葉は、すべてのものがぶつからず、永遠に平和で幸福だということです。太平聖代です。その世界がユートピアです。私自身の体と心が争っている とすれば、太平時代があるでしょうか。ありません。根本に入って、無条件に父母様の言葉が正しいと信じ、その場に立って、「私はそうである。天地が変わっ ても、太陽が落ちても、私は変わらない」と言わなければなりません。「天変地異が起きても、私は変わらない」と言わなければならないのです。星が落ち、太陽が落ちても、つかの間です。その上に立っていなさいというのです。安着してこそ、そこに太平時代が訪れます。その時代は、個人生活圏 ではなく、歴史を超越したものです。すべての人が神様の代わりに安着太平圏時代を迎えてこそ、幸福な理想世界になります。ユートピア世界になるのです。そ れ以上はありません。
2023.02.15
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第三十八回真の父母の日記念礼拝1997年4月7日水澤里中央修練院 ここに日本の食口が七百名余り集まりましたが、ヨーロッパの食口は何名集まりましたか? (ヨーロッパの食口はあまり集まれませんでした)。 日本の食口たち、皆、何か韓国語で通訳するのを皆、(耳に)挿しましたか? 日本のメンバー全部、手を挙げてみなさい。 今後、韓国と日本は一つの国にならなければなりません。もちろん、全世界が一つの国にならなければなりませんが…。平和の世界には二つがありません。神様のみ旨から見るときには、韓国と日本は一つの国にならなければなりません。 一つの国になるにおいては、いっぺんではなりません。皆さん、氷が凍るときも、氷点があって、一点から周囲に広がっていくように、一つの国から二つの国、二つの国から三つの国、四つの国さえできれば、四方に拡張されうるのです。このようなことを知るとき、私たちはみ旨の中でも民族を超越し、国境を超越し、人種を超越し、宗教、習慣、風習を超越した中で、一つの民族のために挺進しなければなりません。その民族の出発が家庭であり、家庭を中心として兄弟がおり、兄弟を中心として家庭のためには全部、男性と女性、兄さんと姉さん、このような関係があるので、そこから一つにならなければなりません。 まずは体と心が一つになって、その次には兄弟が一つになり、上下関係、天と地、父子の関係、それから左右関係、夫婦関係、前後関係が一つにならなければならないのです。絶対的な一つの家庭から、絶対的な一つの民族が現れることができ、絶対的な一つの民族から絶対的な一つの国家が現れうるのです。絶対的な一つの国家から絶対的な世界と絶対的な宇宙が現れるというのは、理論的なのです。 そのような意味で日本の食口たちがここに参席するのは、摂理史から見るとき、重要なのです。今年で言えば、これは三十八回ですが、周年で言えば三十七周年です。これが二〇〇〇年代まで三年残ったので、二〇〇〇年代まで私たちが世界に行かなければなりませんが、その間にすべき仕事がたくさんあります。 全世界の前に統一教会が平和の一つの世界、統一の一つの世界、摂理的な地上・天上世界、統一の世界に行くことのできる方向を提示するのです。方向を中心として全人類が同じ歩みで、個人の峠を越えるとか、家庭の峠を越えうる動機と源泉をつくるべきなのが、わが統一教会の使命です。 このような観点からそのような環境的要件が必要です。神様が天宙を創造するとき、環境を先につくりました。海をつくり、水と空気、大地をつくったのです。そのようにつくった環境の中は、必ず主体と対象の関係からなっています。これが再創造の公式路程になっています。 救援摂理は復帰歴史、復帰歴史、復帰摂理は再創造歴史、再創造歴史というものは公式的な過程、神様の原理原則的な過程を経ていきますが、公式的な過程の第一が何かというと、神様が環境を創造し…。その環境の中には必ず主体と対象があるのです。 それゆえ、鉱物世界にもプラス・イオンとマイナス・イオンがあり、植物世界には雄しべと雌しべ、動物世界はオスとメス、人間世界は男性と女性からなっています。主体と対象が相対的な理想圏が環境を吸収、消化し、発展するのです。このような公式的な路程になることでしょう。 それから、今日、私たちが摂理観点から見るとき、統一教会が世界的な平和を成さなければならないなら、環境をつくらなければなりません。環境はどんな環境でしょうか? 平面、水平環境をつくらなければなりません。水が水平になるのと同様に、山があるとか、川があるとかすれば、必ず川を越えなければならないし、山を越えなければなりません。それは水平と関係できないのです。ですから、摂理史的に見ると、全世界が一つの水平線に立たなければならないのです。 その水平基準が何かというと、男性と女性が対等でなければならず、体と心が対等でなければならず、少なくとも男性たる夫と、女性たる夫人は同等でなければならないのです。そのような父母を中心として父母が子供を産めば、父母が子供を中心として一つにならなければなりません。何を中心として一つにならなければならないのでしょうか? 変わらない本質を中心として、一つにならなければなりません。それはお金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。それは何かというと、真の愛だというのです。こうなります。 真の愛を中心として体と心が一つにならなければならず、体と心が一つになるそのような自体が夫婦にならなければならず、真なる夫婦が絶対的な基準で、真なる子女を中心として家庭の上下関係、左右関係、前後関係が完成するのです。一つの愛を中心とした家庭を中心として見ると、東側も完成であり、西側も完成であり、南側も完成であり、北側も完成であり、上側も完成であり、下側も完成になるのです。そのような家庭を成さなければならないのです。そのような家庭が千個、万個、数億入ることができるものが、世界として発展するからには、そうすることのできる環境与件をつくらなければ、復帰摂理の全体目的を完成することができません。 このように見たので、摂理史に責任をもった先生としては、この環境をどのように標準化させるかというのが問題でした。 ところで、統一教会が今まで出てくるにおいては、環境を標準化させうるその基準がありませんでした。いくら世の中が準備されたとしても、そこに主体的な立場で立つことができませんでした。そのようなことを消化しなければならないのです。それゆえ、個人から問題になり、これを拡張させて氏族編成、民族編成して世界環境をつくり、家庭を成すことのできる環境圏内で祝福の道を開拓してきたのが今までの統一教会においての合同結婚式です。 一番初めに三家庭です。三家庭、三人の息子・娘を中心として三十六家庭から今まで三百六十万双まで、十二の峠越えます。アリラン峠が十二の峠だという話があるでしょう。それが皆、摂理的な意味があります。春夏秋冬、四季を中心とした十二月を越えてはじめて新年を迎えるのと同じように、天地のすべての堕落した誤ったものを、再び立て直すためには、そのような無数の峠を越えて、平準化させなければならないと、このように見ます。 平準化するのに、何から平準化しなければならないというと、いくら低いところから平準化されたとしても、高いところが平準化されないのです。ですから、高いところからこれを平準化しうる環境をつくるのです。そうしてみると、先生が今まで摂理路程において、逆説的な路程を行ってみると、相反が起こるのです。この世ではこのように上がっていくのに、上から下っていくのです。それゆえ、相反的なすべての限界線を越え、水平化しうる歴史的な路程を開拓しようとするので、アダム家庭が失った長子権復帰、父母権復帰、王権復帰という内容を中心として小さい家庭ですが…。(黒板に書かれながらお話しされる) 長子権、父母権、王権、ここ、これは家庭ですが、これを中心として八段階だというのです。家庭、氏族、民族、国家、世界…。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ六つ、七つ、八つ。これ、この家庭のようなものを、復帰路程では一家庭だけ処理してはだめなのです。一家庭を中心として氏族的過程を経て、民族的過程を経て、国家、世界、天宙、神様まで連結されるのです。 そうなれば、長子権家庭一つが成されれば、家庭で終わるのではありません。氏族的家庭復帰基準、父母権復帰基準、王権復帰形態を成していくのに、サタン世界が、行くその道に反対するのを押しのけ、消化するのです。 こうして、一九九二年四月十日までに、お母様を中心として世界平和女性連合を創建しましたが、お母様がお父様と同等な立場に立つためには、エバが堕落して落ちた八段階の過程を越えなければなりません。越えてきて、ただそのままお母様の立場で先生と対等な立場には立てないのです。これを全部、蕩減復帰しなければなりません。外的な世界と内的世界が本然のアダム家庭で創造理想の真なる愛を中心として、夫婦が平均的な基準に立たなければならないのです。これは世界的です。この八段階全部がこのような原則に一致しなければならないのです。全部が代表だというのです。 これなので、アダム家庭のアダムとエバ二人を見るなら、体と心を中心として四つの分野が一つになって、水平線にならなければなりません。 私たち個人では体と心が一つにならなければならないのは、絶対的だというのです。体と心が一つにならない人は、真の愛を中心として対することができないというのです。なぜ、そうでしょうか? 創造原則がそうです。環境圏内には必ず絶対的な主体と対象が一つにならなければなりません。何を中心として? 愛を中心として。このようになるのです。 ですから、男性なら男性としての個人的立場で、真の愛を中心として体と心が一つにならなければなりません。女性なら女性が体と心が一つにならなければなりません。体と心が一つにならなくては、結婚できないのが創造原則だというのです。 このように見るとき、ここに来た人のうち、祝福を受けた人、手を挙げてみなさい。大多数が祝福を受けたのですね。では、体と心が一つになる中で、自分の体と心が一つになり、自分の愛する相対が体と心が一つになった基準で、真の愛を中心として一つになった立場で祝福を受けたのでしょうか? 皆さん、自分たちが祝福を受けましたが、体と心の闘いは相変わらず続くのです。これはどうしてかというのです。霊的な真の愛と因縁づけられていないからです。この根が連結されていないからです。皆さん、そうではないですか? 聖霊を受けなければ救われないという話があるのです。 お母さんとお父さんが、体と心が一つになった愛を通しておなかの中に入って生まれる人間にならなければならないのです。このような観点から見るとき、堕落した父母によって体と心に相反が生じたお母さんとお父さんによって、愛を中心として結ばれ、妊娠したその赤ん坊たちも、お母さんとお父さんのように体と心が分立した立場に立つので、天国とは縁がないのです。 堕落したすべての後孫たちは、神様の愛と関係なく追い出された先祖の後孫です。追い出された先祖の後孫は体と心が闘い、夫婦同士争い、父子の間で争うのです。闘争の概念がその家庭に残っているというのです。これを完全に整理すべきなのが祝福された家庭です。祝福された家庭が一番初めにすべき整備作業だということを知らなければならないのです。お分かりですか、何の話か? (はい)。 アダムとエバの体と心が分かれたその日から今まで、歴史は数千万年です。聖書で言えば、六〇〇〇年ですが、数千万年の歴史を経てきました。創世以後に数千万年経てきながら神様が願われたのが何かというと、男性と女性が体と心が一つになって、堕落せず、本然の神様の絶対的な心情と一つになった息子・娘一つになった息子の体と心が絶対的に一つになった息子、体と心が絶対的に一つになった娘二人が絶対的な愛の対象になるのです。神様が主体なら、対象の立場で完全に一つになりうる愛のパートナーとして立たなければならないのです。ここで生まれた息子・娘を愛するべきなのが本然の基準です。これをいつも念頭に置かなければなりません。これがあの世に行っても、皆さんの修養の道として残っているのです。ご父母様がおり、天といくら近くに行きたくとも、そのような環境的な与件が創造本然の形態と一致せずには、そこに和合することができないのです。水平なのです。別です、変わるのです。水平になるようになれば、同じ風が吹くようになれば、同じ波動で全体の環境に、池なら池、海なら海に波打つ可能性がありますが、分かれれば、次元が変わるのです。このような原則です。 何だかんだいっても、私たち人間において一番切迫した課題が何かというと、皆さん、この地上でよく食べ、豊かに暮らすことではありません。一番重要なのが何かというと、体と心を、絶対的な神様の愛の前に一つにすることです。神様の前に自分の体と心が一つになれば、水平線に上がりうるのです。 幼い赤ん坊たちがお母さんに対しても、お父さんに対するのと同じです。赤ん坊たちがお母さんの懐に抱かれ、お母さんの胸をかき分けてお乳を吸うとしても、お母さんが歓迎することができ、赤ん坊もそれを日課と考えるのです。赤ん坊たちがいつもお母さんの体と心と一体化しうる自然的環境をもつのと同様に、皆さんが霊界に行って、神様が父母なら父母を中心として、同じ心情的基準にならなければならないのです。皆さん自体が神様の愛の懐に入って、自由に相反なくお乳を吸い、その懐で喜びの相対者になるかという問題を、いつも考えなければならないのです。そのように一度も育ってみることができませんでした。お分かりですか? (はい)。 そのような観点から真の父母とは何でしょうか? 真の父母が願うのは何でしょうか? 今日、この地上にこのようにアダム家庭に定着できない男性と女性の闘争、夫婦の闘争、一族の闘争…。闘争歴史だというのです。一族が争い、それから国家が全部、怨讐です。韓国の人たちはどこに行っても皆、けんかをすることで、とても有名な連中です。それはサタン側近くにいるからそうだということをお分かりになり、皆さんが歴史を代表してこのことを清算すべき先頭的な総責任者にならなければなりません。それがだれかというと、統一教会の食口です。 さあ、そうなれば、それが理解できなければ、皆さん、見てみなさい。五官がありますが、五官が、五官のために生まれたのかというのです。そうなれば、目が目のために生まれましたか? 目が目を見るために生まれたのかというのです。何を見るために生まれましたか? 相対を見るために生まれたのです。鼻は鼻のにおいをかぐためのものではありません。手は手を触るためのものではありません。耳は耳の音を聞くために生まれたのではありません。口が自分の口のために話すのではありません。同じように、全部、相対のためです。このようになっています。相対のために。 そこには、根本から自分がありません。相対のためにすべてのものが発生する。このように見るのです。そのような五官をもった男性と女性を見れば、女性はだれのために生まれましたか? すでに女性という言葉を、女性という言葉を語る前に、男性を認定して語る言葉です。男性を認定せずに女性という言葉はありえますか? 女性という言葉はすでに男性を先有条件として認定して言う言葉です。それゆえ、女性がいる前に男性がいました。男性という言葉は男性一人をおいて男性という言葉を語ることができないというのです。女性が先にいることを先有条件として言う言葉だというのです。それゆえ、男性が生まれたのは、女性のために。このようになるのです。女性が生まれたのは、男性のために。そのような関係になっています。これは否定できません。 私たちのすべての五官は自分のために生まれたものは一つもありません。では、このように見るとき、目も二つです。目も二つですが、一つの目は上に上がり、一つの目は下に下がろうとしますか? 上がるとき、いっしょに上がり、回っても、いっしょに回るのです。鼻もそうです。一方の鼻は気分よく息をするのに、一方の鼻は塞がってはだめなのです。同じです。全部、同じです。耳もそうです。全部、聞く場合は、同じ波動を中心として、いっしょに共鳴する立場でよく聞こえるというのです。聞くとき、同じ音波を出せるようになり、言葉もそうであり、言葉も唇が少しだけ、二ミリメートルだけ違っても、人の声が変わります。 すべてのものが、主体・対象関係が一致するところであらゆる調和を成すのです。どんな調和? 円満な調和、水平的、水平を描き、垂直を描くのに、差がない円満なサインカーブ中心として、波動を成していくのです。 このように見ると、全部が主体・対象関係を協力させ、連合させ、理想的に動く五官をおいてみるとき、私たちの体と心がどのように相反が起こるのでしょうか? 体と心がなぜ相反が起こるのでしょうか? これが問題です。 細胞なら細胞、あらゆる環境は必ず主体・対象関係からなっていますが、人間という自分の人格自体をおいてみると、主体・対象が、なぜ相反が起こるのかというのです。このように見ると、構造的立場で人間が誤ったというのです。体とか心だとかある一面が誤ったというのです。ところで、心は誤りえません。心はいつも善を追求します。いくら酒をよく飲み、酒に酔って喜んでも、家に帰ってくれば何かもの悲しさを感じます。気がかりが前を遮っているというのです。それは一つになっていないからそうだというのです。 それゆえ、体と心の一致をどのように成すかというのが一番問題になります。先生が霊界の体験をしてみると、一番苦衷的なことのが、霊的恩恵があれば必ずサタンの役事があります。一度だけでなく、三度あります。これをどのように統一させるかという問題になるのです。その根源を掘り下げてみると、エバが堕落の動機になって、エバが失敗したのは、エバがこの地上に来て、女性として男性三人をやりこめたというのです。 アダムをやりこめ、それからイエス様をやりこめ、来られる再臨主までなのです。新婦たるキリスト教が文総裁を追放してしまいました。死ぬ死の場に追い出したのです。三数というものはサタン世界で、蘇生、長成、完成の三数過程がかかっているので、それを越えていくためには、必ずサタン世界から試験をします。必ずこの過程を経なければならないのです。ですから、三大過程になっているのです。一、二、三、全部三数になるのです。 それから、体と心を中心として体と心が、三数基準が何かというと、一つになることです。それが何かというと、愛というものなのです。分かりましたか? あなたたちが愛を中心として、体と心が一つになっていないのです。結婚して、最初に出会って、互いに尋ねるのです。とりわけ女性たちが尋ねるでしょう。あなたは体と心が一つになって私を愛するのかというのです。 一つの心をもって愛するのかと尋ねるのです。そうすれば、そうだと言うでしょう。そうだと答えたその夫が、体と心が一つになった立場で答える人は一人もいないというのです。うそに抱かれて暮らすというのです。なぜでしょうか? うそから堕落したので、うその歴史を否定させることはできないというのです。このような根本問題に帰ります。 では、きょうが何の日ですって? (真の父母の日)。真の父母の日。何回ですって? (三十八回)。三十八回になり、周期では三十七周年です。今から三年だけたてば、二〇〇〇年になるのです。私たち統一教会において二〇〇〇年までに全世界の万民たちが祝福の恵沢を受け、平面水準に立たなければならないというのです。山があってはだめだというのです。これをしなければなりません。霊界と肉界があるなら、これが水平にならなければなりません。これが一つにならなければならないのです。そうするためには、心と体が一つにならなければならないのです。(板書されながらお話しされる)。これが一つにならなかったのです。それが堕落だというのです。それが、何に何を中心として一つになるのでしょうか? 何でもありません。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。世の中の人たちは、今、お金のために生きているでしょう。お金、お金、お金を中心として生きているのです。知識でもありません。権力でもありません。権力も必要で、皆、必要だと考えますが、お金を第一に考えます。しかし、お金はこれは何でもありません。 神様が創造を始めるとき、何を先につくったかというと、知識を先につくりはしませんでした。物質もつくりました。物質をつくったのです。これが物質のうち核になりうるのが宝石だとか、宝物になりました。金は貴いと言いますが。その金は宝も変わらないのです。変わるものは宝になれないのです。 知識も変わらないものでなければなりません。世の中の知識は変わります。変わらない真理。これが何かというと、天の真理です。それから、「愛」というと、真なる愛がどこにあるのでしょうか? 変わらない愛がです。そのようになるのです。変わるものは真になりえません。 権力もそうです。善王だとか、善なる人だとか、善なる行政部署だとか、善なる国というものも変わるものではありません。千年万年歴史を過ごしても、その歴史が克服した歴史を中心として、過去において未来を歓迎し、未来に過去を歓迎することができ、現在が過去、未来を歓迎できるあらゆる変わらない歓迎の場を迎えなければならないのです。全部がそうです。 では、神様が願うものが何でしょうか? 物質でもなく、知識でもなく、権力でもありません。変わらない権力、変わらない知識、変わらない物質ではありません。では、何でしょうか? 神様はそれを全部つくることができます。創造主なので、つくることができ、全知全能なので皆知っています。全知全能であられるお方です。皆、もっています。何だけができずにいるかというと、愛です。神様も愛の対象が必要です。愛の対象。 それで、愛の対象を創造するためのその初めの目的の標語が何かというと、真の父母だというのです。真の父母、真の父母。それを知らなければなりません。創造するようになったあらゆる始まりの根本も真の父母なのです。考えが真の父母から始まり、実体的な真の父母に侍り、真の父母による真の愛を中心とした家庭的着地を願いました。 家庭から神様の所願成就できることを計画したので、真の父母を願ったのです。真の父母の考えから真の父母を創造したし、真の父母の愛とともに一致しうることを願って、蘇生、長成過程を経て、成熟し、アダムとエバの結婚式が神様自身の結婚式として、人間と神様の愛が定着できる一つの焦点を合わせなければならないというのです。そうせずに出発した愛の起源が二つなら、方向も二つであり、目的も二つなので、それはありえないというのです。神様の絶対的な理想と人間の絶対的愛の理想が統一されえないというのです。このように見るとき、愛を中心としてわき出たというのです。お分かりですか? 見なさい。世の中を見れば、なぜオスとメスのコンセプトが先でしょうか? 全部、そうです。鉱物世界を見ても、プラスイオン、マイナスイオンの主体・対象関係であり、植物も雄しべ・雌しべの関係であり、動物もオス・メス、人間も男と女です。それ、概念の中心が何かというと、一つになりうる中心が何かというと、愛なのです。 この二つの鼻が一つになって、中心になるのです、中心。中心を中心として回るようになっているのです。それが何かというと、愛です。家庭を中心として見れば、父子関係、夫婦関係、子女関係はこの一点です。中央線です、中央。これを中心として全部、イコールです。これもイコール、全部、イコールです。長さも同じであり、角度も皆同じです。定着できる上下関係が全部、自分勝手にはなっていません。一点しかないのです。中央なのです。一点しかありません。左右も一点しかありません。前後も一点しかありません。この三つが一つになりうるその場に立ってこそ、全部、上下関係も完成し、前後関係も完成し、左右関係も完成するというのです。それが何かというと、愛しかないというのです。分かりましたか? どんな愛? (真の愛)。どんな真の愛? 神様的真の愛。人間的真の愛ではありません。「ああ、私があなたを真実に愛する」というときには、真実に愛するのではありません。真の愛は神様から始まるのです。(黒板に書かれながら) このように区分になるのです。ここ一点、ここ一点が皆同じです。これ、角度も皆同じです。十二角度どこでも割ってどこにもっていって付けても、皆合うのです。合わないのがないのです。大きいの小さいのも全く同じです。統一です。それゆえ、人は四位基台理想をもたなければならないのです。上下関係、左右関係、前後関係。上下は父子の関係、左右は夫婦関係、前後関係は兄弟。これらは一つの家で育つのです。そうでしょう。そうですか、違いますか? (そうです)。 一つの家で育つのです。一つの家で大きくなるまで暮らすのです。一つの家で結婚し、世の中に出ていくようになっているのであって、中間に世の中に出ていくようにはなっていません。これを私たち統一教会では三代を言うのです。四位基台。このようになれば何人ですか? 四位基台が何人になりますか? このようになるので、このようにして、このようになり、これが四位基台、三対象目的です。(黒板に書かれたものを説明なさる)ここは十二数が出てきます。三×四=十二。四季が現れ、三数が現れ、天地の基本数になります。家庭の基本数になるのです。 それゆえ、真の父母という言葉は、創造前から、考えの中にあったし、つくるときから目的がそれであり、つくってその方たちを通して神様が完成しようというのです。神様の愛の理想を成そうというのです。お分かりですか? (はい)。 神様は絶対者なので、絶対的な愛の相対は二人ではありえません。一人です。一つになるところに愛というものがありますが、愛の中には必ずプラス型、マイナス型があります。愛として神様も主体的プラス型、マイナス型があります。これが霊的です。この神様が主体になっています。これが対象です。プラス・マイナス一つになるのです。大きく見れば、プラス・マイナス一つ、プラス・マイナス一つ。(板書されながら説明なさる) 必ず、環境には主体と対象がなければなりません。お分かりですか? では、家庭ではだれが主体かといえば、男性です。それを知らなければなりません。女性は何かといえば、相対です。主体がとどまる所は中央なので、一点しかありません。これが移動できません。これが移動する日にはこの環境与件に定着できないのです。どんどん移動するようになれば、本然の財産がなくなっていくようになるというのです。 自分のものを決定づけ、永遠の所有権を拡大させることはできません。神様の中心を中心として拡大することによって、拡大した全部が所有権に連結されて入っていくのです。分かりましたか? 中央は一点しかなく、相対は三六〇度があるというのです。ですから、女性は変わりやすいのです。三六〇。男性は中央なので、変わってはならないというのです。それゆえ、変わるものは主体ではありません。変わらないものが主体だというのです。そうでしょう? それゆえ、男性には全部、精子があるのです。赤ん坊の種。神様から赤ん坊の種が来るのです。女性は卵子しかありません。入れ物しかないのです。女性が主体だと考えるのは、それは間違った思想です。西欧社会は娘を産んでこそ、父母が喜ぶという話があるではないですか。女性は凹ですか、凸ですか? (凹です)。受けなければなりません。水が落ちるときは、先の尖ったところを探して落ちるでしょう。水が落ちようとすると、そうでしょう。凸の道を探して落ちます。このような尖ったところから水が落ちるというのです。 それゆえ、そのように考えます。男性の凸は本来、そのように生じたのです。与えなければならないのです。そして、女性は受けなければならないというのです。ですから、愛を成すためには、男性と女性が一つにならなければなりません。三名が一つにならなければならないのです。皆さんの体と心が一つになり、霊が一つにならなければなりません。そうして、全部、結婚をしなければならないのが、神様の創造理想なのです。そのようになった人がいないのです。 それゆえ、アダムとエバが堕落する前に赤ん坊をもちませんでした。堕落して追い出されて、神様の関係のない場所、エデンの園から追い出されて子女を抱えたのです。それゆえ、人類は神様と関係なく追い出された血統を受け継いだ息子・娘だということを、否定することはできないというのです。 さあ、このような立場にあるので、本然の神様の創造理想と堕落した今日の私たちの立場が千尋万尋の距離があるのです。これを知らなければなりません。千里万里の遠征の道を越えなければならないのです。永遠をおいて、これをどのように度数を合わせるのかというのが問題です。それがそのような内容を失ったものを復帰するために、ご父母様が来てすべきことが何かというと、体と心が一つになることを教えてあげなければなりません。堕落が何かというと、体と心が成長して長成期完成級で、これがどういう関係を結んだでしょうか? 愛という関係を結びました、愛。 愛というものは神様から来るのです。最初の愛が神様の愛ですが、プラスの立場になるべき愛だというのです。これがサタンが(愛の)器官を通して占領して、愛のまた別のプラスになったというのです。心と体が一つになる前に、成長して成熟して帰るべきなのに、そうできませんでした。天地が連なって帰り、東西が連なって帰り、南北が連なって帰るべきなのに、完成しないときに、長成過程で堕落しました。堕落したのが何かというと、サタンによって愛の因縁を結んだというのです。その体がサタン的愛の関係をもつことによって良心的力より強くなりました。これが問題なのです。良心的力よりも体が強い立場に立ったので、問題が起こるのです。体が偽のプラスになり、本来のプラスを引っ張っていくのです。 ですから、結局、終わりの日にはあらゆる人類は良心を否定し、「良心がどこにあるか」というのです。神様を皆、否定し、体全権時代に向かうのです。そうして、体全権時代に向かい、それが定着するのではありません。堕落するとき、破壊させる根源になっているので、完全に肉体破壊、終末世界を迎えるのです。それがフリーセックスであり、ホモです。ホモ、レズビアン。 こうして、偽の相対を中心とした世界をつくってみようというのです。それが違うのです。情欲というものは人間が主管できません。何の話か分かりますか? それで、道人たちもうっかり誤れば、「十年の勉強、南無阿弥陀仏(長い間の努力が一朝にして水泡に帰すこと)」だというのは、全部、男女関係によってです。それは神様の前に接することのできる本性なので、私たち堕落した人間がコントロールをすることができないというのです。それを修養して、何度も誓っても難しいのです。それ(生殖器)が縮まって対応することのできない存在になれば、それを越えることができますが、自然的な環境では越えられないというのです。 それゆえ、男性は女性、女性は男性を永遠に注意しなければならないというのです。そうですか? 情欲を人間は主管できません。なぜでしょうか? これは神様の所有権です。神様が根です。神様に属しているというのです。これを主管するためには、これを全部防備するためには、父子の関係が一つになれというのです。お父さんの話をよく聞け。もう一つは、女性は夫の話をよく聞け。それから兄さんと弟がいれば、兄さんの話をよく聞けというのです。お母さんとお父さんの話をよく聞き、兄さんの話をよく聞いてこそ避けていくことができるのであって、一人で勝手にしてはその道を行くことができないというのです。 男女七歳で何ですって? 何の席ですって? 席を同じゅうせずという言葉は合っているというのです。情欲は人間の力でコントロールできないというのです。 このような何かがあるので、それをいつも水平化させ、高くなるものを低くし、平準化させ、相対的に消化させるのが夫婦の愛です。人はそのような最高の愛の体恤をすることのできる人間なので、季節を超越できる愛を神様がくれました。動物は一年に一度、繁殖するために愛の関係を結びますが、人間は季節を超越します、春夏秋冬、青春、四季を全部超越するのです。そうですか、違いますか? (そうです)。 ですから、神様に侍って暮らすべきはずが、神様を除外して暮らすので、完全に地獄的家庭になったのが堕落した世界です。これは是正しなければなりません。ですから、先生が一番難しかったのが宇宙主管を願う前に自我主管を完成せよという標語です。 一番恐ろしい地獄の落とし穴が自分にあります。ほかのところにはありません。心を中心として、心の世界に従わなければならないのです。心の前に絶対服従すべき体として導くのはとても難しいです。それゆえ、宇宙主管を願う前に自我主管を完成せよというのが外的問題ではありません。自分に地獄の穴があり、天国の起源が良心に伴ってありますが、良心世界でまだ愛というものを体験したことがありません。堕落した体は愛を感じたので、この愛の力が堕落しない本性の心より強いというのです。 それゆえ、修養を経なくては、体の人になるのです。それを教えるところが宗教です。宗教は何をするのですか? 体を弱めることをします。サタンは偽の愛を中心として神様の息子・娘と所有はもちろん、神様の立場まで奪い取り、自分が主人の役を演じているのです。その全権基盤を譲歩しようとはしません。それゆえ、宗教が現れ、このことを屈服させるのです。ですから、宗教世界では必ず温柔謙遜であれというのです。サタンは驕慢なのです。私に仕えよというのです。驕慢な人は皆、サタンのいとこたちだということを知らなければなりません。分かりましたか? ソウル大学だとか、何大学に入ったなら、驕慢になるのです。ソウル大学が悪魔の一番の落とし穴だというのです。そこに行って謙遜ならいいのですが、驕慢になるときには、その落とし穴に引っかかっていくのです。自分を誇る人はだれも好みません。また驕慢な人をだれも好みません。それゆえ、天は反対です。温柔謙遜であれ、へりくだれ、へりくだれというのです。それゆえ、サタンがここから分かれるのです。サタンが天使長級以上に上がって、人を占領し、活動しましたが、それ以下に下がるときは、分立されるのです。それを除去させるためのものが宗教です。宗教は「温柔謙遜であれ!」それから何ですか? 「犠牲奉仕せよ!」というのです。サタンは犠牲奉仕しません。強制で打ち、全部、ありとあらゆることをするのです。暴力を通して、自慢的な行動と幸福を慕い、肉体的なあらゆる環境的な幸福の王となり、主人になろうと、騒ぐのです。ちょうどサタンのようになるというのです。 それゆえ、宗教者たちは温柔謙遜であり、犠牲奉仕せよというのです。奉仕を好む人がどこにいますか? それはなぜそうでしょうか? それだけではありません。後には祭物になり、殉教せよ、血を流せというのです。血を流せというのです。これが何かというと、体を弱めようというのです。体を堕落する前以上にして、これを押さえれば、これは上がるのです。分かりましたか? 体を打てば、上がるので、堕落せずに完成し、本然の心情、着地できる基準を越えるのです。郭錠煥が火を受けたように、そのようになります。そうなれば、すでに分かります。ほかのところには行けないのです。力比べをするのです。反対作用をして体がしようというものを除去できるのです。 それゆえ、聖霊を受けられなければ、救われないという言葉が、そこから生まれたのです。エバがお母さんですが、堕落してお母さんの愛を受けられなかったので、聖霊は母なる神として、母なる神を中心として神様の愛を誘発しせ、神様と一体になりうる基盤にならなくては、霊的生命の復活ができないと見るのです。何の話か分かりましたか? (はい)。 問題は何かというと、体を支配しなければなりません。数十年、道を修め、数十年修養をしたとしても、その原則を知りません。私たちは理論的に知っています。長成期完成級で堕落したので、完成級が残っています。間接主管圏で堕落したので、直接主管圏に至らなければならないのです。そうしてこそ、神様が共にありうるのです。それは絶対的です。 堕落が何かというと、絶対信仰をもてませんでした。これを知らなければなりません。堕落が何ですって? (絶対信仰をもたなかったことです)。絶対信仰、絶対愛、絶対服従。これを神様が強調したのです。なぜでしょうか? 自分の愛の理想を全部、相続してあげようとするので、神様のようでなければならないのです。そうではないですか? 自分の水平的な愛も自分より優れた相対を願うでしょう? 皆さん、愚かな男性でも、優れた女性でも、愚かな女性でも、同じように、優れているにせよ、愚かであるにせよ、自分よりも立派な相対を願うのは、愛が望む原則です。天地創造伝統がそのようになっているからです。神様も自分よりも優れた相対を願いません。(願います)。何ですか? (願います)。願いません。(願います)。見ましたか? (笑い)見ることはできませんでしたが、話を聞いてみると、そうであらざるをえないので、そのように答えるのです。そうなのです。すべてのものがそうです。 考えてみなさい。動物世界を見ても、そうです。シカが子を産もうとすると、近くのオスのシカたちがいるのです。オスがメスを率いているのです。シカ一匹が五十二匹まで率いることができるのです。私がシカ牧場をしているからよく分かるのです。分かりましたか? それゆえ、春になれば、種をうまくもらわなければならないので、優秀な種をもらおうとするのです。それを動物も知っています。神様がそのようにつくりました。近くのオスたちを互いに会わせるのです。メスたちが駆り立てていきます。境界線をメスたちが越えていくので、後でオスたちが出会って格闘するのです。その二匹が格闘するようになれば、左右の側でメスたちがながめています。それを一度見物するといいでしょう? そうして、角が大きいシカが力を誇示するのです。人々が出てきて力を誇示するそのようなものは何でもないのです。こうして、示威をし、角で争いはじめると、後には一匹が疲れて後退するようになれば、容赦せずに押し出すのです。一度屈服すれば、頭を下げなければならないのを知っています。「今だ!」と、チャンスを逃さず、渾身の力を込めて押すのです。そうすると、逃げはじめるのです。シカはそのように逃げはしませんが、豪州に行けば何がいましたっけ? カンガルー。カンガルーがいますが、ボクシングのようなことをして、一匹が負けて逃げ出せば、死ぬまでついていってたたきつけるのです。やあ! 私はそれを見て驚きました。そのような精神が人間世界の男性にもあるのかしれません。皆さんよりは優れています。そうして、勝ったシカの前に数十匹のメスたちが全部、ついていくのです。そうなれば、負けたオスは逃げなければならないのです。そうして、優秀な種を求めます。 人もそのようにするなら、どうなるでしょうか? (笑い)人は万物の霊長です。万物の霊長なので、そうすることはできないのです。神様の息子・娘なので、対等な立場に立ったので、共同的な愛の理想的な環境を許容せざるをえないのです。それゆえ、愛が貴いということを知らなければなりません。 動物は一年に一度子を産むために、オスとメスがつがいになることはありますが、人は子を産むためなのではありません。愛し合うためです。それ、いつも、愛し合えば子が生まれますか? (笑い) 最近、だれかに「あんた、最初、嫁をもらって一日に何回までやった?」と言うと、六回までした記録がありました。動物世界から見ると、独裁者だとも言えますが、人間はそのような特権までもっているのです。それが神様の愛を楽しめるように、子女たる人間に愛を相続させてあげるためのものだったのです。ですから、戒めを与えたのです。 戒めを与えざるをえないのです。考えてみなさい。エデンの園で神様の男性であり、アダムも男性であり、三人の天使長も男性なのです。ところが、将来に美人になるエバは何人ですか? (一人です)。一人なので、何を警告したでしょうか? 善悪知る木の実を取って食べるなと言いました。善悪知る木の実が何かというと、女性のそれを言うのです。分かるでしょう? (はい)。みっともないもの。(笑い)なぜ笑いますか? (見かけがいいものです)。そうですか? 今までそれをみっともないと考えたではないですか。それです。善なる男性とすれば善なる実を結び、悪なる男性とすればマフィアの母になるのです。それを言うのです。善悪知るの木はそれを言うのです。 文総裁が出てきて露骨的に扱いますが、露骨的にするしかないことを知ったので、世界に宣布したのです。私が事実でないことを宣布したなら、くずになって反対に逃げ出さなければならないということを知るのです。私は反対に逃げ出しはしなかったのです。間違いのない事実なので、強く押せば、自分たちが押されるようになっているのであって、私は押されないのです。それゆえ、そのような自信をもって今まで世界の人に対してきたのです。 今回もそうではないですか。「マリヤがどうこう?」と言うのですが、マリヤがどのような人たちでしょうか? 売女になるではないですか。妾になるではないですか。イエスは種もない家で生まれた私生児です。妾の子として生まれたのです。ですから、人としての待遇を受けられないのです。庶子扱いをするのです。昔、両班の家の人たちが庶子を人として見ましたか? 通りすがりの両班たちが庶子を殴り殺しても、文句も言えない悲惨な人たちなのです。そのような話をしても、根を完全に抜いて、反対に挿しても何も言えないのです。既成教会で優れているという人たちの前でも、お母様が何十か国を巡回しながら宣布しても、一人も反対する人がいないのです。反対をしたくなくて反対をしなかったのではありません。反対をしたくても、する道理がありません。口を開けて話すことができません。自分たちの話は理論的に合う話ではないからなのです。どうすることもできずに、聞くのです。ローマ教皇庁もそうだし、新教総会長でも大声を出したら、もっと言われ、人類は全部、統一教会の側になることを知っているので、口を閉じてじっとしているのです。分かりましたか? イエスが結婚しなければならないと言いましたか、行かないようにしなければならないと言いましたか? (結婚しなければなりません)。だれと結婚しなければならないですって? (洗礼ヨハネの妹です)。腹違いの妹と結婚しなければならないというから、そのようなゲスがどこにいますか? 無礼なやつなのです。 そのように話しても微動だにできずに統一教会の文総裁に全部、既成教会がついてくるようになっているのです。今、祝福を受けろというので、既成教会の牧師たちも受け、長老たちも受けており、長老が反対すれば執事が隠れて受けており、執事が反対すれば息子が来て祝福を受けうる環境になったので、その一族(キリスト教)がうまく行きましたか、うまく行きませんでしたか? 滅びるようになっていますか、栄えるようになっていますか? そのようにした統一教会が罰を受けて滅びるようになっていますか、栄えるようになっていますか? (栄えます)。罰を受けるなら、滅びなければなりません。 罰を与える神様が主人なのに、神様が喜ぶので、問題が大きくなったというのです。問題が大きくなったというのは、よく大きくなったというのですか、悪く大きくなったというのですか? (よく大きくなりました)。よく大きくなったということを知っているので、賢い文総裁がこのことをするのです。文総裁が滅びると思ったのに、生きて世界を完全に腰にぶら下げて行くことのできる時代になったのです。自由、平等、解放時代を迎えることのできるチャンピオンになった。アーメンです。(アーメン)。(拍手) さあ、見なさい。これが凸であり、これが凹です。このような話をするので、私が悪口を言われるはめになりました。壇上で数千名集めておいて、凹凸の話を一日に何度もするので、そいつは遊び人でしょう。(笑い)遊び人と言ってもいいです。本来、あなたたち男性と女性たちは全部、遊び人ではないですか? 違いますか? 愛を皆、好むでしょう。(はい)。それは遊び人です。家に行って、自分の妻に風ではなく、雷を落としながら、一日に百回しても、裸になって踊っても、だれが文句を言いますか? 二人が座って一カ所にうんちをしても好きでするのだから、だれが文句を言いますか? 遊び人の王になろうとするので、遊び人の話をせざるをえません。悪い意味ではないのです。甘い愛がいいですか、甘いの反対の愛がいいですか? (甘い愛がいいです)。甘い愛が嫌いな人、手を挙げてみなさい。そいつは殴り殺しなさい。(笑い)甘い愛が好きな人、手を挙げろと言えば、手を挙げるなといっても、手を挙げたく思うのです。そうでしょう? ここのおとなしいおばさんも愛を好むでしょう? 愛を一人で見いだすことができますか? だれにくっつかなければなりませんか。男性にくっつかなければならないのです。横にいる人が夫ですか? 新郎は自分よりきれいな花嫁をもらいましたね。それ、祝福を受けてそのように結ばれましたか、自分たちが恋愛結婚をしましたか? 先生がカップルを組んであげましたか、昔、泥棒のような男性の誘い込みを受けて結婚しましたか? 昔から統一教会に入って未婚の男女として祝福を受けましたか? (はい)。そうでしたか? 私が少しやり損ねたようですね。(笑い)男性より女性が優れていてそうなのです。それでも、ありがたいと思わないで暮らしているでしょう? どうです、ありがたく思って暮らしていますか? (はい)。幸福ですか? (はい)。それでもいいですね。(笑い) 私が喉がかれたのが、済州道に行って…。ここソウルの空気がどれほど悪いかしれません。済州道にいて、上がってくると、喉がひりひりしたのが、喉がかれます。人が多いところは、空気がいいですか、悪いですか? (悪いです)。空気が悪いので、喉がむずむずし、かれようとするのに、話を長くしなければならないでしょうか、短くしなければならないでしょうか? (短くしなければなりません)。これくらい話せばいいでしょう? (はい)。もうやめようという話ですか、もっとやろうですって? (はい)。今からおもしろい話が始まるのに、もっと話せですって、やめろですって? 私はやめればいいです、やめれば。(拍手) これが愛です。愛ゆえに生まれました。愛ゆえに神様もプラス・マイナス、男性と女性をつくりました。分かりましたか? この愛と一つになるためには、結婚をしなければなりません。凹凸を一つに合わせなければなりません。それ、愛のために結婚するのです。愛のために凹凸が一つになるのです。それが絶対的に一つにならなければなりませんか、適当に一つにならなければなりませんか? (絶対的に一つにならなければなりません)。片目はあちらに行き、思いはこちらに行き、五官が別々に行ってつけなければなりませんか、五官やすべてのものが一つの焦点に行って、さっとくっついて電気のプラス・マイナスがショートさえすれば爆発するように、一つにならなければなりませんか? (爆発するように一つにならなければなりません)。 それ、これが宇宙的愛の本体ですが、男性と女性二人が一つになって燃えるのよりこれが発展所でしょうか、どうでしょうか? (板書なさりながら)これがモーターのようなものであるなら、これは発電所です。ここにプラスを合わせれば、これが爆発しますか、しませんか? 爆発するのです。配電線が太くなければ焼けてしまうのです。分かりましたか? 何に焼けてしまいますか? 真の愛に焼けるのです。真の愛の灰になるというのです。真の愛の灰になって、散り散りに飛んでいくでしょうか、一カ所にまとまるでしょうか? 電気コードがショートすれば線がぴたっとくっつくでしょうか、筋ごとに分かれるでしょうか? (くっつきます)。見ましたか? (はい)。くっつかなければなりません。それ、くっつけば離れますか、離れませんか? これは引っ張って、離すのは大変です。それ以上、火で溶かしてかっかとした過程を経てこそ、離れるのです。 それ、あなたたち、全部一度、ショートして、爆発的な愛で一つになって、くっついたものが、一生の間、暮らしていくのに、自分勝手に離すことができますか? 離すことはできないというのです。 ここで祝福を受けた女性たち、手を挙げてみなさい。手を挙げてみなさい。このあまたち。手を挙げろといえば、手を挙げるないと。(笑い) お父さんが娘たちに対してあまといっても何の罪がありますか? (笑い)真の父という言葉は良くもあります。いくら年の寄ったおばあさんにでも「このあま」といっても「どうしてか」というのです。そうではないですか? 娘になるなら、仕方がないではないですか。養母が二十歳で、養女が八十歳でも、お母さんと言わなければなりませんか、孫だと言わなければなりませんか? 女性たち! お母さんですか、娘ですか? (お母さんです)。それなら、誤ったとき、お母さんに叱られ、尻も打たれるべきでしょう。 それ、かっかとくっついて、天地が振動し、大地が皆、へこんだとしても、離れることのできる妻ですか、離れることのできない妻ですか? (離れることのできない妻です)。それ、離れることのできない妻、手を挙げてみなさい。手を挙げてみなさい、この野郎たち! (笑い)自信はないみたいですね。それから、夫。夫なのか男なのか分かりませんね。夫がかっかとくっついてショートしたのが離れられない夫ですか、一つになりうる夫ですか? 泥棒のように答えずに…。統一教会が恐ろしいのが、条件を掛けるのを知っていますから。ですから、恐ろしいので、そうしているのです。 本軌道に上れば、ショートして、爆発的な愛の一体になってみなかった連中です。落第候補です。異議を提出できますか? 落第候補であり、不合格品なので、ごみ箱に入らなければなりません。そのような連中がきょう、真の父母の日、第三十八回祝賀の日に参席する資格がありますか、ありませんか? なければ、皆、安楽に逃げ出しなさい! (笑い)そのようなものです。この愛を中心として、これが一つにならなければならないのです。これが一つになってこそ、プラス・マイナスが一つになって、大きなマイナスになり、このようになって大きなプラスになるのです。このようになって一つになるとき、愛は引き寄せるので、下のものは上に上がっていき、上のものは下に下りていくのです。 男性と女性が燃えるようになれば、ひかれますか、ひかれませんか? 夫妻同士引き合いますか? クライマックスになって、激しく息をしながら、あばら骨が折れるくらいに抱きしめたことがありますか? きょうの夜からそのようにしてみなさい。(笑い)いいや。実感のわく話をしなければなりません。教主様が実感がわくように話してあげて、あなたたちが実感をもって暮らせば、私がそのような話をしてあげて、全身の肉が伸びたと悪口を言われても、悪口を言われるのよりましなので、このような話も恥ずかしくなく堂々とするのです。分かりましたか? そのようにしなさい。(はい)。くっついて、丸いものが糊でくっついたように一つになって、丸ごと食べられるようになれば、神様がそれを食べながら、「ああ、おいしい」と言うことができるというのです。足でも何でも、丸ごと飲み込むのです。分かりましたか? さあ、これはこれまで引き寄せ、これはこれまで引き寄せるので、一つになるでしょうか、ならないでしょうか? これはこのようにくっつき、これはこのように上がるでしょうか、どうなるでしょうか? 神様が下りるでしょうか、これが上がるでしょうか? どこに行ってくっつきますか? この愛の中に行ってくっつくのです。そのようになれば、遠心力と求心力が生じるのです。回るのです。ですから、くっついて踊りを踊ることができるのです。女性と男性の手が共に踊りを踊り、神様も共に踊りを踊るのです。女性と男性の手が一つの手になり、また見えない神様が入っていき、相対的に踊りを踊りうる環境的与件を体恤し、感じてみましたか? よければ踊りを踊るでしょう? (はい)。踊りを踊って何をしますか? 歌を歌わなければなりません。ですから、口で踊りを踊りながら、夫妻同士で愛の歌を求めて誇ることができるようになれば、神様も見物人になって、来てみて笑うでしょうか、泣くでしょうか? 五官が揺れ動き、「フフー、私の創造の調和がこのようにすてきなのだなあ。大地にいるすべての人も、ここに応じて踊りを踊るべきである。えへん。神様が喜ぶのである。アーメン。」というのです。(拍手) 神様とここに来て、全部出会わなければなりません。求心力と遠心力で回るのです。それ、愛のために生まれたというとき、寂しいですか、気分がいいですか? (気分がいいです)。あの後ろにいる人たち! 愛のために生まれたというから、気分がいいですか、悪いですか? (いいです!)。どれほどいいですか? 喉が裂けるほど叫んでも足らない。一度、言ってみなさい。どれほどいいですか? 喉が裂けるほど。言ってみなさい。(……)。(笑い)「鬼も頼めば人を食わず」というけれど、ちょうどその情勢ですね。いずれにしても、よくて暮らすのです。男性一人でいくら踊りを踊っても、よくはありません。女性一人でいくら踊りを踊ってもよくありません。 それゆえ、環境には必ず主体と対象が愛を中心として一つになるためなのが創造原則です。分かりましたか? 統一教会の教会員たちが愚かなのは、どこかに行って伝道をしても、知らない人に「堕落論だ」というのです。なぜ、そのような話をしますか? 「創造原理だ」と、なぜそのような話をしますか? 話すことがどれほど多いですか? 「ああ、きょう、畑を見ると、バラの花が咲いていたけれど、赤紫色できれいだった。それで、蝶とハチたちがぶんぶんいっていたが、オスの蝶を一匹捕まえると、メスが私の手にくっついてオスを放してくれるよう祈祷するように思えたので、放してやった。やあ、だから、オスとメスは皆愛し合うのです。あなたはオスですか、メスですか?」「オスです」「あなたもメスが好きですか?」そのようにして、創造原理を話すのです。「天地創造がこのように神妙なのです。このようなわけで、男性は女性を好むのです」そのように話すのです。ところが、何の創造原理が何であり、堕落原理が何だといって、直撃弾に当たって「ああ、私は死ぬ」というのです。なぜ、そのような話をしますか? 「水がさらさら流れながら、音を出す。風が吹くと波が立つ。なぜ高くて、低いか? プラス・マイナスになるから?」といいながら、いくらでも話せるのです。 そのようにして、どこかに行けば、いつでもついていくことができるようにしておき、死ねといえば死ぬことができるようにしておき、露骨的に話してあげれば、どれほどいいでしょうか。そのようになれば、一度話をすればすべてなるのです。ですから、環境をつくろうとしなければなりません。ですから、統一教会の教会員たちは説得能力がなければなりません。説得能力がなければ環境をつくれません。違いますか? いくら優れていても、「おい、私の話を聞いてみろ。あなたに一番いい話は何ですか?」といって、話せば、皆聞き、「では、私が一番好きな話を一度聞いてみなさい」と言って、私がその人の話より十倍いいなら、その人が自分の話に説得されるのであって、仕方がありません。ですから、「そのようなことを一度味見して、体験してみたいですか? 案内してあげるから」といって、連れてくるのです。そうかといって、酒を飲みにいくのではありません。真っ暗な地下室で原理のみ言を語る所に連れていくのです。「目を閉じて聞いてみなさい。この野郎!」と、聞いた後、「わあ、ここに主体がいるなあ。私は対象になろう。所帯道具をまとめて、この道に従おう」ということが起こるのです。 ここには皆、統一教会を信じてから、家を捨てて出てきた人が多いでしょう? 一度、手を挙げてみなさい。賞をあげようと思ったのに、挙げませんね。この野郎、今ごろ挙げますか。賞の話に目が輝いて手を挙げませんでしたか。罰を受けなければなりません。 一つになるようになっているのです。それから、最後になって、神様が求心力になり、私たちは遠心力によって、永遠に回るのです。一度回れば、重力のない世界なので、無限に回りますが、神様の愛が重力の力より何千倍強いので、無限に回ることのできる幸福の生が入ってきたなら、兄さんを通さなければならないし、お母さんを通してお父さんのところに来なければなりません。妄動はありえないというのです。原理型を合わせていかなければならないのです。分かったでしょう? そのように見ると、お母様が幸福な女性ですか、不孝な女性ですか?(幸福です)。私は尋ねてみると最も不幸な女性だと思ったのですがどうですか?(最高に幸福です)。お母様と暮らしてみましたか?(笑い)暮らしてみた私が最も不幸だと言うのですが(どうですか)? 先生が何の専門家ですか?(愛です)。違います。蕩減の専門家です。理想的愛を探そうとすれば、何千段階の蕩減を越えなければならないというのです。そこで、「このような蕩減の峠が訪れるので、注意してください」と言えば、「何の蕩減がそれほど多いのですか。夜も昼も一年中、二十四時間ではなく、二十八時間も蕩減も多いですねえ。蕩減、蕩減、蕩減!」と言うというのです。蕩減の大王様になっているので、お母様が喜ぶでしょうか、喜ばないでしょうか? 女性たちが蕩減を好みますか? 女性たちが蕩減を好むのか、と尋ねているではないですか、この者たち! 女性という種類は蕩減を好むのを私は見たことがないというのです。 甘い、花の中でぷんぷん(ひらひら)音を立てて踊りを踊っていた蝶のように、蜜のようなものを好むのであって、「ああ。苦い蕩減は嫌だ」と言うというのです。蕩減を好む女性がどこにいますか? ですから、お母様が私を最も嫌うのです。何を中心としてですか? 蕩減を中心として最も嫌うというのです。最も嫌いますが、その峠を越えれば愛を中心として最もよい時が来ます。それが嘘でないと分かるので、お母様も幸福な女性になり得ます。なったというのではありません。未だになりつつあります。なり得る、という言葉が成立するのです。これが分かるでしょう? これが一つになれば、この二つが一つになれば、神様がここに来るでしょうか、来ないでしょうか? 愛が実体化されれば、アダムと神様とそこで出会うでしょうか、出会わないでしょうか?(出会います)。神様が願った実体の愛です。アダム・エバが願った実体の愛です。パートナーとして出会うという実体の愛です。どこで出会うのかというのです。神様の愛が神様の絶対愛と人間の絶対愛が対面する点がどこですか? 一点です。それがどこだと言いましたか? 結婚して初夜、生殖器が一つになる場だというのです。そのように神様に出会うと考えてみましたか?(はい)。本当ですか?(笑い)この男性はどうですか?(はい)。本当ですか? 私よりも優れていますね?(笑い) どこで一つになるのかというのです。絶対的な神様が定着できる一つの基点と、人間アダム・エバが理想として願う愛の基点が一つになれるのが、一点ではなく二点になるときは、愛の方向と目的が二つなので、永久に神様の絶対愛とは関係を結ぶことのできない人間になるので、愛のためにつくったのではない、ということになります。そこから自分が生ずるでしょう? 男性、女性がそこから生ずるのであって、キスする所から生じますか? そこから、男性、女性の生殖器が絶対的に一つになることを願うでしょう? あなたは夫婦同士絶対的に一つになりたいですか、適当に一つになりたいですか?(絶対的に一つになりたいです)。本当ですか? とても率直ですね。私に習ってそのように太っ腹なようですね。(笑い) 神様の愛がどこで結実するのかと言えば、凹凸が絶対的な体と心が一つになった場、そのような男性、そのような女性が絶対的に愛を中心として一つになる場が神様と人間が出会う場だということを人類歴史上で発表した人が私しかいません。知ってみるとそうなので、それを知ってみて事実だと認める人は、統一教会の仲間にならざるを得ないというのです。それを認めますか?(はい)。 その場は何かと言えば、女性が愛されるためには、夫だけでなく霊的に神様に侍る立場に立たなければならないのです。アダムの生殖器は見えない、内的には神様の生殖器であり、見えるものはアダムの生殖器です。女性の生殖器も見えない神様の生殖器であり、見える生殖器はエバの生殖器だというのです。見えないものは縦的であり、見えるものは横的が一つになるのです。それで、縦的な父母、横的な父母が一つになるのです。 愛の主人がだれかと言えば、アダムでもなく、エバでもありません。神様なので、初愛を神様が先に感じなければならないのです。人間と神様が愛を中心としてくくられ得る基点がなくしては、理想的環境、理想的国家、理想的世界が現れないではないですか。そうではないですか? 分かりますか、分かりませんか?(分かります)。分かっても分からなくても勝手にしなさいというのです。知らずに行くようになれば、天国の本宮と通じることのできない別宮に行って居候するのです。 皆さん、息子・娘を産んでキスしますか、しませんか?(します)。鼻がここに付いていれば、どこににキスしますか? 鼻をすりむいていて口がここにあれば、このようにキスをしても汚くないというのです。汚いですか、汚くないですか?(汚くないです)。それはなぜ、汚くないですか?(一つになっているからです)。一つになっているので汚くないというのです。私たちは愛と生命と血統と良心を皆もっています。皆愛をもっているでしょう? 生命をもっており、血統をもっており、良心をもっているのに、あるのかないのか分かりません。見ることもできず、触ることもできません。ところが、どのようにあるのか分かりますか? 一つになっているからだというのです。一つになっているので感じられないというのです。 お母様が講義したように、目をぱちぱちさせるのを、息するのを三時間だけ数えてみれば、中間で忘れてしまいます。三時間を決めて数えてみなさい。三時間もちません。すべて忘れてしまいます。一つになっているので忘れてしまうのだというのです。心臓が弾むのを一度数えてみなさいというのです。心臓がどれほど弾みますか? 蝿一匹ここにくっ付ければ、すぐさま飛ばされてしまうというのにです。心臓が数百倍ずどんずどんと弾むというのです。聴診器で聞けば、爆弾が落ちるような音がするのに、それを一日に何回ずつ感じますか? 一週間、忙しいときは三か月、ある者たちは一年経っても感じないで暮らす人たちがいるというのです。なぜ、感じられません? 一つになっているからだというのです。同じです。神様自身も愛、生命、あらゆるものがありますが、一つになっていれば感じられないので、神様も相対が必要だというのです。相対が横に来ればすぐさま分かるというのです。男性、女性が皆もっていますが、相対がなくなるときは(愛、生命、あらゆるものを)感じられないのです。けれども、男性、女性の前に相対が現れるようになるとき、雷・稲妻のような刺激をもって爆発的な愛の力、生命の力、血統の力、良心の力がぱっと作用するようになるというのです。それゆえ、相対が必要だというのです。相対がいなければ作用が起こりません。運動が起こりません。分かりましたか? 今日の科学者たちが、この宇宙は力によって存在すると言うのですが、力が先ですか、作用が先ですか? 電気作用が先ですか、電気の力が先ですか? 電気作用が先だというのです。相対がいなければ作用も起こらず力も現れません。相対的関係になれば力が出るでしょう? そこは夫婦同士ですか?(はい)。そう、どこかに行ってから久しぶりに会えば爆発的な力が出てきますか?(はい)。本当ですか?(はい)。そのようにできる男性のように見えなくてもですか? 熱気は女性が勝るようですね。どうですか? 愛するのに女性に引っ張られていきますか、女性が男性を引っ張っていきますか? 尋ねているではないですか?(笑い)女性が強いようだというのです。そのような時は、「正しいです(そうです)」と言ってこそ男らしいでしょう。そうですか、そうではないですか?(はい)。「はい」と言いながら、なぜ頭を下げるのですか?「はい!」と言わなくてはなりません。(笑い)だらしがない男性だというのです。このような話をしていては切りがないようです。 ですから、本然の基地が、皆さんの心と体を一つにするのが最も難しいのです。体が地獄基地です。軍隊の軍事基地だというのです。相対的なすべて、全体の発源起源になるのだというのです。基地だというのです。良心を中心とした天国基地が弱いです。これをひっくり返さなければなりません。理論的にそうです。理論的に分かります。 これを中心として長成期完成級に入っていけば、この一つの警戒線さえ越えていけばよいというのです。ですから、体を打って三年間制裁すれば、三年ないし五年制裁すれば、その世界に行くのだというのです。そうではないですか? 肉的なものを大きくすれば、霊的なものは小さくなるというのです。肉的なものをなくしてしまえば、これが高くなるのです。同じです。それゆえ、外的なものを無視して縦的なものを重視すれば、霊界が近くて本然的・良心的基準に接ぎ木されれば、電気の流れがプラスとマイナスをもてば発電所の電気が通るように、爆発するというのです。それゆえ、天地変化作用が起こるのです。そのような霊的体験がなければならないということを知らなければなりません。分かりましたか?(はい)。 郭錠煥を私がこき使うのは、そのような何かがあるからだというのです。あの人(郭錠煥氏)に対して、ありとあらゆる話をすべてしているのを(私が)知っているというのです。欲深くどうのこうのと言いますが、何かをすると言うにも自分が何かをすると言っても、自分(=私心)がないままでやります、という者はいません。全部このように、「それは私はできないのに、どうして先生は私にだけさせるのか? 周囲にだれだれがいるのに?」と(郭錠煥は)そのように思っているというのです。それゆえ、私が使います。自分がありません。自分がないので天がいつでも百パーセント作用できるのです。三六〇度、回っていって(=使って)も何の支障もありません。自分があれば、後になってぴったり引っかかります。一八〇度くらいになれば引っかかってしまいます。そのような人は使わないのです。ここの朴普煕もそうであり、皆(=郭錠煥氏を除く)そのような何かがあるというのです。自分でなければならないと考えるというのです。その峠を越えられません。そのような人はそれ以上行けないのです。 私自身がそうなのです。今まで先生自身も同じだというのです。私が霊界に行った時の最高の希望が何かと言えば、私が慕い、私が愛していた最高のクライマックスの時に考えていたその心情圏内でお父様(神様)を呼び、お父様(神様)の愛を受けたその基準を私が霊界に行って、「私が来ました」と言う時、神様が宝座に座っていてから何百の階層をものともせず、射られた矢のように飛んで下りてきて、「お前が来たか」と言ってキスしてくれる神様になるだろうかということです。それが願いです。他の願いはありません。最後に私が公認されるのかという問題だというのです。皆さんも同じなのです。霊界に行って先生が、「だれだれ来たな」「金奉泰来たな」と言う時、金奉泰という紙切れだけあってもぴたっと塞がれるのです。警戒線です。それを越えられなければだめです。絶対否定しなければなりません。 それゆえ、神様は創造するときから絶対信仰をもって(創造)しました。私が言うことは絶対成されるのです。神様のように絶対信じればいいのです。人間世界のがらくたの自分を中心としたごたごたしたがらくたをつくっておいて、神様を宴にお連れしたならば、来るでしょうか(=来ません)。サタン世界を完全に否定しなければなりません。そうではないですか? サタン世界の最も礼物を見事に飾っておいた部屋に、「神様、ここに来て喜んでください」と言えば、唾を吐いてしまうというのです。その痕跡も見たくないというのです。 堕落した人間たちも同じなのです。結婚を二回した人たちが自分のもとの妻の写真を抱えていたり、手ぬぐいでも裏に隠しておいたものを嫌がるのです。堕落した人間もそうなのに、正義の王として正義の最高の先端にいる神様がどれほど嫌がるだろうかというのです。それを考えなければなりません。自分の体にそのようなものがあっては、神様は顔を背けるようになっています。 先生はそのような面では何かがあるというのです。他の人は嫌だと言いますが、そのような何かがあれば、その話を聞きません。先祖が善なら、その先祖の功績を中心として挨拶してもそれを考えてするというのです。どんなに世の中でも覚えられているといっても認めないというのです。それゆえ、統一教会の教会員たちは、先生に出会ったことが不幸なことですか、幸福なことですか?(幸福です)。自分を主張する人は不幸なのです。とても不幸です。自分がなく、み旨に従って一八〇度、三六〇度、次第に大きいところに吸収されればいいのです。一点を中心として一周回ればさらに大きくならなければならないのです。世界のために使っても不平を言わないと言えば無限に発展することができるのです。先生がそうなので神様が好むのです。自分がないのです。 聖日に説教するのも自分勝手に決めません。数千名が集まったのに、話をしようとするとき説教の題目も分からずにどうやって話をしますか? 分かりましたか? 絶対信仰をもって、口を開けば自分の話ではありません。そのような何かがあるので、大衆も導き、時間の限界線を克服して、どこに行くにせよ一年中み言もずっと語ることができるのです。泉から湧き出る水の泉は塞がれないというのです。分かりましたか? 塞いでしまったとしても噴き出るのです。そのような根源地がいつでも通じます。触角はいつでも弦が行っていなければなりません。どこに行ったとしても他のことをするのは二次的であり、副業であって、それが本業ではありません。 それゆえ、信仰生活をしていた者たちが会社に就職すると言って、家庭暮らしがどうこう言って他人に負けないように暮らすために会社に行くと言えば狂った野郎です。私は一生の間月給をもらえませんでした。月給をあげたでしょう? 私が月給をもらったことがなくても、私は飢え死にしません。それゆえ、再創造歴史を知らなければなりません。再創造歴史は神様の代わりに創造することです。 堕落を人間がしたというのです。それを神様が復帰してあげることができたならば、とっくに、数千万年前にすでにすべて復帰されました。人間自分自身が自分を再創造しなければなりません。それが問題です。分かりましたか? 自分自身が自分を再創造して完全な人間をつくろうとするので、自分が完全でない立場にいてはならないのです。そこに反対の性質は完全になれないのです。それをなくしてしまわなければなりません。神様の力を借りて、自分を再創造しなければならないというのです。自分一人でできません。 ですから、先生のみ言を通して、神様の力を借りて、自分を自分が再創造しなければなりません。ですから、統一教会では三年間伝道しなければならず、三年半をファンダレージングしなければなりません。再創造しなければなりません。神様がタッチできる物質がありません。体をつくることのできる土がありません。三年間もてる精誠を尽くさなければなりません。冷遇され、さまざまな侮辱を受けたとしても、克服して世の中のどこでも行くことができなければなりません。地がどれほど侮辱を受けましたか。悪口を言われ、ありとあらゆる侮辱を受けながらも我慢してきたように、万物において、地が忍耐する以上に(忍耐)して、三千里半島、数多くの国境を越えて、冷遇されたとしてもそれを克服して越えていくとき、サタンが付いてこれないのです。そうするために、お金一文も自分のために使ってはならないのです。手つかずのままに一〇〇パーセント献金するとき、自分が百ウォンを儲けたならば、そこに自分のお金一銭でも自分の昼食代を足さなければならないのです。それをすべて使ってはならないのです。徹頭徹尾しなければならないのです。 そして、三年半の間出て伝道しなければならないのです。サタンの世界に出掛けていって、戦わなければならないのです。自分を再創造できる物質を再創造して、サタン世界に行って勝つことによって、創造された人間として天に帰って統一教会に入籍することができるのです。 最近は、このようなことを知らず、祝福を受ければすべて済んだと思っているでしょう? 違います。何も知らない人は系列が外れます。入籍できません。そのような難しい問題が介在しています。賢明に、しっかりしなければならないのです。有名な学校に行こうとすれば、その学校の学習課程とその環境に適応しなければならず、そこで先生が主体であり、自分が対象として一つにならなければならないのです。そうしようとすれば、学科の勉強をするにも、自分が主体ならば勉強できる対象を一体化させなければならないのです。それゆえ、蘇生、長成、完成です。教授(完成)、私(長成)、本(蘇生)が一つにならなければならないのです。全部そうだというのです。 それゆえ、このような真の父母の日をお迎えして、皆さんが考えなければならないのは何でしょうか? 三十八回をお迎えしたのならば、集まった人が体と心が一つになって、夫婦が完全に一つになって、全部千年万年も生きたいものだ、と言うことのできる夫婦にならなければならないというのです。 尹台根(ユン・テグン)!(はい)。どこにいますか? 立ってみなさい。あなたは偽物ですか、本物ですか?(本物です)。顔はすべて小さく見えるのにですか? あの者は私が証しさせてみると、妻を三時間見なくても死ぬほどだ言ったのです。四日間我慢できないそうです。自分(彼)が証をするには、四日間我慢できなくて、一歩行ったとしてもいなければならず、隣村に出掛けたり、見物に行けば、連れていかなければ、一人で行けば不安だと言いましたか? 本当にそうですか、この者? 二人で行ってこそ万事がOKだというのです。また、分からないことがあれば妻がどれほどよく(啓示を)受けるのか、説明するのに、その如くにかちっとぴったり合うというのです。ですから、女性がいなければ生きられないと言いました。そのような男性を私ははじめて見たというのです。 それで、郭錠煥を統一教会の忠男第一号にしましたが、尹台根が忠男第一号になるだろうと思ったのですが、競争して負けてはなりません。郭錠煥! 妻を愛しますか(はい)。なぜ、頭を下げますか? 尹台根ほど愛せないではないですか。(笑い)どうですか?(はい)。妻が病気に懸かっておしゃれをしない女性みたいなのに、先生の前で行ったり来たりしているので、自分が気に入らず、先生の前に来ないでくれればいいと言って、正面から攻撃するのだそうです。「来るなと言ったのに、幹部たちだけ集まるのに、ここになぜ来たのか?」とそう言うというのです。「先生が来たので来るのであって、夫に会いに来たのではありません。(そんな風に言うのは)責任者ではないではないですか?」と(郭錠煥夫人が)言うというのです。それはいいことですか、悪いことですか?(よいことでもあり、悪いことでもあります)。どうなのか尋ねているのですか?(笑い)よいものが多いですか、悪いものが多いですか、というのです。 先生に会いたくて懇切な心をもって来た人を同情して囲いにならなければならないはずなのに、ひどく殴る(=冷たい言葉をぶつける)のがよいことですか? 夫婦が一つにならなければなりません。喧嘩する動機がないのです。喧嘩しようとして口を開いてしゃべりたてれば、自分は後ろを向いて他の考えをするのです。それから、二ページはこのような暴風雨が吹いてくるのであり、銃弾が飛んでくるはずですが、自分は浴びないようにすっと後ろを向くのです。大きな声を出せば、次第に遠くなるのです。もっと大きな声を出せば、見えないようにいなくなるのです。じっとしていれば一時間二時間してから、「どこに行ったの?」と言って探しにくるというのです。なぜ、出会って喧嘩しますか? 分かりますか? 間違いなく一幕はこうであり、二幕はこうであり、三幕はこうであり、四幕は木っ端微塵、がさがさと荷物をまとめるのは明らかなのに、なぜ対面しますか? 相対してはなりません。戦争をなぜ起こすのかというのです。同じなので起こすではないですか。そうではないですか? 相対してはなりません。 口が立つ女性は真っ青になってわあわあと言うのですが、じっと見て研究するのです。「どれほど悔しければ、あのようにするのだろうか? 自分も一度、あのように悔しくなりたい。一度真似でもしてみよう」と言って、わあわあと言ってみると、真似もできないというのです。目を瞑って見ずに、話をするなら、いくらも保たないというのです。思い通りできるものではありません。なぜ、息子・娘に涙を流させますか? 一生涯、息子・娘の前で涙を見せてはなりません。分かりましたか? 先生と約束です。息子・娘の前で涙を見せるお父さん・お母さんにはなってはなりません。それが人間ができる業ですか、できない業ですか。できない業だと言う人は手を挙げてみなさい。喧嘩する人たちは男性たちが間違っているのです。 女性はそういうものです。しきりに、ええんええんと言わ(腹を立てたり悔しがったりし)なければならないというのです。それを訓練しなければなりません。先生のように子供が十三(人)になれば、部屋でいっしょに暮らすのですが、そのお母さんがじっとしていれば何か騒ぎが起こるでしょうか? 殺人が起こるというのです。それゆえ、「飛び跳ねないで座ってご飯を食べなさい」と言いながら、一日中、口を開いていて初めて、暮らすようになるというのです。女性が男性よりも言葉が多いのが自然の理知です。息子・娘が多ければ交通事故を防止するための訓練をしていると考えればどれほど便利ですか? 本当です。 真の父母に侍って暮らす人たちが、一年に少なくとも十二回は喧嘩しなくてはなりませんね? 喧嘩しなければなりませんか? あなたたち夫婦同士ですか?(はい)。喧嘩一つしませんか? 喧嘩すれば妻に負けるでしょうね。(笑い)そうですか、そうでないですか?(喧嘩しません)。ああそう、喧嘩すれば、あなたより妻が頑固なのです。妻に操られて暮らすようですね。尋ねたら率直に答えなくてはなりません。そよそよと妻のお尻をくるむ(=妻をかばう)のを見ると、男性の役割を果たせないようですね?(還故郷する時、付いてきました)。還故郷するとき付いていくのであって、(他に)どこに行くというのですか? 逃げるのですか?(笑い)それ一つが自慢の種ですか? 喧嘩しないのかと尋ねたのに、還故郷したことを話しているのですか? 自慢の種が足らないから、間違いなく喧嘩したという話ではないですか? そう、真のご父母様に侍る者たちが喧嘩しなければなりませんか、つつがなく暮らさなければなりませんか?(つつがなく暮らさなければなりません)。柳光烈?(…)。尋ねているではないですか? 妻と喧嘩して勝ったことがありますか?(勝ちもし、負けもしました)。そう、勝ったり、負けたりして気分がいいですか?(気分が)よくないことをしてはいけません。気分がよくないことをどうしてするのですか? してはならないというのです。気分がよくない人が先ず後退して、「ああ、小便がしたい」と言ってこれをさっと取り出して一度(小便を)してみなさいというのです。便所に行かせなければ部屋でしなさいというのです。「腹を立てて力を入れるからこうじゃないか?」と言って、便所に行って来ればすべて終わるのです。分かりましたか? 三分だけ過ぎれば、一人で笑って帰るのです。喧嘩する危急なことがあれば、便所に出動するべし。アーメン。違います。きょうの真の父母の日、真なる家庭が喧嘩するのを見て、町内で指さされることを好むだろうかというのです。アパートにぎっしりと並んで暮らすのに、近所からがたんどとんと喧嘩する音がとすればどうでしょうか? 一年、十二か月静かに暮らして、「あの家では生きているのか、死んだのか分からない」と言って、門を開けてみるくらいにならなければならないというのです。静かに暮らすのですが、住んでいるようでなかったとしても、息子・娘を産んで楽しく暮らすというのです。「遅く帰ってくる新郎をお迎えにでる人は、あの家の新婦しかいない」という話を聞きながら暮らせばいいのです。分かりましたか、分かりませんか?(分かりました)。 きょう、このような話をするべき話ではありませんが、これを中心として…。 皆さん、祝福家庭がどれほど貴いかということを知らなければなりません。これ(板書されながら)を代表した家庭です。これが家庭を代表し、氏族を代表し、八段階の基準を中心として、この母体が移動せざるを得ない基台になるのです。何の話か分かりますか? 種にならなければなりません。家庭の種にならなければなりません。それゆえ、世界だとか、国家だとか、構造的な要素を見れば家庭を中心とするのです。改葬も家庭を中心として改葬されているというのです。郡守も家庭を中心として郡守になっているというのです。また、道知事も家庭を中心としてなっているというのです。大統領も家庭を中心として大統領になっているというのです。世界の大統領も家庭を中心としてなっているというのです。来られる再臨主・世界の大王様も家庭を中心としてなっているというのです。神様も家庭を中心としてそのようになっているというのです。分かりましたか?(はい)。 家庭と家庭によって連結されているというのです。家庭を中心として、ずっと上に連結されているというのです。個人的家庭、氏族的家庭…。これが(板書されながら)八段階です。終わりです。全部中央が家庭です。この家庭が中心だというのです。分かりましたか? これが核です。この家庭が全体に影響を与えるというのです。それゆえ、全体を代表した家庭です。このようになるのです。分かったでしょう? この場が真の父母が神様がアダム家庭で築ける定着地になるのです。それを失ってしまいました。そこで、アダム家庭に神様が臨在して初愛を結ぶのが、アダム・エバ自体も初愛ですが、神様が人間に対する絶対的な愛の対象のために創造した理想が初めて時を合わせて成熟する場です。 愛の主人がだれだと言いましたか? アダムでもなく、エバでもありません。アダム・エバが一つになって神様の相対になるのであって、主体の位置に進めないのです。主体にはなれません。これがプラスの立場です、これがマイナスであり。(板書されながら)アダム・エバが一つになったならば、主体を代身して相対的立場にアダム・エバが拍子を合わせなければならないというのです。神様が拍子を合わせるのではないというのです。 それゆえ、愛の主人は男性でもなく女性でもありません。女性・男性が一つになったとしても、対象にしかなれないのです。相対にしかなれないのです。分かりましたか? それゆえ、主体の前にいつも三六〇度を中心として基準を立てなければなりません。これがぺちゃんこになれば、すべてのものが壊れていくのです。それが一度固着すれば、永遠にそれが定着して、この宇宙空間で地球が慣性の力によって運動するように愛理想にも皆さんの家庭を中心として慣性運動をするように、これは絶対神様の愛を中心として重力がある世の中に支障なく回っていくのです。そのような家庭になれなかったというのです。そのような中身は同じです。 これ(板書したものを指されながら)をしっかりと押さえれば、家庭を中心としてこのようになるのです。分かりましたか? この核は一つです。それゆえ、皆さんの家庭は何ですか? 皆さんの家庭は自分一人の家庭ではありません。このような意味で家庭を代表したということを知らなければならないというのです。分かりましたか?(はい)。 家庭に八人家族が暮らせば、その夫婦はその八人家族を代表し、それから氏族の代表です。数多くの家庭がありますが、そこで代表です。それから、民族の中では数多くの家庭がありますが、その家庭の代表であり、国家ならば国家、世界ならば世界の代表であり、地上天国の代表であり、天の国の代表だというのです。だれの家庭がですか? 真の父母の家庭がです。これは種です。種が完全な種ならば、その種を植えて繁殖された数億万の家庭があったとしても同じ価値をもつというのです。イコールだというのです。(テープ一終わり) ですから、神様が定着した家庭の定着基準を何千代、何万代、何億万代になったとしても、同じ場に定着できる価値を認められるので種はイコールです。何の話か分かりましたか? それゆえ、私たちの家庭は代表的家庭です。大韓民国を代表したというのです。ですから、盟宣文の二番は何ですか? 私たちの家庭は真の愛を中心として神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的な家庭…代表は頂上です…になり、中心的な家庭になるのです。縦横に連結するようになれば、縦横が連結される立場だというのです。代表的家庭です。代表的家庭であり、中心家庭だというのです。分かりましたか? そのようにしておけばすべての宇宙は皆さんのものです。代表なのでどこにいくにせよ、行くことができるのです。郡に行って郡守たちに会えば、郡守が愛さなければならないのです。代表的家庭だからです。国に行くようになれば、その国の大統領が、世界に行ってもそうであり、天の国に行っても神様が知らないと言うことのできない立場に立たなければならないというのです。それが本来のエデンの園で神様がアダム家庭で築くべき目的でした。 では、今までエデン復帰してきましたが、エデンにおいて、家庭を中心として長子圏、父母圏、王圏を失ってしまたその家庭で世界的に拡大させて、均衡的な平準化と水平線を中心として、神様を中心として、家庭理想を再度編成して、個人時代から家庭時代、氏族、民族、国家、世界、天宙時代まで全部直線上に落ち着くようになるのです。霊界です。体と心が一つになったように統一されなければならないというのです。 こうなることによって、神様が個人時代から民族時代、国家時代、どこでも自由に往来して回っていくことができるのです。ところが、サタンが反対できる条件が成立するのです。こうなので、先生が昨年十一月一日を中心として世界平和家庭連合定着、家庭が定着するのです。数多くの家庭の定着と蕩減解消式を宣布したのです。それは何かと言えば、すべての祝福家庭はこのような(板書されたものを指される)峠がなく、山がなく、水たまりがなく、平面的な立場でアダムが行ったその本然の時代にここから出発するようになったならば、時間がある(=時間が掛かる)だけであって、いつでも行って帰ってくることができるというのです。この話は何かと言えば、五十億人類がいますが、数百億になる過去、現在の人々が心を合わせることができるかというのです。心を合わせてあげ、また、合わせてあげ、また、合わせてあげ、三回だけ合わせてあげれば、合わせてあげることを願わない人は従っていくのです。十回するようになれば十回合わせて初めて、再び相対になるのです。その話が何かと言えば、世界のどこに行ったとしても、合わせてあげることができ、対することができ、反対も消化することができるのです。神様がそのような立場を取って現れるというのです。そのようになる時は、神様の讒訴を抜け出すことができます。アーメン。(アーメン)。(拍手) 嫁が入っていって、父母、祖母など皆元気でいる名家に長男の嫁として嫁いでいったという時、舅、某おじさん、だれはよく、だれは悪いと言っていては長男の嫁の責任は果たせないというのです。全部よいものを中心としてその基準を中心として平準化されて、皆いいと言えるようになる時、おじいさん、おばあさんもよいと言うことができるようになってこそ一つになるのです。そうではないですか?(そうです)。 私がきょうの朝にも話しましたが、北韓の共産党が文総裁を最も憎みましたが、最も好きになって初めて一つになると見るのです。統一がそうであってこそ、成し遂げられるのではないですか? だれかがそのような動機にならなければならないのではないですか? そのような家庭をつくろうというのが統一教会の家庭だというのです。分かりましたか? 三百六十万双をつくっておけば、アダム家庭のような家庭が世界を代表した三百六十万になったので、三百六十万双されすれば、四位基台ならば、おじいさんのペアがあり、お母さんのペアがあり、婿のペアがあり、孫の嫁のペアがあれば、何家庭になりますか? 八家庭になるというのです。その八家庭を、また、してみなさいというのです。倍になるというのです。三段階にさえなれば、瞬く間に統一天下が起こります。そうすれば、家庭が全部どこかに行こうとすれば段が多いので、風習が異なり、法が異なるので、全部塞がれるではないですか。そのようなものがありません。全部門を開いて歓迎です。反対する所に引っかかりません。ぴょんぴょんと飛んで越えていくのです。神様がそのような役事をするのです。自動的に復帰完成するのです。強制屈服ではありません。自動屈服させて平準化運動をするべき代表的家庭にならなければなりません。そのような家庭が真の父母の家庭にならなければならないというのです。統一教会でも父母の役割をし、大韓民国でも父母の役割をし、北韓でも父母の役割をし、中国でも父母の役割をし、アメリカでも父母の役割をし、どこに行っても父母の役割をすることができると言って初めて統一天下になるというのです。(拍手) それゆえ、皆さんが祈祷する時、自分の息子・娘から祈祷するなというのです。祈祷するのも反対にしなければなりません。「天国に対するすべての解放を私が責任もちます。地上の開放を私が責任もちます。世の中のサタンが武器として使うあらゆる迫害圏を私に総攻撃したとしても歓迎します」と言って前進して立つことのできる群とならなければならないというのです。今後は迫害がありません。迫害がある時にそのように勝利して歓迎され得る人と、迫害がない時に世界で歓迎されるのと、天地の違いがあるということを知らなければなりません。価値は不変です。そのような不変の価値を中心として迫害のある時に不変なのと、迫害がない時に不変で何千万倍の拡大の実績を収めたとしても、その迫害される時の価値を凌ぐことはできません。 先生はそれを知っているので迫害を恐れませんでした。世界的な反対が早く来て、世界的な汚物を蹴飛ばしてしまうことのできる日を望んだというのです。もはや、すべて乗り越えたのです。もはや統一教会に反対していては、どの国であれ利益になるものがないくらい基盤をすべて築きました。アメリカさえもそうです。文総裁がアメリカを離れるのを願いません。「ヤンキー・ゴーホーム(Yankee go home)」と言いますが、「レバレンド・ムーン、ナット・ゴーホーム(Rev.Moon not go home)」だと言うのであって、「ヤンキー・ゴーホーム(Yankee go home)」とは言いません。分かりましたか?(はい)。何の家庭ですか?(真の家庭)! 真の家庭が何だと言いましたか?(真の愛をもった家庭)。真の愛をもった家庭が何だと言いましたか? 天地のこの八段階を乗り越えて、自由自在に天下と地と天を統一させられる自由解放を備えた代表家庭です。アーメン。(アーメン)。 ですから、旧約聖書のアダム家庭で最も重要なのが何かと言えば、長子権を失ってしまいました。今までの歴史路程は長子圏復帰です。創世以降、アダム家庭でカイン・アベルが分かれました。父母を中心として一つになれなかったのです。分かりましたか?今まで一つになれませんでした。イエス時代に家庭基準において一つになれなかったものを国家基準で一つにしようとしました。アベル的基準が何かと言えば、ユダヤ教であり、カイン的基準がイスラエルです。カイン・アベルが一つにならなければなりません。主体・対象だというのです。分かりましたか? 主体・対象が一つになるには何をもってですか? 愛をもってです。アベルの愛もカインの愛も同じでなければなりません。そのようにしようとするので、サタンを屈服させようとすれば犠牲になるしかないのです。そこで、打たれて奪ってくるのです。彼を代身して自分が代価を支払ってあげるのです。三回だけ代価を払えば、その借りを返さなければならないのです。天理の理知がそうだというのです。分かりましたか? 環境の中では主体と対象があるので、イスラエルの国を中心として主体がユダヤ教であり、国がカインです。これが一つにならなければなりません。だれが一つにならなければならないのかと言えば、祭司長が責任者なので、国家と責任者が一つにならなければなりません。これが国家的にメシヤが来てユダヤの国とユダヤ教会が祭司長たちを中心として一つにならなければならないのです。それもカイン・アベルだというのです。イエスがアベルだというのです。ここで、祭司長たちがカインになって一つになるべきなのですが、その組織的編成が成されなかったというのです。分かりましたか? 再創造歴史だというのです。 環境をつくったならば、そこは必ず主体と対象がいなければなりません。統一教会の環境、復帰摂理の環境圏内に統一教会が進んでいるのですが、アベルの立場が主体ならば、必ず対象であるカインを中心として再創造歴史をしなければなりません。神様が投入して記憶するのではありません。無限に投入して忘れてしまうので、無限に復帰するのです。それゆえ、個人復帰も問題なく、家庭復帰も問題なく、国家復帰も問題なく、無限に今まで引き続き投入して忘れてきたというのです。 このようにすることによって、アダム家庭で失ってしまったものを再び取り戻してくるのです。絶対信仰、絶対愛。絶対愛が何ですか? 神様の創造の目的は愛の相対者を探すことです。ですから、絶対的な愛のパートナーを探すためには、神様自身が絶対愛を標準にして投入してきたというのです。それゆえ、絶対服従は自分の意識構造まですべてなくなります。自分のすべてを投入して忘れてしまうのです。神様が天地を創造した創造主としての(神様御自身の)価値的内容を認めません。終わりまで下りていくのです。終わりまで下りていきながら投入するので、この相対は上がっていくのです。上がっていって、神様が立っている位置を越えるようになれば、自動的に二人とも助かるのです。 無限な高気圧になれば空気が爆弾のように圧縮をして、ここに何であれ、はめ込んでしまえば鯣(するめ)のように平べったくするのです。無限な力が生まれるというのです。与えて忘れてしまえば無限に下りていきながら無限に与えることによって、自動的に神様の立場まで運動して回転運動が発生するのです。何の話か分かりましたか?(はい)。 それゆえ、高気圧になれば低気圧が自動的に訪ねてくるのです。自動的運動圏が生じるのです。町内でもそうではないですか。言葉なく終わりまで犠牲・奉仕してみなさいというのです。高気圧になるように空いた所が訪ねてくるのです。里長が訪ねてき、村の青年が訪ねてき、自然に自分の側になるというのです。 それゆえ、絶対信仰、絶対愛。絶対愛のために絶対投入するのが服従です。自分の意識がありません。従順というのは自分の意識を中心として一つになることのできる立場を言いますが、服従は自分の意識概念がありません。分かりましたか?(はい)。完全否定はそこでストップしなければなりません。否定の否定を過ぎてそこに肯定的条件さえ立てば、その限界線はそこでストップするのです。無限、膨大なこの世界で、無限な愛の世界を訪ねていこうとすれば、無限に投入して忘れてしまう立場で天が今まで現れるのです。そのような何かがあるので、数千万年我慢してこられた神様を尊敬しなければなりません。そのように我慢して無限に投資して無限に犠牲になりながら、忘れながら、また投入する神様を父として侍る私たちにとって、十年が問題ではなく、一生が問題ではありません。生涯を数回ひっくり返して復活して、また生まれたとしてもそれを忘れてしまい、また忘れてしまおうと思わなければならないというのです。 本物の愛は、永遠に本当に愛することのできる基準は、永遠に昔から投入してき、また永遠に続けるものだというのです。永遠に、永遠に、永遠に、永遠に続けながら、投入して忘れてしまうことのできる思想がある所に、無限な愛、絶対的な愛、永遠な愛があるのです。ここは理想と永世の論理が生ずるのです。 ですから、アダム・エバに戒めを与えたのは何でしょうか? 善悪知るの木の果を取って食べるなというのではありません。男の子の中から、自分の愛の対象としてエバをつくったのですが、天使長の誘引される可能性があって危険千万なので、取って食べるなという戒めを与えることができますか、できませんか?(与えることができます)。与えざるを得ないのです。それが何かと言えば、女性の貞操を守れということです。それが自分のものだと思いました。 女性のものが主人がだれだと言いましたか?(男性です)。私たち統一教会の教会員はそれを知っているでしょう? 男性のものの主人はだれだと言いましたか?(女性です)。それが適当な主人ですか、絶対的な主人ですか?(絶対的な主人です)。絶対的な主人です。真の愛は一つしかありません。初愛が二人の夫を抱えません。一人の夫を抱え、一人の女性を抱えます。絶対的に一人です。それで、絶対セックスというのです。フリーセックスを防御するのは絶対セックスです。 これは何ですか? 足を踏んでしまえ、といって先生にこのようにふんぞり返っていますか? 夫にも不作法にそうですか? 分かりましたか、あなた? 目をぱちくりししているあなた。エバの目が自分のものですか?夫のものだというのです。ここの祝福を受けた女性たち分かりましたか?(はい)。それをもって他の男性を横に見ると、目が腐ってしまって骨が熔けるのです。宇宙にとって、これを犯す日には赦しがありません。追い出した原則を知らなければなりません。救いがありません。それを追い出して数千万代の後孫を通して復帰しようと思うのです。それを忘れてしまう時まで。 節操というものが何か分かりますか? 韓国では節操のある女性を何と表現したでしょうか? 春香が? 春香がいいですか、悪いですか? 春香を迎えれば、李若様(*李という若様)になるというのです。韓国が「禮義之國」(=礼節と義理を敬う国)という国だというのです。妻を中心として春香だというのです。女性たちが孝女を中心としては何ですか? 沈青です。女性たちがそれをしなければなりません。沈青のようにならなければならず、春香以上にならなければなりません。下(ピョン)地方長官(代官)がそばに仕えろと言っても、言うことを聞くことができません。愛ゆえに生じた生命なので、悪い愛の中で犠牲になったとしても、輝く愛によって復活するということを知らなければなりません。分かりましたか?(はい)。(日本のメンバー! 先生のみ言が会得されましたか? どうですか?(はい)。どうですか?(はい)。言葉を勉強しませんでしたね。通訳を通して会得するのは恥ずかしいことです。) さあ、きょう、父母の日を記念するのに知らなければならないのは、真の父母という言葉がどれほどもの凄い言葉かということなのです。神様が創世以降、数千万年待ち望み、どれほど恋しく、どれほど内外に、胸に傷を残しながら探してきた言葉かということを知らなければならないというのです。それが事実だとするならば、皆さんがどれほど感嘆しなければならないかというのです。神様の息子になったならば、そのように悩む父に侍る長男になり、長男になったならばどのように侍るのかというのです。千年歴史が一晩で全部木っ端微塵になくなっても、自分の伝統的姿はそのすべてのものを踏んで昇って神様の心の中に現れるのです。千尋万尋にもなる(=とてつもなく深い)どのような物でも、神様がすべて忘れてしまったとしても、自分たち二人を見て慰安を受けることができるだろうというのです。このような思いをもった絶対的な主婦にならなければならず、絶対的な夫になり、絶対的な妻になって、この宇宙の代表的家庭にならなければならないという事実を知ってこそ、その一族を中心として民族編成の中心となり、国家編成の中心となり、世界編成の中心となり、天地編成の中心となり、神様が理想とする地上天国を統一できる理想的な家庭ではないでしょうか? そうなるでしょう?(はい)。すべて頂上に登っていかなくてはなりませんね?(はい)。ですから、皆さんは皆最高を願います。 どのような父母になりたいですか? 先生の上に登っていきたいですか、先生の下に下りていきたいですか?(上に登っていきたいです)。上に登っていきなさいというのです。先生は先生の十倍、百倍の者をねたみません。自分から学んで皆すてきな論文を書いて世界の王たちがラッパを吹いて歓迎し得る弟子をもったならば、その先生はどれほど誇らしく素敵でしょうか? 同じです。私は私よりも皆優れているだろうという人をねたまないというのです。 再臨主をするという人がたくさんいるでしょう? 私が許諾するので、それ以上してみなさい。心情的に先生の前に何十倍以上懇切な人になれば、絶対滅びません。その道はいくらでもあるのです。 さあ、アダム・エバを見て神様がこの宇宙をつくったというのです。あの別世界がどれほど大きいですか? そこにダイアモンドの星があるでしょうか、ないでしょうか? この宇宙に地球の何千倍大きな星があるというのです。そのようなダイアモンドの星があったならば、一度旅行してみたいですか、行って自分のものにしたですか? 欲心がどうですか? とても醜くて、何と言うか、ぺちゃんこになったかぼちゃのようだとしても、ダイアモンドの大きな星を自分のものにしたいのであって、見物したい人は一人もいないというのです。それはだれがつくってくれた心ですか? 神様がつくってくれた心です。その世界があるのです。分かりましたか? 女性たちは何カラットのダイアモンドを見て、鼻が伸びて目が回って真っ直ぐな目(=驚いて凝固した目)になって、「私を思い通りにしてください。私は売られていってもいいです」と言っているのですが、ダイアモンドの星があったならば、そこに売られていきたいですか、売られていきたくないですか? その世界の主人になりたいですか、なりたくないですか?(なりたいです)。先生の話が理にかなった話ならば、そのようにできる可能性があり、本当に妥当な話ならば一度決心して行動してみたい思いがありますか、ありませんか? ない者たちは死ねというのです。堆肥の山になるしかならないというのです。 先生もそのような夢があります。私が神様に、「私が願っていたダイアモンドの星が地球の何千万倍大きなものを願ったのですが、一つつくってください、神様!」と言えば、アダムが話しもしない時に(天宙を)つくられた神様が、アダムが完成して神様の創造理想である真の父母の立場に進んで、天地の大道という心情世界のすべてのものを知って、神様を解放させることのできる孝子の道理を果たした真の父がいて、つくってほしいと言えば、つくることのできる能力があるでしょうか、ないでしょうか? 私が星天国を一つつくらなければならないと考えるのです。そのような素敵な男の女に一度なりたい人は両手を挙げてみなさい。わあ! 本当ですか?(はい)。先生の十倍、百倍苦労しなければならないというのです。(笑い) 郭錠煥に、きょう私が証をなぜさせたのか分かりますか? 愚かな人にさせれば、神様が来て仕事をするので、妨害されるものがありません。分かりましたか? 自分がありません。ですから、私がさせます。今回も家庭連合を中心として何かをするのですが、自分が嫌だといって、「ああ」と言いながら、ああだこうだと言う人たちは皆、自分の何かがあります。文章を見ても、何を見ても自分がなくてはならないという思想をもっています。そのような人は天が願いません。その中に神様が入っていけません。そのような人は絶対に最高の人物として登場させられないのが先生の人生観です。神様がそうです。何の話か分かりましたか? 神様が皆さんの心に入ってきて、東西南北に「八道江山」を歌い、踊りを踊るにしても、何をするにしても、そこで拍子を合わせて、何でもできる度胸(=肝、腹)をもったのかというのです。監獄の独房暮らしのような、息苦しい所に神様が入って行けるでしょうか? 先生に学んだのですから、先生に学んだよりも大きくなければならないというのに、肝が太くなければならないですか、反対に意気地なしみたいにならなければなりませんか?(肝が太くなければなりません)。先生は太い肝をもった統一教会の息子・娘になればいいと思うのですが、あなたたちは(どう思いますか)?(はい)。どうして答えがこうなのですか? 昼御飯を食べれずにお腹が空いたようですね。(笑い) 先生は太い肝をもつのがいいと思うのですが、「はい」ですか、「いいえ」ですか?(はい)。ああ、あそこ、電気が切れますね。管理人はだれですか? 金重壽。来て、電灯が切れるのに鑑定しませんでしたか? 何が、ふふんふふん(*笑っている様子)ですか?(コスタリカに行っています)。行っていったとしても鑑定しなくてはならないでしょう。(笑い)五つか、六つが切れていたのです。歯が抜けたのと同じであり、目にゴミが詰まったのと同じなのに、それを見て管理人たちは何をしていましたか? 郭錠煥!(はい)。協会長!(はい)。奉泰!(はい)。大会場に責任をもたなかったですか? それを見ましたか、見ませんでしたか? 尋ねているではないですか? 見ましたか、見ませんでしたか?(ついぞ見ませんでした)。なぜ、ついぞ見ていませんか? 目がありませんか? それで優秀だというのは先生に通じません。分かりましたか? ここの管理人はだれですか?(私が管理人です)。それなのに、なぜ、そうのようになっていますか? 自分のおへそに穴が一つさらに空いたとしてもいいということでしょう? 先生をそのように取るに足らない人と考えるな、というのです。見えないようでもすべて見えるのです。ですから、どこかの工場に行けば、先生を最も恐ろしく思うのです。隠しておいたものを皆ひっくり返しておいたのです。明け方に何をしているのかすべて見てきたのですが、「先生はどうしてそのように分かるのか分からない。分からないようにしておいたのに、普通の人は忘れてしまうのに、先生はどうして、そのようにつねって困らせるのか」とそういうのです。(笑い)本当だというのです。それゆえ、統一教会の教主を老いて死ぬまでするのでしょう。(笑い) 世の中で、口八丁手八丁の、この世のありとあらゆる変な者たちが皆入ってきても、仕方なく頭を下げているのは、先生を料理できないのでくっ付いているのであって、料理できれば売って、ありとあらゆることをすべてするのではないですか? 分かりましたか?(はい)。 今から世界と国を収拾できる分野において、次元の高い立場に留まることのできる梯子のような版図をつくっておかなければなりません。国が訪ねてくるというのです。南北が訪ねてき、アジアが訪ねてくるというのです。 国家的メシヤは一度手を挙げてみなさい。下ろしなさい。絶対的に祝福家庭として代表的家庭を忘れるべからず。アーメンしなさいというのです。忘れるべからず。(アーメン)! 忘れるべからず!(アーメン)! 忘れるべからず!(アーメン)! (拍手)私の声より小さいですね。 それゆえ、絶対愛の主人になりなさいというのです。絶対愛の主人にならなければなりません。主人になったので、下人たちを育てることができ、息子・娘を育てることができなければならないのです。どこに行くようになっても、その村の前で長にならなければなりません。手本にならなければなりません。 史吉子! あの女性が協会長夫人の役割をした人ですが、劉孝元ですか、劉孝敏ですか?(劉孝元です)。(*郭錠煥先生答える)妻が関心がないので忘れてしまわなければなりません。「一年で墓に何回行って来ましたか」と言うと、二回行って来たそうです。今後、先生が共同墓地に行けば(=墓に入ったら)何回来るでしょうか? 十年に一回来よう、ということです。その話はそういうことです。十年に一回来るか、百年に一回来るか、どうして分かりますか? 今から訓練をしなければなりません。夫を訪ねていくのは、先生の墓でも(=お父様がお墓に入ったとして、そのお墓に行くよりも夫の墓に)十倍、百倍行くことのできる懇切な気持ちが身にしみてこそ、天下のお母様になり、お母様の後継者になり、お母様の分身になるということが分かりませんか? この者、一年に二回ですか? 協会長夫人になったのは、数多くの統一教会の女性たちが行くことのできる道を築いてあげ、手本を見せてあげなければならないのです。 ここもそうです。協会長は何回行ってみましたか? 過去と現在が分立されているではないですか。現在と過去が連結されています。きのう私が連帯という話をしたでしょう? 連帯的関係だというのです。未来の伝統を立てるためには、現在になされた中心人物を尊敬視できるのが伝統として流れていかなければならないのです。 きょう、郭錠煥がきょうも話したのですが、郭錠煥をだれが分かってあげますか? 郭錠煥を分かってあげる人がどこにいますか? 先生くらい分かってあげましたか? 分かってあげなかったでしょう? このような話を初めて聞いて、きょう初めて知るというのです。教えて理解させなければなりません。だれも分からない、郭錠煥がそのような仕事をしたと考える時、皆さんも天の命令を受けて絶対順応、絶対服従する立場に立てば、その仕事をいくらでもすることのできというのです。分かりましたか?(はい)。 私も郭錠煥が十倍以上できる自覚を覚醒させるために、証詞をさせたのだというのです。そうすれば、三百六十万双祝福は何でもありません。「私一人でもできる。私が一人でやる」と言ってみなさいというのです。二人だけそのような人がいれば問題を起こすだろうというのです。神様は一人でやると考えるのです。 郭錠煥がきょう自分の恥ずかしい話をしなかったのですが、三十六万双をしろというので、目が真っ直ぐな目(=驚いて凝固した状態の目)になって、セメントの目になって、このようにしていたというのです。三十六万双をしておいて、今回三百六十万双をしなさいと言ったら、今回は目が真っ直ぐにならずに喜色満面になって、「問題ありません」と言ったというのです。そこで、私が「ああ、私よりも優れているなあ」と思いました。それで希望をもっているのですが、後で蓋を空けてみなければならないですが、自信満々なのでここで悪い数が出るということを知らなければなりません。神様が自信満々になることのできる場を占領してしまいやすいと見るのです。いつも自信をもってはならないというのです。希望をもって絶対愛、絶対服従の心をもって自信を乗り越えることのできる努力をしなければなりません。そうして、自信をもってこそ、それが自分の所有になるのであって、自信を乗り越える努力をしないで、自信の基盤をもてば、それが盗賊野郎になります。一定のもの以外に加える分量を自分が占めることのできる立場から盗賊野郎になるというのです。分かりましたか? 先生が南北統一を中心として世界的な舞台で戦っていますが、私は自信をもちません。自分を中心として天を考えません。天を前に立てるというのです。よいことがあれば、天を前に立てて自分を前に立てません。そうしてこそ、神様が私に入ってきて働くのに支障がないというのです。分かりましたか?(はい)。驕慢で自分があれば折れます。目に見えるようになり、穴がぱんぱんと空くというのです。命令一つでに行けるようになれば、真っ直ぐな道、一つの道しかないというのです。そのようになれば、天が全部してくれるのです。 日本の食口たち分かりますか?(はい)。この者たち、信仰を前に立てて天道を奉じて行くときに、自分たちの責任はなおざりにして、天が計画するものを妨げていながら、恥を知らずにいるのです。きょう七百名が全部自分の責任だと決心して帰らなければなりません。分かりましたか?(はい)。(日本のメンバー《はい》。今まで日本のメンバーたちは弁明をたくさんしたというのです。先生の前に弁明は必要ありません。…) 国家的メシヤというのはイエス様の解怨成就をしなければなりません。アダム家庭が失敗したものを、イエス様が解怨成就しなければなりません。家庭的メシヤを立てて、国家を投入してローマを消化しなければならないことに責任を果たせなかったのです。先生はローマであるアメリカや南米を中心として先頭的立場に立ったのですが、彼らが反対できる時代的運勢はすでに過ぎていきました。世界を収拾できる立場に立っているので、世界的メシヤの立場で国家的メシヤを派遣したのだというのです。国家的メシヤが責任を果たせなくて、一つの国、二つの国がないといっても神様のみ旨が築かれません。イスラエル選民一国でもって築こうとしたものが、百八十五か国に全体均衡的なイスラエル圏を許諾したのです。それゆえ、万民が共に天の祝福を受けることのできる対等な立場に上がっていくのです。このようなことをする橋梁を架けるために行ったのが国家的メシヤです。その国の難しさはその国のメシヤが先ず責任をもたなければなりません。何の話か分かりましたか? だれかに責任を負わせるなというのです。 先生が助けてあげるからと言って、そのお金をもらってはならないのです。自分の家を売り、一族を売ったとしても、その国を生かすことのできる業をしなければならないのです。先生はもてる財産のすべてを動員して、南北米を統一するためのものと同じように、先生のような精神で統一的な一画にならなければならないというのです。同じ計画の下に同じ形態でしてこそ、天が協助するというのです。そうでなければ天が協助しないというのです。それゆえ、国家的メシヤはその国の総督と同じです。全権をもって治めることのできる時代が来たというのです。 そして、百二十名の日本女性宣教師を送るのですが、この人たちが活動する宣教責任が何かと言えば、大使館です。各国の大使を料理するのです。そうすれば、日本が百八十五か国を中心として一つの大使館に百二十名ずつぶら下がっているので、百八十五か国の全世界の日本の大使は完全に私たちのペースに入ってくるのです。各国はそのようなペースに入っていくのです。 このようにしておけば、世界の頂上級のすべてに連結することのできる立場が広がるるというのです。これが組織されれば、国連のようなものは大使を送って、国連事務総長を中心として国連会議を開いて、国連に加入するのは問題ないというのです。そのような世界の復活圏を中心として計画するので、ここに歩調を合わせるために、国々を橋を架けて高速道路をつくって走ることのできるようにして、韓国から出発して百八十か国を回っていくのに支障ないようにして、それから飛行機を飛ばなければならないというのです。何の話か分かりましたか?(はい)。 そこで、百八十五か国に、宣教師百二十名ずつ行く人たちを中心として、大使館を中心として氏族的メシアになる七か国の大使を動かして、先生が行くようになれば、その国の大統領と閣僚を教育できる準備をしなさいというのです。今年にするべきことが何かと言えば、百八十五か国の巡回路程は、父母の日に出発しなければならないというのです。そうするためには、飛行機を買わなければなりません。 どうですか、飛行機を買わなければなりませんか、買ってはなりませんか?(買わなければなりません)。よい飛行機を買わなければなりませんか、悪い飛行機を買わなければなりませんか?(よい飛行機を買わなければなりません)。そうすれば、お金はだれが出しますか?(私たちが出します)。出しなさいというのです、今すぐ。(笑い)そのような計画するすべてのものが中断されてしまいました。 一日に十か国行くつもりです。先生の性格で一日に十か国行けば、何日ですべてできますか? 世界を全部訪ねていって、名のある人たちに影響を及ぼすようにして話をすべてしてあげて初めて、先生の使命がすべて終わります。国家的メシヤが責任を果たせないので、その道を私が開いてあげなければならないというのです。分かりましたか、何の話か?(はい)。 何時間になりましたか? お腹が空きましたか、お腹がいっぱいですか?(お腹が空きました)。私のお腹は鉄甲腹(=お腹の空かない腹)ですが、私もお腹が空いたので、皆お腹が空いたでしょう。 さあ、これくらいにして、次のプログラムをご飯を食べて引き続きするのです。何時ですか? 二時十分なので、四時に集合です。(拍手) 氏族的メシヤの話がまだ終わっていないので、それに対する話を劉正玉がしなさい。ウルグアイでしていたすべてのことをもう一度強調しなさい。この者も国家的メシヤがそれを知りません。やったものが一人もいなかったというのです。私が裏の部屋で聞くつもりですから、抜くものがあるか、全部鑑定するつもりです。分かりましたか?(はい)。四時から始めなさい。(はい)。何時に公演ですか?(七時です)。ここから近いでしょう? 二時間話してください。私が喉が詰まって話してあげられそうにないというのです。私が話してあげれば悪口ばかりしきりに出ていくのでだめです。「この者ども!」というようにです。まだ、この者どもと言いませんでした。そのような悪口が出ていくようで、話さないつもりなので、集まってしてあげなさいというのです。(ケーキを切らなくては…)ケーキはその時切るのです。(一同気を付け! 真のご父母様に立ったままに敬礼! 直れ)。(拍手) お母様がケーキを切ろうと言っていますね。私がお母様に決済をもらうので、仕方がありませんね。(祝賀。ケーキカット)(万歳三唱)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.13
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第14回「愛勝日」の御言1997年1月2日、ブラシル・サンパウロ 復帰摂理の公式 祝福は血統を転換しなければなりません。では、この血統転換をだれがするのかといえば、真の父母様から成さなければならないのです。 堕落することによって、堕落したエバとエバの息子がいます。カイン世界の父母と息子はいますが、アベル世界には父母と息子がいません。 これをどのように転換させるかが問題です。アベルが立つためには、母親がいなければなりません。母親がいるためには、父親がいなければなりません。ですから、再臨が必要なのです。 なぜ、この地上に再臨が必要かといえば、母親を立てて、アベルの子供を束ねて、カインの子供を救いカイン世界から切ってしまわなければならないからです。カイン的世界は、アベル的世界とは異なる世界ですが、切って地獄に送ることはできません。反対に従っていかなければならないのです。 アベルの父母を中心として一つになったアベルの前には、カインの父母が従わなければなりません。カインの子供が従い、サタンが一番後ろに立たなければなりません。天国に入っていくのは、一つの血統を通して、一列で入っていかなければなりません。 ところが、堕落した以後は、一列で入っていくことのできる道がありません。これを連結させるための出発がアベルでした。アベルはカインを屈伏させなければならないのですが、それは強制ではありません。 アベルはカインのために犠牲になり、カインを自然屈伏させなければならないのです。自然屈伏させて、カインとアベルが一つになったその土台の上で、カイン世界の母親を転換しなければなりません。強制ではなくて転換するというのが復帰摂理の公式です。 ところで、イエス様が何をしなければならないかといえば、血統転換です。これが復帰世界のすべての結論です。メシヤが来て、統一された世界の上にイエス様が新婦を選んで、カイン アベルの勝利の覇権の立場に立たなければならないのです。ユダヤ教とイスラエル民族が、アベルとカインです。 ここで母親を中心として一つになれば、その基準は、血統的な因縁で母親と子女が個人的に勝利した立場に立つのです。王が先に愛さなければなりません。愛の出発は王から始まります。王とアダムを代身してメシヤがその仕事を成就して、イスラエル民族とユダヤ教が侍る王宮を設定して、イエス様は結婚式さえすればそれで終わりです。イエス様は何をするのかといえば、血統転換です。 イエス様を中心として家庭王国を迎え、家庭が成立したならば、イエス様が祝福をしてあげるのです。祝福の内容が何かといえば、旧約時代に祭物をささげた条件、その次に、新約時代に息子のための条件、母親のための条件、父親のための条件、家庭のための条件、国のための条件を立てて越えていくのです。 それゆえ、このようなすべてのものを失い犠牲にしたので、その内容を全部、復活させる基盤がなければなりません。ところが、イエス様がメシヤとして来られて失敗したので、イエス様が血を流しました。そのような血を流した歴史を通して、祭物の旧約時代は過ぎ去り、新約の祭物時代に移っていくのです。 それゆえ、キリスト教自体が、行く所ごとに血を流すのです。血を流す目的は何かというと、今後、来られる父母の道を準備するためです。万物を犠牲にしたのは、息子たちが行くべき道を準備するのと同様に、息子がこの地に来たなら、息子は父母が来る道を準備しなければならないのです。キリスト教はみ旨を成せなかったので、父母の立場を成せなかったので、父母が来ることのできる祭物の過程を経ていきます。 キリスト教が祭物の過程を経て血を流すのは、来られるご父母様のためです。再臨の目的のためにこのようになるのです。そうなれば、ご父母様が来て血を流してはならないのです。また、ご父母様はどこに来られるかといえば、完成期ではありません。 アダムは長成期完成級で堕落しました。長成期完成級は国家基準です。それゆえ、イエス様が国家基準を通して来られたのです。しかし、国家的メシヤになれませんでした。ですから、世界舞台の問題を連結させ、世界的メシヤ時代を全部、未完成で残しておいたのです。 では、再臨主がこの地に来られて、世界的舞台で全部祝福をするといっても、すべてのものがひっくり返されるのではありません。長成期完成級で堕落したので、そこから七年路程があります。 この七年路程が何かというと、一九四五年から一九五二年までの七年路程です。この峠を越えなければなりません。ですから、長成期完成級を越え、世界基準を越えるにおいて、祝福の基盤を築かなければならないのが原理観です。 キリスト教が先生を迎えたとしても、完成の立場ではありません。長成、完成の立場としてのイエス様が失敗したのを担って、そこから、世界的祝福圏内に展開していくのです。それが七年以内に皆、終わるのです。 蕩減復帰の原則 祝福は血統転換です。なぜ、血統転換をしなければならないかといえば、二つに分かれたからです。堕落した母親と息子がおり、復帰される母親と息子がいます。 では、血統転換が何かというと、アベル的母親とその息子に接ぎ木する役事です。血統転換は、自分たちの努力ではできません。先生がそのことを、サタン世界で実践 勝利してきたので、その伝統に従って血統転換の礼式が生まれるのです。そうでなくては、神様の血族である祝福の場に入ってこれないのです。そうなれば、二人の母親の愛の門を通じなければならないという論理が出てきます。 横的に見れば、ヤコブ家庭においてレアとラケルが争いました。ラケルが本来は本妻です。ヤコブから見るなら、レアの妹のラケルのために七年間苦労しました。本妻にはだれがならなければならないでしょうか? ラケルがならなければなりません。ところが、実際に結婚した人はだれでしょうか? レアです。 ヤコブに対して、神様はどのようにレアを受け入れさせたのでしょうか? それは不可避的なことです。二人の母親の関係が、この局面で覆されなければなりません。そうするためには、家庭的基準を立てなければならないのです。ヤコブを中心として、選民イスラエルが選民圏を結成できる、そのような勝利者になるためには、血統を転換させなければならないのです。 リベカは何をしたかといえば、自分の長男をだまし、父親をだましました。エデンにおいてエバの堕落が何かというと、アダムをだまし、神様をだましたことでした。これを蕩減復帰しなければならないのです。蕩減復帰の原則は、不可避的なものです。このようにして、引っ繰り返さなければなりません。 タマルも同じです。タマルはリベカの孫の嫁として、祖母がすることを全部よく見て、多くの世話をした女性です。それゆえ、内的な面でそのような事情を知っていたので、何か困難があっても、「天の啓示がこうなので、このことを断行しなければならない」という内的な何かを感じたと見なければならないのです。 またリベカも、長子と父親をだますことを通して神様のみ旨が成されるということは知りません。リベカは何も知りませんが、そのような命令に従って順応したのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従したのです。自分の一族、祖父母を愛し、全イスラエル選民とアブラハム、イサクの神を愛したのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従するところには自分という意識がありません。弁明がありません。 タマル自身は、リベカの影響を伝統的に受け継いだのです。タマルの最初の夫が死に、次男である夫も死んだので、一二男との結婚をユダは許しませんでした。ですから、血統を継ぐ道は自分の舅しかいないので、しかたなくユタを誘い込んだのです。 では、エバはどのような立場にあったのかといえば、神様の娘であると同時に妻です。この二つを知らなければなりません。娘であると同時に妻の関係にあるので、娘の相対し得る息子の立場がだめなときには、父親を中心としても帰らなければなりません。復帰の道ですから、息子を底辺として、父親を踏み越えていかなければならないのです。 タマルには、そのとき夫がいませんが、どのようにしたかといえば、娼婦の姿をして舅をだまし、道ばたで舅を誘い込み、双子の赤ん坊を身ごもったのです。それが、イスラエルの一代祖になったのです。これによって血統が転換されたのです。 ここからイスラエル選民圏が生まれました。血統が変わったのです。しかし、ここで家庭的基盤を中心とした勝利的版図を備え、イスラエルの国に小メシヤが来たとしても、対等な兄弟の国家基準に至っていないので、イスラエルが国家基準に上がるまで受難の道を行くのです。 このような受難の道を経て、二〇〇〇年を過ごしながら、環境的に汚されたその血統を再び清算しなければなりません。ですから、イエス時代のマリヤも同じです。 ザカリヤ家庭の秘密 エバがアダムをだまし、神様をだましたのと同様に、エバの立場にあるマリヤもヨセフをだまし、その父親をだましたのです。父親はヨセフが婚約したので、結婚して幸福な家庭を築いてくれるという父親の理想を、マリヤは完全に奪ってしまったのです。 それゆえ、復帰の道は“蕩減”という決裁を除くことができません。今日、統一教会員たちは蕩減という言葉は知っていますが、蕩減の路程は行きませんでした。蕩減の道は先生が行ったので、皆さんもご父母様と絶対的に一つになることによって、越えていくことができるのです。 蕩減というものを知らずに、今まで来たのです。ヤコブ家庭でも、レアとラケルが引っ繰り返りました。全部、長子権の母親の立場であるべきラケルが、レアに奪われました。本妻にラケルがなるべきなのに、レアがなったのです。 ですから、ヤコブ家庭において二人の母親の血統を受け継いでいくようになります。サタン世界をそのままにしてはいけません。一人の母親の子女を中心として、そこにレアとレアの息子十人が、ラケルの二人の息子、ヨセフとベニヤミンの後ろについていくようになります。それは、ヨセフとリベカの責任です。 また、レアの母親がヤコブの母親と一つにならなければなりません。二人の母親が一つになり、どこに行かなければならないのかといえば、自分の家族を連れて、ヤコブの所に来て、本妻が妾の立場に立たなければなりません。 これが天命であり、私たちが必ず行くべき運命の道です。ラケルを本妻の立場に立て、その息子であるヨセフはアベル型の兄であり、ベニヤミンは弟です。しかし、十人の兄たちは母親をはじめとして、ヨセフと一つにならなければならないのです。 そうして、ヤコブ家庭で収拾できなかったものを、マリヤの時代に家庭的基準に立って、氏族が出発することのできる家庭的基準で、母親と子供たちを収拾すべき責任がヤコブにあったのです。 これを国家的時代に来たので、イエス様が生まれるときに、マリヤを中心として再蕩減するのです。レアとラケルを代身して収拾するのです。それがザカリヤ家庭です。 ザカリヤは、ヤコブの延長、国家的すべての血統を転換させることのできる国の先祖として登場するのです。エリサベツは、本妻です。そこにまた、だれが入らなければならないかというと、マリヤが入らなければなりません。 世の中で見れば、奇怪なことです。だれの妾かといえば、自分にとっては、姉の立場にあたる人の夫の妾なのです。ザカリヤがだれかといえば、いとこの夫です。お姉さん格のいとこの夫を奪うという、そのような女性がまったくどこにいるでしょうか? そのとき、ザカリヤもそれをすべて理解し、エリサベツも理解していたことを知らなければなりません。ですから、エリサベツは、マリヤを許したのです。レアがラケルをだまして、すべてを奪っていったその反対の出来事が行われたのです。マリヤは自分の行くべき道を知ると、メシヤを身ごもらなければならないということが分かったのでした。 エリサベツもそのことを知り、マリヤに同情して、そのことに協助してあげるために、自分の夫の部屋にマリヤを案内してあげたのです。夫を譲ってあげるのです。 それで、三か月間何をしたのかといえば、一緒に暮らしたのです。そうでなければ、一日、二日会って、子供を身ごもることができますか? 家に帰ってきたのは、妊娠して帰ってきたのです。 エリサベツは、妹の立場のマリヤを愛して、自分の夫をあげたのです。女性として、どれほど苦しいことでしょうか? それを克服し、神様のみ旨のために絶対信仰、絶対愛、絶対服従することのできるエリサベツがいたということを知らなければなりません。 またマリヤにとっても、世の中の常識で考えるとき、それはあり得ないことでした。けれども、すべて天の指示があり、それにより、そのことを絶対信仰、絶対愛、絶対服従でなしたのです。 アダム家庭で神様が啓示したのが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。ですからこの伝統を立てなければ、神様のみ旨が立つ場がないということを知らなければなりません。 そうなれば、マリヤも絶対信仰、絶対愛で姉を愛するのです。また、姉を愛するように、姉の息子も愛するのです。また、姉が愛する夫も愛さなければなりません。そこに絶対信仰を持ち、姉の夫、姉、息子を愛したのです。 姉の夫の愛を受けるに値し、エリサベツの愛を受けるに値し、洗礼ヨハネの愛を受けるに値するのに、洗礼ヨハネが責任を果たせませんでした。 そうして、ヤコブ家庭で二つの血統が延長してきたのが、ここで一つにならなければなりません。一つになった土台の上に、これが成り立たなければなりませんが、そのためには、家庭を持たなければなりません。 イエス様がみ旨を成すためには、新しい血統、国家的王圏の中心となり得る血統として、イスラエル民族を選民に立てて、選民を中心とした国家的王の基準を結実できる土台を備えるのが、ザカリヤ家庭であり、エリサベツとマリヤ、洗礼ヨハネとイエス様でした。 これを愛を中心として見るときは、すべてが怨讐です。愛するザカリヤに対しては、そうでないかもしれませんが、エリサベツの前にいるマリヤも怨讐であり、マリヤの息子も怨讐です。またマリヤにおいても、夫の愛を中心としてはザカリヤも怨讐です。洗礼ヨハネも怨讐です。怨讐の感情を持てば、復帰の道は永遠に不可能です。怨讐の概念を持てば、統一圏がなくなるという伝統を知らなければなりません。 怨讐のザカリヤ家庭において、エリサベツはマリヤが自分の夫を奪い、愛を奪った怨讐ですから、どれほど悩んだでしょうか? そしてやはり、後にはうまく越えられませんでした。最後まで愛することができなかったのです。 しかし、マリヤは易しいのです。姉から引き継ぎ、姉の立場と自分の息子の立場を伝授されたので、それほど難しくはありません。一番難しいのが本妻の立場です。本妻のエリサベツと洗礼ヨハネとザカリヤを中心として、二つの血統が一つにならなければなりません。 一つになって、どのようにならなければならないかというと、弟(妹)が兄(姉)さんにならなければなりません。カイン・アベルを復帰しなければならないのです。長子権復帰です。兄の立場に弟がならなければならないし、弟の立場に兄がならなければなりません。母親の立場も同じです。 伯母(エリサベツ)の立場が妹(マリヤ)になり、妹(マリヤ)の立場が伯母(エリサベツ)の立場になり、ザカリヤは昔、サタン的な立場の血統を残したその血統を否定し、イエス側の傍系的な系列の主人として行かなければなりません。これが、どれほど大変でしょうか? 皆さんは、原理を知っていますが、彼らは何も知らないのです。ですから、どれほど犠牲になったかを知らなければなりません。 キリスト教は主を迎える新婦国家 ヤコブの家庭で、二人の母親の血族を中心とした十支派と二支派の北朝イスラエルと南朝ユダが、世界版図の闘争の歴史を展開したのです。アダム家庭でカイン・アベルが分かれ、ヤコブ家庭で家庭を編成しますが、二つの血族が生まれたのです。 アダム家庭は、サタンの血族です。選民が生まれるのに、二つの血族であったため、どれほど大変だったでしょうか? 血統復帰をするために二千年間役事をして、洗礼ヨハネとイエス様の時代まで来たのです。 何千年前になされた歴史の事実を、現世において蕩減しなくては天の国に帰る道がないので、そのような悲壮な闘いをしたのです。このようなことを知っている人はいないのです。 神様も知っていますが、発表することができず、サタンも知っていますが、だれかに教えてあげることはできません。神様が干渉して、教えてあげる内容ではありません。 アダムとエバが皆知ってから、アダムの家庭、アダムの一族たちが皆知るべき問題です。そのようなI族たちがいません。ですから、サタンも教えてあげることができないのです。 サタンも反対しますが、サタン自身も、教えようとしても教えてあげられないことです。完全に塞がれたのです。これは、だれがしなければならないのでしょうか? 蕩減復帰路程において、メシヤが来て干渉しなければならないのです。 旧約時代は祭物時代、新約時代は息子祭物時代です。キリスト教は霊的基準だけを残したので、体が打たれるため、キリスト教は血を流さなければならないのです。サタンが食いついてぶらさがるのです。 サタンは、「イエス様の体は自分のものなので、これを取り戻すためには、キリスト教自体が血を流して、歴史過程の勝利の覇権を持たなければ立つ場がないのではないか」と言うのです。それを再総清算する戦争が、第二次世界大戦です。 キリスト教は霊的救いです。霊的なもので、実体的な関係を結ぶことはできません。それゆえ、聖霊は母なる神としてやって来るのです。天と地のこの中間にはサタンの権勢があるので、宗教を信じる人たちはこれを突破して上がっていかなければなりません。 それゆえ、聖霊とイエス様が恋愛する心情以上の心情を持たなければ、メシヤと出会う道がないのです。だからといって、世の中のサタン世界が精誠をささげることのできる自由環境にはなれませんでした。 精誠をささげて祈祷するときは、通じることができますが、その環境を去れば離れるのです。このことを千回、万回しながら、霊界が近づいてくるのです。一番最初には、一点がら始まって、どんどん広がって平準化時代が来るのです。 第一次世界大戦、第二次世界大戦は外的な戦いでしたが、第三次世界大戦は思想戦を中心として、蕩減してくるのです。第二次世界大戦を中心として見ると、日本は雑教国家です。英国は唯一神を信ずる国家です。また、アメリカは英国が産んだ息子です。アングロサクソンの直系です。息子が母親を主管します。それが、英、米、仏を中心として勝利した統一連合国を中心として見るときに、だれが中心なのかといえば、アメリカが中心です。フランスでもなく、英国でもありません。 なぜ、そうでなければならないのかといえば、メシヤを迎えることのできる立場だからです。メシヤ国家をつなぎ合わせるためです。メシヤは二番目として来られるのです。二番目に立った息子が、母親とサタン側を化身して初めて、第二次世界大戦でキリスト教が勝利圏を立てることによって、その福を受けたのはどこの国かといえばアメリカです。アメリカは何かといえば、世界統一の天の側の長子権を復帰した息子です。 アメリカ、ドイツ、フランス、英国もそうです。中心は一つしかありません。母親になることはできません。エデンの園に母親がいましたか? 天使長は、どうしてイエス様の上に立つことができますか? 絶対服従しなければなりません。 それゆえ、息子を中心として世界版図の立場に立ったのがアメリカです。第二次世界大戦以後に築かれた統一文化圏世界に、王子の立場に立ったのがアメリカです。このアメリカは、何をしなければならないのでしょうか? 長子の立場で、世界国家を弟妹国家として収拾しなければならないのです。弟妹には命令できます。母親にまでも命令できる最高の立場に立つのです。けれども、この者たちの前に何をしなければならないのかといえば、来られる主を迎えなければなりません。 なぜ、主を迎えなければならないのでしょうか? キリスト教は新婦国家です。主が来られるのを待ちます。カトリックも主が中心であり、新教も主が中心であって、マリヤが中心ではありません。また、イエス様を中心として見れば、イエス様が中心ですが、来られる再臨主が中心です。その再臨主がだれかといえば、息子の立場ではなく、父母として来られることを、キリスト教徒は知らずにいます。 エデンの園での神様の戒め ご父母様を立てて、祝福して血統転換することにより、一つの道へと行くことのできる血族をつくらなければならないのが、統一家においての合同結婚式です。 これはすべてのものを克服するのです。超民族的、超国家的、超人種的であり、超宗教的、超文化的、超伝統であり、サタン世界にあったすべてを越えて立った立場で祝福するので、サタンが讒訴できる何の条件も認めない場であるということを知らなければなりません。 祝福したという立場は、自分の国を忘れてしまわなければなりません。今日、統一教会員は、約婚してからは、「高校しか出ていない!」と言って、つばを吐きました。それ自体が矛盾です。 今まで皆さんは、どのように暮らしましたか? 今まで自分がどこかの大学を出て、何かをしたにせよ、迫害される統一家に誇るべきものは一つもありません。エデンの園で祝福を受けたならば、迫害があるでしょうか? 統一教会の看板も、私は願いませんでした。 統一教会で職責のある先輩であるとか言っても、その先輩は迫害される場で祝福を受けたのであって、歓迎されて祝福を受けたのでしょうか? そのような意味で、すべてのものが引っかかっているのです。ただ、目的が何かと言えば、来られるご父母様が願いです。キリスト教は知りませんでした。イエス様だけが来られると思ったのであり、父母として登場するとは思ってもみませんでした。 統一家の人々は、キリスト教を信仰する以上に、ご父母様と一つにならなければならないのです。そのことを、はっきりと知らなければなりません。 国家メシヤとして行くとき、だれだれはどこの国家メシヤとして行き、自分はなぜ、あのような国のメシヤとして行かなければならないのか、と不平を言う人がいます。アダム・エバは砂漠にいれば、砂漠で生きなければならず、山奥にいれば、山奥で生きなければなりません。そこに不平はあり得ないのです。 絶対信仰です。どこまでも、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。絶対愛がなければ、絶対愛を中心とした血統転換が不可能です。その絶対愛の因縁というものは、神様ご自身が血統を立てるためには、絶対服従という立場において、神様の血統を捜してきたのです。 エデンの園の戒めは何でしょうか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。それが何かといえば、「善悪を知る木の果を取って食べるな」というものです。善悪を知る木の果が何ですか? 女性の生殖器です。 なぜ、そうなのかと言えば、そのとき女性は一人であり、天使長は三人で、神様を含めれば四人の男性がいます。ですから、神様が警告するのが何でしょうか? エバに対して注意するのです。「貞操を守れ」と言うのです。それゆえ、神様を絶対信仰すれば、天使長をなぜ信じますか?なぜ、関係を結びますか? 神様ご自身は、どれほど深刻な立場で、戒めをくださったでしょうか? 「取って食べるな」というのです。韓国語では、「性関係を持つな」という意味で「取って食べるな」と言うのです。女性たちが男性を誘い込んで、関係を結んだのを「取って食べた」と言いますか? 男性が女性を誘い込んで強制して関係を結んだことを「取って食べた」と言います。 韓国語は啓示的です。そのような言葉も、そのようにきっちり合わなければならないのです。そうしてこそ、解放が可能なのです。 では、祝福という場に再臨主が来て何をするかと言えば、旧約時代の祭物権、新約時代の息子の祭物権、これが皆失敗したので、父母時代の祭物権として父母が祭物になるのです。父母が千万回犠牲になったとしても、神様を地上にお迎えしなければならないのが父母の責任です。 神様と一体的理想を成せなかったので、千万回死んだとしても、神様がこの地に臨めば、死んだとしても神様によって、復活することのできる道があるのです。その精神で行くというのです。死ぬ道を覚悟して行くのです。皆さんはどうでしたか? 自分勝手に、復帰の道をどのように行くのでしょうか? 今まで、「一線を越えなければいい」と、だれが教えましたか? すべて明らかにしなければなりません。国家が成立すれば、その時になって霊界から打たれてしまいます。天使が来て整理するのです。 三百六十万双結婚をする前にすべて明らかにしなければなりません。「一線を越えなければよい」という話がどこにあるでしょうか? エデンの園で一線を越えず、対することのできる女性がいたでしょうか? 男性がいたでしょうか? 先生の最も大きな悩みは、事の処理をどうするかということです。この地で別の血族をつくったものをどのようにすべきかというのです。砂漠地帯に隔離して、自動的に消耗する道を取らなければなりません。そうすれば、彼らが霊界に行って残ればどうするかというのです。最も頭が痛いことです。その一族をすべて滅亡させて、処理するといっても処理できないのです。そのような面から見るとき、神様は愛です。 祭物の歴史 英、米、仏が一つになって、ご父母様に侍ることができませんでした。父母を荒野に追い出しました。人類歴史は、六千年ではありません。数千万年過ぎてきながら捜してきたのが、この道です。 その一時、連合国を中心としてメシヤを迎えて、平等的な家庭理想の世界版図を神様が築いて、一つの血族をつくるためのみ旨でしたが、先生を追い出したので、どのようにして血統復帰するのでしょうか? これが祭物です。これをどのように克服するかというのです。皆さんがこれを越えるためには、先生のために生きた祭物にならなければなりません。祝福を受けた家庭は分けることはできません。分けてはなりません。男性、女性として生きた祭物としてささげなければなりません。 そうでなければ、祭物は裂かなければなりません。ですから、統一教会の先生は、今まで重要な時には妻と息子を分けました。妻と夫を分けました。 息子・娘を皆打ってしまいました。息子はサタン側の死地に出すのです。出すときには、分かれた皆さんが一つになって生きた祭物になってこそ、神様が一致した祭物として受け、皆さんの息子・娘たちも生き返るのです。これが祭物の歴史です。 このような観点から見るとき、統一教会のすべてのものが失敗です。歴史的な新婦圏を代表したキリスト教が失敗したのです。失敗したので、先生は、英、米、仏を捨てたのです。 日、独、伊は、サタンの絶対所有的立場に立っており、天の国として立った英、米、仏を破壊させるために、サタンが最も愛し、サタンが国を中心として立てた代表的なものです。英、米、仏をサタンが捕らえたので、サタンが二つとももらうことはできません。祭物を二つとも持つことはできません。 サタンが右側を持てば、左側を神様が取らなければならないのです。ですから、神様がしかたなく英、米、仏をサタンに譲り、神様は、日、独、伊を取るしかないのです。 唯一神を中心として、歴史上で血を流してきた母の国を捨て、雑神に仕える日本の国を母の国として立てずしては、再臨主が地上に定着する条件がありません。すべて奪われて、荒野に追い出されました。英、米、仏の行く道を反対する側が生まれたのです。ですから、教派分裂が生じるのです。 正統を誇る輩たちのまえに、怨讐視される異端の輩が現れるのです。さまざまな異端の輩が現れることによって、異端の中でそこに残ることのできる一つの正統の道を探していくのです。 先生は、解放時代が来たといって、万歳を叫んでみたことはありません。行くべき道を知っています。皆さんも、はっきり知らなければなりません。それは、「愛勝日」まで行く道です。 ところが皆さんは、家庭的祭物の道を嫌がりました。息子と一つになって四位基台の祭物にならなければ、結果主管圏を越えることができません。直接的な主管圏に入るためには、息子・娘を祭物としてささげ、勝利した覇権の立場を持たずしては、直接主管圏に入れないのが公式です。 統一式と「愛勝日」 興進が昇華しました。興進が昏睡状態にいるとき、そのマスクだけはずしてしまえば死ぬのです。すべての面で希望がない立場まで行くのです。 こうして見ると、一人の興進を中心として、サタンはあちら側におり、こちら側にはお母様、お父様、神様がいます。息がとまる前には、まだ天の側にいます。死ぬ前にすべて処理しなければならないのです。その酸素マスクを自分の手ではずさなければなりません。お母様もそれを見なければなりません。 そこに、少しも悲しい涙を流してはならないのです。祭物に対する未練を持ってはなりません。寸分でも心情的な悲しみがあり、涙が先立ってはいけないのです。人間的な情緒が先立ってはなりません。天情が先立たなければならないのです。 神様が涙を流すとき、神様を慰めるために、「神様! そうしないでください!」と言いながら、涙を流せば許されます。自分が涙を流しては、祭物になりません。その立場に立つのです。これは話だけではなく事実です。数日を前にして、その準備をするのです。これが統一式です。 「あなたはお父様と一つになった。心情的に生涯一つになってきた。そのような条件を残すことができ、あなたはまたサタン側でもこの家庭で二番目である。私たちの歴史時代から、サタンの攻撃の第一の標準になっている。私がそれを知っている」という、このすべての条件を越えて、お父様が責任を持って勝利の覇権を樹立しなければ、天下が崩れます。 どれほど深刻か考えてみてください。息子が死ぬのが問題ではありません。それを念頭に置くことができません。天地が感動するのです。 そこにどうして自分の子供だと考え、涙が先立っていくのかというのです。そのような立場に至らなければならないのです。私だけがそうではいけません。神様も私についてこなければならず、お母様も私についてこなければなりません。 ですから、死の淵に至らなければなりません。死を見ても、振り返って神様を慰労しなければなりません。お母様がそうでなければなりません。振り返って「お父様! 悲しがってはなりません」と、勧告しなければならないのです。また、お父様は「神様! 悲しがってはなりません」と言わなければなりません。その統一された立場が統一式です。 興進自体がそのような立場にいて、統一的な立場に生きた祭物として立て、お母様も一つの心、お父様も一つの心、神様も一つの心になっても愛の土台がありません。その淵で、痛哭することのできる立場に立って、堕落しなかったエバに祝福される愛の版図をつくっておかなければなりません。 息子を愛する代わりに愛し、神様を愛する代わりに一体を成さなければならず、お父様、お母様が一体を成さなければならないのです。死んだ息子を中心として死亡圏を越えて、堕落を知らないアダム・エバの初夜の愛の道を植えておかなければならないという、とてつもない立場です。 それはあり得ることでしょうか? お母様がお父様の前で、涙を流してはなりません。どれくらい大変なことでしょうか? この立場を越えなければなりません。そうでなければ、統一式がすべて壊れていってしまいます。その愛の兆場がその上に立つので、サタンはここに侵犯できません。これが復活圏です。 ですから、“死”に勝ったという事実的な内容が提起されたので、「愛勝日」という言葉が現れたということを分かったことと思います。 皆さんの家庭は、それ以上の愛を家庭にもって生きなければならないと、毎日のように修練過程を経て、その伝統をそのどん底から立てることのできる立場を探さずしては、この宇宙に愛の理想を通して、自由遍歴することのできる幸福の道、希望の道がないということを知らなければなりません。 お母様とお父様と興進と神様が全部一つになって、創造理想の覇権が提示されました。神様から、お父様、お母様、興進まで、このようにして行く場合には、イエス様を指導することができ、霊界を指導することができる生きた祭物となるのです。 すべて死んだ祭物として行きました。死んだ祭物が、霊界を完全に主管することができるので、イエス様のお兄さんの立場に立つのです。このようになったので、霊界と肉界が結婚することのできる勝利の版図を築いてくるのです。 皆さんの三大先祖、三大子女の死体を中心として、そのどん底に入っていって、本然の愛の心を中心として、家庭的愛の理念の土台を築くための努力をしなければならないのが、祝福を受けた家庭が行かなければならない道です。先生が立てた伝統の道を、踏んで行かなければならないという事実を知らなければなりません。 「愛勝日」について分かりましたか? (はい)。深刻なのです。ですから、涙を流してはいけません。祭物です。アブラハムがイサクを祭物にするとき、涙を流したでしょうか? 自分の息子を考えるのですが、天の解放のために祭祀を行わなければならないのです。 愛の祭司長、家庭の伝統的父母の祭司長の立場に立たなければなりません。そのことを取り除く者がいません。神様も真のご父母様も取り除けず、サタンも取り除けません。ですから、「愛勝日」です。愛だけが勝利するのです。 皆さん、今まで暮らしてきた家庭を中心として、あるべき立場まで、どれくらい距離があるか考えてみなければなりません。教えてあげなくても、自他共によく分かるはずです。 解放時代を願う先祖 三百六十万双の祝福を完遂すれば、統一天下になります。統一天下は、何を中心として回っていかなければならないのでしょうか? それは錨です。地上世界の悪魔の主管は、伝統的に習慣化されて染まって汚れているものを清算することのできる錨です。綱でつないで皆さんを押し出すのに、錨綱が引き抜かれたり、切れてはならないのです。 それが皆さんの家庭にならなければならないし、皆さんの一族にならなければなりません。切れるかと思って、一族を束ねて国家的な祝福家庭、メシヤを皆束ねてあげるのです。 国家的メシヤの立場は、サタンが相対できません。結果主管圏を持ちます。長成期完成級まではサタンが主管する圏内ですが、祝福を受けて息子・娘を持ち、先生が認定するのです。血統転換して自分の圏内にいる絶対的な存在を認定するのです。 そうでなければ血代転換がありますが、血代転換ができないのです。それで、お母様の責任です。数多くの女性たちが、先生を中心として怨讐です。旧約時代の新婦もおり、新約時代の新婦もおり、成約時代の新婦もいます。それが宗教で言えば、四大宗教が残っています。キリスト教で教えるものは、仏教で、儒教で、皆教えてくれるのです。 こうして二つの主流が現れ、お母様を中心として一つになって、帰っていかなければなりません。理論的にそうです。二つの世界が長子権、父母権、王圏が一つになって、天地の大道で堕落しない完成基準の絶対愛を中心として、絶対愛の伝統がすべて打ち込まれ、天の果てまで軸になって、これを中心として世界が帰っていかなければならないのです。そのある焦点を合わせておかなければなりません。 神様が縦的な父母であり、アダムが横的な父母だという理論は、一体理想です。一体理想がなく、愛の喜びを共に感じることのできない立場では、統一されたとは言うことができません。 それを教えてくれるのが、今回、お父様とお母様が語られた内容です。「救援摂理史の原理観」は何でしょうか?先祖と神様との関係、イスラエル民族との関係、終わりの日の再臨主を中心とした世界との関係、父母と関係できる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の関係を明らかに教えてあげた内容です。 これはすべての統一教会の食口たちが、千回、万回読んで暗記して、目を開けても、夢の中でも唱えることができるようにしなければなりません。 神様が、このみ旨のためにどれほど、千万回、億万回を考えながらも涙をたくさん流された道であるかを知らなければなりません。これが九六年を中心として回っていく年です。この年にアダム家庭からイエス様までのすべての失敗、この地上に恨みの残った先祖まで皆、清算しなければなりません。 霊界に行ったすべての先祖たちや自分の後孫たちは、世界的な神様の祝福を受けることのできる解放時代を願っているのです。どこのだれもがそれを願っているのです。優れていようと劣っていようと、それを願っているのです。 天を掃除し、地を清算すべき真のご父母様は、どのように清算すべきかに心を痛め、気をもむだけではいけません。それを収拾しなければなりません。橋を架けなければなりません。 橋が断たれれば、石橋を架けたりしなければならないし、それがだめなら、木の橋であれ、皮の橋であれ架けて、渡っていかなければなりません。渡っていけば、その橋は必要がありません。また、説明をすることができません。相対に説明をすれば、行くべき道が塞がります。 父母様だけが、神様とサタンの前で独自的に解決しなければなりません。議論することができません。議論することができれば、復帰歴史は問題がありません。母親の怨讐があり、母親の息子の怨讐がいます。母親としてすべきことは、これを愛さなければなりません。 このように見れば、私たちの家庭で聖進の母親と聖進がちょうど引っかかるようになったのです。どのような困難があったとしても、離婚した後、聖進の母親をお母様は知ることもできません。結婚して七年に満たないで離婚したので、知ることも見ることもできませんでした。けれども、お母様は聖進の母親のために投入したのです。 では、お母様に対して、今まで私が教育したのが何かと言えば、離婚した聖進の母親のすべての便宜を図ってあげることです。本当にお母様は素晴らしいのです。私は本当に尊敬します。 蕩減復帰は、ただで越えていくことができません。死んでいきながら、自分がお母様に対して福を願って、自分の福をすべて譲ってもいいというのです。 世界的な解放祝福時代 自分はこのように行きますが、世の中で自分が夢見た以上にお父様に侍り、息子 娘を自分の息子・娘の名で受けた願いの代わりに祝福をしてあげ、行くことのできるお母様にならなければならない責任が、お母様の使命であることを知らなければなりません。それが易しいことでしょうか、難しいことでしょうか? また、聖進の母親の代わりの存在を立てなければなりません。崔元福先生は、崔氏の一族です。崔先生は、夫と子供から離れて、反対されるところから従ってきたのです。そうしながら、お母様の行く道の切り盛りをすべてしなければなりません。 そうしながら、お母様に自分の母親のように侍らなければなりません。娘のように侍らなければならないのです。嫁のように侍らなければならず、母親、祖母のように侍らなければ復帰はできません。だれかがそのようなことをしてあげなければなりません。 ですから、お母様を選べば、すべての面を中心として、お母様の代身の役事を、皆切り盛りしてあげなければなりません。築いてあげて、後でお母様に相続してあげなければなりません。 ですから、お母様の仕事がどれほど大変でしょうか?どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。 また、お母様の母親、大母様がプログラムを霊界から教えてあげます。“これこれこのようなことがあれば、このように行かなければならない”と、そのように苦労されました。再び霊肉を中心として、お母様を災難の中から解放され、よくなるようにすることのできるみ業をしたのが大母様です。 そのようなことは、すべて統一教会のだれも知りません。劉協会長も知りません。それは私が皆、お母様を迎えて聖婚式が終わった後には、大母様に対して「この洪氏のおばあさん、今から教会の正門を出入りできません。裏門を出入りしなさい」。と言いました。 その狼のようなおばあさん、おじいさん、自分の孫娘・嫁を中心として、真のお母様に結ぶために準備した団体と、準備した人が珍しくないのです。十二派以上になるのです。競争するのです。その戦場を全部訪ねていくのが先生の責任です。皆さんは、そのような内容は知りません。今日、お母様一人を立てるのがどれほど大変だったかしれません。 お母様は、ただ現れたのではありません。涙ぐみながら従わなければなりません。さあ、このようにして一九九二年まで先生の後についてくるのです。お母様を前に立たせてはならないのです。女性を前に立てれば、必ず皆、先走りしやすいのです。天機を失いやすいのです。 すべて先生に従って、先生が皆築いておいて、すべての蕩減圏を中心として、女性解放とともに女性解放の土台の上で、お母様を先生の横に対等な立場に立てるのです。 そのときから先生が権限を高めてあげたのです。三年、四年以内に譲ってあげるのです。その道を行っているのです。今年までです。今年まで、全部清算しなければなりません。ですから、急ぐのです。残しては、問題が生まれるのです。 こうして、「世界平和家庭連合」が定着することのできる基盤を築き、このようにして蕩減解消宣布式まで行かなければなりません。そうせずしては、全世界三百六十万双を越えて、民族とすべてのものを越えて、同一な立場で祝福をしてあげることができないということを知らなければなりません。 皆さんがこの道に出るためには、二人の母親の血統を引っ繰り返す過程を経たので、そのことを相続するのが血統転換式です。真の父の名によってするのです。それは、お母様も分かりません。 赤ん坊の種は、父親によるのであって母親ではありません。しかし、父母の基準を連結させようとすれば、皆、赤ん坊が定着することのできる相対理想がないので、父母の名をもって血統転換式をしているということを知らなければなりません。その式も復帰式です。 天使長、お母様、お父様、アダムを通して、杯を女性の上に置いてあげるのは、愛と同じです。アダムとエバの失ってしまった初愛で結ばれるその式です。条件的な式です。聖酒には、そのような条件物が入っているということを知らなければなりません。 そうして、先生が今まで、三家庭、三十六家庭、七十二家庭、それから、百二十四家庭、四百三十家庭、七七七家庭、それから一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、それから三百六十万家庭の祝福という過程は、世界的な解放祝福式の時であるというのです。公式的です。 愛を除いて血統転換はできません。終わりの日に神様がそうでなければならず、来られる主がその過程を経なければ、越え立つ道がないということを知らなければなりません。二人の母親の愛の因縁を引き継いで、二人の息子を統一して、前後を分けることのできる伝統的血統を連結させる条件物が聖酒です。 皆さんの家庭に二人の母親がいるとすれば、二番目の母親が主流になることを知らなければなりません。おじいさんが孫になり、息子がお父さんになり、お母さんが娘になり、それから、妻が主体になるのです。反対になるのです。夫が夫ではありません。妻の立場、僕の立場に至らなければなりません。 そうなれば、三代を祭物としていっぺんに生きた祭物をささげることのできる心を持たずしては、帰ることができません。おじいさん、父親、自分のお兄さんです。おばあさん、母親、お姉さんは、譲ってあげなければならないのです。地上で戦争をするときに、敵国が滅びるようになれば、女性たちは皆捕らえられていくのです。女性たちを解放してあけるのです。 皆さん、そのような決意をすることのできる立場にならなければなりません。おじいさんと父親とお兄さんを祭物としてささげることのできる人にならなければ、乗り越えることができません。 「神の日」が設定された背景 旧約時代、新約時代、成約時代です。それゆえ、統}教会の今後において、自分の父親がどうだといって還暦を祝いながら、うちの何々家の一族がどうだこうだ、と言ってはだめです。氏族的メシヤ(宣布)という話が出る前には、それをやっては引っかかるのです。 還暦を祝うようになっていますか? 誕生日は祝えません。私は三年間、誕生日を祝いませんでした。誕生日にも、ご飯一つに三つのおかずを越えませんでした。喪服を来て、三年の喪に服さなければなりません。それが愛を抜いてしまってはならないことを知らなければなりません。 また、「神の日」を策定するとき、どうして「神の日」を一九六八年一月一日に宣布したのでしょうか? お母様があらゆる女性たちを一つにして、真の父母を愛し、神様を愛したという式を過ごす前には不可能なのです。 女性の中ですべての愛を中心として、王宮では、王妃は王女たちを愛せよと言いましたか、嫉妬しろと言いましたか? 愛したならば、王が行くことのできる手引きをして、すべて譲ってあげなければならないのが王妃の行くべき道であるということと同じです。 そのように、お母様としてすることのできることをすべて成さなければなりません。世の中のすべての女性たちを皆、ご父母様だけが愛され、神様だけが愛することのできる道を紹介するのに、一番の代表になったという条件を備えなければなりません。 どのような女性であれ、妹のように愛し、その者を生かすためには、自分が神様の代わりにメシヤの十字架を負っていくのです。“十字架の道を行こうでという心情を持ちながら、東西南北、心に引っかかるものがあってはなりません。 そのようなものがパスされる立場が設定されることによって、「神の日」が設定されたということをはっきりと知らなければなりません。 それゆえ復帰の道は、六千年、何千万年ではありません。先生でなければ、何億万年、すべて地獄になるのです。先生は時になれば、あらかじめ分かります。自分の行くべき道が分かります。教えてくれる前に分かります。間違って選択すれば、いつの間にか葛藤が起こります。分かるようになっています。 それが天の福であり、私たち民族の福です。その福のある先生に反対する韓国を見なさい。先生の時代においての二十四年間に復興したすべてのものが、八〇年代を越えて、十二年間に全部、敗亡していっているのです。先生の話を聞かないので、全部倒れつつあるのです。 さあ、結論は簡単です。ただそのまま成されるものはありません。蕩減条件を立てずしては越えていくことができないということを知らなければなりません。神様が現れるのに、どれほど悲運の歴史を見たかというのです。先生が昼夜、どれほど息が詰まったかしれません。五感がすべて麻痺し、息詰まる過程をすべて、僕の僕の道を経てきたのです。僕の僕の道を経なくては、その道を開拓できません。 「父母の日」もそうです。「父母の日」、「子女の日」、すべて条件を立てるのです。それゆえ、皆さんは知りませんが、このような転換点では必ずすべて、律義な統一教会の教会員たちが全部祭物になっていくのです。 統一教会に祭物となる人がいなければ、世界の他のすべての宗教、キリスト教であるとか、そのような所のすべての人々が、先生のプログラムに合わせるために多くの人が犠牲になっていっているということを知らなければなりません。 皆さんがこの場にまで出てくるためには、その背後に数多くの人を祭物として犠牲にしてきたのです。そればかりでなく、その花として花を咲かせなければならず、香りを放ち、天の天使と天に侍ってさしあげることのできる実を持たなければならないということを知らなければなりません。 皆さんの目で、先生を見ることのできる資格がある人は一人もいません。正面で見ることができ、正面で「お父様、ご父母様」と、あいさつできる者は一人もいません。私はそのような立場で神様に侍りません。絶対、不変、唯一、永遠性をもって侍ります。 きょうを期して、今からは、再び皆さんに語る時がないので、すべて任せるつもりです。公式席上に立って、「こうしなさい、ああしなさい」と、皆教えてあげました。 もはや、「神の日」が先生を代身して皆さんの日となり、「父母の日」が皆さんの日となり、「愛勝日」が皆さんの「愛勝日」にならなければなりません。 後孫のために伝統を正しく立てて、悔い改め、相対的立場に立って、それを中央につないで三六〇度、氏族と自分の一族を通じた民族の前に、連結させるべき責任があるということは、復帰摂理路程で不可避な結論です。お父様の代身者にならなければならないのです。 純潔を愛する イエス様の生涯は悲惨です。父親がいませんでした。母親はいましたが、母親の愛に対してイエス様は相対することができません。兄はいましたが、相対することができません。 毎日、生活する主体を中心として、天道の道理を立てていかなければならないのに、その主体がなすべき目的が何かと言えば、家庭を築くことです。祝福世界を築かなければならないのに、そのような話し合う相手が一人もいなかったという話です。 堕落は十六歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、十七歳で結婚についてマリヤに話したのです。 十七歳のときに結婚で行くべき道を説明し、十年後の二十七歳で説明したのです。また、三年後に三回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのです。 だれがイエス様の相対にならなければならないのでしょうか? それが洗礼ヨハネの妹です。サタンが汚した血統は完全に切ってしまうのです。完全になくなるのです。 サタンは家庭破綻と青少年破綻をもたらしました。アダム家庭でなされた世界家庭の破綻を、世界版図で成したのです。それがサタンが行き着く終着点です。 家庭で天下を収拾しなければならない道を整備するのが、国際合同結婚式であることを知るべきです。(アーメン)。責任を果たさなければなりませんか、果たさないでいいでしょうか? (果たさなければなりません)。 三代を祭物にする悲惨な立場を越えて立つためには、これをしなければなりません。これができない皆さんは、私とは関係がありません。私は私なりに行くのです。 そのような意味で国家的祝福が成就されたときは、今まで反対された迫害の中で、許しを受けることのできる道がそのときにあるかもしれません。それから世界的舞台を、三段階の道を越えなければなりません。特赦される時代は今からです。 一線を越えなければいいと思って勝手に行動する人は、全部、再び聖酒式をしなければなりません。純潔な血統をもって、越えていくようになっているのです。 今後、手をつけることのできる相対はいないのです。分かりましたか? (はい)。はっきり分かったという人、手を挙げてみなさい。皆、そのように教えてあげなさい。いつもこの女性たちが問題です。この女性たち! さあ、ですから、先生の一生がどれほど悲惨だったでしょうか? 純潔を愛する先生です。 「愛勝日」の意味 このように、真の愛という道理を中心として、“ああ!『神の日』がこのようなものだった”ということを知らなければならないのです。お母様として、ご父母様として息が詰まる立場を三六〇度回ることができるのですが、無難に通過しなければなりません。 そうしてこそ、神様がこの女性世界の版図、男性世界の版図を自由自在に往来できる価値を持つので、神様の解放という条件を立てて、「神の日」を創建したのです。「父母の日」も同じです。お母様がそのような道を経なければならないのです。 「愛勝日」は、“死”以下の立場に降りていって、本然の愛を神様とともに植えておかなくては、その息子・娘が皆、解放の天国を越えていくことのできる道を築くことができないのです。ですから、「愛勝日」を宣布することによって、昇華式が可能であるというのです。地で祝福してあげてから行くのです。 今からは、「真のご父母様への誇りと愛は、三百六十万双祝福の完遂」です。皆さん全部、誇ることもできなかったし、愛することもできませんでした。この峠を越えなければなりません。 皆さんの解放もなし、皆さんを全部祝福してあげ、宴を催すことのできる一日が始まるのです。その日を越えたとすれば、三千六百万双は一年以内に可能です。言論機関を通してできるのです。 地の果てまで、私たちの喚声が響き渡らなければなりません。知らせてあげなければなりません。知らせてあげなければ、皆さんが引っかかります。ご父母様の責任を果たせないのです。 神様が待ち望んだ、その復帰の路程の前に、父母たちが責任を果たせなかったすべての怨讐のその血族の群衆を、解放させるためのみ業が真の父母の歴史です。 きれいに清算しなければなりません。アダム家庭からイエスまで、全部清算しなければなりません。その上に三百六十万双をすることによって、アダム家庭の氏族、民族、国家、世界が一時に結ばれるのです。祝福によってそのようになるのです。 祝福は真のご父母様に侍り、神様に侍り、祝福を受けた人が天国に入っていくものです。後のアダムのように、自分の後孫に従って祝福を共に受け、入っていくことのできる天地に解放圏が生まれるのです。 愛する相対がいれば、地獄に行ったとしても、地獄の門から復帰してくることができるのです。真の愛が問題です。ために生きた人のその妻が地獄に行ったとしても、全部復帰してくることができるのです。サタンは権限がありません。そうなれば、世の中の天地がすべてきれいになります。 すべての民族は天の国の民として、皆さんの後孫たちが生まれる解放の息子・娘を持ってこそ、天国に直行する息子・娘を産むことができるのです。アーメン。(「アーメン」)。これが堕落しない先祖、アダム・エバの完成の立場です。 先生の話をどこのだれも理論的に「間違っている」と言うことができないのです。考えてみなさい。この膨大な内容は、どのようにこの体制をつくってみても、このようにまで数理的な現実世界の版図に合わせてなすことはできません。それをこれまで越えてきたという事実は、千年万年の讃揚の条件をかけようとしても探し出すことのできない喜びの立場なのですが、皆さんはそれを自分勝手に対してきたというのです。 その罪は、一対一の蕩減法では許すことのできないものですが、先生のために生きるという標準の下で許すのです。そうでなければ、私が霊界に行っても、再び祝福家庭のために生きることになるので、私が十字架を負ってでも祝福家庭の過ちを責任をもって許してあげようとしているということを知らなければなりません。先生の世界がどれほど深刻でじょうか? 皆さん、「骨が泣き、骨髄が泣く」という言葉は、世の中にはないでしょう。「骨身にこたえる」という言葉はありますが、骨髄が泣き、骨が泣き、肉が泣き、このすべての感覚が泣く立場を経ずしては、堕落のきずあとを消すことはできないという事実を知らなければならないのです。 きょう、「愛勝日」を迎えました。興進を生きた祭物として送ったのです。それは、愛を中心として家庭的背景を中心とした天上世界への橋なので、イエス様も興進様に従っていかなければならないのです。 家庭の橋を経なければならないのです。この地上で、初めて真の父母の子供として真の父母の愛を受け、天上世界に祭物の勝利者として行ったおかたが興進ただI人なので、天上で全権をもって統治することができるのです。 ですから、霊界に行ってみると、自分の存在が何でもなく、客死の体になるはずなのに、生命を断つ前に全部条件を立てたので、死んだ後にもサタンか干渉できないのです。ですから、昇華式です。 統一教会を信じた人たちは、真に三代が一つになって昇華式をするときには、罪人までも許される道があるのです。「愛勝日」の意味が分かりましたか? (はい)。お母様はその場で悲しんではならないのです。 それと同様に、悲惨な私の祈祷を、今回、北韓に行って父母の墓前でしました。姉と妹が痛哭するのです。「母親が恋しがっていた息子の何某が帰ってきた」と痛哭していますが、そこにおいて息子の立場で、兄弟の立場で涙を流していいでしょうか? はらわたがよじれなければなりません。しかし、涙を流してはならないのです。 私が果たすべき責任があり、その責任を果たすために来たのです。その使命を完遂する前には、涙をこの地に流してはならないのです。 「そうしなければ、異国の地で死んで哀魂を残したすべての霊たちの解放ができません。私が解放され、ここに来て宴を開くとき、その哀魂たちまでも解放しようと思うので、母親として私のことを不孝だと思わずに、勝利の日を待っていてください」と言ったのです。 ですから、解放を急いでいるのです。そうするためには、南北解放が不可避です。南北米の統一を中心として、世界的囲いを中心として行かなければ、南北の統一は不可能です。 日本に関しては、各国に母親の責任を果たせるように、囲いをしておくのです。そのようになれば、日本は亡びません。 さあ、目の前に明日の希望たる統一の世界、地上天国を見詰めながら、このように「愛勝日」を守るきょうという日が、どれほど貴重でしょうか? 皆さんが、その根になる力がどのように連結されているのかを考え、昇華式をいいかげんにせずに、この根に接して、そこに相対的因縁を結んでいかなくては、天の国に行くべき道が塞がってしまうということをよく知らなければなりません。これが結論です。きょうの日を忘れずに、この話をしっかり記憶してください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.12
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天一国憲法頒布2014年 2月12日 大韓民国 清心ワールドセンター一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.12
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23.02.12 09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ [LIVE案内Ⅱ]02.12天苑宮天勝教会 平和ヌリ(AM09:00~)
2023.02.11
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世界指導者への御言1996年11月13日ウルグアイで世界の指導者に韓国語で御言を語られました。 転換時代 統一された世界をつくるには、言語も統一しなければならず、文化も統一しなければならず、家庭も統一しなければならず、愛も統一しなければなりません。愛にも、各種の愛があるというのです。統一時代に向かっていく私たちの道には、遠からず、世界にそのような時が訪れると考えます。 今、この時は、歴史上のすべてのことを清算しなければなりません。歴史時代の聖賢たちを中心としてなされたすべての事実が、全部、勝利的条件として残ったのではなく、失敗の条件として残ったので、この一年の間に勝利的条件として転換させなければなりません。転換時代だというのです。 アダム家庭が失敗したものは何でしょうか。 一人の女性の行動、その瞬間的行動が、このように数百万年、数千万年を経てきたのです。堕落したすべての峠を清算し、堕落しなかった本然の環境まで帰っていくことができなかったという事実があります。なぜこのようになったのでしょうか。 人間は「善悪を知る木の実を取って食べてこのようになった」と信じてきましたが、それは愛のゆえにそのようになったというのです。誤った愛によって、全部そのような習慣をもつようになったのです。 アダム家庭で失った誤った愛を、どこで探すのでしょうか。それが神様の恨みです。それを探すことが、神様の救援摂理の主流思想になっており、これを解くことのできる立場に立てなかったため、今まで恨みとして残っているというのです。これが発展して氏族の恨み、民族の恨み、国家の恨みとなっているのです。 中心の根がそのようになっているので、そこに関係する周辺の根によって、他の幹や芽や、あらゆる枝も、失敗した愛の根を中心として連結されているのです。これを堕落しなかった本然の愛を中心とした根を立てて、再び打ち込まなければならないという結果をもたらしたのです。 それゆえ、救援摂理とは何かというと、これを切って接ぎ木するのです。このように愛を家庭で失ったことが氏族へ行き、国家へ行くようになるのです。終わりの日になれば、フリーセックスまで連結されるのです。 根が誤ったので、植えられた中心の根から周辺の根、それを中心として育つすべての幹と中心の芽……。中心の根で連結された中心の幹から、中心の芽が垂直にならなければなりません。中心だと考えるものは、一番の直短距離に位置を取るので、中心存在にならなければならないのです。それゆえ、どんなに大きい木でも、中心の根と中心の幹と中心の芽を中心として、横的に関係を結ぶことによって、見事に大きくなるのです。 ところで、神様を中心として、愛の理想世界のためにつくったすべての被造万物が、中心となる天の定着圏をもてないことによって、その関係している周辺の根と幹と芽と連結されたすべての枝は、偽りの枝として、偽りの愛の存在となってしまったのです。 人類は、だんだんと時が過ぎ、歴史が進むに伴って、次第に多くなるのです。ところが、神様が探し求めるべき根は、一つの根だというのです。ですから、歴史と共に発展してきたその環境が混乱するように、根を全部犠牲にするのです。根をどのように混乱の渦中に置くかということがサタンの主な活動であり、それが天の御旨に反対する歴史的サタンの行動だったという事実を考えるとき、時間が過ぎれば過ぎるほど、この問題を中心として世界が混乱するというのです。問題が起こるのです。それがフリーセックスです。 では、愛の主人とはだれでしょうか。その国の大統領も代身することができず、その国のどの長官も代身することができず、その国の学者も代身することができず、その国のあらゆる宗教だとか、その国の国民、どこのだれもそれを代身することができないのです。なぜでしょうか。分からないからです。 フリーセックスが蔓延している世界 フリーセックスが蔓延しています。世界において、フリーセックスをどのように治めるのでしょうか。その次に何でしょうか。ホモセクシュアル。これは何かといえば、男性が女性を否定することです。男性が女性を否定するということは、創造原理においてはあり得ないことなのです。本来、人間が凹凸をもって生まれたのは、愛のためです。それなのに、これを否定するというのは、完全に愛を否定するということです。また、レズビアンとは何でしょうか。女性が男性を否定することです。男性は女性を否定し、女性は男性を否定するのです。 人には性欲というものが与えられたのですが、それは本能の中の主流本能です。それは悪いものではないというのです。性欲というのは、男性も女性もみな同じなのです。どんなに美人、美男子だといっても、性欲というものは、踏んで乗り越えるものではなく、そこから、その幹を通して存続することのできる生命の起源にならなければならないというのが原則なので、性欲を乗り越えることはできないというのです。 ですから、男性が女性を否定してしまうと、性欲を満たす道がなく、女性が男性を否定すると性欲を満たすことができないので、男性同士、女性同士の結婚が始まり、問題になる時代に入っていくというのです。これは最後です。男性同士、女性同士が結婚するようになったならば、一代ですべての世界は滅びるというのです。道がありません。 さあ、今は最後です。歴史はフリーセックスと共に、男性、女性を否定し、愛の性欲を訪ねていく道を満たすために、女性が女性同士、男性が男性同士、結婚する時代がやってきたのです。このように見る時、愛の理想をすべて相続することのできる女性、男性の生殖器が、完全に立ち得る場がないのです。神様の前に立つ場がなく、また、人間の前に立つ場がありません。すべて否定してしまったのです。 さらに、その凹凸がいつでもふたを開けたまま、一日に何回も蹂躙され得るのです。お金に蹂躙され、言論の力に蹂躙され、知識に蹂躙され、力をもったすべてが、これを蹂躙することのできる時代へと入ってくるというのです。ですから、これ自体の権威は完全に地に落ちてしまいました。それをもって出て、この世の歴史路程に現れて、誇ることのできるものが一つもないのです。 本然の男性と女性を復帰する さあ、このように見る時、神様の願いはどのようになるでしょうか。神様の希望はどうなるでしょうか。神様が創造理想として見る歴史観、終わりの日に願う歴史観というものはどうなるでしょうか。完全にひび割れたというのです。完全に絶望だというのです。それを知らなければなりません。 それゆえ、ここで私たちが探さなければならないものは何でしょうか。人間の本然の世界を探さなければなりません。本然の人間を復帰しなければなりません。本然の人間を探せなければ、本然の家庭を探し立てることができず、本然の世界を探し立てることができません。ですから、本然の人間を復帰しなければならないというのです。 人間とは、男性と女性です。本然の男性と女性を復帰しなければならないのです。本然の男性と女性を探すということは、どういうことでしょうか。本然の家庭を復帰しなければならないというのです。では、本然の家庭はどこに立っていますか。 自分の思うがままに主張する男性、自分の思うがままに主張する女性は、本然の世界の人間ではありません。神様の創造原理の原則によって、そこに一致することのできる男性、そこに一致することのできる女性でなければ、本然的男性・女性になることはできないというのです。 自分がどんなに世の中で優れているといい、どんなに世の中で一人しかいないと誇っても、この愛の理想を中心として完成できなければ、何ら提示する条件にもならないというのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、この世を見れば、なるようになったというのです。後ろを眺めても、前を眺めても、上を眺めても、下を眺めても、左右を眺めても、三六〇度を中心として眺めても、希望がないというのです。全部が無価値な存在として落ちたというのです。 そうなれば、神様はこれを掃き捨ててしまわなければなりません。掃き捨てる時には、むやみに神様は掃き捨てることはできないというのです。なぜ、掃き捨てざるを得ないかという内容を提示しなければならないのです。神様は正義の主人であり、真なる神様、絶対的な方だという時には、その方が主張することのできる標準的な内容を立てておいて、これを清算しなければならないというのです。 審判するためには法的条件の基準を立てて、そこに合わない時に、そこに該当する法を中心として宣布するのと同じく、清算することのできる条件と内容を天から提示しなければならないのです。 それが一時ではなく、歴史性を代表したものでなければなりません。提示することのできる歴史的な主流、個人が行くことができる歴史性、家庭が行くことができる歴史性、民族が行くことができ、国家と世界が行くことができる歴史性を代表した、そのような内容を提示しなければならないというのです。 このように見る時、人間世界において、最も尊いものとは何でしょうか。すべて使い道のないものが多くなって、必要なものが一つもなければないほど、早く除去されるというのです。 このように見る時、人間において必要なものとは何でしょうか。お金、知識、権力も必要でしょう。しかし、それよりも尊い最後のものとは、愛だという結論に到達するというのです。 宇宙の根本は主体・対象からなっている 愛は生命と連結しており、愛は歴史的に連結しており、天宙も連結しているというのです。根本となる主体がいれば、主体とも関係することのできる内容、見本パターンでなければならないというのです。そこから歴史が連結され、そこから横的に拡張運動が起こり得るというのです。そのようなものが人間にとって、何かというと、男性と女性です。 では、男性が男性になり、女性が女性になるのは、何ゆえでしょうか。知識ゆえにそうなるのではありません。お金ゆえにこのようになったのではないというのです。権力ゆえにそのようになったのではありません。では、なぜ男性になり、女性になったのでしょうか。それは簡単なことです。愛ゆえにそのようになったというのです。 なぜ、愛のゆえなのでしょうか。凹凸はなぜ生まれたのでしょうか。宇宙の根本を探し求めると、雄・雌思想があります。この世を見るとき、すべての存在は雄・雌からなっているというのです。主体・対象からなっているのです。主体・対象それ自体が、人間では凹凸になっているのです。 凹凸が、なぜ生まれたのでしょうか。愛というものを占領するためです。愛というものに一つになるために、凹凸が生まれたのです。では、どのような愛ですか。永遠なる愛、不変の愛、唯一の愛ならば、その凹凸も永遠、不変、唯一なる生殖器にならなければならないのです。これは理論的なのです。 その生殖器は、歴史の出発を支えることができませんでした。個人的な人格を完成させることにおいて不合格、家庭的人格圏をつくることにおいて不合格、民族、国家形成圏をつくることにおいて、すべて不合格につくってしまったというのです。世界も同じです。 根本となる生殖器で誤ってしまったのです。そこを根本にして、愛の伝統性、その次には生命の伝統性、その次には歴史的伝統性が連結されるはずであったのです。誤ったその器官を通して、関係するすべての歴史性が、神様の前に立つことのできない条件をつくったということは必然的結論です。 では、このようになった器官を、なぜむやみに使うようになったのかというのです。それは、そのような観を知らなかったからです。「愛というものは、このようにならなければならない」という観がなかったというのです。 愛とは、どのような愛ですか。愛とは、だれのための愛ですか。凹凸は愛のためであり、その愛はだれが主人なのかというとき、神様が人間を創造するとき、愛という観念を立てておいて、その愛に合うように、愛で一体になるようにするために、生殖器である凹凸をつくっておいたということを否定することができないのです。それは絶対的な結論です。これは鉄則です。それを否定することはできません。 どんなに歴史が発展し、どんなに人間が変わったとしても、男性が女性になることはできず、女性が男性になることはできないというのです。 私たちの人類始祖によってそれを誤り、誤ったすべての因縁を通して連結されたものは、この誤った結果の立場を避けることができないので、終わりの日には、必ず家庭破綻が起こるというのです。 神様の前に立つことができないのです。世界にどんなに多いといっても、天の側に立つことはできないのです。また、神様の前に個人が立つことができないと同時に、家庭的に立つことができないのです。その基盤を通して死んだ枝になり、芽が育っていったので、それは不可避なことなのです。どこのだれも、神様の前に立つことができないのです。どんなに国が有名であり、どんなに世の中が素晴らしいといっても、神様が必要な国や世界ではありません。 愛の欲望は宇宙的な欲望 では、根本は何かというのです。根本がどこなのかをはっきりと知らなければなりません。男性、女性の生殖器から始まるというのです。男性、女性の愛を中心として誤ったのですが、その愛の欲望がどれほど大きいかというのです。愛の欲望は宇宙的な欲望です。神様までも占領しなければならないというのです。男性でいえば、国の女性を占領したとしても、さらに世界の女性を占領したい心だというのです。それを知らなければなりません。女性ならば、国の男性を占領したといっても、世界の男性までも占領したいというのです。 そのような情欲の主流が根本になっているので、個人から人類全体を越えても、さらに越えていくことのできる流れがあるということを知らなければなりません。 それゆえ、優れていても、劣っていても、神様が堕落した人間を見るならば、情欲の歴史的株式会社です。個人全体に対して、世界を代表し、すべての国家全体を代表した情欲の王権を代表することができる立場に立つ株式会社なのです。 いくら信仰の道を磨いても、情欲の峠を主管することはできないというのです。修道する人がそこに行って、みなつんのめるのです。時が来て霊通して、仏教でいえば、解脱し、悟って峠を越えれば、必ず、美男子が現れ、美女が現れるのです。それは避けることができません。 それゆえ、宗教や、この世で出世したあらゆる分野の代表たちは、女性には男性、男性には女性が、発展させる業をするのではなく、破壊させる業で連結されるというのです。そのことを知らなければなりません。歴史がそのようになっているのです。 それゆえ、「あの人が出世したなあ」といえば、そこに該当できる出世した以上の欲望をもった女性たちが、その周辺にぴったりとくっつくのです。女性が出世したといえば、周辺に素晴らしい男性たちが三百六十人ぴったりとくっつきます。それを否定することができません。 優れているという者は、すべて根が誤ったので、誤った世界の脱落物、疲弊物、ごみ箱に入る者になるというのです。愛を中心としたごみ箱に入る者になったので、ある時は男性の生殖器を十回盗んだというのです。それを信じられませんか。 ですから、出世したといえば、周囲にぴったりとくっつくようになっています。どんなにそれに鍵を掛けておいたとしても、開けて入ってくるというのです。だんだんと前後関係から攻撃、上下関係から攻撃、左右関係から攻撃するのです。お金を持って入ってきて、知識をもって入ってきて、その次には権力をもって入ってきて、愛をもって入ってきて、芸術をもって入ってきて、チャンピオンになるものを全部もって入ってくるというのです。そうだという可能性を認めますか、認めませんか。(「認めます」)。 それゆえ、目を見ても、この者の目は一方向だけではありません。これがよいといったのに、横を見てもっとよいものがあれば、目が移りますか、移りませんか。もっとよいものが見えれば引かれていくのです。 このような問題について考えてみる時、その形は同じですが、内容においては、その千個、万個を与えても替えることができない価値をもっているといえば、その価値を知り、その価値と一つになった人は、動かないという結論が出るのです。 ここで問題は、神様にも生殖器があるでしょうか、ないでしょうか。(「あります」)。なぜ? 人間がこのような欲望をもつことができる可能性があるので、神様は可能性のある準備をすべてしなければならないというのです。 それでは、可能性をもって、満足できるかというのです。できないというときは、真実をもって準備しなければならないのです。このように見るとき、神様も間違いなく生殖器をもたざるを得ないのではないかというのです。 それゆえ、絶対的な「性」の王を探そうというのです。王の相対とは、だれですか。女王です。 そのような者を神様が求めてきたのであり、それがこの地上に送ることのできる最高の男性であり、女性なのです。それが救世主です。救世主は何をするために来ますか。結婚をするために来るのです。それが小羊の婚宴だというのです。アーメン (「アーメン」)。 絶対的な定着 では、絶対的な王と女王がやって来て一つになる時、絶対的な立場を得るでしょうか、行ったり来たりするでしょうか。それは絶対的な定着です。神様と共にです。神様は、行ったり来たりしないというのです。神様は絶対的でしょう。そうでなければ、問題が起こるというのです。 絶対的な夫となるためには、絶対的に神様を動けないように、しっかりと打ちつけてしまって、定着しなければなりません。神様が、絶対的な男性、女性の結婚の日のために再臨主を送る、その目的はどこにあるのでしょうか。神様も流れ者の神様になることを願うか、定着した神様になりたいと願うかというのです。定着したいというのです。 二人は何をするのでしょうか。主人の役割をするのです。何の主人ですか。男性の主人、女性の主人です。男性がそのように生まれたのは、男性の生殖器によってそのように生まれ、女性がそのように生まれたのは、女性の生殖器によってそのように生まれたというのです。 神様が定着するのに、行ったり来たりする定着を願いますか、永遠に定着することを願いますか。神様が永遠に定着することを願うので、男性も女性も永遠に共に定着することを願うのです。それが願いであるので、絶対定着することができる人は、神様と一つになる所で完成し、女性も神様と一つになった所で完成するのです。 神様にも体と心があります。それゆえ、体と心が一つになった男性、女性として生まれたのです。生殖器の違いの変動によって、そのような男性が生まれ、女性が生まれました。 生殖器に似てそのように生まれたのです。生殖器が絶対的に一つになることのできる論理を否定することができません。適当に生まれることはできないというのです。 生殖器だけは、東西南北三六〇度、行ったり来たりしては大変です。神様に付いて回らなければならないというのです。こちらに行って、あちらに行って、上がったり、下がったりしてはならないのです。定着してすべての方向性と度数を、九〇度に合わせなければならないのです。 では、神様の願いとは何でしょうか。生殖器に似て完成した男性になることであり、それに似て完成した女性の生殖器が、完成する場で出会うということなのです。それが結婚して、初夜に出会う場です。 神様の人格は体・心の二重になっているのです。すべての存在は二重になっているから、神様の生殖器も二重になっていなければならないので、内的生殖器は神様の生殖器、外的生殖器はアダムの生殖器だというのです。 結婚とは神様を占領するためのもの さあ、今から統一教会がしなければならないこととは何でしょうか。 統一教会がしなければならないことは、完全な生殖器の場に座標定立を確定しなければならないということです。神様の生殖器のように、自分の心で分かる愛の道を探し求めていくのと、体で愛を探していくのは双方通行ではなく、絶対一方通行です。夜でも昼でも一年中、若い男女、年老いて死ぬ時までそうなのです。 出生する時には無感覚に生まれた生殖器が、赤ちゃんを生んで帰る時には、感覚をもって帰らなければなりません。神様に侍るためなのです。 本来、人間は、神様を第一とした絶対的な生殖器と一体になった立場で生まれ、天の国に行くことのできる天の国の民になるはずでしたが、堕落することによって、それをすべて失ってしまったのです。自分が霊界に行く時、神様が自分のために与え、神様がもっていた完全な生殖器を備えて、生殖器イコール男性、女性になっていたというのです。しかし、堕落した生殖器になってしまいました。完成した人間を中心として、完成した生殖器がイコールにならなければならないのです。絶対的なのです。これからこの基準をもたなければならないのです。 統一教会は血統転換ということをいいますが、血統転換はどこからなされるのでしょうか。このような過程で見るとき、神様に似た絶対的な男性、絶対的な女性からなされるというのです。神様の内的形状と性相を受けて出てきたので、アダムは性相的で、エバは形状的です。分かれたこれらが、再び一つにならなければなりません。一つになれば神様へと帰るのです。帰るのに、アダム・エバは大きくなってそれを訪ねていくのです。霊的完成起点、肉的完成起点、二つが出会うのです。 帰ろうという時、どこに行くのでしょうか。愛を探していくというのです。結婚の場を探していくのです。その結婚の場は、神様にある動機は見えないのです。霊的なのです。見えるものは結果です。動機と結果の愛の結実体になるために、動機と結果、神様とアダム・エバが一つになって、愛の定着をしなければならないのです。 男性も片側であり、女性も片側です。片側が完全な一点になるのです。男性と女性、性相、形状が一つになって、完成した主体となる大きな性相、大きな形状、大きな実体性相アダム、大きな形状エバになるのです。 結婚とは何かといえば、半品が完品になり、完品が宇宙品になるということです。球形品にならなければならないのです。神様を占領するためのものです。ですから、結婚の尊さがここにあるというのです。結婚の場を避けては、絶対的な神様との愛の関係を結ぶことができないという結論が出るのです。 「絶対的な私」というとき、体と心が一つになるのです。 では、皆さんの五感について見るとき、それはどのようにして行くべき方向を取りますか。人は、自分の母・父から生まれました。母・父は、子供たちが母・父に似ることを願うのです。それはなぜでしょうか。出発であると同時に、結果の基準について願うからです。母・父の愛を受けることを願い、母・父のようになって、男性・女性が愛するのを学ぼうというのです。また、母・父とそのように連結され、歴史性を担うのです。 それゆえ、結婚した人は赤ちゃんがいなければならないですか、どうですか。(「いなければなりません」)。絶対にいなければならないのです。男性として女性に出会えなければ、それは廃物です。 さあ、このように見るとき、フリーセックスが成立するかというのです。ホモが成立しますか。しないというのです。 では、赤ちゃんを生む場合、何人生みたいですか。上下だけになってはいけないのです。上下があれば、前後があるとか、前後があれば、左右があるとかして、形態を備えなければならないのです。それゆえ、少なくとも二組は生まなければならないというのです。(「二組ならば、四人です」:お母様)。そこに自分たち夫婦で三組になるのです。 それが四兄弟です。四人を生めなかった人は、原理原則に不合格です。霊界に行ってから、ある所では顔を上げることができないというのです。春夏秋冬すべて過ごしてこそ、一年になるのです。相対です。春季と秋季は相対なのです。夏季と冬季は相対なのです。ですから、南北が必要で、東西が必要なのです。そこに、球形を中心とした前後が必要なのです。 私たち統一教会で、産児制限した人たちは引っかかるだろうというのです。産児制限しなければ、統一教会のだれよりも福を受けることができる息子・娘を生んで、天が必要とするお姫様になり、王子の直系になることができたのに、その時になって、産児制限したといえば、その父母が罰を受けなければなりませんか、受けなくてもよいでしょうか。 性欲を管理できなければならない 絶対的に体と心が一つにならなければならないというのです。自分を試験しなければなりません。試験をどのようにパスするのかというのです。堕落した世界の性欲を管理できなければなりません。性欲は人類の欲望の主流ですが、その主流をコントロールできる人にならなければならないというのです。生きて死ぬ峠を何百回越えても、難しいのです。今、根本問題に入ってきました。体と心が帰っていくはずなのに、皆さんの体と心が一つにならなければならないというのです。 もし、自分の妻や夫が病身になったとします。そこに夢の中でも考えることのできない美男、美女が現れて、自分を誘惑する時、自分は絶対そのようなことはできないと、神様が共に保証することができる人になれるという自信がありますか。 そのためにどのような試験までするのでしょうか。神様は、自分が最も愛する人を怨讐に抱かせたのです。堕落がそうです。宇宙を与えても替えることのできない最も愛するエバを、怨讐が蹂躙したというのです。蹂躙したその怨讐を、打ち殺すことはできません。愛さなければならないというのです。神様とサタンを比較するとき、サタンは打ち殺すことができますが、神様は打ち殺さずに愛することができてこそ、サタンが屈伏するのです。サタン屈伏の奇知がそれだというのです。 神様の心情を体恤することのできる道がどこにあるのか、これが問題です。千年万年精誠を捧げて探した、この世で見れば、恋煩いというものがあるでしょう。 [しばらく日本語で語られる] 何千年もそういう病気を患った男が、女を迎えて幸福煩いの王様になったその立場で、その得た奥さんを怨讐に向けて祝福しながら、喜ぶ心をもって案内してあげる、そういう心情をもつことができますか。真剣な話です。それは絶対信仰です。 神様の心情圏を知れば、どれほど胸が詰まるだろうかというのです。気が狂って、精神がいっぺんにピュッと逃げていくはずだというのです。それを全く逃げず、三六〇度をもって怨讐を抱いてあげることができてこそ、自分にとって三六〇度地上地獄を追放することができる女性となり、男性になるのです。アーメン。一度、試験してみなさいというのです。 そのような人間が生まれてこなかったなら、復帰ができません。三代の祖父母、父母、自分の妻まで、祭物として捧げても何の未練もない。祭物を捧げて、それを踏み越えていくような道を行かなければ、本然の世界にならないのです。 三代の先祖を否認しなければなりません。アダム、イエス様、再臨主、三代の先祖が失ったものを蕩減復帰しなければならないのです。分かりましたか。(「はい」)。その境地に自分自身が立ってみることによって、その境地を、峠を越えた向こうのほうに行かないと、神の心情圏を体恤することができないのです。 威張るな。 誇るな。 生涯恥ずかしい思いをしながら、頭を下げて、同情される道を行くのです。分かりましたか。(「はい」)。 そういう時代に入りました。きれいに歴史のもとを清算して、堕落のページを越えて、新しいページに記録しなければなりません。そういう内容を中心とした心情圏の出発の起点、神と一つだという出発点が記録されなければなりません。自分の生涯上において、自分の歴史において、出発を神様の心情の一点にまとめなければ、行く方向が二つになるのです。 サタンはどんなことをしたかというと、占領した場合には、王様のおばあさんとお母さんと、奥さんの三代を蹂躙して殺したのです。蹂躙して残すのではありません。蹂躙して殺すのです。それを愛するような立場に立った場合には、殺すことはできません。そういう環境が終末期のフリーセックス世界です。孫がおばあさんと関係する。みんな蹂躙する。お母さんと自分の姉さんまで蹂躙するのです。 横的に三代、自分の直系であれば、お父さんを中心としておばあさん、兄さんのおばあさん、弟のおばあさん、三代、前後、蹂躙するようなことがあっても、不平を言わないのです。不平を言わないその心中の根拠地が、神のための思い、そういう基準が歴史上立って初めて、心情圏の蕩減、世界的蕩減を越えた神の子供、娘になる道が始まるのです。真剣なものです。分かりましたか。 (「はい」)。 そういう境地を求めていく者は、いかに美人、いかに美男子がいても、性欲が起こった場合、一〇〇パーセントの基準から〇にならなければならないのです。 それを自由にコントロールしないと、神の心情圏につなぐ道はありません。真剣なものです。 サタンに向けて、自分のおばあさん、母、自分の奥さんと娘まで四代を案内して、痛みを感じないような立場に立とうとする神様なのです。その境地が分からないと、天国の王宮の正門に入ろうとすれば、それが表門の表題として打ち出されるのです。自信あります? その自信を得るなら、どんなこともできるのです。何もやれないことはないのです。先生はそういう信仰をもちました。 サタンが命令したその峠を越えた場合には、必ずサタンも神のほうに連結されるのです。真の愛の道は、堕落ということがないのです。最終着点は、神の復帰の理想です。分かりましたか。そういう基準を越えた立場で、絶対「性」を唱えることによって絶対愛が生まれるのです。 〔韓国語で語られる〕 絶対「性」から絶対愛が生まれるというのです。皆さんはこれからこれを整理しなければなりません。世界の美男子が、嫌だというのに引っ張って、生殖器を一つにしようとしたら、「わあ」と叫びながら蹴飛ばして、その者が二度と現れないようにしなければならない、そういう決意をしなければならないというのです。そうしなければ、サタンはいつ現れるか分からないのです。 心情圏、所有権、血統を祭物として捧げる そのような夫婦を願いますか、行ったり来たりする夫婦を願いますか。血統転換、所有権転換です。そこは所有観念がありません。自分のものであってあなたのものであり、あなたのものであって私のものです。所有観念が残っている限り、天の国に入れません。中間の天の国の基準に行ってとどまるのであって、本然の世界には行けないのです。 その次に情です。日本人だという概念をもてば、天国に行くことができません。堕落前に日本人がいましたか。韓国人がどこにいましたか。愛の人だけがいたというのです。愛の家庭だけがあったでしょう。愛の国がありませんでした。愛の家庭が現れれば、国が生まれるようになっています。 愛の国を求めなければならないのに、愛することができない人類になってしまいました。愛することのできない家庭をもち、愛することができない国をもったのです。それゆえ、七代心情圏、七代を全部否定しなければならないのです。七代のすべての心情圏をいっぺんに乗り越えなければなりません。結婚して七代のすべての所有権をいっぺんに否定しなければならないというのです。これに七千年かかったのです。七数を越えることができませんでした。 心情圏を越えなければなりません。自分の心情、自分の血統を否定し、その次には所有権を否定し、一族を否定しなければなりません。一族、七代です。心情圏と所有権と血統を祭物として捧げなければならないというのです。祭物なので裂かなければならないのです。血を流させて、存在価値を認めないのです。祭物は存在の価値を認めないのです。認めれば、あの峠を越えることができません。 絶対血統になるには、絶対「性」にならなければならないのです。絶対「性」圏内には、所有権がありません。あなたのもの、私のものがありません。それ以上に尊いものがどこにありますか。世の中に、それ以上よいものがないということが分かりましたか。黄金よりもダイヤモンドよりももっと尊いものだといって、教えてあげなければならないと考えてみましたか。 見れば簡単です。女性のものは大したことがありますか。男性のものも大したことはないのです。大したことのないものが、天下の調和のパイプなのです。それをもてば、お金も必要なく、権力も必要なく、知識も必要ないのです。それを中心として暮らし、それを占領するために暮らしているのです。そのことを知らなければなりません。 ですから、男性は女性、女性は男性をもつことができるようになったという事実が、素晴らしいというのです。そこにフリーセックス? 泥棒も甚だしいのです。 その次に、自分が愛する人を一度否定しなければなりません。自分の愛する人を怨讐に抱かせてあげて、福を願うことができなければなりません。そのような心が先立ってこそ、神様の心情圏と一致する圏内に入っていくことができるのです。このように教えてあげた以上、堕落するなり、何をするなり、私が責任をもたなくてもいいというのです。分かりましたか。(「はい」)。 絶対「性」で絶対血統が伝達されます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でなくては、この峠を越えていくことができません。私にできないということはありません。できないという言葉はあり得ないというのです。できないという時は、愛の世界とは関係ありません。天の国の神様が探し立てようとする理想的愛とは関係ないのです。神様自身も絶対的に必要だったので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を願われたのです。 愛の首飾りを掛けて歩き回る 花嫁と結婚して最初の日に、「あなたは私を絶対愛しますか、適当に愛しますか?」と尋ねたいでしょう。「体と心が一つになって愛しますか、二つの心をもって愛しますか?」と言うとき、一つになった心で愛することを願うのです。結論がそれです。それ以外にはありません。それ以外のものを加えることは、全部よこしまなサタン世界のものです。 皆さんは今、息子・娘をもっていますが、そのような基準になれなかったので、その環境基準に対するサタンの侵犯できる要素が残っているということを知らなければなりません。 体と心が一つになった絶対的な私、そのような男性、女性の凹凸が絶対的だというのです。東西南北は永遠に同じ東西南北であって、西東北南ではありません。 神様の偉大さがそれなのです。絶対信仰をもって愛するということが、驚くべきことなのです。偉大なことです。私たち人間もそのように生まれたので、どれほど驚くべきことでしょうか。いつ私が、そのような神様を主体者として侍ることができるでしょうか。それが課題だというのです。宿題だというのです。分かりますか。(「はい」)。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従のうえで創造を始めたので、その相対者も絶対信仰、絶対愛、絶対服従になってこそ、神様の立場に帰っていくことができるのです。 今、カナンの福地、王圏復帰時代に入ってきたので、エデンの家庭において、結婚式をしてあげることのできる時代に入ってきたというのです。世界の峠を越えて、結婚式をしてあげることのできる立場に入ってきたのです。 それゆえ、統一教会が三百六十万双の祝福をするというのは、世界的峠を越えるということです。ですから、世界的家庭圏です。家庭圏で、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を備えなければなりません。その前において神様が願い、真のご父母様が願うのに、「だめです」「考えてみます」と言うようなことはあり得ないというのです。 長子・長女圏復帰時代に入ってくるのです。解放時代が来るというのです。それゆえ、解放神学が現れるのです。天の側で解放神学が現れるのです。伝統神学が崩れ、解放神学が現れたのです。 今からは、愛の首飾りを掛けて歩き回れというのです。十字架の首飾りを掛けて回るのではありません。愛の首飾りを掛けて回らなければならないというのです。そうすれば、その夫人、夫は気分がいいでしょうか、悪いでしょうか。自分の写真を首飾りにして、男性も女性も首飾りをして回れば気分がいいですか、悪いですか。 私は、首飾りは女性だけがすると思ったのですが、最近では男性たちもみなするのです。サタンは分かるには分かるようです。愛の首飾りをつくって掛けて回り、腰さえ曲げれば前に現れるので、警告し、ぴったりと道をふさいでいるので、悪い行動をできないはずなのです。ですから、首飾りは絶対必要でなくはないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 お母様が私を疑うでしょうか、疑わないでしょうか。(笑い)どうですか、尋ねているではないですか。(「疑われません」)。 復帰路程で、お母様(候補)がいっぺんにずっと出てきて、八十に達した老人が私を見て、「愛する夫よ」と言いながら近づいてきて、キスしてくれれば、蹴飛ばしてしまうことができません。「だれなの?」と言いながら、気分が悪くても笑ってあげなければならないというのです。そうして、八十から七十、直線なのです。伝統に帰って合わせて、八十から七十、七十から六十、六十から五十、五十から四十、四十から三十、三十から二十、二十から十代までです。それをすべて越えなければならないというのです。 お母様が現れる時がやって来て、万民、女性たちの前に新婦の資格は許可したので、それを七十年期間を置いて、七十年、七百年、七千年です。拡大させて種を蒔いておいたので、それを全部採り入れるのです。それを採り入れる過程で、さまざま複雑な問題があったのです。 お母様一人を探すのが簡単であるならば、堕落した数年後に、エデンですでにつくることができるではないですか。見えない神様は、夢の中で活動できる能力をもっているのに、心を整理して、全部するのに、なぜ、できないかというのです。愛の相続が難しかったというのです。 お母様は素晴らしいのです。私がお母様を出世させなければなりません。天から降りてきて、成して、天まで連れて上がっていかなければなりません。約四年で、七年以内です。先生が築きあげたすべてのものを、無条件に伝授させてあげるのです。お母様は無条件に服従しなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。 私が最も恐れたことは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければならないのですが、どのようにして、それに引っかからないようにするかということです。お母様は分からないでしょう。話してはならないのです。自然にしなければならないのです。アメリカにおいて五十州の巡回を三回もしたのです。五十州もすれば、私はあおむけに倒れるのです。ところが、問題なくすることができ、このくらい上がってきたということは、事実、驚くべきことです。そうして、世界平和家庭連合結成を四十か国でしたというのです。 全世界の女性たちが宝物を前にして、自分の体を火にくべたとしても、千年の恨みとして待ち望んできたのが来られるご父母様です。そのご父母様は、おじいさんの代身であり、その国の王の代身であり、父の代身であり、夫の代身であり、お兄さんの代身として訪ねてこられるのです。それをすべて認めなければなりません。その方の前には、女性たちにとって惜しむものはありません。自分という概念があってはならないのです。それをはっきりと知らなければなりません。(「はい」)。 今から帰って何をするかというのです。家庭連合です。統一教会も重要であり、家庭教会もすべて必要ですが、それだけでは世界問題を解決することができず、愛の家を探していくことができません。世界平和家庭連合。 真なる男性・女性が、真なる愛を中心として神様に侍ることができる第一出発基地。その基地に向かって精進しなければなりません。 世界がもろ手を挙げて承服する時 家庭です、家庭。今は七代を強制的に教育するのです。カインはアベルを強制的に殺しました。今からは行って、娘婿の八親等まで「全部来なさい」と言って、バスに乗せ、一週間継続して教育するのです。 一週間の間修練を受けさせると、「おまえたちがお兄さんにこのように対したので、罪を犯したことへの復讐をしよう」と言って、そうするだろうかというのです。屈伏するだろうというのです。今からは、強要が通じる時が来たというのです。 お母さんに娘として侍らなければなりません。おばあさんに孫娘として侍らなければなりません。お兄さんに弟として侍らなければなりません。そのような時になったのです。 自分の後ろにお兄さんが立って、その次にお父さんが立って、その次にはおじいさんが立ったというのです。後ろを振り返らなければならないのです。後ろを振り返れば、お兄さんが自分の前に立ち、お父さんが自分の前に立ち、三代を屈伏させなければなりません。三代圏に属したすべての者たちは一体で、二人に「自分の話を聞け」と言い、強制でも屈伏させなければならないというのです。 今まで四十年の間、迫害されてきた恨みを集めて、涙を流しながら訴えなければならないというのです。彼らはあらゆることをすべてしたというのです。レバレンド・ムーンが悪いか、良いか、尋ねてみなさいというのです。世界がもろ手を挙げて承服する時に入ってきたというのです。生きている聖人だという名前を付けることのできる時に入って来たのです。 私が教えを反対できるでしょうか。お母様が語られ、ご父母様が御言をもってしなければならないというのです。 救援摂理の何ですか。(「原理観」)。原理観。その次に何ですか。(「宇宙の根本を探して」)。宇宙の根本。それをもって部落部落、村々の一軒までも、全部訪ねていかなければなりません。終わりの時にどこに行くにせよ、これを拝読しなければなりません。学校に行っても、職場でも朗読しなければなりません。聞くのが嫌でも読まなければなりません。その人の年以上読んであげなければなりません。サタンは数千年、大声を上げてサタン世界をつくったというのです。わずかばかり自分の年以上読まなければなりません。分かりましたか。(「はい」)。 内容が分からないという人、手を挙げてみなさい。そのようにしますか、しませんか。(「します」)。やらない日には奪われるのです。よい地で暮らした人たち、全部ふろしきを包んで、やせ地のアフリカ、砂漠へ追い出すのです。 恨みが何かというならば、アダムの恨み、イエスの恨み、再臨主の恨みなのです。これは三代先祖の恨みです。アダムが家庭を売ってしまったでしょう。キリスト教は先生に反対したのですべてを失ってしまったのです。売ったのと同じです。主人である人が責任をとらなければなりません。先生は死んでもこの地上に、それを築くのです。これが天理です。 どんなに個人的に犠牲になり、家庭的に犠牲になり、民族、国家、ある世界全体の前に犠牲になってしまったとしても、血を流し、涙を流し、汗を流したとしても、その流した汗と血と涙が、神様が願う愛の涙、愛の血、愛の汗として一点の環境にまかれる時、場所を移していくことができないというのです。その事実を知らなければなりません。ですから、その場を絶対信仰、また、その場を絶対愛し、その場に絶対服従するのです。 個人的環境で家庭を率い、その道を行かなければならないのであり、氏族を率い、その業をしなければならないのです。国家、世界まで版図を築きながら、その業をする時、サタンがありとあらゆることをすべてしましたが、屈伏させていかなければならないのです。文総裁に行った自分の過誤に対して、弁明する道理がないので、自動的に、後ろ向きにならなければならないのです。 主体的世界的メシヤの前に絶対服従 そのような時が来たので、家庭を中心として定着です。歴史始まって以来初めて、「世界平和家庭連合定着」という言葉が出たというのです。平和世界にサタンはいないのです。真の父母が定着したでしょう。真の父母だけが定着してもいいですか。その次には家庭が定着しなければなりません。家庭が定着すれば、国家定着です。そうすれば、すべて終わるのです。 それゆえ、世界的祝福圏です。家庭の版図で世界的長子権、世界的父母権、世界的王圏を築けば、国境を越えていくのです。家庭メシヤ、先生の位置に入っていって、氏族メシヤの位置に夜でも昼でも、一年中いつでも永遠に通過することができ、国家メシヤの位置に永遠に通過することができ、世界のメシヤ、天の国の神様の国のどこまでも、玉座の主人の役割をしながら、どこでも通ることができるというのです。 神様の願いは家庭で出発したのですが、家庭的メシヤ、家庭的交差点をもてなかったというのです。個人的交差点の位置で出会えなかったので、息子・娘に出会えずに失ってしまったので、家庭的交差点、国家的交差点をもてず、民族、国家、世界的先祖、天地の先祖になれなかったのです。それゆえ、先生に従って、再び踏んで上らなければなりません。 家庭的メシヤにならなければならず、国家的メシヤの道、世界的メシヤの道、天宙のメシヤの道を提示することができる道を備えて、その玉座に座って、地上・天上天国を創建しなければならないというのです。そうしてこそ、神様が解放されるのです。 皆さんは家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、その次にイエスがなせなかった国家的メシヤの立場の位置まで立てれば、世界的メシヤは平らな道だというのです。分かりましたか。先生がすべてなしておきました。 世界的メシヤと天宙的メシヤ、神様の解放圏を築いたので、皆さんは国家的メシヤ圏を解放しなければならないというのです。 それゆえ、どのような仕事であれ、国家的解放をすることによって、皆さんが先生に従って、真の父母と王圏を中心とした基盤を立てて、王圏を中心として父母の立場、真の息子・娘になるので、王圏全体の内容を伝授され得るというのです。なぜでしょうか。父母をもったからです。それゆえ、だれでもみな、すべてこれをしなければならないというのです。 今、統一教会の選抜隊が世界的に派遣されています。氏族的メシヤだけではなく、国家的メシヤとして責任を果たさなければならないというのです。 国家的メシヤというものは堕落がありません。イエスが息子・娘をもてなかったのが堕落です。この位置を失ってしまったのです。国家的メシヤをなすのに、天の側に立つことはできますが、問題はサタン側のカイン圏を消化することです。なぜでしょうか。氏族的メシヤ、家庭的メシヤ圏を立てられなかったので、国家基準を必然的に終結するべき宿命的な道が残っているのです。これをはっきりと知らなければなりません。公式です。 ですから、アダム家庭の家庭的メシヤ、百六十家庭を中心として、これは氏族です。その次に、皆さんが氏族メシヤを中心として、家庭的メシヤを連れて、国家的に行って、手本になるのです。そうして一つになるのです。 ですから、マイナスになって、主体的世界的メシヤの前に絶対服従しなければならないというのです。絶対一つにならなければなりません。そうなれば、すべて清算されるでしょう。解放されるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.05
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(日語)統一家の新出発 - キム・ソクジン大橋区長20230205平和ヌリの題目は「統一家の新出発 」です。冒頭からは韓国のキリスト教ニュース(CBS)がHJグローバルニュースより清平の未来を正確に放送していたとのことでした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.05
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23.02.05 09:20より「天苑宮天苑教会 平和ヌリ」が配信予定されています。時間前になりましたらPeacelinkTVホームページより視聴ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ [LIVE案内Ⅱ]02.05天苑宮天勝教会 平和ヌリ(AM09:00~)
2023.02.05
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天の父母様王権即位式(2001.01.13)2001年 1月13日 大韓民国 京幾道 加平 天宙清平修錬苑一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.03
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「神様王権即位式」における御言成約九年 2001年1月13日天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 (飲福〔祭祀の供え物を分けて食べること〕されながら)地上天上天国が完成されるのです。分かりますか? 御言 きょうは、どのような記念日ですか? (「『神様王権即位式』です。」)おかしな言葉ですね。「神様……」、何ですか? (「王権即位式です」)どなたの即位式をしたのですか? (「神様です」)だれが即位式をしたのですか? (「真のご父母様です。」) それは、真の父母だけでできますか? 天と地にいる、すべての人たちが国を持ち、祝福を受けて一族となり、血筋が一つとなった単一民族となったので、このような式をすることができるのです。 ですから、それをするために、今まで数多くの宗教圏が……。宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教から第二イスラエル、それから韓国まで、第一次、第二次、第三次イスラエル圏、旧約時代、新約時代、成約時代まで越えてきました。「成約」という言葉は、万物から始まり、すべてが祝福を受ける時代である、ということです。 神様によって先につくられた被造万物は、人類の先祖が堕落することによって、祝福圏内に立つことができませんでした。それで、救援摂理の道を通して、キリスト教を中心とした数多くの宗教を立てて、万民を教育して、段階的に引き上げながら成約時代を迎えるようになったのです。 しかし、主流思想ではない他の系列の宗教は、そのようなことを知りません。それゆえに、ユダヤ教とキリスト教だけを中心として、神様を人類の父として侍ることができる道を築いてきたのです。 そして、イエス様がいらっしゃることによって、初めて独り子という……。アダムとエバが失敗した歴史時代において、初めて神様の愛を受けることができ、血統的内容を中心として、初めて地球星に失ってしまった神様の独り子、長男が生まれたのです。 その息子、独り子は生まれたのですが、“独り娘”がいません。神様は、四千年間の救援歴史を通して、多くの苦労をされましたが、それは、アダムを再び創造されたことと同じです。 アダムをつくられたので、その次はエバをつくられるのですが、エバは、アダムをまねてつくるのです。相対となることができるように、まねてつくるのですが、それはどういうことかといえば、アダムをつくった原則、ブループリント(青写真)を中心として、それをまねてエバをつくったというのです。 聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性をつくったということが書かれていますが、それはどういうことでしょうか? それは、“骨子”をまねてつくったということです。 このようにして、地上で失ってしまったアダムを、神様の直系の愛の血筋を通して独り子として取り戻したのですが、エバは取り戻すことができませんでした。このエバを取り戻せば、今までの堕落以降の歴史を再び、家庭から復活させて接ぎ木することができるのです。 そして、国を建てるために準備してきたものが、ヤコブから始まったイスラエル民族でした。ヤコブの十二人の息子、娘が着地して、イスラエル民族として出発し、その勝利の版図を、イエス様が来る時までの二千年間拡大させてきたのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。 イスラエルの国は、外的なカイン型であり、内的なアベル型はユダヤ教でした。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的に父母の責任を果たすことによって、カインとアベルを収拾することができる母を選択して、主を待っていなければなりません。 そうして、母を選択して、そこにイエス様を迎えていたならば、霊肉が一体となった真なる父母を迎え、霊肉が一体となったイスラエルの国とユダヤ教が、カインとアベルの立場で父母と一つにならなければなりません。 そして、その一つになって祝福された家庭を中心として、氏族を編成し、民族を中心として国家まで編成するようになれば、だれもこれを否定することはできません。 いくらローマが世界を支配していたとしても、それを中心としてぶつかれば、外的なものは“肉”と同じなのであり、内的なものは“骨”と同じなので、骨にはかなわないというのです。 そのような立場に立てば、イスラエルの国を中心として万国統一し、神様の解放も、今から二千年前に成し遂げることができたのです。 ところが、イエス様が、相対であるエバを復帰して家庭を成すことができなかったので、国家基準を成すことができるように準備されたイスラエル民族の選民圏が、すべて崩れてしまいました。根こそぎ崩れたというのです。 ですから、イスラエルの国が、国を建てるために準備した民の基盤が、すべて死んでなくなってしまったので、イスラエルの国はなくなってしまいました。そして、祝福された民族であるのにもかかわらず、七世紀に入って、イスラエル民族がエジプトから中東に帰ってきて、そこで、その中心民族の中からイスラム教が出てきたのです。イスラム教です。兄弟なのですが、イスラム教が反対する立場で現れたのです。これは兄弟です。 イシマエルとイサクは、アブラハムの直系の後孫として、兄弟の関係なのですが、この兄弟が“怨讐となって闘う”という歴史が展開したのです。エルサレムを中心として、十字軍とムスリム(イスラム教徒)が闘い、キリスト教がイスラエルを奪ってしまったのです。そのような歴史は、皆、知っていることです。 奪われたイスラエルを、再び取り戻さなければなりません。カインとアベルの闘いによって奪われたのですが、イエス様の時代に、国家基準でカインとアベル、左翼と右翼の立場で平和の基準をつくっていたならば、カインとアベルの闘争歴史は、霊界でも地上でも、すべて解決されるはずでした。 しかし、父母を中心として、国家基準の形態を準備したイスラエルが、亡国の僕となることによって、その果たすべき使命を受け継いで、「再臨」という言葉を希望としてきたのです。 本来、キリスト教は、第二イスラエルを中心として、世界版図、ローマ圏を支配することができ、乗り越えることができる世界版図圏を持つことができました。しかし、イエス様の体を失ってしまったので、霊界を中心とした基準において、霊的基盤を築いてきたのです。 これが、終わりの日の第二次大戦において連合国と枢軸国が戦い、ついに連合国が勝つことによって、キリスト教文化圏が世界を統一したのです。 世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代となり、怨讐の世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属することができるようになるこの基盤を中心として、カトリックと新教が一つになった立場に立ったのです。 その基盤の上で、キリスト教文化圏を代表して、降臨される再臨主を迎えていたならば、そのときから統一天下の運勢が起き、三年半ないし七年間、一九四五年から一九五二年までに統一天下を成し、そのときに神様の即位式は終わっていたのです。分かりますか? ところが、キリスト教が統一教会を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、私たちを全面的に妨害して、追い出そうとしているのです。それは、第一次イスラエルであるユダヤ教が、キリスト教を妨害して、最後まで反対しながら滅びる立場に立つようになったことと同じであり、それでキリスト教は、統一教会に反対して、滅びる立場に立ちました。そうして、宗教圏がすべて滅びる立場に立ったのです。 何ですか? キリスト教が滅びる立場に立つと同時に、それ以外のアジア圏にあった仏教や儒教、そしてイスラム教……。イスラム教は、後から出てきたのですが、宗教の形態は持っていても、今ではもう、すべて滅んだに等しいというのです。 滅ぶのは宗教だけではありません。家庭から、宗教から、社会から、国家から、全世界、どこもみな、地獄のようになってしまいました。神様が理想とされた愛の理想圏というものは、地球星において見いだすことができない、という結果になったのです。 本来ならば、アメリカのような大国に行けば、神様が訪ねていくことのできる息子が、心と体を一つにして、娘と一つとなって、神様が願われる、堕落していない本然の夫婦となり、心と体が闘わない真なる家庭をつくらなければなりませんが、そのような家庭は、ないというのです。 本来、そのような夫婦によって息子、娘が生まれなければなりません。しかし、父母と息子、娘が闘わない家庭はありません。すべて分かれているのです。個人主義化してしまったこの世の中には、神様の相対理想がありません。 しかし、すべてがペア・システムになっているのです。鉱物世界もペア・システムであり、植物世界もペア・システムであり、そして動物世界もペア・システムなのです。天と地も相対となって一つになるべきなのにもかかわらず、すべてが分かれてしまったので、反対になったということです。反対になってしまったのです。 それを、どのようにして引っ繰り返して、合わせるのですか? それは、だれがしなければならないのでしょうか? 蘇生、長成、完成における蘇生的アダム家庭において失敗し、長成的メシヤも国家的基準において失敗したので、国家的基準においては、いずれにせよ失敗の内容を取り戻すことができません。 ですから、ローマ、世界の限界線を越えなければなりません。世界まで越えていかなければならないのです。 イエス様が、国家を取り戻して越えていくべき峠が、世界的舞台であったので、世界的舞台に向かって越えていかなければならない時が、必ず地上に訪れるのです。 世の中は、すべて滅びる立場に立ち、宗教もすべて滅びる立場に立ちましたが、再臨主は国家基準を超えて世界まで……。再臨主は、イエス様の理想を超えるので、来られる再臨主の実存的基盤というものは、国家的基準ではなく、世界的基準でキリスト教文化圏を相続しなければなりません。 相続されるべき立場に立っているキリスト教、カトリックと新教自体が闘うことによって、統一するということは考えることもできないのです。ですから、これを統一する時まで、この闘いは必ず続き、続けば続くほど、宗教圏は滅び、最後の日には、道もなく、手も出すことができないので、しかたなく、主人であるメシヤの所に来て、しっぽにしがみつくようになるのです。 そして、どのようになるのかというと、宗教も失ってしまい、世界も失ってしまい、国も失ってしまい、社会も失ってしまい、家庭もすべて失ってしまったので、「だれがおじいさんなのか? だれが父母なのか? だれが夫婦なのか? 子女が何だ?」と言って、すべてを否定する時代に入ってきたのです。 それゆえに、「どこに天があり、どこに神様がおり、どこに宗教があるのか?」と言って、すべて否定するのです。「どこに社会があるのか? どうして家庭が必要なのか?」と言って、すべて動物のように、ペア・システム……。 人間においては、そのペア・システムが、子供を生むために機能しているのでもありません。動物は、子供を産むためにペア・システムになっているのですが、人間は、動物よりももっと悪いのです。ペア・システムの基準が、一時的な享楽というものになり、そこには“永遠”という概念がないのです。男性も女性も、堕落した天使長のように、神様の理想的な愛の基準とは、完全に懸け離れた個別の立場に堕ちていきました。 ですから、愛の道を訪ねていって、すべてのものを踏み越えていくことはできません。人間の本性的な愛の道というものは、神様と一体となることができる道がないかぎり、人間の欲望や人間の修養や決心をもってしては、最後まで、この情欲を克服することはできません。 それゆえに、悟りの道を行く人がいるとすれば、サタンが霊的に試験するのです。美男子が修道の道を行って、天性に近づいていくことができる立場に立ったとすれば、美女がやってきて、抱き抱えて試験するのです。そして、「わたしを抱いてください。」と言うのです。 しかし、「ぎゅっと抱いてください。」と言うときに、抱いてあげれば、それで終わりなのです。男性であれば美女が現れ、女性が修道の道を行けば、男性が……。男性は天使長の立場なので、「抱いてください。」とも言いません。ですから、そこで目を開けているだけでも終わりなのです。 このような闘いを中心として、愛をもって霊的、肉的に生死の判決を下すということは、悟りの道を通して霊的体験をしなければ、どれほど克服し難い問題であるか分かりません。また、それがサタンの活動舞台の中の活動舞台になっているということを知らなかったのです。 しかし、神様は、この活動舞台を奪って、理想の位置に返さなければならないということをご存じであり、千辛万苦して、万々世、繰り返してでも続けていかなければならないのです。ですから、宗教のみ旨を立てようとされる神様は、今まで力なく、失望に失望を繰り返してこられたのです。 そのうえ、繰り返したとしても、上がっていくのではありません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで行って、降りていくときには、国家の基準から氏族の基準に、氏族から家庭以下に落ちていくのです。このようにして、どん底まで落ちていき、ここで失敗すれば、他の所に回っていくのです。ですから、復帰歴史は数千万年かかったのです。 それで、旧約時代の二千年が霊形体ならば、霊形体級になるまでは、上がっていく方法がありません。二千年という限界線が再び訪れるまでは、だれかがそこに穴を開けて、生命体圏まで上がっていくことはできないのです。 蘇生、長成、完成の三段階に分かれた復帰歴史においては、一つの基準を満たすまでは、岩の峠道を巡り巡っていかなければならず、東洋で始まれば西洋で始まり、天で始まれば地で始まり、そのように一つにならなければ、つぶれてしまうのです。 そのような転換期において、それぞれ宗派なら、宗派や文化背景が異なるので、東洋と西洋、東西南北四方で、メシヤの代理的責任を持って、世界人類を収拾してきた歴史的な宗教形態が、仏教や儒教、イスラム教、キリスト教であったのです。分かりますか? それでは、再臨主とはだれなのかというと、それは“真の父母”です。真の父母は、何を持ってくるのですか? 真の愛と真の血統を持ってくるのです。分かりますか? 偽りの父母とは何ですか? 偽りの愛と、偽りの血統をもたらすのです。 本来の堕落していない本然の世界においては、神様を中心とした家庭を成さなければなりません。真の息子、娘の家庭を成そうとすれば、血統が連結されなければなりません。 真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と、血統が連結されなければなりません。「父」や「父母」という言葉と「子女」という言葉は、血統が連結されなければ、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も分けることができません。堕落したサタンも分けることができません。それを蕩減復帰しなければならないのです。 偽りのオリーブの畑であっても、本然の基準である真なる神様の血統に接ぎ木して、真のオリーブの木の愛を中心として、一心、一体、一念となって、生死の境を出入りしなければなりません。 個人的な生死の境、家庭的な生死の境、国家、世界、いかなる犠牲があるとしても越えていくという、そのような心情を持った人には、サタンは関与することができません。国家以上の基準に越えていけば、すでにこれは、蘇生圏、長成圏、完成圏に入り、直接主管圏内に入っていくので、サタンとは関係を結ぶことができないのです。 ですから、イエス様も、もし結婚して相対理想を成していたならば、亡くなられたりはしませんでした。殺すことはできないというのです。これは、相対理想の直接主管圏に連結することができ、原理で言えば、責任分担を完成した基準になるので、直接主管圏内に入っていくのです。 直接主管圏は、神様の血統が連結されており、サタンには、それを断ち切る術がありません。そこに向かう過程において、心情一致することができる位置に行くことができずに、堕落したことが問題なのであって、アダムとエバが夫婦となって、愛し合ってさえいれば、堕落はありえないというのです。永遠に堕落することはできません。堕落できないのです。 しかし、この過程で実が実りませんでした。実が実っていないのに、実のように思って、いくら土に埋めたとしても、芽は出てきません。ですから、永遠の生命がないのです。そのような、死んだ生命を処理する所が、地獄です。そこは、神様とは関係がないのです。 それゆえに、“父子関係”というものは、何が問題なのですか? 父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、そのままでは連結できません。父母の血統が、そのまま一人のままでいるでしょう? 一人でいるのです。一人で血統が連結されますか? この血統は、男性の血だけでは連結できません。男性と女性が、一つにならなければなりません。 宇宙の根本道理は、性相と形状の血統が一つになった、その位置で創造したということです。つまり、性相である心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる位置で、人間を創造したというのです。 それと同じように、見えない形態が、見える実体を迎えることによって、爆発が起きるのです。水を温めれば湯気になり、湯気をもっと温めると、水蒸気になって完全に見えなくなるのです。それと同じように、目に見えない神様であっても、とても熱い位置にいる神様が、見える実体とぶつかり、冷たいものとぶつかれば、爆発するのです。 ですから、愛を中心として性相と形状が球形を成していますが、それは内的な運動であって、外的に現れないので、神様ご自身は、刺激を感じることができません。しかし、この実体である刺激的な相対が生まれることによって、熱いものが冷たいものとぶつかるので、爆発するのです。分かりますか? 心と体が、内的に血統を通して愛と和合し、生命と和合して絡み合っているのですが、その瞬間には、心と体のそれぞれが、お互いに共有できない喜びを感じているので、その喜びを一緒に感じることはできません。これが、相対的実体と一つになって刺激を感じることによって、爆発するのです。天地が爆発すれば、運動が展開するのです。 愛というものは、ぴたっと、軸を中心として運動が展開するので、“永遠に愛そう”という心さえあれば、永遠に回転することができるのです。ですから、中心に神様をお迎えして暮らすことができる家庭となり、その家庭が、永遠に運動することができる原動力に従って、種が大きくなり、芽が出てくるのです。その芽が、神様と同じ本然の実の位置に戻ろうとするので、幹が伸びていくのです。 そして、そこに再び芽が出て、大きく生み殖え、東西四方に伸びた枝と枝に、実を実らせることができる環境ができるのです。そのような大きな木と同じように、アダム家庭のアダムとエバの実体を中心として実体的対象を繁殖し、それが東西南北四方、世界じゅうに満ちあふれ、天の国の民を繁殖することができる数多くの分工場を拡張することによって、天の民で満ちるのです。 霊界にいらっしゃる神様と、地上にいる実体の父母が協力して、それを地上で生産し、永遠に暮らすことのできる霊界で一体となり、天上世界の国と民と地を中心として、地上天上理想を完成していたはずなのです。分かりますか? (「はい」) そして、これを今までキリスト教において、カインとアベルが一つになって、霊的基準で取り戻してきたのですが、体を中心として霊界を収拾したのであって、地上世界を収拾することはできませんでした。 地上世界を収拾しようとするので、すべての闘いを中心として、国家を超え、民族を超えて、単一民族を形成するために、第二次大戦後に初めて連合国が枢軸国を……。怨讐なのです、怨讐に勝利して、消化するようになるのです。 これは、カインとアベルが消化される時が来たということです。第二次大戦以後に、この基準において、アメリカを中心としたイギリスとフランスが受け入れていたならば、統一教会は一躍、三年以内に峠を越えていたのです。七年以内ですべて終わるのです。 このようになっていたならば、わたしたちが主張する地上、天上天国が、願いどおりに成し遂げられ、統一された民族形態の基盤の上で、霊肉界が分かれずに、一つになることができたのです。 霊と肉が、イエス様の時代に一つになることができずに、分かれてしまったので、再臨時代までの二千年間、苦労しながら蕩減して備えられた、勝利の覇権を引き継ぐことができる基準と、霊界の父母の位置に行ったイエス様が、二千年間、霊界を収拾して勝利したものとを、すべて一つにしなければなりません。 しかし、それを一つにするのは、イエス様ではできません。イエス様は結婚できなかったので、イエス様が結婚させることはできません。神様も祝福してくださることはできません。 これは何かというと、祝福をして、血統を転換してあげることができるのは、“真の父母”である、ということです。偽りの父母によって種がまかれ、神様とサタンが闘うようになったのですが、その闘いをとめるためには、真の父母が、その中間にさっと立ち、「あなたは、このような目的で闘うのでしょう? 神様は、このような目的で闘うのでしょう? それでは、わたしが、それをすべて入れ替えてあげます。」と言って、「入れ替えてもよい。」と言われれば、すべて終わるのです。 ですから、神様とサタンまでも和解させ、ユダヤ教と来られる主、それから周囲の宗教が……。イエス様が来られて、その家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ持つようになれば、その時に、すべてが終わっていたのです。 しかし、それが終わらなかったので、世界舞台において、第二次大戦以後に、この世界国家……。アメリカは、世界の第二次的なイスラエル圏です。ここで、第三次地上、天上の主権と覇権の主人として来られるかたに出会い、地上、天上統一の基盤が造成されていたならば、どうなっていたでしょうか? そうなれば、これが一体となって、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏である地上、天上天国解放が連結されていたのです。分かりますか? それが四十年間回り道をして、今日まで五十五年の歳月が過ぎたのです。五十六年目になりますか? そうでしょう? そして、きょう、この「神様王権即位式」を、すべて行うことができたということは、夢のような話です。 だれが、神様の即位式をしてあげるのですか? だれが、即位式を台無しにしたのですか? 神様が台無しにされたのですか、だれが台無しにしたのですか? サタンとアダムとエバが、それを台無しにしたのです。アダムとエバが真の父母になることができずに、サタンが入り込み、この地上に、真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。 彼らが堕落することによって、サタンの血統を残したので、これをすべて否定して引っ繰り返すということは、神様もできず、サタンもできません。今までサタンがつくってきた国を、自分で壊してしまうということは、難しいのです。だれでも、自分がつくったものをすべて改造しようとすれば、嫌がるのです。サタンも同じです。 神様が、それを引っ繰り返すことはできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園で、神様がアダム家庭を失われることはなかったでしょう。いずれにしても、理論的にも、神様が手を出せないということは、間違いありません。 では、神様が手を出すことができないことに、手を出すことができるかたとは、だれなのでしょうか? それは、完成したアダムです。分かりますか? 「本然の愛の家庭を持つことができるアダム家庭は、どこにもない」ということが、分かりますか? (「はい。」) 今日、皆さんたち祝福家庭は、皆、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……」と、祈祷するようになりました。「だれだれの名」とは、世界の代表なので「だれだれの名」なのです。そのときは、アダムの名によって祈祷しました。 千万後代の人たちは、アダム一人の実です。実というものは、いくら多くても、その実としての価値は、イコールです。同じものだというのです。分かりますか? それゆえに、皆さんが祈祷するときに、「祝福の中心家庭……」、何ですか? 朱東文氏、何ですか? だれの名ですか? (「自分の名で……。」)「自分」とは、何ですか? 朱東文の名です。万国で競争しています。すべての祝福家庭が……。 すべてが「中心家庭だ」と言うのですが、全員が一等ですか? 千人が中心ならば、競争しなければならないのです。道場に行って闘うとか、相撲を取るとか、力くらべをして、闘わなければなりません。闘って勝ってこそ、一等になるのです。分かりますか? ここに何双、何人が集まったのですか? (「四千人集まりました。」)四千人ですか、四千家庭ですか? (「四千人です。」)四千人ならば、それが四千家庭であるとしても、四千家庭の中での一等は、四千ですか、一つですか? (「一つです。」) マラソン大会で、何百万人が走ったとしたら、一等は“何百万分の一”ですか、“何百万分の二”ですか? 何百万人の中での一等とは、何百万人の頂上なのです。その一等というものは、一等、二等、三等……。普通、何等まで賞を上げますか? では、オリンピック大会でも、何等までメダルを与えるのですか? 金メダル、銀メダル、銅メダルの三つです。それも三数だからです。これは、原則がそうなのです。これは三段階です。すべてのものは三数です。三数が、一つの峠になっています。すべて三数になっているというのです。 そのことを見ると、良心的な人たちや精誠を尽くす人たちは、競技をしたとしても、自分でも知らずに天地の度数に合わせるようになっているのです。中央を知らないだけです。この周辺の中に入っているので、中央が分からないだけです。ここでは、度数に合わせるのです。ですから、十二か月も、すべて……。 今日の測定器を見ても、十二進法を使っているのです。その十二進法を中心としては、十二か月自体が中心ではなく、その中心がなければなりません。 三百六十度に回っていくにおいて、中心がなければ、三百六十度を見分けることはできません。ゼロ点がなければなりません。ゼロ点は、位置を固定しなければなりません。永遠に変わらない位置を備えた定着基盤なくしては、三百六十度の方向が、すべて混乱してしまうのです。 中心が問題です。復帰完結も、中心なくして復帰完結することができますか? 「祝福家庭の中心」とは、何ですか? だれが祝福してあげたのですか? 父母が、してあげるのです。だれが、結婚式をしてあげるのですか? 結婚式というものは、自分の息子、娘の血統を一つにして、父母に似るようにしてあげる式です。ですから、だれが、その式をしてあげるのですか? 堕落していなければ、だれが、してあげたのでしょうか? 父母が、してあげるのです。 しかし、今日の結婚式は、天使長に導かれてきたので、“有名で、社会で名のある人を通して、横にはしごを架けて上がっていこう”と考えるのです。 今からは、皆さんたちが……。昨年の十月十四日を中心として、聖人と、祝福を受けた先生の息子、娘の家庭と、宗教界の統一式をしてあげたのです。分かりますか? そのようにしながら、先生が語ったことが、何かというと、「先生は家庭の王だ。」ということです。何だというのですか? (「『家庭の王』です」) 今まで、家庭の王がいましたか? 天地を代表した、中心の立場に立った家庭の王がいたのですか? 家庭の王になろうとすれば、すべての父母の中で、中心的父母にならなければなりません。 そして、長子の中の長子にならなければなりません。長子の王が、先に家庭を持つのです。分かりますか? そうでしょう? 結婚に“逆婚(兄弟姉妹の中で、年の若いほうが先に結婚すること)”というものがあるでしょう? 結婚を引っ繰り返すことはできません。順序どおりにしなければなりません。 最近では、ろくでもない者たちになっているので、逆さまにして騒いでいます。また、復帰という内容とそれは、呼吸が合うので、このようにも合い、あのようにも合うので、逆さまでも通じるというのです。 本来は、長子、次子と、生まれた順序どおりに結婚しなければなりません。ですから、韓国には「逆婚」という言葉があるのです。それは、いけないのです。その順序が逆さまになれば、引っ繰り返ってしまいます。世の中は、すべてそのようになっています。これを、どのようにして合わせるのですか? ですから、それが混沌となっているので、最近は親族相姦関係が出てきたのです。姦淫するということです。おじいさんが孫娘と暮らし、義父が嫁と暮らすのです。まったく……。そのような親族相姦関係が出てきたのです。回っていく人は、中心が分からないので、お互いにつかみ合うのです。このようなことを……。 大混乱時代です。家庭的混乱時代、一族、親族を問わず、系列をつかむことができず、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのか分からず、お互いに回っていきながら、ゼロ度でも、三百六十度でも、百八十度でも合わせていくというのです。 それゆえに、世界が民族移動して、乱交事件まで起きるのです。今、そうでしょう? 男性が国外に行けば、女性たちとどのくらい相姦関係を結んでくるのか分からないという、乱交時代の局面が展開しているのです。 さあ、このようなことをだれが収拾するのですか? 神様も、エデンの園でアダムとエバの堕落に干渉できなかったし、サタンが結婚することも干渉できなかったのです。それなのに、終わりの日に干渉する方法がありますか? 病の根源を抜くことができなければ、その病のために死ななければなりません。滅びなければならないのです。 それゆえに、反対の偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統が生じたので、真の父母が現れて、これをもう一度蕩減復帰……。これを否定して、生き残らなければなりません。 それゆえに、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界において、死ぬまで蕩減しても、生きることができる余力があってこそ、生き残るのです。死ぬことを悲しみ、“逃げ出したい”と思う人には、永遠に復活圏がありません。ですから、「死なんとする者は……」、何ですか? (「『生きる』です」)「生きんとする者は……」、何ですか? (「『死ぬ』です」)生きる (「死ぬ」)ああ、それでは、良くありません……。 それでは、もし、神様が“死なん”とする位置にまで行かれれば、どのようになりますか? (「生きる」)生きるのです。神様が“生きん”とされれば、どうですか? (「死にます。」)永遠に希望がないというのです。それは、そういうことです。 神様も、堕落圏内の死んだ立場に閉じ込められているのですが、そこから抜け出すためには、神様も“死なん”とする立場にまで行ってこそ、生きるのです。“生きん”とすれば、神様も何ですか? (「死にます。」)何のことか分かりますか? (「はい。」)先生は、どうですか? 先生も同じです。先生も、“生きん”とすれば死に、“死なん”とすれば、何ですか? (「生きる」) それゆえに、統一教会の文教主が、“メシヤになろう”、“真の父母になろう”と考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? 考えたのなら、毎日、死ななければなりません。毎日、毎日、「死ぬ。」と言って、大騒ぎしなければなりません。死なない環境ならば、死ぬようなことも成さなければならない、ということにもなるのです。分かりますか? 死なんとする者は、何段階の……。天とサタンが忌み嫌う……。真竹には、節目があるではないですか? 節目ができるのと同じように、節目ができるときには、新しい節目が出てこなければなりません。 大きくなれば大きくなるほど、より大きな節目ができますか、小さいものができますか? 根元の節が太いですか、てっぺんの節が太いですか? 節目がたくさんできればできるほど、細くなるのでしょう? それが理想的です。 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、“天の国に行く”という人は、どうですか? 同じではないですか? (「同じです。」)朝、重たい冠をかぶったので、額が痛くて、気が遠くなりそうです。早く答えてください。 気が狂うような話です。神様も、“生きよう”という人間の一つの生命を生かすためには、死の場にいる人を生かさなければ、支えることができません。崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を注いで、その基準以上になって、初めて人も生き、神様も生きるというのです。 それゆえに、神様は、何千万回も死の峠を経てこられたのですが、わたしよりも年を取っていらっしゃるので、後になって疲れてしまうのです。一番年を取っていらっしゃるでしょう? おじいさんの中でも大王のおじいさんとは、だれですか? 神様でしょう? ですから、人を救うために、縄で縛って平地に引き上げるにしても、どれほど力を使うでしょうか? ですから、自分が神様によって引き上げられたとしても、その後で神様は、間違いなく疲れて倒れてしまうのです。そのようになれば、どうしますか? 背負って病院に行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか? 病院がなければ、しかたなく、どのようなことをしてでも助けようとしなければなりません。祈祷をしたとしても、死の峠を越え、それを踏み越えていく道しかないという結論が出ました。 ですから、メシヤという人は、あるいは救世主という人は、神様よりも休んで食べているのですか、神様を休ませて食べさせてさしあげ、「自分は、死ぬほどの苦労をしてでも行く。」と言って、神様に侍らなければならないでしょうか? それとも、神様を死なせて、“自分は、休んで食べていよう”という者が、メシヤになるのですか? ですから、統一教会に入ってきた者たちが、先生よりも……。先生は、死ぬほど苦労したのに、“自分は、休んで食べていよう”という者たちは、天国に行かなければなりませんか、地獄に行かなければなりませんか? (「地獄に行かなければなりません。」)「先生は、私の言うとおりにしてください。先生は、社会のことも知らず、何々をしているのですが、それではいけません。」と、そのような話を聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか? “生きるか死ぬか”という課題が残っているのに、生きるために、陰で何かをたくらむようなことが通じますか? 一緒に死のうとしてこそ、一緒に生きるのです。それを、一人だけ生きようとしてはいけません。 自分が、“父親は賢いのか愚かなのか分からないが、父親の心は、「息子、娘のために先に死のう」というものであることは間違いない”と思うときには、父親がするとおりに、最後まで行動しなければ、分かれてしまうのです。最後の局面になって、分かれるのです。 父親は“死のう”とするのに、自分が“死ぬまい”とすれば、どのようになりますか? 分かれますか、分かれませんか? 父親の行動と息子の行動が分かれれば、地獄の行動と一体になるのです。そのような行動に従っていったならば、孫でも何でも、おじいさんの懐に入っていくことができず、おじいさんも孫を抱いて、一度もキスできないというのです。それは何のことか分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) 皆さんは、今まで統一教会を信じてきましたが、“先生以上、神様以上に苦労しよう”と思った人は、いますか? では、先生の言うことを聞きますか? “ああ、何かがあるらしい”と思って、見物に来たのですか、この困難な峠を踏み越えていくために来たのですか? それが問題です。そこには、個人主義的なコンセプトは必要ありません。そのことを知らなければなりません。ハーバード大学を出た人、エール大学やオックスフォード大学を出たということだけを鼻にかけているような人たちは、必要ないというのです。かえって、労働者や学歴のないような人たちの中に……。 フリーセックスを好む人たちはだれですか? 白人ですか、だれですか? 黒人がそれを好むとすれば、それは、白人から教わったのでしょう? このように思わなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、このような者たちは、エイズにかかって……。 このままでは、世界がエイズと麻薬のために全滅するようになっています。今、アフリカは、二千六百万人がエイズにかかっているというのです。そのままでいれば、今後十五年から二十年以内に滅びるかもしれません。エイズの潜在期間は八年なので、二代ですべて死んでしまうというのです。 ここに付添人として立った百二十人は、自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? 先生についていく自信がありますか? なぜ、「自信がある。」と言いながら顔を隠すのですか? 先生が神様を解放したのなら、あなたたちは、先生を解放しなければならないでしょう? 数多くの国々が、いまだに解放されていないので、あなたたちに百二十か国を解放させようというのです。マルコの家の屋根裏部屋で解放された、イエス様の百二十門徒に当たるのが、世界の国家代表たちです。 先生の時代においては、百六十家庭と百八十家庭なのですが、百六十家庭とは何かというと、世界の国家を神様の元へ取り戻してこなければならない、ということです。分かりますか? (「はい。」)一つの国を取り戻すことができない人は、天の国の代身となることはできません。 地の王になれば、天の国でも王になるはずであり、正しい行いをすれば、善なる王として、今後の未来においても、王の位置を守っていくことができます。 そして、責任を果たしましたか、果たせませんでしたか? 祝福家庭たちが、南北統一をしようと、すべて統班撃ギヨク破……。統班撃破の責任を、きちんと果たしているのですか? 統班撃破して、世界が一つになりますか? 国連を残して、世界が一つになることができますか? あなたたちは、統班撃破をするのですが、わたしは、国連を中心としてNGO(非政府組織)を消化するのです。国連で、NGOが一番の問題です。この人たちが、いちばん難しいのですが、それをする人がいますか? NGOの責任者や国家の代表者たちと比較してみれば、自国の政権を中心として、社会の悪がどうだこうだと、とやかく言っているのであって、先生のように、「未来の世界において、このように国連が統一され、共産主義を料理する問題はこうだ。」と言う、このようなことは、あまりにも次元が高いのです。ですから、聞いてからもぼーっとして……。 そして、「内容を知らなければならないでしょう? それでも反対するのならば、しなさい。」と言うと、「正しいことは、正しいです。」と言うのです。 青少年の淪落と家庭破綻、エイズの問題をどのように解決し、純潔な血を、どのようにして残すのですか? それは、自分たちでは分かりません。「それに対する解決方法だ。」と言うと、反対しようとしますが、大統領や国連事務総長など、何を知っているというのですか? 「これは、うそだと思うか、真実だと思うか? この者たち」と尋ねれば、「真実です。」と言うのです。頭をこのようにして、手を挙げるというのです。 あなたたちは、入籍する自信がありますか? ここで、神様と興進君とイエス様が一体となっているのと同じように、わたしが神様の位置ならば、興進君はイエス様と同じです。 “三角地帯”に下りていって、事故に追いやられて死にたくなければ、今から教育して、教育にパスしなければなりません。そのような考えをしなければならないのです。入籍修錬を受けましたが、教育にパスするために課題を残して、条件的に入籍したということを知らなければなりません。分かりますか? さあ、それでは、きょうの主題は何ですか? (「『神様王権即位式』です。」)「神様王権即位式」なのですが、即位式をする前に必要な話は、もう終わりました。分かりますか? “死なん”とする道を行かなければならない、ということです。 それでは、あなたたちも、今から息子、娘たちと自分たちの先祖、金キム氏なら金氏の先祖即位式をしなければなりません。分かりますか? 朴パク氏なら朴氏が集まって、「朴氏先祖王権即位式」、そうでなければ、「長官(大臣のこと)即位式」をしなければなりません。しようとしてできなければ、「局長即位式」でもして、初めてその国の所属になるのです。そのような競争時代に入ったということを、はっきりと話してあげるのです。分かりますね? それでは、“生きん”とする人は、望みがありますか、ありませんか? (「ありません。」)ある (「ありません。」)この者たち、「あります。」です。(「ありません。」)そのようなこと(“生きん”とすること)を願っているではないですか? 分かりますか? はっきりと知ってください。もう、はっきりと分かったと思うので、今から、「神様王権即位式」以降に成すべき条件を、はっきりと教えてあげます。 問題は何かというと、血統が問題です。「血統」と言ってみてください。(「血統。」)血統 (「血統」)英語では、何と言うのですか? ブラッド・リニージ(blood lineage)です。もう一度、言ってみてください。(「ブラッド・リニージ。」)それが、最も重要なのです。 自分の国の王は、それ以上に重要なのではありません。偽りの父母も必要ありません。社会組織も建物も何でもありません。学校も何でもありません。今、この世界にある多くの国は、神様に属しているのではなく、サタンに属しているのです。 もう、ほかに方法がありません。神様に従い、真の父母に従う道にしか、中心の位置がないですか、ありますか? (「ありません。」)アメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領が、アメリカの中心ですか? ゴアと闘って、得票はゴアのほうが多かったのです。選挙人団、そのために負けたのです。終わったというのです。 アメリカは、CIA(米・中央情報局)やFBI(米・連邦捜査局)を中心として、弱小国家に対して「民主主義と両院制を選択しなさい。」と言ってきましたが、今からは、そのように言うことができません。「自分の国のことをきちんとしろ。だれのためにここに来て、大きなことを言っているのか?」と言われるのです。民主主義がなければ、今から西洋の人は、どのようにして生きていくのですか? 分かりますか? それで、わたしが思うことは、四年制から八年制にしたほうがよい、ということです。分かりますか? 四年間で政権が交代するので、そのための競争をしながら、どのようにして仕事をするのですか? そうして皆、国の財産を食いつぶしてしまうのです。 ですから、八年です。一つの峠が八数なので、八年間にするのです。そして、男性と女性がいるので、民主主義的にしようとすれば、十六年間は勤めなければなりません。 また、家庭を中心として二倍にすれば、三十二年間です。三十二年間勤めて、初めて死んだ国でも生かすことができる可能性があるのです。四年間で、どのようにするのですか? 二年もたたずに選挙運動を始めるので、滅びるのです。そのような形での民主主義をしていては、すべて滅びます。分かりますか? 原理が許しません。 今後、王圏時代に入っていくのですが、どのようにして入っていくのですか? 四年を八年にして、男性と女性がいるので、八年を十六年にし、一次、二次とすれば、三十二年です。そうして、三十二年間、することができるようになれば、天下の王……。 王の中で、三十二年間も王であり続ける人がいますか? (笑い)ですから、王圏に戻っていくことは、問題ありません。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) 労働者と農民にユニオン(労働組合)があるのと同じように、株主のユニオンをつくるのです。そうして、「自分たちの家庭の妻や子供たちを、きちんと食べさせていかなければならないので、去年の生産量よりも、今年はもっと増やさなければならない。そのために、わたしたち株主ユニオンと、あなたたち労働者ユニオンが、一緒に競争しよう。」と、言うのです。 このようにして生み出した利益は、三年間、主人に与えずに自分たちで分け、労働者のユニオンが一所懸命にしたら、その分の何パーセントかを多く与え、株主のユニオンが一所懸命にしたら、その分、多く与えるのです。このようにすれば、けんかをするでしょうか? 西洋社会で、このような考えをする人はいません。分かりますか? それが、できないときには、レバレンド・ムーンが、「宗教連合の世界組織よ、集まれ。」と言うのです。全世界が祝福を受けたので、「祝福家庭、集まれ。今から、私たちで宗教ユニオンをつくろう。」と言えば、つくることができますか、できませんか? 「宗教ユニオンをつくりましょう。」と言えば、つくりますか、つくりませんか? (「イエス。」)「はい。」と言わなければならないでしょう? わたしにアメリカを任せてみなさい、というのです。三年から七年以内に、すべてきれいに整理できます。それは、可能な話ですか、不可能な話ですか? (「イエス。」)希望的な話ですか、絶望的な話ですか? (「イエス。」)この者たち、ユニオンが何だというのですか? ですから、ユニオンも退きなさいというのです。そのようにすれば、共産党も退いていくのです。 さあ、先生の話したとおりにすれば、社会悪を造成するユニオンを追放することは可能ですか、不可能ですか? (「イエス。」)ポッシブル、インポッシブル? (「ポッシブル。」)分かっていることは分かっているのですね。では、インポッシブルが強いですか、ポッシブルが強いですか? (「ポッシブル」) 今から、それをしなければなりません。わたしがブッシュ大統領に会ったら、「わたしの言うとおりにするのか、しないのか。」と、激しく詰め寄らなければなりません。先生にそのような度胸がありますか、ありませんか? (「イエス。」)イエスなのかどうか、どうして分かるのですか? とにかく、あなたたちは、初めて来て、先生からこのような話を聞いたので、気分が良いでしょう? 遠く太平洋を越えて、“ああ、今度は十日もたたずに、『また来い。』とはどういうことだ? お金もないのに、先生は一銭も助けてくれないのは、どういうことなのか?”と、思うでしょう。 国が救われ、世界の解放が展開し、退廃主義的な世界がなくなり、天の国が建国されるのに、千回、万回、飛んでくることができないことのほうが恨でしょう? さあ、帰るときに喜んで帰りますか? “ああ”と思いながら、絶望して、すっと肩を落として帰りますか? (「ハッピー。」)「ハッピー、ハッピー。」と言って、喜ぶのですね。 今ではもう、このように見ようと、あのように見ようと、好きでも嫌いでも、東洋人であろうと西洋人であろうと黒人であろうと、人という人は、文総裁の言うことを聞かなければ、このようにしても混乱し、あのようにしても混乱し、引っ繰り返しても混乱し、まっすぐにしても混乱し、すべて混乱するというのです。 ですから、初めから混乱した立場に立たずに、きょうから新しく決意するのです。一度決意すれば、いくら困難な迫害に遭ったとしても、それを変えてはなりません。 (英語で説明された後、韓国の教会員に向かって)あなたたちは、何の話か理解できましたか? (「はい。」)「はい。」と言った人は、勉強した人であり、「はい。」と言わなかった人は、勉強しなかった人です。 英語が分からなければ、この鼻っ柱の強い人たちを懲らしめることはできません。(笑い) (付添人が、礼服の上にピンクのチョッキを着ていることについて)この服は、イエス様の花園の色を着ているのですね。それは、何かというと、イエス様を象徴するのです。“白”は、神様を象徴します。“緑”は、聖霊を象徴します。すべて青です。海も青く、山野も青く、空も青です。それは、聖霊の色です。そこに花があれば、ピンクの花です。白い花とピンクの花が調和しているのは、美しいのです。とても目が引かれます。 さあ、ですから、自分たちがそのような服を着たのですから、それに恥ずかしい者になってはいけません。今からは輝く花になり、飛んでいった虫やちょうたちが、飛んで近寄ってくるような輝きを持った皆さんとなることを、先生は願います。何ですか? (「アーメン」)一度、そのようになってみてください。 わたしが言ったことを、家に帰ってからできないという人は、いますか、いませんか? (「いません。」)「一族を中心として“総生畜献納”を行うのです」と言ったのに、なぜ、しないのですか? そのようにしなければ、この場に参席できません。 「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」という人は、家庭から氏族、民族、国家、世界、天宙まで、アダムとエバが破綻させた家庭をすべて収拾し、自分の一族を中心として、国までも収拾してささげるのです。 氏族基盤は、国を建てるためのものなのですが、氏族の基盤を国にささげ、その国が、サタン世界の行政組織よりもりっぱでなければならず、その機関よりも優れていなければなりません。サタン世界の先進国に王宮があるとすれば、それよりも、もっと素晴らしい王宮をつくらなければならないようになっています。分かりますか? (「はい。」)何のことか分かりますか? (「はい。」) 総生畜献納基金は、絶対に、自分たちで使うようにはなっていません。先生も、自分では使いません。あなたたちの万代の後孫、子孫、天地の民が、思いどおりに喜んで休息することができる空間を持ったビルディングをつくらなければなりません。神様の国ができたときには、政府機関をつくらなければならず、政府の庁舎をつくらなければなりません。 サタン世界の政府の庁舎よりも、神様の王宮がみすぼらしくなければならないでしょうか、何十倍、何百倍もりっぱでなければならないでしょうか? (「りっぱでなければなりません。」) 生涯、飢えてはいつくばりながら暮らしたとしても、自分の一族で、そのようなものをつくっておかなければ、天国に行く面目がありません。先生の前で面子が立ちますか? それにもかかわらず、自分の親戚や一族を伝道せずにほうっておくのですか? 神の国ができれば、大使館をつくらなければなりません。それから、学校をつくらなければなりません。祖国の教育をしなければなりません。それから、教会をつくらなければなりません。祭祀の法を教えてあげなければなりません。そのようにしてから、自分の家を建てなければなりません。そのようにしなければ、負債を負った者だということです。 先生に土地がありますか? 先生に所有権がありますか、ありませんか? 教会が、先生の名前で所有されているものは、わたしのものではありません。あなたたちが、先生の名前で所有することを願ったので、そのようにしたのです。 わたしがアメリカに住んでいれば、世界で先生の名義になっているものは、すべて報告して税金を払わなければなりません。分かりますか? 孝子とは何ですか? 父母が死ぬ立場にいれば、代わりに死ぬのです。忠臣とは何ですか? 国王が滅びれば、代わりに滅び、死ぬとすれば、先に死ぬのです。聖人も同様であり、聖子も同様ではないですか。それは違いますか? 違うと思う人は、手を挙げてみてください。この者たち。(笑い)耳が引っ繰り返ったようですね。ほかのことを考えて寝ていたか、目を開けていても、ほかのことを考えて見詰めていたのですね。(笑い) 何時ですか? 九時ですね。十時までです。もう一時間だけ続けましょう。七時から二時間かかったので……。あの帽子(冠)は、何でつくったのか、なぜあのように重いのですか? (笑い) 真鍮の器をつくるものでつくったのか、銅でつくったのか、食器をつくるものを何というのですか? 真鍮でつくったのかもしれません。これが、どれほど重いか分かりません。(笑い) 祈祷していて、祈祷の内容をすべて忘れてしまいました。(笑い) ですから、先生の威信が立ちましたか、立ちませんか? (「お立ちになりました。」)先生は威信を立てたのですが、あなたたちは、重いものもかぶらずに楽にしながら、一緒に立って威信を立てましたか? さあ、ですから、話したいでしょうか、話したくないでしょうか? ここには、話して暮らしていく人たちが、たくさん集まっているのですが、つらくて、話すのも面倒だったのです。分かりますか? ですから、内外共に重要なことは、手帳を取り出して、永遠に記録しておかなければなりません。 今年の標語は、何ですか? 「解放された天地父母と子女が……。」「子女」とは、“解放された子女”のことをいうのです。「解放された子女が一心一体となって……。」そこに、水が入り込むことができる、すき間がありますか? 空気が入り込むことができる、すき間がありますか? 太陽の光が入り込むことができる、すき間はありません。そうでしょう? そして、「一心一体となって」、それから何ですか? (「真の愛……。」)真の愛です。一つになるのも、一心一体となってこそ、一つになるのです。天地父母が、一つにならなければなりません。父母と子女が一心一体となってこそ、真の愛が生じるのです。そうでしょう? 一心一体となって、真の愛です。 真の愛とは、何ですか? 主体的中心です。「中心的主体性であるみ旨が完成されますように。」これは、一年だけの標語ではなく、三〇〇〇年までの期間、だれもが、これを守って実行しなければ、不可能なことです。 うまく標語を決めましたか、決められませんでしたか? 頭の悪い先生でしょう? 今回、祝福を受けましたが、それを何というのですか? 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。それで、すべてが含まれているのです。 今日、この新千年時代に、すべて解放されました。神様も解放され、真の父母も解放されました。解放された天地父母と子女が解放されたので、恐れてはいけないというのです。監獄に入っても恐れるなというのです。 ああ、自分がその中が気になるので……。早く天国に行きたいのですから、若くして行けば、どれほど良いでしょうか? 損をしますか? 天上天下のすべての宇宙が自分の手に入ってくる主人になるのに、なぜ否定するのですか? 死ぬか生きるかは心配いりません。そのようになっていなければなりません。 先生は、食べるものを求めていきますか、み旨を求めていきますか? 食べるものに従っていきますか、み旨に従っていきますか? (「み旨に従っていきます。」)み旨は見えますか、見えませんか? 神様は見えますか? 愛は見えますか? 生命は見えますか? 血統は見えますか? 良心は見えますか? 見えません。見えないのです。 見えないので、考えない人には分かりません。夫婦生活をしてこそ、妻がいなくても、妻を連れて歩くのです。従っていくというのです。そうでしょう? あなたたちもそうですか? あなたたちはどうですか? (「そうです。」) さあ、わたしに五感を売りますか? 売りますか、売りませんか? それを買って、何をするのですか? 修理して、目が悪ければ、完全な目に、鼻が悪ければ、鼻の手術、口の手術、耳の手術、手の手術をして、くっつけるので、売りますか、売りませんか? 世の中に、そのような商売がどこにありますか? 買ったものを良くして返す、そのような商売がどこにありますか? 生きた人が、損をします。いつも天は、そうです。父母も、そうです。父母は、子女が多ければ、負担が多いのです。一度に十人に会えば、よいのですが、十人と毎日のように会えば、いつも懐をはたかなければなりません。 ここに、三人の息子が来ているのですが、「ああ、昼食でも夕食でも、ご父母様と一緒に、家族水入らずで食べたことが一度もありません。今回、良い時が来るというので、どうかそのようにしてください。」と言うので、三日間、長男から一人ずつ食事をしたのですが、「一番良い所に案内する。」と言って、三人とも中華料理屋なのです。そこに先生は、行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? 中華料理屋には、何年も行っていなかったのですが、三日間も続けていったので、先生の心は平安でしょうか、平安ではないでしょうか? 息子、娘と約束したので、行かざるを得ません。一日目も食べ、二日目もまた食べ、三日目もまた食べ、飽きるほど食べたので、油気が……。 おなかがほっそりしていて、油気を受け入れられない人は、皆、おなかをこわしてしまうのです。お母様のおなかと、先生のおなかと、どちらが丈夫でしょうか? お父様のおなかは、ぴんぴんしているのですが、お母様のおなかは、故障してしまいました。 どこに行ったのですか? 今も、いないでしょう? どこかに行って休んで……。休むよりも、座っているのが大変なので、わたしが、「大変ならば、中に入りなさい。」と、約束したのです。ですから、「なぜ、きょうのような貴い日に、お母様はいないのか?」と、思ってはいけません。 そして、お母様は一時間たてば、トイレに行くのです。いくら恥ずかしくても、行かなければ大変なことになるのです。ですから、いくら先生が横にいて、天下が見詰めていても、一時間たてば、「わたしは失礼します。」と、さっと出ていかなければなりません。そして、「入ってくるのが申し訳なければ、後ろで、マイクを通して聞き、そのようにすれば、一緒に参席したと認める。」と、約束しているので、そのようにしているのです。 いつも、お母様は席を空けるのです。だからといって、統一教会の女性たちが、“わたしもお母様のように、そのようにしよう。”と思ってはいけません。分かりますか? 女性で、“いけない”ということを“守ろう”という人は、手を挙げてください。手を挙げてください。守らないのですか? 守りますか、守りませんか? “守らない”という人は、手を挙げてください。何のことか、分からないのですね。(笑い) さあ、もう一度、“お母様はそのようにしても、わたしはお母様が守れない時間でも、夫の前に、息子、娘の前に手本になる”という女性、結婚した女性は、手を挙げてください。これは何ですか? なぜ、男性が手を挙げるのですか? (笑い) さあ、下ろしてください。分かったでしょう? さあ、きょう、即位式を行うことによって、国が変わりました。み旨の道において、心配しますか、しませんか? (「しません。」)それでは、だれが心配しなければなりませんか? 神様は、今までみ旨の先頭に立つことができずに、恨を抱いておられたというのです。分かりますか? 自分が、“したい”と思うとおりにできない恨が染み込んでいるのです。神様が“したい”と思うとおりにすることができるように、後援部隊になり、このように言わなければなりません。 「神様、なぜこうなのですか? 今朝は、何か忙しいことがあって、わたしよりも早く降りていかれるのですか? 私を起こして、連れて行かなければならないでしょう? 今までは、私が神様を起こしてあげるために、このように苦労してきたのですが、これからは、入れ替わる時ではないですか? 真のご父母様は、息子(=私たち)よりもりっぱなのに、息子、娘(=私たち)よりも苦労して、やっとのことで即位式をしてくださいました。ですから、即位式の権限を中心として、一声、号令すれば、天下が、するっと巻き込まれていくのに、なぜ、行使されないのですか? わたしが案内します。」 案内することができるでしょう? 行使はできなくても、案内はできるでしょう? 案内できますか、できませんか? (「できます。」) さあ、今は、時が変わりました。行わずに心配する人は、死んだほうがましです。今、わたしが何と言いましたか? (「『行わずに心配する人は、死んだほうがまし』です。」)明らかに成すべきことを知っていながら、それでも心配する人は、死んだほうがましです。死にますか、死にませんか? (「死にません。」)“全員が死んだとしても、自分だけは残る。”と、このように思わなければなりません。 あなたたちは、どのように個人完成するのか知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 柳光烈ニヨル氏。どのようにして、個人の心と体が一つになるのか、知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 堕落するとき、サタンの血統を受け継いだ体と、堕落するときの愛が、堕落していない、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。 どのようなことがあっても、体のしたいとおりにしてはいけません。「こいつ、こいつ。」と言って、涙を流しても、「こいつ。なぜ、涙を流すのか? 『ありがとう』と言って、感謝しなければならない。」と、言わなければなりません。 “死ぬまい”とするなら、「早く殺してください。」と言い、血が出てこなければ、「血を抜いてください。むちではだめです。やりで横腹を刺してください。」と、言わなければなりません。イエス様も、そうではないですか? 死なないので、やりで刺したのです。血を抜き出したのです。祭物になろうとすれば、清くならなければなりません。 女性たちが、たくさんいるのに、なぜ、わたしのパジ(韓服のズボンのこと)が落ちるのですか? 見てはいけません。力をぐっと入れたら、さっと落ちたのです。ああ、なぜ笑うのですか? この者たち。娘たちがいるのに、父親のパジが落ちて、このようにおへそが……。 最近の女性たちは、おへそを出して歩き回っていますね。父親のおへそが出たからといって、天地に恥ずかしいことがありますか? そうでしょう? 今から、守るべき鉄則とは何かというと、一番目は、いかなる死ぬような出来事があったとしても、血統を汚してはいけない、ということです。何の話か分かるでしょう? (「はい。」)全員、分かったのなら、二度も言ったら忘れてしまいます。分かりますか? (「はい。」) 二番目は、人事処置を間違ってはいけないのであり、人権を蹂躙してはいけない、ということです。男性であれ女性であれ、黒人であれ白人であれ、皆、平等です。人権を差別せず、人権を蹂躙してはいけないというのです。 それゆえに、責任者……。ここに統一教会の責任者たちが集まっていますね? 自分がどこどこの教区長であれ、どこどこの国家メシヤであれ、自分と気が合えば人事処置をせず、気が合わなければ人事処置をする、そのように自分勝手にすることはできません。 教区長よりも、国家メシヤよりも、善なる先祖を持った人が、いくらでもいるのです。何代もたたずに、大統領になることができるような人の首を切ってしまえば、自分の先祖がすべて、がたがたっと崩れていくのです。ですから、先生は、人事処置をあまりしません。上の方にいる人たちについては、くじ引きをするのです。分かりますね? (「はい。」) 人権を蹂躙してはなりません。ですから、先生は、黒人だ何だと差別したり、大学を出たとか、そのようなことですべてを決めるのではありません。人権を正しく指導する真の愛を持って、ために生きる愛を持って暮らす人が、主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想を、すべて流してしまうことは、許すことができません。罪の中で二番目の罪です。分かりますか? (「はい。」) 三番目は何かというと、公金を盗んではいけない、公金を自分勝手に使ってはいけない、ということです。この三つです。 監獄に入ってみると、そこにいる人の七〇パーセント以上の人が、これらのことゆえに監獄にいるのです。分かりますか? 血統を蹂躙すること、これは男女問題です。人権を蹂躙し、そして、金銭問題です。そして、権力問題です。お金と知識と権力が、怨讐なのです。分かりますか? (「はい。」) 天の国の憲法第一条は何かというと、「血統を汚してはならない」ということです。血統を清く保存しましょう。純潔の血統を永遠に守りなさい、ということです。 今、祝福を受けた、その血統は神様の血代なのですから、神様の愛と神様の生命によって受け継いだものを、今までの堕落世界の習慣性に浸った行動で汚してはならないのです。分かりますね? (「はい。」)それを守ることができますか? (「はい。」) 男性女性を問わず、横にいる人が夫婦ならば、お互いに見詰め合い、いなければ一人でも良いので、間違いなく守ることができる夫婦、完全に血統を汚さないという人は、目を閉じて決意してください。神様だけを見て、力いっぱい手を挙げて、万歳 (「万歳」) きょうの記念日を忘れてはいけません。分かりますか? 分かりますか? 夫婦でけんかしても、「正月十三日、十三数」と言えば、体の力が抜けて、ぐたっとならなければなりません。 西洋では、「十三」と言えば、最も悪い数です。それは、十二か月の十二数に、その中心点、中央数を加えた数です。中央に十二か月が入っていれば、天地の道理が、循環しなければなりません。しかし、これがないので、すべて混乱し、逆理的混乱世界になっているのです。これを正すということが、天が願っていることなのです。 ですから、それを知ったならば、千回、死ぬようなことがあったとしても、これを守らなければなりません。この時間を、鉄のような決意をする時間として受け入れるのです。手を下ろしてください。分かったでしょう? (「はい。」) 二番目は、「人権を蹂躙してはならない」ということであり、三番目は、「公金を盗んではならない」ということです。それは、国家財産横領です。 どこかに行って、ビルから金塊が落ちてきたとしても、それを使えば、横領です。それを自分勝手に使うことはできません。それは、公的な“公金”です。何のことか分かりますね? 先生は、皆さんが金品を持ってきても、受け取りません。お母様を通して受け取ったとしても、わたしは使いません。それは、毒薬よりも、もっと恐ろしいのです。あの世に行って、がちっと引っかかってしまうのです。 きょう、この中で引っかかる人がいれば、全員、悔い改めなければなりません。今年(陰暦二〇〇〇年)が終わる前に、です。分かりますか? (「はい。」) 最も恐ろしいこと、憲法の第一条とは何かというと、「純潔な血統を守らなければならない」ということです。汚してはいけません。 ですから、女性たちは引かれていく素地が多いので、いつもナイフやカミソリを持っていれば、相手の手につかまれた所の近くを、「ええい、どうにでもなれ。」と言って、切ってしまうのです。そのようにすれば、助かるのです。それでもだめならば、自分の首を切るのです。それくらいの心構えが必要です。このように、純潔を守ることは、生命よりも貴いことなのです。 さあ、理想的な夫婦ならば、自分の夫や妻が、他の男性や女性と、このようにするのを喜びますか? 黒人はどうですか? 白人はどうですか? 白人 どうですか? あなたの妻が、他の男性の横に行ってもよいのですか? 横に座っているのは、あなたの妻ですか? 違いますか? 妻ではないですか? 妻ですか、夫ですか? なぜ、そこに座っているのですか? どこに行ったのですか? 夫はどこに行ったのですか? 分かりますか? 一番が何ですか? 純潔 二番は何ですか? 人権乱用禁止 三番は何ですか? 公金横領禁止です。 きょうのこの記念日に、天の国の王権を維持するために、皆さんが王圏の前に民となるために、また、父母となるために、妻子となるために、兄弟となるために、これが絶対に必要なのです。 それゆえに、兄を無視することはできません。弟の体が不自由だからといって、弟を無視することはできません。親戚を無視することはできません。世の中は、すべて無視するでしょう? 知識があって、有名大学を出たという人は、高卒の人でも無視してしまうのです。これは、人権蹂躙になるのです。 それから、公金です 国家財産の横領、これは罪です。公金です。先生のポケットにお金があれば、いくらであっても抜き出して使おうとするのは、公金横領です これは、すべて犯罪です。 ここにいる郭クアク錠煥氏も、予算を申請すれば、“いくら使います”という中に、何パーセントかは、自分が必要とするものを含めて請求するのです。 さっともらって、それが余り、「これは、私が使います。」と、報告すれば、かまいませんが、そのままにしておけば、問題が起きるのです。引っかかってしまいます。行く道が、茨の道になり、鉄条網が張られるのです。分かりますね? 先生は、絶対にそれを使いません。献金されたとしても、それには手も出しません。それでは、どのように暮らすのですか? 自分でお金を稼いで暮らすのです。車が必要ならば、そのためのお金を稼ぐことができるのです。分かりますか? ですから、一番目は、「純潔を守りなさい」です。分かるでしょう? (「はい。」)特に西洋の食口たち。どのようにして、純潔な血統を維持するのか、ということです。では、二番目は何ですか? 「人権保護」です。人権を保護し、三番目は何ですか? (「『公金横領禁止』です。」) あなたたちは、働きもせずに、“ああ、先生が一月に一度ずつ、一週間に一度ずつ、家に来てくれればよい。”と思うでしょう? かわいそうな統一教会の教会員は、何人にもならないのに、どうして、ここに来て、補ってあげるのですか? ここに、問題を抱えた人たちが来て、規則も守らずに、楽な所に行って寝ようとするのは、すべて横領です。公的な環境を破壊します。国家財産を横領することと同じだというのです。分かりますか? (「はい。」)恐ろしいのです。 そのように生きる人は、いくら、うまくやろうとしても、できません。そのように生きてみなさい、というのです。いくら神様の前に祈祷しても、伝道できません。人が門の前に来ても、戻っていってしまうのです。 負債を負う人は、すべての天下が嫌います。分かりますか? あなたは、負債を負うのが好きですか? 父親が負債を負うのが好きですか? あなたの親族の中で、金キム氏なら金氏の家門の中で、問題を起こして、負債を負うことを好む人が、どこにいますか? 後から捕まえて、逆さまに刺し込まれるというのです。そのような時が来るのです。 この三つです。分かったでしょう? (「はい、分かりました。」)この三つです。一度、数えてみてください。内心で決意したことを、一つ、二つ、三つ。一つ、二つ、三つ。一つ、二つ、三つと、何度も数えてみてください。そのようにしますか? 純潔の平準化、人権の保護、それから国家財産を横領しないこと、すべてを理解して、それが習慣にならなければならないでしょう? 口さえ開けば、目さえ開ければ、そのような言葉が出てくるようにしなければ、そのような正しい行動はできません。もう、すべて話し終わったでしょう? 一所懸命に話したので、十時に終わるようになりました。 さあ、これだけはしましょう。分かりますか? これに付け加える話をするとすれば、わたしが生涯、愚かな人や、ありとあらゆる人を連れて生きてきたので、何らかの事情がないでしょうか? 皆さんが生きていくにおいて、何らかの事情がないでしょうか? そのような事情が多いはずです。 しかし、そのような法に引っかからないようにしようと努力すれば、抱えているすべての事情に、すべて打ち勝つ人になるので、先生が言わなくてもよいのです。アーメン (「アーメン」)終わりました。 さあ、それでは、どのようにしなければなりませんか? どのように生きていくのですか? 幸福に暮らさなければならないでしょう? 一人で生きていくことを、「幸福に暮らす」と言うのですか? (「共に生きなければなりません。」)共に生きるのですが、幸福に暮らすことの中には、何があるのですか? 神様の公式法度として立てられたものの中で、幸福に暮らすことができるのです。 それでは、どのような環境、どのような人たちとともに暮らせば、「幸福に暮らしている」と言えるのですか? 簡単です。それも三つです。父子関係、夫婦関係、兄弟関係。兄弟関係は、夫婦の前では子女になるのです。ですから、子女関係であり、兄弟関係です。 それゆえに、自分の家庭を中心として、父と母がいて、それから、自分たち夫婦がいて、息子、娘がいるので、兄弟関係と、そして、父母の前に自分がいれば、兄弟関係と同じように、親族の四親等、八親等が、すべて自分に連結されてくるのです。 ですから、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟関係は、自動的にできるのです。「子女関係」の代わりに、「兄弟関係」と言ってもかまいません。分かりますか? これが、彼らと一つになって、幸福に暮らさなければなりません。 幸福に暮らすためには、幸福に暮らすことができるように指導しなければなりません。お互いが手本にならなければなりません。それが、“幸福に暮らす”ということです。手本になっていなければ、それは、不幸せに暮らしているということです。負債を負っているのです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本となるように暮らせば、幸福に暮らすことができるのです。 では、幸福に暮らせば、どのようになりますか? 天の国の王がいて、地上の王がいれば、その王たちが幸福に暮らす家庭を訪問する日が……。毎年、年の初めに訪問しなければなりません。分かりますか? その国で最も幸福に暮らす家庭を表彰する時が来るのです。 表彰するときには、そのように暮らした三代が、それぞれ夫婦となって、四位基台理想を成した家庭が授賞されるのであり、国においても、先に授賞された家庭が、後代に賞を授与することができるのです。 そのように、先に授賞された家庭が、賞を授与することができる責任者の王を代身し、国の中心となる大統領家庭を代身して、賞を授与する時が来るのです。分かりますか? (「はい。」) これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係です。兄弟関係が一つになることによって、子女たちがそれを見て、それに似ていくのです。 それゆえに、兄弟関係でも子女関係でも、共同責任の下で和合して、影響を及ぼして、主体的な立場に立った人になれば、だれが天の国に行くとしても、その人を通さずしては行くことができません 正しければ「アーメン。」と言い、正しくなければ「ノーメン。」と言ってください。(「アーメン」)もう一度、手を挙げて、言ってみてください。(「アーメン」)アーメン (「アーメン」)アーメン (「アーメン」)神様即位、千年万年、万々歳 (「アーメン」)(拍手) この三つさえ……。今から、この法において、天下にいかなる無念なことがあったとしても、この法に背かず、死の境地、逆賊が押し寄せて死ぬことがあったとしても、これを守っていくならば、間違いなく、天の国の皇族圏に入り、どこに行っても自由、統一、解放の家庭となるのです。分かりますか? (「はい。」) きょう、このことを肝に銘じてくださることを願います。分かりますか? (「はい。」) これを標語として、三〇〇〇年標語の中で、純潔血統、それから人権平準化です。分かりますか? それから、国家の公的財産横領をしてはならない、どろぼうになってはいけない、というのです。 それから何ですか? 「手本になろう」です。父子間において、夫婦間において、子女間において、手本になるのです。「子女」は、「兄弟」と言ってもよいのです。先に兄弟が、そのように暮らせば、子女たちが見習います。そうではないですか? 自分の親戚、親族が幸福に暮らせば、息子、娘が見習うようになるのです。ですから、手本にならなければなりません。 そのように暮らせば、町内じゅうの人が皆、「あの人に従っていかなければならない。」と言い、「あの人のように暮らしたい。」と言えば、その人は、間違いなく天国の民となり、天の国に記憶される人になる、ということは間違いありません。(「アーメン」) 先生自身も、そのように暮らしています。自分のおじいさんと、おばあさんに侍ることができなかったので、どこに行っても、おじいさんとおばあさんがいれば、昼食のときに、“パンの一つでも買ってきてあげたい。”という心を、いつでも持っているのです。 ですから、つらくても天が協助してくれるので、版図がどんどん広がっていくのです。そうしていけば、どこに行っても、先生のために生きてくれるという人が、どんどん増えていくのです。 そのようにして、十年暮らしてみると、谷間で、共同墓地に行く日を待っていたおじいさんとおばあさんまでも、自分の訪問を待ち焦がれ、町内の犬までも、ほえずに、自分だけにずっとついて回るのです。分かりますか? 町で声を上げても、犬がほえずに寄ってきて、ぺろぺろなめてくれるように、善なる生活をすれば……。 もちろん、人間たちもそうだというのです。人間がそのようにすれば、主人が愛する人なのですから、なぜ、反対するでしょうか? 喜んで、そのようにすることができなければなりません。 そのようになれば、通りすがりの鳥もそのようにし、すべてそのようにするというのです。それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しいです。」) 皆さんは、先生と一緒に暮らしたいですか? (「はい。」)毎日、もち米をつくように、おしりを三発ずつたたいても、それでも一緒に暮らしますか? (「はい。」)そのようにたたかれれば、蕩減儀式の代わりになるのです。そうでしょう? たたかれても、損害を被ることはありません。悪口を言われても、損害を被ることはありません。分かりますか? (「はい。」) さあ、そのように理解して、きょうの「神様王権即位式」において最も重要であり、人間が公人として守るべきであり、内的、外的に家庭に入っていっても、国に入っていっても引っかかることのない、“解放者”になることができる三つのことを語ってあげました。ですから、この日に、正に覚えておくに値する内容であるということを肝に銘じ、それを標的として生涯を生きてくださることを、先生自身がお願い申し上げます。(「アーメン」)(拍手) 「アーメン。」と言うのは、「み言のとおりに成されます。」ということです。まだ、成されていません。ですから、「アーメン。」と言い、「申し訳ありません。」と言うのです。そうして、「見ていてください。」と、そのように言わなければなりません。分かりますか? (「はい。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.03
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神様王権即位式開始の祈祷2001年1月13日7時5分、ご父母様が祈祷を捧げられました。天宙清平修錬苑、天城旺臨宮殿神を本然の基準に奉る喜びの式典今日は、新千年を迎えて13日目を迎え、真の天上父母の王権即位式を挙行しようと願うので、全天宙の万象とすべての存在は、また祝福を受けた天上の先祖たちと地上の後孫たちが一心一体となられて、歴史的な恨の蕩減の歳月を越え、第4次アダム圏心情時代を迎えることによって新しい天上世界の地上と天上が連結された天国を開門できる時代を迎えることによって、偽りの父母によって結婚を誤り、真の愛に反対し、真の生命と真の血統に反対する歴史的な、羞恥の歴史として始まった恨の歴史を経てこられながらご苦労された万軍のエホバ、父なる神様であられ、師匠であられ、王であられる主人を、今まで蕩減の道、受難の道にいらっしゃるようにしたすべてのことを真のご父母様自身がこの地上に来て、偽りの父母のすべての誤ったことを責任持ち、蕩減の歴史を経て解放を見つめながら、8段階の勝利の権限を立てることによって、偽りの父母の実践場だったすべてを天が引き継いで真の父母の勝利圏を中心として最高の基準で血統を転換した祝福儀式を通して万国と全天宙に連結させて愛の祝福恩賜によって解放的基盤を連結させる、心身紛争の解放、夫婦の解放、父子間の解放、兄弟間の解放、国々の解放圏を経て天上世界と地上世界のすべての垣根、国境がふさがっているものを、皆崩し、あなたの本然の創造理想として望み見た自由解放的世界を蕩減基盤勝利の上に立たれて、望み見るすべての世界は、今や新しく天国が地上から天上世界まで理論化され得る真なる家庭、真なる氏族、民族、国家、世界、天宙、あなたの解放的地上天上天国を連結した勝利の真の父母の権限と真の師匠の権限と真の王権の全体を代表した天地の大創造主であられる主人に結束し、このすべてをもう一度、奉献しようと願うこの式典を喜び受けてくださることをお願いします。天上世界にいるすべての天軍天使たち、祝福を受けた家庭と地上にいる今や真の父母と連結されたすべての中心家庭を連結した祝福家庭と、地上を中心として霊界が兄弟の因縁を、長子圏復帰をもう一度、復帰した中で、地上が長子の一線に立って真の父母の特権的権限を中心として、堕落したすべての世界を個人から天宙まで転覆させた勝利の解放圏を迎えることによって、天地の真の父母を中心とした、解放的真の父母と地上の解放的子女が一心一体となり、真の愛の主体性である絶対唯一不変永遠のあなたの願いのみ旨を蕩減、解放することによって、あなたを真の父母が奉ることにおいて、今や本然の基準に即位することができる喜び多き式典を奉献しようと願うので、喜ばしい心のうちで歴史を受け継がれて、解放された勝利の基盤の上に立って、創造本然の心情を備えた愛の理想で一体化できる勝利圏を中心として、万宇宙にあなたの国の権限を行使できる全体全般全権全能の解放式の祝典を奉献しあなたの本然の位置に上がることができる、即位式を奉献しようといたしますので、喜びの中で受けてくださることをお願いしながら、真のご父母様の名前で真に切に報告します。アーメン。神様王権即位の宣布祈祷<Ⅱ>2001年1月13日 天宙清平修錬苑、天城旺臨宮殿献杯が終わり、7時21分、神様王権即位の宣布祈祷が捧げられました。被造世界を主管する主人として坐定 イエス様が願った国家を越え、世界を越えて今や国連を中心として、神様が旺臨することができる、全人類を代表したNGOの基盤の上に、教育を終え、WANGOの組織を中心として超宗教超国家連合と連結して地上に天の国を代表した主権を立て、国民を立て、地を立て、天上天下にあなたの祖国光福のための基台を備えた上に、今この清平では地上の祝福を受けた家庭たちが、先祖の系図を受け継いで、入籍という祝福の恩賜を備えることによって南北統一の限界線を超えて世界に行くことができる世界的入籍をなしたイエスのイスラエル圏勝利、旧約時代に物質を中心として分けていた歴史を踏み越え、新約時代に息子娘を中心とした内容を踏み越え、その次には祝福家庭を中心としてサタン世界と区別し、天の血族として、個人的家庭から8段階の家庭全体があなたの愛の標準を中心としたモデル的基準の主人の位置を占めることができる時代を迎えることによって、地上の偽りの父母の間違ったすべてを真の父母が来て蕩減復帰してこの基準まで地上と天上世界の数多い垣根がふさいでいたものを開放し、解放的権限を備えることによって万民の個人たち、万家庭たち、万氏族、民族、国家、世界が今や一つの帰結点を真の父母の心情因縁を備えて、総生畜献納という名前を中心として今やすべての被造万物は失ったものを再び蕩減復帰して真の父母の名前と共にお父様の前に全体を奉献できる新千年の13日を迎えて奉献できるようになったことを感謝します。 神様が今や坐定(座るの敬語)なさいまして、あなたの権限を行使なさることができる、全被造万物を主管することができる主人の位置に、主人だけではなく王権の基準に立って霊界と地上界、過去、三時代を越えて自由総括的な立場に立ってあなたの創造理想がアダム家庭でなされたすべてを皆、蹴飛ばして越えられて整備した基盤の上に全天地が世界的な途上の上に祝福家庭たちが一時に、あなたの愛の権限のあなたの国の王権即位式と共に隷属されることによって自主張(※自分の思い通りにすること)できる時代に入城されたので、お父様、万世にあなたの栄光を備えて全て皆、勝利の栄光が全天宙に充満するように、切に、切に、切に真の父母の名前で願います。 この時間、神様王権即位式の即位の権限を、真の父母が再び蕩減復帰して回復し、あなたの本然の基準の権威の位置に奉献しましたので、お父様、この日のために真の父母と約束し宣言したすべてのその基準の上に行使、お出ましできる自主的な解放的天下をあなたの愛の圏内に連結されることをお願いしながら、この式を奉献するようになったことを感謝します。このすべての備えた式典を喜びで受けてくださいましたことを感謝しながら、すべての祝福を受けた霊界と全地上の祝福を受けた家庭と一心一体となられて、真の愛の主体性である絶対唯一不変永遠の伝統を、あなたを中心として継続される真の父母の血族たちが万代に、血統を中心として、人を中心として、公的な万物を中心として、三大要件を神様の直属の前に付加させるので、その上で万世の太平の御代を謳うことができる王の中の王、神様王権即位の主人となられることを、真の父母は千万年歴史を越えた心をもって宣布しますので、宣布した通り成就されたことを受けてくださることをお願いします。真の父母の切なる心と切なる心情ですべてを報告しながら宣布します。アーメン。神様王権即位式の祝祷<Ⅲ>2001年1月13日 天宙清平修錬苑、天城旺臨宮殿 家庭盟誓を全体で斉唱した後、7時57分、ご父母様の祝祷がありました。万民皇族圏の万々世太平の御代を 愛する天の真のご父母様の前に、きょうの栄光の日、地上にいる人類が一つになり、地上の真の父母と、天上と地上の、祝福を受けたすべての家庭と一心一体となって、二〇〇一年を中心として、三〇〇〇年に向かって出発する年頭に語った内容と同様に、「解放された天地父母と解放された子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という年頭標語とともに、神様と地上の真の父母が一体の心情を備え、この標語を中心として、新千年すべての人類の前に宣布した言葉として、万有の存在が受け入れ、地上が今から(聞き取り不可能)することができる根となった時代を迎えましたので、今日、祝福を受けた家庭は、天地の王権に侍る直系のアダム完成の立場に立つことによって、万国万象を代表した立場で、天の前に報告するときにも、祝福の中心家庭だれだれの名によって懇切に報告するという、新しい歴史時代を迎えました。 サタンと神様が分け合わなければならなかったという、この恨めしい事実、新約時代にイエス・キリストを中心として心と体が分かれ、心に当たる霊界の整備と、体に当たる肉界の整備を残しましたが、その霊肉を統一することができる時が、第二次大戦後でした。 霊肉を統一してすべてを蕩減復帰し、この地上に本然の理想世界を完成して、地上の真の父母の名をもって天上の真の父母を解放する立場で「神様王権即位式」をすることができなかったという事実を、今、四十年という歳月を経て、再び、第二次大戦直後に旧教と新教が一つになることができなかった舞台を、東洋と西洋が一つになることができなかったことを蕩減した基準を立てて蕩減復帰し、第二次大戦直後に、キリスト教文化圏において、カインとアベルである旧教と新教が一つになって受け入れることができなかったことを、今、この時に、八十歳の誕生日を超え、二〇〇〇年を超え、新しい三〇〇〇年に向かって出発するこの最初の年、イエス様の十二弟子と中央の数で十三数、イエス様が失敗した恨の歴史を再び歩んで整備し、ローマだけでなく、世界だけでない地上、天上天国の解放圏を備え、十三数の中心の日を定めて、このような神様の即位式を挙行するようになりました。 今から、二〇一〇年、あるいは一二年までのこの期間に、これまで、地上から神様の前に奉献してお返しした総生畜献納物を、再び地上に戻して受け取ることができ、地上の統一天下、地球星は、あなたの故郷であること、あなたの祖国光復を宣布することができる、その時まで、あらゆる精誠を尽くすために、南北韓の統一を中心として、国連の統一と天上、地上世界統一の一線上に立ち、平均、平面上で連結させることができるという、切迫した最後の整備時代を迎えました。 「神様王権即位式」を挙行いたしましたので、全体、全般、全権、全能を行使なさり、あなたが願われるすべての霊界を動員し、地上解放を迎えることができる自主張時代を迎えましたので、その自主張権限を、地上と天上世界の歩調を、地上の真の父母が天地に合わせ、その勝利の大解放時代を望みつつ、新しく一月から全世界、天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、地上定着のためのアダム圏地上基盤を中心とした長子の位置と、父母の位置と、王圏の位置を、天上世界の代を受け継いでいく基準において長子権復帰、次子権復帰が成し遂げられ、次子の権限が長子の権限を代身することができる天地開闢時代を迎えました。 最後尾にお立ちになった神様が、真の父母によって再び真の父母を迎え、最後尾ではなく、先頭に立つことができる即位式を挙行いたしましたので、あなたが願われるみ言の内容はすべて宣布され、天の国の構成において、個人の統一問題、家庭の統一問題、氏族、民族、国家、世界、天宙の統一問題、すべての問題を知っておりますので、今からは実践躬行し、その実体圏を地上に成し、真の父母の名と天の真の父母の名を奉り、最後の勝利的権限をすべて備えた祝福家庭、中心家庭として、すべてを終結させることができる、天宙が願う解放の時代に前進することを許諾してくださいますように。 そのようにすることによって、天の真の父母と地の真の父母の主権国家を中心として、万々世の太平盛大な王圏を勝利し、万民皇族圏の、あなたが理想とされ、神様に侍る天上直系の子女たちが、すべての地上と天上の祝福家庭たちの上に、一律的な恩賜を分け与えてくださることを、真のご父母様は、この日を期して願いますので、特権を持たれた王圏王座にいらっしゃる神様の権限として、このすべてのことを約束とともに実践してくださることを、懇切に、懇切に、お願い申し上げます。 明日から出発することは、統一家のすべての祝福が勝利の覇権的旗印を掲げ、万国を治めることができる天の国の大使と、天の国の総督の名を持ち、一方通行、勝利、勝利、万世に前進することができる解放者となることを許諾してくださることを懇切にお願い申し上げ、天の真の父母と地上の真の父母が、共に一体となる、この場を通して懇切に報告、報告、報告、報告、宣布、宣布、宣布いたします。アーメン。 アーメン。 アーメン。 感謝いたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.02.03
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