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第三十九回「真の父母の日」敬礼式後の御言1998年3月28日漢南国際研修院敬礼式の後、お父様は韓国語で御言を語られました。 サタンの目的は神様の御旨を破壊すること 今年の標語は何ですか? (「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」)。 それを毎日のように暗唱し、祈祷する心をもっていますか? 深刻な問題です。習慣的な標語だとか宣言ではありません。これは決定的で、宿命的な宣布なのです。宿命的なことは、だれも変更することができません。 これは三年路程を越えていくのです。三千六百万双を越えて三億六千万双を越えていくのに、家庭を中心としてすべての家庭がこれを目標としなければなりません。これをなさなければ霊界にいる家庭がすべて怨讐になり、氏族怨讐、民族怨讐、国家怨讐、教派の怨讐、思想の怨讐、地上で願うすべてが怨讐で終わるのです。怨讐として分裂するのです。完全に破壊と分裂の世界化時代になるのです。 縦的、横的、霊界と肉界、サタン世界を中心とした地上地獄が、すべて一つになって、神様を完全に追放することができる破壊的な現象が起きるのです。その中心が家庭です。家庭をおいて見たとき、霊界に祖父母がいて、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、すべてのものが完全に破壊されるのです。 家庭自体でおじいさんを認めることができず、父母を認めることができず、夫婦がお互いを認めることができず、子女を認めることができず、完全に分裂してしまいました。それだけでなく、それに先んじて、一族、親戚とか民族とか、国家という観念がないのです。 アメリカのような民主世界が、世界的なキリスト教文化圏を中心にして代表的な位置にあります。そのキリスト教文化圏、内的な思想の前に、世界の国が連結されているのですが、すべてイエスと相反する紛争の歴史になっているのです。 それから、アメリカにいるすべての若者たちは、天地を知りません。天があるのか、地があるのか知りません。天地が分かりません。世界を失ってしまいました。世界を失い、自分の国を失い、国家の中心にならなくてはならない民族を失って、民族の中心になるべき家庭を失い、家庭の中心になるべき個人もすべて失ってしまいました。 神様の創造理想をめちゃくちゃにしてしまいました。だれが? サタンが。サタンの目的は何かと言うと、完全に神様の御旨を破壊することです。人間が神様の懐に帰ることのできないように、環境的与件を、サタンが思うままにすべてつくってしまったのです。最後には性解放までです。その次には、男性が男性と結婚するのです。ホモ、レズビアン。嘆かわしい。それは動物の中にもありません。 神様が環境を創造されましたが、その環境には必ず主体と対象があります。それがどんな種類であっても、雄と雌になっています。そのようになっているのは愛のためです。細菌までも、すべて雄と雌になっているというのです。三百倍にしなければ見ることのできない細菌まで、すべて雄と雌になっているのです。その雄と雌という観念が、この地上に定着するその目的はどこにあるのでしょうか? 一つになるのは何を中心にしてでしょうか? 愛だというのです。それゆえ、神様が創造をされた環境には、必ず主体と対象があるのです。主体と対象が生じたのは、その時だけあってなくなるものではありません。神様の創造理想的存在が存続する限り、その主体・対象の概念は解消されてはいけないのです。 絶対的な中心と合わさらなければならないのです。しかし、雄と雌が一つになるための絶対的愛を中心として連結されたその位置で、神様の愛の橋を通して、小さなものから万物の霊長に至るまで、天の国まで連結しようとする愛のすべてが、みんな切れてしまったのです。そうすることができる男性・女性、男性・女性の体と心がすべて分けられたというのです。 宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい 二世の者たちを考えてみなさい。統一教会で一世は完全に失敗です。失敗したのです。二世を通して、これをすべて復帰しようというのです。「お父さん、お母さんは御旨を中心にして責任完遂をしたのですか」という責任追及をしなければならない時代が来たというのです。 先生の行く道が、こんな統一家の現在の生活ですか。こんな生活が、望ましい生活であり、真の父母が望む生活であり、その後代、後孫が望む生活ですか? 違うというのです。本質的に間違ったというのです。 そんな関係を中心にして、ご父母様と真の息子・娘の家庭の位置の関係の上に、その家庭と国家と世界が土台を築いて上がることができるのかというのです。 皆さんの個体の上に、この宇宙全体の相対理想的真の愛を中心として、主体・対象が一つになった家庭から、氏族、民族、国家の系列全体が連結されて、自分もその愛の基盤の上に立つことができますか? それをもちこたえて平均基準を立てて、その上に立つことができますか? 話にもならないというのです。まず、心と体が問題です。体と心が一つにならなくては天国に行けません。家庭でけんかをし、自分勝手に遊んではいけません。 皆さんに先生が教えました。家庭で神様の創造理想の本質的なすべての愛の理想を中心に為に生きなさいというのです。為に生きる、という心情を中心にして一つになっていますか? 体と心を中心にして、体が心のために生きなくてはなりません。ところが、そのように生きられないでいます。幾重にもなっています。男性、女性も同じことです。このようなことが原則的原理観にあって一致しない、不一致環境を、いつ自分自身が解消するのですか。 先生が最も苦悩したのが、そのことです。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」というのはどういうことですか? 体と心をどうやって一つにするのかということです。ご飯を食べたら変わってしまいます。ご飯を食べることを否定しなくてはなりません。その次に、男性、女性は情的問題において寝れば変わってしまいます。変わる可能性があるものを肯定してはいけません。否定しなければならないのです。 それから皆さん、体と心が一つになれない存在は天が同行することができません。直行することができません。コンパスを見れば、南北を通して行く道が永遠不変な方向をぴったりと備わるのです。そこで少しでも傾けば、イエスかノーが決定するのです。このような厳格な生涯全体を整備して、自分の体と心を中心にして行く方向、行こうと願う方向が、神様の創造本性と一致しなくてはなりません。それが神様が願うすべてです。男性と女性が分けられて、ここに来て一つになるその愛の基準は、神様の心情的な出発基地と一体線上になければならないのです。歴史的方向は変わってはいけません。その方向性を中心として、皆さんの人格、家庭、すべてのことを批判するようになっているのです。これは遊びではありません。 そのような訓練をして、邪悪な環境世界で、自分が左に何度、右に何度、西に何度、南に何度、これを知らなければなりません。知って調整しなければならないのです。 何がこのようにつくってしまったのでしょうか? 神様がつくられたのではありません。サタンの愛を中心にしてまかれた血統的機能を通して、体と心に、血肉すべてが絡み合うようになったのです。 それゆえ、いつも自分を中心とした、外的なことを中心とした欲望の前に、全部引きずられる良心の不祥事。この良心が何かといえば、良心は父母よりも先を行きます。良心の起源は、自分の父母が生まれる前からあるのです。良心は公平なものです。過去の人であれ、現在の人であれ、体が間違った方向に行こうとしたら、必ず忠告するようになっています。これは鉄則です。それはだれが教えたものでもありません。神様が永存する限り、永存する力が自動的にそのような方向を提示しているという事実。 その力をどれくらい否定する自分になっているのか? 四十年信じたといって、どうなのですか? 「御旨のために行こう」と出発したのですが、回ってどこに行くのかというと、自己に行き、結末をつけるのです。回って来て、神様の前に結末をつけ、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰と、だんだんだんだん、もっと大きな循環の道を経て、八段階の十字架の峠を越えなければならないのです。ところが、自己を中心にして主張し、自分たちが口を開き、自分たちの目で見ているのです。五官に通じるこの目を引き抜いてしまい、口を裂いてしまい、五官を全部滅亡させなければならないのです。 毎日鏡を見るでしょう。鏡を見ない人、手を挙げてみなさい。鏡を見る人、手を挙げてみなさい。その目は二つになっています。耳も二つになっています。二つだけではありません。一千万種です。言い換えれば、三六〇度というのは、中心を中心にして連結した角度を言うのであって、中心のない三六〇度に何の意味がありますか? 三六〇度がなければ、新しく編成するために、一度、二度でも正常に合わせることができなければならないのですが、中心をなくした三六〇度を何に使うというのですか? 何の役にも立たないのです。 絶対信仰をもって絶対愛の相対を探す 御旨の道を発展させるのに、もっと大きな十字架の道を行くようになっているのです。個人蕩減復帰、それは言葉だけではありません。個人蕩減復帰は、体と心が一つにならなければならないのです。家庭蕩減復帰は、妻と夫が一つにならなくてはなりません。氏族蕩減復帰は、氏族が一つにならなくてはなりません。民族が一つになっていないのに、民族蕩減復帰がありますか? ですから、すべてを引き裂くようになっています。二つに引き裂くようになっているのです。 今日、堕落した愛を中心にして生まれ、悪の血になっているので、自己がなくなるまで、その出発の起源を否定することができないのです。出発から永遠の世界まで、そのような途方もない怨讐の因縁を結んでいるという事実を知らなかったのです。 復帰というのは、堕落をはっきりと知らなければなりません。堕落したその環境においての心情圏が、どれほど深刻でしょうか? それに比例した基準を中心にして、サタン世界を越えなければならないのです。 天の国に行き、天宙を創造された全知全能の神様の前に立つことができる自身にならなければなりません。そのような自信をもった息子だと考え、娘だと考えることができますか? 家庭だと考えることができますか? 話にもならないというのです。否定しなさい! 否定しなさい! 否定しなさい。 先生の個人的蕩減路程、家庭的な蕩減路程、国家的蕩減路程、世界的蕩減路程についてきた者たち、どれぐらいいますか! 結局、先生が祝福家庭を呪わなければならない時が来ました。 個人的十字架、家庭的十字架、国家的十字架、すべてを先生に任せて……。先生が世界的使命を果たせば、統一教会の祝福を受けた家庭は、国家的責任を果たさなければならないのです。それが御旨です。原理がそのように教えているでしょう。不孝者は孝者が分かりません。孝者の道がどれほど大変な道かが分からないのです。 世界は目の前に近づいて来ているのです。その世界を私が抱いて、その上に神様をお迎えしなくてはなりません。世界を捨てて神様を迎えるのではありません。世界を抱くためには、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり……。それで氏族編成ではありませんか? 氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう? そうするためには家庭的メシヤにならなければなりません。一族を越えなければなりません。七代を抱き込まなければならないのです。そうでなければ、入籍は駄目です。 完全に一つにならなければなりません。割っても、割っても、水晶体のようにならなければなりません。水晶体を知っていますか? 千万個に割っても、その形態は同じなのです。神様は水晶体と同じです。深刻です。そのような面で自我を批判することを知らなければなりません。 神様が願われる本当の息子・娘になりましたか? 神様が願われる家庭になりましたか? 膝に穴が開くぐらい、悔い改めなければなりません。 盟誓文の第八節は何ですか? (「私たちの家庭は真の愛を中心にして」)。真の愛を中心にして何? (「成約時代を迎え」)。成約時代を迎えましたか? 思いで迎えましたか? 実体で迎えましたか? (「……」)。絶対信仰、次には何ですか? (「絶対愛」)。絶対愛、次は何ですか? (「絶対服従」)。神様がそのような位置で天地創造をしたのです。神様自身が創造する時、絶対信仰です。私が言えば、私が言った通りになるというのです。その絶対信仰をもって、することは何かといえば、絶対愛の相対を探すのです。皆さんそうではないですか? 初めに聞くことは、「あなたは私を絶対に信じますか」ということでしょう? どんなことをするにしても、相対的関係は、必ずそのような内容を提示するのです。関係とはそうです。関係を結ぶためには、因縁がなくしては駄目です。思いが行かないところに、因縁を結ぶことはできません。考えなければなりません。思いがとどまることができることが蘇生です。因縁なくして主体・対象はありません。因縁が結ばれれば男性・女性、雄・雌となるのです。関係を結ぶためには、必ず因縁の上に立たなければならないのです。 男性の因縁を否定することはできません。男性が女性になることはできません。女性が男性になることはできません。女性は永遠に女性であり、男性は永遠に男性です。その因縁が永遠であればこそ、関係が結ばれるのです。最近の世の中はそうではありませんか? すべてが関係です。父子の関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、経済関係、政治関係、文化関係、すべて関係哲学です。関係ということ自体、原理原則があってこそ因縁を結ぶことができるのです。因縁というのはそうです。因縁というのは出発です。出発的、動機的相対圏をいうのです。動機だけでは駄目です。方向を直して、結果まで至らなければなりません。愛の関係、それが曲がればみんな壊れてしまうのです。経済関係も歪めば、国も歪み、政治関係すべてが歪むのです。 私たちは関係の世界を抜け出すことはできません。何によって関係が結ばれるかというと、経済も、知識もその条件とはなりません。権力もその条件ではありません。心情的な条件です。これを知らなければなりません。心情的条件です。 父子関係は心情と愛が連結され、夫婦関係も愛を中心にして連結されています。兄弟関係も愛を中心にして連結されているのです。関係というのはすべて主体・対象関係ですが、それが中心を通して一つになれば、中心に立つようになるのです。その中心が愛なのです。愛の出発です。右側が信仰で、左側が絶対服従です。絶対服従は自己を否定するのです。神様の愛を中心にして投入して忘れてこそ、大きなものが現れるのです。大宇宙の編成もすべて、投入して忘れることからなのです。自己を考えると、全部小さくなるのです。皆さんは自己を中心にしてすべて考えるでしょう。 先生の息子・娘が全部蕩減を受ける あなたたち二世は一世以上にならなければなりません! 父母以上にしなければならないのです。蕩減路程を父母たちが歩んできたのです。あなたたちは解放された位置で聖別もしないで、結婚して一緒に生活しているでしょう。蕩減圏を越えた位置にいるのです。父母がしてきた以上の位置に立ててあげているのです。父母がそれをできなかったというのです。全部、その影響です。 それらを主体・対象として結んだために、先生の息子・娘が全部蕩減を受けるのです。自分の息子に対して蕩減を受けることと同じように、先生の息子・娘が蕩減を受けるのです。祝福家庭が全部めちゃくちゃになってしまったのです。サタンが思い通りに侵入して、引っ張っていったのです。 自分たちの行動することが、先生の家庭と先生まで十字架にかけ、先生の家庭が行く道までも台なしにしてしまったのです。どうですか? 考えだけで、先生と因縁を結ぼうと考えるなというのです。先生が教えてあげたその内容のように先生が生きたので、天が私をつかんで前進するのです。私には父母もいません。兄弟もいません。何の親戚がいますか? アダムに親戚がいましたか? 父母の代わりが神様です。兄弟の代わりが神様です。親戚の代わりが神様です。全部が神様と関係を結んでいくのです。 最近は復帰的条件を立てなければ、サタンが付いて入ってくるので、条件を立てるのです。親戚連合会をつくったのも、みんなこのようなためです。彼らが好きでそうしたのでしょうか? 生かすためにそうしたのです。 復帰はそうです。アダムとエバを復帰すればいいのです。しっかりしなくてはなりません。分かりましたか? (「はい」)。 先生の教えた原理がしっかりと立っています。これを中心にして全部再び分別する時があるのです。先生が決めた標語が「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」です。そこで一番の問題が何でしょうか? おなかがすくでしょう? その次は何ですか? 寝なければならないでしょう? 食べることが怨讐で、眠りが怨讐です。その次に愛が怨讐です。それゆえ、先生自身も妻子を捨てて北韓に行きました。神様がそのように役事します。食べるものがなく、着るものがない、その場で道に出るしかない、そのような環境にあっても、捨てていくのです。人間は行くことができません。 それゆえ、宗教ではすべて出家を命令したのです。その出家命令の御旨を解くためには、その責任者も出家しなくてはなりません。それゆえ、イスラエル民族でその生まれた地で住んだ人はいません。アブラハムから呼び出したのです。イスラエル民族も呼び出したのです。統一教会も全部呼び出したのです。故郷で御旨をなすことはできません。 先生が語った御言通りに、皆さん祝福家庭がすべてなっているのか、なっていないのか、それを合わせる時が来ました。一つになっていないのです。分かりますか? (「はい! )。再び家庭的な基準の前に、無慈悲な先生になります。自分のお父さん、お母さんの前に、刀を当てることができる、おじいさんから、父母から、自分まで、祭物にすることができる心をもって聖別しなくてはなりません。聖別しなくてはならないのです。深刻なのです。そのような時が来たというのです。分かりましたか、何のことか? (「はい! )。 三億六千万双をしたら、すべての壁を崩してしまいます。サタン世界の個人的壁、家庭的壁、氏族的壁、民族的壁、国家的壁、世界的壁、天宙的壁、神様の心情圏の壁をみんな崩してしまうのです。崩したその場所をすべて通過していけば、天使たちが分別するのです。百二十名の天使たちが分別するのです。「この間を通りなさい」と言うのです。そのように通る自信がありますか? 祝福家庭とは何ですか? 祝福を受ける時には、二十一双を中心にして、男性・女性が、その間を通過していくのです。それは条件ではありません。これから先生を訪ねてくるには、多くの霊通者たち、百二十名の峠を越えなければなりません。イエス様を殺した罪です。駄犬一匹も、そのまま通り抜けることができないのです。サタンの痕跡もあってはいけないのです。 ですから、宗教は出家をしなさいというのです。独身生活をしなさいといったのです。独身生活を最後までして、祝福を受けなければならないのです。二世たちが祝福を受けたのは教会祝福です。国家祝福、世界祝福を受けていません。三分の二が汚くなる条件が残っているのです。この者たち、全部です。 ここの二世たちで、違う学校に通う者はすべて整備しなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。違う学校へ通う者たちは、どんな学校を出たとしても用いてはいけません。先生と関係がありません。ソウル大学、私と何の関係がありますか? この者たち、統一教会をなくすことに先頭に立ちました。梨大、延大、ソウル大、みんな同じではありませんか! 先生は独りです。独り。独ドク島の歌を歌うように独りです。 独りで統一教会を整備し、基盤を築かなければなりません。駄目なものは頭を打ってしまいます。荒野で倒れるのと同じように、家庭的な鷲のえさにしなければならない、このような時代だというのに。驚くばかりです。 イスラエル民族は、世界に行くことができる国家を探すために、家庭を捨てました。道の世界は、家庭生活をしなさいと言いません。子供であれ、妻であれ、自分の形をもっていては、けんかのみが生じます。六十万が行く時、モーセの家庭を中心にして行きましたか? 家庭も何もすべて無視して、編成したとおりに、行路を進めて行かなければならなかったのです。 家庭をつくっておいたら問題が起きるのです。「お父さん、お母さん」と言ってです。そうでしょうか、そうではないでしょうか? 家庭を主としたら滅びるのです。子供を抱いていて、おなかがすき、「お父さん、お母さん、ご飯をください」と言ったらどうしますか? 母親は泥棒でもしようとします。いろいろなことが起きたのです。ですから、イスラエル民族をすべて鷲のえさにしたのです。 すべてを否定しなければならない すべてのことを否定しなければなりません。氏族圏を否定して、お父さんを否定して、妻を否定して、息子・娘を否定しなければ、荒野を越えることができません。荒野はサタンが支配する天地です。 ですから、建国思想を中心にして、イスラエルの国を中心にしてカナンの七族が豊かに生活するところへ、乞食の一団が入っていって、物ごいしながら食べなければなりません。そうして、子供たちに食べさせながら、涙を流して、「おまえたちは、この国で暮らす民族の姿と同じになってはいけない」と言いながら、神様に従って行かなければならないのです。「私たちは違うのだ」と言うのです。 受難の路程を通過し、還故郷したのですが、まだ億千万の恨みを抱いて、解放されない怨恨があるということを知らなければなりません。国を探して解放されなければならないのです。神様が望まれる国、二支派を中心として全部分けられたアラブ圏まで一つの国にすることができなければ、自己の城(国)をつくることができなければ、世界に行くことができないのです。はっきりと知りなさい。国がないのに、そこで暮らすことができますか? 死んだほうがいいのです。 今日、私たち統一教会は、個人的四十年路程で、国を探す路程ではありません。国を中心としてイエスが失ってしまった世界を探すのです。 イエスは祝福を与えるために来たのではありません。家庭を率いて荒野四十年を立てるのです。では、カナンの地はどこでしょうか? この地球星です。自分の一族を率いることができなければ、生き残ることができないのです。何のことか分かりますか? 自分自体が引っかかってもいけないし、自分の父母が引っかかってもいけないし、一族が一つにならなければなりません。 それで、祝福家庭が何ですか? 百六十家庭、百八十家庭でしょう。一族が一つにならなくてはなりません。針に糸を通すときは、糸がバラバラになっていては駄目なのです。 すべての一族を裂いて、祭物として捧げなければなりません。祭物として裂くと、サタン世界に条件を残すことはないのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえ、ここでは物質も神様のものであり、息子も神様のものであり、夫婦も神様のものであり、愛も神様のものなのです。天の前に捧げて入っていかなければならないのです。自己の所有権はあり得ないのです。 そのように生き、そのように行動する人、だれかいますか? 大韓民国に住んでいる祝福家庭は、自分の身内を中心に、私は私のままに、先生が苦労しようと、これでいいと……。見ていなさい。その者の子供たちがどのようになるか。先祖がそのままではいません。逆さまにしてつり上げるのです。 先生に自己の所有観念がありますか? お金を私が着服しますか? 娘・息子を自分のものにしません。お母さん、お父さん、子供、自分のものにしません。ここに、私のもの、私の息子・娘、私の夫婦、私の一族、あり得ません。神様の一族をつくってこそあり得るのです。中心がないのに、枝がどうしてあるのですか? はっきりと知らなければなりません。 先生は先生自身に無慈悲です。自身に無慈悲な代表です。楽な位置に立とうとしません。最も苦労の道を通過し、難しい道を通過しなければ、サタンから逃げられないようになっているのです。逃げるためには、難しい道を行くしかありません。 神様は絶対信仰をもってつくったのです。神様が「する」と言ったらできないことがありません。絶対信仰の上に絶対愛を探そうとされたのです。友達同士が会えば、こう言うでしょう。「信じていますか? 愛するのか?」。夫婦でもそうではないですか。「どれくらい私を信じていますか?」。永遠なる神様の信仰的理想があれば、その理想の峠を越え帰ってきて、私を信じますかと言うのです。 全体を包括して、第二の出発、新しい結婚の門を開いて入らなければならないのです。ここでは一人ではありません。個人は反対に入らなければなりません。体が自分勝手にしたので、反対の立場で行かなければなりません。妻、夫、主体はどちらですか? 為に生きる者が主体になるのです。 これは宿題ではありません。宿命的なことです。ここで落第するようになれば、学校に行けないのです。体が幼稚園で落第すれば、学校に行けません。家庭としても行けず、国民の役割もできないというのです。家庭を中心にして一つになれなくては、家庭を代表したどんな国民だと言うこともできないのです。 私たちの国がありますか、ありませんか? (「ありません」)。国もなく暮らしますか? 自分たちの国を探すことができますか? 国が自分の国ではなくて、神の国にならなければなりません。そうではありませんか? それが原理です。ですから、千辛万苦、ご父母様は、この地上で孝者、忠臣の、だれよりも先頭に立とうとするのです。寝ても覚めても、寝ながら夢の中でも、そのような話をして生きているのです。 祝福家庭から再教育 世話をかける人は主体になれません。中心存在は責任をもって世話をしなければなりません。私は統一教会で世話になりませんでした。 先生の前で不平を言う人は、先生がそのままにしておきません。なぜ、こんなにうるさく言うのでしょうか? うるさく言わなければならないのです。ここで話すことは、霊界での審判基準です。それで、天国と地獄が分けられるのです。統一教会の先生が行く道と、皆さんが行く道が分かれるのです。それを嫌だとは言えないのです。原理がそのようになっています。そこで分かれて二つの組になったので、サタンの組が残るのです。霊界に天国に入る待合室があるのと同じように、統一教会の祝福待合室が生まれるようになっています。それを知らなければなりません。 あなたたち! すべて、思いのままに食べ、思い通りに寝て、思い通りに遊んでいるというのです。目が黒々として元気な生きているご父母様がいます。それで、天と通じると思いますか? 通じません。 だから、祝福家庭から再度教育するのです。新しく入ってくる者は何も知らないので、ご父母様の国を中心にして、韓国で教育するのです。お父さんがだれなのかを知らなければなりません。十四日間、四十日の代わりに教育しなさいというのです。時間を全く同じに組んで教育するのです。 それを済州島でするのです。陸地には来れません。島国、地帰島です。地帰島とは日本をいう言葉です。漢拏山はエバの山です。雨が降ればみんな浸透してしまいます。白頭山は男です。水があふれます。反対です。それで、先生は時間があれば済州島に行くのです。済州島に行って精誠を尽くしました。統一教会、国を代表するようにつくり上げたら、済州島を最も良くつくります。土地も買っています。すべての統一教会の陸地にいる人たちは、島国へ投入しなければなりません。復帰です。大韓民国で、忠臣を流刑にしていた島ではありませんか? 歴史を否定することはできません。済州島を回って帰って来なければなりません。 済州島といえば祭事を捧げる祭事場です。渡っていった世界です。復帰された世界という意味です。州は町という意味です。渡って何を探すかといえば、エバです。 神様が陸地を捨てて島国を探しにいって、再び帰ってくるのです。だから、島を中心にして一生の間私が苦しんだのです。今や終わる時が来ました。 魚を捕まえることがかわいそうでしたが、今や、捕まえる時ではないのです。ぴんぴん跳ねて血を流すようにすれば、昔はとても楽しく、サタン世界を打ちとらなければならない、と思っていたのですが、今は標準化時代が来ました。それで、アラスカのような所に行くと、ハリバットのように何百ポンドにもなるものを捕まえます。どれほど楽しいでしょうか。跳ねる音が十里以上聞こえるのです。山が鳴ります。サタンの滅亡を探究すると言いながら、興味深かったのです。しかし、今は標準化時代になりました。 先生はどうすることもできません。見ればだれを考えるのかといえば、自分の息子・娘です。今まで統一教会の後孫たちを苦労させてきましたが、今や苦労させなくてもいい時代が来ました。同情する時が来ました。同情しなければならない時が来たのですが、同情することができる人を同情するのであって、同情をすることができない人を同情すれば、神様の位置を汚すことになるのです。 それこそ、エリヤが「私だけが残った」という立場です。北朝が分離された位置で、統一された世界において「私だけが残りました」という、まさにそんな立場です。独り残った神様自身が、創世前から理想としていたものを中心に歩んでこられました。その神様を慰労してさしあげるのです。 自分が悔しくて無念なすべてのことを蕩減する時、神様を慰労しなければならず、神様の位置を支えてあげなければならないのです。 それで天地父母、何ですか? (「天宙安息圏宣布」)。何の宣布? (「安息圏」)。安息圏とは何ですか? 家です。平安の「安」の字は何ですか? 女です。お母さんの代わりです。吸う「息」は、自由の心が吸う、という息の字です。思いのままに平安に生きることができる妻を抱いて、平安に生きることができる家を探すのが、神様の復帰歴史なのです。 先生がどれほど考えれば、そのようなことを考えることができるのでしょうか? 「天」という字は二人の人です。「義」の字は、羊を中心にした我です。義人もそうです。すべて羊のような私、犠牲になる自分、ということです。 自分を考えてみなさい。これからどこへ行くのですか? 三十八度線を中心にして分かれているのです。捕虜収容所があった巨済島を知っているでしょう。巨済島の捕虜収容所と同じような門が開いたならば、どこに行くのですか? サタン世界は黄金万能時代です。太鼓をたたき、歌を歌い、金を使います。神様の復帰摂理において、すべて取られ、すべてなくなってしまいました。荒廃した所から建国しなければなりません。聖殿建設を自分の手でしなくてはなりません。 父母様が愛した基準、祖先が慕ってきた解放された神様、イスラエルのように選択された選民になって、神様に侍ることができるその位置を探さなければなりません。荒廃した所から涙と共に、死なずに探しに来たことがありがたいのです。その内的心情をもち、探しに来て、帰らせるようにしてくれた天の前に負債を返さなければならないのです。倒れた聖殿を建築し、国を建国する時が来たというのです。 ですから、私が七十日の間ここにいたのです。本来、三十日で行こうとしたのですが、六十九日になりました。七十日をきちんと満たし、お母様は四月の一日、講演があります。日にちが一日あります。そうして、だれよりも私が苦労してきたのです。 あなたたち! すべて天の息子・娘だといって、エバ国家を守護するために送ったのに、自分勝手にしてしまいました。 今や先生の責任は全部果たしました。韓国で「訓読大会」をしてあげました。日本で「訓読大会」をしてあげました。アメリカで「訓読大会」をしたら、先生は解放ではないですか。何日までしますか? 四月の何日まで? (「十六日までです」)。四月十七日は何の日ですか? (「復活祭です」)。復活祭です。深刻です。今からはすべて歴史を教えなければなりません。建国理念を求める統一の群れとしては、建国理念がどうなっているのか再び知って、おじいさん、お父さんお母さん、自分たち夫婦三代が合わさって、建国の伝統を立てなければなりません。建国の伝統をなくしてしまいました。 アメリカもそうでしょう。新教、旧教が今からは先生についてくることができません。その限界線まですべてなし、先生は退きました。私の責任を果たせなかったということはできません。南北米の新教、旧教を連合するためにすべてなしました。これから韓国はウルグアイを中心にして南米と連結しなければなりません。 歴史的なすべての摂理というのは、神様の対象圏をいつも主体の前に合わせるようにしました。三十三人を中心にして七百八十名をすべてもちました。三十三人はイエスまで入れて三十四人です。韓国も三十三人が神様を中心にしてみると三十四数なのです。 このようなすべてのことを知らなければ摂理を成し遂げられません。復帰摂理は蕩減復帰です。その模様が同じでなければ駄目なのです。手の平もこのように見れば手は手です。堕落したのでこのようになりました。引っ繰り返して打ち込まなければなりません。それゆえ、南北は同じでなければなりません。 神様の代わりに、食べて、寝て、行って、来る ご飯を食べる前にスプーンが言います。膳が言うのです。「体と心が一つになったのですか?」。一つになったことを何で証明しますか? 蕩減の道を行くのです。この国、この地上で、最も難しい道を行くのです。ご飯を食べるべき人間が、ご飯を否定するのです。最も難しい道でしょう。眠るべきなのに、睡眠を否定するのです。愛することができる愛を否定するのです。自分の生活全部を「無」にするのです。 人は、食べて、寝て、行って、来て、です。何のことか分かりますか? 食べて、寝て、行って、来て、これが人生です。何のために行くのか? 国のために行くのか、自分のために行くのか? 来るのも何のためか? 自分のためにしたのか、神様のためにしたのか? 簡単だというのです。寝ることもそうです。食べることもそうです。食べて、寝て、何ですか? (「行って、来て」)。人生がすべて入るのです。 あなたたちはそのような約束、そのような条件を立てて、今まで自己を整備してきましたか? 何のために寝るのですか? 何のために食べるのですか? 神様の代わりに寝て、神様の代わりに食べ、神様の代わりに行ったり、来たり、するのです。人生はすべてここに集約されるのです。自分を中心にしてはいけないのです。 自分が眠くなったといって、眠ることはできません。おなかがすいたといって、ご飯があるからと食べることができません。神様は人類を考えているのです。父母が息子よりもいいものを着てはいけません。よく食べてはいけないのです。そのような父母に侍る娘・息子は、自分もその伝統を受け継いで、十人いれば十人が「食べません。お父さん、お母さんが先に食べなければなりません」と、このように言わなければならないのです。子供とはそういうものです。そのような伝統を立てることができなかったのです。 先生の息子・娘を先生が教育しましたか? できませんでしたか? 一つもできませんでした。あなたたちはカインです。弟たちを愛さなければなりません。長子権復帰としては、カインが弟を、自分のお父さんよりも、お母さんよりも、サタン側の何よりも、愛さなくてはならないのです。そのようにしましたか? 統一家の世界的な三十六家庭は、自分の息子・娘を愛し、先生の息子・娘は死ぬなら死ね、そのようになっていますか? そのように処断して、そのように行動したすべての責任は、だれが取るのですか? 先生がすべてその責任を取り、先生の息子・娘がその責任を取らなければなりません。 先生は一生の間、十字架を背負っていくのですが、家庭のために祝福を与えて、受難の道を、国の荷物をもって責任を取るのです。息子・娘まで、すべてこのために乞食にしなければならず、再び息子を引っ張って入って、再びこのカインを送って、再び救ってあげなければならない環境に落ちていくのは、だれのためなのですか? あなたたちのように生きては駄目です。それで、私が話をできません。しかることができません。あなたたちの責任です! すべてめちゃくちゃです! 原理の通りに、すべてぴったりと合います。三億六千万双が問題ではありません。三十六億をしたとしても、しなければならない責任があることを知らなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。 あなたたちが二世ならば全部、家庭的十字架を負わなければなりません。イエスは個人的十字架を負いましたが、あなたたちの一族のお母さん、お父さん三代が全部、十字架を背負わなければならないのです。 「私の思いではなく、お父様の御旨の通りにしてください」と言うことができる家庭を抱いて、越えていかなければならないのです。そのことを知らなくてはなりません。先生もそうです。「私の思い」はありません。そのような道を行こうとしたならば、空気を吸うことが恥ずかしく、水を飲むのが恥ずかしく、物を食べるのが恥ずかしく、草木を見るのが恥ずかしいのです。心がそのようになるのです。恥ずかしい位置に立つことができないので、この道を来たのです。 私のお父さん、お母さんが抱きしめて、「行くな! と慟哭していたのを、足で振り切ってきた人です。一族に対してもそうです。先生が聖進のお母さんと聖進を餓死するほどにして、天に従ってきたのです。米一粒もなく、他郷の地で同情してくれる親戚もないのに、独り、独り……。天の国の王圏を探し求める人は、寂しい位置から出発するのです。七年の歳月を涙と共に過ごしたのです。そんな道、蕩減の道を経てきたのです。 先生がそのようなことをしたならば、あなたたちはその何十倍、何百倍、しなくてはならないのです。そのことを知っていますか? 毎日のようにあなたたちの目は、何を見ようとするのですか? 目は二つになっています。サタン的な目、鼻、口、五官すべてがみんなそうなっています。体と心が一つにならなければ駄目です。絶対的に一つにならなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。霊界に行ってみなさい。先生がどうして教えないでいられるでしょうか? その目は、ために見なければなりません。自分のために見るのではありません。相対のために見るのです。生まれたこと自体が相対のためなのです。鼻もにおいをかぐのは、自分の鼻のにおいをかぐためではありません。愛の相対のにおいをかぐためのものです。その目は愛の相対のために、千年、万年、見ることが嫌ではないのです。その鼻が千年、万年、かいでも嫌ではありません。耳で聞いても嫌ではありません。話すのにどんなに話しても嫌ではありません。どんなに触っても嫌ではないのです。 今、そうではありません。あなたたちはそうでなければなりません。批判を受けなければなりません。開拓時代において、中高等学生が帽子をかぶって開拓に出て、十里、二十里行っても食口がいないので、食口に会うために四十里の道を二十里、二十里行き、中間で会って、涙を流し、祈祷し、自分の兄弟よりも食口たちと、そのように結んできたのが統一教会の歴史です。それ以上行かなければならないのです。 成約時代の安着 出家をしなければなりません。そうでなければ独身生活をしなければなりません。それゆえ、体と心を一つにしなければなりません。真の父母が結婚できなかったのに、自分がどうして結婚することができますか? そうでしょう? 堕落した、よくもない者たちがです。はっきりと知りなさい。(「はい」)。 成約時代を一九九二年に発表しましたが、それは蕩減です。先生が蕩減するのではありません。世界国家をかけて世界の十字架を負う時なのです。お母様を立てて祝福しなければならないでしょう。解放圏をもたなければならないでしょう。そうではありませんか? 九二年に入って、お母様が先生の横に立ったのです。ここからお母様を立てるのです。お母様が同じ立場に立つのです。ここには蕩減の公式があるのです。家庭を越え、氏族を越え、世界を越えなければなりません。今はそんな時です。「訓読会」が最後です。 皆さん、何千万双の教育をどうしますか? 教育できませんか? 「訓読会」をするのです。本を分けてあげるのです。『真の父母』と『祝福と理想家庭』、その次に『南北統一』、『南北統一』に全体の内容がすべて入っています。この「南北統一」という言葉を見て、「この国の主権者たちが、この『南北統一』を読んですれば、すでに統一されているのに、文総裁を理解できずにいるこの国は、どうなるのだろうか?」と嘆きながら私に話す人が多いのです。 深刻なのです。そのような時になり大転換時期に入ったのです。否定することができないでしょう。成約時代、九二、九三、九四、九五、九六、九七、九八年です。七年路程です。それゆえ、先生がそのような家庭的蕩減の道を開拓してきたのです。今からは家庭的定着時代です。成約時代の完成がなるのです。分かりましたか? 成約時代を発表したのが九二年でしょう。(「九三年です」)。六数、七数を掲げて越えるのです。 そして、成約時代の安着です。これをするようになれば、伝統を譲り渡さなければならないでしょう。ご父母様の伝統。分かりますか? 伝統の歴史が残らなければなりません。ご父母様の歴史です。それで、息子・娘は父母の歴史と伝統に従って行ってこそ、初めて天国に行き、理想世界へと越えていくのです。脇道に行けば、地獄に行くのです。一つしかありません。今、全世界の祝福家庭を収拾できる人は、先生一人しかいないではないですか? そうですか、そうではありませんか? (「その通りです」)。 それで、このすべての家庭の塀を完全に壊してしまいました。万国解放です。平準化。サタンが定着できる地上の基盤がなくなるのです。それで、十二の峠を越えなければならないのです。世界的三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、三六〇万家庭です。十二峠です。天がどれくらい忙しいですか? 五月まで全部しようとした三六〇〇万双をやってしまいました。頂上から、川ではなく滝の水のように落ちて下ってきたのです。そのように忙しいのです。 神様が全権行使して、七千万の祝福基準を越えるのです。エリヤを中心としてバアルに屈しなかった七千余の群れです。これを復帰するために、洗礼ヨハネを中心とした七千の群れがイエスに侍ったならば、イエスは滅びませんでした。 アメリカにおいて先生が監獄に入って、七千の牧師たちを韓国に連れていき、接ぎ木しておいたのです。アメリカが韓国を捨てたならば、アメリカは身ぐるみはがされるのです。祝福家庭がサタン世界で七千万祝福を越えたのです。今、私たちの時代が来ました。 エリヤが「私だけ残りました」と言うようなものではありません。分かりましたか? 孤独で嘆息していた祈祷ではありません。「時が来ました。お父様、お出ましになってください。従っていきます。どんなに困難だとしても私は行きます。歩いて大洋を行きます。飛行機ででも飛んでいきます」と言って飛んでいくのです。そのみ業を今しているのです。はっきりと、気をしっかりともちなさいというのです。今までの姿勢では駄目です! 皮を何枚も脱がなければなりません。個人の皮、家庭の皮です。自分は国を愛しましたか? 国を思いましたか? どうですか? 祭物には最もよいものを喜んで捧げる アブラハムが失敗したのを失敗を清算するために、イサクを祭物として捧げたでしょう。同じです。公式は間違いありません。その公式の通りにすれば、サタンは讒訴できません。 祭司長も祭壇を置いて自分の欲心のままにすれば、その祭物は汚れるのです。自分の欲心なく、最もよいものを捧げて喜ばなければなりません。そうしてこそ、初めて全部落が生き、国が生きるのです。喜びながら捧げなければならないのです。もったいないとけちけちし、出し渋れば、その者の手が吹っ飛び、体は飛んでいってしまうのです。 祭物は三代です。信仰の子女、三子女を強調しなかったのは、一八〇〇家庭以後です。なぜでしょうか? これは世界時代へと越えていくのです。それがどこで必要なのかといえば、一つの家庭で繰り広げられるのです。今、あなたたちの祖父、父、あなたたちは、天使長の後身です。信仰の息子・娘を自分の一族から立てるのです。そのような時が来ます。それゆえ、信仰の子女を強調しませんでした。 家庭祝福時代において、祖父が祭物となり、母親、父親が祭物になっても完成できなかったのです。その完成は孫がしたので、孫の前に犠牲になるのです。それで、祖父が孫になり、父親が息子になり、兄が弟になるのです。三代が全部息子に敬礼しなさいというのです。 ですから、家庭的メシヤ、氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう。その蕩減路程を中心として、信仰の三子女も、天使長圈の世界を家庭で踏み越えるのです。先生がそのようにしたのか、しなかったのか見なさい。信仰の三子女が絶対に必要なのが、今は家庭的定着時代に入ったので、逆さまです。外的なものではありません。外的な三子女を縦的に立てるのです。そうして初めて、堕落圈全体、旧約時代、新約時代、成約時代へと越えることができるのです。これを乗り越えてこそ、息子が初めて復活して、天の国に連結されて入ります。 家庭的三兄弟、信仰の息子・娘を立てなければなりません。祖父が孫になり、父親が何にならなければならないと言いましたか? (「息子です」)。兄が何になりますか? (「弟です」)。それゆえ、長子権復帰、父母権復帰、主権復帰です。祖父は神様の代身でしょう。父親は世の中の代身でしょう。兄はサタン世界のカインの代身でしょう。 今、自分を中心としてこの三つを立てて、否定してしまわなければなりません。そうして初めて、本然の心情的基準の前に、蕩減が必要ない定着地へと定着するのです。それが御旨の道です。それゆえ、信仰の三子女を強調しませんでした。信仰の三子女を強調すれば、今、祝福してあげられるでしょうか? どうですか? あげられないでしょう? (「はい」)。 御言はただ通り過ぎていくものではない、御言は憲法と同じ きみたちは分かったでしょうか、夢にでも考えましたか? 三十六家庭を祝福してあげる時、その祝福式は蕩減摂理だったのです。三十年が過ぎて、最近になって目を開けています。あぜんとするでしょう。先生がそれをせずに死んだりすれば、どのようになりますか? 御言をこのようにすべて語っていなかったなら、どのようになりますか? あなたたち! 御言はただ通り過ぎていくものではありません。公判廷の証言です。憲法の条件と同じです。ここに一致したか、しなかったか、絶対的、相対的自分自身を確定したのか、できなかったのか、という審判過程を通過するのです。ためらうことなく、全部「訓読会」に行って聞きたがらなければなりません。自分の解放圈が繰り広げられるのです。そこに引っかかるものがあれば、どれくらい恐ろしいですか? 「訓読会」がご飯を食べることよりもおいしく、遊ぶことよりもおもしろいのです。 ですから、今回祝福の後、九巻まで読みました。そうでしょう。(「はい」)。私は飛行機で来ながら十二巻をすべて読みました。一時間前まで読んで、出てきました。復帰路程です。そのように考えるのです。時間さえあれば読みました。 自分の故郷を訪ねていき、故郷の道を訪ねていくのです。故郷を訪ねる地図です。ここで宝島を訪ねていく地図を持っていれば、ありとあらゆる生死を懸けて闘争する、そのような問題ではありません。それが地図です。故郷に落ちつくことのできる版図です。あなたたち、このように考えてみましたか? あなたたち! 勉強がどうして必要ですか! 梨花女子大学も、ソウル大学も全部、統一教会をなくそうと反対しました。それを訪ねていった母さん、父さんたち、子供がよくなりましたか? 母さん、父さんがその子供の腹を蹴飛ばす立場に立つようになるのです。分かりましたか、郭錠煥! (「はい! )。全員転校するのです。今、救ってあげる方法です。どこへ転校させますか? (「鮮文大学です」)。 それで理事長を命じました。女性の総長を命じました。お母様の代身として侍りなさいというのです。男性も、女性も、お父様の代身、お母様の代身として侍りなさいというのです。「統一教会の鮮文大学の理事長は、どうやってするのか? 女性の総長がどうやってやるのか?」。それが関心事です。先生のみ意の通りにするのです。そのようにしていますか、していませんか? (「しています」)。 自分勝手にするのではありません。それで、理事長を任命してあらかじめ、「このようにしなさい」と言ったのに、その間何をしましたか? ただ切ってしまえば、全部霊界に行って引っかかるのです。先生が南米に連れていくと言いましたが、準備していますか? (「はい」)。「どの飛行場に何時に出てきなさい」と、三十分前に私が連絡するかもしれません。そのような準備をしましたか? (「しました」)。 先生が学校を任せる時、「どのような指示にも従います。三十分以内に実践します」と、そのような決心をしなかったではないですか! (「はい」)。先生はかかしではありません。大学で何をしていますか? 滅んでいくこの国に、南北統一することのできる勇士を育てるのです。大学はいくらでも、たくさんあります。分かりましたか? ここで大学に通う人、手を挙げてみなさい。転校です。分かりましたか? (「卒業しました」)。何ですか? (「ここにいる者はみな卒業した」)。大学生はいませんか? (「数名います」)。統一教会から今後、鮮文大学に入るのは簡単ではありません。先生があらかじめ看板を付けています。すべての若者が夢で願う、鮮文大学とブリッジポート大学になっています。 ブリッジポートというのは、ぴったりと摂理的な言葉です。ブリッジポートとは何ですか? 橋を架けた港です。また、鮮文大学とは何ですか? 「鮮」の字は海と陸地です。それゆえ、今まで先生が海で二十五年船に乗りました。五時に起きて、十二時、一時、二時まで船に乗りました。あなたたち、「五十年船に乗りなさい」と言えば乗りますか? 博士の学位をもらった者たちを連れていって、船に乗せようと思います。 今は時が来たのです。私が海から陸地に上がる時ではないですか? エバが、島国が陸地に上がる時、地帰島に上がってくるのです。それで、地帰島を買いました。日本を連結させようとするのが地帰島です。それゆえ、日本に対する摂理的願いは、常に重要なことは済州島に行って話をしてきたのです。そのようなことを知っていますか? 修練会も済州島に行ってしたのです。 純潔の伝統を立てる 純潔大学です。単科大学をつくるのです。家庭科から全部つくって、それから、男女純潔大学にならなければならないのです。女性を立てて復帰するのです。堕落は何ですか? 天使長がエバをそそのかしたでしょう。純潔大学の出発とともに各学科をつくって、男性も編入させるのです。では、あなたたち男性は純潔の女性と結婚しますか、堕落した女性と結婚しますか? 世界の名門学校になるのです。長官、その国の学者、その国のあらゆる有名な人が、純潔大学の女性を嫁にしようとし、男性を婿にしようとするのです。分かりますか? 純潔大学は三年以内にするのです。これを女性大学総長を中心として動かします。十の大学ですか? その大学を中心として、いっぺんに四学年をつくるのです。何のことか分かりますか? 一年生は初め鮮文大学にしておき、それから女性大学の名前を付けて、二年生、三年生、四年生と、まだ純潔な人がいれば、一つの総合大学をつくって、ソウル大学から編入させるとか、延世大学から編入させるとか、梨花女子大学から編入させるとか、そこから純潔大学二年生、三年生、四年生を編入させて、まとめておくことができるのです。卒業するときは、鮮文大学の卒業証書をあげるのです。何のことか分かりますか? 忙しいというのです。女性たちはそのようにしなければなりません。 最近高校生たちが、ことさら実業高校の学生たちが、なぜリュックサックを背負って通っているか分かりますか? 自分の生活の道具を入れているのです。実業女子高校に通う子たちは、靴も服も入れて通います。学校をさっと出て、靴を履き替え、服を着替えて、どこに行くか分かりますか? 歓楽街に行くのです。家で母親、父親に、お金をくれというのは簡単ではないのです。 だれかから、そのようなブームが起こるのです。梨花女子大学、女子大学のお姉さんについて回るのです。ついて回って紹介され、その遊びをして、全部そのようなありさまになったのです。それが今問題になっています。梨花女子大学は見るべきものもありません。ですから、純潔の女性を探すことは、金脈を見つけることよりも難しいのです。サタンが、このようにして滅ぼしてしまったのです。 では、先生はそれを見て、じっとしていなければなりませんか、すべて手術しなければなりませんか? (「手術しなければなりません」)。手術するのに、どこを手術しなければなりませんか? 下部手術です。だれがこれに責任をもちますか? 文教部も今大騒ぎです。京畿高等学校も大騒ぎです。そこで、純潔の看板を公式化させようというのです。大学、中・高等学校、私たちの仙和学校に、そのような看板をつけようというのです。 この子供たちが煙草を吸うことがあれば、きっちりとその学校の生徒たちが処理しなければなりません。この運動をしなければなりません。酒を飲むことがあれば、道端に行って、二人の友達が呼んで責めるのです。二人が一人、三人が一人を処理するのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。この大学で煙草の箱をもって回る学生は、さっさと退学です。それをしなければなりませんか、すべきではありませんか? (「しなければなりません」)。 祝福を受けた者たちが、その先発の旗手にならなければなりません。純潔の伝統を立てて、純潔の兵士として、天地の前に英雄として出動しなければなりません。純潔を守る男性・女性にならなければならないのです。そのようになればこの道を行かざるを得ません。世界はそのように行くことが分かるのです。純潔単科大学を三年内に、お金があればきちんと建てられます。 私は、天安に純潔大学を建てようと考えています。博物館をつくった所に、今後、純潔大学を建てようと思います。女性大学をつくって、三年になったなら、純潔の女性で大学に入学させたい人は、入ってきなさいと言うのです。女性は、純潔かどうか、医者が鑑定すれば即刻分かりますが、男性は分かりません。ですから、女性から純潔大学に入学しなければなりませんか、男性から入学しなければなりませんか? 「女性から入学しなければなりません」)。女性から入学しなければならないのです。 すべてを捨てて先生に従う このようにして原理の御言を知るようになれば、事実をありのままに話すようになっています。終末になれば事実をありのままに話すのです。 「父母」も主体の文字が先に来ています。「夫婦」も、「兄弟」もそうなっています。ところが、「左右」は右左にならなければならないのに、間違っています。逆になっているのです。 左右が分かれたので、前後も分かれるのです。ですから、闘いが起こるのです。次には、「赤白」です。白的にならなければならないのに、赤的になりました。「白黒」にならなければならないのに、「黒白」になりました。これはサタン世界の主流です。良心が告白するのです。「私は右側です」と言って、初めて神様の前に立つのです。アベルがいなくてはカインが立つ場がなく、カインがなくてはアベルが立つ場がありません。それゆえ、左側を右側にしようとするのが復帰です。投入して忘れ、自然屈服させ、長子権復帰して、「左右」が「右左」になるのです。赤的が白的になるのです。 事実をありのままに話さなければなりません。事実をありのままに話さなければ神様の前に立てません。あなたたちも事実をありのままに話さなければなりません。自分が統一教会のどのような者なのか、すべて自分が分かるでしょう? 二世、自分がすべて分かりますか、分かりませんか? 良心はだませません。すべて知っているというのです。自分が自分のことをすべて分かるでしょう? 悪いことをするとき良心が默っていますか、忠告しますか? 忠告するでしょう? (「はい」)。体が良心に忠告しなければなりません。「この良心! 自分はいいことをしなければならないのに、なぜ、善いことをしなさいと、しきりに忠告できないのか」と反対に考えなければなりません。善いこととは何ですか? 体を打つことでしょう? そうではありませんか? 善いことが何かと言えば、サタン側を打つことです。体を打つことです。 食べて、寝て、その次には、来て、行って。来て、行くのは、学校に通うのは、だれのためですか? 自分の相対を見つけるためのものであり、国を求めるためのものです。相対がいなければ国がありません。相対を求め、家庭を求め、国を求めるために、行くのです。相対に先立って家庭が必要であり、家庭に先立って国が必要なのです。家庭を犠牲にして国を求めるという、そのような心をもっていますか? もっていないではないですか。 私はお母様の教育をそのようにしました。女性は最後まで教育しなければなりません。教育するのですが、条件に引っかからないように常に注意しなければなりません。一つ、二つ、三つは、常に(自分が妻よりも)優れているという立場に立たなければなりません。それゆえ、いいかげんに生きることはできません。 夫も他人です。一歩間違えば、サタン側の夫になるのです。父親も一歩間違えば、他人の父親になります。他人の父親が自分の父親、他人の妻が自分の妻、他人の家庭が自分の家庭になるのが簡単ですか? 全部、他人の家庭でしょう。すべて失ってしまったでしょう。自分自身も他人であり、自分の家庭も他人のものであり、一族も全部、サタンのゆえにすべて失ってしまいました。これを取り戻そうとすれば自然屈服しなければなりません。 「すべてを捨てて、真の父母にだけ従っていきます」とならなければならないのです。統一教会はそうなのです。先生が言えば、どこに行ったとしても動こうと考えるでしょう。あなたたちのお母さん、お父さんも、そうですか? そうではありませんか? 原理をあなたたちが賢く覚えて、千回、万回読んだならば、お母さん、お父さんをさっと鑑定して「自分の母親は何点だ」と、点数をあなたたちがつけなければなりません。自分たちの神様はこうでなければならず、自分たちの父母はこうでなければならないということを、子供たちが決定するのです。 あなたたち、「訓読会」を嫌うでしょう。先生は原理を未知から見つけるために身悶えしたのです。あなたたちは原理をすべて体得するために、先生の何倍も苦労しなければならないのです。分かりましたか? (「はい」)。 教育するのです。きょうの朝に、祝福を受けたその伝統を中心として、もう一度分析するのです。世界復帰して天国に入る門を開き、愛の門を開いて、地上天国の解放圏を築くための、そのような祝福家庭であったか、その基準を中心として、どれくらい不足だったのかを知らなければなりません。先生自身も今祈祷しているところなのですが……。 警告するのです。食べて、寝て? (「行って、来て」)。そうなのです。どこに行ったとしても、何のために行くのですか? 世界を取り戻すために、人類を取り戻すために、神様を解放させるために、です。ぴったりと公式がそのようになっています。行って駄目ならば、二倍の努力をしなければなりません。寝るのを削らなければならず、食べることを忘れてしまわなければなりません。世の中をそのように簡単に考えるのです。すべて入るでしょう? 食べて、寝て、行って、来て。ここで解放されなければなりません。六数を踏んで飛翔しなければなりません。 その目もそうです。見るのは、何のために見るのですか? 五官、すべてそうでしょう。行こうとすれば、見なければならず、聞かなければならず、すべてそうではないですか? すべてここにかかっています。ぴったりと公式化されています。 サタンの血統断切 ますます深刻だというのです。それゆえ、サタンの血統断切ということを考えただけでも、「解放の日が来る」と叫び、のどに染み得るその瞬間を見て、倒れても恨みがない、そういう心をもたなければなりません。天がどれくらい願ったことですか? 堕落した人類始祖から、歴代の血を流した救援摂理の道理では、祭物の道を逃れることのできない人類の解放が、そこにあるのです。そのことを考えるとき、万民が、世界人類が、私たちの後孫が、万々歳を叫ぶことのできるその瞬間に向かって、自分が誓いをして、最後の決定的な勝利の旗を揚げることができるよう前進しなければなりません。そのことを考える時、深刻なのです。分かりましたか? あなたたち! 「三六〇万双を祝福したその気迫を緩めてはいけない」と言ったではないですか? 何度頼みしましたか? 緩めてしまえば問題になるのです。復帰の道は延ばすことはできません。頂上へ、頂上へと越えていくのです。峠がありません。峠がないということは、何かといえば谷がないということです。息詰まる復帰の道を延ばしていては、千年延ばしていては、万年延長されるのです。決勝戦に臨む選手においては、息がふさがりそうになれば、息をせずに、十歩、百歩でも走らなければならないのです。そのことを知らなければなりません。そのような時だというのです。 ところが、自分の羽を広げて眠り、関係なくいるならば、その者の家庭がどのようになりますか? 私は無慈悲な人です。 それで、六三年度から狩りに高い山に行って、鹿一組を捕らえて、刃物で心臓を裂きました。なぜこのようなことをしなければなりませんか? 復帰です。それで、狩りが必要なのです。山でしたので、海でもしなければなりません。それゆえ、魚も養殖し、動物も育て、その比準差が変わらないように保護するべき責任があります。ですから、パンタナルとアマゾン川で、魚と動物と一緒に生きるのです。そこに関するものを探査し、今年の「父母の日」を迎えたのです。 一番幸せなのが郭錠煥です。体が半分にしかならない女性を連れて暮らそうというのですから。たまには愚痴をこぼしましたか? (「こぼしました」)。愚痴をこぼしても、郭錠煥は自分の妻を愛していました。統一教会の幹部すべてがにぎにぎしく座っているときに、郭錠煥が、幹部が座っているその次に座ろうとするとき、妻が「退きなさい」と言って夫の前に来て座るのですが、じっと見ると、郭錠煥は喜んでいるのです。 統一教会の郭錠煥にそのような面で賞を与えようと考えています。郭錠煥が妻ゆえに烈男になり賞金をあげるのですが、妻がよくしてくれて賞金をもらうのではありません。それをすべて理解して越えることができ、条件に引っかからず、解放された立場に立っているので賞を与えるのです。 「愚痴をこぼそうとすれば、便所に行きなさい」という話をみな知っているでしょう。夫が忙しくて帰ってくるとき、間違いなく女性たちは、「愚痴をこぼすだろう」と思っているのです。夫が帰ってきて「ああ、忙しい。服を脱がせなさい」と言えば、妻が服を脱がしてあげませんか? そうして、夫が便所に行って約三十分そこにいて帰れば、すべて終わるのです。そのように研究しなければならないのです。戦争が起これば、銃弾を浴びないで済む秘法を学んでおかなければならないではないですか? けんかして利益になるものはありません。 お母様も先生に対して理解できない分野がたくさんあります。「あの人があのようにするときは、間違いなく火のような性格だから……。どうすればあのようになるのか?」と思うのです。一八〇度、他のことをするのです。そのような時は、男性たちがコントロールしなければならないのです。 そして、親は息子・娘に涙を見せてはいけません。涙を見せてはならないのです。涙を見せてその伝統を受ければ、どのようになりますか? どんなに夫婦同士で腹を立てたとしても、朝、息子・娘があいさつをしにくる音さえ聞けば、「だれか来る」と思えば、二人が昔の姿に戻らなければなりません。このような訓練が必要なのです。 ですから、家庭解放をしなければなりません。分かりましたか? 二つの心をもって妻を愛するなというのです。 真のご家庭の囲いとならなければならない祝福家庭 今から何だと言いましたか? 体と心を統一し、それから何ですか? (「夫婦統一です」)。夫婦が一つになり、それから何ですか? (「子女統一です」)。先生は子女教育を一つもできませんでした。 国進が十数歳になって、「お父さんは統一教会の父親ですか、三十六家庭の父親ですか、私たちの父親ですか? このように優れた、賢い息子・娘の父親ではないのですか?」と言ったのです。その通りなのです。「お兄さんが愚かなのですか、だれが愚かなのですか? 顔を見ても、どのような面においても、すべてのことに人に先立つことのできる兄弟たちを、あなたはなぜ愛さないのですか?」と……。とても賢い息子たちです。 彼らをいつ愛したことがありますか? 「統一教会の人たちが、十分の一でも愛していたら、私たちは理解するはずなのに、なぜ、兄弟が涙を流すようにしていたのですか?」と言うのです。それが親がすることなのか、ということです。私は忠告を受けても、言葉なく過ごしていたのが忘れられません。賢い息子たちです。だれよりも冷静に批判します。「自分が父親になればこのようにはしない」と。それで、言った言葉が、「分別をつけなさい。おまえは二十歳に早くなりなさい。お父さんが悪いか、善いか、分かるだろう」。原理が分からないのです。 しかし、この三十六家庭を中心として、先生の家庭の囲いになり、保護しなければならないのに、先生の息子・娘を中心としてどうだこうだと言っているのです。自分たちが堕落して、引きずっていこうとするのです。ありとあらゆることをすべてしているのです。 皆さん自身もそうです。体と心が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つにならなければなりません。先生の息子・娘が引っかかっています。それを一つにして、越えていくことのできる統一家であり、先生から祝福を受けた父子の関係の家庭形態を、新しく氏族を中心として民族を編成することのできる、伝統を引き継ぐことのできる家庭であるということを知らなければなりません。 最近、祈祷するのを見れば、一番最後に仕方なく、イースト・ガーデンにいる先生の子女たちのことを祈祷しています。そのようなものはすべて通じません。本当に愛しているのかというのです。自分の息子・娘よりも、自分の両親よりも、愛したのかというのです。それが公式なのです。 私はあなたたちをだれよりも愛しました。愛しましたか、愛しませんでしたか? 率直に話しなさい。(「愛されました」)。飢えた者の群れが飢え死にしてしまうので、会社をつくり、このように苦労をするのです。来られる主は、会社をつくって、飢えた者の群れを食べさせるために来たのですか? 問題は簡単です。体と心が一つになったのか、ということです。毎日のように鏡を見て、これはだれの目ですか? あなたの目が本当に神様の目に似ましたか、両親の目に似ましたか? 「神様の目に似ました。両親の目に似ました。それゆえ、私の目ができました」と、そのように考えなければならないのです。鼻もそうであり、五官もそうなのです。愛ゆえに生まれたのです。 真の愛で、すべての霊と肉が一つになるのです。真の愛を通して見る目は、地上で霊界をすべて見ることができるのです。自分が行くべき所がすべて分かります。きょう何をしなくてはならないのか、祈祷すれば分かるのです。すでに体が分かるのです。それが習慣になって、(瞬時に反応するアレルギーのように)信仰のアレルギーができます。体が分かるというのです。そうでなければ保護することができません。動物はすべて何の動物であれ、臭いをかいですべて分かるでしょう。大きな獣がいるときは隠れ、小さな獣がいるときは餌食にしようと、寝ていても起きあがるのです。分かって生活するのです。同様に、皆さんもそのことを知らなければなりません。信じるのではありません。分かって、行動するのです。 良心はすべて分かるでしょう。(「はい」)。良心は全部分かるのです。 妻、夫、よく考えなさい。女性が父母を捨て、一族を捨て、自分のところに来て、どれくらいかわいそうですか? おじいさんの代わりに、父親の代わりに、夫の代わりに、兄の代わりに、男性を訪ねてきたのではないですか? ですから、おじいさんの代わりに保護しなければならず、母親、父親の代わりに保護しなければならず、夫の代わりに愛してあげなければならず、兄の代わりに保護してあげなければならないのです。そうではありませんか? 天宙の法、憲法を中心として治める それで、新しい自分の王圈を成立させなければならないのです。エバがなくては王圈は生まれません。絶対必要なのです。最初は体と心。二番目は? (「夫婦です」)。三番目は? (「子女です」)。私ももう家庭に帰って、子供たちをつかんで悔い改めさせなければなりません。それで、法が必要なのです。今まで正式にこのことをできなかったのです。法的にすべてしなければならないのです。 ですから、国を早く建てなければなりません。何のことか分かりますか? 家庭は国が治めなければならないのです。国の法に従っていかなければなりません。そうでしょう。(「はい」)。国の法と国がないので、今まではそうでしたが、国があれば、国の法を中心として治めることができるのです。国の法が生まれれば、国を治めることができるのです。世界も、天上世界の天宙の法、憲法ができれば治めることができるのです。それが原則的だというのです。それゆえ、すべてそれを考えなければなりません。 自分の息子・娘を治めることができなければなりません。祝福家庭の子女で、世の中の結婚をしたすべての人は今後、責任を追及するのです。だれがするのでしょうか? その子供たちがするのです。「お母さん、お父さん! 原理をこのように見たのですか」と言うのです。その孫をどのように愛するつもりですか? 何をもって孫を愛する条件を立てるのですか? そのようなあらゆる問題が生まれます。分かりましたか? 今後、統一教会の神学大学院もそうです。今まで祝福を受けた家庭が、どうしたこうしたと言って「教授になる」と言うのですが、その条件に引っかかった人は教授になってはなりません。今からそのような整備をしていかなければなりません。後で問題になります。デモするのです。 そして、あなたたちもそうです。今後、鮮文大学を経なければ、難しくなるのです。見ていなさいというのです。「大学を出た」という話をするでしょうが、すべて何の学科であれ、否定してしまうのです。私たちの事業分野に入っていれば、引き抜いてしまいます。先生の息子・娘が大学院に行くというのを、行くなというのです。それが間違っていますか? どうですか? 伝統を知らず、上下を知らず、反対に回れば、罪になるのです。 尹博士にも「今、父親を伝道しなさい」と言ったでしょう。祝福を受けさせなさい。何回言いましたか。そのご老人が、私と何の関係があるというのですか? そうしてこそ、尹博士が学校を辞めたとしても、全部抱くことのできる解消の方法があるのです。自分の父親が鮮文大学の総長であっても、自分の兄、自分の一家は、鮮文大学に行ったり来たりしなかったですか? 氏族メシヤにならなければならない さあ、分かりましたか? (「はい」)。すべて体と心が一つになり、次に夫婦が一つになり、次に子女が一つになるのです。そうでなければ、どこに出ることもできないのです。そのような面で、二世の立場がどれほど恐ろしい立場ですか? 新しい時代へと入っていくのです。きょうは特別な日です。何の日かといえば、三十九回です。きょうが過ぎれば、年数で四十数に移っていくのです。この二年間に勝敗を競わなければなりません。どのようなことでもしなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。そして今回、訓読会をすればすべて分かるのです。 私は息子として北韓に行って、母親の墓に行きました。その時、姉が慟哭し、妹が慟哭したのです。「お母さんが恋しがっていた、お兄さん、弟が帰ってきました……」。断腸の思いです。そこで涙を流してはなりません。「私はここに来たのではありません。お父さん、お母さんのお墓参りに来たのではありません。私が国王の姿を備え帰ってきて、墓参りする時は、国が侍り得るその道を築いて来ます」と言ったのです。その約束のゆえに、北韓を捨てません。 郭錠煥も今後、氏族的メシヤにならなければなりません。(「はい」)。郭氏を全部一か所に追い込まなければなりません。宗親連合をつくらなかったのですか? 入籍する場合は、七代です。これが氏族です。これは絶対的です。入籍をしなければなりません。入籍する国がありません。大韓民国を南北統一させることのできる、周辺、後続処置を強化しなければなりません。 家庭を中心として恥じない家庭をつくりなさいというのです。 今年の標語を完成しなければなりません! 分かりましたか? (「はい」)。昔のそれの十倍です。簡単です。環境的世界のどこであれ、祝福する伝統ができているので、どのようなことをしたとしても反対しません。 そして、今後、聖酒式を中心として、重生式、復活式、それから何ですか? (「永生式です」)。今後、道をふさぎ、高速道路をふさぎ、車のある所で全部やるのです。国で新聞に広告を載せて、道をふさぎ、「キャンディーを食べて行きなさい」と言って分けてあげるのです。そうして、一人も漏らさないように、町内までもそのようなキャンディーを持っていって与えて、赤ちゃんに食べさせなさい。そのようになれば、健康になりありとあらゆる奇跡が起こるのです。奇跡が起こるのです。今、そのようなことを始めるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.29
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真の父母と成約時代 巡回講演1993年 5月 26日 韓国、アメリカ、日本等世界巡回 【関連記事】天一国摂理史--成約時代の出発宣布(1993.01.03)文鮮明先生御言選集 19930628 - 「真の父母と成約時代」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.27
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真の父母1998年3月10日リトルエンジェルス芸術会館 ソウルで「世界化時代に向かう指導者大会」が開かれ、その席上、真のお母様が「文鮮明先生み言主題別精選」第10巻の『真の父母』から抜粋したみ言「真の父母」を訓読されました。その「真の父母」を翻訳、整理したものです。 私たち統一教会員が日ごろ使う言葉のなかで、「真の父母」という言葉があります。この言葉は、世界のどこの図書館を探しても見当たりません。「真の父母」という言葉は、簡単で易しい言葉のようですが、驚くべき内容が秘められています。 人類の先祖が堕落したとすれば、その堕落した父母は悪の父母、偽りの父母であり、堕落していない父母は善なる父母、真の父母であるということを、キリスト教二千年間の歴史を経るなかで、知ることができたはずです。しかし、それを今まで悟ることができなかったのです。それを究明し、発表できるこの時を待ってきたのです。 過去の歴史時代において、「真の父母」ということを考えた人はいたかもしれませんが、その背後がどのようなものであったかということまでは、解くすべがなかったのです。統一教会の膨大な原理が明かされる前には、それを明確に解くことができなかったので、だれも「真の父母」という言葉を使うことができませんでした。 私たちが知っている統一教会の歴史観、また、人類の本然的な根源に関することを明らかにしたということは、驚くべき事実です。 「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、人類始祖の堕落が不倫な愛によるものであったことが明らかになりました。このような堕落によって、神様が創造理想として打ち立てようとされた真の父母と、関係ない血統的な因縁を残したのです。すなわち、誤った血筋を受け継ぐようになったのです。 それゆえ、人類始祖から歴史上、すべての人間が誤った血統の中で生きてきたことを清算して、神様を中心として、新しい本然の根となる、愛と生命と血統がつながることを意味する言葉が「真の父母」です。これは本当に驚くべき言葉です。 「真」とは この天地間に、真なるかたがいるとするならば、そのかたはどなたでしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日、韓国語で言えば「お一人しかいないご主人様」ということです。これをもっと縮めて言えば、神様(ハナニム)になります。 それでは、神様はどのようなかたでしょうか? 神様は、地上の良い人も、悪い人も愛されるおかたです。罪を犯して死刑場に行く死刑囚も、「神様! 私をかわいそうに思ってください」と言って死にます。 それでは、どうして悪いことを多くして死んでいく立場にある人も、神様の前では、良い心で再出発を誓うのでしょうか? また、神様の前に最高に寄与し、頼り、そのかたとともにいたく思い、内心では父母と兄弟よりも切に事情が通じる関係でいたく思うのです。これは、神様が「真」であられるからです。 「真」なるかたは、好きな者だけを愛するのではなく、自分に死ぬようにと言う怨讐までも愛さなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したく、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、「真」なる人と言えるのです。 自分を憎む人に、三回以上、良く接してあげれば、その人は頭を下げるようになるのです。本当かどうか、一度やってみてください。人には良心があって、自分が誤ったのか、そうでなかったのかが分かるのです。 「真」の起源 「真」の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、「真」が成り立つのです。神様が離れるようになるとき、「真」も離れるようになります。そこは「真」ではなく、悪の起源となり悪が生じるのです。 「真」があってこそ、「真」なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成し遂げられるのです。それゆえ、「真」や「善」という名詞は、人間を中心として成立したのではなく、神様を中心として成立したのです。 このような観点から見ても、「真」は、人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理することのできる位置に従属しているのではなく、「真」が私たちを主管しているということを知るべきです。それゆえ、私たちはいつも「真」の前に屈伏しなければなりません。「真」を立てて、そこに順応すべきなのです。 皆さんの現実的な生活、あるいは良心生活を注意して調べてみても、「真」は完全に天に属しているということは否定できないでしょう。 人間自体からは、「真」の起源をつくり出すことはできません。「真」には、必ず絶対的基準が必要です。それゆえ、絶対者、あるいは神様という問題が、ここに登場せざるを得ません。それは、今まで地上に真の人がいなかったからです。 それゆえ、「真」を指向しながら生きる人間自体は、「真」の動機になり得ません。その動機は、神様でなければなりません。宗教や人類歴史において、最後の重要な分岐点に至れば、必ず神様が登場します。絶対者が必ず必要になるのです。 哲学が追求する目標、すなわち、最後の目標について真理を通じて追求したり、あるいは、存在の起源を究明していっても、必ずそこには神様、超越者、絶対者という名詞が介在するのです。 絶対者と関係を結ばなければ、すべての学問や、存在価値の起源は解決できないからです。それで人間は深刻な場では必ず、「真」を通じて解決しようとしたのです。 このような事実を、私たちは否定することができません。それゆえ、「真」の起源は、人間だけではなく、必ず絶対者、神様が介在しなければならないのです。「真」を主張する宗教は、神様を離れては考えることができません。「真」を主張する人倫道徳も、神様を否定することはできません。 では、「真」がとどまることのできる場所とは、どのような所でしょうか? もちろん、天を起源として「真」の位置を地上に立てようとされるでしょう。これは、神様の願いです。それで、どこにとどまるのかということが問題になります。私たちの生活の周辺にとどまるのです。イエス様も「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。真なる国である天国は、心の中にあります。何らの邪心もない、限りなく深い谷のような所にあるのです。 私たちの心を分析してみると、知・情・意になっています。知・情・意のなかで、何が根本であるかといえば、「意」でもなく、「知」でもなく、「情」なのです。 皆さんは、自分にいちばん貴いものがあれば、それをどこに置きたく思うでしょうか? 自分だけが知っている所に置きたく思うでしょう。そこはだれも触れることができず、関与できない、すなわち自分だけが絶対的に管理し得る所です。そこがどこでしょうか? 心の深い所に埋めておくのです。「ここであれば安心だ」と言える所に置くのです。 真の原器 愛には革命もなく、変化もありません。変わるものには、貴いものがありません。ダイヤモンドは、硬さが変わらないために宝物の扱いを受けるのです。黄金は、黄色い色が変わらないということが貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色が変わらないために貴いのです。貴い宝物を、なぜ変わらない特性を中心として定めたのでしょうか? それが、宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。 それでは、この宇宙のすべての測定で、全体を測定し得る価値基準において、いちばん最初の基準が何になるでしょうか? それが問題です。金でしょうか、ダイヤモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。愛は勝手にしているようですが、思い通りにはできないのです。自分もそのような存在なのです。 この宇宙において、そのような原因の中の原因になり得る度量衡や原器が何か、という問いに対して考えるとき、それはある測定器の原器でもなく、何か変わらない物でもありません。 神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変でありながら、宝物の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこにおいても昼夜を克服し、地域、距離、時空を克服して、絶対的な測定の基準、比較の基準になり得るものとは何でしょうか? 地球にも緯度、経度において零度の基準があります。それは、英国のグリニッジ天文台が、経度の基準になっています。いくら変えようとしても、変わらないのです。そのような基準があるべきではありませんか? それがなければ、世界の秩序が形成されないのです。 神様は、もちろん愛も創ることができると思いますが、その愛を所有するということは、独りではできません。ふたりで所有しなければならないのです。愛は、神様も独りでは見いだせないのです。 それゆえ、その基準、測定原器は何でしょうか? 宇宙万象の存在世界だけではなく、永遠の世界においてすべてのものを測定し得る基準、絶対的に一つしかないその原器とは何でしょうか? それが根本問題です。それが「真の愛」というものです。それで、愛は、春夏秋冬という季節の変化に影響を受けないのです。 皆さん、真理とは何でしょうか? 「真」です。「真」とは何でしょうか? それ以上の基準でうち立てることができないという位置に立ったものを真理といいます。ここには物理学博士もおられますが、物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものは、漠然と動くのではありません。 真理の中には、何があるのでしょうか? 真理の中には、必ず東西南北の四方があるのです。真理があるときは、そこには必ず環境があるのです。それでは、環境が先ですか、真理自体が先でしょうか? これが問題となるのです。環境が先なのです。 私たち人間を見るときは、どうでしょうか? 人間を中心として見るとき、真なる人間は、縦横の標準にならなければなりません。「縦に見ても合う。横に見ても合う」と言える基準にならなければならないのです。 縦横が一致してこそ、公式的法度において、前後・左右・上下の差異がなくなるのです。同じです。これを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うのです。東にも合い、西にも合い、北にも合い、南にも合い、地上世界にも合い、霊界にも合うというとき、「真である! というのです。 ところで、ミリメートル単位で測定して、違いが一ミリメートルの半分にも満たなかったとしても、それらは全部、否定されるのです。不完全なのです。何か測定する基準がなければならないのです。 「真」と真の愛 皆さん! 今、世界には五十億の人類が暮らしていますが、この地球村に暮らす人たちの先祖がどれほど多く、地上で生活して死んでいったでしょうか? 少なくとも現在に暮らしている人の何百倍、何千倍の人々が死んでいったのです。それでは、その人たちの中で、人類が願う真なる人は何人いたでしょうか? 「真」なるということは、千年前も、今も、いつでも「真」であるということです。 それと同じで、私たち人間において、千年、万年、億万年変わらない色を持った、そのような真なる男性がいるでしょうか? これが問題です。このような真なる女性がいるでしょうか? どう思いますか? 宗教世界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、すべて救いを受けるために、価値のある新しい人間を捜し求めています。その言葉は、どのような意味を持つのでしょうか? 真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億万年前も、今も同じです。今後も、いかなる環境や時代にかかわらず、人類が存続する限りそれを追求するようになっています。 皆さんも、その真なる人を捜しているのです。真なる男性、真なる女性を捜しているのです。歴史上、生命を持って生まれた男女は自他を問わず、そこに命をかけるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落でいちばん真なる人になろうとするのです。 二つの石板と「真の父母」 神様はイスラエル民族を荒野で導かれるとき、火の柱と雲の柱を与えられました。昼に導くのが雲の柱で、夜に導くのが火の柱でした。それは何を意味するのでしょうか? 男女を代表して終わりの日に父母が来て、イスラエル民族から侍られる姿を象徴的に見せてくれたのです。この火の柱と雲の柱の導きに従わない人は、みな滅亡するのです。 また、イスラエル民族が荒野に出て四十年間さすらい、方向が分からないので、その民族が滅亡するのを心配されて、神様がモーセをシナイ山に呼ばれ、四十日間モーセに断食をさせて二つの石板を与えられました。それが何であったのかといえば、アダムとエバ、「真の父母」を象徴していたということを知らなければなりません。契約の箱の中に、どうして二つの石板を入れたのかということが問題です。二つの石板は、神様のみ旨を終結させることができる中心としてのアダム・エバを象徴したのです。それで、契約の箱の中に入れたのです。 私たちの願いは、何でしょうか? 神様は縦的な父母であり、アダム・エバは横的な父母です。その縦横の父母が一つになって、喜びの中で、愛を受けることのできる子女になることが願いです。ところが、そのようになれなかったことが恨なのです。そのような愛を一度、受けてみたいという熱望を皆、持っているのです。すべての宗教もそれを願っているのです。 縦的な神様と横的な面で一つになって、愛することのできる父母がこの地上にいたでしょうか? いませんでした。人類の始祖が堕落したために、彼らは偽りの父母になりました。アダム・エバが偽りの父母になったために、「真の父母」は存在しなかったのです。それで、「真の父母」が、歴史上に現れなければならないのです。 そのような歴史的使命を代行する存在に一つの名詞をつけて、何と呼ぶでしょうか? そのかたが正に救世主であり、メシヤです。救うためには、何を救ってあげるのでしょうか? 体を救うのではありません。救いとは、理想的な愛の願いを叶えてくれるということです。 そうすれば、メシヤはどのような存在として来られなければならないでしょうか? 間違いなく、メシヤは「真の父母」として来られなければなりません。キリスト教では、イエス様をメシヤ、救世主として信じています。 「真の父母」は、どのように来られなければならないのでしょうか? 一人ではだめなのです。真なる父に代わる一人の男性として、現れてこなければならないのです。今まで数多くの宗教は、一人の男性を捜してきたのです。男性の中でも、礼儀正しい生活をする男性を捜してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を中心にした男性を捜してきたのが、仏教の教えと見ることができます。 では、キリスト教は何でしょうか? 神様の息子となって、愛する家庭を作ろうとするものです。より具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私は独り子だ」とイエス様は言われたのです。 独り子が現れたのに、独り子が一人で暮らしたとすれば大変なことです。独り娘がいなければなりません。それで、独り娘を捜して、神様を中心として、独り子と独り娘が愛し合う位置において結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜ばれ、その独り子と独り娘が横的な父母として喜ぶことのできる新郎新婦になり、地上で子女を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。 それゆえイエス様にとって、イスラエルの国を失ったとしても、ユダヤ教を失ったとしてもいちばん必要としたものは何であったのでしょうか? それが女性なのです。男性の前に女性が、いなくてはならないのです。 イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいかれながら、「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言われたのです。それで、キリスト教では二千年間、新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちは新婦になろうと、苦しんできたのです。 その標準とは何でしょうか? それがメシヤなのですが、真なる父母の位置につくようになるのです。それが小羊の婚宴です。 「真の父母」という言葉は福音中の福音 皆さんがユートピア世界を捜そうとすれば、どこへ行かなければならないでしょうか? 本然の家庭の愛を経ずしては、行く道がないということを知らなければなりません。先生が直接主管圏内と間接主管圏内を神様の愛と「真の父母」の愛でつないだ基準があるので、今日、霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じたのです。 私たちの原理で言っているように、神様が創られた被造万物は、神様の直接主管圏か間接主管圏内にいます。それでは、それをどのように一つにするのでしょうか? それは、真の愛によってのみ可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的な真の愛が現れるのです。 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です! と抱き締めるようになるとき、真の愛がそのふたりの中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっています。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば、終わるのです。 真の愛が現れれば、すべてのものがみな自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてのものに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。 歴史過程において、悲しみがあれば最高の悲しみ、困難があれば最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払ったその結果として見いだされたのが、この「真なる家庭」なのです。 この真なる家庭が見いだされることによって、歴史的な悲しみが解怨成就され、歴史的な死の代価が解怨成就されるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたのです。したがって、この真なる家庭がこの地に顕現したという事実は、人類において、それ以上の喜びはなく、それ以上の価値もないのです。 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がいなければならないと同時に、真なる夫婦が成立しなければならないのです。真なる夫婦が成立して、そこに真なる子女が誕生しなければならないのです。 今日、皆さんは、「真の父母」という名詞を知っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代において、だれも呼んでみることができず、だれも考えられませんでした。しかし、今日、私たちは呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代のだれよりも幸福な位置に立っているのです。歴史時代のだれよりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知らなければならないのです。 「真の父母」という名前とともに、歴史は今まで苦労してきたし、「真の父母」の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日、私たち人類には福音のなかの福音であるということを知らなければなりません。 「真の父母」というその名前を考えるとき、「真の父母」によって歴史が治められ、「真の父母」によって新しい世界の起源が生まれ、「真の父母」によってサタンを屈伏させることができる内的な因縁が決定されるのです。「真の父母」によって、外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、「真の父母」とともに暮らし、「真の父母」の願いに従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんはまず感謝しなければなりません。 自分の人生をみな犠牲にする恨があっても、「真の父母」の行く道に同調できる道があるならば、私たち人類の前に、これ以上の幸福なことはないということを知らなければなりません。「真の父母」の願いに従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるならば、彼は人類が願う最高の希望の頂上において、天と地が直視し、歴史が注目する聖なる勇士であるということを、私たちはよく知らなければならないのです。 真の父母の価値 神様の摂理の目的は何でしょうか? それは、一つの焦点とも言えるものです。神様の理想が実現される場も、正にその場所です。私たちが失ってしまった父母、失ってしまった真の父母に会うことができる所も、正にそこです。それゆえ、その基台がすべての中心となるのです。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場なのです。 それが、どれほど重要なものであるのか考えてみてください。すべての聖人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要であると認識しなければなりません。 皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、広大な土地を与えても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えたとしても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物としてささげるとしても、皆さんはそれを得ることができないのです。 このような観点で歴史を見るようになれば、今までの歴史は「真の父母」と何の関連もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後には堕落したいかなる歴史もあり得ないのです。 そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるのでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真のご父母様によって認められるということを考えてみるべきです。では、共産主義はどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。 真の父母、ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そして、すべての結果がここから出発するのです。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから神様の愛を中心として家庭を形成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この場が、全世界の中心点です。 この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるでしょうし、現在の歴史の完成が保全されるでしょうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるならば、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができるのです。 その価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょうか? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければなりません。すべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だといっても、これには比較できません。 父母になろうと思えば、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って、神様を降参させなければなりません。アダムは、神様が「違う」と言われることを「はい」と言って、事実を事実でないことにしたために、事実でないことを事実として肯定させることのできる方法を執らなくては、本然的基準に入ることはできないのです。 天地の間において、「真の父母」になるための過程からすべての問題を実体的に解決し得るその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くことができるのです。神様が願われる愛の解放は、このような息子・娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのです。 神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈伏させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、救いの主人であり、全兄弟の長男(子)権を備え得る人がアダムなのです。 サタン世界が反対することにより、四十日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であられるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁が勝利の判決を受けて、地上に来るのです。 感謝すべき私たち 神様に対する感謝を、どのようにささげることができ、真の父母に対する感謝を、どのようにささげることができるでしょうか? 私たちの教会に対する感謝をどのようにささげることができ、私たちを再創造してくれたことに、どのように感謝をささげることができるでしょうか? 私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。さらに一段階進めば、真の氏族が現れ、さらに一段階進めば、真の国家が現れるのです。さらに一段階進めば真の世界が現れ、さらに一段階進めば真の宇宙が現れ、さらに一段階進めば真の天宙が現れ、さらに一段階進めば真の神様が現れるのです。これが私たちの最終目標なのです。 人間は、堕落した後にサタンの血統を受け継ぎました。数千万代にわたって、神様の血統ではないサタンの血統を受け継いだのです。どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚れた血統を、どのように清算するのでしょうか? そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられたかたが、「真の父母」です。サタンの血統を肥料として、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には、体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして大きくなっていくのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様がともにおられ、サタンとは永遠に離別するのです。 神様の心の中に苦痛があるとは、だれも知らないのです。歴史上に、今ここに真の父母を通じて神様の心情が現れ、真の父母の深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。イエス様もそれを知りませんでした。分かったとしても、心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、だれもそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に真の父母が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。 今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。一国家の指導者も、過去を悔い改めて改心すれば、神様が許されるのです。 それは、神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなければ、サタンを分立することができないのです。また、それは統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。 人間始祖が堕落して、その真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚れたものと連結してしまいました。しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的に連結されているのです。これは百八十度転換されたのです。サタン側と連結された韓国や、この世界には、希望を託してはいけません。全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母に従っていったのです。 百八十度生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です。国ではなく、その次は、兄弟です。では三番目は何でしょうか? 夫婦です。四番目は子女です。 神様は、三世代を願われているのに、この三世代を持つことができませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は今まで持てなかったのです。今まで人類は、神様を中心として繁栄できず、サタンに属するようになったのです。そのサタンは、愛の怨讐です。 この血統をどのように清算することができるのでしょうか? 「自分」は韓国人でも、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この三つの根源が標準なのです。 戦争で負けた敗残兵が血を流し、倒れていれば、それをだれが葬りますか? だれが敗残兵を教育して、再び正規軍にするでしょうか? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょうか? ただ殺してしまうのですか? 勝てばすべてがよいと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。感謝するとき、何を感謝しなければならないのでしょうか? 豊かに暮らすようになることは、感謝すべきことではありません。十字架を背負ったことを感謝しなければなりません。それを皆解決してから、それを再び建設した後にこそ、自分の「時」というものが来るということを知るべきなのです。 自分が新しい家庭を立て、新しい国家を建て、新しい世界を立てた後にこそ、自ら幸福に暮らすことができるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.27
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真のお母様、真の家庭運動日本み言訓読大会02.23神奈川大会02.24北海道大会02.25東北大会02.26関東大会02.27中部大会02.28関西大会03.01北陸大会03.02四国大会03.03中国大会03.04九州北部大会03.05九州南部大会03.06東京大会真の御母様の御言歓迎会および「祝勝会」での御言1998年2月22日東京教会における歓迎会でのみ言・他 真のお母様は、二月二十三日から三月六日まで、日本全国十二か都市で開催された「文鮮明先生み言訓読大会」(主催・世界平和統一家庭連合)で講演され、成功裏に終了されました。 このみ言は、来日時の歓迎会と「訓読大会」の「祝勝会」で語られた中から一部を抜粋し、整理したものです。 皆さん。(拍手)一言だけお話ししますね。 実は、私は明日の大会に備えて少し練習しなければなりませんから。 皆さん、先ほど、韓国での「訓読大会」の報告内容をしっかりと聞きましたね? 皆さん、今、とても困難だと思っていませんか? 骨が折れると思っているでしょう? また、袋小路に入ったと思っていることでしょう。けれども皆さん、次のように考えてみてください。 サタンも六千年間、神様を苦しめてきたし、人間を苦しめてきました。しかし、「終わりの日」というのは何でしょうか? サタンが袋小路に入ったということではないでしょうか。 私たちの行く道がいくら困難であっても、そのような袋小路に入ってきたということは、もう一歩だけ前に足を踏み出せば、私たちが飛躍、跳躍できるということであり、上に上がることができるということです。 そのような瞬間にいる私たちであるということを考えるとき、皆さん、ほっとしますか? ありったけの力を尽くして、赤ん坊のときにお乳を飲んだ力まで、すべて発揮して、うーんと、一度思いきり足を突き出してみてください、どうなるでしょうか? 今、時が成約時代であると語られましたし、全霊人が地上に再臨して、皆さんを全部、協助しているのではないでしょうか? それなのに、皆さんは何を躊躇するのですか? 今回、この日本で「訓読大会」を開催するようになりました。それは日本が再び復活し、再創造される喜びの日です。 今から、最後のこの瞬間に、アダムの国、父の国、また母の国の人たちが一体となって、真の父母の真の愛とこのみ言によって再創造のみ業を果たす日本の国となり、両国とならなければなりません。そうして皆さんは、今回の機会を世界を再び生み直すことのできるエバ国、母の国としての使命を果たす期間にしなければなりません。 また皆さんは、それを成すことができます。そして、霊界が今、総協力していますので、問題は皆さん自身なのです。 ですから皆さんは、今からは明るい顔をしてください。希望が私たちの前に訪れていることを、皆さん、実感してください。 とても驚くべき役事が起こっています。例えば、とても昔のことになりますが、お父様が地方巡回されるときがありました。ところで、昌原という所に統一産業があって、そこに食口たちが集まっていました。そこに特別に精誠を尽くす婦人が一人いて、その人がお父様が来られ、昌原の地を訪問してくださることをとても待ち焦がれていたのですが、お父様のスケジュールは、そこに立ち寄ることはできないようになっているのです。 ところが、その婦人が徹夜で祈祷しながら、天に談判しました。神様の前に哀訴をしました。「お父様がここまで来られたのに、どうしてそのまま通り過ぎていくことができるのか」と訴えるように祈祷したのです。 すると、実際に、お父様はそこに行かれるスケジュールがなかったのですが、急に車を昌原に向けられました。そうして、教会に入って行かれながら、さっと教会の人たちをごらんになりながら、「だれが、このように祈祷したのか」とおっしゃったという逸話、役事がありました。 正にこれです。皆さんが、どれほど神様とご父母様のような切迫した心情で、この国を中心として、世界のために天の前にすがりながら活動し、精誠を尽くしたのでしょうか? 驚くべき役事が、私たちが願うままに一目瞭然に現れ得るときになりました。そのような役事が、奇跡でもなく事実として、私たちの生活の中に現れています。皆さんは、生活をしながらそのことを感じることができませんか? 今回、この「訓読大会」を通して、多くの古い食口たちが、「本当にお父様は、いつあのようなみ言をあのように語られていたのか」と言いながら、新しく恩恵を受けて、生まれ変わる姿をたくさん見ることができます。 本当に神様を中心とした国にするには、み言以外では不可能ではありませんか? 皆さんは、父の国、母の国という重要な中心国家に歩む者としての責任を与えられました。今回、この「訓読大会」によって皆さんが、これからの日常生活で、天の前、世界の前に、与えられた責任を全うすることができるようになることをお願いします。(拍手) 北海道札幌市でのみ言(2月24日) このように、会えてうれしく、喜ばしいときは、何から始めたらよいのでしょうか? 先ほど、韓国食口たちとの対話を急いで終えれば、皆さんのお顔をもっとよく見ることができると思って、早く終えました。(拍手) よかったでしょうか? 皆さん、きょうの「訓読大会」に対する感想というか、気持ちはいかがですか? 本当に熱心に熱心に行って、全国的に行わなければならないということを、皆さんは感じましたか? (「はい」) 皆さん、韓国では、お父様を中心として、一月二十三日から始めて十八回の「訓読大会」が全国的に行われました。 皆さんがご存じのように、韓国は内的・外的に、また国家的にも経済的に多くの困難を経験しています。ですから、韓国の国民は、だれかが国を救ってくれるということを待ち望む心が切実で、そのことをとても渇望していたのです。 今回の韓国での「訓読大会」を通して、今か今かと一人のおかた、真のお父様を待ち望む純粋な心を国民の中に多く確認しました。 お父様は、外的な経済的困難よりも内的な窮乏、内的な欠乏ということが、より急を要すると言われて、「訓読大会」を行うに至った動機を語られました。 韓国の人たちには、この「訓読」という言葉が少々なじみが薄いのです。ですから、韓国の人たちにとっては、これが新しい単語となりました。それで、今回の大会において政界、学界、教育界、言論界やあらゆる方面の人たちが、とても多くの関心を示してくださったのです。 大会の中で郭錠煥理事長が、今年の一月一日にお父様が、ウルグアイで語られた年頭のみ言の中で、世界百八十五か国において、韓国を援助する運動を開始することを発表されたという話をしました。そのような話を聞いて、多くの韓国の有識者たちが、お父様にとても感謝していました。 外的な困難に対しても、このように援助してくださるのですが、本当に言うに堪えない家庭破壊であるとか青少年問題であるとか、さらには多くの側面において個人個人、また家庭としては解決できない問題に対して、お父様が内的に答えを与えてくださる、そのような大会となりました。 特別に国に責任を持つ政界の人たち、例えば国会議員であるとか道知事であるとか、このようなかたがたが、極めて丁重に礼を尽くして、真のお父様に対して物心両面で力になっていただきたいと願う、そのような切実な思いで訪ねてきては、お父様にごあいさつをしました。日本も青少年問題が深刻ではありませんか? (「はい」) 真の子女たちをたくさん生んだ母の立場は、本当に大変です。特に摂理上で選ばれたエバ国家、母の国家の使命は、内外で本当にいろいろ力に余る仕事がたくさんあることでしょう。皆さん、大変ですか? それとも大丈夫ですか? (「大丈夫です」)。問題ありませんか? そこで私は、このことを言いたいのです。 女性は強いでしょうか、弱いでしょうか? 答えてみてください。男性と相撲をとったら女性が勝ちますか、負けますか? (「負けます」)。「負ける」と言っているのですか? ここで、負けない方向で考えてみてください。 ある家庭で、責任を取らなければならないことがあるとき、男性のほうが簡単にあきらめるでしょうか、女性のほうが簡単にあきらめるでしょうか? (「男性です」)。このごろ新聞を見ると、韓国では「IMF(国際通貨基金)寒波」のために自殺するお父さんたちが多いというのです。ところが、会社がつぶれ、何かやることがうまくいかないからといって、母親が自殺したということは、それほど目につきません。日本はどうですか? (「そのとおりです」) それで私は、「女性ということでは弱いかもしれませんが、母親としては強い」、ということを言いたいのです。(拍手)それは、夫ができなかったとしても、私たちは女性として、天の摂理における日本の責任を果たすことができるということです。(「はい」) 皆さん、私の姿はどうですか? (「美しいです」)。いいえ、そのようなことではなくて、私はたくましく見えますか? 見れば、弱そうに見えるでしょう? 軟弱で柔かい、そのような容貌なのではないですか? そして、皆さんは聞いて分かると思いますが、私の声もきれいな声だと言ったではないですか? けれども多分、私にはこのような面があるのではないかと思います。それは、外柔内剛ということです。 昨日の神奈川の大会が初めての大会で、きょうは二回目ですが、そこでは、多くの食口や外部の人たちからの良い反響をたくさん耳にしました。 ところで、ある食口は、私が壇上で話をしているときに、その右側にお父様が来られている姿が見えたそうです。実は、私が韓国からこちらに向けて出発するとき、お父様が「私が一緒に行くのだよ」と言われたのです。私たちには、多くの言葉は必要ではありません。 今までお父様が、陰に陽に、日本の食口たちに下さったみ言は、あふれんばかりです。私たちは、それらをすべて消化できずにいます。この「訓読会」で語られるみ言ひとつをとっても三十年、四十年前に語られたみ言もあります。 私たちは今まで、真のみ旨に従ってくると言ってきましたが、あまりにも自分の周辺のことに忙しかったのです。特に何の備えをするわけでもなく、用意もできないでいる私たちが、天から受けた恩賜と祝福は、到底言葉に表すことはできません。 きょうのみ言である「祝福と永生」という言葉は、平凡でありながら、深奥な言葉です。昨日の大会に参席されたある教授は、そのとても深い境地に、「そんな自分自身を再び省みて、再準備をして整理をしなければならない」と思い、み言の内容に同感したと言います。 私たちが、このように肉身を使って生活するのは、本当に、永遠の世界である霊界に適した呼吸ができるようになり、神様のような者になるためです。そのような私たちとなるための肉身生活なのです。 永遠のことについて見た場合、この肉身生活が百歳まで生きるといっても、それはほんの一瞬です。肉身生活は、永遠な世界に対して準備をする生活です。 そうして、私たちはこの教会に入って、本当にみ言によって生活し、み旨に従って歩んでいくというのですが、そのような私たち自身について神様がごらんになるとき、それはどのように映るでしょうか? そのことを考えるとき、本当に天が期待しておられるそのことに対して、多くの不足を感じざるを得ないのです。 本当に、韓国や世界の百八十五か国の国家メシヤたちが世界に出ていて、そこに多くの食口たちがいますけれども、天の事情、真のお父様の心情を酌み取ることができる人がどれくらいいるのでしょうか? 最近、私は本当に、お父様が相当に孤独であられたのだろうな、ということを感じるのです。 きょうも、責任者たちと多くの話をしました。ところで、鄭中和(鄭大和)韓国 世界平和女性連合会長が、このような話をしていました。 「本当に、お父様の思いとお父様ご自身に少しでも近づこうと願う心だけは切実でありながらも、ついぞその願いを成し遂げることができないでいる不足な自分自身であるという話をお父様に申し上げたとき、お父様は『分からないのだよ。しかたがないではないか。分からないからそうなのだよ。それをどうするというのだ?』と、おっしゃったのです」 お父様は、そのように言われたというのです。皆さん、このことを少し考えてみてください。成約時代を宣布されましたが、この成約時代を宣布したいからといって宣布すればよいというものではありません。 皆さんが愛する、この日本の高い山は何といいますか? 富士山。その富士山に登ろうとするならば、多くの尾根を登らなければならないでしょう? 本当に、復帰摂理は、多くの蕩減を経て、一段階一段階決着をつけて大きくなってくるのです。 その富士山の頂上を征服するまでは、多くのエネルギーを消耗しなければなりません。努力をしなければならないのです。多くの尾根を越えて、また気圧の差を感じながら、急に気流が変化する、そのような目に遭うこともあるのではありませんか? それで、山を登る人たちが気流の変化のために、多くの犠牲者も出たりするのですが、そのような困難を経て、頂上に到達できるのです。 しかし、富士山は、それでも目に見ることができますが、復帰摂理は見ることができないのです。お父様は、ご自身お一人で行かれるのも大変なのに、真の家庭とカイン、アベル、世界のすべての人たちを引っ張って行かれるのです。 地上天国、天上天国を迎えることができる成約時代を宣布するその位置まで来ることが、どれほど大変であっただろうかということを、皆さん、考えてみてください。 皆さんは、自分を主管することができないでしょう? 心と体が闘っていませんか? 教会から少し何か命じられるとか、指示事項があったときには、皆さんは少し大変だと思えば、「ああ、それは少し休んでから明日しよう」と、このように先に延ばすこともできるのではないでしょうか? そのように後回しにすることが、皆さんたちの生活の中で当たり前になっています。 けれども、摂理の中心者は、責任を負われたかたは、そうすることができません。一歩でも前に行かなければならないのです。 皆さんは、お父様にたくさんお目にかかりたいでしょう? 皆さんが、お父様に実体的にお会いしてからどれくらいたちましたか? 最近は、ビデオがたくさん制作されているので、ビデオを見るから少しはましでしょう? 昨日の大会で、「訓読大会」を終えてみ言の本を授与するそのような席で、本を受け取った一人のかたが、「韓総裁と握手をしたので、この手を洗いたくない」と、そのような話をしていたそうです。皆さんも、ご父母様に対するそのような心を皆、持っていますか? (「はい」)。直接侍り、み言を受け、指導も受けたいと思っているのでしょう? (「はい」) ところで、日本の食口の皆さんが、いろいろな面でかなり大変で、疲れているということも知っていますが、天を思い、ご父母様のことを思うならば、皆さんたちがご父母様の力になってさしあげなければなりません。 この時に皆さんが知っているご父母様と、皆さんが霊界に行ってから見るご父母様とでは、天地ほどの差があることでしょう。ここでの皆さんのわずかな精誠が、霊界において、どれほど皆さんにとっての喜びとなり、誇りとなるのかということを思い、目で見て確認することができるとするならば、本当に皆さんは寝なくてもうれしいことでしょう。その言葉の意味するところが分かりますか? 私たちは今、生きていますが、私たちは現在だけの人ではありません。過去と未来を代表した立場です。ですから、私たちの責任がどれほど貴重であり、到底、形容することのできないほどの天の祝福と恩賜を受けた立場であるということを、皆さん、考えてみてください。 この時代の皆さんの立場は、一部の人や特定の国の人たちが歓迎するのではなく、世界じゅうの人たちが皆、喜ぶことができる立場であるということを、皆さん、考えてみたことがありますか? 今、皆さんのこの立場は、自分は何も持っていないし、いろいろ持つべきものも持てないような困難な、不運な星の下に生まれた、そのような姿だと思うかもしれませんが、皆さんは歴史的な人物であるというのです。 きょう、み言の中で、真の父母が生まれた国が何であると言いましたか? 世界の祖国だと言いましたね? この祖国とは、父の国でしょう? それでは、母の国は、だれが名前をつけてくださったのですか? (「お父様です」)。ご父母様によって、皆さんの国が母の国、世界の母の国となったのです。 私が先ほど、言いましたね。「女は弱し、されど母は強し」と。母が強くなろうとするならば、母親はまず、家庭に対して責任を執らなければなりませんね。父親が少し困難を経験するとしても、母親は強いので責任を果たして、その家庭を生かさなければならないでしょう。 子女を生かし、国を生かし、より大きくは世界を生かし、さらに大きくは、私たちの原理のみ言によって天と地を、そして神様までも解放してさしあげなければならないのではないでしょうか? 神様に解放と勝利と喜びと栄光をお返しすることができる、その全権を真のお父様は皆さんに下さったのです。そのことが、どれほどありがたいことでしょうか? 言葉ばかりではいけません。皆さんが、実践して見せてあげなければなりません。全霊界、皆さんの善なる先祖たちがすべて、そのように願っています。 現在、地上にいる皆さんの行動いかんによって、霊界の皆さんたちの先祖たちが恵沢を受けるのです。ですから、皆さんの先祖の中には、霊界で一度でもいいから、「地上にいるだれそれのおかげで、私がこのように得意になって、誇りをもって暮らすことができるのだ」という、そのような立場に皆、立ちたがるのです。 そうだとすれば、それで終わりでしょうか? 皆さんの後孫はどうなるのでしょうか? 千代の先祖と未来の後孫まで、本当に万世にわたる磐石の上に立たせることのできる、そのような立場に自分がなることができるというのです。これは、欲張りな人が、そうなりたいからといってできるものではありません。 お父様は、皆さんにこのような立場を与えてくださったのです。ですから、母は強いので、父の国も生かし、母の国も生かし、世界も生かすべきですか、生かすべきではありませんか? (拍手)(笑われる) お父様が、電話で「早く終わらせるように」とおっしゃっていますね。ですから、皆さんは熱心にするつもりですか、しないつもりですか? (「はい、するつもりです」)。(拍手) ありがとうございます。熱心に頑張ってくださるようにお願いします。(拍手) 福岡県福岡市でのみ言(3月4日) 皆さん、気分はいかがですか? (「はい」)。五百人の声が、あまりにも小さいです。(「はい」)。雲に浮かんでいる気持ちでしょう? このような気分は、外の世界の人たちには分かりません。そうでしょう? 私たちは、神様とともに生きています。時空を超越なさった神様に従い、私たちもこのように時空を超越して済州島とここ日本を、このように電話で連結しながら、とても良い時間を過ごしましたね。 真の愛は、投入して忘れ、投入して忘れるのが真の愛です。そのような神様に似た皆さんとなることを願います。 今、皆さんの国と世界は、いろいろな多くの、頭を悩ます問題を抱えています。霊肉共に多くの人たちが死んでいきつつあるのです。母の国の使命を果たすべき日本国の食口として、死につつある人をそのまま見ていることができますか? 日本の統一教会の歴史も、もう四十年になろうとしています。蕩減は、すべて過ぎ去っていきつつあります。一歩、このように越えればいいのです。皆さんが、座り込んでいる、本当に不名誉な日本の食口たちにならないようにと、再びお願いいたします。 神様とともに地上天国、天上天国を成す日まで、皆さん、その日は遠くありません。それで、自分の手で、自分の力で、自分たちの家族とともになすことができるということは、途方もない天の祝福であり、栄光です。 世界百八十五か国以上に国家メシヤたちが出ていますが、その国々の中で、「母の国」という称号は、これは途方もない天の祝福であるということを、皆さんたちは実感しなければならないはずです。(拍手) 皆さん、母親が赤ちゃんを出産するためには、産苦の痛みの峠を越えなければならないのです。その峠を越えていったならば、「自分がいつ痛かったのか」という、何とも言葉に表すことのできない喜びがもたらされるようになります。 その子供が健康で、りっぱに育って、父母の前に親孝行をするのを見詰める親の立場にいる母としては、何とも言えずうれしく、天の前に感謝するようになるのです。 私たちの前には、喜びと希望と栄光があるということを、皆さんは忘れないでください。大変なことは、ほんのわずかの間です。私たちは、永遠をかけて生きているのです。 きょう、お父様の肉声を聞くことができて、皆さんどうですか? うれしかったでしょう? (「はい」)。皆さんが熱心に母の国としての責任を完遂して、この地上に地上天国を成してご父母様をお迎えし、神様をお迎えして、祝賀するその日のために、きょうも明日も熱心に努力しながら、責任を全うしてくださることをお願いいたします。 自分に任された責任があるとしたならば、ほかの人たちが皆、行った後で後ろについて行くつもりですか、先に行くつもりですか? 一等になるつもりですか、びりになるつもりですか? 私は今回、長野での冬季オリンピックを見て、とても感じたところが大きかったのです。実は、日本語の講演の練習をしなければならないので、時間もありませんでしたが、それでも一つの場面を見ることができました。それは、次のようなものでした。 金メダルを受賞した選手が、体は二等になった選手よりも少し後ろに後れを取っていたのですが、足が先にゴールラインに入ったのです。それで、金メダルを獲得したのでした。 それは、霊界が協助したようでした。本人が徹頭徹尾、「自分が優勝するのだ」という、そのような信念を持っていたということもあったと思いますが、霊界が協助して、「体は少し遅れたけれども、足だけでも出して」というようにして一等になったように見えたのです。そのような精神で、皆さんがみ旨に取り組んでいくようにお願いします。 それでは、金メダルを取るつもりですか、取らないつもりですか? (「取ります」)。それでは、誓いを立てる意味で、皆さんが万歳を叫んでください。 皆さん、愛しています。元気でいてください。 東京でのみ言(3月6日) 皆さんが手を上げて、このように「統一の歌」を歌うとき、とても美しかったです。私たちは、真の神様と真のご父母様に侍る、世界一家族です。 ここで一つ、肝に銘じなければならないことは、母親の使命ということです。母親は、家の中の大小の事柄を全部、管理しなければなりませんし、子供たちのすべてのことを皆、管理しなければなりません。ですから、二十四時間では足りないというのが、母親の仕事です。 今、日本だけをとっても、多くの家庭破壊と青少年問題で、今、頭を悩ませていますね。まだ韓国は分かりませんが、ここ日本に来て、十三歳の少年による異常な事件が起きているという話を耳にしました。 動物よりも劣る人生、そのような地獄に落ちるような生き方をしていくのをただ眺めているありさまですが、今のこの成約時代にあって、真の母の使命を果たすべき皆さんが、じっとしていることはできないでしょう。 皆さんが本当に熱心に、「訓読大会」を家庭から地域の社会に広めていかなければならないのです。特に、中学・高校において純潔運動をとても熱心に積極的に広げていかなければなりません。 今、真のご父母様のみ言をもって純潔運動に取り組む以外、方案がないというのです。 それで皆さんが、真の母の国としての内的・外的な使命を果たす者となることを願います。 先ほども長野の金メダルの話が出ましたが、皆さんが全員、それぞれ金メダルを取る食口になれば、天がどれほど喜ばれることでしょうか? 期待しています。 私は明日、韓国に帰ります。皆さんたちを愛しています。熱心に働いてくださるようにお願いします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.27
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天心苑の奇跡(舌癌治療の勝利)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.25
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成約のみ言伝授式一九九八年二月二日(陰暦一月六日)午前十時、九里市水沢里にある中央修練院にて、韓国、日本、米国など、世界各国の教会指導者と社会指導者たちが四千人余り参加する中、「真のご父母様の御生誕日」の記念礼拝が挙行され、その中で「成約のみ言伝授式」が行われた。そのとき、真のご父母様は、「主題別み言精選」(十二巻)を韓国の社会指導者たちに与えられ、それまでご自身に反対してきたすべての人々に対する容赦宣言も行われた。 今日、ここに初めて参加された方々は、衝撃的で、なおかつ、イサン(ハングルの発音)なみ言を聞かれたことと思います。それは悪い意味での異常ではなく、何よりも高いところにある理想という意味です。そのように考えられたらいいと思います。 このみ言は、レバレンド・ムーンが構想して語った言葉ではありません。個人の完成から家庭完成、氏族・民族・国家・世界完成、地上天国と天上天国、神様の解放圏に至るまで、膨大な内容から成り立っています。 このようなみ言は、今までいかなる教材としても、この世に現れたことがありません。今後もこのような理想的な内容の教材は、歴史時代には現れないと思います。ですから、このみ言だけが、すべての歴史を動かすことのできる教材になるのです。これは断言ではなく、実際にそのようになるのです。 堕落したがゆえに、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。誰のせいで? 女性のせいです! 女性たちはそれを知らなければなりません。第一の夫、宇宙の主人、国の主人、家庭の主人、自分の夫となることができる、そのような男性を堕落させたのです。堕落とは「死」を表し、神様と関係がなくなったことを意味します。 血統的な面から見るとき、神様の愛と生命を中心とした血統が結束すべきでしたが、悪魔の愛と生命を中心として血統が結束したのです。悪魔とは何かというとサタンです。そのサタンは何かというと、神様の愛の姦夫なのです。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛に連結されたので、神様が手をつけることができないのです。干渉することができません。皆さんはそれを知らなければなりません。 多くの能力をもっておられる神様が、どうしてエバが堕落するときに干渉できなかったのかという問題があります。しかし、姦夫に侵犯されたことについて、ああだこうだと言えるような立場ではありません。殴り殺すか、消してしまうまでは、対することができないのです。皆さんも理解できるはずです。愛という概念、真の愛をもった男性が、妻となる女性と結婚するその前日、その女性が怨讐に奪われて、貞操を蹂躙されてしまったとき、その男性はその女性を自分の妻として保護することができるでしょうか、できないでしょうか? ですから、皆さんはこのことを知らなければなりません。エバ、すなわち女性がアダムを殺したのです。家庭で殺してしまったので、神様はその威信上、家庭において復帰することができません。国をつくって、国で勝利することなくしては、神様は威信を保つことができないのです。ですから、この国の位置を守れる立場を築こうとしたのが旧約時代なのです。驚くような話なのです。 その約束というのは何ですか? 結婚式ができなかったということを知らなければなりません。約束には旧約・新約・成約の約束があります。神様の真の愛を中心として、人類始祖となるアダムとエバが、真の愛を中心として一つになり、真の家庭理想を描くというのが創造理想でした。それにもかかわらず、血統が変わり、すべてが怨讐の懐に入ってしまったのです。 皆さんが知らなければならないことがあります。アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? もしも皆さんの一人息子が死に、一人娘が死んだとするならば、恨の心情に燃えて、一生、子供たちの死んだその日を忘れることができないはずです。七代目の一人息子であれば、なおさらのことなのです。 アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? 彼らは億万代目の一人息子、一人娘だったのです。たった一度しかないのです。アダムとエバを失って、神様の心はどれほどふさがってしまったことでしょう。神様の悲痛なる事情を知る者は、誰もいませんでした。 女性たちによって、エバによってアダムは死にました。第一のアダムが死んだのです。死ぬことによって、神様はその威信を家庭において失ったので、取り戻すときには神様の威信上、国家において取り戻さなければなりません。それを国家において取り戻すには、ただ単に取り戻すのではなく、国家基準をつくらなければなりません。それで選民思想が出てくるのです、選民思想が。 神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、神様が必要とする氏族・民族・国家という形態を中心として、ヤコブ以来、受難という複雑な道を歩んできたのです。 皆さんがそれに気づいたとき、神様の苦労に気づいたときには、跪いてひれ伏しながら……。慟哭が問題ではありません。滝のように流れる涙、鼻水、よだれの三つの水が合わさり、肝臓がちぎれるような痛みを感じながら悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければなりません。あっけにとられた神様であるということを知らなければならないのです。 女性がアダムとエバを殺しました。真の父母が勝利するには、選民圏において、個人・家庭・氏族の踏み台がなければなりません。そのような国の踏み台を収拾しなければなりません。収拾とは何ですか? アダムとエバの堕落が何かというと、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落! 春のような時期にです! 人類歴史が始まるやいなや、まかれたのです。 それによって、家庭を逆さまにしていました! 家庭が破綻したのです。ひっくり返してしまったのです! ひっくり返ってしまったものを、神様はどのようにするのでしょうか? これを正すには、どこから正さなければならないかというと、頂上はサタンが完全に握っているので、アダムとエバからではだめなのです。カインとアベルのうち、弟と通じてひっくり返すのです。 今まで聖書の歴史において、長子と次子のうち、どうして神様は次子ばかりを愛したのか、なぜ血を流す祭祀を執り行ったのか、等々、何も知らずにいるのです。 本来、神様が人間の主人であるということを、サタンもよく知っています。 愛すれば必ず、血筋を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができるのです。それゆえに愛が問題となるのです。サタンの愛に、サタンの生命とサタンの血筋が連結しているので、完全にひっくり返ってしまったのです。 では、神様が復帰するにはどうしなければならないでしょうか?。 救いの摂理は再創造の歴史です。工場で再生産するときには、ブループリント(青写真)によって生産していたすべてが故障したのならば、新しいブループリントを通じて再び生産しなければなりません。再創造の歴史ですから、創造の時のように、全存在には、水や空気や土の観念がありません。観念がないのです。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として選民圏が立てられたということは、神様がいるという証拠です。また、宗教において出家せよという命令をするのも、神様がいるという証拠です。その次に何ですか? 夫婦生活をせよと言いましたか、独身生活をせよと言いましたか? 独身生活をせよと言ったのです。どうしてでしょうか? 人類の父母となり得る方が、まだ結婚式を挙げていないからです。 アダム以降、堕落していない生殖器が、真の愛を中心として神様と共に一つとなって、血統と生命を連結する本拠地となり、本宮とならなければなりません。これが本然の愛の王宮です。愛の王宮なのです。生殖器がそのようなものであるということが分かりましたか? 生殖器が本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮であり、本然の血統の本宮なのです。ここを通じなければ、個人も国も生まれることができませんから、否定しようのない事実です。ところが、愛の本宮において、愛の種・生命の種・血統の種……、神様と直系の関係を結べる因縁がなく、これが妖しく邪悪なものとなって、天地をひっくり返したのです。最も悪いものとなってしまったのです。ところが、偉い人たちは浮気をし、ありとあらゆることをしでかしていますね? 天国には行くことができません。 私がこのような道を究め、霊界に入ってのぞいてみた結果、事実というものを知るようになりました。「うわあ! 知らなければ良かった」と思う時がどれほどあるか分かりますか? 行ってみると幾重にも連なる高い山々です。個人的な壁がこれほどであれば、家庭的な壁はもっと高く、氏族の壁はもっと高く、民族の壁はもっと高く、国家の壁はもっと高く、世界の壁はもっと高く、天地の壁はもっと高かったのです。ところが、神様はその頂上に行かれて、指揮を取ることができません。遠くにある山の麓で、囹圄の身となっているのです。愛をサタンによって奪われたがゆえに、囹圄の暮らし、包囲された獄中の暮らしをしているのです。 ですから、そのようなところに行って文総裁が喜んだと思いますか? その神様にすがる私を見たとき、神様がどれほど喜ばれたことか皆さんは知りません。そのようなことを話しても、狂人のように思われるので話しません。すべてをかき回して探し求めてみたところ、真の父母の歴史がこのようになったということを、すべて理論的に体系づけなければなりません。 真の父母は、旧約時代に求めてきたメシヤ、新約時代に求めてきたメシヤ、成約時代に求めてきたメシヤです。成約時代は侍ることのできるメシヤです! 侍るだけですか? 会いたいメシヤであると同時に、知っているメシヤです。では、会いたいメシヤに会いましたか? その次はどうですか? 別れるためのメシヤですか、一緒に暮らしたいメシヤですか? 一緒に暮らしたいメシヤなのです。 ご覧なさい。真の父母という言葉は、真の王という言葉にもなります。真の王にもなり、真のおじいさんにもなり、その次は何ですか? 真の父にもなり、真の夫にもなり、真の兄にもなるのです。ところが、エデンでエバがある日、愛の失敗によって……。それを知らなければなりません!男女関係がどれほど怖ろしいかという事実! あっという間に関係を結んで、天地がひっくり返ってしまったのです。 宇宙を創造した神様、全能の大宇宙の主人が、億千万世にわたって、嘆きながら今まで閉じ込められてきたのです。旧約時代、新約時代にどれほど血を流してきたことでしょうか? 万物の血を流させ、息子と娘の血を流させ、父母にまで血を流させ、すべてを血だらけにしてきた歴史なのです。 では、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛、偽りの愛のせいです! 女性たちは雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性たちは再臨主の妹なのです! 妹が裂かれながら受難の歴史を歩んできたのです。ですから、エバに代わって真の妹にならなければなりません。成長してからは真の妻にならなければなりません。妻になれませんでした! 真の母になれず、真の祖母になれませんでした! そのような立場に立とうとすれば……、最も幼い赤ん坊のように妹の立場に立とうとすれば、すべての女性たちは先生に従い、勝手に男性を導いてきた立場を離れて、絶対服従し得る女性の道を行かなければなりません。そうでなくしては、生きる道がないのです。ですから、女性という動物は、文先生を欽慕しなければなりません。分かりましたか? それで、何をするのですか? 誤った妹を、神の愛を受けられる妹にしなければなりません。神の愛と一体となれる妻を養成しなければなりません。その次に、真の母となれる伝統をつくらなければならないのです。 今日、訓読したみ言は何ですか? このみ言は、統一教会が出発してから十七年目に語ったものであり、人類の人口が三十億のとき、六十年代に語ったものです。ずいぶん詳しく語ってあるのです。夢にも思わないような話を、そのときに先生は語ったのです。その時の先生は生死の境、生きるか死ぬかの瀬戸際で、私がたとえ死んだとしても、み言だけでも残さなければ、という死ぬか生きるかの境地で語ったものなのです。そのような事実をこの民族は知らなければなりません。 このみ言が現れることによって、先生が死んだとしても、このみ言は世界を征服しても余りあるのです。そのような方に仕えている民族は……。イスラエル民族ではありません。 再び来られるメシヤは、完成した世界、平和の天国を準備するために来られる父です。そのような父母を殺し、追い出した立場に立って、その罪を何をもって蕩減することができるでしょうか? ですから先生は、韓国において責任を取るまでは、公式席上に現れませんでした。羅長老、朴長老と、大騒ぎをしていましたが、羅長老や朴長老が問題ではありません。私が現れなかったのです。怨讐たちが多いので現れませんでした。それでアメリカに行って……。今や先生がみ言を語ったとおりに、全世界が包囲され、韓国も包囲されました。 エバが第一アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。それによって、イスラエルが全世界に流浪する孤客となりながら、血肉を、血をどれほど流したことでしょう。民族の恨をすべて背負いこんで、全世界の人類は馬の蹄に踏まれて死に、銃で撃たれて死に、すべてが政治の風、経済の風に追い込まれていったのです……。六百万人まで虐殺されて、罪の量を償わなければならなかったのです。悲惨な民族です。その民族を私が解放しようとしたのですが、その民族が私に反対しているのです。 その後継者である、第二イスラエル圏を中心として、神様が世界の舞台を必要として勝利圏をつくろうとされ、二千年間あんなにも殉教の血を流し……世界的な版図を築いた第二次大戦の直後に、先生と一つにならなければならなかったのに……。日・独・伊が枢軸国で、米・英・仏が連合国です。天使長国家です、天使長国家。 枢軸とは中心です、中心。サタン世界が中心をもっているのです。このように、第二次大戦を中心として見るとき、連合国が枢軸国に勝つことによって、天のキリスト教文化圏が勝利基盤を……。 イギリスはエバ国家です。島国です。そして、イギリスが生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスはイギリスとも戦い、アメリカとも戦い、怨讐国家になっています。この三つが一つになって天下を統一したのです。歴史以来、キリスト教文化圏を中心として世界統一がなされたのは、一度しかありません。そののちに文先生が登場すれば、四十歳のときに天下統一ができたのです。そうなれば韓国は世界の中心国家になっていました。ところが、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成というサタン的な再臨主が現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は皆追い込まれて追放されたのです。そのように、世界の荒野に追い払われながらも、再び訪ねてくるのです。 再び訪ねてくるのに四十年が過ぎました。今や、金日成も死に、共産主義も崩壊し、アメリカも崩壊するようになっています。こういう話をしようとしたら、きりがありません。 したがって、女性たちがこれから決心しなければならないことは何でしょうか? 女性たちが最初の夫を殺し、二番目の夫を殺し、三番目に訪ねてきた夫の立場にある再臨主を殺してしまったのです。追放してしまいました。荒野に追放してしまったのです。先生は解放後に、韓民族が解放されても、一度も万歳と叫ぶことができませんでした。それゆえに統一教会では、式典において勝利的結果として万歳を唱えはじめたのです。 万歳を唱えることもできなかった男がここにいるのです。どうしてですか? 今後どうなるか知っているからです。共産主義が乱舞する時が始まるということを知っていたからなのです。これらは、原理が分かれば、今ではすべて分かる話なのです。 ですから、三番目もエバが、女性が先生を蹴っ飛ばしてしまいました。キリスト教であるエバ国家、新婦国家、世界版図が先生を追放しました。それで四十年荒野路程を経て、再度上陸し、四十年間……。実際は、その時、一九四五年から一九五二年までの七年間で、世界の祝福家庭の完結を標準としていたのです。 今やその時が来ました、その時が。三億六千万双の祝福完結……。今年の標語が何かというと「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。 神様の新婦の座を汚したのを掃除して、新婦を迎え得る恨の歴史を、解くことができなかったという事実を知らなければなりません。それにもかかわらず、アメリカは世界を支配しようとして、「差し出せ!」と言っているのです。自慢するなというのです。「滅ぶ! 自慢するな! ワン・ネーション・アンダー・ゴッド(神のもとに一つの国家)を主張したらアメリカは滅びる! 神のもとに一つの世界を主張せよ!超越的な立場、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びゆく弟たちを援助し、助けてあげよ! 自分の血肉を削ってまでも与えてあげよ! そうすれば、アメリカは天下において永遠に滅びることはないのだ!」。私がこのような話をするといっては反対され、監獄にまでも行ってきましたが……。最近では私の世話にならなければならないということを知っているのです。 皆さんはよくご存じかと思いますが、ワシントンは世界の首都です。そこにおいて、CIA(米国中央情報局)やFBI(米国連邦捜査局)の機関長たちが全神経をとがらせて、望遠鏡で焦点を合わせているその場に立って、太鼓を打って大騒ぎをしながら、祝福結婚式を挙行したのです。皆さんは知りませんが、アメリカ国内には今、政府でない政府がもう一つあります。 そのような内外のカイン・アベル的なものがすべて、レバレンド・ムーンを消し去ろうとしたのです。裁判にかけて調査をしてみたところ、後から分かったのです。アメリカがレバレンド・ムーンを、CIAとFBIを通じて何もかも調査してみたら、ただの一つも間違ったことがないのです。窮地に追い詰めてみると、すべての罪は何もかも共産党がでっちあげたものだったのです。本が数十巻になります。韓国のあらゆる邪悪な連中が、その材料として使っていたものを、すべて返却してもらったのです。そこには韓国で誰が反対したかすべて名前が出ています。 私が今ワシントン・タイムズを動かす背後とか、世界の影響力を中心としてガンガンとみな……。何と言いましょうか、陶磁器やレンガを砕く、力のある男なのです。祖国という名が怨讐です! 私には韓国人が怨讐なのです。同じ韓国人でなかったら撲殺していたはずです。誰が同情しましたか? 今後は力で対決してくれば、私は対決します。理論戦であれば、理論で対決するつもりです。 理論では負けません。昔、世界で判定が下ったことなのです。数多くの学者や宗教人が文総裁を殺そうとして、ありとあらゆる人たちが訪ねてきました。ところが、先生につかみかかっては、すべて落ちていったのです。 「第二次大戦の参戦勇士」という言葉がありますが、召集令状を受けて戦場に向かう汽車に乗ろうとしたところ、ちょうど戦争が終わって汽車から降りた人がいたとしましょう。それでもその人のことを「出戦勇士」と言いませんか、違いますか? そのようなこともあり得るということを知らなければなりません。意味もなくここに招集したのではありません。ここに呼んであげたのに来なかった人に対しては、私は責任をもちません。しかし、来た人に対しては私が責任をもつのです。その代わり、訓読会をしなさい。一族を中心としてその下にある人たちが、み言を私のように一生懸命に訓読会をしたならば、国が生きても余りあるのです。 では皆さん、今、文総裁は世界のあらゆる基盤をもっていると思いますか? 皆さんの息子と娘を大世界化の時代の世界的な人物にしたいですか、国家的な人物にしたいですか? 国会議員だとか、長官だとか、知事に育てる自信がありますか? ないではありませんか! 私に任せなさい。訓読会をしなさい、訓読会! 三か月だけ息子や娘とやってみろというのです。そうすれば、お互いに先を争ってやろうとして喧嘩になるのです。 ですから、この民族には希望があると思うのです。私が千辛万苦、生涯にわたって積みあげてきた宝石箱をみな、この民族の前に分けてあげるのです。誰も翻訳してはならないと言いました。我が民族の前に慟哭するまでは、誰もそれを翻訳することはできません! それを知らなければなりません。 七月八日は何ですか? 昨年の陰暦の七月七日に、神様がこの地上に安息される安息圏、「天地父母安息日」を宣布したのです。七十八数にはすべて意味があるのです。そのような世界の三百六十万双ならば、サタンの血統さえもおしまいなのです。 女性たちは三時代のすべての精誠を合わせなければなりません。それは何かというと、三時代はないので、祖母・母・自分の三代が一つとなって、本然の夫を殺したという罪を謝罪しなければならないのです。 そのような時を、私がすべて解放してあげました。女性解放運動をしたのです。ですから、先生を知ることによって、真の兄を知り、真の夫を知り、真の父母を知り、真の先祖を知り、根本的な本然の人類の祖を知るようになりました。それにより、千年万年過ぎても愛する心が変わらなければ、その伝統が文化世界を創造し、アダム文化の単一文化圏、単一統一の平和世界の架け橋となるのです。アーメン! 今日、この誕生日に、本部において「成約時代」を宣布しました。時代が変わるのです。一八○度変わったのです。 旧約時代には結婚を完成することができませんでした。新約時代にも約束はしましたが失敗しました。ですから、成約時代においては結婚の理想を完結するのです。 それは、なぜでしょうか? アダムにおいて家庭がひっくり返ったので、今日、三億六千万双は、アダム家庭でひっくり返ってしまったすべてを解放する最後の祝福なのです。これを越えたのちには、アダム時代に堕落しなかった本然の父母たちが、文総裁がすべて本然の愛と、本然の生命と、本然の血統を中心として……。直系の子女たちを自ら父母として祝福することができるときが来ます。第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代を経て、第四次アダム圏時代へと越えていくのです。 これは(板書を指しながら)蕩減が必要な時です。今後は三億六千万双が終われば、蕩減の必要がない第四次アダム圏時代に入っていきます。それによって、エデンで父母が神に代わって祝福することのできる、そのような時代に入っていくので、万民すべてが、自分が祝福した一族を中心として天国へ直行する道ができるのです。 ですから、第一次アダム、第二次アダム時代には蕩減が必要であったのです。蕩減が必要ということは何かというと、サタンが残っているということです。サタンの血筋が汚した痕跡が残っているということです。サタン世界の血統を断絶することによって痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福することができる、そのような解放的な立場において、万民、人類全体の家庭が、平面図上で一挙に祝福を受けるのです。 アダムの一家庭が祝福を受けられる時代を迎え、越えていくことによって、アダム家庭が完成したそこにおいて、自らの代々の血族を中心として天国に入れる解放時代……、真の愛と真の生命と真の血統を直系的に植え付けることのできる解放時代へと入っていくのです! この時代を第四次アダム圏解放時代というのです! アーメン。 その膨大な内容が、今、二百三十三巻ですか? 三百巻を超えるのです。既に五十年前にこのような話をしたのですが、すべてが一致しているのです。どこかに行って盗んできたものではありません。原稿がなくても、話せばすべてが一致するのです、専門家なのです! そうでありながら、その都度その都度、私個人が峠を越えるときには宣布をするのです。個人が勝利したことにサタンは入れません。 家庭勝利圏宣布! サタンを断切するのです。氏族勝利圏宣布! 民族勝利圏宣布! 今後は、世界勝利圏の宣布をする天地父母安息圏を……。天宙安息、神様をお迎えしなければなりません! 旧約時代には祭物を犠牲にし、息子の来る道を準備してきたのです。イエス様が来られて息子の責任を果たし、真の父母が来られる道を準備したのです。真の父母が来られて苦労するのは、神様をお迎えするためです。ですから、「天地父母天宙安息圏」のその日を、七・八節というのです。先生の七十八回目の誕生日と関連があるのです。それを説明しようとしたら、ずいぶん長くなるのです。 そのすべてが計画的で、統計的なこの道において、相反することのない結論となっているのです。神様を囹圄の身に追いやって闘争してきたサタンに勝利するということが、どれほど大変なことか…………。サタンがどれほど知恵の王であることか……。そいつが、その野郎が、私に降参したのです。 ここに来て説教をする先生に対して、反対してきたすべての人たちを、本日、容赦する宣言をします。さて、このような良い時代が到来したのですが、最も問題となるのは何でしょうか? いかに天国に行けるその覇権を得るか、これが問題です。忘れようとしても忘れられない一つのモットーがあれば、そのモットーを中心として、つかまっていかなければならないのです。そのような内容において、今語っているのが「祝福と永生」、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 真の父母が生まれたところは、人類の祖国となり、地上天国と天上天国の出発地となり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることはなく、全盛の時代へと発展していくのです。大韓民国の民は訓読会を通して、真の父母と超国家的に一体となり、万国の勝利圏を誇る国を築けますように! アーメン! 韓国は滅びません、心配しないでください。ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで一生涯、多くの迫害過程を経てきたのは、神様が導いてこられたからです。ですから、今では世界中の政治・経済・文化人たちが、レバレンド・ムーンに焦点を合わせて注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国となり、統一世界の母国になるためには、この焦点を合わせたその場を奪われてはなりません! 奪われますか、占有しますか? 占有するという人は両手を挙げて歓迎しましょう! 神様の祝福が共にあることをお祈りします、アーメン! 祈祷 流れゆく歳月の中で、一つの存在というものは、微小な塵にも及ばないものであるということを知っております。この大宇宙の中で霊長の権利を備えたアダムとエバのその威信が、どれほど高貴なものであったかという事実を知るとき、恐れ多い限りでございます。 神様の前に、本然の父母の前に、威信と体面を立てることができず……、理想的な家庭で願われる孝子の道理、理想的な国で願われる忠臣の道理、理想的な世界で願われる聖人の道理、理想的な地上・天上天国の完結を願われる神様の前に聖子の道理を望み……、聖子の権威を備えたその場において全宇宙を引き継がせたいという、神様の尊く大いなるみ旨があるということを、統一教会の群れはよく知っております。「私」と言うとき、大韓民国の私ではなく、全宇宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者であると自覚することのできる意識的な存在の権限が付与されたこと……、神様の愛で召されて立てられ、真の父母によって訓練を受けることによって、天の座まで考え得る存在性を備えられたことだけでも、感謝してやまないのでございます。私たちが判別していくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実……、絶対愛の個人基準と、絶対愛の家庭基準と、絶対愛の氏族基準と、絶対愛の民族・国家・世界・天宙・神様まで連結された基準が、一つの家庭圏内で結束し、これが発生、成長、完成していくということを誰も知りませんでした。今や統一教会の群れが、原理のみ言を通して、真のご父母様の教訓の訓読された内容を通して、そのような立場を備えられるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 お父様……、私は今、祖国という韓国の地を忘れることができず、再び訪ねてまいりました。来てみたところ、形容しがたい状況をあなたはご存じで、仕方なく訓読を通して心情的な基台を一つにまとめ……、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国にでも行って暮らさなければならない、永遠な因縁のある祖国であるがゆえに、訪ねてきて訓読大会を始めました。 今日、ご父母様の聖誕を、全世界各国の国家的メシヤたちが祝賀するために集まりました。この場に共に参与することのできる、民族的な指導者や有志の団体の代表者たちを集めて、天が教え、天が苦労して得られた実績的な基盤、栄光なる勝利的な覇権の立場を継承させるために訓読会を開きながら……、このすべての成約のみ言、成約時代の大転換時代を迎え、天の解放的な選民権をもっていなくても、誰でも選民権をもった立場に立ち、選民たちの先祖を通して地上と天上世界の大歴史時代を克服し、すべての先祖が真の父母と一つになることによって、イスラエル圏に代わって一族で上下に連結し得る解放圏を備え、万民祝福時代を迎えられるようにしてくださった恵みに感謝申し上げます。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受けられる子女となることを願いながら……、三億六千万双という神聖なるみ旨に対して挙国的な心情を一つにし、七千万民族の解放が万世に輝くことができ、祖国の伝統的精神を万国に植えることができ、各自が自省して責任を負って世界に広がっていくことのできる祝福のみ旨を、各自が受けもつことを許諾してくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、七十八回、五十五回を迎えるこのご父母様の祝福聖誕の行事を通して、万国の祝福、天の祝福が、今日の訓読会を通して賜る恵みが、ここに集まった百八十五か国の指導者と共に、その国と人類全体に及ぶことを切に願い、全体・全般・全権・全能の歴史を備えて万国解放の世界へと前進できることを願いながら、真の父母のみ名によって宣布しながらお祈り致します。アーメン。 祈祷後のみ言 訓読会をするとき、質問したいことが多いと思います。ですから今後、統一教会の道の責任者、郡の責任者、面の責任者たちが、すべての質問に答え、難しい問題を解決する連帯関係を結ぶために、ここにいる統一教会の責任者たちが、前に立って進行していくのです。今、皆さんが訓読会をすることは、今後、歴史的な宝物になることでしょう。 先生が真の父母であるという事実、この宇宙と歴史的な全人類が、それを願うようになるときには、この一冊がどれほどの価値があるか分かるようになって、これが宝物になるのです。億千万のお金を積んでも引き替えることのできない、貴いものであるということを知って、皆さんはすべての人たちに、このみ言を伝えなければなりません。訓読することによって、自分の一族、自分の親戚、金氏ならば金氏一族の前に、朴氏ならば朴氏一族の前に伝えるのです。そうすれば天の恵みを受けるのです。 先生が苦労してきた数十年の歴史の核心的な内容を、すべてを選んで語ったので、小学校を出た人であれば、誰でも理解することができるのです。挙国的な訓読会は、挙国的な解放、挙国的な栄光、挙国的な繁栄の世界へと進展するのです。 訓読会を無心にしなさい。これから先生は世界的な訓読会をするために出発しなければなりません。信仰の祖国である韓民族が訓読大会をしたということは、歴史的な事として残さなければならないのです。ここに集まった聴衆たちにも恩恵を与えるために、一冊ずつ分け与えてあげるのです。(二九〇-九、九八年二月二日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.24
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「真のご父母様ご聖誕祝賀と成約の御言伝授式」における御言1998年2月2日(陰暦1月6日)中央修練院 神様の悲痛な事情(このみ言は、『真の父母』が拝読されたのちに語られたものです) このみ言は、レバレンド・ムーンの構想から出た話ではありません。個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上の天国と天上の天国、神様の解放圈までの膨大な内容になっています。このような話は、今までのどのような教材にもありません。 今後も、これ以上の内容の教材はないと思います。ですから、これがすべての歴史を動かすことができる教材になると思います。 堕落により、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。これはだれのせいでしょうか? 女性のせいです。女性たちは、このことを知らなければなりません。 最初の夫になり、宇宙の主人になることができ、国の主人、家庭の主人、自分の夫になることのできる男性を、女性は堕落させたのです。堕落させたというのは、殺したということです。 悪魔とは何かと言えば、サタンを指します。そのサタンとは何かと言えば、神様の愛の姦夫です。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛によって連結されたので、神様が手をつけることができません。干渉できないのです。皆さんは、このことを知らなければなりません。 全能な神様が、なぜアダム・エバが堕落するときに干渉することができなかったのかといえば、姦夫に侵犯されたことを、神様はどうこう言える立場ではなかったからです。たたき殺すとか、自分の視界に入らないようにするとかする前に、相対することができなかったのです。 愛の概念を持ち、真の愛を持った夫が、結婚する前日に真なる妻が怨讐に奪われて貞操を蹂躙されたとき、その夫は自分の妻だからといって、保護することができるでしょうか、できないでしょうか? それゆえ皆さんは、女性のエバが、アダムを殺したということを知らなければならないのです。家庭で殺してしまったので、神様の威信上、家庭で復帰することはできません。国をつくり、国で勝たなければ、神様が威信を立てることができないのです。そうして、国で勝つことのできる場を築いたのが、旧約時代です。 この約束という言葉は、どのような言葉でしょうか? 人類の最初の先祖となるアダムとエバは、神様の真の愛を中心として一つになることができませんでした。 真なる家庭理想を描いていたのが、創造理想であるにもかかわらず、血統が変わることによって、すべてが怨讐の懐に入っていってしまったのです。そのため、結婚式ができなかったということを知らなければなりません。 ここに来た人の中で、一人息子と一人娘が殺された人がいたならば、その人は恨の心情に燃えて、一生涯その日を忘れることができないでしょう。 アダムとエバは、何代の一人子ですか? 億万代の一人息子・一人娘です。そのアダムとエバを失ってしまった神様の心が、どれほどのものであったかしれません。それを訪ねてこられる神様の悲痛な事情を、だれも分かりませんでした。 アジアにおいて、五千年歴史の呻吟と苦痛と迫害と侵略の限りを受けたかわいそうな韓民族を、神様が同情されたのです。このように、多くの血涙を流すような歴史の嘆きの訴えが、韓民族の歴史の中には残っています。 三千里半島(韓半島)には、九百三十二回の侵略を受けた歴史的な恨があります。民族が裂かれ、どれほど踏みにじられてきたことでしょうか? 恨の神様が、恨めしい国を捜してみると、韓国を考えざるを得なかったのです。かわいそうな人が、かわいそうなものに同情するのと同じです。そのような立場に立ったのが、韓民族なのです。 神様の絶対的な愛の道 エバによって、アダムが死にました。最初の息子が死んだのです。神様が家庭で失ってしまったので、神様が取り戻す際には、威信上、国家で取り戻さなければなりません。 国家で捜すためには、ただ捜すのではありません。国家基準をつくろうとするので、選民思想が現れるのです。神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、氏族、民族、国家という形態を中心として、ヤコブ以後、二千年の受難の道を行きました。複雑な道を歩んできたのです。 皆さんが、神様の苦労を知るようになるときは、ひざまずいて、腹ばいになりながら慟哭するのが問題ではありません。どれほどの痛みをもって悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければならないのです。 悲嘆に暮れられた神様を知らなければなりません。そのようになったのは、神様が過ったからではありません。子女が過ったのです。 神様は、子女をなぜ、必要とするのでしょうか? 愛の理想を成し遂げるために必要なのです。愛は独りで築くことはできません。皆さんは皆、愛を持っていますか? 生命を持っていますか? 良心を持っていますか? ここでは、一平方センチメートルに一気圧が均衡的に押しています。ここでバランスが取れているので、感じられないのです。 皆さん、目がまばたきする回数を数えてみたことがありますか? 数えてみれば、三時間もしないうちに忘れてしまいます。息をする回数を、数えてみたことがありますか? なぜ、感じることができないのでしょうか? 右手を左側の胸につければ鼓動を感じます。鼓動の音を聞いてみたことがありますか? 鼓動の音を聴診器で聞けば、爆弾が落ちるよりも、もっと大きい音が聞こえます。 小さな蠅が現れて、わずかに動いただけでも分かるのに、その何百倍の爆弾が落ちるような音を感じて、暮らしているでしょうか? 数か月、半年、忙しいときには、何十年たっても感じることができないのです。なぜ、感じることができないのでしょうか? 一つになっているからです。 それでは、神様がどこにおられるのでしょうか? 神様は愛の根、生命の根、血統の根、良心の根です。神様は根なので、深い所におられるのです。 皆さんは、男性、女性として愛を持っています。男性が女性を必要とし、愛の対象を慕うので、美男子の前に醜女が現れても、愛の心が芽生えるのです。 愛が激動し、生命が激動し、血が沸騰するのです。そのようなものを皆、感じたことはありませんか? 未婚のときに、恋愛して男性と女性が会うときに、何が熱くなるのでしょうか? 胸がドキドキします。しませんか? (「します」) 地方から来た人は、両班(=高麗、李朝時代の特権的な身分階層)の家から来たという人がいるかもしれませんが、その両班とは何でしょうか? 愛を感じることのできない人が、どうして両班になることができるでしょうか? 愛を知らない人が、どのようにして主人になり、夫になるのでしょうか? 率直な話です。 美男子の前に美女が現れれば、雷、稲妻よりももっと恐ろしい衝撃が起きます。それゆえ、男性と女性は注意しなければなりません。 愛は、神様の絶対愛の道を訪ねていきます。絶対的というのは、二つについて言う言葉でしょうか、一つについて言う言葉でしょうか? (「一つについて言う言葉です」)。絶対的という言葉は、一つについて言う言葉なのです。 それでは、男性の愛と女性の愛が願う、すべての理想的な女性、理想的な男性がいるとき、絶対的な愛を願う際に、その愛は二つでしょうか、一つでしょうか? (「一つです」)。それは瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。もう一度言ってみてください。瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。永遠です。 心と体の闘争歴史 ところで、アダムとエバの堕落は、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落です。人類歴史の最初に堕落の種が蒔かれたので、家庭が引っ繰り返り、家庭破綻が起こったのです。 引っ繰り返したものを、神様はどのようにされるでしょうか? これを正すためには、どこから正さなければならないのでしょうか? 頂上は、サタンがすべて握っています。 ですから、アダムとエバからはできません。下の弟を通してひっくり返すのです。聖書に長子と次子の話がありますが、神様が次子を愛された理由を、クリスチャンは何も知らないでいるのです。 本来、神様が人間の主人であられるということは、サタンも知っています。愛するようになれば、必ず血統を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができます。 それゆえ、サタンの愛によって、サタンの生命とサタンの血統が連結されているので、完全に引っ繰り返るのです。では、神様が復帰しようとすれば、どのようになさるのでしょうか? サタンは、本来の主人が自分でないことは分かります。本来の主人の立場は中心であり、自分は無理やり強制的に、相対的な立場に立っているのです。良心が絶対的プラスなのにもかかわらず、反対的立場の肉身を中心としたプラス・ダッシュ(′+)が生じたのです。これが反発するのです。 このようにして、心と体が闘うのです。皆さんは、心と体の闘争歴史から逃れることはできない人間であるということを知らなければなりません。ですから皆、大きなことを言ってはいけません。 人類始祖から今まで、恨み多い歴史をつづって、曲折の事由(事情)をつくり、混乱した家庭、社会、歴史をつづってきたのは、心と体の闘争歴史によるものであったという事実を知らなければなりません。この闘いを、だれが停止させることができるのでしょうか? 本来、堕落しなかったならば、心が絶対的プラスであり、体が絶対的マイナスとして、自動的に愛の中で一つになることができるのです。この肉身の愛に根を下ろして、愛のプラス・ダッシュとなったので、闘争歴史が始まったのです。 これを完全に解消しなければ、統一はありません。それゆえ、宗教は肉身打倒運動をしたのです。「柔和、謙遜でいなさい」「降りていきなさい」と言うのです。サタンは驕慢で上がっていくので、降りるように言うのです。百八十度、反対です。「犠牲になり、奉仕しなさい」と言うのです。 ここに、地方にいる官吏が来ているかもしれません。自分の権威を打ち立てて、「私の言うことを聞きなさい」と言うのです。堂々としているのです。堕落した世界であるということを知らずにいるのです。 そのように、今まで皆さんは、日常生活をする際に、体が心を引っ張り回しながら暮らしましたか、心が体を引っ張り回しながら暮らしましたか? これが問題です。 体が心を引っ張り回すのは、なぜでしょうか? 堕落のために、このことが分かりませんでした。堕落が分からない人は、救いが分かりません。どこで病気にかかったのか分からない人は、何の治療も受けようとはしません。 最近、癌のようなものも、三、四年過ぎるまで分からずに平然としていたのち、死んでしまうのです。今日、人間が堕落することによって、人間は自然刑務所にいるというのです。 サタンが絞首台を持って、人間を目の前で架けようと待っているのに、それが分からずに生きているのです。堕落の深刻さを知ってはじめて、悔い改めと解放の深刻さを知ることができます。 人間の堕落以後の神様の痛い心情を知れば知るほど、人間は神様に同情せざるを得ないのです。そのかたを知ってみれば、私たちの父母です。 そのような父母の前に、今日の宗教人が祈祷しているのは、「神様、私の困難を引き受けてください。あなただけがすべて責任を負って、許してください」と言いながら、全部、福を受けようとする者が多いのです。 牢獄の身の神様 私たち統一教会員は、そのような祈祷はしません。神様を解放し、父母を解放し、国を解放し、世界を解放しようと祈るのです。自分を中心として祈る者になることはできないのです。 ですから、世の中が反対するのです。宗教の世界は、出家を命令します。なぜ、出家をしなければならないのでしょうか? 天地を否定し、世界を否定し、自分の国を否定し、自分の民族、自分の氏族、家庭を否定し、それから、おじいさん・おばあさんを否定し、父母を否定し、夫婦同士、否定しなければなりません。そして、子女を否定しなければならないのです。 すべて、なくしてしまわなければなりません。ですから、出家を命令するのです。零の立場に返らなければなりません。 青写真によって、工場で生産していたすべてのものが故障したので、新しい青写真から生産しなければならないのです。救援摂理は、再創造摂理です。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として、選民圈を立てました。選民圈を立てたということは、神様がおられるという証拠です。 また、宗教において、「出家しなさい」という命令を下すのも、神様がおられる証拠です。それから、宗教では夫婦生活をするようにと言いますか、独身生活をするようにと言いますか? (「独身生活です」)。独身生活です! なぜでしょうか? 人類の父母になるおかたが、結婚式ができなかったので、堕落人間が結婚式をすることはできなかったのです。 アダムとエバの生殖器が、真なる愛を中心として神様とともに一つになって、血統と生命によって連結させるべき本拠地となり、本宮にならなければならないのです。 これは、本然の愛の王宮です。分かりますか? 愛の王宮は、どこのことですか? (「生殖器です」)。生殖器をそのように考えたでしょうか? 生殖器は、本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮です。本然の血統の本宮です。ここを通さなければ、個人も生まれることができず、国も生まれることができないのです。このことは、否定することができません。 愛の本宮で、神様と直系の関係を結ぶことができる因縁がないので、めちゃくちゃとなり、この天地を引っ繰り返したのです。 いちばん悪いものになりました。そして、優れているという人が浮気をし、ありとあらゆる酒杯のやりとりをしたのです。皆、天国に行けません。 私がこのような道を求めるために、霊界に入って捜して、このような事実を知ってみると、「ああ、知らなければよかった」と思うときが、どれくらいあったかしれません。 幾重にも重なった山のようです。個人的塀よりも、家庭の塀はもっと高く、氏族の塀はさらに高く、民族、国家、世界の塀はさらに高く、また、天地の塀はさらに高く、神様を解放しようとすれば、さらに高い塀を越えなければなりません。 その神様が、頂上におられながら指揮することはできません。はるか遠くの山の麓で、牢獄の身となっています。愛ゆえにサタンに包囲されて、牢獄の身となって監獄暮らしをしておられるのです。 では、そのような所に行って文総裁が喜ぶでしょうか? 私が神様にお会いしたとき、神様がどれほど喜ばれたのか皆さんは分かりません。そのような話をしたところで、気が変になったように思われるので話しません。 ぐったりとして歩き回りながら、全部、捜し求めてみたので、真の父母の歴史がこのようになっているということを、理論的に体系化しなければなりません。 理論的に体系を定めて、どのような賢い人でも否定できないようにして、これに触れれば感動して従わざるを得ないように内容を備えて、初めて地から出発するのです。 百八十度、反対の道です。個人をすべて否定しなければなりません。家庭、国家と世界をすべて否定しなければならないのです。 否定的な歴史を個人から歴史世界、天地を創造した神様の理想まで、乗り越えなければならないのです。ですから、文総裁は反対されるようになっています。 女性時代の到来 韓国が四十年間、反対しました。文総裁がいなくなったといって喜びましたが、世界がすべて明るくなりました。いちばん暗い所が、韓国です。西欧社会では次のように言います。 キリスト教であれ、宗教を信じる人は、「イエス様が人として来るならば、レバレンド・ムーンが間違いなくメシヤだ」と言っているのです。(「アーメン! )拍手してください。(拍手) さて、旧約時代も願ったメシヤ、新約時代も願ったメシヤ、成約時代も願ったメシヤです。成約時代は、メシヤに侍ることができるのです。 侍ることだけでしょうか? 会いたいメシヤであると同時に、知ることのできるメシヤです。 その次は、どのようになるのでしょうか? 別れるためのメシヤですか、共に生きたいメシヤでしょうか? (「共に生きたいメシヤです」)。メシヤの相対になることのできる資格者になりましたか? 共に生きようと言うのなら、大変なことです。 女性は、文総裁のことを夢に見るほど、慕ってきたのです。なぜでしょうか? 真の父母という言葉は、真なる王という言葉にもなります。 真なる王にもなり、真なるおじいさんにもなり、真なるお父さんにもなり、真なる夫にもなり、真なるお兄さんにもなるのです。そうですか、そうではありませんか? (「そのとおりです」) エデンの園で、エバが一日の愛の失敗によって堕落しました。男女関係が、どれくらい恐ろしいかということを知らなければなりません。 一瞬の関係を結んだことが、天地を引っ繰り返しました。宇宙を創造された全能の主人であられる神様が、億千万歳を経て嘆息し、今まで囚われているのです。 旧約時代、新約時代に、どれほど血を流してきたことでしょうか? 万物に血を流させ、子女に血を流させ、父母にまで血を流させて役事をしましたが、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛のためです。 女性たちは、雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性は妹なのです。再臨主の前に妹の立場に立つ女性たちが犠牲になることによって、歴史を蕩減しているのです。それを取り戻して、何をしようと言うのでしょうか? エバが真なる妹になれなかったので、真なる妹にならなければなりません。いちばん幼い赤ん坊のように、妹の立場に返ろうとするので、すべての女性は先生に従ってくるのです。 自分勝手に、男性を主導していた立場ではありません。絶対的に従順になることのできる女性の道に従っていかなければ、生きるべき道がないので、女性は文先生を崇めたてまつり、従ってこなければならないということが理解できたでしょうか? そのようにして、何をするのでしょうか? 過った妹を、神様の愛を受けることのできる妹にするのです。神様の愛と、一体化することのできる妻にしなければなりません。そのような妻を養成しなければならないのです。それから、真の母になることのできる伝統をつくってあげなければなりません。 私が女性のために、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? また、合同結婚式ゆえに、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? いちばん愛する人たちを、父母に相談もせずに結婚させてあげたので、悪口を言われたのです。 サタン世界は、悪口を言うようになっています。その悪口が悪いものではありません。天的に見るとき、私を条件に引っかけることのできる何の条件もありません。サタン自体も、私を条件にかけることはできません。 正義の立場で仕事を遂行してきたのですから、反対する人たちはどのようになるでしょうか? サタンも讒訴することができず、神様も讒訴することはできません。讒訴されない世の中で、反対する人は全部、讒訴条件に引っかかるのです。後になって全部、屈伏しなければなりません。 五十億人類だとすれば、二十五億の女性たちを全員、先生が教育して、二十五億の男性たちを再び救ってあげなければならないのです。 堕落は、エバが引っ張って地獄に行きましたが、真の父母の愛を中心として、反対にエバを引っ張ってこなければなりません。それゆえ、女性時代が来るのです。 女性は、自分の夫の秘密をすべて知っています。韓国で祝福家庭が、六百五十万双を超えたのです。もはや、祝福を受ける人がいません。今後、女性が全部一つになれば、野党、与党がなくなります。 三億六千万双の祝福完成の時 きょう訓読したこのみ言は、六〇年代に語った内容があります。そのとき人類は、三十億ほどでした。夢のような話を、そのとき話したのです。 そのとき、私がもし死ぬとすれば、み言を残して逝かなければならないと思って、生死の境で語った事実をこの民族が知らなければなりません。 このみ言があることによって、私が死んでもこのみ言によって、世界を収拾することができるのです。そのようなおかたを迎えることができなかった民族の怨恨と民族の恨は、どれほどのものでしょうか? イスラエル民族の比ではありません。そのかたは、完成した世界平和の天国を準備するために来られる親です。 そのような真の父母を、殺そうと追い出した立場にあったならば、その罪を何によって蕩減するのでしょうか? それゆえ、先生は韓国において責任を果たすまでは、公の席に現れなかったのです。 ですから、アメリカに行って、先生がみ言を中心として成し遂げたのです。もはや、全世界が韓国を包囲しています。 第一次アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。そうすることによって、イスラエルが全世界で流浪しながら、血をどれくらい流したでしょうか? 民族の恨を全部しょい込んだので、馬蹄に踏まれて死に、銃口によって死に、政治、経済の勢いに追われながら、六百万人まで虐殺されながら罪を埋めてきたのです。悲惨な民族です。 その民族を私が解放してあげようとするのですが、その民族が私に反対しています。第二イスラエル圈を中心として二千年間、殉教の血を流して世界的版図を築いた第二次世界大戦直後に、先生と一つにならなければならないのにもかかわらず、そのようになれなかったのです。 英・米・仏が連合国です。それは天使長国家です。日本がなぜ枢軸国なのでしょうか? 枢軸とは、中心という意味です。サタン世界が、中心を持っているということです。第二次世界大戦では、キリスト教文化圏が勝利しました。 そのとき、英国がエバ国家でした。英国は島国です。英国が生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスは英国とも戦い、アメリカとも戦いました。怨讐国家です。この三つが一つになって、天下を統一したのです。 歴史以来、世界を統一したのは、キリスト教文化圏を中心として一度しかありません。その上に、文先生が登場したならば、四十歳で神様を中心として天下を統一したのです。韓国は、心情的に世界の主体国になったのです。 しかし、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成がサタン的再臨主として現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は全部追われていくのです。 先生は追放されて、世界の荒野に追い出されて再び訪ねてくるのです。再び訪ねてくるのに、四十年かかったのです。金日成も亡くなり、共産主義も倒れ、アメリカも倒れるようになっています。このような話をしようとすれば、切りがありません。 女性は、一番目の夫を殺してしまい、その次に、二番目の夫を殺してしまいました。三番目に訪ねてくる夫は、再臨主です。その再臨主も殺してしまいました。荒野に追放してしまったのです。 第二次世界大戦による解放後、私たち韓民族は万歳を叫んだのですが、私は万歳を一度も叫びませんでした。ですから、統一教会は祝典の勝利的結果を中心として万歳を叫んでいます。 なぜ、万歳を叫ばなかったのでしょうか? 将来、どのようになるかということを知っていたからです。共産主義が乱舞するかもしれないということを知っていたのです。 このようなすべてのことは、原理が分かればすべて分かるのです。ですから、エバの立場の女性が、三番目の夫の立場である先生を殺したのです。キリスト教新婦国家が、先生を追放したのです。 このようにして、四十年間の荒野路程を復帰してきたのです。一九四五年から一九五二年までの七年間は、世界祝福家庭完結を標準としたのです。今、その時がやってきました。三億六千万双の祝福完成です。 今年の標語が何かと言えば、「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。(「アーメン」)。(拍手) 国を生かす「訓読会」 神様の新婦として、迎えて侍ることのできる恨の歴史が解けなかったという事実を知らなければなりません。「アメリカは世界を支配する」と言って、自分の国を誇ってはいけないのです。 誇っていては滅びます。「神様の下の一つの国」を主唱するアメリカは滅びます。「神様の下の一つの世界」を主張しなければなりません。 アメリカは、平和世界を忘却しています。民族を超えた立場で、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びていく弟たちを援助し、救ってあげなければならないのです。自分の血肉まで削って、与えなければならないのです。そのようにしなければ、アメリカは滅びるのです。 私がこのような話をするので、アメリカで反対されて監獄まで行ってきたのです。最近になってからは、私のお世話にならなければならないということを知っています。 今回のワシントンの大会(四千万組世界祝福式)について、皆さんは考えなければなりません。ワシントンが何かと言えば、世界の首都の立場です。そこでCIA(米中央情報局)、FBI(米連邦捜査局)が調査するその場で、祝福結婚をしたのです。皆さんは知りませんが、アメリカ内で今現在、政府ならぬ政府がほかにもあるのです。 レバレンド・ムーンを消してしまおうとしたのに、CIA、FBIを通して全部調査してみると、一つも間違ったことがありません。コーナーに追い込んでみると、追い込んだすべての材料は、共産党がつくったものです。本にして数十冊になるでしょう。ありとあらゆる韓国の妖しげな連中を、全部動員してつくったのです。 その材料として使ったものを、私がすべて持っているのです。韓国のだれが反対したのか、名前がすべて出ました。 かわいそうな韓国、祖国という名前が怨讐です。ですから、韓国人は怨讐です。先生が同情しなければ、めちゃくちゃになったはずです。 力で対決しようと言うなら、私が対決します。理論で対決しようと言うなら、私が理論で対決するのです。理論で対決しても、私にかないません。世界ですべて判定が出たのです。数多くの学者、数多くの宗教人が、文総裁をたたきのめそうとして、多くの人が訪ねてこなかったと思いますか? 韓国人は、文総裁を誇るに値しますか、誇るに値しませんか? (拍手)(「誇るに値します」)。誇るに値しますか、値しませんか? (「誇るに値します」)。もう一度、言ってみてください。誇るに値します! (「誇るに値します! )。ありがとうございます。 皆さんが故郷に帰った後に、私がここに参加した人の家を訪ねていけば、昼食や夕食でも、ごちそうしてくれなければなりません。あちらのいすに、聖なるかたたちが座っています。ごちそうしてくれますか、してくれませんか? 鶏を買ってくるとか、孫の婿が来るとか、婿が来るとか、嫁が来るとか、息子・娘の義理の親がやってきた以上に、もてなさなければならないということを知らなければなりません。それだけは知って帰ってほしいのです。そうすれば、一族が滅びません。福を受けます。 第二次世界大戦に、令状をもらって汽車に乗ろうとして乗らずに降りた人も、出戦の勇士ですか、勇士ではありませんか?(「勇士です」)。(笑い) そのようになる可能性があるということを知らなければなりません。むやみに呼んだのではないのです。今回、呼びましたが、来なかった人は私が責任を持ちません。自分が責任を持つのです。 その代わりに「訓読会」をしてください。一族を中心として旗下にいる人は、私とともにこのように「訓読会」をするときに、国が生きて余りあるのです。 今、文総裁は世界的基盤をすべて持っています。皆さんの子女を、世界化時代に世界的人物にしたいですか、国家的人物にしたいですか? 国会議員であれ、長官であれ、道知事であれ、そのような人物にする自信がありますか? 私に任せてほしいのです。 「訓読会」を三か月間だけでもしてみてください。息子・娘が、お互いに「訓読会」をすると言って、けんかをするのです。そのようになれば、民族に希望があります。私が辛苦に耐えながら、生涯、獲得してきたすべての宝箱を提供してあげようとしているのです。これは翻訳をしないように、と言いました。 きょうの誕生日を中心として、このようなことを話すのです。きょうは、七十八回目の誕生日です。「七・八節」は何かと言えば、神様がこの地上に安息される「天地父母天宙安息圏」を宣布した日です。ですから、七十八数は因縁があります。 参席した人は、み言を持ってみ言と一つになれば、天が協助できる圏内に入るのです。 女性は三時代に、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。この話は何かと言えば、おばあさんから、お母さん、自分までの三代が一つになって、本然の夫を殺した罪を謝罪しなければならないということです。そうして、女性の解放が成されるのです。 それゆえ、先生を知ることによって、真なる兄、真なる夫を知るようになり、真なる人類の先祖を知ることができるのです。 千年万年過ぎても、愛する心が変わらないで、初めてその伝統が文化世界を創造し、アダム単一文化圏、単一・統一の平和世界の橋となるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 「成約時代宣布」 「成約時代宣布」。(板書される)きょう、誕生日に本部で成約時代を宣布しました。時代が変わるのです。百八十度、反対になったのです。旧約時代は、結婚を完成できませんでした。新約時代は、約束したことを失敗しました。 今、成約時代において結婚理想を完結するのです。三億六千万双は、アダム家庭が引っ繰り返ったのを解放する最後の祝福です。 文総裁が、本然の愛と本然の生命と本然の血統を中心として、直系の子女を自分が父母として祝福することのできる時代が来ます。 ですから、第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代から、第四次アダム時代へと移っていくのです。第三次アダム時代までは、蕩減が必要な時です。三億六千万双が終われば、蕩減が必要ない第四次アダム圏時代に入ります。 そうすることによって、自分の父母が神様の代わりに祝福できる時代に入るので、万民すべてが自分が祝福した一族を中心として、天国直行の道が生まれるのです。 第一次、第二次アダム圏時代は、蕩減が必要です。蕩減が必要な理由は何かと言えば、サタンが残っているからです。サタンの血統、汚された痕跡が残っているということです。 サタン世界の血統を断切することによって、痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福できる解放的場で、万民、人類全体の家庭が平面図上でいっぺんに祝福されるのです。 アダム一家庭が成し遂げられなかったものを、世界全体の家庭が祝福される時代を迎えることによって、アダムの家庭完成した自分の血統を中心として、天国に入ることのできる真の愛と真の生命と真の血統を、直系的に繁殖することのできる解放時代へと行くのです。この時代を第四次アダム圏解放時代と言うのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 膨大なみ言の内容が、三百巻を超えるのです。このような内容は、五十年前に話をしたものも、全部が一致するのです。どこからか泥棒したものではありません。原稿なしで話したことが、すべてきっちりと一致します。 そのようにしながら、峠を越えるときに宣布するのです。個人が勝利した所にサタンは入ってこられません。家庭勝利圏宣布をして、サタンを断ってしまうのです。 氏族勝利圏宣布、民族勝利圏宣布です。もはや、世界勝利圏宣布をしようとするので、天地父母天宙安息圏を宣布して、神様を迎え入れなければなりません。 旧約時代は、祭物を犠牲にして息子が来る道を準備したのです。イエス様がやってきて息子が責任を果たして、真のご父母様が来られる道を準備したのです。 ご父母様が来られて苦労したのは、神様をお迎えするためのものなので、「天地父母天宙安息圏」を宣布したのです。その日が「七・八節」です。 それは、先生の七十八周年の誕生日と連関があります。すべてのものが計画的であり、統計的です。神様を牢獄の身へと追い込んで、闘争してきたサタンに勝つことが、どれくらい難しいでしょうか? サタンは、どれくらい知恵のある王でしょうか? ここに来られた尊敬される人たち、先生に対して反対したすべての人たち、参席した人たちに対して許しを宣言します。(「アーメン」)。(拍手) このように、よくなる時代になりましたが、いちばんの問題は何でしょうか? どのように、天国に行くことのできる主導権を握るのかが問題です。 忘れようとしても、忘れることのできない一つのモットーがあって、そのモットーを抱いていかなければならないのです。そのような内容から今、お話しするのが祝福です。その「祝福と永生」は、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 このようなことを解説をすれば、本当に面白いのです。歴史がすべて解けます。この一冊で、歴史をすべて解くことができるのです。 ここに来られた人々は、先生が郡、面(地方行政単位の一つ)のような所に行けば皆、歓迎してくれますか?(「はい」)。そのようにすれば、皆さんにとって良いのです。民族が生きるのです。 それでは、「祝福と永生」です。祝福と言えば、統一教会では国際合同結婚式を指します。 永生することを知る 世界人類は、末世(終末)に生きています。アダムとエバが青少年時代に、エデンの園で罪の種を蒔いたため、家庭が引っ繰り返ったので、終末はそれを収穫する時なのです。全世界の青少年問題は、神様が干渉できなかったように、どこのだれも、政治、経済、文化、どのような教育団体、宗教団体も手を出すことができません。皆、降参しています。これを収拾できるのは、真の父母しかいないのです。 世界人類は、末世に生きています。なぜ今、世界の家庭が壊れているのでしょうか? 父親、母親、子女たちが怨讐になったりするのは、なぜでしょうか? 真の愛がないからです。 いちばん重要なのは、永生問題を知らないからです。永生すると考える人は、だれでしょうか? キリスト教も永生については、よく分からないのです。霊界があるのか、ないのか、ということを知らずにいます。これは事実です。このような立場から、最後に皆さんに警告する内容のみ言として、このようなお話をするのです。 永生するということを知れば、ほかの人たちが、「罪を犯せ」と言っても犯さないのです。「自分のために生きなさい」と言っても、そのように生きません。このことを知らなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。 真の父母が生まれた所は、人類の祖国です。地上天国と天上天国の出発地であり、神様が全権時代を迎える所です。ですから、滅びることはあり得ず、全盛の時代へと発展するのです。 大韓民国の国民は、「訓読会」を通して、真の父母と超国家的に一体を成して、万国に勝利圏を誇る国を築いてください。アーメン。(「アーメン」) ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで生涯、多くの迫害を越えてきたのは、神様が導いてくださったからです。ですから、世界では今、政治、経済、文化人たちが、レバレンド・ムーンに注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国になり、統一世界の母国になるためには、この場所を奪われてはならないのです。神様の祝福が共にあることを祈ります。アーメン。(「アーメン」) [祈祷] 流れゆく歳月の中で、一存在というものは微々たるちりにも及ばないことを知るものです。この大宇宙の中で、霊長の権威を備えたアダムとエバのその威信が、いかに高貴であったかという事実を知るとき、この上なく恐れ多いものです。 神様の前に、本然の父母の前に威信と体面を立てられず、願っていた理想的な完結を願う神様が、孝子の道理、聖子の道理を願う聖子の権威を備えたその立場で、すべての宇宙を相続なさろうとする神様の気高く、大きく、広いみ意があることを、統一教会の人々は知っています。 「私」というとき、大韓民国の「私」ではなく、全天宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者として自覚できる意識的な存在の権限を付与されました。 神様が、愛で私たちを呼び立てて、真の父母によって訓練されることによって、その立場まで考えることのできる存在を備えるようになったことを感謝申し上げます。 私たちがわきまえていくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実。絶対愛の個人基準、絶対愛の家庭基準、絶対愛の氏族基準、絶対愛の民族、国家、世界、天宙、神様まで連結された基準が、一家庭圏内で結束されて、発生―成長―完成していくとは、だれも知りませんでした。 今、統一教会の人たちが原理のみ言を通して、真の父母の教訓である訓読した内容を通して、そのような立場を備えられるようになったことを本当に感謝申し上げます。 私は、今、祖国となる韓国の地を忘れられずに、再び訪ねてまいりました。来てみますと、言うに言えない事実をあなたがご存じであり、「訓読会」を通して心情の基台を束ねて、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国に行ってでも暮らすべき永遠の因縁のある祖国であるので、訪ねてきて「訓読大会」を始めたのです。 きょう、ご父母様の聖誕日に、全世界の各国の国家的メシヤたちがお祝いをするために集まったこの場に、共に同参できる民族的指導者、志のある団体の代表たちが集まりました。 天が教えてあげ、天が苦労して、収めた実績基盤、光栄なる勝利的権威の立つ立場を継承させるために、成約のみ言の「訓読会」を開きながら、成約時代、大転換時代を迎えたのです。 天の解放的選民圏を持たなくとも、だれでも選民圏の立場に立って、選民の先祖たちを通して、地上と天上世界に役事していた歴史時代を克服し、すべての自分の先祖たちが、真の父母と一つになることによって、イスラエル圏の代わりに一族で上下に連結できる解放圏を備えて、万民祝福時代を迎えるようにしてくださった恩賜を感謝いたします。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受け得る子女たちとなることを願いつつ、三億六千万双の聖なるみ旨に国民全体の心情を集め、七千万民族が解放の声、万世にとこしえに輝くことのできる祖国の伝統的精神を、万国に植えられるよう各自が自省し、そのことに責任を負い、世界に伸びていくことのできる祝福の道を、各自が迎えることができるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 きょう、七十八回、五十五回を迎えるご父母様のご聖誕行事を通して、万国に天の祝福がありますように。 きょう、「訓読会」を通して下される恩賜が、ここに集まった百八十五か国の指導者たちとともに、その国のすべての民族人類全体に及ぶことを切にお願い申し上げながら、全体、全般、全権、全能の役事を備えて、万国解放の世界に前進するように願いながら、真の父母のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.23
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「新しい成約時代」宣布一九九八年二月二日、真のご父母様の御生誕日(陰暦一月六日)を記念し、ソウル市・漢南洞・国際研修院にて、敬礼式、祝祷とみ言を通して、「新しい成約時代の到来」が宣布された。また、二月三日、韓国・九里市の中央修練院(水沢里)で指導者会議が行われ、新しい成約時代の信条として、家庭盟誓に第八条が加えられた。 敬礼式の祝祷 愛するお父様……、本日、一九九八年二月二日、陰暦の一月六日、この日は、この地上に「真の父母」の名を中心として生まれて以来、七十八周年目と五十五周年目を迎える祝賀の日となりました。 天と地が見つめるこの場、万民が欽慕するこの場となり、神様の愛の器官、福の器官となりまして、 万国万象の上に生命的な因縁を連結しようという、お父様の再創造的な摂理の完結を標準とした真の父母が立つこの場でございますから、お父様……、これまで歴史時代に恨を抱いてこられたあなたの心と、あなたの子女となるべき人類の心を一つにするために苦労してこられた天の功労の前に、心から、心から、心から全人類に代わって謝罪申し上げます。地上における最後の戦線を前にし……、「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という標語を中心に、あなたの最後の戦争を整理しようという、大いなる歴史的使命を前にしまして、今、前進するこの過程にありますから、お父様……、今まで私たちを保護し、導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 今や、残されたこの三億六千万双の完成、二千年代までに私たちの責任を中心として前進するこの過程におきまして、あなたの協肋と共に、霊界の協助と共に、この地上に成し遂げることができるように導いてくださいませ。 それによって、先祖と子女たちが天上世界と地上世界の一体圏を成し、あなたの愛の主権、勝利の覇権が、あなたを中心として被造世界全体に臨むことを許諾してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 この地の真の父母を中心として、「天地父母天宙安息圏」を宣布することによって、神様が私たちの心の世界、家庭の世界から、氏族・民族・国家・天宙世界に臨在なさいまして、あなたの意のままに再創造の権限を中心行使なさり、より高く全天宙のすべての手続きを整備し得る時を宣布いたしますから、お父様……、今まで私たちの心と体の中に臨まれ、家庭の中心、世界の中心となられまして、サタン世界の汚れた痕跡をきれいに清算しても余りあるようにしてくださいませ。 私たち各自が、心からお父様を知って神様に侍り、家庭において神様に侍り、氏族、民族、国家、全体で神様に侍り、天宙の大解怨成就の解放圏を備えることによって、万民解放のあなたの愛の懐を渇望していた父と母と子女たちが相まみえることのできる喜びの勝利圏をこの天宙において……、あなたが願われるすべての神聖な版図の上において、相まみえることができますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダム家庭で失ったすべてを、人類全体の家庭を代表して平面的な面で蕩減復帰することのできる、最後の闘いの場を迎えた私たちでございますから、今や私たち各自が誓うべきことは、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、世界と地上天上天国が一つになることでございます。神様と地上の真の父母の一体圏が、万国万象を越えて顕現できるように祝福してくださいますことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダムが堕落して願いがかなわなかったことによって、摂理的な方向を転換するために旧約時代を立てられ、二千年にわたってそれを完成し、民族的基盤の上に立って天国を代身できる基盤を築きあげたのちに、第二次アダムが来られまして、家庭基準ではなく、国家基準で王権を立てようとしたのでございます。しかし、すべてを立てることができなかったがゆえに、恨の歴史を残した悲しみの歴史が延長してきました。 そうなることによって、二千年の歴史を中心として第三次アダムが来られましたが、地上で「真の父母」の権限の行使を完備・完成し、天宙の大勝利圏として、神の真の愛を中心とした主権的な覇権を成功させてくださいませ。そうして、万国万象を自由自在に治め得る最後の国を望むものでございます。イエス様から二千年間……、数多くの代価によって、真の父母のみ名をもって、二千年のすべてを七年間に成就しなければなりませんでした。 しかしながら、キリスト教が従うことができずに、四十年を中心として今まで延長し、キリスト教が反対した環境を取り戻しまして、世界的な版図を越えた七年以降の一九五二年……、完成した万民祝福の限界線を越えんとする立場に再び立ち返りましたから、お父様……、あなたの子女として万国を治め、あなたの子女として万民を派遣しまして、サタンを整備・断絶し得る「成約時代の到来」を宣布できる時となりました。「成約」という、万民が神様の前に祝福を受けることができる、神聖な時をもったこと自体を、万世・万象・万民が、賛美、賛美、賛美できる時を迎えました。 今日、このご父母様の御生誕日を期し、新しい成約時代の転換された勝利の版図を迎えられるようになったこと、万民が受けられるようになったことを、天の父母と地の父母と共に同苦同楽できる時代を実現してくださった天の前に、感謝申し上げます。これから成約時代の新しい転換、新しい時代を迎えることによりまして、我々父母は皆、成約時代の、アダムが完成できるその立場に代わって神様に直接に侍り、神様直接の指導下で原理圏内に立つことのできる真の父母に代わる資格者にならなければなりません。生まれた子供たちは成約時代の新しい子女、成約時代の新しい兄弟、成約時代の新しい夫婦、成約時代の新しい両親として、天の前に孝行の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を立てまして、責任的時代に責任を果たせるように祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。全霊界がここに一体となり、地上万民が真の父母を中心に縦的・横的に愛の定着地をつくって自由に四方に拡大できる自由な家庭的版図になじませてくださったことを、心から感謝申し上げます。 この日を期して成約時代の到来を宣布し、万民が祝福家庭の完成を通して天の栄光の恵みを家庭に抱き、神様が直接に経綸される中で侍ることのできる、直接的な体恤の生活をさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。これらを見つめる霊界のすべての霊人たちが、自分の子孫たちに従って一体化し、アダム的完成の世界に協助し得る天使長圏内に立って、一心一体となるようにしてください。 そうして、忠孝の道理を誓うことのできるすべての道を、四方に大きく開放させてくださいませ。万民の心情統一圏を整えて、天の大家族を真の父母を中心として成就させてくださいますよう、切にお願い申し上げます。そうして、国境を撤廃し、歴史的な環境のすべての伝統を超越し人命を超越し、一つの血族として血が沸き血が結ばれる一つの大家族を形成しまして、地上天国を形成して天を解放することによって天上天国の門を開放し、地上から直接天国に行ける完成した成約の民とならせてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 このすべてを天が公認してくださいませ!今日この日の朝、真の父母の御生誕日に代わって、三億六千万双に責任をもって越えていかなければならないこの殿におきまして、祝福の恵沢を万民の前に宣誓いたしますので許諾してくださいませ。成約の一族、成約の民族、成約の国として備え得る責任の所行を、十分に全うできるように導き、叱咤し、覚醒させまして、あなたのみ意のままに完成なさってくださいませ。 真の父母の行いを通して新しい時代をつくった、祝福家庭の一体圏を中心として成約時代を宣布いたしますから、天と地が、直々にこの印を受けて、受けた責任を完成しますことを、真の父母様のみ名によって宣布いたします!。 アーメン! アーメン! アーメン! 敬礼式のみ言(二月二日) ここに二世たちは来ていますか? 今後、二世たちは清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結させなければなりません。アダムとエバの堕落によって分かれてしまったものを、連結させなければならないのです。統一教会は今まで、肉的な基盤においてこの世の堕落を清算してきました。この、霊的な基準に連結できる運動は、清平を中心とした世界的な運動であるということを知らなければなりません。偶然のようにやっているのではないのです。 清平に行って、今まで堕落によって、サタンの血統を通じて汚したすべてを清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結させなければなりません。 イエス様は地上に来られて、家庭的基準を立てることができませんでした。ですから、今まで先生がやってきたことは、アダムとイエス様が失敗したことを世界的な途上で完結することです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任なのです。 これが(板書されながら)今の祝福家庭を中心として三家庭、三六家庭から今に至るまで、これが全部で十二の峠です。十二の峠を越えて、これが頂上において、蘇生・長成・完成として着地しなければならないのですが、長成基準において三千六百万双を超えたのです。天があまりに急迫していて、そのように役事されたということを知らなければなりません。 今では三億六千万双を行えば、堕落によって祝福基準に代入されたサタンの血統がすべて絶たれ、これからは地上に着地できるのです。三億六千万双時代に突入したのです。それによって、今や雨が降っても分水嶺において、向こう側に流れていかないのです。これからは、こちら側に連結されるのです。 神様は今まで、堕落した以降にも堕落した人類をすべて愛してこられました。母親のもとに一緒に送ったのです。カインとアベル……、アベル側よりも、むしろカイン側を追求したのです。ですから、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史が、ここから転換されるのです。これからはすべてが変わっていくのです。 転換されるというのは、アダム時代に分立していた天使世界のカイン圏が、ようやくびっくり返ることによって、アベルが直接天使と連結される時代に入ったということです。これが二世なのです。ですから、二世はサタン世界の祝福圏を超えて、天の血族とならなければならないので、自分の名前も、昔の名前も忘れ、姓も忘れ、考えてもならず、国をも考えてはならないのです。韓国人だとか何だとか、そういうことも考えてはならないのです。 自分たちの両親は血統的な関係を結んで聖別されてきましたが、分別された立場で生まれてきた二世たちは、血統的な面でサタンと連結する何の因縁もあってはなりません。しかし、実際はそうではないのです。祝福家庭の二世の中には、ありとあらゆる子女がいるのです。 ですから、二世たちは一人の例外もなく清平に行って、四十日修練会を受ける間に霊的体験をし、自らを分別しなければなりません。それでも霊的体験ができず、自らを分別することができなければ、百二十日、六か月かかってもやり遂げなければなりません。学校が何ですか、就職が何ですか!認めません。一世たちは、例外なく行って、すべて溶鉱炉に入り、過去にあったすべてを燃やしてしまわなければなりません。そこには、どこそこの社長とか学者とかいったものはありません! 統一教会に属するすべての祝福された団体、これまで先生と因縁をもって連結された団体の中には、多くの祝福を受けた人々がいますが、彼らも例外なく清平の修練会を経なければなりません。ですから、二世たちと共に……。それで今日、何を宣布するのかというと、「成約時代」を宣布するのです。 「成約時代」とは何ですか? 成約というのは結婚することを意味するのです。旧約は何かというと、結婚に失敗したのです。二番目の新約は何かというと、結婚を新たにするために来たのです。新約がみ旨を果たせなかったので、成約時代へと延長されたのです。 「成約」とは何かというと、祝福を受けることを意味するのです。サタンの血統を全廃し、サタンとのいかなる因縁をもなくすのです。そこには民族という概念や、国家という概念はありません。完全にゼロの立場に立たなければなりません。創造するときには、あらゆる自然の万物が用いられたように、そこには何の概念もありません。ないのです。ゼロなのです。神様の創造のみ手、愛の因縁を通してつくられるその存在形態を通じてこそ、存在自体が、意識構造やすべての観念を受けるようになっているのです。 これが二世時代……、全世界の人々は、今後清平に来なければなりません。誰であろうと今後ここを経ない人たちは、祝福もしてあげられません。また、今まで祝福家庭のうちで、本然的基準に沿った行動がとれず、性的問題で絶対性を守れなかった人たちは、今後除去してしまわなければなりません。妻が除去し、夫が除去する時が来るのです。この世の何よりも恐れるべき器官であることを知らなければなりません。 この者たち! ありとあらゆる悪いことをして……、第三者とキスをすることは許しません。ありとあらゆることをしていると聞きました。一線を越えなければ罪ではないと言うのですか! この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれほど受難の道を歩んできたか知っているのですか!絶対性というものを、退屈しのぎに発表したとでも思っているのですか! ですから、「成約時代」を発表するのです。これまでは、そのような傷のある者たちは、祝福に加わることができませんでしたが、祝福をしてあげたのです。そのような者たちは、逆さ吊りにして皮を剥がなければなりません。昔は貞操を守れなかった寡婦は、すべて殴り殺されました。それ以上なのです。堕落は女性の方に問題があります。女性に、その道を守る一番の責任があるがゆえに、女性の節操ということが、よく言われるのです。 一世の時代はサタン時代なので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。女性という色、女性という姿には、本然の愛の心情をもてる絆など何一つありません。ぼろの糸にしてしまったのです。吹き飛んでしまうようになっているのです。愛を考えるのも嫌になっているのです。男性も女性もフリーセックスによって、愛がなくなってしまったのです。 神様が理想的愛を中心として、地上・天上の理念を完成しようとしていたことを、サタンが全権を通じて完全に破壊してしまったので、今や愛はなくなってしまったのです。愛がなくなってぽっかり浮いた中、再び地上に愛の種を授かり、接ぎ木というみ業によって愛の種を植え直すのです。 自分の全体を切り払い、真の父母の体と思想をそっくりそのまま授かって、接ぎ木した身で生きていかなければならないのです。接ぎ木した芽が完成するまでは、「自分」という概念はありません。接ぎ木して芽が出て、実が実ってこそ、ようやく「自分」という考えが始まるのです。自分の新しい概念、思想的な概念や良心的な概念をもつようになるのです。接ぎ木をして、自分が花咲き、実を結ぶまでは、「自分」ということを考えることができないのです。 これからは皆さんも同様です。国を越え、世界を越えていくときには、皆さんがあの世の天使世界を経なければなりません。百二十万の天使が待っているのです。それはイエス様の時代です。門を開けて入るのです。ですから、マルコの屋根裏部屋で祈り合った時に集まった百二十門徒が、この地に来て、イエス様が探すべき百二十国家の門を開けなければならない時なのです。その次に百六十、百六十ではなく百八十です。アダム時代に入っていくのです。アダム時代は神様が直接主管するので、すべてが分かります。みな通じるのです。その門を通過すべき準備を、今からしなければなりません。 「三億六千万双の祝福完成」と「サタン世界の血統断切」です。夢のような話です。それらが私たちの時代に可能となる版図、生涯を歩み、それらの前に忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たし、天国地上・天上天国を完結するというみ旨の生涯を歩んだというのは、貴い因縁であり、今この時は皆、その標準の前に脱落することのない、各自が立てるべき立場、各自が越えるべき家庭の標準を、築かなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園に帰ったならば、神様に直接主管される立場が許可されるのです。その立場は千差万別となることでしょう。そのためには、真の父母の伝統を受け継がなければなりません。それで訓読会を始めるのです。今まで真の父母が何をしてきたのか、全く知らずにいるのです! み言は聞いたけれども、汚れたことをしてきたのです。……六十年代の前から、ご父母様の聖婚式の前からみ言を語ってきたのですが、皆さんはすっかり忘れてしまいました。 その時を振りかえると、先生は生きるか死ぬかという生死の境をさまよっていくような時でした。行き場がありません。横にも行けず、前や後ろにも行けず、左右にも行けず……、ひたすら前進するしかありませんでした。前途にあるのは、銃と刀でした。銃と刀を越えてきたのです。「自分の家族が怨讐である」という言葉があるように、カトリックやキリスト教が、先生を打って捕まえようとしてきたのです。そればかりか、それに同調して全宗教と全人類、すべての万物までもが……。どれほど深刻であったことでしょうか! ですから、生きるか死ぬかという境地で語ったみ言なのです。 どうして、それほどまでに詳しく話してあげたのでしょうか? 死んでもみ言を残さなければならないという責任があったからです。そのみ言を聞くとき、気楽な立場で、今日のような場で、意味のある場で聞く、というものではありませんでした。それを知らなければなりません。死ぬか生きるかという判決において、天的な召命を受けた真の父母としての責任を完遂できずに行くとき、恨を残すのです。 イエス様が雲に乗ってくるのではなく、人として来るということを知らないのに、どうなりますか? すべてを明らかにしていかなければならないのです。後代の人々が、私がいなくてもこの道に従って来られるように、すべてを事細かに話してあげたのです。あの時には狂人の言葉と言われました。狂人の言葉を誰が信じますか? そのような立場でみ言を語つたのです。 ですから、そのようにみ言を語りながら宣布してきたのです。宣布式です。今日もこの「成約時代」を宣布するのです。ですから、サタンは穴を開けて入ってくることができません。このみ言に照らし合わせてみたとき、サタンが向こう側に立つていると、いうことを、あなたがたは知っているかというのです。サタンは宣布したその峠を越えることができません。最近になって「七・八節」、「天地父母天宙安息圏」を宣布しましたが、それがどんな宣布であるか知っていますか? 通りすがりの人が酒場で一杯やるような、そのようなものではありません! 生死の境をさまよいながら越えてきたのです。神様をこの地に迎えなければならないのです。 ですから、先生はそのように歩んできて、今や三億六千万双を前にし、「サタン世界の血統断切」という今までになかった峠を完全に越えていく、前夜祭のような立場で七十八歳の誕生を祝うという厳粛な場なのです。ですから、この日を期して、統一教会の父母を考えるとき、真の父母の生まれた日と生活、生涯を記憶する限り、成約時代の宣布をしたその内容を忘れてはならないのです。 成約時代の父母、成約時代の子女……。その父と母にとって、願いは他でもありません。神様のみ旨を受け継いで神様の息子になること、愛の天上天国の相続者になること以外にはないのです。 時代は今、成約時代です。これからは、皆さんは負債をつくってはなりません。負債があってはならないのです。そうではありませんか? 負債、負債、負債をつくって、越えていくことができますか? アダムとエバが祝福を受けて負債をつくったのですか? どうですか? これを清算するために、日本と韓国に指令を出したのです。遊びではありません。 今日は何の宣布式をしましたか? 成約時代を宣布しました。皆さんは成約時代の人々ですか? 成約時代の人々は、国を憂い、世界を憂う必要のない立場ではありません。先生は成約時代を越えましたが、皆さんは越えていません。死ぬか生きるかは先生にかかっています。好き勝手に行けないようになっているのです。そうではありませんか? では、誰を祭物として捧げなければならないのでしょうか? アベルという言葉を知っていますか? カインの世界の過ちに対しては、アベルが打たれなければなりません。今日から全祝福家庭は、蘇生圏、長成圏、完成圏、すべての結果主管圏内から直接主管圏内に連結されますが、皆さんは直接主管圏を越えていません。今、先生を中心として、ナイロンの糸でつながっているようなものです。 自分の重みがかかっているため、先生の速度が速ければすべて切れてしまいます。ついていけずに切れてしまいます。先生の前に出て、走っていけば切れることはありませんし、体に巻き付けて自分で調整できる能力があれば切れませんが、先生が走っていくその基準にどうしても合わせることができなければ切れてしまうのです。 すべての食口は今後、家庭全体の七年路程が残っているということを知らなければなりません。先生も七年路程を歩みました。世界舞台でですか? そうではありませんか? これからは学校であれ何であれ関係ありません。この者たち! 日本と韓国の統一教会の全食口は大移動です! 変化なのです。優劣を問わず皆……。それで、南米に土地を買おうとしたのですが、一年に二百万ヘクタール以上を買う計画が皆さんのせいでできませんでした! 何の話か分かりますか? 大移動です! これからは、先生はここに来ないかもしれません。エバ国家、アダム国家は必要ありません。アダム国家とエバ国家をかたづけてしまえと宣布しました。 ですから、日本を指してエバ国家と言ってはなりません。三週間前に宣布したのです。母の国家、父の国家は責任を果たせませんでした。先生がこれを宣布することで、先生が越えて立つのです。真の父母として立てられるのです。真の父母が世界の先頭に立っていかなければならないのです。ウルグアイを中心として今までやってきたことは、韓国を生かすための教育です。既に二十年前から準備してきました。南米の国家と北極は循環運動を共にするのです。 循環とは、上が下になり、下が上になることです。上がっていたものが下がり、下がっていたものが上がるのです。上が下に変わることができるので、そのような基盤を既に二十年前から築いてきたのです。(二八九-二九八、九八年二月二日) 世界指導者会議でのみ言 一九九八年二月三日(真のご父母様の御聖誕日の後日) 成約時代の宣布 「成約時代」を宣布したので、今後は自分の勝手にはできません。旧約時代・新約時代は過ぎ去りました。聖書が要求する基準に関係なく、私はそれ以上の立場に立ったのです。今まで聖書の旧約時代・新約時代にできなかったことは何かというと、心と体を一つにすることです。これからは、心と体を一つにしなければなりません。(1)真の父母と絶対一体圏の形成(2)三時代の中心形成 真の父母が、三時代の中心になられたので、皆さんも三時代の中心になったと考えなさい。三時代の代表であるという観念をもった立場に立てというのです。 先生が三時代の父ですから、皆さんもお父様と共に生きている限り、三時代の中心の立場にあるのです。ですから、そのような環境をつくりなさい。三時代の国家を代表し、三国を中心として生きなければなりません。上下の中心は三点です。左右の中心も三点です。前後の中心も三点です。それゆえに中心点なのです。三時代の中心圏に立ちなさい。上下の中心、左右の中心、前後の中心、三点の中心に立てというのです。それを話しているのです。 先生が過去・現在・未来の中心として、蕩減の道を歩んできたように、皆さんもそのような立場に立って、自らの蕩減の道を歩んで行かなければなりません。そのような真の父母を中心として一体にならなければならないがゆえに、そのような観念をもって、対処していかなければならないのです。(3)家庭を中心とした天宙代表家庭の形成 「家庭を中心とした天宙代表家庭の形成」です。皆さんの家庭は、一個人の家庭ではなく、天宙を代表した家庭です。なぜでしょうか? 真の父母がそのような立場にあり、皆さんが真の父母の真の子女の立場にあるので、そのような伝統を立てなければ中心に連結しません。家庭を中心とした天宙代表家庭の形成なのです。(4)総蕩減のための三時代祝福の基金完了 さきほど話したことですね? 家庭時代、国家時代なのです。教会祝福の基金も完了しなければなりませんが、国家が一つになる時が来れば、国家基準においては十倍以上、十二倍以上しなければなりません。それからのちには財産のすべて、息子と娘、すべてを捧げる思いをもって神様に仕えなければなりません。神様を追放しましたね? すべては原理的にしなければならないのです。先生が考え出してやっているのではありません。(5)家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真のご父母様に侍る生活を完成すること 真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従を成し、本然の神人愛一体理想圏を完成しなければなりません。神人愛は神様と真の父母と真の愛の一体圏をいいます。一体圏は理想的です。すべてが一つになっています。小さなものから大きなものまで、すべてが一体となっているので、地上天国に自動的に入って永存することができるのです。 今後、神様と真の父母に侍って生活することによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をし、本然の神人愛一体圏を完成しなければなりません。一体圏です。その枠を言うのです、枠です。 私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、本然の神人愛一体理想圏を完成すること。一体理想圏です。一体圏は一体理想に入っていかなければなりません。これが重要なのです。 ①成約時代、成約家庭の権威を誇ること。 ②個人・家庭・夫婦・子女・一族を誇ろう。 ③サタンの血統を清算し、統一天宙を完成すること。 ④私の家庭が、地上天国と天上天国を完成すること。 誰がやるのかというと、私たちがやるのではなく、私がやるのです。自分の地上天国と天上天国をつくらなければならないのです。本来、アダムとエバがそうではないですか?「家庭」とはアダムの代身なのです。 ⑤ 一体生活は、成約時代を中心として完成しなければならない。 一体生活とは永生を意味します。一体生活は成約時代に完成させなければならないのです。 ⑥神様と真の父母の真の愛で、万物愛、人類愛、神愛の一体関係を完成すること。 ⑦全宇宙を私たち家庭が解放し、平和と統一の世界を復帰して、地上天国と天上天国を完成すること。 さあ、これで終わりです。神様の祝福が、皆さんの家庭に永遠に共にありますように! アーメン! (二九〇-一二二、九八年二月三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.22
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「ご聖誕日」敬礼式後の御言1998年2月2日漢南国際研修院陰暦一月六日、ご聖誕日(お父様満七十八歳、お母様満五十五歳)の敬礼式後、世界の指導者に語られた御言。 二世は天の血族 二世たちは、清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結しなければなりません。アダムとエバが分けたものを連結させなければなりません。統一教会は今まで、肉的な基盤で、世の中で堕落したものを清算してきたのです。今後においては、この霊的な基準を連結させることのできる運動が、清平を中心として世界的運動になったことを知らなければならないのです。偶然に、このことをするのではありません。 清平に入って、自分たちが今までサタンの血統を通して汚したすべての事実を清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結しなければなりません。イエス様がこの地上に来ましたが、家庭的基準を築けなかったのです。 先生は今まで、アダムとイエス様が失敗したことを世界的立場で完結するみ業をしてきたのです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任だというのです。 そのようなことが、祝福家庭を中心として三家庭、三十六家庭から、今まで十二の峠を越えて、蘇生、長成、完成を越えて着地するのですが、頂上の基準の三千六百万双を越えたというのです。天がどれくらい忙しくそのような役事をしたか、その事実を知らなければならないのです。 もはや三億六千万双です。堕落することによってサタンを中心に立てたすべての血統を切ってしまい、今や、地上に着地することのできる三億六千万双の祝福をできる時代に入ってきたのです。もはや、雨が降ったとしても分水嶺のあちら側(登ってきた側)に倒れることはないのです。このようにこちら側に連結されるのです。 堕落して以後、今までは、神様は、堕落したすべての人類を愛したとしても、恩恵を与えたとしても、(カイン・アベルに)一緒に与えてきたのです。むしろ、アベル側よりもカイン側を祝福したのです。それゆえ、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史がここから転換されるのです。すべてのことが変えられるのです。 今まで、天使世界はアベル的基盤がなかったので、地上の人類をすべて利用してきたのです。これはサタンが主管する世界だったのです。堕落したアダム圈が、サタン圈内で支配される堕落圈に生きているのです。国家基準を越えられなかったので、霊界がサタン側、カイン側で、アベルを利用してきたのです。今からそれが転換されます。転換されるというのです。 そうすることによって、転換され得るものが何かと言えば、霊的世界で失ってしまった、アダム時代に分立された、天使世界のカイン圏が、初めて逆さまになる(復帰される)ことによって、アベルが直接天使と連結され得る時代に入ったというのです。これが二世だというのです。 二世はサタン世界の祝福圈を越えているのです。二世は天の血族なのです。ところが今まで、サタン世界の伝統的、習慣的すべての内容に、全部が汚されているのです。 二世は、昔の自分の名前も忘れてしまわなければならず、姓も忘れてしまわなければなりません。姓も考えてはならず、国も考えてはならないのです。韓国人だとか、何だとか、考えてはならないのです。彼ら(二世)の父母は、血統的に関係をもって姓をもってきました。二世自体は何かと言えば、分別された立場で生まれました。ですから、彼らは、血統的な面で、サタンと何ら因縁があってはならないはずなのに、そのようになっていないというのです。 今、二世の祝福家庭に、ありとあらゆる男・女がたくさんいます! これは五体バラバラに裂いてしまい、みな鷲の餌にしてしまわなければなりません。遊び事ではありません。分かりましたか、二世! (「はい! )。 二世は一人の例外もなく清平に入って、四十日で霊的体験ができず、自己分別できなければ、百二十日、六か月でも、みなこのみ業を行わなければなりません! 学校が何ですか! 就職が何ですか。 その他の一世たるすべての者たちは例外なく行って、みな溶鉱炉に入って、過去にあったすべてのものを焼いてしまわなければなりません。そこに社長も学者もありません。そうではないですか? 統一教会に属しているすべての祝福を受けた団体。今まで先生と因縁をもって連結された団体には多くの人がいますが、彼らも例外なく清平修練会を経なければなりません。 完全にゼロの立場に帰る それで、きょう、何を宣布するのかと言えば、成約時代を宣布するのです。成約時代です。 成約時代とは何でしょうか? 成約時代というのは結婚することを指すのです。約束です。旧約が何かと言えば、私たち人類の歴史上において、結婚に失敗したということです。二番目の、新約は何かと言えば、その結婚を新たにするために来たのです。新約時代に御旨が成し遂げられなかったので、この成約時代に延長されたのです。 成約時代とは何を指すのかと言えば、祝福を受けることを指すのです。サタンの血統を完全に撤廃してしまい、サタンと因縁をもった何らの内容もないというのです。そこには、民族感情だとか、国家というものはないのです。 完全にゼロの立場に帰らなければなりません。 創造するとき、自然の万物を使い創造したのと同じです。そこには何らのコンセプトも入っていません。ありません。ゼロです。神様の創造の手、愛の因縁を通してつくり出される存在の形態を通して、存在自体が、人を中心として意識構造すべてが、コンセプトをもつようになっているのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。 世界の人々は、今後、清平に入って、だれかれと言うことなく通過しなければならないのです。ここを経ない人は、今後、祝福もしてあげることができません。 また、今まで本然的基準の行動ができず、性的問題において「絶対性」を守れなかった人は、今後、すべてそれを抜き取ってしまうのです。自分の妻が抜いてしまい、夫が掘り出してしまう時が来るのです。そのような世の中で、何よりも恐ろしく思わなければならない器官であることを知らなければなりません。この者ども! ありとあらゆることをすべてして、どうのこうのと言っています。 第三者とキスするのを許すことはできません。そのような人はエデンにいません。ありとあらゆる行動をし尽くしているというではないですか? 線(一線)を越えなければ、罪ではないというのですか? この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれくらい受難の道を歩んできたか分かりますか? 「絶対性」を遊びで発表したと思いますか? そうして今、成約時代を発表するのです。分かりましたか? (「はい」)。 今までにそのような責めを受ける可能性のある人たちは全員、祝福に加わることはできず、そういう祝福家庭は徹底的に悔い改めなければなりません。昔、未亡人が赤ん坊を身ごもれば、たたき殺されたのです。それ以上だというのです。 堕落は女性が動機になりました。女性がです。女性がその道を守っていくことのできる第一の責任があるので、(韓国では)「女性は節操」(「女性は絶対に貞操を守らなければならない」という意味)と言うのです。 今まではサタンの世界であったので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。本然の愛の心情をもつ女性は一人もいないのです。 「愛」と言えば、全部、パッーンと飛んでいってしまうようになっています。フリーセックスによって、男性も、女性も、愛を考えるのも嫌になっているのです。愛がなくなってしまったというのです。 神様の理想愛を中心として地上・天上天国の理念を完成しようとしたものを、サタンの全権を通して、完全に破壊してしまったので、今は愛がなくなってしまったのです。愛がなくなったので、地上に愛の種を再び植えて、これを接ぎ木するみ業をするのです。(堕落人間に)愛の種を再び植えて、再び生まれるようにすることはできないのです。 自分全体を切ってしまって、真のご父母様の全体、(すなわち)体と思想をそのまま伝授されて、接ぎ木された木として生きなければならない時なのです。接ぎ木した芽が完成する時までは、自分の概念がないのです。自分の観念がありません。 接ぎ木して、芽が出て、ああだこうだと言う、自分の考えが生まれるのです。自分の新しい観念、思想的観念だとか、良心的観念をもつようになるのです。接ぎ木して、自分が花を咲かせ、実を結ぶまでは、自分で考えることはできないのです。分かりましたか、何の話か? (「はい」)。 ご父母様の伝統を相続させるための「訓読会」 今後、皆さんもそうです。国を越えて、世界へと越えていく時は、皆さん全員があの世(霊界)の天使世界を経なければなりません。百二十名の天使が待っています。その次に、イエス時代です。あの世の門を開けて入るのです。百二十門徒です。 それゆえ、マルコの屋根裏部屋に百二十門徒がいたように、イエスが占有する百二十個の国家の門を開かなければならない時だというのです。その次に百六十ではありません。百八十国家です。アダム時代に入るのです。アダム時代は神様が直接主管する時代なので、すべて分かります。すべて通じるのです。その門を経るべき準備を、今からしなければならないというのです。分かりましたか? (「はい」)。 南北統一が目の前に近づいてきています。南北統一さえでき、三億六千万双だけ完結して、彼らが一つになる日には、野党、与党、すべてがなくなります。国もすべてなくなるのです。理解できますか? 野党の党首の妻たちがすべて、神様の側の婦人になります。祝福家庭になるのです。それで、夫のすべての秘密を女性が話さなければなりません。女性は自分の夫を、天使を審判しなければならないのです。そのような時代が来るのです。何の話をしたのか、分かりましたか? 「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の」、何ですか? (「血統断切です」)。切断です。夢のような話です。 このことが私たちの時代に可能になり得るということを基準として、彼ら(世の中の人々)の前に忠孝の道理を果たし、聖人の道理、聖子の道理を果たして、初めて、天上・地上天国を完結させようという、意義ある生涯をもったということを貴く思わなければなりません。その時にすべて、標準の前に脱落することのない、各自が立てるべきその場所、各自が留まるべきその家庭、基台をつくらなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園で神様から直接祝福される場を許諾するのです。これをするために、ご父母様の伝統を相続させるために「訓読会」を始めたのです。分かりましたか? 今まで、父母の伝統を一つも分かりませんでした。御言は御言として、自分は糞のうじ虫のようなことをしていました。 六〇年代以前のその時の御言を読んでみれば、すべてきちんと話していました。 その時は、先生においては死ぬか、生きるか、という生死の境を歩んでいた時でした。行く所がありません。横にも行けず、後ろにも行けず、ただ前の道を行くしかありませんでした。前では、怨讐の銃や剣がねらっているのです。 「あなたの家の家族が怨讐」と言ったように、カトリック、プロテスタントがすべて、先生をたたきのめそうとしたのです。それだけでなく、それに同調して、すべての宗教、すべての人類、すべての万物まで、全部そのようなことをしたのです。ですから、生き残るか、死ぬか、というその境地で語った言葉なのです。 なぜ、そのように詳しく話したのでしょうか? 死んだとしても、御言を残していかなければならない責任があるのです。その御言を聞くには、平安な場において、きょうのような場で聞くのではありません。死ぬか、生きるか、天的召命を受けた父母としての責任を完成できずに逝く時、恨みを残すことになるのです。 イエス様が雲に乗って来ず、人として来ることが分からなければ、どのようになりますか? きれいにすべて教えてあげたのです。後代の人たちが、私がいなかったとしてもその道に従っていけるようにするために、詳しくすべて話してあげたのです。その時代においては、気が変になった人の話です。だれが信じますか? そのような立場で御言を語ってあげたのです。そのように御言を語りながら宣布してきたのです。きょうも、成約時代の宣布をするのです。 それゆえ、サタンは穴を開けて入ってくることはできません。「この御言に照らしてみるときに、あなたはこのような反対の立場のサタンであることを知っているのか?」と言う時、入ってこれないのです。宣布した峠を越えてくることはできないのです。 終末になり、「七・八節」、「天地父母」、何ですか? (「天宙安息日です」)。これが何かの遊びだと思いますか? 通り過ぎる旅人が居酒屋に行って、酔った勢いで言った言葉ではありません。生死の境を前にして闘ってきました。神様をこの地上にお迎えしなければなりません。それゆえ、そのようなことをするのです。 神様の御旨を継承する 先生は今、三億六千万双を前にして、それから、サタン世界の血統断切という、以前にはなかった峠を越えていく前夜祭のような立場で、七十八歳の誕生を祝う厳粛な日です。それゆえ、この日を期して、統一教会の父母を考える時に、父母の誕生日を覚えている限り、成約時代の宣布の内容を忘れるなというのです。分かりましたか? (「はい」)。 成約時代の父母、成約時代の子女です。赤ん坊を生んだそのお母さん・お父さんは、ただただ、神様の御旨を継承して、神様の息子になり、天国の愛の相続者、天上天国の相続者になることを願う心、それ以外には他の何もないのです。 出世だとか、何の大学だとか、何がどうしたとか、そういうものはないのです。そのような心をもって赤ん坊を育てなければならず、その息子・娘はそのような心で、サタン世界に侵犯されない立場に立たなければならないのです。それにもかかわらず、サタンの血族と因縁をもって、歴史的に汚された習慣性と血統がいまだに残っているというのです。 それゆえ、男性、女性を、すべて区別して育てなければなりません。男性と女性が同じ場所で勉強することはできません。 以前はサタン世界でも、そうではありませんでした。「男女七歳にして」何ですか? (「席を同じくせず」)。私たちの時代では何と言わなければなりませんか? 堕落の歴史が、どれほど途方もないものだったでしょうか。女、男というものが、一日にも一時間にもならない、瞬間の行動、それが億千万代の歴史を汚したという事実です。男、女がそれほど恐ろしいのです。 神様自身が牢屋の身となって、サタンの前に閉じ込められて微動だにできないのです。天の宝座まで、サタンの権限が侵犯したというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
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[23.05.21] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
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昨日(05/20)、ブログ『奇知外記』で多く読まれた記事アクセスについてです。注目されるのは過去記事、2015年9月日付の『[book]文鮮明評伝ー人類を愛した平和の聖者』(韓国語)を紹介したものでした。改めてリンクを下記に入れておきますので、関心のある方はお読みください。<新刊掘出し閲覧>文鮮明評伝ーー人類を愛した平和の聖者[Book] 文鮮明評伝―― 人類を愛した平和の聖者https://search.shopping.naver.com/book/catalog/32503845625<本の紹介>文鮮明、彼は誰なのか?時代の異端児であるかそれとも人類を愛した平和の聖者か?極と極の称賛と非難を一身に受ける世界人物、文鮮明、果たして人間としての彼の人生はどうだったの?- 最初に出版された文鮮明一代記 統一教会(世界平和統一家庭連合)教主文鮮明が2012年9月に聖和(他界)してから満3年が経った。生前の文鮮明の評価は両極端だった。これは韓国だけではなく、統一教が旺盛な活動をしている日本、米国、欧州、南米でも同じだ。文鮮明は1970年以降、日本の入国禁止令が下され、ヨーロッパの多くの国でも入国が禁止された。なぜ少なくない国で文鮮明の入国を禁止したか。 彼は生涯6回刑務所に収監されており、彼の言葉と言動はいつもマスコミの追跡対象となった。 6回の監獄生活にもかかわらず、彼はどのように企業、教育、芸術で驚異的な業績を遂げ、数多くの議論と非難にもかかわらず、光復後、韓国の新興宗教として初めて統一教を世界宗教に育てたのだろう? 文鮮明、その名前だけで - 彼の言葉のように - 世界はワイワイうるさくなる。なぜ、何が、どのような理由で、彼は常に議論の真ん中であったか彼のいくつかの言葉が彼をいんちき階層的に追い詰めて行き、彼のいくつかの教義が、キリスト教からの攻撃を受け、どのような行動が、1970年代以降、韓国と世界を騒がせたか。彼の名前を言う自体がなぜ冒涜とまで考えられているか統一教会に接したという理由だけで指弾を受ける理由は何ですか? この本は、1920年1月6日文鮮明の誕生から2012年9月3日に聖和(死去)するまで92年の間、彼が行なったすべてのもの、彼が主張していた教義、彼がしたスピーチ、彼が成し遂げた成果、彼が訪れたところ、彼は作った機関や団体、組織などを網羅して、取材して、探検し、綿密に分析した最初の本である。主観的立場と教義を徹底的に排撃しながら客観的資料で彼の行なったスピーチ、行動に基づいて、果たして文鮮明は、韓国と世界にどのような影響を及ぼしたかを綿密に探検した。<続きはリンク先にて>【中古】平和を愛する世界人として(単行本) 文 鮮明「1000円ポッキリ」「送料無料」「買い回り」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
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祝福と永生日付:一九九八年一月二十三日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場行事:四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会 世界人類は、終末期に生きています。今、世の中の家庭が壊れつつあり、父親と母親、そして子女たちが怨讐の関係になっています。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。真の愛がないからです。一番重要なことは、永生の問題が分からないからです。霊界があるか、ないかということを知らずにいるのです。 永生問題を知らなければならない理由 人間は間違いなく永生するということを知れば、他の人が「罪を犯せ」と言っても、犯さないでしょう。「自分のために生きよ」と言っても、そのようには生きないのです。これが分からなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければならないのです。 この永生問題と連結されなければ、社会の革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥るとすれば、誰もが「その場には行かない」と言うでしょう。しかし、永生問題、永遠の生命の問題というときは、環境的条件をすべて克服できるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっています。永生問題の概念さえ確立しておけば、そしてそれが事実であるという主観が立つようになれば、自分の息子、娘と家族を引っ張っていくのです。 今までの宗教は、そのような思想界を包括し、習慣性によって環境に編み込まれた現在の文化背景の根拠を、すべて消化させることができないのです。それはなぜでしょうか。永生という概念を確立できていないからです。キリスト教もそうです。 キリスト教も、今まで信仰してきたとしても、終わりの日になって環境が変われば変わるほど、すべてかき回されてしまうのです。なぜでしょうか。それは、永生という概念がないからです。 永生問題においては、自信がないというのです。神様がいるのかいないのか、分かりません。生命を懸けて、環境を越えていけるかという問題について見るとき、すべてそこに所属して四方を見回しながら、現在の生活の方便に従ってその道に陥りつつあるのです。 信仰の道というものが、今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるという信念さえもつようになれば、その人は放っておいてもいいのです。人は時間が立てば立つほど、四十歳を超えて五十歳を超えるほど、死ぬ日が近づいてくるために、永生の概念について深刻になります。 愛というものは、年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分からせれば、年を取るほど、だんだんと深刻になるのです。そのため、真の宗教理念だけが、今後、世界を料理できるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっているでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変わる環境を貫いて越えていくことができ、どのような所から悲喜劇が起こってこようとも、すべて問題にならないのです。 神様は、アダムとエバを真の愛の相対として造ったのではないでしょうか。それは間違いありません。そのように造ったのですから、真の愛の対象となって生きなければなりませんでした。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということさえ感じるようになれば、「この道を行ってはいけない」と言っても、行くようになっているのです。 そのため、生活するときにいつも力を注がなければならないことは、どのようにして永生の概念を確立するかということです。それさえ確立されれば、すべて終わるのです。これを確立するときにも、理論的にそれが的中し、ぴったりと当てはまるときに心に響きます。肉身と一番近い位置で一つになるのは青少年のときです。 十六歳以前は、堕落前の本性基準を一〇〇パーセント活用できるときです。十六歳以前はアダムとエバが堕落する前なので、本性基準が生きています。ですから、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。「その関係が、なぜ不可避なのだろうか」ということを分からせるために、永生概念を確立しなければならないのです。いつもこれを考えなければなりません。 一生と永生 皆様は、どれくらい生きると思いますか。「七、八十年は生きるだろう」と思うでしょう。その前には死ぬと思わないのです。皆様は欲張りです。自分は「八十歳で死ぬ」とか、「百歳になって死ぬだろう」と絶対に信じたとしても、あす死ぬか、きょう死ぬか、分からないのです。御飯を食べながら死ぬか、または今晩、靴を脱いで部屋に入り、寝ている途中で死ぬか、分かるでしょうか。皆様は、「ああ、私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という欲心をもっているでしょう。神様に保障されていますか。皆様はできるだけ短く、一年以内に死ぬものと考えてください。この短い期間に準備をすべてしなければなりません。そのような観念をもって、できるだけ短く見積もるほど良いのです。短く見積もるほど、損をしないのです。短い期間に正しく準備すれば、その内容が自分の永遠の生命の家を建てるのです。 それでは、その短い期間に神様を愛してみたでしょうか。神様と一つになって、神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい!」と言われます。人間の世界で暮らす間、すべての人の中で一人でも神様に紹介するために、二十四時間、精誠を尽くしてみなさいというのです。そのように生きて死ねば、永遠の生命の主体になるのです。 皆様は何歳まで生きてから逝きますか。神様の命令によって、すぐに死ぬ場に出ていくとすれば、どうしますか。だとすれば、何かを残さなければなりません。天が自分を褒めることのできる何かを残すべきなのですが、自信はありますか。寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しいというのです。心配しようにも、心配する暇がありません。 一生と永遠の問題ですが、その一生を短く見積もるほど、価値があるのです。他の人をどれほど愛するのか、人をどれほど愛する人になるのか、その次に、家庭をどれほど愛したのか、氏族をどれほど愛したのか、このように個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するのは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛するのは、全体を愛するための教材を愛することです。これをすれば、私たちの一生において絶対に損をしないので、この上なく知恵深い考えなのです。 永遠の生命を追求する人間 永遠の生命の世界を追求するのが信仰生活です。永遠の神様の愛を追求するのが信仰です。永遠の生命とともに永遠の愛と一致するために、神様の喜びと私の喜びが出会い、二つの喜びではなく一つの喜びとして感じられる結着点を求めていくのが信仰の道です。 ですから、信仰生活をする私たちの個体が、どれほど主体的愛と生命力をもって生きるかということが、何よりも重要な問題にならざるを得ません。私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、または真の愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれほどの価値をもっているかという問題が左右されるのです。そのため、私たち自身が、生命力と湧き出る真の愛の心をもって対人関係を結び、社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、それは停止、もしくは後退することなのです。 人は一生だけでなく、永生します。宗教は今まで、地球星からなくなることなく、文化背景と風習が異なるすべての環境を経てきながら、世界的な版図を拡大させてきました。人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。 人は、この時代においてのみ生きるのではなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い生涯ですが、生涯を限界として、そのままなくなるのではありません。その限界線を克服すれば、限界としていたこのすべての地球村の生活を越え、超然とした立場で生存し続けられるのです。そのような世界は厳然と実在しますが、ないとしても、今に至るまで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情して助けるためには、理論的にでも永生論を主張しなければならず、理論的にでも神様を中心とした理想国家の形態を推理しなければならないのです。そのような面からも宗教が必要です。 しかし、理論的に考えられた宗教理想という事実を知れば、誰が満足を感じるでしょうか。「ある!」と断定できなければなりません。「ある!」というのは、自分が定めるのではありません。「ある!」というのは、創造の初めから定められているのです。根本から「そうだ!」と言えるところまで明らかにしなければならないのです。ですから、皆様の永生問題とともに、宗教問題を中心として、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されているのです。 永生しなければならない理由 神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。 人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。 今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。 人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。 それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。水生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。 それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。 私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性稟をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。 ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。 創造主の永遠な真の愛の相対 永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。 その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。 大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永世論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。 神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ=万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。 永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。 真の愛によってのみ救いが可能 今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。 では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。 皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱(いかりつな)をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎなぱ物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。 永生に必要な観念 私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。 永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。 「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。 真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。 絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。 真の愛と直結した永生 そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。 皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。 真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。 自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。 神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。 皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。 神様、永生、真の愛を知らなければならない 第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。 これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。 その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド・ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。 なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七~三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。 第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。 なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。 真の愛と関係を結んだ死後の世界 神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。 それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。 私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。 神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。 真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ! 私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。 天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。 それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。 今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。 それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。 今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。 夫婦の霊人体 私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。 このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。 それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殻は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殻はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。 ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。 なぜ結婚しなければならないのか 皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。 第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。 ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。 祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう! ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.20
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Web説教「道は拓かれる ~絶対信仰・絶対愛・絶対服従~」2023/05/17 #世界平和統一家庭連合 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「道は拓かれる ~絶対信仰・絶対愛・絶対服従~」説教者:柴沼邦彦初期のキリスト教徒は、ローマから多くの迫害を受けました。ローマの人たちは、イエスが語られた言葉の真意が何かを問わず、表面的にだけとらえて批判していました。しかし、最終的にローマ帝国はキリスト教を国教と認めるようになりました。それは、イエス様と一体となるような生活を成すため、イエス様のみ言に絶対信仰を立てていったからです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.20
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第十五回「愛勝日」での御言1998年1月2日第十五回「愛勝日」の記念式典がウルグアイのプンタ・デル・エステで行われました。『御旨と世界』の「愛勝日の必要性」を拝読の後、お父様が御言を語られました。 家庭を第一とする時代が来る 皆さんは「愛勝日」という言葉を今までよく分かりませんでした。今、十五年になりましたが、この「愛勝日」が何を意味するか知らなければなりません。皆さんが霊的生活をするうえで、霊界と地上世界の関係で、橋をつくらなければなりませんが、橋をつくることのできる核が「愛勝日」であったということを分からなかったのです。 世の中は遊び、食べ、踊りを踊っていても、私たちは愛の種を植えなければならないのです。その愛の種とは何ですか?。終わりの日の「祝福」をいうのです。分かりましたか? 愛の種ですが、一つ(個人)の種ではありません。家庭的種を植えるというのです。堕落は個人で堕落したのではありません。個人的な立場で堕落して、家庭が堕落したのです。家庭が堕落したので、家庭の種がなくなったのです。ですから、私たちは家庭の種を植えなければならないということを知らなければなりません。 家庭の種を植えることによって、そのような家庭の上に国が生まれるようになります。個人の上には国が生まれることができません。分かりますか?。個人の上には国を立てることができないというのです。それゆえ、人はだれもが家庭をもたなければならないし、結婚をしなければならないのです。 今、アメリカのような国は個人主義になって、結婚というものがありません。法的結婚だとか言っています。そのような因縁の中で生まれた息子・娘たちに責任をもつ、お父さんも、お母さんもいないというのです。このような悲惨な立場です。 このように、すべての家庭が破壊される時代なのです。これはサタンが種を植え、天の家庭を破壊したのです。天の家庭を全滅させる業をしたので、私たちはこれを知っている限り、反対に、神様を中心とした愛の種である家庭を植えることによって、このすべての世界を全部引っ繰り返すのです。 それゆえ、今からは個人的な出世時代が過ぎ去ります。今後、三億六千万双を完成した後に、私たち統一教会を考えるなと言っても、世界は自動的に方向が横に曲がるようになっています。すべてが家庭理想、氏族理想に向かうようになります。 今後、家庭を第一とする時代が来ます。三億六千万双をして、私たち統一教会の祝福家庭が、すべての世界の複雑な問題を解決するようになるでしょう。個人的な難問題、家庭的な難問題、あるいは社会、国家的な難問題、世界的な難問題を根こそぎ引っ繰り返す、根こそぎ解決する方法が、愛の種を植えること、祝福家庭を定着させることなのです。 そのような社会は今後、家庭を主として責任を負う時代に移行するというのです。いくら男性が優れているとしても、その家庭が不足であるときは、足らないその基準が優れた男性の点数を削って、中心の立場の責任を果たすことのできない時が来ます。家庭任命時代が来るというのです。 例を挙げれば、一企業の社長になるというときには、一人で社長になるのではなく、家庭的社長だというのです。それゆえ、夫が社長になれば、夫人は副社長にならなければならないのです。社長となり、副社長となり、重要な息子たちが専務となり、そして息子・娘が多ければ、各部の部長になり得る時代になるというのです。分かりましたか?。 家庭が一つの出世の中心モデルになる時が来ます。それゆえ、その社会では、家庭を重要視せざるを得ない環境時代となってくるのです。赤ん坊から、あるいは少年時代から、青年時代、壮年時代、老年時代、死ぬときまで、家庭を重要視するのです。家庭がどれほど重要かを知らなければなりません。 今、この世で出世するためには「勉強しろ、学校に行け」と言うのです。「勉強しろ、勉強しろ」と言うのです。しかし、いくら勉強をよくしても、その家庭に欠陥があるときには、中心の立場に立つことはできません。分かりますか? 今後、統一教会でもそうです。皆さん、祝福を受けた後に、「家庭の伝統がどうであったか」ということが問題になるのです。今後、三億六千万双を越え、家庭認定時代に入っていくときには、皆さんが今まで歩んできた家庭の記録において、何点の家庭の歴史をもったか、という統計を出すのです。そのような世界に移行することを知らなければなりません。家庭が問題です。 家庭生活報告を書かなければならない 今日、祝福を受け、祝福基金を捧げずに暮らしている人がいるというのです。そこには、祝福のために払われてきた犠牲に対する蕩減的内容も含まれていることを知らなければなりません。それは今、問題になるのではなく、その時になって問題になります。その息子・娘、後孫にまで問題になります。これ以上、恐ろしいことはありません。 天が創世以後に、家庭として定着した天の家庭、アダム家庭完成を、万民を中心として普遍化させるために、メシヤ家庭を中心として、その同じ基準に立ててあげようというのです。 メシヤがどれほど苦労しましたか。再臨時代において、どれほど苦労しましたか。その苦労の歴史を中心として結実した家庭を相続するためには、種となるべき家庭も同じでなければならないというのです。先生は一つの家庭ですが、祝福された家庭は、種を植えたのと同じなので、価値で見ればイコールなのです。分かりますか? 祝福基金を出さず、天が制定したすべての公的基金を支払わずに、メシヤとなり、中心者となることはできないというのです。これをはっきり知らなければなりません。 韓国は先生一人です。今まで韓国全部が反対しました。先生、一人なのです。日本もお母様の代身です。お母様も一人です。お母様の代身となることのできる自分の信仰的な家庭をもたなければ、母の国の家庭になれないのです。全日本民族は、お母様を代身した立場に立たなければなりません。 母から連結されたので、母を中心として息子・娘を生み始めるのです。愛の種はお父さんにもらいましたが、これを育てる畑はお母さんです。それゆえ、お母さんという畑を通して、種が実を結ぶのです。分かりますか?。お父さんを通して種が実を結ぶのではありません。お母さんという畑を通して種が実を結ぶのです。お父さんの種をもらい、生命それ自体がお母さんという畑を通して、息子・娘として完成するのです。ご父母様のような家庭を、皆さんがつくらなければならないのです。そのために、世界に広がっていき、そのようなことをしているのです。 ですから、世界に出ていって伝道し責任を負う人たちは、公的な任命の義務を果たせなければ、行って、何もできないというのです。 このようなすべてを皆さんが世界的大転換時代において、整備しなければならない時が来ます。それゆえ、皆さん各自が自叙伝を書かなければなりません。言い換えれば、自分の生涯の報告です。 また次に、祝福を受け、家庭生活の報告を書かなければなりません。自叙伝と同様に、家庭を中心として記録して、天の前に飛翔する時、霊界が見て、数多くの天軍天使が見て、数多くの善なる選民たちが見て、正しいものだと公認を受けなければなりません。 もし、誤って書いて霊界に行ってしまえば、大変なことになります。霊界に行ってしまえば調整する道がありません。この峠を越えた後には、帰ってくることができないのです。 ですから、率直にそれをすべて整備して、自分の良心だけでも陰のないよう、「隠し立てなく記録したものだ」と主張したものを、地が公認しなければならないのです。地で生きた皆さんの先祖たちがみな、行っているのです。それを見なければならないし、次には、天使世界、天の世界で、すべて「そうだ」という公認を受けなければならないのです。 そうでなくては、霊界に行けば問題になるのです。そのまま霊界に行ったならば、行けば行くほど、その後孫たちが福を受けるのではなく、行く道がだんだん狭くなり、地に下りていかなければならないのです。 また、発覚すれば、瞬時に除去されます。霊界に行って、そのような結果をもたらすというのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。 祭物を捧げる よく理解しなさい。皆さんの体を捧げ、家庭を捧げ、その家庭にぶらさがった国までも捧げて、祭物を捧げようと言わなければなりません。それを分けてはなりません。全部、一度に捧げなければならないのです。 一昨日(元旦)話しましたが、旧約時代は万物祭物時代、万物を犠牲にして血を流して、神様の息子・娘たちが行くことのできる道を築いたのであり、キリスト教とユダヤ教が信じなかったことによって、基盤がないために、神様の息子、イエスを半分に割いたのです。割くとは、右側の強盗と左側の強盗でもって、イエスの体を分けたということです。これを統一しなければならないのです。それゆえ、再臨の時代において、十字架に行ったイエスを復活させるためには、共産世界と民主世界を一つにしなければなりません。分かりましたか?。 子供が全部、犠牲になったのは、イエス様が犠牲になったのは、ご父母様が行くことのできる道を築くためなのです。その道を築くのに、必ず、キリスト教がカトリックと新教に分かれるようになっています。カイン・アベルです。分かれた教会が一つにならなければならないのです。血を流してはいけません。統一されなければならないのです。いつかは統一されなければなりません。その統一基盤の上に、真の父母が立つのです。英・米・仏がその統一基盤なのです。 英国はエバ国家であり、米がアベル国家、仏はカイン国家なのです。これは原理的です。先生が合わせたのではありません。ちょうどそのようになっているのです。 英・米・仏を中心として、サタン圏内に失ったものを取り戻してくるので、メシヤは英・米・仏を占有しなければならないのです。ところが、これらが反対したので、完全に壊れていくのです。 一九四五年以後、第二次世界大戦以後、キリスト教が受け入れていたなら、エバ、カイン、アベルと一つになるのですが、これが一つになれずに失ってしまったのです。それゆえ、主は韓国に来ましたが、基盤をすべて失ってしまったのです。その基盤を求める目的とは何でしょうか?。エバ国家を復帰しなければならないのです。エバ国家とアベル国家とカイン国家です。これを復帰しなければならないのです。それを失ってしまったので、先生が復帰しなければなりません。復帰しておかなくては、越えていくことができません。分かりましたか?。これをはっきり知らなければなりません。 先生がなぜこのようなことをしなければならないのかといえば、失ったものを復帰しなければならないからです。第二次世界大戦以後には、連合軍と枢軸国が一つになったのです。イエス様の体が分かれて、ローマに行ったのが反対に回るのです。反対に回っていくのです。 本来はユダヤ教の延長がキリスト教であり、キリスト教自体はアジアから起こらなければならないのです。仏教だとか、儒教だとか、ゾロアスター教だとかいう宗教版図圏にイスラエルの国が連結されなければならないのです。その時のイスラエルは、宗教圏を中心として、今日の韓国と同じ立場です。 今、世界圏を中心として、イエス様時代の宗教圏と同じようになっているというのです。周辺の国家は三大天使長です。中国はアジアの天使長、ソ連はサタン世界の天使長、それから、アメリカは天の国の天使長。この三つの争いが起こりました。 イエスの前の天使長の国がローマでした。ローマは刃物をもってイエスを殺そうとしましたが、アメリカはキリスト教文化圏なので、来られる再臨主さえ分かれば、くるっと回るのです。それらのことを代わりに蕩減復帰しなければならないので、先生がアメリカに来て、これを連結しました。 アメリカに来て、やったことが何かと言えば、荒野に追われて韓国上陸作戦をしたのです。イスラエルの国が失敗したのを、二十年間を中心として、韓国をその立場に引っ張り上げるのです。 アメリカはキリスト教文化圏です。アメリカは世界版図になっているので、国と世界のキリスト教を連結するために、韓国を離れ、七二年からアメリカに来て、連結させるのです。霊肉を中心としたユダヤ教圏、キリスト教の基盤を連結させることによって、キリスト教とユダヤ教が一つになるのです。 ところが、アメリカが先導して、統一教会に反対したのです。先生としては怨讐です。怨讐を愛さなければならないのです。怨讐の立場に立ったものを消化しなければならないというのです。 先生にとって一番の怨讐はキリスト教であり、キリスト教の先頭に立って反対したのがアメリカだというのです。先生の行くべき道を完全に駄目にしてしまったのです。四十年間、受難の道に追い込んだ怨讐だというのです。この怨讐の国を占有していくのです。 先生と日本も怨讐なのです。ドイツとも怨讐です。全部、怨讐国家です。アダムとエバも怨讐であり、カインとアベルも怨讐なのです。全部が怨讐です。 この怨讐の国を、天が愛することのできる本然の立場に引っ張り上げなくては、復帰ができません。ですから、ユダヤ教圏内からイエスを追い出したその基盤を取り戻し、イエス様が追われたものを再び復帰するためには、キリスト教文化圏を連結させなければならないのです。分かりましたか?。 キリスト教文化圏の中心はだれでしょうか?。第二次世界大戦後に、世界覇権をつかんだキリスト教の勝利の全体主管国家がアメリカです。アメリカさえ反対しなかったなら、統一教会に無条件に反対せず、梨花女子大だとか紹介していたなら、問題にならないというのです。アメリカと一つになっていたなら、アメリカが怨讐になりません。その時、アメリカが原理さえ受け入れれば、祝福を受けるようになっています。祝福を受け入れれば、世界が一つになるのです。ところが、反対したので、全部が怨讐になりました。 日本の人とも、韓国の人とも怨讐です。アダムとエバが堕落してから怨讐になったのと同様に、日本と韓国は怨讐です。また、日本自体を見るとき、アメリカとも怨讐であり、韓国とも怨讐です。そうでないのはドイツです。ドイツはカインのやからです。ですから、日本を愛して、ドイツまで愛で包括しなければなりません。 日本を通して世界に通じる道 では、摂理から見るとき、英・米・仏の国が反対し、失ったので、これに代わって立てたのが何でしょうか?。サタンが一番好きだったものを、天が一番好むという条件を立てるのです。そうでなくては復帰ができません。サタンは英・米・仏をつかんだのです。エバ国家、アベル国家、カイン国家を中心として戦って、第二次世界大戦でサタンが負けました。 ところが、英・米・仏が反対することによって、打ち勝ったという英・米・仏をサタンがしっかりとつかむのです。すり替えるというのです。ですから、英・米・仏を中心として連結させようとしたものを、反対することによって、サタン圏に移ったので、先生は反対の立場に行くのです。何もないというのです。復帰の基盤がありません。勝利の基盤を失ったと同じ立場にあるので、これを取り戻さなければならないのです。 天はどこで探さなければならないでしょうか?。サタンはアメリカを中心として英国と一つになっています。上をサタンがつかんでいるので、サタンのしっぽを天がつかむのです。廃虚となった日本、廃虚となったドイツをつかむのです。何もありません。第二次世界大戦にサタンが使った最高の基準です。サタンが誇っていたものです。サタンは天のものをもったので、二つはもてません。それゆえ、あちらがカインの立場に立つと、残りのこちらはアベルの立場に選んで立てることができるのです。 ですから、先生は国がありません。追われたのです。世界をすべて失ってしまいました。数千年間の神様の摂理を通して、英・米・仏を中心とした勝利圏というものを立てたのに、すべてを失ってしまったというのです。アダムとエバの家庭が堕落したのとは比較にならないのです。何の話か分かりますか?。 神様がそのような膨大な被害を受けた、その価値を取り戻すために代わりに立てたのが日本です。先生も追われました。荒野に出て、求めるべき道は何かと言えば、英国の代わりに立てた日本です。ちょうど内容が同じです。 日本文化というのは、英国の文化をもってきたものです。ちょうど同じです。イタリアのもの、ドイツのものをもってきたのです。法はイタリアのもの、軍隊はドイツのものと、西欧社会のキリスト教文化をすっかりもってきて、日本に立てたのです。こうして、アジアにおいて神様が摂理するものに反対できるようにして、アジアに対峙して、怨讐の国として立つのです。そうして、韓国を占領して、アジアを中心として、日本、サタン側のエバ国家を通して、一番近い韓半島を通して、中国と中東まで入っていくのです。神様の御旨がアジアに訪れることを知っているのです。 ローマからキリスト教文明が始まって、血を流しながら反対の歴史路程を経てきて、峠を越えて、今、アジアに帰ってくるのです。もう、出会うべき時が来るのです。 それゆえ、アメリカを中心としてアジアを求め、再び連合させることが起こるので、太平洋文明圏というものが現れるのです。アジア文明圏時代というものが現れるのです。ローマを中心として、教皇庁ができたのと同様に、ちょうどローマのような地形の半島がなければなりません。太平洋文化圏時代においてローマと同様の半島が韓国です。 太平洋を中心として、防御線をつくっておいたものが日本だというのです。日本を見れば、北海道と本州と九州と四国、四つです。これは海に四つの島があるので、海峡は三つと同じなのです。そのように分かれています。 それが何かというと、日本が韓国を包囲していますが、日本を通して世界に通じることのできる道が開かれているというのです。地中海はローマを中心として包囲されています。これは男性と女性が愛し合う関係とちょうど同じです。ですから、ここからポルトガルを中心として、英国との関係を中心として、海洋開拓時代が来るのです。海洋と連結されるので、海洋文化圏を中心として世界を制覇するのです。海の権限をもたなければ、世界を制覇できません。後には空中まで握らなければならないのです。アメリカはそのような神様の祝福を受けたのです。 日本にあるこれらの島は島ではありますが、これは道です。復帰摂理で見れば、四系列を通じた三段階の御旨を立ててくるという意味もあるというのです。一人で母にはなれません。 エバがアダムを何度殺したかといえば、エバはアダムを殺したし、それからイエスが来たとき、新婦になれずにイエスを殺してしまったし、再臨時代に来て、再臨主を受け入れられなかったことによって、殺してしまったのです。これは何を意味しているかというと、母になっても、世界的なすべての人類を消化し得る責任を果たさなければならないというのです。そのような分かれた愛を受け継いでおかなければならないというのです。何の話か分かりますか?。そのようにして、日本が韓国を保護するのです。 それゆえ、摂理がそうです。韓国はみな、無力になりました。日本とアメリカはエバ国家と天使長国家です。彼らが韓国を保護しなければなりません。 エバ国家とアメリカが怨讐です。ドイツも怨讐だというのです。また、先生とエバ国家が怨讐です。この四つの国が全部怨讐です。アメリカも怨讐です。このキリスト教の中心国家であるアメリカを失ってしまったので、サタンから再び取り戻そうとするには、イスラエルの国の権限をもたなければなりません。 イスラエル国の韓国で二十年間蕩減復帰し、二十年間キリスト教文化圏世界にやって来て、苦難を受けながら連結させたものが四十年歴史だということを知らなければなりません。 ですから、追い出された立場からアメリカで勝利の足場を築き、韓国で勝利の基盤を築いて、イスラエルの基盤の上にイエスを受け入れることのできる基盤をつくらなければならないというのです。再臨的実体がアメリカに来て、分かれたものを実体圏として一つにしなければならないというのです。 アメリカに来て怨讐の国の王になることのできるその方が先生と一つになっていれば、アメリカ自体が一気に連結されるのです。そのようになったなら、先生の受難の道はありません。 一九四五年から七年、一九五二年までキリスト教と一つになって、地上天国を築こうとしたというのです。祝福を完成しようとしたものが失われてしまったので、先生が再び取り戻してくるために、エバ国家が必要であり、アベル国家が必要であり、カイン国家が必要であり、アダム国家がなければなりません。韓国が先生と一つになればすべて終わるのです。 世界の福が韓国に着地できる時代 このような複雑な内容を話す時間がありません。簡単に話せば、先生が英・米・仏を中心として統一世界をなそうとしたのです。統一世界は家庭を中心として大転換するのです。家庭の種を完全に守って、その種の上に天の国を建国しようとしたのを失ってしまったので、先生が荒野へと追い出されました。 そうして、再び上陸作戦をするためには、韓国の神霊的な人たち、霊界に通じる婦人たちを中心として連結されるのです。エバ国家を失ってしまったので、エバから直接収拾するのです。このようにして、上がるには学生たちを中心として幼子から教育するのです。幼稚園教育、小学校教育、このようにしていくのです。 中高等学校の学生たちが統一教会を開拓したのです。統一教会の指導者たちは、弁当を食べて統一教会を開拓しました。大人たちは反対するのです。完全に怨讐です。おじいさんも母親も父親もお兄さんまで、三代が反対するのです。 ですから、全部追い出されて、ご飯を食べさせてくれたのはアベル的なカインの息子・娘でした。彼らは飢えながら神様に侍ったのです。それがすべて復帰歴史です。若い青年たちがそのようにしたのです。十六歳前まではサタンが干渉できないのです。ですから、全国的にどこに行くにせよ、中高等学生たちが御言さえ聞けば、全部、火がつくようになっています。このようにして、貧しく暮らす教会の者たちに、中高等学生が弁当を持っていってあげて、それを食べて統一教会を発展させたというのです。 摂理的な歴史は、そのような内容を通して連結されてきたのです。それゆえ、失ってしまったものを再び取り戻さなければならないので、先生が英・米・仏の代わりに選んで立てたのです。サタンが戦争で使って残った故障した武器と同じです。全部、病身になったのです。全部、灰の山になったその国を中心として摂理したのです。日本をエバ国家として選びました。悲惨なものです。その次にアメリカをアベル国家に立てました。 なぜ、怨讐の国なのに、アメリカをアベル国家に立てたのでしょうか?。これを立てなければ、ユダヤ教とキリスト教が折れていきます。ユダヤ教は旧約時代であり、キリスト教のアメリカは新約時代なのです。完成の成約時代というのは、ユダヤ教とキリスト教、旧約、新約を土台としなければなりません。そうしてこそ、初めて完成するのです。それを外すことはできません。泣きながら、からしを食べたのと同じです。アメリカを再び生かさなければならないのです。ですから、アメリカに来て二十年間、そのみ業をしたのです。 日本も怨讐です。ドイツも怨讐です。怨讐同士、やって来て、アメリカの解放圏を築いたのです。これは歴史にないことです。これを皆さんがよく知らなければなりません。 人類歴史の中で、怨讐になった国同士、怨讐の中心国であるアメリカを救ってあげるために、新しい伝統文化の基盤を築くものが、アメリカに対する先生の二十余年の活動です。 日本を英国の代わりに先生が選んだのです。英国自体は霊的なキリスト教の結実で、第二次世界大戦で枢軸国である日・独・伊に勝利したのです。イエスの体を失ってから二千年たって実ったのです。イエスの体を東洋を中心としてくっつけるのです。一つになったものを失ってしまったので、エバ国家は共産党だとか、民主世界を生み直さなければならないのです。 日本はどのような犠牲を払ったとしても、自由世界においてはアメリカを失ってはなりません。ソ連を消化しなければならず、アメリカを消化しなければなりません。何をもって?。母親の愛です。 日本はアメリカの恩恵をありがたく思わなければなりません。共産党はカインです。そうだと言って、日本自体が共産党を憎んではなりません。二つとも愛さなければなりません。アメリカを擁護して共産党を自然屈服させなければならないのが、エバ国家日本だということを知らなければなりません。その基盤を世界的に築こうとするので、再び生むみ業をするのです。祝福してすべて生むのです。 南米はカトリック国家です。アメリカはアベルであり、南米はカイン国家です。これを一つにするために、ここに来てそのみ業をしたのです。今後、南北米の文化圏を一つにしなければならないのです。 北米のプロテスタントが先生と一つになって、怨讐視してきた南米に入ってきて一つになる運動をするのです。これは一つになるようになっているというのです。反対するようになっていないのです。 それゆえ、先生を中心としてユダヤ教を一つに、アメリカを中心としてプロテスタントを一つに、それから、南米を中心としてカトリックを合わせて、キリスト教文化圏が統一されるのです。これを一つにして世界の宗教圏と連結しようとするのです。 今回の祝福はそれです。南北米のキリスト教文化圏が一つになって、その次には仏教圏と一つになって、三六〇万双から三六〇〇万双まで越えたというのです。それゆえ、宗教圏を連合したというのです。 カイン・アベルが一つになりましたから、父母と一つになるのです。そうすれば、すべて終わるのです。ですから、摂理的に見るとき、家庭を中心として世界の峠を越えていくのです。 今後、宗教世界が一つにさえなれば、世界が一つになるのです。目の前にすべて来ているというのです。ダイナマイト装置を仕掛けておいたので、ひもだけ連結しておいて、火がつきさえすれば、爆発するようになっているのです。以後の爆発作戦が三億六千万双のサタン血統断切すればすべて終わるのです。摂理史的複雑な内容がすべて終わることができるようになるのです。 ですから、先生が一人になって、失ってしまったエバ国家を取り戻さなければならず、その次にはアベル国家を取り戻さなければならず、その次にはカイン国家を取り戻さなければならないのです。 このような時に、韓国があのようになったというのです。反対していたことに対して蕩減を受けなければなりません。国が飛んでいかなければならないというのです。今からどのようにしなければならないのかと言えば、日本とアメリカとドイツが合わさって韓国を救ってあげなければ、この民主世界は、全部、飛んでいくのです。 韓国を助ける運動をすれば、あらゆる世界の福が韓国に着地できる時代になります。日本だとか、アメリカだとか、ドイツも経済的に問題になるというのです。これを協助することによって、世界全体は、韓国を中心として先生と一つになることのできる時代、祖国光復とともに世界は統一世界になり、地上・天上天国である解放圏が訪れるのです。アーメン (「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.19
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復帰の完成のための心情を尋ね求めて1998年1月1日、第31回「真の神の日」午前零時の御言祝祷 愛するお父様 今、この時間は、一九九八年の元旦を迎える最初の時間であり、正にたった今、一九九七年を送り、新しい元旦を迎えました。これからなされる新年のすべての計画が、あなたの心情の世界にあって中心となっている万国の家庭解放に連結され、この年が、そのために私たちが前進すべき、天に侍っていくことのできる年となりますように。そのような新年の元旦を迎えるようになったことを感謝申し上げます。 昨年は、四千万双の祝福の主管を成就することによって、三百六十万双の上に三千六百万双の長成的勝利の基準を連結させましたので、もはや、きょうから残された三億六千万双に向かって、全世界の人類の家庭を神様の創造理想である絶対「性」を中心として、絶対愛を中心とした夫婦の因縁を中心として進んでいくことができますように。 定着すべき家庭理想を失ったまま、数多くの歴史過程を経て、宗教時代を束ねるために旧約時代、新約時代、成約時代を経てきながら、最後の本然の家庭基準を再び復帰する蕩減の道を経て、再創造の過程を収拾してこられた歴史的お父様のご苦労の前に、万民は恐れ多く、申し訳のない過ぎし日の足りなさの許しを請わざるを得ません。 真の父母をこの地上に顕現させるための数千万年の受難の闘争の上に、この混乱した世界に真の父母を送られました。 キリスト教文化圏の勝利を中心とした一九四五年、第二次世界大戦以後にエバ国家型、アベル国家型、カイン国家型の霊的な国家を代表すると同時に、外的なエバ国家型、カイン・アベル国家型を対峙させて勝利の基盤を築くことによって、イエス・キリストの霊肉分立した土台の上に、第三アダムが来られました。 そしてこれを総蕩減して、家庭的世界の出発をなそうとしましたが、旧教と新教が一つになることができず、キリスト教が反対することによって、統一教会という教団を立てて、これを収拾するための四十余年の歴史を費やしました。 それは、天のつらい歴史であり、この地上に、何も知らない人類の前に送られた真の父母としては、あなたのみ旨の前に想像もしなかった、この行くべき受難の道が生まれるようになったその悲しみの日を迎え、神様の悲しみと、この地上で責任遂行を成すべきご父母様の悲しみが、四十二年前にこの地上に展開されました。 韓国を中心として、日本を中心として、アメリカを中心として、ドイツを中心として百八十五か国に勝利の版図を開拓してくる時まで、どれほど大変であったかという事実を、この息子はあまりにもよく知っております。 今日のこのような勝利の足掛かりをもって、三百六十万双の世界的な家庭分水嶺である三千六百万双を越え、三億六千万双を中心とした人類解放圏の同一的アダム家庭完成の祝福の時代を、共に受けることのできる天の父母と地の父母の苦労の功績を通して、これを人類の前に連結させることができるように許してくださった恩賜に感謝いたします。 今、この九八年を中心として、人類を中心とした途方もない救道の終着点を打つためには、今や三億六千万双の祝福とともに、サタン世界の血統断切というあなたの救援摂理史の最終的な願いを解決してさしあげられる恨の峠を越えていくべき、宿命的課題を成就させ得る道に向かって前進しようと願うものです。 今まで協助してくださった霊界、神様を中心として天使世界の代身となり得る兄の立場にある先祖たちが完全に一つとなって、地上再臨することのできる安息圏宣布によって、地上にあなたが顕現なさって、歴史以来の堕落の恨みを完全に解消、蕩減することのできる全体、全般、全権、全能の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 今日、統一教会の真の父母を中心として、心情的因縁を連結させて祝福を受けたすべての家庭は、一心同体となって、天が願われる絶対的信仰と絶対的愛と絶対的服従の心を持ち、主体の前に完全に対象となり、天が願われるとおり、勝利の天国を地上世界、天上世界に形成できるよう祝福してください。 きょう、このような日を迎え、この海辺に、この南米すべてを中心とした地域の中心であるここを訪ねて、きょう、三十周年を迎えた「真の神の日」というこの日に、このような自然の中で、天と地が連結され得る水(雨)にぬれながら、このような祝いを成すようにしてくださった恩賜も、天の祝福が地と一体化し得る恩賜の条件として下さったものです。 それを万民の前に連結できるように、祝福の雨の降るこの時間に、このすべての地とこの世界に、水によって連結される五大洋六大州を越えて、同一的な恩賜を共に降り注いでくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 このような「真の神の日」を祝う新しい九八年を迎えることのできる時となりました。そしてもはや、三十三回の「真の神の日」を迎えるその時には、三億六千万双の完成とともにサタンの血統を断切できる解放の地上―天上天国を迎え、第四アダム圏勝利と栄光を讃揚することのできる天国出現が顕現され得るよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 その祝福の恩賜を願いながら前進する統一の勇将たちの行く道の前に、無限であられる全体、全般、全権、全能の恩賜でもって勝利の一方通行の体を成すよう許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 今、光明の九八年が私たちの前に訪れましたので、持てる心をすべて投入して、全身と手足をいっぱいに伸ばし、天宙を抱いて前進する勝利の勇兵たちとなって、天下を神様の前に収めて、万物とともに、子女とともに、父母とともに、愛の本宮世界に接ぎ木されるよう、許してくださいますことをお父様、切にお願い申し上げます。 栄光なる新しい元旦を迎え、新しい日を出発すると同時に、新年を出発いたしますので、三百六十日が、お父様の栄光の日に連結させることのできる記念の日々となるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 お父様、訪れしこの年の祝福が、約束とともに天宙の勝利圏を天地の前に満ちあふれんばかりに降り注いでくださいますことを切にお願い申し上げながら、新年の元旦に、ご父母様の名とともに神様のみ名によって勝利の祝賀を宣布すると同時に、恩恵の連結を継続するこの時間となるよう、許してくださいますことをお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。アーメン。アーメン。 皆さんが、新年に福をたくさん受けますように(明けましておめでとうございます)。(「ありがとうございます」)(年頭標語を揮毫される)真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」堕落したという概念を忘れずに きょう、満三十周年の「真の神の日」を迎えました。年数では、三十一回です。このような日に、皆さんが南米ウルグアイの海辺に来て、このような雨に打たれるのは、摂理上で見るとき、大きな意義があります。 今後、統一教会の教会員は、水を中心とした地域にいかに早く基盤を築くかということが問題です。将来、数世紀過ぎれば、すべての人が「統一教会の人は、相当に先見の明があって、このような基盤を築いた」と言う時が来ます。 雨は、天と地に橋を架けるものです。それゆえ、天地が分かれていたのが一つになり、陸と海が一つになり、天下が一つの地球星となって動くように、これを連結させる水は、この陸地を連結させる代表です。水は、すべてと和合する一体的な統一の自然界を迎えることができるということを、深く感謝するようにお願いします。 一九九八年の元旦において、このような自然の環境を感謝します。一度、言ってみてください。(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」) きょうお話しするのは、「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」という内容です。復帰摂理の完成は、心情、愛の世界を尋ね求めて行かなければなりません。堕落したので、復帰という言葉が生まれました。復帰の目的は、心情の世界を尋ね求めていくことです。その心情の世界は、堕落前の世界です。 それゆえに、堕落した結果がどれくらい途方もないものであり、人類歴史とこの宇宙に大きな損傷を負わせたのかという事実を、皆さんは知らなければなりません。「堕落」は、過ぎ去った言葉ではありません。これは歴史的な言葉です。今日、この地上で堕落した後孫は、無知の真ん中にいるのです。人間は堕落した後孫なので、このことを知らなかったのです。 けれども、神様を第一とする霊界に行っているすべての人々は、堕落の結果によって自分たちがとどまっている所が天国ではなく、中間霊界と地獄にいるという事実をすべて知っているのです。 それゆえ、この結果をもたらした人類の始祖が過ったものを、根本的に解決するためのものが救援摂理の始まりなので、救援摂理は復帰摂理なのです。復帰は、ただ帰っていくことはできません。蕩減復帰です。 一度、言ってみてください。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰を強調する際に、「堕落した」という概念を忘れてしまってはなりません。堕落したので、蕩減復帰が強調されるのです。 しかし、今日の一般の人たちは、堕落したという概念が分かりません。今日の統一教会の教会員や宗教を信じる人も、ひたすら自分が信じている信仰の道に従っていけば、救われて天国の神様の前に行くことができると考えますが、それは間違いです。 蕩減復帰ということを知らずにいるのです。落ちた所から上がっていくためには、落ちた距離と同じくらいの橋を架けるとか、縄を結ぶとかしなくては、上がっていく道がないのです。そのまま飛び上がっていくことはできないのです。それゆえ、救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は蕩減を通して行くということを、皆さんは知らなければなりません。 人間が生きるに当たって、罪を犯すというのは堕落した道を行くことです。堕落したのと同じです。罪を犯し、刑務所に行くようになれば、ただそのままでは許されないのです。刑務所で服役という過程を経て、犯した罪を取り消すのです。それをすべて埋めてしまったという条件を立てずしては、釈放されないのです。これが蕩減法です。 私たち人類の生活、歴史路程において、蕩減というものを中心として善悪が分かれ、不幸と幸福が分かれ、福を受ける道と罰を受ける道が分かれます。世の中も同じです。 それと同じく神様の復帰摂理も、堕落したので蕩減しなければならないということを知らなければなりません。悲しみの神様、苦痛の神様 皆さんは、堕落の道を行きます。毎日のように堕落の道を経ていくのです。人間が堕落したので、復帰摂理的路程を歩まれる神様が、「悲しみの神様」になられました。のみならず、「苦痛の神様」になられたのです。 悲しみと苦痛の神様だけではないのです。神様が苦痛を受けられて、悲しみはそこで終わるのではありません。神様が願われる貴いものをすべて失ってしまったのです。すべてを失ってしまったものを再び取り戻そうとするので、苦痛を受けなければならず、悲しい道を行かざるを得ません。神様が、いちばん貴いものを失ってしまったのです。 神様と人間が父子の関係で、愛を中心として一体理想を築こうとしたその関係があったのですが、人類の先祖が堕落することによって、神様の一体理想、愛の理想を求めることができなくなったのです。これを再び取り戻すみ業をするためには、ただそのまま蕩減復帰していくことはできないのです。 堕落することによって、故障したのと同じようになっているので、復帰摂理は蕩減の路程を行ったとしても、神様が訪ねてくることのできる愛の理想を取り戻すことはできないということを知らなければなりません。 完成品を願ったものが、中間で堕落することによって故障したので、再び部品図を通して再創造過程、新しくつくる過程を経て、完全な心情の世界、愛の理想の世界を再び取り戻そうとする立場に立つのです。神様は、愛の対象を失ってしまったものを取り戻すために、受難と苦痛の道を歩んでこられたということを知らなければなりません。 その神様がどのようなかたなのかといえば、父であり愛の主体です。そして、自分の家庭においての父であり、氏族においての父であり、国においての父にならなければならず、世界において父にならなければならず、さらに天地の父になることのできるおかたなのです。 そのようなおかたが、主体であられる神様であり、神様の愛の対象としてつくられたのが人間始祖でした。この始祖が堕落することによって、神様は当然、愛の対象を失われたので悲しまれ、これを取り戻すためには、苦痛の道を行かざるを得ないということを皆さんは知らなければなりません。 さて、このような観点から見るとき、その苦痛の道がどのように現れたのでしょうか? 再創造の過程を中心とした再創造の公式、再創造のあらゆる形態がどのようになったのかというのです。神様は、環境をまず創造されました。太陽をつくり、その次には水をつくり、空気をつくり、土をつくられたのです。この四つがなければ、生物が存続できる土台がありません。 それゆえに、太陽が絶対必要であり、水が絶対必要であり、空気が絶対必要であり、その次には何が必要でしょうか? 土がなければなりません。この土は、私たち人間が持っている体と同じです。この体には、土にあるすべての要素があるのです。すべての要素が全部細分化されて、元素的なものが結合して、私たちの体をつくりあげたという事実を知らなければなりません。 体はそれ自体において、神様の内的な性相形態と相対的関係を備えているのです。その相対的関係の主体的立場に立たれた神様が縦的に臨まれ、アダム・エバが完成して横的に臨むことにより、神様と人間は、縦横の九〇度を中心とした中央線で出会うようになるのです。このとき、中央で出会うのですが、神様がアダム・エバをつくられて、すぐに心情の因縁を結ぶことはできません。子女として愛することのできる過程を経る原則があります。 そして、子女時代を経て成長して祝福を受けるのです。結婚することのできる立場まで行って初めて、神様の性相と形状が、アダムとエバの心に入って個体の完成が成されるのです。個体が完成するようになれば、男性も女性も別れて行くことはできないのです。赤ちゃんの時から男性と女性は、違う方向に育っていきます。徐々に個体の完成が始まるのです。後には、女性は女性の行くべき道、男性は男性の道をただそのまま成長していくことはできません。男性と女性は、必然的に出会うようになっています。 それゆえ、成熟期になれば、男性の目も女性の目もお互いが向かい合って見るようになっており、目を合わせ、鼻を合わせ、心を合わせ、耳を合わせ、手を合わせ、その次口を合わせて愛が築かれていくのです。それはすべて皆さんが知っていることです。それゆえ、この愛の基準を中心として接触するためには、男性と女性が大きくなってどこに行って一つになればよいのかということです。出発したその基準から左側に、自分勝手に行くのではありません。 垂直の立場、父母が生むとき出発したその基準の垂直の立場で連結されるのです。二十歳になったならば、二十歳まで父母の愛を代わりに引き継ぐことのできる、第二次的な段階の基準が、垂直を通して連結されなければならないのです。そうすれば、このアダム・エバの息子・娘も同じです。また、その父母を中心として垂直に向かって連結され、これは千年万年たったとしても、垂直は直線、垂直にならなければならないのです。 私たちを見れば、私たちの心と体もアベル・カインと同じです。プラス・マイナスから成っているのです。神様は被造世界のあらゆる環境を創造する太陽と水と空気と土をつくられたのですが、そこには何があるでしょうか? 必ず主体と対象があります。これは公式です。 鉱物世界にもプラス・マイナスがあり、植物世界にもプラス・マイナスがあり、動物世界にもプラス・マイナスがあり、人間世界にもプラス・マイナスがあるのです。この環境圏内は、全部が主体と対象によって存続する、というのが公式です。 この公式がなぜ、このように生まれたのでしょうか? 何を中心として一つになるための公式でしょうか? これが分からなければなりません。鉱物世界も愛を中心として一つになるために、プラス・マイナスになっているのです。 今、この現象(雨が降る現象)が起こるのも、そうではないでしょうか。陽電気、陰電気がキスをする音が雷の音であり、世の中で起こるすべてのものを酔わせるのが稲光です。愛し合って、「ああ、うれしい」と言いながら、あらゆることが起こるのです。それが自然の結婚式であるということを考えてください。自然の結婚式をした愛の水をもらって飲むのが、きょうの祝賀の場なので、雨が降っても悪くはありません。接ぎ木の標本がメシヤ さて、今から話をよく聞かなければなりません。では、救援摂理を神様が始めた目的は何でしょうか? 神様がアダム・エバに結婚式をしてあげられなかったのは、人間始祖が堕落したからです。アダム・エバに結婚式をしてから、神様はアダム・エバを追い出したのでしょうか、結婚式ができずに追い出したのでしょうか?、(「できずに追い出しました」)。神様がアダム・エバを追い出されたとき、息子・娘がいましたか、いませんでしたか?、(「いませんでした」) アダム・エバは、どのようにして子女を生むようになったのでしょうか? 神様が結婚式をしてあげて生んだのでしょうか? 自分勝手にサタンの地獄圏内で結婚式をしたのでしょうか? サタンを中心として結婚したので、サタンの血統を受けるようになったのです。 アダム・エバの結婚式は、神様の結婚式です。このことを知りませんでした。これが宇宙の秘密です。宇宙の根本を探してみると、宇宙の根本の出発基地が何かといえば、神様の愛を中心として人間と一つになった愛で、内的・外的に結婚式をするその立場なのです。 ところが、アダム・エバは追い出されて、そのような結婚をしたのでしょうか、できなかったのでしょうか?、(「できませんでした」)。これは重要な話です。結婚したのですか、できなかったのですか?、(「できませんでした」)。間違いなくできませんでした。 ですから、神様の愛の理想は成し遂げられなかったのです。神様を中心に結婚したならば、神様がアダムの心の中に入られてアダムと一つになったのです。そうして、アダムの心が神様の心になるのです。そのようにして、心と体が一つになることによって、アダムの体が神様の体になるのです。 愛は一体を成します。それゆえ、父子一身です。愛を中心として一体です。夫婦一身、兄弟一身です。東洋思想も、兄弟一身ということは分からないのです。上下関係は父子関係、左右関係は夫婦関係、前後関係は兄弟関係です。 なぜ一身なのかといえば、アダム家庭を中心としては、アダム・エバのふたりしかいません。アダム・エバを裂くことができますか? 蹂躙することはできません。永遠に裂くことはできません。このことを知らなければならないのです。 堕落せずに赤ん坊として生まれて、兄弟として暮らしながら育つ目的は何でしょうか? 一つになることです。何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。兄弟として育ったアダム・エバは何をするのでしょうか? 結婚しなければならないのです。 そのとき、アダムはどのような立場でしょうか? アダムは兄であり、エバは妹です。一つの血統で結ばれているのです。木の枝は裂くことはできません。裂く日には、死んだ枝にならなければならないのです。神様に追い出されたというのは、裂かれたからです。死んだ枝になってしまったのです。死んだ木と同じようになったのです。 愛は生命まで支配する力があります。そうですか、そうではありませんか?、(「そうです」)。愛の道を妨げれば、ふたりが綱を結んで漢江の橋から投身自殺することは問題ないのです。死までも恐れない、生命を左右し得る力を愛は持っているのです。 堕落した愛でさえもそのような力があるのに、堕落せずに神様と一つになった愛の力を持っていれば、今日の人類世界は、このようにはならないのです。これは、だれと一つになったのかといえば、天使長と一つになったのです。天使長は僕です。神様は主人です。天使長は永遠に僕ですが、神様は家系の主人であると同時に、国の主人であり、天地の主人になられるのです。 それゆえ、心と体が一つになって、アダム・エバが結婚式をしたならば、アダム・エバの血統が神様の血統になるのです。それゆえ、そのような本然的基準で考えるとき、神様に対して「父」と呼ぶことができるということを、既成教会の信徒はもちろん、宗教者たちも分からないのです。父子の関係は、血統が連結されなければならないのです。アーメンです。(「アーメン」) さて、「アーメン」と言ったのですが、神様と血統が連結されましたか? されていませんか?、(「されていません」)。血統が連結されていないので、血統が連結されているという条件を持とうとすれば、接ぎ木しなければなりません。 野生のオリブを切って真のオリブに接ぎ木すれば、野生のオリブになりますか、真のオリブになりますか? 真のオリブを求めていこうとするので、接ぎ木せずしては帰る道がありません。 この地上に接ぎ木として送られるそのおかたがだれかといえば、聖書に記されている旧約時代に約束したメシヤです。真のオリブ・接ぎ木の標本として送られるのがメシヤです。キリスト教徒は、新婦になると言います。新郎新婦になって、何をしようというのでしょうか? 血統を連結させるみ業をするのが、新郎新婦です。何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心としてです。 ここにいる女性たちは、そのような真の愛を中心として、血統を連結させた自分になったでしょうか?、そのようになっていなければ、地獄に行かなければならないのです。 堕落してだれの血統を持ったのでしょうか? サタンの血統です。善悪を知る木の果を取って食べて、そのようになったのでしょうか?このような根拠を知らず、結果を知らないので、地獄に行くのか天国に行くのか分からないのです。終末に混沌となって、「家庭がどこにあり、父母がどこにおり、兄弟がどこにおり、国がどこにあり、神様がどこにいるのか」と言いながら、すべてを無視しているのです。 それでは、神様の恨みが何でしょうか? 苦痛が何でしょうか? 愛するふたりが婚約をして、結婚の日を待っている二、三日前に、怨讐に愛する恋人を奪われてしまったのです。男性であれ、女性であれ、奪われてしまったことが、気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか? 苦痛が大きいでしょうか、どうでしょうか? 痛哭が始まるのです。 それは、父親が死んだことよりも、母親が死んだことよりも、兄や姉、弟や妹が死んだことよりも、もっと悲痛なのです。そのようなことが分かりますか? 分かりませんか?、(「分かります」) 神様の愛の道を再び取り戻すための受難の道、苦痛の道が、救援摂理の道であるということを知らなければなりません。そのような神様が、栄光の中で裁判長になって、悪なる人を地獄に送り、善なる人を天国に送る考えなどする暇があるでしょうか? 息子・娘を求めて立ち上がるのです。将来、自分の理想の夫婦を築くことのできる道を訪ねていくのです。その路程で、ほかのことを考えられるでしょうか? ほかのことは考えられないのです。 キリスト教を中心とした終着的な結論は、新郎新婦の理念です。来られる主は新郎であり、地上の人間は全部、新婦にならなければなりません。新婦というものは、新郎によって真の愛と一つになった血統を連結させなければならないのです。 血統を連結するために、新郎新婦になるのではありませんか? 正しいですか、正しくないですか?、(「正しいです」)。血統を連結させるための新郎新婦として訪ねてくる、終末の中心的な存在が再臨主です。 再臨主は、何をするために来られるのでしょうか? 「小羊の婚宴」をするために来られるのです。「小羊の婚宴」とは、何でしょうか? 神様とともに、エデンの園で家庭を築き、神様の血統を引き継いで真の神様と真の父母を中心として、真なる神様の血族という子女の名前を持つことです。 そのようにしなければならないはずなのに、これを失ってしまったのです。父母がいないので、真なる子女がいないのです。そして、この地上に真なる家庭がなく、真なる氏族、真なる国家、真なる世界がなく、悪魔が主管する世界になってしまいました。これが堕落した世界です。愛の相対は優れていることを願う ここはウルグアイですが、男性と女性について見るとき、どちらが主体ですか? 今日のアメリカの女性たちは、「女性が主体」と言うのです。どちらが主体ですか? 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。男性です。なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性がどのような姿ですか? 男性は全部、凹を持っていますか、凸を持っていますか? 凹凸を話せば、変な考えをするかもしれませんが、これが根本問題です。このことが分からなくては、天地の調和が分かりません。理想であれ、何であれ、すべて分かりません。 男性は天を象徴し、女性は地を象徴するのです。それでは、凸というものは何をするものですか? 女性は凹なので、凸と凹は一つになるためのものです。男性と女性が一つになるのは、天地が合わさることです。 男性、女性が結婚するのは、天地が一致することです。一つの体になることです。 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。本当ですか?、(「はい」)。これは不可避なことです。 なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性は、神様に似ています。それゆえ、神様が軸ならば、男性と神様とは上下関係です。男性は、なぜ主体なのかといえば、愛を持ってくるからです。愛の種を植えるために来るのです。 女性がお嫁に行くとき、「なぜ、お嫁に行くのか?」と尋ねれば、「愛を受けに行きます」と言うのです。何の愛でしょうか? 神様を代身した愛です。神様の愛です。神様の愛を受けに行くのです。それゆえ、女性はいつも愛する対象が、自分よりも何百倍、何千倍、何億万倍、素晴らしくてもいいと考えるのです。 それはなぜ、そうなのでしょうか? 愛の相手は神様です。人間の何千倍、宇宙を動かす大主人である、そのおかたに相対するために人間が生まれたので、愛の相対は自分よりも優れていることを願うのです。 では、神様はどのように考えられるのでしょうか? 神様も、自分の愛の相対は神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?、(「優れていることを願います」)。動機がそうなので、結果がそうなのです。 それゆえ、私たち人間と同じく神様も、神様の愛の対象が自分よりも素晴らしいことを願われるのですが、その素晴らしい愛の対象はだれでしょうか? それは、人間です。アダム・エバです。愛は独りで成り立ちません。 神様は、縦的な主人です。縦的なものは、横に行くことはできません。垂直というものは、上下に動くのであって、絶対、横的には動きません。必ず、上下に動くのです。神様を地で横的に展開したものが、アダムの創造です。 アダムは何かといえば、天の本性をそのごとくに展開したものです。展開したものを一つにすれば、神様になるのです。分かりましたか? 神様のプラス・マイナスが展開するのです。一つになろうとするとき、マイナスだけではやってこないのです。プラス、マイナスが中心で合わさって一つにならなければなりません。 一つになれば、それが核になるのです。核というのは縦横が結集するのです。生命の種になるのです。愛を中心として父親、母親の血と肉が結集された中で核としてとどまる生命の種が、赤ん坊として生まれるのです。 このような話を、なぜするのでしょうか? 創造本然の話をするのではないですか? 皆さん全部が、自分の相対は自分よりも優れた人を探すのです。成長して、世界の各国で男性、女性を探して、「ああ、好きだ」と言うのです。好きだと言うのは、何をもって好きなのですか? 目で見るのです。目を合わせます。 この目は、神様を象徴するものです。あらゆる動物は、生まれる際に目が先にできます。目を合わすことのできる愛の主人は、神様であるということを知らずにいるのです。「目を合わせる」という言葉がありますが、見かけが良くなければならないのです。目を合わせれば、その次に言葉を交わし、その次には、手を合わせるのです。手が好きになるのです。 女性は、愛する人が触ってくれることを願いますか、触ってくれないことを願いますか? 触ってくれることを願うのです。目、鼻、口、耳、手は、それぞれ自体のために生まれたのではないのです。全部が相対的関係です。 それゆえ、互いにこのような相対的関係を考えることのできる立場に立つので、女性は男性の相対として生まれたのです。男性は女性の相対として生まれたのです。それゆえ、根本を求めていけば、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。自分のために生まれたのではありません。エデンの園は愛の博物館 それゆえ、人生哲学での根本問題が男性と女性の問題です。女性が女性として生まれたことを、なぜ嘆くのでしょうか? 堕落した元凶となっているので嘆くのです。女性が堕落したということです。ですから、蕩減の受難の道を逃れることはできません。人類が解放されるときまで、女性は苦労しなければならないのです。 このようなことをすべて知らなければなりません。世の中の世情をよく知っていて初めて、どこに行くにせよ、偏らずに自分が行くべき道を堂々と行くことができるのです。上下関係、左右関係、前後関係をすべて備えていれば、問題ないのです。これが、数でいえば七数です。七数は完成数です。 皆さん、夫がハンサムであることを願い、妻が美人であることを願いますか、願いませんか?、(「願います」)。顔かたちが整っているというのは、何を通して見る「観」なのかといえば、愛を通して見る「観」なのです。それはどのようなことかといえば、優れた人と愚かな人が夫婦になって、幸せに暮らす人たちがいるということです。 ある見方をすれば、「あんな美男子があのような醜女とどうして一緒に暮らすのか? ああ、あのようなふたりなのに、夫婦同士、幸せに暮らしている」ということを知ってみれば、「あなたは顔かたちの整った美男子なのに、そのような劣った女性を連れて暮らしますか」と尋ねれば……。(聞き取り不能) 「その男性は、父親に似ている」というのです。また、「私を愛していた叔父さんに似ている」、また、「私を愛するお兄さんに似ている。弟に似ている」というのです。それゆえ、初めて会っても嫌ではありません。 人間が出会って好きになるためには、どれくらい長い時間がかかるでしょうか? 恋愛する人たちも、十年かかって結婚する人がいるのです。父親、母親は高い所にいるのですが、父親についていきたく、昼食でも一緒に一度食べたいというのです。 それゆえ、自分が愛され、愛していたいちばん親しい親戚の人と似ている人が、だれよりもよく、その人をだれよりも愛するのです。ですから、そこで似合わない男性・女性が結婚することができますか、できませんか?、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」) 神様は、結婚式ができなかったのです。神様は、人間を結婚させようとつくられたのです。アダム・エバをつくられて、縦的な道が大きくなれば、それと同じ距離を横的にして、四位基台になるのです。思春期ごろになれば、「ああ、男性だけではだめだ。女性だけではだめだ」と言いながら、女性は男性を、男性は女性を求めていくのです。 そのようなことは、動物や昆虫を見て、知ることができるのです。昆虫も雄と雌がいます。うさぎの赤ちゃんも雄・雌があり、鹿の赤ちゃんも雄と雌があり、牛の赤ちゃん、馬の赤ちゃん、全部が雄と雌があって、それらが一つになって赤ちゃんを産むのを見て知ることができるのです。 エデンの園に展開されているすべてのものが、カップル制度になっています。それを見て、自然とアダムは、「ああ、雄がいるから雌がいるのだなあ。自分も雄のような姿形だが、雌はどこにいるのか」と探してみると、「あ、エバだ」となるのです。また、「雄、雌があのようにすれば、赤ちゃんが生まれるのだなあ」と考えるのです。 自分がお嫁に行くのは嫌だけれど、赤ちゃんが好きな女性たちはたくさんいるのです。エデンの園で、動くすべての昆虫も動物も、全部、カップルになって動きます。それを見ると、すべて愛の博物館です。 愛を展示した博物館なのですが、いちばん後の人間が博物館の王です。愛の王子を立てて、全世界で、動物や植物全部がその王を中心として喜ぶ際に、拍子を合わせて歌い、踊りを踊ることのできる環境をつくられたのです。その中で神様は見物人にならずに、愛する人を中心として歌い踊る手本となって踊り、歌いたいのです。そのように考えることができます。 ちょうやはちたちが飛んできて喜ぶように、神様もアダム・エバを中心として踊りを踊るようになるときには、それは、肩を振りながら踊りを踊る、そのような踊りではありません。はちのようなものを見れば、高い所で踊りを踊ろうとするのです。 バレエダンサーが踊り手を高く持ち上げるときは、男性を持ち上げますか、女性を持ち上げますか?、(「女性です」)。男性を持ち上げずに、なぜ、女性を持ち上げるのでしょうか? 女性たちの願いは、神様に出会うことです。神様という高い愛の主体に出会うためのものなので、女性が喜んで、そのようにするのです。 ところで、怪物の中の怪物が女性です。どんなに容姿は悪く小さな女性でも、男性を怖がる女性を私は見たことがありません。「男性が怖い」と考える女性は、いないのです。小さな女性でもみんな、世の中でいちばん優れている親分の男性を相手にしようとするというのです。ですから、女性の目は、男性を怖がらないではないですか。 男性の目は、女性を怖がりますか? 最近、堕落した世の中で女性が狐のようにルージュを塗って、目をぱちぱちしながら、どれくらい男性を誘惑しようとしますか? そのような女性たちを怖がるでしょう? しかし、女性という動物は、男性を怖がりません。その国の王がいれば、王の横に行きたがるのが女性です。そうですか、そうではありませんか?、(「そのとおりです」) 反対に女王がいれば、男性も行きたいでしょう? 行ってから何をするでしょうか? 握手して、目を合わせ、口を合わせたがるというのです。女性が男性を好きになれば、口を合わせようとするでしょう? 男性も同じです。 とにかく、いやが応でも男性と女性は、完全に一つにならなければなりません。完全に一つにならなければ、調和が壊れるのです。幸福とか、自由とか、夢とか、理想などという調和です。独りで幸福でしょうか? 人間は、幸福な場にいれば、自分の妻、自分の夫をそこに連れてこようとするのです。その次には、息子・娘を連れてこようとするのです。神様を救う統一教会 愛の理想とともに暮らしたく思われた神様が、愛の相対を失ってしまいました。その神様は、喜びの神様でしょうか、悲しみの神様でしょうか?、(「悲しみの神様です」)。どれくらい悲しいでしょうか? 七代続いた一人息子が、育てている途中で死んでしまうとき、その父親、母親がどれほど悲しいでしょうか? どれほど悲しいかを考えてください。どんなに優れた王、どんなに優れた女王でも、涙を流しながら泣くでしょうか、泣かないでしょうか?、(「泣きます」)。だれでも皆、そのようになっているのです。 それでは、アダム・エバは神様の何代の一人子ですか? 千万代の一人子です。数千代、数万代の一人息子・一人娘なのです。それを失ってしまわれた神様は、何を考えられるでしょうか? 精神病者になられることもあり、狂人にもなられるおかたでしょうか、それとも、遊んで食べ、踊りを踊り、喜んで楽しむことのできる神様でしょうか? どうですか?、(「悲しいです」)。その悲しさも、どこのだれとも比較できません。胸が詰まるにしても、これ以上に、胸が詰まり得ない神様であられるのです。そのことを知らなかったのです。 そのような神様であられるということを知らずに、キリスト教やその他の宗教を信じる人が、「神様、福を下さい。福を下さい。福を下さい」と言うのですが、それは泥棒の子供たちです。人間の世の中で、ただ一代の苦労にもかかわらず、息子・娘が死んだとか、何がどうした、こうしたと言って、神様の前に「福を下さい。福を下さい」と言っているのです。 あまりのことにどうしようもなくなって、おなかまで痛くなるような境地におられる神様から、福までもらおうと祈祷している者を、神様が助けることができるでしょうか、できないでしょうか? むしろ、人間が神様を助けてさしあげなければならないのです。福を受ける前に、「このように悲しく、苦痛な神様 私たち人間が分からなくてこのような状況なので、私が悲しい涙を神様の前に流してあげます」と言えば、神様が感動されるでしょうか、されないでしょうか? 神様が訪ねてこられるでしょうか、訪ねてこられないでしょうか? そのようなことまで成すことができる人間を、この地上で見たことがないのです。 では、今日の統一教会は、一般の宗教と何が違うのでしょうか? 統一教会では、「泣かれる神様、苦痛を受け、どうしようもない絶望の中におられる神様を救ってあげよう、孝子になろう、孝女になろう、国を代表した王になることのできる神様の前に忠臣になろう、烈女になろう、聖人君子になろう」というのです。 「聖子になろう」、ではありません。聖子の息子・娘となって、結婚させて、神様を解放してさしあげようという志を持って生きる宗教団体が、何の宗教だと言いましたか?、(「統一教会です」) 統一教会は優れた宗教ですか、愚かな宗教ですか?、(「優れた宗教です」)。世界が皆、文先生を愚かな人だと考えているではないですか。いちばん悪い人だと言うではないですか。 神様は、文先生をいちばん嫌がるでしょうか、好まれるでしょうか?、(「好まれます」)。それを知っていますか? 見ましたか? 見ていないのかどうか分かりませんが、することを見れば滅びるようなのに、いつも滅びずに成功してきました。人間が協助するのではなく、人間世界の外にいる別のおかたが協助なさるのです。 人間世界は、サタン世界です。サタンが嫌がる人は、神様が愛されるのです。それゆえ、全世界が嫌がるレバレンド・ムーンを、神様はいちばん好まれるのです。それは、道理が合うのです。そのようなときは、「アーメン」と言わなくてはなりません。(「アーメン」) さて、今から問題が大きくなるのです。根こそぎ復帰ですか、順次的な復帰ですか?、(「根こそぎ復帰です」)。それを願う人、手を挙げてみてください。根こそぎ復帰です。個人主義はすべてを失う 神様が蕩減役事をして蕩減復帰してこられる、自然な再創造歴史過程を経てくるのですが、再創造の歴史過程は、必ず主体と対象関係なのです。小さな主体と対象が一つになるようになれば、そこにとどまるのではありません。 鉱物世界の主体と対象が一つになった後には、植物世界に吸収されなければなりません。植物世界でプラス、マイナスが一つになれば、全部、動物世界に吸収されなければならないのです。この原則を知らなければなりません。 一つになったプラス、マイナスの次元が低いものは、より次元が高い、より大きな愛の価値を形成するために、吸収されていくのです。吸収されなければ、もっと大きな愛が現れることができません。 それゆえ、植物が動物に吸収されるのです。元素が吸収されるのです。植物は動物が吸収するのです。動物の中に、昆虫がいるでしょう? 昆虫も植物を食べます。また、動物の中では、牛も植物を食べるのです。小さな次元にあるプラス・マイナスの植物は、動物たちが取って食べます。動物も小さなものは、大きなものが取って食べます。分かりましたか? これが原則です。 ハエのような昆虫も、トンボがよく食べるでしょう? ツバメはトンボを捕って食べます。このようになっています。「順応の道理」を知らなければなりません。循環運動する天地の道理を知らなければなりません。小さな次元のプラス、マイナスになったならば、大きな次元のプラスと一つになり得るものに吸収されていくのです。ですから、微々たる動物から鉱物、植物、動物、小さな昆虫までも全部、大きなものに吸収されて入っていかなければならないのです。 ですから、万物の中で人間が最も貴いので、人間はすべて捕って食べるのです。人間が食べられないものがありますか? 虎も捕って食べ、、狼、も捕って食べ、ワニも捕って食べ、蛇も捕って食べ、食べないものはないのです。人はすべて食べることができますか、できませんか?、(「できます」) 世界の中で、カップルになったすべてのものを、大きなものであれ、小さなものであれ、すべて捕って食べれば、どのようになりますか? そのようにして、人間たちだけ幸せに暮らすのではありません。捕って食べるその男性、女性は、さらに高いおかたに吸収されなければならないのです。そのおかたが神様です。 神様に吸収されて、入っていかなければなりません。そのように吸収されるのは、何をするためのものでしょうか? もっと大きな愛を求めていくための橋です。分かりましたか? 何の橋ですか? 上がっていくはしごです。鉱物が、どこを訪ねていきたいのかといえば、自らの発生地です。「神様から出発したので、神様の所に訪ねていこう」となるのです。 人もどこを訪ねていくのでしょうか?、「愛から出発したので、神様の愛の場所を訪ねていこう」というのです。それゆえ、神様の愛を訪ねていこうとすれば、自分を犠牲にしなければなりません。もっと大きな目的と大きな人格を築くためには、その環境の難しさを克服し、犠牲の道を行かなければならないのです。自分を投入しない所には、そのようなものが現れません。 今日の南米の人たちを見れば、みんな遊んで食べようというのです。遊んで食べていれば、だんだんと後退します。自分を中心とした個人主義を主張する者は、だんだんとすべてを失ってしまいます。 今日のアメリカのような国や先進国家を見れば、個人主義を主張するので、世界と天地に関心がありません。アメリカ国民にしても、アメリカに関心がありません。アメリカ社会に対しても関心がありません。会社で稼いで食べて暮らしながらも、会社に対して関心がないのです。 家庭に入っても、おじいさん、おばあさんに対して関心がありません。父親、母親に対しても関心がありません。男性にしても、女性に関心がありません。女性にしても、男性に関心がありません。全部、必要ないと否定するのです。 そのような混乱した結果をもたらして、最後には一人だけ残ります。相対理想を持って生きる人間が、その世界を否定するので、孤独を嘆いて、行く所がなくて死ぬしかないので、自殺してしまうのです。 プラス・マイナスが一つになれば、より大きな存在に因縁づけられるのです。そのようになるためには、愛を中心として投入しなければなりません。神様がより大きな世界に物を残されるためには、投入してその物をつくられたので、これを再び見いだすためには投入しなければならないのです。 魚も見れば、すけそうだらのようなものは全部、その子たちを食べます。大きくなる前に、ごくりと丸のみにして食べるのです。小さな魚たちは、子供たちの数がとても多いので鮫のようなものは四匹、五匹しか子供を生みません。 虎は、子供を何匹生みますか? 一匹です。そのようなものが多ければほかの種が絶滅するので、多くありません。ライオンも多くありません。虎のようなものも、子供を三匹以上は生みません。子供を生んでからは母親に任せて、雄は逃げだすのです。 二年ほどして、子供たちがすっかり大きくなって、独立するようになった後、妻を訪ねてきて、また子供を生むのです。ですから、子供をたくさん生まないのです。私たち統一教会の人たちは、子供をたくさん生まなければならないでしょうか? 生んではならないでしょうか?、(「たくさん生まなければなりません」)一つになる所に理想がある ところで、愛の道を求めて旅する男性、女性たちは苦しいでしょうか、幸福でしょうか?、(「幸福です」)。失った自分の相対を捜す道が幸福でしょうか? それは、神様と同じです。 神様は愛の相対を失われてしまいましたが、その暮らしが苦しいでしょうか、それを取り戻してくる道が簡単でしょうか、困難でしょうか? どうでしょうか? 困難なのです。 安楽によく食べ、幸せに暮らしながら、この世にまたとない一つの愛を見いだそうというのは、狂った者です。一つの愛を見いだすためには、この世の万民のだれよりも困難な道を行かなければならないのです。 そのようにして、一つの愛を占有するようになるとき、反対されずに許しを受けて、その愛とともにあることができるのです。それが道理にかなった話です。神様の復帰摂理から見るとき、旧約時代は何を意味するのでしょうか? 神様が結婚式をされたかったのに結婚式ができなかったのです。 また、アダムとエバの結婚式をしてあげて、人類の真の父母にし、神様がその中に入って、見えない霊的な父と、実体の父が一つになるようにしようとしたのにできなかったという話です。アダムとエバという人類の先祖を、真の愛を中心として結婚させてあげられず、真の愛の主人たる神様が、アダムの心と体と一体となり、愛することができなかったのです。 では、皆さん自身を見ると、心と体が闘いますか、闘いませんか?、(「闘います」)。それを神様が、そのようにしておかれたのでしょうか、自分が自然とそのようになったのでしょうか? これが問題です。 神様は原因的存在であられ、人間は結果的存在ですが、結果的存在である人間の心と体が闘い、怨讐になっています。心と体が一つになっていますか? 体がしようということを心はするなといい、心がしようということを体はするなという、この争いです。心と体は、相反しています。 心と体が一つになれない人は、天国に行くことはできません。神様の前に行くことができません。心と体が分かれたのは、堕落のためなのです。堕落してそのようになったので、心と体が一つになるためには、蕩減の道を行かなければなりません。心と体が分かれたために、世界が分かれ、人類が全部、分かれてしまいました。 終末には、心と体が分かれ、男性と女性が分かれ、父と母が分かれ、祖父と祖母が分かれ、全部、分かれてしまうのです。そこには神様の理想がありません。争うところには理想がないのです。和合して、一つになるところに理想があるのです。 理想は、一つになるところにあります。調和的で、小躍りして一つになるところに、理想があり、幸福があり、自由があり、夢があるのであって、争うところにはすべてがなくなるのです。 自分が愛する夫と争ったときは、息子・娘が憎いですか、憎くないですか?、「あの人の子供を生んだ」と考えるのです。、姑、の難くせに腹を立てて、犬の腹を蹴るのです。では、皆さんの心の中に、神様が入ってこられて暮らせるでしょうか、暮らせないでしょうか? 現実的問題です。信仰生活や宗教を信じる目的は、神様に侍って暮らすためです。 心と体が闘うような人が、神様を迎えて暮らせると考えること自体が、堕落しています。心と体が闘うところに、神様が入ってきて暮らせるなら、その神様も心と体が闘う神様であるということになります。 神様はどうでしょうか? 神様は心と体が闘うでしょうか、一つになっているでしょうか?、(「一つになっています」)。それでは、心と体が闘わない人が求める愛が、行ったり来たりするでしょうか、統一的な愛でしょうか?、(「統一的な愛です」)。永遠に一つになっておられる主体の神様が願われる愛は、永遠に一つです。二つではありません。この地上に生きている男性、女性を見れば、愛はそのようになっていません。堕落して、うじ虫のように暮らしているのです。体がサタンの根拠地 それゆえ、旧約時代には、神様がアダムとエバとともに結婚式をすることができなかった恨みがあるのです。ですから、メシヤを送られたのは、アダムとエバとともに結婚式をする日を復帰するためなのです。 再創造の法度を通して見れば、神様が環境を創造された所には、主体と対象があります。イスラエル民族にも、どのような民族にも主体と対象があります。イスラエルの民を見れば、宗教と国家、これが怨讐です。主体と対象が争います。宗教者を迫害し、殺すのは国家がするのですか、個人がするのですか?、(「国家です」)。国家がします。このような国は、サタンの国家です。 全部、闘いの連続的な歴史の因縁を通して、主権とその基盤を築いたすべての群れは、闘って基盤を搾取したのです。相続した所はないのです。ですから、よこしまな世の中であり、滅びた世の中です。滅びた世の中で暮らしているということを、はっきり知らなければならないのです。 旧約時代には、神様が結婚式をしてあげたかったアダムとエバを、結婚させられませんでした。アダムとエバとともに心と体が一つになり得る一体的立場で、愛を中心として一身となって愛することができなかったのです。それで、神様とアダムとエバは分かれました。 神様の愛の中心から離れて、彼らは分かれるようになったのです。分かれるようになった原因を見れば、それはエバがアダムを堕落させました。ですから、堕落したアダムはエバが恨めしいのです。「エバのやつが堕落させた」といって、怨讐になっているのです。 エバがサタンとぐるになって、アダムまで堕落させたのです。そうして、サタンの血統を受け継ぐようになったことを知らなければなりません。私たちの血統が生まれたのは、神様の祝福の中で生まれたのではありません。怨讐、サタンの結婚式の下で生まれ、サタンの血統を受けた者の後孫が人類なのです。それにもかかわらず、このことを知らなかったのです。 ですから、これを片づけなければならない宗教世界は、反対の道を行くのです。「穏やかで謙そんであれ」というのです。「無の境地にまで、自分自身を否定せよ」というのです。「犠牲、奉仕せよ」、それから「犠牲、奉仕だけでなく、断食せよ」。断食すれば、体が弱くなります。体がサタン、悪魔の運動場であり、根拠地です。体が一番悪なるサタンの根拠地になったのです。 世界が怨讐ではありません。皆さん自身の体が、いちばんの悪魔の怨讐であるということを知りませんでした。体を弱めなければ、神様や理想世界は永遠に遠ざかっていくのです。今日、統一教会の原理を聞けば、人々は嘆くのです。「まったく、このようになったということを知らなかった」というのです。 ですから、サタン世界がレバレンド・ムーンの教えを聞けば、全員、考え方が変わるので、「レバレンド・ムーンに会えば洗脳される。目を合わせるな」と言うのです。「レバレンド・ムーンは、洗脳のチャンピオンだ」という話をしているのです。 サタンの世界が先生をいちばん嫌うのです。個人的に嫌い、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に、共産世界、民主世界、宗教世界までが嫌う代表者が、レバレンド・ムーンです。ノーメンですか、アーメンですか?、(「アーメン」) なぜ、アーメンですか? サタン世界の多くの人たちがいちばん嫌うので、レバレンド・ムーンは神様にいちばん近いというのです。レバレンド・ムーンは、天に行く道を教えるので、悪口を言われるのです。しかし、悪口を言われながら成功した人が、歴史にまたとないレバレンド・ムーンなのです。(「アーメン」) そうでしょうか? 私は成功した人ですか、失敗した人ですか?、(「成功しました」)。(「勝利しました」)。どのような勝利ですか? 相撲を取る土俵の上で勝利したのですか? どのような勝利であり、どのような成功ですか? 個人的な真の愛、家庭的な真の愛、氏族、民族、国家、世界、天地の真の愛、神様の真の愛を失ってしまったものを、収拾して取り戻すことのできる神様の代身者としての権勢を振るうのです。ですから、神様は、文総裁を愛さざるを得ないという結論が出てくるのです。 皆さん、文総裁を愛しますか?、(「はい」)。愛すると言いながら、全部、奪っていこうとするのです。郭錠煥、私を愛しますか?、(「はい」)。私を利用しようとするではありませんか。 自分が難しければ文総裁のところに来て、「先生、私を助けてください」と言うのです。全員、目をむいて、商売をしようという連中です。全員、真の愛を泥棒した堕落したアダムとエバの後孫なので、真の愛の主体者がいれば、愛を中心としてむしり取っていこうとするのです。 皆、「先生を愛する」と言います。先生を本当に愛する人、手を挙げてみてください。もらうためですか、与えるためですか?、(「与えるためです」)。違います 今までもらうためだったのです。日本のメンバーは、先生を愛するというその誠意の上に、何かをもらいたいという根性があります。(笑い)それは泥棒の根性です。祭物を犠牲にした旧約時代 旧約時代は、何が必要ですか? メシヤです。四千年間待って、神様はイエス様を送られたのです。メシヤを送るための道案内が、どれほど大変でしょうか? だれでも送れるわけではなく、いつでも送れるわけではありません。 家庭で失ったので、神様の体面において、サタンに国家基準で勝たなければならないのです。それゆえ、家庭で失敗した神様が家庭で取り戻されれば、サタンの前に威信が立たないので、サタンが国をつくった所に来られて、家庭以上の国を捜されるのです。国を復帰し、その国を中心として、より大きなものを見いだすために投入しなければなりません。 小さい国を、世界の前に投入すべきなのが創造の原則であり、再創造の原則です。イスラエルの国は、メシヤと一つになって投入しなければなりません。ユダヤ教はアベル、主体の立場であり、イスラエルの国はカイン、対象の立場です。 ユダヤ教を訪ねてこられたイエス様を中心としてユダヤ教は一つとなり、愛で投入してイスラエルの国を復帰しなければならないのです。イスラエルの国が独立して、イエス様と一つになったならば、ローマに投入して、ローマを復帰しなければなりません。 ローマが怨讐の立場にあるので、「怨讐を愛せよ」という話をしたのです。サタンは、怨讐を愛せば逃げていくのです。自分を愛する個人主義は、自分第一主義であり、「サタンの大王」主義です。 それで、旧約時代は何を犠牲にしたのかというと、万物です。万物を犠牲にして息子が来ることのできる道を築いてきたのが、旧約時代です。息子がそのままでは行けないので、蕩減法によって吸収させ、犠牲にさせる業をしてきたのです。 ですから、祭物は全部、二つに割くのです。一方はサタン側、一方は天の側です。これは、人間の心と体が分かれたのと同じことです。一つの心になって、天の前にささげなければなりません。そうしてこそ、祭物が自分の代わりに贖罪の条件になるのです。 それゆえ、旧約時代には万物を通して祭物を犠牲にし、メシヤを再創造してくるみ業をしたという話です。メシヤが来ることのできる、その基盤を築いてきたのです。そのためには、犠牲にならなければなりません。血を流さなければなりません。投入しなければなりません。 自分を中心として「もったいない」などと言えば、だめなのです。根こそぎ尊いものをささげなければなりません。血を流すようなことになっても、哀れに思ってはいけません。それを皆、祭司長がほふるのです。 祭司官がそれを無慈悲にほふり、ささげなければならないのです。そのように血を流して投入することによって、その一つになった心を中心として、祭物をささげ、祭物の役事を通して、息子を捜し出す道を復帰してきたのです。旧約時代は、国家の王になる時まで、万物を犠牲にして息子を指導してきた時代です。 それから、新約時代は何でしょうか? イエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエルの国が一つになっていたならば、イエス様は死にませんでした。イエス様を中心としてユダヤ教とイスラエルの国が一つとなり、イエス様が王になったならば、イエス様は死ななかったのです。主体と対象の関係がないので、ローマの前にイエス様は犠牲になったのです。 カイン的ローマの前に、王として来られたイエス様が亡くなられるようになったのです。ユダヤ教とイスラエルの国が反対することによって、イエス様はローマの前に亡くなられたのです。ですから、キリスト教は血を流してきたのです。 万物が祭物となって、子女が生きることのできる国家編成をしていたすべてのものが、イエス様と一つになることができなかったのです。祭物と一つになり得るイエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエル国家、アベルとカインが一つになれませんでした。 主体と対象が一つになって、イエス様の前に吸収されなかったことによって、イエス様が亡くなられたのです。イエス様は、大きな存在です。大きなものの前に投入しなければなりません。投入することのできる環境がないので、イエス様は、ローマの前に犠牲になられたのです。本来、東洋から出発しなければならなかったのですが、イエス様が血を流されたので、血を流されたその道に従って、ローマに入っていって、反対に行ったのです。過ぎ去った出家と独身生活時代 歴史以来、宗教の中で殉教の血を流してきたのは、キリスト教しかないと言ってよいのです。ほかの宗教にはありません。ほかの宗教は天使長圏の宗教です。キリスト教は、「息子の宗教」です。キリスト教だけは、来られるメシヤ、救世主のために血を流し、人間の祭物を通して進んできたのです。救世主は何かというと、父母として来られるのです。それを知らなければなりません。 キリスト教徒が子女の立場で血を流したのは、父母が来ることのできる道を築くためです。キリスト教は、再臨主が来られて、「小羊の婚宴」をして父母となり、天下を分けて兄弟同士争うものを、統一するみ業をしなければなりません。ですから、キリスト教が子女の血を流し、父母が来ることのできる時代を準備してきたのです。それが新約時代です。 では、再臨主はどのようにして来られるのでしょうか? 雲に乗っては来られません。教条的な連中が、「雲に乗ってくる」と言うのです。そのような話をしようとすると、きりがありません。 地で失ったものは、地で取り戻さなければならないのです。皆さん、金銀財宝を地で失ってしまったとき、それを空中に行って見つけ出せるでしょうか? 失った所に行って、見つけなければならないのです。アダムとエバによって地で失ったものは、地で捜さなければならないのです。 ですから、再臨主が来られる時まで、キリスト教は血を流します。そうしながら、旧教と新教が分かれたのです。これを統一しなければなりません。これを統一できなければ、世界が統一できません。 アダム家庭で、エバを中心としてアベルとカインが分かれたのです。兄をサタンがつかんでいるので、復帰は反対に上がっていくために弟を立てて、兄が弟の立場、弟が兄の立場に立つようにしなければなりません。反対の道を行かなければならないのです。 それゆえ、宗教は出家をしなければなりません。その国を否定し、その血族を否定し、その父母を否定し、自分のあらゆる兄弟を否定し、自分の妻を否定し、息子・娘を否定し、自分の体まで否定しなければならないのです。 そうしなければ、元へ戻すことができません。否定を強要できる宗教でこそ、これが成されるのです。それゆえ、宗教は出家を命令しなければならないし、「必ず独身生活せよ」というのです。神様が一番嫌われることは、神様を中心とせずに男女が愛する行為です。 人類の真の父母と神様が、結婚できなかったのだから結婚できないというのです。みんな、このようなことを知らずに暮らしています。統一教会はどうですか? 統一教会は何をせよと言いますか?、「還故郷せよ」と言うでしょう?、「出家をしたので、故郷を訪ねるように」と言ったのです。 「家庭盟誓」第一条を朗読してください。(全員、「家庭盟誓」一節を朗読)どこの地ですか?、(「本郷の地」)。本郷の地。失った本郷を求めて進んでいかなければなりません。本郷を求めて、何をするのですか? 地上天国と天上天国を成さなければなりません。自分が創建しなければなりません。 罪を犯したので、罪を犯した者が全部、つくらなければなりません。千年万年、億万年かかっても、しなければならないのです。ですから、統一教会は「還故郷」ということを言うのです。これは、宗教界にないことです。それから、「結婚せよ 祝福せよ」と言うのです。 神様が一番嫌われたのが、そのことです。ですから、「出家だ 独身生活せよ」と言ったのです。しかし今は、そのような時代が過ぎ去りました。統一教会は「還故郷して、結婚せよ」というのです。故郷に帰らなければなりません。出家時代は過ぎ去りました。故郷を訪ねていかなければならないし、結婚しなければ皆、滅びます。仏教やカトリックが皆、滅びつつあるではありませんか。再臨主は雲に乗って来ない 旧約時代は万物を犠牲にして、息子を復帰するためのものです。息子を犠牲にするみ業をしたキリスト教は、父母を迎えるためのものです。父母が第二次世界大戦後に、英・米・仏を中心として……(聞き取り不能) 英国は島国、エバ国家です。母の国です。アメリカはアベル国家。フランスはカイン国家ですが、これらが一つにならなければなりません。アダム家庭において、母と長子と次子、この三人が怨讐になりました。この三人が怨讐になったのを統一するのです。アダム家庭で失ったものは、神様のみ旨の中で復帰という受難の過程、蕩減路程を経なければならないのです。 そうして、神様を中心として失ってしまった家庭を代表した女性となる国家が、この地上に初めて現れたのが、エバ国家の英国です。そして、エバである英国が生んだのがアメリカです。フランスは英国と争い、アメリカと争った怨讐です。しかし、この怨讐が一つになりました。 一つになったので、第二次世界大戦では、このキリスト教を中心として、枢軸国と連合国が争ったのです。八百万の神を信奉する日本は、雑教国家です。西洋文明圏は、唯一神を信奉しています。 これは、原理で否定できない事実です。第二次世界大戦以後に、キリスト教文化圏を中心とした統一世界が、歴史以来初めて、出現しました。エバ国家、アベル国家、天使長国家が英・米・仏で一つになったのです。 日本は枢軸国といわれました。中心の軸になる国です。枢軸国です。連合国というのは、合わさった国です。これは三天使長と同じです。サタン側は枢軸国です。東洋で失ったものを東洋で取り戻すのですが、日本はエバ国家として一番近くにある韓国を占領したのです。四十年歴史で、四千年を蕩減したのです。 旧約時代に万物の血を流させたのは、だれを迎えるためですか? イエス・キリスト、神様の息子を迎えるためです。イエス様を完成した息子となるようにして、結婚式をするために送ったにもかかわらず、死んでしまいました。ですから、再び来なければならないのです。 国家基準で失敗したので、神様の威信がつぶれ、その国家を訪ねていくことができません。ですから、世界的舞台に送り、世界時代を迎えて、世界の上で復帰しようというのです。家庭で失敗し、国で得られなかったので、世界を統一するために再臨主が来なければならないのです。そうしてこそ、神様の威信が立つのです。 英・米・仏が一つになって、キリスト教文化圏が統一天下圏をつくるのは、来られる再臨主を迎え、万王の王圏を立て、天の国の皇族と天の国の民をつくるためです。しかし、来られる主が雲に乗って来ると思っているのです。来られる主が、文総裁だとは知らなかったのです。文総裁が、来られる再臨のイエス様になれる資格があると思いますか、思いませんか?、(「思います」)。狂った人たちですね。イエス様が雲に乗って来られるのに、文総裁がどうして再臨主になりますか? 再臨主とは何かを、私は知りませんが、理論的な面で真の父母の説明ができれば、それで天下統一できるのです。ですから、文総裁が今、東側で話せば、西側までインターネットで伝わります。雲に乗って来られるというのですが、私は飛行機に乗って来るではないですか。 二千年前に、イエス様は雲に乗って再び来る、と言いましたが、その当時の人たちが、飛行機を知っていたでしょうか?、「鉄の塊が五百人を乗せて、空中を飛んでいく」と、そのような話をするでしょうか? そのときの言葉では、雲に乗って来る、というようにしか言えません。 先生は最近、飛行機に乗り、地の果てから果てまで飛びます。今、ここから飛べば、香港まで行くのに、以前より一時間半速くなっています。また現在、飛行機会社をつくっているのです。再臨主の特権 旧約時代には万物を犠牲にして、メシヤが来て生きることのできる基盤を築きました。しかし、責任を果たせなかったために、息子が十字架を負い、血を流し、祭物になることによって、ご父母様の来られる道を築いたのです。 英・米・仏国家が一つとなった統一天下を中心として、そこに王として来られたのです。しかし、雲に乗っては来ませんでした。それでは、雲に乗って来られたなら分かるでしょうか? イエス様が若者として来られたといえば、自分たちが霊的に見て、日の光のように輝いて見えるでしょうか? また、イエス様は黄金の塊のようにして来られるでしょうか? イエス様が来られても分からないことでしょう。だれが信じるでしょうか? 教条主義者たちが、文字どおりのことを言っているのです。夢のようなことは信じてはいけません。私は今まで、そのために反対されました。 イエス様は、「人として来る」と言われればいいのに、なぜ「雲に乗って来る」というような話をされて、文総裁を苦労させるのでしょうか。(笑い)イエス様も私を見れば、私にあいさつをするようになっているのであって、レバレンド・ムーンがイエス様にあいさつをするようになっていません。 イエス様が私を見ても、「お父様」と言うのです。イエス様がお父さんになりましたか? 結婚しましたか? 結婚できず、お父さんになれるでしょうか?この文総裁は結婚し、美人のお母様が後ろについて回るのです。それから、息子・娘がたくさんいます。カインの子女たちがたくさんいて、百八十五か国の人々が文総裁の後ろについて、「来るな」と言っても会おうと大騒ぎです。 再臨主が来られて今まで苦労しましたが、再臨主が祭物になったでしょうか、ならなかったでしょうか? 先生の家庭、子女を皆、引き裂き、韓国を引き裂き、東西統一世界を引き裂きました。父母である私がこのように苦労しています。ご父母様が十字架を負うのです。 ご父母様が苦労をして、何をしようというのでしょうか? 真の愛を中心とした家庭をこの地上に安定させようというのです。そのことを知らなければなりません。ご父母様が苦労し、本然の心情の地を求めなければならないのです。 父母が問題となって堕落したので、父母も苦労をしなければならないのです。蕩減の道を行っても、越えなければなりません。既成教会が受け入れていたならば、その苦労はなかったのです。既成教会が先生を受け入れなかったので、共産党が現れたのです。 民主世界と共産世界がアベルとカインです。争うものを統一させなければなりません。それゆえ、自分の手で共産主義をつぶさなければなりませんでした。自分の手で民主主義、アメリカの行くべき道を開いてあげなければなりません。 アメリカがレバレンド・ムーンの怨讐であり、日本が怨讐であり、ドイツが怨讐です。今、怨讐国家を生かすために、このようにしているのです。韓国と日本が怨讐であり、日本とドイツが怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、ドイツとアメリカが怨讐です。怨讐の人たちを中心として、アメリカを救うのです。アメリカを解放して、キリスト教を一つにするためです。 白人たちを一つにして、南米作戦をするのです。キリスト教のアベルとカインを一つにして、南米作戦をするのです。これは歴史的なことなのです。それゆえ、旧教も文総裁が恐ろしくて反対したし、新教も恐ろしくて反対しました。反対しますが、家庭問題を旧教も、新教も消化できません。青少年問題、家庭淪落を解決できるのは、先生だけの特権です。ご父母様が苦労したのは、絶対愛を中心として理想的天国をつくるためです。 先生が祭物になってきました。先生が祭物になって、家庭理想をすべて見いだした後には、何をするのでしょうか? これを皆、相続させるのです。これを皆、相続させるためのものが三万双までの祝福だったのです。三万双の祝福は蘇生、三十六万双は長成、三百六十万双は完成です。今年五月に三千六百万双をやろうと思ったのに、神様がどれほど忙しいのでしょうか、天が全部、督促したのです。 三億六千万双が着地する日には、この地上に情緒的心情圏の地上・天上天国の統一の世界が来るのです。心情圏に生きては亡くなっていった家庭を中心としたアダム家庭完成と同じになるので、地上天国に生きてから天上天国に入るようになるのです。天国は家庭が入るようになり、国家が入るようになり、アダム一族が入るのです。 それゆえに、第三アダムとして収拾し、第四アダム圏解放を中心として、万国全体が一つの兄弟圏大家族の編成をし、家庭で王になるのです。文総裁は、全世界家庭の愛の王の出発を始めるのです。 自分が家庭的王となり、今、統一教会の王でしょう? 権力をもって羽振りを利かす大統領ではありません。学生を教える先生でもありません。何の王ですか? 愛の王です。真の愛を中心とした家庭の王です。それを認めますか?、(「はい」) ですから、男性も女性も先生を憎むことはできません。憎めば、自分の家庭が皆、分散してしまいます。統一教会に来て、祝福を受け、分かれてしまえば、永遠に皆、分かれてしまいます。落ち葉になって、腐ってしまうのです。 出ていくときは、思いのままに出ていっても、入ってはこれません。そうしながら、泣いている人がたくさんいます。出ていって、先生に反対した後に先生に出会えば、「あなた、反対していたね」と言うと、涙をさっとこぼすのです。統一教会は恐ろしいのです。サタンは、真の愛圏内にいることはできないのです。 ご父母様が苦労した目的は何ですか? 第二次世界大戦以後、真の愛の園を築こうとしていたものが、新教と旧教が一つとなって反対することで、全世界から反対を受けたのです。先生は二千年間、四百年間生きることはできません。四十年間でこれを再び引っ繰り返し、一代で完成しなければならないのです。 アダム家庭一代で、完成すべき世界舞台を失ったので、先生が血の涙を流しながら、一代で引っ繰り返し、完成できるものが現れたのです。三万双から三十六万双、三百六十万双、三千六百万双を完成するのです。蘇生、長成、完成の峠を越えるのです。三百六十万双の目的を果たしましたが、神様がどれほど忙しいのか、三千六百万双を越え、七千万双をやってしまいました。どれほど忙しいのか、霊界で総動員して、激しく駆り立てているのです。皆さんがやったとは、夢にも思ってはなりません。万物祭物、子女祭物、父母祭物 復帰歴史は、蕩減復帰であるということを知りました。蕩減復帰は、血を流す受難の道、蕩減の道であるということを知らなければなりません。そうして旧約時代、新約時代、成約時代という、この歴史時代全体と同じことを、皆さんが蕩減条件を立てて越えなければならないのです。そうしなければ、解放的愛の心情文化世界に同参できないというのが、蕩減復帰原理で見た歴史観の総結論です。 その話はどういうことかといえば、エデンの園でアダムとエバが祝福を受ける前の宇宙の万物は、神様が主人であり、祝福を受けるや否や、一つになることによって、神様のものが自分のものになることができたというのです。 私を超えて地球星、この宇宙全体までもが、神様を主人としたアダムとエバが、その根本主人だったのです。ところが、堕落することによって、神様は愛の相対を失われ、愛のためにつくられたこの宇宙はサタンのものになってしまったのです。 そこから分立するために、しかたなく万物を割き、息子を割き、父母も割いて祭物にし、順応できる絶対的信仰圏を中心として進んできたのです。神様の祭壇を見れば、万物と息子と父母が祭物になってきたということを知らなければなりません。この事実が、歴史を経て行われただけなのです。 アダム家庭で失ったものを蕩減復帰するためには、どうしたらよいのでしょうか? 万物を失い、息子・娘を失い、真のご父母様を失い、愛を失ったものを、総蕩減するために、長い歴史の祭壇を整えてきたのです。 皆さん自身の祝福家庭を見るときに、皆さんは父母の立場であるとともに子女がいます。また、サタン世界には万物があります。そこに所属している万物と子女と体が、まだ総蕩減されていなかったのです。 来られる真のご父母様が、このように万物を犠牲、子女を犠牲、父母を犠牲にし、解放的愛の世界に入っていかれるのと同様に、皆さんもその道を行かなければならないのです。ご父母様が、歴史時代にそのような三段階の祭物的過程を経て、真の父母の解放圏に入ったのと同様に、皆さんも解放圏に入らなければならないのです。 今日、皆さんはサタン世界の様式に染まっています。皆さんも所有権を持っています。物の所有権です。また、自分たちの偽りの父母がおり、偽りの息子がおり、偽りの万物を持っています。 これは、一家庭を平面的に見れば、万物は旧約時代、子女は新約時代、父母になり得る自分は成約時代です。真の愛を受け継ぐためには、旧約時代に万物が犠牲、新約時代に子女が犠牲、成約時代に父母が犠牲になったのと同様に、犠牲にすることのできる立場でささげなくては、真の父母の心情的解放圏に接ぎ木されないのです。(「アーメン」)。重要な問題です。 もはや、三億六千万双が終わる日には、すべての人類の所有権が、返還されなければなりません。万物と子女と皆さんの体が、歴史時代に神様の実体を中心として求めてきた万物犠牲の旧約時代、子女犠牲の新約時代、父母犠牲の成約時代と同様に、血を流し得る条件を中心として、皆さん一代一家で犠牲になり、否定されることのできる過程を経なくては、真の父母の善の天地の勝利圏に接ぎ木され得ません。切らなければなりません。分かりましたか? どうしなければならないのですか?、(「切らなければなりません」) 切るとはどういうことでしょうか? 否定しなければなりません。物を否定し、子供を否定し、自分自体を否定しなければなりません。きょう、第三十一回「真の神の日」を迎えましたが、今後、三年を中心として二〇〇〇年代まで、天地が転換し得る大転換式に皆さんが備えるべきものは、万物の祭物、実体の子女の祭物、自分自身を祭物にすることのできる、完全否定できる道を行くことです。避難民にならなければなりません。 物と子供と自分の夫婦、父母自体を投入するのに、喜んで蕩減復帰しなければ、心情圏、王圏の国民、あるいは孝子、天の皇族にはなれません。それが原則になっています。完全に否定して凌駕していくのです。日本のメンバー、分かりましたか?、(「はい」)。母としての使命は恐ろしいものです。自分の骨肉すべてを子供に投入して、犠牲になっていかなければならないのが、母の国の使命です。 韓国は、経済的に困難ですべてを失ってしまいます。韓国は、旧教も新教も仏教も、全宗教も、また北韓も南韓も、家庭もすべて「無」の状態です。日本が、母の国として責任を持たなければなりません。そして、天使長の立場にあるアメリカが責任を持たなければならないのです。 韓国を解放し、すべてを解決する方法を、文先生以外に分かっている人はいません。先生は日夜、苦労しながら準備しているのです。分かりましたか?、(「はい」)。この解決法は、UN(国際連合)を動かすことです。 物は自分のものではありません。子供も自分の子供ではありません。神様と真のご父母様の犠牲の祭壇の前に、それを越えていくのは、個人の所有権全部、すなわち物も子供も自分の夫婦も、勝利した真の父母に接ぎ木することによって、心情圏の世界圏に突入できるのです。それ以外の道はありません。 今から、世界的なすべての祝福家庭を集めるようにするのです。万物祭物、子女祭物、父母祭物、このようにして心情圏世界へと移るためには、世界的な勝利をした真の父母の前に、切って接ぎ木しなければなりません。 先生には所有権がありません。先生の息子・娘もすべて捨てました。今まで、息子・娘を捨てて歩んできたではないでしょうか。先生は自分まで捨てました。そうではありませんか?ここに、先生の子女たちが座っていますが、父母を自分の父母とは考えていません。統一教会の父母と考えるのです。物心がついたので、今からはそれが分かる時が来ました。「自分の父母が、このように素晴らしいとは知らなかった」と言うのです。 神様の愛と心情圏を尋ね求めて、すべてを捨ててきました。それゆえ、神様が祝福して心情圏統治世界を私に伝授されるための瞬間が、今です。皆さんがこのような立場で、解放的家庭の民族圏を成すためには、皆さんも同じ立場で清算することのできる条件として、自分の物と自分の体とすべてをささげなければならないのです。小さな立場にいる家庭は、大きな家庭に吸収されなければならないのです。 そのようにして、神様の愛の世界、天の生命の根源地に入っていくのです。万物は男性・女性の生殖器に行くために吸収されて入っていくのです。人間は、神様の愛の生殖器に入っていくために犠牲にならなければなりません。 それは間違いないでしょう? 原理観でしょう? 先生が天理の大道の原則を話すのです。分かりましたか、分かりませんか?、(「分かりました」)一度、言ってみましょう。旧約時代、(「旧約時代」)。新約時代、(「新約時代」)。成約時代、(「成約時代」)。全部、祭壇にして、天の前に置いて、解放された体で、真のご父母様が勝利したものに接ぎ木するための道を行かなければならないということは、避けることのできないことであることを知らなければなりません。分かりましたか?、(「はい」) このような原理があるので、自動的に世界が統一されるのです。レバレンド・ムーンが世界を救えばよいというのです。韓国は放っておいてもよいというのです。国連が神様の願いにかなえば、すべて終わるのです。 きょう、「真の神の日」には、今後の韓国の解決方法、世界の解決方法を教えてあげようと思います。このようにすることによって、天国に直行して解放圏に行くのです。アーメン。(「アーメン」) 新年の祝福の日が明けてくるとともに、解放の日が明けてくることを願いながら、神様の怨恨が解怨成就されることを願いながら、万歳三唱をします。神様、万歳、(「万歳」)。ご父母様、万歳、(「万歳」)。三億六千万双、万歳、(「万歳」)。神様の祝福があるように。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.19
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「霊界祝福開門」宣布一九九七年十二月一日(午後十一時十分)、イーストガーデンにて、二十余名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は金孝南執事の両手に手を重ねて祝祷し、霊界祝福開門宣布をされた。祈祷 愛するお父様……、一九九七年十一月二十九日、三百六十万双、三千六百万双、合わせて三千九百六十万双の祝福が完結することによって、地上と天上世界の道を築き得る天の恵みが許され、万民が共に天国に入れる開門の恵沢を賜り、自分から進んで努力する祝福家庭を中心として、氏族的メシヤの使命を完遂することによって入籍し、天国の民として公認を受ける時代圏に移行するようになりました。 地上でサタンの血族を断絶すべきこの時期を代身して、地上から天国に直行し得る家庭的祝福を解怨させていただく反面、霊界にいる大母様と忠母様と大兄様、それから大母様と興進君を中心として……それからアダム家庭・イエス家庭・完成した再臨主家庭の三家庭を代身したすべての民が、霊界と肉界にいる人類全体を代表した子孫でございますから……、今や、すべての先祖と因縁を結んだ地上の家庭をすべて祝福することによって、家庭から世界まで開門できる時代を迎えました。 また、十六歳以後、サタンの血縁的問題をすべて備えた天使長圏の世界を、再臨主がこの地に来られて肉体を中心として完成することによって、十六歳以後の世界的版図まで、真の父母の血族的因縁を中心としてサタンの血統を断絶し、切り捨て、接ぎ木することのできる時代が要求されることによりまして……、霊界に新しい祝福の恵みを連結することのできる、そのような祝福を付与してくださいましたことを感謝申し上げます。 今後、清平にいる大母様と金孝南執事が一つとなって、一切を天と連結し、興進君と大母様と連結させ、忠母様や大兄様、霊界にいるすべての子孫、聖人賢哲や天軍天使の全体に、解放の祝福を受けさせることにより……、そしてまた、お父様の恵みの中で保護を受け、あなたの愛の中で血族の因縁を代身し、霊界と肉界が一つの完成した愛の家庭を築き、すべてを結実の基準として祝福を受けさせることによりまして……、霊界も開門し、地上もそれに伴って恵沢を受けることのできる特権を付与してくださいますよう切にお願い申し上げます。 世界的摂理の発展と共に、清平が仲保的な役事で、霊界と地上の統一食口を連結することによって、統一的な恵沢圏を確定することができますよう祝福してくださいませ。あなたが直接顕現なさり、導いてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての先祖たちと万民が一つになり、天使長圏とアダム圏が一つになって地上を完成することにより……、そしてまた、霊界を開門して、第二アダム圏を中心として長子権復帰や父母権復帰、王権復帰の全体的恵沢を受け得る地上により……、霊界までが祝福を受けられるようにしてくださらんことを切にお願い申し上げます。 そうして、天使長世界の体となった全霊界の子孫たちが、アダム的な第二の体として接ぎ木されることによって、弟的で、第二アダム的な祝福家庭として霊界に入り、カイン的立場の長子権に代わってアベルが長子となることによって、第一アダム圏を逆に引き継いで接ぎ木し、天の解放圏に祝福家庭を成立させることを許諾いたしますので、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 万民の地上解放と共に天上解放を完成し、あなたがどこにおいても、はばかりなく本然の愛の心情を広めることができますよう祝福してくださらんことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今、真の父母の名によって地上を完結するとともに、天上の開門となる祝福を許諾いたしますから、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 このすべてのみ意が、すべてにおいて成就するようにお許しくださいませ。この日、この夕べ、このすべての霊界の開門の祝福を許諾し、すべてを宣布いたしますので、真の父母の名によって受け入れてくださり、霊界においても統一的な宣布がなされますようお願い申し上げます。 このすべてを真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(金孝南執事に)韓国に行って、先生の家庭のおじいさんをはじめ、七代先祖すべてを連結して祝福してあげ、それに続いて、霊界にいる聖人や聖哲たちを祝福してあげなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.17
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[23.05.14] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ 大祝祭一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.14
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青年文化として定着すべき純潔運動日付:一九九七年十一月三十日場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンションセンター行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会 尊敬するマリオンベリーワシントン市長御夫妻、著名な国内外の貴賓、スポーツ祝祭に参加された「世界大学原理研究会」の会員、そして紳士淑女の皆様。きょう、この朝に世界的な都市、ワシントンDCの中心に位置するコンベンションセンターにおいて、勇ましくはつらつとした世界各国の若者の皆様とお会いでき、とてもうれしく思います。 特にこの場をお借りして、今回「世界文化体育大典」の行事を誘致してくださっただけではなく、この期間に多くの便宜を提供してくださったべリー市長とワシントン市民の皆様に、改めて深く感謝を申しあげます。 世界文化体育大典は真の愛の祝典 全世界が、きょうこの場に雲霞のように集まられた若者である皆様を注視していますので、皆様もまた、皆様を見つめるこの世界に対して責任をもつと誓う場となることを願います。 私は「世界文化体育大典」のビジョンを、一九八八年、ソウルオリンピックが終わった直後に、私の祖国である韓国で公表しました。様々な面から見て、当時のソウルオリンピックは、近代史において一つの大きな転換点でした。東西の冷戦によって一九八〇年のモスクワオリンピックと一九八四年のロサンゼルスオリンピックが、部分的なボィコットの中で開催されて以降、初めてソウルオリンピックを通じて、全世界の国々が一家族として再び集まったのです。 東の共産圏と西の民主世界の若者たちが、ソウルで共に走って一つになるのを目撃しながら、民主世界と共産世界を塞いでいる障壁がすぐに崩れることを、私は予見していました。そして、これから人類がもつべき未来の祝典は、人間の肉体的な技量だけを競うオリンピック競技から、一歩進んで、文化と道徳、精神の高揚を共に目指す全人格の形成に焦点を置かなければならないと思いました。さらに、このような全人類的祝典の核心は、人間の心と体の中心となる真の愛を実現する真の家庭を築く祝福結婚の行事でなければならないと強調してきました。 ですから、「世界文化体育大典」は、全人類の心が共に調和する真の愛の祝典であり、全世界の学術、政治、宗教、言論、芸術など各分野の最高指導者たちが一堂に会して開かれる知性の文化大祭典であり、また健全な肉体を競い合い、世界の人々の団結を図る若さのスポーツの饗宴でもあるのです。 一言で言えば、真の愛を主軸として、人間の精神と肉体の調和と発展を期し、世界の各分野の指導者が知恵を集め、平和世界を設計しながら二十一世紀の新文化創造を模索する場、それが正に「世界文化体育大典」なのです。 絶対「性」による純潔運動 「世界文化体育大典」は、韓国で一九九二年と一九九五年に、各々第一回、第二回の大会が挙行されました。そしてきょう、私たちは、世界的な首都であるワシントンDCで、第三回大会の最後の行事を迎えているのです。 人類の未来を担うべき若者の皆様に、きょう私がお願いしたいことは、絶対「性」を強調する純潔運動です。この大会の期間に皆様は、絶対愛と絶対純潔を叫びながらワシントンDCの中心街を行進しました。私は、この行進こそは、今日地球上のどこを探しても見つけられない価値ある一場面であると思います。 既に昨今の世界では、「純潔」という言葉の価値やその重要性に関する論議さえも、陳腐なものとして扱われる環境になっています。純潔な愛の不在は、家庭の破綻を促し、人類の未来を暗くする根本要因になっているのです。 人類が歴史を通して純潔を強調し、これを大切にしてきた理由は、純潔それ自体が生命の尊厳と直結するものだからです。したがって、純潔を尊重する心は、命を貴く思う心と通じるのであり、それは取りも直さず、自らの氏族と全人類を大切に思う心につながるのです。さらには、この純潔の立場は、神様と出会うことのできる心と最も近く通じるのです。 いくらアメリカが強大国といっても、この純潔の問題に関して決して強いとは言えないことは、否定できない現実です。ワシントンDCが世界の首都としての体面を守ろうとするなら、何よりもこの純潔の問題において一番にならなければならないでしょう。ワシントンDCが純潔と真の愛の聖都となる日には、アメリカ全体が、全世界の尊敬と愛を受けるようになるでしょう。 青年運動として定着すべき純潔運動 人類始祖アダムとエバをはじめとして、人類の歴史上、大勢の英雄や修行者たちが越えることのできなかった峠が、正に純潔の峠でした。純潔に対しては、家庭はもちろん、学校と教会、そして政府さえも責任をもてないというのが今日の問題点です。 純潔を守る最善の方案として私が教えてきたものが絶対「性」です。これは、神様のもとで結ばれた愛の相対は永遠であり、いかなる条件下においても変わることのない絶対的な愛の関係だという意味です。なぜかというと、二人の配偶者の出会いは、永遠で絶対的な神様の愛を中心として実現されるものだからです。これは男性にのみ強調されるものでもなく、女性にのみ該当するものでもありません。男女共に絶対的に守るべき天倫なのです。 フリーセックスこそは、この地球星から完全に根絶すべき邪悪な風潮です。このフリーセックスと関連した要素は、麻薬、暴力、同性愛、エイズなどのように人類を破滅へと追い込んでいく要因なのです。 このように「世界文化体育大典」の目標が、完全な人格体を育て、真の愛の土台である真の家庭を築くことなので、この大典に参加された皆様にとって、純潔の意味はさらに格別であり重要です。皆様が展開するこの純潔運動が地上に定着するとき、真の家庭運動は最も大きな力を得るのです。 ですから、皆様は、この純潔運動を新しい青年文化として、一日も早く世界中に定着するようにしなければなりません。既に三百六十万家庭、そして三千六百万家庭が、今回の祝福結婚の行事を通して、純潔と絶対「性」を誓いました。皆様はこれから、踊りと歌とスポーツを楽しむ祝祭を終えて、純潔と真の愛のメッセージを、大学街、そして世界の津々浦々に伝えなければなりません。 真の家庭運動は新しい平和運動 韓国の諺に「民心はすなわち天心である」という言葉があります。既に三千六百万組に至る家庭が、神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことを誓って立ち上がったとすれば、それは正に神様が共におられるという意味にほかならないのです。 ですから、三億六千万家庭を新たな目標として引き続き推進されるこの真の家庭運動は、正に神様をこの地球星にお迎えする新しい平和運動なのです。したがって、人類が新しい二〇〇〇年代へと進入するための最上の準備は、三億六千万組の祝福結婚行事を成功裏に成し遂げることであると言わざるを得ません。 今回の祝典に参加された皆様は、これから御自身の国にお帰りになり、一層自信をもって純潔運動を活発に展開してくださり、真の家庭の理想がこの地に定着するよう積極的に後援してくださることを願います。 きょう行われる皆様のスポーツ大会が、若さを燃やし、友誼(ゆうぎ)をさらに固める機会となり、本大典の有終の美を飾る行事となることを期待します。皆様と皆様の御家庭と将来に神様の祝福が共にあることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
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4000万双世界祝福式祝祷:主礼・真のご父母様1997年11月29日 愛する天のお父様 きょう一九九七年十一月二十九日、このワシントンDC、R・F・K・スタジアムで、三六〇万双と三六〇〇万双を合わせて、三九六〇万双の結婚式を挙行するようになったことを心から感謝いたします。 ここに集ったあなたの善男善女が、真の父母によって因縁づけられ、真の愛の血統を受け継ぎ、真の夫婦として家庭を成立することのできる、歴史的な新しい起源をなすことのできる、祝福の行事を許諾してくださったことを心から感謝いたします。 全人類が注目し、国家的に選抜された多くの善男善女たちが、国々が注視する中にあって、それだけでなく、全霊界と神様が注視する場で、天地が和動する場で、真の父母と共に、真の子女が神様の伝統的家庭を相続することのできる、祝福の結婚式を許諾してくださったことを、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 歴史を回顧するとき、人類始祖の一瞬の失敗によって、億千万年、恨みの心情を天の父母の前に残し、数多くの先知先烈たちはこのことを蕩減復帰するために、受難の道、犠牲と祭物の道を歩んできたことを知っております。 アダム・エバ、人類始祖の一家族の失敗によって、恨みの歴史を残した神様の御旨でしたが、この背いた家庭によって世界を築いてしまったのです。それを再び取り戻すために救援摂理を広げてくださり、この地上に新しいメシヤを送ることを旧約時代に約束されました。 本然のエデンの園で成就すべき第一アダム家庭が完成できなかったことを蕩減復帰するために、第二アダム的立場でメシヤとしてこの地上に来られ、真の父母となり、天と地を代表し得る天の父母と地の父母が真の愛を中心として一つになり、神様の血統をアダム家庭を通して後孫まで連結させ、真の愛、真の家庭、真の国家理想を広げなければならなかったのでございます。 そのためにメシヤであるイエス・キリストは、この地上に第二アダム格の存在として来られ、これを成就しようとしましたが、イスラエル民族とユダヤ教徒たちが一つになり従うことができず、成就することができませんでした。メシヤ的使命、地上に真の父母の天的伝統を伝授するという責任を果たすことができなかったのです。家庭をなして、このことを国家、世界に伝授することができなかったことによって、十字架を負い、再臨という言葉を残して逝ってしまいました。 その後、二千年の歴史が過ぎたこの世界的な版図の上で、家庭基盤と国家基盤で失敗したものを蕩減復帰するために、再臨主を送ると約束されたのでございます。再臨主は第三次アダム完成の立場として、真の父母の立場に立ち、天の血統的伝統を再び相続させるために来られるのです。今、神様を中心として、真の父母を中心として、祝福家庭を編成し、三九六〇万双祝福の立場にまでまいりました。これは天の栄光であり、地の誇りであり、万民解放の祝福の時でございます。感謝申し上げます。 天地の祝福が地上に臨むことができず、神様が地上に臨在し、直接役事できませんでしたが、この祝福とともに今、直接この地上に安息圏を立ててくださり、神様と天上世界と聖人たちの世界をこの地上に再臨できるようにしてくださいました。そして、直接、祝福家庭と民族全体の家庭を結びつけ、お父様の血族の因縁を完全に結びつけることによって、サタンの血統断絶を願う、世界的な天の勝利を宣布することのできる、天に栄光と喜びを帰し奉ることのできる、栄光のひとときを許諾してくださったことを感謝いたします。 今、この時間以後、三億六千万双、人類全体解放の祝福の恩賜を、アダム家庭で完成できなかったことを、全人類の家庭、家庭が完成した立場で祝福の因縁を許諾なさることを願い、最後の前線に向かい前進いたしますので、今から以後、天が直接主導なさり、その目的達成のために全天地が動員され、神様の勝利圏をもち、天の善の主権を中心として、自由な立場で神様が主管することのできる勝利的覇権の王圏を立ててくださるようお願い申し上げます。 このような御旨に従い、きょう、ここに三九六〇万双の祝福を成就するようになったことを感謝いたします。これは蘇生、長成、完成の三六〇万双を越えて、その分水嶺を越え、三六〇〇万双と三億六千万双を着地するための、今後進みゆく路程の足場となるよう祝福してください。 きょう、集った新郎新婦が、無限なる愛、真の父母の愛、天の伝統的血統を受け継ぎ、万世に誇ることのできる血族の先祖たちとなるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 この神聖な結婚式を、お父様、喜びをもって奉献いたしますので、お受けください。ありがとうございます。真のご父母様の御名によってこの者たちを祝福いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 この祝福結婚式に参加された、ご父兄、友人、すべてのゲストの皆様、ここワシントンDCにいらっしゃる新郎・新婦の皆様、世界百八十五か国でサテライトやビデオを通して祝福を受けておられる新郎・新婦の皆様にご挨拶申し上げます。 祝福は、世界文化体育大典の中心イベントでございます。文鮮明師ご夫妻は世界文化体育大典を、一九八八年のソウル・オリンピックの期間中に初めて発表されました。その時以来、文化体育大典は、全人類のための総合的なフェスティバルとして、一九九二年、一九九五年に開催されました。今回は第三回目の記念すべき大会であり、この大会はワシントンDC市によって招請され、歓迎を受けました。この大会の組織委員長として、私は心からの感謝を、名誉あるワシントンDC市長ならびに市民の皆様に申し上げたいと思います。 私たちは新しい千年期に突入しつつあり、人類は深刻な岐路に直面しています。外的には、科学技術は人間生活をかつてなかったほどに、便利で、心地よいものにすることができました。しかし、内的には、人類史上、今日ほど深刻な問題に直面したことはありません。 人類の罪と不運は、人類始祖がサタンの偽りの愛を中心とした不倫の愛の行為で堕落した時に始まりました。彼らは神の祝福を受けずに結婚したので、神の愛を中心とした、真の個人、真の夫婦、そして真の父母になることができませんでした。それどころか、彼らは偽りの夫婦となり、罪ある子女を生む偽りの父母になってしまったのです。人類始祖は堕落のゆえに、善なる人類を形成することができませんでした。 私たちはすべて、この偽りの父母の子孫です。これをすべて本然の理想へと復帰するのが、神の救援摂理です。それゆえ、人類は最終的に真の父母を迎えることになるのです。なぜなら、真の父母は、真の愛の起源と基準を代表するからです。真の父母は祝福の基であり、それが理想家庭の源なのです。 祝福は一九六〇年の三双から始まり、成長に成長を重ねて、一九九二年には三万双が、一九九五年には三六万双が祝福されました。一九九五年のイベントの直後、文鮮明師は「一九九七年に三六〇万双の祝福をする」と宣言されました。しかし、だれも信じることができず、自分の耳を疑いました。しかし、実際に、その目標は今年の七月十五日までに実現され、そのうえ、その十倍の三六〇〇万双のカップルが、まさにこの祝福式に私たちと共に参加しているのです。これは、八千万人近くの人々が、このフェスティバルの主役であるということです。 彼らは、人種的、宗教的、文化的な壁を超えているのです。そして、民族的、人種的、宗教的な壁のゆえに起こった数え切れない対立と戦争で傷ついた、人類歴史の前に立つ、中心的役割を果たす方々です。これはまさに奇跡以上のものです。これが可能となったのは、何よりも、神様が存在されるゆえであります。 多くの国々の国家指導者の皆様同様、主要宗教ならびに宗派の指導者の皆様が、真の愛を中心とした、この貴重な「真の家庭運動」を力強く支援してくださっていることに対して、私は心からの感謝を申し上げます。 祝福式は、偽りの愛の遺物を解決し、結婚に絶対的な真の愛を注ぎ、結婚の聖なる内容を復帰することを追求しています。それは、真の夫婦の愛と真の父母の愛を復帰するための儀式です。したがって、すべての祝福参加者は、純潔と貞節を大切にし、守り抜くことを誓うのです。そして、それぞれが変わらない夫婦の愛を誓い、真の家庭を築き、自分たちの子女を全身全霊を込めて、平和世界実現のために貢献する真の子女として育てることを誓うのです。 平和国家と平和世界は、理想家庭を守ることなしには現実のものとなりません。このことは、結婚とは単に、肉体的に男性と女性が一つになることではなく、人類の平和のための基本的な土台をつくる以外の何ものでもない、ということを意味しているのです。 きょうは本当に希望の日です。それは、人類がすべての壁を真の愛で超え、真の平和世界を築くことができるという可能性を証明しているからです。全人類に対する偉大な祝福であり、世界一家族、全人類兄弟姉妹の実現を、自分の目で体験することができるのです。 親愛なる三九六〇万双、祝福カップルの皆様、真の愛の理想はこの地上生活を超えて、霊界までも永遠に続くことでしょう。祝福の理想を中心とした皆さんの模範的な愛の生活は、世界の新しい希望となり、標石となることでしょう。 皆様が今受けようとしておられるこの祝福の貴い内容を大切にし、真の家庭を築いて、この最も高く、最も貴い祝福を、来るべき子孫に相続してくださることをお願いいたします。 皆様のご家庭に神様の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
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青年は真の愛実践の主役日付:一九九七年十一月二十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、ハイアッ卜リージェンシーホテル行事:第三回「世界平和青年連合」世界大会 親愛なる「世界平和青年連合」の会長、尊敬するリチャードルービンシュタイン共同議長、世界各地よりお集まりになった内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょう、世界百三十ヵ国を超える各国の代表の皆様と共に、「世界平和青年連合」の第三回世界大会を、ここアメリカのワシントンDCで開催できたことを心からうれしく思います。 特に、きょうのこの大会が、歴史的な三百六十万組の祝福結婚式の行事を中心とする第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれたことは大変意義深いことと思います。なぜならば、地球星の各地から人種と宗教と国籍を超越して、世界的に開催されるこの祝福結婚式の行事の主軸が、正に善男善女として選ばれた青年の皆様であるということだけではなく、二十一世紀を眺望して開かれるこの期間のすべての会場で、青年の皆様がその実践の主体となるからです。 これまで世界各国、そして社会の各分野と階層において、世界平和の実現のためにあらゆる心血を注いで努力し、貢献してこられた青年連合会員の皆様に、深い称賛と感謝を捧げたいと思います。 特に、皆様の活動が「世界大学原理研究会」、「世界平和女性連合」、そして「世界平和統一家庭連合」とともに、真の家庭理想の世界的な実践として、今年の祝祭の祝福対象とする家庭数の目標を三百六十万組から、その十倍を超える三千六百万組に、その上にまた数百万組超過して達成した成果に対し、天と皆様に感謝を捧げます。今後、三億六千万組に拡大して展開されるこの祝福結婚式の行事に、青年連合の会員の皆様が、より一層積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。 青年は歴史的転換期の主役 今日、私たちは二十一世紀の入り口に立っています。既に世界各地では、二十一世紀を迎える行事の準備のカウントダウンが始まっています。新世紀を迎える人類の心には、みな等しく、私たち人間が経験した過去のどの時よりも良い、神様の新しい絶対的真の愛で一つになった家庭の価値を探し立てる、そのような新しい世界になることを願う熱望に満ちています。 新しい真の愛の理想を指向する人間の情熱が、世界歴史の変化の原動力になったことを考えるとき、誰よりも高い真の家庭理想を追求し、強い実践の意志をもつ青年の皆様こそ、この歴史的大転換期の主体であり、主役とならざるを得ません。ですから、新世紀の扉を開き、新しい理想的家庭の変化を渇望する人類の前に、皆様は希望の象徴として現れるのです。 歴史上には、文学作品に、青年たちの役割と特性、またはそれに対する礼賛の言葉が数多くありました。しかし、今日ほど、家庭や国家、また世界において、青年の役割と責任だけではなく、真の家庭に対する革命が強調される時というのは、まれなことだと思います。ですから、今回の大会で「真の家庭と国家と世界のための青年」という大きな主題を中心に議論することは、非常に時宜にかなったことであると言わざるを得ません。 現在は、家庭や国家、世界のすべてが深いジレンマに陥っています。世界的に産業が発展し、機械文明が発達し、人間の生活が便利になるほど、かえって私たちの生活の基礎となる家庭は破錠に向かっているのです。アメリカ統計局の資料によると、急増する離婚率は、一九七〇年から一九九〇年までで三倍も跳ね上がり、六家庭に一家庭は離婚するという結論が出てきています。そして、全国的に三〇パーセントの子女が片親のもとで育っているという実情です。さらにその上、同性愛の夫婦という世紀末的な奇現象までますます広がっているのです。 実に四〇パーセントに達するアメリカの十四歳から十九歳までの少女たちが、妊娠を経験するという報告があります。三十年前に比べ、青少年の自殺率が三〇〇パーセントになるという爆発的数値を示しているのは、衝撃的なことであると言わざるを得ません。家庭の崩壊現象は、現代社会が抱える最も深刻な危機要素となっているのです。国家的な次元においても、慢性的経済不均衡と麻薬、暴力、エイズなど、街の隅々に硬直した社会問題の前に、政治の力はその限界をさらけ出しています。 さらには、今日の世界は依然として戦争とテロの脅威、人種間の葛藤、宗教間の反目、そして環境破壊のような全人類的な課題を抱き、苦悩しています。数多くの地域の人々が飢餓と疾病の苦痛の中でむごたらしく苦しんでいる様子は、いまだに私たちが無視できない現実として残っているのです。このような現実こそ、今まで人類が経験してきたすベての理念や活動に対する総体的な成績表となります。そしてその内容は、不幸にも落第点なのです。 ですから、すべての家庭と国家と世界は、新しい変化を切実に追求しています。新たな二十一世紀を迎えながら、私たちは自ら、すべての家庭と国家と世界を新しく変化させなければならないという、主体的自覚が先立っていかなければなりません。 私たちに与えられた課題は、変化の主体として新しい青年像を確立し、新しい真の家庭と真の国家、そして真の世界のための新時代を開かなければならないのです。すべてが新しくならなければならないときに、新しくなれなければ破壊されてしまいます。 一粒の種は、芽を出すことができなければ腐ってしまいます。新しい朝が来れば、新たに身支度をしなければなりませんし、新しい季節が来れば、新しい生活環境を整えなければならないのです。重要なことは、新しい変化の風によって真の世界をつくるために、私たち自身が、真の家庭と真の国家によって新しくならなければならないということです。 青年連合の会員の皆様。自分自身を新しくし、家庭と国家と世界、そして歴史を新しくする方案とは何でしょうか。二十一世紀の入り口に立った私たちにとって、本連合の創始者であられる文鮮明先生が教えてくださり、手本を示してくださった真の愛の家庭と国家と世界の理念は、平和世界の基本理念として、新しい歴史を開いてくれています。 真の愛の初舞台は真の家庭 本来、神様の創造理想は、投入しては忘れ、また投入しては忘れるという犠牲的な真の愛から出発します。神様のすべての創造の労力は、御自身の力を投入する犠牲ですが、それは愛の力を動機としているので、数千万倍大きな喜びとして再び神様に返ってくるのです。父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を満たすのです。このように犠牲的な真の愛の力は、与え合う作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。 しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真の家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟して実践される場は、真の家庭なのです。 真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟愛を通して、真の国と世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練する場は真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していく、歴史的な鎖の基本単位も真の家庭です。 やせた土壌からは充実した実が期待できないように、破壊された家庭から、正しい社会人や世界人は形成されません。ですから、この時代に青年の皆様に与えられた召命の第一は、皆様が真の愛の主体となり、真の家庭文化と真の家庭伝統の基礎を築く主役になることです。 青年の理想と情熱が現実的に展開されるところは、真の家庭の上に立った国です。そのため、国家の評価は、政治、経済、軍事力、または文化力に基づいて行われるのではありません。正に家庭では孝子、国家では忠臣となるような青年の精神と愛国の衷情によって行われるのです。青年は芽であり、芽が枯れた木は未来がないのです。 しかし、すべての国々に見られる青年の実情はどのようなものでしょうか。すべての国々が抱えている最も究極的な問題は、青少年の問題となっているのです。政治、経済、社会、そして環境的な問題は、制度的な改善や財政的投資によって、その解決点を見いだすことができますが、青少年の問題は、法律や軍事力、または経済力によって正すことができるものではありません。また誰一人として強制的な力によって改善することはできないのです。それには、もっぱら青少年が自ら、自分に対して責任をもつことができるようにしなければなりません。そのためには、青少年たちをして、真の愛に同化させ、その主人として定着させなければなりません。 すべての理想の原点であり、未来に向かって永遠に作動する真の愛は、青年たちにとって生命以上の力になります。青年たちが真の愛を中心とした新しい国家観をもつとき、国家は新しい発展の可能性を見いだすのです。真の愛の姿勢を備えることによって、すべての諸団体は、衝突する利害関係の枠を跳び越え、協力と調和と発展の社会を成し遂げるのです。 真の愛を中心とした国家観をもたなければならない 国を動かし引っ張っていく原動力は、犠牲的な愛国の衷情の真の愛から生まれてくるのです。私たちが尊敬する多くの愛国的英雄、烈士たちのうちで、真の愛を中心として犠牲の生涯を通過しなかった人はいません。世界的次元でもまた、地域、人種、宗教、文化、慣習、言語、国籍など、一つの平和世界のために跳び越えなければならない挑戦の課題が山積しています。しかし、宇宙万象を創造なさった神様の真の愛の目を通して世界を見るとき、世界は、人種、言語、宗教、理念的な違いを越えて一つに見えるのです。青年たちが、神様の真の愛を中心に犠牲と奉仕の努力をするならば、世界の貧困と飢餓問題、貧富の格差と歴史上の葛藤と憎悪は、解決の糸口を見いだすことができるのです。 愛せないものまでも愛するという真の愛の定義から、私たちは、葛藤する関係が克服される明確な方向性を発見するようになります。自由と平等の理念的矛盾も、真の愛の場で初めて一つの出会いの場を見いだすのです。 歴史的に対立してきた神様と人間、そして人間と人間の和解も、真の愛の理念の中でこそ可能なのです。与えてはまた与え、そして与えたことを忘れて、もっと与えることを願う神様の真の愛を実践することによって、利己主義を克服し、和合と繁栄の世界に進んでいくことができるのです。特に、「家庭は国のために、国は世界のために、そして世界は神様のために犠牲になる位置に進まなければならない」という真の愛の倫理展開においてこそ、民族的利己主義や国家的利己主義を越え、永遠の平和世界を望むことができるのです。 真の青年文化を確立しなければならない 過去のどの時よりも今日の問題は、人類全体を総体的な運命圏として考えなければならない特徴をもっています。ですから、ある地域や国家で起きた問題は、世界の勢力の均衡と、経済に即座に影響を及ぼすばかりでなく、言論の発展によって、世界は既に、分、秒の生活圏へと差しかかっています。 今この瞬間にも、インターネットのシステムにコードさえ入力すれば、全世界とリアルタイムで意思疎通できる扉が開かれます。空中に浮かぶ二百個以上の通信衛星によって、地球は既に一つの囲いのようになり、人類はその中で一緒に生きていく地球家族となりました。すべての個人をはじめとして、世界の家庭、国家、そして人類の問題を一つの統一された課題として解決し、どこでも同時に一貫した次元の平和を実現できる万能の鍵は、正に真の愛の力、真の愛の理念です。そして、その真の愛の実践の主役は、正に真の愛の青年の皆様なのです。 純粋さ、新鮮さ、情熱、力、勇気、挑戦、前進、犠牲、忍耐、理想、希望などは、真の青年たちに特権として与えられる祝福の単語です。このすベての単語は、真の青年たちが、家庭と国家、そして世界において真の愛を実践するとき、初めてその真価を発揮するのであり、ひいては真の青年たちは、真の希望の実体として登場するのです。新しい方向とビジョンを提示し、実践に移すことのできる人だけが、新しい時代の主人公になるというのは、歴史的に実証された真理です。 祝福結婚運動は人類的文化革命 皆様は、いかなる環境においても歪曲されない絶対愛、絶対純潔の運動を通して、真の愛を中心とした真の青年文化を確立しなければなりません。真の愛を中心とした真の家庭を守護すべき真の青年たちにとって最大の敵は、退廃や享楽のような非道徳的風潮であることを肝に銘じなければなりません。真の愛の基盤となる真の家庭を築くことこそ、今世紀の生死を分かつ至上課題なのです。 このような観点から、今後繰り広げられる三億六千万家庭の祝福結婚運動は、全世界が歴史的に死活をかけて成就しなければならない人類的文化革命なのです。人類歴史において見ることのできなかった精神的で道徳的な新紀元を成し遂げるのです。 皆様のような真の青年たちが真の愛の主体となり、真の家庭、真の国家、真の世界の建設の主役となるとき、私たちに近づいてくる二十一世紀は、希望と展望ある未来へと広がっていくことを私は確信します。今後成就される三億六千万組の国際合同結婚式の完成に向かって、皆様がお帰りになりましたら、国家的次元で後援会を結成し、積極的な御支援をお願いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
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世界平和青年学生連合世界総会(2023.5.8)日本語の通訳はありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.12
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梨大・延大 退学事件1956年5月11日 大韓民国一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.12
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2.真の父母と成約時代日付:一九九三年七月二十八日場所:アメリカ、国会議事堂行事:アメリカ議会招請講演(真のお母様)敬愛する上下院議員、ならびに尊敬する紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださったことに、深い感謝の意を表す次第です。皆様はこの偉大な国家の指導者として、アメリカと世界を、やがて来る千年王国へと導く責任を担っています。平和と繁栄の未来に対する約束は、きょう私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。御存じのように、今日のこの世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちた世界です。私たちは、家庭破壊や社会における道徳的退廃の問題などに直面しています。私たちは、このような問題に関して、幾度となく論議してきましたが、その解決策はいまだに見つかっていません。それはなぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、現象的な面だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするためには、神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に処している事実を知らなければなりません。神様の創造理想と偽りの歴史の出発神様は、真の愛を体恤するために、この世をお造りになりました。神様は、アダムとエバとして知られている人類始祖を創造されました。彼らは、真の愛によって自分自身が完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統をもつ完全な家庭を築かなければなりませんでした。アダムの家庭で神様の真の愛の理想が実現されていれば、メシヤが必要ない世界になっていたはずでした。初めて完成した彼らの家庭が、すべての家庭の標本となり、その家庭が氏族、国家、世界へと拡大したのです。そうなれば、その世界は真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたでしょう。ところが、不幸なことに、このような神様の理想は実現されませんでした。聖書の教えによれば、人間の堕落によって、アダムの家庭全体を失ってしまいました。第一に、アダムとエバが、サタンを中心とした自己中心的な偽りの愛で偽りの父母になることによって、真の父母の位置を喪失しました。第二に、カインがアベルを殺害することによって、真の子女の位置を喪失しました。その最初の家庭が自己を中心として愛することにより、彼らは善よりも悪を繁殖するようになったのであり、偽りの生命と血統を子孫に相続して、偽りの世界をつくり上げました。ですから、神様の救援摂理歴史が始まったのです。神様は、御自身の真の愛を中心とした真の父母を復帰するために、アダムとエバに代わる一人の男性と一人の女性が必要でした。そうしてこそ、神様の本来の計画に従って真の家庭が形成されるのです。本然の家庭を復帰するために、神様は、カインとアベルが一つになるようにして、真の子女の位置を先に取り戻し、それから、真の母と真の父の位置を取り戻すというように、人間が堕落するようになった経路とは反対の経路で役事(働き)されます。真の父母を復帰するための基台として、カインとアベルを和解させることが復帰歴史の全路程を通して続いてきた神様の公式でした。堕落によってもたらされた憎悪を取り除こうと、神様は人間始祖の堕落後、二人の兄弟を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立たせる役事をしてこられました。神様の戦略は、カインに打たれたアベルがそれを耐え忍ぶことによって、カインを抱き、失った祝福を取り戻すことでした。そうすることによって、神側はサタン側に勝利し、神様の位置を復帰してきました。この公式に従って、神側の男性と女性は、大きな苦痛を受けてきたのであり、神様の摂理上、前面に立った宗教は、サタン側から最も過酷な迫害を受けてきたのです。 最初の家庭の侵犯と復帰路程紳士淑女の皆様。このように自己中心的な不貞の愛のために、人類初の家庭は侵犯を受けるようになり、利己主義と貪欲の歴史が続いてきたのです。神様の復帰歴史は、個人次元から始まります。サタンもまた、それを知っているので、個人次元からその努力を集中して反対します。これこそが、この「終わりの日」に、自己中心的個人主義が人々の生き方を支配する理由です。人々は、周囲の人から次第に疎遠になるのを感じるようになり、国家や社会、さらには家族に対する責任感さえも、さほど感じなくなっていきます。増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません。一九六〇年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です。愛とは、純粋な感情の刺激から誘発されます。しかし、フリーセックスは、純潔や真の情緒を破壊します。私たちは、不倫や離婚という犯罪にどれだけ多く接してきたでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。性的に虐待を受ける幼い子女たちは、どんな悪夢にうなされているでしょうか。エイズの犠牲となった死亡者数が日ごとに増加していく中、学校では妊娠の危険性のない安全な性生活を教え、婚前性交は避けられないと言って学生たちにコンドームを配っているのが現状です。乱婚に寛大な社会は、神様のみ旨とは絶対的に相反する所です。一方、神様のみ旨に従って生きる人たちは、先ほどお話しした例とは一八〇度異なった人生を生きます。歴史を通して、自己犠牲的で神聖な道を歩んできた人たちは、反対側の世界の人々から、激しい反対と迫害を受けてきました。その一つの例として、統一教会を挙げることができます。統一教会の信徒たちは、純粋で、自己犠牲的に生きようと努力してきました。統一教会は、戦争で引き裂かれ、暗鬱だった韓国で生まれ、世界的なひどい迫害にもかかわらず、わずか三十八年で世界的レベルの宗教運動へと発展し、神様が教え導き、助け続けていらっしゃることを証するに至りました。紳士淑女の皆様。宗教では、過ったことは、復帰過程を経て回復できると教えています。「統一原理」では、蕩減を払うことによって、過ったものを取り戻す方法について説いています。堕落したエバは、自らの過った行為を正すために、自らに課せられたすべての責任を負わなければなりませんでした。それは、エバが真の父母を復帰するための基台として、まず、子女であるカインとアベルが一つになるようにすることを意味します。カインは、アベルが神様の代身者として選ばれた人だという事実を悟って、弟と一つにならなければなりません。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダムの家庭を復帰する機会を失ってしまいました。そこで、神様は、堕落したエバの位置を取り戻すことのできる別の女性を待たなければなりませんでした。聖書に出てくる女性の中で重要な一人が、イサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母として、リベカはエバがアダムの家庭で立っていたのと同じ位置にいました。しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。カインがアベルの命を奪ったように、長子エサウはヤコブが祝福を受けたことを知って、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの協助によって、結局この二人の兄弟は抱き合って和解しました。この和解は、摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは神様の血統を象徴的に純潔にする意味にすぎませんでした。すなわち、神様の血統の実質的な純粋性は、腹中で取り戻さなければならなかったのです。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にいたことを理解すると、イスラエル選民の血統の中からイエス様がお生まれになった理由を理解することができます。タマルは舅であるユダをだまして、ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、二人の息子が母の腹中から互いに先に生まれようとして闘ったことが記録されています。タマルが出産で苦しんでいるとき、ゼラの手が母の腹から先に出て、産婆がその手首に赤い糸を結びました。するとゼラの手は再び母の腹中に引っ込み、もともと弟となるはずだったペレズが先に生まれました。このようにして次子が長子の位置を、生まれる前の腹中で復帰したのです。伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。今、私たちが知っているように、神様はイエス様を誕生させるために、サタンから神様の血統を取り戻す役割を果たすように、彼女たちを祝福されたのです。こうして二千年が過ぎたのちに、聖母マリヤがタマルの勝利圏を相続する立場で現れました。彼女はしかるべき蕩減を払い、アベルを長子の位置に復帰することによって、家庭、氏族、そして国家的次元へと拡大されたカインとアベル的存在を一つにする責任を担っていました。その当時は、正式な結婚以外の方法で子を身ごもった女性は、石で打ち殺すのがならわしとなっていました。マリヤは命の危険を顧みず、神様の召命に応じてイエス様を懐妊しました。マリヤの信仰とリベカとタマルの役事で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対する主管権を主張できませんでした。ですから、イエス様は、神様の完全な直系の血統をもった真の息子の位置でお生まれになったのです。イエス様が神様の最初の息子として、聖人の中の聖人であられ、神様の真の血統の先祖となられる理由がここにあります。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。また、マリヤには、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていた、イエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにする責任がありました。多くの人々が洗礼ヨハネに付き従い、彼は多くの人々に尊敬されていました。そのような洗礼ヨハネがイエス様と一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして認めるときに、重要な要因でした。彼らが一つになっていれば、「小羊の婚宴」のための基台が造成されていたのです。そうすれば、イエス様は人類の真の父としての位置を確立し、新婦は人類の真の母となっていたはずでした。さらには、地上天国が建設されていたでしょう。洗礼ヨハネは、イエス様に洗礼を与えるとき、明らかに啓示を受けたにもかかわらず、イエス様と一つになることができませんでした。洗礼ヨハネの協助なしにユダヤ民族がイエス様を信じ、付き従うことは不可能なことでした。結局、イエス様は独りで、御自身が誰であるかということを宣布する困難な道を歩まれました。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のための霊的救いの道だけでも成就するために、御自身の生命を捧げることを決意されました。しかし、イエス様は、霊的救いと同様に、地上で肉的救いの道を開くために、救世主が再び来られなければならないことを知っていました。 成約時代の開幕とアメリカでの活動私たちの心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。それで、使徒パウロさえも、肉身の欲求と霊の欲求の葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な聖職者たちも、そのような葛藤ゆえに苦しんできました。成約時代が開かれながら直面した主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを共に成就するかということです。それで再臨主が必要なのです。神様は、再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で和合できる基台が必要でした。その基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教的連合国はアベル圏であり、国粋的軍国主義の影響下にあった枢軸国はカイン圏です。連合国が勝利した直後、アベル圏の国家は敗戦国を包容し、キリスト教を中心として統一された平和世界を創建するための基台の潮流が形成されました。神様は再臨主を迎える基盤を造成することができたのです。ところが、このようにすべての準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方は激しい迫害と全世界的とも言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、イスラエルの民が、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨を待ち望んでいたように、キリスト教徒たちは、イエス様が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒たちに新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、キリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。この宗教指導者たちは、私の夫と一つになるどころか、逆に夫に付き従う人が増えるのを妬みました。彼らは私の夫の話を聞こうともせず、盲目的に反対しました。甚だしくは夫に関するうそや虚偽を広めました。彼らは夫の人格を抹殺しようと、夫の教えとは正反対の淫教であるとか貪欲だとのうわさを広めたのです。悲劇的にも、世の中は神様が選ばれた代表を拒み、その方を荒野へと追い出してしまいました。第二次世界大戦後、キリスト教が私の夫と一つになることができなかったので、キリスト教の道徳的権威は、驚くほどに失墜しました。アメリカや、キリスト教に基盤を置くその他の国々もまた、文化的、社会的に深刻な危機を迎えていました。そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアべル圏とに分かれました。イエス様の左にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側です。右の強盗のように神様の存在を認める民主主義はアベル側です。冷戦時代における最初の戦闘は韓国動乱でしたが、その戦争に国連の旗のもとに自由世界十六ヵ国が参加しました。一九八八年のソウルE/span>オリンピック前までは、互いに敵対的だった百六十ヵ国は、平和的に一つの所に集まることができませんでした。結局、一九九一年に世界的次元のカイン側とアベル側を代表する韓国と北朝鮮が国連に同時に加盟することによって、それぞれ百六十番目と百六十一番目の加盟国となったのです。韓国は、神様が真の父母を送った国なので、韓国からこのような多くの調和と和合が達成されるようになるのです。過去四十年の冷戦の期間中、私の夫は、失ったメシヤを迎えるための基台を再び探し立てるために、すべての障壁を崩す闘争をしました。その期間、人々は私の夫を完全に誤解しました。夫は、神様のみ旨のために、北朝鮮の共産主義下で送った三年の収容所生活をはじめとして、無辜の投獄生活を六度もしました。そればかりかマスメデイアは、「私利私欲のために若者たちを洗脳する残忍な怪物のような存在である」と言って、夫を罵倒してきました。文鮮明牧師こそ世界で最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える人がいるでしょうか。私の夫が受けてきた苦労を思うと私の胸は張り裂けそうです。しかし、夫はいつも、「神様は、御自身の摂理のために迫害を受けてきた人たちを慰労しておられる」と言って、私を安心させてきました。夫と私は、過去の失敗を復帰するために、蕩減の道を歩んでいます。過去二十年間、私の夫は、二千年前のイスラエルの国とユダヤ教の立場に代わる、韓国と統一教会を中心として、旧約時代を蕩減するために苦労をしてきました。その基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な次元で真の父母の聖婚式を挙行しました。その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。この国は、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラエルの国と密接な関係にあるため、摂理史において非常に重要な役割を担っています。ですから、その後二十年間、私たちは新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。旧約、新約、成約時代のすべての摂理は真の父母を中心として完結されなければならないことを考えたとき、イスラエルとアメリカと韓国は、神様に選ばれた国だという共通の運命をもっています。ですから、民主世界と自由世界を代表するアメリカは、無神論的共産主義国家である北朝鮮と民主主義とキリスト教が栄えている韓国の統一のために活動しなければなりません。紳士淑女の皆様。神様が、アメリカ自体のためではなく、世界を救うためにアメリカを祝福されたことを知らなければなりません。アメリカの初期における清教徒たちは、富を求めてアメリカに来たわけではありませんでした。彼らは、この地で神様に侍り、より誠実にキリスト教の信仰を続けるためにアメリカに来ました。アメリカが祝福を受けた目的を想起できなければ、アメリカに対する神様の祝福は中断されるでしょう。神様は、摂理歴史を導いてきた力が何であるかを、夫と私に悟らせてくださいました。神様が私の夫に啓示してくださった真理は、「統一原理」の中に含まれています。「統一原理」は、摂理史的観点から人類歴史と聖書の内容を考察し、数千年間解けなかった疑問に対する答えを提示しています。その内容を真剣に研究した人たちは、これこそが、神様の下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面する問題に対する唯一の解決策を提示していることを発見しています。さらには、共産治下の旧ソ連でも、政府指導者と数千人の若者たちが、私たちの教えを学ぶことで、新たな人生を見つけました。結局のところ、彼らは共産主義思想の抑圧から解放され、彼らの国を救う霊的な真理を渇望していたのです。 女性の重要な役割と祝福敬愛する皆様。第二次世界大戦後、キリスト教の基盤が失われたことによって、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。それで、一九九二年四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。去年、私は真の母の心情で、第二次世界大戦中に、世界的カイン側を代表する国家だったドイツ、日本、イタリアと、世界的アベル側を代表する国家だったアメリカとイギリス、そしてフランスを含む世界の十二ヵ国を巡回しました。これらの国で、ロシアと中国のときと同じように、私は百万人を超える女性指導者たちに、「共に真の父母を迎える基台を築きましょう」と力説しました。このような基盤の上に、今、夫と私は、最初の真の父母として成約時代の到来を宣布することができました。この場に来られたすべての方が、私たちの導きによって真の父母となることを願います。各家庭が立ち上がり、全世界の救援摂理を完遂するメシヤ的使命を果たすべき時が来ました。皆様の家庭を復帰したのちには、皆様の社会と氏族と国家を復帰しなければなりません。私たちは、このような使命を果たす人を「氏族的メシヤ」と呼びます。成約時代には、母の役割が非常に重要になるでしょう。母は、子女と夫を一つにし、家族を真の父母に連結させなければなりません。私たちは既に、数千人の氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界的に成し遂げられるでしょう。すべての完成した家庭で、祖父母は神様と善なる先祖に代わって、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表する王と女王の位置に立つようになります。そして子女は、すべての未来の子孫を代表し、王子と王女の位置に立つようになるのです。これら三代が一つになるとき、過去、現在、未来の三世代が一つの所で調和して暮らすようになるのです。このような理解の基台の上で、最初の真の家庭の出現を皆様にお伝えすることができ、大変光栄に存じます。十三人の子女と二十人の孫をもつ私たち夫婦は、神様と人類のために、私たちの人生を完全に捧げています。この三代は、祖父母が聖書でいう生命の木の中心の根となり、父母はその中心の幹となり、子女はその枝となります。皆様も、真の家庭と理想国家、そして理想世界を建設するための私たちの努力に協力し、この生命の木に接ぎ木されることを心から願います。成約時代が到来することで、アダムとエバを創造し、再び神様と共に暮らそうとされた、神様の本然の目的を、私たちが完遂するようになるでしょう。このようなことを知って、私たちは、個人的に心と体が一つになり、家庭においては夫と妻が一つになり、父母と子女が一つにならなければなりません。そうすれば、私たちは神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。一九九二年、私たちは韓国で、神様のため、互いのため、世界のため、自らの人生を捧げることを誓う三万組の合同祝福結婚式の主礼をしました。今日、多くの家庭は、父母が子女を効果的に指導できずにいます。特に、愛や結婚などの私的な問題において、そのようになっています。しかし、私たち夫婦は、世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な方法で、彼らの尊い愛の夢を実現させてあげました。そのように、神様を中心とした家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。そのような家庭を形成していけば、社会の没落現象はなくなります。確実に神様の子女となった人たちは、これ以上アルコールや麻薬の誘惑の奴隷となることはないでしょう。さらには、夫婦間の愛の神聖さを理解することで、不倫と乱婚に対抗し、強く立ち向かう道徳的な力をもつようになります。最終的にその力が合わされば、戦争、人種の偏見、世界的飢餓を根絶できるのです。このような基盤の上に、私たちは真の幸福と自由と平和を享受する世界を建設できるはずです。敬愛する皆様。この国の指導者として、皆様は、深い心情で心の扉を大きく開き、このメッセージの意味を御理解してくださることを願います。神様の理想を完遂することによって、すべての人が神様の祝福の場に至ることを心からお祈りします。アメリカに神様の祝福が共にあることを願います!どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2023.05.08
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5.理想世界の主役となる女性II日付:一九九二年六月十日場所:韓国、ソウル、リトルE/span>エンジェルス芸術会館行事:全国四十カ所市郡区大会(真のお母様)満場の女性会員、同志の皆様。私はきょう、「世界平和女性連合」の総裁の資格をもって皆様の前に出ることができたことを大変うれしく、また光栄に思います。きょうのこの大会を準備してくださったすベての女性会員と後援会員、および日本から来韓された皆様に深く感謝を申し上げます。私がきょうお話しする題目は「理想世界の主役となる女性」です。皆様、誰かに「この世の中は善の世の中ですか、悪の世の中ですか」と問われたら、皆様は何と答えますか。間違いなく悪の世の中だと答えるでしょう。私たちが生きているこの時代の世の中だけが悪なのではなく、過去、歴史時代のすべての国と世界が悪だったと言わざるを得ません。ですから、善行よりも罪悪が、平和よりも戦争が、正義よりも不義が、愛よりも憎悪が、統一と和合よりも分裂と葛藤が、より猛威を振るう世の中になっているのです。人類は、このような罪悪の世界を誰も望んでいません。ですから人類は、いかにすればこの罪悪の世界を清算し、平和と自由と幸福があふれる真の愛の理想世界を創建することができるかということを追求せざるを得ないのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべての構成員や指導者が一様に望んでいることも、平和と自由と幸福があふれる世界を実現することです。人類の歴史が始まって以来、数千年の間、このような夢と理想に向かって身もだえしてきましたが、いまだに人類が望む理想世界は実現していません。私はきょう、この問題に対する根本的な原因を皆様に明らかにしようと思います。併せて、私たち人類が何よりも願ってやまない理想世界を実現できる解答が何であるかを提示しようと思います。これは、人間の知識や思考の結果として生まれ出た内容ではありません。既に皆様がすべて御存じのように、私の夫、文鮮明牧師は、一生をかけてこの問題を解決するために献身してきました。私は、そのような夫に仕えて暮らしながら、その教えと神様と人類を愛するために実践躬行する生き方に、あまりに多くの感化と感動を受けました。夫に仕えて暮らしながら、真理に対する深い悟りを得、夫の人格と人生から絶えず感化と感動を受けたならば、それは世の中に広く知らせるべきでしょう。なぜならば、今日のこの世界が犯罪と闘争と退廃が荒れ狂う悪の世界になってしまった根本原因は、ほかならぬ夫と妻の根本的な関係の破綻と不和に起因しているからです。今日、この地上に人類が暮らしていますが、突き詰めれば、二人の人が暮らしているのです。男性と女性、すなわち夫と妻という二人の人が暮らしているということです。無数の人間が共に暮らしながら、あらゆる関係と問題を起こしていますが、そのすベての問題の核心は、男性と女性、この二人の間の関係と問題なのです。このように見るとき、私たちは、神様が人類の最初の先祖をこの地上に創造されるときにお立てになった、人間の男性と女性の行くべき天道が何だったのかを探らざるを得ません。 三大祝福を下さった神様聖書の創世記の記録によれば、神様が天地を創造されたのち、最後に人間始祖である男性のアダムと女性のエバを創造され、彼らに三大祝福を下さると同時に、責任分担も下さいました。三大祝福とは、すなわち「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」というものでした。そして、彼ら二人の男性と女性に「善悪の実を取って食べてはならない!」という責任を一緒に下さったのです。これは、神様が人間とこの宇宙を創造された目的が何であるかを教えてくれる内容であると同時に、人生の根本を明らかにした内容でもあるのです。「生めよ」という祝福は、すべての人間は、地上に生まれ、完成した人格者として成長しなければならないことを意味します。完成した人格を備えた男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てる父母の道を行くようにしたことが、人生の二つ目の祝福です。そして、家庭を率いていく夫と妻、すなわち父親と母親がその道理を果たしながら、この世界をより便利で豊かな福地世界として建設し、地上天国を立てることが神様の創造目的なのです。この創造目的は、人間始祖が「善悪の実を取って食べてはならない」という神様の戒めを守ってこそ成就されるようになっていました。ところが、人間始祖であるアダムとエバは、完成した人間になる前、すなわち未成年の時期に神様の戒めを守ることができず、天使長の誘惑によって堕落し、全人類に悪の血統を受け継がせたのです。 人類が抱えている不幸と悲劇皆様。神様が人間始祖アダムとエバに「取って食べてはならない」とおっしゃった善悪の実とは何でしょうか。それは木の実ではありません。それは正に、人間始祖が将来、夫と妻として結婚するときに実るその愛が未成熟な段階にあるときに、第三の存在によって誘惑されて不倫な性的関係が起きてはならないことを意味しているのです。実際にエデンの園には、アダムとエバ以外に第三者として天使長がいました。聖書では、エバを誘惑して不倫の罪を犯した天使長についてルーシェルであると明らかにしています。これがまさしく人間始祖の堕落であり、人間世界に罪悪の根を下ろすようにした原罪なのです。したがって人間は、天地の大主宰者であられる父なる神様のみ前に不倫の罪を犯し、人間始祖のときから、不倫の愛で子孫を生む悪の世の中を築いてきました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大した人間社会には、いつどこでも、この男性と女性の不倫関係による悪の血統が根を下ろし、それがこの世を地上地獄につくりあげ、犯罪と戦争と恐怖があふれる偽りの世界にしてしまいました。堕落した人間始祖アダムとエバは、人類の永遠の善の先祖として、真の父母の位置を確定しなければならなかったのですが、悪の血統を残した偽りの父母に転落してしまったのです。これが正に全人類が抱えている不幸と悲劇の第一原因なのです。この世界の全人類が真の父母を失い、偽りの父母の子孫になったこと以上に悲惨で憤慨すべきことがどこにあるでしょうか。人類の父母であられる神様としても、真の人類の始祖を立て、善の人類を生み殖やそうとした創造目的が、人間始祖の不倫の堕落によって全人類を罪悪の血統に転落してしまったその悲しみと苦痛はいかに大きいでしょうか。 原因を知ってこそ治療ができる疾病に苦しむ人を救うためには、その疾病の原因を探り出して治療しなければならないのと同じように、人間社会がこのような罪悪と不幸の苦痛から解放されるためには、この罪悪と不幸の根本原因を明らかにして治さなければなりません。その根本原因こそが人間始祖の堕落、すなわち原罪です。したがって、原罪という病気の原因を除去しなければ、人間世界から罪悪と不幸の根を抜き取ることはできないのです。どんなに多くの偉人や英雄、博士学士、政治家、哲人が現れて、法律や制度の改善、倫理道義教育などでこの世界を正そうとしても、人間堕落の原因、すなわち原罪を解明しなければ、それは不可能です。どんな薬を使っても効き目がありません。罪悪と不幸の根本の根が生きており、引き続き生えてくるからです。しかし、宗教では私たちに人間が堕落したという事実を教え、この堕落の内容を明らかにして人間を罪悪から完全に救援しようとされる神様の摂理を直接、間接的に教えてくれています。ですから、すべての宗教は、この罪悪世界を善の世界へと変化させ、救援する最も積極的な処方なのです。「宗教」という言葉は、すべての教育と教えの中で最高の教えであるという意味です。孔子、釈迦、イエス、ムハンマドのような四大聖人の教えをはじめとした各宗教の創始者たちの教えは、時代と環境を超越して人間の良心と道徳を守り、文化を発展させてきた原動力でした。したがってすベての宗教は、罪悪の世界を清算し、神様と人間が望む理想世界建設のために共に働く存在であり、協力者なのです。その中でも、神様の救援摂理が最も直接的に啓示されている経典が、正にユダヤ・キリスト教の聖書です。 罪悪の血統を清算する復帰摂理聖書によれば、人類の歴史は、人間始祖アダムとエバが堕落し、偽りの父母となることによって喪失した神様の創造目的を再び回復しようとされる復帰摂理であることを知ることができます。偽りの父母になったアダムとエバに代わり、全人類を生み変えるために、メシヤ、すなわち真の父母が来られなければならないというのが、聖書でいうメシヤ思想の要点です。アダムは人類の真の父にならなければならず、エバは人類の真の母にならなければならないというのが、神様の創造本然の目的でした。この創造目的を再度原状回復するために、神様はアダムを再創造される摂理をせざるを得ないのです。これがまさしく、イスラエル選民を準備してイエス様を誕生させた摂理の骨子です。神様は、アダムとエバが堕落してサタンの血統を中心とした人類が生み殖えると、すぐに善と悪の血統を分立する役事を行われました。アダムの家庭で、神様の相対的立場にいる次子アベルと、サタンの相対的立場の長子カインを分立し、カインがアベルに自然屈伏するようにさせることによって、創造本然の秩序を原状回復しようとされたのですが、カインがアベルを殺害することによって、長い間にわたって善悪分立の闘争歴史が展開するようになったのです。ノア、アブラハム、イサクを経てヤコブの代になり、母リベカの協助により、双子の兄エサウを自然屈伏させることによって、ヤコブはイスラエル選民を立てる決定的役割を果たしました。ヤコブの息子ユダにより、その嫁タマルはペレズとゼラという双子の兄弟を身ごもりました。ペレズは、タマルの腹中でゼラと争い、先に生まれようとするゼラを押しのけ、自分が先に生まれた息子です。善悪闘争である長子と次子の争いは、腹中で弟が兄に勝ち、長子として生まれる腹中復帰を成就させたのです。腹中復帰によって生まれたペレズの血統を通じて約二千年後に誕生したお方が、メシヤとして来られたイエス様でした。イエス様を身ごもり、生むときには、母マリヤの命を懸けた冒険と精誠がありました。神様の救援摂理は、すなわち復帰摂理なので、サタンになったルーシェルの誘惑によって不倫な性関係を結んで堕落してしまった結果、人類に伝承された罪悪の血統を清算する、そのような復帰摂理を行わざるを得ませんでした。それが正に、カインとアベルからイエス様が誕生されるまでのイスラエル選民の歴史だったのです。したがってイエス様は、堕落によって偽りの父の立場に落ちたアダムを、善悪分立闘争の復帰路程を経て蕩減復帰した基台の上で、人類の真の父、すなわち第二の善の人類始祖として来られたのです。ですからイエス様は、その相対格であるエバの立場にいる女性を復帰して夫婦となり、子女を生み、万物を主管される位置まで進まなければならないのです。これがまさしくイエス様がメシヤとして来られた目的でした。アダムとエバを創造され、「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」とおっしゃった神様の三大祝福を復帰するために、イエス様がメシヤとして来られたということです。イスラエル選民は、父として来られたお方をメシヤではないと不信し、十字架で処刑してしまいました。これはどれほど啞然とする親不孝であり、途方もない罪悪でしょうか。十字架で亡くなられたイエス様は、再びこの地上に来ると再臨を約束され、それと同時に「再び来るときは新郎として来るので、地上の人類は新婦の装いをして待たなければならない」という内容を語られました。ヨハネの黙示録第十九章を見ると、そのイエス様の再臨は、地上に来られ「小羊の婚宴」をされると記録されています。これは正しく、エデンの園のアダムとエバが堕落していない家庭を築くために、真の夫婦と真の父母の位置を復帰するという内容なのです。 再臨のメシヤは韓国に来られるきょう、この女性大会に参加してくださった会員ならびに女性同志の皆様。私たちの家庭を破壊しようとするすべての性犯罪と不倫、退廃が蔓延するこの社会を、何をもって、またどのように正すことができるのでしょうか。もし、この性の問題を解決できなければ、人類社会はソドムとゴモラのような滅亡を自ら招いてしまうでしょう。既にこの審判の火は降り始めています。エイズという恐ろしい性病こそ、性道徳の紊乱に対する天の懲罰であり、警告です。イエス様は、この罪悪の世の終わりの日になれば再臨するとおっしゃいました。再び来られるイエス様は、人類の父として来られ、この世のすべての男性と女性が行くべき真の子女の道、真の夫婦の道、真の父母の道が何であるかを示してくださるはずです。そうしてこそ、人類の原罪によってもたらされた淫乱や退廃問題が根本的に解決されるようになります。これこそ、人類をこの罪悪世界から救援してくれる真の福音にほかなりません。人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算するその道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私はきょうこの場を通して、私の夫、文鮮明総裁こそ、一生をかけて、このメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に宣布いたします。皆様がよく御存じのとおり、私の夫、文鮮明総裁は、これまで悪の世の中の激しい迫害の中でも、神様の創造目的を明らかにし、人間始祖が犯した原罪を究明することによって、人類の未来を開拓してこられた方です。私の夫、文総裁の教えである「統一原理」によれば、すべての宗教人が待ち望む教主たちの再臨理想、すなわち弥勒仏、真人、新しい孔子の再臨とイエス様の再臨思想は、一人のメシヤ、人類の真の父母の再臨によって実現するものであり、すべての宗教も連合、統一するようになっています。メシヤ、真の父母は、一部のキリスト教信徒たちが信じているように、二千年前に亡くなられたイエス様御自身が空中で雲に乗って再臨されるのではなく、イエス様の使命を相続した新たなお方がこの地上に誕生されるのです。その方の生まれる国は、我が国大韓民国であり、したがって人類の真の父母となられるメシヤは、驚くベきことに私たちと同じ言葉を使う韓国人として来られるのです。それでは、メシヤは、いつ再臨されるのでしょうか。「統一原理」によれば、この罪悪世界が終結するときが終末ですが、再臨されるメシヤは終末に来られるようになっています。一言で言うと終末は、第一次世界大戦が終わった一九一八年から二〇〇〇年までの約八十年の期間に該当します。この期間は、人類の真の父母であられる再臨主が韓国の地に誕生し、罪悪と戦争と闘争に満ちたこの世界を、自由と平和のあふれる善の理想世界にしていく、世界史的な転換時代に該当するのです。ですから、この時代は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るすべての構成員の相互間で善と悪の対立と闘争が展開される大混乱の時代となるのです。人類はこの期間に第一次と第二次の世界大戦を経験し、第二次世界大戦後には、民主と共産の両陣営間の絶え間ない対決と闘争がありました。その間、韓国は四十年の日帝植民地下、八・一五解放と南北分断に続く六・二五動乱の惨状を経験し、今日まで世界最後の分断国として残っています。 南北統一は世界平和と統一の鍵韓半島の南と北は、人類始祖の堕落によりアベルとカインに分立されて蒔かれた善悪の種が、世界的な実となって現れた結実体です。すなわち、北朝鮮の共産主義は、歴史上に現れたカイン型のすべての人生観と体制の世界的な結実体として、宗教的価値観を否定する無神論共産国家を形成したのであり、それは世界の共産陣営を縮小し、代表したものです。これとは反対に、韓国は、歴史上に現れたすべてのアベル型の人生観と体制の世界的な結実体として、宗教繁栄国家となり、自由世界を代表する国となっています。すなわち、全世界を善悪で分立し、善侧として分立された韓国が、悪側として分立された北朝鮮と最後の対決の場を形成する全世界の縮小版が韓半島なのです。したがって、韓半島の南北統一こそが、世界平和と統一の鍵になるのです。ですから、韓半島の南北統一は、単純な政治的事件や課業ではありません。これは、神様の救援摂理歴史の最終目的である地上天国の復帰、すなわち共生、共栄、共義の理想世界を実現する関門となる摂理史的歴史性を帯びており、地上世界を経ていった数多くの霊人たちとも関係のある立体的な課業なのです。したがって、大韓民国の統一は、政治家だけで解決される問題ではありません。ですから、韓半島に絡み合っているこのような天のみ旨をよく知っている私の夫、文鮮明総裁は、皆様がよく御存じのように、一九九一年十二月の初めに、七日間の北朝鮮訪問を決行し、北朝鮮の統治者金日成主席と会い、韓半島の統一問題に関連した天のみ旨である天命を通告しました。「『主体思想』では南北を統一することはできない。『神主義』と『頭翼思想』である『統一思想』によってこそ南北が平和的に統一され、全世界を主導する統一国家となる」と説破し、彼らの常套句となっている六二五北侵説に対しても、六・二五は南侵であると正面から激しく反駁したのです。私は、夫に従って全世界を歴訪し、各国首班と数多く出会ってきましたが、先回の平壌訪問の時は、本当に悲壮な覚悟と深刻な決意をもたざるを得ませんでした。私たち夫婦は、ちょうど聖書に出てくるヤコブが、彼の命を奪おうとする兄エサウを千辛万苦の苦難と知恵と精誠で感動させ、最終的には彼の心を動かし、お互いが和解したように、この北朝鮮の金日成主席との談判を成功裏に成就させました。今や南北統一は政治家だけに任せるものではなく、神様が干渉されるものになったのです。私の夫、文総裁は、今も全世界的な基盤を動員して、神様のみ旨どおりに南北統一を成就し、淫乱と退廃のない理想的平和の世界を建設するために、昼夜を分かたず努力しています。満場の女性同志の皆様。きょう私が語ったメッセージは、私と私の夫に従っている統一教会員だけが信奉する内容ではありません。全世界百六十ヵ国以上の各界指導層の人士と数多くの青年男女がこの教えに従い、自由と平和のあふれる新しい統一の世界を創建するために汗水を流しています。世界各地で、大韓民国が人類の真の父母の来られた国として既にあがめられ始めており、韓国の言葉と文化を習い、礼儀作法を学ぶために我が国を訪ねてくる外国人たちが急速に増えています。 統一世界を成し遂げる女性勇士とならなければならない「世界平和女性連合」は、性道徳の退廃、麻薬の拡散、淫乱で紊乱なあらゆる性関係によって私たちの家庭が脅かされているこの現実を救済するために、その根本的な処方をもって、去る四月十日、ソウルオリンピックメーンスタジアムで世界七十ヵ国以上の代表と十五万人の韓国の女性たちが集まって創設された世界的な女性機構です。私たちは、男性が女性を抑圧してきた堕落した社会風土とすべての淫乱、退廃により腐っていく人類社会の未来を救うために、これ以上待つことはできません。真の父母、真の夫婦、真の子女の道理を学び、実践するための私たちの行進は、最終的に「世界平和家庭連合」を結成し、五大洋六大州のこの地球星のどこにも不倫と退廃が足を踏み入れることができないようにしなければなりません。そうして、人類がエデンの園で淫乱という原罪を犯して以来、今日まで苦痛を受けてきた悪の血統を清算した新世界を迎える準備を急がなければなりません。今までは、人類を滅ぼしてきた淫乱と不倫に対して、誰もが手をこまねいているだけでしたが、今やこの問題を完全無欠に解決する希望の新しい真理が、私たちの生きているこの時代に、我が国韓国から出てきました。真の父母様によって明らかにされたこの新しい真理は、南北を統一し、平和の世界を建設する人類の灯火となるでしょう。私たちは、この新しい真理を知り、有史以来私たちを苦しめてきたこの罪悪の世界を終結させ、自由と平和と幸福のあふれる統一の世界を建設する女性勇士となるために総決起しましょう。真の母の道を行きましょう。真の妻の道を行きましょう。真の娘の道を行きましょう。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.08
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日本語映像は教会のみでの視聴になりますので、私も教会へ行きます。7日、生中継はpeacelinkTV(https://media.peacelink.live/)でご覧ください。ホームページにて時間に合わせてクリックしてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.07
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真の家庭理想による平和世界の実現日付:一九九七年十一月二十七日場所:アメリカ、ワシントンDC、キャピタルヒルトン・ホテル行事:第四回「世界平和会議」 尊敬するシドキー議長、基調演説者の皆様、著名な元、現職国家元首と紳士淑女の皆様。「二十一世紀に向かう世界ビジョン」という主題で開かれた「世界平和連合」の第四回「世界平和会議」に参席してくださった皆様に、深く感謝申し上げます。 私は来たる土曜日、RFKスタジアムで行われる特別な行事に、皆様を直接招待したいと思います。世界宗教の代表的指導者の祝福の中で、私と妻は、百八十五カ国から参加した三千九百六十万双に対する祝福結婚式を挙行いたします。当初の目標だった三百六十万双を超え、再び三千六百万双を超過して達成いたしました。皆様の国からも多くの夫婦が同参するでしょう。百八十五カ国の代表を含めた三万双の夫婦がスタジアムに参席し、同時に人工衛星とビデオを通じて、世界的に祝福結婚式が連結され、進行するでしょう。 この祝福を受ける夫婦は、自分の家庭と夫婦の結合を神様のみ前に誓約し、配偶者には永遠の信頼と純潔を誓い、そして子女には高こ徳と純潔を教えながら養育することを約束します。この夫婦たちは、言語と人種と国家と宗教の背景が様々です。しかし、彼らは神様の愛、そして世界平和は神様を中心とした完全な家庭から始まるという信念ゆえに、この祝福式に同参するのです。 私は、皆様がこの歴史的な式典を見物するだけではなく、皆様もまた、関係ある周囲の人々と共に神様のみ前に出て、自らの結婚の誓約を新たにすることを願って、その場に招待いたします。 人類共通のビジョンのために きょう私は、人類共通のビジョンを見つけ、実現するために歩んできた過去の五十年を回顧しようと思います。人類は第二次世界大戦の痛手を踏み越え、すべての国が平和になる道を探そうとしました。 神様は私に、二千年のキリスト教の基盤の上に神様の天国を建設する世界的な運動を指示されました。啓示の中心は、真の父母と真の家庭を探し出す公式路程でした。しかし、当時の韓国のキリスト教指導者は、この真理を受け入れることができず、神様に大きな失望を与えました。私は迫害と反対を受け、罪なく投獄される苦難の路程を歩まざるを得ませんでした。 キリスト教のこの歴史的な過ちが讒訴条件となり、韓国で悪が勢力を得て、韓半島が完全に分断され、半世紀にわたる受難の歴史を生み出す摂理の内的原因となったのです。 神様が下さるメッセージを拒絶したことが、なぜこれほど不幸な結果を生んだのかということを知るためには、神様が五十年前に私を通してキリスト教指導者に下さったメッセージの意味を知る必要があります。そのメッセージは、本質的にきょうのメッセージと同じです。ただし、キリスト教のためだけのものではなく、ユダヤ教、イスラーム、仏教、ヒンドゥー教、そしてすべての宗教と宗派のためのメッセージです。それは、神様を中心とした真の家庭の理想だけが、個人相互間や家庭と社会、そして国家相互間の真の関係と平和を達成する土台になるということです。 私は青少年のときから、人間の罪と苦痛の根源を探そうと必死に努力してきました。私はこれまで多くの涙を流し、誰も理解できない長い歳月の祈祷生活と孤独な霊的闘いをしてきました。長年、聖書に対する研究と広大な霊界を遍歴したのちに、ようやく神様が真で理想的な人生を啓示してくださったのであり、また人間の苦痛の根本原因が、エデンにおいて人間の先祖によって始まったことを教えてくださいました。 真の愛と真の家庭の理想 尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様が真の愛と真の人のために、万物を創造なさったことを知らなければなりません。被造物はすべてペアになっています。動物界、植物界、鉱物界、すべて主体と対象の関係でできており、互いによく与え合うことによって形成される調和は、それらが存在して繁殖するすべての力、そして愛と善の基盤になるのです。 人間もまたこの原則に従って創造され、個人は心と体でできており、そして男性と女性になっています。神様の理想は、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった個人と、そのように完成した男性と女性が一つになる家庭です。このようになれば、人間は神様の神性を正しく反映できるのです。また、神様の真の愛の対象体となり、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を伝えられるようになるのです。 アダム家庭は、神様の理想と一致した真の愛の家庭を築かなければなりませんでした。人間始祖アダムとエバは、神様の無形の性稟を実体的に完成し、神様のみ旨と愛を宇宙に伝えるという期待の中で創造されました。アダムとエバとその子女たちは、全人類が従うことのできる根本原理を生活の中で確立するはずだったのです。 アダムとエバの子孫は、心と体を一つに完成し、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭、また子女と共に一つになった家庭を成し、自由と平和と幸福と希望が地上全体に満ちた、安定した基盤を築いたでしょう。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がるのが神様の理想でした。真の家庭において形成された天国モデルが国家全体に拡大され、国家圏の天国が全世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。 人間の最も基本的な心の姿勢と人格は、家庭で形成されます。家庭は愛と人格、そして生活の出発であり、その根本基台となります。人生は家庭基盤の上で、父母の愛によって生まれ、息子、娘の段階から夫婦の位置、父母の位置、祖父母の位置へとその位相を異にする愛の人格体として完成し、結局、子孫の愛情の中で天の国に行くようになっているのが創造原理です。家庭を通して歴史と国が生じ、理想世界が始まります。これがなければ、個人の存在する意味もなく、血統の伝承もありません。ですから、家庭はすべての価値と理念、そして制度と体制より優先される、最も貴い人間の愛と生命の本拠地になるのです。 人間の罪の根本と真の家庭理想の回復しかし、悲惨なことに、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えたのです。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果から始まりました。堕落によって人類の始祖は善の先祖になれず、悪の先祖となり、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。 このように誤った愛から出発した最初の家庭は、真の愛の完成人格である真の人、真の夫婦、真の父母の始原をつくることができなかったのです。偽りの愛の結実である堕落人間の利己主義は、真の愛の秩序を破壊し、自身の心と体の葛藤から、家庭、国家、世界的な葛藤によって、分裂と闘争を拡大してきているのです。 人間の不幸を治癒する解決方案は、神様に帰る蕩減復帰しかありません。ために生きる真の愛によって心と体の闘いを中断させ、本然の真の愛の人格に復帰しなければならないのです。人類が真の愛の人格の始原と標本となる真の父母を迎えて祝福を受けることによって、理想家庭を築くべき理由がここにあります。 個人を復帰し、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただこの真理だけが、争っている教派を一つに統一でき、また地上天国を成し遂げることができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教の人々に明らかにしました。私は、もう一つの教派をつくる意向は全くありませんでした。しかし、神様のメッセージは既存の教団から拒否され、迫害を受けました。私はやむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、そのために過去四十三年間、苦労してきました。一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」を創立し、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に、私たち夫婦は多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野などで扱われ、この世界を蕩減復帰できる標本と典型をつくろうと努力したのです。 神様の三つの悩みの種 罪の根源であるサタンの戦略は、真の家庭理想が実体化され、根を下ろすことができないように、常に破壊することです。これが過去五十年の間に、神様の三つの悩みの種にもなりました。第一は神様の存在自体を否定する共産主義であり、第二は不道徳と堕落であり、第三は教派と宗派間の分裂と葛藤です。 考えてみてください。どれほど多くの罪なき人々が、共産主義によって命を奪われたでしょうか。一億以上の人々が犠牲になり、また数億の人々が追放されて強制的に奴隷生活を強いられ、虐待と飢えに遭い、戦争で傷を負って、生涯を苦難の中で送らなければなりませんでした。それだけではなく、神様を否定する非真理を伝播することにより、人間が究極的な価値を見いだせないようにした罪科は、本当に大きいものがあります。 神様の二つ目の悩みの種である不道徳と堕落は、まるで押し寄せる荒波のように、家庭と国を破壊し、命を奪っていっています。道徳の崩壊は離婚と家庭破壊、青少年の淪落と未婚の母の問題、そして麻薬中毒などの悪の実を結びます。 これは特定の国の問題ではなく、世界共通の問題になりました。世界的に広がっていくエイズは、淫乱と乱雑な性生活の直接的結果です。日ごとに増えていくエイズをこのまま放置すれば、何百万、もしくは何千万の人命が失われていき、人類の存立を脅かすでしょう。 神様の三つ目の悩みの種であるキリスト教の教派間、または世界の宗派問の葛藤と分裂はどうでしょうか。神様にとって、宗教者は世界の良心でなければなりません。彼らは悪に打ち勝てる伝統と価値と実践力をもっていなければなりません。ところが、互いに反目し、分裂しながら争っているので、無能になって感化力を失い、悪に打ち勝って世の中を正しく指導する力を喪失したのです。以上の三つの根本問題は、五十年前に宗教指導者たちが神様の摂理に対して無知で、神様のメッセージを受け取れなかったことにより生じた結果です。 人間の責任分担の重要性 世界の高名な指導者の皆様。神様の見解では、過去五十年間、世界のすべての不幸と絶望と破壊が必然だったとは捉えません。避けることができたのです。もし一九四〇年代の後半に、キリスト教を中心とした宗教界が神様の啓示に従い、真の家庭の理想と一つになっていたならば、共産主義はいち早く衰退していたでしょう。また、各教団の影響力ある指導と模範を見せる実践生活により、青少年の退廃、家庭破壊、エイズなども世界的な問題にならなかったでしょう。 共産主義者は、私を中傷して謀略を巡らし、評判の悪い問題の人物に仕立て上げました。私にファシスト、または似非宗教者というレッテルを貼り、世界的に誹謗を浴びせました。アメリカでは脱税という捏造の罪をかぶせ、監獄にまで送りました。しかし私は、過去二十五年間、アメリカが摂理的な使命を悟れるよう、私のすべての精誠と魂を注いできました。西洋を中心に、世界に寄与した私の思想的な指導と立体的な活動を通して、アメリカが共産主義に打ち勝てるように助けることができたのです。今や共産主義は、ほぼ消えつつあります。 不道徳と淫乱、そして退廃の風潮は、享楽主義と共に家庭を組織的に破綻させています。一部の現代人は、「伝統的な家庭以外に、同性愛の人々もまた別の類型の家庭を築くことができ、彼らは養子や人工授精によって子女をもつことができる」と考えるまでに至っていると言います。 これは、長い歴史を通して人類が存続してきた人類の存立の霊的根本土台を破壊する、恐ろしい結果を生み出しています。皮肉なことに、科学者は絶滅する植物や動物の種類に対して嘆いていますが、根本が破綻する家庭については悟れずにいるようです。 今日、神様は私たちに質問されています。「人類は救いを得るまで、人類の三分の一ほどをエイズや戦争によって失わなければならないのだろうか」、「神様が本来計画したとおりに、人間が万物と調和して暮らすことを悟る前に、地球の自然資源と環境がすべて破壊されるのではないだろうか」と。 神様は、決して諦めたりはされません。どのようなことがあっても、神様は真の家庭理想を通して人類と世界を救い、回復されるでしょう。疑問なのは、どれほどの代価を払うかということです。人間の生命だけではなく、経済的な損失や環境の破壊まで含めた代価のことです。堕落と不道徳のゆえにもたらされた社会問題は、経済的な崩壊とともに、さらに悪い環境をもたらします。世界の指導者はこの点を深く反省してみる必要があります。 神様の希望は、人間の苦痛が終わり、真で平和な世界一家庭を形成することです。神様は、私たちが自ら責任分担を完遂することを願われます。もし、人類が神様のメッセージを受け入れ、また確信をもって行動すれば、神様の国はそれに比例して早く、喜びの中で成就できるでしょう。そのようにしなければ、神様と人類の苦痛は延長され、不必要な死亡と不幸が続くでしょう。 真の愛による祝福結婚 それでは、神様の悩みは、どのようにして解決されるのでしょうか。どのようにすれば、家庭が根本的に健全になれるのでしょうか。どのようにすれば、分裂した諸宗教が神様のもとで和解、協力できるのでしょうか。その答えは、国際祝福結婚式の中にあります。私と妻は、一九六〇年に三家庭を前にして主礼を行い、祝福結婚式を始めました。そのとき人々に、全世界の何千万双が神様の祝福を受けるようになると話せば、誰が信じたでしょうか。しかし、超国家、超人種、超宗教的に神様の祝福のもと、夫婦が純潔と貞節を守ることを誓約する三千九百六十万双の祝福式が、皆様の前で現実として進行されることになったのです。 尊敬する指導者の皆様。私はこの場で、過去五十年間の祝福歴史の中における困難だった事情を語ることはしません。ただ、祝福結婚式によってのみ、崩壊していく世界の家庭が根本的に安定し、その本然の役割を果たせることを重ねて強調します。各自が神様に侍る真の愛の人格を形成し、真の夫婦、真の父母になろうとする厳粛な誓約なくしては、真の家庭が回復されません。祝福結婚式によって創出された楽しく和合する家庭であってこそ、平和な社会と国家、そして世界をつくることができます。特に、国家と人種と宗教を超えて行われる祝福結婚それ自体が、世界平和の礎石になるのです。これが神様の願われることではないでしょうか。 今回の祝福結婚に、奇跡のように多くの家庭が同参するようになったのは、世界の志ある各教団の指導者の積極的な支援によるものです。そして、多くの国家指導者が、青少年の淪落と家庭破綻の問題は、この真の家庭運動によってのみ根本的に解決できるということに共感し、積極的に協力したので可能となったのです。私はこの場を通し、これらすべての支援者に、もう一度感謝申し上げます。 祝福結婚式は、人々、特に若者たちに真の愛の価値を自覚させ、絶対純潔の必要性を共感させる動機と媒介になるでしょう。この運動によって自覚した世界の善男善女が集まり、神様の祝福のもとで永遠の夫婦となる、真の愛の革命が起きなければなりません。このようにして築かれた新しい家庭が、神様のみ前に新たに誓約した既成祝福家庭の支援を受けながら、正しい倫理を実践し、世界に道徳の模範を見せることによって、真の愛が結実した理想的な家庭、社会、国家、世界を創建していかなければなりません。 祝福結婚式は、偽りの愛の因縁を清算して、絶対「性」を中心とした結婚の神聖な内容と価値の回復を目指します。真の夫婦の愛、真の父母の愛、真の子女の愛を回復するための儀式です。ですから、祝福結婚式に参席する当事者は、純潔と信頼を生命視し、不変の夫婦の愛を誓約します。その真の愛の基盤の上で、真の家庭をつくり、真の子女を養育し、生活の中で真の国家と平和世界の実現に献身することを誓うのです。 到来する未来の世界は、神様と人間と万物が調和する新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いのために生きながら、和合、協力し、共に暮らす共生共栄共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する若者たちが、人種を超越した真の愛によって、真の家庭と真の父母中心の真の家族理想で、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。 尊敬する世界の指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願っています。 これから「世界平和統一家庭連合」は、一層拍車を掛けて真の家庭運動を展開し、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。価値観の崩壊と倫理的な堕落によって、青少年が不倫に陥り、家庭が根こそぎ破綻しつつあります。 滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させ、普遍化させようとする私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動をしなければなりません。人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が主役となってくださるように、切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。 皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に、神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.05
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世界化と世論、二十世紀を展望しながら 日付:一九九七年十一月二十六日場所:アメリカ、ワシントンDC、JW・マリオット・ホテル行事:第十四回「世界言論人会議」 尊敬する議長、そして著名な発表者、会議の参席者および紳士淑女の皆様。私は、アメリカのワシントンDCで開催される第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれる、第十四回「世界言論人会議」に御参加くださった皆様に、深い謝意を表する次第です。 急変する言論を取り巻く環境 私は、今回の会議において参席者の皆様が、数年後に到来する二十一世紀の世界化時代に対応すべき言論の諸般問題を主題として討論することは、非常に意義深いことだと思います。なぜなら、地球の環境の変化があまりにも急速に進んでいるこの時代において、言論が他のどの分野よりも迅速、かつ正しく対応しなければ、人類の未来は、より一層混乱と不安に満ちるようになるからです。 今、地球を変化させている最も重要な要因は、通信手段の光速化にあるというのです。一言で言うと時間と空間を超越して、全世界の隅々をたった数秒間でつなぐ科学技術が日増しに開発されているということです。 今まで新聞の編集者は、取材記者に地域の便りをどこの誰よりも早く入手し、速やかに報道することを求めてきました。しかし、二十一世紀をわずか三年後に控えた一九九七年の世界の現実はどうでしょうか。 取材記者が地域共同体を考えるとき、自分が住んでいる物理的、地理的地域だけを考えるのではなく、電子メールをはじめとして、つながっている全世界の同僚、隣人たちのことも一緒に考えるようになりました。彼が様々な問題について取材をするとき、インターネットを通して、全世界を相手に情報を探さざるを得ません。情報を取材する人たちにとって地域共同体とは、自分の住む地域を意味するのではなく、全世界を意味するようになったのです。 二十世紀が始まった百年前でも、ニュースは、汽車、汽船、時には鳩を通して伝達しました。ですから、第一次世界大戦の戦場の状況といった重要なニュースも、数日または数週間待たなければ知ることができなかったのです。 しかし、二十一世紀を目前に控えた一九九〇年代後半である今は、インターネットと電気通信技術が、ニュースを瞬間的なものにし、主要なニュースは全世界がほとんど同時に知ることができるようになったのです。ですから、地球全体が正に私たちの地域共同体となり、地域のニュースとは、すなわち世界のニュースを意味するようになったのです。 このように電気通信技術が全地球を一つに結んだことによって、経済交流と文化交流は既に国境のない時代に入りました。地球市民全体が、共に影響を与えたり、受けたりする時代が来たのです。ですから、いかなる地域、またはいかなる国の経済といえども、世界的な影響を受けざるを得ません。したがって、私たちは、全世界を一つの共同体として認識しなければならないのです。ここにおいて、私たちは、「世界化時代の言論」とは、どのような形式と内容でなければならないのか、という問いを提起せざるを得ないのです。 世界化時代における言論の責任 このような問いに対して、皆様が今回の会議で、多様な話題による多くの討論と発表を通し、有益な結実を収めることを願います。私もきょうこの席で、「二十一世紀における世界化と言論」について、いくつかの見解を表明しようと思います。 まず世界化時代の言論は、正に「機能言論」から「価値言論」へとその方向を定めなければなりません。言論とは、ニュースを事実のとおりに読者たちに報道することだけで、その使命を果たしたことになるのではありません。なぜなら、論評と批判を通して、彼らに真実を呼び覚まし、社会の精神的で道徳的な価値を高揚し、先導することもしなければならないからです。 二十一世紀の世界化、情報化時代は、国境を越え、民族相互間で深い影響を及ぼし合うようになるので、ある主導国家の非道徳的な文物は、容易に他の国に否定的影響を及ぼすようになるのです。情報通信産業と先端技術の発達によって情報化された世界こそが、すべての人類に情報の共有化を催促する根本的な要因です。 このように情報化された世界では、ニュースを事実のとおりに報道することは、あまりにも初歩的な機能にならざるを得ません。その事実をいかに解釈して評価し、いかなる方向に教え導くかが言論の重要な使命になるのです。ここで私たちは、言論機関と言論人のもつ世界観、人生観、歴史観という価値認識に注目するようになるのです。 言い換えれば、言論人は、人類と世界全体の繁栄と平和に対する、肯定的で理想的な価値観を共有しなければなりません。それはつまり、世界的な視角をもとうということです。読者の低級な欲望と趣向に、単なる商業的動機だけで迎合する言論が大勢を占めることを放って置けば、二十一世紀は一層憂鬱で不幸な世界になってしまうでしょう。 私たちは、二十世紀の最も深刻だった理念戦争を体験しました。冷戦時代の理念戦争では、いわゆる共産主義と弁証法的唯物論という無神論的物本主義が、社会の各分野に攻勢をかけてきました。自由世界の数多くの知識人や言論人までも、その影響下で混乱をきたしたのが、わずか数年前のことです。 私は、その時代を誰よりも深刻に対処してきました。数多くの誤解と非難を甘受しながら、一方で自由世界の理念的、道徳的混乱を収拾するために「統一思想」運動および理想家庭実現運動を主導し、他方では、共産陣営を解放し、共産圏の知識人と青年学生に、共産主義のあとの世界に備える価値体系を教えました。 私は冷戦の渦中で、自由陣営が最も大きな困難に直面した一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。当時世界の首都ともいえるワシントンDCには、新聞が「ワシントン・ポスト」しかなかったときです。 私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。一九八五年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。 学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案どおり採択されました。 第十一回「世界言論人会議」が一九九〇年四月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン・タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。 その後、二年もたたないうちに、共産主義帝国は崩壊に至りました。一九八五年にソ連帝国の終焉を主張した私の予見は的中したのです。そして、この事実を知った数多くの学者たちは、私に対して改めて驚嘆しました。 世界人類を苦しめる最も大きな問題は不倫と退廃 皆様。レバレンド・ムーンのこのような歴史と世界の変化に対する予知能力はどこから来るものでしょうか。それは言うまでもなく、私は宗教指導者として、神様との深い交流と、人類の未来に対する神様の計画とみ旨を具現しようとする私の絶対的な献身に起因したものであることを、きょう皆様に率直に公開する次第です。 私はいつも、神様の御計画にある未来世界の建設に対する準備を委託された現在の各界各層の指導者たちに、その責任を全うすることを訴えています。今や、冷戦時代は、終止符を打ちつつあります。人類は今、地球星で一人の神様のもとで全人類が兄弟姉妹として共生、共栄、共義の新千年のために準備しなければならない重要な時を迎えているのです。今はもう、共産主義か民主主義かと言って、いたずらに争い、競っていた時代は終わったのです。 二十一世紀以降の世界は、人類が、戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌しながら、愛と幸福を共有するようにしなければならないのです。東西間の理念対決の問題が終わったので、南北間の貧富の格差問題も、このような観点からアプローチしなければならないでしょう。 私がかつて科学技術の平準化を唱えて国際平和高速道路の建設を主唱したのも、世界が一つの家に統合され、相互依存せざるを得ない、そのような未来に対する洞察に起因したものです。 このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発展して、全世界が一つの共同体になるならば、二十一世紀において人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌できるようになるのでしょうか。それはあり得ないことです。 冷戦時代よりも根本的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところによれば、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそは、人類を苦痛と絶望のどん底に陥れる原罪なのです。 未来の世界は、家庭の純潔を保存し、家庭の価値を守護する道徳律が定着するかしないかによって、天国と地獄の岐路に置かれるようになるでしょう。世界各国が共に悩む青少年の退廃と絶えず起こる麻薬犯罪、増加する家庭破壊と離婚、エイズの猛威、性犯罪などを政治権力で解決できるのでしょうか。現在の学校教育や宗教的教えでも解決できずにいるのです。 すべての家庭の悩みが解決されずにいる社会が、経済的に豊かになって何をし、政治的に自由になって何をするというのでしょうか。人類は今、家庭の価値を守護し高揚できる教えとその方法を探し出さなければならないときに来ています。冷戦以後の時代は、正にこの家庭の価値を守護し高揚しなければならない時代です。これはきょう、この場に世界の言論人を代表して参加した皆様に、レバレンド・ムーンが伝えたい最も重要なメッセージです。 二十一世紀の人類のための革命は祝福世界化運動 今、ワシントン市内一円で開催されている第三回「世界文化体育大典」のすべての行事と二十九日のRFKスタジアムと全世界で挙行される国際合同祝福結婚式の行事は、当初三百六十万組が参加する予定でした。 ところが、驚くべきことに、当初の目標の十倍を超え、三千六百万組となり、それ以外にも数百万組が参加することになりました。このような汎人類的祝祭こそ、未来世界のために家庭価値を守護し高揚する、人類の決断を促す荘厳な出発となるでしょう。 今後この行事は、三億六千万組に達する全世界的祝福行事へと発展していくので、言論人の皆様と今回の大会に参加された指導者の皆様が、国家的次元で積極的に協力してくださることをお願い申し上げます。この真の家庭運動を世界的な運動に拡大、定着させることが、二十一世紀の人類のための最も貴重な精神革命、文化革命運動となるでしょう。 私は去る六月に、「ワシントン・タイムズ」創刊十五周年記念講演で、世界百八十五カ国に新聞を創刊し、全世界を地域共同体に連結させる新聞の発行と通信サービスを始める予定であることを発表しました。このような巨大なプロジェクトは、先ほどお話ししました未来世界に対する私の信念に基づいており、未来世界で生きていく人類のための私の献身的な贈り物です。この場に参加された各国の著名な言論人の皆様の参与と御協力をお願い申し上げます。 今回の大会で皆様が討論し、議論する多くの内容に、より一層価値ある結実を期待します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌/FuturePublishing/ダコスタ吉村花子【1000円以上送料無料】
2023.05.04
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PEACE SUMMIT 2023 THINK TANK 2022 セッション(2023.5.4)言語は韓国語です。映像をお楽しみください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.04
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PEACE SUMMIT 2023 제6회 THINK TANK 2022 포럼(2023.5.4)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.04
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PEACE SUMMIT 2023 THINK TANK 2022 セッション(2023.5.3)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.03
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PEACE SUMMIT 2023開会式および特別総会(2023.5.3)言語は韓国語です。映像をお楽しみください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.03
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「家庭盟誓」について1997年11月26日第三回世界文化体育大典が開催されている期間も、お父様は毎朝六時から国家メシヤを中心として「訓読会」をされました。一九九七年十一月二十六日の「訓読会」において、お父様が語られた御言。 完全否定 「家庭盟誓」を暗唱しなさい。(「家庭盟誓」を暗唱する)座りなさい。統一教会にはこの「家庭盟誓」があります。「家庭盟誓」という言葉は、世界で初めて現れたのです。そこには、私たち統一教会の原理の中心的な骨子がすべて入っているのです。 今まで宗教というものはすべて、出家を命令しました。「家を離れなさい」と言ったのです。家を離れて、いちばん下、難しい立場で修練を受けて上がっていかなければならないのです。それで、「家を離れなさい」と言ったのです。 家を離れるということは、その国、民族、氏族、家庭、祖父、祖母、母親、父親、夫婦と別れ、その次に自分自身の体までもすべて、処断してしまわなければならないということなのです。サタンの血統を受けてきたので、それは不可避なことなのです。そのようにしながら独身生活をするのです。 なぜ、独身生活をするのでしょうか。神様がいちばん嫌うことが、堕落した行動のように男女が一つになることなのです。ですから、道(宗教)の世界でも、これを最も醜悪なこととして取り扱ってきたのです。そのようにして天に背き本然の根から分かれたので、これを再び復帰しようとするために、仕方なくサタン世界を否定するのです。完全否定です。否定しなければなりません サタン世界の痕跡、堕落した痕跡があってはなりません。 言い換えれば、結婚していた人が再びお嫁にいく場合、前の夫のもとで使っていたもの、その衣服一つまでも、痕跡のあるものを嫌うのです。堕落した世界でもそうなのに、本然の神様はどれくらいあきれるだろうかというのです。その姿も見たくないのです。それゆえ、独身生活をするのです。それゆえ、故郷を離れなければならず、独身生活をしなければならないというのです。 天使的世界において、結婚はあり得ません。絶対否定しなければならないのです。そこに、意識的な構造だとか、概念的なものがあってはならないのです。土と同じでなければなりません。原資材として使い、創造した本然の状態と同じく、帰らなければなりません。絶対否定しなければなりません。絶対 堕落した人間が偽りの子孫として、偽りの国家、偽りの世界までつくってしまったのを完全に否定しなければなりません。 それゆえ、統一教会の人たちは無原理圏内に落ちなさいというのです。原理のない、すべての存在物がない、創造する前の世界に落ちなさいというのです。ですから、完全否定です 皆さんがそこに徹底化されていなければなりません。 では、今日、東洋人ならば東洋人自体が何かと言えば、東洋人は黄色人種です。これまで否定しなさいというのです。白人もそれを否定しなさいというのです。黒人もそれを否定しなさいというのです。自分が暮らしてきた根本を、完全に解体、無視してしまうことのできる完全否定過程を経させるためのものが、出家なのです。故郷を離れなさいというのです。 その次に何ですか。(「独身生活です」)。独身生活をしなさい。これが今まで宗教が目指してきた主流思想です。それが今まではっきりと分かりませんでした。向こう見ずに、道を極め、精誠を捧げているのです。精誠を捧げるのは、彼らが願う教理の目的を達成するためなのです。違いますか。そうではないですか。それはすべて、中間世界で行ったり来たりするのです。方向もつかむことができません。中間なのです。雲のように行ったり来たりします。すべての価値的内容を地上世界に残すことはできません。すべて流れていってしまうのです。 完全否定 では、自分がどの立場まで行かなければならないのかと言えば、自分の姓を忘れてしまわなければなりません。韓国人ならば韓国人だということを忘れてしまわなければならないのです。東洋人ということを忘れてしまい、自分が黄色人種として生まれたことを忘れてしまい、「私は本然の神様の本郷の息子・娘である」という、その光を求めていかなければなりません。 それゆえ、神様がアダム・エバを黒人としてつくったならば、黒人として行くのは問題ではないのです。白人としてつくったならば、白人の世界に行くのは問題ではありません。白、黒の闘争概念はあり得ないというのです。 これをすべてだれがつくったのかと言えば、サタンがつくったのです。帰ることができないように、道を複雑にしたのがサタンなのです。それで、数多くの民族、数多くの血族を配置したのです。言語だけでも千六百以上になるのです。そのように分けてしまいました。統一的世界、心情一致圏を知るためには、表現方法が一致しなければなりません。さまざまな形でできていてはいけないのです。行く道は一つの方向でなければなりません。今、各国の言語を見ても、文章の構造が逆になっているではないですか。東洋、西洋が完全に逆だというのです。根本的なすべてのことを是正しなければなりません。再創造です。分かりましたか 再創造の土台は家庭完成 では、再創造するための、その土台の基盤が何かと言えば、家庭完成なのです。旧約時代の目的も家庭であり、新約時代の目的も家庭であり、成約時代の目的も家庭です。完成した家庭の上に、完成した氏族、完成した民族、国家、世界、そうして、地上・天上天国まで連結され、神様の解放圏が形成されるのです。このことを知らなければなりません。そのようなことをすべて知って、この「家庭盟誓」というものを制定しなければならないのです。 その一番目が何ですか。今まで故郷を離れて独身生活をしたので、反対に行かなければならないのです。サタンを中心として偽りの父母によって血統的に汚されたものを完全に踏んで片付け、絶対神様を中心として、絶対真の父母を中心として、絶対的血統を中心として、還故郷をするのです。離れた故郷を訪ねていかなければならないのです。還故郷です。 その次に何ですか。故郷に行って何をするのですか。(「地上天国と天上天国を創建……」)。地上天国は一人で入るのではありません。一人では入れません。地上天国と天上天国を創建するには、一人ではできません。アダム・エバ、二人が過ったので、再創造も二人がしなければならないのです。絶対的要因です。 それゆえ、今まで歴史路程で女性たちが先頭に立って、犠牲の道を築いてきたのです。朝早く起きて、天上天国、地上天国を復帰するうえで、女性たちが先頭に立たなければならないのです。そのような意味で、エバ国家格である日本の女性たちが世界に配置され、再び出産の苦労をするのです。復帰です。 どれだけ懸け離れたところで生きているか その次、二番目は何ですか。そこには、神様と真の父母が出てきます。真の父母を中心として天宙の代表的家庭……。代表的家庭は一つしかありません。二つはあり得ません。一つです。代表的家庭になり、その次は何ですか。(「中心的家庭です」)。中心です。代表的高い所、アダムの立場は高い代表です。その代表は中心になるのです。世界人類がこのように広がっていき、五十億人類を代表したその頂上で、それが、そのまま垂直に下りてくるので中心的家庭になるのです。ですから、代表の頂上と中心的な家庭である私に、全部関係しているのです。 それゆえ、堕落した世界の今までの歴史的なすべての失敗は、私の失敗であり、復帰は私の復帰である、という概念がなければなりません。分かりましたか(「はい」)。そのように考えていますか。 世界的代表的家庭とは何ですか。毎日の生活において、きのうと同じように習慣性を中心として、その言葉を使い、その国の行動をしているのは、代表的家庭ではありません。神様の御旨を中心として、絶対的な基準を中心として、神様と一つになるのが代表的家庭です。そのようであれば、私の家庭は、復活した神様の愛の祭壇に上がった、復活した家庭だというのです。神様の祭壇とその家庭が一つになっているのです。これはだれも裂くことはできません。絶対神様であられる主体の前に捧げる、愛のお膳と同じです。 神様はそのような愛の対象を願うのであって、今の駄犬のように自分勝手に生きることを願わないというのです。考えてみなさい どれくらい懸け離れたところで生きているのかというのです 自分勝手に、自分の習慣のままに……。夫婦生活もそうです。限界を定めなければなりません。言葉だけでは駄目です。分かりましたか。代表的家庭になり、中心的家庭になって、家庭では何になると言いましたか。(「孝子です」)。孝子は世界史的です。 今まで孝子という人たちは家庭で孝行したのですが、何か分からずに孝行しました。地を中心とした平面的な基準でしたのであって、天理とは関係ありません。私たちは天理を中心とした孝子を言うのです。いちばんの孝子というのは、いちばんの父母に侍る人です。それゆえ、真の父母にいちばん侍る人が、いちばんの孝子なのです。歴史的孝子の実だということを知らなければなりません。すべてが真の父母と連結されています。 その次は何ですか。国では?(「忠臣です」)。忠臣にならなければなりません。その忠臣がいちばんの忠臣であり、その忠臣が忠誠を尽くす国がいちばんの国だというのです。その国が今ありません。孝子になることはできますが、国がありません。国は必ず家庭の上に立たなければならないのです。家庭の上にです。個人の上に国は成立することができません。夫婦の上に家庭が現れるのです。父母がいなくては、家庭が現れることができません。必ず、国は家庭の上に現れるのです。それゆえ、我々は今、国がない民族です。 イエスが死ぬことによって、イスラエル民族を中心として四千年間、国家的に築いたものすべてを失ってしまいました。再び編成しなければならないのです。このとてつもない事実は漠然としたものではありません。具体的に連結された内容が主流思想として、その(家庭盟誓)中にあるにもかかわらず、言葉だけ、「ワワワワワ」と言っているのです。馬の耳に念仏という言葉があるではないですか。それと同じだというのです。何の話か分かりますか。(「はい」)。 千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放する 家庭では何ですか。(「孝子です」)。孝子もいちばんの孝子です。私しかいません。その父母が生死にかかわる指示をしたとしても、異議がないのです。絶対信仰です。その次は何ですか。(「絶対愛です」)。絶対愛、絶対服従です。 神様が創造するときに、このような絶対信仰の上でつくりました。絶対愛の上で、絶対服従の上でです。絶対服従という言葉は、神様自身が完全になくなるということです。投入して忘れてしまうので、なくなるのです。無限な無の立場になるのです。絶対無の立場になれば、絶対力が介在するのです。 高気圧が押し込まれると、それが回って上に上がります。ひっきりなしに投入すれば循環運動が起こります。何の話か分かりますか。パイプの中に、ひっきりなしに(投入)してみなさい、すべて循環して回っていくのです。無限に投入して低気圧になることによって、四方へと投入されたその力は、自然に追われて上に行き、垂直になって下りてくるのです。そうではないですか。 それゆえ、地球もそうです。地球も磁力線があって、中央を中心としてこのように動くのです。運動の原則とはそのように始まるのです。一人では運動は始まりません。 絶対孝子です。私しかいないのです。それが原因です。孝子、孝女が何かと言えば、原因になった父母の愛を、結果的立場で完全に相続しようということです。父母が死なずに生きた代身として、実として拡大しようというのが繁殖です。動物世界の繁殖とすべて同じです。 その次には、絶対忠臣です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従圏で絶対忠臣を要求するのです。絶対忠臣です。永遠に変わらない忠臣です。それが神様のモデル、型にならなければなりません。そのような標準を考えなければなりません。分かりましたか。(「はい」)。 その次は何ですか。(「聖人です」)。聖人です。聖人は自分の民族だけを考えるのではありません。世界、人類を考えるのです。寝ても覚めても彼らは、自分の家庭や自分の国を考えるのではありません。自分の国が混乱の中にあるので、聖人の欲望が出てくるのです。腐敗したその社会で、環境と国家を越えて世界人類が塗炭の苦しみにあえいでいる姿を見て、世界人類を愛したいという心をもち世界を考えるのです。自分の家が飢え死にしていく恨みがあったとしても、周辺で飢え死にするのをさらに痛く感じることのできる心情的な紐帯から関係ができ、神様の代身となることのできる相対的立場に立つことによって、初めて聖人の立場に立ちます。 聖子とは何ですか。(「天宙を考える……」)。それ(天宙)は天地を指すのです。天宙という言葉は統一教会の名詞です。他のところにはありません。霊界と肉界を指すのです。霊界と肉界の出発は、私たちの心の世界と体の世界に焦点が合っているのです。霊界全体は、私の心と焦点が合い連結されているのです。それは完全な絶対愛の定着地です。愛の絶対定着点は一つしかありません。 個人の愛の定着地、家庭の愛の定着地、民族、国家、すべての愛の定着地は一つしかありません。それが何かと言えば、家庭を中心として繁殖していくのです。家庭、氏族、民族、国家、世界、ずっと行くのです。そのすべてが連結されるのが何かと言えば、家庭です。男性・女性を中心とした家庭なのです。 この二人が一つになることのできるのは真の愛です。その真の愛は、男性・女性、二つの世界を分けることのできない力をもっているのです。そうではありませんか。これはだれも裂くことはできません。裂こうとすればするほど、根までめくれ上がってくるのです。 そのように見るとき、絶対的な忠臣、絶対的な聖人……。聖人たちが教えてくれたすべての宗教の中で、どの宗教が中心ですか。お金を集め、人がたくさん集まっていた所ではありません。どんなに人が多いからといって、どうするのですか。真の愛がなければなりません。それゆえ、他の宗教とは違って、キリスト教だけがそのようなことを言うのです。神様の息子、絶対ひとり子という言葉、新郎、新婦という言葉、天のお父様という言葉を使うのです。 ヨハネによる福音書一四章にある、イエス様が十字架で亡くなる前に宣布したこととは何でしょうか。兄弟であるということです。私があなたの中にあり、あなたが私の中にあり、父があなたたちの中にいる。一つの体であり、一つの兄弟であるということです。それは裂くことのできない一体性を言い表しているのです。 そのような教理を教えてくれた宗教はキリスト教しかないのです。それゆえ、神様がこのような原則的な愛の中心者であられるならば、キリスト教を中心として世界化運動をせざるを得ないのです。 それでは、神様が主にキリスト教を中心として今まで役事してきたことが何かと言えば、血統の転覆です。血統の転覆。分かりましたか。それは否定できません。 エデンにおいて、青少年が堕落しました。今、十代の青少年、ティーンエイジャーが世界で問題になっているではないですか。ティーンエイジャーが堕落して、家庭破綻したのです。アダムの家庭を完全にサタン世界に委譲する事件が起こったのです。それにより、すべての万物がサタンの前に回っていったのです。 所有権を神様がもっていて、アダム・エバに伝授して、所有の主人がアダム・エバにならなければならないはずなのに、逆になってしまいました。これを今、転換するのです。 それゆえ、財閥だとか、全部が国家の法によって相続を無視することのできる時代になるのです。世界的大転換時代として、外的世界がそのようになっていくのです。共産主義は力をもって強制的に、そのことを成し遂げようとしました。これは、自然となさなければなりません。原理を知って、自然にそのように回っていかなければならないのです。 家庭を中心として神様の前に孝子にならなければなりません。神様の前に孝行した人がいませんでした。家庭がないのですから。忠臣たる人がいませんでした。国がないのですから。聖人たる人がいませんでした。神様を代身し得る、世界を相続できる人がいなかったのです。それを希望として願ってきただけです。 孝子になり、忠臣、聖人、聖子になるためには、神様の愛と関係を結んだ立場で、家庭の中心になり、国家の中心になり、世界の中心になり、天地の中心にならなければならないはずなのに、神様と絶対的真の愛を中心として一致することのできる(家庭の)基盤がないのです。分かりましたか。ないのです。 今まで、忠臣というのは、サタン世界の忠臣であったのです。神様の前には忠臣がいません。そのような驚くべき神様を知り、心情から侍って、自分一身、全体をここに同化させ、孝子の姿で、千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放しなければならない、ご父母様を慰めなければならない、息子になろうと身悶えしなければならないというのです。分かりましたか(「はい」)。それは話だけでは駄目です。 四大心情圏 その次は何ですか。三番目は何ですか。創造本然の世界です。四大心情圏、三大王権です。エバが堕落することによって、子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情、四大心情圏のすべてを蹂躙してしまいました。 女性たち、これをはっきりと知らなければなりません。それを知って、この地の万物の前に恥ずかしく思い、頭を垂れて行き来しなければなりません。 四大心情圏を蹂躙したので、どのようにこれを復帰するのかというのです。蕩減復帰というのは、失ってしまったときの現象を中心として復帰されなければならないのです。それゆえ、終わりの日に来られる再臨主は真の夫として来られるので、すべての女性たちは自分の夫が問題ではないのです。自分の先祖、祖父を否定し、父親を否定し、夫を否定し、兄を否定しなければなりません。四代を否定しなければなりません。 エバは子女を否定し、兄弟を否定し、夫を否定し、父親を否定しなければなりません。そのようなすべてのものを否定しなければなりません。だれがしなければならないのかというと、エバがしなければなりません。エバは今まで歴史の中で、それを一度もしませんでした。 サタンの前に、エバがこのように引っ繰り返して無責任にしてきたので、永久にサタン世界の版図、天使長の堕落した世界で地獄に行く群れだけが残ってしまったのです。女性たちは、これを転覆させなければならないという考えを、夢にももたなかったというのです。それをすべて知らなかったから仕方がありません。これは先生の話ではありません。 ですから、統一教会において、赤ちゃんから少年時代まで、十代の子女の時代、兄弟の時代、このように経てきたのです。兄弟というのは、兄弟同士で一つになるのではありません。夫婦になって、子供を中心として一つにならなければならないのです。兄弟圏というのはそういうことです。子女が行くべき、兄弟が行くべき、夫婦が行くべき道を行かなければならないのです。夫婦というものは愛を中心として結ばれるのです。これは東西南北、前後左右が逆になっても離すことはできません。愛とはそのようなものです。 統一教会では、先生を中心としてすべての女性たちは先生に出会えば、自分の赤ちゃんの時の心情から生まれるのです。根の心情からあふれ出るのです。赤ちゃんの心情です。 二人は双子として生まれたのと同じなのですが、いなければ自分の兄を捜しにいかなければならず、妹を捜しにいくのです。その二人だけが行く道です。たった二人です。 その兄というのは、おじいさんの代身であり、父親の代身であり、夫の代身です。それが一つの感情であって、別々に離れていないのです。 そのように慕い、一つになることによって、ここから未来の父親が生まれ、未来のおじいさんが生まれ、未来の夫が生まれ、未来の兄が生まれるのです。それが兄です。それが一つになるのです。一つの血統から出てくるのです。一つのふろしきから出てくるのと同じです。兄妹、双子と同じく創造されたアダム・エバを裂くことはできないのです。永遠に裂くことができません。 双子は一緒に生まれるでしょう。女性・男性の双子はどうですか。顔がそっくりですか。双子はそっくりなのが原則ですが、男性・女性の双子は違っています。 その女性はどうですか。下を眺め、男性は上を眺め、また、女性は左側に責任をもたなければならず、男性は右側に責任をもたなければなりません。また、兄妹の立場で、前後関係にそれぞれ責任をもつのです。違うのです。そして、だれが主体なのかと言えば、エバが主体ではないのです。男性が主体なので、男性に従っていかなければならないのです。私が男性なのでそう言うのではありません。天理の原則がそうなのです。 そのようにして、何をしようというのでしょうか。この三つが一つになって家庭を形成するのですから、これを連結させることのできる愛の出発をなそうとするのです。そのため夫婦が愛し合うのです。夫婦の愛とはそのようなものです。 夫婦の愛というのは、子女の愛の理想完成の定着地に立つのです。愛の理想完成の根を打ち込まなければなりません。その次には、子女から兄弟の愛の理想の定着です。一人ではできないのです。その次は、夫婦の愛の定着地であり、父母の愛の定着地です。それを裂くことはできません。これが四位基台です。東西南北、前後左右を通して、それは球形形態の絶対要素です。おじいさんも、家庭を統一させることのできる一員です。おじいさんも、自分の夫婦の愛よりも家庭統一を願うのです。分かりましたか。統一的基盤です。 母親・父親も愛を中心として家庭統一を願うのです。家庭の統一的な基準とは何でしょうか。おじいさん・おばあさんも、その中心の前に標準をつくらなければならず、父親、母親もつくらなければならず、夫婦もつくらなければならず、兄弟もつくらなければなりません。その定着地が神様が定着する相関点です。この(ジェスチャーをされながら)基点です。この場で真の愛が生まれます。真の愛は、これ以外の所からは生まれません。上下、前後が一つになり、左右が一つになれば、球形的定着地の一点が生まれます。その一点を占領するのが、神様の愛の定着です。分かりましたか。そこから広がっていくのです。地上天国・天上天国は地上家庭・天上家庭、これが相対的に拡大していくのです。 夫婦が愛するというのは、妻が乳児時代に愛したかった、触りたかった、ついていきたかったことを思い通りになすことであり、それができる対象が夫だというのです。兄弟の時、一緒に眠りたい、一緒にいたい、それを実際に永遠にできる決着点をなすのが愛だというのです。夫婦の永遠な決着点、父母の永遠な決着点が愛なのです。神様が臨在して定着することのできる場なのです。その場で相対的に、神様が上になり、下になって一つになるのです。これが大きくなっていくのです。 横的なものをこのように圧縮して縮小させれば、縦的に上がっていくのです。これを拡大すれば下りてくるのです。 今まではすべて、肉的に拡大すると神様がいなくなりました。外的なものを強化すると神様がいなくなったのです。それは、九十度、百八十度を中心として縮小する限界の警戒線を乗り越えたものだからです。警戒線を乗り越えれば、必ず破綻が起こります。無用のものになるのです。 神様がつくった本然の赤ん坊の心情的愛の結実基盤が夫婦の立場であり、子女の結実基盤、兄弟の結実基盤、夫婦の結実基盤、父母の結実基盤が家庭だというのです。夫婦だというのです。その愛の中で、子女たちの愛が歌を歌い、兄弟たちの愛が歌を歌い、夫婦の愛が歌を歌い、父母の愛をほめたたえることができるのです。全体が喜ぶことのできる一つの基準になるのです。そうではありませんか。一つの家庭をなしたならば、父親を中心としておじいさんも喜び、おばあさんも喜び、夫婦も喜び、兄弟もみな喜ぶのです。 それで、愛の基本形が崩れる日には、ガラガラと三百六十度に完全に分散してしまうのです。それゆえ、四大心情圏を考えなければならないのです。言葉だけではありません。 三大王権 その次は何ですか。(「三大王権です」)。三大王権とは何ですか。霊界と肉界、未来がありません。一代が神様であり、二代がアダム・エバですが、三代をもてませんでした。四位基台を築けなかったのです。それゆえ、中心がありません。軸がなくなりました。中心がなく、四方へと回っていくのです。未来(子孫)が自分勝手に、ばらばらになるのです。垂直線がないのです。それが堕落です。三代を継続させられなかったことが堕落です。あなたたちはそれを知らなければなりません。三代の継続です。 それゆえ、父親の愛よりもおじいさんの愛が先にありました。アダムを愛する神様は二代を愛しましたが、三代を愛せませんでした。四位基台というのはそうではありませんか。二代が大きくなるのです。アダム・エバが大きくなって、一つになるのです。このように大きくなって一つになるのです。ここまで来たとき、アダム・エバはどこに行くべきなのかというと、愛を求めていくのです。これが垂直です。九十度です。垂直線に来て、一つにならなければなりません。公平です。男性、女性がここに行き、出会うのです。 そこで出会うということが、幼い赤ん坊の愛の結実であり、兄弟の愛の結実であり、夫婦の愛の結実であり、男性・女性の愛の結実であり、すべての未来の愛の結実なのです。過去の愛の基地、現在の愛の基地、未来の愛の基地だというのです。分かりましたか。 ですから、その愛の基地に立つことのできる孫というのは、神様の愛も受けなければならず、その次には父母の愛も受けなければならず、その次には子女たちの愛も受けなければならないのです。ここに三対象理想を中心とした十二数が現れるのです。天地の度数がそのように解かれていくのです。分かりましたか。(「はい」)。 三大王権とは何ですか。おじいさんに天の国の大使として侍らなければなりません。天の国の王です。父親はこの世界の王です。天上・地上世界の王です。その二つの世界の王圏を引き継がなければならないのが、孫なのです。孫は愛をもって引き継ぐのですが、父親の愛も受けると同時に、おじいさんの愛も受けるのです。そうして、父親とおじいさん、地上と天上世界の愛を受けることによって、未来の王圏が出発するのです。 ですから、これは自分勝手にできません。おじいさんの度数に合わせなければならず、父親の度数に合わせなければならないのです。垂直的な段階になるのです。絶対的な伝統を引き継ぐことによって、三代が結束することを知らなければなりません。分かりましたか(「はい」)。それは原則です。 神様と真の父母を中心として三代圏に侍ったことを知らなければなりません。ところが、この者たち、すべてが自分勝手です 神様の愛を受けなければならず、父母の愛を受けなければなりません。二つの愛を受けてこそ、初めて三大王権時代が来るのです。平面的にそれが結実されているので、種としてどこにもって行って植えたとしても、このような三大王権が国民的国家形態のすべてのものに、同一な価値圏が形成されるのです。はっきりと分かりましたか。(「はい」)。そのようなことをすべて理解して話さなければなりません。 皇族圏 その次は何ですか。(「皇族圏です」)。皇族圏とは何ですか。今、問題は何でしょうか。先に生まれた兄がいます。先に受けた間違った愛の種が残っているのです。これを否定するようになれば、人類自体を否定しなければなりません。そこにだれが引っかかるのかといえば、天使長も引っかかり、アダムが引っかかるのです。二人とも引っかかっています。二人とも否定するので、天地を破壊しなければならないのです。創造を完全に無の状態へと、呪いとともに破壊してしまわなければならないのです。とてつもない事実です。 ですから、先に生まれたお兄さんを収拾せずしては、弟として生まれた人は、生きる道がなく、行く道がありません。神様は避けることができないのです。では、どのようにこれを収拾するのでしょうか。サタン世界以上の愛をもって収拾してこそ、サタンが自然屈服するのです。分かりましたか。サタンが自然屈服します。相対的立場で決闘して屈服させてはいけないのです。自然屈服するようになれば、サタンの愛以上の愛をもった主人が現れて、それを消化できる道があるのです。サタン世界で対峙的愛の力で屈服させては、天国だ、復帰だ、という言葉が成立しないのです。それゆえ、弟を犠牲にするのです。 アベルの天の側が犠牲になって、三時代の迫害を受けるのです。殺され、強奪し、ありとあらゆることをするのです。後には、愛までも強奪してしまうのです。それがフリーセックス時代まで来ました。父親が娘の愛を強カンし、母親の愛を娘が奪い、ありとあらゆることが起こります。近シン相姦関係が問題になるのです。混乱状態になるのです。全面的な蕩減復帰をするためには、そのようなところに行かなければ復帰できないのです。分かりましたか。 「皇族圏」と言うならば、このすべてのカイン世界を解消しなければ、自分が生きる道がないのです。ですから、神様も仕方なく、数千万年の長い歳月、創造以後、アダム家庭一つを取り戻すために、今まで苦労してきました。 完成したアダムになれるように、先生が今解説していますが、その場に行ける自分自身を発見する時まで、形成する時までが、どれくらい大変でしょうか。神様が苦労した以上に苦労しなければならないのです。この者たち、分かりましたか(「はい」)。皇族圏です。このカイン圏を消化せずしては帰る道がありません。 生まれてみると一人でしたが、アベルとして立ってみると、尻尾にカイン世界すべてがぶら下がっています。これを乗り越えることのできる立場にアダムを立てようとするので、今日、第二次世界大戦以後、英・米・仏を中心として、英国はエバ国家であり、アメリカはアベル国家であり、フランスは天使長国家です。それらを中心としてメシヤを迎えるようにしたのですが、メシヤが来てみると、こぶがぶら下がっていたのです。 堕落していない本然の順理的愛に触れるはずであったのに、逆理的な愛において、複雑な基準になったのです。逆理的な環境で、和平的な順理的な家庭を求めていかなければならなかったのです。そのような逆説的な道理の世界を歩んできた神様であることを知らなければなりません。先生を知らなければなりません。自然屈服させなければなりません。 先生が復讐をしようとすれば、すべて復讐したというのです。すべて、一人残らず復讐してしまいました。このことを知ったので、悔しくても耐えていかなければならないのです。私がどんなに悔しくても、神様の悔しさよりも劣るというのです。 サタン世界、僕の世界が、王として侍るべきその方を前に、讒訴し、「あなたの娘は私のものです。あなたの息子・娘は私の息子・娘です」と言っているのです。あぜんとするでしょう。考えてみなさい。あなたたちがそのような立場に立っていると考えてみなさい。 それは、何かの例え話でしょうか。事実がそうだというのです。その目を見ると、サタンの目です。全部、自分のことだけ考えています。公的な神様の目と反対の立場で神様を否定し、逆説的な結果の立場で神様に対してきたというのです。後には、「神様は死んだ」とまで言うのです。そのような観点で見るその目が、「神様が死んだ」と言う時が終わりの日です。分かりましたか 皇族圏です。 死なんとする者は生きる あなたたちは何の責任をもちましたか。国を越えて、日本が怨讐なのに、日本を愛しなさいというのですか。北米と南米を愛せというのですか。南米と北米は怨讐関係です。一つは天主教(カトリック)国家であり、一つは新教国家です。お互いに怨讐です。殺し合ってきたのです。これを自然に一つにしようというのですか。そうするためには犠牲になるしかありません。一から十、百までです。三代にわたり犠牲の道理を歩まなければなりません。これが神様のアルパとオメガです。 だんだんと大きくなっていけば、さらに大きな犠牲が必要です。個人的犠牲よりも、家庭、氏族、民族、国家へと行けば行くほど、さらに大きな犠牲が必要なのです。それで、自分自体を中心として四大心情圏を築かなければならず、三大王権を中心として自然屈服させた土台の上に、アルパとオメガが(一つの)圏として設定されなければ、自分が解放的本然の世界へと帰る道はないというのです。確かですか。(「はい」)。理論的にそうです。そのことを知らなければなりません。 自分が世界の前に何をしたのかというのです。泥棒しようと何をしたのかというのです。国で泥棒し、おなかが空けば自分のことを考えたのです。飢えながらも、国の国民と世界を考えなければならないのです。困難な家では、母親が飢えたとしても徹夜しながらその子供たちを食べさせてやるのです。そのような心をもたなければならないというのです。そのように生きましたか 原理はあなたたちの原理ではありません。神様の原理であり、先生の原理です。その原理を伝授するためには、原理に該当する相対的実体を形成しなければならないのです。相対的、環境的、心的態度、生活的な態度、行動的な結実を求めていかなければならないのであって、自分勝手に生きますか 地上天国、天上天国を成し遂げようと考えずに、自分のことを考えるのですか。先生を忘れるなというのです。種を植えたなら自分が育てなければなりません。それが統一教会の鉄則です。 かつて大統領の選挙の時、国からお金をもってきて、使いなさいと言ってももらいませんでした。自分が行く道に、サタンの血族と共にしたという痕跡を残したくないのです。 あなたたちに相談もしません。今日、統一教会のだれにも一言も相談しません。いつでも先頭に立ってきました。その通りですか、その通りではありませんか。(「その通りです」)。それを考えなければなりません。 先生は徹底しているのです。飛ぶ矢です。放たれた矢です。愛の矢です。天の心情に向かっていくのです。鉄であれ、困難であれ、どんなに混乱の中にいたとしても、私の行くべき道は、標的に向かって直行です。一瞬でも失うことはできません。深刻だというのです。どれくらい深刻でしたか。 あなたたちは八段階蕩減復帰というものと、どのような関係をもちましたか。皆さんは先生の服と同じでなければなりません。先生のベルトになるとか、靴下になるとか、どこか一つにくっ付いて、従っていく立場に立たなければならないのです。死んでも、生きても、そうでなければなりません。死ぬといって放っておいては、自分が永久に死んでしまいます。ですから、死なんとする者は、何ですか?(「生き」)。生き。生きんとする者は?(「死なん」)。死になさい 否定しなければなりません 否定できなければ死んでしまうのです。 さあ、四大心情圏、三大王権です。その次は何ですか。(「皇族圏です」)。自分が振り向こうとしても、振り向けないのです。ご父母様がすべて教えてあげるのです。家庭が帰ることのできる環境を残しているのです。それがやさしいことですか。そのことゆえにサタン世界で悪口を言われました。他人の子供たちを自分の娘以上に愛したのです。世の中の母親、父親ができないことを私がするのです。それで、一つになったのです。何のためにですか。愛のためにです。自分の永遠な生命のためにです。愛によって、永遠なる生命が芽生えてくるのです。生命が成長していることが分かれば、どんなに難しかったとしても、それを克服できるのです。 統一教会の受難の道、迫害の道に疲れたこの者たちすべてを、今後、炭の穴の火で焼いて、鷲の餌にしなければならないというのです。私が復讐しようとすれば、一人も残すことはできません。先生は恐ろしい人です。つまらない人ではありません。徹底した人です。分かりましたか、何の話か 三大王権と、その次に何ですか。(「皇族圏です」)。あなたたちがすべて取り戻さなければなりません。できないので、ご父母様が取り戻して正すのです。偽りの父母がしたので、真のご父母様が取り戻さなければならないのです。それを相続して、この群れを全部集めて、全部ここで、一人も八段階を越えられない立場から、越えていけるようにしてあげたのです。それもできなければすべて死ななければなりません。 それが自分の包みになっては駄目なのです。個性を否定し、純粋な本然の原資材となり、再創造される立場にならなければならないのです。土の塊にならなければなりません。 「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価 そして、四番目が何ですか。(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して……」)。神様の創造理想である天宙大家族です。そのようになったので、家庭をもつことができるのです。世界的家庭が形成されなければなりません。それを整理して暗記しなければなりません。一つも外すことはできません。七つをすべて関与させて考えなければならないのです。 「家庭盟誓」を暗記しながら、妻を考え、息子・娘を考え、子女の血統を考えざるを得ません。それゆえ、考えるときも必ず「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価すれば、自分が何点だということがすべて分かるのです。創造理想です。ようやく、世界大家族です。すべて兄弟です。 ここは、遠いほど価値があるのです。遠いほど歴史的なあらゆる神様の苦労と先祖たちの血統がもつれています。遠いほど先祖たちの血統が合わさった数が多いです。遠いほど先祖が多くなるのです。ですから、先祖たちの血統を加えたものが自分たちよりも多いというのです。ですから、世界を考えなければならないのです。 このようなことを考えることによって、先祖たちと共に生き、先祖たちを愛したという立場に立つので、地上に生きていた人が天上天国に行き、その先祖たちと共に生きることができるというのです。また、彼らも会いたく思い、私たちも彼らと共に生きることを願うのです。ですから、大家族理想圏で訓練を受けなければなりませんか、受けるべきではありませんか。(「受けなければなりません」)。受けなければならないでしょう。(「はい」)。 四番目が何ですか。真の愛を中心として?(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して」)。天宙大家族です。あの国(霊界)は大家族です。あの国で必要ないのが衣食住です。あの国に行けば食品工場がありません。自動車工場がありません。花畑です。すべて自然の美しさそのものです。動物、植物、昆虫たちが愛の曲に合わせて踊りを踊り、歌い、楽しく話し、花は香りを漂わせ、鳥たちは歌を香りのように、人々は愛を香りのように放つのです。人がいなくては和動できないのです。 愛によって解放され、町全体が祝宴を開けば、喜んで訪ねてきます。そうでしょう。町のどこかの祝宴をする家に行って祝賀したとしても、喜んで祝賀するのです。愛の場所に落ち着くことができなければ、すべての長い間の苦労が一瞬にして水泡に帰してしまうのです。分かりましたか。 追いやられることを願う 五番は何ですか。(「毎日、主体的天上世界」)。天地を考えなければなりません。地上だけではありません。毎日、毎時間です。毎日、考えますか。毎時間、考えますか。毎分、考えますか。毎秒、考えますか。(「毎秒、考えます」)。今、世界は秒時間時代に入りつつあるのです。広いこの世界が一時間圏ではありません。一日圏ではありません。分・秒圏内に入ってきました。このように一秒、「カチッ」という時、世界すべてが通じ得る時に来たのです。 外的世界はそれに合わせるのです。毎日、主体的天上世界……。天上世界が主体です。その世界に合わせなければなりません。そこは神様の心情世界です。神様を中心とした心情の世界に合わせなければならないのです。個人ではありません。家族、氏族すべて、自分の環境的与件を合わせなければならないのです。 その次は、対象的?(「地上世界です」)。地上世界の何ですか?(「統一に向かって」)。統一といっても、統一自体で終わるのではありません。統一に向かって?(「前進的発展」)。前進的に行くのです。その次は何ですか。(「促進化することを」)。叩きなさいということです。そうしなければ、その度数を合わせることができません。その言葉がいたずらに出てきたのではありません。「家庭盟誓」は、永遠の天国まで通じ得る内容をすべて備えなければならないのです。 毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって……。統一して、前進的発展です。前進するのですが、前進的発展を促進化するのです。休まずに叩いて追いやるのです。そのような意味です。 祝福も、統一に向かって前進的後退を促進化するつもりですか。(「発展を促進化します」)。叩いて追いやりなさいというのです。なぜでしょうか。行くべき道が遠いです。叩いて追いやるべきですか、放っておくべきですか。(「叩いて追いやらなければなりません」)。 そのように追わなければならないという人、手を挙げてみなさい。頭では分かりましたね。そのように追われることを願う人、手を挙げてみなさい。一人もいないでしょう。仕方なく手を挙げたでしょう。追われることを願わなければなりません。 更けていく夜が私を追いやり、遊び場が私を追いやり、職場が私を追いやることを願うのです。万物全体が自分を追いやってくれることを願わなければならないというのです。そうしてこそ、解放されるのです。深刻です。分かりましたか(「はい」)。 「家庭盟誓」は雲のように浮かぶものではありません。皆さんの心の世界で、これを黄金の柱のように考えなければなりません。 あなたたち、先生の写真だけ見ても頭を下げますか。(「はい」)。なぜですか。先生は世の中で知らない話をして、あなたたちに「そのペースに合わせなさい」と言うのです。愚鈍なので分からずに行ってみると、事実であると分かったでしょう。すべてうその話ですか。そうではありません。 そうして従ってきて、損をしましたか、得をしましたか。どんな得をしましたか。(「さまざまな側面でたくさんあります」)。得をしたならば恩返しをしなさいというのです。私に恩返ししないで、民族と世界のために返しなさいというのです。それで、得をさせたのです。自分のために得をさせたのではありません。私はそれを必要としません。あなたたちの協助は必要ありません。先生から得たものを世界に報いなさいというのです。先生のような立場で、自分の息子・娘に恵みを与えなさいというのです。 天運が動かす その次、六番は何ですか。真の愛を中心として?(「神様と真のご父母様の代身家庭として」)。神様と真のご父母様の代身家庭です。代身家庭になりなさいと、そう言っているではないですか。促進して、何をしようというのですか。代身家庭です。神様の復帰摂理全体に責任をもってこられたご父母様の代身家庭なのです。町に行けば、町の先祖の先祖です。ですから、先祖になり、おじいさんになり、全部、面倒を見てあげなければなりません。 代身家庭として何ですか。(「天運を動かす家庭になり」)。先生が今、天運を動かしていますか、動かしていませんか。天運が先生についてくるのです。私が「嫌だ」と言っても、ついてくるようになっています。創造原則、創造理想的な内容の核がそうなので、そのように行くようになるのです。それを否定して、神様が行く道がどこにありますか。 代身家庭として?(「天運を動かす家庭になり」)。天運がついてきますか、ついてきませんか。(「ついてきます」)。考えてみなさい。三百六十万双をできないと言ったのに……。見上げても見えなかったでしょう。先生が霊界と共に非常対策を取ってきたのです。先生と対等な祝福の権限を付与して、霊界から先祖たちがすべて協助できる因縁を開いておいたのです。祝福平準化です。 ですから、先生が言ったことを、やってできませんでしたか、できましたか。(「できました」)。夢のような話です。夢のような話ですが、だれが動かしましたか。先生が動かしましたか、天運が動かしましたか。(「天運が動かしました」)。 振り返ってみると、天下がすべてなくなり、前をふさぐものがないのです。天運とはそのようなものです。四方に三百六十度回るのですが、障害物がなくなるのです。頂上がそれです。頂上に登れば障害物がないでしょう。その立場に登り、立つのです。 そのような神様の創造の心情を中心として、神様以外の第一人者の立場で全部見回るのです。かわいそうな人がいれば、お金があればすべて与えたい心が生まれなければなりません。自分の手を切って与え、自分の足を切って与えたい心が生まれなければならないのです。「自分一人が犠牲になり、十人のために橋を架けなければならない」と思える心が先立たなければならないのです。 神様が創造した本然のエデンの園に残したすべての植物、傑作品、そこに保管されたものを無料でもらったので、私が主人たる真の父母として、エデンの園ですべて失ってしまったものを再び収拾して、種の絶滅を防止しなければならないという責任を背負ったのです。ですから、天地がすべてくっ付いて回るのです。そのように考えて行き来するのです。 ですから、船に乗っても速い船に乗るのです。魚を捕まえても大きいものを捕まえるのです。そうしてこそ、すべての中心が決定されるのです。大きいものの前についていき、大きいものを立てて中心にしようとするのが、人間の欲望ではないですか。万物の欲望も同じです。大きな中心存在と一つになろうとするのは、愛の世界の本質です。そのような立場で万物を愛し、抱こうという、父母の心情をもって愛するのです。 それで、そのことを今、ジャルデンでしているのです。水上を中心として餌を与えるにも、鐘をカンカンと打つとか、ボタンさえ押せばカンカンと音が出るようにして、餌を与えるのです。そうして、喜んで食べるようになれば、その出す音を聞いて入ってきて、もらって食べるのです。信号を出しておいて、魚たちを全部一所に集めて、開放的エデンの園をつくろうというのです。今、そのようにしているというのです。 最近、イノシシも入ってきて、犬と友達になっています。犬と猿が一つの場所で寝るのです。犬猿の仲と言いますが、一つの場所で寝ます。いなければ探しに行ったりするというのです。そのようなことが起きています。 私が一昨日も話したでしょう。カナダのカウ(乳牛)がいます。そのカウは草を食べます。本当に統率がよくとれています。その隊長が「立ち上がれ」と言えば、瞬時に立ち上がります。統一教会の教会員よりも優れています。(笑い)叫べば、サッと間違いなく後ろについてきます。「ああ、人間が主人に侍ることを、あのような動物を通して、自然的環境を通して、すべて教えてくださるのだ。教材でいっぱいに満ちているなあ」と考えたのです。 餌を与える時、口笛を吹くのです。全く同じように私が十回しても、一頭も動かないのに、育てる人がヒュヒュヒューと吹くと、全部動いたのです。人よりも優れています。ああ、絶対服従が感じられました。統一教会の教会員で、そのような人が一人でもいますか。統一教会員、千人、万人いても、そのような人はいません。 そのような牛を捕まえて食べるというのですか。捕まえて食べようとするなら、お願いして食べなくてはなりません。熱心にお願いして、「そうですか。食べてもいいです」と承諾をもらって食べれば、天地の和動が起こるのです。そのような生活を地上でしてこそ、神様の息子・娘の資格があるのです。どうですか そのようにしますか、しませんか。(「します」)。やってみなさい。 八十になり、七十になり、五十を越えた者たちがこのような話を聞いて、恥ずかしいと思わないのですから、人がすべきことをいつ果たすのですか。恥を知らなければなりません。 真のご父母様の代身家庭として天運を動かす家庭になり、その次は?(「天の祝福を周辺に連結させる」)。あなたたちが天運を動かし、あなたたちも幸せに暮らし、周囲の環境も幸せに暮らし、世界も幸せに暮らせるようにしなさいというのです。 その次(七番目)は何ですか。(「本然の血統と連結された心情文化世界を」)。 堕落しなかった本然の愛によって、絶対神様を中心として、千年、万年、誇る環境をなして、その血統と伝統を遵守して、永遠、不変、万世の解放圏をなしてさしあげますということです。 統一教会の骨髄全体を注入 さあ、そのようにすれば天国に行けるでしょうか、行けないでしょうか。(「行けます」)。神様がガツンと打つでしょうか、打たないでしょうか。(「打ちません」)。皆、そのように考えてみましたか。言葉だけ、ワワワワと叫んでいます。そのような意味を理解しなさいというのです。 先生が盟誓文をつくるときに祈祷したでしょうか、しなかったでしょうか。統一教会の骨髄全体を注入して書かなければならないのです。一言誤れば、天下がゆがんでしまうのです。天地に傷ができます。 じっくりと考えれば、原理を知っている人は感服するのです。このように計画的であり、秩序的であり、科学的です。論理的基準にもすべて合うのです。妄想からできていますか。よくできていますか、よくできていませんか。(「よくできています」)。どれくらいよくできていますか。神様くらいよくできています。神様もその盟誓文を聞いて、気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか。(「良かったと思います」)。 歴史の根は何ですか。世界家庭定着ではないですか。平和世界ではないですか。万民解放定着、神様の血族をなして、千年、万年、天国に直行できる後孫たちをもち、アダム世界で失敗したものを復帰して、自分によって天国を再び立てるのです。 いちばん最後の七節は何かと言えば、本然の血統と連結された心情文化世界を……。愛の世界、天国が築かれていくのです。それが私たちの願いではないですか。きれいな血統をもって、神様に直行できる後孫を残すのです。千年後にも汚れのない、傷のない完全な収穫がなされ、万年後にも完全な収穫がなされるようにです。天の祝宴に自分の血族を立て、祝宴の材料、称賛の材料、歌の材料、すべての喜怒哀楽の材料にします。それが息子・娘たる、愛の対象たる者の資格ではないですか。アーメン(「アーメン」)。 きょう初めて、私が「家庭盟誓」の解説をしました。はっきりと話してあげなさいというのです。その場に同参するには、ご父母様がこの盟誓を考えるその環境圏内で、私がつかんで生きるのです。飛行機の翼でもつかんで放さなければ、その目的地に行きますか、行きませんか。(「行きます」)。すべて同じだというのです。 私がアメリカに来て五十州を巡回講演しながら、四日間ずつ集会をしました。「アメリカに対する神の希望」というものです。これは皆さんが世界活動で行うべき内容です。キリスト教をすべて教化しなければならない内容です。読みなさい。 (「アメリカに対する神の希望」を拝読する)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2023.05.02
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人類を救う真の家庭運動日付:一九九七年十一月二十五日場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル行事:「世界平和宗教会議」創設大会 世界のあらゆる偉大な宗教の伝統を代表する宗教指導者、そして著名な学者の皆様。皆様が世界文化体育大典とこの重要な宗教議会に参加してくださったことに、感謝申し上げます。私はきょう、多くの指導者の方々の前で、私が展開してきた真の家庭運動の根本を明かそうと思います。来たる十一月二十九日に、皆様は真の愛と真の家庭運動の驚異的な現場となる三千九百六十万双の祝福結婚行事を目にするでしょう。 私は、世の中が分かってくれようとくれまいと、どのような評価をしようとも意に介さず、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために、一つの道を貫いて歩んできました。真の家庭の理想のために、私は一九六〇年、最初の三双の祝福家庭を輩出して以来、回を重ねながらその数を拡大してきました。一九九二年には三万双、一九九五年には三十六万双の祝福家庭を世界的に輩出しました。彼らはみな、神様のみ前に永遠な愛と信頼によって夫婦になることを誓約し、また子女を高こ徳と純潔の中で育てることを約束して生きています。 今回、短い準備期間であるにもかかわらず、全世界百八十五カ国において三百六十万双を目標とした当初の計画を、三千六百万双も超過した三千九百六十万双が、肌の色と宗教を超越し、真の家庭のための祝福結婚儀式に同参することになりました。これはその趣旨から見ても、規模から見ても、人間が動機となった行事であるとは言えません。神様のみ旨が中心となって達成された、摂理的な成就なのです。 皆様を含め、各教団の多くの指導者が、この真の家庭運動こそ、青少年の脱線と家庭の破綻を防ぐ根本的な方案であると共感し、多方面にわたって支援してくださり、また多くの国の指導者が、救国運動の次元で積極的に協力してくださったことを、感謝申し上げます。 アダムは体をまとった神様御自身 真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てられました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象です。無形の神様のみ前に、見える体として生まれたのです。 人間は完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入ってきて住むことのできる有形の実体になるというのです。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通し、父母と子女の縦的関係として実現、完成します。神様は御自身の体として、アダムをまず造られました。 アダムは神様の息子であると同時に、体をまとった神様御自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをお造りになり、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成して、神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様の実体の新婦を迎える場になるのです。 アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することにより、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点において結実、完成するようになるのです。 神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守り、真の愛の人として完成することです。さらに、神様の真の愛によって一つになった真の夫婦になることです。 ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追い出されるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が追い出したアダムとエバを、エデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した子孫、追い出された先祖の子孫なのです。 アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が人間の中で始原を形成しながら定着する、幸福な儀式でなければならなかったのです。 ところが、彼らは下部を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくる不倫の関係を結んだからです。そのように堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれるときから原罪をもつようになるのです。人類が個体の中で心と体の衝突を矛盾として感じるようになるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱な社会の中で本心が願わない人生を生きているのも、すべてここに原因があるのです。 本来、アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦になっていれば、神様は理想とされたとおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになっていたはずです。さらに、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母になり、善の愛、善の生命、善の血統の始原となるはずでした。 ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。結局、彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類は、この根に根源を置いているので、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫となり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。 絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援の役事をせざるを得ませんでした。神様の救援摂理は、失われた真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を探し出すかにあるのです。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。 それでは、神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのように誕生させるのかというのです。人間の先祖が自己の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て、原状回復させることはできません。神様はサタンの側に回った人類を、条件なく善の立場において取ることも、打つこともできないのです。 神様は、善の側にいる中心人物を立てて、先に打たれながら蕩減条件を立てさせ、復帰してくる作戦を取ってこられました。その反面、サタンは先に打ち、奪われる立場になったのです。 長子を屈服させることによる善の血統復帰 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のとき、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバに代わって責任をもつ母を立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立しようとする摂理が行われてきたからです。 神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は善の側を代表する次子を相対として条件を立てさせ、悪の側を代表する長子を屈服させることによって、善の血統を復帰してこられたのです。 人類の堕落は、アダム、エバ、天使長の三存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘惑して霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘惑して肉的堕落をすることにより、神様に背いたのです。堕落した天使長はサタンになりました。したがって、救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は一八〇度、反対の道を通して行われるのです。 真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。創造のとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落とは無関係の息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために、まず母がいなければなりません。母が息子を生むとしても、ただそのまま生むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して生まなければなりません。 復帰摂理の中に現れた母子協助はすべて、天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子が共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上に、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してきたのです。 神様の摂理歴史を記録した聖書の中に、理解できない記録が多くあります。リベカは夫イサクと長子エサウをだまし、次子ヤコブを助けて、彼が祝福を受けるようにしました。 神様は、一見不当に見える方法を動員したその母子の側に立たれ、彼らに祝福を与え続けました。アダム家庭では、カインとアベルの兄弟が母の胎の外で争って、次子アベルが命を失いました。ヤコブはアベル以後、善の側に立った多くの人々の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンにさらに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。 結果的に、ヤコブはヤボク川のほとりで天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることにより、歴史始まって以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、そのときは既に、年が四十代でした。 サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。 結果的にこの責任を引き受けた偉大な母が、タマルでした。タマルはユダの長男エルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなく、死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子オナンをタマルに与え、子を生ませようとしましたが、オナンは生まれる赤ん坊が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいました. タマルはユダの三番目の息子シラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした.タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで、家系が途絶えることを心配したからです。 タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦に偽装し、義父であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。そして、その赤ん坊が生まれるとき、先に手を突き出して出てこようとした長子の赤ん坊が再び腹中に入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄となって先に生まれたのですが、彼がペレヅでした。 そうして、タマルの胎中で長子と次子が争い、分立される胎中復帰が成し遂げられたのです。このような条件の上に、選民の血族を集め、二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを懐胎することができたのです。神様の息子の種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴なく定着できるようになった、国家的勝利の土台が造成されたというのです。 このような基盤の上で、聖母マリヤが摂理の主流に登場しました。ヨセフと婚約したマリヤは、自分の体を通してメシヤが生まれるというガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一・三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めたのです。 マリヤは、親族であり、尊敬を受ける祭司ザカリヤの家に相談に行きました。神様はマリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。 ザカリヤ夫婦は、マリヤを自分たちの家にとどまらせました。マリヤはザカリヤ家庭において、イエス様を懐胎しました。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それにより、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになったのです。 ザカリヤ、エリサベツ、洗礼ヨハネはイエス様に侍るべきだった 神様の息子がたとえ着地したとしても、サタンの世界において無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護を受ける垣根が必要でした。神様はザカリヤ家庭の三人が、その基盤となってくれることを期待されました。しかし、このようにイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、またヨセフとの難しい条件において、心情的に途方もなく寂しい境遇で育ったのです。メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害要因であることを、独りもどかしく思ったのです。 本来、メシヤは第二のアダムであり、真の父です。その使命のためには、実体の新婦、真の母を迎えなければなりません。もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもと、最初にもった絶対的な信仰をもち続けていたならば、イエス様を神様の息子、メシヤとして、これ以上ない精誠を尽くして侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったでしょう。 そして、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネでしたから、彼が悔い改めさせた民がイエス様を信じ、救われるように導く責任を果たさなければなりませんでした。しかし不幸にも、ザカリヤはもちろん、エリサベツや洗礼ヨハネも、神様の息子としてイエス様を証しただけで、侍ることはなかったのです。 尊敬を受ける祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の行く道をさらに難しくしてしまい、民が従えないようにしてしまったのです。ましてや、彼らが信仰を失って人間的な考えに流れたとき、イエス様が願われた新婦を迎えることを助けるはずは絶対になかったのです。 イエス様は母マリヤからも、ザカリヤとエリサベツからも反対を受け、最後には洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念せざるを得ませんでした。イエス様は、新たに摂理的基盤を探して、再び復帰摂理をするために家を出ました。家を出たイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されたのです。 家庭や氏族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を探しに出掛けたのです。これがイエス様の三年路程でした。しかし民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなってサタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かざるを得なかったのです。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。それで、再臨することを約束されたのです。 第三アダム、真の父として来られる再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母理想を完成するために来られるのです。 再臨主は、既にイエス様のときまでに神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられるときまでの勝利的な基盤の上にそのまま立たれて、イエス様が果たせなかった新婦を探し、真の父母となられ、祝福によって万民を復帰してくださるのです。 真の父母は、血統を伝授する新しい祝福結婚の行事を通して、全人類を神様の真の愛と真の生命、そして真の血統に接ぎ木し、真の人として救って、さらには真の家庭を築いて地上天国を建設されるのです。 祝福結婚は最も貴い贈り物 尊敬する宗教指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願います。そして、これから「世界平和統一家庭連合」は真の家庭運動により一層拍車を掛け、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。 価値観の崩壊と倫理的な堕落によって青少年が淪落し、家庭が根こそぎ破壊されています。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という聖句があります。エデンの園においてアダムとエバが、未完成期に不倫を植えました。終わりの日にそのような現象が世界的に再現され、青少年の極めて深刻な堕落現象が、罪悪歴史の結実として現れるのです。 滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させようという私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動を広げていかなければなりません。 人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が中心となり、率先してくださることを切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入って、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.01
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PEACE SUMMIT 2023 プロモーションビデオ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.01
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