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久々にピアノBar・Mへ行きました。マスターに、しばらく来なかったのは「30年来の親友が突然亡くなったため、ピアノに向かう気持ちがまったく起こらなかったんだ」と伝えたら、よく理解してくれました。 実は、マスターも7年ほど前、突然店で脳梗塞で倒れて救急車で運ばれ、死線をさ迷ったのです。「63歳は若いなぁ…。出血しなかったら、梗塞だったら、今はいい薬があるから、早期治療で助かっていたのになぁ…」としみじみと。脳内出血で亡くなった成田さんのことは、他人事ではなかったようです。 そして、久しぶりにピアノに向かい、天国にいる成田さんに演奏を捧げました。When I Fall In Love、My Foolish Heart、Waltz For Debby、My Favorite Things、Someday My Prince Will Come、Left Alone、Over The Rainbowと、立て続けに7曲を弾きました。 成田さんに届いたかなぁ…。 夢でいいから、感想を聞かせてください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/11/27
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北新地のピアノBar・P(写真左)で昨晩、シャンソンばかりの歌伴をしました。歌い手は、会社のシャンソン好きの友人A君。3年半ほど前からシャンソンの勉強を始めて、今では別の店で時々ステージにも立つという本格派です(加えて言えば、フランス語にもかなり堪能です)。 僕の方は、シャンソンの歌伴と言えば、これまでホームグラウンドにしているBar・Mでは、「愛の讃歌」「ろくでなし」「枯葉」というような、誰でも知っている超有名曲くらいしか演奏した経験がありません。 しかも、シャンソンというのは、リズムも崩して語りかけるように歌うので、弾き方の緩急や歌い手との呼吸がとても大事です。 今回は、僕がまったく知らない、シャンソンのジャンルでのみ知られた曲が中心です。だから、彼との歌伴を実行する前には、約1カ月ほど前からYou Tubeでリクエストのあった約15曲を必死で聴いて、コード譜で練習して本番に臨みました。 で、この夜演奏したの...は、「サンジャンの私の恋人」「脱走兵」「コマン・サバ」「コメディアン」「街角」「街」「メケメケ」「ラ・ヴィアン・ローズ」「ロレットの店」「私のパリ」「巴里の屋根の下で」「オー・シャンゼリゼ」「水に流して」「地下鉄の切符切り」という14曲。 実際に歌伴してみると、曲によって難易度があって、初めてにしてはとてもうまくいった曲があったかと思えば、僕の伴奏技量では次回はやめた方がいいなぁと思える曲もありました。 この分野はこれまで馴染みがなかったので、シャンソン独特の歌伴ができるようになるには、まだまだ時間がかかりそうですが、お世辞にも上手とは言えない伴奏にもかかわらず、素敵な歌を聴かせてくれたA君、楽しい時間を有難うございました!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/04/21
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ピアノBar・Mで、「新曲は何かないんですかー?」とスタッフのコに言われて、最近練習中なのがこれ。新曲と言うには、2008年に発表された曲なんで、少々古くて恥ずかしいだけど、ね。 ピアノの弾き語りに向いた曲で、歌詞もメロディーも素敵なんだけど、いかんせん、2サビのラップの部分(「二人ふざけあった帰り道 それも大切な僕らの日々…」)がめちゃ難し~い。メロディーがいまいちつかみにくいし、なんと言ってもこの手の歌は、歌詞が多すぎるー!(笑) という訳で、先日、Bar・Mで初披露したけど、まだ完成度は7~8割程度。スタッフはなかなかいいと誉めてくれたけど、まぁ半分は営業トークだし、もっと曲を聴きこんで、しっかり練習しないと。頑張るぞー。 キセキ(By GReeeeN) 明日 今日よりも好きになれる 溢れる思いが止まらない 今もこんなに好きでいるのに 言葉にできない 君のくれた日々が積み重なり 過ぎ去った日々 二人歩いたキセキ 僕らの出会いが もし偶然ならば? 運命ならば? 君に巡り会えた それってキセキ 二人寄り添って歩いて 永久(とわ)の愛を形にして いつまでも君の横で 笑っていたくて 「ありがとう」や Ah 「愛してる」じゃまだ 足りないけど せめて言わせて「幸せです」と ※著作権法上、歌詞は一部しかご紹介できません。ご容赦を。【ご参考: GReeeeN】HIDE、navi、92、SOHという男性4人組で構成されたヴォーカル・グループ。2002年、現プロデューサーであり、HIDEの実兄でもあるJINのサポートを受けて、GReeeeNを結成。デビュー当時、4人全員が現役の大学歯学部生で、学業とミュージシャンを両立させるための、顔を隠しての覆面活動が話題を集めた。現在は、4人全員が歯科医師として働きながら(福島県郡山市在住)、音楽活動を続けている。 2008年5月に発売された7枚目のシングル「キセキ」は、TBS系のテレビドラマ「ルーキーズ」の主題歌にもなって大ブレイク、オリコン・ランキングでも2週連続1位に輝いた。2009年6月には、日本国内で最もダウンロード回数が多かった曲としてギネス・ブックに認定されたという(出典:Wikipedia)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/01/30
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昨日開催された2010年の米グラミー賞の授賞式。毎年様々なアーチストのライブ・パフォーマンスが楽しみで、欠かさず見ています。 で、今年もエルトン・ジョン&レディ・ガガやボン・ジョビ、マイケル・ジャクソンへのトリビュートなど、なかなか見応えがあるライブがいっぱいありました。 そうしたパフォーマンスの中で、昨年なくなったレス・ポールさん(ギタリスト)へのトリビュート・ライブがありました。レス・ポールさんと言えば、ギブソン社製のエレクトリック・ギターのオリジナル・モデルで有名です。 レス・ポールのモデルは60年代以降、様々なプロのアーチストに使われ、フェンダーのストラトキャスター、テレキャスターと並んで最も有名なギター・モデルとして、現在でも高い人気を誇っています。 しかし、レス・ポールへのトリビュートとしてギタリストとして登場したのは、なんと、ジェフ・ベック=写真。ベックと言えば、ステージではいつもフェンダーを使っていることで有名です。僕は思わず、「お前が出るなんて、おかしいやろ!」とテレビに突っ込みを入れてました。 レス・ポールへのトリビュートなら、やはり一番ふさわしいのはジミー・ペイジでしょう。ペイジが多忙で来られなかったのなら、この日会場に来ていたカルロス・サンタナやガンズ&ローゼスのスラッシュの方がまだましだったはずです。 しかも、ベックが女性歌手のバックで弾いていたのはカントリー・ブルースっぽい曲。グラミー賞委員会のセンスを疑う一場面で、ほんとに後味が悪かったですぞー。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/02/02
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長年歌のパートナーだったMさんが去ったピアノBAR・Mはそれ以後、うらんかんろにとっては灯の消えた家のように寂しさ漂う場所( → 11月26日の日記参照)でしたが、神様は見捨てていませんでした。 スタッフに新たな歌姫が現れました。日記上のニックネームを何にしていいのか分からないので、とりあえずSさんとでもしておきます。 とにかく、めちゃ歌が上手くて、歌えるジャンルも広いのです。先日、初めてお手合わせをしましたが、いろんな曲のメロディの細かい部分がよく頭に入っているのには感心しました(※Sさんとの歌伴は厳密に言えば2度目でしたが、1度目は1曲だけ=ノラ・ジョーンズの「Don't Know Why」=だったのでその片りんがよく分かりませんでした)。 この夜はJ-popと洋楽で計4曲ほどコラボしました。なかでも絢香の「みんな空の下」は鳥肌が立つほどでした。聞けば、Sさんは昼間はボイス・トレーナーとして働いているそうです(だから、歌が上手いのは当たり前か)。 コラボの後、店に置いてある僕の曲目リストを見ながら、どんな曲が一緒にできるか2人で検討しました。すると、ざっと見ただけでも候補曲は20~30曲はありました。これからが楽しみです。 さらに、その同じ夜は、お客さんでまだ20代と思われるYさんという男性と出会いました。「Mには初めて来ました」というこの方がまた、半端じゃなく歌が上手いのです。2曲(DesperadeとHonesty)だけ歌伴しましたが、これだけでも十分その才能が分かりました。Yさんとは携帯電話の番号を交換して、再会を約束しました。 ピアノBar・Mでは、こうした思いがけない嬉しい出会いがいっぱいあります。会社とか肩書きを忘れて、一緒に音楽を楽しめる仲間に巡り会えます。 最初に紹介したSさんは火・金曜がMでの出勤日。という訳で、うらんかんろがMに出没するのも当分の間は火曜か金曜(一応、隔週くらいの頻度で)ということになります。機会があれば、ぜひ僕とSさんのコラボを聴きにきてくださいませ。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/12/20
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Bar・Mで、僕のピアノでいつも素敵な歌を聴かせてくれたスタッフのMさんが先月末、店を“卒業”しました。 「奇跡を望むなら…」「Everything」「Motherland」「ハナミズキ」「かざぐるま」「Automatic」「Story」「雪の華」「ORION」「未来予想図2」「恋の予感」「異邦人」「喝采」…、それに、エゴ・ラッピン、スティービー・ワンダー、アリシア・キーズ、モニカ、R・ケリー、クレイグ・デイビッド、ジャズのスタンダードの数々……。Mさんとこの6年余、一緒にコラボした歌の数々が、脳裏によみがえってきます。 彼女ほど歌唱力と表現力のあるスタッフには、これまで出会ったことがありませんでした(ライブハウスやクラブで歌っているだけに、その実力は折り紙付きでしたが…)。 彼女がひとたび歌い出せば、騒がしかった店内(客)もシーンとして、みんな思わずじっと聴き入ってしまうほどでした。アイ・コンタクトだけで安心して歌伴ができるので、とても楽しく、充実感が得られるシンガーでした。 「ひょっとしたら、土曜日だけ復帰するかも…」とMさんは言っていましたが、今はもういません。心底悲しいです。淋しいです。 Bar・Mでは、いつか彼女くらいの歌唱力あるシンガーとまた出会えることもあるでしょう。しかし、彼女くらい表現力ある歌姫と出会えることはもうないかもしれません。そう考えると、今は…本当に悲しいです。
2009/11/26
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少し通うペースは落ちてますが、マイ・ホームグラウンドのピアノBar・Mへは相変わらず出没しています。 先日そのM。週末なのに意外とすいてたんで、しばらくの間、弾き語りを。洋楽は「What a wonderful world」(Mで初披露!)「Old ’55」「You’ve got a friend」「Daydream believer」「Cry me a river」等々、邦楽は「島唄」(同)、「さくら」「壊れかけのRadio」「時代おくれ」等々。 いつも僕の歌伴で歌ってくれるスタッフのSさんは、この日、「風邪気味で声の調子が悪~い」と言いつつ、竹内まりやの「駅」(いつもは「ハナミズキ」とか「奇跡を望むなら」なんか多いけど、まりやの曲を一緒にやるのは初めてだったかな?)をしっとりと歌い上げてくれました。いつもながら上手い! なお、Mには新しいハウス・ピニストの、なおさんがお目見えしていました。前のS先生には長い間お世話になって、よく励ましていただいたので、個人的には少し寂しいです。なおさんとは「初めまして」でしたが、音大のジャズ科を出ているというだけあって、若いのに腕は凄いです! 僕もそのうち教えてもらおうっと。 さて、その後しばらくしてこの夜、とても嬉しい再会がありました。昨年7月のMの大セッション大会でスティービー・ワンダーの「Lately」を僕と一緒に演奏した、かめぞうさん(Vo&Guitar)と、マリの助さん(Guitar&Key)が来店されたのです。 1年3カ月ぶりの再会です。早速、かめぞうさん&マリの助さんのデュオで、数曲演奏してくれました。「ジェラス・ガイ」。しみじみとした歌いっぷりで、素晴らしかった。で、「せっかくだから一緒に何かやろうよ」と、僕(ピアノ)とスタッフのMさん(ドラムス)、さらに、この日初めて出会ったアルトサックスの方も参加しての大(?)セッションです。 「Just the way you are」「Georgia on my mind」の2曲。みんなノリノリで、素晴らしい演奏。最高な気分の夜が過ごせました。かめぞうさん、マリの助さん有難う! また遊ぼうね!!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/10/05
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2週間前のいささか古い話で恐縮ですが、いつもピアノを弾いているピアノBar・Mで6月23日の土曜の午後、常連客ばかりが集まって、入れ替わり立ち替わり延々5時間半(午後2時~7時半)の大セッション大会が開かれました。 不肖うらんかんろも1曲+αで参加してまいりましたが、50人以上の老若男女の音楽好き(ほとんどが楽器を演奏します)が集まりました。 参加者は、事前にエントリーした曲だけを演奏し、演奏しない時は聴き役に回って盛り上げ役に回るなど、ほんとに楽しいひとときでした。 「ほろ酔いセッション」と題したセッションは、そのタイトルから分かるように、出演者もアルコールを飲みながらの陽気な大演奏会です。僕も知らない間にピッチが上がった、上がった(^_^;)。 僕は少しだけのセッション参加だったので、どちらかと言えば聴き役がメイン。MDでライブを録音しながら、初めて聴くような曲をいろいろと興味深く楽しみました(ベースやギターとか、参加者が少ないパートの楽器の方は登場する時間が長くて大変なようでしたが…)。 さて、この日のセッションで演奏された曲は、演奏順で紹介すると、以下の34曲です(一部記憶違いで間違っていたら御免なさい)。 Route66、Night And Day、Straight No Chacer、The Chicken、All The Things You Are、Stella By Starlight、Water Melonman、Someday, My Prince Will Come、Body and Soul、Street Walking Woman、Unforgettable、’S Wonderful、Besame Mucho、Confirmation、My One And Only One Geogia On My Mind、The Days Of Wine And Roses、Black Coffee、Spain、Lately、Over The Rainbow、There Will Never Be Another You、Love Letter、My Romance、As Time Goes By、Blue Bossa Lullaby Of Birdland、Sunny、Moritat、Summer Samba、Green Dolphin Street、Everyday I Have The Blues、Fly Me To The Moon、Blue Monk、Canteloupe Island うらんかんろは、かめぞうさん(Vo)、マリの助さん(G)、テバサキさん(B)、げたおさん(Ds)という4人の方と一緒に、スティービー・ワンダーの名曲「Lately」を演りました。そして、ラストのハービー・ハンコックのノリのいい名曲「Canteloupe Island」の最後の方で、ちょっぴりピアノに参加しました。 個人的にはSpain、The Chicken、Canteloupe Island、Route66がとくに素晴らしかったと感じました(ブラスがたくさん入ると、ノリが良くなって、カッコいいですよね。僕にはまったく吹けないけれど…(笑))。 Bar・Mでの「ほろ酔いセッション」は2回目だということです(1回目は知らなくて参加を逃しました)。こんなに楽しいなら、また参加したいと思っています。次回は2曲くらいは完全参加を目指そうかな。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/07/07
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久々のピアノBAR「M」。そこでちょっと素敵なことがありました。以前からの夢であったブログの友人ayakhさんとのピアノでの歌伴が実現しました。 aykhさんは学生時代、バンドでボーカルをやっていたといいます。バンドはビートルズを原点にして、主に洋楽のコピーをメインにしていたそうです。 しかしayakhさんがこの選んだ曲は、洋楽よりも、意外や意外、邦楽(J-Popやニューミュージック等)がほとんどでした。 まず最初に選んだのは「涙そうそう」。ayakhさんはどんな声(声質)なのか興味津々でしたが、高い、しっかりした声の出る方でした。(イメージ的にはもう少し低い声かなと思ってましたが…)。 この後、Bar・Mがすいていたこともあり、僕ら2人でほぼ貸し切り状態。気が付けば3時間近い滞在時間のうち、2時間半は歌っていたような気がします。 で、この夜、ayakhさんと歌伴した曲目はなんと15曲余。順不同で記すと--。「赤いスイトピー」「パール・ホワイト・イブ」「元気を出して」「異邦人」「ジュリアン」「Don’t Wanna Cry」「Can you celebrate?」「Piece of My Wish」「Pride」「迷い道」「Love Love Love」……。 う~ん、なんだか80~90年代の女性ポップスの王道をゆく曲ばかりですね(ほかにも何曲か歌ったような気がしますが、お酒のせいで記憶力も吹っ飛んでます)。 「邦楽だけじゃなく、洋楽も少しやろうよ」と言うことで、「Fly me to the moon」「As Time Goes By」「Alfie」「Desperade」などを。ayakhさんからは「Unforgettable」というリクエストも入りましたが、これは楽譜(コード譜)がなくて、次回への宿題に。 ayakhさん声量もあって音域も広いので、実に気持ちよく歌伴ができました。生ピアノでの歌伴は、カラオケのように画面で歌詞の色が次々と変わっていくという“ガイド”がないので、歌い手がしっかりメロディーや歌詞の入り具合を覚えていないと滅茶苦茶になります。 でも、ayakhさんは「こんなに歌うの久しぶりなんですよー」と言いながら、メロディーも言葉の譜割りもばっちり覚えていて、90%はうまくいったような気がします。 洋楽は、本人は「まだまだ勉強しないとだめだー」と言っていましたが、それは次回の楽しみにとっておきましょう。ayakhさん、遅くまで長時間ほんとにお疲れ様でした!こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/06/12
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素人ピアノ弾きの僕にとって、メインの活動の場になっている大阪キタのピアノBar「M」で、レギュラーでピアノを弾いていらしたM先生(偶然イニシャルは同じ!)が6日(金)を最後にして、Bar「M」を辞めることになりました。 6日夜は、Bar「M」の常連メンバー(みんな、半端じゃない素人ミュージシャンばかり!)が店に集まって、M先生も参加しての大セッション大会(ジャズやフュージョン、ロック、ポップス等々)となりました。 M先生とはもう6~7年くらいの付き合いですが、僕にとっては「ピアノの師匠」のような存在で、かなわぬ目標でもありました。 レパートリーの幅の広さは言うに及ばず、どんな歌い手さんの無理な注文にも、あらゆるキーにも即座に対応できる腕前はさすがプロ中のプロと言えるものでした。 そんな先生が「突然なんだけど…」と言って、Bar「M」を辞めてしまうのです。辞める理由はそれとなく聞いていますが、ただただ残念というしかありません。 M先生は、同じキタの別のお店に移られるのですが、先生曰く「ラウンジなんで、ね。こういうセッションも、もうできないだろうし…」と少し淋しそうでした。 まだまだ教えてほしいことがいっぱいあった僕は、本当に悲しい気持ちでいっぱいです。幸い、「(新しい店での仕事が終わった後の)夜中12時過ぎには、『M』に必ず客として来ますので、また遊んでください」というお言葉でした。 この夜のセッションは、ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、ヴィブラフォン、トランペット、パーカッション、アコーディオン(時々)、ヴォーカル(複数で時々)…という構成で、弾き手が入れ替わりしながら午前3時過ぎまで延々と続き、その後、みんなで深夜メシ&飲み直しに繰り出して、久々の朝帰りになりました(あー疲れた!)。 ちなみに、僕はこの夜、ピアノやギターよりも、なぜかビブラフォン担当をすることが多かったのです。初めての経験でしたが、コードとスケールを(だいたい)知ってる強みもあって、結構上手く叩けたかなと自分で自分を再発見してしまいました(ゲイリー・バートンになった気分(笑))。 M先生が辞めたことで、Bar「M」のひとつの時代が終わりました。後任は決まっていません。マスターがどうするのか、どうしたいのか、は僕にはまだよく見えません。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/04/07
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21日(水)の結婚披露宴ライブ、無事に(?)終えてまいりました。あれこれ文字で報告するより、今回は主に写真で雰囲気なりを味わってもらえたらと思います。 披露宴会場は、阪神間の住宅街にある、素敵な1軒家のレストランの個室です。 この日の出席者は計18人。部屋は人数に見合った、ちょうどいい広さでした。 店側のご厚意で、レストランごと貸し切りにしてくださいました。 個室は細長いレイアウトで、一番奥にグランド・ピアノがあります。 ほかのお客さんもいないので、楽器を鳴らして、歌って騒いでも安心です。 テーブルの中央あたり、右側で手を挙げているのが新郎。その手前、オレンジ色のショールをまとっているのが新婦です。 ライブは宴たけなわになった披露宴後半にスタートいたしました。まず、最初は女性の友人。 歌は、前のブログにも書いたように今井美樹の「Piece of My Wish」(1991年発表)です。 メロディーも詩の内容も、新しい2人の門出にふさわしい、素晴らしいバラードです。 アコースティック・ギターは、僕の昔のバンド時代の友人がつとめてくれました(ちなみに弾いてるギターは僕の持っているマーチンD-41です)。 2人目の友人はプレスリーの「好きにならずにいられない(Can’t Help Falling In Love)」です。 もう50年近く前の歌なのに、名曲は何年経っても色あせません。バックで演奏していてもとても気持ちいい曲です。 歌もチョー上手くて、声量もたっぷりの友人は、身ぶり付きで聴き手をすっかり魅了してくれました。 歌の最後は、参加者も一緒に歌ってくれて大盛り上がりでした。この後、新郎も飛び入りで、井上陽水の「少年時代」を披露! 歌もなかなかのもんでした(写真は後日、アップしまーす)。 なにわともあれ、無事に演奏も終えてホッとしているうらんかんろであります。新郎新婦の前途に幸多かれ!
2007/03/23
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今週の21日(水)の「披露宴ライブ」の準備で、ここのところ何かと多忙でーす。歌を歌ってくれる友人2人とのリハーサルは無事(?)終わりましたが、それ以外にも、まだまだ宿題があります。 譜面台の用意、楽譜や歌詞カードの用意、ギター担当の友人との音合わせ、ギターのカポタストや(万一のための)ギター弦の予備準備、当日のマイク(PA)をどうする等々…、あぁ、気がかりなことはいっぱいあります。 他にも、当日飛び入りで歌を歌う人が出てくるかもしれない(参加者は30~50代がほとんどなので、お酒が入ってくると、俺も私もということに?)ので、一応、「心の準備」(=リクエストが出そうな歌の練習)もしなければなりません。 会場は、一軒家の素敵なレストランの個室ですが、どちらかと言えばカジュアルな感じの場所なので、その場の雰囲気や流れでどう展開するかは、今からあまり読めません。 リクエストが出ると言っても、もちろん一応、「結婚披露宴にふさわしい歌」には違いないのですが、どんなリクエストが出るかわからないので、かなり不安でーす。 そんなこんなで、あれこれ忙しくて、気ぜわしくて、きょうのブログの日記はちょっと中身のない内容になってしまいました。どうかご容赦を! PS.携帯電話をほぼ5年ぶりに買い換え(機種変更)ました。メーカーはこれまでずっと使っている東芝で、「810T」という機種(写真=僕が選んだのは右端のブラックです)です。一番安いシンプルな機種にしたのですが、お値段は結構しました(割引ポイントを使って、基本契約料も一番安いのにねぇ…)。 携帯の会社は相変わらず、以前と同じところですが、その会社は現在、「ソフトバンク」と名前が変わっています。僕が使っていた携帯は、その前(ボーダフォン)の前のJ・Phoneという会社の時代の機種。ショップのおねえさんにも「長く大事に使ってらっしゃいますねー」と笑われてしまいました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/03/19
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ひょんなことから結婚式の披露宴(21日)で、歌伴をすることになりました。あと1週間くらいしか準備期間はありません(汗)。 ヴォーカルをとる友人が2人(男性&女性です)いて、僕がピアノ、もう一人、昔バンドを一緒にやっていた友人がギターを弾いてくれます。ヴォーカルの友人2人はデュエットではなく、それぞれが別の歌を歌う予定です。 で、何を歌うのか。基本的にはヴォーカル担当が歌いたい曲目を決めればいいのですが、時間もないので、僕が伴奏をできないような難曲や知らない曲はNGです。 また、披露宴という目出度い場面にふさわしい曲でなければなりません。古今東西、結婚披露宴にふさわしい、よく歌われている曲は数多くあるのですが、いざ自分たちがやるとなると選ぶのはなかなか大変です。 和ものがいいか、洋ものがいいか。とりあえず、最近は披露宴でどんな曲が歌われることが多いのかネットで少し検索してみました。 あるサイトでのベスト10は、1.乾杯、2.Can You Celebrate? 3.てんとう虫のサンバ 4.ベスト・フレンド 5.世界に一つだけの花 6.Story 7.3月9日 8.ハナミズキ 9.永遠にともに 10.ハッピー・サマーウェディング、というランキングでした。 どんな世代を対象にした調査かは知りませんが、「乾杯」がいまだに1位なのはすごく意外でした。2は相当上手くないと難しいぞー。3なんて今どき歌う人っているのかなぁ…。4や6、8は確かに今風で、良い曲かもしれません。7と9、10は恥ずかしながらまったく知りませんでした。う~ん、これは難しい! 悩んだ末にとりあえず、男性の友人が選んだ歌は、エルビス・プレスリー(写真左上)の名曲で、今やスタンダードにもなっている「Can‘t Help Falling In Love」。Wise men said~♪という歌詞で、歌い出すあの甘いメロディーの曲です。 スローなバラードで、コード進行も比較的簡単です。練習時間も短いので、友人はまさに最適の選択をしたかもしれません。ギター担当の友人にはキーが決まれば楽譜をFAXで送って、家で事前に練習しておいてもらうつもりです。 しかし、女性の友人の方の歌はまだ決まっていません。近々、曲のキーを決めるための打ち合わせをBar「M」でするので、そこであれこれ歌ってみて決めてしまうつもりをしています。さて、彼女は何を歌うことになるんでしょうか。【追記】14日にヴォーカル担当の2人とリハをしました。男性の方の「プレスリー」は、原調通りのDというキーになりました。女性の方は、「パパ」「ハナミズキ」「Close To You」等々をあれこれ歌ってみた末に、最終的に今井美樹(写真右上)の「Piece of My Wish」に決めました。キーは原調(E♭)より一つ下のDでやります(奇しくも男女とも同じキーです)。本番でも、リハ通りうまくいけばいいのですが…。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/03/13
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久しぶりに大阪キタのピアノBar「M」。今回は歌のめちゃ上手い友人(♂)と一緒に行って、歌伴いたしました。 友人は大学時代、軽音楽部に入っていて、ギターを弾きながら歌っていました。だから横文字の歌もわりと得意なんですが、ジャンルはポップス、フォーク、カントリー、オールディーズ等々が中心で、若干偏っています。 で、この日歌ったのは、横文字では「明日に架ける橋」「ダニエル」「コットンン・フィールズ」「デスペラード」「エンド・オブ・ザ・ワールド」くらいかな(横文字のレパートリーでは、僕の方が勝っているかも(笑))。 あとは、日本語の歌でした。「瞳をとじて」「涙そうそう」「悲しい色やね」「プカプカ」「未来予想図2」「サイレンスがいっぱい」「遠くで汽笛を聞きながら」「やっぱすきやねん」なんて感じ…。 友人ははっきり言って、めちゃ上手いんです。音域も広いし、何より高音が綺麗(小田和正か徳永英明ばりの声です)。プロの歌手になっても十分やっていけそうなレベルです。 この夜、Bar「M」に来ていた他のお客さんも、彼が歌い始めるとおしゃべりをぴたりとやめて、その歌にじっくり聴き入っていました。 友人は最後に、最近練習中だという中島美嘉の「雪の華」(写真右下=ジャケット写真)を歌いたいと言いましたが、残念ながら、僕は一度も歌伴をしたことがなくて、曲もサビくらいしか知らないので、ここはBar「M」専属のピアノの先生「Syn」さんにお任せいたしました。 フルコーラスで聴くのは初めてだったのですが、「雪の華」ってほんとに素晴らしいバラードです(冬の季節しか歌いにくいのが問題ですが(笑))。「次回は僕も歌伴できるように練習しておくよ」と彼に約束しました。 で、「伴奏ばっかりじゃなくて、(お前も)何か歌えよー」と友人に言われ、最近めちゃくちゃ気に入っているミスチルの「しるし」をまず歌いました。 この曲の話を以前ブログ(06年12月17日の日記で書いた時は、音域が広すぎてちょっと無理と書いたのですが、キーをG(ミスチルはC♯です)でやると、出だしの音はは少し低すぎるのですが、サビの高音はなんとかぎりぎり歌えることが分かりました。 何度歌っても、この曲はメロディーも詩も素晴らしいの一言です。自分で歌っていてもめちゃ気持ちいい歌です。僕の音域がもっと広ければ、もっとかっこよく歌えるのになぁ…とこの夜も思いました。 僕がこの夜、「しるし」以外に弾き語りした歌は、「君をのせて」(沢田研二)、「どんなときも」(槙原敬之)、「花」(オレンジレンジ)、「僕の倖せ」(はちみつぱい)、「Jolie」(アル・クーパー)、「Cry Me A River」(ジャズ・スタンダード)。はっきり言って、アーチストも時代(曲)も自分で言うのも変ですが、すごい幅で、滅茶苦茶ですね(笑)。 次回のBar「M」は約2週間後、このブログで登場したのとはまた別の歌の上手い友人と一緒にお邪魔する予定です。楽しみだなぁ。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/03/01
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随分むかしというか、10~20代にギター・バンド(3人編成)をしていた時代は、洋楽のコピー曲のほかに、バンド・メンバーでオリジナル曲も持ち寄り、レパートリーにしていた。 他の2人のメンバーは、詞も自分で書いていたが、詩作があまり得意でない僕は、もっぱら、バンドのマネジャー的な存在だった別の友人に詞を頼んで、書いてもらっていた。 その友人(&奥さん)と先日、久しぶりに会う機会があった。友人が大阪キタのマンションに引っ越したお祝いも兼ねて…。 訪ねる前日。ふと、彼から90年代初めに詞をもらっておきながら、曲は未完のままにしていた詞があることを思い出した。なぜか急に、その曲を完成させたくなって、僕はピアノに向かった。 昔はだいたいギターで作曲していたが、80年代以降はピアノで曲づくりをすることが多くなった(もっとも92年以降、詞もそろったまともな曲は、1曲も作っていない)。 曲(音符&メロディー)に対して、詞(言葉)が少し少ないので、自分で少し言葉を補いながら…何とか完成させた(写真左=完成した曲の譜面と詞の草稿。いつもながら五線譜に記すのは苦労します)。 そして、急いで完成させた曲は、まず作詞家である彼に聴いてもらいたいと思い。とりあえず、自分で歌ってMDに録音。出来上がった曲(MD)と補作詞した歌詞のコピーを、再会当日持参した。 最近は、マイ・ホームグラウンド・ピアノBARの「M」でも、バンド時代のオリジナル曲や解散後につくった曲などを、ときどき弾き語ったりしている。お店のスタッフやお客さんから、「それって、誰の曲なの?」と尋ねられることも少なくない。 「僕のバンド時代のオリジナルです」と言うと、反応は二つに分かれる。「素敵な曲ですねー」という人(社交辞令もだいぶん入っているだろうが)と、「あっ、そうですか…」と反応があまりない人とに。 でも、昔のバンド時代や解散後につくったオリジナル曲には、やはりものすごく愛着がある。今回、未完の曲を完成させる作業の過程でも、むかしの曲を、練習がてら結構歌った。自分で言うのもなんだけれど、なかなかいい曲もあると思う。 15年越しに出来上がった曲のタイトルは、「踊り疲れて」。近々、「M」でも弾き語ってみようと思っているが、いかんせん、詞の内容(シチュエーション)が若干古い。もともとはディスコ全盛だった70年代後半に生まれた詞だから、それも仕方がないのかも…。 そういう僕の意見は、友人に会った際、話したのだけれど、彼も同意見だった。そして、「『踊り疲れて・2006年バージョン』の歌詞を考えてみようか」と言ってくれた。締め切りはお互い決めなかったが、2006年の感覚(感性)でもう1曲、新しい曲を生み出そうという意欲には、お互い、溢れている。 歳をとっても老け込まない最大の条件は、創造意欲や探求意欲(好奇心)だろうと僕は思う。そんな「意欲」を失っていない彼を、僕は誇らしく思っている。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/09/12
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久々のピアノBar「M」。混み合うことが多い金曜ということで、早め(午後7時ちょうど)に店に入る。そして、開店準備が遅れてまだばたばたしてるマスターを尻目に、早速、指慣らし・喉ならし。あっ、その前に「竹鶴12年」で少し喉を湿らせてから。 いつものように、グランド・ピアノの前に座り、まず、「My Foolish Heart 」「Someday My Prince Will Come 」「Polka Dots And Moonbeams 」など、大好きなジャズのスタンダードを軽く練習。 ところが、いつも暗譜で弾いているのに、このところの練習不足がたたって、あー、忘れてる、忘れてる。ミス・タッチの連続で恥ずかしい。お客さんがまだ来てなくて、あぁ良かった(写真左=Bar・Mのある界隈は今夜も賑やか)。 そんなこんなで、8時頃、最初のお客さん登場。半年ぶりとかいう、年配の男性。やや遠方のお客さんらしいが、僕は知らない人。幸い、カウンターに座って水割りを飲みながら、モニター・テレビの阪神対横浜戦(音は消して)に夢中になってくれている。 卒業式シーズンはほぼ終わったけれど、大阪ではちょうど見頃、満開の時期を迎えたということで、僕は森山直太朗クンの名曲「さくら」を歌う。最近、この歌をとても気に入っている。結構音域が広い歌だが、キーをB♭にすれば僕でも何とか歌える。 ついでに、桜とは関係ないけど、久しぶりにマッキー(槇原敬之)の「どんなときも」を歌う。先日、15年続いている島田伸助のクイズ番組(春の特番)で、 15年前に流行ったヒット曲ということでクイズの問題にしていたのでふと思い出した。「カミングアウト」して、さらに、あの事件も起こしたマッキーだけれど、それでもこの曲は好き。ピアノ伴奏にぴったりの曲調だし…。 「M」の従業員の子が思わず、「めちゃ、懐かしいわぁ…」と口にする。考えてみれば、彼女がまだ小学生だった頃のヒット曲だよー、これ。僕も歳をとるはずだ。 ちょうどその頃、歌のパートナーSさんが登場。早速、前回、僕が楽譜を忘れて練習できなかったR.Kellyの「I Believe I Can Fly 」、Alicia Keysの「If I Ain’t Got You 」をおさらい(写真右)。ついでに、久しぶりにスティービーの「Overjoyed」も。いつ聴いても、いい曲。そしてSさんも上手い! そうこうしているうちに、別のお客さんが相次いで2組。いずれも名前は知らないけれど、いつも顔なじみ。そして、歌や楽器もする。最初は、僕の弾き語りや僕とSさんのデュオを聴きながら、ソファ席で飲んでいたが、そのうち我慢できなくなって、「なんか一緒にやろう!」とセッションに突入(写真左下)。 で、そのお客さんのヴォーカルで松山千春の「恋」、サザンの「真夏の果実」、安全地帯の「恋の予感」、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」を一緒にセッション。 ベースはいつもはピアノを弾いてる先生が担当してくれて、ギターやドラムは別のお客さんが…。5人でやると結構迫力はある。ホンマに。 さて、気が付けばもう10時すぎ。僕はほとんど3時間ほど、ピアノの前に座りっぱなし。ライブでずっと立ちっぱなし、走りっぱなしの62歳のミック・ジャガーには及ばないので、あまり自慢にはならないけれど…。 ピアノの上には一応、ウイスキーの水割りは置いている。でも弾いてる時間が長いので、あまり減らない。従ってキープしたボトルも、なかなか減らない。いつもマスターは「あまり儲からん客やなぁ」と思っているだろうが、僕も他のお客さん喜ばせて、お店に奉仕してるつもりだから、許してねー。 この夜、ほかにセッションした曲は、「オリビアを聴きながら」「STORY」「瞳をとじて」「幻」「Piece of My Wish 」「プカプカ」「Before You Walk Out Of My Life 」「Your Song 」「In My Life 」「Softly, As In A Morning Sunrise 」…等々。邦楽が多すぎて。洋楽が少なすぎたなぁ…と少し反省。 次回はちょっと違ったアプローチを。僕がバンドを辞めた後、20-30代に書きためていたオリジナル曲をSさんに歌ってもらう予定。楽譜もデモテープ(MD)も渡してある。さて、Sさんはどのように歌いこなしてくれるか、楽しみだ。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/04/08
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めぐり逢いというのは不思議なものだ。徳島を離れて、もう会うことはないと思っていた。そんな彼から昨年、「大阪へ転勤になった」という挨拶状をもらった。 同じ業界のライバル的な存在なのだが、相性が合うというか、徳島時代にはよく一緒に飲む機会があったO君。歳は僕より一回り以上も下だが、話がとても上手で、面白くて、音楽(歌)好き(それも僕と好きなジャンルが似通っている)。(写真左=O君&うらんかんろ) O君とは、僕がよく出入りしていたピアノBAR「Y」で出会い、何度か僕のピアノ伴奏でいろんな曲を歌ってくれた(主に洋楽のポップスや邦楽のロックやニューミュージックが多かったかな…)。最初の出会い以来、意気投合して、僕らは夜の盛り場で、よく楽しい時間を過ごした。 しかし、O君は僕が徳島を離れる直前に、九州の佐賀へ転勤してしまった。そして、それ以来会う機会は途絶えていた。O君は佐賀にいる間に、結婚した。年賀状で幸せそうな彼を見て、僕は心から、「いい人を見つけて良かったなぁ」と思った。 そんなO君が、どういう巡り合わせか知らないけれど、大阪へ転勤してきたというからにはぜひ会わねばならない。お互い、メールで日程調整を続けてきたけれど、それぞれが何かと忙しくて実現しなかった再会が、先日ついに現実のものとなった(写真右=熱唱するO君。歌の勘はすぐ取り戻していた。さすが!) O君は岐阜県生まれの関東育ち。関西はほとんど初めてという。僕らはとりあえず、大阪キタのBARに1軒立ち寄った後、居酒屋で腹ごしらえ。そして、「O君と再会したからには、やはり歌伴だよねー」ということで、僕のホームグラウンド・ピアノBARの「M」へ。 O君のジョーク好きのキャラは、相変わらずだったが、いざ歌になると真剣な顔つきになる、この落差がいい。O君がこの日、僕のピアノ歌伴で歌ってくれたのは、洋楽が「Hey Jude」、あとは邦楽で「いい日旅立ち」「涙そうそう」「オリビアを聴きながら」「Crossroad」の計5曲だったかな…(何か忘れていたら、O君ごめん!)。> とくに最後の「Crossroad」は、ご存じミスチルの名曲。これは相当歌いこなしていないと結構難しい曲なんだけれど、O君は昔からよく歌っていたらしく、結構完璧に歌っていた。素晴らしい!(パチ、パチ、パチ!)(写真左=のってきたO君、マイクを離しません)。 この夜は、僕のいつもの歌のパートナーのSさんも店にいたので、先日の課題曲、AIの「STORY」を練習。キーがE♭だとちょっと高いということで、「次回は、Cくらいでやろう」ということになった。一青窈の「かざぐるま」も課題曲だったんだけれど、これは彼女がまだ練習不足ということで、次回へ持ち越し。 そんなこんなで盛り上がっていたら、気が付けば、もう日付変更線に近い時間に。O君とは近いうちの再会を約束してお別れした。O君、次回は、ミナミや新世界などのディープな大阪をご案内しますよー。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/01/29
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約1カ月ぶりにホームグランド・ピアノBAR「M」(写真左上=「M」の周辺)にお邪魔する。今回は同級生の友人H君(男性)と一緒に。友人はプロ歌手並みに歌が上手いので、学年でも有名だった男。僕は、時々彼を「M」に誘って、一緒に歌伴のお遊びをする。 しかし彼にも弱点があって、邦楽はポップス、ニューミュージック、フォーク、歌謡曲などめちゃ強いんだけれど、洋楽はフォーク、オールディーズくらいしか歌えない。洋楽ポップス、ロック、ソウル、ジャズなどは、ビートルズ以外はほとんど駄目。 そこで、僕は事前に彼に、洋楽の課題曲をカセットテープに入れ、歌詞とともに送って、「練習しておいてくれよ」と言いつけておいた。そしてこの夜、彼は苦笑いして、「あまり練習できんかったけれど、まぁなんとか頑張ってみるよ」と現れた。 彼が練習してきたのは、「Desperado」「Song For You」「Killing Me Softly With This Song」「Masquerade」「Honesty」等々。 洋楽の歌は、よほどよく聴き込んでいないと、メロディーへの歌詞の入り具合が難しい。歌ったことのない洋楽の歌に初めて挑戦する人は、たいていこれで失敗する。とにかく、よく聴き込んで、こつこつと地道に練習するしかない。 で、今回の友人との歌伴だけれど、「Desperade」「Killing Me…」「Masquerade」はほぼ10点満点だったが、「Song For You」は8割の出来(写真右=「Desperade」の収録されているイーグルスのアルバム)。 「Honesty」は、「まだ無理やなー、 もうちょっと曲をよく聴いてから、またやろか」と僕がダメ出し。プロ並みに歌が上手くて、曲も何度か聴いているはずの彼だが、歌詞カードを見ながら歌っても、洋楽っていうのは結構難しいのである。 さて、いつもの歌伴パートナーSさんとはこの夜は、新曲(これは珍しく僕の方からリクエストしたもの)に挑戦。AIという女性歌手の「STORY」という曲(写真左下は「STORY」のCDジャケット)。最近僕が一番気に入っているバラードだ。 AIは1981年生まれ。父が日本人、母が日伊のハーフという。小中学校を鹿児島で過ごした後、96年アメリカに渡り、ゴスペル・グループに入って修業を積んで、天性の歌唱力をさらに磨いてきた。僕は、「おそらくここ数年で大ブレイクするんじゃないか」という予感がする。 さて、「STORY」への挑戦は、やはり頼んだのがちょっと直前過ぎたこともあって、お互い、はっきり言ってまだ早かった(笑)。Sさん、ごめんね! 次回に再度挑戦でーす。気分を変えて、「Overjoyed」「Automatic」などを歌伴。こちらは息も合って、まずまず。 さて、僕はこの日、気分を変えてジャズ・スタンダードの弾き語りに挑戦。曲目は「Softly、As In A Morning Sunrise」「My Favorite Things」等々。初めての披露にしては、まずまずだったかなーなんて甘い自己評価。 お客さんでなぜかドラムとベースの上手い人がバックをつとめてくれて、なかなか得難い経験でありました(とくにベースの人、めちゃ上手かった。有難う!)。こんな出会いがあるから、ピアノBAR通いはやめられない。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/26
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今でこそ、ピアノ(またはキーボード)で弾き語りする日本人歌手って、珍しくはないが、1970年代始めまではほとんどいなかった。 海外では50~60年代から、ポール・アンカ、リトル・リチャード、キャロル・キングら弾き語り歌手がいた。70年代に入ると、エルトン・ジョンやビリー・ジョエルら本格的なピアノ弾き歌手が登場した(もちろん、ビートルズのポールはそれ以前からピアノで弾き語りしていたが…)。 日本のポップ・ミュージック界初のピアノ弾き語り歌手って、誰だろうか? すぐには浮かんでこない…。しばらく考えてみたら、女性なら荒井(松任谷)由実、男性なら小田和正(オフコース時代だが)かなという結論になった。この2人以前に、もしいてたら、誰か教えてください。 ユーミンは今、ステージではピアノの弾き語りをほとんどしないが、デビュー(1972年)したての頃は、半分以上は、ピアノの前に座って歌っていた(写真左上=デビュー・アルバムの「ひこうき雲」=1973年)。 僕は、まだ荒井由実時代のユーミンを、大阪・天王寺野外音楽堂で聴いた。2枚目のアルバム「ミスリム」(1974年=写真右)を出した直後で、「瞳を閉じて」「私のフランソワーズ」など「ミスリム」からの曲が中心だったが、「ひこうき雲」も歌ってくれた。 ユーミンの歌は当時はおせじにも、上手いとは言えなかった(時々、高音で音をはずしていた)が、最近のライブを聴くとだいぶん上手くなったみたい…(長いキャリアを考えたら、当たり前かな?)。 その後、長いキャリアの中で、数多くのアルバムを出し、多様な音楽のスタイルを追求してきたユーミンだが、僕は「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルト・アワー」という、デビュー・アルバムから続く3作の頃が一番好きだ。歌も曲も演奏も、素直でピュアな感じが一番よく出ている気がする。 僕は当時、「私のフランソワーズ」や「ひこうき雲」「生まれた街で」などのコピーをよく練習した。ユーミンの歌は、本人に似合わず(失礼!)、意外と音域の広い歌が多く、男である僕には結構難しかった。「ひこうき雲」の2番のサビの部分など、僕は声がひっくり返ってしまう(写真左=中期のアルバムで、僕が最高傑作だと思っているのがこの「昨晩お会いしましょう」)。 以前の日記(2004年12月16日)で、「ピアノの弾き語りは、まず、Let It Beから始めた」と書いたが、邦楽で、弾き語りの手段としてピアノを意識し始めたのは、ユーミンと出会ってからだと思う。そういう意味で、先駆者としての彼女に、僕はいつも感謝している。 ユーミンはご存じのように作詞、作曲も自分でこなした。そして何よりも、マイナー・セブンスやメジャー・セブンスを多用したコード進行が、それまでの邦楽にはほとんど見られない、とても斬新なものだった。「呉田軽穂」の名前で松田聖子に提供した数々の大ヒット曲も、それまでの歌謡曲にない、とてもおしゃれな曲だった。 ユーミンがデビューした頃、「一発屋」で終わると予測した評論家もいた。しかし、この浮き沈みの激しいポップ・ミュージックの世界で、33年もほぼトップの位置を守り続けられたのは、やはり、曲づくりの才能や、詩にみられるようなすばらしい感性があってのことだろう。 最近は、出すアルバムが昔のようなミリオン・セラーにならず、マンネリ感も指摘されるユーミン。だが、作曲家としての才能には誰でもピークはある。50代に突入した今、20代の頃のままの感性を、彼女に要求するのは酷なことだろう(写真右上=2003年には、他の歌手に提供した曲などをカバーしたアルバムを出し、話題になった。「瞳はダイヤモンド」がいいです!)。 同世代でもある僕自身は、ユーミンにいつまでも息長く、60代、70代になっても歌い続けてほしいと心から願っている。70歳のユーミンがどんな歌を歌っているかを、考えるだけでも楽しいではないか。
2005/09/09
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あちこちのBARなどでピアノを弾いていると、素人の僕でも、明らかに「音が狂ってるなぁ」というピアノに出合う。鍵盤も時々、押したら上がってこないようなピアノもある。 でも、僕はプロじゃないし、文句も言わず、いつも有り難く弾かせてもらっているが、一応、帰り際には、「あれ相当、音狂っているから、調律した方がいいですよ」とマスターの耳元でささやく。 家で僕が弾いているアップライト・ピアノ(写真右=YAMAHA製です)は、年に1回ちゃんと調律しているので、いつも「いい音」が出ていた。それが最近、弾いても音がきちんと出ない(鍵盤を押しても、また上がってこない)キーが、いくつか出てきた。 僕は、近頃は週1回くらいしか(運が良くても2回か)しか練習できない。普段なかなか、ゆっくり落ち着いて弾く時間がとれないので、この練習の時は、3~5時間でも集中的に弾く(連続して弾いても、そんなに疲れない)。だから、弾いても音がきちんと出ない鍵盤があると、途中、とてもイライラしてくる。 家にあるピアノは、もともと連れ合いが実家で小学校低学年くらいから高校生くらいまでクラシックを習っていたころ弾いていたもの。その後、うちの娘が中学校卒業まで弾いていたが、今では、僕しか触らなくなった。それでも連れ合いは一応、毎年1回、調律を頼んでいた。自分が弾かなくても、「ずっと弾いてきた愛着あるピアノだから…」と言っていた。 調律はピアノにとって大事な手入れでもあるし、ピアノへの「思いやり」だと思う。そして調律師は、プロのピアニストにとっては、自分の思い通りの音色を実現させてくれる大切で、重要な存在だ。 例えば、キース・ジャレットは、ライブでいつもスタンウェイのグランド・ピアノを弾く。やや専門的に言うと、スタンウェイのD型のグランドが好みで、調律は「440-442Hzの平均律」だという(と言われても、僕にはちんぷんかんぷんですが…)(写真左=キース・ジャレット・スタンダーズのライブ風景)。 キースの日本ツアー中は、いつも専属の日本人調律師・Mさんが同行する。Mさんは、リハーサルの段階からキースに付き合って、希望通りの音に近づけていく。キースは、音色のはっきりしたものを好み、鍵盤の重さにはあまりこだわりはないが、「クリアなピアニッシモの音」にはとくにこだわるという。透明感あふれる彼のピアニッシモには、そんな調律師さんの存在があってこそかもしれない。 「ねぇー、そろそろ調律する時期かなぁー?」と連れ合いに持ちかけてみたら、「あっ、そう言えば、去年は調律の人、電話して来んかったわー」という。鍵盤が上がらないのは、「手入れ」を1回飛ばしてしまった影響もあるのかもしれない。 調律師さんは毎年、必ず決まった時期に、「そろそろどうですかー?」と電話してくる。調律師さん、どうしたんだろうかと気にもなるが、それはともかく、このピアノの音を、鍵盤をなんとかしなければならない(写真右=アップライト・ピアノの内部構造。その複雑さは芸術的だ)。 鍵盤が上がってこないとなると、部品も一部交換しないといけないかも。いつもは、1万円ぽっきりで済んでいた良心的な調律師さんだが、今年はちょっと費用がいつもより余計にかかるかもしれないなぁ…。
2005/07/13
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ギター(アコースティック)を手にし始めた頃、練習の手本にしていたアーティストは、いろいろいた。まず、ピーター・ポール&マリー(PP&M)、ブラザース・フォー、ディラン…。日本だと、加山雄三、フォーク・クルセダーズ、赤い鳥、岡林信康…。 アルペジオやスリー・フィンガー・ピッキングという基本を教わったのはPP&Mだが、ギターという弦楽器の面白さを一番教えてくれたのは、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンかもしれない。 サイモン&ガーファンクルとの出会いは、他の多くの人がそうであったように、映画「卒業」(1967年=写真左は、大ヒットしたサントラ盤)だった。映画館では、映画の筋書きよりも、その音楽の新鮮さに衝撃を受けた。 「ミセス・ロビンソン」などの歌はもちろんのこと、ポールのギターの奏法の素晴らしさ、表現力にもただ魅入られてしまった(映画「卒業」について言えば、6月8日の新聞には、「ミセス・ロビンソン」役を演じた女優のアン・バンクロフトさん死去のニュースが…。合掌)。 ただし当初は楽譜もなく、「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロー・フェア」の、あの印象的な、独特のイントロは一体どうやって弾いているのか、解明できずに、悶々とした日々を過ごしていた(写真右下=S&Gのベスト盤と言えば、いろいろ出ているが僕はこれが好き)。 その後、映画のヒットのおかげで、日本で未発売だったS&Gの初期のアルバムも次々とリリースされ、楽譜も出回るようになった。「水曜の朝、午前3時」「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」等々(ちなみに、僕がハーブ栽培に興味を持ったのも「スカボロー・フェア」を聴いたのがきっかけ)。 僕は必死でコピーして、練習した。小柄で、きっと手も小さいはずのポールがあれほど上手く弾けるんだから、僕にもきっと弾けるはずだ、と信じて…。ポールのおかげで、僕のギターの腕もひと回り成長したはずだ(と思う)。 S&Gはその後70年に、「明日に架ける橋」(写真左下)というグラミー賞6部門を獲得する大ヒット・アルバムを出すが、その直後、なぜか突然、デュオの解散を発表してしまう(詳しい理由は今も、僕はよく知らない)。 ポールはその後、ソロで活躍、73年には日本に初来日し、僕は初めて生ポール・サイモンを聴くことができた(このコンサートでは、ポールそっくりの弟がゲストで出てきて、2人でギターを弾いて一緒に歌い、ファンにバカ受けしてたのを今も思い出す)。 S&Gは、解散したとはいえ、81年のセントラル・パーク・コンサートを始めとして、10年に一度くらいは“再結成”してはツアーに出たりしているから、不仲という訳ではないようだ。アートも解散後、次々と素晴らしいソロ・アルバムを出したが、大ブレークというまではいかなかった。 僕はその後82年、S&Gとしての初来日コンサートを、今は無き大阪球場で聴いた(この時のバック・ミュージシャンは、ドラムがスティーブ・ガッド、キーボードがリチャード・ティーら、凄いメンバーだった)。アートは、さすがに昔ほどの澄んだ高音は出なくなったが、素晴らしい歌声を聴かせてくれた。 ポールもアートも同い歳で、今年で64歳。彼らの公式HPを見ると、03~04年にかけて全米ツアーをしている(「小銭稼ぎの再結成」という批判はあるが、それでも昔のファンは嬉しい…)。もう一度、来日してくれたら、僕は、万障繰り合わせて行って聴いてみたい。
2005/07/03
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行きつけのピアノBAR、大阪の「M」で久しぶりに、ほぼ2ヶ月ぶりにSさんの歌伴をする(前回の様子は、「4月13日の日記」ご参照)。 今回は、前回初めて歌ったAicia Keysの「If I ain't got you」と、R.Kellyの「I believe I can fly」のおさらい、それに、Sさんから今回の課題曲(新曲)として言われていたMonicaの「Before You Walk Out Of My Life」(写真左上=「Before You…」が入ったMonicaのアルバム)と、Crystal Kayの「Motherland」(写真右上)の計4曲が中心。 前回の歌伴では、ネットで調べた歌詞の一部が間違っていて、言葉がメロディーにうまく乗らなかった「If I ain't…」だが、今回はかなり呼吸も合って、まぁ90点くらいの出来かな(それにしても、この曲は何度聴いてもいい曲だー)。 「I believe I can fly」は前回同様、歌はほぼ完璧だったけれど、「エンディングがうまく決まらないなぁ…」という話に。原曲では、ラストにコーラスのかけ合いが入るが、伴奏の僕がコーラスに加わるのはちょっとしんどい。ピアノだけの歌伴では、「独自のエンディングを何か考えておかなければ、ね」という結論になった。 さて、今回の課題曲である「Before You Walk…」は、僕らの歌伴にしては珍しくアップテンポの曲で、例によって楽譜もなく、耳コピでのコード取り。しかもメロディーの違うサビが、3種類もある複雑な構成で、事前の練習はほんとに苦労させられた。 でも、Sさんはクラブでのライブなどで歌い慣れている曲ということもあって、初めてにしては、かなりうまくいったかなとも思う。もう1曲の美しいバラード、「Motherland」の方はもう120%完璧に、Sさんは自分のものにしていた!(写真左下=本人の了解を得て本邦初公開! 僕の歌伴のパートナーSさん)。 今回は、他に楽器好きのお客さんも多くて、知らない2組のグループのなかから、途中から飛び入りでドラムスとベースの応援があった(写真右下)。そこで、みんなでできる分かりやすい曲ということで、竹内まりやをやろうということになり、「駅」と「元気を出して」をセッション(「駅は」は僕も大好きな曲。昔の恋人への切ない思いをつづり、胸に迫るような歌詞もとてもいい)。 Sさんの世代にとっては、竹内まりやはやや「古い曲」の部類にはなるけれど、カラオケではよく歌うということもあって、さすが上手に歌いこなす。居合わせたお客さんからも「ほんまに、歌うまいなぁー」との声が飛んでいた。 歌い疲れたSさんの声が少しかすれ始めて休憩。休憩の間に、早速、次回の課題曲を頼まれてしまった(ほんとに、よく次々と見つけてくるなー)。柴田淳の「幻(まぼろし)」と、エゴラッピンの「色彩のブルース」の2曲。恥ずかしいけれど、2曲とも、僕にとっては「それって、誰?」という存在だった。若い世代に人気の曲(歌手)にほんとに疎(うと)くなったなぁ…、と反省。 歌伴が終わった後は、僕は1人で弾き語りの練習。SMAPの「夜空ノムコウ」「世界に一つだけの花」や「少年時代」「スイートメモリーズ」、さらに「愛の讃歌」(年配のお客さんもいたのでサービスのつもりで…)等々。SMAPは分不相応な、いい曲を提供してもらっているなぁ、と改めて思う。「夜空ノ…」は、作詞のスガシカオ自らが歌っているのを聴いたことがあるが、正直言ってSMAPの何倍も良かった。 次回の歌伴は、またおそらく2ヶ月先くらいかな。ほんとは1ヶ月に1回はしたいのだが、家でじっくり練習できるのは月に2~3度くらいしかないから、やはり2ヶ月はほしい。それはともかく、Sさん、次回は、JazzやPops(洋楽)の歌伴もやりたいよー。【追記】次回、11日の日記は出張のため、申し訳ありませんが、お休みさせて頂きまーす。13日の日記でまたお目にかかりまーす。
2005/06/09
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絶対音感というものを持っている人たちがいる。僕も、何人か出会ったことがある。徳島にいた頃、ジャズBARでよくセッションしてくれたサックス吹きのH君も、そういう1人だった。 H君はどんな曲でも、初めて聴いたら、それを五線譜にすぐちょこちょこっと書いてしまう。初見の楽譜を見て、すぐ歌えることはもちろんのこと、「救急車のピーポー、ピーポーというサイレンも、五線譜上の音として聞こえてしまう」と話していた。 僕には絶対音感はない。それどころか、五線譜のおたまじゃくしも、あまり満足には読めない。3人のメンバーでアコースティック・ギター・バンドをやっていた10代~20代の頃。主なレパートリーは、洋楽・邦楽の知っている曲のコピーか、オリジナル曲だった。 楽譜は読めなくてもさほど困らなかった。コピー曲は耳で聴いてメロディーを知っているし、オリジナル曲のメロディーは、メンバーに歌って聴かせれば、なんとかなった。 しかし、Crosby、Stills & Nsah(クロスビー、スティルス&ナッシュ=写真左上)の影響で、バンドは、歌の3部コーラス(ハーモニー)を重視するように変わっていった。例えば、彼らの代表曲でもある「青い眼のジュディ」もレパートリーにしていたが、この曲は3つの曲が組曲になった約8分もの大作。しかもハモも複雑だった。 洋楽の楽譜は当時少なかったし、輸入楽譜を見つけても、メインのメロディーしか書いてないことが多かった。結局、レコードをしっかり聴いて五線譜に起こすしかなかった。曲のコードなら僕にも何とか分かったが、五線譜上の絶対的な音まで聴き取る耳は、僕にはなかった。 有り難いことに、バンドのメンバーで、リード・ギターをやっていた友人のAには、絶対音感があった。いつもレコードを聴いて、1、2週間でハモの楽譜を書いてきてくれた(写真右=友人A君自筆の「青い眼のジュディ」の楽譜。曲の出だしから、いきなり複雑な3部コーラスだ)。 CS&N以外では、ロギンス&メッシーナ(写真左)、バーズ(写真右下)、グレイトフル・デッドなどにも取り組んだが、原曲が2部のハモだったりしても、A君が3部にアレンジしてきたり…。その楽譜のおたまじゃくしを必死で読んで、練習した。彼を真似て、僕も自分のオリジナル曲には、3度上と下のハモを楽譜に書く努力はしたが、時間は彼の3倍はかかった。決して真似のできない彼の才能に、僕はただ羨ましく思うしかなかった。 音楽の才能には大きく分けて、耳、歌、演奏の3つがあると思うが、耳はほぼ100%先天的なものだろう。歌だって80%は先天的なものが占めるに違いない。歌の上手い人は、だいたいが小さい時から上手い(あとの20%は、本人の努力&訓練)。 僕には、先天的な「耳」はなかったが、歌にはそこそこ自信があった。バンドをやってた時は、コンクールに出たり、デモ・テープをレコード会社に送ったりした。あわよくばという気持ちがなかったと言えば、嘘になる。しかし20代の半ば、思わぬ病気の宣告を受ける。「甲状腺腫瘍」。 細胞診をすると、幸い一応見かけは良性のものだったが、悪性に転化する可能性も10%くらいあるタイプ。医者からは「将来のことを考えると、甲状腺ごと全部取ってしまった方がいい」と言われた。それで、泣く泣く手術を受けた(以来、甲状腺ホルモンの錠剤を、毎朝1回必ず飲まなくてはならない人生)。 その手術の際、声帯を少し傷付けてしまった。術後の後遺症で、それまで軽く歌えていた高音が出なくなった(声帯を傷付ける可能性は事前に言われていたので、医者には文句は言えなかった)。歌のキーは必然的に下がり、昔のキーでは歌えなくなった。音域も狭まり、昔歌えていた歌がもう難しくなった。 録音に残るバンド時代の歌(一応テープからCDにして残している)をいま聴くと、まるで自分の声でないような錯覚に陥る。今では、弾き語りをする時は、自分に合うキーに変える。音域の広い、難しい曲を歌うような冒険はまず、しない。他人の歌伴をするのは何ら問題はないのだが、僕自身が歌うようリクエストされた時は、事情を正直に話して、許してもらう。 いま僕ができることは、自分が歌える音域の曲のレパートリーを増やすこと。そしてソロ・ピアノで(あるいはトリオで)できる曲を増やし、演奏のレベルをもっと磨き、高めること。歌は少し不自由になったが、それでも音楽は大好き。ピアノやギターを弾くことも大好きだ。ハンディができても、音楽から離れようとは思わない。僕にとって、音楽のない人生は考えられない。
2005/05/22
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ホームグラウンド・ピアノBARにしている大阪・キタの「M」で、久しぶりにSさんの歌伴をする。今回の課題曲は、R&Bの3曲。Sさんは、最近の若い人にしては、珍しく(?)、R&Bやソウルの曲が好きだ。 歌伴したのは、アリシア・キーズの「If I Ain’t Got You」、R.ケリーの「I Believe I Can Fly」、クレイグ・デイヴィドの「You Don’t Miss Your Water」という3曲で、いずれも美しいメロディーの曲ばかり。「If I Ain’t…」は、(僕は、残念ながら見逃したけれど)今年のグラミー賞授賞式でのライブで、アリシアがピアノで弾き語りしていたらしい。あー見たかった!(写真は上から下へ、上記の3曲が収録されている3人のアルバム:Alicia Keys「The Diary Of Alicia Keys」、R.Kelly「Greatest Hits Collection Vol1」、Craig David「Slicker Than Your Average」)。 この種の洋楽の歌伴をする場合、いつも大変なのは、楽譜がないことだ。楽譜がないからコードが分からない。ピアノの歌伴の基本は一応コード弾きなので、コードが分からないと、つらい。 邦楽(J-Pop)だと月刊「歌謡曲」という雑誌があり、最新曲のコード付き楽譜&歌詞を載せてくれるので、そう苦労しない。だが、洋楽の場合は、よほどの有名アーティストか、CMか何かでブレークでもしない限り、日本国内で楽譜が発売されることはまず、ない。 という訳で、今回もCDで曲を何回も何回も聴きながら、コードを探り出して、伴奏の練習を積んだ。「曲を聴いただけで、なんでコードが分かるんですか?」と時々、質問を受ける。とくに、コードという概念のない世界で音楽に打ち込んでいるクラシック畑の人から、よく聞かれる。 楽器演奏(クラシックを除く)をしている人ならよく分かると思うが、歌伴を何年もやってると、曲を聴けばキーが分かる。キーが分かれば、そのキーで使われる主要なコード(和音)が分かる。主要なコードが分かれば、コード進行は経験的に分かってくるので、CDを聴きながらいろんなコードを弾いてどのコードが合うのか探っていけば、その曲のコードはだいたい(95%くらいは)分かる。 難しいのは、最近は凝った曲づくりをする作曲家が増え、「分数コード」が増えたこと。一般的に、例えばC(ド・ミ・ソ)コードの場合、左手のベース音は普通小指と親指で、「ド・ド」か「ド・シ♭(またはシ)」を押さえるが、「分数コード」の場合は「ミ・ミ」とか「ソ・ソ」と押さえたりする。 ベース音を変えることで、より複雑なハーモニーが生まれ、おしゃれな感じにもなる。おしゃれな曲づくり志向が高まっていることもあって、こうした「分数コード」は、最近の洋楽やJ-Popの曲には非常によく登場するが、これを耳で聴きわけるのは、僕のような素人には、かなり難しい。結果的に、うまく探り当てられるのは、経験からくる類推がヒットしているにすぎない。 そんなこんなで苦労してコード譜を完成させて、Sさんとの本番に臨んだ。Sさんは何度か聴きこんだ曲なので、さすがに初めての歌合わせなのに、見事に歌う。ただし、アリシアの「If I…」は、ネットの検索サイトで調べた歌詞にいくつか間違いがあることが分かり、次回、もう一度きちんとやろうということになった。 でも、R.ケリーの「I Believe…」はほぼ完璧で、歌も素晴らしかった。ただ、クレイグの「You Don’t…」は僕がリクエストした曲だったが、Sさんは十分に歌ったことがなかったようで、少し歌いづらそうだった(僕自身の弾き語りのレパートリーにした方がいいのかも…)。 小1時間、歌伴した後、Sさんからは早速、次回の課題曲を与えられた。モニカという女性歌手の「Before You Walk Out My Life」と、クリスタル・ケイという日本人歌手の「Motherland」という2曲。前者のモニカの曲は、この日やった3曲(すべてスローなバラード)と違って、アップテンポな曲なので、少し難しそう。 次回の歌伴は、約1カ月後。日本語の「Motherland」には楽譜がありそうだが、「Before…」は、おそらくないだろう。果たして、それまでにコードをきちんと探り当てられるかなぁ…。【追記】お時間があれば、過去の「日記一覧」から1月21日の「歌伴は楽しい、歌伴は勉強になる」、12月9日の「ピアノBARの敷居」もぜひお読みください。
2005/04/13
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キース・ジャレットのピアノについて、どうこう言う資格は、僕にはない。でも、「素人ピアノ弾き」からみても、キースのピアノ奏法は面白くて、とても教えられるところが多い。 もともとクラシック・ピアノの教育をしっかり受けてきたキースは、もちろん指は早く動く。でも、ある種のジャズ・ピアニストに見られるような、早弾きをひけらかすような弾き方は、決してしない。キースの特徴はまず、リズムやメロディーを大切にするところ。とくにスタンダードは、原曲のメロディーラインの美しさをとても大切にする。 ただ、原曲を大切にするかと言って、キースは決してピーターソンやエディ・ヒギンズのようには弾かない。原曲をバラバラにし、キース流解釈をして、また織り上げる。結果として、元の曲を超える、キースのオリジナルなスタンダードにしてしまう。他のプロには、とても真似できないような…(写真左=今なお「進化」し続けるキース (c)universal music kk )。 メロディーラインを大切にするから、右手で単音でメロディーを弾くときは、ピアニッシモでも、とても一音、一音をいとおしむように、大切に、丁寧に弾く。だから、コンサートでもその単音の透明感が際立ち、ホールの奥までくっきりと聞こえる。しかもその単音は、決して点、点、点で切れるのではなく、しっかりと線になって連関している。 アルバム「TOKYO‘96」(写真右)に収録の「My Funny Valentine」や、DVD「Standards2」(写真左下)に収録の「Geogia On My Mind」を、機会があれば聴いてほしい。その単音(メロディーライン)の美しさに、僕は心がとろけそうになる。 昔、僕に1日だけの特別レッスンをしてくれたあるジャズ・ピアニストの方がこう言った。「**さん、1小節すべてをオタマジャクシ(16分音符)で埋めなくていいよ。いかに省略するかも大事なんですよ。むしろ一音、一音の単音を大切に、クリアに弾きましょう」と。キースを聴いていると、その教えの意味がよくわかってくる。 オリジナル曲でも、メロディーラインの美しさは際立つ。初期の名アルバム「Life Between The Exit Signs」(1967=写真右下)には、「Margot」というアップテンポのオリジナル曲が入っているが、これがまたとても美しい。後期だと、アルバム「Standards2」(83年)には、「So Tender」というオリジナルが1曲入っているが、これも惚れ惚れするくらい綺麗なメロディー。そんな美の探求は即興演奏でも同じ。きっと指が自然と「美しさ」を追い求めるのだろう。 キースのもう一つの素晴らしさは、いろんなジャンルの音楽のいいところを、自分の曲にどん欲かつ巧みに取り込んでしまうこと。「Standards1」の中の「God Bless The Child」なんて、原曲のメロディーは残しているが、雰囲気はまるでROCKだ。 1998年のソロ・ピアノのアルバム「Melody At Night, With You」には、クラシックやゴスペル、トラディショナル・フォークなどいろんな音楽の要素が詰まっていて、とても面白い。発売直後、あるクラシックのピアノの先生にCDをプレゼントしたら、聴いて凄く感激していたのを今も思い出す。 キース・ファンには有名なことだが、キースはモーツアルトやバッハが好きで、協奏曲のアルバムも出している。なかでも、チック・コリアと共演した2台のピアノのための協奏曲は、最高のモーツアルトだった(僕はNHKテレビでのステージを観て、とても感激した)。このテレビ番組で、「なぜ、モーツアルトか?」と尋ねられたキースの答えが面白かった。 キース曰く、「今では古典音楽だとか言うけれど、モーツアルトの生きていた時代には、それは現代音楽だったんだ。それにまともな楽譜なんてなかったし、モーツアルト自身、同じ曲でも演奏するたび少しずつ違ったりした。即興演奏(インプロヴァイゼーション)に近く、それはジャズのアドリブにも通じるものなんだ」。普段、寡黙なキースが珍しく熱く語った。 キースのジャズを「現代音楽のようで、難解だ」という人がいる。確かに、難解な曲もある。でも、僕は思う。20~21世紀にキースがやっている音楽と、18世紀にモーツアルトが試みた音楽にどれだけ違いがあるというのか。モーツアルトがやっていたことは、ひょっとして18世紀のジャズだったのかもしれない。 僕はモーツアルトも大好きで、協奏曲やピアノ・ソナタをよく聴く。キース・ジャレットとモーツアルト。2人ともに惹かれる理由が、昔は自分でもよく分からなかったが、今ではそれがなんとなく分かるような気がする。 エバンスのコピーは何とかできても、キースのコピーは僕には至難の業。でもキースが好きだから、僕でも弾けそうな曲に挑んでいる。今、練習中なのはいずれも「Standards2」に入っている「In Love In Vain」と「So Tender」。キースのように弾くのはもちろん無理だが、キースをそっくり真似ても面白くない。最近は、僕流にアレンジを変えてやるのも、いいかなと思っている。
2005/04/09
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今の僕のホームグラウンド・ピアノBARは、大阪キタにある「M」。お客さんは40人近く入れる比較的大きなピアノBARだが、早い時間は結構すいているので、練習がてらにときどき弾かせてもらっている。 そこには、いろんなお客さんが来て、歌伴(歌の伴奏をすること)で知り合いになる。知らないお客さんから、「****って曲、歌いたいんだけど、伴奏してもらえる?」と頼まれ、弾いているうちに意気投合したりする。 「M」では、もちろん僕は、会社勤めの組織人じゃなくて、あくまで一個人で来ているから、相手の名前やどこに勤めているとか、野暮なことはまず聞かない。だから、何度か歌伴をさせてもらって、顔はよく知っている人でも、いまだに名前は知らないお客さんが多い。 「M」でのもう一つの楽しみは、店にいる従業員の女性(とは言っても、ここはラウンジBARではないので、隣に座っての接客はない)のなかに、ときどき、めちゃくちゃ歌の上手い人と出会うことだ。これまでにも2人ほど上手い女性と出会い、お客さんの少ない時間帯など、いろんな曲の歌伴をして、よく遊んだ(写真左は、「M」のある大阪・キタの夜)。 もう10年近く前にもなるが、最初に出会ったTさん(僕は名前の方で、Kちゃんと呼ぶことの方が多かったが)は、ホイットニー・ヒューストンや、マライア・キャリーら洋楽の女性ポップスや、安室奈美恵の歌なんかが、すごく上手かった。 Tさんは、真剣にプロになることを夢見ていて、その後上京した。残念ながらデビューは果たせず、今は実家のある鳥取に住んでいるという話を聞いた。でも、鳥取で音楽活動は続けているといい、先日自作のCDを「M」のマスターに送ってきた。 次に出会ったHさんは、洋楽なら、女性の歌からビリー・ジョエルら男性の歌まで幅広く、器用にカバーする才能の持ち主。とくに、彼女の「New York State of Mind」や、「Dasperado」は絶品だった。今は、昼間の仕事をしながら友人とバンドをつくり、ライブハウスなどで頑張っているという。 そして、いま僕がもっぱらよく歌伴をしているのがSさん。以前の2人には悪いけど、「M」でこれまで僕が出会った女性の中では、一番歌が上手い。表現力も非常に豊かだ。Misiaの「Everything」やスティービー・ワンダーの「Overjoyed」なんて難しい曲でも、プロ顔負けに歌ってくれるので、伴奏する方としてはとても気持ちいい。 何よりも気に入っているのは、和洋のポップスだけでなく、ジャズも(現在勉強中とのことだが)、何曲かカバーすることだ。レパートリーの広い人の歌伴をすると、弾き手も非常に勉強になる。ときどき、「次はこれを歌いたいから練習しといてね」とリクエストをしてくる。これが僕にとっては、知らない曲との出合いになるとともに、新たな挑戦にもなるから、練習にもまた熱が入る。 お客さんは、最近のヒット曲をリクエストしがちなので、最近の若い人の歌をこまめにチェックしていない僕としては、彼女は、今どんな曲がはやっているのかの情報源でもあり、実に助かる。一青窈の「ハナミズキ」も、彼女のリクエストがあって覚えて、僕も大好きになった曲。 先日、彼女の歌伴をしたときは、二人ともノってきて、「涙そうそう」「未来予想図2」「スイート・メモリーズ」と和ものから始まり、「Killing Me Softly…」「You’d Be So Nice…」など洋ものまで、たて続けに15曲近くやったら、マスターから、「そろそろ仕事に戻ろかー」と、睨まれてしまった(ちょっと遊びすぎたかな?)。 今年に入ってからは、仕事が少し忙しくて、まだ「M」にはお邪魔していないが、「近々行かなければ…」と思っている次第。ことしは、ジャズの歌伴も、もう少し増やしたいなぁ…とも考えている。
2005/01/21
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ビートルズのポールがピアノへのきっかけを作ってくれたとしたら、育ててくれたのは、エルトン・ジョンとビリー・ジョエルだ。ビートルズの後、弾き語りに取り組んだのはまず、エルトン・ジョンの曲だった。 エルトンは、シンガー・ソングライターの中で、ピアノの弾き語りという分野を確立した、おそらく最初のアーティストに違いない。デビューまもない1970年にリリースした「Your Song」は大ヒットし、30年以上経った今、20世紀のスタンダード曲の一つとなった。独特の旋律の伴奏を伴った美しいメロディーは、今も輝きを失わない。 僕が曲のコピーを始めたころは、まだ楽譜(ピアノ譜)が発売されていなかった。しばらくして輸入楽譜が手に入ったが、なぜか譜面はレコードの伴奏と微妙に違った。プロ・ミュージシャンだった知り合いに、レコードからの採譜を頼んで、ようやく本物に近い伴奏になった。 「Your Song」は、今でもピアノBARでの弾き語りなどで、一番よく歌う僕の愛唱歌。「Rocket Man」や「Daniel」「Candle In The Wind」も好きだが、やはりエルトンは「Your Song」に尽きる。 一方のビリー・ジョエルも、弾き語りに向いた素敵な曲が多い。なかでも、僕が一番好きなのは「Honesty」。歌のキーとしては「New York State of Mind」の方が合っていて、こちらの方が比較的うまく歌えるのだが、やはり、「Honesty」や「Just The Way You Are」をリクエストされることの方が多い。 その二人が1998年春、「Face To Face Tour」と銘打って、一緒に来日した(写真左上は、ツアー・パンフの表紙)。僕も当然、聴きに行った。会場は大阪ドーム。第1部のステージには、2台のグランドピアノだけが、向い合わせに置かれていた。ビリーが「Your Song」を、エルトンが「Honesty」をと、お互いの持ち歌をうたい合うという、とても粋なオープニング。 そして、2部、3部はビリーとエルトンが別々に演奏。最後はアンコールで、ビリーの名曲「Piano Man」を、二人が2台のピアノでかけ合いで弾き、歌ったが、この時の「Pinao Man」の自由奔放な素晴らしさは、ちょっと言葉で言い表せない。 エルトンはそのとき51歳、ビリーは49歳。中年になって、二人とも立派なお腹をしていたが、やはりピアノも歌も素敵だった。僕は至福の時間に酔うとともに、ピアノと僕をさらに近づけてくれたステージの二人に感謝していた。
2004/12/23
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中年から始めたピアノで、一番最初に弾き語りの練習したのは、ビートルズの「Let It Be」だった。この曲ははっきり言って、コードも簡単(C、G、F、Am、Emの5つだけ)だから、初心者の入門編としてぴったり。メロディーも覚えやすい、というよりも、超有名だから、誰でも(?)知っている! ピアノBARで遊びで弾いていると、たまに、見知らぬお客さんから、「弾き語りをしてみたいんですが、どの曲からまず練習したらいいですか?」という質問を受ける。そんなとき、僕は「Let It Beがいいよ」と教えてあげる(写真は、名曲「Let It Be」をおさめたビートルズ晩年の傑作アルバム「Let It Be」。プロデューサーだったフィル・スぺクターが手を加える前のオリジナル版、「Let It Be:Naked」が2年ほど前初めて発売されたが、聴き比べると面白い)。 ビートルズは、ポールが結構器用にピアノを弾くもんだから、他にもピアノ伴奏がの名曲が数多くある。有名なところでは、「Hey Jude」「Long And Winding Road」「Lady Madonna」、ほかにも「Oh、Darling」「Martha My Dear」「Fool On The Hill」などたくさんある。 僕も何曲かをレパートリーに入れているけれど、「Lady Madonna」はアップテンポで、結構テクニックが要るので、僕向きではなかった(笑)。「Oh、Darling」は音域が結構広い曲(とくにサビのキーがものすごく高い)なので、歌いこなせず、ギブアップしてしまった。 解散後も、ポールの「My Love」や「Maybe I’m Amazed」、ジョンの「Imagine」や「Love」など、ピアノをフィーチャーした名曲が、たくさん生み出されている。だが、僕の一番好きなジョージはなぜか、ピアノをフィーチャーした曲をほとんど作らなかった。 91年の来日公演直前のインタビューで、ジョージは「ビートルズが聴きたい人はポールのコンサートへ行けばいい」と、やや過激な発言をしていた。ジョンやポールへの敵愾(がい)心からか、同じような曲はつくりたくないという意地があったのかもしれない。 ジョージは、「Something」「While My Guitar Gently Weeps」「Here Comes The Sun」のような、ギターの音色を生かした、美しい曲を残した。ビートルズの4人の中で、ジョージが一番好きな僕は、「Something」と「While My Guitar…」の2曲を、無理矢理、ピアノの弾き語りのレパートリーに含めてしまった。 後者はやっぱりギターの方が合う曲と思うが、前者はピアノ伴奏でも結構はまる、素敵なバラードだ。ジョージは不本意かもしれないが、亡き彼に感謝しながら、僕はときどきピアノで歌わせてもらっている。
2004/12/16
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独学でピアノを始めてから、練習の場はもっぱら家だった。弾き語りは結構恥ずかしいので、家族のいないときなどに集中的にやっていた。 だが、そのうちある程度自信がついてくると、外で自分で歌ったり、誰かの歌の伴奏がしたりしたくなってきた。外で弾くとなると、その手のピアノ・バーを見つけるしかない。ピアノ・バーにも2種類あって、ホステスさんのいるラウンジ系、そしてライブハウス系のピアノ・バーである。 大阪や神戸のような都会では、前者は座っただけで1~2万円という店も少なくない。僕のようなサラリーマンは、おいそれとは行けない。後者では定期または不定期で、ジャズなどの生演奏をやっていることも多いので、素人が弾かせてもらうのは、なかなか難しい。(下手だと、他のお客さんから、確実にクレームが来る)。 だから、まずその店に通い詰めて、マスターと仲良くなることから始める。そして、ライブの合間の、他のお客さんが少ない頃合いを狙って、「お願い」して、弾かせてもらう。 そんな風にして、歌の上手い友人を誘って、洋楽や邦楽のポップス系の曲を、よく練習させてもらった。1人で行くときは、もっぱらジャズの曲(歌なしのソロ・ピアノ)を練習し、徐々に、レパートリーを増やしていった。運がよければ、ドラムを叩けたり、ベースを弾けたりする人(もちろん初対面が)が加わってくれて、「にわかトリオ」で練習できたりもした。 しかし、そのいつも練習させてもらっていたライブ・バーが、ある日突然、閉店してしまった。練習場所を失ってしまった僕は、途方に暮れた。そんな時ちょうど、徳島への転勤の辞令を受けた。初めての、知らない土地。知り合いも1人もいない。気持ちはさらに暗くなった。見知らぬ客に、気軽にピアノを弾かせてくれるようなバーがあるだろうか、と。 でも、そんな心配は杞憂に終わった。徳島には、地方都市にしては珍しいくらい、ジャズ系のライブ・バーが多く、7、8軒もあった。そして、その「敷居」は都会のバーでは、考えられないほど低かった(料金も驚くほど良心的だった!)。 僕をすぐに温かく受け入れてくれた徳島のジャズ・バーは、まるで家族のように扱ってくれる、居心地のいい空間だった。客は常連が多く、親しくなるのに時間はかからなかった。僕の伴奏で歌ってくれる人も、すぐに何人もできた。 経営者がプロのピアニストだった店も何軒かあった。営業時間外に、ジャズ・ピアノのレッスンまで、格安の授業料でしてくれた。そんな幸せな土地で、僕はさらにピアノが好きになってしまった。僕のピアノの師(恩人)は、徳島という街そのものかもしれない。 都会に再び戻った僕は、何とかまたピアノを弾かせてくれるバーを見つけたが、敷居はそう低くはない。徳島にあったような、家族的な雰囲気のピアノ・バーが、大阪や神戸にももっとあればと願うが、それは叶わぬ夢かもしれない。
2004/12/09
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ピアノに夢中なる前は、もっぱらギターだった。小学6年からギターを始めた僕は、中学3年の時、同級生の友人のYとアコースティック・バンドを作った。バンドと言っても、最初はお互いの家の室内で歌い、弾くだけのバンドだった。 Yと僕は別々の高校に進んだが、ある時、そのYが別の音楽好きの友人Aを連れてきた。音楽的な嗜好もほぼ合ったので、3人でバンドを組むことにした。一応、バンドに名前を付けようということになって、好きだった漫画「伊賀の影丸」の忍法からとって、「木の葉がくれ」とした。 最初はCSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)やバーズ、ロギンス&メッシーナなどのコピーが中心だった。そのうちに、コピーだけでは物足りなくなって、オリジナルをつくり始めた。他の2人は作詞、作曲ともに自分でこなしたが、詩作の才能のあまりない僕は、バンドの「アドバイザー」的な存在だった別の友人Kに、しばしば詩を書いてもらった。 バンド活動中に残した曲は、50曲近い。音楽のジャンルとしては、フォーク・ロックというところだろうか。CSN&Yのコピーから始めた影響もあるが、オリジナルでも、できるだけ3声のハーモニーを聴かせるようにこだわった。 身内だけに配るアルバム(もっとも当時はカセットテープ・アルバムで、後にCDにダビングしたが…)も3枚ほど作った。小さいライブハウスやラジオのサテライトスタジオ、学園祭などで演奏もした。 プロになる気持ちはまったくなかったが、ヤマハのポプコンの地区予選に挑戦もした。(ひょっとしてという色気があったのかもしれない)。しかし、地区予選でもレベルはとても高く、見事に1次予選で脱落した。 予選で1位になった女性は、名前は忘れてしまったが、1人でのピアノの弾き語りだった。オリジナル曲で他の参加者に圧倒的な存在感を見せつけた。(「あなた」でグランプリを取った、あの小坂明子さんではありません=念のため)。「こりゃ、あかんわ。負けた」とすぐ感じた。 あの頃、全国各地区の予選に出ていて名前で今も覚えている人たち。中島みゆき、RCサクセッション、小田和正(オフコースとして出場)、井上陽水、上田正樹…、今も音楽界で確固たる地位を築いている彼(彼女)らの才能には疑いはない。「上には上がある」。音楽で稼ごう(プロになろう)などという考えは二度と起きなかった。 バンドは大学2年くらいになると、自然と活動休止状態になった。3人が進んだ大学が別々に分かれたこともあるが、人生で目指すものが、お互い微妙に変わってきたことが大きな理由だったかもしれない。再結成しようという声も出てこず、作詞・作曲することもほとんどなくなった。 数年前、あるライブ・バーで、友人の求めに応じて昔のオリジナル曲を、ピアノで弾き語りしたことがあったが、時代が変わった今、70年代のラブソングの歌詞などはっきり口にするのは少し恥ずかしかった。
2004/12/05
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30歳を過ぎてからピアノを始めた。ギターは小学6年から大学生までやっていたので、コードはほぼ分かる。 だが、ピアノは小学校2年のとき、バイエルの半ばで、音楽教室をクビになったので独学に等しい。音符はほとんど読めない。 最初はコード弾きで、ビートルズやポップスの弾き語りなんかをやっていた。続けていくうちに、主なコードは、目をつぶっていても、鍵盤上で、ほぼ正確な場所を押さえられるようにはなった。 その後しばらくして、ある友人に勧められて、ジャズのビル・エバンスのレコード「ワルツ・フォー・デビー」を初めて聴いた。それまで、ジャズなんてほとんど聴いたことはなかったが、その複雑なハーモニーとメロディーの美しさに、魅入られた。そして、無謀にも独学でジャズピアノを始めてしまった。 最初はもちろん、コード弾きが中心。でも、それだけでは物足らなくなって、曲のコピーに挑戦した。まず取り組んだのは、エバンスの「マイ・フーリッシュ・ハート」。そして必死の努力(?)で何曲かは弾けるようになった。 今の課題は、左手のバッキングとアドリブ。左手でも、いろんなコードに対応できるようになりたい。アドリブも、ワンコーラスくらいはこなせたら…が目標だ。 いつの日か、「オヤジ・ジャズピアニスト」として、デビューできる日は来るかどうかは分からないが…。
2004/11/29
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