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ピカソ模写 1907年 アビニョンの娘たちの習作お嬢さん(すこぶる美しいと思って描いている)ちょっと顔かたちが違うなあ~~でも、図書館の本は早々に返却へと出発したのでありました。体調は、たとえて言うなら前は銀行でお金を借りてた。利息払うのは大変だったけど、律儀に毎日過ごしてた。最近はサラ金で借りてるみたい??、もしかしてこれってヤミ金??返しても返しても(寝ても寝ても)借金(疲労感)が減らないなので、寝まくることにした。昨日、今日、朝も起きない。けど、その甲斐あってか、細胞がパチパチいう感じ(目がぱっちりのパチパチね)ちょっとは借金返したかな?今、私の病気関係のお知り合いの人たちは苦戦している。季節柄?ってことは多少あっても、こういう大苦戦はあってはいけないと思う。どうしてなんだろう?そんなことわかるわけはないが、なぜ?なぜ?と思う。
2006.04.30
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今日の力作 笑うイヌはロクネコはげんきこれ、載せないでおこうと思ったけど、2つ並べると圧巻な気がして…バックはジュノンさんのバラ、カクテル
2006.04.29
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マチス模写 金魚 1912年実物の画面はこのふた回りほど大きくて、テーブルの足、その手前に咲く花まで入ってる。友達がくれた手紙の便箋がこれ。プーシキンと書いているから、プーシキン美術館の所蔵品だな。金魚鉢の左にスミレ、右上のうつ向いている花は勝手に「オダマキだ!」と確信して描いた。オダマキ、好きだから!!絵はかわいいか、視線がこちらを向いているか、どっちかだな。かわいければそれでよしという絵。藤田嗣治の画集を見てる…時流にそっている(^^)で、一度ぺらりと見ただけで好き勝手なことを書く。脆弱な精神、特に後年、暗闇で芽を出した玉ねぎこの人を評価するのなら、この人の描いた戦争画をもってすべきだと思う。渾身の力をこめて描いた絵。この絵について、何の非難が出来ようものか。きちんと評価するなら、ネコや裸婦じゃなくて、この悲惨な絵が生き残るべきだと思う。けれど、戦争の絵は普通の神経では鑑賞できない。私も見たくない。絵は生きる人を描くんだ。絵はエネルギーだから。生きる視線のない絵は、絵ではないと思う。彼はパリでの自画像に必ず硯と墨と面相筆を書き込んでいるんよ。ネコ好きだったのねえ。戦争がなければ、どうだったろう?今日はヨレヨレ。私の一日はこの金魚だけ。
2006.04.28
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バラの本から ヘリテージバラの写真がいっぱいのバラの本をもらった。見ていると、少し嫌になる。この中の一本でも自分で育てられたらと思うからだ。バラを描くのは難しい。けど図案のようにバラは陶器にも布にも小物にも描かれている。図案のように描ければ、とりあえずいいのだ。トールペイントなんて、その最もたるものだろう?(どこで絵が死んでるか、わかるようなわからないような…生きてるような死んでるような絵が図案だと思う)悔しいので描いてみる。ええい、オールドローズの芍薬のような花でも(そのうち)描いてみせるぞ。ブログ開設のお知らせというメールが来た。「リウマチと家族と看護の広場」管理人さんは神崎初美さん神崎さんは看護師さんで、大学でリウマチ患者の看護研究をされてきた人です。以前に、研究のためのアンケートのようなものに参加させていただきました。私には看護の研究も勉強も、実際はどういうことなのかさっぱりわからないけど、神崎さんがずっと勉強されてきたのはなんとなく知ってる。所属が大学の研究室だったり、ずっと論文をまとめたり書いているイメージがあったから。延々と勉強して、立派なものだなあ…でその対象がリウマチの患者さんであるので、なんとなくうれしいような気もする。とっても忙しい毎日の中で、ブログを更新していくのは大変だろうけど、いろんな人に頼りになるサイトになるといいなと思います。
2006.04.27
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ジュノンさんの桜 画像はジュノンさんより昨日の夜は、痛いししんどいし、毎日ぱっとしないし、おいおい大丈夫かよ~と思いながら寝た。「毎日、ほどほどで暮らせますように。毎日絵を描いて暮らせる日が続きますように」今日は小康(^o^)丿で、昨日頭を悩ませた絵の後ろを塗るには、平筆だ!ってことになった。平筆って、なんに使うかわからなかったのよね。丸筆の大小だけで全部描いてきたから。バックなんか塗らなかったし。平筆を使うと、労力10分の1(^o^)丿簡単きれい。こういうことは絵を習ってる人には、超初歩かもしれない。ははは。桜は私の中では今年はまだ終わっていない。今年は自分でもいっぱい桜を見たので、スケッチや画像だけで、もう一度書き直すことができそうな気分がしている。ジュノンさんの桜、チェリーさんの桜、horijitsuさんの桜が、私の中にある。チェリーさんとhorijitsuさんの桜は山の桜なので、非常に難しいのだ…どう描いていいのかわからん…難しいことに挑戦するには、体力もいる。今、その体力がないのよね…相撲で立ちあって思い切り張り手をかまされる、けど平気、というような体力。
2006.04.26
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アマリリスバックを塗らなかったらそれなりで出来上がるけど、下手に後ろを無意味に塗りだすとすごく時間がかかって、この塗りむらをどうしたらいいのかとても頭を使ってしまう。人のを見ると、「よしよし、こう塗るのか」とわかったつもりになる。けど、やってみると全然。一番初めに咲いた花は、枯れてきて、最後の花が開き始めた。他の鉢もつぼみが出ている。当分、アマリリスが咲くなあ。今日はもう一つ不調。ひどくないけど、嫌な感じ。痛みが強くて、少し体温が動く。寝よう。
2006.04.25
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イチゴ昨日食べてしまわず、一つ残したイチゴをはがきに描く。友達に出そうとして、去年同じ頃に描いたのを思い出した…列車事故から1年だ。地震も多いね。どうか何事もありませんように。いつも思うのだけど、台所の排水溝あたりで、ぬるぬると粘っている細菌。あれがどのくらいの数の細菌とかカビなのか見当も付かないけど、中にいいヤツもいるかもしれないと思う。いいヤツが毎日幸せに暮らせることを世界に感謝して暮らしてるかもしれない。けど、私、時々、一網打尽にスポンジでこする(そうきれい好きじゃないから、細菌はいつも繁殖してる)根こそぎにせねばとは思わないけど、あまり繁栄させてはいけないと思う。なんか…いつも、あの中にいいヤツもいるような気がする。絵を描くのは、楽観する力だと納得する。その力が強いと、何枚でも描ける。楽観する力がないと、一枚描いたら、次のが描けない。描いている時は、一枚目のイチゴ、2枚目のイチゴの区別が付いたけど、画像にしたあたりからわからなくなった。
2006.04.24
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アマリリスの全貌はこうなってるいつものように花から描き出したら、少し花が大きすぎて、もう少し茎が長くて足元の葉っぱは3箇所が一つの鉢におさまっているのに、そんなふうにならなかった。アマリリスの絵はもう描く前から、「負け」を覚悟している。負けるけど描く。毎日がその繰り返し。それは何のために?負けながら育ててるものがあるんだ。育てるために毎日負ける。「いつかそのうち」のためにたくさんの敗北がいるんだと思う。諦めからは何も育たない。病気をあきらめてはいけない。それは自分をあきらめることだと思う。病気の友はこれを読まないと思う。私は人は皆自分の好きなように生きることに価値があると思うから、やはり言わない。過去は戻らず、未来は何が起こるかわからないという理由で、今現在にだけ実在がある、この瞬間を生ききれという考え方があるけど、私は人を惑わす良くない考えだと思う。「今しかない」というのは仏教の禅の意識、悟りうんぬんが出所だと思う。一見すごく正しそうに見えて、これはとても危険な考えだ。死期迫る人の砂時計を自分の時計にしてはいけない。今しかないと思うことは、とても今の生に執着してしまう。充実させようと思ったら、決して充実も満足もできないのが人間だと思う。執着せずに今しかないと思うことは凡人にはできないことだと思う。育てることは、育てきれなかった時も含むから、気持ちが楽になるよ。たとえ明日世界の終わりが来るとしても、僕はリンゴの木を植えようこれはそういう言葉だと思う。物事がうまくいかないときは今までの自分のやり方を見直すことが必要だと思う。もう、結果は出てると私は思う。あきらめをかかえたままでは何も育たない。
2006.04.23
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アマリリス今回の不調と引き換えに、わかったことがあると思うので、吐き出します最近、画集を見ていて(誰のでもいい、どうせ有名な画家なんだから)感じることがある。ぺらぺらと年代順になった絵を見ていくと、その画家の地の色が見えてくる(ような気がする)。地の色、精神のあり方のようなもの。本当は見えない。色でもない。でも感じてきて、ある瞬間に「すごいな、いいなあ~」と引き込まれる人と、もういいと思う人に分かれる。才能というのはどっちかというと、地の色の上に塗った色に思える。一枚の絵では、才能で塗った色しか見えなくて、地の色はわからない。でも、何枚も見ていくと、地の色のほうが見えてきて、もういいと思ったりする。一流の画家の勝負どころは、地の色で、そこで超が付くか否かが決まるような気がする。地の色、精神の基調のようなもの。精神の解決の仕方のようなもの。問題意識ではなく、問題を解いてしまう力、または問題は解けないけどそのことを認めてしまう力。良くないのは、地の色に解決が付かないまま、上にごまかしの色を塗り重ねてしまうこと。中途半端な解決をすると、地の色が翳る。才能と技術があるから、作品は塗れちゃう…上手に描けちゃう(下手だと、上手に描けない塗れないから、ほほえましいレベルで破綻する)見てると、かなりこたえる。最近、「受ける」のよね~~道を自分の外に求める人は、そこで頭打ち。道が自分の中にある人が、超一流。だから、求道者は2流。ネットは匿名で、プロフィールを隠すから、だから大丈夫だなんて思ってはいけない。地の色に塗った上の色は薄くて透けてしまう。上の色をごまかしで塗ってはいけない。誰にでも破滅のエネルギーはある。ごまかしの色を見るのは、破滅の色を見るよりもっとつらい。私たちは良かれと思って色を塗っているんだ。
2006.04.22
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アマリリスこのアマリリスが咲いている間はアマリリスを描く。描けなくても、描く。家中がアマリリスの絵で一時埋まる…私は今、やれなくてもやるということをしようとしているので、しかたがないという言葉に反発を覚えるのかもしれない。他人の諦めとか、考えないとか、受け入れるとか、そんなことにかかわっていられない。勝負がかかっているのだ。私の勝負。誰も口を出すな。ほおっといてくれこれ、今日の絵のタイトル(^^)
2006.04.21
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アマリリスこういう線だけで描くのがなんとなく好きで、いつも描くけど、線だけで絵にするのは難しく描いても描いても別にどうにもならない。昨日ある掲示板に自分の書き込んだ内容に対して「考え込まない」という意見が載ったので、それは私にはとても意外な言葉だったので書いておく。私は考えるということを大切にしてる。何が原因か、何が悪いか、どうすればいいか、いつも考える。思いついたことは試してみる。考えてすぐに答えが出ないことでも、いつかわかる時があると思ってるから、それは自分の引き出しにしまっておく。考えるということを何か悪い意味で捉える人がいるんだな。このまま病気が進行したら、ああなってこうなって…とろくでもないことを想像する。こういうことを「考える」ことだと思っているんだろうか?想像しうる悪いことって、自分のこと、家族のこと、事故や地震や天災のこと、何が起こるか、程度と順番にきりがない。そんなものに思いをめぐらせるのは無駄だと思ってる。どんな想定をしても、その想定どおり事は進まない。言ってもしかたがない(=愚痴?)考えてもしかたがないそんなことあるんだろうか?言うことや考えることは、しかたがないことではないと思う。仕方のない終わり方で終わらなければいいだけだと思う。言葉はそれ自体が力を持つから、それは誰かに届くかもしれない。
2006.04.20
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アマリリスとほほの状態続く。日記はなるべく早く更新して、申し訳ないが、人さまのサイトには出て行かず、行っても書き込まず(これはもうだいぶ前からだけど)読み逃げさせていただこう。楽天を利用すると楽天関係は履歴が残るのよね。これが良し悪しで。私はリンクページを作らないくらい、実はそういうものが嫌いだ。もう交流がないのにリンクだけぺんぺん草のように残ってるというのが困る。悲しいじゃない、ぺんぺん草を生やしとくのも、引き抜くのも。ネット互助会じゃないんだから…人集めや金儲けに使う人もいっぱいいる。人気のランキングみたいなものはどこのブログでもある。すごく今の状態に懐疑的な私。私のようなものでも延々と続けてられるって事自体が、末期的なのかもしれない。初めてパソコンを買った時(8年前)わくわくして人さまのHPを見に行った感激。初めて書き込みをしたのは、何年前?5、6年前?知り合いができて嬉しくて…人気のあるサイトがスパムの書き込みで閉鎖されたり、管理人さんが忙しかったり病人だったりで手薄なところに貼り付けられる一方的な書き込みを見ると、ぺんぺん草生い茂る草原が見えてしまう。病気の友人が自分の掲示板を2つ作って、一つは外界とは遮断してほんの親しい人数人とだけ継続しているのは正解のように思う。
2006.04.19
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今年も咲いたアマリリス彼女は3年目で、子球根を年に一つずつ作り、いまや所帯は3つ。3箇所で芽を出している。本体からはつぼみが2つ、去年の子球根からもひとつ。タフである…寒さに弱いこと以外は、乾燥に強く世話要らずで、とても育てやすい。昨日はほんの小さなことで、寝られなくなり、今日は一日寝てばかり。小さなことって…いつもより30分ほど寝るのが遅くなって、疲労感がでてしまったこと。今はしんどいと思ったら、寝られなくなるんよ(>_
2006.04.18
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ポインセチアネットの怖いところは、風説の流布になりかねないところ。絵の具の話は、調べたらもっといろんなことがわかるし、優秀なメーカーは情報開示しているそうだ。私は熱心ではないので、「安全と銘打ったものでいいや」でお終いにしてしまう。だから先に進まない。よく考えてみたら、私の使わないものがあと2つあった。これは風説の流布かもしれないけど…ついでだから書いてしまう。それは、マーガリンとショートニング3年前、ホームベーカリーを買おうとして、パンを焼くのに材料は何がいるのか検索していたら、たぶん2ちゃんだったと思うけど、マーガリンの話題が出た。そこでのマーガリンの評価がとても悪かったので「マーガリンってこんななの?」と驚いた。当時は売ってる食パンにマーガリンを塗っていた。パンを作るにはマーガリンではなくて、油脂はバターかショートニングが一般的だった。ショートニングはマーガリンがだめならきっとこれもよくなかろう…と私が独断した。バターでいきましょう。結局、家で焼いたパンはそれなりにおいしいので、マーガリンは塗らなくても大丈夫だった。塗りたければバターがある。これはまったく、裏を取っていない話。けど、代替品があって、それで困らなければ、ずっと「当然」のように継続されて使わない。誰にでも、こういう決め事が一つや二つあると思う。
2006.04.17
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堤防の小桜私には二十歳代に決めたことが2つある。ひとつは夏の冷房はしない。もうひとつはむやみに化学薬品を使わない。私は生まれてきても何も社会にいいこともせず、地球にいいこともしないけど、これは簡単に決めてしまった。冷房は冷えに弱いから、決めても平気。ウチの電気は北陸の原子力発電所さんが作ってるんだと思うだけで、胸が詰まる。化学薬品は直接はパーマ液にかぶれ始めたことから。だんだんかぶれ方がひどくなって、止めようと思った時に、ついでに年を取って白髪になっても毛染めも止めようと決めた。よく考えたら、化粧品もどれも合わない。洗顔料もダメだ。シャンプーとかも長く同じのを使っていると、どうも良くない。たいして効果もなくて要らないものなら、なるべくやめようと。洗剤、化粧品、芳香剤、においも嫌い。なので、石鹸で大体をすませている。でも動けなくなって、洗剤とかはかなり適当になっている。徹底はしていないので、殺虫剤も使うし、農薬も使うけど…自分の嗜好で化学薬品を環境に撒き散らすのは、まあ止めておこうと決めている。墨も、絵の具も、なるべく水で流したりしないようにしようと思っている。毒のあるなしではなく、やっぱり、地球さんに迷惑でしょう?(直接にはウチのかわいい浄化槽さんに申し訳ない)そういう経緯があるので、絵の具に多少なりとも毒性があるなら、私は使えないと簡単に思ってしまう。ラーメンの汁も本当は捨てるのに忍びないが、飲むのもつらい。毎日たまるスチロールやプラスチック容器にため息は出ない?本意ではないのだけど…いたし方がなくて…という生活に、わざわざ毒性のあるものを使うなんて論外昨日書いたのは、直接には日本画絵の具メーカー吉祥の問題。私の顔彩も吉祥製だ。(2004年に吉祥の工場排水から、重金属汚染が報告されて、それは新岩絵の具を作る工程であったのだけど、絵手紙ブームもあって、絵手紙で使う顔彩は大丈夫なの?という質問が画材屋の掲示板にあった)テレビで鶴太郎氏が水干絵の具を指で溶いていたけど…私の友達も日本画歴30年近いけど…毒性とか、危険性とか、普通考えないじゃない?絵の具で。でもカビ取り剤を換気さえすれば、バンバン使っていいとは決して思えないのと同じような理由で、やっぱり使えないと思ってしまう。
2006.04.16
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小倉遊亀 模写「花の絵を描くのならこんなふうに色を塗りたいのよ」と思うので、模写してみた。やる前から、あんまり本気でやったらいけないとわかっていたので(こんなもの描ける気がしない)、部分にした。適当にした。けど本当は、適当ではいけない。塗り絵の王道からすぐ外れてしまう。しかしまあ、絵の求道者小倉先生が、何十年もかかって描けるようになったものを、突然へろへろと描けるほうがおかしいのだと思って、どんどん気を抜きながら適当に塗る。収拾が付かないと思いながら塗る。この塗り方ができたら、立派なものだと思う。一気に小学生並みから卒業する予定。日本画の絵の具は、独特だなあ。不透明でも透明でもある。しかし、みなさんご存知ですか?画材には、子供向き、学童向用というのと、専門家用というのがある。クレヨンでも絵の具でも。なんとなく、プロフェショナルなほうが品質が高級なのかと思うでしょ?でも、今までの私のわかった範囲では、子供向きは安全、専門家用は毒性があるって事のよう…黄色にカドミウムイエローとあれば、バリバリ、カドミウムが入ってるって事、のよう…絵の具や、筆を洗った水とか、そういうのが始末に困るって思うと、いかに色がきれいでも、使えんなあと思う。不調の時の私のお勧めは、安心と信頼。自分への安心と信頼。不調の時にお試し下さい、効くと思います。
2006.04.15
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マチス模写 オレンジのある静物 1899年今週はほんと天気が悪い。足首も痛い。それはそれとして、今日も楽しくお絵かき、塗り絵。今使っているクレヨン48色は青系に弱いところがある。ウルトラマリンというのか群青色というのか、そういう色がない。ないわけではないのだろうけど、鮮やかさが足りない。青ではない色。白を混ぜても水色ではない色。これを描いている時に、ふっと沸いてきた感覚がある。昔のとても古い感覚、「幸せ」の感覚。覚えていないほど小さい時の?もっと古いような…絵を描く、色を塗るということに限定しないような感覚。幸せという感情。陽だまりで体が浮くような、ふわっとした気持ちだった。この感覚を私は忘れたか封印したか?と思った瞬間に消えた。もう一度出てくれるかと思ったけど、戻らなかった。あれは何だったんだろう?子供にクレヨンを与えるのはなぜかわかるような気がする。手軽にぐりぐり塗れて、楽しくて、色がきれいでこんな楽しいものを大人が使わない手はないと思う。
2006.04.14
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マチス模写 窓 1916年今、体力があって、何枚描いても疲れないなら、こういう模写を延々と描きたい。私には、写真から描くのも、ビデオの一時停止も、パソコンの画像も、模写も、みんな一緒。目が疲れるとか首に悪いとか、そういう違いはあるけど。人も動物も花も労力に違いはあるけれど、それは力作にするか適当に楽しむかの違いのほうが大きいと思う。マチスやピカソは模写したくなる。ゴーギャンはこの前絵を見ていて、何か「傲慢、不遜」な感じがした。精神があてどない感じ。宗教や異国の文化をまとってはいるけれど、解決は付かなかったと思う。私は精神が病的な感じがする人は苦手。特に後年にガタが来る人は苦手。影響を受けてしまうから。私の日記は、後で不調のチェックをするためにあるので(他には使い道がない)不調の日はそのことを書き残すことにしている。特に大嫌いな熱を出した日は、記録される。昨日、今日、熱は大丈夫。
2006.04.13
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マチス模写 ヴェールを付けた女性 1927年原画の表情が好き、脱力系で、面白い顔。人のサイトを覗いていて、私ならこうしないと思うことあり。けど、人は自分の好きなようにするのが一番だから、それが出口なしの悩みでも、無理しまくっているように見えても、やっぱり自分で解決できるまで、とことんダメになるしかないのか?と考えてしまう。それは自分で選んだことだもの。一生で解決しなかったら、次の一生があるようだし…堂々巡りだけ延々としてる人もいっぱいいるんだろう。でもそれって、友達がいがなさすぎない?私…自分ではがんばってるつもりでも、他人が見ると、不自然なことってけっこうある。結果を見れば、自分の選択や行動があっているのかどうか、わかると思うのに。病気だって、自分の対応がぴしゃりと正解すれば、けっこういける。大正解!ってときは頭上で鐘が鳴る(ような気がする)。考えるって、そういう大正解を思いついたりひらめいたりすることだと思う。まっ、私は自分の不調をコントロールすることにがんばろうっと。
2006.04.12
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小倉遊亀 径 模写この絵は先頭を日傘をさして買い物かごを手にしたお母さん、次は日傘をさした女の子、その次にこのイヌが歩く。一列に隊列を組んで歩く。日曜に見た犬が2匹一匹は薄暗い寺の石段を駆け上がっていく白い犬駐車場への出入り口から出てきたので、もう一度近くで見た白くて、耳が二つ折れで少し茶色 もう一匹はたぶん茶色の犬三輪車に乗った子供の斜め前で座って、子供を見ていた子供を見ていたことだけが印象に残って、ほかの事は何も覚えていない道端で一瞬で、どこで見たのかも覚えていない田舎の犬は放し飼いだね~(^^)それで今日はイヌを描こうと。それも昔よくいた日本の雑種犬が描きたいと思った。いつか子供を見ていたイヌを描くかもしれない。
2006.04.11
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子供のなにか 名前がわからなくなっちゃった雨。雨は落ち着くので好き。休憩するのにちょうどいい。朝は普通だったけど、昼から急にくたくたになって寒気して寝てしまう。お出かけが身に堪えたのね~熱が続くのは良くないから、しっかり対応しないと。天気予報では明日も雨。週末も雨。桜はいっぱい見たし、まあ、納得のお疲れ。
2006.04.10
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眠っているドール マヌキさんの画像から菜の花に埋もれる幼い柿の木桃畑桜は風で花びらが飛んで、もう枝先の葉の芽が動き始めていた。一気に葉っぱになるのは、花のあるうちから葉が出てきているからなんだ。終わりが迫ってる。いつもの堤防の公園は宴会がはなはだしくて、人と車がいっぱい。堤防の外には、柿畑、桃畑、なし畑、みかん畑
2006.04.09
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クマゲラクマゲラを描いて、もっと描きたいと思って、ロバを描いて、出発。売れていない田舎のスーパーいつもの桜その下での宴会
2006.04.08
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風が吹くと、もう花びらが散るこれも色がスキャナーで出ないので、修正してる(塗りかたが悪いんだろうな)実物ではない色、幻の色(^_^;)ニセモノ今年は桜を描きまくってやろうと思う。桃も描こう。スケッチブックが10冊セットなのでというのも大きな理由。一冊160円のスケッチブック、描き倒してやる。描いたものは、下絵になるような気もする。これを見て、墨やクレヨンで描き直すこともできると思う。凡百の絵、同じような絵ばかりだけど(これまでの観察の結果、桜の枝先はムカデのヒゲのようだと思えるのは悲しい…)自分では「塗り絵」をいつまでもやっていると小学生の絵のままだという気持ちと、塗り絵の王道を極めたらいいんだという気持ちがあって、迷ったりする。桜を見て、誓う「桜の誓い、桃の誓い」今はそういう時期なので、私は忙しい。
2006.04.07
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冬のすずめ マヌキさんの画像から掲示板に入れてくれた画像が冬のだったから、茶色の枯葉も写ってる。マヌキさんはよくすずめを撮っている。動物を描くのは楽しい。「私、すずめを描いてるぜ~」と感激できる。A4用紙にすずめを一羽、なかなかこういうのは経験できませんよ。絵を描くと、描いてるものの影響を受ける。動物は「いい感じ」を受ける。今日も午後は寝てる。当分、昼寝を予定に組んでおこう。週末に元気であれば良し。
2006.04.06
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ハシビロコウ マヌキさんの画像より昼からずっと寝ていた。後半は目が覚めていたけど、起き上がらなかった。今日は寝ていようと思って。正岡子規は、背骨に結核菌が入って、背骨に穴が開いて膿がでていたそうな…正岡子規なら、俳句をつくらにゃいかん…俳句も作れず、随筆も書けなかった、たくさんの"正岡子規"がいるんだそれを忘れてはいけないそういえばマチスも後年「腸の重大な病気で、手術で一命を取り留める」と年表に書いていた。昔のことに手術って…何の病気だったんだろう、予後が悪かったろうなと思っていたけど…今、見てる本ではその後はベッドでの製作が中心になるようだ。71歳で手術、84歳で亡くなる。寝ながらおきていると、暗い藍色の闇が見える。ハシビロコウ、顔は覚えても、名前は覚えられない。お昼ごはんを食べてすぐ寝ると牛になるのでその間に描いた。描いている間はしゃんとするけど、今日はくちばしの長さとか胴の幅とか、間違ってる。
2006.04.05
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神社の杉今日も朝はよし。昼になると…けど今日はちょっと私としては忙しくて、大丈夫かしらん?今はやっぱり桜だねえ。花で景色が変わってる。
2006.04.04
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憂い顔のチーター マヌキさんの画像より朝は好調(のはず)、でも昼からぐたっとなる。寒気する。春の陽気が、身に厳しい。体力がないなあ~私も憂いてしまう…まあ、起きてそれなりの一日を過ごせるだけで良しなんだ。絵を描いているのは私には合ってる。私、うるさいのは嫌い。話したり、テレビや音楽や、とにかくうるさいのは嫌い。そもそも、人と話をしたりって、楽しいんだろうか?(@_@;)わからなくなってる…まあ、体力がないからね。体力はないが、決して不調というのでもない。とても不思議な状態。
2006.04.03
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春はキリン画像の掲示板に入れてくれたマヌキさんのキリンがとてもかわいかったので、キリンと桜東京の桜はよく咲いてるわ。色の塗りかたが足りなかったので、うまく画像を読み取れなかった。付属のマイクロソフトピクチャーで自動修正して色を出している。オイルパステル(マイメリ48色)はただいまの私のお気に入り。オイルパステルといっても、使った感じはクレヨン。少し硬くて、色つきが薄くてロウっぽい。これだけ色があると、何でも描けるぞ~という気分になる。色の取り合わせがいいんだと思う。(同じ48色でもファーバーカステルのソフトパステルは全然使えない)唯一の難点は、クレヨンのくずが落ちて、スキャナーが汚れること。これで今年の桜を描く予定。クレヨンで桜の花を描いておいて、水彩で空を塗れば、ばっちりでは?と思ってる。天気予報どおり、雨。昼から雨は上がって、風は強い。
2006.04.02
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公園の椿今日はお絵かきの一日となる。この前、いつも使ってる安価なスケッチブックを安さにつられて、10冊パックで買ってしまった。じゃんじゃん描かないと減らない。気前よく描かないと、減らない。四の五の言ってないで、描かないと…鉛筆で線だけ描いてきて、家で野球を聞きながら、塗る。トップの絵もこの絵も、不透明絵の具使用。(5枚も描いて、みんなただ描いただけの出来、画像はきれいに見えてくれて助かる)私は構図も何も考えないよ。にじみもぼかしも、どうでもいいよ。塗り絵のように、塗るわ。変な色でも乾いてなくても、紙がよれても、平気。何にも気にしない。描くのは楽しいわ。桜はまだ咲き始めたところ。桃も同じ。遅咲きの梅は満開。明日は雨風らしいから、梅は散るだろうな。絵を描き始めて、3度目の春が来た。おととしの土曜か日曜、桜を描きに出発した日のことを覚えてる。木を上手に描きたいから鉛筆デッサンをしようと決めた日。鉛筆デッサンは頓挫して、けど、描く事は続いてる。4月1日はやっぱりスタートの日だ。
2006.04.01
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