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ひと月の間、毎日手指関節手術の事で日記を書いてきて、自分の知りたい事と考えてきた事が検索するうちに別の方向へ行ってしまった気がした。何を知りたかったのか、何故こんなにも迷いが生じてしまったのか、もう一度初めからやり直そう。
2004年01月31日
毎日、同じ話題で険悪ムードが続いてる、、何? どうして? 原因は私の事?何も知らないまま、医師の誠意も感じないまま手術をしていれば良かったって言いたいの?手術に関する詳しい説明を聞いてきたけど、あれ位じゃぁ納得できないよ、、患者がもっと専門用語を使えば医師は真面目に前向きに答えてくれるの?そんな、専門用語が理解出来る訳無いじゃない、、[壁]/_;)楽しい事、、何にも無いナァ何も欲しい物も無いしぃ何処か行きたい所も無いナァ友達に会いに行きたいナァでも、手術をしないと連れて行ってくれないって言うんだ(/_;)しくしく
2004年01月30日
最近、やたらと旦那が優しいのだwそれが下心見え見えの行動であっても嬉しいなぁ~wだけど、手術の事を少し保留中にしている私にすると、そういう旦那の態度がアカラサマっぽくて嫌になるのだ( ̄o ̄;)ボソッ 昨日のリウマチの薬で亡くなった方が出てしまった事を旦那が新聞に出てるからと見せてくれた。去年からリウマチの薬として多くの方が服用してその様子を別のサイトの掲示板で読んでいるので知っていたけど、旦那が薬の事でこんなにも興味を示したのは今回が初めてだと思う。 それに私の手指関節手術をしたいと言い出した初めの頃は、話をしても関心の無さそうな顔をしていたのに、随分と積極的な発言や行動をするようになった。だけど、、私の不安を取り除こうとするつもりがあるのだったら、もう少し考えて提案をしてくれたら私も一緒に考える事が出来るのに。 私がネットを使って検索したり手術の経験者の方からのアドバイスを貰ったその情報を話しても、それに関して例え不安が助長されたとしてもその不安を解決できるように一緒に考えて欲しいのだ。でも、そう願う事は私の我が侭のような気がして自分で解決できる方法を考えているのに、、「手術はする気になったのか?」などと、そんな単純な事では無いと何度も話しているのに!!!!全くぅ~~~~~~毎日、腹が立って仕方がないぃぃぃぃ!!!!不安を自分で納得に代えられなくちゃ手術なんか出来ない(T_T)
2004年01月29日
私はこの言葉に弱いσ(^_^;)アセアセ...そう言われるとグラッときてココロを許してしまうのだ。 今日は中学時代からの親友が忙しい時間の合い間に来てくれた♪お互いの近況報告をしながら、、昨夜作った美味しいシチューを温めなおして、珈琲も入れて、買ってきてくれたパンでランチをしながら小一時間はあっという間に過ぎてしまった。 私は身体が自由に動けない時でも人に電話をしたり、人に来て貰う事もなくなったけどあまり寂しくないのはPCが傍にあるお陰だと思う。以前は長電話で友達と話をする事がストレス解消法だった、今は滅多に電話もかけなくて済んでいるし、だって電話の場合は話してる時間が相手にも必要になってしまうし、自由を奪ってしまうから嫌だなとずっと思っていた。でもPCだったらメールを送っても相手の自由になる時間の中で返事を書いてくれれば良いし、返事が来なくても構わない。 近くに住んでいても会えない事が多い友達だけど、たまーに、思い出して様子を見に来てくれると凄く嬉しいから、ついつい長話しが始まってしまう(^▽^;)友達は仕事をしているし、いつも忙しいから最近はお互いに滅多に連絡を取らなくなった。その友達とは中学1年からのお付き合いだから、かれこれもう30年かぁ・・……(-。-) ボソッ私にとって彼女は人生の道しるべのような存在、、ってチョッとオーバーかなぁ(;^_^A ・・・ 思春期の出会いは大人になってからも大きく影響をするものだと思う。それまでは親の考えが正しいと思ってきたのに、他人の考えも正しいと思うようになると第二成長期?反抗期?悩み多き時代の多感な年頃に出会う人の影響で、その後の人生観さえ変えてしまうような気がした。悪い人っていうか、ずる賢い人に影響されるとそういう事をしても抵抗が無い大人に成長するかもしれない。賢い事は良い事だけど、他人の中にいて自分だけが優位に起ちたいと思ってしまうのも、、どうなのかなぁ。今は受験シーズンだからこんな事を言う方が可笑しいと他人より優位に起つのが当たり前だと言われてしまいそう。 生存競争で生まれる前からみんな勝ち抜いて来たから、今の私が存在してるのだけどね~(⌒~⌒)。
2004年01月28日
大人になってから使ったら気持ち良かったけど、まだ小学4年生位の時に通院していたのが、低周波治療器の元祖って感じの医療器具を使った治療だった「電気治療」と呼んでいたもので、手首、足首、背中とお腹など身体に濡れたガーゼを当てたり巻いたりして、その上下から銅板みたいな物を当て、その器具に繋がった線から電気が流れてくるのだ。それはビビビ・・・・って痛い時もあるし、気持ち良くて寝ちゃう時もあって時間にしたら3~40分位だったかもしれない。 普通の家を改造したような待合室では畳の部屋で座布団に座るのだが、私は身体も膝も痛くて座ったら暫らく立ち上がれないから嫌だと思いながら待っていた事を思い出す。そこへ通う人はみんなお年寄りで、お婆ちゃんなどによく話し掛けられ自分はリウマチの事を話すと「こんなに小さいうちからリウマチじゃ可哀想だねぇ、まだ治る薬も無いんだってねぇ」と、何処へ通院しても同じ様に言われていた。だから自分の病気は子供はかからなくて治らないのだとずっと思っていた。 小学6年生位の時、私が恐くて痛くて嫌いでたった一度しか行かなかったのが鍼治療だった。そこの鍼灸治療院では鍼を刺しても長さが5~6cmはあって刺した所が神経の近くだと今にも痙攣しそうな感覚があって、そのまま暫らく放って行かれてしまうのが恐くて周りは大人ばかりで一人で待っているのが心細くて落ち着かなくて、そこの治療院だけはそれっきり行かなくなった。でも漢方薬も取り扱っていたので、きっと苦い薬は飲まされていたと思う。 近所では有名な所だったようだが、当時から民間療法の治療代はかなりかかっていたと思う。こうして親が探してくる治療法やリウマチによく効くと言われる民間療法は幾つもあって、高価な値段で買い求めてきた物でも、私は親の思いに負けて少しだけ飲んで、その後が嫌がって飲まなかった物がいつまでも実家にはあった。高額な医療費もかかり、その為に共働きになったのだと、小さい時から言われ私にはお金がかかるから、、と言われるのが嫌だなぁと、、子供ながらにずっと思いながら大きくなった気がする。
2004年01月27日
知らなきゃ、あのまま紹介された医師に自分の手を切り裂かれてガリガリ骨を削られて顕微鏡で筋を繋ぎ合わせて・・・いたのだろうが、、。日記に書くと疑問や不満が溢れてしまう・・・( ̄  ̄;) うーん。この先、σ(-_-)ワタシにはどんな道が続いているのよ?? なんだか、賭け事みたい?ヾ(--;)ぉぃぉぃ・・o(^o^)o ワクワク…o(;-_-;)oドキドキ♪するものだなぁ。嬉しい方に繋がって欲しいのに、やるって決めたのは私なのに、何をこんなに迷っているのだヾ(▼ヘ▼;)オイコラ!早くせんかい!と、心の中の別の自分が毎日騒いでいるぅぅ。o(;△;)o エーン!
2004年01月26日
紹介された病院の医師の名前は県内のリウマチ医療に従事している医師として検索すると出た。という事は県内では有名な医師という事になるのだろう。個人病院と大学病院とではどちらを選択すればよいのだろうか。大学病院で多くの患者を診てきた医師が個人病院へ行く場合もあるだろうし開設する場合もある。 別の情報に寄れば個人病院の場合、手術内容によってはその病院の利益にならない手術は積極的にしたがらないというのだ。確かに大学病院は何処でも癌などの研究は熱心だが、整形外科などには力を入れて研究発表をしている所がまだまだ少ない為に、患者側からは情報を得にくいのはその為かと思う。紹介された病院の医師の言葉は手指関節手術に対して、とても消極的な発言だった。その事が今まで思い悩んできた私の気持ちをどう処理して良いのか、、振り出しに戻されてしまったような気がした。
2004年01月25日
最近は、甘い物が食べたくて仕方がない!!チョコ、ゼリー、プリン、おまんじゅう、どら焼き、バームクーへン、、、目の前にあれば絶対手が伸びてしまう・・。キャンディーやキャラメルとか、それに生クリームタップリのケーキはあんまり好きじゃないなぁ。珈琲や紅茶には砂糖を入れないので、まぁいっか~♪なんちゃってでもそのせいなのか、、歯が痛いぃぃぃ!!!・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。エーン!! でも歯医者が嫌いぃぃぃ!!!
2004年01月24日
グラグラ・・・・!!( ̄Д ̄;;嫌だナァ、、、揺れ方は弱くても何度体験しても地震は恐怖が付きまとうものだ揺れている時は、身体が硬くなる、防災に弱い我が家だ。災害は被害に遭わないと防災に対しての行動や関心が湧かない。いざという時に私など自分の身を守る事が出来無いだけでなく、人の迷惑になるのではないかと思ってしまう。不安だなぁ、、。
2004年01月23日
リウマチで変形した手指関節術に付いて考えてみて、最先端の治療法を医師から提示されるけれど、自分の希望している治療法に付いての提示は少なかった。それだけ医師の関心が無い治療法だったのかなと思ったし少ない患者には力を入れ無いのかもしれない。 リウマチの場合、手術は最終段階の治療法になる場合が多く高齢(90歳)でも手術を行うけど、現状で極度の痛みがあり生活に支障が出る場合は積極的に痛みの軽減や機能回復を目的とする為の手術を行う事の方が多いようだ。 確かに薬によって痛みを抑えているとはいえ、多少の不自由があっても生活が出来れば、手術をして余計な痛みや辛さをあえて加える必要性があるかどうかという事になってしまう。手術によるデメリットを考えれば身体を傷付けて身体に負担をかける手段は少ない方がいいという事にもなるが。 しかし数年後、悪化(関節が炎症などによって変形し固定されていくなど)した場合には手術をする事になるのだろう。やはり生活が困難になるという極限までこないと医師は手術を薦めないのだろうか。 それまでの生活が不自由であってもリウマチ患者は皆同じ様な症状や痛みを抱えて、薬で抑えながらの治療しかされないのだろうか。新薬でさえ効力を発揮しない患者もいるであろうし、期待される新薬だけど、新しい薬に関する副作用の報告は当然、まだ数年しか試されていないのだから何十年も先になって今の新薬の重大な副作用が報告されるのだろうか、、今後どうなって行くのだろう。 まぁ、そうならない為に3ヶ月治療後は採血検査をしたり患者の不快症状をチェックしているのだろうが、それまでに色々な薬を服用でいるので何が原因なのか解らないという場合もあると思う。 医師に対して患者の意見が言い易い環境を作って欲しいとつくづく思った。セカンドオピニオンがもっと当たり前になって欲しい。病気になったら誰もが不安を持ってしまうのだから、勇気を振り絞って病院へ行く人も多いのに、窓口の対応や医師との疎通の難しさによって病気以外のストレスまで抱え込むのは敵わないと思ってしまった。
2004年01月22日
紹介された病院に旦那と一緒に行き、両手指のレントゲンを診ながら担当医からの説明を受けてきました。先ず第一に、その病院では患部の痛みや腫れがあっても、手指関節術を受ける人は年に一人位の割合しか居ないと言う、非常に稀という事らしい。 手の場合は不自由ながらも使えるうちはそのままという人が多いが、足の場合は痛みや腫れがあり歩けないと生活が不便な場合が多い為に手術をする人が多いそうだ。手の手術を受ける人は症状が悪化して生活が困難な場合や外見的な見た目を気にするとか、、本人の希望によると言うのだ。 腫れや痛みも少ないのに指の手術をして、もっと不自由になるかもしれないというデメリットを抱えるくらいなら、そのままで過ごしても良いのではないかと、そういう意味らしい。という事は、ハッキリは聞きにくかったのでニュアンスで推測しても、担当医は手指関節術の経験は少ないのだろうという事になる。 それ以外にも「体力的な心配もあるから」と言えば、「歩けなければ90歳の人でも手術を受けて歩けるようになるのだから年齢的な体力は心配は無い」との言葉が返ってきた。「感覚的な影響はどの位あるのか」と旦那からも聞いてみたが、「神経を切断してしまう事は医師としてあってはならない行為なので慎重にするが、痺れや多少の感覚障害は暫らく残ると考えて欲しい」という説明だった。 後は本人がどうしても手術をしたいという希望だけなので「焦る事ではないから、幾らでも悩んで自分で決めてください」という事だった。これ以上の判断は自己責任という事なのだろうなぁ。その言葉を聞いた途端、私は「手術は止めよう」と思った。が、、旦那は「痛くない時にした方がいいよ」という、、(o ̄∇ ̄)o!!ガーン またしても意見が全く別れたのだ。 とにかく、今までの私の不安をやっと旦那に打ち明けられて、医師に話す前に心の準備が出来て良かったけど、手術の時期はいつになるかまだ解らない。今後、同じ医師に手術を受ける可能性がかなり高くなってしまったという事実だけは、避けられそうも無くなってしまった。その時が来たら、担当医を信頼してお願いするしかないのだと、覚悟をしなくてはいけないのだろう。 今日は ( -.-) =зフウー 疲れたなぁ。
2004年01月21日

手術の情報を知りたくて公開日記を書いて、それぞれの方の体験や意見を頂けた。それと同時にその情報の中からドレを自分のものとして受け止めるべきか悩んだ。とても欲しかった情報なのに、とても深く悩んだ。知れば知るほど、、覚悟を決めなくてはいけなくなった。自分で望んだ情報なので、大切に保存しておきます♪ 実生活の中ではリウマチの知り合いも多い訳でもない、リウマチ友の会のHPは見ているけれどその中に入る事はまだ保留にしてる。遠くに住んでいる方とは交流が上手く行きやすいのに近くに住んでいる方との交流が、時として難しい問題も生じてしまう事を知ってから、それが煩わしいと感じてしまった。インターネットを使って自分の事をHPでアピールしようと思うようになったのはそんな事があってからだった。 世界中の人が読んでくれていると思いたいので、声をかけて貰うのを待ってるよりも自分から興味のあるHPを見つけて、こちらから「☆Hey!ヽ(’ー’#)/ Hello!☆」と声をかけさせてもらっちゃおうと思っているのだ(^^ゞ♪ 但し、日本語しか知らない~!! (o ̄∇ ̄)o英語のスペルは一切読めません!調べません!教養はありません! m(。_。;))m ペコペコ…( ̄○ ̄)ア( ̄о ̄)ホ!なので★⌒(@^-゜@)v ヨロシクネ♪ 自分の思い描いてるようなHPには、まだ遠いような気もするけど少しずつカキコをしていってくれる人も増えて、それがとても嬉しいと思うようになった。自分からアンテナを立てて発信したら、何処かの国で誰かが気がついてくれるかも知れないと思う事にする。一番、気が付いて理解して欲しいのが、やはり旦那ですかね。
2004年01月20日

実はお願いしたい事があるのですが、、手術への不安とか、ごちゃごちゃ書いてるけど、、日常生活も怠慢で気力が無い、結局自分では何も変われないと気が付きました。他人のせいにして、、他力本願だった!!これが自分の姿なんだと認めちゃいます!!こんなんで、どうするんだぁ~!!とか、言いたい事があっても当然だと思うので、是非!叱咤激励をお待ちしています。 またしても他力本願だけど。 私の手術が実行されたら、その時は日記に細かく公表します!!それで、誰かが関心を持って読んでくれたら、不安が解消されたらその人がやっぱり手術は止めようと思うのも、やってみようと思うのもその人の自由だから、、。私が手術を受けて自分の身体の変化を書き続けていく事を誰かが期待していてくれたら、誰かの役に立てたら、、良かったと思えるかもしれない。 それとも、関心が無いかもしれない。他人の事など無感心かな、どうでもいいかな、自分に関係ない事をコメントするほど暇じゃないって思うかな・・・。
2004年01月19日

私の不安な気持ちをどうしようもなくて、日記に書く、、日記を読んでくれた人達の中には、手指関節手術の経験をしたとか手指関節手術に関しての情報を色々教えてくれる、情報を知ればそれだけ自分の中でもっと勉強して理解しようと思うようになる。理解してくうちに現実の自分の状況が沿わなくなっていく事に気が付いてしまった。自分の不安を医師に投げかける事が出来なかった時に、そこから前に進めなくなった。何か急に恐くなった。不安要素は勝ってにどんどん膨らんでしまって、それを強引に話を薦めようとする旦那のせいにしたいのだ。そして旦那の心配する顔を見るのも苦痛になって来た。その顔を見るくらいなら、このまま手術を受けてしまえばいいのだと思うようにさえなっていった、、その方が楽なのだから、、。 手指関節とは細かい神経の密集している部分だという事は素人にさえ想像が出来る。まだ、手術そのもののを公表している医師も少ないのではないのだろうし、手術の実績が上がって初めて成功例が公表されていくものではないのだろうか、、。 HPを読んで体験者からのアドバイスのメールを頂けることがどんなにも嬉しい事であり、自分に当て嵌められるのならと期待してしまうのだが、問題はその経験をした人と同じ担当医には診て貰うことが出来るのかどうかという事で、それは不可能かもしれない。それよりも手指関節の手術に自分の意志が何処まで前向きで結果を受け止められるかという事の方が重要なのかもしれないと、ようやく、、やっとそこまで自分で辿り着いた。もっと、簡単に受け入れられると思って居たのに、、、。もっと、自分の精神力は強いと思って居たのに、、、。 今日は遠くから私の事を心配して電話をくれた友達がいた友達の状況こそ心配してあげなくてはいけない立場でありながら受話器の向こうの友達の言葉を、、耳を当ててジッと聞きながら友達の暖かい言葉で、、自分の甘さ加減に気が付いた自分の気持ちを誤魔化してばかりだった、、と。こんな私に「心配しているよ」と友達の言葉を申し訳なくて、でも嬉しくて有難いと、心からそう思っていますいつもありがとう♪
2004年01月18日
・・・( ̄  ̄;) うーん又しても、、楽天めっ。激怒(`×´) プンプン!!折角貰った、メールの返事も書けないよ! Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん! メールのお返事が遅れますので、、ここでお詫びします。 ≦(._.)≧ ペコ
2004年01月17日
毎日、悩んでいた手の専門医の事で、自分でも色々検索した、知らない言葉もたくさんあったし覚えた事もある、、此処に来てくれる人からもアドバイスを貰えて本当に嬉しかった。ここ数日間、手の専門医に関しては何も解決、前進してないけど、旦那は私に何かを言っても素直に聞かない事を知っているので今までは無理に言うことは無かったけど、もう見てられなくなったのだろう、、まぁ、いつまでも決断が出来ない私に業を煮やし、半分は旦那の都合もあるけど。 肝心な事を主治医に話す事も出来なかったことで気が付いたら自分でも気が抜けた感じがしてる。リウマチに関しての思いつく言葉で検索しながら、、このまま手術入院する前に、私の逃げ道をいっぱい考えてみた。私「病院のベットは寒いよぉ」ダンナ「電気毛布を持っていけば」 (それは無理っぽい)私「院内が乾燥してると風邪を引くしぃ」ダンナ「医者が居るから安心だよ」 (内科は無いけど(-。-;))私「手術した指先の血行が悪いと人工関節と上手く合わないかも」とか、、、他にもいろいろ、考えてみた。 旦那は手術の事でもっと詳しい話もしたいから紹介された医師に診察を受けに行こうと言うのだ。行ったら、確実に検査の日程や手術予定日が決まってしまう。私の人工関節置き換え術に対する不安を、その医師が一緒になって少しでも前向きに不安を取り除こうとしてくれるなら、手の専門医でなくても患者として医師を信頼できる筈だと今は、そう思うことに、、出来るのかナァ。本当かナァ、、、自信が無いナァ、、、。
2004年01月16日
昼間のアクセス記録を見てビックリ!(/・_・\)アチャ-・・続けて15人がゲストでしたって、他の人もこんなもんかな?群馬は空っ風が彡(-_-;)彡ヒューヒュー吹き荒れています家の中に居ても(((p(>◇<)q))) サムイー!!☆日記に関して・・何よ!何なのヨォ~怒!夜に書き足した日記が消えてるんですけどぉ!!!!まぁ、大した内容ではないんですけどねぇ。。無料で提供してるサイトだからって、、何をしても良いの?個人の日記を更新できないっていうのは、、どうしてなのでしょうか??
2004年01月15日
今までこの言葉はあまり聞いたり使ったりしたことは無かった。検索しても癌治療などにはセカンドピニオンを受ける事を進めていたりしていた。別の検索項目で「バーチャルドクター」というのがあって、署名制で相談が出来るものを見つけた。 自分で知りたい相談内容を検索する事も出来るが、自分とは別の症状の項目で目に止まったのは、医師の専門が違った場合でも患者の相談内容を一緒に考えて最善な方法を見つけ出そうとしてくれる医師に出会える事が重要だと、、。 まさしく、今の私にとっては手術の担当医がそういう医師であって欲しいと願わずにはいられないのだが、何も行動を起していない私の他力本願なのだろうか、、
2004年01月14日
先週末から手術の事で、日記にも書いたとおり不安があるにも拘らず、主治医には意思の疎通も図れずじまいになった自分を毎日責めていた。追い討ちをかけるが如く旦那の一言「痛い事は先送りにしないで早く済ませた方がいいよ、、で、いつ手術するの?」だと。 Σ( ̄Д ̄;)がーんっ! なんという薄情者だろうか!私の不安な気持ちを何も汲んでくれていないその一言は一体コイツなに考えて るんだぁ!!激怒!!怒りが沸々と、、しかし、珍しく自分で押さえ込んだ。何故ならば、、当たっていたのだ、悔しいけど(@_@)/ずばり! 旦那の考えが正解なのかもしれない。 主治医から専門医の情報を聞いてみるつもりだったけど、リウマチ認定医の主治医が紹介するのだから経験の無い医師など紹介をしないだろうと思いたい。。。でも、でも、自分の傍で手術をしたいと思うのも解る気がするし、さてどうなんだろうか。 待ちきれなくなった旦那は「担当医に手術の細かい説明を聞きにこう」と言い出した。もう、逃げられないのかもしれない( ̄Д ̄;;。まな板の上の鯉になるしか無さそうな気がしてるのは、私のせい??( ┰_┰) シクシク( ┰_┰) シクシク( ┰_┰) シクシク
2004年01月13日
手元にリウマチの本が一冊も無くて専門用語だけで検索してる為か、意味が理解出来ない。診察の帰りに本屋で立ち読みして基本的な言葉を確認した。また初めから採集し直さなくてはいけないかも・・。 自分の悩みを主治医に打ち明けられない、このもどかしさはどうすれば解決するのだろうか。私が緊張のあまり、、ハッキリした態度で話が出来ないのが悪いとは思うが、、予約で行った私の待ち時間は1時間半、診察時間は3分。 診察室を後にした私の顔を覗き込む旦那には何も答える気力さえなかった。暫らく何も考えたくないほどドッと疲れた。帰りに量販店でPCを見たりCD-Rを買って気晴らしをした。折角、友達にアドバイスして貰って意気込んでいった筈だったのに、自分が情けない、泣きたいけど泣けない。まだ何も解決していないのだから。
2004年01月11日
立場が違えば当然の事ながら考え方も違う、患者の立場で医学用語を理解するのは難しいが、解らなければ聞いてしまえばいいのだ。意思の疎通も無く一方的に医師の考えを通される事に不安なまま手術は受けたくない。これが私の本当の不安要素だった。 それから先の、どういう手術内容でどういう経過を辿るという話を聞く事が出来るのに、、、順番を間違えてしまったばかりに、なんて憂鬱な日々を送ってしまったのだろうか。全てを任せなくてはならない旦那には不安な気持ちを受け止めて貰えず悲しかった。この不安を相談したのは鍼灸師とリウマチが縁で出来た友達だった。その友達の言葉は誰よりも経験者であるが故の力強い励ましで勇気と希望を与えてくれた。私の気持ちを一番理解してくれて嬉しかった、感謝でいっぱいだ。初めの一歩を教えて貰ったのだ。 そして鍼灸師からは医師に従事する立場からの視点でのアドバイスだった。「主治医の手術内容が専門分野以外だった場合、快く他の医師を紹介出来ないような医師にはアッサリ、見切りを付ける覚悟がなくては自分の不安を解決出来ない」と、そこまで私に決意が出来なくてはいけないと言うのだ。そして「患者が専門医を見つけて、そちらで病状が良くなったら嬉しいと思うのが医師だ」と。 リウマチの患者の多くは長年に渡って同じ病院の医師にかかる場合があり、数年のブランクがあっても自分の体調を伝えるカルテの内容を一目しただけで理解してくれる安心感がある。しかし、最新の医療情報や技術を導入してる医師でさえも専門分野でない場合その情報が患者には伝わり難い場合もあると思うし、患者が不安を持った場合医師に相談が、し難いという難点が生じる。それが「情」なのだろう。 今まで診てくれた医師に対して不満なのではなく目の前の現実に的確な対処が出来る医師を紹介して欲しいと言いたいだけなのだが・・。果たして「他の医師を紹介して下さい」と言える患者がどの位いるのだろうか、、言える環境が出来ていなくて言えない状況を作らされている様な気がするのは、私だけなのだろうか。手術を前にして自分の不安が集中したのはコレだった。医学は日進月歩の時代で最新情報は医師だけでなく患者側にも与えられるべき権利だという事だと思った。 インターネットの時代だからこそ誰でも調べる事が出来るのだ。本屋に足を運ばなくても事前に調べて購入できる時代なのだ。専門分野の本は高価なので何冊も買って勉強するのは大変だというのであれば、その言葉を検索で調べるという手立てもあるのだから、インターネットは大いに利用するべきだが、やはり最後は自分の勇気の一言しかないのだろう。 でも、こんな私の不安をネットで公開したら見ていてくれる人がいたって知った時から嬉しくて有難かった。現実の友達だって、何も声を掛けてくれないのに、、、まぁそれが不満って言うのじゃないけど、たまには「どうしてる?元気?」とかって、電話でも欲しいな~なんて思ってしまった。でも、ネットだからお互いに知り合えた。同じ辛さや痛みや経験をリウマチの仲間だから素直に話せるのだ。リウマチを知らない人でも、読んでくれて気に留めてくれて感想を書いてくれる人もいるんだ。本当に有難くて・・なんて私は幸せなのだろう。 ※昨日の日記を書いたことをすっかり忘れていた為に、この日記と日付を重ねてしまい、削除されてしまいました。Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん! 覚えている文章だけ載せています。ショック☆☆ショックです!来て頂いた方や、カキコをしてくれた方に心からお詫びします。ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ
2004年01月09日
昨日の日記で私は「手関節専門医がいる」と書きましたが、整形外科の中で専門の「手関節専門医がいる」という意味だそうです。尚、手違いで1/8の日記を削除してしまいました事をお詫びいたします。自分が一番動揺しています・・オロオロ(゜ロ゜;))((;゜ロ゜)オロオロ、、折角カキコして頂いたのにゴメンナサイ!ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ
2004年01月08日
検索すると色んなHPを見ることが出来る、整形外科・リウマチ科の内容でみると、リウマチの置き換え手術は「股関節や膝関節」の事が多かった。それも大学病院で成功例を載せているくらいで、手関節の事となると皆無に近くて、、ガッカリだった。 最後の頼みの鍼灸師にアドバイスをして貰って「外科 手関節」で検索してみた。それでも症例は少ない。ただ、鍼灸師は私の心の不安も聞いてくれて今の私は何がしたいのかを気がつかせてくれた。 手関節に力を入れている医師が例えば遠くの県にいるのなら、そこまで行く意思はあるのかどうか。折角、情報を得ても自分がしり込みをしていたら何も始まらないという事を・・・それは自分の不安な条件の中で踏み出せない理由だったことに、やっと気が付いた。 確かに私の行動力は無いに等しい。自分で運転も出来るのに県内の他の病院を新たに探そうとしていない。一人で通院する自信が無く不安で仕方がない。そういう私の行動力の無さを旦那は手に取るように解っているから、私の不安やこの先も似たような事で悩む姿を見たくないのだと思う。早く何処でもいいから手術をして、今よりも少し手の形が良くなれば、半年くらいは動きが鈍くなっても痺れや傷が残るとかは諦めなさいと、、。 そういう考えで私の不安を無視してしまいたいのではないか。専門医の事や成功率などそれ程、気にするなと周りの家族はそう思っているのかもしれない。そこまで、ハッキリ言われてる訳ではないが、旦那の言い分はそういう事だと思う。 私に出来ることは不安な感情は抜きにして、シュミレーションの中で、県外の手関節専門医を見つけた場合、自力でどうやったら行けるか、交通手段や入院手続きや担当医に手術への内容掲示が要求できるのかどうか。 それが出来るという自信がないと、県内の別の病院を探す事になった場合でも、家族や旦那に反対されて一人で本当に行動できるかどうか、今の私が決断するべき事かもしれない。少し本気で考えてみようと思う。 その上で主治医にはリウマチにも手関節専門医がいる事を知ったのですが紹介してもらえますかと、、聞いてみても良いのではないだろうか。こちらの疑問や不安な事を言って初めて医師も患者の要求に答えようと努力するのではないかと思いたい。
2004年01月07日
ネットを始める時にリウマチの情報が得られると楽しみだったけど、、、以前の私はリウマチの方のHPを見て歩いてもカキコをする勇気がなく何か心にしっくりこなかったけど、その時はまだ自分の姿をさらけ出す勇気がなかった為だと思う。 人それぞれの状況の中で自分の事を何処まで知って貰えるのかという漠然とした不安からそれをどうやって伝えるか方法を知らなかった。でも、ようやく自分のやりたい事が見えてきて、こんな私の事でも誰かの役に立てる情報があるかもしれないし、私の知りたい情報を誰かが教えてくれるかもしれないと思って楽天にHPを作った。 そして、こんな私のHPを見て自分も作ったと言ってくれた人に出会った時の嬉しかった事と言ったらなかったし、一緒に頑張ろうって言い合える友達が出来た事が、もう嬉しくて嬉しくて!!初めて素直にそう思えた気がして、そしてネットだったから出会えたという事実にも感謝した。 リウマチの事で悩んで居る人がどこかに居たら、私にも何か出来るかもしれないと思えるようになって、自分で疑問になってる事や、不満や心配事を書いて読んで貰えたらいいなぁと、そんな風に今は思っている。だから、私の手術に対する不安や、私の変形した手を見て欲しいと思った。 今、健康な人にもリウマチの事を少しでも理解して欲しいと思った。痛みや辛さを我慢して、検査や通院を拒んでしまって悪化してから後悔して欲しくないと思った。もし家族の中にリウマチになって不安な日々を過ごしている人がいたら、どんな風に辛いのか理解してあげる事が出来たらいいと思った。 リウマチの人の多くは忍耐強いナァと本当にそう思う。私は自分に甘くて我が侭なので忍耐強く無いから、尊敬しちゃうなぁ・・・
2004年01月06日
手関節形成術の事や、手関節専門医の事をネットで検索中だけど、なかなか、見つからないものだなぁ。専門的分野過ぎてしまうのだろうか?医師に詳しい情報提供をして欲しいけど、実はこれが一番聞きにくい。(;´д`)トホホ。 今までの医師に対する信頼関係をまるで疑うつもりなど無いのに、医師のプライドを傷付けない聞きかたをしないとならないのだから、実に難しいと思ってしまう。これを聞かなくては、一歩も前に進めないではないのかと思うようになってしまった。 それ以外に聞きたい事があっても上手く話も出来ず聞き出せずに終わってしまうので、自分でも情けない。患者側からしたらどんな小さな事でも不安なのにそれを解決出来ないまま手術が始まってしまったら、結果が思い通りに行かない場合の方が多いと覚悟をしているけど、もっと辛いし悔しい思いをしそうな気がする。 心配してくれてる旦那には、私が不安に思ってる事は患者として当然の事だと兄が言ってくれてると話してみたが、旦那は恐らく手術を前にして「医師と気まずくなっても今後の事はどうなっても知らない」と言う様に私に不安を助長するような気がする。 それが旦那なりの心配しているというのは、よく解るけど私に次のステップ(未知のもの)を踏ませないとする傾向が常にある。親が子供の行動を先回りしているような感じだ。でも、そんな事では私が納得しないという事もよく解っているのにねぇ・・。
2004年01月05日
以前もテーマ日記を同じタイトルで書いたら、とても貴重な体験をしている方に巡り会えた。そして、それ以来なんでも相談も出来るほど優しくいろいろ教えて貰えるようになり、本当に今では感謝の気持ちでいっぱいです。その方は数日後に、また手関節形成術をするのです。私とはまた違う状況ですが、痛みが少しでも軽減して自力で可動域が広がる事を心から願っています、そして応援しています。 私にとって手関節手術への決意は、このままの症状で20年後に手関節はどうなってしまうのだろうかと、漠然とした不安があって、それから今の状況のままでは可動域が殆んど無くなっていくという事も、お世話になってる鍼灸師の先生から言われた事がキッカケとなった。 2年半前までは、ずっと我慢して病院へ通院をせずにステロイドを使う事を止めていた、鍼治療で自然治癒の回復力で体力を戻そうとしていたのだった。だが、7月の末に突然姑が入院した。それからは家族で看病の毎日が続くのに、ここで私が動けなくては、私の心配を周りにさせてはいけないと思った。その頃は身体中が痛くてようやく家の中で用事が足せる程度の体力だった。 病院へ通院してからは、ステロイドを処方して貰ったが既に右肘の関節が以前よりも曲がっていたから、握力が無くなっていた、箸を支える時に重要な中指が動かなくなっていた、人差し指と親指に力が入らなくなっていた、指関節5本は全体的に外側に曲がってきた、指の屈折がきつくなった、指が伸び無くなった、指の曲がった関節の内側が切れて傷が出来やすくなった(洗剤や水分が残り、ただれる為) そして勿論左手の指関節にも影響が同じ様に出た、気が付いたら10本の指は全て以前よりも伸びなくなって曲がらなくなった。左の小指関節は既にコの字に変形している、数年前の写真を見るとまだ同じ指は伸びているので自分でも、その変化を改めて進んだと認識出来た。 手首関節はもう何年前に固定されてしまったのかさえ忘れた。今は全く稼動していない右手首だが痛みや腫れたりして、いつの間にか固定されたのだ。辛うじて少し動く左手首関節のお陰で、どうにか右手の不自由さをカバーしてるので右手を手術した場合、左手首関節への負担から、また痛みが出るだろうと予測は出来るが、他にてだては無い。 さて、私の今の不安要素の一つであるが、その手術を受ける担当医に関する情報源は25年前に足の外反母趾の手術を担当した医師のお薦めで、紹介されたけど・・・。リウマチの場合、人工関節の手術も各部位に専門の医師がいるという事を、実はHPに訪問した方から教えて頂き初めて知ったのだ。群馬県内に居るのかどうかまでは、今はまだ医師には聞くことも出来ず、このまま不満を残したまま手術を受けるのは・・・。 私が「手関節の専門医でない場合、手術の成功度が不安だ」と、その事を旦那に相談してみたところ、あっさり「今までお世話になってる医師に対して信頼が無いと思わせるのは医師に対して失礼な事だ」との答えだった。では、私のこの不安はどうやったら解決するのだろうか! 旦那の言うことにも一理ある、確認したところでその専門医が県外で、いつ手術を受けられるかどうかさえ疑問だし、受けないとなった場合また、同じ医師に紹介状を書いてくれるとしても、患者の不安な気持ちからそんな遠まわしな行動をとったら、果たして医師が気持ち良く受け入れてくれるのだろうか・・・。 旦那や自分の身内にもやっとの思いで打ち明けたのに、こんな言葉で納得させられるのは悲しいと思ってしまいました。こんな事で悩んでいる私のような患者の気持ちを医師側の立場の人は解ってくれるのでしょうか?
2004年01月04日
自分にとって大切な存在だという事を相手に伝えようとするがあまり、相手に対して見返りを望んでしまう場合がある。そして、その事に気がつけない人もいるのだ。傍から見てると冷静な目で見ているから、その人の相手に対する思い入れが理解も出来るのだけど、自分の考えや思いに対して、思い通りに相手の返事や行動が返って来ない事を、どうしてそれ程までに不満を持つのか不思議で仕方がない。しかし、夫婦や親子間では、それがやたらとシツコク付きまとってしまうので、なるべく関係者以外は立ち入った話に首を突っ込まない方が懸命な気がした。こういう問題では、話を聞いてしまった人間はどうしても賛成をしなくてはならない羽目になるので、話を切り上げるのも辛い場合が多いし誰かに話をしなくては気が収まらないのだと思う。私も当時者になった場合は、同じ様に思ってしまうのだろうが・・・。歳を重ねて行けばもっと賢く生きられると思っていたが、返って年と共に煩悩が多くなるのだろうか?大晦日の除夜の鐘の108つは何の意味があるのだろう。人は全て自我の欲望を満たす為だけに生きて行くのだろうか・・「感謝する」その気持ちや言葉の意味は理解できるのに、その言葉の重みを理解出来ないまま死にたくはないと、私は思った。本当に感謝した時には言葉は出ないものだと、感謝の気持ちでいっぱいになると言葉に言い表わせないとそう思った。そして、相手に見返りを望む事もないと思う、、私は、そう思える人になりたい。かなり難問だとは思うが、、、、。
2004年01月03日
今年の正月は暖かくて過ごしやすかった♪元旦にはお墓参りと近所の神社まで初詣に出かけ弓矢と熊手を買った。姪の引いたおみくじは「中吉」で、そのおみくじは神社の花の芽の出たばかりの梅の木に結んできた。姪が来てからは笑いの耐えない毎日だ。 年末は私の出来ない(旦那がサボってやらずに残っていた用事)を手伝ってもらったので、今年のお年玉は弾んであげた。食事の手伝いと言いながらも隣で話しながら運んで貰うくらいだったが、それでも女の子は楽しいし可愛いと思う。この距離が長く続いたらいいのだろうけど・・♪ 今日は私の実家へ姪を連れて行った。もし、私たちにも子供が居たらこんな風に毎年お正月には子供を連れて行くのだろうナァと、ふと思った。今年の実家は喪に服してるのだが、私たちが来るというので煮物やらキンピラなど、色々用意して待っていてくれた。小6の姪にも食べられる物があってホッとした(この場合どちらにも気を使う立場なので・・) 冷酒を飲んでヨッパの旦那が少し休んでる間に姪とデパートに行った。もう帰ろうと思った頃に今度はもう一人の姪が3ヵ月半の子供を連れて来るのを待っていた。 みんなの注目の的は赤ちゃんに向けられた。赤ちゃんはいつもと周りの様子が違うので少し不安そうだったけど気持ちが落ちついた頃、滅多に会えない私たちはそれぞれに抱っこして記念写真を撮った(^^)ニコ♪ 4代が揃っての記念写真は撮れなかったけど、ひ孫を抱ける事はとても貴重な事だとつくづく思った。子供が居ない私たちには、、生涯出来ない事なのだ。
2004年01月02日
楽しい事や、嬉しい事や、凹んだりしちゃうかもしれないけど、σ(^_^)アタシらしく、マイペースで日記を書いていきます♪体調不調の時はイタイッ σ(TεT;)って書いて、みんなの同情を買おうと思ったりするかもしれない、、。こんな風に情けないσ(^^) わ・た・しですけど、今年も仲良くして下さいネ♪。.:♪*:・’(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル♪♪
2004年01月01日
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