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それぞれの事情や考えに立つことですから全てを否定はしません。最近の傾向として、問題あるごとに、報道される責任者の答弁を観ていると、なんとも心許ない印象を受けるように、政治世界もそうですが、社会機構の随所において、役目の認識が甘く、志にも乏しい。精神は軽々にて平面さを感じるのです。教頭までが先んじる駆け込み退職。まさか、その時、国を守るところに駆け込み退職はないだろう。子には、指導者としての姿勢がどう映るのでしょう。はたまた物事の決定には政治側も含め、狭窄視野と配慮に欠けて俯瞰的に良心の想像が及ばないのが今の世。喚起の3.11は、その後を観ても、責任者に誰がどう思いあぐねている節も伝わらない。社会全般が、懸念の利己主義的現代風潮を見るにつけ残念至極。否、世界を見渡しても、終わらない争い、遅々として進化しない人の心。排他的宗教観に、神を正当化できる何にひとつない。使用済み核燃料を二十億年の地層に眠らせる作業が続いている。想像できない年月ならいいだろうか。小心者の私は気になる。人類史のなかで、進化と衰退の狭間をいく人間の魂は、実に狭小だと思えてきます。本来魂というものは、水の流れに添うように、そよ吹く風に乗るように、何事にも囚われず軽く、全てを優しく包み込むように限りを持たず渡っていけるようなもの。遠い原始の時代。陽昇り日落ちるまで、自分の家族と最小単位のコミュニティがその日一日を生きる為だけの狩をし、家族仲良く睦まじく、隣人と助け合い、倹しい中にも必要十分な地球の恵みを感じながら生きていました。人類の歴史は、やがて、多くを欲するままに手に入れられるところから必然的進化を遂げて来たのです。が、何時においても、其処には司る善なる良心が存在していなければならない。我欲とともに、本来重みなど持たない魂は、重石となって暗黒との境の地表に淀み続け、実に長い間、底辺での競い合いに終始することになるのです。今も未開の地にひっそりと暮らす少数民族。カメラが垣間見た、河のほとりに佇む仲睦まじい家族の光景は、裸同然の姿見とともに、魂も実に身軽に漂っている。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月28日
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子供が独立し結婚して家庭を持てば、如何に父母肉親とて、当然の成り行きで自分の家族が大切になり生活の中心となります。親はそれをしっかり理解しておかなければ、疎外感をもち親子の関係もぎくしゃくしてきます。いつまでも子離れ親離れできないのは人間だけ。子の巣立ちとともにひとつの核ができ、肉親は、親近感強い他人へと変移していくのだと理解した方がいいでしょう。互いを尊重しながらも決っして期待し過ぎることもしない。子を育て上げるまでが親の役目、子に迷惑をかけずに老後を過ごせばいいですね。良き連れ合いに恵まれて、子供夫婦が仲良く家庭を築いていくならこんな悦ばしいことはありません。人間だからこその、相手を慈しむ心は大切にしながらも、互いの自立心が肝心です。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月27日
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幕末時期のドラマを観て、今は遠く彼方に消えてしまった、会話や所作の中にあった日本人の節度を懐かしく思います。思えば私も、子供の頃は誰に教わることなく、少なからずそんな部分を持っていたような気がします。祝祭日には隣近所のあちこちで軒先に国旗が掲げられていました。年長者を敬うのは当然、小学生の頃から日常においては他人に交わる中で、敬語は極自然に使用していました。今から考えると、私は特別堅い人間だったかもしれません。友達の家に遊びに行くと出される、夏は当時定番のカルピス。家人の前で私は正座し、口数少なくも礼儀正しく受け答えし、出されたものに手を出すこともあまりありませんでした。友達のお母さんが、「◯◯君、何か召し上がりますか?」と優しく問いかけてきても、私はいつも、「いえ、結構です」って答えていたものです。お母さんからはいつも「◯◯君は遠慮屋さんね」なんて言われながら。体育館に全員集合の時は、いつも正座していました。誰に言われることなく、自分にとっては自然な振る舞い。小学生、中学生・・生きてきながら、社会人となっても随分と長くその様なものを引きずってきたかもしれません。お世話になっている会社の社長や先輩に、中元、歳暮を贈るのは当然のこととしてやってきました。独立するまで続けていました。決して保身ということでなく、だから例え旅先からの土産を先輩に渡すのも分け隔てはありません。部下も同僚も社長も、全員を我が家に招待し、妻の手料理を振る舞うこともしばしばありました。とにかく人を招くことをよくしました。礼節を尽くし、しかし譲れぬものは譲れぬ。で、後のことなど考えず七度も職を辞してしまった。時々周りからは堅物とも言われながら、しかし自分自身は楽な状態にあるのです。ただ、社会に即応していくのは結構大変でした。私にとっては当たり前な事と現実のギャップに紆余曲折したのも事実。今はすっかり心身もゆるゆるになってしまったけれども、精神支柱は変わらぬものがあるかもしれません。振り返れば、家で父がごろ寝していたのを見たことがありません。朝早く起き神棚に手を合わせ、黙々と仕事する父との会話はほとんどなく、誰にどう教わったわけでもなく、私は自然に堅物?となった。風鈴の音響く座敷で、遊びに行った友達の家でお母さんが出してくれた白いカルピスを、正座して遠慮がちに手に取る子供の私が、まるで画面を見るように懐かしく浮かんできます。大河ドラマを見ながら違和感のない光景。凛としたものに惹かれる風土に育って良かった。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月22日
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仕事を終えての帰途、抜ける商店街に占いの店があります。時々、店先の看板を見つめて立っている若い人を見ます。狭い道路をゆっくりと流れる車の中からその光景を見つつ・・その先には、安さの立ち食いうどん屋があります。そこでも時々、店先のメニューをしばらく眺めている女性の姿を見かけたりします。およそ若い女性が一人で入るようでもないと思いつつ・・街には様々な光景があります。単なる独りよがりの感傷というわけでなく、ひとつひとつの光景がずっと残ることがあります。ある時、とてつもなく恥ずかしい思いをしたことがあります。街の外れの広い通りにある、タクシーの運転手や営業マン達が車を横付けにしてさっと利用できるうどん屋があります。私はそこで、肉うどん+いなりを一皿注文したんです。その後直ぐに店に入ってきた若い男性。見れば、近くで土木工事でもしているのか、作業服姿で今時やや髪染まりボサボサ頭。その彼が頼んだのはかけうどんでした。間を開けずにカウンターに並んだ肉うどん+いなりとかけうどん。私はとてもとても恥ずかしかった。昔、私も随分と苦しい時があった。ファミリーレストランでは、人件費を抑えるために、若い子は一人何役もしながら慌ただしく動き回っています。けれどもパート扱いは、働きたくとも定まった時間以上は働けない。みんな皆、想いや悩みを持ちながら懸命に生きている。中には身寄りなく頑張っている人も多いでしょう。今の世の中、孤独と不安は計り知れない。み〜んな幸せにできたらほんにいい。急に強く雨降ってきた街路を足早に散る人達に、車に積んだ傘を貸したくなるけれど、全員に傘を貸すことはできない。ふと、私に才あれば、一人でも多く雇ってあげれるのに、とそう思う。それぞれの人生に、沢山の幸が舞い降りるならいいのに。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月18日
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日々、眼前を流れる事象や人に、ピンとくる人とこない人がいます。心の羅針盤が精度よく働けば、プラスもマイナスも真摯に捉えながら、腑に落とすことができます。精神支柱のしっかりした素直さと純粋さを持つこと。これは様々な場面において幸運を呼び込む機会を生むでしょう。。対して、常に斜に構えている人は、狭小な枠のなかで独りよがりの判断をしがちです。縁も事象も、自ら遮断して、其処に隠された幸運に気づくことなく遠ざけているのです。そしてその状況下にある自分をして周りを悪く言う。しかしながら、これらは誰の所為でもなく、自ら呼び込んでいるに過ぎない。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月15日
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2、3日と帰省してきました。松陰先生の墓所は、いつ訪れても綺麗に清められています墓は、江戸にて先生処刑後、高杉晋作等門弟によって建立されました。門弟達の墓前に手を合わせる姿が目に浮かんできます。墓所隣にある先生誕生地から眺める城下町風景が好きです伊豆下田沖の黒船を見やる先生故郷萩は心落ち着く町ですランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月04日
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昨日、墓参りに行くと、墓所の隅に何体もの墓が塊となって寄せ集められていました。察するに、これらは既に身内の誰も訪れることなく、檀家としての繋がりも途絶えて久しい状態にある墓なのでしょう。昔のように子が故郷に住み続ける環境ではなくなった時代にあって、遠く離れた者の墓守は確かに大変です。更に、少子化のなかでは子の負担も大きい。私の知人などは、子が娘一人の為に、将来の子の負担をなくそうと、宗教をキリスト教へ変えた人もいます。子が男であればまだしも、娘がやがて嫁げば尚更のこと自分の先祖の墓など世話をしていくのは厄介な問題。これはこれで、ひとつの思いやりの姿でしょう。これからはそのような問題が数多く出てくるでしょう。先祖を敬い墓を守り続けるのは、もちろん崇高なる心。しかし、これからはそれぞれの事情による形がとられてもいいのではないでしょうか。永代供養も共同墓なるものもあります。個々人においてとられる先祖祭りの在り方と、敬い想う心に違いはないのですから。既に遠い彼方に還った先人を、ふと心に振り返った時と場所が、自分の墓所であれば良しなのです。何年も前、只一人の身内もいなく、癌に冒された友人を友人仲間皆で見取ったことがあります。いつも笑顔で周りを元気付け勇気づけながら、身寄りなく清貧の生き様は、病床にあって金銭面でも大変でした。病院や皆の協力によった四ヶ月間。ある友人夫婦は、毎日病室に通って身の回りの世話をし、痩せ細った足をさすり続け、着替えの用意、しもの世話までしていました。 心だけで多くが集まった葬儀場もまた協力してくれました。参列者への挨拶はもちろんその友にしてもらいました。火葬場で骨を拾い、遺影と骨箱はその夫婦が持ち、我々が共有する縁あった場所に立ち寄った後、亡くなった友は四十九日を友人夫婦の家で過ごしたのです。やがてある雨の日、山の麓に仲間が集まり、 亡き友は友達の背中に背負われ、我々が見送る中を数人が山を登って行ったのです。亡くなった彼にはただの一人の家族も親戚もありませんでした。ですから墓なんぞもありません。しかし、彼に関わった多くの人間に、永遠の心の墓所を 残してくれたのです。大切なのは、想う心の部分なのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月03日
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老いた親の病床を、子が見舞わないということは、どうやらよくある光景のようです。様々な要因の中で、それは、親としての、過去における子への関わり方に起因する場合もあります。例えば、父親が家庭を顧みず好き勝手に振舞ってきたことによって、母親が随分と苦労しながら育て上げた子供達は、それでも面倒を見る妻としての母親とは違い、母親に迷惑をかけた父親として、過程に生きてきた子供達にとっては、どうにも消せないわだかまりを残すようです。父親、母親、原因は逆の場合もあるでしょうが。又、子への関わり方は大変重要で、例え幼子であっても親の言葉や行動はよく見られていますから、子供だからといって決して侮ってはいけません。夫婦喧嘩等も、子供の目線で冷静に判断されていますし、状況によっては、時に小さな胸を随分と傷つけてしまう場合だってあるのです。いずれにしても、子供の時に受けた感情への影響は後々まで続くこともありますから、例え貧しくとも、縁ある夫婦と家族は、誠実な関係でなければなりません。親の誠実な生き方こそ、多くを語らずとも子の心に留まり、子がまた次の子にその心を継がせることのできる大切な後姿と言えるでしょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月02日
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皆様、新年明けましておめでとうございます。日頃、中々完全に心を解放させることはできませんが、長期休日のお正月だけは何とか休息できています。それもせいぜい三日目くらいまでですが。まあ、経営者ならではの宿命でしょうか。(・_・;人間に成長の限りはありません。歳重ねても、まだまだ新鮮に捉えるものが日常に数多く存在しています。である限り、やはり一歩前進の気持ちで行きたいと思います。皆様にとって希望に満ちて充実の一年になりますように。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2013年01月01日
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