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いみん・なんみんに夢と希望を! 知ろう、変えよう入管の問題 世界人権デー劇場》 のごあんない2010年12月11日(土)開場 ごご2:30 / 開演 ごご3:00台東区民会館 9階 第5会議室〒111-0033 台東区花川戸2丁目6番5号(都立産業貿易センター台東館8・9階)浅草駅(銀座線、都営浅草線、東武鉄道、つくばEXP)から徒歩5分毎年、12月10日をふくむ週は、世界人権週間です。日本の法務省は、取り組むべき人権課題に「外国人」を挙げています。http://www.moj.go.jp/JINKEN/kadai.html#08また、国連で採択された世界人権宣言では、下記のように定められています。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」(第1条)。「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない」(第5条)。世界人権宣言(仮訳文) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.htmlしかし、その法務省じしんが、ほんとうに外国人の人権をきちんと尊重しているのでしょうか?「入国管理」というあいまいな表現の裏で、法務省は日本にやってくる移民や難民を、どのようにあつかっているのでしょうか?その実情を知り、日本における外国人の「人権課題」とは何なのかを、いっしょに考えましょう。★★ 移民・難民演劇をやります! ★★移民や難民は、なぜ、どのようにして日本にきたの? どうやってくらしてるの? 入管でどういうあつかいを受けるの? そういった、あまりおおやけには見えてこない移民や難民の実情を、わかりやすく克明にものがたる、オリジナル劇を上演!★★ 難民からの声 ★★当事者もこの会に駆けつけて、話を聞かせてくれます。また、難民の方が作った手芸品・小物(マフラー、鍋敷きなど)を販売します。売り上げは難民支援に使用します。★★ 諸外国の入国管理局との比較 ★★どこの国にも入国管理局はある。でも、やっていることは国によってかなりちがうようです。講師: 田中喜美子さん(牛久入管収容所問題を考える会)《賛同団体》 2010年12月7日現在チェチェンニュース編集室 / 南埼玉ちきゅうじん会議 / BOND(外国人労働者・難民と共に歩む会) / 週刊金曜日 / RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク) / 牛久入管収容所問題を考える会 / 難民を支援し連帯する会 / WITH(西日本入管センターを考える会) / 仮放免者の会(関東)入場料 無料(日本出身者は、資料代として500円)SYI (収容者友人有志一同)連絡先: freeimmigrants★yahoo.co.jp (★は@に変えてください)Pinkydragon ~ SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends) Blog~ http://pinkydra.exblog.jp/
2010年12月09日
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さあ骨折が治ったら仕事を探さねば。充分すぎる休養は、私にすごい活力を呼びもどしていた。時には、骨休みも必要だろう。シヤレではないですが。しかし世の中の大不況は、恐ろしいほどの人命をうばっていた。大学はでたけれど途方にくれている若者たち、会社の倒産やリストラ。中高年も行き場を失っている。骨折というアクシデントが日本の現実と私をむきあわせていた。ふと考えたこんな状況で彼女を日本に呼んで一体私は何ができるのだろうか。愛してるという言葉なら何度だっていえる。それを裏付けるものが必要だ。愛することは、まさにそれとの戦いだ。プライドなんてくそ食らえ。そんな私にとってできることは、どんな仕事でもいいまずそこからとつかかりを掴んで、それを足がかりに飛躍していくしかない。かってある資格で、まあまあの暮らしをしていた。しかし精神的な病や肉体的な病にそれを投げ出してしまったのである。だけどいまは違う。きっと立ち上がって立ち向かえるだろう。何かをつかみかけていた。それは、かっこよく言わしてもらうと、生きているというそのことなのだ。ハローワークに通う。なるほどいっぱいの人だ。満員御礼なんて笑えない。ハローワークが繁昌しちゃいけないぜ。などとひとり言をいったが回りに聞こえたらしい。ようしこうなったらニューハーフでもなんでもやるぞ。そりやむりだつうの。 もうひとりの自分が言った。第一、そんな化け物のような顔とおなかでニューハーフに笑われるのがオチだ。何々-――お化け屋敷。誰だ! そんなこと言ってるのは・・・・ 幻聴か耳まで悪くなってきた。新宿の街は、平日だというのに人であふれかえっていた。しかしあの時代つまりバブルといわれた時代のようなおもいっきりの笑顔も華やかさもない。沈んだ人々の顔、顔、顔。これがいまの現実。ホームレスが地下階段に横たわっていた。私は唇をかみしめた。あの時代が蜃気楼だったのかもしれない。夢と幻のなかを彷徨した時代。しかしそのあとに激しい痛みの時代がおとずれていた。久しぶりに路地裏の居酒屋にはいった。歩きつかれたせいか酔いのまわりが早い。野良猫が窓のそとからこっちを覗いていた。目が合った。私が食べている焼き鳥をうらめしそうにみつめていた。私は、ドアーをあけるとそっとそれを差し出した。店を出てもその猫は、私の後をついてきた。私は、その猫をだきあげた。そしてチュツとキスをした。猫の目が確かに笑ったようにみえた。何か幸せだった。「愛してる!」と何度も大声で叫んだ。ロシアの彼女に聞こえるように。
2010年11月22日
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samimai(このブログの管理人)もこの運動に積極的に参加しています。多くの偏見と差別 その中心になっているのが 法務省 入国管理局なのです。信じられないその実態を知って 驚き 何かしなければと思ったのです。《いみん・なんみんに夢と希望を! 知ろう、変えよう入管の問題 世界人権デー劇場》 のごあんな2010年12月11日(土) 開場 ごご2:30 / 開演 ごご3:00台東区民会館 9階 第5会議室浅草駅(銀座線、都営浅草線、東武鉄道、つくばEXP)から徒歩5分毎年、12月10日をふくむ週は、世界人権週間です。日本の法務省は、取り組むべき人権課題に「外国人」を挙げています。http://www.moj.go.jp/JINKEN/kadai.html#08また、国連で採択された世界人権宣言では、下記のように定められています。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」(第1条)。「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない」(第5条)。世界人権宣言(仮訳文) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.htmlしかし、その法務省じしんが、ほんとうに外国人の人権をきちんと尊重しているのでしょうか?「入国管理」というあいまいな表現の裏で、法務省は日本にやってくる移民や難民を、どのようにあつかっているのでしょうか?その実情を知り、日本における外国人の「人権課題」とは何なのかを、いっしょに考えましょう。★★ 移民・難民演劇をやります! ★★移民や難民は、なぜ、どのようにして日本にきたの? どうやってくらしてるの? 入管でどういうあつかいを受けるの? そういった、あまりおおやけには見えてこない移民や難民の実情を、わかりやすく克明にものがたる、オリジナル劇を上演!★★ 難民からの声 ★★当事者もこの会に駆けつけて、話を聞かせてくれます。また、難民の方が作った手芸品・小物(マフラー、鍋敷きなど)を販売します。売り上げは難民支援に使用します。★★ 諸外国の入国管理局との比較 ★★どこの国にも入国管理局はある。でも、やっていることは国によってかなりちがうようです。 ※講師未定。《賛同団体》 2010年11月11日現在チェチェンニュース編集室 / 南埼玉ちきゅうじん会議SYI (収容者友人有志一同)連絡先: freeimmigrants★yahoo.co.jp (★は@に変えてください)
2010年11月16日
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私は、ひどく当惑していた。この女性とは、過去に何度となく音信不通になっていた。だからすっかりうんざりしていたのだ。しかしそんな勝手気ままでわがままな女性でも気に入ってしまうとどこかしら期待してしまった。その魅力とは何なのか・・・多分その存在の危うさなのだろう。男と女の間においてこの危うさということがけっこう魅力だったりする。あんなやくざな男に、魅了されてしまった乙女なんていう設定がドラマにある。それはドラマだけのものでなくて結構、身の回りにも存在する。それが男女の計算しきれない生理的動物的なむすびつきのような気がするのである。がしかしもうふりまわされるのはごめんだ。会いたい、いややめとけという心の綱引きの中 わたしは意を決して「付き合っている人がいるんですよ」とやっとその一言をいった。思い出はいっばいあった。その一場面一場面が鮮明に脳裏に焼きついている。そのときめきや息ずかいを失うことは大変なことだとおもった。思い出の中に逃げ込みたかった。しかし私は新たな物語を作り始めていた。だから逆戻りはできなかった。そっと思い出は、しまっておこう。今は彼女がいるのだから・・・ いつの間にか頬を涙が伝っていた。一ヶ月半後、私は、ずうっと固定されていた左腕の包帯と支えをはずした。右手で左腕を慎重にささえた。運動機能の停止した左うではずしりと重かった。多分骨折箇所は生命力で充分くっついているはずだった。私はおそるおそる右手を離してみた。やったー。つながっている。あとは少しづつあせらずリハビリだ。マッサージ等自分で左腕の試運転に向けてがんばればいいのだ。どうだわたしだってまだ若いんだ。えっへんと自慢したくなっていた。その夜ロシアの彼女に電話をいれた。「もうすこしだよ」とわたしが言うと「早く会いたい」分かってるて、もう少しだよ。なかなかあえないってことがわたしたちの場合二人の距離をちじめた。そういえば、♪ あえない時間が愛育てるのさ・・・ っていう郷ひろみの、よろしく哀愁という歌の歌詞にあったなぁ。
2010年11月16日
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外交とは、難しい。国益を中心に考えているから 本音というより建前やはり 最後は、軍事力だったりするのだろうか実際に軍事力を行使することは、ないにしても潜在的にこれだけの力を持っていると誇示することが外交上有利にはたらくのかも領土問題は 結局 現実的な支配によって 正論さえも捻じ曲げられる。ある意味 わがまま勝手で 威圧感を持つことが必要なのか?
2010年11月08日
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日本は、 国連の難民条約に署名しています。 しかし 入管では、恐るべき出来事が起きているのです。SYIはその実態を多くの善良な国民に知ってもらいたいのです。日本は、こんな国でいいのでしょうか 今 外国人のいや日本人の人権すら危ない。そこは、虐待と差別と偏見とに満ち溢れている悪魔の館だった。私たちは東京入管(東京入国管理局)に抗議し、また、閉じ込められた難民・移民たちを はげますアクションを、毎月1回、行っています。そのアクションも10回目。このたび日程が決まりました。2010年 11月5日(金曜)11:00~ 品川駅 港南口 通行人へのアピールとビラくばり12:00~ 入管前でアクション13:00~ 収容され閉じ込められている難民・移民たちとの面会平日の昼です。仕事や予定があって、参加することが難しいと考えている人でも、ただ、ふらりと通りすがりにその場で声を掛けてくれるなら、私たちとしてはとても有意義なことなのです。途中参加、途中抜けOK。みなさんの、様々なスタンス、あり方、関わり方に基づく、多様な参加をお待ちしております。入管前で、お会いしましょう。あなたたちを、私たちは待っています。ではでは!※なお、面会の際に「身分証明書」の提示を求められるのが入管というところです。筋違いな話ではありますが、面会を希望される方は「パスポート」「運転免許証」「健康保険証」等をご持参ください。
2010年10月31日
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うーんつらいトイレにいくのも食事するのも、左手ってこんなに大事だったのかあらためてその存在意義に気付いた。それに子供や旦那の世話で忙しい妹を呼びつけての包帯の交換。しょうがないなっていう感じかな妹としては。素敵でなかった兄としてはすまない気持ちでいっばいなのです。こんなことがありましたあれは私が高校三年生、妹が高校一年生、私は自慢の派手な自転車それにどこからみても不良然としたいでたち仲間とちょっと一服そこへちよっとかわいいセーラー服の女の子。待ってましたとばかり歩み寄る。「暇ですか?」と私。困ったような女の子そこへ「いそがしいのよ」と妹がセーラー服姿。妹も兄と気付いて茫然自失。「ちようどいい」と私。「あなた誰?」と妹。「兄ですあなたの」とにやけて笑っていると「冗談言わないで下さい さようなら」妹はもう一人の女の子を連れて早足で歩きだした。そうか言えないよなこれがわたしの兄ですって ショボン寅さんではないがやくざな兄貴とは俺のこと。反省しきり。それからだいぶ月日が過ぎた。兄と妹不思議だよなって思う。もし兄と妹でなければこんなにやさしく包帯を巻いてくれないだろう。「どうしたの?」われに返った私に、妹が言った。「不思議だなっておもっただけさ」「何が?」「なんでもないさ」わたしは、妹をみつめていた。もうすぐ一か月。私は、左腕をゆっくり動かしてみた。つ、つながっているその感触が左腕全体に感じられる。一体感がある。私は。やったーと思わず声を上げていた。もう少しだ。そう思った。その夜。電話がなった。受話器をとった。「もしもし 私、わたしアンナの友達。頼まれて電話しているんだけど、あなたまだ独身なの ? 恋人は?」「え ――」私は、息がとまるほど驚いていた。8ヶ月前行き違いで音信不通になっていた。もと彼女の友達の電話だった。
2010年10月27日
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やはり手術は、いやだ。だいいち異物が骨の中に挿入されるなんて考えただけでもゾッとする。私の体も心も手術に対して拒否反応を示した。さあ一体どうするか 自然につながるのを待つか?一体昔の人はどうやって骨折をなおしたのだろうか 若ければ骨の成長も早いし自然につながるのも速いらしい。あとは寝たきり老人のように、なるべく動かないでくっ付くのを待つかそのうちになんだかそんなことにチャレンジしてみていいと思った。無謀だよと妹。じゃつながらなかったらどうするのと言われた。私にどれだけの生命力、回復力があるか試してみようと変に興奮した。これを口実に人生ひと休み。てなわけで会社に報告。もちろん大目玉だ。今すぐにだって出てきてほしいんだ。いつ出てこれるんだ。骨折ぐらい命にかかわることでもないだろ。電話の向こうの上司の声は狂ったように怒っていた。当然だよな上司の立場だったらと妙に同情した。しかしこっちにはこっちの都合と言うものがあるんだ。とはいわなかったがまあそんな雰囲気は、伝わった。電話をきった。すでに心は決まっていた。それからの私は、左腕を病院からもらった固定用の金具入りのスポンジのようなちょうど左腕全体カバーする長さのものでそので包帯を巻いて手を固定しまたその上から包帯を巻くという状態で日々過ごすこととなったのだ。包帯は妹に2日に一回新しいのと取り替えてもらった。多分私の感じでは1か月もすればくっつくさ。後は寝たきり老人。ビデオ三昧、読書三昧と心を躍らせた。脳天気な奴だ。と思われてもしかたなかった。その結果会社を辞めるはめになってしまったのだ。身から出た錆。そう、いま錆び落としをしているんだよと自分に言い訳した。ロシアの彼女には、本当のことを話そう。心配するけどそれはそれでしょうがない。事故にあってものの見方も変わってきた。何かに追い立てられて見えなかったものそれがなんなのか 私は心のそこから知りたくなっていたのである。読書三昧もビデオ三昧も1週間もすると飽きてきた。寝たきりとはいわないがなるべく動かないで寝ているというのは大変なことだ。ストレスだってけっこうたまる。それに骨がつくのかつかないのか不安だ。片手だけになっちゃうのかな・・・・しかしここで方針をかえたら男がすたる。わたしは、新たに1ヶ月という目標をきめていた。ロシアの彼女との電話のやりとりでいつ骨折が治りそうなのか彼女はしきりと心配していた。仕事をやめたなんてとても言える雰囲気ではなかった。ついつい言いそびれていた。早く日本で会いたい二人は、そう思っていた。それに離れていることがこんなにつらいことなのかとお互い感じだしていた。「治りしだいすぐ日本に呼ぶよ」「うんうんうん」うれしそうな彼女の声がかえってきた。さあ頑張らねば。ただあまり動けないのは、わたしにとって、わたしの体の体形をよりふくよかすぎる状態にしかねかねない。体形維持は、愛の維持にもつながる。だれがいったってそれはわたし自身がもう一人のわたしにいったのだ。名言だよな。変に自画自賛。俺ってやっぱり変?
2010年10月20日
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気を紛らわすためにひさしぶりに友人に電話をしてロシア訪問と事故のいきさつを話した。「へえ それは災難だったね」友人はびっくりした声をあげた。「本気なのかい」怪訝そうに友人が言った。「勿論さ」私が強い口調で言うと「やめといたほうがいいんじやないかい、外国人なんてものは日本のビザとか国籍が欲しいだけのことなんだから」私は返ってきた言葉にがっかりした。その言葉があまりにも偏見と独断と誤解に満ちたものであったから。特に歳をとると常識的というか余りにも新しい事柄に対して否定的になるのはいったいなぜなんだろうか。まあそういっておけば波風もたたないし誰もが納得する考え方だからなのかもしれない。だがそれは悲し過ぎることではないかな。私たちは色々な情報の洪水にさらされている。それはそれで一面的にはいいことかもしれないがそのことで物事の真相を理解してしまったと思ってしまうことは余りにも危険すぎはしないだろうか。私は受話器を置いてふと考えこんでいた。われわれはものごとを考えているようで実は考えていないのではないか。ふと背筋が寒くなるのを感じた。たとえばその結論があらかじめ用意されていてどんな思考経路をとったとしてもたどり着くところが同じだとしたら・・・・そして自分では考えたと思っていても無意識的にそこへ導かれたとしたら。私は、窓の外に広がる星空に目をむけていた。涙が知らず知らずにあふれでてきていた。それから3日後、困り果てたような接骨院の先生の顔が私のすぐ前にあった。「くっ付かないかもしれませんね」いまさらそりゃないだろう。私は、落胆したように肩を落とした。「知り合いの整形外科の先生を紹介するから」「やはり手術ですか?」接骨院の先生は申し訳なさそうにうなずいた。「でもその先生手術は好きじやないですからもしかしたら」私はその言葉に一縷の望みを託していた。接骨院の先生の車で案内されたのは東京から1時間ぐらい離れたとある街の鉄筋コンクリートの三階建の整形外科医院だった。そして私を待ち構えていたのは7,8名のインターンの医者たちだった。医院長が葬式で、30分ぐらいもどってこないということでわたしは、かれらのモルモットにされたようなものだった。インターんはわけの分からない医学用語のキャッチボールをしていた。医院長がもどって出た言葉は「手術ですね」私は怒っていた。なにが手術だ。インターンにもて遊ばれてそのうえ手術と簡単に言って欲しくなかった。私は心のそこから怒りがわきあがってくるのを感じていた。「あなたの近くの病院に紹介状書くから それに手術ていったって麻酔がかかって眠っている間に終わっちゃうし」翌日自宅そばの総合病院にいった。レントゲン写真を見ながら30代くらいの医師が眠そうに目をこすって言った。「手術ですね、まあ、ねたきり老人のようになってればつかないこともないけど仕事で忙しいでしょ 棒条の金属のチタンは親和性があって骨と相性がいいんですそれを肩から穴をあけて通します。簡単ですよ」何が簡単だよ。私はやや、いやおもいきり怒りたくなっていた。つぎの瞬間薄ピンク色のナースの服装が視界にはいってきた。視線を上に向けていくと口許が可愛く笑っている。「包帯を交換しましょう」小さな顔に大きな瞳そして抜けるような白い肌。カ、カワイイ! 単純に胸が躍った。体さえも踊りだしたかった。それって反則じゃないの 色仕掛けで商売。まいったな・・・・病院だってサービス業なんだ。無愛想な看護婦さんよりかわいい方が病気の治りだって早いかもしれない。病は気からっていうしね。よーーーしずうっと入院だ。それに彼女を指名だ。同伴だって毎日だ。ギヤ、ハハハハハハハ・・・・・あほかここはコスプレのお店じやないの。もう一人の自分が言った。そしてそう思った瞬間ロシアの彼女の顔が私の脳裏イッパイに浮かんでいた。脳細胞のほとんどは、すでに彼女の無言の支配をうけていたのである。
2010年10月17日
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左腕は、ギブスで固定され三角巾で首から吊り下げられていた。痛々しかった。だから明るく振舞わないとなどと思った。彼女のママとパパは不運を自分のことのように心配していた。ギブスで固定された左腕は、段々と自分の腕ではないかのように重くなっていった。包帯で巻かれたその腕の血行が悪くなって首で左腕をささえている感じだった。包帯が首にくいこんできていた。右手しか使えないことがこんなにも苦痛だとは考えてもみなかった。使えなくなって初めて左手の役割を知った。ズボンをぬぐときも、チャックを下ろすときも。右手の手助けをしている。食事をしている時もだ。寝る時も不自由だった。寝返りが打てないので常に天井を見ている姿勢が続いた。日本に帰ってすぐ仕事に復帰できるのだろうか?不安な瞳が天井をみつめていると彼女が入ってきた。私は意味もなく微笑んでいた。こんなことで負けてたまるか。「退屈だから 散歩でもしよう」そう私が言うと彼女は、うなずいていた。事故の後二人の気持ちに変化があった。彼女は、不測の事態にわたしのとった言動に信頼をより寄せていた。突然の出来事に相手の本性がみえるということはある。私の場合は、単に鈍感なだけだょ。頼りがいのある人と思われたのはいいが後でメッキが剥がれたら大変である。剥がれる前にもうひと塗りふた塗りしておこう。まあ誤解から愛は育つし枯れもするからそれはそれでいいか。散歩から戻って、忘れていたわが家、わが両親、妹の写真をみせた。この際あまり見栄を張ってもしようがない。まあ写真だけでは東京の生活ぶりはわからないから一度日本に招待しなければならないだろう。東京に、戻った私は、すぐに駅前で待ち構えていた妹とともに駅前の接骨院にむかった。私が手術をおもいっきり嫌ったので妹がしょうがなく予約しておいてくれたのだ。私は、ギブスを外される際の電動のこぎりのような器具に恐ろしく臆病になっていた。先生の説明では、手は切れることはないといっていたが。ギブスの石膏を切る鈍い音は充分過ぎるくらいにおそろしかった。「ロシアの旅行で」というと「へぇ、ロシアですかなんでまた?」「ハワイじゃなきゃいけないんですか」と言いたいのをぐっとこらえて「ペレストロイカ後のロシアの地方都市の経済状況についてという研究論文のために」などと言いたかったが「アムール川で釣りをしたかったんです」とか適当なことをいった。第一お見合いなんていって笑われるのが落ちだろ。接骨院の先生は、やや自信なさそうに骨はくっ付くでしようといった。頼むよ左手が使えなければ熱い抱擁ができないだろ、。たわけ!ポコチン(息子)だって首を長くしてまちのぞんでいるんだ。期待を裏切らないでくれ 私は心の中で無限に叫び続けたかった。
2010年10月16日
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街角が黄昏に包まれだしていた。私と彼女は、夕食をということでタクシーをひろった。程よい疲れがふたりをリラックスさせていた。タクシーは、長い坂道を軽快にくだっていった。私は、彼女の手をそっとにぎった。 不運は、私たちの幸せに、激しく嫉妬するように襲ってきた。車が右に曲がって、加速した次の瞬間、激しい衝撃と恐ろしい音で二人の体を前のシートへ向けてたたきつけていた。一瞬なにが起きたかわからなかった。心臓が早鐘をうっていた。左腕に激痛が走っていた。一瞬気を失ったらしかった。だがすぐに「大丈夫ですか」わたしは、彼女にむかって日本語で何度も叫んでいた。彼女は、頭を抑えて私の方を見た。何が起きたのかのみこめていなかった。ようやく、私が左腕をかばっているのに彼女が気付くと「痛い?」「少し」と私。顔が言葉とは裏腹にゆがんでいた。「わたしは,あたま、少し」と彼女。「ごめん」私は、意味もなく謝っていた。「何で」「俺のせいかも」「違う」彼女は、心配そうに私をみつめていた。その時初めてタクシーが停車中の車に激突したのを知った。救急車がこんなにも遅いのかと感じた。実際は7,8分だろうがこのときは、ゴムひもをイッパイに伸ばしたように間延びした時間があった。病院に向かう救急車は、ややでこぼこの道を上下しながら走っていた。上下の振動のたびに左腕には、激痛が走った。レントゲン室の女の技師が面倒くさそうに、ゼスチャーで指示をだしていた。それが終わると、待合のくたびれきった椅子に私と彼女は、腰をおろしていた。どうやら彼女のほうは、大丈夫のようだ。アレだけの衝撃で運がいいのかもしれない。私のうっすらとした記憶には腕がぺちゃんこに押しつぶされたような感じをうけたのだったから私は。出発前に母がそっと財布の中に入れていた御守りのことをおもいだしていた。診察室にとうされた。背の高いハンサムな医師がわたしをみた。そしてロシア語で話してきたがわかるはずがなかった。レントゲン写真を見せられて腕の上のほうが骨折しているのがはっきりとわかった。彼女が私のそばによりそっていたがうまく説明できない。ただメスで切る格好をしきりとしていた。多分手術が必要といいたかったのだろうかその医師は、やや困ったふうに首を横にふると、今度は英語ではなした。オペレーションという単語が耳に入ってきて私はやはり手術が必要なんだと思った。その時この前の通訳が、部屋にはいってきた。日本語だ。彼女が呼んだのだろう。いますぐ手術が必要だということを医師が告げていた。私は、動揺した。今すぐにでも日本に帰りたかった。しかし日本へ向かう飛行機は、3日後でなければなかった。通訳が、応急処置をして日本に帰国後すぐ手術するようにという意味のことをいった。私は、少しほっとしたように彼女を見た。彼女は、いつの間にか私の右手をにぎりしめていた。
2010年10月10日
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彼女のパパを交えて夕食のテーブルを囲んでいた。パパは大学で歴史学を教えているらしい。父親の心情は複雑だろう。ママと彼女が作った料理がテーブルに並べられている。私の場合、緊張しているがそのことと食欲とは別のことだ。緊張より食欲の方が勝っているだからこんな体形だ。よけいなお世話だ。体形で人間を判断して欲しくないなんていいながら、スレンダーな美人が好きなんだから自己矛盾もはなはだしい。彼女のママの横顔もよく見ると乙女のころの輪郭を残している。うーーん、彼女も年をとったらこの体形か・・・だから今のうち ヒヒヒヒヒ・・・変態か俺は・・・・・・ 多分ウオッカのせいで頭に異常をきたしているのかもしれない。ムシャムシャ食べてる私に、彼女がハムを受け皿にとってくれた。「トウキョウ ワ ドウデスカ?」パパが言った。「忙しいところです」と私。彼女が通訳している。わかったのだろうか「イッパイ ヒト」「イエス」彫りの深いいかつい顔立ちだが笑うと少年のような顔になる。ママとは対照的にすらっとしていて骨太ではあるが引き締まった感じの体だ。言葉が分からないというのはこういった場合いいことだ。お互いによく解釈すれば万事うまくいく。なまじコミニュケーションができたばっかりに言葉尻でケンカってのもいただけない。国際カップルがコミュニケーションがうまくできない間はなかが良かったが良くできるようになったら離婚したなんて皮肉な話があるくらいだ。だから夫婦うまくいくには、ある程度新婚を楽しんだら、距離を置いてたまにあったりしたほうがいいかもしれない。いくらうまい寿司でも毎日じゃ飽きる。たまには、お茶漬けでさらり だから三年目の浮気てなことになる。だからマンネリを防ぐための努力が必要。なんか夫婦円満成功の法則みたいになってきたので話題を変えよう。彼女は、ママとはパパの家から少し離れたところの団地に家があった。てっきり一緒だとおもったが泊りは、ママの家だ。落胆して肩を落としていると彼女の娘がやってきた。私が笑うと恥ずかしそうに姿を消した。後、10年したらこの娘にプロポーズするか??私が大きくあくびすると猫がやってきた。まだ敵意をもっているようだ。大きなベットで目を覚ますと朝陽が窓ガラスに反射してまぶしい。時計を見ると8時を回っていた。そうか今日は日曜日。体が重いのでトイレで楽になろうとおもったが食生活の違いからうーーんでるものが出ない。出るのは音だけ。へたなラッパじやないつうの ブウーーーーーー! 遠くで聞こえるママの笑い声。破談だ100パーセント。私は、意を決して下半身に力をいれていた。朝食の後、私と彼女は、ハバロフスクの繁華街にタクシーを,とばしていた。日曜日ということもあって家族ずれの姿も多くみられた。旧式の路面電車がうるさ過ぎる音を発してとうりすぎていった。街角の路上の売店で、ビンビールを買うと彼女は、歩きながらうまそうに飲んだ。東京だと恥ずかしいかもしれないか゜わたしも負けないように飲んだ。楽しかった。こんな単純なことが幸せだった。だから二人で幸せになろうとおもつた。しかし予期せぬ出来事は、二人が映画を見終わってほっとしていた時におきた。不吉な時間の流れにまきこまれてしまうとは、この時まで思いもよらなかったのである。
2010年10月09日
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彼女は、、超スピードで日本語の単語をおぼえていった。しかし文法はめちゃくちゃだから一瞬意味が伝わらないこともあり誤解なんかもあることはあるがだいたいは、通ずる。電話が終わってはっきり意味がわからないでいる時に謎解きがはじまる。あれは、どういった意味なのか たとえば「子供、寝る、作る」といったことがあってすぐに電話が切れた。えつ?? 私は、助平な彼女を想像した。美人の仮面の下にいやらしい欲望がいっぱい 俺と同じか 波長があうってことかななどと鼻の下をのばした。しかしよく考えてみると 後で電話という言葉が最後についっていた。つまり子供を寝かしつけるので、後で電話してくださいという意味のことを言いたかったのだと思いしばらくして電話すると私は思いっきり赤面しなければならない羽目になっていた。私の推測通りだったから・・・ もちろんだれも見ていたわけでないけど・・私は乙女のように赤面していた。 いやそれはお酒のせいかもしれないけど。日々の電話のやり取りは、想像以上に二人の気持ちを近づけていた。いよいよ彼女のパパとママそれに8歳の娘にあわなければならない。私は、覚悟を決めていた。9月といえばロシアハバロフスクは、だいぶ涼しく、日陰などでは、寒くさえあるようだ。今度はイトーヨーカドーでなくて三越デパートとあたりでおしゃれなカーデガンでも買おう。心はすでにハバロフスクいや彼女の心の中に飛んでいた。9月中旬、ハバロフスク空港で彼女と再会していた。映画の様に駆け寄り熱く抱擁しなかったが 空間に二人だけの世界があった。気恥ずかしかった。彼女のパパとママの家へ向かうタクシーの中でふたりは、押し黙っていた。窓の外には色づき出した木々の葉が秋の深まりを演出していた。「また会えたね」私が言うとあふれんばかりの笑みで顔を私の胸に沈めてきた。タクシーで40分くらい走っただろうか。木々の向こうに巨大な団地群が姿をあらわしていた。6,7階は、あるだろう。タクシーは。まだ舗装の行き届いていないでこぼこ道を土煙をあげながらそのうちの一棟の建物の前すべりこんでとまった。彼女にうながされながら入り口を入ると壁にはおびただしい落書きがあった。またエレベーターは、故障しているらしく階段で5階まであがらなければならなかった。ズドラストビッチェ(こんにちわ)単語を繰り返しつぶやいていた。「ダイジョブ」彼女がいった。玄関を入り応接間にとうされて、私は目を丸くしていた。それというのも内装のきらびやかさに。ソファーや本棚、そしてシャンデリアどれもわが東京のマッチ箱のような私の家とは、比較にならなかった。すべての調度品が重厚ある気品と趣をもっていた。私はなめるように部屋の中をみまわしていた。ふと気がつくと彼女とママがたっていた。あわてて「ズドラ、スト、 ビッ・・チェ」とたどたどしく自信なさそうに言うと「ズドラストビッチェ」と笑顔にあふれた彼女のママは、ふくよか過ぎる大きな体を誇示するかのように立っていた。私は緊張のあまりその場にかたまっていた。彼女のママは、ひとのよさそうな笑みでわたしをソファーに座るようにうながした。わたしは、多分困惑したようにソファーに腰を下ろしていた。ママの背後で小さな人影が動いた。ママのうしろから彼女の8才の女の子が恥ずかしそうに顔をだした。金髪のまるでお人形さんのようなかわいい女の子だった。すぐに彼女のママの背後に顔をかくした。あとでパパがかえってきたら一緒に食事をしましょう。ということで彼女とママは、料理をつくりだしていた。しばらくソファーでビールをのみながらくつろいでいると、何かの気配がして私がそちらに視線わ向けると白い猫が私をにらみつけていた。突然の闖入者に敵意をみせている。猫は、恫喝するように歩み出てきた。私が身を乗り出すと後ずさりした。その時彼女の娘が現れると猫を追い払おうとした。猫はいきなりその娘の足にかみついていた。私が「あっ!」と声をあげると猫は、逃げていった。騒ぎに気付いて彼女が来た。猫が子供の足をとジェスチャーを交えて話すと「靴下はいてるからだいじょぶ あれパパの猫」と彼女が言った廊下の闇の中に猫の目が冷たくひかっていた。
2010年10月03日
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日本に着くと、日本人の女性が変に新鮮に見える。黒髪に黒い瞳。所詮男は浮気者なのだどとつぶやいたつもりが結構まわりに聞こえたらしい。視線がいっせいに私にむけられた。おお恥ずかし! そういえば昔から声がでかい奴といわれてきたからつぶやきのつもりでも結構まわりに聞えているらしい。 駅をおりて、焼き鳥の匂いにつられてからだが焼き鳥屋に吸寄せられていった。この煙の中にいるとほっとする。乾いたのどには、やっぱり生ビールだ。 店の外を小学生がスキップしながら通りすぎていった。 あんな時代もあったんだよなとしみじみと思った。 店のテレビから最近リメークされた歌の亜麻色の髪の乙女だったかそんな題名の曲を若い女性歌手がうたってい。妙に泣けてきた。亜麻色の長い髪というフレーズには、嗚咽した。隣の客が不審そうに見つめた。私は涙をぬぐっていた。酔ってしまうというのは恐ろしい店を出てふと気がつくとスキップしながら亜麻色の長い髪を♪とくちずさんでいた。 家に着くと早速ロシアの彼女に電話をいれてみた。ロシア語らしい言葉が返ってきた。どうやら彼女のお母さんのようだ。彼女の名前を言った。しばらくして「コンニチワ ダイジョブ?」彼女の声だった。「だいじょぶ OK OK サンキュウ」しばらく沈黙。「いつ くる?」たどたどしい日本語がかえてきた。「9月 セプテンバー OK」「ダイジョブ OK」と彼女「アイ ラブ ユゥ」と私が言う。うれしそうに笑う声がかえってきた。「また電話します」「ナニ ナニ??」「テレホン アイ コウル」「ダイジョブ」本当に分かってるのかな。と思いながら電話を切った。短い会話だった。ロシア語を勉強しなければ。しかし二ヶ月後再びロシアに行くと言ってしまったがさあ休みはどうしようか。今度は、仙台の叔父に死んでもらうことになるかもね。 それから毎日のように電話をかけ続けた。大体会話は、一、二分で終わってしまう。一日一日日本語の単語を3つ4つと覚えていく彼女に愛情と驚きを感じた。私は年のせいか覚えたと思ってもすぐわすれてしまう。でも愛してます。というロシア語 ヤー バス リビリュウだけはわすれなかった。たわけ! ポコチン(息子)は、青春時代にタイムマシーンですでに逆もどりしていた。俺をおいてくなよ息子にむかって叫んだ。息子は、そんな私を無視していた。しかし心はつながっていた。電話を通して言葉でわない微妙な息づかいから愛が育っていく感じを実感した。電話がないと心配そうな彼女の声が痛く胸に突き刺さった。私もタイムマシーンに乗って行った息子に、限りなくちかずこうとしていた。驚くなよ待ってろ 愛の力をおもいしらせてやる
2010年09月30日
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穴があくほど見つめられたとはこのことか私はその視線に耐えていた。彼女たちの視線が私の頭の髪の毛にむけられていた。自虐的に私は笑みを作っていた。終わりだと思った。やはり秘密は、秘密のままのこしておくべきなのだ。もう一人の自分が自嘲的にささやきかけていた。馬鹿なやつだ。「それが秘密ですか? それだけですか?」通訳がいった私は、笑いをつくっていた。同情なんかいらない。お世辞なんかもいらない。その場を取り繕うすべてのことを拒否したかった。そんなものだよ。そうなんたよ。もっとうまいこといって金持ちのふりをして日本につれてくればいいのに。要領の悪いやつだもう一人の自分がしきりに私を非難していた。息子(ポコチン)は、困ったように両者をみつめていた。私は神を憎んでいた。すべての運命が神の名の下にわれわれを支配しているのだったらそんなものはいらない。悪魔と手を結ぼう。「わかりました それだけですか秘密というのは?」通訳が聞いた。私は、開き直ったように彼女に視線をむけていた。彼女の視線は私の視線とぶつかつた。非難する視線でも軽蔑する視線でもない。自然な視線だった。「安心しました」通訳がいった。「日本に帰っても電話下さい待ってます」そう通訳が彼女の言葉を受けて言った。「ええ」私は、気のない返事をした。「明日は、子供の学校のことで多分お見送りできません ごめんなさい」通訳が言った。「本当に、電話していいんですか、でも日本語わかりませんよね」私が言うと「少し英語 少し日本語」「彼女少し日本語わかりますよ」「そうですか」「よろしく大丈夫問題ない」だどたどしくはあるが彼女から日本語がかえってきた。「スパシーバ(ありがとう)」と私が言うと屈託なく笑った。しかしこの先どんな展開になるのかその時は、分からなかった。ぼんやりとした影が忍び寄っていることも。 ホテルにもどって、鏡を覗き込んだ。落胆した自分の顔がくたびれたように笑っていた。 うなだれたポコチンを握った。きらわれたわけできないし別にどうということでもないだろう。さよなら逆転満塁ホームランだってありうるさ。その時変化が起きたどうしても彼女を手に入れたい。全身に激しい電流のような痺れがその時走っていた。あの視線が私の中に変化を起こさせていた。 翌日は帰国の日だった。通訳がやってきた。「ごめんなさい 彼女、これないみたいです これ電話番号です 彼女の、日本帰ったら電話してください待ってます」「オフコース(もちろん)」私は英語で何度も大声で叫んでいた。ハバロフスク空港に日本人の変な英語がこだましていた。■<a href="http://happymeet.sblo.jp/">恋愛結婚成功の幸福方程式</a>
2010年09月28日
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一度ホテルに戻ってひと休みした後、夜のレストランで夕食となった。通訳はえらくはりきっている。はっきり言って高級すぎるレストランだ。ご馳走にありつけるのがうれしいのだろうか。まあそんなことはどうでもいい。いよいよ秘密を話さなければと思った。人によってはなーんだという人もいるが、当人はそれを告白するのはちょっと決心がいるのだ。以前日本人の女性にそれを告白してそれ以来音信不通になった。だからそのトラウマからぬけられていないとこの時初めて自覚した。ぐうっとビールがのどを伝って胃へ流れ込む。アサヒスーパードライがロシアでも人気のあるビールだ。彼女も好きらしい。結構話をしたのでのどは、かわいていた。東京の話や日本女性のはなし結局なんでロシア女性に興味をもったのかが彼女にとって一番興味があったらしい。きれいな人が多いからなどとごまかしてきたが本音のところをききたかったらしい。 中学の時見た外人ヌードにあこがれてきた。などといったら軽蔑されるなとおもったがきっかけなんて結構あいまいだ。本音でいえばいかにわくわくさせてくれるかだ。愛してるといえば聞こえがいいが君とやりたいんだ。といえばビンタがとんでくるだろう。でもおなじことじやないかな・・・かわいいねきれいだねだから・・・・だけど露骨じゃなくてうまく口説いていい気分にさせてくれて知らぬ間にベットインロマンチックに。 わかりますよそこが男女の微妙に違うところかもしれない。酔いも回ってきた。せっかく出会ったのだから愛の告白でもしておこう 玉砕覚悟で酔いにまかせて意気地なしというがいざいいなと思う女性の前では小心ものなのです。「結婚しましよう」といったが通訳が一瞬ポカーンとしている。ちやんと通訳しろよ。「エッもうその話 早すぎません」「善は急げ」通訳分からずなんですかという顔をする。「早いことはいいことなのです日本では」彼女にも意味は伝わったらしい。「ところで、一つ秘密があるんです」ことばを搾り出していた。彼女が通訳の言葉を聞いて真剣なまなざしをむけてきた。「そのあの」と言いよどんでいると「大変なことですか?」と通訳が眉間に皺をよせて私の顔を覗き込んだ。「つまり本物でないんです毛が」ロシア人の女二人は、私の髪の毛を見つめた。私はあわててウオッカを飲むと激しくむせていた。
2010年09月25日
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ところで、私は、ちょっと秘密をもっているのだ。相手のことばかりどうこう言える立場にはない。今ではその秘密にそんなに悩むことはないが、そう成りだした30代はじめころはずいぶん悩んだ。だからそのことは、前もって彼女に言っておかねばならないのだ。色々なことで見栄をはりすぎて自分をよく見せようとしても後で大変な思いをするくらいなら前もって自分の実態を話て、イメージだけとか職業だけとかそんなことだけでとかで、勝手に良いイメージを膨らませてしまわれるよりも気がらくだし誤解からすれ違いになってしまうのよりましだ。つまりあらいざらい話してさあどうだ。選択権をあいてに与えてこっちは待ちの姿勢でいいのだ。覚悟は、決まった。そんなふうに考えていると通訳が街を散策しましょうと提案してきた。「ええ」同意して彼女を見ると視線が痛い。私は思いっきりつくり笑いをしたがあまりさまになっていないだろう。異国の地で異国の人たちの視線は、どことなく恥ずかしくもある。外国映画のなかにとびこんだようだ。しばらくいくとレーニン広場だ。噴水が勢いよく水しぶきをあげいてる。若者たちが戯れ遊んでいる。秘密は、夕食時にでも話そう。そう思った。勘であるが二人はうまくいくとそう思った。息子(ポコチン)は、限りない声援を送ってきている。わかっている。同じだよ。なだめるようにぐっとつかむ。結局これが男のかなしいところ、すなおなところ、かわいいところ、だめなところつまり女の人に支配されてそのホールめがけて突進したいと感じた時には、敗者となっているのだ。どんなつよがりわいってもこの構図だけはこの男と女方程式だけは変わらない。
2010年09月24日
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喜びすぎたのはいいが、もしかして、私は、だまされる対象なのではないか なぜこんな美人が人生にややくたびれかけいる私などに興味を示すのか 日本人イコール金持ちというイメージは、いまから7,8年くらい前なら通用しただろうが、バブルが崩壊し企業がリストラをすすめ多くの日本人が、未来に不安を抱いている現在その情報が伝わっていない訳はない。だとしたら心の中に不安が広がっていった。なぜ その言葉が頭の中でくりかえしぐるくるまわっていたていた。息子もすでに元気をなくしていた。「あなたはなぜ日本人に興味をもっているのですか?」通訳をとうしてそう聞いてみた。「ロシアには日本より未来がないような気がするのですロシアの若い人たちは、みんな外国へ行きたがっています 日本はまだロシアよりはいいし夢がありますよ」「そうですかねえ 」私は考え込んでしまった私は、この場所の緑に包まれた町並みや人々表情からそんな暗い雰囲気を読み取ることはできなかった。むしろ自由のない暗い国というイメージとは、程遠かった。初夏ということもあって夏の日差しが町並みを明るく照らしているせいなのかもしれないが「冬は、寒いですよね」当たり前の質問をしてしまって照れ笑いをしていると「すごいです 暖かいところにあこがれますよ」夏は短く寒い季節が多いそんな地に生まれたことの反動なのかもしれない。「8歳の女の子がいるんでしたよね」前もって聞いていた彼女のプロフィールを確認した。「ええ」「私は28歳です」「知ってます」そして私の離婚暦の話や前妻との間に子供のいないことなどを話した。ロシア人の結婚年齢は若く20歳ぐらいで女のひとは結婚するらしい。また24才をすぎるともう適齢期を過ぎたという烙印を押されてしまうらしい。日本と大違いだ。一つ謎が解けた気持ちになっていた。28歳は、バリバリのおばさんなのだ。しかし彼女の容姿なら同国の男性からのプロポーズだってないわけがないだろうに
2010年09月21日
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朝、ホテルで目覚めてあらためてロシアにいることを実感した。窓のそとには、西洋の建物が並んでいる。ホテルの部屋は、大きなつくりだドアーにしても天井の高さにしても、びっくりするほどだ。ある時期アメリカと互角に世界の中でその地位をしめていたのもうなずける。 朝風呂に入るが息子(ぽこちん)は元気がない。うなだれたままだ。まあ朝立ちとはいかない年齢かなとさびしさに涙を流す。息子よ頑張れと声をかけるが無視された。相手次第だ。息子をぎゅっと握る。昨日の通訳がやってくる。ドアーを開けると、うまく化粧した顔がおもいっきりの笑顔を作っていた。 ホテルのレストランで落ち着かぬ時間をすごしていた。朝11時の待ち合わせに、彼女は遅れているのだ。通訳が言い訳をしているがもう30分もすぎている。外国人は時間の観念がないルーズだということを実感した。 がしかし45分待ったかいはあった。通訳よりきれいだ。かみは金髪ではない。黒髪にブルーの瞳長い髪がかたまでたれて程よいウエーブがかかっている。眠っていた息子(ぽこちん)が目をさましたた。おもいっきり暴れたがっている。親不孝ものだ。息子は正直ものだ。しかししばらくがまんせよまずは紳士でいかねば。レストランの席に着いた彼女は、さわやかな笑顔をみせた。私はあわてて頬をつねった。それも力いっぱい。痛すぎる。息子は、元気よく私に声援をおくっている。ばか者私はズボンの上から息子をつかんだ。カチカチに息子が緊張していた。初めて一体感を感じた瞬間でもあった。
2010年09月20日
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さて、新潟空港からのロシア、ハバロフスク行きの飛行機を見て呆然、小さい古い、待合室で、常連らしき日本の旅行者に不安をぶつけると、パイロットの腕がいいから、本当かなあ こりや少し酔わないとおしっこちびるかも・・てなわけで生ビールを飲む飲む。いい気持ちになったのはいいがトイレが近い。 こりゃまいった。飛行機に乗り込み座席に座るとすぐトイレ。10分してまたトイレ隣の席の男が胡散臭そうに視線をむけたが、下痢気味でてないいわけで笑みを送ったがはた迷惑なやつだという態度。同じ日本人だろ。気がつくとハバロフスク空港に到着していた。ロシアか・・ あら本当に下痢気味空港のトイレに駆け込む。TOTOの便器 日本製か 到着ロビーでは、通訳兼案内係のユウリアという女性が待っていた。かわいい金髪で白い肌それにスレンダーなボデー ゴクンと生唾飲み込む。日本語がうまい当たり前か通訳だから。あした、彼女と会います。今日は、ホテルまで案内しますと言う。ちょっと無表情で冷たい感じだが知性美を感じさせる。通訳が美しすぎると困るねとかいうとちょっとはにかんで笑った。いよいよ明日お見合いか
2010年09月19日
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私のホームページに、始めてきていただいた方に 過去の日記から抜粋しています。参考になれば幸いです。ひょんなことからロシア、ハバロフスクへ旅行することになった。ロシアの女性を紹介するから付き合ってみないかということで鼻の下をのばしたのはいいがロシアは、暗くて自由のない国という旧ソ連のイメージだった。ペレストロイかで多少自由になったといっても謎だらけであった。秘密警察に逮捕されて二度と日本にもどってこれないかもしれない。本気でそうおもったりもした。 しかし楽天的というかアドベンチャー精神があるというか ロシアに金髪の美人発見。川口探検隊てなのりで行くことを決意。さっそく久しぶりにイトウヨーカドーでTシャツを買うがよく見ると胸あたりにI LOVE NEWYORKの文字 こりゃまずいかなと思いながらもまいいかつづいてロシア語の本をと書店にいくと、ロシア語の文字に唖然こりやわからん スパシーバとズトラストビッチェつまりありがとうとこんにちわだけおぼえて後は野となれ山となれ
2010年09月18日
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牛丼ぎらい妻との出会いのとき 吉野やで牛丼を食べようとしたが 妻は、一口も食べなかった。なんだろーーーこの人は入るときは 任せるみたいな感じだったのに頭にきたのは、 あたりまえ なんだこの人 よくわからない でもよくわからないことがよくわかろうと思ったのかもしれない月日が過ぎても 謎謎そして奥さんも謎だらけな私に首をかしげている。
2010年09月17日
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結婚への道筋は、個人個人いろいろとあっていい こうあるべきだと考えることが まったく自由な発想ができなくて 差別さえ生んでしまう。年齢差があるとか経済格差があるとか 身長差があるとか しかし当人同士はそんなことは どうでもよいのだ。 そこに男と女の不思議さがある。 それを無視して 硬直化した頭で 入国管理局は人権侵害をくりかえしていて多くの人の人生を奪っている。
2010年09月07日
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ロシア人はいいよ などと言って友達に話していた。 彼は結婚など考えていないようだった。ただ私が結婚したことにはすこしは、ショックをうけたいたようたった。どこかしら対抗意識を持っていた。 こちらは、どうということはなかった。まあ結婚に興味がないようだから ましてや国際結婚など・・・しばらくして 中国人と結婚したよと連絡が入った。ふーーーーん 意外な気がした。 私がロシア人と結婚したことが彼の国際結婚を決意させたのかもしれない。
2010年08月28日
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男性は、女性の前では、無防備な羊。男を狼にたとえられるが それは、男の欲望 性欲のことでそれ以外 女性は、男性の操縦 悪く言えば騙し方の方法は先天的に身についている。冷静といっても そのペースにはまってしまうと なかなか抜け出せない。愛という名のもとうまく利用される。 こんな話をするとこわーーいと思うだろう。まあそういう一面もあるので しっかり考えないとあーー騙されたとなる。 利用しているつもりがいつのまにかーーーー
2010年08月21日
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女性というもの 細かいほどの観察眼を持っている。その人によって いろいろに感じたりする。 でも意外とさりげないプレゼント 高くないものでも感激する。お金がかかると勝手に決め込んで やっぱりケチるとと考えすぎないこと。赤いバラの花一本でも さりげなく笑顔で渡されれば なんとなく運命を感じてしまうのも女性なのだ。
2010年08月20日
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そんな寒い季節に ロシアを訪れて 見合いなどしたくはないと考える人は、多い。しかし見方を変えれば、そんな厳冬の季節に、ロシアまでやってきて、お嫁さん探しをしている男性を女性はどう見るだろうか?夏にやってくれば動きやすいし 観光だってスムーズにできる。そう考える女性もいる。しかし お見合いがうまくいかなくても、まあ観光だけでもという男性との気持ちの差を理解してくいる女性もいる。 女性にしても 寒い中お見合いに出かけていくのも 覚悟がいるものだ。あるデメリットが チャンスを運んでくることもある。日本人があまり行きたがらない 寒い季節にこそ結婚へのチャンスがあるのかもしれない。
2010年08月19日
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老人たちが消えていた 最大のミステリー いやいや最大のミステーク恐ろしい時代は、 やってきていた。 年金の記録も消えていて 放置されたままだった若い母親は、子供を放置して 消えていた。キーワードは、放置 すでに日本国民だけで、やっていけなくなった状況をかえりみず 外国人イコール不良という偏向報道のまま 放置される真実。 あなたは 最大のミステリーに遭遇する。 いま 日本が危ない。 迫りくる超高齢化 放置される 人口増加計画 少子化対策
2010年08月19日
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エッチに劣等感は、いらない。なかなか質問しずらい まじめくさっているそこの君 まあ冷静に恥ずかしくて とかそんな年かといいたくなるが下半身のコミニュケーション そりゃ必要ですよ でも相手は、人間です。下手に構えることもない ロシア人女性も日本人女性も変りません難しい理論も 理屈もいらない。 やるだけでーーーす。←下品だねそうです下品でーーーす。
2010年08月17日
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人懐こい笑顔 ロシアのイメージがどこか閉鎖的で暗いという偏向報道 プロパガンダにより 多くの誤解に満ち溢れている。しかし女性たちに接して感じることは 知的でユーモアがあるということだ。ロシアがソ連といわれた時代 つまり米ソ冷戦時代には、共産主義の恐ろしさだけが誇張され 庶民レベルの視点は、隠蔽されてきたのだ。しかし 世界がより開かれた時代を迎えて 人々は、真実を知り始めた。インターネットは、国境を超越して人々の出会いを可能にしてきた。いつか 地球国家ができて 世界中を自由にいききできる時代がやってくる。その時代をこの目で見てみたい。
2010年08月16日
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どうしたらうまく結婚できるんでしょうかそんな質問をよく受ける。 結婚は、タイミングでできますけど それを継続させるほうが難しいんですというとなるほどとうなずく 多分いろいろと頭にくることが多くありますよ 多すぎる どうしても日本的価値観で見てしまう 向こうはロシア的価値観で見る。頭でわかっていても売り言葉に買い言葉 こんなに頭が硬かったのか と怒り心頭 でもよく考えてみれば 違う習慣で何十年も暮らしてきて そう簡単に理解できるほうがおかしい。頭にきたら 外へ避難 それが一番 すこし時間を置くと冷静になれる。 意地を張っても仕様がない 間違っても離婚という言葉を発しないこと 我慢そしてそれが快感にかわる。本当かよ??
2010年08月15日
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歌のせりふではないが、娘も恋をする年頃になった。その成長がうれしくもあり悲しくもある。でもあの時、国際結婚を決意していなかったら 今のおもいもない。恋人ができたと嘘を言って私をからかった娘 いっぱい嫉妬してほしかったのだろう。 パパが一番の理解者そして 君を愛している。でも だんだんと大人になっていく ディズニーランドの思いでも 沖縄の思いでもいっぱいの思い出 家族を作ること 国際家族を作ること 思い出がいっぱい 愛がいっぱい
2010年08月14日
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国際結婚は、うまくいかないというひとがいる。こればっかりはやってみないとわからないし 国際結婚だからという枕詞みたいなものをつけて やっぱりねというのは、あまりにも男と女の関係を知らない人の言葉の気がする。 うまくいかない要素のひとつに国際結婚があるかも知れないがもっと致命的な要素がある場合が多い。 たとえ国家が離婚をするように画策してもつながっているカップルもいるし まったく 理解し得ないまま分かれてしまうカップルもいる。長く付き合ったからうまくいくものでもないし これが縁というものなのだろうかただ国際結婚の長い先輩たちに いろいろ相談することで夫婦の危機が解決することともあるのだ。たとえ一人になっても君を守るなどという言葉は言うは、易く実行は難しい。さああなたもチャレンジしてみようか
2010年08月13日
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若いうちは、とってもナイスボデーだったんだけど 年をとるとね。とかよく聞く ビア樽みたいだとか これは個人差が大きい それは、肉類や脂肪の多いものが好きだと 日本人だって太る。 多分スタイルにコンプレックスを持つ某国のスパイの宣伝工作か? ちなみに私の奥さんは年を重ねても やせています。 私は、太っています。ダイエットに行き詰っています。あーーーーーーー
2010年08月12日
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いろいろうまくいかないことや悩みがあって くよくよしている息子に ったく 何考えてるの 人生なるようにしかならないんだからというしかし心配しすぎてやせる思いのときもあるよというと母ちゃんが行方不明になったら心配してくれるのかねときた もちろん太る思いで心配するよ。というと どうせ嫁さんの言いなりなんだからね そんなにほれてるならロシアで暮らせばいい 島国根性捨てて 大きくいきろよへーーーーーー 母は強し 女は強し 発想の転換だ ロシアと日本を股にかけ いや世界を股にかけふふ 股か ふふ
2010年08月10日
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きれいなホームページ 今にも幸せになれそうなキャッチフレーズそしてとてもきれいなロシア女性のプロフィールまさにのどから手が出るくらいの美人のオンパレードここで賢い日本男性は、そんなわけないと気付くところが結婚難に遭遇している男性は なんとかならないかともうホームページにのっている女性すべてが日本人男性に興味があるわけでないましてや今の日本の経済情勢は、インターネットを通じて知り尽くしている。日本人イコール金持ちの神話は、崩れ去っている。ホームページにのっているきれいな女性たちは条件のいい外国男性を求めているだけなのだ。これが実態だ。甘い言葉に乗らず 冷静にいろいろチェックすべきだ。日本人と結婚したいというロシア女性は、少ない。多数の美女を並べたロシア国際結婚相談所に要注意
2010年08月07日
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何年か暮らすうちに 日常の会話というものは、安定してきます。 そうなると妻がロシア人だということを意識しなくなるのです。これなんか不思議な感覚ですよ。あーーーそういわれてみれば見たいな感覚になります。しかし緊急事態が発生して チョット専門用語なんかで話さなければならなくなったときはパニックです。娘の体調がすぐれなくて 医者に連れて行く その症状なんかうまく説明しきれない。私のポケットの中に変な名刺 うまく説明できない。おーーーと日本人の奥さんでも同じか
2010年08月07日
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なんとーーーー 日本を離れてロシアハバロフスクに 貿易拠点日本の家庭料理と雑貨 衣料品の販売拠点を作ろうというものです。そして 日本側には ロシア家庭料理と雑貨 ロシア化粧品 の販売拠点。もちろん人の交流などのサポートもするつもりです。と話は盛り上がり 日露の行ったりきたりの生活が始まろうとしていた。そこできる面白い人間関係
2010年08月04日
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新しい計画を立ち上げたくていろいろと 走り回っていました。内容は、秘密です。では 詳細は 後日 世界はひとつの時代に向かっている。
2010年07月31日
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昨日 ロシアモスクワでは とんでもない暑さに 地球の危機を訴えてみたり人類の危機を予言したり 自然界は 確かに豪雨やとんでもない高温など そりの自然のリズムを崩しつつある。人の心も またリズムを崩しつつある。天災人災が 人類の危機へ導いていくのかも?自然体で生きていくそのスタイルがいいよね
2010年07月19日
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日本がつぶれて 難民が国外に流失したときかつての難民の国が助けてくれるだろうか ひどい目にあったよ日本でーーーーーーーそうなのか
2010年07月09日
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成田空港で今年3月、不法滞在で強制送還されることになったガーナ国籍の男性(当時45歳)が、出発直前の航空機内で動かなくなり、搬送先の病院で死亡した問題で、男性の妻(48)が28日、送還にかかわった入国管理局職員を特別公務員職権乱用致死の疑いで千葉地検に告訴した。 訴えでは、男性の死は、複数の入管職員がタオルを口に入れたり、さるぐつわをはめるなどしたために生じたもので、窒息死の可能性が高い、としている。 千葉県警の司法解剖では、男性に目立った外傷や内臓の病変はなく、「死因は不明」とされた。 妻の代理人弁護士は「迅速かつ適切な捜査をしてもらう意味で告訴した」と説明。法務省は「告訴については承知しておらずコメントできない」としている。(2010年6月28日20時52分 読売新聞)恐ろしいことさってあるんだよね入管でいったい何がおきているのか知らぬは国民だけだぞーーー権力を持つと暴走する狂人が今人権が危ない ☆第7回東京入管抗議・収容者激励
2010年07月08日
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物事にははじめと終わりがある。そしてそれが邪悪のものたちの陰謀によってなされることがある。聖なるものたちが姿を消し まさに日本は 暗闇の中に突入していくそのときとてつもない大変化がきるだろうそれも誰も止められない聖なる戦いがいまはじまろうとしているから
2010年07月05日
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夢のような世界ではない。そこにるものは男と女のバトル。汗と涙と笑いと そして厳しい現実。 でも 夢を求める。甘く切ないバラ園。男と女のバトル。 それを面白いと思えるものが勝利者。あなたは、そのバラ園に足を踏み入れる。夢は現実となってあなたに襲いかかる。甘く切ないバラ園そして生きていく 生きていく
2010年06月25日
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自宅をレストランとして ロシア家庭料理のプチレストラン 予約制 なるものをやろうとふとひらめいた。義母のロシア料理には、いつも満足感を感じているからしかしいろいろと準備が必要だし 宣伝もなんて考えたりと いい感じだ。実際にスタートできるか? そんなあまくないぞーーー ごもっとも
2010年06月17日
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ふふふ あなたは あなたが思う人間になれる。 どこかで聴いた言葉 成功哲学だったかな そんなことはどうでもいいが いつも同じ流れで生活していて無難に生きていて面白いですか 飼いならされた羊 それも選択肢の一つでも もっと自由に生きられる そのことに気づいてね
2010年06月16日
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こんな素敵な曲 あなたの心に 唄は国境を越えて いますべての人にトロイカ
2010年06月11日
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昔の女の写真を見つけられた。 ひえーーーー 男というもの 想い出に生きていることもある。そこに 女の嫉妬 過去形でも 許されない。 まして写真を取っておいたとは こんな女が好きだったの??そのときはねふーーーん わたしとタイプ違うじゃない 今は あ・な・たというも怒りは 収まらず 女の嫉妬は無限大 猫と仲良くしてても嫉妬する。メス猫に負けたロシア女性 うーーーーーーーーーーーん ただ嵐が過ぎるのを待つのみ ここだけの話
2010年06月05日
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出会いのプロローグの漫画を最初のページに載せています。できれば長編漫画出版を考えています。 さーーあどうなるか 期待しないで待っていてください。
2010年05月31日
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月日が流れおーーーと いまだに天然ボケの妻は、 1ヶ月の休みが簡単に取れると思っている。 勘弁してよ といいたくなる。 それに我が母親 電車のことを汽車といっているし 沖縄に行くのにパスポートが必要だと思っている。 ダブル ボケには わが身が持たず。発泡酒とお友達の日々 アル中 いえいえ 家出考え中 こうなりゃ男と逃げてやる。 金持ち男と意気投合 なんてことはないけどね人生 お笑い 真っ只中 ポコチンモ 元気一発
2010年05月31日
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