老師の言葉 0
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妻と2人で草刈り三昧の日々。6月にヤギたちが鈴鹿へ移住した。彼らのために、庭を仕切って住処にし、畑を借りて遊び場にした。ヤギがいなくなると、雑草の生え具合がすごいことになってしまう。しばらく留守にしている間に、ジャングル状態だ。改めて、あいつらの働きには感謝している。そろそろ、畑も返さないといいけない。返すにはきれいにしておかないと。それで草刈り三昧なのだ。草刈り機は1台しかない。ぼくがそれを使って広い範囲で草を刈り、刈り残した部分をきれいにしてくれている。この暑さだから、汗の出方も半端ではない。休み休みでないと熱中症になってしまう。500ミリのペットボトル2本くらいのお茶が、体に吸い込まれていく。昼頃に戻り、お風呂場で汗を流す。ぼくはビールを飲む。これがおいしい。すると眠気がくる。ソファに横になってうたた寝。これも気持ちいい。その後、原稿の仕事に向かうのだが、なかなか進まない。雷が鳴ったり、雨が降ったり、今日は、九州の方では大きな地震があったみたいだし、落ち着かない午後だ。草刈りのおかげで、しんどいけれども、充実した毎日かな。あとまだ大きな畑が2ヵ所。それに自宅の庭。まだまだやることはいっぱいだ。
2024年08月08日
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電子書籍「ライター ヤギ飼いになる」に書いたように、山梨へ移住して4年目になった。家にこもって原稿を書く生活から、ヤギを飼い、果樹を育てるというまったく違う毎日になった。スモモと桃を無農薬で栽培している。ただ、10本ほどのスモモ、3本の桃、かなりの老木なので、ていねいに育てないといけない。スモモは今年で3年目。病気で半分くらい落ちてしまうが、がんばっておいしい実をつけてくれる。昨日から収穫を始めた。桃はうまくいかない。近所の農家からは、「もう木が弱っているから植え替えた方がいい」とアドバイスされている。確かに、ほかの畑の桃と比べると、葉っぱの色が淡いし、量も少ない。実は、ゴルフボールと野球のバールの中間の大きさくらいまでは育つが、そこで足踏み。去年は、ほとんどがそれ以上大きくならずに、落ちてしまった。昨日は、久しぶりに、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと電話で話をする機会があった。木村さん、相変わらず忙しくて、電話で話をするのも、けっこうハードルが高いのだが、昨日は、タイミング良く、手の開いているときにつながったみたいだ。桃のこと相談した。さすがだと感心した。今の桃の状態を話すと、すかさず言った。「強くせん定をするといい」。せん定というのは、冬場に不要な枝を切り落とすこと。今年は、バタバタしていてせん定が中途半端だった。きちんと見透かされてしまっている。「強いせん定ですか。どういう理由ですか?」「桃の木が弱るのはいろいろ理由があるけれども、たぶん、小原田さんの木は、根が弱っていると思うのな。根に負担がかかり過ぎている。だから、地上の部分を小さくしてあげて、根への負担を少なくしてあげる。思い切って切った方がいい」そういうことか。根まで考えが及ばなかった。どうしても、目に見えない部分はおろそかにしてしまう。スモモも何本か、同じような症状が出ている。こっちも強いせん定が必要なのかもしれない。せん定というのは、けっこうきつい仕事だし、切り過ぎると、木が弱ってしまうのではないかと、及び腰になってしまうというのが、ぼくの3年で体験したこと。せん定と根への負担についても、考えたことがなかった。樹木の形を整え、栄養が全体に行くようにするということで、適当に切っていた。木村さんのおかげで大発見だ。桃栽培も一歩、前へ進んだ気がする。
2024年06月27日
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山梨へ移住した経緯、山梨でのヤギとの生活。電子書籍にまとめた。題して「ライター ヤギ飼いになる!」(ヤギーず出版)。ぼくに強い意思や、確固たるビジョンがあったわけではない。新型コロナがあって、キッチンカーの仕事がなくなった次女が、山梨の農園に果樹栽培のお手伝いに来た。ぼくたちも何度か農園にうかがううち、山梨のことが気に入った。東京にいなければならない理由もなかった。「山梨で暮らすか」そんな流れになったのだ。ひょんなことからヤギを飼うことになった。桃の無農薬栽培にもチャレンジした。意外にもエキサイティングな生活が始まったのだ。ぼくはもともと田舎で生まれて育ったので、田舎生活も苦にならなかったが、妻は札幌生まれの札幌育ち。結婚してからは、東京、埼玉の生活。都会でしか暮らしたことがない。アスファルトの上しか歩かないと宣言していた妻が、田舎生活を楽しみ始めたのは驚きだった。玄関を出ると、正面に富士山が見える。車の音もほとんどない。聴こえるのは、野鳥のさえずり、ヤギやニワトリの鳴き声。ほとんど村を出ない生活。60代後半になって、こんな生活が待っているとは思わなかった。ぜひお読みください。購入はこちらから。
2024年06月20日
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山梨で飼っているチャボ2羽を、鈴鹿に運んだ。飼って1年くらいになる。男の子がマネ、女の子がクリム。 鈴鹿には烏骨鶏(メス)が3羽いる。 段ボールに入れ、助手席に乗せた。途中、マネが大声で鳴いてびっくりしたりもしたが、無事に到着した。 烏骨鶏と一緒に小屋に入れた。上手にすみ分けしているようだった。 ところが翌朝、小屋をのぞいてみると、マネとクリムが血だらけになっているではないか。まわりにも血が飛び散っている。 「縄張りに勝手に入ってきたので烏骨鶏が怒ったのか」そう思った。 マネは重傷だ。氣恵が日曜日でも開いている獣医さんを探して連れて行った。 獣医師の診断によると、ニワトリ同士の争いではないらしい。アライグマか何か、獣が侵入して、マネが戦ったというのだ。 ぐったりと横になっているマネ。顔が血に染まっている。頭をかまられたのかもしれない。 「元気になっておくれ」一生懸命に氣を送った。しかし、マネは昨日の夕方、息を引き取った。 クリムは、マネが流した血がかかったために血だらけになっていたが、ケガはしてなかった。 3羽の烏骨鶏も無傷。 と言うことは、マネが必死で女の子たちを守ったのだ。 「よくがんばった。お前は男の中の男だ」ちょうど、血だらけのマネを見つけたとき、彼は倒れてなかった。2本の足で立っていた。いつ死んでもいい状態だったのに。まさに、弁慶の仁王立ちだ。 世間では、「男だから」「女だから」と言いづらくなっている。 しかし、男と女とは、考え方も習性も感性も違う。 マネは、男としての本能で、勝てもしない相手と戦い、それでも女の子を守って、敵を追い返したのだ。 あっぱれだ。 たった1年だった。ヒヨコのときからだから、いなくなるとさみしいものだ。 一緒に来たもう1羽、アローカナの真似ばかりしているのでマネと名付けた。 2羽ともオスだったので、アローカナは返却した。 そこへメスのクリムがやってきた。 2羽で仲良く暮らしていた。 もう少し、烏骨鶏たちとの暮らしも楽しんでもらいたかったが、これも彼の選んだ運命だろう。 ご苦労様でした。ありがとう。
2024年06月05日
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すももと桃の摘果作業を終えた。今年はすももも桃もあまり手がかけられなかった。暑かったり寒かったり、天候不順もあって、今のところ順調に育っているが、これから病気が出たりするかもしれない。すももは今年が3年目。桃は山梨へ来て4年目だが、3回目の挑戦だ。桃の初年度。無農薬でやると決めて、毎日、桃の木に「ありがとう」と声がけした。微生物溶液を噴霧した。ヒーリングミュージックを聴かせた。「1個でも実ったら泣いてしまう」それくらいの思い入れがあった。実ったときのうれしかったこと。ひと口かじったときの感激。忘れられない。こんなおいしい桃は今まで食べたことがない、ほどだった。自分で育てたということもあるが、ほかの人に食べてもらっても、大感激されたので、間違いなくおいしかったのだと思う。同じ農園でとれた通常の方法で栽培された桃とはぜんぜん味が違ったから。すももは桃に比べるとやりやすかった。これもおいしかった。ある化学物質過敏症の女の子。スーパーで買った果物は口にできないのだが、ぼくが送ったスモモはばくばく食べたそうだ。すももは6月半ば、桃は7月、8月に収穫が始まる。今年もおいしい実を授けておくれ。↑去年のスモモ
2024年05月24日
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28日から4泊5日で鈴鹿へ帰っていた。次女のやっているキッチンカーが少しずつ動き始めている。定期的に出している場所もあれば、年に一度のイベントに呼ばれることもある。30日31日は、四日市のシックイや土を使った、日本の伝統的な建築に取り組んでいる蒼築舎という会社がマルシェを開くということで、お呼びがかかった。小さなマルシェだったが、そこに氣恵のキッチンカーと、氣子のくじ引きのお店(ヤギーず商店)が出店することになった。ヤギも連れてきてほしいということで、ぼくもお手伝いに行くことになったのだ。会場の裏を流れる海蔵川(かいぞうがわ)の両岸にはたくさんの桜の木があって、ちょうど桜祭りの日と重なって、人がたくさん来るとのことで、大いに期待した。ところが、桜の開花が遅れていて、まだちらほらしか咲いてなくて、花見にはほど遠い状態。対岸には出店が出ていて、そこには人はいるが、マルシェまでは足を伸ばしてくれそうもない。だいたい、ここでマルシェをやっているなんて気づかない。期待できるのは、まわりの住宅の人たちか、蒼築舎の知り合いくらいだろう。初日はそこそこの人手だった。慌ただしいこともなく、それなりの売り上げもあった。子どもたちもたくさんいて、ヤギたちを見て喜んでくれた。お越しになった方たちとの交流もできたし、アットホームな感じで、ぼくはこれくらいの会が好きだ。2日目は、集まりが悪かった。午前中、売り上げも伸びない。その分、朝から来ていた子どもたちとワイワイ遊んだが、このまま終わるのではちょっと寂しい。午後になってスタッフが、「桜祭りの会場にチラシを配りに行こう」と言い出した。グッドアイデアだ。「それならヤギを連れて行こう」ぼくの提案。注目度が違うはずだ。これが当たった。桜祭りに飽きていた人たちが、何組も流れて来てくれた。子どもたちもたくさんいた。氣恵のキッチンカーも、氣子のくじ引きも、土曜日以上の売り上げがあった。ずっと外にいるのは疲れたけれども、天気も良かったし、楽しい2日間だった。こんな感じで仕事ができるのはいいな。仕事は、大変でつらいものだという思い込みが多い。ぼくたちのようなことをやっていると、「そんな甘いことで」と非難されそうだが、仕事が楽しくできたら、人生はハッピーになるはずだ。
2024年04月03日
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山梨へ来て4年目も3カ月以上たった。ずいぶんと生活には慣れた。最初のうちは、ヤギのお世話も大変だったけれども、近所の人が捨てる野菜をくれたりして、エサ集めも楽になった。今日も、近所の畑へ行ったら、いつも野菜くずをくれるおじさんが、「去年までは処分が大変だったのに、ヤギが食べてくれて助かるよ」と言ってくれた。こっちも助かっている。こういうのをウインウインの関係と言うのだろうな。気持ちいいよ。人間だけの社会だと、こういう関係は生まれにくい。片方が得をすれば、もう一方は損をするわけだ。夏場になると、耕作していない畑は草だらけになる。ヤギを飼っている側から見れば、そこは、ヤギたちの食料の宝庫だ。ヤギを連れて行って食べさせたり、ぼくたちが刈り取ってくる。お互いにプラスになる。これも、村になじむことができているから可能なわけで、基本には人間関係があるわけだ。いい関係を作っておけば、いい循環が生まれる。夏には、おいしい桃やブドウをいただけたりする。上手な暮らしができているかもしれない。↓秋にはたくさんの芋ツルをもらったので、干して冬場のエサにできた
2024年03月16日
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しばらく顔を出さなかったスモモ畑。一昨日、昨日と、せん定した枝を燃やすために出かけた。小さな蕾が出ていた。もうすぐかわいい白い花が咲く。今年で3年目。ずっと無農薬で栽培している。一年目は半分、二年目は3分の1が病気で落ちてしまった。味は間違いなくバツグン。スモモがこんなにもおいしいとは思わなかった。今年は、鈴鹿にもっていって、販売しようと思っている。あんなにもおいしいスモモ、三重の人は食べたことがないんじゃないだろうか。山梨では、桃もブドウもスモモも、当たり前にある果物だから、あまり喜んでもらえない。たくさんのお店が出ているが、お客さんはほとんど観光客だ。鈴鹿だったら、山梨直送の果物となれば、珍しいし、話題にもなるはずだ。軽トラに積んで移動販売。野菜も作って、産地直送で販売しよう。なんてことを考えている。農業が衰退するのは、収入がないから。きちんと生活できるだけ稼げれば、農業は大変だけど面白い仕事だし、やってみようという若者も出てくるはず。こんなふうにやったらいいんじゃないというお手本を、農業も初心者だし、商売なんてまるでやったことのない68歳のおじんが見せてあげようというわけだ。できない理由ばかりを見つけて、無難な道を選んでいては、先はない。そんなことを若い人たちにも高齢者にも伝えていきたい。そのためにも、自分がきちんと行動しないと。なぜかスモモ栽培と縁があって、けっこういい具合にできるという恵まれた状況を生かして、こんな道もあるよと、アピールしたいと思う。つぼみが出始めている。せん定した枝を燃やす。都会で生まれ育った妻だが、がんばって農作業に励んでいる。去年のスモモ。もぎたてを食べるのは最高。今年は去年以上にできるはず7月ごろかな。ピカピカに磨いて、お中元として知り合いにお送りした。
2024年03月06日
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鈴鹿に来ている。まずは、炭の窯出しをしているというので、炭焼きの山を訪ねた。70代の、もと山男が、「老後の遊びです」と言いながら、炭を焼き、山小屋を作り、優雅に暮している。彼らの師匠が、御年90歳の炭焼き名人。彼の指導で、立派な窯を作って、遊びと言いながら、本格的な炭焼きに取り組んでいるのだ。子どもたちがよく遊びに来るらしい。いい老後だ。そのあと、中学校時代の旧友2人と再会した。50年ぶりくらいになるかな。高校を卒業して、名古屋、富山、東京近辺で暮らしていたから、なかなか会うチャンスもなかった。一人は、実家のある村の人が、「やっさんの同級生がやっているお店があるよ」と教えてくれた。小さな食品店の店主だった。いきなりだけど、訪ねてみた。顔を見ただけではわからなかったが、名前を聞いてわかった。もう一人は、毎年、年賀状をくれている。家はだいたいわかっている。こちらもいきなり訪ねた。びっくりしていた。そりゃそうだろう。仕事は完全にリタイアして、今は、自治会の役員をしているくらいだと言っていた。あいつらも炭焼き、誘ってあげよう。4月には、我が家の裏やぶで、おいしいタケノコがとれる。タケノコを掘って、みんなで、料理をして、お酒を飲んで楽しもうと思う。日程は近々、決めるので、興味ある人は、鈴鹿までお越しいただきたい。ヤギちゃんも待っているよ。
2024年02月02日
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今、鈴鹿へ来ている。次女夫婦が飼っているネコのロゼが、急に血をはいて亡くなったそうだ。まだ2歳になってない。最初はなかなかなつかなかったけれども、行くたびに距離が近づき、ぼくのことも、友だちとして認識してくれるようになった。そんな矢先に旅立って行った。動物の命について、あまり考えたことはなかった。ペットロスになる人の気持ちもわからなかった。しかし、我が家でヤギを飼い、鈴鹿へ来れば、わんこやネコが歓迎してくれる。そんな生活をすると、ペットが家族同然という気持ちもわかってくるものだ。ロゼはやさしい表情で箱の中に入っていた。今日は、娘夫婦と一緒に、お墓を作って、みんなで見送ってあげようと思っている。
2024年02月01日
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我が家は、甲州市の山間部の農家を借りている。7DKの大きな家。倉庫もある。玄関を開けると正面に富士山が見える。広い庭もある。庭木は切られているが、立派な庭石があって、うちの父親もそうだったが、庭作りを楽しんでいたのだろうと思う。この庭がヤギーずの住処。単管パイプと呼ばれる、建設現場の足場などに使われる鋼管で、大きな庭石のある部分を囲って、ワイヤーメッシュを張って、なかなか快適なスペースが作ってある。奥の方の、竹藪に近いところの倉庫の壁に沿って、屋根を作り、下に小屋が置かれている。ここが彼らの寝床となっている。ところが、このごろ、白ヤギのあかりが、夜になっても小屋に入らないことがある。彼女は、気が弱いのか、みんながご飯を食べていても、遠巻きに見ていて、空いているエサ箱を見つけて、やっと食べられるという状態だ。「ひょっとしたらいじめられているんじゃないの?」妻の弘美が心配する。あかりが小屋以外で寝ているのは、ちょうど、枯草が残っているところだ。地べたに寝るより暖かいのだと思う。ただ、吹きっつさらしなので、風よけだけは作ってあげた。ヤギたちも、関係性があって、強い子から順番にいい思いをするようになっている。我が家で一番強いのは、男の子のかっくん。二番目が、2歳になるさわり。見るからに気の強そうな子。2ヶ月で妊娠して、あんりを産んだ。たくましさが身に付いたのかもしれない。母親であるあかりにもきつく当たる。あかりはさわりが近づくと逃げて行く。出産のとき、ずっとさわりのそばにいて、あんりが生まれたらぺろぺろとなめていたあかりの姿を思い出すと、なんでお世話になった実の母親につれなくするんだろうと思ってしまうが、そこには野生の掟があるのだろう。たぶん、ぼくたち人間の理屈ではわからない中で、彼らは生きている。それでバランスを保っている。だから、あまり余計なことはせずに、さりげなくサポートするのが、ぼくたちの役割だ。一番弱いあかりも、上手にエサを食べて、丸々太っているのだから大丈夫だろう。
2024年01月26日
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「実はスモモが大好きなんです」妻が知り合いから言われたそうだ。ぼくたちがスモモを作っていることは知っていて、連絡しようと思っていたらしいのだが、販売しているのか、家で消費するだけなのか、はっきりしないので、言いそびれていたようだ。こちらの態度をはっきりさせないと、まわりに気を使わせてしまう。80代のおじいちゃんが大切に育てていたスモモ畑を借りて、今年が3年目になる。おじいちゃんは、肥料も農薬も使う、普通の農法で栽培してきた。ぼくは、いきなり無肥料、無農薬にした。1年目。12本のうち、半分は病気で落ちてしまった。それでも、けっこうな量がとれたし、とてもおいしかった。2年目。病気で落ちたのは3分の1くらい。味はバツグン。お中元として使った。買ってくれた人もいた。プレゼントもした。もちろん、自分でもたらふく食べた。今年3年目は、希望する人に買っていただこうと思っている。鈴鹿へももっていって、直販しよう。枯露柿(干し柿)もおいしくできた。来年はもっとたくさん作ろう。軽トラに野菜や果樹を積んで、売り歩くって、面白そうじゃないか。山梨から直送の桃やスモモって最高だ。
2024年01月20日
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果樹のせん定の時期。もう、よその畑はみんな始めている。ぼくは、まだ足が向かない。去年は、もう少し早めに始めた気がする。2月いっぱいで終わらせるのが目途。ただ、今年は暖かいので、もっと早くやった方がいいかもしれない。スモモは、徒長枝と言って、上に向かって新しい枝がぼんぼん伸びている。これを切らないといけない。去年から電動のせん定ばさみを使っているので、かなり楽になったが、それでも12本あるので、けっこうな仕事量だ。徒長枝を切ってから、木を整えるせん定に入るのだが、ぼくは、徒長枝だけでギブアップしている。それでも、去年、一昨年とけっこういいスモモがたくさんなったので、これで良しとしようと思う。今年は、とれたスモモを鈴鹿に運んで販売しようかと思っている。「山梨直送の無農薬スモモ」これはいいよ。楽しみながらやっていきたい。↓ 去年もたくさんとれた
2024年01月19日
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ときどき、81歳のおじいちゃんが、ヤギーずに竹を切ってもってきてくれる。彼は30年ほど前に東京から移住してきた。ずっと、ヤギと暮らしたい。養蜂をしたい。ニワトリを飼いたい。そう思っていたそうだ。タクシーの運転手で忙しく働いていたこともあって、なかなか実現できなかったが、我が家のヤギーずを見て、「ヤギがほしい」と相談にくるのだ。しかし、81歳という高齢で一人暮らし。ヤギを飼うのは厳しいかもしれない。「倒れたらだれかにもらってもらう」そんな簡単なものではない。彼がほしいのはザーネンという大きなヤギ。子どものころ、親がヤギの乳をしぼっていたのをよく覚えていて、自分もやってみたいのだそうだ。大きなヤギは、力が強くて、とても高齢者の手には負えない。それでぼくは、「ニワトリにしたらどうですか」と話してみた。最初は渋っていたが、「ぼくの知り合いが烏骨鶏を飼っているんですよ」と話すと、少しだけ興味を持ち始めた。烏骨鶏は、真っ白な体に目のまわりが真っ黒で、なかなかかっこいい。おじいちゃんも、ひょっとして思い出があるのか、その気になりつつある。高齢者が動物を飼うのはいいことだと思う。ただ、犬や猫は、どうしても寿命の問題があって、高齢者はほしくてもがまんしているようだ。その点、ニワトリなら飼いやすい。ある80代の男性がニワトリを飼い始めた。パーキンソン病を患っていて、ほとんど毎日、家でゴロゴロしている。ところが、ニワトリを飼い出したら、早起きするようになった。ニワトリの鳴き声を聞くと、ウキウキしてきて、すぐにニワトリ小屋の前に向かうのだと言う。そして、朝ごはんをあげて、しばらくはニワトリを見て過ごす。それが楽しくて仕方なくなって、いつもニコニコして過ごせるようになったのだ。お年寄りがニコニコしていると、まわりの人も声をかけたくなる。近所との関係も良くなってきて、烏骨鶏の卵は高価だから、たまにあげるととても喜ばれる。自分も産みたてのたまごを食べるものだから、元気になってきたと喜んでいる。うちに訪ねてくるおじいちゃんも、病気をして右手が少し震えている。「あまり話をする人がいなくて」と孤独を訴える。ニワトリが役に立ってくれるかもしれない。「チャボでもいいですか?」と聞いたら、「やっぱり烏骨鶏がいい」と照れ臭そうに言う。今、知り合いに烏骨鶏が手に入らないか頼んでいるところだ。
2024年01月09日
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我が家の年末年始は、ずっと札幌と鈴鹿だった。年末に札幌へ行き、1日に鈴鹿へ移動するという大移動。去年、ぼくの母が亡くなり、今年は札幌の義父が他界した。去年に次いで、今年も山梨で年越しをする。今日は、帯津良一先生、大みそか恒例の帝釈天お礼詣りにお供した。帝釈天から浅草。お詣りと忘年会という流れだ。昼間からお酒を飲んで、ほろ酔い気分で山梨へ帰ってきた。いつもの年とはまた一味違う暖かさを感じる大みそかだった。我が家の恒例は、それぞれが今年の漢字一文字を発表すること。ぼくは「電」。ソーラーシェアリングを作ったのは大きな一歩。電気の自給がスタートした。妻の弘美は「動」か「激」だと言うのだが、動いたり激しいのは毎年のこと。ちょっと違うのを考えたらと言っている。「父」でいいんじゃないかな。彼女と父親との物語はいろいろある。そして、札幌で倒れた父を山梨まで連れて来た。父は、一週間、山梨を楽しんだ後、再度倒れて、山梨の病院で亡くなった。長女の氣子は、今年始めた「株」というのはなかなか。少額の投資だが、氣子は、ゲーム感覚でいろいろ調べたりするのが好きで、趣味と実益を兼ねて株をやるのはいいかもしれない。弘美のひらめきから始めたことだ。いいポイントでいいアドバイスをするのが弘美のいいところだ。次女の氣恵は、三重へ移ったから「移」とのこと。これはいいんじゃないかな。でも、三重へ引っ越すことで、さらに大きく羽ばたくきっかけになっているという意味で、「翔」もいいんじゃないかな。来年は、ますます高みに飛翔してほしい。氣恵の婿のマサル。彼は、山梨から鈴鹿に移る際、ゼロから始めますと宣言した。だから「零」。三女の氣歩は、今年、かわいい猫ちゃんを飼い始めた。だから「猫」。ダイレクトだけど、一人暮らしに猫のカリントウが加わって、とてもルンルンになったのだからいいんじゃないか。と言うことで、今年それぞれ、いい年だった。来年はどうなるか。世界中が良い年になりますように!!!
2023年12月31日
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今年も残すところ1週間を切った。あっという間の一年だったが、それでもいろいろなことがあった。面白い一年だった。次女が結婚して、ぼくの実家(鈴鹿市)に住み始めた。6頭のヤギのうち2頭を鈴鹿に連れて行った。妻・弘美の父親が倒れ、札幌から山梨まで連れて来た。7月に亡くなった。次女夫婦が鈴鹿に住んでくれて、いろいろな展開が起こってきた。そのひとつがソーラーシェアリングの建設。彼らの存在が、小さな村にさざ波を起こしている。この波は、来年以降もっと大きなものになる気配だ。スモモと桃の栽培は、スモモはまず成功だが、桃は全然ダメだった。一昨年、初めてチャレンジしたときの気持ちに戻らないと。あのときの桃はおいしかった。積み重ねが成功したのは枯露柿(干し柿)。今年で3年目。近所の人に聞いて、そこそこいいのができた。いい年だった。年越しは、去年についで山梨で。札幌と鈴鹿の両親が元気なうちは、大移動の年末年始だった。東京から札幌へ行き、義父が用意してくれた温泉で1泊し、年が明ければ、札幌から鈴鹿へ移動した。自宅で過ごしたのは、三女が生まれた2000年だけ。年末に生まれる予定が、1月13日まで遅れたわけで、妻は大きなお腹で年を越した。ずっと年末は、荷物を送ったり、慌ただしかった。親がいないのはさみしいが、自宅での年越しは楽でいい。来年は68歳になるが、まだまだ動きが止まりそうにない。昔から「大器晩成」と言われてきた。そろそろ花を咲かせないと。
2023年12月26日
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隣から柚子をたくさんもらった。まずはお風呂。柚子のにおいの広がるお風呂。ぼくは大好きだ。風呂だけでは消費できないので、柚子酒を作ることにした。昔から果実酒を作るのは好きで、毎年、梅酒は自分で作る。去年からスモモ酒を作っている。柿酒はあまりおいしくなかった。柚子酒は初めてだが、あの香りがお酒をおいしくしてくれるはずだ。柿は柿酢にした。去年も作ったけれども、表面が白くなって、失敗かと思って捨ててしまった。実は、白いのは問題ない(問題ないどころかきちんと発酵している証拠)とわかって、再挑戦している。スモモ酵素も作った。果物は、そのまま食べるのもいいが、いろいろ楽しめる食べ物だ。もともと人間は果実を食べて生きていたという話を聞く。後になって、葉っぱや根っ子を食べるようになったそうだ。ぼくたちのDNAには、果物を食べて暮らしていた原始の記憶がインプットされている。せっかく山梨にいるのだから、果物で楽しませてもらおう。
2023年12月06日
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食とエネルギーの自給。そして、地域の人たちを元気にする。大きな志のもと、次女夫婦は、ぼくが生まれ育った小さな村で暮らしている。まず食の自給。小さな畑を作ったようだ。近所のおばあちゃんが懇切丁寧に指導してくれている。自分たちで食べる分くらいはできるのでは。米は、近くに自然栽培をしている人がいて、親しくしてもらっている。いろいろ教えてくれるそうだ。エネルギーの自給。10月にソーラーシェアリングを完成させた。経産省の審査が混んでいて、まだ許可が出ないが、年内には動き出すのでは。昼間の電気はカバーできそう。蓄電機も買ったが、ちょっと使い勝手が良くなさそうだ。ソーラーシェアリングは、食と電気という意味では、次の時代を切り拓いていく発想だ。技術的には発展途上だが、これから面白くなってくるはず。あちこちの施設を見て回っている。今日は、福島の近藤さんをお訪ねしている。6ヘクタールの広さの土地の上にソーラーパネルが並んでいる姿は、なかなか壮観。600世帯の電気がまかなえると言う。下では、シャインマスカット、小麦、エゴマ、大豆などが栽培されている。農作物と電力が商品。今の日本に不足しているものだ。ソーラーシェアリングには農業衰退をストップさせるヒントがいっぱいある。可能性を感じる。鈴鹿でも2号機を建てられるように動かないと。そして、下では、最近知った面白い農法で野菜を栽培する。井戸を復活させたけれども、どうも水位が下がっているらしく、うまく出なくなっているようだ。どうすればいいか、そのうち、いい知恵をもらえるはず。すごいのがキッチンカー。20軒ほどの小さな村のはずれに出店している。週末だけ。大してお客さんも来ない。収入もないし、これからどうやって生活していくのだろうと心配にもなる。しかし、村のおばあちゃんたち5~6人が必ずやって来てくれて、おはぎやお団子を食べながら、2時間も3時間もしゃべっていくのだそうだ。おばあちゃんたち、早くに伴侶を亡くして一人暮らしだから、「私、こんなに人と話したの久しぶり」と出店の日を楽しみにしてくれていると言う。次女に炊き込みご飯の作り方を教えてくれたり、ヤギたちには野菜をもってきてくれる。いい場を提供しているご褒美だ。お金がなくて生活ができないと困るが、何とか暮らしていければ、彼らの人生は二重丸だと思う。必ず、いろいろな形で応援してくれる人が現れる。傍から見ていればハラハラするが、彼らは、ひょっとしたらとんでもなく最先端を走っているのかもしれない。まずは、ぼくが応援団になる。
2023年11月29日
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人とあまりかかわらず、仕事やお金にもあまりこだわらず、自分のペースで生きていける。ぼくにとって、とても快適だ。かと言って、隠遁生活をしているわけではないし、仕事をしないわけでもない。お金だってきちんと稼ぐし使う。社会への発信はもっと積極的にやっていく。聖なる世界を見上げつつ、そんなのもありだなと思いながら、俗っぽさを大切にしていく。いいリズムで生きていると、我ながら思っている今日この頃だ。
2023年11月08日
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よく「引き寄せの法則」とか「波長が合う」とか言うけれども、出会うべく人には出会うようになっている。昨日のこと。弘美と一緒にヤギ―ずのエサになる桑の葉を取りに行った。そろそろ黄色くなり始めている。もう少しすると落ちてしまう。大きな木の枝を切り落とし、だいたい2日分くらいの葉っぱを取った。遠回りになるが、道路の脇に何本かの桑の木があるのを、数日前に発見したので、そちらを経由して帰宅することにした。道路の向かい側には何軒か家が並んでいた。広くて整備された畑もあって、そこに一人の男性がいた。「ここの桑の葉、取らせてもらっていいですか?」弘美が、あいさつ代わりに聞いてみた。ダメだと言われることはまずない。桑の木は、かつては養蚕業が盛んだったこのあたりでは、大切だったが、今は邪魔ものでしかない。それがきっかけで彼と話をした。彼は、中学校の理科の先生を辞めて就農したそうだ。まだ51歳。思い切った転身だった。驚いた。彼とは興味の方向がぴったり一緒だった。太陽光発電のパネルを三枚置いて、自分の家の電気をまかなっていた。「食とエネルギーは自給したいですね」同じことを考えている。実践という面では、彼の方が前を走っている。収穫だったのは、ポータブル電源の情報。ソーラーシェアリングは作ったけれども、蓄電器が欲しかった。でも、いいものは高い。あきらめていたが、「これなかなかいいですよ」彼が使っているのは安価で性能もいいようだ。さっそくアマゾンで購入した。クーポンが使えたので、定価よりもずいぶんと安くなる。これで夜の電気もまかなえるかも。昨日の出会いは、ポータブル電源の件だけでなく、いろいろ意味が出てくるはずだ。天は、粋な計らいをしてくれる。
2023年11月07日
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鈴鹿での5泊6日。けっこうスケジュールを詰め込んだ。とにかく人と会うこと。そこから話は広がっていく。28日は鈴鹿から小田原まで車での日帰り。氣恵と勝の3人で出かけた。小田原では原発やエネルギーの問題に関するイベントがあった。樋口英明さんの講演プラス今後のエネルギーについての市民レベルでのパネルディスカッション。パネルトークには、次女の氣恵も出た。氣恵の感じさせてくれるイベントだった。29日には鈴鹿市でソーラーシェアリングの事業に取り組んでいるMさんと会った。彼の所属する会社と接触するのは三回目。先の二回はあまりいい印象がもてなかった。というのも、ぼくがなぜソーラーシェアリングをするのか、その理念に響くところがなかったからだ。あくまでも事業として展開しているという砂をかむような話で終わってしまった。Mさんは違うはずだ。ぼくの直観だったが、彼も忙しいらしく、ゆっくりと話せず、ワクワクするような話の展開にはならなかった。その日は夕方、電子書籍の件で、この人もMさんだ、すてきな女性とお会いした。発表の場をどこに求めるか、ここ数日、模索していた。ぼくのアンテナに引っかかってきたのが電子書籍。そこで、以前に電子書籍を出したSさんに連絡してMさんを紹介してもらった。感じのいい人だった。三重県の出身で、彼女の三男がぼくの大学の後輩だというのも縁を感じた。3時間くらい話をして、彼女に電子書籍化のアドバイスをしてもらうことにした。30日は、ネットで見つけた小牧の工務店を訪ねた。とても面白い商品を開発している。土木の専門家であるマサルも興味をもつような商品だ。会長とは名刺交換をしただけだったが、担当者はていねいに説明してくれたし、流れ次第でいいお付き合いができそうだ。31日は、三重県を中心に広くキッチンカー事業を展開している、この人もMさん。氣恵は、これからキッチンカーをどんどん出店していく予定だが、商品についてもやり方についても、迷いのある状況。Mさんの話からいろいろヒントをもらったようだ。もともとビジネスセンスのある氣恵と勝だから、今回のヒントをもとに、独自のやり方を見つけ出すことができるだろう。しばらくは試行錯誤だ。とてもいいアドバイザーと知り合ったと思う。と言うわけで、有意義な5泊6日だった。ヤギたちも元気にしている。わんこや猫も相変わらずかわいい。山梨へ帰ってくると、こちらのヤギたちもかわいい。なかなか快適な山梨と鈴鹿の二重生活。ぼくは山梨でどんどん文章を書いて電子書籍で発表する。鈴鹿では、キッチンカーやソーラーシェアリングのビジネスを展開していく。動物たちにも、何らかの形で働いてもらおう。1年後にはどんなことになっているか。楽しみじゃないか。
2023年11月02日
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11月。今日は次女・氣恵の誕生日だ。おめでとう!!ぼくは、27日から鈴鹿に来ている。長女の氣子は大阪での用をすませて27日の夜に鈴鹿に寄った。三女の氣歩が昨日、仕事を終えてからやって来た。三姉妹が勢ぞろいし、昨晩は焼き肉屋で氣恵の誕生日の前祝い。三人とも成人しているので、こうやってそろうことはなかなかない。次女の夫のマサル、それに次女夫婦と仲良くしてくれている、村人カズノリも含めた6人で楽しく飲み食いした。妻の弘美は山梨で留守番。かわいそうだったが、だれかが残らないとヤギーずの世話ができない。鈴鹿の20数件の小さな村で、娘夫婦は新しい生活を模索している。今はキッチンカーを動かし、できれば小さな村に人を集めようと、環境の整備をしている段階だ。ソーラーシェアリングは、食とエネルギーの自給というぼくの夢の一歩として建てたが、これがすぐに事業として成り立つわけではない。とにかく、ゼロから始めることだから、試行錯誤の繰り返し。暗中模索。不安もあるだろうが、何かを新しくやろうとするファーストペンギンの宿命だ。しかし、確実に人とのつながりが増え、行動範囲も広がってきている。とにかく「やるしかない!」と心を決めて、一攫千金を求めず、小さなことを積み重ねていくしかない。昨日よりちょっとだけでも前進した今日を喜び、明日への希望にする。一人の力では何もできない。どうしたら人が喜んでくれるか。そこに焦点を当てて動くと、どんどん味方がついて、思わぬ展開が起こってくる。そんなことを基本に、セカンドペンギン、サードペンギンが飛び込みたくなるような、楽しい毎日を過ごしてほしいと願っている。
2023年11月01日
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まだ今年に総括は早いが、かなり大きな歩幅で一歩を踏み出せたと思う。山梨へ移住して3年がたち、一応、生活のペースはつかんだけれども、このままヤギと暮らして、果樹を栽培するという流れでいいのかとなると、ちょっと違うような気もしていた。そんなときに、次女の氣恵が結婚し、鈴鹿のぼくの実家に住むと言い出してくれた。実家は、一人暮らしだった母が亡くなり、空き家になっていて、ぼくとしても、今度、どうしていいかあたまを悩ませていた部分もあった。さらに、氣恵の結婚相手は、土木の関係での仕事をしていて、家や土地を改修するのはお手のもの。畑も田んぼも山もある。ほとんど放置されていたが、有効に活用できる道が拓けてきた気がした。どうしていいかわからない状態から、一気に希望の光が差し込んできたのだ。20数件の小さな村。70歳以上の年寄りが大半を占め、10年もたてば消え去るかもしれないところだ。たまに帰省すると、近所のおばあちゃんが、「ここはこれからどうなってしまうんやろ」と話す暗い顔が頭にこびりついている。「そんなこと言われても、俺にはどうしようもないわ」心の中で返答するのだが、できることがあればやりたいと気持ちがずっとあった。娘夫婦の移住によって、ぼくの憂いは一気に解決されていった。キッチンカーを村はずれの畑に出店した。こんなさびれた村に客がくるはずがない。その通りだ。そこで彼らはドッグランを作った。田舎でも犬たちを自由に走り回らせるスペースはあまりない。ドッグランを目的に村を訪ねてくる人も出てくるだろう。ヤギを飼って、キッチンカーの横で遊ばせた。ヤギ目的でやってくる子ども連れもいるだろう。そして、住まいの横の空き地にソーラーシェアリングを建てた。「食とエネルギーが自給できる生活をしよう」彼らの主張のシンボルのようなものだ。ぼくのやりたかったことを、彼らが代弁してくれている。村のおばあちゃんたちの表情も明るくなってきた。キッチンカー出店の日には何人かが集まって井戸端会議だ。確実に村は元気になってきている。まだまだ始まったばかりだが、それでも、大きな一歩だ。次の一手は?
2023年10月31日
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この数年間、いろいろなことを体験し考えた。大変な激流もあったが、大河に向かうためには、通らざるを得なかったのかもしれない。初めから終わりまで穏やかな川なんてない。特に、大きな川になればなるほど、激しさは避けられない。自分の物語として書き残しておきたいと思っている。どういう形にするか。ぼくの場合、文章を書くのを生業としてきたが、苦戦の連続で、モチベーションを上げる何かがないと筆が進まない。だいたい、特別に才能があるわけではなく、三度の飯よりも文章を書くのが好きということでもなく、ほかのことよりは、少しは世の中に通用するということで、曲がりなりにも著書を出せたし、ライター業が40年も続いている。言い換えれば、ほかには何も取り柄がない。できることを、とにかくやるしかない。ぼくは、文章を書くしか、自分を表現する手段はないわけだから、やろうと思っている。モチベーションは、読んでくれた人が喜んでくれること。そのためには、書籍にするのが一番いいが、けっこうハードルが高い。ぼくくらいの実績ではなかなか本にしてくれない。そこで考えた。電子書籍を出そう。どうやったら出せるのか、やり方を覚えないと。原稿は書けても、電子書籍にするまでにはさまざまな技術が必要だ。いいご縁があって、教えてくれる方が見つかった。やり方を覚えて、とにかく一冊目を出そうと思う。そのためには原稿がいる。よし書こう。十分なモチベーションになる。というわけで、初心に戻って原稿書きをすることにした。題材はたくさんある。その気になったら、毎月だって出せる。面白いかもしれないとワクワクしているところだ。
2023年10月30日
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小田原で、原発やエネルギーの問題に関するイベントがあった。第一部は、原発を止めた裁判長の樋口英明さんの講演。「原発の問題は難しい」という先入観を取り去り、わかりやすく、いかに原発が危険かを語ってくださった。ぼくは何度かお聞きしているが、静かな口調の中に、ときおり激しさやユーモアを交えながら、いつもいいお話をしてくださる。樋口さんはぼくのはとこに当たる。親戚に、こういうびしっと筋の通った生き方をしている方がいるのは、大きな勇気となる。ぼくの中にも、彼のような正義を貫くDNAが眠っているはずだ。そろそろ目を覚ます時期がきたようだ。ぼくなりのやり方で、これからどう生きていけばいいのか、模索し発信していかないといけないと改めて思った。第二部のパネルディスカッションには、次女の氣恵がパネラーとして登場した。これからエネルギーをどうしたらいいかといいうテーマで、我が家に建てたソーラーシェアリングの話をする。人前でお話しするのは初陣だ。あまり物おじしない子なので大丈夫だとは思っていたが、本番が近づくと、こちらの方がはらはらドキドキしてしまう。おかげさまで、いい味を出していたと思う。ソーラーシェアリングばかりではなく、ヤギの話、村でのお年寄りとの交流など、みなさん、とても興味をもってくれたようだ。終わったら、何人かの方が近づいてきて、「一度、遊びに行きたいわ」と言ってくれた。立派な初陣だった。いいキャラをしている。うまく生かしていかないと。鈴鹿から小田原まで車で5時間くらい。日帰りの旅はきつかったけれども、収穫はいっぱいあった。いい一日だった。
2023年10月29日
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暖かで穏やかで。いい季節だな。しかし、もうすぐ寒い冬になる。冷たい風がぴゅーぴゅー吹く。そんなことついつい考えてしまう。ほんの短い秋のさわやかな日々。冬の寒さを思って憂うつになる必要はないじゃないか。寒くなったら寒くなったときのこと。たき火が楽しいぞ。温泉巡りでもしよう。鍋物がおいしくなる。悪いばかりじゃない。今年もあと二ヶ月と少し。秋を楽しみ、冬も喜びを見つけ、気持ち良くお正月を迎えればいいさ。まずは、今のこの天からのプレゼント。思いっきり、このすがすがしさを味わおうじゃないか。山梨の秋、とってもいいよ。ぜひお越しください。
2023年10月23日
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「芋のツル、いるけ?」近所のおばあちゃんが声をかけてくれる。取りに行くと(甲州弁だと『もちに行くと』かな)、「隣の畑もくれるから」声をかけてくれたようだ。あちこちで芋を作っていて、そろそろ収穫時。畑を回ると、働いるのはぼくよりも高齢の人ばかりだ。88歳で耕運機を使っているのもびっくりだし、80代で軽トラを走らせている人はいくらでもいる。去年は90歳を過ぎたおばあちゃんが、芋のツルやら大根の葉をくれた。このおばあちゃん、体調を悪くして入院しているというから、ちょっと心配だ。大量に出る芋のツルは、全部廃棄する。山だったり畑の端だったり、重いから運ぶのが大変だ。だから、ぼくのように持ち帰ってくれる人間がいると、喜んで声をかけてくれる。ぼくはぼくで、ヤギーずの冬場の貴重な食糧になるので、とてもありがたい。近くの小学校でも、児童たちがサツマイモを栽培している。一昨年からもらってきている。学校側もありがたいらしく、教頭先生が「今年もよろしく」とあいさつに来てくれる。山や畑に捨てても、土に帰っていくわけだから、リサイクルされているわけだが、捨てるよりも、喜んでもらってくれる人がいた方がうれしいわけだ。ヤギーずのおかげで、環境面でも気持ちの上でも、いい循環が作り上げられている。芋のツルを大量に運ぶのは重労働。午前中にこの仕事をすると、午後はもうぐったり。だけど、ヤギちゃんためならエンヤコラでがんばっている。こんな生活になるとは思ってみなかった。
2023年10月18日
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昨日、ヤギーずに芋のツルをあげると近所のおばあちゃんが訪ねてくれた。軽トラ(山梨ではケットラと言う)を運転しているのだから大したものだ。2ヶ月ほど前の暑い日、道路端でヤギのエサになるクズの葉を取っていたら、軽トラが止まった。窓から顔を出したおばあちゃん、何をしているか聞いてきた。よく聞かれる。「ヤギのエサ取りです」「ヤギは芋のツル食べるけ?」「大好きですよ」そんな会話から、収穫の時期になったら声をかけてもらうことにした。きちんと覚えていてくれて、わざわざ訪ねてくれたのだ。おばあちゃんのケットラについて行く。県道を左に折れて、桃畑の間を走っていく。何度も右にウインカーを出しては、思い直したようにまっすぐ走る。いくつも行く方法があるのだろう。初めての人が一番行きやすい道を選んでくれているのだと思う。前に三角屋根のお寺が見えた三差路で右折。小さな団地の横を通って、目的の畑へ着いた。5分ほど。狭い畑だったが、ぼくの軽バン(ケッパコと言う)にいっぱいくらいにはなりそうだ。ほかの葉っぱとも混ぜるが、一週間分ほどの食糧になりそうだ。ありがたい。おばあちゃんといろいろ話をしながら、ツルを積みこんだ。「おばあちゃん、何歳ですか?」「88歳」うちの両親が亡くなった年齢だ。芋が終わったら、次は大根。桃も数本やっている。モアというゴーカートのような草刈り機も運転するし、耕運機だって使う。とても88歳とは思えない。元気なのはいいけれども、寂しいそうだ。一人暮らし。ぼくと同じくらいの年齢の子どもがいるが、東京へ行っていて、滅多に帰ってこない。いざというときに頼りになるのは近所の人だけ。と言っても年寄りばかりだから、たまに顔を合わせて、安否確認をするようにしているようだ。日本中、どこの田舎へ行っても、一人暮らしの寂しい老人ばかりだ。88歳になって畑で働けるほど元気ならいいけれども、うちの母親はよぼよぼと杖をついて、墓参りに行くのがやっとだった。心細かったと思う。心細いのは、畑仕事のできる元気な老人でも同じだろう。日に日に、体力の衰えを感じているはずだ。子どもに帰ってきてくれとも言えない。日が暮れれば、一人でご飯を食べて、テレビを見て、あとは寝るだけ。さてさて、こういう田舎の高齢社会事情をどうすればいいのか。ぼくも遠くない先に行く道だ。自分事として考えないといけないな。両親には寂しい思いをさせてしまったが。
2023年10月14日
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ぴょんぴょんと元氣が鈴鹿へ行ってから3週間になる。10月6日から9日までイベントがあったので、彼らに会いに行ったが、すっかり慣れた感がある。ただ、6頭で暮らしていたときと、全体のバランスが違ってきているので、彼らの関係性にも変化があるようだ。6頭のときは、元氣は、一時期トップだったが、あるときから、黒ヤギのかっくんに逆転されて、ナンバー2になった。それでも差は小さくて、かっくんとはほぼ対等に接していて、2頭での頭突きによる力比べは、男を磨く、楽しい時間でもあった。ぴょんぴょんは、3頭の女の子チームのリーダー。ご飯を食べていても、男の子からは横取りされるが、女の子の中では一番に食べられる立場だった。ぴょんぴょんと元氣は、母と息子。しかし、大人になれば関係ない。特に、メスとオスだと、母子の意識はない。鈴鹿での元氣は我が物顔。ぴょんぴょんがおいしそうに草を食べていると、そばへ近づいて行って、ものすごい勢いで、横腹に頭突きを見舞う。だから、ぴょんぴょんはいつも怯えている感じだ。山梨では、4頭になって、かっくんがさみしそうだ。元氣との男と男のコミュニケーションは大切だったのかもしれない。山梨組も鈴鹿組も、戸惑っているところがあるのだろうと思う。ヤギ関係というのも、観察していると、いろいろな発見がある。
2023年10月11日
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ふたつの夢がかなった。一つ目は、ソーラーシェアリングシステムを作ること。まだ電気工事が残っているが、いいのができた。容量は17キロワットかな。一般家庭3軒分ほど。我が家の昼間の電気は、ほとんどソーラーシェアリングでまかなえる。風車をたてれば、少しの風があれば夜でも大丈夫だから、電気の自給ができる。2つ目は、地元のお寺に人を集めること。わずか20軒ほどの小さな村。年寄りばかりで、10年もたてば住む人がわずかになる限界集落だ。古いお寺がある。檀家は13軒。20年ほど前に4000万円を集めて建て替えた。ところが、住職の跡継ぎがなくて、今は住職なし。檀家のおばあちゃんたちがしっかりと掃除をして守ってくれている。せっかくのお寺だから、それにそもそもお寺は人が集まる場所でもあるので、小さなイベントをしたいとずっと思っていた。それが実現したのだ。この村がルーツの樋口英明さん(原発をとめた元裁判長)に来ていただき、お話会をした。村の人たちが11人、外部から5人の方が集まってくれた。中日新聞も取材に来てくれて、翌日の朝刊の地方版に掲載された。いい流れじゃないか。ふたつも夢がかなった。ぼくは幸せだ。
2023年10月09日
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いよいよぼくの人生ラストプロジェクトが始まる。鈴鹿市の実家に、ソーラーシェアリングシステムが完成しつつある(あとは電気工事だけ)。まずはエネルギーを自給することからスタート。ということで、ソーラーシェアリングのシステムを建てたわけだ。ソーラーシェアリングというのは、農地の上に3~4メートルの支柱を立てて、その上にソーラーパネルを置く。支柱をつけることで、下で農業、上では発電ができるようになる。農業だけでなく、売電でも収入が得られるわけで、耕作放棄を有効に使う意図から編み出されたシステムだ。ぼくは、映画「原発をとめた裁判長 原発をとめる農家たち」で、ソーラーシェアリングのことを知った。「これはすごい」と直感した。開発者である長島先生にも会いに行った。ぼくの頭の中には、実家の横の更地にソーラーシェアリングが建って、電気が自給でき、さらには村全体が電力会社に頼らずに電気がまかなえるイメージが浮かんだ。災害で電気が使えなくなったとき、ぼくの実家のある小さな村は、復旧が後回しになる。自分たちで守っていかないといけない。必要なのは、食べ物と水と電気だろう。そのファーストペンギンになる。娘たち夫婦が実家に住むと言い出してくれて、さらに、ぼくの考えにも賛同してくれて、今回のプロジェクトがスタートした。7日には、原発をとめた裁判長の樋口英明さんをお招きして、お話会を開催する。村の人たちが10人ほど集まってくれる。村以外からも5人。小さな会だけれども、ここからが始まりだ。楽しくなってきた。
2023年10月06日
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9月は動き回っている。ほとんど村から出ることのない毎日だったが、今月は、鈴鹿へ二度行き、東京も二度、札幌もあって、松本の予定もある。若いころは、動いていることで、何かやっている実感があった。大した用でもないのに、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていた。いろいろな人と出会えたというプラスはあったが、もう動き回るのはいいかなと思っている。静かに暮らそう。静かにしていても、物事が動ていくような形を作ればいい。代わりに動いてくれる人を作るのもいいし、必要な人が集まってくるならありがたい。ぼくとぼくのまわりに、人をひきつける魅力を作り出さないといけない。そんなことを考えながら、今日もこれから出かけて行く。とりあえず、動くことがあって、動けるならば、それはそれでよしとすることにしよう。
2023年09月23日
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18日にヤギのぴょんぴょんと元氣を鈴鹿へ運んだ。いつも畑へ連れて行くときに乗せる軽のワゴンにワラを敷いて、干し草や青草を積んで、できるだけ快適に移動できるようにして出発。勝沼インターから中央道に乗り、双葉ジャンクションから中部横断自動車道で新東名に。伊勢湾岸道路をへて鈴鹿インターチェンジで降りる。約6時間の車の旅。途中、静岡SA、岡崎SAで短い休憩。岡崎では、隣に止まった車から家族連れが降りてきて、小学生の女の子が目ざとくヤギを見つける。唖然とした顔でこちらを見ていたので、「ヤギさんだよ。見る?」とドアを開けてあげると、うれしそうに近づいてきた。駐車場の雑草を取ってきて、ヤギさんエサやり体験。ぴょんぴょんや元氣は子どもたちは大好きで、おいしそうに草を食べて、子どもたちを喜ばせた。鈴鹿へ着いてからのぴょんぴょんと元氣。これからどうなるの?不安そうな様子ははっきり見られた。このまま置いていくのが切ない。でも、よく遊んでもらった氣恵とマサルさんの家だ。遊べる庭もあるし、物置を掃除したヤギ小屋も立派なもの。これまでの6頭から2頭になったのはさみしいだろうが、すぐに慣れてくれるだろう。昨日(4日目)、氣恵が動画を送ってくれたが、犬たちとも仲良く遊び始めている。10月に行くのが楽しみだ。
2023年09月22日
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我が家にはヤギが6頭いる。明日、そのうちの2頭、ぴょんぴょんと元氣を鈴鹿へ連れて行く。妻の弘美が、長野の果樹園で一目ぼれしたのが、茶色の美人ちゃん、ぴょんぴょん。後先考えずに飼うことにした。ところが、ヤギは群れで暮らす動物なので1頭ではかわいそうだよと言われて、埼玉県東松山で黒ヤギを購入した。かっくんという男の子。山梨に最初にやってきたのはかっくん。と言うのも、ぴょんぴょんが妊娠しているのがわかったから。生れてから連れてくることにした。山梨へは若いママのぴょんぴょんと生まれて間もないチビの元氣がやってきた。うちのヤギのルーツであるぴょんぴょんと元氣。いなくなるのはさみしいが、鈴鹿では、氣恵たちのキッチンカーのお手伝い(看板ヤギ)という、大事な仕事が待っている。甲州市から鈴鹿まで、軽のワゴンに乗せて、6時間くらいかかりそうだ。ヤギたちとの車旅、楽しみだ。
2023年09月17日
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少し涼しくなったが、猛暑の疲れがたまっている。午前中がヤギ仕事。6頭を畑に連れて行き、夜ご飯の草を取る。草取り場はいくつかあって、メニューを変えてあげる。草取りがけっこうハードで、汗だくになる。昨日は畑に大根の種をまいた。12時前にはヤギたちを回収。お風呂の残り湯で汗を流す。お昼ご飯。少しだけお昼寝。原稿書きをしなければと思うのだが、体が動かない。ぼんやりと過ごす。3時になり、4時になり、5時になる。ヤギたちが鳴き出す。「あんなに食べたのに」と思うのだが、腹が減ってくるのだろう。作業着に着替えて外に出る。朝取った草を、食べやすいように切ってあげて、7箱にわけて(6頭が余裕で食べられるように)、柵の中に並べる。これであいつらは寝るだけ。こっちも、お風呂へ入って、ビールを飲んで、晩ごはんを食べて、あとは寝るだけ。今日は夕方から東京でお仕事があるので、ヤギたちの畑行きは休み。午前中、体力回復に努めよう。食事量が少なくてかわいそうだが、がまんしておくれ。
2023年09月13日
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義父が亡くなった。享年92歳。まじめで不器用な人生だった。立派な最期だった。ありがとう!
2023年07月25日
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「暑い、暑い」と言ってもどうしようもないけれども、この暑さは尋常ではない。山梨県にも熱中症警戒アラートが出た。しかし、今県内は桃の収穫、出荷の最盛期。暑いから先延ばしするといいうわけにはいかない。高齢の農家が、3連休だからサラリーマンの息子や孫の手を借りて、収穫に励んでいる。果樹栽培はどうなっていくのだろうか?施肥、せん定から始まって、摘花、摘果をして、消毒を繰り返し、下草も刈らないといけないし、とにかく手がかかる。高齢になると無理だ。後継者はいない。この近辺でも、どんどん樹が切られている。スモモは2021年に輸入が始まった。桃もアメリカから圧力がかかっているようだ。これまでスーパーでスモモを買っていた人が、ぼくが作ったスモモを食べると、スモモってこんなに甘かったんだとびっくりする。そりゃそうだ。ほとんどの農家が、実が青いうちに出荷する。だけど、ぼくのスモモは完熟か完熟に近い状態で収穫する。甘いのは当たり前。輸入となると、船で何日もかかって運び込まれるのだから、もっと早くに収穫するだろうし、農薬も大量に使われるはずだ。おいしいはずがない。このままだと、おいしいスモモも桃も、都会の人の口には入らなくなる。おいしくなければ、果物離れが始まる。果樹栽培の未来は真っ暗だ。熟したスモモや桃を食べてもらいたい。このままでは、果樹たちがかわいそうだ。
2023年07月17日
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今年はスモモが豊作だった。早生品種が終わって、晩生の品種が実り始めている。無農薬一年目の昨年は晩生種はすべて灰星病という病気で落ちてしまった。今年はかなりの数が残りそう。高級スモモの貴陽が1本あるが、最初からみんな落ちてしまうとあきらめていた。受粉が必要なのだが、それもさぼった。ところが、大きくなっている実が20個ほどある。去年は、木が面食らったのだと思う。それまで農薬で育てられていたのが、いきなりの自然栽培だから。でも、2年目は薬に頼らず、自分の力で実をつけることを学習したのだと思う。お中元代わりに贈ったり、何人かには購入してもらったが、「こんなにおいしいスモモは初めて」という、うれしい連絡をあちこちからもらった。今年でおしまいにしようと思っていたけれども、もう一年という欲が出てきた。がんばってみるか。
2023年07月02日
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果樹栽培3年目。1年目は、数本の桃の木を借りた。2年目は、12本のスモモの木。3年目は、スモモに加えて、4本の桃の木。ずっと無農薬でチャレンジした。果樹は農薬なしではできない。これが常識だ。肥料や農薬を使うことを前提に品種改良されているから、難しいのは難しいと思う。ただし、できないことはない。できないことはないが、やろうとする人はほとんどいない。やろうとしないには理由がある。ぼくは、趣味でやっているようなものだから(果樹栽培で生計を立てているわけではない)、できなくても「ドンマイ」ですんでしまう。果樹の収入が生活の糧になっていると、冒険はできない。いつもと違うことをやって、人と違うことをやって、虫がついたり病気で収穫が減ったら、食べていけなくなる。無農薬栽培の高いハードルだと思う。特に果樹は、病気で木がダメになると、木を植えて成長するまで、何年も待たないといけない。農薬を使いたくなくても、使わざるを得ないという農家もいると思う。志をもってがんばっている尊い方もいるが、より自然栽培を広めるためには、志を経済的・精神的に支える仕組みが必要だろう。有機農業に地域ぐるみで取り組もうというオーガニックビレッジ構想を、農水省も進めているようだが、どこまで定着するか、がんばってもらいたい。農水省が動けば、農家にしてみれば、補助金が出て、経済的に守られるのは大きい。無農薬で野菜や果物を育てようと思っている人のネットワークができるのもメリットだろう。ただ、簡単にはいかないような気もする。ぼくは、気功とか代替療法を取材してきた。「医療が変わる」と大いに期待したけれども、残念ながら、あるところで広がりが頭打ちになってしまっている。方法論にこだわったりすることで、本当なら一致団結しなければならない仲間に亀裂が生まれてしまって、結局は流派の壁を超えられずにいるような気がする。有機農業とひと言で言っても、いろいろなやり方がある。自然農法や自然栽培ともまた違う。世の中には山ほど、農薬を使わないやり方がある。ぼくは、微生物が大好きだけど、〇〇菌と××菌とで優劣を争おうとする人もいる。農業の世界も気功や医療と同じで、一家言ある大物がたくさんいる。これを、ひとまとめにするのは難しい。ぼくのような初心者が集まって、ワイワイ言いながら、情報交換をしたり、体験をシェアしながらやると、意外とうまく動き出すかも。「ぼくは〇〇菌を使ってうまくいったよ」「そう。ぼくは××菌を使ったけれども、新しい畑は〇〇菌でやってみるかな」「ぼくは、野菜に『ありがとう』を言っているけど、いいと思うよ」「こんな水もあるよ」「雑草はとらないよ」「いや、ぼくはある程度きれいな畑にしたいな」なかなか収拾がつかないかもしれないが、こういう話の中から、何が大切なのかが見えてくるのではないか。アバウトさが受け入れられるような無農薬であってほしい。低農薬もありだと思う。肥料が必要なときもあるだろう。大物はあくまでもアドバイザー。何が正しいかはわからないという前提で、参考にはさせていただくけれども、盲目的に信じるのはやめる。ぼくが尊敬する木村さんだって、すべてが正しいわけではない。無農薬は、おいしいし健康にいい。そして何よりも、地球をもっと住みやすい環境にする可能性がある。さまざまな災害も、地球の自然治癒力が働いてのことかもしれない。汚染され、破壊された地球が、自ら健康になるために動いている。それなら、ぼくたちにできることで、地球が快適だと思えるようにすればいい。そのひとつの手段が無農薬・無肥料であり、結果的に、ぼくたち、ぼくたちの子孫を救うことになる。
2023年06月28日
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この間、ムカデに噛まれた。何と作業用の手袋の中に潜んでいた。長靴や手袋は、必ず仕事の前に確認するのだけれども、その日はいきなり手袋をはめた。そしたら、右手の人差し指に鋭い痛み。「やられた!」ムカデの姿がぱっと頭に浮かんだ。毒が回らないようにと輪ゴムで人差し指をきつく縛り、ボールに熱めの湯を入れて指を温めた。小笠原へ行ったときに、クラゲに刺されたときには熱い砂に埋まるといいと教えられた。毒は熱に弱いのだそうだ。それを思い出しての行動だ。そして、冷蔵庫の中から秘薬を取り出した。知り合いの猟師さんからもらった熊の脂。いざというときのためにとってあった。これをたっぷりとぬった。じんじんとした痛みが断続的にある。妻の運転でとりあえず皮膚科へ向かう。ぼくは田舎育ちで、まわりにハチやらムカデやらマムシやら、毒をもっている生き物がたくさんいた。友だちはしょっちゅうハチに刺されていたし、母親がムカデにかまれたのを知っているし、マムシにかまれた知り合いもいたけれども、慎重派のぼくはミツバチに刺されたくらいしか記憶がない。山梨へ来てから、妻や長女がムカデにかまれそうになったことがあったが、ぼくは大丈夫だという自信をもっていた。それが油断につながった。皮膚科で診察してもらうと、医師はぼくの指に輪ゴムがはまっているのを見て、「これは無駄です」と笑った。ムカデの毒は体に回らないのだそうだ。そして、アレルギーを抑える飲み薬とステロイドの軟膏を出されて診察は終わり。初期の対応が良かったのか、思ったほど腫れることもなく、痛みも翌日には治まり、ほっとした次第だ。ただ、かまれて5日ほどだが、傷口のまわりがかゆくて仕方ない。指の先端だけ腫れがある。長引くものだ。何の意味があったのだろう?夢占いでは、ムカデにかまれるのはいいことが起こる前兆なのだそうだ。金運もやってくると言う。実際にかまれたのだから、夢以上に現実化するはずだ。実際、いい流れはきている。この流れに乗っていこうと思う。
2023年06月19日
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一昨日は、ヤギーずのエサ取り(草取り)でくたくたに。雨が続きそうなので、何日分も鎌で刈っては、コンテナや角袋に入れて車に運んだ。そのせいで、筋肉痛と倦怠感がひどく、なかなか寝付かれない状態だった。無理してはいけないなと反省しつつ、しかし、昨日今日とけっこう元気が戻ってきた。痛みも軽くなって、逆にすっきりした感じ。67歳にしてはなかなかの体力だと自画自賛。これから雨が多いので、天気予報を見ては、エサ取りの予定を立てないといけない。暑くなると、刈った草も蒸れてしまって、保存がきかなくなる。体力も過信できないし、干し草も上手に使いながら、梅雨時のヤギーずの食事情、コントロールしていかないと。
2023年06月12日
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田舎での生活は刺激的だ。虫、特にムカデにはびっくりさせられた。去年、寝室で長女が大声を張り上げた。驚いて駆け込むと、真っ青な顔をしている。「ムカデ・・・」と言ったまま言葉が出ない。寝ていたら、足のあたりがもぞもぞしたらしい。何だろうと思って手を伸ばし、異物をつまんで見ると、ムカデだった。ギャーと悲鳴を上げて、放り投げたということだった。どこにいるのかと探してみると、部屋の隅にいた。割りばしでつまみ上げて、外へ逃がして一見落着だったが、よく刺されなかったものだ。今年の夏は妻だった。「なんかいる、なんかいる」体をもぞもぞさせている。「キャー」と悲鳴を上げてTシャツを脱いで捨てた。すると、シャツの中からムカデが。たぶん、天井にいたのだと思う。それが首筋に落ちてきたのではないか。最初はタグのあたりに違和感があったらしい。ぼくの場合は、鈴鹿の実家へ帰ったとき、空き家になっていて、2カ月ぶりかの帰省だった。お風呂へ入ろうと思って、洗い場に水を流したら、排水口から大きなムカデがはい出してきた。ぎょっとする。どうやってつかまえたか忘れたが、何とか外へ追い出したけれども、それ以来、お風呂へ入るときには、排水口が気になって仕方ない。妻は、去年はハチに刺され、今年はチャドクガにやられた。ぼくはもともと田舎で暮らしていたから、虫への抵抗力があるが、都会育ちの妻にとっては、衝撃の日々だったと思う。それでも、ひるむことなく草むらに入っていって、ヤギーずの草をとっているから大したものだ。これからは蚊の季節だし、ネズミもいる。我が家の屋根裏には、ハクビシンかアライグマか、小動物が住みついていると思う。ときどき、ガタガタと音がする。田舎暮らしにあこがれている人も多いかもしれないが、都会では体験できない、大変なことがいっぱいある。ただ、妻のように慣れていくしかない。妻も、かつてはぼくの実家から送られてきた白菜に小さな虫がついていたら、「ギャー」と大声を上げていた人だった。今は、小さな虫など手でつかんで投げ捨ててしまう。さすがにムカデは勘弁してもらいたいが。
2023年06月09日
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妻と一緒に桃の袋掛けをした。4本の桃を、ほぼ無農薬で栽培していて、ゴルフボールよりも大きくはなったが、油断はならない。現時点では、1本にアブラムシが発生している。酢を散布しているが、それでもすごい繁殖力で増えている。葉にアブラムシが群がり、白い粉が葉を覆って、アブラムシというくらいだから、べとべとした液で葉が濡れているのは見るに忍びないものだ。しかし、ある程度増えたら止まるはず。この1本は犠牲にするくらいの気持ちで、大らかに見ていようと思う。楽しみなのは、自然の法則として、アブラムシが増えれば、必ず天敵がやってくること。アブラムシの天敵というとテントウムシが有名だが、それだけじゃない。アブラムシをエサにする虫はたくさんいる。一昨年の初挑戦のときは、ウスバカゲロウがやってきた。現時点では、クモが巣を作り、そこにアブラムシが引っかかっている。農薬を使ってないので、また新たな天敵がやってくるはずだ。虫や病気も発生するかもしれない。越えなければならない壁はいっぱいある。幸いなことに、ぼくは果樹栽培を生業にしてないことだ。収穫がゼロになっても、経済的なダメージがない。だから、のん気なことを言っていられるのだが、せっかくのありがたい立場なのだから、いろいろチャレンジしてみようと思っている。収穫できたら販売して、お小遣いにさせてもらうけどね。今日も袋掛けの続きをする。もうひと息だ。
2023年06月07日
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札幌の義父が山梨へ来たのは5月22日だった。昨年11月に倒れて、ずっと札幌の病院に入院していた。91歳と高齢でもあり、人生の幕引き段階に入ったと思われた。3月に氣恵が結婚し、「おじいちゃんに花嫁姿を見てほしい」と札幌のホテルで結婚式を挙げた。車いすで参列してくれた。前々から「おじいちゃんを山梨へ連れてくるか」と弘美とも話し合っていた。「おじいちゃんに聞いてみるといいよ」本人の意志が第一だ。おじいちゃんは、「山梨へ行く」とはっきりと弘美に告げた。ストレッチャーに寝たまま飛行機と介護タクシーで山梨への移動。長い移動は体にも負担がかかるだろう。しかし、本人の意志を尊重して、リスクを犯すことにした。山梨の施設で過ごした一週間は楽しそうだった。ご飯も「おいしい、おいしい」と食べた。大好きな相撲をテレビで見ていた。面会も自由だったので、弘美は初日は施設に泊まり、2日目からも毎日行っていた。孫たちが顔を出すと、うれしそうに笑っていた。スタッフの人たちからも「かわいいおじいちゃん」と大事にされ、冗談も言っていた。しかし、ある朝、ぐったりとしていて反応が悪いというので、病院へ救急搬送された。主治医の先生から話を聞くと、心不全、脳梗塞、肺炎と、重篤な状態だった。「あんなに元気だったのにどうして」とついつい思ってしまうが、もともと血管がボロボロで、いつ何があってもわからない状態だと札幌の主治医からも言われていた。91歳という高齢。いたしかたのないことなのかもしれない。たった一週間と思うのか、一週間楽しく暮らせて良かったと思うのか。ぼくは、一週間の楽しい時間は貴重だったと思う。せめて来年の春の桃の花を見せてあげたいと思っていたが、このままでは厳しそうだ。「もう少し」と思ってしまうが、キリがない。三女の氣歩が来てくれて、指談で義父の気持ちを聞いてもらった。ありがとう。迷惑をかけたごめんな。山梨は楽しかった。そんなことを伝えてくれた。そして最後に、「もうそろそろだな」と言ったそうだ。いつか人はあちらの世界に旅立っていく。十分にわかっていることだが、切なくさみしいものだ。すてきな旅立ちになるため、少しでも役に立てればいいと思う。
2023年06月02日
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札幌の義父が山梨へやってきた。札幌市内の病院から、ストレッチャーに乗って介護タクシーで新千歳空港へ。空港で、兄弟や娘、孫と会って、ストレッチャーのまま飛行機へ。羽田からはまた介護タクシーで山梨へ。8時半ごろに病院を出て、3時ごろに山梨の施設に到着した。氣恵たち夫婦も鈴鹿から駆けつけてくれた。長旅で疲れただろうが、思ったより元気でびっくりした。寝たきりの状態だと思っていた。病院からもそういう報告を受けていた。しかし、ベッドに寝かせると、手すりをもって起きようとする。「起きたいの?」と聞くと、首を縦に振る。ベッドから足を出して腰かける姿勢に。筋力が衰えているので、すぐに後ろに倒れてしまうが、また起き上がろうとする。介護の方も、「病院の話とはずいぶんと違いますね」と首を傾げる。今の状況があまり飲み込めていない様子はある。施設の真新しい部屋に入って、知らない人が何人も出たり入ったりして、少々混乱しているところもあるのだろう。「不思議だ、不思議だ」きょろきょろ見回していた。「山梨へ行く」と何度も言い聞かせてあるし、本人も、「山梨へ行きたい」とはっきりと言ったのだが、ストレッチャーに乗せられ、タクシーで空港に行き、飛行機に乗って・・・という慌ただしい動きは、彼にとっては現実ではなかったのかもしれない。夢を見ているのかも。そんな気分だったのだろうか。妻は大変だった。何度も山梨・札幌を往復し、病院と打ち合わせをして、移動の準備もした。実家の片付けも、妹夫婦とやった。くたくただろうと思うが、こういうときには、すごいエネルギーを発揮するのが妻の特徴だ。それでも、施設に着いたときには、さすがに安心したのだろう、廊下にバッグを忘れるという、彼女らしくないチョンボもあった。いい親孝行をしている。とにかく、ひと段落。おじいちゃんが山梨生活を楽しんでくれるといい。富士山を見て欲しい。桃を食べて欲しい。来年の桃の花が見られるといいな。いろいろ欲が膨らむ。
2023年05月23日
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しばらく寒い日が続いた。もう5月も半ばだというのにコタツを片付けられずにいる。足を温めながら原稿を書いているのは気持ちいいけれども、この時期にコタツというのはおかしな話だ。今朝の富士山は真っ白。長女は不順な天候のためか、体調を崩したようだ。今年は花粉症がひどかった。それに、もともと変化やストレスに弱いところがあって、こういう、暖かくなったと思っては寒くなるような不安定な日が続くと、体がついていけなくなる。今日は一日、布団の中だろうな。ぼくの不調は、寝付きが悪いことかな。何年か前は、布団に入ればすぐに眠りに落ちた。今は1時間くらいは眠れないで、布団の中でもぞもぞしている。いろいろなことを考える時間にしている。今日を振り返ったり、明日は何をしようかと考えるというたわいもないことだったり、物語を頭の中で考えたり。そうこうしてるうちにいつの間にか眠っている。夢をよく見るということは眠りが浅いということだろうか。いずれにせよ、眠りの質はいまいちだろうな。ただ、寝不足という感じはないし体もよく動く。良しとしよう。これも老化現象。自然の成り行きだ。ヤギのぴょんぴょん、少し食欲がない。元気もない。やせているような気もする。ヤギも寒かったり暑かったりがこたえているのだろうか。そうこうしているうちに暑い夏になる。早く起きて仕事をしないといけない。よく眠れるようになるかも。
2023年05月16日
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昨日は母の日だった。母のことを少し思い出してみた。昨年の7月29日に亡くなって、間もなく一周忌だ。去年の今ごろは、山梨の施設で暮らしていた。コロナのせいで、ほとんど面会もできなかった。脳出血で倒れて、1ヶ月に1度くらい会えたが、意識はあったものの、まわりの状況がわからずにぼーっとしていることが多かった。倒れて数ヵ月後、鈴鹿から山梨へ連れて来た。母の意志は確かめられなかった。ひょっとしたらずっと故郷にいたかったかもしれない。あるいは、近くに息子がいるということで安心してくれていたか。ぼくは、あれで良かったと思っている。亡くなるときには、手をとって「ありがとう」を言えた。母の目から涙が一筋流れたのを覚えている。鈴鹿の施設にいたら、あんな別れ方はできなかったと思う。母が心配していた、鈴鹿の実家だが、氣恵の結婚と実家への引っ越しという、思わぬ展開が起こっている。去年の今ごろは考えてもいなかったことだ。村の人たちもとても喜んでくれているようだ。ご先祖様も喜んでくれていることだと思う。2018年に父が亡くなってから、「よく病気にならなかったね」と妻が感心してくれるが、激動の4年だった。思い出せないくらいしんどかった。母はぼく以上につらかったはずだ。しかし、結果的には、一番いいところに着地した。妻も最後の親孝行ということで頭がいっぱいの日々が続いていた。昨年の終わりに札幌の義父が倒れて入院したのだ。札幌ではいざというときに会いにいけないので気が気でなかった。施設を探すのに何度か札幌へ行った。札幌に住んでいる妹とも、どうすればいいか、いろいろ話し合った。「おじいちゃんの希望通りにしてあげようよ」幸い、義父には意識があったので、これからどうしたいか聞いてみた。義父ははっきりと言った。「山梨へ行きたい」どうしたらいいだろうと迷っている間は落ち着かないが、こうすると決めたら腹が据わるものだ。22日に山梨へ連れてくることが決まった。病院からストレッチャーに乗って介護タクシーで新千歳空港に行き、そのまま飛行機に乗り込んで、羽田から山梨まで介護タクシーで移動。けっこうおおごとだが、助けてくれる人がいるのはありがたい。母のときもそうだったが、たまたま、高齢者や病院、障がい者の移動を生業としている人と知り合ったことで、選択肢が広がった。石和にいい施設(サ高住)が見つかり、そこに入ることも決まった。面会はもちろん、泊まってもいいというので、最後の親孝行ができる。ぼくの両親はすでに亡くなっている。妻の母親もいない。義父は最後の親になる。亡くなり方というのはとても大切だと思う。旅立つ人も、残った人も、満足して「さよなら」を言えるのが一番だ。肉体的にも精神的にもきつい時期が続き、さらには、山梨へ移住するという変化があり、ヤギたちと暮らすという思ってもみなかった生活が始まり、次女夫婦のおかげで鈴鹿の実家も活用できることになり、さらには義父も山梨へやって来る。いろいろな体験をさせてもらえている。我がことながら、ずいぶんと人間としての幅が広がったような気がする。深みも出たかな。まわりが育ててくれる。そういう意味で、母にも「ありがとう」だ。命日と母の日くらいは、亡くなった母を思い出し、感謝する一日にしたい。
2023年05月15日
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歯医者から帰ってくる途中、車をぶつけられた。片道2車線の広い道路。ぼくは左端を走っていた。隣は長女の氣子。前方の真ん中に白い軽トラックが見えた。道路を渡ろうとしているのか、Uターンしようとしているのか。ぼくは、その横を通り抜けようとした。すると、軽トラックが動き出すではないか。追い越し車線に入ろうと右に曲がる軽トラック。しかし、大まわりになって、ぼくの車の右後方にぶつかった。「ああ、大事にしていた車なのに」とため息をつきながら、左の路肩に車を寄せた。すると、軽トラは、ぼくの車の右横を走り去ろうとする。「おいおい、当て逃げか」すぐに追いかけた。信号で止まっているところを、長女が助手席から降りて、すぐ横の駐車場に誘導し、警察を呼んだ。ずいぶんと高齢者の夫婦だった。畑から家に帰る途中だったようだ。「そっちが割り込んできたから。こっちは悪くないし、大した事故じゃないので、そのまま帰ろうとした」とんでもない言い分だ。けんかしても仕方ないので、あとは警察と保険会社に任せて帰ったわけだが、まずは大した事故じゃなくて良かった。車も小さな傷ですんだ。事故なんて何年振りだろう。40年ほど前、営業の仕事をしていたときに、自分の不注意で、2度ぶつけてしまったことがある。それ以来のことだ。これから、車で動くことも多くなりそうだ。それも遠出が増える。役落としだったのだと思うことにする。
2023年05月11日
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妻と一緒に鈴鹿の実家へ帰っていた。先月末から次女夫婦が住み始めた。近所へのあいさつ回りと、部屋の片づけ。犬たちが3頭と猫が1匹。にぎやかになった。2019年から母が一人暮らし。。母も昨年亡くなり、空き家になっていた実家が元気を取り戻した。ソーラーシェアリング(農地の上で太陽光発電をする)を取り入れたくて、鈴鹿で事業を展開している会社に連絡を取った。太陽のエネルギーを発電の農業で分けることから、ソーラーシェアリングと呼ばれている。見学をさせてもらったが、通り一遍の説明だったので、ちょっとがっかりだった。社長が多忙で社員の案内だったせいだろうが、ソーラーシェアリングという新しい事業に取り組む、信念や情熱が感じられない。急なお願いだったから仕方ないが、今度は、社長に話を聞きたいと思っている。エネルギーや耕作放棄地の問題に取り組み、地域を活性化させるという、そんな思いのある人と組みたい。小田原にはそういう人がいるので、今度、会いに行こうと思っている。ソーラーシェアリングの発案者である、長島先生にも、もう一度、会いにいかないと。とりあえずは実家が再生しつつある。これから、娘夫婦の若い力と発想を軸に、いろいろな人の知恵を借りつつ、山梨とのパイプも作りながら(夏には山梨直送の桃の販売をする予定)、面白いことをやっていきたい。昨日、山梨へ帰ったら、次女から連絡が入った。ミタラシというトイプーとチワワのミックスの男の子のお嫁さんが見つかったとか。トイプーのアズキちゃん。これで4頭か。アズキちゃんが赤ちゃんを産んだら、我が家で育てることになりそうだ。ミタラシのお嫁さんが決まった!そして、うちにいるヤギたちの女の子に赤ちゃんを産ませて、それを鈴鹿で飼うという計画も進んでいる。あかりの赤ちゃんが鈴鹿に行くかも
2023年05月05日
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去年から「5年連用日記」をつけているが、すももの栽培、去年は何をやっていたか、一目でわかるから有用だな。連休あたりから摘果をしている。「取り過ぎだ。ぜんぜん実ができないぞ」と言われたのを覚えている。それでも十分にできて、おいしくいただいた。今年のせん定のときも、「切り過ぎだ」と言われた。農家の人というのは、「こうしなきゃいけない」という思い込みがけっこう激しい。農薬や肥料がその代表だ。だから、無農薬栽培でうまくいくのは素人の人が多いのだろう。うちの両親も、農薬・肥料はなくてはならない農業をやっていた。ぼくが「無農薬」の話をすると、「お前には経験がないから」と一刀両断。経験は大事だけれども、経験に縛られると進歩がなくなる。とは言え、今のぼくは、桃の葉が茶色くなってきて、参っている。葉が落ちて、収穫はゼロかもしれない。やっぱりぼくはダメだ。農業に向いてない。がっくりと落ち込んでいた。しばらく悩んだけれども、こういうときは、先輩に相談するのが一番だ。農薬を使えと言われると嫌だなと思いつつ、桃の木を貸してくれた方に聞いた。そしたら、「毎年こうなりますから大丈夫ですよ」と意外な言葉。心配しつつもほっとしているところだ。失敗からは学ぶことがあるというのは本当だろうけれども、順調に進まないとめげてしまう。メンタルの強さがないと、失敗からは学べない。めげっぱなしだとやる気をなくしてしまうので、こういうときはひと息入れて、「まあ、いいや」と割り切って、できることをやるしかない。内観の石井先生はこんなことをお話ししてくれた。「私は学生時代に坐禅の修行をしましたが、3年で挫折しました。よく考えると、お釈迦様は一生かけて坐禅・瞑想をして、やっと悟りを開いたわけです。私はたった3年やっただけで、悟れないとあきらめました。なんとごう慢だったのかと、今は思います」奇跡のリンゴの木村秋則さんは、11年間、一個のリンゴもとれないのにがんばり続けた。村八分になりながら極貧の生活に耐えた。ぼくは、まだ始めたばかり。それも、趣味のような取り組み方だ。うまくいかなくて当たり前じゃないか。初めて桃の栽培をした一昨年。「一個でも実ったら泣いちゃうよ」と、毎日、桃の木に「ありがとう」と声をかけていた。あの「初心」を思い出さないと。ぼくのレベルでは、一個でも実れば大成功。ゼロ個でも、チャレンジしただけで100点満点。欲張っちゃいけない。初めての桃栽培。無農薬でこんなにもいいのができた。おいしかった。一昨年の初心を思い出そう
2023年05月01日
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