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またまたブログの方がひと月あまり間隔があいてしまい失礼しました。お正月開けのものから、月日は過ぎ時は3月上旬頃。黄金色の自販機は名古屋の金山駅にありました名古屋と言えば、グランパスエイトでも今日はバンテリンドームナゴヤにあの侍ジャパンが、壮行試合でやってくるというので、チケットも無事に取れたので娘とやってきました試合前には、開場までイオンモールナゴヤドーム前店をうろついてみようかと思います。対戦相手の地元の中日ドラゴンズのユニホームがありました中日ドラゴンズの若手選手の野球用品なども展示されてましたし今シーズンもドラゴンズのマスコットドアラのシッポが御神体であるドアラ神社も鎮座されてました小腹が空いていたので、フードコートで寛いでいると、娘が侍ジャパン仕様の半額ランチパックを買ってきました。ドームは瓶、缶、ペットボトルの持ちこみが出来無いので、ここで紙パック飲料を仕入れます。軽食も皆さんもテレビでご覧になったと思うWBCのグッズ売場の入場の大行列試合の帰りは待ちなしで入場出来たみたいだ入口付近では、あちこちでテレビ局などのカメラがいたりして、いつもの試合と違って、何だかお祭り気分だ今度は、黄金色のポストがあった。これは東京オリンピックで金メダルをとった侍ジャパンに参加した中日の大野雄大を讃えるものだそうだバンテリンドーム開場直後の入場列試合には出れないが、試合前の練習で大谷さんなどのメジャー選手見たさに早くから、中に入りたいからだと思う座席からの眺めはこんな感じ。一塁側2階席の後部にあたるので、スマホでは選手の写真など撮れそうもない。しかし望遠付きの一眼レフカメラと、双眼鏡を持ってきているまだ一眼レフの写真をパソコンに取り込んでいないので、練習と試合風景は次回のブログで紹介しますトイレにいったついでに、ドラゴンズミュージアムを見学。優勝フラッグや2018年の時の侍ジャパンの色紙今年から入団したルーキーの選手らの色紙と縁のグッズも展示してあったこの中から近い未来のドラゴンズを支える選手が、沢山うまれてくればいいなぁ。なぜにアンパンマンそれにしてもルーキーながら、既にサインは手慣れた感じだ。ルーキーコーナーに続いて往年のドラゴンズOBの紹介がありまして、懐かしいし最近のファンなら荒木さんイメージの背番号2も、中高年ともなってくると田尾さんだ!となってくる。この辺になるとわかんないや…と、後ろにいた青年の声バンテリンドームの引退試合に行った山本昌投手は、ラジコンカーだったなんてしみじみしているうちに、選手入ってくる時間だし慌てて座席に戻って、選手入場には間に合った。スマホの写真では誰が誰だか。一眼レフの望遠でもアップは無理だが、少しはマシかも。次回のブログでまた午後7時スタートで、遅くなると思い最寄り地下鉄駅から乗換なしで行ける栄のホテルにチェックイン。次の日は栄付近をウロウロとしてみた栄オアシスにはドラゴンズのグッズショップもあるお昼は日乃屋で温野菜カレー。ご飯を小盛りに出来るのが有り難い。電車で中津川駅まで帰ると、車で旦那が迎えにきてくれていてルビットタウンのスガキヤが、スーちゃん祭りで、半額ラーメンをしていたので、夕飯にデザート付きのを食べたいよいよ、これから準決勝のメキシコ戦。きっと勝って、つぎなる決勝ではアメリカ倒して貰いたいものです一眼レフの写真、ヌードバー選手とかうまくとれてたらいいけど 2023年3月に名古屋で撮影 日記更新を先にさせていただきましたが 皆さんのブログには本日中に伺いますあ
2023年03月20日
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まだ先月の日記が続きます。1月10日テレビでは西宮神社の境内を疾走しての福男選びが放映されるが、その西宮神社から分霊されたのが、中津川の西宮神社である商売繁盛の十日市は週末と重なればかなりの人出だか、平日で朝早くに出かけたので、全く参拝者もいない旦那も、まだ会社にいっていたので私が御札を頂戴しに出かけてみた週末であればここに参拝者の行列が出来ているが、今日はそれもない御札を千円で購入すると、クジを引けるのだか、残念ながら末等の割り箸だった。一度だけお神酒が当たった事がある体も冷え切ったので、街歩きをする前に、マクドナルドでのコーヒータイムそうこうしているうちに、参拝者も増えてきた。ぐるっとまわってきて買ってきたのは十日市でしか販売していない恵比寿饅頭。中津川しんで割引されていたよもぎ餅とイチゴ最中。信州飯高の赤飯饅頭地元で生産された黒にんにく千円国産と思われる干しいも三袋千円地元のスーパー、スマイルの出店でお歳暮の解体品らしきハムがよりどり10品で千円とは、お得な買い物だそれより少し遡ること1月7日にはお隣の恵那市の七日市があったけどコロナの関係なのか出店が無くって学生らがコンビニの駐車場で暇そうにしていたその日は娘と二人でやってきていたが昼は、駅前近くのアッツダイニングでランチを食べる事にした。初めてのお店だ。スープとサラダに選べるパスタ。娘とタイプの違うものを頼んで食べ比べをしたりもする。濃厚だ食後にデザートには、こんなデザートまで付いているのは嬉しい。値段も然程、高くなかったと思う。実はもう忘れたこちらは別日に、恵那市街地からは少し離れたところにある自然薯山里ここも娘と二人で平日に出かけたもちろん注文したのは、平日ランチ娘は洋風で私は和風。二人足してもホムペのクーポンを使って二千円最初にといてない自然薯と、むかごむかごとは、山芋の葉の付け根にできる球状の芽であるらしいそば、天ぷら、刺し身、自然薯汁と大好物ばかりだ食後にはコーヒーか、デザートがついている。コーヒーにしてみたこちらは旦那の運転で、娘と三人で出かけた、中津川市付知でのランチ旦那と娘は数量限定の日替わり定食私は蕎麦にしてみた。結構、暇だと近場ドライブに出かけるのが好きな家族。いつも同じところだけどうちのあたりは寒いけど、あまり雪は積もらないが、珍しく真っ白になった平日の昼、用事があって仕事を休んだ旦那と二人で、市内のうどんかま濃でランチ旦那は平日ランチで私はネットクーポンを使って、安くなったミニサイズのオムライスだがミニの割りには食べるには丁度いい日曜日だというのに冬の馬籠宿には珍しく観光客の姿がなった馬籠宿の上の方にある近江屋さんで五平餅をテイクアウトしてきて家で食べた。寒い冬は五平餅が食べたくなるさて前回、紹介をした車で1時間強で行ける土岐のイオンモールだが、山を挟んで、土岐アウトレットがあるのでこの前も一緒に立ち寄ってみた土岐アウトレットから新しい道を通りイオンモール土岐まで、わずか5分弱一緒に回るのを見込んでなのか、新しいイオンモール土岐には、ファッション関係の専門店が少ないようなと言うか、イオンの食品売り場などはあっても、このイオンモールにイオンの衣料品や雑貨売り場が存在しないのだイオンで洋服とか下着などを購入する旦那は何でないんだ〜と不満たらたらブログの日記更新を先にさせていただきましたが、皆さんのブログには明日中に伺います
2023年02月16日
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節分も過ぎて、もう2月も半ば。この暖かくなったり、寒くなったりの繰り返して、体調を崩しやすいのか軒数もすくないのに、週に三度も救急車がやってきて、うちの近くに停まった時は遠くから見た人は、うちの舅が倒れたと思い込んだらしい。かなり足腰も弱ってきたので、要介護認定を受けさせて春に結果も出るらしい。要支援あたりだとは思うけど…じいちゃんから見たら若い、中年の女性が嫌がらず、あれこれ話を聞いてくれたので帰る時に、もう少し話してってと言ってたなんて話が好きなのに、デイサービスには死んでも行かんそうださて写真の方は、2023初めての外出で旦那の運転で、娘と出かけたドライブは高速を西へ、小牧東インターで下りて犬山の入鹿池を見ながら、そのまま西へ今度は、木曽三川公園のタワーが見えてきましたカーナビがあるおかげで、ドライブも快適ですが、推奨ではなくって短距離みたいな設定にすると、うちのあたりもとんでもない細い道に案内されるので注意が必要やってきたのは世界淡水魚園水族館アクア・トト岐阜で、子供が小さな頃一度出かけて以来となる。今回は正月に大きなイオンモールに出かけようと思い各務原のイオンモールに近いので観光がてらやってきたさてさて舅に要介護認定を受けさせた以外にも、我が家も大きく変化の刻がやってきた。高卒以来45年以上にわたり働いてきた会社を、旦那が春には65才となるので離職するのだ既に60才で定年をして、それ以降は定年後再雇用で、同じ仕事をボーナス無しの安給料でやってきたのだけどそれも今日が最後。来週からは有休の消化となる。そんな時期でも関東地区の事業所にも出張があり、離職の挨拶が出来たと喜んでいた離職後は失業手当を貰って、週に2日か3日の仕事でも探そうかと。どうせ家にいても、口が達者な舅からやらなくても良い事まで、あれやれこれやれと言われ続けるだけだからそんな訳で来週から一日中、旦那がいるので、朝からゴロゴロしてドラマ見たり、昼は適当でというのも難しくどんな生活になるのやら写真は日本で一番大きな淡水魚であるイトウでサケの仲間こちらは世界最大の淡水魚のピラルクーアロワナの仲間で、一億年に渡って姿が殆ど変わっていないそうだ大きな水槽をお掃除中水槽のお魚にお食事タイムカワウソもお食事のようですこのアルビノ個体のナマズは岐阜生まれ幸運の金色のナマズだそうだアクア・トトは川島ハイウェイオアシスと隣接しているので、そちらものぞいてみた織田信長と明智光秀が手をつないでいるしキムタクの信長はどうかわからないけど大河の岡田准一の方は体育会系でワイルド徳川家臣団といい武士にもおもえない漫画チックなノリで、なんかな…この後にイオンモール各務原に出かけましたが写真が無いです。施設内のフードコートでお昼も食べてウロウロ帰りは高速を使わず下道で、多治見を抜ける途中、ミニストップがあったので前から食べたかったソフトクリームを買ってみました昨秋にオープンしたばかりの、うちから車で1時間強と、一番近いイオンモール土岐に、旦那がまだ出かけていなかったので立ち寄りました。もう夕刻なのにすごい車。アウトレットも近隣にあり名古屋や、三河からも近い事もあってお出掛けタイプのイオンモールなので温泉施設やゴーカート施設、ハウジングセンターまであるというのに普通のイオンモールなら当然あるような映画館も、無印も、ユニクロも、カルディも無い!という地元民からしたら、今まで通りに名古屋に行けよ!という中途半端なイオンモールです。旦那の好きなリンガーも入っていない日記更新を先にさせていただきましたが皆さんのブログには、明日中に伺います
2023年02月10日
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あけましておめでとうござきますあっ前に言ったか。ともかくブログの日記の方は遅まきながら、やっと今年のお正月となりました。もう2月にも近いというのに地元のお寺で、除夜の鐘をつくと貰える干支根付とおみくじ、地元の神社に初詣すると、もれなく貰える長寿箸ですお正月らしく、かわいい市販のおせちなども食べてみました。これは恵那の銀の森のもので、一人用おせちが2個セットになっておりますお正月はやっぱり、美味しそうなお肉を買ってすき焼きです。うちは岐阜県なのでスーパーには飛騨牛も売ってますが、予算的に食べません元日は自宅で、テレビで駅伝中継を見ていましたが、2日にはお出掛けで3割引シールに釣られて、お寿司と今度は山形牛を買ってきて、またすき焼きをしましたこれはお正月明けの7日、スーパーで4割引きのラベルに釣られて、またまた黒毛和牛を買ってしまい、3度目となるすき焼きとなりました舅姑はこうゆうお肉のは食べないので旦那と私の三人では、一度には食べきれなかったので、その次の日の夜も残りの半分を使ってすき焼きでしたそして日にちも空きましたが、今度はラベルに半額の文字。これは買うしかないと思って、5度目のすき焼き。家族もすき焼きにするのが一番美味しいといいますし、準備も楽ですお正月といえば、やっぱ福袋も外せません。年末に既にミスタードーナツのものを買いましたがこちらは東海地方のソウルフード寿がきや、千円で食事券千円分と五目飯の素とメンマでした全国的たこ焼きチェーン、銀だこは3千円で、たこ焼きの引換券だけでも4千円位になります。これまでの3店はどれも引換期限があるので要注意ですお正月明け、少し後になった頃にダイショーの福袋1229円が、半額になっていたので購入。今年はコーヒーの福袋はやめました東海地方の衣料品チェーンであるあかのれんの初売りでは、靴下が50円だったので、娘と沢山購入しました。手袋だけ200円です今年も半額祭り、頑張って参戦し厳しいインフレにも、ささやかながらも対抗していますお正月が過ぎてイチゴも一パック398円と例年の価格となったのでやっと購入できました。コンビニで見切り98円だったのは、普通に美味しいものでした栗きんとんより好きな二葉軒の恵那饅頭も、スーパーで割引きされていたので、迷わず購入酒饅頭ですこの時期に干し柿に栗きんとんが入った高級和菓子が販売されてますが自家製の干し柿に栗きんとんでマネしてみました値上げといえば庶民の味方、マックも昨年に続き今年も値上げされるというので、その前日。買い物のついでに、旦那と娘と出かけて色々と注文ハッピーセットのアプリクーポンがありチーズバーガー、ポテト、ジュース単品を組み合わせるより安くなるので一つ購入トーマスのおもちゃとシール貰いましたさてさて野球ファンはまもなく始まる4年に一度のWBCに、オータニさんが出場すると話題になってます。かつて第一回の東京ドームの日本戦が懸賞に当たってイチロー見てきたのですがやっぱコロナも心配で東京とか、行く勇気もないし、せめて中日との名古屋のバンテリンドームである試合は、見にいきたいな~と、1月7日土曜日の一般販売に備え、購入の作戦を考えましてWBCの3塁側ではなく、中日の1塁側で高くも安くもないハンパなA席あたりがとれそうじゃないかと…チケット販売各社のサイトに、直接にネットでアクセスするのと、コンビニの店頭の販売機を利用をする方法がありスマホやPCのネット回線がパンクをすると予想をしまして駅前とかから離れた、車でしか行けようなコンビニの店頭に開始15分前に待機。迷ったけどセブンイレブンでチケットぴあ。他に利用者も来ないので安心して機械の前に占拠できまして開始前にマルチコピー機を操作して公演のPコードを打ち込み、あとは試合日時をポチッと、指定をするという段階で10時を待ちます。娘が行きたいと言うのでとりたいな。ドキドキお陰様でチケット取れました。既に先行販売とかもしているので、前の方では無いですか、通路脇なのが嬉しいですこれで侍ジャパン唯一の中日選手、高橋宏斗君の応援が出来ますちなみに中日からはキューバ代表には三人も選ばれています。コンビニでは念の為、スマホも娘に操作させましたが購入サイトにアクセス出来ませんでしたしかしオータニさんなどメジャー選手はバンテリンドームには来るかわからないようなので娘はがっかりここ最近のキレイな夕焼け写真も紹介をします。日記更新を先にさせていただきましたが、皆様のブログには明日中には伺わさせていただきます
2023年01月30日
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あけましておめでとうございます。というにはかなり経ってしまいましたがブログの日記更新の方は、年末に行うはずだった内容です〜出だしは正月らしからぬ馬籠宿の夕景東に恵那山系があり日の出、朝焼けは今ひとつですが、西は遠くまで見渡せ西日が当たって、とても綺麗ですなんだか江戸時代にタイムスリップをしたような気分。観光客で賑わう馬籠もいいですけど、ひとけのない夕暮れの馬籠宿も情緒がありますよ晩秋の頃には週末毎にシブいライトアップもしてました。真っ暗になる前薄暗くなった頃に、ほんのりと灯りがというのが好きです毎年、紅葉の時期にあわせて行いますこの竹を使った和風イルミネーションはあちこちで見かけたりしますよね宿場にはぴったりですこれは笠置山の夕景。夕暮れ雲が色鮮やかに輝いていました。西の彼方に浄土があるように思いもしましたそんな馬籠宿で、紅葉が楽しめた頃になにやら白いものが。空からもはらはら白いものが降ってました。青空だけどこれ雪ではなくって雪に見せるように白いものが敷いてあり、空からも降らせ即席の雪景色若い女性を立たせ撮影をしてましたお昼には馬籠宿で五平餅を食べました何軒かある中で、藤村堂の近くの丸治屋さんにしました。お店によって大きさや味、値段も微妙に違います昨秋には一本100円とお値打ち価格でしたが、昨今はどこもかしこも値上げが多いので、現在はどうかわかりません馬籠宿から山を降りてきて、中津川宿中山道です。ここは恵那山という名の日本酒の酒蔵です岐阜県のローカルチェーンのバロー中津川のローカルチェーンのスマイルしかなかった中津川に、西日本系のスーパーのオークワに続きラ・ムーがやってきましたお隣の恵那にはドン・キホーテとカネスエ、生協がバローと共存をしています。ラ・ムーの店頭では名物100円たこ焼きを売ってますキムタクは岐阜市でベトコンラーメンをたべてましたが、中津川にはないので旦那と娘とで、岐阜トン太で美味しい味噌ラーメンを食べてきましたこちらは娘の食べたスタミナラーメンこういった、パンチのあるものをよく娘は頼みますね。あとつけ麺。私は味噌ラーメンが一番好きだったりします子供の頃に、家で飼っていたニワトリをさばいているを見て鶏肉は苦手でしたが昨年あたりから、娘にやいやい言われて唐揚げとか食べれるようになりましたこちらは娘とモーニングに出かけた恵那峡近くの小洒落た喫茶のカフェブラウンシュガーですサイフォンフラスコから、カップに注ぐだけでもなんだか小洒落た感じですモーニングのサラダやタマゴも見た目良かったりするしさてさて、ここからは株主優待で貰ったもの。飲食店の食事券なども良いですが、こんなご時世、食材も重宝します。伊那谷のヤマウラから信州のインスタント味噌汁をゲットこちらは四国の穴吹興産から一夜干し冷凍で届くので必要なだけ、解凍して食べられます。昨年はコーヒーでしたこちらは信州のホクトから、きのこの食材セット五千円で、一万円分の商品券が利用が出来るプレミアム商品券ですが、期限が今週末までなのに、地元の小規模店のが少し残ってるので、中津川のスーパーのスマイルで使ってこようかな2022年秋に岐阜県中津川市、恵那市で撮影あれ、日記日時が現在じゃなく、9日になってしまってる。もう直せないのか…日記更新を先にさせていただきましたが皆さんのブログには12日中には伺います
2023年01月09日
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こんばんは。早速、スマホから日記更新をしてみようかと思っています。楽天ブログもスマホと、ノートパソコンやタブレットからでは表示サイズなども違ってくるのでどちらからでも、少しでも見やすいようなればと考えています1アプリを使って、スマホで撮影した写真のサイズを小さくするのを覚えたので、今回は小さいものから大きなのものまで4サイズを貼ってみました。スマホでは変わらないと思うけど、ノートパソコンの人には大きさ違ってくるのでは。私もノートパソコンで見比べてみます2あと一眼レフカメラの写真も、たまには撮っているので、そうゆう写真はノートパソコンに読み込むので、そっちの大きさ調整も考えなきゃいけないだろうし。まぁボチボチやっているうちに、慣れてくるのでは。前みたいにガンガン写真アップしませんのでご安心を3コロナ流行以降、まともに旅行に出掛けたのも、岐阜県内と、いつもの長野県、愛知県三重県、滋賀県までで1泊、2泊程度です東京国立博物館の国宝展も、見に行きたかったけど諦めました。コロナのお土産は怖いので田舎でひっこんでます4孤独のグルメで下呂の鶏ちゃんをやってたゴローさん岐阜まできたのね。キムタクも応募はしたけど外れちゃった。岐阜市出身の伊藤英明さんおすすめで二人で食べたというベトコンラーメンも食べに行きたいなぁ県民割みたいなのを使って岐阜市には昨夏、この春にも宿泊を伴う行楽に出かけましたマスクをしている岐阜駅前の黄金の信長像岐阜県民でありながら、昨夏、生まれて初めて鵜飼も見ました。あとは郡上おどりは未経験↑この写真は信長公の館があったという岐阜公園でスマホで撮りました。その時の様子はおいおいご紹介させていただきますそうそう名古屋制作なのかな、大地真央さん主演のドラマでも岐阜の鵜飼や関の刃物をやってたしではでは。
2022年11月25日
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一年近くブログから離れておりましたこれもひとえに、ノートパソコンをしまい込み、スマートフォンばかりでいたので、そこからのブログ書込みがわからなかったから今も写真や文字の大きさの調整などはサッパリで。取り敢えずは今、話題のツイッター始めましたので、近況などツイッターの中のキーワード検索から恵那マウンテンで来れます。スマホの日記更新もボチボチと始めようと思いますので、今後も宜しくお願いします
2022年11月20日
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新年、あけましておめでとうございますぼちぼちとしか日記更新が出来ないかもしれませんけど、今年もよろしくお願い致します今回の日記では、昨年の暮れからお正月の主にお買い物を中心にした内容です。それ位しか楽しみもないですから。スタートは毎年恒例のミスタードーナツのクリスマスセットでポケモンお皿に、マグに、キッズグラスの3セットを違う日に購入しました。他にブランケットもありましたが、家にも幾つかあるので購入を見送りました支払いは、使用期限が今年2月まで延長になった岐阜県のGOTOイートなので、それ考えると、少しお得に購入が出来ましたこれ、ふりむきドーナツと言うらしいですがうちではおしりドーナツと呼んでましたむぎゅっとは、もちもちして娘のお気にいりそして世間はクリスマス。名古屋などの都市部に出かけたのも昨年7月が最後でそれ以来、電車も乗ってはいませんが車で郊外のショッピングモールには出没したりしてます1977年、当時は国内最大級のショッピングモールとして開業した西武が増床、名称を変更などを繰り返してましたが2019年に閉店し昨秋、イーアス春日井として生まれ変わりました大和ハウス系のようですね春日井は下道を使用しても、松本に行くより近いです。とは言っても2時間。高速を利用すればもっと早いですが。日本最大の面積を誇る無印良品や、東海地方初上陸のお店とかもその近くにあるバーミヤンで食事をしたのですが、前から気になっていた台湾カステラ旦那や娘は普通に中華料理頼んでいたのでそれも少し分けてもらいましたここからは年の瀬のお買い物。今正月は息子も家に戻ってくるので、息子の好きなものも買っておこうと30日にスーパーに行くとハーゲンダッツが4割引きうちは31日の大晦日の夜に、としとりのご馳走を食べるので、そのお肉も調達。昨年人気になったというちょこまみれと、夕食のおちまみセット雪が心配だからと電車で来るという息子を迎えに出かけた31日の夕刻に立ち寄ったスーパーでは飛騨牛の最優秀賞をとったというステーキ用のお肉が、目の前で安くなったので衝動買いです生まぐろのトロがたくさん入ったお刺身の盛り合わせだけでは足りないので、お得に切り落としを購入しましたが、こちらのお刺身もトロとかなかなかの内容です1日はお休みなので前日の31日の夕刻にはいろいろと見切りになっていて、賞味期限も長めのものもあったりします。まっ数人家族ですしねこれくらいは、あっという間に食べられてしまいますので。娘の好きな300円近いチーズも98円ぽっきり31日にはダラダラと紅白を見て、旦那はお寺の役員で、深夜2時過ぎまで出かけてしまうので、息子と神社に0時をまわったら参拝に。お寺で除夜の鐘をつくとおみくじ入りの干支の根付が貰えるそうです元旦には、世間並みにおせちも食べてニューイヤー駅伝をダラダラ見て過ごし午後には息子はアパートに戻りました本当は箱根駅伝の往路を家でダラダラと過ごしたいけど、3日以後の天気が心配で2日には旦那の運転でお年賀ドライブに出発年末に松本も、春日井も出かけたし。実は息子を送って行きがてら豊田、岡崎方面のイオンに行きたがったけど、前日に帰ってしまったしイオンが元日営業でも、午前2時過ぎまで旦那はお寺にいたので、さすがにその日にドライブには出かけられない。そこで行く先と言えば、長いトンネルの先の・・・・標高1000メートルの権兵衛トンネルを抜けやってきたのは信州伊那谷。奥には南アルプスなども眺められる、この長い下り道からの雄大な風景が旦那のお気に入り。松本より寒くもないですし雪も少ない地域だ信州の小売店チェーンである、綿半とかベルシャインとかをまわって、お昼には長野市が発祥であるかっぱ寿司で食べる事にした。うちのあたりにはスシローやはま寿司とかはあるけど、かっぱ寿司は信州に来ないと食べられないイオンとかもだが信州は、信州独自のものはもちろん関東圏のチェーンが多いが、うちのあたりは中部圏のチェーンんいなってしまいうちのあたりには無いお店も多いテレビ番組のケンミンショーでやっていたかっぱ寿司で、信州人がみんな食べるというサラダ軍艦も注文した。ボイルしたイカゲソとカニカマをマヨネーズであえたものだそうだかっぱ寿司のアプリ会員限定メニューだという500円(税込み550円)ポッキリのうまい!セットも注文それにしても良い天気。さほど寒くもないし天竜川も穏やかだ。ドライブ日和だし今回は伊那谷をこのまま南下して、清内路を越えて戻る予定だ雪が降って真っ白になった南アルプスもとても綺麗。あの尖った山は何て名前をしているんだろう駒ヶ根インターの近くにあるカインズホーム駐車場で、信州のチェーン店の焼きたて屋で買い食い。さっき食べたばかりだろうという話だが赤いショッピングバッグのついた福袋を880円で購入。たこ焼きやたい焼きの価格だけでも1000円弱はする信号で停まった時に、運転席側の車窓から中央アルプス。寒いので窓を開けていないのでガラスに映り込みも入ってしまったが飯田市には田舎のイオンが2つもある。洋服とか大胆な見切りをしているので、ここで500円の洋服を娘が何点も購入していた。昔は入浴剤の詰め放題とか楽しみだったのに、最近はより取りなのが残念だ飯田を過ぎ、昼神温泉を過ぎたあたらりから標高があがるにつれて雪が強まり、道も白くひょえ~。下り道のカーブの雪道はスリップしやすいのでドキドキだ。旦那はこの峠越えの道が大嫌いかなり早く見えるが、結構、速度を落として安全運転で無事に家に到着。現在、建設中の中央高速道路の馬籠のETCの出入り口が完成したら、もうこの道は通らないだろうな今の中津川インターは、中津川の市街地を越え20分位かかるので、信州方面は国道19号や清内路しか使わない。ETC出入口が出来れば、同じ位の時間で飯田に行ける伊那谷での買い物は、野沢菜やコストコのテーブルワインベルシャイン、イオン、アピタなどをまわり日東紅茶の福袋1000円で、トワイニングなども安く購入が出来た。たこ焼きに紅茶の福袋に続いて昨年、福袋を予約をしていたのは愛知県発祥のコメダ珈琲。メディアにも登場をするやり手社長のアイデアもあって、最近全国区にもなりつつあるここのコーヒーチケットは、フランチャイズの経営者が同じ店でしか利用が出来ないタイプで最寄り店では、7000円の福袋しか販売していなかった名古屋が誇る世界的な洋食器メーカーのノリタケとのコラボで、5千円の福袋はペア豆皿、こちらのはコーヒーカップのセットが入っているといるので一目ぼれ使い勝手の良さそうなトートバックの内側模様も、ノリタケのお皿がモチーフとされかっこいい。クジもあるので当たるといいな旦那も短いお正月休みが終わって、会社に戻った5日は、娘の最後のお休みだったので平日だし、土岐プレミアムアウトレットに出かけ写真は忘れました。フードコートで娘は鳥開総本家の親子丼セット↑前述の岐阜県のGOTOイートのチケットが利用できた。私は銀だこ。ここの福袋が欲しいのになぁ~。娘は500円のTシャツを2枚購入した位で、あとはタリーズでアプリで半額になった期間限定のドリンクを1杯ずつタリーズの福袋は価格が上がったり、コーヒーチケットが減ったりで、今年のものは全種類残っていたが見送った。リニューアルをしたばかりの土岐テラスゲートまちゆいのパンの店カッタンで買ったパンで、チーズフォンデュ帰り道に瑞浪のピアゴで、手袋が300円の見切りになっていたので、スマホ操作が出来るものを娘とひとつずつ購入シャインマスカットは半額見切り。最近はこの品種ばかりになってきましたよね娘はスーパーなどに置いてある500円以下のお安いテーブルワインの飲み比べを思いついて、最近はこうゆうのばかりだ 2021年暮れより、2022年年頭に撮影にほんブログ村
2022年01月07日
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どうもどうも、ご無沙汰をしてしまい申し訳ありませんでした。7月中旬の日記更新から半年近く、ブログを始めて長らく経ちますがこのように長い間、音信不通をしてしまった事は初めてです時期柄、ご心配をおかけしてしまった部分もあって深く反省をしております。夏場の新型コロナの増加でオリンピックの観戦はなくなってしまうわ、近隣地域でも感染者も多く出たりするし、旅行なども出来ず姑の義弟や、姑の甥が病気で急逝。舅の義妹は緊急入院で闘病中慌ただしい中、夏も終わり、秋も過ぎ、季節は冬へとあっ、うちはみんな元気です。舅の足腰が弱くなってきてますが、私の車で病院や床屋には出かけています皆様はいかにお過ごしでしたでしょうか。ご挨拶に伺う事すらせず、申し訳ありませんでした舅が元気な頃は北アルプスの雄大な景色と、澄んだ凛とした空気を吸いに松本に、旦那の車に同乗して出かけていたのに、長距離の乗車も厳しくなって毎年恒例の旬の長芋を買出しに、11月28日に旦那の運転で国道19号を北上しました助手席には私、後部座席には娘といういつものメンバーで雲一つないような良い天気で、きっと北アルプスも綺麗だろうな・・と期待に胸を膨らませ。上松では郷土の力士、御嶽海ののぼりもその日は九州場所の最終日でした木曽福島の道の駅からは、真っ白な木曽の御嶽山がちらりと顔をのぞかせていました。まだ朝が早くて営業前だったので、トイレ休憩だけで次の日は、旦那も娘も会社があるので夕方早くには家に帰ってきたい。松本まで片道2時間半はかかるので、往復だけで5時間。滞在時間を得るためには朝早くに出かけるしかなかったのだマイナス3度、マイナス4度・・と徐々に温度が下がり写真は撮らなかったがマイナス6度のところがあったが昨日あたり、もっと寒くなっていた事だろう塩尻手前で国道19号の道路に、脇の斜面から土砂などが崩れて通行止めになる箇所があるので娘が松本にいる頃から、そこを迂回するトンネル工事が行われているけど松本に出かけるたびに、もう通れるかな?と楽しみにしているが、今度もいままでの道を通って、横目で新しいトンネルを見るだけだった。もう出来ていそうなんだけど2時間ほど車を走らせると、塩尻市に入って北アルプスも綺麗に見えてきた。やっぱ白い山は美しい国道19号から逸れて、日本アルプスサラダ街道へ道沿いの広大な畑には、サラダに使うような野菜が栽培されている。山形村の長芋も、松本市波田のスイカも有名だ旦那はこの道が大好きで、最初は塩尻を横切って東端の山麓の道路で松本に入ってたが、最近は農産物を買いに直売所のあるこちらのルートを使う事が殆ど。道の駅今井めぐみの里で、姑に頼まれた長芋をいくつも買って松本フラワーセンターで舅にシクラメンを購入松本市内に入る前に南松本でお昼ご飯を食べたいので時間合わせで南松本にあるイオンで時間調整そろそろ昼営業も始まるのでネットで娘が見つけた、そばどころくぼたに来た11時からの営業だが、少し前でも入店が出来たし朝ごはんが早かったので、もうおなかもすいてきていたので、いい感じテーブル席に座ると、さっそく漬物が運ばれていてお蕎麦が出来るまでのお茶うけで久しぶりの松本のお蕎麦、いっただきま~す。松本に来ても山賊焼きや、ラーメン、カレーとか娘の行きたいお店が幾つもあって、なかな蕎麦も食べさせて貰えない天ぷらは一つ頼んで、一人で2個ずつといった感じで仲間で食べた。写真では伝わらなかったかもしれないが価格が安い割に、お蕎麦の量が結構多い娘は温かな蕎麦を頼んだが、食べても食べても減らないとぼやいていた。旦那は大盛りを頼んでいたので自力で食べるしかない。お昼も食べていよいよ松本入り。お天気もとても良かったので松本の街並みをぶらり散歩をしようと思い、早速やってきたのは松本のシンボル、国宝松本城だ現存する天守閣の中では一番古いとされている。お金が勿体ないので有料ゾーンには行かず、堀の外からの拝観だが。まっ、中に入った記憶もしっかりと残っているし昔の大火で、商家がこぞって防火の為になまこ壁で再建をしたという中町通は、松本を代表するお散歩コース。その日は車をとめて歩行者天国をしていた冬の厳しい寒さえなければ、松本もとても良いところなのだけど、こうやって年に2,3度遊びにくる位しかできない。今回は塩尻の親戚にお歳暮がわりに家のお米を持っていくのも目的だったし塩尻の親戚の家は普通にイマドキの建売だが、こういった松本地域の伝統家屋はかっこいいなぁ。ひととおり散策もしたので車をとめたイオンモールにもどってきたタリーズのアプリでゲームをしたり、購入金額でたまったポイントを使って、半額になった飲み物(3杯まで)を飲んで一休みをしたり、旦那と娘はスニーカーを購入したので駐車料金も無料となった旦那はどこかでソファーで休んでいるうちに、娘と二人お決まりのイオンモールでちょいと一杯。私は500円ワンコインのシャンパン娘はおつまみ付きのキンキンに冷やしたジョッキで飲む生ビール。おつまみを少しわけてくれた。イオンモールをうろつくだけで制限時間いっぱい。そろそろ帰宅の時間午後6時には家には戻りたいので午後3時前には、もう松本を離れるしかない。後ろ髪を引かれる思いで、車は来た道を戻ると、あれ? 桜沢トンネル開通? 国道の電光表示にウキウキ左側の閉鎖されているのが、今までの土砂崩れの危険個所のある国道19号の道だわ~い。新しい出来立てのほやほやのトンネルを開通直後に通れるなんて対向車とかも、みんな新しいトンネルだぁ~と喜んでいるのかもこのルートになった事で、木曽路の南下で唯一の追い越し区間を通らなくなったので超遅い車の後ろについた時はつらいがそうこうしているうちにトンネルを出た。結構交通量があるし先程の北アルプスの正式名称は飛騨山脈だけどこの中央アルプスは木曽山脈という。西日を浴びて、ほんのりと赤く輝いていた。ちなみに南アルプスは赤石山脈だ松本に出かけた時には、トイレ休憩も兼ねて大桑村のスーパー、マルトシで買い物をしている。ここは御嶽海の星取表が貼ってある九州場所では御嶽海は、なかなか頑張っていたそんな木曽のスーパーでは、その日ではなくて次の日が賞味期限のお肉とかが、見切りで安くなっているので立ち寄るのが楽しみだいつもよりも早い時間に立ち寄った事もあり40%のもあったけど、半額とかお得に買う事が出来た。信州限定のラーメンも購入姑に頼まれた山形村の名産品である、長芋は3本入りで千円。近所の親しい人にお歳暮のように配っている。6つ購入したので、既に2つ渡したみたいだ塩尻の親戚からリンゴをひと箱、貰っているので、リンゴはあまり買わなかった。もっとも姑の方にも二袋、渡してある。柿は岐阜産の富有柿だ。とても美味しそうだったので買ってしまった舅から頼まれたシクラメン。娘が選んだもので一鉢、千円程だった。限られた人生の中で貴重な1年、2年が新型コロナで思うように暮らせないのは辛いけど、それなりに楽しく暮らせたらと思うでは、では 2021年11月28日に長野県南部で撮影 日記更新を先にさせていただきました。皆さんの ブログには明日中に伺わさせていただきます。長く ご無沙汰をして申し訳ありませんでしたにほんブログ村
2021年12月28日
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都会のひな祭りはとうに終わったが、岐阜の山間は旧暦に近い4月3日が本番で、この時期でも街角などで、華やかなお内裏様とお雛様を見る事も出来る。オリンピック最中の更新からかなり間隔があいてしまったが期間中は朝から晩までテレビにかじりついて夜半になってしまった女子ジャンプの高梨選手の銅メダル獲得以外の種目では、日本人選手のメダルを取った瞬間を、全部見れたと思う。NHK中心の中継となったがBSやEテレなどもあったので競技途中まではEテレ、ニュースが終わると総合テレビ。だけど途中からはチャンネルボタンの上を押して、サブチャンネルってお年寄りとか大丈夫だったんだろうか。まっメダルを取ればニュースなどで何度も見る事も出来るがやっぱライブで競技を見ていてこそ、その瞬間の感動はひとしおなのかも。民放での中継の場合は、メダル獲得直後のコカ・コーラのCMで綾瀬はるかさんが競技毎におめでとうございます!と乾杯するのも面白かった平昌冬季オリンピック報道写真集オリンピックが終わると、本屋の店頭には羽生選手が表紙を飾る各社の報道写真集が幾つも並び、私は海外の選手の写真も多いものを選んだ(↑ではないです)が、あっメガネ先輩がないやっぱオイル上半身裸男や、人面鳥とメガネ先輩は載せないと・・そして続いて開催中であるのが平昌パラリンピックであるが今日は成田緑夢(ぐりむ)選手が銅に続き、スノーボードのバンクドスラロームでは金に輝いた2006年のトリノ五輪のスノーボードに出場をした成田童夢さん、今井メロさんの弟で、トランポリンの練習中にケガを負い足に障害が残ってしまったが、障害を持つ方やケガをした方、子供たちに夢と希望を諦めない事を伝えたいと競技を続けたとかそれにしても平野歩夢(あゆむ)選手や片山来夢(らいぶ)選手にしても、夢がついているし。偶然なのかなんなのかてな事で、桜の開花(高知)も始まった頃だが、雪の写真は先月のものである2月11日。日の丸もたなびく建国記念日に出かけた先は、お馴染みの岐阜県恵那市の山間にある城下町、岩村(いわむら)であるそう、2月の日祭日に行われる岩村醸造の蔵開きに今年も家族でのこのこやってきた昨年に続き、今年も息子は平日休みなのでドライバーになってくれず、行きは旦那が運転をしたけど、岩村からの帰り道は私が運転をするという事で犠牲となった。まっお酒が飲めなくても岩村の街歩きは楽しい今年は旦那も還暦で、いわゆる厄年なのでいつもよりお金を多めに包んで、厄除けで有名な山岡の飯高観音(妙法山萬勝寺)に参拝をしてから岩村へと向かった前にも紹介をした500円で、200円相当のグルメやお土産が3つ楽しめるおとくーぽんを人数分の3枚購入。↑写真を撮り忘れたので以前に娘と出かけた時の写真を流用しました旦那が駐車場が心配だとか言って、気合を入れて朝早くに着きすぎて蔵開きまでまだ時間もあるし、既に営業中のかすてーらのかめやさんで早々と一休みをする事にしたこの写真も以前のものを流用(汗)店先にはたわしの亀。親亀の上に子亀が乗り、その上にもまた・・・中は落ち着いた感じで、岩村に来るとよく立ち寄っている先程の「おとくーぽん」2人分を利用して旦那と私はかすてーらの盛り合わせ娘の方はお酒の前に牛乳を飲むと悪酔いしないとか言って、牛乳とかすてーらのセットで、かわいい金平糖も付いていたこちらにも店先にお雛様の段飾りさて、女城主でも有名な岩村醸造へ。ってこれは岩村に着いた時なので、お父さんが一人いただけだったが蔵開きの始まる10時少し前には10人位は待っていたかな。スタート時間に入るのは初めてだこちらでも華やかなお雛様たちがお出迎えかなり年代の古いものもお酒を運んだトロッコのレールの上をぐんぐん奥に向かうと中庭の氷のオブジェ、今年は寒かったのでかなり立派なものが出来ていたそれを見ながら、私はノンアルコールで子供なども楽しめる甘酒ソフトをぺろり。すぐに食べた訳でもなく、出入り自由なので旦那と娘を蔵開きに残し、一人で街歩きをしてきてから食べたスタート時の蔵開き会場は、酒樽ひとり占め状態人も少ないので、まだ会場も寒かったりするがこれが1時間、2時間もたつと足の踏み場もないくらいに人だらけになるお酒もついだばかりで、なみなみと。とりあえず、写真もブログ用に撮った事だし、さっさと退散しよう。ここのおちょこを持参した人は、200円の入場料が必要になるが入場券は、1会計550円以上の購入時に200円の値引き券になるので元は取れる3人分、それぞれに数百円のお酒を購入した更に忘れてはいけない。おとくーぽん3人分で260円のワンカップを、それぞれ1つずつ交換して貰う旦那と娘を残して、酒蔵の向かい側にあるかすてーらのいつもの松浦軒本店へここでいつものようにかすてーらの試食をさせて貰って、朝のかすてーら屋では私と旦那の2人分しか使っていないので、娘のおとくーぽんでかすてーらを200円引きして貰ってかすてーらを1本お土産に購入更にかすてーらの食べ比べをしようと思い松浦軒本舗のかすてーらも、1本購入してみた。本店は江戸時代後期創業で、本舗とかめやは明治時代の創業で、どこも老舗だ松浦軒本舗では、霧が城(岩村城の別名)石垣シュークリームというモノを売っていたので、1つ買ってみた更に他のお店で、地元のものだという干し芋やっと酒蔵から出てきた旦那や娘と、おとくーぽんで五平餅を食べようとしたが、この後に予約が入っているとの事で、持ち帰りならOKと言われ、3本貰って道端で食べたお昼近くになるとこんな人だかりも出来ていた岩村。おでんとか路上で食べれるお店も並ぶ娘は100円でじゃがいもの食べ歩き1つ貰ったが美味しかった。そうそう蔵開きでは食べ物持ち込み禁止なので外で食べてからまた飲みにはいる人もやっぱ岩村に来たら、定番のかんから餅のお土産も欠かせないNHKの朝ドラの主人公役の女優さんがバトンタッチをしたそうだが、春からは岐阜県の東濃地方が舞台だけに、自分で作った焼き物と、五平餅を持参で早くも岐阜県のアピールをありがとうございます主人公の故郷(架空の街)として昨冬にロケがされた岩村の町並みでも、放映が間近となって「半分、青い」の関連のものなども見る事も出来る(↑写真は2月下旬別日に撮影したものです) このあたりが主人公の住んでいたところでよく登場する事になると思います。ホント何をしていなくても戦後っぽいし。春になれば、ロケ地巡りの人の姿で賑わうかもしれない 平成29年2月11日に岐阜県恵那市岩村町で撮影にほんブログ村
2018年03月16日
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東海道は箱根の関所もあれば、川止めもありなかなかやっかい道であったようで、中山道を選び旅人も多かったようだ。更に中山道の宿場の宿賃は東海道のそれより少し安かったんだとか中山道を使って、京都の宮中から将軍家へ嫁ぐ際に使われていたので姫街道とも呼ばれているその中でも有名なのは、幕末の公武合体の担い手として仁孝天皇の皇女和宮が、14代将軍の家茂に御降嫁された時の行列は沿道に語り草とされ、小説などにも書かれているので、皆さんもよくご存じではなかろうかかつて馬籠宿の秋の観光客向けの大きなお祭りは地元住民総出の「ごへー祭」で地域毎にひと月も前からタレを作ったり雨の日にはごへーの売れ行きが悪く気を揉んだりもしたが、それを毎年のように楽しみに来られる観光客も多かったし近隣の親戚なども顔を出したりもしたしかし、それでなくてもイベントの多い秋シーズンに、高齢化の波も押し寄せて出なくなった地域も増えて数年前に遂に祭り自体を終了したかわりなのか、どうなのかわからないけど・・・数年前から始まったのが、「皇女和宮御降嫁行列」で、地域の人らが当時の扮装をして宿場を歩くのだけど、急な坂道にある宿場だけに輿を担ぐ人とか地元の大学の屈強な、スポーツ部員を調達してくるという話だ京都の葵祭の斎宮のように家柄がどうのとかミスなんとかじゃなくて、というか妙齢の女の子自体が少ない地域なのであの娘さん出てくれないかなぁ~という感じ(たぶん)で、ご近所のお嬢さんが和宮さんだ知り合いの人が声をかけたのか、がはは~と高笑いのお付きのお女中衆? 黄色の着物で日本髪の女性は、普段から着物で過ごされている、生粋の町娘だそうで女城主の里の岩村にお住まいの方だとかこの行列の装備は、私も寄付(汗)させていただく事で、でっかい夢を見させていただいている宝くじの収益金が使われいるみたいだ。とは言え、でかすぎくない?クーちゃん!馬籠の宿場に入る前の一番の急坂には脇に枡形の階段があるので、そこを急ぎ足で上って行列の先回りをした。普通にこの行列の前を登っていた人に対してなのか、アマチュアカメラマンの人が「おじさん、そこどけよ~っ!」とか怒鳴っていた行列の来る前から、絶好のポジションをゲットしていよいよという時に乱入者は腹が立つのもわかるが、もう少し言い方とかないものかなぁ。いくら素晴らしい写真が撮れても、なんか寂しいお花見とかでも、絶好のポジションに三脚立てて、わが物顔で占有しているアマチュアカメラマンの皆さんたちはどうも苦手だ。桜の花びらを撮ろうとしたり記念写真を撮ろうと桜に近づく一般の花見客にもどけよ!と怒鳴りもするし、何分もかからないのにね輿の屋根があるので、どうしても和宮様のお顔が暗くなってしまうけど、実はこんな良い天気の日って、今までにもなかなかなかったそうで、先週までの週末のお天気を考えても、絶好の祭り日和であった行列を見送るのは、恵那山。上着もいらないようなポカポカ天気でもあった。仁孝天皇の第八皇女で孝明天皇の異母妹(明治天皇の叔母)にあたる和宮は、誕生時に賜った幼名であるという内親王宣下に際して賜わった諱(いなみ)は親子(ちかこ)である。既に有栖川宮織仁親王といういいなずけがいながら、公武合体(朝廷の伝統的権威と、幕府及び諸藩を結び幕藩体制の再編強化を図る)をすすめる勢力によって、十四代将軍家茂に降嫁が決まったウィキペディアによると>文久元年10月20日、和宮一行は桂御所を>出立した。東海道筋では河留めによる>日程の遅延や過激派による妨害の恐れが>あるとして中山道を江戸へと向かった>行列は警護や人足を含めると総勢3万人に>上り行列は50km、御輿の警護には12藩>沿道の警備には29藩が動員された。 和宮が>通る沿道では、住民の外出・商売が禁じ>られた他、行列を高みから見ること、寺院の>鐘等の鳴り物を鳴らすことも禁止され、>犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐことと>され、さらに火の用心が徹底されるなど>厳重な警備が敷かれた。島崎藤村「夜明け>前」にも、第一部第六章で和宮一行が木曾>街道を通行する前後の情況が描かれている。 ウィキペディアより転載今度は宿場の左右にある裏道を利用しまたまた行列の先回り。こうゆう技は地元民ならではというか、おかげで3ケ所から写真が撮れた。この後も藤村堂で休憩をして、宿場の上まで行列が続くそうだもう何年もしている和宮行列だけどいつでも行けるという気持ちもあるのか、イベントが重なるのか、お天気自体も今まで良くなくて行く気持ちにならなかったのか今回が初めての参戦本当にね、お天気ばかりはどうにもならないから。次の日の今日などはしっかり雨降りで、一日でもずれていたらと思うと・・・・青空の下の行列で良かった。再びウィキペディアで>和宮が埋葬された増上寺の徳川家墓所は>現在の東京プリンスホテルの場所にあった>が、1950年代に同地が国土計画興業に>売却されたため、和宮をはじめ、歴代将軍>及びその正側室の墓所と遺骸も発掘・改葬>された>その際の調査結果をまとめた『増上寺徳川>将軍墓とその遺品・遺体』によると、和宮の>血液型はA型かAB型で、身長は143.4cm>体重34kg(いずれも推定)であり、骨格の>形状から極端な反っ歯と内股が特徴の小柄な>女性であったと推定されている。また不思議>なことに、左手の手首から先の骨がいくら>探しても見つからなかった>増上寺にある和宮の銅像や日本女子>会館にある和宮の銅像も左手は不自然に>隠れており、また肖像画には左手が>描かれていないことから、彼女が生前>何らかの理由で左手首から先を欠損>していたのではないかとの推測もある。>古墳はともかく、陵墓や陵墓参考地の>大半が宮内庁の方針により事実上の>学術調査不可となっている現在、和宮は>墓所が発掘調査された数少ない皇族で>ある。また、和宮の棺からは烏帽子に>直垂姿をした若い男性の写真乾板が>副葬品として見つかったが、>その後の保存処理が悪かったため>翌日には乾板はただのガラス板に>なっていたという。この男性の正体は>未だに不明であるが、夫の家茂で>ある可能性が強い。あるいは婚約者>だった有栖川宮熾仁親王ではないか>との指摘もある。>近年、和宮が降嫁に際し中山道を>通って江戸へ向う途中、信州小坂家>で休息した折、小坂家の写真師が>撮影した和宮の写真が発見された。>これはポジのガラス乾板で軍扇に>収められており、複写したものが>小坂家末裔の小坂憲次から阿弥陀寺に>寄進されている。>この写真の和宮からは、袿の袖から>わずかに両手の先を出している姿が>確認できる(ただし、この写真に写っ>ているのが本当に和宮本人かを疑問視>する説も存在する) ウィキペディアより転載有吉佐和子の小説「和宮様御留」は、この写真から和宮が、もしかしたら替え玉ではなかったかという説が展開され、ドラマ化などもされた。なんだかミステリアスな話ではあるが真相はいかに?今となっては、いや当時ですら真実を調べる術などない。やんごとない世界のやんごとない方の話だ。沿道の観光客がこんな風に眺めたらお手打ちになるなぁなんて言っていた小さなお嬢さんに、年配の奥さんがあなた、来年も参加してよ♪と声もかけて、参加者もにこやかなムード行列には、地元の学校の先生とかも参加しているようでアットホームだたぶん来年も、同じ時期に催されると思うので10月くらいになったら日程をチェックをされて、秋の馬籠にいらして下さい。紅葉も始まりましたよ更に昨年秋に紹介をした秋のあかり街道は4日(土)・5日(日)・11日(土)・12日(日)・18日(土)・19日(日)・23日(祝)で雨天中止夜6時から8時まで開催されます「秋本番、紅葉ライトアップと宿場の坂をほのかに灯す」この股旅姿のわんこは、なんでも毎年のようにやってきているらしい。他にも女性の着物姿のわんこたちもいたし時代絵巻に合わせて馬籠にやってきていたのかな今回の超近場行楽は、旦那は行列の裏方参加で、娘は仕事なので一人でお出かけをしました。今日も旦那は地域のお仕事で娘も息子もお仕事で、私だけあったかなコタツでのんびりした土曜日です更に11月3日はビデオの日でだというので近くにあるレンタル屋さん(本業は本屋)は準新作と旧作が50円ポッキリで借りれるというので米ドラマ「スーツ」のシーズン5を4本と、他にも映画3作品借りてきた更に本を購入すると、レンタルの割引券を貰えるというので京都の雑誌も購入をした50円のレンタルを見るのすら忙しいのにえ? スカパー!の無料デーもやってんだドラマ時空警察1~4も録画しておこうっとテレビのドラマの方も録画をして、暇な時にまとめて見るようにしており秋ドラマ紹介2私、失敗しないのでという手術の腕を持つ女外科医はお馴染みの大門未知子で作中にいたしません!とか、水戸黄門の印籠のような決め台詞もあったりする。メロンを貰う西田敏行だとかアドリブなのかと思うような楽しいセリフ回しだし。秋ドラマの視聴率でダントツの強さだし私も今シーズンも見ている。段田安則さんとか好きだしそんなつおい女・・・というか、怖い女が目立つ秋ドラマで、無念の死を遂げた夫の復讐を誓う女を演じる木村多江がお美しいその決め台詞がスキャンダルを利用しての「骨の髄まで炎上しなさい」で相手が無様に失脚するのを見て豪快に笑うさまも何やら悲しげな深夜枠の「ブラックリベンジ」だNHKの精霊の守り人で女用心棒バルサを演じた綾瀬はるかは、某国の特殊工作員をしていたという「奥様は取り扱い注意」で今は、セレブな住宅街に住む新米主婦だが訳ありなママ友の為に一肌脱ぐという設定何やら完璧旦那にも秘密がありそうだし今後の展開も楽しみで肩の凝らないドラマ低学歴夫婦が失業をしてしまって、生活の糧を得る為に市会議員になっちゃいましたという新米議員ママは、仕事の出来そうなイメージのある篠原涼子でして、やたらに上半身裸なシーンのある高橋一生といいなんかなぁと思いつつ悪のドンぴったりな古田新太や、対立をするつおい女市長の余貴美子が楽しみだ前回のドラマで、怖くてつおい銀座のママを演じた武井咲は「今からあなたを脅迫します」で人を疑わない天然培養なお嬢様を演じているのだが、朝ドラ「あさがきた」のキャストが出ていて懐かしい。お嬢様の祖父はあさの舅の近藤正臣で、脅迫屋をしているのは五代様のディーン・フジオカ、同じくメンバーには加野屋の亀助の三宅弘城だったりするし最後に地元の信玄堂の毎月1個のお菓子が貰える和菓子パスポート(1年間分500円)で、10月分まだ貰っていないのに、10月31日に気が付いて娘と二人分を貰ってきました。今回は栗きんとんパイ180円です。一緒に「栗粉餅」850円を購入してきました平成29年11月3日に馬籠宿で撮影にほんブログ村
2017年11月04日
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そろそろ紅葉の始まる岐阜県中津川市で、毎年10月最終週の週末に開催をされるのが、中津川ふるさとじまん祭の「菓子祭り」で遠くからも和菓子の好きな方が続々と集まってくる29日の日曜日の午前中、旦那の運転で娘と三人で早速でかける事にした。台風も近づきお天気も悪いというのに、例年と変わらず会場には人だらけ。というか「天気も悪いし、菓子祭りにでも行くか」と近隣住民も参戦をしたのかもしれない。実際にうちでも晴れていたら、松本へ新蕎麦を食べに出かけたいのに。山が見えないのでは・・・・東美濃ふれあいセンターは市街地から少し離れた工業団地内にあるので、土日は近隣工場が、臨時駐車場を提供してくれるのでそこに車を停めて、無料のピストンバスで会場まで運んで貰える早速、無料で振舞われる栗入りぜんざいを雨の中、並んでゲット。こんな寒い日には温かなぜんざいは、余計に美味しく思われた野外のテントのお店は、お天気が悪くてちと気の毒。ちゃんと売れたかなぁ~雨でも体育館を利用した主会場の方は人だらけ2階の観客席が休憩&飲食所として利用が出来お昼近くになると買い物疲れの人たちが2階で休憩をしていた。この時間は午前11時位で開始1時間半経過早くも6個入栗きんとんとか、商品によって売り切れになるお店も出始めていた。やっぱ人気は全国的に名の知れた寿や、川上屋。あと最近、東海地方のテレビ番組で特集をしてた七福あたりだろうかとは言っても中津川市内に栗きんとんを製造販売する和菓子屋の数は多く、他のお店でもなんら遜色なく、自分の好みで選べばいいと思うのだけど、遠くから来た人は、もしくは人に差し上げるのには、老舗のようなお店が選ばれるのかもしれない名産の栗と、リニアモーターカーの駅が出来る事から、ゆるキャラの「くりニア」くんも子供たちに囲まれていたそんな中津川で新たに作られたB級グルメとりトマ丼。名の通り鶏肉とトマトが使用された丼だ豆腐の匠、中島豆腐などもよくメディアに取り上げられており試食をさせて貰ったが濃厚な味で美味しい前にも紹介したけど、お祝い事にはかかせない栗がごろんと幾つも入った栗おこわ(赤飯)。美味しそう~こちらはサラダコスモの「ちこり村」コーナーでもやし料理の試食を勧めてた奥さんが「もやしがいいですか? それとも焼酎?」と・・・。ハイ焼酎をロックで貰いました。39度の原酒ですなんて一人でうろちょろしてたら娘の姿がないし。スマホで連絡を取ると2階でビール片手にとんちゃんを食べていた体育館横のホールでは、地元の芸能祭が開催されており、無料で観覧が出来たちょうど舞台では獅子舞。ご家族を撮影しているのか観客席では、カメラやビデオ昼から恵那文楽があるそうだけど、一人じゃないので、それまでここにはおれそうもないそんな訳で買い物や用事も多いので、早々にお買い物も。名物の牛蒡漬の他に和菓子などで4千円ちょっと。どれも2割引きなので定価であれば5千円ちょいで、千円位安く購入出来た計算だ。周囲の人は栗きんとん5箱とか気合の入った買い物なのであちこちで万札が飛んでいたこの前、食べ比べをして美味しいなぁ~と思った「満天星一休」の栗きんとん3個入あと「森の水鏡160円久々に購入したのは駅前にある「梅園」の名物「めおと栗」で、栗が2つごろんと中に入ったとても大きな栗饅頭だ普通の栗まんじゅうの3倍はありそうな迫力。大きなものが好きな姉はこれが一番好きだそうだ中には大きな栗がごろんごろんと入っている、しっとりしてて美味しい饅頭だったもう一つは森の水鏡で、ぷるんとしたくずに包まれた栗きんとん毎年、購入をする「信玄堂」の栗きんとんを使用したお菓子セット680円今回、目に留まったのは最近の日本経済新聞のモンブランのランキングで紹介されたという「松月堂」。一般的なモンブランであれば恵那川上屋が有名だが、ここのはとても和風らしい価格も2千円近くするが今日は2割引きで購入が出来るというので、購入をしてみた織部風の美濃焼のかわいい器がおまけに付いてくるのも購入の決め手で、旦那は「おちょこに、ちょうど良い♪」って肝心のモンブランはこんな感じで、やっぱ和風な味わいで、詳しい事は↓下の写真の説明文をお読み下さい日経スタイル「秋だ、栗だ、モンブラン10選だ 茶は洋風、黄は和風」さてさてブログとは個人的な出来事や意見などを公開する場であって、飼育している猫ちゃん、お孫さんとの事やお友達とのお食事や、お稽古事などを微笑ましく拝見をさせていただいている私の場合には単なる行楽情報を載せているのだけではなく、行楽好きの家族が出かけた日記とお考え下さい。というか落ち着くからと、ラッコのようにお腹にクッションを乗せる旦那とかも紹介をさせて貰ってるが、10年以上にわたりこのブログの事を家族も容認してくれて「お酒が飲めない旦那さんがかわいそう」なんてコメントがあったよとか言うとだよな~とか、横で旦那が喜んでいたりするのだ。そんな旦那とはドライブ行楽以外に楽しんでいるのがテレビドラマだ大河ドラマ「女城主直虎」、実は見ていませんでした。地味な地方で地味な内容といったイメージもありましたがここにきて、熱心に視聴しています井伊家の復興とおのれの出世の為にがむしゃらに頑張る万千代君が話の中心になりまして、そんなひたむきな姿を見ると応援したくなります ※(画面をぽちっとすると、黒い文字だけの画面に なりますが、下線付きの文章を再びポチっとすると ユーチューブでNHKの公式動画が見れます)更に戦国大河で楽しみの一つなのがイケメンな中高年の演じる信長様で今回は市川海老蔵ですが、流石に目力がすごくって、怖いっ・・・と威圧感をテレビのこちら側でも伝わる位でして今後の出演が楽しみです秋からの朝ドラの方は、どんちゃかしているだけで、どうも主人公を応援する気持ちになれないのは、べっぴん同様で脱落寸前。再放送の花子とアン楽しみにしている位ですが、それより引き込まれているのが朝日系の「トットちゃん」です。ご存知徹子の部屋でもお馴染みの黒柳徹子の実話に基づいたドラマですが、子役の女の子が愛嬌があって、戦争へ向かう暗い時代ですが家族やトモエ学園の仲間に囲まれ天真爛漫に育っています↑のドラマはみんなBS放送で見てます時間的に地上波のものより見やすいといったところもありますが、うちでは地上波よりもBS放送の視聴時間の方が多いので。トットちゃんはBSの朝放映を録画して時間の空いた時に見ていますBS放送と言えば浅田次郎原作のプリズンホテル。情けない支配人役をココリコの田中が演じ、凄みのある任侠オーナーは柄本明でスゴミあります。毎回のゲストもベテラン俳優で固められ、かたせ梨乃とか迫力ある~っドクターXや相棒などのド定番ドラマのシリーズが高視聴率を叩き出してまして私も見てますが、特に気になってるのは学園モノ、しかし教師ものでして1つは櫻井翔の「先に生まれただけの僕」でしてなるほど、先生はそうとも言えるんだなもう一つはサスペンス要素や、毒母満載な「明日の約束」でして怖いです~。なんだか希望の持てそうなタイトルの明日の約束は毒母が子供に押し付けていた、とんでもない身勝手な約束でして身震いしちゃいますそして10代の多感な子供たちの過酷な環境の中で逃げ込める先は、いつでも親子丼を食べさせてくれるさくらさんの所である。決して子供だけでは生きては行けない。周囲にいる大人の干渉次第で良くも悪くも育つというのを、考えさせられる3作だ。子供は親を選べられないそれにしても上品な真矢ミキが競馬新聞片手に競馬の予想って・・・(汗)にほんブログ村
2017年10月29日
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普段、山国に住んでいると海を見るのも年に1,2度の機会しかなく、まとまったお休みの行楽先はもちろん海だったりする前に旦那と出かけたお泊り旅行は紀伊半島勝浦や串本で、その前は日本海の天橋立と丹後半島だった昨秋に旦那と出かけた鹿児島旅行、初日薩摩半島の内陸にあった知覧から南へと向かうと、程なくキラキラ輝く海が眼の前に広がっていた。太平洋でも日本海でもなくってここは東シナ海で、前の九州時に沖縄に続いて生涯3度目どこか面白い観光先がないか、事前に本屋で購入したガイドブックで、これは行くべきだろうと、行先に追加したのは射楯兵主(いたてつわものぬし)神社、またの名を釜蓋神社だその名のごとく釜の蓋が山ほど並んでおり中には二人用だというどでかい蓋もあった釜蓋を頭上に載せて参拝をする、願掛けが有名なのだそうだ鳥居から10メートルほど先にある賽銭箱まで、落とさずに頭に釜蓋を乗せていくというのを旦那、やってみる戦前には釜蓋を持ったり、鍋を被って祈願をすると、戦争に行っても砲弾にあたらず無事に帰れると、出兵をする兵隊さんやその家族が、祈願に訪れたそうである勝負事にも強いという事から、スポーツ選手らのサイン色紙もたくさん貼ってあって、指宿出身の福元選手と澤選手もここに参拝してロンドンオリンピックの銀メダルとれたんだとか更にその時に金メダルに輝いたアメリカチームも大会前に参拝をしているだとかやっぱ頭に釜蓋を乗せたのかな? 祭神は素戔嗚(すさのお)と保食神(うけもちのかみ)である天智帝と大宮姫が安藤実重中将を訪ねるというので、その接待に実重が何十石も米を蒸していると突風が吹いて、釜の蓋が空に舞い飛び、この地に飛んできたのを拾って拾い神として蓋を祀り、釜蓋大明神と呼ぶようになったんだとか良縁、子宝、安産に良いという石もあったここからの海越しの開聞岳の姿がまた綺麗! といっても山頂にはまるで釜の蓋のような雲が乗っかっていたが参道にあった立柱は以前の鳥居の跡で昭和26年のルース台風で流されてしまい長く海底にあったものが引き揚げられたものなんだとかさてお次にやってきたのは、その近く番所鼻自然公園だ。ここは後でテレビで知ったけどタツノオトシゴを飼育しているそうで見に行けばよかった日本地図を作る為に日本中をまわった伊能忠敬が天下の絶景として称賛した番所鼻は、ここに鹿児島藩の番所があった事から。鼻は先っぽみたいな意味合いで、他に長崎鼻もありますここからも開聞岳が良く見えます。故郷にある円錐型の山を○○富士と言い、ここは薩摩富士といいます。ヒオウギ貝の絵馬のようなものがありましたさて、ここで見モノなのはラグーンのように岩場で囲まれた海の池で、火山活動とその後の浸食でできた自然の産物だ前に出かけた丹後半島に浦島神社があり丹後国風土記や日本書紀に、丹後国の事として、浦島の記述があったのだけども日本各地に浦島伝説があり、ここ鹿児島でも海の池の中に竜宮への入り口があるというのだ。また海幸彦山幸彦の神話が浦島のモデルだとも言われている。名の如く海で漁する海幸彦と、山の猟が得意の山幸彦が、獲物を交換しようとしたのだが海幸彦から借りた釣り針を、海で失くしてしまった山幸彦は小舟に乗って海津見神宮(わたつみのかみのみや)へ向かい、海神に歓迎をされ、娘の豊玉姫と結婚して3年の間楽しく暮らしていたそうだそろそろ国へ帰らねばと思った海幸彦は山幸彦の釣り針と、霊力のある玉を貰いそれを使って海幸彦を服従させたそうである。山幸彦と豊玉姫の孫が神武天皇となって、海幸彦は隼人の祖であるのだとか他にも沖縄のニライカナイ伝説や、南方のミクロネシアのカーニムエンソ伝説などもあって、その類似性から普遍的な物語でもあるのかなさてさて、その海の池を作っている周囲の岩礁ですが、干潮時などには歩けるように整備がされていますとりあえず、こうゆうのは一周をしたくなります。こんな時に津波でもきたらと思うとビビりますが海の彼方といえば、常世(とこよ)の国ってのもありますね。永遠不変な理想郷垂仁天皇が田道間守(たじまもり)に不老不死の非時香菓(ときじくのかくのみ)を探しに遣わしたそうである田道間守は非時香菓8竿8縵を持って常世国から帰ってきたのだが、既に天皇は崩御をしており、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺したという垂仁天皇陵(菅原伏見東陵)とされている奈良の宝来山古墳の周濠内に小島があるがこれが田道間守の墓とされる。非時香菓とは、今の橘であるとかなんて言っているうちに、南国らしい風景の中、開聞岳も近づいてきた近くで見ると、先っぽが見えない為か結構、丸っこくかわいらしい開聞岳は日本百名山で、942メートルの火山だ今回の心残りは、イッシーでも有名な池田湖に行けなかった事でも近くにある西大山駅には行きました団体バスもやってくる、有名な観光地になっているここはJRの最南端の駅。北緯31度11分にあるんだそうで。西は佐世保だそうで北は稚内、東は東根室みたいですね佐世保位は行きたい旦那は、先程のように風景の綺麗な観光地は好きですが、なんとかの地みたいなのは、興味がないみたいで早く旅館に行って、温泉に入りたいようだ。まっ、そうゆうのは私の性分には合わないし今回の旅行もついつい、あそこもここもとあちこち立ち寄ってたし鹿児島についてから帰るまで旦那がずっと運転してたしなぁ・・・とはいっても私のような人間が知らない土地で運転は無謀すぎるし、何とかの地ゆかりの地、発祥の地があればとりあえず立ち寄りもしたい。素通りも出来ないここでの目的は実はJRの方ではなく私は黄色いポストがあるとネットで知って、こちらに食いついたのだけど池田湖はそんな訳でスルーした。山に雲もかかっていたしという訳で午後5時過ぎには、旦那のおまちかねの温泉リゾートホテルに到着指宿いわさきホテルで、名物の砂風呂なんかも早速、やってみました~お部屋のベランダからはこんな感じで夕食はレストランのバイキングタイプでした。巨大ホテルなどはこのタイプが多いですね黒豚とか、さつま揚げとか鹿児島の名物料理もあります。でもやっぱりかなりな大食いでない限りは、会席料理とかより寂しい気もデザートはいろいろ食後に浜辺へと続くホテルの庭園に出てみましたこの日は普段より大きく見えるというこの前の夜がスーパームーンだったんですが雨で見れず望遠だとこんな感じでしたこれがあこがれだったんですよ。山国では見れない、海に月の光の道が出来るの次の日の朝のバイキング。私の経験上昼ごはんは、いつになるかわからないので、しっかり食べておきます。無論早起きをして朝ご飯の前に温泉にも入ってきましたよ早朝の海の朝焼けがとても美しくって、ふと私が思い出したのは、補陀落渡海(ふだらくとかい)。仏教において、西方には阿弥陀仏の浄土があるように、南方には観自在菩薩(観音菩薩)の住まいの補陀落があるというのでウィキペディアより>南方に臨む海岸に渡海船と呼ばれる小型の>木造船を浮かべて行者が乗り込み、そのまま>沖に出るというものである。その後、伴走船が>沖まで曳航し綱を切って見送る>場合によっては、さらに108の石を身体に>巻き付けて、行者の生還を防止する。ただし>江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体>(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を>渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化するともかく海の彼方には、人知を超えた不思議な世界があったようだ 平成28年11月に鹿児島県で撮影にほんブログ村
2017年08月04日
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いよいよ今年も残すところわずかとなった。昨日は息子も自分の部屋を掃除機で掃除してたみたいだし娘の仕事も今日が最後で、明日から家族みんな休みなんで朝起きるのを1時間、遅くしようかな♪ という訳で、例年よりとりわけ1年が短く感じられた2016年の行楽を、総決算としてご紹介します最初の写真は、11月に旦那の勤続40年記念で夫婦で出かけた鹿児島旅行での薩摩富士開聞岳。こちらが桜島熊本地震の九州ふっこう割で一人当たり15000円が安くなりました。この旅行については年明けにもご紹介したいと思います今年は1月末に大学入学から10年近く家を離れていた娘が春には会社の家賃手当もなくなり家も新築するので家に戻ってきており、離職記念(ぷー太郎)で私と旅行これは2月に出かけた関西旅行。改修で真っ白になった姫路城、見事でした次の日には大阪で300メートルもあるというあべのハルカス最上階展望台から、有料で屋上のヘリポートへとのぼれたんで夕刻で大阪湾の淡い夕焼けが綺麗でした奈良では2泊。日本酒の手軽な立ち飲み屋も発見し喜ぶぷー太郎の娘との旅行は、昨年も利用が出来た宿泊料の半額相当を、政府からの交付金で支払ってくれるという地方創生交付金事業「ふるさと割」を利用したもので以前、一度だけ泊まった事のあるレトロな奈良ホテルも半額で泊まれるならと・・・。以前は素泊まりだったが今回は名物の茶粥も、このようなレストランで食べれたあと一泊は日本旅館だちょうど冬の「奈良大和路キャンペーン」で、鹿寄せもしていたので見学。ホルンの音色で一直線に鹿たちがやってきた最終日は京都の伏見稲荷。娘が大学時代に行った時には真夏でへばって一番てっぺんまで行けずに断念をしたので、冬なら行けるだろうとリベンジ本当に充実した3泊4日の真冬の関西旅行だったけどブログでは紹介できなかった。鹿児島に続き紹介出来たらなぁ1月末には先程のふるさと割を利用した、大阪府&JTBの「ふるさと割おおさか魅力満喫キャンペーン」で、こちらは宿泊代どころか、旅行代金自体が半額になってしまうという大盤振る舞い新幹線+ホテル代+JSJ大阪パスポート代が半額。ハリーポッターエリアに行きたがってたぷー太郎になったばかりの娘と出かけた6月には3月には就職先も決まり社会人のに戻った娘と滋賀旅行。なんでそんな話が出たか覚えていないが快速電車で長浜に行って大津の琵琶湖ホテルに泊まって映画も見て、次の日は近江八幡と彦根城という感じの旅行だった続けて7月後半には祇園祭後祭。昨年は姉と出かけたが今年の夏は娘と。ちょうどスマホのポケモンGO!の配信直後だったんで娘はそればかりで。丸山公園とかかなりやってましたね~。その印象ばかり残ってます。なんか娘とのお泊旅行は今年は関西方面ばかり出かけてたようなそしてNHKのフォーク番組観覧が当たったので、急きょ出かけた東京旅行。姉のところのお姑さんが具合が悪くなり、私だけとなって、東京駅周辺や東京国立博物館をウロウロしたのはこのブログでも紹介できた久しぶりにゼロ戦が見たくなっての靖国神社遊就館で五十二型。シン・ゴジラを見たことから旦那が永遠のゼロを借りてきたきたのが、きっかけだとは思うけど10月には浜松エアーパークで飛行展示のものを。日本にゼロ戦の現存機体は12機あるそうで、旦那は隼が見たいとか言うが、残骸とタイヤしかない模様。アメリカとかに行けば見えるらしいがそして今年最後のゼロ戦は、11月に出かけた鹿児島旅行まずは知覧で、海底から引き揚げられたままの形での展示知覧特攻平和館は内部撮影禁止の為、外から窓ガラス越しに更に鹿屋基地資料館で。12機しかない現存機のうち4機を今年の後半に見た訳で、鹿児島旅行については年明けに紹介する予定だ国内外を含めて、久々の飛行機の旅なのに雲海だし地上の大パノラマを期待したのになぁ帰りは初めてのプロペラ機。しかも飛行場を歩いて乗るだなんて、ドキドキ娘が常滑のイオンモールに行きたいというので、日帰りドライブで春に出かけた際に。娘はイオンモールで私と旦那はセントレアでの飛行機見物こちらは名古屋に出かけた時に、ついでに小牧の県営名古屋空港に立ち寄って、着陸する飛行機を真下から眺められる近くの公園へ。今は小型機ばかりだけどセントレアが出来る前は、ここをジャンボ機が飛んたこの前、紹介したばかりの10月に出かけた浜名湖近くの鍾乳洞は静岡県。ここから日帰りで出かけた近場ドライブ先程の常滑イオンモールのお出かけでは、午前中には近くの半田市をうろついた。黒壁が粋な街にはミツカンの工場もあり鯉のぼりも。国盛もミツカンにゆかりのある酒蔵で娘と試飲させて貰ったその後には土管の道などが楽しい常滑のお散歩。ここは招き猫など焼き物でも有名だいつもの高級宝石店も必ず立ち寄る、ご招待バス旅行では蒲郡のミカン狩りや岡崎の八丁味噌蔵を見学春先には愛知県で、手軽に世界一周の旅が出来るというテーマパークのリトルワールドで、今回も旦那が運転手なので娘と私の二人でフランスワインの見比べや、ドイツの地ビールなど。JAF会員の割引で格安で見学ができた更にJAF会員のサービスデーで格安で行けたのが愛知県で明治時代に手軽にタイムスリップが出来る明治村へ。教会のステンドグラスの光で人も虹色今回は私が運転しているので、娘のみ電気ブランをつまみのチョコレート付きで横でちびちび飲んでいたので、くやしいし土産に1本購入した更に名古屋市で手軽に南極気分や、雷体験もできて竜巻なんかも見れてしまう市立科学館へ娘と出かけた鳥インフルエンザが心配な名古屋の東山動植物園は桜のシーズンに出かけて、イケメンゴリラの人気者シャバーニの流し目ゲット名古屋と言えばアサヒビールの工場見学へ娘と出かけたのはオープン戦の観戦料金は安いので、ナゴヤドームに出かけるついで。この時は日ハム相手だったかなこちらは山本昌ファンの甥と二人で引退試合に出かけて一番前の席だったので間近に昌さんも見れて、甥も感激前から行きたかった秋の名古屋まつり。信長、秀吉、家康の三英傑は一般の人の応募で。なかなかの貫禄だよく名古屋の栄はイベントをやっていて、この時はゆるキャラがいっぱい。どうも伊勢志摩サミットをやった三重県のゆるキャラが大集合?黄金に輝く、名古屋城の復元したばかりの本丸御殿。まだ本丸御殿の工事は続いている。コンクリートの天守閣を補修か木造再建かというの、どうなるのか気になる比類なき現存、国宝天守の松本城。娘の引っ越しの荷物も片付け、明日の引き渡しを待つだけとなった最後の夜には娘と市内のホテルに泊まって松本城にお別れ松本はこじゃれたバーなども多いので有名だが、娘が前から行きたがっていた手軽な価格の立ち飲みの一杯酒場で飲んでラーメン屋に寄って・・・寒い夜だったなんて離れたはずの松本も、スイカを食べに行ったりとかたまに顔を出す。秋の塩尻で新ワインと新そば祭は楽しかった~伊那谷にも今年も桜を見に出かけた。前から見たかった義経ゆかりの駒つなぎの桜もいい感じそして秋には陣馬形山から伊那谷を見下ろす。正面は木曽駒、中央アルプス無論、近場ドライブは隣県の愛知や信州ばかりではなく岐阜県内もお出かけする。特に車で2時間ほどの飛騨の高山は年に1度は必ずスターバックスが出来ていたし。そして必ず寄るのが有料で試飲が出来る酒蔵。娘、いそいそとこちらは下呂方面から美濃太田方面に抜ける途中の国道41号、飛水峡。このルートもよく出かける車で1時間で行ける下呂温泉。春に幾冊も購入した地元情報誌で無料で入れる入浴券が、ここ下呂に2つあったし3回位出かけたかな。途中の道の駅かしもでモーニングを食べるのも楽しみだったその無料入浴券は車で30分の恵那峡でも使えたのでここも桜の頃に何度か出かけた何度か出かけたというと車で1時間ちょっとの土岐にあるアウトレットも。元旦の初売りに娘と行こうかと思ったが本気な人たちが朝早くから殺到するみたいなのでうちはあきらめた。ドトールの福袋とか興味があるけどなぁ~こちらは大正村。娘との近場ドライブも行きつくした感もあって、こんなマニアックな山間の観光地にまで足を延ばした。来年、どうしようかなぁ~。行ってないのはひるがの高原とか谷汲山くらい。あと関ケ原か毎年出かける飯高観音と岩村醸造の蔵開き。息子が運転手をしてくれる場合が多く、三人ともども飲める数少ないイベントだ高山に行く途中で、初めて出かけたのが下呂市萩原町の天領酒造の蔵開き。くじも引けて美味しいグルメも安く食べる事が出来るし、来年も参戦してみたい毎年恒例といえば中津川の菓子まつり。娘はこっちに戻ってきて初参戦。栗きんとんなど和菓子などが2割安く購入が出来、遠方からもたくさんの人が地元の馬籠では紅葉の頃に地味にライトアップをしていて・・・こうしてまとめてみると、ふるさと割&ふっこう割でお安く旅先はいつも娘と飲んで、ゼロ戦と城。そんな感じの旅だ1年間、お付き合いいただきましてありがとうございました 平成28年に日本各地で撮影にほんブログ村
2016年12月30日
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いよいよ今年も残すところ一週間となった。なんだかんだで何をしようがしまいが1年は過ぎてしまって新たな1年を迎えるのだが、今年を象徴した出来事といえばやっぱり新築の家に住めた事一生に何度もあるものでもないし、忘れられない1年となった。LDK10畳のリビング(手前)と同じ位のダイニングキッチン(奥)がこんな感じで斜めに接合しているタイプであるので、視覚的に奥行きも出来て広く見えるそうだそんなダイニングのテーブルで食事中にも、テレビを見たいテレビっ子の家族なのであるが、作り付けのテレビボードは大きいけれど、肝心のテレビは32型8年位前のかな。音声もいまいちクリアでもないし4Kも最近は安くなってきたので、せっかくだし大きなものに買い換えました。ダイニングテーブルから見るとこんな感じで、大きな画面になったので離れていてもテレビも見えます。音も前のよりキレイに聞こえますし私が座わっているリビングのコタツからは、前のテレビはこんな感じ。4Kテレビというものも実際の放送は有料のサービスなどで限定的に見えるだけで、先々、一般化してもアンテナも新しく変えてチューナーを買わなきゃ見れないそうだけど、実際に店頭で2Kとかより、4K相当の画像が映るテレビはかなり綺麗旦那はパナソニック好きなのでビエラのDX750シリーズの55型テレビ。高画質エンジン「ヘキサクロマドライブ」搭載で暗いシーンから明るいシーンまで、映像本来の色を忠実に自然な彩りに表現し、4K解像度によりその場にいるような臨場感とか奥行きすらも感じるとか。大手家電チェーンでのボーナス商戦で税込みでも16万台半ばでした 「ビエラDX750シリーズ公式HP」最大出力30Wの高出力アンプと大容量になったスピーカーにより力強い音を実現した「ダイナミックサウンドシステム」とか、本来のスピーカーだけでもデジタル放送の5.1chサラウンドを、立体的な音と出来る「バーチャル3DサラウンドIII」も搭載して、音もいいしやっぱテレビは音も重要ですしうちには各部屋に5台テレビがあるけど、最後に買ったのはもう数年以上も前なので、テレビも随分と進化したのには驚く無線ランなどでネットにつなぐ事で、有料や、無料での各種のビジュアルサービスが出来る。あっ、手前のモップはテレビの購入時にサービスで貰いましたブラウザのアプリもあるので、テレビでネット検索もできてこのブログも、55型のでっかい画面で見る事も出来たしお気に入り登録ですぐ表示もできるが、文字を打ち込むリモコン操作が面倒かな。PCと無線でつないでモニター扱いになればいいが娘はスマホのユーチューブを立ち上げて、そちらに連動(私のPCも出来た)させテレビでユーチューブ鑑賞。アーティストのプロモーションビデオとか画質も音も綺麗なので、娘が朝からユーチューブの音楽つけるので旦那、朝はニュースが見たい!と騒いでいるし。もっと早くテレビを変えてたら良かったのにねとは、新機能に喜ぶ娘壊れた訳でもない、ダイニングから見るのには小さかった以前の32型テレビ(奥)は、娘の部屋で使う事になって娘の部屋で使っていた10年前に居間用に買った26型のテレビ(手前)は電源も切れたりするようになっていたのでリサイクルに出す事にしたまだ液晶テレビも出始めだった10年前、パナソニックが好きな旦那はプラズマにするか液晶にするか悩んで選んだ、この26型液晶テレビは、今度のテレビと同様に当時16万円位したものだ今なら同様の大きさなら4万円位で買えるかな。随分とテレビも大型化し価格も安くなった。液晶テレビと言えど初期なので横から見るとかなり分厚い。アナログ時代には近くで見ると、画像が汚かったがデジタル放送になって綺麗になった液晶テレビの価格もほんの2、3年でみるみる安くなり7年位前には32型も10万円を切っていたし、テレビの厚みもこうみると少しは減ったそして今度の55型を横から見るとこんな感じ。壁にかける人もいたりするしね。そうそう最近のテレビは録画機能も搭載をして外付けHDDを購入すればいいいのだが、やっぱ大画面ならば、レンタルで借りてきた映画のDVDも見たいテレビを購入したついでに、前から欲しかったDVDも購入をした。テレビとの同時購入で5000円引きの特典あったのが有難い。夏前から狙っていた型落ちの機種だが、ブルーレイで1TB&2チューナーあれば、うちは十分だ。テレビとこれで合計で税込み21万だった。新たにそこのカードも作ったんで(値引き条件)入会ポイントとかも別に貰えるようだ今までリビングで使っていたのは500GBで、1チューナーなのでDVDを鑑賞中に肝心な時に録画予約が始まりますって感じで鑑賞が出来なくなってしまうので、家族から不満が続出やっぱリビングは家族でDVDとかも見たいし、家族で見たい番組も夜に録画したいので1チューナーは無理だそこでリビングにあった1チューナーのDVDはテレビ共々娘の部屋にお引越し。数年前にコカコーラの懸賞で当たって今まで娘が使っていたのは番組表などデータを読み込むのに深夜でも、定期的にウィ~~ンと音をたてて不評だったんで息子にやるらしいが私の寝室には旦那の好きなパナソニックで、ブルーレイの2チューナーのDVD(上の)で、ドラマとかは録画してから後で暇な時に見るので、日常的にかなり活用している。と古いカセットテープとDVDの兼用した録画機も壊れてもないんで、そのまんま置いてある(下) 披露宴とかまだカセットテープだしDVDにしなきゃと思って、早10年そんな訳で、1チューナーの今までのリビングのDVDを娘の部屋に持っていく前に、これからも見たいと思う番組などはDVDにダビングしとかなきゃいけないし。今までそうゆう事とかしたことないし。なにせカセットテープもそのまんまとりあえずおまけに貰ったとかで、昔から家に転がっていた新品のDVD3パックを開封してセットしてみたら、あらら10枚組のはアナログ専用なんで反応せず。先ほどのカセットからDVDにダビングするのにはいいかも。左下の5枚組はブルーレイ用だったので、これには使えない(他ではok) で使えたのは5枚のみ対応するDVDーRを購入して、せっせとダビングをするけどかなり簡単。しかも高速なので時間も数分位しかかからないしこんな事なら、容量が一杯で泣く泣く消去したあのドラマとかもダビングをしておけばよかったこちらは1度見ればいいやつ。娘もお正月休みに自分の部屋のDVDを見たりするんで、引っ越しはそれからになるようだしそれまでにせっせと見なきゃ。昼間の再放送ミステリー率多しこのあたりは今秋のスカパー!10日間無料デーで撮りためたものばかりで、アニメや音楽番組は娘のだから娘の部屋でも見るのでほったらかしでいい。あっ映画1個まじっているからこれは見て消去しておかなきゃこんな感じで家が新しくなった事で、以前はリビング兼ダイニング(兼客間)だったLDKも、新しくなったのでテレビも新しくしなきゃいけなくなったけど、たとえ家が新しく変わろうが、今まで通り変わらぬ事も。業者さんはカレンダーをくれたりするし。相田みつを・・・重い言葉だ超低金利な時代、ボーナス時期のキャンペーン時に合わせ定期預金とかをして、せめて景品を貰うとか。↑は最近のお気に入りのムーミングッズがかわいい岐阜信用金庫だが50万以上という高いハードルなので、巻きエプロンの他にもキッチングッズも貰ったお皿セット(トートバックも選べる)は、十六銀行で30万以上だ旅行ポーチは、JAひがしみのので20万以上で貰える冬のボーナスだけで、それだけ定期が出来る訳ではないので普段の給料とかは普通預金に置いておいて、ボーナス時期に金利アップや、景品を貰えるキャンペーンなど良いところで定期を作っている。ちょリス(貯金をするリス)のポーチはどんぐりのジッパーという芸の細かさがナイス食品が多い郵便局ではオリジナルのポッキーと焼きそばUFO前にはSKE48とかだったし若い人とか意識してる? 年寄りには菓子やカップラーメンは魅力がないので、今回はパス!でも年賀状を買ってきたのでそちらの細々とした粗品は貰ったなんでも来年になるとはがきが62円になるそうだけどなぜ60円じゃないんだろ。懸賞とかで50円のはがき切手に2円切手を貼って使っているけど、12円切手を作ってくれないと、10円と2円切手の2枚を貼らなきゃいけないと面倒だ今年は遅くまで喪中はがきが届いていたので年賀はがきの印刷もやっとした所だが、例年に比べて喪中はがきが多く他にも舅や姑の兄弟もなくなっているので、他の兄弟にも年賀状はおくらないそうだ。暖かだったり寒かったりでお年寄りには酷な年だったかもテレビボードの周囲には、電話やスピーカーとかも置くのでコンセントを沢山欲しかったけど、そんなにいらんでしょと業者に言われ、2ケ所5口の差し込み口しか作らなかったがやっぱ足りないじゃん。近くのコンセントから延長コードを使うが、家族からはジャマ!とか言われてしまった。実際に通り道にこれはないなそうそう最後に。旦那サンタさんに貰った時計です 平成28年の年の暮れににほんブログ村
2016年12月26日
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おっちゃんも少年時代に戻って、ワクワクするような空間が目の前に広がっていた。おばちゃんもやっぱりワクワクしたのは、航空自衛隊浜松基地のお隣にあるエアーパーク。航空自衛隊浜松広報館の展示格納庫だ1999年にオープンをした航空自衛隊初のテーマパークで航空自衛隊で活躍していた航空機やパイロットの携行品など装備品の展示を通し航空自衛隊の任務や活動、航空機のメカニズムを紹介しているしかも自衛隊の広報活動の趣旨からなので、大人も子供も無料!かつて、2位じゃダメなんですか?という事業仕分けによって一時期、有料化もされたそうだが来場者数がガクッと減ったのでこのままでは広報の意味がないからと、再び無料に戻ったそうだ10月に旦那の運転で、娘と一緒に浜松までやってきたのは新東名サービスエリアや鍾乳洞、浜松餃子が目的ではなくてここで展示されている、日本海軍の零式艦上戦闘機。またの名をゼロ戦(れい戦)をはるばる見にやってきたのだ何故、ゼロを見たくなったかというと夏の終わりに旦那とシンゴジラを見た事で(娘は君の名は)→旦那がレンタルで永遠のゼロを借りてきて→私がNHKの番組収録までの時間に、久々に靖国でゼロ戦を見ていたらちょうど旦那が電話をよこしたので自慢したら→旦那もゼロ戦を実際に見たくなったって訳です子供が小さな時に一度、家族出来た事はあるけどもさほど、ゼロ戦は意識していなかったかもしれないしかも、ここのゼロ戦は日本で唯一、飛行展示をしている(吊り下げられているだけ)ので、下から横から眺められるグアム島のジャングルで昭和38年に発見されて米軍が返還輸送し三菱重工で修復、復元された零戦52型だそうだ。搭乗員は尾崎伸也大尉で6月17日零戦12機の指揮官としてグアムへ着任7月19日グアム島の上空で敵艦戦を迎撃し、激しい空中戦を展開。尾崎大尉は敵2機を撃墜したが被弾しアガナ付近のジャングルに不時着をした。すぐに地上部隊が大尉を救出したのだが野戦病院で亡くなられた富士重工のT-1A練習機は、T-6練習機の後継機として配備された国産ジェット練習機で、主に13飛行教育団においてジェット練習機として使用されていたなんて感じで格納庫に様々な機体が並んでいるのはやっぱ壮観だ。しかもフライトスーツやヘルメットを着用して見学ができて、写真を撮ればコスプレ気分どことなく愛嬌のあるフォルムのこの機体は、三菱重工のMU-2救難捜索機で、民間型をベースに様々な装備を搭載し救難捜索機として使用されたノースアメリカンのT-6練習機はアメリアの映画などで塗装などで似せて、ゼロ戦の飛行シーンに使われたりしていたそうだ前から見るとこんな感じ。上空のゼロと比べていかがですか? 航空自衛隊には飛行教育を主に使用。また捜索救助用としても活用されたどことなくアートな重なり三菱重工のT-2高等練習機のブルーインパルス仕様。やっぱりかっこいいですね。小牧基地において1971年7月20日に飛行、11月19日にはアメリカでの超音速飛行試験でマッハ1.09を記録し、日本航空史上初の超音速飛行を成し遂げたデ・ハビランドDH.100バンパイアは英国のデ・ハビランド社が開発し世界各国で使用されたジェット戦闘機だそうですがなんとなくアナログなSFぽいフォルムをしているようなロッキードのマッハ2を飛ぶ超音速ジェット戦闘機のF-104J戦闘機は、G型を基に日本での要撃任務用途にあわせて、火器管制装置などを改良したものだそうで三菱重工がライセンス生産をしていたらしいさすがに無料の人気施設だけに、かなりの人たちが見学に来ていた。やっぱ若い男子率が高めかもT-3練習機。ウィキペディアによれば>航空自衛隊のレシプロエンジン単発の初等練習機>パイロットが最初に訓練するために乗る事を目的と>した機体。富士重工業が製造した。30年間近く>パイロット育成に使用され、2007年(平成19)>4月23日に退役した手前のは米国のシコルスキーによる救難ヘリコプターH-19で、海難救助にも使用されたらしい。奥のは米国ボーイング・バートルの救難ヘリコプターV-107最初はF1戦闘機の代替と言う事から「次期支援戦闘機(FS-X)」と言われたF2は実機が完成して後はXF-2A・XF-2Bと言われるようになったそうだ。これは試作機1号機みたいだ。三菱重工政府専用機の座席は座る事が出来、気分は要人航空祭の花形、ブルーインパルスコーナー 敬礼っ!こうゆうの見ててもワクワクしちゃいますね、やっぱ展示はますますメカニックになっていきまして・・・大型スクリーンによる映像コーナーもありまして、飛行機も空をガンガンと飛ぶ映像化と思ったら、何やらスポ根にも似た病気まで絡めたミニドラマ。あぁ先が読めすぎるし・・・汗あぁ~やっぱりなという、お決まりのラストシーンなんぞを見て、実機見てた方が良かったな・・・と。なんと次の週は浜松での航空祭だったみたいで、ブルーインパルスも飛んだみたいだしネットなどを検索すると、当日の抜けるような青空に飛ぶブルーインパルスが描くハートマーク。見たかったなぁ一眼レフ持参でとは言っても娘はそうゆう硬派なイベントは嫌いなので逆に敬遠されてしまったと思う。今回だってゼロを見に来た訳だが、娘の方はこの後に出かけた大きな浜松のイオンがお楽しみって事で娘が行きたがっている中部各地の大型ショッピングモールを連れまわされている。目下、テレビでよく取り上げられている名古屋近郊の長久手にオープンしたばかりの、イオンモールに行きたいばかりで、そこは長久手古戦場の跡地らしい。一度個人的にお隣の古戦場公園は行ったことがある織田信雄&徳川家康軍と羽柴秀吉軍が激突した小牧・長久手の戦いは壮絶な戦いとなり、池田恒興や蘭丸の弟の森長可といった名だたる武将が戦死し、首塚や血の池公園などというおどろおどろしい遺蹟もある次の大河の井伊直虎が育てた井伊直政も長久手の戦いで>直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、一躍天下に>名を知られるようになる。また小柄な体つきで顔立ちも>少年のようであったというが、赤備えを纏って兜には>鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らして>いく勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名>から恐れられた ウィキペディアより転載米国のカーチス・ライトのC-46D輸送機は当初は民間の旅客機として開発されたのだが、第二次世界大戦では軍用輸送機として採用されたそうだが、どこかレトロな感じだパイアセッキ・ヘリコプター(後のボーイング・バートル)のH-21はその形から、空飛ぶバナナと呼ばれていたそうだシン・ゴジラを見た事から今年の後半の行楽は、えらく硬派な行き先ばかりになってしまった。そうそう今日は日本初飛行の日であるそうだ。明治43年12月19日に東京・代々木錬兵場(代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が日本初飛行に成功。飛行時間は4分、最高高度は70m、距離は3000mだったそうだ 平成28年10月8日に静岡県浜松市で撮影にほんブログ村
2016年12月19日
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寒い日が続いていますね。さて鹿児島の旅日記はどこに行ったの?と言われそうですが、今日の日記に関係するニュースを知ったので、ぜひこの機会に掲載ておきたいネタだと思いまして先に紹介します。今秋の10月8日に出かけた地底世界ですうちのあたりは、名古屋の局が制作した地方番組を見ているんですが、近場行楽などは東海三県の愛知岐阜、三重。それに南信州や静岡県西部あたりがプラスされるんですけど、最近の話題は新東名です既に通行出来ていた区間から豊田東JCT~浜松いなさJCTが延長されて、今春に開通をしたというので、新たに出来たサービスエリアの特集を、地方番組でよく取り上げるので行ってみたいな新東名って事で、最初にやってきたのは東海三県で最大規模となる「NEOPASA岡崎」上下線それぞれにコンセプトを設定し、同じ商業施設でありながら行きと帰りで趣が全く異なる、2つのコンセプトを共存させた初めてのサービスエリアなんだとか。オカザえもんももちろんいた。上り線の岡崎宿側から入ったお土産の他に手軽なグルメも楽しめるので、娘が買ってきたのは全国チェーンの「包宝PAOPAO」の肉まんで私は京都祇園の人気店が経営しているという「きっちんににぎ」の稲荷ずし娘が一口くれたんで、朝からもぐもぐ。稲荷はいらない模様旦那にも一口やろうと思ったが携帯にも出ないし、なんでも外で涼んでいたらしい出来たばかりの新東名の区間なので、カーナビにものってないし。山の中を走る実際、周囲は愛知県三河地方の山の中で風光明媚とは言えない景色だ次に立ち寄ったのは「長篠・設楽原の戦い」をコンセプトに本陣に見立てた建物外観に加え、歴史的観光資源を活かした火縄銃の展示や馬防柵を再現した「長篠設楽原PA」である上り線は、武田軍の赤備えである朱塗りを配色した外観で武田軍の本陣を彷彿させ、反対側の下り線は、物見櫓やのぼり旗・馬防柵を再現するなど長篠・設楽原の戦いにおける織田・徳川連合軍に見立てているんだとかそう、ここは歴史上において名高い「長篠・設楽原の戦い」の跡地に隣接しているのだ。長篠PA下り(織田PA)の駐車場から織田信長の陣跡だった茶臼山(旗のあるあたり)にも行けちゃうそうだが、帰りは暗くなってたので下りは寄らなかった。残念こちらの山は陣跡ではない。この山の地底には最初の写真の鍾乳洞があるのだ。2憶5千万年の時間が育んだ東海地方最大の鍾乳洞の「竜ヶ岩洞」だその全長1kmのうちの400mが見学コースだそうで無数の鍾乳石や落差30mの「黄金の滝」など見どころも多い。以前にも1度来たことがあるが、娘はまだだったので、ついでに立ち寄ったもはや、このあたりは来年の大河ドラマである「女城主直虎」一色という感じ。知ってました? 井伊直虎。井伊と言えば大老の井伊直弼や、井伊の赤備え、ゆるキャラのひこにゃん位なものでしたが世界のトヨタの豊田佐吉(湖西市)や、世界のホンダの本田宗一郎(浜松市)、スズキ、一条工務店、ヤマハ発動機、河合楽器の創業者も、浜名湖周辺で生まれたそうだが、戦国時代において何せお隣の三河出の徳川家康が天下を取って家康が浜松城主だったんで、浜松生まれの徳川秀忠公そして井伊直虎。いまやひこにゃんが一番有名な彦根の城主であった井伊家は、ここ浜名湖の北東に位置をした遠江井伊谷が発祥だったそうだなんて事など全く知らず、浜松と言えばスズキだヤマハだってレベルの家族なんで、妙に直虎ののぼり旗があるなぁ~って現地で初めて知った訳で、それをもし先に知ってたらやれ直虎の墓のある寺だ、井伊家の井戸だとまわったのにある意味で娘とか旦那、ラッキー。お寺<<鍾乳洞だろうしそれに今回のメインの観光地は全く別にあり、ジャンルも全く別。そこだけじゃなんだしと立ち寄った鍾乳洞な訳でそのメインの観光については次回、紹介をします鍾乳洞はこんなものにも見えますよって事で、ワニらしい附近一帯は、秩父中古生層という古い岩石(石灰岩)で形成をされており、大正時代には夕暮にコウモリが飛び出してくる洞窟の存在は知られており、地元の子供たちの探険遊びの場でもあったそうだその小さな洞窟の一番奥に幅50cm 高さ10cmの小さな窓があって、そこから吹き出してくる風などから、その先にも空洞が続いているのではないかと、昭和56年6月より地主の戸田貞雄さんの理解を得た二人の洞窟愛好家が、一輪車に粘土を積んでは運び出し、手掘りでの拡張作業を始めた数々の難所を突破し、様々な発見で洞内地図はどんどんとその距離を伸ばし、同年12月に調査隊は落差30メートルの「黄金の大滝」発見したそうだが、その滝、撮影禁止となっていたんで写真がない。見たい人は現地行って見て下さい約2年半の歳月をかけて調査と共に開発も進められ、昭和58年秋には一般公開となった。更にその後の調査により、総延長が1000mにも及ぶ大鍾乳洞であることが判ったそうだやっぱ鍾乳洞は楽しい。直虎の寺だか井戸見るよりもこっちの方が楽しかったかな。とは言ってもせっかく大河のゆかりの地に行きながら、その関連の寺社仏閣何一つ行かなかったとは! 何かやらかしちゃった感も半端ないしそんな気持ちに、もしかしたら浸っているのではないかと思うのがNHK。かつての婚約者の息子を立派な後継者に育てあげた女城主の井伊直虎。実は男じゃなかったのか?という資料が最近になって発見されたんだってニュースになっている「直虎は男だった!? 京都で新史料」中日新聞記事大河にでもならなきゃ一部のコアなファン以外には、誰それ?レベルだった井伊直虎だが、江戸時代前期の「雑秘説写記」という文書に、直虎とされてきた女性のいとこに「井伊次郎」という男性が存在しており、彼こそ直虎ではないかって話だそうで岩村城の女城主のおつやの方、立花誾千代、寿桂尼に甲斐姫吉岡妙林尼のように領国を采配し、戦う女たちも実際にいたけども、いくら戦国時代に女だからとなめられてはいけないとは言えど次郎とか直虎とか勇ましい名前を付けるか?とか思ってはいたけど真相はいかに?男女逆転疑惑と言えば、上杉謙信も妻子もおらず、来日をしていた宣教師が上杉景勝の叔母と書いていたとか、男もおよばぬ大力無双と、瞽女の歌があったりとかするそうだ流石に女とはいかないが、細面のイケメンの俳優さんとか起用をしますよねもともとマイナーな直虎は戦国武将のゲームで人気なので若い世代に大河を見てもらいたいから選ばれたなんて事もネットなどに書かれてるし。そんな訳で綺麗な柴咲さんが演じる勇ましい名前の直虎が、どのように語られているのかその生涯を簡単にネットの「ウィキペディア」で見てみます>遠江井伊谷城主(国人)の井伊直盛の娘として誕生。>母は新野親矩の妹(祐椿尼)。生年は定かではないが>天文5年(1536年)前後に誕生したのではないかと>推測される。幼名は不明。父・直盛に男子がいなかった>ため、直盛の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子に迎える>予定であった>ところが、天文13年(1544年)に今川氏与力の小野道高>(政直)の讒言により、直親の父・直満がその弟の直義と>共に今川義元への謀反の疑いをかけられて自害させられ>直親も井伊家の領地から脱出、信濃に逃亡した。井伊家では>直親の命を守るため所在も生死も秘密となっていた>許嫁であった直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師(次郎と>法師は井伊氏の2つの惣領名を繋ぎ合わせたもの)という>出家名を名乗った。直親はのちの弘治元年(1555年)に>今川氏に復帰するが、信濃にいる間に奥山親朝の娘を正室に>迎えていたため、直虎は婚期を逸すことになったとされる>その後、井伊氏には不運が続き、永禄3年(1560年)の>桶狭間の戦いにおいて父・直盛が戦死し、その跡を継いだ>直親は永禄5年(1562年)に小野道好(道高の子)の讒言に>よって今川氏真に殺された。直虎ら一族に累が及びかけた>ところを母・祐椿尼の兄で伯父にあたる新野親矩の擁護に>救われた>永禄6年(1563年)、曽祖父の井伊直平が今川氏真の命令で>天野氏の犬居城攻めの最中に急死したため、永禄7年(1564年)>には井伊氏は今川氏に従い、引間城を攻めて新野親矩や重臣の>中野直由らが討死し、家中を支えていた者たちも失った>そのため、龍潭寺の住職の南渓瑞聞により、幼年であった>直親の子・虎松(後の井伊直政)は鳳来寺に移された>以上のような経緯を経て、永禄8年(1565年)、次郎法師は>還俗して、直虎と名を変えて井伊氏の当主となった。「直虎」は>仮名であって、本当の名前ではない。『井伊家伝記』によると>「次郎法師は女こそあれ井伊家惣領に生候間」とあり直親の死去>により、この次郎法師しか後継者がいなかった>具体的には直盛の未亡人と龍潭寺の南溪和尚が相談の上、女性>地頭を誕生させた。 なお、この時代の「地頭」は鎌倉時代の意味>ではなく領主の意味として使用されている。 (中途・略)>小野道好の専横は続き、永禄11年(1568年)には居城・井伊谷>城を奪われてしまうが、小野の専横に反旗を翻した井伊谷三人衆>(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)に三河国の徳川家康が加担し>家康の力により実権を回復した>元亀元年(1570年)には家康に嘆願し、道好の直親への讒言を>咎め処刑する。しかし、元亀3年(1572年)秋、信濃から武田氏が>侵攻し、居城・井伊谷城は武田家臣・山県昌景に明け渡し、井平城の>井伊直成も仏坂の戦いで敗死すると徳川氏の浜松城に逃れた。その後>武田氏と対した徳川・織田連合軍は三方ヶ原の戦いや野田城の戦い>まで敗戦を重ねたが、武田勢は当主・武田信玄が病に倒れたため>元亀4年(1573年)4月にようやく撤退し、直虎は三度井伊谷城を>奪還した>その間、直虎は許嫁の直親の遺児・虎松(直政)を養子として>育て、天正3年(1575年)、直政が15歳の時に徳川氏に出仕させ>その際に直政は300石を与えられる(『井伊家伝記』)。天正10年>(1582年)8月26日、死去。家督は直政が継いだ。墓は井伊家の>菩提寺である龍潭寺に、直親の隣にある以上、「ウィキぺディア」より転載をさせていただきました。まっもともとが直政みたいに派手に活躍した人でもないので、資料もさほどないのかもしれません。所説だっていろいろあるだろうしそれを大河ドラマでどう演出するのかも楽しみです。江とかもかなりフィクションでしたしね。そこらじゅうの重要場面に突如現れ、ホントかよ~?と思いましたもんこうもりも飼育されてました。こんな近くで見るのは初めてかも洞内に飛んでるのも見ましたといった訳でお昼も近くになったので、浜松と言えば浜松餃子~。浜松の事を殆ど知らず(4回は遊びに来た事もあるが)現地入りをしたので、急きょコンビニで買ったガイドブックで浜松餃子特集のページを見て一番でかい写真の(笑)というか、一番近そうだったんで駐車場もあるし、やってきたお店は「浜太郎」。やっぱり人気店だけに30分位は待ったかな。地元っぽいファミリーなども利用していました待っているうちに(椅子あり)注文を取っていたので席に着いたらすぐに餃子もやってきて、この定食で780円はお得だと思うし、美味しいと旦那も娘も喜んでた。また浜松行ったらここ食べに行きたいな先ほどヤマハ発動機(オートバイとか)の創業者は浜名湖周辺の出身だと書いたけど、じゃヤマハは?と調べたら、こちらは山葉寅楠といい紀州藩の天文係の息子だそうで、長崎に出て英国人のもとで時計の修繕法を学び、浜松尋常小学校のオルガンの修理を手がけたことから、日本で初めてオルガン製造をしたんだとかてな訳で周囲は真っ暗です。午後のメインの観光先は、次回紹介します。最後に立ち寄ったのは新東名の「NEOPASA浜松」娘が富士にいた時によく利用した「天神屋」のおでん静岡おでんもB級グルメでは欠かせない存在だ。その特徴は鶏ガラ(か牛すじ)のでだしを取った醤油つゆを使用し、だし粉と呼ばれるイワシの削り節や、鰹節青海苔をかけて食べるもの。黒はんぺんも有名だしあと全国チェーンの「ハースブラウン」の、このSAでの看板メニューと思われる「プレミアムメロンパン」をぱくっ 平成28年10月8日に静岡県で撮影にほんブログ村
2016年12月15日
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昨夜はまるで台風のような強い風が吹いており、その音で起こされ、カーテンを開けて外を覗いたら西の空低くに鮮やかなまん丸の月が輝いていました。満月? さてさてお写真の方はいつもの松本城。娘が松本を離れて間もなく1年になりますが以前の蔵出しの写真ではありません。撮りたてホヤホヤの先週末、日曜日の松本城です。その日(11日)の朝など今シーズン一番の寒さじゃないかと思う程で、木曽の道もマイナス表示。マイナス4度というのも。道の彼方には中央アルプス、木曽駒やっとこさ着いた松本では、とりあえずあったまろうかと娘がよく行ってた、駅前の本屋さんでモーニングサービスコーヒー代にサービスでヨーグルトとパンが付いてくるという、うちの方とおんなじスタイルださて、今回のドライブの運転手はいつものように旦那さんで助手席に私、娘は後部座席といういつものメンバー。息子は仕事だったんでご飯食べさせ、洗濯をして午前8時前には家を出たけど、松本に着いたのは10時をまわってた。2時間半はかかりそうだ今回のドライブの目的は、塩尻に住んでいる舅の義妹さん(今は亡き舅の弟の妻)から、リンゴを貰っているのでそのお返しに、うちで作った米をもって言って欲しいと姑に頼まれたので更にはお正月には欠かせないアレや、この時期に販売をされる山形村の名産品のコレ、舅がお正月に飾りたいソレなんかを買い出しにやってきたのだ。アレやコレやソレについては最後に報告しますのでお楽しみに普通であればお正月の買い出しと言えば、海辺の海鮮系市場とかなんだけど、うちの場合は松本だと言うのも、長く娘がいた影響だと思うけど、塩尻の義叔母が存命中は今後も通う事になりそう。旦那は北アルプスも楽しみにしていたが雲に隠れて見れずがっかりしていたでもでもお天気は晴れていて風も冷たく。ブルブルブル~駅前の本屋でショッピング目当ての娘と別れ、2時間後に集合って事で、時間つぶしに旦那と松本城を見にやって来た時間になるまで、あてもなく松本の町をうろつく予定あちこちで水が湧き出ているのを、旦那うらやましがる東日本大震災が起きた年の6月、松本を震源にした長野県中部地震では犠牲者も。住宅24軒が半壊し数千軒に被害も出たが、ここにあったレンガの国の登録有形文化財に指定もされていた旧山崎歯科医院も損壊が激しく建物の一部を残し、新しく建て直された娘も震源地の近くで、通勤の為に車を運転していて、どおん!と突き上げるような感じだったんだとか。なんて事を思い出しつつ路地などを歩いてやってきたのは四柱神社。昨年、ここで娘が参拝を終えてぐるっと振り返ったら、真後ろにオレンジのロケでやってきてた山崎賢人さんと土屋太鳳さんがいて、びっくりしたって神社だ。この映画、最近になってやっとレンタルで見る事が出来た結構、松本市は映画のロケもあるし、サスペンスドラマの犯人とかの出身地とかで動機を探ろうと刑事がやってくるパターンが多い気もする(あと静岡、山梨あたり)交通の便が良くロケがしやすい田舎なんだろうな~四柱神社の境内には、このような神社もあり参拝する人の姿もなくこちらは戦争で亡くなられた方をお祀りしている招魂殿である本土の最前線であった鹿児島帰りの身であれば、とても素通りなどは出来ない四柱神社の目の前には、庶民情緒を感じるナワテ通りがあり映画オレンジでも出てきた、ふるさとでたい焼きを買い食いこの橋とかも必ずと言っていい程、映画とかで出てくる岳で、小栗旬が演じた主人公の三歩が道に迷いまくって女鳥羽川の橋に何度も戻ってしまうシーンとか思い出すそして、こちらは江戸末期から明治の大火で、商人たちが火事にも強いようにと、なまこ造りの土蔵の建物を建てたという、今となれば風情ある中町この看板も好きで、いつもカメラをむけてしまうここって車も少なくって(一方通行で通行可)、電柱とかもないのが良いなあ。なぜだか小布施の和菓子屋などが複数、支店を出しているし松本の湧水で一番有名な源智の井戸は、当時の城主であった小笠原家の家臣である河辺与三佐衛門源智(かわべよざえもんげんち)の持ち井戸だったので、その名がつけられたんだとかそろそろ駅の方に向かおうかな・・・と、路地をてくてく松本と言えばサイトウキネンフィスティバル松本でも有名だが昨年から「セイジ・オザワ松本フィスティバル」という名称にかわったそうだ。その主会場の1つであるまつもと市民芸術館ウィキペディアより>社伝によれば、諏訪明神の夢をたびたび見ていた信濃守護>小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神>(建御名方命)を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮>(宮村大明神)と称していた>応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮(天神)を>勧請した(中略)江戸時代も歴代領主の崇敬を受け、松本>城下の南半分の商人町の総氏神ともなった境内に残雪? てっ、訳で松本市街を後にしたのですが、ここでの駐車はいつも駅前の商業施設アリオ専用の立体駐車場を利用しています。ここ1時間ならだれでも無料で、アリオで買い物をすると金額により無料駐車時間がのびるので、帰り際にアリオで日本酒とか日用品買って利用しています松本市街を離れてやってきたのは、娘のお気に入りの南松本のラーメン屋「月の兎影(つきのとかげ)」で寒いとね、やっぱラーメンが良いみたいですわ。娘も旦那も最初のはきくらげが好きな娘の食べたラーメンでこれは、旦那が食べた具だくさんの味噌ラーメン私は月替わりラーメンで、私の好きなアサリの入った豆乳の潮ラーメン。って訳で午後からは買い出しタイム花屋や、道の駅、懐かしい山形村のアイシティのツルヤなどを寄って家に戻りました今回の買い出しのメインはこの時期に販売される、山形村の名産品である長いも。道の駅今井で一袋1000円5袋購入一袋300円台のリンゴ数袋とともに、姑からの注文だけど近所の人にも頼まれたみたいだこちらは舅に頼まれた葉ボタンの寄せ植え2つで2千円もしないと、舅が安いと喜ぶ。こうゆうのってうちのあたりはそう売っていなくって。松本フラワーセンターという大型店だけど、菊を買ってきてくれとか季節になると舅から頼まれるそして旦那はお正月用にと日本酒を購入。うちの方でも地酒とかあるけど、松本でよく飲まれている池田町の「大雪渓」を旦那気に入りまして、向こうに行かないと買えないので行くたびに購入。いろいろ受賞したりと意欲的な酒蔵のようだそして諏訪の「真澄」 前の古い家で土産に買ってきた時に玄関先で手が滑り一升瓶を割ってしまった私にとっては忘れられない酒だ。思い出しても悔しい・・・・ツルヤでは巨峰のオリジナルジャムも購入した。土産物屋よりもお手頃価格だ道の駅今井では、ちょうど総菜品に半額シールをつけまくっていたので、私がリンゴ選んでいるうちに娘がカゴにいそいそと入れていた。お蕎麦のお寿司は前にも美味しかったので、娘は茶そばのしか選んでなかったんで、もう一つ買えよ~と普通のも購入し、家に戻っての夕飯となった夏の松本波田のスイカに、冬の山形村の長いも。そして秋の新そばと塩尻のヌーボーワイン祭りという訳で、娘がいようがいまいが、今後も松本に出かける機会はありそうだ 平成28年12月11日に信州松本で撮影にほんブログ村
2016年12月14日
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大概が一生に一度ある位の新築において、建築用語は無縁ある人が殆どであると思う。普通なら大壁かもしれないがうちは真壁だからとか言われても、何のこっちゃって話だ大壁は柱が隠れている壁で、現在の建物は殆どがこれだが昔ながらの住宅のように柱などが見えている壁が、真壁だ全部の収納の扉を開けて、いちいち中を確認していた地元自治体からやってきた固定資産税の調査員の方が一番、時間をかけて熱心に見ていたのがうちの和室であった。壁の材質は? 柱の寸法は、床の間の寸法はなどなどと・・・・家の建て替えをする上で仏間を作る必要があるので和室は必須であった昨今の仏壇のない若い人たちの新築の家でも、和室は小さな子供を遊ばせるのに、旦那がごろんとしたいしお客さんが泊まるのになどと、作られる場合が多いがその殆どは、和室とは名ばかりの大壁の洋室に、畳(琉球畳が多い)を敷いただけのものばかりである費用も掛かる真壁の本格的な和室を作る人も少なくなり左官屋さんや、畳職人さん、和室が作れる大工さんらの腕を磨く場も少なくなり、技の継承もむつかしくなっているそうである。本格的な和室を作る予定のある施主はちゃんと職人さんが揃えれるのかを見極めて、業者も選ぶ必要がある何せ、本格的な和室はクロスなどで全てが隠れてしまう大壁とは違って、大工仕事が見えて1ミリの狂いさえも生じてはいけないのだから、ある意味で大工さんの腕の見せ所でもある。なんて偉そうな事を言いながらうちもコストの安い和風なやつをメインのリビングにくっつけ普段は開けて、二間続きで使えばいいかと思ってたが大黒柱がない!と騒いだ昔気質の舅もいるし、そんな適当な和室で済むはずがないとは薄々は感じてもいた巨人ファンの設計士さんはメインのリビングではなく普段は独立をした客間として、何かあったら舅&姑の部屋と二間続きにできるように、和室をセッティング普段は琉球畳の今時の和室も作るが、田舎の工務店なので今でも、たまには本格的な和室の施工も頼まれるみたいで地元の東濃檜の他に、木曽檜の官材もストックされておりそれをうちでも使ってくれるというそうで。前にも紹介をしましたが、木曽檜の民間の植林をした木材ではなくって木曽檜の官材は、国有林の年数の経った良質の天然檜で名古屋城本丸御殿にも大量に使われているので、値段も跳ね上がって品薄になっているんだとか。ここにあるのは以前に一度にたくさん買ったので、まだ安かったそうだその貴重な木曽檜の官材を、和室の長押に使用するそうだこちらは和室の床柱に使われるもので、どれでも好きなものを選んでいいと言われても何が何だか。6畳という狭い和室でもあるのであまり太いのもかっこ悪そうだし黒っぽいエンジュと、赤褐色の一位というのは旦那は黒嫌いだからと一位となった上棟をしたばかりで柱しかない頃の和室。壁に隠れる事もない上質な柱なので傷や汚れがついてはいけないという事で、ずっと保護材がまかれていたこの和室の柱は地元の東濃檜である。木曽檜には負けるが日本有数のブランド檜であるのには間違いがない。何せ伊勢神宮の内宮は木曽檜が使われるが、下宮は東濃檜であるそうだし、それに準ずる位置づけ? 伊勢神宮のは式年遷宮用の御用林があるみたいだがウィキペディアによれば>東濃ひのきとは、岐阜県東濃地方の東部地域裏木曽を>中心に産出されるヒノキの銘木である。この地域は檜の>生育域の北限に近く、以下のような特徴がある>年輪幅が2~3ミリ>均一でほぼ真円である>材質はピンクで艶がある>節が小さい。又は殆ど無い>香りが高いやっぱ、高級木材と言われるだけある良い材質だほんのりピンクだし、節とかないし、香りも良い地元だからこそ、こんな木材も手に入りやすいのかもしれない前にこのあたりの写真を載せたら、ブログにお邪魔させていただいている信州の大工さんが、懐かしいってコメントを頂いた。クロス貼りではなく塗り壁をする為の穴の開いた石膏ラスボードを久しぶりに見たそうで↑左官工事で仕上げる日本の伝統的な塗り壁は、継ぎ目がない一体の壁面を仕上げられ、防火性や断熱性に優れ、調湿性もあるそうです。調湿性は室内に湿気が多い時は素材が湿気を吸収し、乾燥時にはこれを放出するので結露防止や、適度な湿度の維持に効果があるとされ、日本の気候や風土に適しているんだとか最近は自然素材を大事にしたいという若い施主が珪藻土を使ったり、かっこいいからと漆喰の塗り壁をする場合もあるそうだが、これは「聚楽壁」といって、お茶室などにも使われる伝統的な工法だ。秀吉が聚楽第を作った時近くの土を使って塗ったのが、名の由来であるのだとかやっぱ湿気のある蒸し暑い日本には、日本ならではの素材や工法って存在するのかもしれないし、寝室とか塗り壁も良かったかも・・・なんて、思ってもしまう位だ。あとは予算の関係とかもあるんだろうけど・・・平成の世の家なので、エアコン用のコンセントなども上部の壁には設けてあるが。その下の長いのが例の木曽檜の官材を使ったという長押(なげし)だ。古くから日本の木造建築の構造は柱梁桁(はしらはりけた)構法が基本で、これは柱や梁を組み合わせて骨組を作って、梁と垂直に桁を渡し建物を自立させる構法であるしかし桁は柱の頂部をつなぐだけなので強度がないので、柱の頂部に凹型の溝を彫って、そこに貫(横材)を落とし込む頭貫(かしらぬき)という技法が考えられた。更に柱をしっかりと立てておくために、柱の両側から横材を当てて釘で留めたのが長押の始まりだったのだが、柱の中間部に貫を通し柱どうしをしっかり緊結する貫構法が出来、長押がなくても建物の強度は保たれるようになったその為、長押はだんだん薄くなるが、見た目は幅広となって和室の空間を引き締める装飾的な存在となり、部屋の格式を決定するものとしても重視されていたそうだ。確かに長押のない和室なんて・・・・。あっ、本格的な和室だといっても近代的なペアガラスの入ったサッシは入ってます和室の雰囲気を壊さないように、カーテンとかではなくって障子も入っています。ちなみに障子は平安時代には生まれて>日本家屋独特のほの暗さの文化や陰翳の美を演出するもの>として、日本の建築文化の象徴的な存在であった。近年は>適用範囲の広い意匠性と適度な透光性のほか、ガラス戸との>組合せによる断熱効果、紫外線の軽減効果、紙による調湿>効果といった優れた性能が評価され、洋室においても>カーテンの代替として障子が用いられる ウィキペディアより阿斯波良能、志邪志岐夜邇、須賀多々美 伊夜佐夜斯岐弖和賀布多理泥斯(葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人寝し)とは古事記にある神武天皇の御製である古くはベッド代わりに寝所に敷いただけの畳も、お茶室の登場で部屋一面にに敷き詰められるようになった。偶然畳屋さんが入った時に家に行ってたので、頭を下げる事が出来た。旦那、工務店さんに何か気になる事はありますか?と聞かれ、新畳なのに硬くないと言って恥をかくと言うのも昨今の一般で使われている畳は、コストダウンもあって、畳床に発泡ポリエチレンなどの新建材が使われており踏み心地が硬いのだ。ところが、うちの和室は藁床が使われた本物の畳だから、弾力があるのでふわっと優しい踏み心地だし畳はフローリングと違って保温効果があって、調湿性も持ち防音性も優れているのだとか。和室の敷居は襖が滑りやすいように竹滑りの施工。竹には油分があるので使えば使うほど滑りもよくなり、襖も長持ちするんだとか実家から肉筆の掛け軸も持ってきているし、半間程の床の間もしつらえました。舅の今は亡き弟の妻がよく買っていたからとトップアートの掛け軸を新築祝いにくれたのだけど、それを床の間に飾ってないのは何故?と後から電話で言われたし。モノを貰うというのも気を使うものだ前の家の床の間には、海外の土産に貰ったとかいうバッファローの角が飾ってあって、それが嫌で捨ててしまったのけど、大きな信楽焼の狸の置物を置く訳にもいかないし。何かしらしぶい花台でも買ってきて上に花でも飾ればいいとは思うが、殺風景なままそうそう床柱の一位の木だけど、和歌の世界ではアララギまたはオンコとも言い、衣冠束帯に身を固めた時に威儀を整えるために持つ笏(しゃく)をこの木で作ったからだと言われています。また仁徳天皇が笏をこの木で作った時に官位1位を与えられたからとも天井もクロスとかではなく、ちゃんと竿縁天井で仕上げられ照明も木製のものにした。ちなみに竿縁が床の間と直角に取り付けられた天井は床刺しと言って、不吉とされておりこの和室のように床の間と平行にするんだとか。これは畳も同様で床の間の前の畳は平行(横長)に敷なければならない襖絵は花とか色々なデザインがあったが山に囲まれ、山のある生活なので、やっぱ山って事で。鹿児島旅行の日記の前に家の建て替えの内覧がまだ少しだけど残ってましたので、こちらを先に紹介しますにほんブログ村
2016年12月07日
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昨日の日記の続きです。これで近場の紅葉ドライブネタも終わりますので、いよいよ次回からは2泊3日の鹿児島旅行レンタカー旅の日記になりますのでお楽しみに前回の旅では木曽路を北上し、権兵衛峠の落葉松や信州大学農学部のユリノキ並木の紅葉を見て、娘が行きたがってたカフェでお茶して、かんてんぱぱで試食試飲の流れでしたが・・・伊那路を少し南下し、何度かここでも紹介をした宮田村のマルス信州蒸留所に立ち寄りましたNHKの朝ドラでやっていたマッサンのモデルである竹鶴政孝の当時の会社の上司、岩井喜一郎が竹鶴から提出された竹鶴ノートを元にしたウィスキーだそうです今日の試飲のウィスキーは長野県限定販売の「信州」を水割りしたものこのつややかな琥珀色がなかなか良い。最近はうちの晩酌はウィスキーのロックだ他にもマルメロのお酒とかの試飲も出来たが手軽な価格で有料試飲も出来たので、ツインアルプスを一杯。名の由来は中央アルプスと南アルプスが見えるからって事でこちらはちゃんとグラスでくれたが、先ほどの信州の方が私は好みかも宮田村は中央アルプスの木曽駒ケ岳や千畳敷に気軽にロープウェイで登れる駒ヶ根高原のすぐ川向うにあるこんな日に千畳敷に登りたいものだが、ケチな娘がロープウェイ代が高いとかぶつぶつ言うので、もう30年位前に2回行っただけだ。松本にいた時も近いのに黒部ダムも一度も行けなかったこちらは伊那谷を挟んでの南アルプスの峰々。こんな良い天気の日に伊那谷へ出かけた訳は、権兵衛峠の落葉松の紅葉もあるが、もう一つの目的地がメインだまだ50年近い寿命のある娘に比べたら、こちらはその半分もあるかどうかもわからない。だというのに娘からえ?お母さん行ったことないの? 〇〇ってイイところだったよ~などと人が行ったことがないのをいい事に、何度も娘が自慢をするのがウザいので、娘が先に行った所は私も行くようにしている。過去には娘が高校での修学旅行で行った沖縄も、旦那の勤続30周年の旅行で夫婦で出かけたし近場の信州でもそうゆう、娘がやったらに良い所だったと言うので、前に旦那と二人で出かけた時はカーナビもなくって、道を間違えてしまい気が付いたら何故だか大鹿村に着いていた。まっ、それはそれでいいけども娘が自慢を始め数年目にして、リベンジの意味もこめての思い立ってのドライブだ。それにしても田舎にすごい良い道が出来てるし。駒ヶ根市から中川村方面に行く伊南バイパスというらしくって知らずに旧道を走ってて、旦那が走りたかったと残念がってるし三州街道を外れて、天竜川を渡ればそこは中川村だ。娘が大好きな穴場のお花見ができる大草城もある、天竜川を臨むのどかな村なんだけどたぶん、このあたりで真っすぐ行くのを右折してしまいなんだかんだで大鹿村に行っちゃったのかな小さく道案内の手書きの看板が要所要所にあるし。よけ合うのもドキドキするような細い山道をすすむと・・・・ぐんぐんと標高も上がって、アルプスなど周囲の山々もよく見える中央アルプスと、南アルプスの両方が見えるのでこれがどっち側だか。南?駐車場らしき空き地に車を置いて、ここから少し歩くこの山の重なりは・・・南アルプス。山も随分と近くに見えるじゃ、こちらの遠い逆光気味なのが中央アルプスかな?この前の恵那峡の遊覧船と同じで、山を見るのも朝と夕方では太陽の位置で逆光になってしまうので、気をつける必要もある娘が伊那にいる時にアルプスが一番、綺麗だと思ったのは近くの山のかなたに頭をちょこんと出した南アルプスが西日を浴びてピンク色に輝く夕刻だった山の上の紅葉は少し早いようで、落葉がすすんでいたそれにしても、その日は寒かった。風も冷たいし娘なんぞはタイツをはいていたがスカートだったんで寒い寒いとだいたいが信州に行くとわかっているんだから、そのあたりは考える必要がある。とは言っても伊那谷の気候はうちのあたりとさほど変わりもないが到着~~。娘が大学時代にお友達らとハイキングに来たという陣馬形山の山頂。あの山道を娘の同級生は初心者マークをつけて新車で登ってきたそうだが勇気があるというか。私にはとっても運転をする気持ちなど出ないような道だった。きっとドキドキしながら運転したんだろうな~。初心者マークの新車で。。。乗ってる方もところが娘曰くかすんでいる・・・・。はいそれは私も感じております。娘の当時の写真も残されたスマホの画面を見ると、確かに以前に娘が出かけたときは、くっきりハッキリ娘に言わせたら、このような光景で喜んでいてはいけないレベルだそうだ。くっそ~リベンジ失敗地元民ではないんだから、晴れている日に行ける位の天候情報では、かすんでいるかどうかなどは現地まで来ないとわからないしこうして、今後も「まるで鳥瞰図みたいにくっきり美しい伊那谷の全容が見えたよ」という娘の自慢は続く事だろうそうゆう好条件の天候も恵まれた娘の自慢、あと1つあるんですわ。安曇野で田んぼに水がはられて北アルプスがくっきりと映りこんでいるというのも私と出かけてもこんなもんじゃなかった。私の見たのには足元にも及ばない!と言い切るんですけど。どんだけ条件が良かった日なのだろう。うらやましい正面の山は真っ茶色だけど、やっぱり落葉松の山なのだろうか・・・せっかく望遠レンズも持ってきたので、南アルプスの山などを撮ってみるいいも~ん。伊那谷はいまいちだったかもしれないが山は見れたから。ところで南アルプスは通称で、本当は赤石山脈と言い、中央アルプスは木曽山脈。北アルプスは飛騨山脈が本来の名前これは中央アルプスの千畳敷? とがったのが宝剣岳かな一応は、山の名前がわかるプレートがあった特に書くこともなくなったし・・・そうだ新語・流行語の話題でも。神ってるっていう野球の言葉だけど、昨年のトリプルスリーといい、なんだかいまいちやっぱり、良い意味合いのものを大賞にしたいという気持ちもあるんだろうとは思うけど、私的には今年はゲスでしょうね。次から次へとよくもこれだけ、出てき(バレ)たもんだWeblio辞書によれば、ゲス不倫とは>品位に欠ける、下劣な不倫行為を指す語。ゲス不倫の>語は、夫である国会議員が、出産で緊急入院中の妻が>いるにもかかわらず不倫に及んだという報道から生まれた。 ・・・って、そっちか~い!まっ、いろんな人が次から次へと出てきたから何がなんだか。ただ人によっては許した奥さんが大したものだとか言われたり、不倫した側も女性の方が余計に叩かれたりとか、なんだか日本ってやっぱり男社会? やってる事は同じでゲスなのに、女は芸の肥やしって甘やかすから。そういった変な物差しが通用する芸能界なんだか嫌だ。ほされるのでも ゲス<薬物<<<大物や事務所に逆らった。って感じだし本名なのに芸名として使えなくなった、のんちゃんも負けずに頑張ってほしいし、ラスボスの幸子さんもヒットを飛ばして、紅白に復活をして欲しいものだそんな訳で寒いし、かすんでいていまいちだったのかさっさと、旦那も娘も既に下山を始めているしところで陣馬形山は標高1445メートルあり、戦国時代には武田ののろし台もあったとも言われる。その名の由来は検索ができませんでしたが、駒ヶ岳とかはヤマトタケルが東国征伐に向かっていた時に、村の西の高い山から白馬が舞い降た為に名づけられたそうだし何か由来はあるとは思う更に伊那谷を南下して、おトイレ休憩に立ち寄ったアピタには、諏訪大社みたいに御柱がたっていたこうして木曽路から伊那路へと、旦那の運転で楽しい秋のドライブ。そのラストは飯田でお買い物清内路を使って、夕刻には家に着いたのだ。オシマイ 平成28年11月5日に信州伊那谷で撮影にほんブログ村
2016年12月02日
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いよいよ今年も残すところ、僅かひと月だけとなってしまった。本当に1年は早い。というか新築の家に入居してもう半年にもなるのか。家を建てようと思いついて1年9ケ月、話が決まってから怒涛の月日でもあったが、今となっては懐かしいあれ? 鹿児島の旅行日記は?と言われそうだが11月の紅葉ドライブが残ってますので、先にそちらをという事で11月5日に、旦那の運転で娘と出かけたドライブ先はまずは南木曽の桃介橋をくぐりまして国道19号を北上、ついつい通るたびに写真を撮ってしまう雑木林と植林の境。まだこのあたりは紅葉には早いようです娘は子供の頃に、木曽のようなところに住みたいとか言ってたが、今では名古屋とか都会に住むのが憧れという現実大桑あたりまで来ると、正面に中央アルプスも見れるポイントがある。今は真っ白な山の峰も11月アタマには雪も全くない紅葉も少しは色鮮やかになってきたような気もするが娘が伊那や松本にいる時に頻繁に、随分と行き来した道だが、冬の頃にはこのあたりは雪がよく降っていたような気もする山の紅葉なのでお寺のような真っ赤なものもなく黄土色とか茶色が主流だが、どこか優しい紅葉だ上松町のドライブインでトイレ休憩。駐車場からは浦島太郎が玉手箱を開けてお爺さんになった場所だとも言われる寝覚ノ床道向こうに見える中央アルプスの手前には、国道沿いに何やら華やかなのぼり旗がパタパタとそう、ここは御嶽海の故郷で、地元の人たちは一丸になって応援をしている木曽福島も過ぎて、木曽義仲が育ったという日義付近。ここで木曽路とはお別れだセブンイレブンのある交差点を右折して、権兵衛峠へ向かう脇道に入ると、途端に周囲の紅葉は最高潮だ凍結や積雪時には気を使った道路のループをぐるっと一周紅葉には少し早い時期とも思えたドライブの目的の1つはこの権兵衛峠の落葉松。標高も高いこともあって紅葉する時期が下界よりも早いのだ山一面の落葉松の紅葉。最初に見た時には圧倒された日の光を浴びて写真よりも色鮮やかで、ホントに綺麗だ山頂の方はもう落葉してしまって、ボウズになってしまってた権兵衛峠の標高は1522メートルあるそうだが、伊那のお米に木曽の木製品と古くから物流に使われていた道だ旦那が運転し走行中の助手席から窓を開けての撮影だが結構、ぶれずに綺麗に撮れた。ウィキペディアによれば>長野県でも根づきやすく成長が速いことから戦後大規模な>植林が行われ造林面積の約50%がカラマツ林となった材は>硬く丈夫であるが、>螺旋状に繊維が育つため乾燥後に割れや狂いが出やすく>板材としては使いにくい材料であるが、現在は構造用>合板やLVLに加工され、木造建築で幅広く用いられている>電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他建築財>船舶材、バルブ原木の材料としても用いられている>冬期は通行止となる既存の権兵衛峠(経ヶ岳林道)に替わり>伊那と木曽とを結ぶことになる。権兵衛峠では通行止がたび>たび発生し、落石なども発生していた。道幅が狭く車のすれ>違いも難しかったため、実用的な道路とはいえなかったが>トンネルの完成で有料自動車道並の高規格道路となった。という訳で中央アルプスを貫く権兵衛トンネル4467メートルを超えると、山ばかりの木曽と違い開放感が溢れた伊那谷の風景だこの下り坂が大好き。谷のかなたには南アルプスの主峰も見え隠れをしているちょい、寄り道をして信州大学農学部の伊那キャンパスの中を通る道に進むと落葉松祭(大学祭)をやっていた。やっぱ落葉松は信州に欠かせない存在のようだとは言ってもキャンパスの名物の紅葉は、落葉松ではなくってユリノキなのだけど。初夏にはまるでチューリップのような白いかわいい花を咲かせる>別名にハンテンボク(半纏木; 葉の形が半纏に似ることから)>レンゲボク(蓮華木; 花が蓮の花を思わせることから)、チュー>リップツリー(同じく花がチューリップを思わせることから。>種小名と同じ発想)などとも呼ぶ。ウィkペディアよりモクレンの仲間らしい。この並木の紅葉も好きなんだよね娘が松本にいた頃から、向こうの地方情報誌などで知って前から行きたいと言っていた、伊那の「カフェタイズ」はよく通る道の脇にありながら、全く気が付かなかった広い店内は次々と老若男女の来客があり、帰る頃には一杯になっていたセルフサービスになっていて注文などは奥のカウンターで行ったが、テーブルまで商品を運んできてくれる。ランチなども充実しているようで、後半はランチのお客さんみたいセルフで、小さなお皿やスプーンやフォークも持ってこれたのでクリームたっぷりのワッフルを小皿に分けて、三人で食べたそして伊那谷行ったら寄らないわけがないのが、伊那食品かんてんぱぱの直売所だここも恵那銀の森みたいに綺麗にされているので、どの季節に出かけても散策なども楽しめる直売ショップでは寒天の試食や、韃靼そば茶の試飲をさせていただき駐車場の紅葉もよい感じ。他の観光客もカメラ・・・いや高齢者の方たちが二つ折りの携帯電話を紅葉に向けていたここの高山植物の庭園もなかなか楽しいのだが、さすがにこの時期には見るべきものはないようだこのような落葉も、なんだか晩秋の風情を感じもする時間はかからないが、迫りくる山と木曽川しかない木曽路と違って伊那谷は開放感があるので、お天気の良い日には旦那はドライブをしたがるとは言っても高速道路では車窓も楽しめないので、やはり下道。南木曽から清内路を通り伊那谷に入って、飯田から北上し、伊那から権兵衛峠を越えて木曽路で帰るのが普通だけど、今回は気分を変えての逆ルート多少はかすんではいるが、山の向こうに南アルプスの稜線もはっきり見えて、ドライブはまだまだ続く。いよいよ旅のハイライトは前から行きたかったト場所という訳で後半に続く 平成28年11月5日に木曽、伊那で撮影にほんブログ村
2016年12月01日
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東京に雪が降った翌日はよく晴れて、放射冷却で(たぶん)わが地方でも今季一番の寒さとなったこういった朝こそ、前日の雨なども道路に残って寒さで凍結でもしていたらスリップ事故が心配だ冬の道は、晴れた日の朝の方が怖いくらい朝6時近くに起きると2階の寝室は11度6分。湿度はなんと76で、今までよりも窓の結露の面積も広かった1階のLDKは14度、湿度は65で、窓ガラスの下部がちょっぴりの結露。どの部屋の窓ガラスも拭き拭きしたいのに休みの息子の部屋には入れず、どうなっているか心配だ炊きたてのご飯を持って、舅&姑の部屋へ入るとむちゃくちゃ寒いし。雨戸シャッター閉めたらどうかと言うと、しているとの返事。それでもこんなに寒いの?と思いつつ、結露を拭いたかと姑に聞くと案の定、まだやっていないという話。窓拭く気持ちあるんだろうか?と思いつつ、カーテンを開けるとぎょえ~、雨戸は閉めていてもサッシ窓が全開! 床は氷のように冷たいし、凍てつく外気が雨戸の隙間からす~す~そりゃ寒い訳だ。窓を閉めてないんだもん。外気温は2度たぶん早い時間は、より寒かったみたいで真冬の気温だし湿度の表示がエラーになっているのは何故に? 更に早朝に炊飯をしている段階で、エアコンの暖房をつけてティファールの湯沸かし器つけて少ししたら、ほんの1秒電源が落ちてスグに勝手に復旧した。え? 炊飯って途中だけど大丈夫?と心配したが、時計のあるようなのは内臓電池があるから大丈夫らしく無事にご飯が炊けたが、原因はなんだろう旦那はブレーカーが落ちたわけでもないし、勝手に回復したし外部の停電だろうというが。息子が6時間もやっていたゲームのデータが全部消えたと二階から降りてきた。となると家で使っているのは、エアコン、湯沸かし、炊飯器、テレビ×2、パソコン電気毛布、灯り×4 姑の方でIHって感じだったけど・・・・果たして~? とにかくイレギュラーな朝だったさて写真は11月13日に、娘と恵那峡の遊覧船に乗ってから恵那川上屋に立ち寄ってスイーツを食べてから、次に向かったのは「恵那銀の森」ここはチルドでのお節料理の製造を幅広く手がけているのだが、数十年前には町のお豆腐屋さんだったそうで、うちでは伯母が鶏を飼っており餌にするおからを学校帰りの姉が買ってきていたそうだお豆腐屋さんを継いだ現会長さんが、ホテルなどの宴会で出すような業務用の寿司などを手掛けるようになり、更に様々な食を手掛けるようになったそうである。主にお節を手がけているのだが、他にもスイーツ菓子とか加工品とか色々と売っている試食コーナーなどもあったので、ぱくっこちらはブッフェスタイルのランチの開店前の行列。このブログでも以前に紹介をしたので覚えている方もいるかもしれない。お蕎麦とかも美味しかったさて銀の森。ショップだけではなく広い敷地には散策路も作られており一般客なども利用が出来るというのを聞いていたので時間もあるので娘と、てくてくお散歩タイム横を流れる川も綺麗だなんだか自然もいっぱい。ワイルドな感じそれほど量はないけど、紅葉もきれいだし駐車場を見上げると青空もきれいミリタリーな感じの迷彩模様の樹ここもゴツゴツとした岩とかが多いようで川の奥の岩に水が溜まっているのは、甌穴っぽいような川には鯉もいた他のお客さんも幾組か、のんびりとお散歩をされていた遠くには笠置山。私が中津川方面の夕焼けを移す時に遠くにある山が笠置山だ。銀の森の散歩も満喫したし、おなかが空いてきたので蕎麦でも食べに行くか旦那といったばかりの恵那の道の駅「らっせいみさと」だ道の駅の自販機もソバ畑娘は天ぷらそばを注文し、あまりに大量の天ぷらで半分近く分けてくれたやっぱり秋はお蕎麦が食べたくなる道の駅からの帰路。遠くに見えるのは木曽の御嶽山本と、この道ってドライブコースにばっちりだそうそう、うちの紅葉だけど落葉したのが雨に濡れてなんか模様がそのまま写ってしまい、旦那はかっこいいとか言っている。駐車場まで紅葉の秋アメリカではブラックフライデーというイベントがあったそうで、感謝祭の翌日にあたる11月の第4金曜日には大規模な安売りが行われ、どのお店も黒字になるというそうだが、日本でもイオンやトイザらスなどで安売りをしていたそうだ。我が家では・・・一週間にわたる防寒着としては外せない「ユニクロ」の創業感謝祭が今日まで行われており、連日のように人で溢れかえっていた。我が家でも金曜日は私だけで、娘と日曜日にと二日間にわたって参戦。ネットでかわいいと評判のリサ・ラーソンの猫のブランケットもお安く購入連日に渡り税抜き1万円以上の購入で、先着で数種ある中から選べるノベルティグッズを貰えるというので、開店時間前には恵那にあるお店にGO! とかいっても所詮は田舎のお店ですから寒いし数分前までは車の中で待機。都会のお店とは違います(笑)一応、日曜日の開店10分前です事前にネットや広告などで安売りになっているお目当ての商品に目星はつけてあり、1万円になるようにして数分後にはレジに並んで丈夫そうで、内ポケットもあり使い勝手のよさそうな黒いトートバックを貰った。グレーのウルトラダウンは旦那ので千円引きだけど、私の黒い方は旧型なので定価が1万円程のが4千円程で買えたこの時も1万円になるようにしたんだけど、全部が寒がりな私のものです。新しい家になろうが冬の寒さがなくなる訳でない(多少は軽減されるが)ので、ヒートテックのシャツやフリースのルームウェア、同じく型落ちで激安のウルトラダウン2枚。トータルで定価の半額ほどで購入が出来た上に今回貰ったベルティは水筒の白いの。錦織選手が持っているバッグと同じデザインらしい。ちゃんと二重構造でしっかりした造りみたいだ。てな訳で11月末はユニクロ祭りだった 平成28年11月13日に岐阜県恵那市で撮影にほんブログ村
2016年11月29日
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9年も離れていた娘なので、こちらの行楽に飢えていて今度は紅葉も見頃になってきたからと、恵那峡(岐阜県恵那市)の遊覧船に乗りたいと言い出したので、11月中旬に出かけてきたウィキペディアより>後に「日本の電力王」と渾名された福澤桃介は福>木曽川の電源開発を企図し、この地にダムによる>水力発電を計画した。建設は「半川締切工法」で>行われたが、度重なる洪水による資材流出など>困難を極めた>だが、日本初の女優川上貞奴(さだやっこ)の援助等も>あり、苦難の末完成させた。この偉業は当時世界のビッグ>プロジェクトの一つに数えられたって事で、大正時代に完成をした木曽川水系の大井ダムによるダム湖です恵那峡には奇岩なども多くみられ、ダム湖が出来た事から遊覧船も運航。最近は中国からなど団体客の利用も増えてきているそうです恵那峡には小さな遊園地や、恵那峡温泉のホテルやかんぽの宿などもあって、春夏秋冬のどの季節にも風光明媚で私も時折は遊びに行ってましたが、お金かかるし遊覧船は何年ぶりかな?このあたりは花崗岩の産地なので、これらの大きな岩なども花崗岩とかなのかな? これらの奇岩だがその造形から名前なども付けられているそれにしても毎週のようにどこかに行きたがる娘にも困ったものだ。休みの日曜日家に一日中いたら損をした気分になるそうで、どこかに行くにも田舎なので松本みたいに一人で遊べるような施設や繁華街などもないしこちらにいなかったので遊ぶような友達もいないので結局は、親と一緒にドライブだなんだって感じでもはや私なんぞは週末毎遊び歩く不良嫁みたいに思われているだろうけど、好きで遊びに出かけている訳でもない私だって日曜の朝位はのんびりもしたいけど、朝早くから出かけなきゃいけないので、平日よりも早い位に起きて、洗濯とかも終わらさないといけないのでバタバタ忙しくもなって、最近は日曜朝のサンデーモーニングのスポーツコーナーもずっとご無沙汰だしもう、そろそろ生活も落ち着いてきてくれたらいいのだけど。何か行楽以外に趣味とか見つけてくれたら助かるのだが・・・。1月からは年末に休みが少なかった分が、娘は連三連休とか頻繁になるんで、今度は旅行に行きたいと言い出すかもそうなると旦那が遊んでばかりいるくせに、今度は旅行かと文句つけてきそうだし。とは言っても舅や姑が寝込みでもしたら旅行も出来なくなるので、今遊びに行かなくてどうするの?って、気持ちもあるここは付知川が木曽川に合流する地点で、ここで遊覧船は引き返すその脇には、品の字岩。上の3つの岩が、漢字の品に見えますか? というか、どうしてこのような造形になったのか朝の乗船で川の東南側は逆光になってしまってせっかくの岩の写真も上手くはとれなかったけど屏風岩くらいは紹介をせねば。ダイナミック!そんな訳で今回の写真は、どれもが恵那峡の北側ばかりで夕刻の乗船なら光線の具合も違ってきそうだが、紅葉の方はいい感じテレビとか見ると、東北とかの紅葉をやっているけどあのあたりは格別ですよね。紅葉と温泉というのにも憧れますし。鶴の湯とか絶対行きたいまぁ、それでも生活圏で馬籠や、ここや、岩村とかの観光地もあるのはラッキーかもしれないです。飛騨の高山も車で2時間ですし。あまり自慢にもならないかなにより地元であれば、その朝のお天気の良い日を選んで出かけられる気軽さもあるし。娘の勤める会社は、恵那や中津川の中小企業に勤務する人の厚生複利サービスをするジョイセブンに加入をしているので、乗船料も割引をして貰ったうちがよく使う、かけ流しの市内の日帰り温泉施設のおんぽいの湯もかなり安く利用が出来るチケットも貰い家族でドライブがてら立ち寄っても来た実の話、うちの家を建ててくれた工務店もここに加入をしているので、ジョイセブン会員本人か同居家族が利用する場合には建物代金の3%を割り引いてもらえるそうだけど、娘がこちらに戻って再就職をしたのって今春でもう木工事も終わる頃だから今更、それを言っても安くもしてもらえないだろうと思い、工務店にはジョイセブンの話はしなかった。娘が昨春、戻ってきていたら100万近く値引きとかをして貰えたかもなんて思うと残念だけど、物事ってタイミングあるし、住宅ローンだって格安で借りられたんだし娘の職種の募集だって、昨春だったらやっていなかったのかもしれないし。何せ今年2月末に退社をされた方の穴埋めみたいだし。何事も結果オーライ!って事で何もかもを損得で考える必要もない。安物買いの銭失いとか損して得取れってコトバもあるし恵那峡の紅葉もなかなか綺麗だし。何も有名観光地へ渋滞に巻き込まれ、わざわざ人ごみを見に行かなくても自分の住んでいる地域でも紅葉の素敵な所があるのかもしれない。桜もなんだけどもね・・・そんな訳で娘に連れ出されての今年の紅葉ドライブの行き先は車で30分程の恵那峡でした。せっかくここまで来たのなら、近くの恵那川上屋にも寄っていきたいここは、中津川の老舗「川上屋」で修業した方が出したお店だけど、商売上手な方だったようで今では中津川の川上屋とかわらぬ盛況ぶりで。とはいってもオーソドックスな和菓子一筋ではなく洋菓子や、カフェなども併設していて、支店展開などもしているし。この行列はカフェでこの時期限定のモンブランを食べる為のもので1時間半待ちであるそうですこれ程はこまない平日にも、いつでも来れるので並ぶようなことはせず、普通に店頭のショーケースで販売をしている普通のモンブランでも1つ買って、二人で食べますか。2種類あるのねあんまり洋風のモンブランは好きじゃないので、なんかちょい和風なイメージの「里の菓風モンブラン」を購入すると、お手拭きやスプーンを2つ入れてくれたので早速、ぱくっ。栗きんとんみなちな味だし、これなら食べられるわ~なんでも東京では11月に雪が降るのは54年ぶりだそうでそれどころか、うっすらと積雪もあり観測史上初なんだとかうちのあたりは雪か雨か予報が微妙な地域で、いつもならば12月に入って冬タイヤに交換するのに、昨夜は旦那がタイヤ交換をしていたが、朝起きたらあまり寒くない。寝室は13度LDKも15度と最近の平均レベル外気を測ると6度近くあるし。雪は0~5度が多くて(湿度の関係もある)ギリギリで雨になったみたいだどうやら木曽では、大桑あたりから北側は雪が降ったみたいなので、やっぱりギリギリ。息子は業者に電話をしたら一杯でタイヤ交換は週末にずれ込んだみたいで夜勤明けの帰宅、雨でよかったそれでも寒くなると言ってたし、リビングに電気ゴタツを用意してみました。LDKにはエアコンもあるけど旦那は足元寒いのが嫌いで、すぐに「ストーブ(エアコン)切れ!」と言うので、うちの室温が20度を超える事はないというか、うちってガス屋さんに床暖房をLDKに設置をして貰っているのに、ガス代が高いのでは?と旦那がビビッてただの度も使っていないし。それまで暖ったかだった10月末には18度は寒く感じたのに、今は深夜早朝の寝室の13度がスタートだから18度は心地よい寒さにも慣れてきたという事かマイナス10度の娘の住んでた松本の厳冬や、室内でも0度になっていた、以前のおんぼろ木造家屋に比べたら今のところは快調、快調。古い家の時なんて12度位になると暑くて石油ファンヒーターを切っていた。あとは冬のピーク時に、家の中が何度位まで落ちるのかが心配とか言ってたら明日の天気予報は中津川はマイナス4度!真冬だ 平成28年11月13日に恵那峡で撮影にほんブログ村
2016年11月24日
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紅葉前線も北から南へ、高山から平地へと下ってきていよいよ本番。テレビ番組も紅葉の有名な観光地などの紹介しているので、娘もいろいろとチェックもして娘「愛知県の香嵐渓は?」私「渋滞するから嫌だ。昼間に一度行ったけど、伊那谷の (娘と前に行った)紅葉湖くらいなもんだぞ」娘「あそこって、テントウムシがいっぱいいたイメージしか」娘「じゃ、土岐の曾木公園のライトアップは?」私「夜行くの面倒」って感じで、私的には渋滞は苦手だし夜のライトアップも面倒でじゃ、どこの紅葉の写真家といえば、ハイすぐに行けそうな馬籠です。地元でも紅葉で有名でもないので観光客もほとんどいませんそれでもいつのまにか、砂防の関連で大掛かりな工事を馬籠の駐車場のすぐ下でした時に、モミジとか植えたみたいで、シーズンには紅葉まつりというものも地元有志がやっているみたいで今までは近くでも一度も行った事もなかったけど娘がどこかに連れて行けと煩いので、香嵐渓や曾木よりも楽ちんだからと出かけてみましたそりゃ紅葉では有名じゃないので、地味かもしれないけど、まっ、これくらい見れたら満足できます地元の人がお安く軽食、飲み物の出店もしていて娘はホットワインか豚汁か迷った末に、具だくさんの豚汁を購入一口もらいました。このように紅葉シーズン到来の週末に馬籠は、夜のイベントも用意していたけども観光客などほとんどいなかったです。近くの地元民くらいかな緑色の葉っぱも照らされて、爽やかな感じ次の日は数十年ぶりのスーパームーンということで空には、かなり大きな月(月齢14日) 次の日はお天気が悪かったので、今回はこれで見たつもりという事で土岐市の曾木公園には、足元にも及ばないかもしれませんが、砂防でせき止められた川面には逆さ紅葉京都とかの寺社の池の逆さ紅葉とかは見たこともあるけど、山の紅葉は色とりどりで優しげだし紅葉だけでは物足りないと、主催者は思ったのかこのような大掛かりな灯りのオブジェもあった月と幻想的なオブジェのコラボ都会の冬はこの時期から、クリスマスツリーとかイルミネーションで飾られて、寒さも忘れるくらいに華やかだけど田舎ではせいぜいスーパーでオーソドックスなツリーと雪だるま。しかし、今夜だけは山ばかりの馬籠も華やかださらに馬籠宿もまた、昼間の観光客の賑わいも消え夜になると誰もおらず、ひっそりとしているのだけど11月中の週末などは、このような古風な灯りがともされて・・・・決して華やかではないがどこか、厳かな雰囲気が馬籠宿の坂をほのかに照らす灯りには、中山道六十九次の宿場の名前が描かれてというか、こんなイベントしているのに人が全然いないしいいとこ数人位?とすれ違っただけだ最近は馬籠宿に宿泊するのは欧米からの外国人のお客さんが殆どだけど、彼らは民宿で夕食中だったこれが京都とか、奈良ならすごい人でなんだろうと思うけど、なにせ木曽路の山の中。ど田舎での夜のイベントいっそ週末の昼間にグルメなイベントをした方が集客あるのかもしれない。夜は田舎の観光地では無理だよしかし宿場町の人たちは、こんなこじゃれた灯りも使っているのは昼間には気が付かなかった。夜に来てこそ味わえる遊び心なんだかタイムスリップ。昔に戻ってしまったような錯覚もなんて言ってたら、どこかの家の中からジュワ~ッと肉の匂いが。おなかも空いたしうちに帰ろうっと!お得なお買い物続編。昨日はいつものアピタで半額になった高価なハンバーグ。息子は口が肥えているのでハンバーグやウィンナーはこういった高級そうなものしか食べない。このウィンナーも100円は安いし賞味期限もあるので、どちらも5パック買った更に北海道物産展で、試食しか食べた事がない「じゃが豚」が2割引になってたんで買った。これもつるんとしてて美味しい食べ物も人によって好みもあるし、飲み物においては顕著だ。旦那はトワイニングの紅茶をストレートでとコーヒーはインスタントとクリープ。私の方はUCCのコーヒーを、ストレートか人工甘味料とクリープとかで娘は右側のデカフェ(カフェインレス)のものしか飲まないので、朝などにハーブティーを入れると旦那がまずいとか言い出す。左側のは息子の好きなココアとかブレンディの各種スティックって感じでうちには、豊富な飲み物が用意されてますあっ、娘の朝は白湯(もしくはハーブティ)に、豆乳に栄養分の入った粉まぜて、あとプレーンヨーグルトや電子レンジでチンした梅干しと、ヘルシーなおかずで息子は超熟パンやチルドピザといったもの。明治のこのミルククリームが好きですね。で先ほどの↑飲み物とか牛乳あたりと、娘のお弁当に作ったおかずとか旦那は白いご飯と味噌汁。佃煮とか味付け海苔、漬物といった感じのシンプルな和食で、舅&姑にも白いご飯を持っていくがもう朝6時半(息子が日勤の場合)、パンだか、味噌汁だか白湯だっヨーグルトだって、バラバラの食材を並べるのにも面倒。しかも娘の弁当もあるし舅は病院に行った帰りには、スーパーで色々と食材を買ってきてくれる。しっかりとおつとめ品を物色しつつ孫の好きそうなものなどをセレクト。この他にも姑にも自分たちの食べるものも買ってきているお弁当は重いので孫二人のものしか買ってこないので姑がオレのも買ってくてくれと言われてから、助六寿司などを買ってきているみたいだ。いつもは菓子など買わないのに、珍しくポテトチップも。路線バスを使うのに、随分とたくさん買ってきてくれていた 平成28年11月に岐阜県中津川市馬籠で撮影にほんブログ村
2016年11月22日
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えっ? 鹿児島じゃないの?とか言われそうですが東京国立博物館のシリーズをここでしているうちにそういえば地元・近場の紅葉ネタを貯めてしまっていました鹿児島はさほど紅葉なども感じなかったんで、先にちゃっちゃっと地元&近場の紅葉ネタをしようかと思います。とは言っても馬籠はさほど秋を感じられる写真でもないですが良く晴れて暑くも寒くもなくって、あまりにも気持ちの良い秋の日だったので、娘と久しぶりに馬籠宿をてくてくお散歩に出かけました日にちは少し戻って、10月30日の午後遅く・・・・いつもは買い食いなんかは市内のですが、美味しい匂いにつられて焼き立てのおせんべい200円も買って、ぱりぱりいつもは夕刻に観光客も帰り、お店も閉めたりする時間にくるのですが、今日はまだ営業中でまさしく看板猫五平餅も食べたい気分お団子3つ型の美味しそうな焼き立て五平餅をパクリ宿場を抜けt所にある展望台から見る恵那山をはじめとする山々もすがすがしくのんびり、山の上の風景を満喫。うちからは近くの竹林とかで、恵那山もてんこつしか見れないし赤いキャップの忘れ物。今年は広島の赤ヘル軍団が活躍したなぁ~と、ふと思い出したりもしてまた雲もまたいい感じで、行楽日和というのかな。こんな日に馬籠に来られたお客さんには得した気分。普段の2割増し良い景色娘は展望台のすぐ下の宿場の酒屋まで戻って、塩尻のワインを買ってきて、二人でちびちびとなんて、やっているうちに西の空も赤く染まり始めてそろそろ家へ戻りますか日が暮れた途端に、急に寒くなったのには驚いた行きにいたかわいいニャンコが帰り道にはいなくて残念日が暮れて、ニャンコも家へ戻ったのだろうなんて言ってたら、前を行く観光客の奥さんの背中にかわいいワンコ高台から西の空を眺めれば、秋の夕暮れのもの悲しさなども感じられもして・・・。あっそうそう、前回の日記のフォロー。「お風呂の水道管が凍結しないよう撹拌機能を生かす為に、お風呂の残り湯は捨ててはいけない」という事の、書き方悪くてすいませんあと温度湿度ですが、窓の下部端っこが結露をするのは2階の寝室の北側の小さな窓>西側の腰高半の窓2階の娘の部屋の東側の小さな窓>北側の腰高の窓1階の舅&姑の部屋の東側の小さな窓>東側、南側の掃き出し窓って感じです。湿度温度はまた測ります昨日の日曜日は娘が土岐のアウトレットへ行きたいというので二人でドライブで、私が運転手。旦那は地域の仕事があるというのでお留守番。冬物の洋服もここではもう半額になっていたし、秋物は7割引きとか均一価格4900円のパンツが1500円で買えて、娘、ご満悦やばっ、旦那が運転手じゃないのでワインの試飲とか出来ないじゃん! で、娘だけが美味しそうにグラスに注いでもらったサンクレーゼのワイン、ボジョレーなどこうなったら2割引きになったスパークリングワインを購入し家で飲むか。って事で半額になったウィンナーも一緒に買ったら、サンクレーゼの100店舗達成記念で1500円以上購入で、りんごのジャムを貰った名古屋と養老の箱のお土産は、アウトレットにあるご当地グルメのお店で賞味期限が近くなったらしく半額処分で、どちらも消費税込みで400円。他のお店でもデカフェの紅茶や、クッキーが同じく半額帰り道に、三洋堂書店のレンタルコーナーに立ち寄ったら準新作と旧作がなんと50円!って、こんな安いのは初めてって事で、準新作ばかり8本借りてきたので、昨夜から映画とか見ています。一本目は怪しい日本人歌手の幽霊が出てくるハンガリー映画とかシュールすぎ「リザとキツネと恋する死者たち」予告編更に、借地権の問題から来春に閉店してしまうアピタへ行ったら、質の良さそうな黒毛和牛の切り落としが半額になっているし、もはや買わねばなるまい! お得な一日だった 平成28年11月上旬に中津川市馬籠宿で撮影 (買い物の写真は同年11月20日)にほんブログ村
2016年11月21日
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こんにちは。今週は旦那の勤続40周年記念の旅行及び、休暇で先週末より今週末までお休みでした。が、鹿児島でまっ~たりしている時に実家や家から電話。何でも9月下旬にフォークの番組収録の観覧に姉と当選。出かける二日前に姉から施設にいる姑が入院したので、行けないとの連絡で私だけが東京に出かけて、NHKの番組収録の他に皇居付近や靖国、ここ東京国立博物館に出かけたのだが、その入院中だった姑さんが亡くなったとの連絡で、葬儀は鹿児島旅行から帰った次の日だったので参列をしてきたところだ。共働きだった親に代わって家で世話をしてくれたとの孫娘らの手紙を司会の女性が代読をしていた若い時は看護婦さん、助産婦さんもしていたそうでやめてからも近くの人が急病になると、医者が来るまで世話をしていたそうで、自分の事よりもまずは人の事を思いやる人であったそうだ。姉も認知気味の舅には悩まされたが、姑さんには恵まれていたと思う私の母親は長野五輪の頃に、70代前半で亡くなったが実家(長兄)義姉の母親は「元気、元気」らしくて、次兄と同居をしている義姉の母親もかなりのご高齢らしいが元気しかし認知症気味らしくって、ついさっきの自分の言動を忘れてしまうみたいだ。最近のネットニュースで読んだが10年程前に徘徊をする認知症の高齢の母親から目が離せず50代の息子が仕事をやめてその失業保険も給付停止で生活に行き詰まり、生活保護も受けられず、遂には心中を図ったそうだが自分だけが生き残ってしまったそうだ。その直前の母子の会話が子「もう生きられへん。ここで終わりやで」母「そうか、あかんか。一緒やで」子「すまんな」と自分の額を母の額にくっつけると母「わしの子や。わしがやったる」その言葉を合図に中年の息子は母の首を絞め、自分も自殺を図ったが生き残ってしまったという。裁判ではその過酷な境遇から温情判決が下され、執行猶予を受けながらも、事件から10年もたたず息子も命を絶ってしまったそうだ。所持金わずかに数百円と自分と母親のへその緒を一緒に焼いて欲しいとカバンに入れていた最近は認知症の高齢者の重大交通事故が多く、社会現象ともなっており、もはや本人や家族の力ではどうこう出来る状況でもないようにも思う。さて写真は何回も展示品を紹介してきた東京国立博物館、本館内部であるさすがに置かれた電話もレトロだったその本館は昭和7年に着工し昭和12年に竣工。翌年に開館をした。設計は公募で渡辺仁の案が採用されたそうで、日本伝統の木造建築の様式を踏まえた鉄筋コンクリートの和洋折衷な建築で、「旧東京帝室博物館本館」として国の重要文化財に指定されているこちらの建物は表慶館。ウィキペディアによると>1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの>大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は宮廷>建築家の片山東熊。建物は重要文化財に指定されている>石造及び煉瓦造2階建て、ネオ・バロック様式の建物で>中央と南北両端にドームがあり、中央のドームは吹き>抜け、南北のドームの下は階段室になっているといった感じで展示物同様に、その建物自体も価値がある東京国立博物館だった東京国立博物館の構外施設にあたる黒田記念館ウィキペディアによれば>博物館敷地から道路を隔てた西側にある。洋画家>黒田清輝の遺言により、黒田の遺産を活用して>1928年(昭和3年)建てられたもので、設計は岡田>信一郎である。黒田記念室と特別室があり、湖畔、智・>感・情をはじめとする黒田の作品が収蔵展示されているこちらは東京国立博物館の入館料を払わなくても開館時には、誰でも無料で拝観が出来るという嬉しい施設だ。という訳で私も見学をされて貰うことにした。ここも撮影がOKみたいだ。ネットでも内部や作品の写真を載せている人が多いので私も紹介します東京って近代的な建築や、江戸情緒なものも残されているけど私はやっぱ文明開化、和洋折衷を経ての帝都東京としての戦前のレトロな建物を見るのが、一番の楽しみだこちらは高村光太郎による黒田清輝胸像。なかなか恰幅の良い人物であったみたいだ。黒田は東京美術学校西洋画科で教鞭をとっており、光太郎は彫刻科を卒業後西洋画科に再入学をしていたとか、そんな縁から胸像ものちに頼まれたみたいだこちらは若かりし頃の黒田清輝の自画像。法律を学ぶ為にフランスに留学をするが、パリで洋画を学ぶ日本人の画家らに出会い自らも画家を志し、ラファエル・ラコンに師事するフランスの展覧会でも入選し、帰国後は美術教育者として活躍。塔虚位美術学校教授、帝国美術院院長などにもなり養父が亡くなるに至って子爵となり、貴族院議員ともなった黒田の遺言には、遺産を美術の奨励に役立てるようにとあり、その遺言に基づき黒田記念館が設けられたそうである。代表作である読書、舞妓、智・感・情湖畔の四作品を展示留守特別室は年3回のみの公開で見る事は叶わなかったそんな代表作まで寄贈するとは近代洋画家の父とも呼ばれた教育者でだけある。その素性は薩摩藩士の家柄で、伯父の子爵黒田清綱の養子になったそうで大河でも有名な黒田官兵衛の遠縁にもあたるらしいその向かいにあるのは、かつてあった京成電鉄の博物館動物園駅の建物。昭和8年の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館、東京科学博物館、恩賜上野動物園や、東京美術学校、東京音楽学校の最寄り駅として開業しかし利用者も減り、建物も老朽化していたので平成9年に営業停止。10年前に廃止となったが駅舎の他にホームなども現存しているらしいちょうどパラリンピックの期間であったのか、何やらイベントもしていたが時間がないので素通りこちらは「ル・コルビジェの建築作品、近代建築運動への顕著な貢献」の構成として、世界遺産にもなった国立西洋美術館上野公園からは遠くにスカイツリーも顔をのぞかせた新幹線の時間待ちで、東京駅のグルメスポットをうろうろしていたらこれは栗きんとん~。恵那の銀の森のものだった。まっこれを土産に買う訳にもいかないのでとりあえずは小岩井農場のソフトクリームを食べてみた東京では、このように日本全国の美味しいものを食べる事も出来るのがうらやましい夜遅くに家に戻ると、息子が食べたらしくってラーメンの残骸が。それを見て途端に現実に戻った 平成28年9月下旬に東京上野公園で撮影さて冬のような寒い朝も迎える11月。ついに初めての雪マーク登場。旦那は電源が入っていると思い込んで電源を消そうとしてるし、舅や姑も朝からボイラーの音がすると気がついたみたいで。電源が入っていようがなかろうが冷えた朝に、一定の温度を下回ると水道管が凍結をしないようボイラーが運転をするのだと教えた更にお風呂の方も、朝方に温度が下がるとお風呂の残り湯が撹拌され凍結しないようになっているので、こちらも残り湯を抜かないように頼んでおいた。なんでも綺麗好き(風水好き?)だかの奥さんが夜にお湯を抜いて掃除もして、窓も開けてたら朝には水道が凍結してしまったそうだし娘の部屋の☆3つと断熱が少し劣った小さな東向きのペアガラスの窓は隅の方が、寝室の北側の窓の次に結露しやすいんで、朝一で私がチェックし網戸が外しにくいので窓がふけないので、窓を少し開けてるんですけどその日の朝は、なんかちょっと違う。窓の下部の隅の方は内側に結露をしているが、窓の真ん中の方は外側からとWでくもっているし。もう、何が何だか。冬の間はミニのタオルを持って、あっちの窓こちらの窓と見回らなければならなそうだそんな訳で次回からは、久しぶりの飛行機で行く鹿児島の旅を紹介できたらと思うにほんブログ村
2016年11月19日
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暑い暑いと10月半ばまで半袖を着ていたのも、遥か昔の事に思えるような、いつものように寒~い晩秋の季節となった。うちの場合は夏服から冬服への衣替え根本的に中途半端な春秋服(薄い長袖、七分丈、ベスト)などは必要がないのかも今朝のリビングの室温は17度で、湿度は57%であったが2階の寝室は室温15度で、湿度は70%。また北側のミニデスク上の小さめの窓の隅のみが結露していた。網戸もあり取り外して吹くのも面倒なので、窓を少し開けてみたけど寒いので旦那が閉めた外気はどうかな?と温度計を外に出してみたら、9度で湿度は52%だった。やっぱ寒くなってくると外の方が湿度が低いんだ。なんか温度によって空気中にたくわえられる水分量って左右されるらしく絶対湿度というのもあるそうだ。(↑時計のは相対湿度という)今年の秋は暖かだったので稲刈りをした田んぼの稲も、また米の穂をつけている。まっ晩秋の田んぼは普通はこんな感じだと思うけど、うちの舅に言わせれば、こんな見苦しい事をしていたらだちかん!って事で、うちの田んぼは見るからに違います殆どの田んぼが稲刈り後はそのままなのに、うちの田んぼは耕運機でかいて平たくならしてあります。しかもお隣の土手と見比べてください。雑草が1センチにも満たないような綺麗に刈られています。仕事でもない事まで仕事にしてしまうので旦那の休みもなくなる訳ですしたがって秋らしい風情のススキなど、うちの田畑で見られる事は絶対になく、週末も自分で田んぼに持ってきた農機具をなんでこんなもんを持ってきた!と旦那にブちぎれたとかで更にはもうその仕事は今日はしないと、舅がいうので旦那が昼に片付けてしまうと午後からそれをしたいのに、なんで片付けた!!とまた怒鳴りつけたそうで、夕方に愚痴られた2時間位前に自分が考えていた事とか、言動を全く覚えていないのは明らかに認知症だと思うんですが。失礼ながら前日から夜通し車を運転し事故を起こして、連行される高齢ドライバーが、まるでうちの舅にも見えました。まだ車運転しないだけいいか。二輪車の免許を持ってましたが70才前に自主返納しましたのでうちは、観光地なので公共交通機関がそれなりにあるので年寄りでも自分で町まで行けますが、それがない地域では年寄りの足として車は必要不可欠。今日も高齢者マークを付けた軽トラが、パトカーにつかまってました。あの場所だとすると一時停止違反かな?そんな訳で、旦那はいつものように舅の監視下で仕事をしている中で、私と娘は毎年恒例の中津川の菓子まつりに出かけました。郊外の会場には駐車場もあるけど一杯になって周辺道路の渋滞も嫌だなと、市街地からの無料送迎バスを利用しようと駅前へ行くと巨人のドラフト1位に指名された中京学院大学の吉川選手の垂れ幕がありましたそれにしてもね~。朝10時位って一番、お祭りに行く時間帯だと思うんですわ(祭りは9時半から)だと言うのに、駅前の無料送迎バスは、他の時間帯はおおむね15~20分に1本はあるのに、この時間帯は30分も間隔があいてしまっているので並んでいた人、全員がバスには乗り切れませんでしたグルメイベントなら、もっと早くから動くはずの我が家ですが、娘の休みに合わせての日曜の朝。モーニングにもいきたいというので、そこに行ってからなので既に帰宅をする人の姿さえ。というか駅前でバス30分近く待ってたので、かなりの時間ロス会場について最初に並んだのは、2万人(会期3日間で?)栗ぜんざい無料配布の行列です。今までは私だけだと金曜旦那とだと土曜に来てたけど、やっぱ日曜日の人出をなめていました。かといって年末まで娘の会社は忙しいみたいで日曜休みしかないんで、この日にあれもこれもという感じまっ二ケ月ほどの話で、その間の出勤になったお休み分は年明け以降に、三連休とかを何度も入れたりで逆にお休み増えるので、娘とお出かけもしやすいお楽しみも。あまり和風の甘いものが好きではない娘が半分よこしたので、私1・5人分。もはやおなか一杯さて菓子まつりのメイン会場にいくと、市内の各和菓子屋の制作した工芸菓子も並べられており、この栗の木も和菓子の材料でできたものです。そうそう息子ですけど高卒以来ずっと年の半分は夜勤と残業って感じで年収も結構、貰っていたのが毎月数万円の住宅ローンをかかえた途端に社内で移動があって夜勤無し、残業も少なくなって払えなくなるわけではないけど、本人のお小遣いが減ってしまうんじゃない?なんて言っていたら、半年もたたないうちに、前の部署がまた忙しくなったので出戻り。ふたたび夜勤と残業復活。一週間交代での昼勤、夜勤は本人も辛いが私も午後6時に息子の朝ごはん、朝6~10時過ぎに息子の晩御飯。朝には息子に風呂を沸かしなおしって感じで家事が二度手間。光熱費も必然的に多くなるし給料がどれ位違っていたかはハッキリわからないけど、夜勤あるのも良し悪しといったところだ。まっ家に留守番息子が出来るので防犯上はいいかも。そんな訳でこの人だかりは老舗の川上屋に並んでいる長蛇の行列です。当日は市内各所の和菓子屋さんの商品が、2割引き程度で購入ができるので一部の和菓子屋さんには長蛇の列川上屋とか、すやのような老舗とか全国区なのでわかりますけど、今回は満天星一休でもすごく並んでいたけどなぜに? 知らぬ間に人気店になっていたとか?? 娘の好きな七福は人気商品など3品が売り切れて行列も解消?さほど並ばなくてもお目当ての商品をゲットできました和菓子の他にも中津川の名産品なども安く売られており試食なども出来たので、あちらでパクリ。こちらでもパクリ。ただし旦那という運転手がいないので市街まで車を運転してきていたので、試飲は栗茶になりました苗木城伝説という限定菓子が売られていたので、これもバラ売りで1つ。私は沢山は購入しないし普段から購入もできるので、さほど行列しなくてもよいお店で、バラ1個買いとかでゲット。早速、ご披露しますと家で半分に切った断面図の、苗木城伝説です。ふわんふわのやわらかな餅の中に栗きんとん。とっても優しい味わいに仕上がっていました。ブラックコーヒーによく似合う!栗きんとんは息子は幾つも食べたいといってたので、半額の8個で千円というのもありましたけど、なんだか安すぎって思いまして、1500円が千円になった6個で千円の市内北部付知町の和菓子処一茶堂。初めて購入してみましたあと1粒を恵那福堂で買いまして合計で7粒。そのうちの一茶堂の4粒を息子、1粒を旦那。残りの1粒と1粒買いをした恵那福堂のを半分こにして、私と娘で食べ比べしてみました。向かって左が一茶堂、右が恵那福堂ですがこうやって写真で見ても、色や風合いが店によって違いますよねあと今回は栗粉餅ではなく、娘の好きな七福の栗ごへい串刺しになっている栗粉餅で、赤福の餡子が栗きんとんでまぶしてあるって感じのお菓子。菓子まつりでは500円私は栗きんとんよりこっちの方が好きなんですわ更に前に紹介をした苗木城伝説や、栗どらやき、栗きんとん大福などなど、ちょっとアレンジした栗菓子をバラ買いしてみました。あと、菊牛蒡で有名なヤマツ食品のたけのこ煮も美味しそうだったので市内の名産品以外でも、おいしそうなものが手ごろな価格で販売しており、この和歌山県の大粒の南高梅を使った梅干しも割れてしまったB級品だとかで、2つで千円って! 試食もあって期待通りの味だったので迷いなく購入しました。ここのA級品、ネットとかで調べたらやっぱお高いし! 半額以下とりあえずカメラを見つけてぽーずとってくれてるみたいです。南アルプスで着工を始めたとニュースでやっていたリニアモーターカーと中津川の栗をイメージしたマスコット。くりニア君です恵那の栗とかマツタケつけた恵那レンジャーよりも、かなり人気があるみたいで、人だかりも出来て触り倒されていました小さなお子さんも、ハイタッチ!菓子まつりでは、五平餅とかいろんなグルメもありましたが人だかりに酔ってしまって昼には早々に退散。帰り際に落合にあるカフェリバーサニーでお昼を食べる事にしましたここは姑が路線バスから見てて行ってみたいというので一度、二人でピザを食べに来た事がありますが、娘とは2度、モーニングでミニバーガーを食べただけで、昼時のピザを娘が食べたいといっていたのでうちと同様に山の中にあるので、野生動物や虫なども出るみたいで、窓の外にカメムシが一休みしてました。うちも網戸しめてるはずなのに息子の部屋にカメムシ。洗濯物についていたか、人が出入りするときに潜入されたかなそんな訳でピザも焼きあがりました。写真では皿が大きいのでピザが小ぶりに見えますが大きいですよ。しかも厚みなどもありもちもちの生地で食べごたえもありますやっぱぜんざい効果や試食もぼちぼちしてたので、二人で半分ずつしか食べれず、まるまる1枚分をお持ち帰りという、姑の時と同様の結果に。でもご安心召されよなんとまとめてではなく、1ピースごとにアルミホイルで丁寧に包装をして、ビニール袋に入れてくれたで型崩れもすることなく、焼き立て同様の美味しいピザを夕飯に旦那や息子に食べさせる事が出来ました 平成28年10月下旬から11月2日に中津川で撮影にほんブログ村
2016年11月02日
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このカラフルな大きな顔の上に、何やら麦わら帽子をかぶった人影が。世界的にも有名となった少年ジャンプ系の漫画「ワンピース」に登場するサウザンドサニー号をハウステンボスが再現愛知県や蒲郡市と、トヨタ自動車などが出資をした第三セクターが手がけた海洋型テーマパークの蒲郡ラグーナの経営が振るわず、ハウステンボスを再生させた旅行会社大手のHISがテコ入れを始めたのだがハウステンボスに比べ規模が小さいしどんなもんだろその一環で、この船も長崎から船出をして今では三河湾にやってきている。他にも園内では華やかなハウステンボス歌劇団のショーを入園券だけで観劇出来るそうだし、お花畑も作り冬場にはマッピングやイルミネーションも始めるそうだ今回は、件(くだん)の無料のバス旅行に当選をしたものでここでの滞在時間が1時間20分程しかなく、余分に千円を払えば入園が出来ても、ゆっくり観劇やイルミも見れないしパス。すぐお隣にある無料のお買い物エリアで時間をつぶす事にした海鮮物も欲しいがまだ旅は始まったばかりだし、痛んだらこまるなぁ~~と断念。海鮮の他にも農産物、土産、雑貨靴、衣料、お食事処などなど。うろうろしているうちに集合時間となったつぎに向かったのはバス旅行の定番。旦那の会社の組合慰安会でもよくお世話になった蒲郡のオレンジパークだ。前回の件の旅行ではいちご狩りをしたけど今回はミカン狩り。実はみかん狩りは初めてで楽しみどれ位食べれるかなぁ~売店の隅には前にもいたフクロウがいた。年配者の集まりで子供はいないので、フクロウに注目する者などいないみたいミカン狩りの前にはお食事。1800円を足せばアワビや大あさり、サザエなど海鮮を目の前で焼けるけど、私はこれで充分だ。今回はご夫婦も複数いたけど、そんな高齢男性のいるグループは、どこも海鮮にランクアップしていましたね年配女性のグループはみな基本のお料理でしたわ。いままでスーパーや温泉施設、直売所など高齢者の好きな施設主催での応募による招待旅行だけど、今回は母の日企画で本屋さんであった為か、高齢者の人数だけではバスが埋まらなかったのか30歳位の比較的若い女性グループも。初めて見ましたわいつものように1名無料招待で、同行者がいる場合には同行者代金は一人7千円台だったかな。8割位が有料の同行者連れで、おひとり様は4名位。私の横に座ったお子さんが応募してくれたという奥さんも、おしゃべり好きで愛想の良い方で良かったといった訳でお食事の後にミカン狩り。しかも軽く2杯のご飯にミニうどんって。ミカンなんて食べれないよ~~とかいいつつもさっぱりしているのでデザート扱いで、いくつも食べれます一房ずつなんて食べてられない。半分に割ってパクリッ!これ以上食べたらやばいと自重。腹八分目でいきましょうどうせタダだし、お土産のミカンもタダで貰ってるし。でもこれが自腹だったら無理しても食べているかもその後は家のドライブでも、近くへ行けば必ず立ち寄っているえびせんべいの試食ができるお店いええびせんべいの土産が買えるお店へここではセルフで無料コーヒーも飲んで一服も出来るので食後の一杯更に高速で岡崎市に移動。岡崎といえば大河でも嫌味な狸爺ぶりを発揮している徳川家康公のご城下だ。その城から八丁の距離にあたる八丁村(現・八帖町)で古くから作られていたのが八丁味噌である。味噌は家康の陣中食として使われたとも言いますしね八丁味噌の老舗「カクキュー」の創業は、三代将軍家光の頃まで遡る事が出来るそう。八丁味噌聞いた事がありますか?以前、宮崎あおいさんが主演された朝ドラの「純情きらり」で嫁がれたのが岡崎の八丁味噌蔵。このカクキューの蔵でもロケがされたそうです現在、八丁味噌はここと、すぐ隣にある「まるや八丁味噌」の二軒でしか今では作られていないそうだ。角と丸というのも面白い。味噌は「医者要らず」とも昔から言われる程の栄養のある伝統の調味料で、地域によって米味噌、麦味噌、豆味噌などがある八丁味噌はその中の豆味噌にあたり、熟成期間が2年以上と長い為にチョコレートのような色合いをしています。大豆のたんぱく質が分解される事で、アミノ酸を多く含んでおり独特な風味があり、米や麦を使用しないため甘み成分が少な渋みや濃厚な旨みが特徴です産地や品種とかかな木樽が完全に乾くと漏れたりするようになるので、内側の味噌は少しこびりついたままで次の仕込みを待ちます大正時代の木樽もありました味噌蔵の見学が終わると、いよいよ八丁味噌の試食八丁味噌の他に飲みやすいという赤だしも味噌汁でこんんゃくに味噌をかけての試食八丁味噌のソフトクリームはとっても美味しかったですよスイカに塩をかけると甘みが増すように、ほんのりした味噌味もソフトによく合います。こちらは自腹岡崎のきもかわいいゆるキャラのオカざえもん親子いつもは最初に行くのが、今回は旅の最後になったいつもの宝石屋さん。このお店からも旅行の費用の一部が支払われております。だから寄らないはずがない。今回も入り口にはコンテストなどで入賞した華やかなジュエリーが並んでおりここだけは写真撮影ができますその後には、ジュエリーを作る工程をガラス越しに見せて貰い、こちらのメインのジュエリーのセミナーをクイズ付きで聞いてから、幸運のオパール石を触って販売会場へ。笑顔のセールスレディーがずらりと立ち並ぶ販売会場には所狭しと高額のジュエリーが並んでおりへぇっ~~と、とりあえずは見物をさせてもらってから奥のお安いお土産ジュエリーを冷やかして、1階の健康食品が売られる待合所で一服。今回もクレジットカードなどは持たず、厳禁のお小遣いも家へ一人で帰れる程度を持参して無事に旅も終わりました今回のバスの運転手さん、非常にナイスでした。安全運転ですし降りるたびに一人一人にいってらっしゃい!と挨拶もされててあんな運転手さんならバス旅行も楽しくなります。更に招待旅行なのに、行く先々でタダでお土産も貰いました。このみかんは売店で600円で売ってたのと同じものですよ~無論、高価なジュエリーは買えないけど、自腹でお土産も買いました。娘に頼まれた梅味のおせんべいは540円。お味噌は田楽味噌にしました。八丁味噌は手間暇がかかっているだけにお高いですし農産物の直売所では三河の柑橘類や、かわったイチジク。糖度20以上もあるんだって。西尾市のお茶農家さんが自宅使いにするというお茶は一袋110円でした小ぶりのミカン一袋にりんごや柿もせっとになった詰め合わせは540円と、これは安いと購入したら小さなミカンを4つおまけしてくれました。お土産などで2000円程を使っただけで楽しい秋のバス旅が出来ました 平成28年10月下旬に愛知県で撮影にほんブログ村
2016年10月26日
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やはり秋は夕焼けが格段に綺麗だ。日の暮れが早いから目に付くのが多くなるのか、空気が澄んでいて発色が奇麗なのかどうかはわからないが、昨夕の夕焼けだ昨日(日曜)にドライブに出かけたいと思っていた旦那は前日の土曜日に、朝早くから農作業をせっせとしていたが午後遅くなってくると、あのジジィはきち〇いだ。もう何もかもむちゃくちゃだ。目つきも違ってるしと怒ってきて床屋へ出かけてしまった。まっ、もとから床屋には行きたかったみたいだけど。私も美容院とか行きたいと思うけど高いしなかなか行けない。ボサボサ頭=美容院に行くよりは行楽・・・人の価値観はいろいろ次から次へと兄ちゃん、あそこのアレをやってくれと目に付いた仕事を言い渡され、先にあれとこれとそれをやれって一度に言って欲しいとぼやき、案の定やればやったで、また文句を言われるのだから、姑もぷんぷんと怒ってかなり早い段階で家に逃げ戻ってきていたらしいそんな、やらなくてもいい事まで仕事にしてしまう舅の気まぐれな相手などしたくはないので、私はノータッチを決め込んでいる。舅や姑が一切やらなく(口も出さなく)なれば、考えもするが相手をしてられない。そんな訳で昨朝は旦那の運転で娘と木曽路を北上。山の上から雲が流れ落ちていた伊那路も考えたけど、松本そば祭りに出かけ損ねた事もあって、なんか気分的に松本方面へ出かけようと考えて、立ち寄った御岳山が見える道の駅「木曽福島」で様々なイベントのポスターが貼ってあって、坂下の花馬祭りも間もなくか・・・行った事ないんだよねとか見ていたら娘が今日(日曜)、塩尻で新そばが食べれたり、ヌーボーワインが飲めるグルメな祭りがあるのをポスターで見つけ話を聞いて、これは行かねばなるまい!!と出かけた先は塩尻。良かった~行き先を伊那路にしなくって塩尻の桔梗ケ原といえば、日本有数の葡萄の生産地でありワイナリーが幾つかあり、国道19号沿いにもあちこちにぶどう棚もある。とくに有名なのはナイアガラという品種だったりして、生食も出来る甘い白葡萄だその桔梗ケ原のイベント会場には、開始の午前10時前には着いたので駐車場にはすんなり入れた。地元の松本ナンバーの車が多い中で多摩とか足立なんて関東圏の来客もちらほら信州の気候や土壌は、ワイン用のブドウを栽培するのに適しており塩尻の他にも、松本や安曇野、東信、伊那谷などにもワイナリーが存在し良質なワインが生産されている。塩尻には8つのワイナリーがありその歴史は明治中期までさかのぼる事が出来るそうだ多くのブドウは寒さに弱く冬を越せなかった中で、米国産のナイアガラ(白)とコンコード(赤)が塩尻でも生産が出来それを中心に栽培面積が広がり、昭和初期には大きなワイナリーなども誘致され、シャルドネやメルローなど多くの品種も作られ始めたそうである今では桔梗下ケ原で生産され醸造されたワインの品質も向上し、国際的なコンクールでも入賞するようにもなり国内外でも評価が高まってきているそうだ。創立百年を超え前身が農学校であった塩尻志学館高校では、学生らがワインづくりをしているんだとかそういった訳で500円のオリジナルワイングラス(一度購入したら次年度以降も利用OK)とワイン1杯券セットを購入をすると、あとは1杯200円で本年度のヌーボーワインが飲めるという、塩尻ヌーボーワインピクニックという名のイベントですわっ娘の好きな林農園の五一ワインとか、初めて飲むJA塩尻市桔梗ケ原ワイナリーのものとか赤や、ロゼに白にと娘と二人で4杯程をいただきました。その上日本酒三種もあったので、量も一緒なので一升瓶だと4千円位する純米大吟醸ひやおろし(高波)も2杯普通の有料の日本酒試飲では、200円でこんなにたっぷり大吟醸は飲めないし、採算度外視、大盤振る舞いじゃないのかな♪ とご満悦な母娘の横で、ドライバーの旦那は来年は息子に運転して貰って、飲むぞ!と決意表明していましたこのワイングラスにつがれているのが、白ワインではなくて純米大吟醸ひやおろしです。美味しいお酒でした。って娘が買ってきたウィンナーなら、赤ワインでしょっ!て感じですが飲んべには関係ないです飲めないなら食い気でいくのか、旦那は塩尻を代表するB級グルメ「山賊焼き」を購入。鳥を揚げるから、とりあげる、取り上げるで、山賊焼きというネーミングになった料理です今度は、娘は100円だったからと嬉しそうに寿司を買ってきましたよ。まだ午前11時前なんですけど安さについつい惹かれた模様そう、そしてこの時期の塩尻は葡萄畑だけではなくって蕎麦畑も実りの時期で、新蕎麦シーズンも到来ですよ!ヌーボーワインを楽しむ他にも、同時開催で新そばを食べれるイベントもやってましただから200円で日本酒も飲めたんです。蕎麦といえばやはり日本酒ですから。ウィンナーではなくて蕎麦に日本酒こそ正解今の蕎麦の形でもある、そば切り発祥の地とも言われる塩尻は信州塩尻「そば切り物語り」というイベントもしており、近隣の5ケ所とゲスト1軒(北信のぼくち蕎麦)が出店をしていました前にも紹介をしましたが、市内にある長野県野菜花き試験場で10年の年月を経て開発をされた蕎麦の新品種「長野S8号」が2013年に品種登録をした「ヒスイそば」は、そばの色が緑がかって、まるで翡翠の色のようだからと命名されました出店したお店では、ヒスイそばを600円で提供をしておりもう食べ比べをするしかないです。手前は松本のそば祭りで一昨年、昨年もリピートをした信州そばアカデミーゆかり庵でして、今年も期待を裏切らない味。奥のはそれより細めの芳香庵みのる今度は何度か出かけたことがある、奥さんたちで営業をしているお馴染みの本山そばの里。あっ、そうそう一人一人で一食ずつ食べ比べではなく3人で分けて食べたので蕎麦も幾種も食べる事が出来ました。ツユはそれぞれのなのでオリジナルの味ではないですが。旦那はゆかり庵のツユが好みらしい次が信州そば打ち美蕎麦交流会かな。ゆかり庵もですがお店ではなく、蕎麦打ちの好きな地元の人たちの集まりのようですが、一般のお店となんら引けはとらない味です松本もですが塩尻もかなりの細打ちです最後のは色が赤みがかってませんか? これはヒスイ蕎麦ではなくって、伊那谷で栽培をしている高嶺ルビーという品種による赤蕎麦です。何年か前に伊那谷で食べた事があるだけですが最近流通量が少ないみたいで、なかなか手に入らないとか。500円でしたイベントでは数量限定、先着順で蕎麦がきなどの無料配布もありました。最近は蕎麦がきも食べてないなぁなんて思いつつ。あと大事な情報を。お酒のイベントですので、JR塩尻駅から無料シャトルバスがありますさて会場となった塩尻桔梗ケ原には、縄文時代から平安時代にかけても集落があった平出遺跡があり、国指定の史跡になっています近くにずっといたにもかかわらず、娘は一度も来た事がなかったそうで、そうだったっけ戦後に発掘が始まり、300棟近い竪穴住居跡も見つかり当時の生活の様子がわかるように復元もされており、かつて登呂遺跡と並び三大遺跡の一つであったんだとか遺跡でシャボン玉を飛ばすイベントもしてました。すごく寒い日で、風も強かったので勢いよくシャボン玉も東の空に向かって飛んでましたほろ酔いな母娘の要望で、ワインを飲んだばかりなのに近くの井筒ワイナリーの直売所にも立ち寄りましてここでは小さなカップで無料試飲をさせていただきました娘と二人なので、ワインも多めにつぎまして、こんな感じ旦那はブドウジュースをちびちび試飲させて貰ってましたその後にはお土産を買おうかと、娘が松本にいた時にはよく出かけていた道の駅の「今井恵みの里」へと、車を走らせて売り場には今が旬の松本のリンゴ。信州で開発された期待の三品種である上からシナノスイーツ、黄色のはシナノゴールド、濃い色の秋映のシナノ三兄弟(またはリンゴ三兄弟)うちは箱入りは手が出ないので、お得な袋売りで秋映はないけどシナノスイーツとなぜか1個だけシナノゴールドあと梨のシャムとリンゴジュースをお買い上げ。いやぁ食べて飲んでの一日でした。来年はお酒の苦手な息子の運転で行けたらいいけどにほんブログ村
2016年10月24日
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みんな違うけどわかってくれた?とは、数年前に家を建て替えたお宅の奥さんの言葉。壁紙の色などを微妙に変えたりしたらしいが、全く違いに気が付かなかった鈍感な人間である。カーテン同様にサンゲツのカタログを3冊位貰って、標準以外にお金を足して高い壁紙も使っても良いというが壁紙すら私と旦那、娘の好みは違う。旦那は洋風っぽい塗り壁みたいな壁紙がいいみたい。カタログだけではイメージもわかないので、名古屋のサンゲツのショールームにも出かけて、壁紙見本も貰ったりもした。家に入ったいわば家の顔である玄関ホールや廊下、階段などは↑旦那が好みの白い塗り壁風で、こんな感じだ和室の襖も廊下側は、壁と同じ壁紙を使って統一感をだしている先程のと微妙に違うのがわかりますか? こっちの塗りの方がちょい細かい感じで2階の寝室に使いましたけど、普通ならもう少し色がついているとか違ったアプローチの仕方があると思うのに、何しろ真っ白なのが好きな旦那なので続きましては少し横長な真っ白な塗り壁です。LDKに使ってまして横長な感じが少し和風な感じがして私も好きな壁です。汚れとかも付きにくいとか機能付きの壁紙なので、オプション料金が少しかかりましたまっ、意識して近くで凝視でもしなきゃ、どれもおんなじ壁紙だと思われても仕方がないです。とりあえずは壁紙を変えてみたかったという自己満足でしかないのかもしれません。私はもう少し色つけたかったんですが息子と娘の部屋は娘が選んだ壁紙で、若干色がついてます。シュガーピンクといいますが、この布地のようなのが娘が好きだそうですわ、落ち着いた感じに仕上がりましたいっそ塗り壁といえば、和室は壁紙ではなく聚楽という伝統的な塗り壁です。また和室の時に紹介をしますが落ち着いた色合いにしました(こうゆうのの色も施主が選べます)旦那や娘の興味とかもない舅&姑の部屋は、やっと私好みの壁紙が貼れました。少し凹凸もあってちょい和風な感じもある、少し色も付いたタイプ。これも標準タイプの壁紙ですこちらの部屋も和室に面して襖を開ければ続き部屋になるので、襖は部屋の壁紙が貼ってありました水回りには防水や汚れ防止機能など機能の付いた壁紙を選ぶ事になってたので、布っぽい凹凸のあるものを脱衣所洗面室に選んでみました。良い感じに仕上がりましたこちらは1階トイレの壁紙。はい、どれもが私の好みが露骨に出た似たようなパターンです。娘はグレーがよかったというしもう少し濃い色で冒険してもよかったが、淡いアイボリーに妙にひかれた時期でした同じ色で揃えてもよかったのにトイレの正面アクセントはこんな感じ。でもね~、天井は白いし、床は大理石調のアイボリー、ドアは木の色とすでにいろんな色が入っているのであえて変える必要はなかったかもそんな訳でこのように微妙な壁紙3種(笑) 微妙すぎる違いに最初見て失敗したなっ・・・。旦那にも娘にも不評です。しいて言うならくどくないだけマシかもしれませんが2階トイレは旦那の選んだ淡いブルーの壁紙。実際よりも薄く見えますが、トイレの壁紙と、すぐ脇の洗面台の扉のカラーが同系色なのがよかったです色がついているとはいえ、結構、薄い爽やかな色ですよねすごく小さな壁紙見本では濃い色に見えても、壁に貼ると思ったよりも薄く感じてしまうのでご注意を実をいうとこうゆう花柄とかをトイレとかに使いたかったけど家族から反対をされまして、自分の目につかない所に貼れとかまで言われましてパントリー(食品庫)や、娘と私のクローゼットに使用しました。が旦那よりも私の方が服の量が多いことから、住み始めてから私と旦那のクローゼットを好感したので、旦那の方がかわいい花柄です残りのクローゼット3つ(私の、息子、舅&姑)と、階段下や玄関ホールの収納庫2つは普通に真っ白なのにしましたがどうせ人の目につかないものなら、こっちも白地に柄物とか使ってもよかったかなそうそう天井にも壁紙を貼りますが、そこまではこだわる必要もないし仕事をやりなれた業者さんにお任せという事で。本にもあったけど壁より少し濃い色の方が収まりいいみたいです一体感出すためにか玄関ホールの天井には、壁と同じものが貼られてました。すっきりしてて綺麗ですこのように殆ど違いの判らない自己満足的な、無難すぎる壁紙でしたが、このように様々な種類の壁紙を使ってます天井と壁の空間をスッキリと見せる為に、廻り縁を施工せず「目透かし収まり」(和室の技法で、壁と天井との角に隙間を作って凹状にする)といううちの工務店さんのいつも使っている施工です壁紙を張る前には、このような施工を大工さんがしてますこういった壁紙を巻き込むような施工って、すごく手間もかかるし腕がよくないと出来ないみたいで、壁紙の職人さんもベテランでとても腕の良い方です塗り壁調の壁紙のデメリットに壁紙の合わせが難しく、柄がずれ境が目立つ危険があるとありましたが、つなぎが全くわからずにまるで1枚の壁紙が貼られているように見えます春になり暖かくなって、大工さんがもうおいでにならなくなっても様々な業者の方が現場に入られて、どんどんと家が出来上がってきました和室には山のような段ボールの箱。TOTOなのでトイレとかのものらしいですダイニングにはクリナップのキッチンセットの部材が山のようリビングにもクリナップ。こういった水回りの施工はユニットバスはかなり早い段階でしたが、残りのものはかなり後半に施工されましたこうして春を迎えて、長かった家づくりもいよいよゴールを迎える事となりました。住んでみたらもう半年近くにもなりますよ。棟上げをしてちょうど1年くらいになるのかな 平成28年春に撮影にほんブログ村
2016年10月22日
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ちょっと一息。日曜日の夜には私が東京に出かけるきっかけになった、BS放送NHKプレミアムでたまにやっているフォーク番組の放映もしていた。その前の週での坂崎&なぎらのコーナーともども、ちらっと数度は映っていましたねまっ私よりも年上の方も多いので場違いという事もなくすんなりまざってしまって・・。しまった~今年の紅白観覧応募は今日が必着だったらしいです。秋はなんだかんだで忙しいので半分は応募し忘れてしまって。すごい倍率らしいですが、これも応募しないと当たらないし今日はドラフトあるみたいですね。創価大学の投手が一番人気らしいですが、どの選手も次代のプロ野球を支える選手に育ってくれたらいいですね。日本最速の大谷選手はいつかはメジャーに行ってしまうけど、その前に1度は生で投球を見てみたいなぁ。ダルビッシュとか見ることなく海を渡ったしかつては人気のセ、実力のパといったけど、最近のスター選手はパ・リーグばかり。日本シリーズに出場するチームを決めるクライマックスシリーズの試合もパ・リーグはBS放送とかで中継があったのに、ただの一度もセ・リーグの試合が地上波やBS放送でやっていなかったのには驚きました私も最近のあまりのふがいない中日の試合とフロントのごたごたに、大島&平田がFAで他球団に移籍したらもうカープ女子になるぞ~とか冗談で言ってたのに、真っ赤な広島旋風も侮られたものだ。民放系BS局は巨人だったら中継してたって・・・いつまでも巨人、巨人って。広島の方が、今年の場合は全国の人の興味もあるように思うがBS放送のNHKでも、日本選手が出るからとか言ってメジャーリーグの試合するよりも、広島の試合をした方がいいと思うよ、実際。最近はメジャーの試合も見てないもん。興味もないし。なんて感じで広島の黒田の最後の登板も日本シリーズはありそうですねこれまでの写真は、国立東京博物館の法隆寺宝物館にずらりと並ぶ仏像の数々です。今回は博物館の最後に見てまわりました。どれもが個性的ですよね東京国立博物館は様々な時代、地域の展示物がテーマごとに陳列をされていますが、敷地の片隅にあるので下手すりゃ気が付かず、すっ飛ばしてしまうようなこの宝物館が私の一番のお気に入りですここに展示をされている仏像や、仏具などはどれもが奈良県の斑鳩の里にある、日本最古の木造寺院である法隆寺にあった宝物ばかりだ。聖徳太子の斑鳩宮に接し建立をされた斑鳩寺が、法隆寺の前身となるそうで推古女帝の御代まで遡れるそうだ当時は朝鮮半島は戦乱のさなかにあり、戦いを避けて日本へ海を渡ってきた渡来人らが多く、仏教や、思想建築、工芸など様々な文化技術が伝播した。この仏像もどこか海外を思わせる顔つきをしているし。聖徳太子の側近でも止利仏師(司馬氏)や、秦氏など渡来人が活躍そんな由緒ある大寺院でも、明治政府が行った天皇を神格化し強大な国家を作る為、海外から持ち込まれた仏教は冷遇され、廃仏毀釈によって困窮を余儀なくされ僧侶がお金に換える為に、寺の仏具を持ち出す事すらも同じく奈良の大寺院の興福寺の五重塔だって25円で売却寸前。薪にされるところだった。本当に明治政府の愚行であったと思うよ。廃仏毀釈は・・・急速な軍国化とともにそういった訳でなんとか法隆寺の存続を考え、教科書に載るような伝聖徳太子画像のとか、一流の宝物数300点を天皇家に寄贈する事で、法隆寺がいかに価値があるお寺であるかをアピールしたそうである第二次世界大戦を終えて、これらの宝物は皇室の手を離れて日本国に移管され、東京国立博物館におさまる形となったのだ。その半数以上が国宝や重要文化財に指定をされているこの金銅柄香炉も、上宮や、高句麗から渡来した慈恵という聖徳太子の師の名前が彫られているそうだこれは金銅の水注と、匙で、写真にはないが他に墨台や硯もセットになった文具であるらしいもう、どれもこれもが国宝。人ごみに紛れて正倉院展奈良で見るよりも、人が殆どいないがらんとした法隆寺宝物館でじっくり宝物と対峙するのもよいと思う特に寺院の堂の内外を飾る荘厳具(しょうごんぐ)の一 つである金銅灌頂幡は宝物を代表する名品で、見事な透彫で如来や天人雲、唐草文などを表した金銅板が飾っている当時の姿を復元するとこんな感じだ無論、法隆寺以外の仏像や仏具なども、本館などに展示されているので来館される外国人観光客なども好評だ特別展示なので、ここには写真がないが(常設展示の殆どがフラッシュ禁止による撮影OK)ちょうど、私が出かけた日から「平安の秘仏・滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち」展が始まったのでせっかくなので見てきた。平安時代後期の作で、重要文化財にも指定されている十一面観音坐像としては日本最大で、仏像の像高は3.12mもある秘仏があるそうで33年に1度の秘仏だそうだが、わざわざ東京までお越しになっているというのだ。更に櫟野寺が所蔵する重要文化財の平安仏が20体を一堂に集めたものだそうで、このお寺のこと知らなかったただご本尊以外の仏様の手が取れていたり、足が欠けていたりというのは、ちょい痛々しい。やっぱお金のある権力者の庇護がないと、お寺の宝物を守って、後世に残すのは難しかったのだろう息子のすまい給付金の書類を息子に書かせたが、収入の少ない世帯で、新築する建物の権利を100%持ってると30万円が国から給付されるので、旦那とか無理みたいというか、住宅ローンではなくて現金払いは受給条件が普通よりも難しいようだ。フラットだとか住まい給付金とは消費税が5%から8%に上がった時に住宅購入が減らないように、収入の少ない家庭に支給される旨で出来たものだそうだ。この先10%に上がれば更に給付金額も増えるようだが消費税8%の場合は、大むねに年収425万円以下で30万425万から4754万で20万、475万から510万で10万になるそうだが、正確には県民税の税額が基準になるそうで。やばっ、息子はあと県民税の年額2千円多いだけで10万になるところだった。年に半分の夜勤と残業で昨年は年収が多かった模様しかし、前にも書いたように満額が貰えるわけではない。家の持ち分に比例をするので、息子の場合は35分の14なので8万をちょい切るぐらいの給付金になるみたい。それでも幾らかでも戻ってくるのは有難い。次は住宅ローン控除も忘れずにドラフト1位指名終わりましたね。かつては野球王国だった岐阜県。昨年は社会人、今年は大学が日本一にも輝きましたが中津川市にある中京学院大学の吉川選手(岐阜羽島出身)が巨人の外れ一位に指名されましたね。この大学からは広島の菊池選手も輩出しています。頑張れ~♪ 平成28年9月下旬に東京国立博物館で撮影にほんブログ村
2016年10月20日
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今日の名古屋の最高気温は29度なんだって。現在の室温も23度後半だけど、どこまで上がるんだろうという季節外れの暖かな朝を迎えて、2階の寝室のカーテンを開けたら曇ってたえ~? 暖かなのに?? 星4つの高性能のペアガラスの窓なのにって思ったら、指でこすっても曇りが取れないし窓の内側に出来る一般的な結露ではなくって、家の外側窓ガラスの外に出来た逆転結露だった。そんな事もあるんだなとネットで検索をしたら、ブログでお付き合いさせて貰ってる高気密高断熱のお宅でも、昨年の初冬に起きており高断熱の窓だからこそ起きた現象みたいだ前にも説明をしたように、外壁サイディング下には防水性のシートがびっしりと貼ってあるので、家自体には影響などは無いみたいなのでひとまず安心試しに窓を開けて。外側の曇ったところを指でなぞると字が書けた。やっぱ窓の外側に出来た逆転結露なんだなぁ~などと確認。要は外気の方が水蒸気とかが大量発生してて家の中よりも暖かだったみたい。結露でなく朝霧とか、もや。露など。濡れた地面からの帰化などが窓についた現象だとか、放射冷却の為だって説明なども元が文系の人間なので理系の現象は何が何だか。今までに窓の隅っこの方に少しだけ結露が見られた、北側の☆3つの窓にも、外側からの逆転結露。他に同じ北側の2階のトイレの小さな窓も真っ白になっていた。いやぁ新しい家は、今までにはなかった自然現象まで起きるんだそうそう秋になっての室内での湿度変化。とは言ってもお天気が良い日の昼間は、家中の窓全開なので室内というよりは外気のようなものだけど、湿度が31だったしこれも温度に影響されたりするそうだし、冬の管理はどうしたらいいのだろ。旦那は湿度なんか関係ないと雨でも夜でも窓は開けたい模様。窓を閉めていると息苦しいように感じるからだそうだってそれだけに、雨が降ると吹き込んでしまう2階の北側の窓上部にも長い庇(ひさし)が欲しかったという話となって今の家の庇が短い(殆どない)理由なども、ネットで調べさせられた。様々な意見があるのですが、外観デザインの雰囲気に合わないとか、UV窓や雨漏りしないサッシ、外壁などの性能が格段に上がって、庇が必要なくなったとか庇を作る事でかえって雨漏りの心配があるから、クレームを心配してだとか、コストダウン。マッチ箱のような真四角な家が多いのもそんな理由から。少しでも安い家を提供したいって部分なども大きいみたいだ。2階にベランダを作る事で庇のかわりにする場合も多く見受けられるそうで、うちのダイニングなんかもそのタイプ庇が長かったり多いと、和風な外観になるという意見もあったがうちもそうゆうのを狙っての施工だったのかな。とにかくにわか雨の多い夏の時期でも、庇のない2階の北側の窓でもエアコンが無いので、旦那や娘や開けまくっているので、雨が降りそうな時や外出する時には、せっせと窓を閉めてまるのも私の仕事の一つだまっ、庇が長すぎても台風であおられて屋根が飛んでいってしまうなんて、実際に家の半分の屋根を伊勢湾台風でふっとばされた舅が違った意味で心配もするしそれにしても昔の家って柱もほとんどないし、壁だって皆無。これで思い瓦屋根を支えてたんだから、そりゃ家も傾く訳だ。、なんか昔の話のようだが昨年末までこの家に住んでいたんだなぁ~。しみじみさて話は少しさかのぼります。春も近づいて家づくりも佳境となってきた。予定では大工さんが入るのは桜の咲く頃、4月上旬の予定だとか。うちの家の代金の支払い方法は棟上げで1回目支払い大工さんの仕事が終わる時に2度目。引き渡しで3回目。追加工事や、その他諸々の残りの残金は、先週末の大安吉日に支払ったばかりだ。予想通りの金額だった。そりゃそうだ長かったようで短かったようにも思える家づくりも、ここが終着点だって思いもしたが、まだ息子の住まい給付金や税金の控除なんかの手続きもしなきゃいけないし、自分から率先をして動くタイプではないので、私がやいやい横から口を出さなきゃすみそうもないし貯金なんかもしそうもないので、天引きで勝手にたまる住宅財形、将来きたるべきリフォームの支払いの為にも既に貯めさせてますよ。その時に旦那とか私とか元気でいたらいいけどね~。まっ、そんな先の事はわからないしその頃の住宅事情も大きく変わっているのかもしれないがやれそうな事は、今から準備していた方が来年、息子は3回目の車検なんですわ。新車を買ってから3年、2年、2年と7年目。通勤先が遠いので次の車検を受けてしまうと、確実に10万キロを超えてしまうみたいで、旦那が10万キロを過ぎると車の部品が劣化して不都合も出てきやすいなんて言うもんだから、来年は新車を買い替えなきゃいけないと言ってまして。世の中、15万キロ、20万キロ乗ってる人もいるんだし、昔よりも劣化の進みも遅いようにも思えるんだけど他の方の新築ブログを見ていたら、ピカピカの床のはずが引き渡し後になんか表面がざらざらしてるのを、経年劣化ですって言われたそうで、引き渡し時に経年劣化?とか他の不都合そうな部分も、許容範囲みたいな事も何度も言われたみたいで、大手ハウジングメーカーで建ててもその程度なんだなと。どこで作るか、だれが建てるかって当たり外れが大きそうな建築業界工場で作られてきたパーツを現場でポンポンポンと組み立てるだけのような腕しかない人も大工さんで通っている中で、本式の和室を作れる大工さんも減ってきているんだろうな、きっと・・・ここの工務店の若い頃は大工さんだった社長さんは、儲けよりも自分の納得のいく良い家を建てる事を旨にしているので、そこに入る業者さんも、しっかりした仕事を熟せる事が重要なようだだから売ったらそれで終わりみたいな元請け業者とは違って、ちゃんと現場に社長さんが一つ一つの工程が終わるたびに顔を出して、ちゃんと仕上がってるかを確認しているので、よく姑が社長さんが現場に来てたようだよと言っていた素人(施主)が見ても気が付かないような専門的なミスなども許容範囲などと甘いことなどは言わず、納得がいくまで業者にやり直しをさせるそうだ。うちの現場でも屋根の上は土足厳禁上靴にしなきゃいけないのが、泥の靴跡があったそうで、その業者(屋根ではない)持ちの費用で、その部分の屋根瓦をふきなおさせたそうだ雨が降れば泥も消えるかもしれないが、それは契約では土足ではなく上靴にするとしたのに、約束を破った事を(今後起きないように)認識させる為にも、やり直しに踏み切ったそうだ。僕じゃないのになぁ~と姑にぼやきつつまっ、追加の代金も貰えると思われる、イケメンの瓦職人さんが再登場で仕事をしていったようだ注文をした木材が一部足らずに棟上げが遅れてしまった件でも、その足らなかった木材の代金20万円を、業者から工務店の社長さんが値引きして貰ったのも、実際に日にちがずれた事でクレーン車や、職人の手配などもやり直しとなり大変でもあったようで、今後はそのようなことが起きないようにという意味合いがあるようだけど、その20万円も最後の決算で貰う事ができたし。この20万円の存在は本当に大きいし嬉しい社長さんが怒ると職人さんがびくっ!とする位、怖いらしいです。現場監督さんもまた始まったと下を向いてしまうようでどんな第三者機関の検査員よりも、社長さんのチェックは緊張感あるようです。この工務店で仕事をさせて貰うってある種のステイタスを感じる場合すらあるんだとか。あの工務店で仕事が出来るなら、腕も確かだなってみて貰えるそうだし他でなら通る出来栄えでも、この工務店では及第点が貰えない場合もあるそうだ。そんな自分の建てる家に自信のある工務店の社長さんだから、やっぱ物言いが横柄だったり、早く作ってよ♪みたいな施主さんだったりすると、仕事も受けないみたいだ自分の納得のいく仕事をする為には、短い工期が限られた家づくりなどもできないしお金でうんぬんではなくって、「良い家」を建てて欲しいといったちゃんと、自分の建てる家の持つ価値を知っている施主さんに住んでもらいたいとの事であろう。家を作るにあたってかなりネガティブな情報もネットで見聞きしてて、手抜きのない腕の良い大工さんが建てた家に住みたいとの願いは、このようにこだわりのある工務店さんに出会うことで、叶うことが出来たその工務店でずっと仕事を受けている大工さんだけに何でもできると、仲間内でも言われるような腕の良い大工さんの仕事もそろそろ終わりに近づいて・・・細かな特注の造作なども始まって。脱衣所やフリースペースに棚などもつけて貰い、長い間、寒いところでありがとうと姑がいったら、大きな家だから同じところに長く通えて良かったとの事それに大工さんの家はうちよりも、下手すりゃ寒いところだから寒さはあまり苦にならならなかったみたいだ。高気密高断熱というあたりも効果が既にあったのかもしれないし。そんなベテラン大工さんの腕の見せ所の和室については、また回を改めて紹介ができたらと思う 平成28年初春に撮影にほんブログ村
2016年10月18日
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床ですが今はやりの無垢の天然床ではありません。私はそちらが良かったのですが、浮造りというでこぼこした仕上がりになるのとかかる費用が1.5倍は高いのを旦那が嫌って、合板ですよ。こう見ても。ツルツル、ぺたぺた、冷たい感じが旦那は好きみたいですとか言っても、下手な天然無垢床いたよりも合板の方が高機能で高かったりもしますし、床暖房対応ですしね。床やクローゼットシューズクローゼット、階段などはエーダイで揃ってますので色目や素材は統一感があります。あまり白くもなくかといって濃い色でもない明るめのトーンで選びました。最初のと同じ床なんですが光線の違いで、別物に見えちゃいますねこの床は永大産業の「フィールグレインフロア」というシリーズで木材は板目や柾目、追柾といった木取りの違いによる様々な表情が天然素材ならではの味わいがあるそうで。「3Dメイク」とは木材が本来持つ表情を、より鮮明に表現するEIDAIオリジナルの技術だそうで、ビーチの上品な木目やオークの力強い木目を、一層際立たせた透明感のあるワンランク上のフロアなんだそうです比較的、早いうちに綺麗に貼られた床は傷がつかないように養生がされていたクローゼットやドアなどの建具も同じく永大産業のもので床と同じタイプのもので揃えて、暗すぎず明るすぎないナチュラル感のある、落ち着きがある色合いでまとめた玄関は広々させたかったので、流行りのシューズクロークではなくって、やはり永大産業の大容量のシューズクローゼットを備え付けて貰ったドアロブなども傷つかないように養生中。こういった開き戸は娘や私の部屋など3つしか使わず、基本的に年寄りも使いやすいように引き戸のドアにしたトイレの中の電気がついているかどうかが見てわかるような明かり窓一階廊下から1坪の洗面所。2階への階段への引き戸のドアに脱衣所へのドアの細い窓は、換気が出来るように隙間がついているけど、全部と閉めると湿気がたまりそうで、私は廊下側を開けるようにしてる。でも家族とか閉めちゃうんだな。ドアの開けっ放しはだらしないイメージらしいテレビボードは家具屋さんで購入するか、永大産業さんのをオプションで付けて貰うか迷ったがやっぱ、ドアとかの他の建具との統一感が欲しいなぁ~と思って永大産業さんで、定価よりもかなり安く仕入れてもらえるので12万しなかったのでお得な気もした。地震とかを考えると倒れるような家具ではなく、造作したものが良いと思うし同じく分厚い永大産業さんのカタログを見て、ひとめぼれをしたのが、ダイニングの棚(デスク付き)で、2万6千円程だったし、娘の部屋とかも作って貰えば良かったかな~キッチンの床は防水性のあるものでという事で、クリナップのKTというシステムキッチンの色合いによく似たオフホワイトの床で、なかなか良い感じに仕上がったトイレや脱衣所なども防水性のあるオフホワイトの床でマーブルっぽいものでそれとオプションで永大さんのカタログを見てて、これいいかもって、ハンギングバーをクローゼットの中とかダイニングなどにも付けて貰った。もちろん付ける予定のところは壁の下地を強化して貰っており、S字フックで、ちょっとしたものをかけるのに便利だし、つけてよかった階段も永大産業さんの。こんな感じで作っているんだ~ 家が出来て、引き渡しにやってきた現場監督さんも設備&会計担当の工務店の社長の奥さんも家にきてリビングでカーテンを褒める。工務店の紹介で利用をさせて貰ったカーテン屋さんは、東レ、サンゲツなどお安く、好きなのが選べるので旦那が金色が入っているのがゴージャスで良いとか選んだカーテンを、掃き出し窓2つ、腰高窓1つあるLDKに選んだキランキランのどうかなぁ~とか思ったが、思った程くどくないし、高そうに見える。が、しっかり価格もこのラインまでって選んだので、よほど高い訳でもない。レースとも東レレースの柄もクラシカルな感じでワンランク上な感じのものをやはり人の目があるリビングなどは良いカーテンを使って予算がなければ2階の寝室などのカーテンは安めのものを使うのがコツらしい窓からの寒さを遮断するように、カーテンレールの上部は蓋がついていて、横側もカーテンで囲んでいたりする。レールもカーテンも少し高くなるけど、快適に冬を過ごす為に多少でも工夫もしておきたい2階の3室はどれもサンゲツで、遮光性があるものを選んだ寝室のカーテンはこんな感じ。昼間はあまり気にならないけど夜の蛍光灯の下では、植物の模様がグレーっぽく見えて地味な感じで、なんだか明治時代の年配女性のドレスみたいでちと失敗したかな本当は木綿のふわ~としたのが良かったけど、遮光じゃないし、シャッターも旦那がケチってつけなかったんで厚手で遮光性がカーテンの条件だった。でもレースのカーテンはかわいい水玉模様で昼間は良い仕上がりだ↑みたいなシェードのカーテンは少しお高いが、やっぱりかっこいいので、娘の部屋と2つ付けて貰った。付けて良かったしこれは娘がひとめぼれしたカーテン。この他にグリーン系のものがあったが、こちらの方がほんわか明るい感じだったのでレースのカーテンも最近のものは、様々な機能を備えていて中が見にくいミラー機能があったり、UV機能があったりとか汚れが付きにくい、防火性などなど・・・・こちらは息子の部屋のもの。見た感じは重厚感があったし夜勤があるからと、遮光性も一番あるものを選んだのに夏社内異動で夜勤が無くなった。残業も殆どなくなってしまい手取り↓ ちょっと分厚すぎたかな。名古屋にある東レやサンゲツのショールームにも行ったんだけど、なかなか思うようにはいかないものだカーテン屋さんの店員さんではなく、カーテンレールの業者さんの専門の職人さんが、レールを取り付けをしてくれるのもポイントだそうだ。手持ちのカーテンがある時はカーテンレールだけの取り付けだけでもしていただけたので娘のアパートで使っていた遮光性のあるカーテンが、まだ傷んでなかったので舅&姑の部屋で使う。箪笥を置くはずだったのをクローゼットを作って貰ったので、その扉が干渉するとカーテン屋さんに指摘され、レースカーテンレールは内側に付けて貰った前の家で使おうと思ってた新品のカーテンは、2階のフリースペースで使うように、それらには蓋のないタイプのカーテンレールだけ付けて貰ったけどね、市販のカーテンはひだが2つ折りでやっぱりオーダーカーテンの仕上がりとは程遠いオーダーカーテンは3つ折りだ。ただしかわいいのとかカジュアルな感じなのが、オーダーには少ないようにも思えたりもして。トータルで掃き出し窓5つ、腰高窓4つ小窓2つ、東リとサンゲツのオーダーカーテン+レースで合計21枚と、タチカワのカーテンレール16本の費用はしめて45万円弱だった目下、カーテンの閉め方で私は窓の右側も、左側のも同じ方向から、右、右ととめたいけど、旦那は内側からか外側からのどちらかにして欲しいと言われて。でも右、右の方が止めやすく、外しやすいのだけど秋らしい気候になって我が家も衣替え。窓を開けていた時の室内の湿度も34%となり、新たな局面を迎えた 平成27年冬から今年春に撮影にほんブログ村
2016年10月13日
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ここにきて秋らしい気候となってきた。やっぱり夏は短い秋を経て、すぐさま厳しい冬となるのだ。うちの田んぼもやっとJA(農協)が、まだゆるかったので大型コンバインは入らず稲刈り機で刈り取ってくれた稲刈りが終わっても、次の年の準備もあるので旦那は今日も田んぼへ出かけた以前は、近所のおじいさんが所有する大型コンバインで幾軒もの田んぼの稲刈りをして、乾燥や脱穀もしており思うような時期に稲刈りもしてくれたのだが、病気で亡くなり、JA(農協)は沢山の農家と契約をしているので田んぼの状況が悪いとどんどん後回しにされてもしまいやきもきしてもスグには刈りに来てくれる訳でもないその日の昼に午後からJAが刈りに来てくれると聞いて「兄ちゃんを電話で呼べ!」というが会社の仕事をほって中途で家になんて帰れないよ。舅の物差しでは会社の仕事よりも家の農業が一番大事大手の専業農家でなければ、高額な農業機械も購入など出来ないし、自分で苗まで作っての田植え、稲刈りなども到底、無理なので業者の手を借りなくてはならず、昨今のコメ離れによる米価下落で、儲けなど望む事もできない三世代同居だったりで、定年を迎えた年寄りがいてこそ兼業農家も成り立ってもきたが、今は田舎でも同居も減り長男でも一緒に住んでもいないから80代の年寄りだけで農業をするのも大変だとはいっても自分の家の田んぼだけ荒らしてしまうのも、近所の手前体裁が悪いから、腰が悪くても膝が痛くても田んぼに向かうそれが今の日本の農業の現状の一つの形ではないだろうか本日付の日本農業新聞の記事によると日本農業新聞の元記事 「農業人口が半減」2050年には農業人口が半減し、そのうち3割が85歳以上という試算を、自民党の農林水産関連のプロジェクトチームが出したそうだが、うちのあたり既に80代のみ農家が多々あるだが高齢となった舅も大病も抱えており、体も思うように動かなくなってきて、旦那の土日の休みに、あれをしろこれをしろと、その時の気分で言い出すので、旦那も閉口をしている。というのも他の人が草刈りを1回するうちにうちは3回といった感じで、やらなくてもよい事でも目が付きゃ舅の気分次第で、重要な仕事にしてしまう今日の昼にも旦那が「アホは相手が出来ん」と怒って帰ってきた。田んぼを機械でかいていたら、田んぼの中に草が生えているから刈れと舅が言ってきたそうで「どこでも草なんか生えとるわ!」と相手にしなかったみたいだけど、もう稲刈りも終え、しかもこれからかくんだし。単に見た目だけで舅は言い出したみたいだ「たいしたものだよのぉ~うち程、綺麗にしとるもんはいない♪」とか舅は昔から自慢をしていたが、死んだ舅の父親は定規で測って、たきぎを切っていた程に几帳面であったそうだ。自分の仕事はパーフェクト。人のようにだらしない事はしないといったナルシスト的な部分が舅には常にあるので、旦那を手足のように使ってみてもその仕事ぶりに満足はせずやらなくても遊んでばかるおると叱られ、やってみてもこんな汚い仕事はだちかんとまた叱られる。昨日だって旦那が耕運機で田んぼをかいていた横の土手に座ってじぃ~っと仕事ぶりを見る舅。農業歴も40年で、もう60歳も手前のいい大人が、親の監視でしかられ続けてその愚痴聞かされてもね娘が松本にいた時にはそれを、口実にうまい具合に逃げ出して息抜きも出来たけど、今ではそれも出来ないし舅は60歳になれば旦那が家で専業で農業をしてくれると思っているけど、今は65歳にならないと思うような年金ももらえないので、給与が安くても働き続けなきゃいけないので、雨の日だけが旦那の休みになりそうだ土日に雨が降ってるとゆっくりできると旦那、喜ぶ最近は私と娘で二人で出かける事も多く、近くならまだしも遠くまで運転するのも嫌だなぁ~と、3連休で後半は天気が良いし、土曜日は久しぶりに旦那の運転で遠出ドライブに出かけようと。朝早くから朝ご飯を作って、片付けをして洗濯もして干してと、バタバタしているうちに風呂掃除をし忘れて出かけて、夕刻、旦那が姑に風呂の準備をしてくれと電話したら「何やっとる!!」と怒鳴られたそうだ自活して貰ってくれるだけ良いとは思っても、玄関やトイレ和室、仏壇、洗面所や風呂掃除。共有部分なんだけど、一切姑は手を出さない。それはそれでありがたいとは思うけど1年に何度もないんだから、気持ちよくいいよとか言えないものかなぁ~。次の朝は朝で舅、ぶち切れまくり。昨日はきっと息子が家の事もせず、遊びに行っておらんかったので舅が荒れて、姑の機嫌が悪かったのかも洗濯物を干そうと通りがかったら、午前8時過ぎに舅が「よその○○はカッパ着て田んぼをしとるのに!昨日の方が今日より天気が良かった!」とどうも旦那が昨日家で農業をせず遊びに行ったのが我慢できず口汚くののしっていたので黙っておれず、「1時間も前にお父さんは雨の中を雨カッパを着て仕事(地域の作業でため池の見回り)に裏に出て行っとるわ!」と言い返しておいたが。舅にとれば地域の仕事も遊びだし身勝手だよ、自分は旦那の年には地域の仕事とかはみんな30歳そこそこの息子に丸投げで、パチンコとか出かけておいて、先週も土曜日は姑のおばの法事に旦那日曜日は舅の兄嫁の法事なのに、姑と旦那を行かせて「兄ちゃんは?」とほかの兄弟に聞かれて。そうゆうのみんな遊びなんだもん。遊んでばかりいやがって!っていっつも言うけど今までの自分はどうなんだと言いたい朝から晩までパチンコ三昧。家や地域は息子にお任せ家の農業>舅の事(ウチョウランの展示会とか連れて行かされる)>>>>地域の仕事>親戚の事>旦那の会社の仕事>>姑の事>>>家でごろごろとしている>>うちらで遊びに行くって感じで。私のケータイをスマホにするというのでも旦那の契約だから、旦那を連れて行かなきゃと、ほんの午前中の2時間連れ出しただけで旦那が遊んで家の事をしないとブチぎれてたしあぁ、今となれば仮住まいでのつかの間の別居の頃が懐かしい「おじいも体が動かないし、おまえも手伝ってもらうしかないぞ」って、20代後半の独身息子に旦那が言うが「僕はお父さんができなくなったら田んぼやらないよ」ってそりゃそうだな。うちの実家も姉の家も田んぼを貸して食べるコメだけを地代で貰っているが、旦那自身ですら舅がいなきゃ業者任せにしたいとも考えたみたいだ自分の休みを削ってまで美田を守る為に働いても、儲けなどもないし。野菜はサルやイノシシに食べられるし自民党の試算よりも早く、うちのあたりは10年後には田畑も半数が荒れ果ててしまっているだろう。それどころかNHKで人口減少に苦しむ自治体の特集(「縮小ニッポンの衝撃」9月28日放映)をしていたがあの東京都ですら、豊島区などはかつては若年層の流入といった特徴が、最近は30代や40代の流入も多くなってしかも低収入になってきているそうだ。彼らは地方で仕事がなくなってしまい、たとえ低収入であっても仕事がしたいと都会にやってきた単身者だそうで、このような低収入だと結婚すらも望めないそうである1920年の調査開始以来、昨年の調査で日本の総人口が初めて減少に転じたそうで、全国の8割の自治体に減少が見られたそうだ。ある意味で今は潮目なんだろうと思う地方は更に深刻である。島根県雲南市は深刻な財源不足に見舞われて、2005年に財政非常事態宣言を行いコストカットに着手。市内30地区で住民組織を作って行政に頼らず住民たちがやれる事を行うというものだ。地域バスも業者ではなく住民が交代で運転をする。仕事があろうがお構いなしだ山間部の過疎地域では高齢者しかおらず、その住民によるサービスを行う担い手がおらず悲鳴を上げているが、行政側は、その地域が消滅するのも仕方がないといった感じでこれが今のニッポンなんだろうね。まっ、どこの地域でも多かれ少なかれそんな感じで、うちの地域も山ほど役員あるけど、高齢者のみだと出来ないからと免除されるので一人で3つも4つも役員をいつもしているここ最近、自分の境遇(生活&雇用状態)に対する不満を弱者にぶつける事件が相次いでいるようにも思う。老人施設の若い職員が、寝たきりの老人らを突き落としたり寝たきりの知的障碍者を次々と襲ったり、今度は終末期の高齢の患者の点滴に異物を混入。これも内部犯行らしいと言われている。3Kと呼ばれるキツイ、汚い、危険(しかも給料は安い)を日本の若者が敬遠をするので、海外からの雇用で補てんしようとしている農業もだが研修生だとかなんとかで、外国人を受け入れたりで人手不足解消をしている業種も多い。保育士の雇用も厳しいと話題になっていたけど、どこもかしこも昔もこれほど雇用環境って悪かったんだろうか?朝日新聞記事。外国人看護師・介護士、難しい定着「もう疲れ果てた」グローバル化で海外の安い商品が入ってきたり、安い雇用を求めて海外に生産拠点を移したり、更にはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なども控えているし企業も生産者も生き残るのも大変。あのシャープだって海外資本に身売りしちゃう時代だし。安くなければ売れないし、コストカットには手っ取り早く雇用でという感じで、中産階級は減って格差社会も加速中そんなニッポンで勝ち組になるべく、子供の頃から頑張って勉強をして、東大に入り皆が名前を知っているような大企業に入社しながら、過酷な勤務とパワハラ発言なども受け、でうつ病を発症し、直前には月100時間を超える残業を行い半年余りでクリスマスに、自殺をしてしまったお嬢さんは労災が認められたそうだ。国が発表をした過労死等防止対策白書によれば、過労自殺の労災が、ここ数年200件前後で推移しているとの事更に「過労死ライン」と呼ばれる月80時間を超えて残業した労働者がいる企業の割合が、昨年度は2割を超えたんだとか。実の話、娘が以前働いていた会社もかなりなブラックぶりで、一人暮らしもお金もかかるし家に戻ってきたら?と、娘の部屋を確保する為の家の建て替えでもあった。すぐに見つかった転職先に対して給与が少し減ったが、仕事関係の愚痴を聞かされなくなってほっとしたその過労死等防止対策白書に対し、ある教授が残業時間が100時間を超えたくらいで自殺するのは情けない。自分で起業した人たちは会社に寝袋を持ち込んでと発言し、炎上をしたんだとか。カリスマ創業者なども自分の若い時と重ねて若い時はもっと働けみたいな発言をする人もいるけど、会社立ちあげる状況の人と、企業の末端で働く新入社員と一緒に語るのもどうかと思う。ボロボロになるまで使い捨て的に扱われる若い社員も多いご時世だし糖尿病で透析をする患者は自己負担か、殺してしまえなどと発言したフリーアナウンサーもいたけどもいわゆる勝ち組にいる人たちは弱者の置かれた立場を理解できず、努力しない自分たちが悪いからと突き放す傾向があるように思われるが既に生まれた地域、親の階級(あえてそう言わせていただきます)などでスタートラインが違うのだし行政や政治においても恵まれた地位にいる人たちに、この疲弊した日本を救う事が果たして出来るものだろうか。疑問にも思う。末端にいる自治体職員も、年金詐取するような時代だもん。地方議員さんは領収書改ざんでの錬金術で住民よりも自分の事で精いっぱい廃墟ツアーが人気で軍艦島なども旅行コースによく入っているが、うちの周囲でも個人宅が幾軒も廃墟なままで屋根も落ちかけ住む人はおらず。中山道界隈にタイルは似合わないからサイディングにしろと命令する位なら、廃墟をなんとかしたら?と思ったものだが、壊すにしても費用が何百万もかかるので持ち主も何とかしたいと思っても躊躇し放置したまま写真ですが先日、東京へ出かけた時に2日目は大雨だったので、上野の東京国立博物館にでも行くかと。ここは常設展示品の殆どが撮影可能(フラッシュ禁止)で、SNSなどにネットアップも出来るようだったので、東洋館の石像を中心に紹介します にほんブログ村
2016年10月10日
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この日記も、途中で下書きをしたはずなのにされてなくて消えてしまったので書き直し。NHKの音楽番組のスタジオ収録の観覧に当選して一人で出かけた東京収録は午後からなので、午前中は皇居付近をうろうろする事になりまして東京駅から皇居へてくてく。二重橋から桜田門を見学し霞が関までを紹介しましたが、その後に地下鉄を使って降りた駅は九段下。久しぶりにゼロ戦を見たいと思いやってきたのは靖国神社。第二鳥居(青銅大鳥居)は明治20年の建立で、青銅製の鳥居としては日本一大きい第一鳥居は大正10年に日本一の大鳥居として建てられ「九段の母」に、空をつくよな大鳥居とも歌われもしたが老朽化に伴い撤去され、戦後に銅鳥居として再建中門鳥居は平成18年に建て替えられたばかりの素木鳥居で埼玉県産のヒノキが用いられている。他に石製の鳥居があったそうだが、どこにあったのかいまいち覚えも。写真自体もないし「鳥居」とは、神域人間が住む俗界を区画する結界であって神域への入口を示すものである靖国神社とは九段坂の上に東面して鎮座する、日本の軍人軍属等を主な祭神として祀っている勅祭社(祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる)で、かつての別格官幣社であり格式の高い神社である元は東京招魂社といい、創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し大日本帝国陸軍の陸軍省と海軍省が祭事を統括した。明治2年、薩摩、長州を中心とした政府軍と、徳川や会津藩を中心とした東北諸藩が激突。戊辰戦争で勝利した政府軍が官軍と称され、敗れた幕府軍は賊軍となってしまった。明治維新を偉業を後世に伝え、近代国家建設の為に命を失った「官軍」の犠牲者を慰霊顕彰しようと、明治天皇によって創建された。常燈明台は明治4年に東京招魂社に祀られた英霊の為に、また東京湾の漁船の目印に建立されたそうである(再建?)明治26年に大浜氏廣によって作られた日本初の洋風銅像は 長州藩出身で、東京招魂社の創始者である大村益次郎の姿だ西洋兵術などの才能を、桂小五郎に買われて戊辰戦争ではその手腕により新政府軍を勝利に導く。明治維新後は軍の全権を担い、軍隊の西洋化を奨め日本陸軍の礎を築いたが明治2年に、過激な攘夷派に暗殺をされてしまったそうだ戊辰戦争に始まり、西南の役(政府軍のみ、西郷隆盛は反逆者なので祀られていない)、日清戦争、日露戦争・・・度重なる戦争に出兵し、国に命を捧げた英霊を祀ってきた靖国神社であるが、現在の宮司さんは江戸幕府15代将軍、徳川慶喜のひ孫にあたる方で、芝東照宮に奉職し靖国の宮司になられたそうだが国を憂うる気持ちは同じだが、敗れて賊軍となってしまった徳川幕府軍の総大将のご子孫であるのだから皮肉なものだ2019には靖国は創立150年を迎えるそうで、週刊ポストの2016年10月14・21日号には、有力国会議員らが明治政府に逆らったというだけで、彼らも国に殉した事にはかわりがないと徳川幕府軍や、西南戦争の薩摩側の戦死者なども合祀をするように申し入れをするというのだそりゃ既に靖国に合祀されている、第二次世界大戦後の東京裁判で、敗戦の将として有罪となり死刑となったA級戦犯の人たちのように、中国や韓国からの反発はなさそうだけど、どうなる事だろう靖国神社には、戦争で亡くなった方が祀られているほかに彼らの遺品や、戦争にかかわるものも展示がされており(ロビー以外は撮影禁止、有料) 一般の参拝者も見学ができる。それらが収蔵されているのが遊就館で、入ってすぐのロビーの展示物のみ、写真撮影も出来るのだご年配の団体さんや欧米からの見学者もいたが、戦争の状況などをわかりやすくパネルで紹介しているので、それは外国語表記もされているので、欧米の方も熱心に読んではいるのだが、肝心の遺物などは日本語表記のみってのが多くて、ちょっと残念。それ信長のかもしれないよ~とかね2階の戦争にかかわる展示コーナーでは、それこそ映画やドラマで見知っていたり、教科書にも載るような古今東西の戦いにまつわる品や、有名な軍人さんのご遺品やゆかりの品などもあった。お~、これが栗林中将の絵ハガキかとか、官軍の獅子舞みたいな頭の被り物も赤が土佐、白が長州、黒が薩摩なんだとかこの前映画でやってたばかりの「日本のいちばん長い日」で役所広司が演じた阿南陸軍大臣が、自決をした時の血染の遺書や自決時の軍服とか。歴史に名を残した人たちの彼らが生きた証は、見逃せないものばかりだ後半になると歴史などに名を残る事もなく、残された家族や知人の心にのみ残された、一般の人たちのご遺品の数々軍人さんだけではない。軍の要請に基づいて戦闘に参加をした人たち。学徒動員された学生ら、医療従事者、警防団員対馬丸で海に沈んだ疎開児童たち戦争の名のもとに命を失ってしまったかけがえのない家族友、愛する人。そして死を覚悟して愛する人たちを残して行かねばならぬ若者たち。もったいないからと10年に1度しか映画館にいかない旦那が、シンゴジラを見てからまた映画「永遠のゼロ」が見たいというので借りてきて、お相伴させて貰った私が遊就館でゼロ戦を見たと自慢した(旦那は見た事がないから)影響をしたのかもしれない。ひきょうものだの臆病者だといわれた航空兵の宮部久蔵。彼の事を全く知らない孫らがおじいちゃんがどんな人であったのかを高齢になった戦友を尋ね歩き、その実像に迫るというものだネタバレだけど、生き残る事に執念を燃やした彼は、決して死になくないのではなく、生きて戦場から家族のもとに帰らなければならなかった。自分を頼りとする妻や子供を不幸にしたくはなかったのだ。しかし、そんな久蔵は生きて帰れぬ特攻機に乗る事となってしまう前回紹介をした島倉千代子はNHK紅白歌合戦に35回も出場を誇っているのだが、ただの1度も東京だよおっ母さんを歌わせてもらう事がなかった。しかもNHKの他の歌番組でも2番は歌わず、1番と3番を歌唱していたという。私も今回のブログを書くときに、はじめて2番を聞いたような気も。旦那も2番は知らなかった島倉千代子「東京だよお母っかさん 」田舎から出てきた年老いた母親を東京見物させるだけでえらい感傷的な歌い方だなぁ~。なんて思っていたけど」2番を聞いて納得。大陸からの引きあげ船が帰り着く港で帰らぬ息子を待つ二葉百合子の岸壁の母とともに、この歌が大ヒットした謎も解けた。優しかった兄さんが桜の下で待っているからこそ、老いた母親は東京へやってきたのだ靖国のやの字もないけど(九段坂はあるが)、紅白で歌えなかった昭和の大ヒット。その母に共感をするおっかさんは当時、日本中にいたはずなのに。この木は東京の桜の開花を告げる標準木島倉さんが3年前に亡くなられた時の追悼番組で、紹介をされたエピソードに硫黄島の話がある彼女のマネージャーがパッと水を飲もうとしたら、島倉さんは「あなた何やってるの。ここで水も飲めずに亡くなっていった方々がいらっしゃるのに」と叱責をされたそうだ。靖国神社の境内には海外のあちこちの戦場の石などもあった。私の母も私が、新婚旅行で海がきれいだからサイパンに行きたいと言ったら「ここあたり(実家)の若い人たちが幾人もサイパンに行って帰ることはなかった。そのような所に遊びに行くものではない」と叱られた。日露戦争において千名ほどの陸軍将兵と軍馬三百頭、武器弾薬を積んだ運輸船の常陸丸が日本海においてロシア艦隊から集中砲火をあびて撃沈した時の慰霊碑プロ野球選手の絵馬もあった。神風特別攻撃隊隊員として戦死をした名古屋軍(中日)の石丸進一投手や、沢村賞に名を残す大日本東京野球倶楽部(巨人)沢村栄治投手など69名のプロ野球選手が戦死をされているという。好きな事を自由にできる今に生きるという事は、どれだけ恵まれているのかを心したいものだ 平成28年9月に東京九段で撮影にほんブログ村
2016年10月05日
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この時期になると番組の切り替えで、地上波はどの局でも2時間、3時間と特別番組ばかりを放映し、それが興味があればよいが・・・。野球中継ももうないし、なんてため息も出る程だけどBS放送はそんな切り替えもまずなく、いつもの番組、ただし曜日や時間変更はあるのか旦那の好きな女子ボーリングのPリーグが、日曜夜10時から放映されるが、同じくお気に入りのべにこさんが山の中を温泉求めて出かける野天湯へGOが、日曜夜11時30分からの放映に変更になった。夜10時とかちょうど良いが11時半はきついなぁ~。金曜、土曜の深夜なら夜なべも出来そうだが別に色っぽい番組ではなく、健康的なべにこさんがっちりとバスタオルも巻いてるし、もう少し早い時間での放映でも良いような気もするし。なんて昨日の夜7時30分には全く見る番組もないのでいつもは、まず見ないBSの新・にっぽんのうたを見始めたら珍しいなぁ~、演歌見てるのかと旦那に言われたが新聞を見たら、旦那の好きな岩崎宏美も出てるし布施明とかド・演歌でもなさそうなのでつけたのだがダ・カーポも歌ってた。もはや高齢者向けと思われる歌番組は=演歌でもない。フォークとかだってあるまっ、手っ取り早く言えば旦那の年齢が高齢者に近づいたって事で。ダ・カーポ知ってますか?山下清のドラマの野に咲く花のように~♪とか結婚するって本当ですか?といった懐かしい歌がある。今も伸びやかな歌声だそんな昨夜の新・BSにほんのうただけど、北海道がテーマで、北海道出身の演歌歌手とかご当地ソングなども紹介されたけど、え? 女性歌手が襟裳岬?なんて思ったら、森進一の襟裳岬の他にも、襟裳岬島倉千代子の歌った別のもあったんだちなみに森進一の方の襟裳岬は、作詞は岡本おさみ作曲はフォーク歌手の吉田拓郎で、拓郎が北海道を放浪していた時の実体験にもとづいて(岡本おさみ作詞)作られたのが、落陽。みやげにもらった~♪サイコロふたつ~っての↓「落陽」吉田拓郎 私が吉田拓郎を知ったのは、子供の時に大ヒットした結婚しようよだけど、この落陽が一番好きかな北海道と聞いて思い出すのは、やっぱ松山千春だけど、それはなかった、残念。しかし大好きななかにし礼作詞による石狩挽歌とかも紹介された北原ミレイ 石狩挽歌 石狩挽歌は、なかにし礼の幼少期の実体験だそうで(作曲は浜圭介)で、北原ミレイで大ヒットをしたがその後も、多くの演歌歌手に歌い継がれているとかなんで、あの頃の歌はどれも心を打つんだろ。今の歌は20年、30年後に歌い継がれるものだろうか?朱里エイコの北国行きなんて、ほんとドラマチックでちょうどトイレで居なかった旦那に、朱里エイコのをやってたよ(別の歌手だが)と言ったらがっかりしていたし。ユーチューブで旦那に見せてやろっと↓朱里エイコ「北国行き」つ~か。エイコさんのミニスカートがすごすぎる!人の心を揺さぶる情感たっぷりというか、歌を聴いているだけで、その情景が目に浮かぶドラマ性などもあったように思われるのだが。そんな訳でもう一つの襟裳岬を歌ったお千代さんですよ。旦那が子供の時に祖父に連れられて見に行ったそうですよ。島倉千代子のコンサート『東京だよおっ母さん』島倉千代子 そこでも、きっと歌われたのが「東京だよおっ母さん」野村俊夫作曲、船村徹作曲でタイトルのように、東京を代表するご当地ソングの一つだ。え? 北海道がテーマなんだし、北海道の写真は?って北海道は子供が小さな頃、今は亡き母親や姉と一緒に行った事があるけど、当時はフィルム写真だったし家族写真ばかりで、ここでは紹介も出来そうにもないので、場違いにも北海道なのに先日出かけたばかりの東京は、皇居の写真を紹介をさせていただいたつい最近紹介をさせていただいたように、NHKの番組収録のスタジオ観覧に当選し、東京へ出かけ収録まで時間もある事だし、久しぶりに皇居付近をうろうろ見学をさせていただいたのだ ↓「台風目前にひやひや! スマホデビューにNHK!今年の9月のいろいろ。 」歌でもうたわれた二重橋は、ウィキペディアによれば>東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である>正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に>架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもん>てつばし)である。って事で、この橋なのだが>戦前の書籍にも二重橋に正門石橋の写真を用いるものが>多く、一般には正門外石橋と正門内鉄橋の二つを併せて>二重橋とする総称が用いられ、「宮城正門の二橋、一は>石を畳み、二は鐵をもって造る…」と親しまれてきた。また>同様に、皇居前広場を二重橋前広場とも言った。って事で、奥の橋が二重橋だけど、どうしてそう呼ばれたのかというと>青銅製の擬宝珠の欄干の付いた木造橋で、壕が>深かったことから途中に橋桁を渡してその上に橋を>架けるという、上下二段に架けられた二重構造で>あったことから、「二重橋」と呼ばれるようになった。>現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替え>られたものといった事情があるようだ。たぶん知ってらっしゃるとは思うが念の為、天皇陛下が長らくおいでになったのは京都で、明治維新で江戸城であったところを皇居としてお住まいになっているので、皇居にも江戸城の遺構がいくつも残されているその代表格にもあたるのが、桜田門であろう。あの名高い桜田門外の変でも有名な江戸城の門であるまっ今なら「サクラダモン」とか聞くと、目の前にある警視庁を意味しちゃう事も多いかもしれないけども>江戸幕府の大老井伊直弼や老中間部あき勝らは、>勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また>将軍継嗣を徳川家茂に決定した。安政の大獄とは>これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件で>ある。弾圧されたのは尊王攘夷や一橋派の大名・>公卿・志士(活動家)らで、連座した者は100人>以上にのぼった。>安政7年3月3日に江戸城桜田門外で水戸藩からの>脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、>大老井伊直弼を暗殺した事件。幕末好きの私には、京都の蛤御門と、ここ桜田門は興味深い存在だ。そうそう吉田拓郎だけど「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」(武田鉄矢主演)で高杉晋作やってたし桜田門を出れば正面には警視庁。堀の奥には今の国を仕切っている人たちがいる国会議事堂もし井伊大老や吉田松陰らがタイムスリップしたら今の日本をどう思うんだろうか。日本のかじ取りをして貰うのなら誰?とか、思いもするこれがサクラダモン。いや警視庁。私的にはテレビ朝日の相棒で見る事が多いけど、何でもこの秋からシーズン15が始まるそうだけども鑑識の米沢さんがレギュラー外れるそうなのでかなりショックだ相棒の反町さんの冠城亘(元法務省キャリア)は続投のようだけど。その上司だった法務省の日下部彌彦事務次官がいらっしゃるのが、警視庁の向かい側に位置する法務省で、このレトロな建物は法務省旧本館である詳しい事は、↑をお読みください以前は、米沢藩の江戸藩邸があった所であるらしい名君として名高い9代藩主の上杉鷹山が、破たん寸前であった藩の財政改革の案もここで練ったとされる。ケネディ大統領が来日した時に尊敬する日本人として名前を挙げたと言われているそうだ為せば成る、為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり とは、鷹山の言葉だやっぱ幕末の志士より、鷹山に日本経済を立て直してほしいような気もするし旧司法省庁舎として建てられた旧法務省本館ですが現在も現役で、中央合同庁舎第六号館赤れんが棟として業務が行われてますが、その一部分が「法務史料展示室メッセージギャラリー」として一般公開をしているそうなので見学をさせて貰った内部は撮影禁止なのだが、平成2年まで大臣執務室であった部屋には創建当時のレンガの壁なども使われているのが印象的だった。キムタクの映画HEROでもロケで使用がされたようで、大きなパネルが飾られていたし 平成28年9月に撮影
2016年10月03日
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何かで「一生行かないんだろうな〜と思う都道府県ランキング」というのが実施されて、岐阜県は結構な上位にランキングされていた。まっ東海道新幹線に乗れば、下車する事はなくても、おのずと岐阜県は通過もしているんだけど、通過と目的地ではかなり違うのも現実ところが今秋、一部の人たちにとって岐阜県は行きたい県となっている。それと言うのもアニメ「君の名は」の舞台とされているのが、東京とここ、岐阜県飛騨市(飛騨古川)だというので映画を見たファンがその余韻に浸る為に大挙して、飛騨市へ出かけているというのだ 岐阜県といっても、日本海側にも近い北の方に位置しており、我が家からでは車で2時間半程かかるが、素敵な街並みが残されてもいるので2度、高山に行ったついでにのぞいた事があるとは言っても「君の名は」の聖地巡礼ではないので、駅舎からの光景とか、図書館など見るべき所などは行ってもいないが。ここはかつてNHKの朝ドラ「さくら」のロケ地でも有名でもあった最近のアニメは町おこし的な意味合いもあるのかモデルになった町並みなどが忠実に再現をされそこに行けば、まるでアニメの世界観に入り込むような気持ちとなる。それを聖地巡礼と言うのだが現在公開中のアニメ映画「聲の形」では、岐阜県大垣市が舞台となっているそうだ信州松本同様に市街地に地下水が湧き出る水の街。夏場の水まんじゅうを食べたくなって関西帰りに2度程立ち寄った事がある。他にもアニメ映画「ルドルフとイッパイアッテナ」でのルドルフは岐阜市出身であるんだとか 岐阜市も今までに何度か出かけてはいるというのに、ここやフォト蔵で写真が見つからなかったので、名産品の岐阜提灯こちらは美濃和紙でできたぼんぼり。関の刃物といい、美濃には様々な伝統工芸品が残されていたりもする。娘が大学から最初の就職などで長野県に住んでいたので、娘のアパートを別荘代わりに行楽に出かけていたので幾人か、私が長野県民だと思っていらっしゃるようだが私は生まれも育ちも「岐阜県人」である。とは言っても住んでいる中山道「馬籠宿」は今でも。木曽であるし平成の合併で長野県木曽郡から、岐阜県中津川市に変更になったばかりで、一時期は長野県民であった訳だけどこちらは木曽川を、福沢桃介がダムでせき止めた景勝地「恵那峡」で 右側が私の生まれた岐阜県恵那市で、左側が現在地の岐阜県中津川市だ赤い橋のずっと奥の方に馬籠宿があるこちらは、飛騨川の上流にあたる益田川の渓谷で石英斑岩の塊状岩が断崖絶壁を形成する中山七里 飛騨川には、釣り人の姿があちらこちらで見られ夏の風物詩である。岐阜県を語るのに相応しいのは自然豊かな山間を縫う清流。そして点在をする風情ある町並みか山間の東白川村では毎年5月3日に、未確認動物(UMA)のひとつである幻のツチノコを、捕獲賞金をかけて見つけるイベントもしていたり、どんだけ山の中なんだって事だけど 真夏の夜に夜通し、盆踊りを踊りあかすのでも有名なのが郡上八幡。長良川の上流に位置し奥美濃の山々から流れ出た吉田川へ橋の欄干から飛び込むのもまた夏の風物詩である先程の美濃和紙でも有名な美濃市はうだつのあがる町並みが残されている。うだつとは屋根の両端に作られた防火壁で、江戸期に豪商らがその富を競い合うように立派なうだつを設けた事から、成功する事をうだつを上げるとも言った 岐阜県には国宝建造物3件、国宝美術品4件、国の重要文化財149件あるそうで、岐阜県多治見市の夢窓疎石ゆかりの虎渓山永保寺の開山堂、観音堂(写真)が国宝で、岐阜の片田舎で都気分その山の反対側にあるのが、カトリック真言修道会(神言会)の多治見修道院で、周囲にブドウが栽培されており地下にはワインの醸造、貯蔵庫があるとか内部礼拝堂は撮影禁止だが見学もする事も出来るこの多治見のあたりは日本有数の焼き物の産地で日常使いの茶碗や、どんぶり、皿、徳利・・・などなど美濃焼として全国で親しまれている近隣の瑞浪市には、ギネスにも認定をされた世界一大きな美濃焼の狛犬が鎮座しており、他にも世界一大きな美濃焼の皿や、世界一大きな美濃焼の茶壷なども都の人のようにきらびやかな雛人形は飾れないが焼き物の地域であるだけに、昔は土雛などがどこの家にも飾られていたそんなひな祭りに欠かせないのが、家々で手作りされていた「からすみ」だ。富士山の形をしている岐阜県の美味しいものといえば、やっぱ栗きんとんが外せず、中津川市や、八百津町で食べられてきた更に柿も岐阜県の名産品冬場の寒暖の差が激しい岐阜県恵那市の山間部の山岡町では、寒天干しも行われている。奥の白い山は恵那山だこの近く岐阜県中津川市阿木ではシクラメンの栽培が有名であるが夏には里に大賀蓮なども咲いている現在、リニューアル改装中で休館中なのが、岐阜県各務原市にあるかかみがはら航空宇宙科学博物館でなんでも鹿児島の知覧に長らく貸し出していた旧日本陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」が戻ってくるそうなので今から楽しみだこの機体は1944年に川崎航空機岐阜工場で製造された飛燕Ⅱ型の試作17号機で、米軍に接収されて遊園地での展示や、航空自衛隊岐阜基地で保管をされてきたものだとか。晩秋には岐阜基地で航空祭も開かれている 岐阜県はクローバーのような形をしており、私の住む東濃地方と、関や美濃市は中濃、岐阜市や大垣は西濃、あと郡上などは奥美濃と呼ばれておりそれぞれが同じ美濃でも、それぞれに文化なども違っていたりするそれもそのはず今はケンミンだとか言って県で区別をしたがるが、江戸時代までの藩とか道国などで文化は発達し伝播もしてきた。そして同じ岐阜県でも美濃と一線を画すのが飛騨だ世界遺産にも指定をされた白川村の合掌集落大昔は飛騨国だったし、一時期は美濃ではなく信州松本、木曽他と明治4年の第1次府県統合で筑摩県だった位だし。飛騨が舞台のはずの白線流しはドラマでは松本が舞台、先程の飛騨古川に赴任したさくらは松本からバスで奥飛騨超えてたし、飛騨の少女たちが野麦峠を超えて諏訪方面の繊維業の女工になったのもそんな事情もあったのか尾張藩に属した木曽、馬籠宿もやはり筑摩県であったそうだし。確かに山深い飛騨の人たちは木曽の人たちと文化圏は似ているような気もする。漆器とか山で生計をたてていたりする。写真は奥飛騨、この向こうは信州松本そんな筑摩県も僅か数年後、松本城にあった筑摩県庁が火災で焼失し、飛騨は岐阜県へ、松本など信州側は長野県に編入される事になった余談であるが信州松本が、長野県と言わず信州とか信濃といい、長野県の県庁所在地のある長野市と仲が悪いのは、このような筑摩県庁の所在地であったという部分もありそうだ最近は外国人に人気の飛騨高山。うちから車で2時間あまりと日帰りにちょうど良いので、毎年のように出かけ食べ歩きをしていたりする。やっぱ厳しい冬の時期が似合うかも岐阜県には全国にも名高い桜がいくつかあり、飛騨一ノ宮駅の近くにある樹齢1,100年を超えるといわれる「臥龍桜」は淡墨桜、荘川桜と並んで、岐阜の三大巨桜としても知られているいかがでした? 山紫水明岐阜の旅。ぜひとも岐阜県へいらして下さい。そして私は岐阜県民ですのでヨロシク~! 桑の実の木曽路出づれば麦穂かな ( 正岡子規 ) これまでに岐阜県内で撮影したものにほんブログ村
2016年09月28日
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せっかく午後に2時間近くかけて、家の進捗状況を書いていたのにファイヤーフォックスのブラウザーが固まってしまい電源落として、履歴から復旧しようとしたが出来ずに消えてしまって落ち込む。こうなったらドラマでも見てふて寝でもしようと思ったが、気分を変えて軽めの先週末の話題でもその日は地元でもお祭りがあったけど、娘と二人で出かけた先は、お隣の恵那市のお祭りで。なんでも10月9日はトラックの日だそうだが、それに関係があるのかないのか、お祭り会場にやってきたトラックはかのダカールラリーで走行したものらしい秋の収穫祭を思わせる、みのじのみのり祭りは以前は松茸などを炭火で焼き味わう「秋の味覚焼き」で有名だったりもする松茸ご飯を求める長い行列ができていた。まっ、松茸といっても、お隣の中津川市蛭川地区で採れる天然物は地権者もしっかりしており、山に面した道には立ち入り禁止といった感じで、蛭川に親戚が二軒あるけれど私も1度も食べた事もない。松茸ご飯のものは一般普及品と思われるもちろん松茸ご飯以外にも、様々な地元の美味しいものが食べられるので娘と食べたのは「イモごね餅」。このブログでも1回は紹介したと思うけど、半殺し(適度につぶした)にした里芋とご飯でまるめた団子を焼いて、味噌や醤油で味付けしたものだ。珍しく娘がおごってくれた恵那駅に行くと祭りに協賛してなのか、ここから明智駅までのびる明知鉄道がワンコイン100円で乗車できるイベントをしていたけど、娘、それに乗りどこに行くの~と乗る気にならず断念え? 100円で岩村や大正村に行けるのに。これ旦那とだったら乗った事がないって前から言ってたしきっと乗れたんだと思うけど、旦那は家で農作業実は秋分の日に、有休を足して旦那は4連休だったけど、3日間は雨ばかりで、最終日にやっと晴れて農作業が優先って事でまっ晴れたら舅の監視下で田畑の仕事などを休みなくさせられたので、雨が3日も降った事で逆にお出かけも気兼ねなくできて旦那には良かったのかも。あの後姿は恵那名物の栗、松茸、そして秋の銀杏を背負った恵那レンジャーだ。何やら啓蒙活動をしているみたいだがその注目度は低い・・・こちらは銀行のマスコット? 奥で茶色い四角いものを持ち上げている青年がいるが、あれは1億円の大きさ、重みを再現したもので、私も娘も持ち上げたオータムジャンボ、今日からだ!今回のお土産はどれもがワンコイン100円で、全部で400円で購入。やっぱり秋はグルメなイベントが一番しかもお金もさほどかからないのも魅力だしこれは、その二日前の金曜日。旦那は有休をとり平日なので、住宅財形貯金の解約関係の書類を貰いに役所などをまわった後に、お天気も悪い事だし、そのまま遠出をしようと、やってきたのはお隣恵那市にある道の駅らっせいみさとここの「そばの郷」のお蕎麦がうまいと、土日などは近寄れないくらいなので、平日ならばすいているだろうと昼には早いが出かけてみた。壁にはサインがずらりと娘が松本にいた時には、ここの蕎麦、あそこの蕎麦。行きに蕎麦、帰りに蕎麦って感じだったけど、こちらは蕎麦屋も少ないし、娘と一緒に出かけると、まず蕎麦屋には寄らない期間限定の地元の三郷で栽培をされたモロヘイヤを使った青トロ蕎麦を食べてみた。旦那は普通に冷たいお蕎麦。旦那はどろどろ、ねばねばは苦手なのだお蕎麦を食べたら、そこから足を延ばして瑞浪市の山間の曾木にあるバーデパークSOGIへ。平日お昼もう露天風呂も独り占め。ここには織部焼や、志野焼の一人用の巨大な風呂桶があるのも、なかなか楽しい話の流れで前後するが、その日の一番の目的であった中津川市役所の玄関先にもサイン色紙があって、今年の大学野球で初出場でありながらも日本一になった地元の「中京学院大学」野球部凱旋パレードもあったけど行けなかったそして中津川市といえば、やっぱリニアモーターカーの数少ない停車駅に選ばれたのが市民の自慢だが、リニアは公務で出張中みたいだ先日も伝えた中津川市の駅前に大きな繊維工場があったのが撤退し、その跡地を借りていたファミリーマートと統合したばかりで、目下再編中でもあるユニーグループのアピタ中津川店。土地の賃貸契約で揉めただけで、黒字収支でもあった事から、週末の広告には中津川の土地を探しています!との告知実際、食品メインのスーパーとか、格安洋服チェーンはあっても、普通に生活用品全般も購入できるショッピングセンターは、アピタ中津川店が撤退すると市街には何もなくなってしまうのが現状。土地が見つかりますように・・・その応援の意味からも、バ○ーではなくアピタで今日もお買い物(写真はちょい前に)中津川市で元気の良い企業といえばスーパーなどで売られているスプラウトやチコリで有名なサラダコスモで、本社は「ちこり村」といい直売やヘルシーなレストランも併設をしている。店名にもある「ちこり」という野菜が押しポイントみたいでちこり(チコリー)とはキク科の野菜で、高さ数十センチから背の丈くらいになり青い花を咲かせ、その根には独特の苦みがあり、暗いところで発芽させたものをサラダや料理などにも使われている。爽健美茶にも入っているそうだ。なんでも敷地ではポケモン採取はOKみたいだそんなサラダコスモ自慢のスプラウトのサラダのみおかわりOKのモーニングに娘と出かけた。もやしなども種類が違うものがあったり、お豆がコリコリとしてておいしいこれに幾種類かある飲み物を選んで、500円だが飲み物なしでも400円って、もはや飲み物がおまけみたいなモーニングセット。まっ、水やお茶も飲めるし手前にある黄色いのがチコリーの発芽したものだがこの芋を使って、ここでは芋焼酎も作っているそうでモーニングを食べて、売り場をちょこちょこ見ていたらお話の上手な気さくな販売員のお父さんが、黒酢を試飲させてくれたんだけど、その流れで娘のみが朝っぱらから焼酎を3種、試飲させてもらう。度数が高いから冷凍しても凍らないという44度の焼酎は、女子にしか出さないという冷やしたこじゃれたグラスで更にはペルーの国民的なお酒である「ピスコ」を作る日本人移民農家の三世の方が、日本で「ピスコ」を普及させるべく奮闘中。どんな飲み方があるのかを娘、またもや試飲。なかなかとっつきやすいお酒だしリキュールなどにももってこいかもしれない。うむっ私も飲んでみたかった。一応ブランデー表示だったこれは別日に娘と出かけた中津川市内のモーニング!ちこり村の近くにある「カフェ文椿」で、ずっと前に旦那と一度だけいった事があるが、娘がネットで目ざとく見つけ行きたいといってたお店だうちにも(懸賞で当たって)ある高級なミントンのカップだし。うちじゃ痛めたらいけないと思いしまい込んだまま1度も使っていないかもしれない。コーヒーの他にも「チャイ」とかこじゃれた飲み物があるので、娘も喜ぶその飲み物代だけでこのようなイングリッシュマフィンのサンドイッチやミニのデザートがもれなくついてくる。やっぱり岐阜県民は早起きをして、モーニングに出かけるのが休日の正しい過ごし方最後に、これは映画を旦那や娘と見に出かけた時の瑞浪市の直売所きなぁた瑞浪にある農家ダイニングさくらのモーニング。和風。食べた中ではやっぱここのモーニングが一番、ボリュームがあるような気もする具だくさんの豚汁つきだし土日は飲み物バーもついていて、飲み放題でのモーニングセット付きで500円.今まで旦那は来たことが一度もなくて、今回がデビュー。洋風モーニングを頼んでた。ここで食べるとお昼にはお腹が減らず、ランチタイムも終わった午後2時過ぎてのお昼ご飯になるのが玉にキズ 平成28年9月中旬に、近隣で撮影にほんブログ村
2016年09月26日
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はや9月も残すところ10日程。中秋の名月はなんとか見る事が出来たが、とにかく秋の長雨なのか、相次ぐ台風の為が雨の日が多い台風は日本列島の南側を掠めていく模様だ。今だ風などもそよっとも吹かず、台風直撃かも?と心配をした旦那が2階ベランダの物干し竿までもしまっているので洗濯物は室内に干すか。って、2階フリースペースの室内干しも悪天候が続き、昨日、一昨日のがあるしっ実の話、風呂場にガス式の浴室暖房乾燥機があるしそれで洗濯物も乾かせるんだろうとは思うが、ガス代いくらかかるんだろ?とか考えると、入居4ケ月だけど一度も使っていない換気は旦那の好きな24時間、窓を開けて(脱衣所やトイレも)対処している。そんな訳で今日の洗濯物は娘のアパートで使っていた室内干しをダイニングのエアコンの前に設置しての、除湿での室内干し気休めかもしれないが、少しでも湿気が取れるよう洗濯物の下には新聞紙を広げておいた普段から和室のシャッターは降りているが、舅や姑のシャッター半分だけ下しているし。私は夕方からだと思うので、そのまんま自然光。1階は大きな掃き出し窓にはシャッターを付けて貰ったが2階のベランダに面した掃き出し窓の3枚は、設置のオプション費用3つで16万にびびり旦那は迷うが設置せず。舅は台風の時どうする!と怒るが、まっベランダの奥だしね。でも冬の防寒を考えたら付けたら良かったかもしれない。少し、後悔例年であれば、JA(農協)の大型コンバインで稲刈りも終わっているのに、今年の9月は雨ばかりで田んぼも乾かず、3連休に刈りに来てくれたのに途中で断念し台風がいったら、また来るわってこんな半端な感じで残されたので、いっそ刈ってない方が台風の強風で倒れないかもしれなかったと旦那これから、やってくる台風にびびっている。毎年9月台風と稲刈りでやきもきさせられているそんな9月はどたばただった。世間ではアイフォン7も発売されてノイズがあるとか騒がれているが、春に出たばかりのアイフォンSEが、型落ちで安くなっていると旦那がドコモの広告で見つけ、しかもスマホデビューのユーザーは毎月の料金も割引があるらしく、これは私も買い替えるしかない?って訳で、ガラケーからスマホデビューしました。普段はノートPCしか使わないので、電話、メール、ライン位しか使わないし、片手で軽く持てるコンパクトなサイズがナイスです。古いガラケーを下取りして貰い、僅か5千円以下で機種本体の購入が出来ましたよ毎月の料金は、旦那が親機で1万円程の10ギガのパケあえ~るを息子とシェアしていたので、私もそれにそのまんま入ったので、通話毎回5分まで無料、家族とは何分でも無料というのもあり、はじめてスマホ割で2年間850円割引も使え1600円程って、ガラケー料金とさほど変わらず。あっ、娘はキャリアに見切りをつけ一人で楽天モバイル。やっぱ月に1600円位そんな買ったばかりのスマホを持って、私がやってきたのは忠犬ハチ公ならぬ、忠犬ハニ公?なんてスイーツも食べる事も出来る東京は渋谷です。あっ食べた訳ではありません。一人ではとても食べられないですリオオリンピック閉会式で、日本のプレゼンテーションで冒頭で女子学生が登場し、安倍マリオが土管からリオへ向かった渋谷のスクランブル交差点は世界的に有名であるようだけど、私が向かったのはそこから徒歩で10分ほどのNHK放送センターですわ吉田拓郎、井上陽水、南こうせつ、さだまさしファンのフォークソング世代にぎりぎりで乗っかっちゃった旦那が喜んで見ているNHKのBSプレミアムで不定期で放映している「ザ・フォークソング青春のうた」のスタジオ収録観覧者募集で当選したので、のこのこでかけたのです旦那は仕事があるので(その日から仙台出張)、もともと姉とでも行けるかな?と応募したので、当選したと聞いて姉も久々に東京だ!とか喜びまして、新幹線の行きの切符を手配したり、ホテルは小田急センチュリーサザンから新宿御苑を見下ろして~なんて準備をしていたら出かける2日前になって、姉から老人施設に入っている高齢の姑が体調を崩し入院をしたから行けないとの電話あたふたと駅へ行って行きの姉の分の新幹線の切符を私の帰りのものに変更して貰って、二人部屋で予約した高級ホテルも、シングル朝食付き税込み5千円ポッキリの池袋のビジネスホテルに変更まっ仕方がないわな・・・と一人で上京。渋谷へとやってきた訳です。収録はは10月9日(日)と10月16日(日)の午後10時50分から2回分を、同日の午後と夜にわかれ収録がありまして ( 詳しくは下記リンクから )果たしてどちらに行こうかなって迷いましたが「ザ・フォークソング~青春のうた~」公式ホムペばんばひろふみ、小室等と六文銭09、ピンクピクルス森山良子という午後の部(10月16日放映)にしましたあと南こうせつ、なぎら健壱、坂崎幸之助といった面々でしたが、コメントのみで夜の部の泉谷しげるも登場局の廊下移動中には、伊勢正三が真横を通り過ぎた(敬称略)ああいった番組収録の観覧って、来ても7,8割だそうで収容人数より多めに当選はがきを出すそうだけど、今回すごくやってきた人が多くて、パイプ椅子を歌手の横にも並べて追加。昔のライブハウスを意識したステージなのでホント、ステージが近くで数メートル先って感じでしたわ7000名の応募で700名(2ステージ合計)の当選だそうで私は集合時間の40分前位に並んで60番目位だったかな東京は交通機関が便利すぎるのか名古屋とかより、並ぶの遅いね(ギリギリだね。遅れるとか) NHK内部をスタジオまで移動するんだけど、楽屋とか衣裳部屋とか、お~~!なんだか見学気分並んだ順番に、まずはステージの真ん前あたりの席を1列、2列と埋めてから、今度はステージを見渡せる後ろの階段席、そしてステージの真横の席にって案内で、私は最初の方なんで、3~5列目あたりですよ(探されると嫌なんでぼかす) なぎらさんと坂崎さんのコーナーの方はなぜだか10月9日の放映なんだって小学校高学年のキャンプで、フォークソングを歌いフォークダンスを踊ったり、生ギターで音楽教師がビートルズを歌って悦にいったりしたギリギリの時代な私だが、神田川よりサザンオールスターズとかオフコースなど少し後の時代感覚だけど、旦那がフォーク大全集15枚みたいなのを買って、車とかで聞いてたんで全盛期は生では知らなくても、大体知ってます。歌えます。高田渡も知ってます。なんといっても中津川の椛の湖では人間なんて~♪と吉田拓郎が2時間も歌った聖地ですから興味もありましたし。なぎら健壱さんも、ここで飛び入りで参加したのがデビューしたきっかけだったんだとか。小学校に入った頃でしたが学校で危ないから行くなと教師が言ってた記憶がお相手の坂崎さんは、ハイ。私はアルフィーのコンサートには行きましたし。写真集も買って記念のサイン会では握手もして貰いました。ばんばさんは京都に家族で出かけた時に他局の番組収録で、桜が咲くお寺で生演奏を見れたのが懐かしいやそんな中で小室等と六文銭09の、雨が空から降れば~♪私が子供の頃に好きだった歌です。かぐや姫のレコードに入ってまして、これ吉田拓郎も歌ってんだ。ええ歌やもんNHKのみんなのうたにもなってたみたい。という訳で10月の日曜夜はBSプレミアムでフォークでも聞いてみいて下さいそれにしても事あるごとに、喫茶店にはいって彼女とコーヒーを飲む事、これが青春!とか、唐突に言い出す旦那には閉口写真はいつの間にか渋谷から離れ、東京駅になりました姉と一緒ではなく私だけになったんで仙台出張の旦那を早朝に駅に送ったついでに、私も同じ列車で東京へと(新幹線は別席でしたが) だから10時前には着いたので、しばし東京駅構内の見学東海道新幹線の起点にあたる距離標(キロポスト)も偶然、見つけましたよっこちらには何やら東京駅の展示もありますし。大正3年12月20日、皇居の正面の原野に東京駅が作られ、関東大震災でも大した被害はなく東京玄関口の役割を長くはたしてきたが、太平洋戦争の東京大空襲でレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったものの、屋根は焼け落ち内装も大半を失ってしまった終戦直後から日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復が行われたが、真ん中の柱は東京駅の材料不足から潜水艦の潜望鏡を使ったものだとか。近年になり創建当初の形態に復元する方針がまとめられ、丸の内地区の高層ビルの建て替え事業と並行し復元工事が行われ、2012年、遂に創建時の東京駅の姿になったのは記憶に新しいてな訳で、話題は変わります。三連休に旦那の運転で車で2時間以上もかけて、岐阜県関市のマーゴまでドライブの目的は映画ですよ。岐阜県飛騨市の人達が聖地巡礼でアニメファンが飛騨市に来てくれるけど「君の名は。」は、映画館には岐阜市や富山市まで車で1時間半もかかるので、まだ見ていないというように我が家でも一番近くで飯田市の小さめの古い映画館で1時間名古屋や春日井、松本、関でも2時間はかかりますわ。もう一日がかりですね映画を見るのも。娘はそんな岐阜県飛騨市が舞台になっている「君の名は。」が見たくて、割り引きもなく1800円!旦那と私の方は、これも評判が良いという「シンゴジラ」を大きな画面で見たいからと、50歳以上の夫婦(一人でも)であれば夫婦割りの二人で2200円(笑)。娘に300円援助してやりました。そのシンゴジラでの最後の戦場となったのがここ東京駅ですよリアルさに拘った作品だけに、東京駅はもちろんですが周囲のビル群とかもそのまんまに。見た人は「あぁ~私の職場のビルが破壊された~~!」となるんだとか。また今回のはゴジラ対日本国という事で、霞が関の官僚とか内閣とか、エライ人たちが前代未聞の事態に右往左往するというのも面白いという事で朝ドラの洋食屋の親父や、家電社長がそろって迷彩服だぁ~とか、はじめまして愛していますの眼鏡のさえない児童相談所の中年女職員が、やり手の防衛大臣じゃん!って感じで豪華なキャストにワクワク。最近のアニメの実写化にはかかせない主人公役の長谷川博巳よりもやっぱ私は、やり手の若手政治家を演じた竹野内豊ですかなにせ2015年度の「世界で最もハンサムな顔100人」にもランクインしてるそうだし。(他に赤西仁と金城武)東京駅の横にあるJPタワーは、低層階に旧東京中央郵便局の一部が残されており、紀元2591年の定礎が。ちなみにゼロ戦は皇紀2600年にあたるから下二ケタが00であるから命名そんなゼロ戦、先ほどの新しいスマホの画面にしてます皇紀とは神武天皇が即位した年から数えたものであるそうだ。ちなみに今年は神武天皇即位紀元2676年だとか。丸の内を横目に見ながら久しぶりに皇居付近をうろついてみますか。さて、こうして東京一人旅が始まりました。お次にご紹介するのは果たして?そうそう旦那の勤続40周年の旅行だが、30周年の時は夫婦で沖縄に出かけたけど、今度はどこへ行くかと思案中一番行きたいのは台湾ですが、パスポート取るのが面倒だし私は四国に行きたいのに、旦那は修学旅行で行ったからと言い、じゃ東北は?と聞くと仙台に出張いつも行くしっとかんばしくない答えで、まとまらず 平成28年9月に撮影台風、愛知県に再上陸した模様にほんブログ村
2016年09月20日
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今日まで旦那は仙台の出張である。8月のお盆明けから神奈川、神奈川、仙台と三回15日は家にいないので高いところにある神棚の神様にお水をお供えするのは息子の仕事。ご仏壇の仏様には私がお水、お茶、ご飯をお供えするのだがうちの娘がノンカフェインに拘っており、緑茶ではなくハーブティを、甘味料なしストレートで飲んでいるのでうちの仏様はペパーミントティーなんてこじゃれたものを飲んでいらっしゃったりもする。台風の影響もあるのか秋の長雨かお天気も芳しくはないが、昨夜は十五夜の月が見れた(鳥の写真は3年前の松本アルプス公園)家づくりの日記、今回は昨年末あたりに施工がされた家の外壁についての一連の作業だ。棟上げの日は雨の予報で、柱が立っただけの家の側面には青いシートがまかれていた。その状態で大工さんも入り、屋根にも瓦の職人さんが作業をされていたトンントントンと大工さんが青シートで包まれた家の中の作業も進んでいった11月の頃、そろそろ次の段階に移ったようで、私が見に行かなかったうちに家はフクビスーパーエアテックスKD30が青シートのかわりに巻かれていた。これはフクビ化学という会社の結露を防ぎ建物の寿命をのばす「透湿防水シート」だそうですよ新しい家には色んな新素材の建材が使われています。その特徴は外部からの雨などの水分が侵入するのを防ぐ防水性家の内部からの湿気は通す透湿性を兼ね備え、結露を防ぎ構造材や断熱材を守る透湿防水シートなんだとか更には外部からの冷気の侵入を遮断、内部の暖気は逃さないという保温性も期待できるそうで高気密、高断熱の現代の家には必要な建材のようですよ。これらは「外壁通気工法」とゆうものだそうで、外壁にサイディングなどを使用する場合は施工する事が義務づけられているそうで室内の湿気を入れない「防湿気密シート」(断熱材の入った袋の表面)→夏の暑さ、冬の寒さを外から遮断し逆に室内の冷気、暖気は逃さない「断熱材」で→この「透湿防水シート」をはったその上には、大工さんが今度は何やら細い板を打ち付けていましたシートと上にあるサイディングの間に、この板をはることで隙間(通気層)を作り、壁内に入り込んだ湿気を外壁の外側に排出する事で、壁内結露を防いで建材を守るものだそうです外壁のサイディングの一番下には隙間が作られており先ほどのシートとの間に設けられた通気層につながっているそうですこれが、こうなって・・・・そして上部の軒下に穴がたくさん開けられておりここから通気層に入り込んでいた湿気などが外部に逃げていくのだとか話の流れでサイディングをはった状態を、先にお見せしちゃいましたが、この頃、家にサイディングが山積みされていましたその施工、見る事が出来なかったし! 次に出かけた時には既に出来上がっていました。残念。私も張り付いている訳にもいかなかったし舅&姑や、隣の奥さんの方がずっと楽しめたかも。さて外壁ですが既にブログでも紹介をしたように、この工務店は家の美観や今後のメンテナンスもふまえてタイルの外壁を採用していたにもかかわらずのサイディング。和風住宅にはタイルは似つかわしくないっていう地元の重鎮の一言だけで、サイディングになっちゃいました↓詳しくは下記リンクでお読み下さい「人は楽しみだねと言うが、夢の家からますます離れていく現実」以前のものよりも高性能になって、期間も長くなったとは言えサイディングはメンテナンスしなきゃいけないのには変わりはないのになぁ。和風住宅に似合う「しぶき」という無難なものはニチハの高質品外壁材モエンエクセラードといい、付着した汚れを雨水で繰り返し落とせるセルフクリーニングや、藻やカビの生育を抑制するマイクロガード仕様なんだとかサイディングのメンテナンスはシーリングの劣化によるものが多く良いものを選びたい。これはニチハの超高耐久シーリング「プラチナシール」で、水、湿気、熱に強い接着性があるそうで長期間にわたって建物内への雨水の浸入を防ぐんだとか。15年保証らしいけど、それよりもずっと持つみたいだ。サイディングともども30年近くはいけそうらしいがはげたスレートの屋根とか、色あせた外壁とかやっぱりへたった家は美観を損ねてもしまうが、年配のご家庭とか高額なリフォーム費用のねん出もおいそれと出来るものでもない。親戚のお宅は某工務店系で築10年ちょいで外壁直し300万。ハウジングメーカー系20年のお宅は全面なのか1千万! 新築の住宅ローンが終わる前にリフォームのローン開始?今は亡きオンボロ木造住宅だって、屋根変えて、床張り水回り直し、あれやこれやとお金を定期的に使ってるし建てたら終わりにはならないのが家。そのあたりも考え息子にも今からリフォーム貯金も考えさせなきゃ。あらツバメ、猫だけじゃない。ハチも巣を作ろうとしていた(撤去済み)玄関先は御影石。家の中はピカピカだけど、雨に濡れる可能性のあるポーチの方は滑らないように少しごつこつした表面に加工されるんだとか。うちは大きな見本のあるお勧めの桜御影石にした 写真が~。普段使いのノートPCが熱くなって突然、電源が落ちるので違うものでネットしているので、ここ1年間の建物写真が全然なくてブログの使いまわしで。写真を整理し外付けHDDに移さないと心配だ。前みたいにグーグル+の写真が使えたら便利なのににほんブログ村
2016年09月16日
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遡る事25年程前。旦那と結婚して古い木造家屋で(それなりにリフォームはしてある)オンボロ家付き親付き(夫々の親戚も)、田畑付き(濃厚な田舎のつき合いも)という、今思えはハイリスクな新婚生活では最初は4万円を家に入れてくれとかいってた姑だが食事などの買い物だって別々なんだし子供も生まれれば、こちらのほうが物入りなので、程なく家にお金を入れる事はなくなったが、間もなく舅も定年を迎えるので、お金もなくなると姑がぼやくので名義とかは舅のままで、月々の主な光熱費(電気や水道、電話)などの支払いを、旦那の口座から引き落とすようになったあれから25年。旦那は間もなく定年だが、光熱費を息子に払ってほしいなんて、とても言えないし。独身とは言え、息子も数万円台の住宅ローンの支払いもあるし、春あたりから会社内での部署が変わり、夜勤や残業も(殆ど)なくなったから手取り↓↓ 休みだけど昨日も今日もおこもりでプラモつくりだ・・・。名古屋へ遊びに行かないのか?と聞いたら、「暑いから」ってそっちかい!!とは言えど舅は定年で仕事を辞めてもすぐに年金を貰えたけど、旦那は厚生年金報酬比例部分は63歳で基礎年金は65歳にならないと貰えないし。だからと言っても定年は60歳なまま。安く定年後に雇っては貰えても1年更新みたいな感じで会社の業績により雇い止めの可能性だってあるし昔の退職金は海外旅行だなんだと、少しは贅沢が出来たかもしれないが、今では年金までのつなぎに消えて、老後の資金にすらなりもしないし。せめても家の建て替えにこれまでの貯金と、息子のローンで退職金に手を付けなかっただけ良いとしなければならないのかもしれない以前の古い木造家屋の場合電気をつけトイレに入っていても、「誰かおるのか?電気ついとるぞ!」と、裏庭の舅から声をかけられ電気代金を払ってるの旦那だしと、ぼやいたりした日も今は懐かしい。豆炭コタツだったしな(遠い目)そんなんで、20年程の当時の光熱費を振り返ると大人4人と子ども2人の三世代家族完全同居で・・・(旦那が支払う)★電気代 年間平均8千円 (夏5千円~冬1万2千円)電気のアンペアは戦後の古い小さなもの(電子レンジと他の家電を同時に使うとショートする事も) エアコンもないのに冬の電気代が高いのは、ファンヒーターの他電気コタツ2つ+電気毛布1つで、寝ている時に使用していたのも大きい★水道代 夏の方が多いが平均で3千円弱下水道がなく水道代だけでよかったが、くみとりトイレだったので、定期的にくみ取り料金が必要だった★光電話+ネット代 7千円位(以前は1万円位)当初はネットがなく電話代だけで3500円位10年前にダイアルアップのネット代が増えて合計で1万円位したが、数年前に地元自治体がNTTの光ファイバーを設置したので、光電話とネット代で7千円台になった★携帯電話代(スマホ1含む)が4台、1万2千円(舅が支払う)★プロパンガス代 6千円程炊飯器と、2つ口のガスコンロで煮物料理も好きな姑と、出来合い料理な私と時間差で調理に使用★朝刊、NHK受信料 合計5千円位?★灯油 6千円位? (夏5千円~冬8千円として)ボイラー風呂。ファンヒーター、ストーブ★豆炭+トイレのくみとり 月千円?(年1万2千円として)豆炭コタツといった感じで、古い家での光熱通信費はトータル月4万8千円程かかっていたみこみだ。新しい家になった事で、新たに下水道もひいて(新規加入費が40万円もかかったのは想定外) 大容量の電気の契約になり果たして、どれ位光熱費が必要なのかドッキドキッ何せ二世帯住宅仕様なので、風呂こそ1つだけど(入る時間帯が全く違うので追い炊き機能や足し湯必ず使うし)、キッチンもトイレも洗濯機も2つあって別々に使っているので。ちなみにアパートで4人の私らよりも、大工さんらの作業に使用した為か、水道プロパンガス、電気は裏小屋で2人暮しの舅&姑の方が高かった。一戸建てと集合住宅の契約の違いも?そんな訳で、夏場のピーク時も迎えた新しい家での光熱費をまとめてみた。当然、冬はこれより高くなる(旦那が支払う)★水道+下水道代 8千円位下水道料金が増えて単純に今までの2倍になったし水洗トイレ(3つ)になったので水道代も↑ ★プロパンガス代 5千円台私の方の3口のコンロ(姑のキッチンはIH)と、風呂(使ってないが浴室暖房乾燥機)、LDKに床暖房もあるんで冬場は使用すればかなりな額になるのかも工務店経由で契約したプロパン会社が。今までよりよりお安いのも良かった★光電話+ネット代 5千円程★携帯代金は15000円程(スマホ4台分)息子と旦那のスマホ2台の本体購入時の割引きが1年半~2年後に無くなると、途端に数千円アップ(舅の口座から)★新聞、NHK受信料 5千円位★灯油+豆炭+くみとり代 0円(もう不要)★電気代 8000円位(夏のピーク時で1万円)最初は旦那の方で払っていたが、他にも車の維持費とか税金とか考えたら、退職も近いので姑にお願いして舅の方で払って貰える事になり地味に嬉しい 姑のキッチン、炊飯器、エアコン3台、トイレ等設備も出来、契約アンペアも大きくなったので電気代も増えたが、想定範囲内だ新しい家の光熱費は推定ですが、こんな快適であるのに「4万6千円程」と夏場に限れば以前より安く済んだのは、灯油代や地味に汲み取り費がなくなったのと、エコジョーズとか、各家電などの「省エネ」もすすんでいる当然の結果かもしれないとは言え、古い家は年間平均、新しい家は夏場の料金なので安くなって当たり前。冬場は床暖房と風呂のプロパンガス代とか、エアコンや電気ゴタツでの暖房とか電気代などが、かなりアップするとは思うけど、今までみたいに家の中でも息が白くてブルブル生活から解放されると思うと、思わず顔もにやけてもくる・・・・車がないと生活できない地域だから、ガソリン代も月々いるんだよね。車の保険や税金も、車検、タイヤ代なんかも。すごい金額になるし。それが月にすれば旦那と私の2台だけでも4万円はかかっているだろうし。今までよく生活してきたもんだ なんて家とかで言うと、お母さんが働きに出てたらもっと楽だったのになんて返されるけど。ネットとか読むと、年収がそこそこある人ほど貯金も全然ないし老後破産に陥る可能性もあるそうで。子供の教育住居費、衣服、海外旅行などと、まとまった年収が入るからと、湯水のように使ってしまう傾向があるようで逆に生活保護を受給される方の一部でも、遊興費に費やしたり、安易に外食に走ったりと、生活習慣が基本的に乱れていたりもするので、我慢をしたりとか節約を覚えるとか。今更無理か~。出来ないからそうなるんだろうし。私も面倒なので家計簿はつけないがそれでも長年培った生活感覚から、衣類は定価では手を出さず、半額以下にならないと買わないとか食品もお得なものを買うとか、行楽先も街歩き(タダなので)とか、イベントなどお金をかけずに楽しむとか、もはや体にしみついてもいる。何かを得る為には何かしら我慢をする必要もある。ここぞという時の為にも自分たちは何にお金をかけたいのかを、一度考えてみると良いのかもしれないさて記事に全く関係のない写真は、今年3月に娘と二人で出かけた愛知県犬山市にあり、気軽に世界一周が出来るというリトルワールドである。昨年夏に旦那が車を買った時、旦那と私のJAFの1年間分の会費を無料サービスして貰ったんですがそのJAFの会員割引日に、通常より随分と格安で入園が出来ました~。ここならパスポートもいりません日本語も通じます。本当は海外旅行をしたいんですがそんな余裕も暇もないので、なんちゃって世界旅行でしばし異邦人気分。前に来たのは愛・地球博の関連で無料招待をされて以来なので、久しぶりの来場だその時の(食べ歩きの)様子は、また機会があれば紹介したいと思います 今回も日記更新を先にさせていただいております。皆様の ブログには、本日中に伺わさせていただこうと存じますにほんブログ村8
2016年09月15日
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さて、今回の新築日記は昨年12月からお正月あたりに大工さんが施工をされていた「断熱材」の話をしようと思う。1階の床は早い段階で構造板が貼られていたので建前の直後の11月初旬に床下断熱材が施工されていた床下の断熱材は、旭化成の「ネオマフォームジュピー」という高性能断熱ボードで、切断とか加工も簡単に出来て薄くて扱いやすいと大工さんにも好評なんだとか。工務店の社長さんが「白アリにも強いって話ですよ~」とか言ってたし2015年12月4日付「巨大猪に遭遇。床断熱はジュピーな我が家のバリアフリー事情」このジュピーだが、結露などにも強いようで2階ベランダの下部にも落下しないようにはめ込められていたそのジュピーの下には、更に壁中にも使われているグラスウールの「マグオランジュ」が施工されており防水シートも張られていた「徒然草」には、家の作りやうは、夏をむねとすべしとあり柱だけで障子などで、アッパッパーだった日本の家屋がしっかりと壁で囲み、更に断熱材を使うようになったのは高度成長期のオイルショックと、地球温暖化による気候の変動、エアコンなど家電が普及し「省エネ」が求められた為であるそうだ1980年には「省エネ法」が出来て、建築業界でも省エネが促進されていったのだが、やり始めた頃は施工方法も模索の状態で、内部結露を起こしてしまうなど試行錯誤で、家の気密を高めるなど悪戦苦闘を続けながら、それらの問題点を克服をしてきての今の「次世代省エネルギー基準」(1999年施工)なんだとか現在は平成21年の改正版だそうで、地域によって要求する数値が違うそうで、最高基準の1地域は北海道であり最低は沖縄の6地域.日本の大半は4地域に含まれており、岐阜県も4地域だけど、山間部で寒いし1つ上の長野県の3地域くらいの仕様の方が良いような気もするそんな断熱材だが、地域や気候によっても使用するものも違ってもくるし、2×4なのか、コンクリートなのか、在来工法なのかで断熱方法もかわってもくる。うちのような在来工法の場合は内断熱で柱の間に、断熱材を詰め込むタイプが良く以前から使われているグラスウールの他に、最近は発泡プラスチックを吹き付ける工法も増えてきたハウジングメーカーや工務店によって、また建物の種類でどの工法が使われるか違ってくるので、自分のところのが良いといい、他の断熱方法をけなしたりする場合すらあるが要は、その工法が建物に見合っており、しっかりした施工をちゃんとしているのかというのが、現状において大切なのだと思う私は最初は発泡系がいいかなぁ~とか思っていたが、他の業者で発泡プラスチックの施工を見て、なんか雑に思えたし同様に、他のグラスウール系の業者では断熱材がだら~とたるんでいたりで、これで本当に良いの?と雑な仕事ぶりにがっかりしていたのだが、うちを建てた工務店の現場を見てぴしっとたるみなく壁を埋め尽くした、断熱材の丁寧な仕事ぶりに、ここで家を建てて貰おうと思いもしたそれもそのハズ、工務店の社長さんが建築の第三者機関で良い成績を取るのを目的にしており、グラスウールの施工で所属の大工さんが全国トップクラスの成績を収めたそうで、その工務店で仕事をしているだけに、その方ではないが丁寧な仕事ぶりをされている訳だ更に天井なども落下しないよう、たるまないようにきちんととめてあり、電気業者などが断熱材を持ち上げたままで隙間を作らないように気を配っているそうである。こちらの方はロックウールという種類の断熱材で、2階床下に施工されており、2階の足音とかの防音性がグラスウールよりも多少は良いそうであるこっちは2階の天井のグラスウールで、マグ・イゾベール社の次世代省エネルギー基準対応のグラスウール断熱材である「マグオランジュ」で、高性能のグラスウールは繊維の直径が4~5ミクロンと通常のグラスウールよりも細い為、より多くの空気室を作り出す事で、より高い断熱性能を発揮するそうだ室内干し用に天井を強化してくれていた表面(右下)が防水気密フィルムで、暖かい湿った室内の空気が壁体内に侵入することによる内部結露の発生を抑える効果があるそうだ。上部の黄色のが裏面で、和室の屋根裏にあたり。断熱材の向こうは2階の娘の部屋があるこちらの断熱材の方はユニットバス脇の階段の様子。やっぱこのように、建物を建てる途中が自分の目で確かめれるのはとっても嬉しい事だ。中には建築中は施主でも中に入れなかったり。こうやって写真を撮る事もできない場合もあるそうでそれじゃ、どんな風に建てられたかもわからないし 平成27年冬に撮影夕焼け写真はかなり前のものです。ノートパソコンの調子が悪く古いのを持ち出して使っているので保存された写真も古いのでにほんブログ村
2016年09月08日
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またまた台風が日本列島を狙っているらしい。このままのルートであれば明日あたり、うちのあたりも影響が出そうだうちは兼業農家で、既にJAによって稲刈りも終えたご近所さんもおり、うちも刈り取れるけど、稲が台風で倒れなければいいけども。各地で大きな被害が出ませんように台風の影響か9月に入っても真夏のような暑い日が続き再びのエアコン登場! しかも午後からは俄雨もあるしおちおち洗濯物も干せなかったいもする。ご近所さんにイチジクを貰ったんでガブリ。果物も海外のものなどもあり年中店頭にあるような気もするが、イチジクはどうだろう。これは愛知県安城の産地のものでデカかった秋の訪れを当地に告げてくれるのが、やっぱり栗きんとん地元産の栗にこだわる店もあるが、熊本産の栗などを使い今年も街中には栗きんとんののぼり旗。中津川駅前にある特産館ではじゅういくつはある市内の和菓子屋の栗きんとんその多くをここで粒買いが出来るので、食べ比べも出来るしかし老舗の「すや」のものは買えないので、恥ずかしながら本店で「栗きんとん一粒でも買えますか?」と粒買いをしてきたあと「松葉」では栗きんとんを作った時に。、おかまにくっついた栗きんとんのおこげがおまけについていたので、豆大福を購入これは、これでおいしい今年のお初の栗きんとんは、先ほどの粒買いをした「すや」と同じく老舗の「川上屋」と、娘の好きな「七福」の三店舗のもので、これを4等分をしての食べ比べ。左下の「すや」のものはつぶつぶ感があって、私個人としては一番好みだったまた来週あたりに、違うお店のものを幾つか買ってきて食べ比べをしてみようかなさて、前に配線やコンセント、照明などの電気工事について2回に分けて紹介をしたけど、1坪いくらで受注して一手に電気工事を任された方は、現場監督に言わせれば、テレビやネット関連などには弱いって話だ。当時は光ファイバーでのネット、無線にするか有線じゃないと無理なのかって事ばかり私の頭の中になくってコンセントの時にも書いたように地上波とBS放送の見れるテレビのコンセントは標準工事の一式に含まれてますので舅&姑の部屋と、ダイニングにつけましたがその他にスカパーや、電話、インターネットもできるマルチメディアコンセントはオプション料金が発生し、1つ1万円リビング、舅&姑の部屋(の反対側)、私、息子、娘と一室ずつ5ケ所に取り付けてもらいました。これで室内はOKとして電話は光ファイバーによる光電話が安いので、インターネットと一緒に取り込んでもらうって事で、2階のベランダわきにネットやテレビの取り付け場所が出来て、そこからひかれたものは、最近の流行だというので、2階寝室のクローゼットの上部に取り付けてもらってそこから各室にって事でしたが、ちゃんとマルチメディアポートのようなものを取り付けたかったんですが、なにせ現場監督も電気工事の方も、そうゆうのにはうといらしく提案はなく、こちらも忙しいのでうやむやなまま。とにかくオプションのマルチメディアコンセント以外、ネット関連やテレビのアンテナ工事とかはこちらで準備しなきゃいけない模様こんな感じで壁から飛び出しているのは、まず見たことがないと光ファイバー工事のお兄ちゃんに言われました。でも配線とかはちゃんとしてあるらしく、光ネットの装置をセットして出力側の問題から当面、ネット利用予定の4つの部屋(リビング、私、息子娘)のマルチメディアコンセントからのランケーブルを装置に差し込むだけで、各部屋で有線でのネットが楽しめますしかしPCに電源用のコードの他に、ランケーブルもつなぐのはうっとおしいし、スマホも自宅ではワイファイで使いたいので無線ランができるのが一番。光ネットの装置にはレンタル月額100円(光電話利用者のみ)で、無線ランカードがついておりこれで利用できれば便利ですが、光工事のお兄ちゃんはこうゆうクローゼットの中からは届かないかも?って。扉を開けていればマシかもとか言われても。2階から1階へというのもどんなもんだろうとか心配してたんですが、無事に無線ランで1階でもネットが無理なく楽しめます。速度も、今までは娘のところを含めて光フレッツ、ケーブルテレビなどいろいろありましたが、NTT「西日本のフレッツ光ネクスト隼」ナイスです。旦那はスマホ買いに行った時に熱心にドコモ光をすすめられてましたが、公式ホムペから見つけた限定のNTTのプランも、料金もさほど変わらないし、こちらで良かった(光電話、プロバイダ含5千円ちょい)とネットはOK!!でしたがテレビっ子の私としては、テレビアンテナですわ。次はこれは一般の新築工事でも別というのが当たり前で、今時光テレビにしたいからアンテナはたてない人もいるそうだし電気工事の人は苦手だから、下手すりゃ他の人を雇って代わりに取り付けでもしたら料金も高くなるので、自分で探してと現場監督さんに言われまして。エアコンを購入した大手電機チェーンで相談をしたら、エアコン取り付け工事をして貰う時に一緒にアンテナ工事もやって貰う事になったんだけど↑のアンテナは5年位前に落雷でダメになった時に新しく買ったものを、家の解体で舅らの仮住まいの小屋の屋根にアンテナ工事が苦手だという電気工事の人がつけてくれたもので、普通に見れてたんだけどもなぁ~。とにかく新しく買うのももったいないし、これをそのまま使えるのなら使いたいって事で、エアコン工事の人に見て貰いました小屋の古いアンテナから新しい家への引き込み口が、ちゃんと作ってあるし、気が利いているなって思っていると、いざテレビにつないで貰ってもうまく映らない(テレビ画面は後日のもの。イメージで) エアコン工事のお兄ちゃんに言わせると「電波が弱い。これって送り配線してませんか?いまどき送り配線の新築も少ないですが」って事で、丁度現場監督さんが来てたので、映らないテレビを見て貰い電気工事の人に連絡をして貰ったやっぱ、そうらしいです。ネットばかりに気を取られていてまさかのテレビトラブル。↑の光ネットみたいに、取り込み口のクローゼットから各部屋の各コンセントに1つずつ配線をするのをスター配線というもので、これがテレビもしてあれば電波の劣化も防げるのだけど、どうやら1階分と、2階分でそれぞれが次へ次へとつないでいってあるようで、このままだったら満足にテレビはとても見れないとのエアコン工事に来た電気業者のお兄ちゃんの話こういった送り配線の電波でも強力に出来る、集合住宅用のブースターを使わないといけないと言われるが、10万円!それでしか見れないのであれば、それも仕方がないかと思い取り寄せて貰う事にする。その注文はエアコンを買った大型チェーンを通さずにって話だし。テレビが見れないと現場監督さんから連絡を受けテレビに弱いという電気工事の方が↑の業者さんが帰ってからすぐにやってきた送り配線でも、今までは見れないというトラブルはなかったとおかしいなぁ~と言いつつ、見れないテレビをチェックをして小屋の屋根にあるアンテナの調整を、ちょいちょいっとやってくれて、各部屋のテレビなどもセットしてくれたら、あらまっキレイに見れるじゃないですか。どうやらアンテナを地上波の中継局の方向ではなく、それが反射した反対側の山から電波を拾ったらしいエアコン工事の人がこの家(お隣)なんて、アンテナの方向がおかしい。ずれてるとか言っていたけど、裏の家も見れば反対向いてたし。直接のものは近くに山があり電波状態が悪いので反対側の山の反射波を受信出来たようだ。すぐに旦那にエアコン工事の人に電話をして、10万円の集合住宅用のブースターを断って貰った時に向こうから、山の反射波ですかぁ~とか言ってきたそうで、あれっ、もしかして知ってたの?そんな訳で普段は地上波のテレビをキレイに見る事が出来るがたまに私の部屋のテレビとかは、土曜夜や日曜朝とかに、特に短時間に画面が乱れてしまう事がある。テレビに接続をされたDVDプレーヤーの電源を入れて、それを通してならキレイに見れるので電波とか弱まっている状態なのだろうか。無線とかを誰かしてて電波状態が悪くなってんのかなぁ??とも思うがもし昨年秋に戻れるのであれば送り配線でなく、スター配線でお願いしたかったな。電波状態の悪い地域だけに。家って地域環境、家族みんな違うから、注文住宅であるのならその条件に一番合うプランが実現できるのが一番だ。その為には自分らがどのような状況にあるのか、どのような家が欲しいのか正確に知る必要がある家はやはり3度建てなければいけないのかな。そんなチャンスももうないし。まっ、うちの場合は旦那などもバラエティとかばかりの地上波よりも、スポーツ中継趣味番組の多いBS放送の視聴の方が格段に多い。それらはパラボラアンテナからなので受信状態が悪いといった影響とかないので、時たま何らかの事情でチラチラしちゃう地上波はさほど影響は今のところ感じはしないが良い気持ちはしないアナログ時代には民法ドラマとか昼間によく、ぐるんぐるん画面がまわっていたぐらいだしそれに比べたら、まだマシといえど、これで電気工事でアンテナ取り付け費用とか追加で請求されたら怒るで。既にエアコン工事の大手電機チェーンで前のはBSは使えませんとかいって(見てたけど)ブースター代金として3万円も支払っているのだし。当初の建物本体の代金(+消費税)は3回にわたって、5月末の家の引き渡しまでに支払ったけどそれ以外の追加料金。例えば姑のキッチンのグレードアップとかテレビボードとかの追加とかや、諸費用。こちらは昨夏の古い家屋の解体料金や、200万越えの外構費用、下水道の加入金仮住まいのアパート賃料などなど様々な費用は、請求金額がまとまっていないのか未だ請求されておらず、その支払いが幾らかかるのかわからない。電気工事でも↑マルチメディアコンセントは各所1万円の追加料金も必要だし総額で4千万は超えないように工務店の社長さんと、外構の予算決めの時にこれくらいじゃない?とか、軽めの相談などしてたけど。こまごまな変更もしているし、その金額がはっきり出るまではドキドキだ。それにしても1ケ月近く工務店側から連絡もないが。まっ、資金が潤滑にまわって忙しかったりでこちらへの請求も慌てなくてもいいのならいいが、こっちから連絡しなくてもいいものだろうか。慌てさせてしまうのも嫌だし外構とかの業者からの請求が遅れているのかも 写真は今年夏のものです。朝顔は最近出かけた飛騨高山にほんブログ村
2016年09月07日
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気が付けば9月になりました。先週は台風の影響もあったのか室内も30度を超える暑さ(窓を全開して)でして、エアコンも大活躍でしたが、今週に入って3度は落ちているような気もします。昼間でも27度超える事はなく、夜に至っては24度といった感じでエアコンなくても充分に過ごせる温度 寝室は夜でも窓を開け涼しくするので、湿度は↑↑更に驚きなのが、旦那と窓を開けるか閉めるかで大揉めしていた湿度ですが、夜間でも60度を超える事がなくなって、昼間に至っては40度って・・・俄雨とかなければ天候が安定していたら、秋って本当に過ごしやすいものなのだなぁ~と。昨年も仮住まいのアパートにお盆明けに住んで、エアコン冷房で使ったの3回くらいで終わったしそんないつもの秋を実感している本州中部地方と違って、考えられないようなコースをたどる迷走台風などもあり、続けざまに台風が直撃をした東北地方や北海道では多大な被害に見舞われた方が多く、川に傾く新築のお宅。一瞬にして平凡で幸せな生活が奪われてしまったと思うとお気の毒でいたたまれません 室温が暑くならないように直射日光が当たる窓はカーテンを閉める行方不明の方もおいでになるとの事、一刻も早く救出される事をお祈り申し上げます。今日9月1日は知ってらっしゃる方も多いと思いますが防災の日です大正12年9月1日正午頃に未曾有の大地震が関東より静岡を襲った関東大震災にちなみ、国民の防災意識を高める為に制定をされたそうで曜日の関係で既に先週日曜日に大掛かりな訓練が地元で行われました。中津川市は東海地震に係る地震防災対策強化地域及び、東南海・南海地震の地震防災対策推進地域に指定をされている上に市内各所に多くの活断層も有しており、いつ大きな地震に見舞われるかわかりません熊本地震などでもあったように、古い日本家屋が押しつぶれた状況を考えると、一刻も早く新しい家に住み替えをしたいというのがあって、暑いとか冬に寒いとか環境面だけで建て替えを考えた訳でもなく我が家の場合は耐震等級3相当を有しているそうで阪神・淡路大震災相当の1.5倍の地震でも倒壊を免れるレベルだそうだ一般住宅の場合は阪神。淡路大震災相当の地震でも倒壊を免れる耐震等級1が建築基準法をクリアしてるそうだ。耐震基準は関東大震災の次の年には世界に先駆けて日本で施行をされ、大きな地震の度により強固なものに改正されている。特に昭和56(1981)年の改正では、震度6強の地震に耐え、地震による建物の倒壊を防ぐだけではなく、建物内の人間の安全確保も着目されたところが朝日新聞によると熊本地震において増城町において調査が行われ 「元記事 朝日新聞デジタル」>耐震基準が厳しくなった1981年以降に建てた>1042棟のうち80棟が倒壊、88棟(8・4%)が大破、>573棟(55・0%)が中小規模の被害を受けた。町内の>別地区も含め倒壊した新耐震基準の99棟を調べた>ところ、少なくとも90棟で柱の接合が現在の基準を>満たさず、51棟で柱と柱の間に斜めに入れて壁を>補強する「筋交い」の固定が不十分だった。やっぱ、いくら基準に沿った家だとかいっても、それを実際に建てている業者の意識が低いようでは、宝の持ち腐れ。昨日の朝ワイドで欠陥住宅の特集があったそうだけど、家を建てるにあたって建物の金額とか業者の名前とかよりも、しっかりした家を建ててくれる信用のおける業者であるのかが一番のポイントのようなローコスト系の業者などは、家にお金をあまりかける必要はありませんよ。ちゃんと基準に達しているから耐震等級も1あればそれでいいしって言ってたけどまぁ、それはそうだけど。金銭的に問題さえなければ誰もが安全で、住みやすく、かっこよく、メンテナンスフリーといったように、より良い家を求めているのでは 馬籠の宿場は夜間は車の通行もできる阪神。淡路大震災で、旧耐震の家屋倒壊は3割以上新耐震は数パーセントだった。熊本の地震の場合は大きな地震が2度あり、1度目に耐えた家屋でも次の地震で倒壊するといった事象もあったが、同様に旧耐震3割、新耐震は数パーセントだったみたいだ根本的に直下型の場合などは、地盤の違いも大きくかかわってきそうだし、工務店の社長さんも耐震等級3相当といっても家は倒壊は免れても壊れるとは思いますが、命は守られると思う。みたいにいっていたがまさにその通りだ。まだ新しいし息子のローンもあるのでお高い掛け金(掛け捨て)とはいえ、地震保険もかけておいた火災保険は今は新築時に10年までしかかけられず地震保険に至っては5年まで。保証金は火災保険本体の場合は全焼で建物代金までしかかけられず家財保険などはオプション。地震保険は火災保険をかけてないと入れず、保証金額は火災保険の半分しか出ないとの事だ。でも、すごく高いんだけどもね~地震保険は会社が違っても掛け金率とかみんな同じみたいだけど、大地震の起きやすいリスクの高そうな地域は、低い地域より掛け金が高いそうだけど、ここにきて東北や熊本のような低リスクの地域で大地震が起きてしまって。うちの場合は高い方の地域だし出費増。火災保険に家財保険、ほかのオプションで10年地震保険は5年でしめて50万円ちょっとだった古い家はJAの30年かけるとまとまった満期金を貰えるというタイプだったけど掛け金が高すぎて。第一が30年後私も旦那も80代。私も旦那もまず生きてない。自分が使えぬそんな先のお金より、今のお金が大切。でもでも葬式代には困らぬように終身保険はかけているけどねさて、義叔母(舅の兄嫁)さんのお葬式帰りに、家を見に来るのではないかと心配していた舅の妹さんたちだけどその日は来ませんでしたし、うちは7月盆だけど音沙汰もなく・・・。8月のお盆にやってきましたよ。お墓参りだと言って旦那の弟が日帰りでこっちへ遊びに来るというので、近くに住む義叔母さんに声をかけたら、私も行きたいと中津川に住むもう一人の義叔母さんも来るかもしれないという話になったので、姑はお昼には義叔母らの鉱物の五平餅をお店で予約して吸い物を作ってのおもてなしここでメインのこちらのリビングを使ってしまったらマズイと考えて、本格的な和室(仏間)に、普段はリビングにある家具調電気ゴタツを持ち込んで、そこで食事とかをして貰えばいいかぁ~なんて自分なりに考えていたら、前日義叔父(舅の弟)が墓参りにやってきた「兄弟衆が集まるみたいだけど、俺は用事があってこれないから、今日来た」って、え?義叔父さんも声かけられてたのだいたい義叔母さんたちもうちに来たいとか、電話とかで直接、私や姑にもないし。いったい誰が来るんだ。義叔母孫とかも連れてくるのか? 五平餅足りるか~?と心配する姑ともども蚊帳の外流石に中学になった孫は、祖母と親せきの家に行くよりも家でゲームをする方が楽しいようで、旦那の弟の車で来たのは義叔母二人だったが、家に入った途端に仏壇も参らず新しい家を見たいと、こちらのエリアも遠慮なくズカズカ入り二階は息子もいるし嫌がるのでと言うが、2階の廊下だけでも見たいというから仕方なく上がって、子供の部屋は遠慮をして貰ったが、私の寝室はしっかりご見学まっ、こうなる事はわかっていたので掃除はしておいたけど完全に家を見に来たのが目的のようだ。なんでも中津川の義叔母は建て替えを考えているらしい。キッチンも姑と別というのも、まっ時代だからと好意的に受け止めていたようだどやどやとお昼よばれて、野菜とか畑で収穫し土産にしてお帰りになられたけど・・・お帰りになって仏壇にお供えしてあったのが各々菓子折り1つであったと姑、驚く。新築祝い全く頭に内容だ無いようだ建て前では一足先にやってきた義叔父さんと、姑の方の義叔母さん二人がお祝いをもってやってきたので、私と旦那の分の折詰弁当を食べて貰った。その時には近所姑の親せきとかお祝いを持参してくれて、え? さほど近い親戚でもないのに5万円も?なんて姑の親せきは、2度建て前に出かけてるからとさら~って言われたけど、昔の建て前は餅ついて持って行ったり大変だった模様 ここまでの写真は娘と出かけた夕暮れの馬籠宿。日も短くなった舅の世話で家を建てた兄弟も一人じゃないし、姉さま!兄貴と金銭的にも様々な面で世話になり、子供連れてひと月位うちに滞在してたという話の義叔母さんだけど皆さん共通する事は舅姑とは同居でもなく、本家でもないので親戚付き合いというのに疎いのかもしれない入院をするから保証人になってなんていっつもやってくる親せきもなしのつぶて ここからの写真はお盆に出かけた名古屋城天守閣姑もあきれてしまい、舅に「おまえの兄弟の奴らは・・」とぐちったみたいだが、「○○(旦那の弟)も何も持ってきてないか?」と姑。ハイ貰っておりませんし。更には義叔母たちは「姉さま、行ってきたかい?」と自分ちの実姉の初盆すらいかなかったみたいだし、市内で近いのに。私も呆れる更にマジか!と驚いたのが葬儀屋が我が家にまたまたやってきた。また一周忌を迎える名字の同じご近所さんと間違えたのかと思ったら、↑の義伯母(舅の姉)さんの葬儀が半年位前にあったんだけど、その葬儀代をまだ払ってないらしくて、その家の近所でうちの事を聞いてやってきたみたい。姑&私は家も建てたばかりで貯金はスッカラカン。お金がないのをアピール。実際そうだけど他所にも亡き義伯母の息子たちもいるんだし、子供らでそうゆう事は何とかしてほしいものだ。後日、そこの家を継いでいる息子が、お金を貸して欲しいと姑のところへやってきた。そうゆうのは1度でも払うといけないので断って欲しかったけど、これしかないぞとしぶしぶ1万円を渡すと、ありがとうとか、必ず返すとかそうゆう言葉は1つもなく、まだ足りないとぶつぶつ言いながらお帰りになった嫁入りでうちから分けてもらった田畑が近くにあるので元気な頃は義伯母はしょっちゅう、うちへ「お茶を飲みに来た♬」と姑がいなくても、私だけの時もやってきておりまだ20代の私は、30分以上もお年寄りの茶飲み話を聞くのが嫌で、寝室で居留守を使った事があったけど何の遠慮なく、どかどかと留守中の家へ上がり込む義伯母であったし私なら実家でも、留守中の家には上がり込めないけど舅の兄弟らはそれが当たり前。常識だったのかも。舅の血筋はもしかしたら発達障害の遺伝があるんじゃないかと思う。人は良いのかもしれないよ。裏表もないし。でも人の気持ちが読めない。相手の立場がわからない。それを言えばどうなるのか想像もできず、感情のまま口走るし本能に忠実で。我慢もできない。計画性もないようなおかげさまで旦那は性格も見た目も、姑の血筋を強くひいているので、義叔母や舅の方の従妹らとは似ていない。パチンコやギャンブルも無縁だし。そんな事をぐだぐだ書くが旦那に言わせれば、私の方の血筋もどんなものかと。まぁね。人様の事をぐだぐだぐちれる筋でもない。短命家系だし。舅姑の方が私よりも長生きしそうな気すらする実家などは年に一度行けばいい位だし、親の墓参りなどもいつ出かけたのが最後だか。大家族で子供の頃からもめていた家だけに、実の親が亡くなりかなりたつと敷居も高くなるもんだ。それだけに、当然のようにうちにやってくる舅の兄弟や姑の兄弟に対し過剰に反応してしまうのかも 写真は前半は馬籠宿の夕暮れ、後半は名古屋城天守閣で いずれも、今年8月に撮影をしましたにほんブログ村
2016年09月01日
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ここ最近のオリンピック効果で早起きもペースアップというか、夜中に目が覚めて眠れず午前3時過ぎにはテレビをつけて。卓球の愛ちゃん快進撃に、カヌーでは初メダル。こうゆう競技を放送してくれないし。あっこれからカヌーしてくれるんだ。NHK。寝不足の分は昼寝で取り戻している。きゃ~競泳男子、むちゃくちゃ活躍してるしリオばかり気にしてたら、何やら谷繁監督休養らしいけどいやぁ~中日の試合、殆どテレビ中継ないけど、そんな事になっていたとは・・・さて昨年末に遡る家づくりの日記。今回はキッチンなどより、かなり頭を使ったつもりのコンセントの設置でしてよく新築時の後悔ポイントなどで取り上げられる事も多く一般的にコンセントの設置は、一部屋あたり2個まででそれ以上は追加料金の様な業者が多いとか。でも、お金を払っても沢山作るのに越したことはないとも言われてるこの工務店の場合は請負の電気屋さんに、確か坪あたり13000円?(照明なども含めて)で発注してるそうで明確なコンセントの指定数はありませんが、この工務店の設計士さんのは普通よりもコンセント多め設定のようだスカパーや電話に、ネットなども使えるマルチメディアコンセントは別途1つ1万円かかるとか設計事務所から用意された配線図では、マルチメディアコンセントは各部屋1つとLDK2つで合計7つあったのをLDK1つ和室なしで5つに減らした(ピンクのMC)。配線図を貰ってすぐに現場監督さんと現地で打ち合わせ、ここにもあそこにもとコンセントを増やしたのを現場監督さん、図面に書き込む。その次の日あたりから電気屋さんが仕事に入るとか今回の家づくりでは、地域の協定からタイルの外壁がサイディングになった次に、配線関係が一番の不満でできたら昨冬に戻り、やり直したいと思うところすらもある前に社長さんは幾つでも付けていいですよとか言っていた割には、数が多すぎると電気屋さんがかわいそうだからとかいう電話を貰って。現場監督さんとの打ち合わせでは何も言われずに変更も通っていたと思っていたのに私や旦那りにここにあれば便利じゃないかと思った変更だったけど、2つ3つ増やしたのならまだしも、ちょっと増やしすぎだって事で、私が現場に向かって、その場で「ここはいらないでしょ~」とか社長さんと電気屋さんに言われて。2対1だし、考える余裕なくその場でだし、はいメンツを立てるように5個位減らし、たぶん最初の設計士のプランに3個程多い位にしました確かに、電気屋さんも社長さんも一般的に建物の作り方や、どこにどのような形でコンセントがあれば良いのかを熟知されているとは思いますが、なんか廊下とかを、電気掃除機で掃除をするのに便利な場所なら、ここよりこっちじゃないかなぁ~と人もよく通るような、よく見える廊下の真ん中をおすすめされたりもしたけど電気掃除機たぶん使いませんよ。うちは私も姑もホウキですし、あんな大きなのゴロゴロころがしたくないし、前も旦那がたまに使うくらいだったし。実際、今も私も姑も息子もホウキ。あと娘が紙モップ買ってきて、それも愛用してまして。私的には人がよく通り見えるところではなくて部屋の角とか、邪魔にならなそうな目立たないところにコンセントがあると便利だと思ってまして、三段ボックスとか家電を置くような小さな家具も、どうせ人通りの少ない邪魔にならない隅に追いやられるだろうから本当は↓奥の窓下にもコンセント欲しかったんです。ホームベーカリーとか、たまに使う電化品を床に置いて使えればいいと思ったのに、その時の現場打ち合わせで立ち消え反対側のダイニング⇔キッチン⇔勝手口の人通りの多い通路にコンセント出来ました。この奥の窓際にはプロパンガスのコンロあるけど、ガス漏れ警報機の存在、当時は誰も気が付いてないしプロパンガスの方が開栓をして、ガス警報器をその人通りの多い勝手口の入り口横の通路に設置していったので邪魔臭い・・・・。最初の私の提案していた一番奥にコンセントあれば良かったのにと、深く後悔今どきはIHコンロが多いし、ガス警報器の設置用のコンセントなんて工務店の社長や、電気屋さんも失念していたのかな>LPガスは空気よりも重い為、万が一ガスが>漏れた場合は低いところに滞留しやすいこと>からガス機器と同じ部屋に設置し、機器から>4m以内の床面から30cm以内に設置します。との事で、本来なら必要な場所にあるべきコンセント無くなってしまったこのキッチン壁面の作業台のコンセントも、右端と左端の端っこにそれぞれ2つずつのコンセントがあれば、コードもすっきりしていいだろうなぁ~と思ったのに、ど真ん中に勝手にまとめられていた。配線は2つ別だという話ではあるが。まぁ全部一度に使わないけども、差しっぱなしが良いんだけど、真ん中じゃ・・・取りあえずこんな感じで使ってます。真ん中で前にコンセントが飛び出してくるので、ミキサーとかのは使う時だけコンセントに差し込んでます。随時差しておきたいティファール湯沸かし器のコードは棚を横に置いて、その後ろにコードを通す事で飛び出さないよう工夫しましたリビングのテレビボードのは、1万円オプションのマルチメディアコンセント。電話線、インターネットケーブル、BS対応のTVの他にスカパー用のものとコンセント3つ。ここにも2口のコンセントが欲しいと要望したけど、3つあればいいじゃないですかって減らされた。けどもね、テレビ、DVD機器、電話機でもう一杯だし(写真は他の部屋のMC)テレビボードの左横につけた2口コンセントは、スピーカーとプリンターで一杯だし。テレビボードの上はスマホを充電したりするのにも良い場所だけどコンセントはない。やっぱりテレビ周りには多くコンセントを作るべきだった訳で、3つあればいいじゃないですかって、いつの時代の話だろっ。5つでも足りないしこちらは標準で付けてくれるBS対応のテレビ付きのコンセントでLDKのダイニングと、舅&姑のマルチメディアコンセントの反対側につけてある。やっぱ部屋の配置が換わればテレビを置く場所も変わるかもしれないし既にコンセントを付ける段階で、エアコンも購入が決まっていたので、購入したエアコンのコンセントや電圧も合わせて貰い、今回は付けなかった4室もこうゆうのが良いですよという電化店の店員さんのおすすめのコンセントをした。これも家を建てた後でエアコンの穴あけとかコンセントの形状が違うとか、電圧も違うとかトラブルが多く出るポイントなので注意が必要のようだ洗濯機置き場とか冷蔵庫、トイレもそれぞれ違ったタイプのコンセント。電力会社の方が検査に来たけど、水を使う場所の電化品は漏電とか特に注意が必要だと言ってたし家の外部はベランダ含めて4つ。やっぱ多いです? 梅雨も終わって洗濯干すこともめっきり減ったベランダには、机を出してもいいといわれたので、ここでパソコンしたいし、椅子をどこかで探してこなきゃ。ガーデン用? 駐車場のコンセントは電気自動車の充電にも、将来対応ができるようになっているそうだ今までの昔のアンペア数と比べたら、今回は家庭用の中では大きなアンペア数で。コンセントの数が多いと電気屋さんが心配したのも、この家庭用のアンペア数の契約に対応がされなくなるのでは?と心配した部分もあるようだ(別に多くても良よかったらしいが) 基本料金ももちろん上がるが、今までみたいにブレーカーが落ちる心配は全くない模様だコンセントの失敗は台所奥に欲しかったのと、テレビボードにあと2口のが欲しかったのが却下されてしまった事。もう一つは和室にはテレビ用のコンセントはいらないでしょと減らした時に、コンセント自体も減らしたのを忘れて、部屋の反対側に1つずつは設置するのが基本というのを忘れ、和室北側正面、入り口と同じ方向に2つ設置してしまい、和室南側の奥は上部のエアコン用コンセントしか無いで、延べ床面積50坪。2世帯住宅に幾つコンセントが出来たかというと1階 リビング5 ダイニング4 キッチン5 舅&姑の部屋4 和室2 勝手口1 玄関1 廊下1 脱衣所12階 寝室4 息子の部屋4 娘の部屋4 廊下1 階段1他にベランダ&外部4 エアコン用7 冷蔵庫用2 洗面台用2 洗濯機用2 トイレ用2 クローゼット(配線用)1って事で 合計は58ケ所になった。たぶん5つは減らしたと思うとりあえず和室以外は一部屋4つ。四隅に1個ずつ配置って感じで、無駄もなく、それだけあれば困る事もないし息子、娘の部屋はベッドや家具の配置で各1つは使用が出来なくなっているので実質3つ。これも模様替えがあるから部屋の各隅にあると良いと思うが にほんブログ村
2016年08月10日
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とは、かつて大工さんであった公務店の社長さんの言葉工場で多くを作ってきて現場では組み立てるだけの家はともかく多くの家の場合には、ハウスメーカーだろうが工務店であろうが実際に家を建てる大工さんの腕の良し悪しがモノを言う。中にはこの大工さんでと指名をして、2年だろうが待つ人もいるような事もネットにあったし欠陥住宅などの事例を見ても、ハウスメーカーなどは企画や営業が本職。指定業者の工務店などが実際に家を建てる訳だが運悪く腕の悪い大工さんだったり、工期に追われたり、受注の条件が悪かったりが欠陥を呼び、まだ慣れてなかったり忙しい現場監督さんが見過ごしちゃったりする事が多い模様地元の工務店で建てると決めた理由の一つが、うちの仕事に慣れてない大工が家を建てるとミスも起きるから、いつもの大工にしか頼みたくないし、自分の目の届かないようになってしまうのもいけないので、手を広げたくないという工務店の社長さんの言葉もあったそんな訳で、その工務店で以前から仕事を受けているベテランの大工さんはうちから車で30分位の地元の人で、大きな家だから同じ現場に長く来れて良かったと姑に言っていたらしい。私と同じ位の年齢で、ご自分の家も建てたばかりのようで愛想がよく、舅姑にも受けが良かった。年上の旦那などは「○○君~」と友達や同僚みたいな口調だった裏の舅姑の仮住まいの小屋の作業でも、他の大工さんからも「○○クンは何でも出来るよね~」と言われてたそうで、器用で真面目って印象があったので、その人がうちを建ててくれるというので、ちと嬉しかったし。昨今は施主の希望や、コストダウン(人件費削減)の為に1階と2階を違う大工が同時に作業する事で工期を短くする業者も多い中大工上がりの工務店の社長さんは、大工は釘の打ち方1つであってもやり方が違う。同じ現場に複数の大工が入ると仕事のやり方が違うからミスも起きやすい。例え工期は長くなっても昔ながらに大工が一人だけで家を建てるのが、うちの方針っていうのもなるほどな~と思って、うちは昨年10月末に棟上げ引き渡しは5月下旬となった。↑大工さんそのうち大工さんは10月末から4月アタマまで、お正月休み以外は週休1日基本で(たまに他の棟上げとか地域の用事で休み)5ケ月朝は8時には現場入りして、冬は日が短くなり暗くなった現場でも灯りを灯して、夜6時過ぎまでしっかりと実質8時間は働いてくれたので、舅は大工さんが仕事をしているのに先に風呂など入れないと言っていた程だキリの良いところまでやられていたのか、午後6時半位に寄ってもまだ灯りがついておったぞ~と旦那も言ってたし。休憩は午前10時から30分と、午後0時から1時間、午後3時から30分。仕事の邪魔にならないよう、休憩時間に家に入らせてもらって現場の写真を撮るようにしていた。耐震性を高める為の金具の取り付けだけでも2日近くかかったみたいだしかまぼこ板みたいなのとか、小さいのやらを各々に理由があったの事だと思うが、きちんきちんとサイズを測って取り付けられているけどこういった細かな細工とかは工法とかもあるかもしれないが、今までつちかった大工個人の経験による、技術のたまものではないかと思うんだけどもこのあたりの写真は昨年の暮れあたりのもので、棟上げも終えて毎日、毎日、大工さんが朝から晩までせっせと手を入れ、間もなく家の根幹である構造材も見えなくなる模様だ。天井はこのように作っていくのか・・・・などと日々変わる現場の様子を面白く観察させて貰ったのも、つい昨日のことのようだこちらは2階の広いベランダの天井で、物干し竿が下げられる部分は、このように補強してくれているみたいだ和室の檜の柱は傷つかないように、保護材などが使われていたその奥には階段も出来ているし♪無論、昔の大工さんのように現場で用途に合わせ材料を切ったりしなくても良いように製材所で、用途に合わせてプレスカットもされて現場に搬入をされるので、時間も削減もでき、仕事も楽になったのではなかろうかこれは先程の天井などに使わられていた木材かなぁ?この白いのなんてどこに使われたのかもさっぱりだし。ここまでの写真は既にブログの下書きをしていたのでグーグル+のものでも、ちゃんと表示されるんだが、グーグル+はピカサという写真編集機能を廃止してしまったので、写真のタグも作れなくなってしまい、もうグーグル+にアップした沢山の写真を、ここには使えなくなってしまった地道にノートパソコンに入っている写真を、楽天ブログにアップをするしかないけど、写真データの大きさを規定以下に抑えるひと手間が必要なのが面倒だったりして。この写真から楽天ブログにアップした分です新しい管理面になって、今までと段取りが違って戸惑われている方も多いかもしれませんが、写真などがそのまま表示できる事とか慣れたら今度のやり方もやりやすいかもしれないです画像を貼るのもぽちっとできますし、他サイトのリンクを挿入するのも。絵文字なんかもいれれるようなのでやってみましたまずはとりあえず、ぽちぽちいじって試してみるのが良いかもしれません。文字の色や大きさなんかも簡単に変更できますブラジルではオリンピックが始まり、柔道だ、競泳だ、卓球だとテレビ観戦も忙しく、昨日からは甲子園。今日2日目は第一試合が三重県で第二試合は岐阜県、第四試合に愛知県と東海三県そろい踏みで、岐阜の中京はアツイ試合を繰り広げての圧勝。岐阜県もどんどん暑くなってテレビでやってた多治見駅前の巨大温度計は40度だが、気象庁のは今季最高39.7度だったらしい。うちの室内も31.1度と今夏最高!もう、こうなったら冷房を入れるしかなるまい。27.5度設定のLDK用の白くまくんで現在28.3度。心地よい~~涼しさだし写真も清涼感のあるものでも(付知峡。中津川市)さっ、いよいよ最後はお隣愛知の東邦高校。そのお相手もお隣の県の福井県すか!う~む。中津川からは位置的に名古屋の方が近いしなぁ~最後にイチロー、MLB3000安打達成おめでとうございますこれもBSで毎朝、いまかいまかと中継見てました 前半の写真は平成27年末、最後の3枚は最近のものです米 ログインをした状態で皆さんのブログに伺っているのにいざコメントを記入しようとすると、名前のリンクがされておらずログインなしの状態なので、楽天メンバーのみ記入が出来る設定の方のブログにはコメントが書き込みできませんにほんブログ村。
2016年08月08日
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皆さん、暑中お見舞い申し上げます。写真は前から行きたかった醒ヶ井宿の梅花藻です。なんて呑気な挨拶を言っている場合でもないですっ。10年来、慣れ親しんだ楽天ブログの管理理面は何やらリニューアルされているし、旦那のノド風邪がうつってゲホゲホな7月下旬(今は娘がへろへろ~)娘とドライブがてらポケモン採集にも出かけたりもして今年も祇園祭(後祭)に、青春18切符を使って娘と出かけたりなんだかんだと気が付けば8月・・・。梅雨明けもした夏の日は青空も俄かにかきけす雷雲で、テレビや電話のコンセントも抜かなきゃ~ドラマの録画もできないわとドタバタ。昨日の午後にもゴロゴロと遠くで雷の音が鳴りだし、黒っぽい雲も出てきてたし洗濯ものもよく乾いているから取り込んで・・・食事を終えて舅とくつろいでいた姑も洗濯物を取り込んでいたら舅ぶち切れる。こんな早くから洗濯もんをしまってどうする!!もっと干しておけ!! 姑がもうすぐ雨が降り出しそうだからと言っても、雨が降らないのに洗濯もんを入れてどうするつもりだお前らはバカだ!!!ご近所に聞こえるくらいのどでかい声で姑をののしってるし。私は雨が吹き込むのが心配で、2階の窓を閉めてまわってたけど、舅の鬼の形相が伝わるような怒鳴り声だったし案の定、ものの30分程でバケツをひっくり返したような雨が俄かに降りだし、洗濯物がそのまんまだったらびしゃびしゃになってたよ。裏の畑にいってた姑は近く車庫で雨宿りして、舅に雨は降らん訳だったよねとチクリと言ったけど、舅は知らん顔洗濯物はぬれなかったけど、舅と姑の部屋の窓が全開だった為床がびしょ濡れ。カーテンも敷物も濡れてるし昔の日本家屋は1メートルくらいの広い庇があって窓を開けていたとしても雨が降り込んでくる事はまずなかったので、雨が降りそうな時は窓を閉めるという習慣が舅や姑にはなく、私は仮住まいのアパートの部屋で、庇がない窓を経験してるから雨が心配な時は窓をとりあえず閉めてるけど。舅と姑の部屋も庇がある南の窓は全開でも全く濡れておらずに、庇の無い東の窓がびしゃびしゃに降り込んでたしその事を知った舅が窓を閉めなかったと、まだぶち切れ。姑はまだしも、私が窓を閉めなかったからだって? 姑も洗濯物を取り込んでるし雨が降りそうな時は窓を閉めてと以前から、姑に言ってたぞ。私も留守もするし日常的に舅や姑の部屋の管理まで到底できないし。敷物を敷くのが好きな舅はこんなところまで水浸し↓義叔父(舅の弟)の前でもぶち切れた時には、兄貴の形相が怖かった。目がすわっておったぞと驚いていたそうだし、隣のおばあさんも「うちのじいさまも3年間ああだったぞ(3年で亡くなったのではなく老人施設に入居した)」と言っていたし大河ドラマの秀吉が老いで支離滅裂になっているが、身体的にそう問題がないにしても精神がやられてくると家族もますますへとへと。毎日が理不尽な怒号につつまれ、バカ、アホ扱いをされている更には数十年間、慣れ親しんだ昔の家屋でのライフスタイルが80代になって、勝手のわからない新しい家での暮らしに放り込まれたので余計にイライラも増すのかも。姑もガスコンロでなくって、IHコンロにしたんだけど。私が洗濯物を干した後部屋に姑がいないようなのに換気扇の音がするので、消し忘れかと思って部屋に入ると、とろ火で煮物してるよ~。15分位姑が家にいなかったのは確実火を消して姑を探しに行くと、裏の方で近所の人とおしゃべりの真っ最中だし。IHでもガス同様に使用したままでほったらかしするのもどうかと思い、調理中は部屋から離れるなとは言ってはみたが、本当にこんなんじゃ家から離れられないそんな80代の人に自炊させてどうよと言われそうだけど。姑は比較的元気だし、自分でする(仕切る)のが好きなので生活スタイルも全然違うし、出来るうちは出来る事は姑にやってもらいたい。とはいえ、オレがと仕切ったお盆後の仏壇の下の畳には何かシミも作っているし。毎朝の御飯やお茶のお供えはこっちでしてるが、ロウソクや線香とか火の気があるので仏壇も心配だしついウッカリって年寄だけの話じゃなくて、息子も2階のトイレいつも電気がつけっ放し。夜はまだしも朝も電気つけるなよ~仮住まいのアパートでもそうだったので、灯りがわかるタイプのドアにしたつもりだったけど、人感センサーの照明にしとけば良かった。娘は予想通り、寝るまで居間を占拠している位かなぁ息子が買っただけで放置してたスピーカーを貰って、居間に設置したんで音が良いから娘がテレビを独占。え? テレビが小さいって? 6畳の頃の32型です。4Kとか50型も考え電気屋さんをうろうろしてたけど、今の4Kのはチューナーを買わなきゃいけないようなので、内臓の手頃なのが出るまで様子見中前の隙間だらけのオンボロ木造家屋では、気にならなかったが高気密高断熱であろう今の家で、私がすごく気にしているのが「湿度」だ。うちは山の上にあって冬はとにかく寒いが、夏は窓を開ければ、風通しも良くて暑さをしのげる程度だったので夏の対策を全く考えていなかった。その古い習慣が抜けきらず旦那は晴れた日だろうが、夜になろうが、雨の日だって窓全開2階に至っては閉める事全くなし。エアコンを入れた舅や姑ももったいないからと使うことなく、昼も夜もとりあえず窓をあけている私もあまり苦にもしなかったけど、ブログの方の湿度の記事を読んで湿度の付いた時計を購入して来たら、あらら~余裕での70%超。窓が開いてるから家の中は外気の湿度がそのまんま反映しているし。ネットで湿度の事など読んでみると、カビだダニの繁殖だってこわ~~い事が書いてあるし、とりあえずは70%超えはやばいんじゃないかと・・。晴れた日中は良いが一日の中でも夜や朝は湿度が高いそうだし、雨の日は論外!ネットの天気予報でも湿度も予報されてるし、居間(舅&姑の部屋と息子の部屋も)のエアコンは除湿もできる。朝とか夜は窓を開けるのではなく除湿か冷房で対処をするかって感じだが1室(LDK)だけ除湿しても意味ないだろうとか旦那に言われというか二階の寝室はエアコンもないし除湿もできず、閉めれば暑いし、開ければ湿度71%。湿度が高くて人が死ぬか!とか旦那は言うが、昨今の熱中症はエアコン使わず高齢者の室内での死亡例も多く、温度は30度超えなくても湿度も高いのも原因の一つじゃないのかなぁ? 水分補給とか色んな要素はあるにしても夏場の湿度ははっきりいって盲点でした。今は窓開けので対処してる2階の寝室と娘の部屋もエアコンつけるかなぁ。光熱費関係ない息子はガンガン部屋でエアコンつけてるし(旦那から10時までとは言われている)、その室外機が共有のベランダに置いてあるんで、窓開けるとゴ~~~って音がまた暑苦しいし寝室でくつろげない。かといってエアコン完備の居間の方は娘が占拠してるから好きなテレビも見れないしそんな家族内格差を引き起こしているエアコンですが、冬場の暖房に考えました。隙間だらけのおんぼろ木造家屋では、舅と姑がいたキッチンは石油ストーブ。私らのいた居間では石油ファンヒーターと豆炭ゴタツでも問題なかったですが、確かに窓の結露はすごかったです。高気密高断熱の家でそれはマズイような気もして、標準でLDKにはガスの床暖房もついてますがエアコンも利用して冬をしのごうかな~っと。寝るときには今まで通り電気ゴタツむろん私の目論見を知っていながら、旦那が捨てたと言ってた石油ファンヒーターが物置小屋にしまってあるってどうゆう事ペアガラスだろうが、換気をちゃんとしようが、やっぱり石油ファンヒーターは家にも体にもよくないと思うんけど。じゃあ家の中で料理はしちゃいけないんだなっ!。だったら家の外で料理しろと極論をのたまう旦那だけあって、家の中で換気扇はあるが料理をするのは良いのに、石油ファンヒーターはダメというも、夜、窓を開けてはいけないのも納得がいかないらしい新しい家になろうがそこに住む人間は変わらないし、新しい家になった事で新たな難問に日々、頭を悩ます2016年夏であるきゃ~~っ、居間の床に傷があるし。誰だぁ~~!!(泣)日記の投稿面での日記のプレビューを見てもグーグル+からの写真はタグのまんまで写真とか表示されていないし。7月までのはちゃんと日記に今まで通り写真が反映をするので良かったけど。そんな訳で写真容量が無制限(1日の更新は制限あり)にもなったので、久々に楽天ブログで写真を登録してみました。新たな管理画面は慣れたら便利になったような気もします。あぁブログ村のバーナーの入れ方が全くわからないし・・・・わかる方は教えてください 写真は28年初夏に撮影現在27度、湿度69。雷雨があって窓はしめてます
2016年08月02日
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さて、巷の建物ブログをされている方をマネをして少しは家を建てられる方に参考にしていただこうと思っていたが、いかんせん仮住まいのアパートにはネット環境がなく、公共の場でのフリースポットでは思うようにブログ更新をする事もままならず更に工務店さんが用意してくれた2DKのアパートに娘が松本から戻ってくると、駐車場は3台分しかなく息子、娘、旦那か私の車(旦那が通勤利用)となって思うように車も使う事もなくなってしまい、それでもボツボツとブログも更新させてはいただいたが節約(ケチケチ)おかん、人生最大の買い物を決意?以前のように自宅で気兼ねなくネットだ出来る環境に戻ったので、建物ブログの続きをしようと思うのだがとりあえずは今までのおさらいなどを。家を建てようと思いついたのは昨年の2月末、完成見学会の広告が一度に3社くらい入ってきて、見に行こうかなぁと最初の一歩は業者選び。これさえ成功すれば殆ど成功したようなもの消費税がどうのとか、住宅ローン金利がどうのとか補助金だか控除とかそうゆうのは、全く頭になくって舅姑も足腰も足腰弱ってきたけど、当時の古い家には介護ベッドは入れられないなぁ~って思いもしての事でしたGWは大手ハウジングメーカー展示場で100円ケーキ 本やネットで既に地元の工務店で建てて貰うつもりでいましたが、ゴールデンウィーク中ヒマがあったのと何かしら家づくりに参考になればと思い、ハウジングメーカーの展示場に出かけもしたあれよあれよと言う間に、ハイ施工業者も決まりました田植えのシーズンも過ぎて、旦那もヒマが出来たので目星をつけていた工務店をいくつか回ろうかと思っていたら、一番最初に出かけた工務店で作って貰う事になりまして類は友を呼ぶ!? ベテラン一級建築士さんは巨人ファン 間もなく測量をして貰い、工務店と昔から提携をしている一級建築士さんが、こちらの希望に沿って設計をしてくれて皆さんどう思われますか? 間取りもあれよあれよと・・・銀行の住宅ローンの仮審査をしたりと、あれよあれよと話は進みまして、古い家の取り壊しが行われるまでの昨夏の盛りまでのひと月程が一番、忙しかったような安物買いの銭失い。いよいよ引っ越し日も決まりまして・・・スパートかけますか! 何せ先代からため込んだままで、とりあえずしまったままの大量の日用品の数々を必要なのか、捨てるのかを判断し処分するのが一苦労で末広がりな8月8日に地鎮祭、そして木曽ヒノキとご対面昨夏の暑い盛りの8月8日には地鎮祭を行って、お盆明けには私らは仮住まいのアパート。舅と姑は小屋を直して、そこにお引越し。工務店さんの倉庫で木曽檜なども見せて貰ったりと、いよいよ新しい家のイメージなどもわいてきたサヨナラ、我が家。古い家から、山程のモノなどを片付ける慌ただしい日をおくっていた忙しい夏、家族みんなの体重が少し落ちていたし。この家で生まれ育った叔父叔母さんに、最後に家でも見て貰おうと思ったけど、二人が入院で来れず9月の良く晴れた日に、解体作業を眺める。娘はロケ遭遇夏も終わり、いよいよ重機による解体の日がやってきてここで育った旦那や家を建てた舅は感慨無量の様子だが結構、姑とかはドライな感じだし。子供などはもう見れないぞと言っても見にも来ず人は楽しみだねと言うが、夢の家からますます離れていく現実 新しい家を建てるにあたって、本を買ったり調べたりで地元の工務店で建てようと思ってはいたけど、暇なのでハウジングメーカーの展示場なども冷やかして。自分はこんな家に住みたいななんて夢はあっても、様々な事情などもあり思うようにはいかない現実。一人で住む訳でもなく、一軒だけぽつんとある訳でもなく家の高さを間違えた昭和の大工さんにはびっくりぽんや。そして基礎工事へとテレビのビフォーアフターなどを見ていると、昔の家は素人が見てもとんでもない事になっていて、驚かされる事も多い。我が家も家の半分を建て直した時に「自分にやらせてくれ!」と言ってきた近所の大工が家の高さを間違えて、家の真ん中で屋根の高さが違っていたのには驚いた。いいかげんなもんだ馬小屋は舅&姑の住まいとなり、便所小屋も駐車場に変身最初は仮住まいに一軒家でも借りるつもりでいたが、舅姑が家から離れたくはないというので、裏の小屋を直しそこに住めるようにリフォームして貰った。今までは姑に依存してた旦那や息子も、簡単な家事とかは自分でやれるように自立するには良いチャンス待ちかねた棟上げは思わぬ延期に雨予報? 山ほどの日本酒に赤霧島スルー建て前の前日、洗濯とかやって仮住まいのアパートからこちらに来たのは午前9時位だったけど、既に一階部分の柱は建てられていて、2階部分の作業しか見れなかったのが、ちと残念だったし。それにしても良く晴れた棟上げ前日にどんどんと出来上がり、棟上げ日の夜はやっぱ雨だった建て前の日の天気が下り坂だった事もあるので、前の日には柱なども建てて、とにかく屋根までのせてしまい雨が降っても大丈夫なようにと、てきぱきと働く現場の皆さんはかっこよかったなぁ。夜には予報通りに雨が降ったが、万全の用意が出来ていたので嬉しかったしいよいよ家の中に初潜入! 土台の米ヒバはヒノキ系だったが、梁の米松は果たして松なのか?建て前も終えて、本格的に始まった家づくりにワクワクカメラを持って、大工さんの休憩時間に家の中も見せていそいそでかけていたが、冬場になって大工さんが家の中で休憩するようになると、お邪魔するのも申し訳なく見に出かけるのも控えてた前を行くリクシルの車の荷台にはうちの☆4つの断熱窓? 木の香る綺麗な現場後日、家の合鍵を現場監督さんに貰ったので、大工さんがお休みされる日曜日に旦那と見に出かけるようになるまで年末から2月あたりまでの写真は、殆ど撮っていないし巨大猪に遭遇。床断熱はジュピーな我が家のバリアフリー事情11月はサッシの納入とか、配管とか、断熱材とか次々と家の装備ができていて、お~、こんなん出来てたしってのぞくたびに新たな発見があって面白かった人並みに魅惑のショールームめぐりの秋。名古屋、松本 新宿へGO!そして思いのほか早かったのはお風呂の設置。娘の推した壁アクセントにしたが、やっぱ自分の好きなのをごり押しすればよかったかなぁ~と風呂に入るたびに考えもしてキッチンや建具とかはショールームに出かけて、じっくり自分で選ぶ事にしたのだが一番のこだわりサブキッチンの設置で、私の婚礼箪笥が最大の危機!結局、工務店さんの倉庫に預けていた私の嫁入りダンス3竿のうち2つはキッチンを広げ、クローゼットを急きょ作ったあおりで、業者さんに1竿1万円で処分して貰う事になった。唯一残された1竿の行方は後日、ブログで日本も捨てたもんじゃない。青空に輝く銀 いぶし 地域の事情で外壁は、当初のタイルからサイディングになってしまい、旦那の好みでの無垢板のフローリングが合板になってしまった我が家で、一番お金がかかったのは三州いぶし銀瓦なのじゃないかと思いもする。今でも旦那は銀色に輝く瓦屋根をいいなぁ~と悦にいっている5月下旬に入居して3週間程たって、建売ならばこんなもんかと諦めもするが、設備などを自分で好きなように出来た注文住宅だからこそ、あぁやっぱあちらにすれば良かったと後悔する事など幾つもあって、あぁあの頃に戻りたい。とはいっても施主が選べる細かな部分の話であって結果的に、この工務店さんで建てされていただけたのは良かったと思う。どんな家を建てるのかというのも重要だが、どんな家を建てて貰えるのか。結局は家を建てるのは業者さんや現場の人たちなのだから。長く住む家であるからこそ快適であり、頑丈な家であるのが一番だ↑これは、名古屋城本丸御殿にほんブログ村
2016年06月16日
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桜も南から北へ、低地から高地へといった地域差や、種類などもあって早く咲くものもあれば遅くになってと、ある程度ずれるものだけど、なんだか今年の春は一度に咲いたのではないかと思うような花盛り4月中旬が見頃と思っていた信州の高遠桜も今年は3日に開花し、もう満開を迎えているそうで、早い桜から遅い桜と4月はお花見を満喫するつもりだったのに、なんだか当てが外れてしまって、もうお花見終了間近?それでも田んぼの準備に余念がない旦那は週末は自宅で農作業にいそしむ中、今までは平日休みだった娘が、転職をした事で週末がお休みになったので、母娘でお花見ドライブ2週連続で出かけた先は高遠桜を代表にして全国から、この季節には花見客がどっと押し掛ける信州は、伊那路私流にいえばお花見街道。早くは飯田市街に始まり、松川や飯島、駒ケ根、伊那と北上しその最後を飾るのは南木曽につながる清内路の黒船桜や駒つなぎの桜って感じだけど、家から近いのに歩かなきゃいけないし、駐車場も心配だからと駒つなぎの桜は一度も見た事が無いと言う現実。今年こそはと毎年思ひはするのだがそんな訳で、本来ならば観た順に飯田市街地の桜から紹介をしなきゃいけないところだけど次にいつネット出来るか保証が出来ないので先に紹介をしたい桜から。前回の名古屋城のつなぎにもなるし、やっぱ桜と城でいきますねこのブログでも以前にも紹介をした事もあるので、覚えのある方もいるかもしれないけど南アルプスの麓、天竜川を見下ろす中川村にある「大草城址公園」には江戸彼岸桜、染井吉野、枝垂れ桜など約500本が咲く花の名所として近隣住民に親しまれている天下第一の桜として名高い、高遠城址の桜とまではいかないかもしれないけど、遠くには中央アルプスの白き峰々を眺める風光明媚な大草城址は、交通渋滞の心配などいらないし入場料も必要が無い更に言うなら高遠城址は、固有種の高遠桜といっても樹が古く見上げる様な感じで、花にどうも勢いみたいなものが感じられないけどここ大草城址はありきたりの桜かもしれないけど、花の樹の年数がいい具合で、すんごく綺麗に花が咲いて、とても綺麗だしいたるところ人だらけな高遠城址とは違って地域住民を中心に程良い人出。週末の晴天に満開とあって、駐車場に交通整理の人も動員してたけど。まぁこんな感じでまったりとお花見を楽しめます。やっぱ時にブランドも良いけど、自分だけのお気に入りのノーブランド。穴場的なお花見場所を見つけてのんびりするのも良いものでとは言っても、うちのあたりの田舎の桜と違い伊那谷を代表にして、信州の桜にこだわるのがアルプスの山々がバックにあるというだけでなんか数倍位は価値が上がるような気もしてまっ、山里に桜もやっぱり言いか。昔は大寺院宮殿などもあって栄えた都が、今は里に戻った奈良の飛鳥とか、桜がすんごく似合うような最近、中日新聞に紹介されていた桜の記事だが日本の桜は様々な種類があるというのに、昨今は生育が早く一度にパッと咲き華やかな染井吉野がもてはやされて他の在来種が無くなりつつあるいつか日本人は日本古来の桜をイギリスに見に行く必要があるかもしれないなんでも20世紀に入ったヨーロッパは日本ブームで陶器や浮世絵の様な美術品の他にも、桜も日本から持ち帰られ、かの地で春には花を咲かせているらしい英国のコリングウッド・イングラム(1880~1981)は3度日本へ渡り様々なの桜を持ち帰り、日本の桜とヨーロッパ原産の桜を交配させて多くの新種を作ったそうだ 「中日新聞(東京新聞)の記事」そういった意味からも染井吉野ばかりのありきたりな桜の名所と違って様々な桜が植えられている点からも大草城址公園に好感が持てる。まだつぼみの状態の桜も何本もあったしそして、この城跡のチャームポイントが何と言ってもこれ。7番だか5番。体力を要せずだれでも楽しめるマレットゴルフはお年寄りに人気で、信州のあちこちマレットゴルフ場があり、良く紹介していた信州松本空港脇にもあったけど、ここにも見慣れた旗が流石に桜の季節は花見客が多いのか、プレーをしているお年寄りはいなかったお城の形状が、見上げても桜、目の前も桜、下にも桜って感じで様々な角度からお花見できるのも良いのかもしれないそうそう肝心の大草城のいわれなどは、写真をご覧下さいジビエ系のお土産なども売ってましたし、試食などもしていました高齢者の他にも子供たちも楽しめるように遊具もありました何より、やっぱ中央アルプスの絶景がおすすめです。大渋滞がお嫌いな方、賑やかなお花見がお好きではない方。大自然にも恵まれた中川村の大草城址公園いかがですか? 高遠城址から車で30分位かな?<おまけ>こちらの花桃の花が咲く飯田市街地にあるお城はお菓子の里、飯田城といいまして飯田インター近くに鎮座しています飯田の銘菓「赤飯饅頭」も売られていて店員さんが試食を下さいました。娘はあんこが嫌いなので赤飯饅頭は好物だセルフで飲めるコーヒー券も貰ったので、もはや手ぶらで帰れな~いいつもの赤飯饅頭など、幾つかバラで和菓子をお土産に購入飯田城のスグ横にある「麺づくり蒼空、飯田店」でお昼を食べるここは南箕輪村に本店がある人気ラーメン屋さんで、そっちは何度か利用をした事があるが飯田に支店を出したんだそんな訳で今週も旦那は関東地方への出張なので、私の車も使えるのでネット出来ます。でも出張時は早朝の電車に乗る旦那を駅に送っていくので早起きがツライ、今朝も5時前でそんな日は朝が余裕があるので、朝ご飯のおかずが多くなりどうしたの? 今朝はゴージャスと娘にも言われもしてにほんブログ村
2016年04月11日
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うるう年の2月29日も過ぎて、今日から3月というのに朝起きたら雪で白くなっていた。そして今日から娘はプー太郎(無職)となったが、何か気合も抜けて就活なども身が入らないようだし風呂掃除はとりあえず娘がやってくれてて、昨夜は娘がカレーを作ってはくれた。こちらでの生活にもどっぷり染まっている娘だけど、そんな娘が最後に松本に過ごした夜も凍てつく寒さだった明日はアパートの退去日だという2月20日には旦那もやってきて、冷蔵庫を家電店で処分したり荷物も引き上げてしまいアパートももぬけの殻で旦那は荷物を持ち帰り、私と娘は最後の夜は松本市内のホテルに泊まる事にしたというのも退去手続きが午前なので、前日までに掃除なども終え引き渡すだけにする必要があったし前々からこちらでも紹介をしている国の補助金で半額で宿泊が出来る「ふるさと割」がちょうど長野県内で利用だ出来たのだ前々からランチなどでレストランを利用したいとは思っていながらチャンスがなかった松本のホテル「アルモニービアン」で泊まって、朝食で念願のレストランを使えるのは良いチャンスだし松本最後の夜は馴染みの松本の街で、のんびりと外食などもして別れを惜しみたいし、宿泊料金も「ふるさと割」でお得に泊まれてこれは一挙両得というものだ素敵なエントランスを通り、こじんまりした部屋には松本家具も使われていて落ち着いた感じだしお正月の松本飴市にはいけなかったが宿泊プランには松本の名物の飴もついていたので、良い土産にもなったへ~。紅茶やコーヒーまであるのはなかなか気がきいているではないか。ポイント高♪そして、いよいよ翌朝の朝食は前から行きたがった1937(昭和12)年に建てられた歴史的建造物(旧 第一勧業銀行ビル)を活用したホテル併設型のウェディング施設アルモニービアンのレストランへやっぱクラシカル~! おしゃれだしあの一段高い席は新郎新婦の席なんだろうなブッフェタイプの朝食も、松本付近の食材なども使われて地産地消を心掛けているようだお部屋からは真っ白な北アルプス。この光景ももう見れなくなるのだなぎりぎり松本城なども見れたそれにしても寒い松本だった。娘が大学に入学をした10年前から(途中での伊那&富士は4年)数年間はこの土地にお世話になったけどマイナス10度にもなるような寒さで、雪が降ると踏み固められて道はスケートリンクのように凍りつき車の運転も気を使ったものだこの雪だって、その日の雪ではなく4日位前に降った雪が溶けずにそのままだった訳で。そんな寒さに閉口しての娘の帰還でもある。住宅手当が今春で切れる&流石に一人暮らし10年は飽きたし寂しいというのもプ~太郎になった主原因ではあるがなんかホテルの駐車場がわかりにくかったので、普段から利用していた、近くの松本市役所の来場者用の駐車場に車を停めて、夕刻、松本城を横切りホテルにむかった松本市役所の駐車場は市役所が閉庁している、平日の夕刻から明朝までと、休日には一般にも開放がされているので無料でとめておく事が出来るのだ。市役所の真横には松本城夜には城はライトアップをされておりこのような姿を見るのもこれが最後になるかもしれないホテルにチェックンをしてから、早速、夜の松本の街に繰り出したのだがしゃぶい~~!前々から行きたかった酒屋さんが夕刻から立ち飲み屋になる「スタンディング8オンス」に出かけてみた日本酒の飲み比べセットをまずは頼んで、ぐいっと日本酒の他にカクテルや洋酒など豊富な種類の酒が手軽に飲める他に簡単なおつまみなども食べる事も出来るので、仕事帰りのサラリーマンなども利用をしているようだおつまみ2品と利き酒セットに他に3杯飲んで二人で2千円以下に収まった松本は知る人ぞ知るバーの多い街でもあるそうだがチャージ料や、カクテルなどの単価の高そうな店でなくって庶民の友のような立ち飲み屋で満足をする我が家そして夕食には近くの「麺肴ひづき」へ出かけてやっぱ寒い夜にはラーメンに限るって感じで娘は香辛料を使っていそうなスープのもので体もホカホカだ思えば初めて松本の街に行ったとき(娘のアパート探し。10年前の12月下旬)にも大雪が降ってたけれど引っ越しのちょい前にも大雪が降って主要幹線道路などは渋滞。せっかく娘も会社出勤も終えて引っ越しまでの数日間、少しは近くに遊びに行こうと思っていたのにアパートに缶詰めになってしまってがっかりしたけど大雪が引っ越し当日とかでなくって助かったし。とはいっても引っ越しも昨年末から私が自分の車で運んでいたのでほとんど残っていないし右下のは娘の車です。しっかり最後まで雪かきなどもする羽目になりました。無論、お得意のスーパーなどにも行く事すらできなかった訳でそんな大雪を体験しての何日か後に不動産屋さんにアパートを引き渡す日の朝になりまして、親と一緒なのは恥ずかしいというので娘を空っぽになったアパートに残して、私の方は近隣のスーパーで時間つぶしをする事にして、この部屋ともこれが最後かぁ~。南向きで日当たりの良い6畳の部屋2部屋と大きな押入れタイプのクロゼットが各々にあって収納力抜群で、2台分の無料の駐車場あったので家から2時間私も気軽に遊びにも来させてもらったけど、もうこれでお別れ綺麗に使っていたのでクリーニング代すらも大家さんが負担する(このパターンは初めて)との事らしく、まぁキッチンなどの小さな汚れ2つでクロス張替えなどもあるようだが会社負担だし、無事に引き渡しも終わったようでバイバイ松本。次に出かけるとしたらスイカ村が松本の波田に開設される夏位だろうか。安曇野とか諏訪などの周辺に遊びに行くのも楽しかった松本はやっぱ寒かった 平成28年1月下旬に松本で撮影にほんブログ村
2016年03月01日
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