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いよいよ、娘と4月上旬に出かけた韓国のお花見ツアーも最後の観光先となりました海雲台のホテルを出て近くの海東龍宮寺の拝観をして釜山市街に戻ってきた訳ですが中山道が美濃の中津川から険しい峠を越えて木曽に至る山腹の馬籠宿に住んでいるので恵那山も正面に見えて風光明媚でいいけど冬は道が凍結して、車が大変なのが玉にキズ程度に思っており岩村とか、城の建つ山腹に城下町が形成されて金華山の岐阜城とか、山の上には偉い人が住むもんだって認識だったが、韓国の「陰宅(墓所)風水」では、見晴らしが良く風通しの良い山腹などは、お墓を建てるのにぴったりらしくってかつては山にあるのはお墓かお寺だったそうだソウルや釜山の街なども、坂をぐんぐん登った山腹には貧しい人が住んでおり、空の月に手が届きそうだとか、バラックの隙間だらけの屋根から月が眺められるので「月の町(タルトンネ)」と呼ばれ、朝鮮戦争で行き場のなかった人たちが集まってテントなどを張って暮らし始めた集落も釜山のチャガルチ市場などもある繁華街のすぐ裏手の山腹である甘川洞(カムチョンドン)もそんな貧しい月の町の一つであったが、近年になって、アートな街として注目を浴びている東西を山に囲まれて、南側には海を望む斜面に朝鮮戦争の際に避難してきた人々が住みついた迷路のように入り組んだ路地が特徴的な貧しい月の町だったその独特の風景に魅了をされたアーティストらが次々と移住し、2009年にはパブリックアートを取り入れた町おこしが行なわれた事で、カラフルに塗り替えられた家が所狭しと建ち並んだ甘川文化村(カムチョンムナマウル)に生まれ変わったのです釜山も以前にも複数回来ていて、フリーでもあちらこちらに出没をしていたのに、ここは知らなかったで、ツアーの目玉である鎮海の桜というのが一番であるけど、3日目の釜山観光で甘川文化村が入っていたのも、このツアーに参加したいと思った一因だ町の入り口にもなりそうな所でバスを降りてから集合時間を決めてのフリータイムだったが、あぁもっと時間があったらなぁ~と思わせるようなワクワクするような街並みだまっ昔は若い女性が敬遠するような町であったのかもしれないが、ホント、街も生きているんだなソウルにある梨花洞壁画村(イファドンピョックァマウル)もまた、同様の試みがされているそうだ前々回では海辺に建つ高層マンションを紹介したが朝鮮時代を経ての現代においても、光があれば影もある。格差社会を肌に感じる事も出来るような気も年老いて、こんな階段ばかりは辛いだろうなぁ~とか考えるが、うちのあたりも坂ばかりで足腰が鍛えられるせいか、年寄りもご長寿ばかり今はコンクリートなどで整備された路地の階段も朝鮮戦争時には、避難してきてお金も物資もなく山には墓地があったとかで、ネット検索をしたら日本人の墓石を家屋の基礎や階段にしてるような写真などもあったアートじゃない月の町の現状などもあるので、もし興味があれば ↓下記リンクの記事をご覧ください“日本人の墓”でできた韓国スラム街「タルトンネ」に潜入! 日本人の墓をイメージしたゆるキャラも…!高台には小さな展望台があり、町を見晴らす事が出来た。この町が出来てから数十年以上の年月が流れても南北が分断されたままだとは、思ってもいなかったんだろうなぁ朝鮮戦争(1950~53年)は、第二次世界大戦後に、南北で米ソの分割統治下に置かれた朝鮮半島における東西両陣営の代理戦争というべきもので生まれ故郷に戻れなくなった人々や、 家族が離れ離れになってしまい、南北の分断は決定的となった事で1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離れ離れになってしまった韓国と北朝鮮の国交が樹立し、2000年代になり離散家族再会事業が開始されたが、全員の希望がかなえられる訳ではなく、抽選などによる限られた人だけのようだ。彼らの多くは既に80歳を超えて一目でよいから肉親に会いたいと思っている更に韓国国内でも戦火を逃れるうちに身内と離れ離れになってしまった家族も存在しており1983年に「離散家族を探します」という138日間にも渡る生放送番組では約5万人が参加をし、1万人程が家族に再会できたそうだ日本でも国策によって満州に渡った人が終戦になっても帰国が出来無かった中国残留孤児が家族を探す為に沢山の写真が新聞に載っていた時期があった。姑の叔母と幼い従妹も行方不明であったので新聞の写真で面影を探していたが再会はかなわなかったそろそろ集合時間にも近づいてきたので同じ道を辿っていくが、もう小一時間程あったらなぁ・・・。観光地をロスなく安くまわれるが、こういった時に自由さがないのがツアーの欠点でもある美味しそうな匂いもただよって、娘は食べたそうだが時間もないこんな階段もあてどなく、ぐんぐん降りていってみたいんだけど集合時間には皆さんお揃いになっており待ちかねたように大きな道に観光バスもやってきたのでそれに乗り込んだ釜山の繁華街から見る月の町。さて後は金海(キメ)国際港空港に向かうだけとなった途中には大きなスタジアムがあった金海国際空港のすぐ横にあった商業施設の一角の土産物屋さんに寄り、最後のお買い物私もふりかけなど食品などをお土産に購入金海(キメ)国際空港にお昼頃に到着。あっという間の2泊3日は、満足のいく旅行だった。待ち時間もたっぷりあるが、機内食もでるのでスイーツなどを食べてみたせっかくの窓際の席なのに、下界は雲で遮られていた。残念大韓航空の機内食。パン残しちゃったあっという間に日本列島に戻ってきたようだあぁ、雲が無かったらなぁじゃじゃじゃ~ん。午後には名古屋駅前の見慣れた高層ビルを見上げてましたやっぱ街がきれいな気がするナナちゃんだぁ~機内食がいまいちだったんで、お腹も空いていたので親子丼を食べた飛行機がセントレアから午後に出発し午後に到着したので、家からの行き来はとても楽だった。瑞浪駅裏の駐車場に車を停めているので、そこまで電車でGOお土産はいつも購入するひまわりの種とか伝統茶のステックなどなど更に韓国のりや昆布のお菓子こちらは免税店来店や、ホテルに現地ガイドさんから貰ったものなど夕刻に帰宅したので、近くのスーパーで安くなったお総菜などを購入して久々の日本食。 平成30年4月9日に撮影にほんブログ村
2018年06月17日
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満開の桜。今年4月上旬に娘と出かけた韓国のお花見旅行。初日に降り立った釜山の空港近くの桜並木、慶州の桜並木、韓国一の桜の街である鎮海とまわってきたが、少し満開が過ぎていた感じだけど、ここは満開! 最後の最後に見事な桜を見る事が出来たそんな満開の桜が迎えてくれたのは、釜山郊外の海辺に建つ海東龍宮寺( ヘドンヨングンサ)だ前に来た時にフリーで行きたいなぁと思ったが他にも行きたい所が多くて、断念をしたお寺で今回のツアーに入っていたので嬉しかったしかもこんなに綺麗な桜が咲いていたのだからお花見旅の最終日を飾るのには相応しく、福の玉をくわえた龍もニコニコと笑っているようだこちらもお花見シーズンなのか、地元の方の団体バスなども幾つも入ってきてやっぱ地元の奥様達はカラフルなお召し物がお好きなようで、みんなで黄色にしようとか相談したのかな。前の一団はピンクのお揃いでなんだか一度に春が来たみたいこちらはツアーの日本の奥様達。4月とはいっても日本でも寒の戻りのあった頃なので冬の装いが多いのか地味な印象。ネットにあったが派手な色合いの洋服が、バブル後に本来の自然で地味な姿に戻そうとしたのが今の系統らしいのだ更に日本古来の染料は天然素材から出来ており色彩も上品だったりするそうで、カラフルな色には違和感も感じるようだ。それに比べて韓国は王様は赤色とか両班は、中国からの輸入などで美しい色合いの衣装も着れたが、染色技術がなく庶民は綿の生成り(麻とかの白っぽいの)のものしかなかった元々が染色の技術を持ち合わせていなかった事で、色彩の調整や配合、配色の感性も無いままで化学染料を使う事で、単純な原色などの派手な色合いが一般的であるという長い歴史の中で、先人が作り上げてきた技術や文化の違いが、今を生きる色彩感覚にも影響を与えているんだというのも面白いものだ。でも私もカラフルな色のものも好きだったりします何よりベージュや黒のような無難な色から売れカーディガンとかで、黄色とか緑のが売れ残りかなりお得な価格で売れ残っていたりするのでこの前も、オレンジの春の上着がめちゃ安くてそれでも派手かなぁ~~と買うのをやめたけど韓国の奥様なら即、購入されたかもまっ、私自身も色付きの洋服が好きな方なのでどうのこうのは言えないが、原色はないかなこの時期のクローゼットはこんな感じずらりと並んだ十二支(シビジ)の像。その歴史は古く殷の甲骨文で十干と組み合わせて、日付を記録するのに利用をされた。戦国(中国)時代以降になると年、月、日、時刻、方位の記述にも使うようになったそうだ。中国や韓国では亥はイノシシではなく豚だそうだ亀のようなものの台座に乗った碑を、亀趺(きふ)といい、それは亀でなく贔屓(ひき)という中龍が生んだ、9頭の神獣である竜生九子の一つで、中国の伝説上の生物だ。重きを負う事を好むことから台座などになっている柱の土台である贔屓を引っぱると、柱が倒れてしまう事から、ことわざの「贔屓(ひいき)の引き倒し」の由来となった。儒教の影響からか日本でも江戸期より取り入れられた韓国の済州島のトルハルバン(石製の爺さん)は街の入口などに立てられ、日本でいうところの道祖神的な存在だろうか。大きい目と鼻。唇は閉じており、韓国伝統の帽子(モジャ)をかぶり両手を腹部で合わせるのが特徴である釜山から少し東に行った松亭(ソンジョン)という、風光明媚な海辺の岩場に建っている海東龍宮寺(ヘドンヨングンサ)は観音信仰の聖地として数多くの観光客が訪れるそうだこのお寺の拝観は〇〇時に駐車場のバスに集合となっており、かなり時間が割いてあったけど、速足でぐんぐん、ぐんぐんと先に進んだ。かなり広いお寺だやっとカラフルなお堂が見えてきた。1376年に高麗公民王の王師であった懶翁(ナオン)大師が創建をしたと伝わっている。その由来は・・・その当時、暑い日照りが続いていたある夜の事懶翁大師の夢の中に東海龍王が現れ「後ろは山で前は海である場所で、毎朝手を合わせて仏様を拝めば、雨順風調し、国泰民安あり」と言わたそうだその為、この地にお寺を建てて山の名を蓬莱山(ボンレ)とし、普門寺(ポムンサ)と名づけたのが最初であるそうだ文禄・慶長の役で焼失をし、1930年代に通度寺(トンドサ)の蕓崗(ウンガン)和尚が寺を再建1974年晸菴(チョンアン)和尚が100日間祈った末に、夢の中に白衣を着た觀音菩薩が龍に乗って昇天するのをみて海東龍宮寺と改名したそうだ心から願えば、誰でも必ず一つは願いが叶うといわれているそうだ。東海龍王をカタカナでトウカイリュウオーとか書けば、なんだか早い馬にしか思えないけど、どうやら中国の西遊記や封神演義にも出てくるメジャーな龍王であるらしい中国の伝説では人間世界を取り巻く四つの海にそれぞれ龍王がおり、海や水棲の生物を支配しており、彼らは兄弟であるそうだ。姓は敖(ごう)で、敖広(ごうこう)、敖欽(ごうきん敖閏(ごうじゅん)・敖順(ごうじゅん)だが他の名前も伝わっている顔が青い東海龍王敖広、顔が赤い南海龍王敖欽顔が黒い北海龍王敖順、顔が白い西海龍王敖閏なんだとか。日本の古墳などでも描かれている青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が、後の代になり青龍が四海龍王となり、玄武は玄天上帝と亀蛇将となったそうだ孫悟空が使っている如意金箍棒は、もともとは東海龍王の庫にあったのを、孫悟空が奪い取ったらしい。日本での龍王は仏教による八大龍王となる。なんだかガメラのようなウミガメとりあえず境内はみんな見てみたいので、お堂の裏山を登って、高いところから見下ろしてみた韓国最大級と言われている高さ10メートル程の海水観音大仏は、ひとつの石から彫られたそうだ海水観音とはどんな仏様なのか検索をしてみたがわからなかったこの金ぴかなのは、どうやら弥勒様らしいがイメージが違う~。弥勒と言えば中宮寺とか広隆寺のなよ~とした弥勒半跏思惟像しか想像できないし、こんなおっきなお腹の・・・しかも金ぴかこちらはお釈迦様の誕生像だろうか。金ぴかむむむ・・・・こちらの金ぴかの真ん丸なお尻は金色の豚。夢の中に豚が出てくるとお金を貰うそうで、大きなブタの貯金箱とか韓流ドラマでもよく出てくる。なんでも2007年は600年に一度の黄金の豚年だったそうで黄金の豚ブームだったそうだあちらの岩場にも金ぴかの仏さまの姿が。無論あそこまで見に行くとしてみよう黄金の仏の向こうにお寺があるのも、良い構図になりそうだ。この仏さんが何なのか不明参拝用の敷物が置かれていた。その端にある日の出岩。ここから日の出を見るのだろうこの海の彼方には近くて遠い日本テレサテンや欧陽菲菲のような台湾出身の歌手がヒットを飛ばした頃に、韓国からもキム・ヨンジャやケイ・ウンスク。果ては日本人の天童よしみが歌った、珍島物語なんてのもあったけど、草分け的存在であるのが1987年の紅白歌合戦で、韓国人歌手として、初めて出演したチョー・ヨンピルが「釜山港へ帰れ」を歌ったので覚えている方もいるのでは。三佳令二による日本語版の作詞では、釜山港で帰ってこない男性を待つ女性の心情が歌われているのだが本当の詞では、(日本へ)行ってしまって帰ってこない兄弟の事が歌われているそうだその日本語版の出だしは ~椿咲く春なのにあなたは帰らない~椿が咲いておりましたお堂と参道を繋ぐ階段は108段。除夜の鐘でも有名な煩悩の数108つ。ウィキペディアによると>眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・>身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに>好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが>悪い)・平(へい:どうでもよい)があって>18類>この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:>きたない)の2類があって36類、この36類を>前世・今世・来世の三世に配当して108となり、>人間の煩悩の数を表す。という事だ。この花は何だろう?いよいよ4月上旬に娘と出かけた韓国旅行の日記も次回が最終回。やっと旦那と出かけた国内の旅の話も始められそうです。今は娘と出かける夏の激安バスツアーの計画中。何を食べようかな 平成30年4月9日に釜山で撮影にほんブログ村
2018年06月14日
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風呂と台所の水回りはリフォームをしてあったがオンボロ木造家屋に嫁いで25年以上。念願でもあった家の建て替えもして早2年。つい2年前であるのか、もう2年なのか。旦那も定年して同じ職場で高齢者再雇用となり、事あるごとにお金はもう無いからと、夏休みの旅行すら放棄しそうな勢いだそりゃ、今までの給料が半減してしまうのだし今年1年は、昨年度の所得金額に応じた税金を払わなきゃいけないけど、今まで2万円ちょい払い込んでいた生命保険は今月の支払いが最後その分はなくなるのが有難い。その保険は世間でお宝保険と呼ばれるバブル末期に契約したもので15年位前には、保険のおばちゃんから、新しいものは保障内容が良くなったと、保険の契約切り替えをすすめられたものだというのも、お宝保険は契約当時の金利5.5%とかで保険の掛け金が計算されているので、今と比べて格段に安いので、保険会社側には負担にも感じ、保険会社に有利になる保険に切り替えさせようとあの手この手で契約更新を迫ってきたのだバブル時の経済状態が続いたらという予測内容の契約書だったから配当金はバカスカ入り、高齢になったら、結構な老後資金が入る算段であったが捕らぬ狸の皮算用。バブルの崩壊で経済状況も芳しくもなくて今やゼロ金利。その為に予測をされていた高額の配当金も入る訳もがなく、その金額の少なさに絶句する人も多いけど、契約書に経済状況で変わるので保障は出来ないと、下線付きで大きく書いてある。保険金とは別の配当金だけでも、うちも750万円位になると予測をされていたのが現実は100万円そこそこだったそれでも契約後の数年間は3万円位つつ配当金が出てたので、それらが今は100万円ちょいとなって今後も4%位の金利で増えていくみたいだ。当時入ったのは定期付きの終身保険で、掛け捨てでの高額の死亡保険と医療保険を、終身保険に特約として付けたもので、6月で特約部分は終了するが掛け金を払い終わった終身保険600万円は有効なので、契約続行(解約金は現在は250万しかなく長く続ける程、600万に近づくらしい)掛け捨て特約部分でも、満期にあたり解約金として35万円位戻ってくるし、前に保険会社が株式化をした時にも(株か現金か選択で)お金を貰っているので、トータルすれば長く支払ってきた掛け金位はどうにか戻ってきそうだ。それにしても災害時の死亡では増額みたいな特約なんかつけずに、主契約の終身保険の金額をもっと多くしておけば良かった。旦那も私も20代の頃にはそんな事も判らず、旦那の親戚の保険員に言われるままだったし医療特約だけど掛け捨ての安い保険とか、がん保険にも前から入ってるので必要もない。さて写真の方は娘と4月に出かけた韓国旅行2日目の夜。広安里ビーチの夜景です。釜山市内中心部と海雲台までを結ぶ自動車専用道路にかかる広安大橋で、総延長は7420メートルそのうち900メートルがつり橋。愛称はダイアモンド・ブリッジこちらは見事な釜山市街の夜景も楽しめた釜山港大橋で主塔の高さが190メートル、南区戡蛮洞から影島の青鶴洞まで全長3331メートルという韓国内最長の鋼合成の斜張橋だそうだ。横に入った光はバスの室内灯2千円程のオプションでの市場フリータイムと、ナイトツアーはなかなか楽しいものだった。こうして夜遅く今夜のホテルに到着外観写真は翌日朝に撮ったものだが、男優のチャン・ドンゴンが名誉総支配人だとかいう、海雲台グランドホテル(こそっと。昨夜のホテルとはえらい違いだ)で昨夜のホテルと順番が逆じゃなくて良かったホテルのある海雲台(ヘウンデ)の海岸沿いにはホテルや飲食店が立ち並び、外国人専用のカジノ免税店もあり釜山を代表するリゾート地として知られている新羅の文人である崔致遠(号・海雲)が、海雲台海水浴場の西端に位置する冬柏島(トンベクソム)を訪れた時に、岩に「海雲台」と彫ったのが、この地の由来とされている温泉としても歴史は古く、真聖女王が湯治を行ったと伝えられている。韓国において女王という存在は新羅において、ドラマにもなった7世紀の善徳女王真徳女王、9世紀の真聖女王の三人だけだ。中国において唯一の女帝は唐の高宗の皇后となり、後には唐に代わり武周朝を建てた武則天で7世紀末に在位日本でも7世紀は女帝の世紀であり、推古天皇に皇極(斉明)天皇、持統天皇。続いて8世紀には元明天皇、元正天皇、孝謙(称徳)天皇。そして時代が下がって、江戸期の明正天皇と後桜町天皇である。そういった意味からも7世紀の東アジアは女王の世紀であったお部屋からの海雲台の眺め。10年近く前に海雲台の水族館でサメとかカワウソ見たけどこんなに大っきなビルの建ち並ぶ地域だとは思わなかった。で昔のブログの日記を見たらやっぱ奥の方にビル群がありましたわ。人の記憶などいい加減なものだし早起きをして、まだ誰もいない静かな春の海辺の散歩も楽しみたかったけど、一昨日昨日と夜観光があって疲れたのかぐっすり今日が旅行の最終日。お天気には恵まれたようだ。韓国最後のお食事はホテルで朝食他のツアー客のお父さんも、やっとお腹一杯食べられると喜んでいたけど、肉もあれば、温かなものは温かく、美味しいって感じられるブッフェスタイルの朝食続けての韓国風の食事だったので、やっぱ洋風の味も恋しくなった。フレンチトーストチーズにカフェオレ。でもでも韓国のりもパクパクっといよいよ最終日(とは言っても半日)の観光スタートは、「タルマジキル(月見の道)」を車窓から。こんな所を散歩出来たら楽しそうだ開店前のロッテのアウトレットも車窓からこの後に観光があったけど、次回の日記で紹介をするので、その観光後に釜山市街へ向かった時の車窓からの風景を紹介すると海雲台から釜山市街に戻る途中に突如、現れる高層ビル群はマリンシティというセレブな方が暮らすゴージャスな街で、釜山のみならず韓国内でも注目をされているらしい富と栄華を享受するお金持ちや、芸能人とか著名人がだだっ広い部屋に住み、駐車場には高級車がずらりと並んでいるらしいここの学区にある小学校も評判が良いらしくこのマンションの人気を押し上げているんだなんてのも在韓日本人の方のブログに書いてあったけど、なんでも韓国ではマンションに住む事がステイタスらしいしかも金額が高いので自分の代だけではなく子供の代まで、その住宅ローンを払わなきゃいけないので良い収入を得させる為に子供に良い教育をさせているなんて、現地ガイドが話していたが、やっぱ財閥系大企業と、他の企業の賃金格差は大きく、一流大学を出ても満足のいく就職が出来る訳でもない>韓国統計庁が発表した17年の失業率は3.7%で>前年と同じだった。一方で若年層(15~29歳)の>失業率は9.9%と統計が現行基準となった>00年以降で最も高くなった(中略)統計庁は>「社会全般の高学歴化と大卒以上の求職者の>希望の高さの問題が複合的に作用したためと>みられる」と説明した>大卒以上の失業者数は50万2000人で、>全失業者102万8000人の半分近くを>占める。15年に42万5000人だった>大卒以上の失業者数は16年には45万>6000人に増えていた。>韓国は苛烈な競争社会で、受験戦争の激しさで>知られる。一流大学を卒業して大企業に就職>するのが理想とされ、そうでなければ脱落者と>みなされかねない空気があるという。(中略)>富裕層やエリート官僚による縁故採用もはびこる>中、国外に働き口を求める若者も少なくない。>経団連は、韓国の大学生を対象にした日本企業の>就職セミナーを今春にも韓国・ソウルで開く。韓国の>優秀な大学生を日本企業が雇い入れれば、日本の>人手不足と韓国の就職難が「わずかでも改善できる」>(関係者)との期待がある。>「ヘル朝鮮」から抜け出そうと、日本を目指す>若者が増えるかもしれない。ヘル朝鮮 英語で>地獄を表す「ヘル(Hell)」と「朝鮮」を組み>合わせた造語で韓国社会の生きづらさを自嘲>した言葉元記事は産経デジタルニュース↓大学は出たけれど…韓国就職難で大卒の失業率が高卒上回る 「ヘル朝鮮」脱出へ若者は日本を目指す?この日記の最初の夜景写真でもあった、釜山港大橋ちょっとレトロな街にも春には桜が咲いて、無機質な高層マンションの街より、こんな街の方が人の温もりみたいなものは感じそうだけど。私なら郊外で庭付き一戸建てがいいなぁ~まだ平地の少なそうな釜山とかは高層ビルが必要な気もするがだだっ広い中国の平原とかに、高層ビル必要なのかなんて思いもするが高層マンションのようにエレベーターなどないので高齢者は急な階段を上っての行き来はつらいかもうちのあたりも坂ばかりだけど、おかげで足腰の丈夫な年寄りが多く、ご長寿に繋がっていたりして儒教の国で親やご先祖は大事にするはずだがこんなご時世で、子供もお金が精いっぱいで頼れず、定年も早く日本ほど年金も充実しておらず、高齢になっても働かないと生きてはいけないと、段ボール集めをする高齢女性を複数見かけた。前には炎天下の歩道橋の上や走行中の地下鉄の中でベルトとかを売ってた高齢男性もいたし韓国の若者も大変だけど、高齢者も大変だ先進国34国が加盟する経済協力開発機構で65才以上の高齢者の貧困率が一番高いのは韓国(日本は4位)で75歳以上の就業率も1位(日本は3位)で五人に一人が働いているらしいというか日本もかなりやばい。下流老人なんて言葉も出てきたくらいだし、核家族化で高齢者のみの世帯が増えたからだろう。看板わんこ。まだまだ韓国旅行3日目の観光は続く・・・ 平成30年4月8日、9日に韓国釜山で撮影にほんブログ村
2018年06月07日
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例年に比べて桜の開花が早かった事もあって3月下旬から5月中旬(八重桜だが)という長期にわたって、あちらこちらでのお花見が出来た年はなかった。その中でも桜の開花が詳しく予想が出来ない中での、かなり前での予約が必要な「お花見メイン」の旅行はある意味でギャンブルのようなものだ4月上旬に娘と出かけた韓国旅行の決め手になったのは韓国一の桜の名所である「鎮海」(チネ)のお花見で、娘の休みの関係から4月7日~9日の旅行日程のうちの2日目にあたる4月8日の午後に鎮海(チネ)観光とされていたのだが韓国も日本同様に、近年は桜前線は早くなる傾向にあり、昨年までのネット情報から予想するに4月3日辺りが良さそうで、8日まで花が持つかなぁ~と、ネットでリアルタイム検索で「鎮海」を調べ、あぁ開花しちゃったなんてやきもきもして。まぁここが葉桜でも釜山や、慶州の桜だってあるんだしなんて自分を励ましてもいたけど、まだ桜が綺麗に咲いていました。良かった~。それにしても満開になっての日曜日。流石に韓国で一番有名な桜の名所だけあって、すごい人出でした。しかも若い子が多いような気がする釜山のすぐ西に位置する鎮海は街のいたる所に桜が咲き、その数は30万本を超えるそうだがこの桜もまた、日本との深い関りがあるという古代において日本とも深く結びつき、幾つもの小国により形成された「伽耶(かや、任那)」が釜山も含めて、このあたりに存在をしたという稲作や良質な鉄の製造に加えて、地の利を生かし海路により中国や日本と交易を結び、4世紀頃までは新羅よりも栄えていたそうだ。この地域には日本からの影響を受けて幾つかの前方後円墳すら存在をしているそうだそう、何も朝鮮から文化などが一方的に日本に渡ってきた訳でない。韓国料理には欠かせない唐辛子だが、韓国では倭芥子と言い秀吉の朝鮮出兵の時に日本から伝わったというのと、逆に日本で高麗胡椒と呼び朝鮮から日本へ持ち帰ったという説もあるんだとか この写真だけ鎮海市内、別所で撮影そんな文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率い戦った事から近世においても抗日のシンボルとされているのが、李氏朝鮮の将軍の李舜臣(イ・スンシン)である。水軍を率いた李舜臣は巧みな鶴翼誘引策の戦術と、自ら改良をした亀甲船を駆使し戦功をたてたそうだ韓国各地に李舜臣の銅像があり、1952年に鎮海に建立されたのを記念し、追悼式を行なうようになった鎮海の軍港祭が、年を経るにつれ桜の祭りも相まって大規模となっていった桜の名所として知られる鎮海海軍士官学校が一般に開放をされたり、花火やイベントなどで開催期間中の10日間で200万人も訪れるようになった。娘、両手に屋台スイーツでご満悦。私もおすそ分けを貰う鎮海の街中に桜が咲いているが、その中でも人気のある「慶和(キョンファ)駅」は、廃線となりましたが、まだ列車が通っていた桜の散る頃には、列車が通過すると桜が吹雪のように舞い散り、それはそれは美しかったそうです韓国映画「天国までの60日」や、日本でも放映された韓流ドラマ「春のワルツ」のロケ地でもある。旧駅構内には韓国鉄道公社(KORAIL)の車両が置かれており、記念写真のスポットになっていたさて古代より日本との関係が強かった地域でもあった鎮海であるが、15世紀初めには釜山浦とともに「興利倭船(日本の商船)」の入港が許可された「三浦」の一つとなり、日朝貿易の拠点とされたが、後には釜山浦のみとなったそして時代は下り・・・ウィキペディアより>1904年2月、日露戦争開戦に際して日本海軍は>鎮海湾一帯を掌握、巨済島で海軍根拠地の建設が>行われた。鎮海湾は日本海海戦に際して連合>艦隊の集結地となった。(中略)当初は鎮守府を>設置する計画で軍港と市街地の建設が進められ>1916年に鎮海要港部が設置された。>以後、鎮海は日本海軍の軍港都市として発展し>1931年には鎮海邑に昇格した。市の中心部に>あるロータリーをはじめ、随所に往時の日本の>都市計画の姿を見ることができる。また、地名>には末尾が「町」となる、日本式の地名が付与>された。>日本の敗戦後、鎮海の海軍施設は、大韓民国>海軍の前身である朝鮮海岸警備隊によって利用>された。1946年には海軍士官学校、1949年>には大韓民国海兵隊が設立されている。そんな訳で日本人によって作られた街なので街路樹には日本から持ち込まれた染井吉野の桜が植えられたそうであるが、太平洋戦争が終わると日本帝国の面影を消す為に、街の桜は伐採をされ、物資の少ない時代でもあり燃料にされたそうだ桜は伐採されたのに再び、桜の街になったのは「1966~80年代中盤、在日同胞と日本人らが桜の苗木約6万株を鎮海へ寄贈した」との事で再び日本の染井吉野の桜が植樹をされたのがきっかけであるようだ。在日本大韓民国民団の植樹に関しての資料によると>「日本帝国主義の植民地支配と同族相殺の韓国>戦争(朝鮮戦争)で荒廃した祖国の発展に尽く>そうと、祖国のセマウル運動(農村振興運動)に>歩調をあわせた1973年の『60万人のセマウム>シムキ運動(“新しい心を植える運動”と称された>植樹運動)』では、祖国の山々への苗木植樹や>150カ所の郷土集落との間でセマウル姉妹>結縁を結びました…」>「鎮海を世界的な桜の街に整備し、(桜を好む)>日本人の観光客を韓国に誘致する端緒にしよう」>(2008年1月22日付の韓国紙、世界日報電子>版)故郷の発展と日韓関係の改善に役立てばとの>思いから寄贈したのだという。寄贈後も、何度も>鎮海に足を運んでは肥料をまいたり、害虫対策に>助言を与えたり、アフターケアに従事する人も>いたらしい。更に>軍港歴史館の資料にも、それを示すくだりがあった。>「鎮海では1960年代から再び桜を植え始め、>1976年、鎮海を世界第一の桜の都市に育てよ>という大統領の意志に従い、本格的に桜が植え>られるようになった」元記事産経新聞ネットニュース ↓リンクからお読みください36万本が咲き乱れ…軍港・鎮海の桜に秘められた日韓110年の歴史を紐解いた鎮海きっての桜の名所「余佐川(ヨジャチョン)」は川沿いに約1,5キロ続く桜並木があり、私も見てた韓流ドラマ「ロマンス」の撮影地として知られているちょい桜も終わりかけだが、完全葉桜になってた人のブログの写真に比べたら、まだまだいけそうだ在日同胞や大統領の支持もあった桜だけど、植樹の当初は日本の桜に反発もあったのだが、1900年代初頭に、済州島で発見された王桜(ワンボンナム)は染井吉野によく似ているので、韓国の王桜が日本へ導入されて染井吉野になったとの誤った俗説が広まり染井吉野も韓国発祥だからいいんじゃないかととは言ってもね、染井吉野は園芸が盛んな江戸の染井村で、江戸時代中期に日本中の桜が集められて交配をした結果、吉野桜(山桜)に似た桜が出来染井吉野と名づけられた訳で、韓国で発見された頃には、どこもかしこも日本は染井吉野咲いてたし染井吉野は園芸種で接ぎ木でしか出来ないクローン桜だそうで、済州島で自生ってのも矛盾してるし。既に遺伝子検査で染井吉野と韓国の王桜は別の品種であるとわかっているので、そろそろ夢から覚めて現実を認めて欲しいものだちなみに染井吉野は、信州などでも古樹が多い江戸彼岸桜と大島桜から生まれたものであるが王桜は江戸彼岸桜と大山桜の雑種で、染井吉野よりも花が大きくて色も濃いみたいだ。まっ花には罪はない。それを植えた人も好意からなんだしこういったのって過去の真実というよりも、今の政権が人気取りや、国家間の利権などの兼ね合いなどで利用しているようにも思える。実際に韓国に行くと、日本でよくして貰ったから日本人に親切にしたいとか、フレンドリーな韓国人も多くいるのだがそれを表立っては語れない空気もあるんだろうな確かに日本帝国や日本の軍人が犯した罪も多くあったと思うが、この国を良くしようと思い都市を整備したり、教育や文化面など日本人が近代化に尽力した事まで無かったように、目を背ける必要はないようにも思うのだそんな事を思いつつ日本人が作った街、鎮海からカニのイラストの付いた、遠くからでもよく判るバスで、今夜のお泊り先のある釜山へと向かったなんとか、桜も残っていてくれて良かったな♪その途中では、こんな大型遊園地があったりとかこんな作りかけの道もあった。どこかはわからないがこの間も現地ガイドの方はハングル文字のレクチャー覚えたら簡単だというが、それは覚えたらの話だいよいよソウルに次ぎ韓国第二の都市、釜山に到着日本でいるなら大阪みたいな位置づけなのだろうか?晴れた日には対馬までもが見えると言い、古くから日本からの玄関口にもあたる。そのあたりは次回以降の釜山の日記でお話しできたらと思う 釜山に着いた午後遅くに直行したのは、やっぱり参加者の皆さんもおまちかねの免税品店で、幾つも紙袋を抱えた方も。でもうちは庶民派なので屋台グルメは買ってもブランドには縁はない。そしてソウルに続いての2度目のカジノで40分滞在は誰も時間を持て余していた安い旅行は観光の他に、ショッピングとかあれこれ連れていかれるのがつらい。かといって釜山市街やソウルならフリーの方がいいが、慶州やマイナーな鎮海の桜のような移動のあるものは、やっぱりパッケージ旅行じゃないと、個人では無理だしやっと、昨日の夜、今日の朝、昼とは違ったタイプの食事が登場。韓国と言えばカルビだが安い旅行だけに肉が少ないような・・・これで1人前。(あと1回、同じ量を焼いてくれた)肉を追加する人もいたがうちはいいや。普段からお得に飛騨牛とかスーパーで買ってるから。その方が格段に美味しいし二人席なので、他人に気兼ねする事は無いが娘が肉好きなので私のを取られ、殆ど食べられなかったのはいつもの事だ。肉もないのでご飯もすすまないし、生野菜をバリバリ食べてという訳にもいかずお腹空いたし・・・やせられそうな旅行だこの後で、夕食後にホテルに直行する人もいたが大半の人は、2千円のオプション料を現地で払い韓国夜市(ヤシジャン)と、海辺から釜山の夜景を楽しむ事になっているので、夜市で屋台グルメでも食べるかぁ~という魂胆もあるので腹五分目釜山は4回目位なので、フリーで釜山タワーにも上った事があり、その近くの南浦洞(ナンポドン)の国際市場や、チャガルチ市場にも出かけた事があったけどそこに隣接しているというのが富平カントン市場で2013年から韓国初の夜市(ヤシジャン)をしているというが、チャガルチが水産市場であるならばこっちはB級グルメのお店が並んでいるそうだカン(缶)とトン(詰め)でカントン市場というのだけど朝鮮戦争後に米軍が進駐し、多くの軍用物資や密輸された商品が多く市場に並び、その中でも横流しの缶製品が多く販売されたので、カントン市場という名前がつけられたんだとか今では電気製品や、洋酒、日本の菓子、食品をはじめとした輸入品も売られ、 市場の狭い路地の間に立ち並ぶお汁粉や、カボチャ粥、釜山おでん、キムパ、チジミなどのB級グルメ屋台から、湯気が立ち上りよい香りも40分程のフリータイムでは、食品店(ミニスーパー)でお土産も買いたいし、あぁこれも食べたい、あれも珍しいなんて悠長に選んでもいられないし普通に美味だったしボリュームもある焼きそばにしたら既に焼けているものではなく、ちゃんと鉄板で手早く焼いてくれ、1皿しか注文しなかったのに箸とか水も二つくれて、お店のテーブルでパクパクしていたら店員の感じの良いお兄さんが、流ちょうな日本語でつい最近までは何年も東京にいたそうで、最初は名古屋にいたんだとか。コンクリートの名古屋城が壊されて、新たに木造の本格的なのを作るんだよといったようなどうでもよいような話をしてきたツアー客の人は、バスに同乗してたカメラマンに「そだね~」を教え込んでたし。あぁ、こうゆうの食べたい。フリーで前にも食べた事があるんだけど量が多いからなぁ~。食品店では土産物屋とかより安い価格の伝統茶のパッケージとかを買うが種類も豊富で何を買うか悩んだとは言っても韓国に最後に出かけてから、軽く数年以上は経っており、そのころに比べたら為替と関係無く、随分と物価も上がったようにも思える。前は安い、安いといった感じだったけど、今はあんまり日本と変わらない感じで割安感は全くないどころかモノによっては高いイメージのものも夜市を各々に楽しんで、再びカニのバスに乗り込んで(ホテル直行の人は小型車が迎えに来たようだ)、今の釜山の夜景が存分に楽しめるルートでホテルへと。途中も走行中の車窓から夜景が美しく撮影もしたが、多くはぶれたものばかり一眼レフのオート機能を使っているが、さっきのよりもピントが甘くなってるようだが、こっちの方が好き。まっ構図の問題もあるんだろう。では次回は広安里ビーチからの夜景と、海雲台のホテルなどを紹介できたらと思います 平成30年4月8日に韓国、鎮海と釜山で撮影そうそう朝日テレビ系の帰れマンデーですが6月4日月曜日の秘境路線バスは、南木曽から馬籠への旅なのでご覧になってください帰れマンデー「秘境路線バス・馬籠線予告」にほんブログ村
2018年06月01日
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またまたブログの間隔がかなり開きましたと言うのもゴールデンウィーク突入に合わせ旦那が定年退職。GW後に先週末まで退職休暇と、10万円の旅行券も会社から頂戴し退職旅行なども出かけた(私も同行)のでその旅行記は、いずれまた今週に入り、定年後再雇用で同じ職場で同じ仕事という訳でして、また同じような生活にやっと戻る事が出来たが、所詮は再雇用なのでお給料がどれだけ減るんだろうかっていうのが目下気になるところ。会社の同僚らに貰った還暦Tシャツは、カープファンかと間違えたそれにしても家にずっと旦那がいるのはプレッシャーです。だら~と昼間っからネットやれないし、亭主元気で留守がいいとは、ホント良く出来た標語です。旦那は旦那で口うるさい舅が横にいて、あれやれこれやれ、あそこに連れて行けとこき使われていたようで、晴れて会社に戻れて喜んでますさてさて4月上旬に娘と出かけた韓国旅行のレポート3回目。2日目の紹介となりますが前に市内の苗木城の事を紹介した時、苗木藩は徹底をした廃仏毀釈を行い、寺は破壊されて領民は皆、神道に改宗したのを覚えておられますか?ウィキペディアより>「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、>釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。>日本においては一般に、神仏習合を廃して>神仏分離を押し進める、明治維新後に発生>した一連の動きを指す。戦国を制した徳川家康の開いた、江戸幕府は中国の孔子の教えによる儒学 (朱子学) を新しい時代の官学として、徳治主義をもって幕府の礎を築いたのだが、水戸藩においては儒学思想に、国学や史学、神道を結合をさせ独自の水戸学が発展し、吉田松陰や西郷隆盛など幕末の志士に大きく影響を与えた日本における国語学、国文学、歌道、歴史学地理学、有職故実、神学といった事を学ぶ国学も流行し、明治維新を推し進めた志士らは、日本古来の宗教は神道であり、外国より渡来をした仏教などは、邪道であるといった思想を持つに至った明治政府は天皇は現人神であると、神道による神格化を求め、国を挙げて仏教を弾圧をしたのだ。お隣の国の韓国は、よく儒教の国だと言われるが、その数はもはや少数で過半数をキリスト教徒と仏教徒が占めており新興宗教を含めて、様々な宗教が存在しているようである前回も紹介したが日本の飛鳥にあるような弥勒半跏思惟像が慶州の博物館にあったというように古代朝鮮で仏教が、中国を通じ広まり、新羅やその後の高麗王朝においても最有力の宗教として興隆を極めていたところが1392年に李成桂(太祖)が李氏朝鮮を建国をすると一転をして儒教が国教となり、朱子学を修めた新興の科挙官僚である士林派(しりんは)の台頭によって、仏教は徹底的に弾圧をされた。これを「斥仏揚儒(せきぶつようじゅ)」(仏教を排斥して儒教を信奉する)という数少ない寺院を残して、殆どのお寺は破壊され所有地と奴卑を没収され僧侶は還俗させられた中宗の時には、国中の仏像を没収して溶解した上で武器を作るなどと言い出す始末で、高価な高麗仏画や仏像などは、日本へと高額で売買をされたり、贈り物にも使われたそうだ全てまでとは言わないが、こういった流出の経緯もあるにかかわらず、こういった事実に目をつぶり、どれもこれもが倭寇に盗まれたものだから我が国のものだと、日本の寺院に長く伝わる高麗由来の仏像などが、盗難にあいそれを返却もしないとは・・・この寺も打ち捨てられて、誰もに忘れ去られ廃墟となっていた。石窟庵(ソックラム)は前回の仏国寺と共に世界遺産に指定をされているのだが、1909年に郵便配達員が配達の為に吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われて山中の洞窟に逃げ込んだ際に洞窟の中に偶然、石仏を発見したというのだ前の時も、今回も地元添乗員が石仏を日本に持っていこうとしたが、出来なかったという話をしたので、ネット検索をするとどうやら日本人の偉い人がこのようなお宝を、山中に置くのもどうかと思い京城(今のソウル)に持っていこうとしたが出来なかったらしいその移動の為に分解をしたものの、再び復元したのだが幾つかの部材が残されてしまったそうである(汗) 石窟庵には他にも石仏があったのが、日本に持ち出されたと言われていたが、昨今の研究ではもともと石仏は存在しなかったそうだ更に景福宮にある高麗期の石塔の四方にあった獅子像が、長らく日本に略奪されたと言われていたのが、実はソウルの国立中央博物館に保管されていた事が2016年に判明をしたそうだ「日本に略奪された」はずの国宝、韓国にあった(産経ニュース)秀吉の侵略で寺が破壊されたというのも、前述のように、李氏朝鮮による国を挙げての仏教弾圧によるものであったりとかするようだし、万事を日本の責任にするのもどうかと思うので、韓国人ガイドさんの説明も話半分に聞いていたりもした本尊は高さ3.4mの如来坐像で、如来の額にはガラスが埋め込まれており、東から昇る太陽の光が石窟内に日差しが入ってくると、ガラスが光る設計になっているそうだ。主壁には菩薩像および弟子像と金剛力士像、天王像など39体の仏像が石窟の壁面に彫刻をされている今は石室の前に、このような建物が作られておりそこからガラス越しに拝見するのだが、内部は撮影禁止になっているので、↓リンクをぽちっとされて、内部の写真や説明をご覧下さい「石窟庵」についてウィキペディアによると>新羅の景徳王と恵恭王の時代の宰相だった>金大城(700年 - 774年)が自分の父母の>ために「石仏社」を建立したと高麗時代の>『三国遺事』に記されており、石仏社が>仏国寺の位置に近いことから石窟庵のこと>であると考えられている。>751年(景徳王10年)に建立が開始され、>774年(恵恭王10年)に完成した。その後>儒教を中心とした朝鮮時代が500年以上>続き、仏教は弾圧されたため永らく放置>されていた。石窟庵は東を向いて建てられており、この山の稜線の上に、海がはるか彼方に見えるそうで、初日の出や月の出を見る名所でもある。そうそう色鮮やかな提灯であるけど旧暦の4月8日のお釈迦様の誕生日を祝う「燃灯祝祭(ヨンドゥンチュッチェ)」のでお祭りが近づくとあちこちの寺で飾られる春の長閑な光をあびながら、てくてくと駐車場まで戻ってきました。それにしても3日間を通じて、お天気に恵まれたのがなによりだった私の出かける前日は春の嵐だったそうで強い風と大雨で、このような歩く観光はさぞかし大変だったろう。旦那との旅行過去には山陰は早い雪、南紀は遅い台風大変であっただけに、今回もかなり心配してたのだけど地元のお母さんたちが駐車場の片隅で色々と農産物を売っていた。日本での高山とか能登輪島などの朝市の光景と全く変わりはなかった慶州市最高峰でもある標高745メートルの吐含山(トハムサン)は、新羅時代には五嶽のうちの東嶽(東岳)と呼ばれており、護国の鎮山として神聖視をされ、仏国寺と石窟庵が建立されている。その山を下りてきて・・・慶州は桜の名所でもあるだけに、2日前の強風と大雨が心配だったけど、慶州の至るところで桜の花が綺麗に咲いており、車窓からもお花見次に向かったのが高麗青磁の月城窯での見学とショッピングタイム。前に慶州に来た時はコーヒーカップをお土産にしたけど、今回は値札がなくお店の人に値段を聞くのが面倒でやめたウィキペディアによれば>中国・呉越(907年~)の餞州窯(現江西省、>越州窯現浙江省とする説もある)の青磁の>技術を導入して焼き始められたものであるが>その出現時期には諸説ある。最も早い説は>10世紀前半(918年建国)、最も遅い説で>11世紀後半である。>高麗の焼き物には白磁や黒磁もあるが、主要な>製品は青磁であった。青磁の胎土は焼成前は>褐色を呈しており、これを素焼きすると灰色が>かった色に変化する。これに鉄分を含んだ釉を>掛けて還元炎焼成(窯内に酸素を十分に供給>せずに焼く)すると青磁になり>釉薬中のチタニウム、マンガン等の微量元素の>含有割合によって、緑に近い釉色から「雨過>天晴(雨が上がって晴れ渡った空の事)」と>称されるような澄んだ青色などさまざまな色に>発色する。さて戦国時代の日本。信長を始めとする戦国武将らは焼き物が大好き。その為に秀吉による朝鮮侵略は別名を焼き物戦争とも言い、半島に渡った主に西国の武将らは日本に引き上げる際数多くの陶工を連れ帰った。その中には戦乱を避け自ら名乗り出た者もいたかもしれないが捕虜として拉致をされた者が多かった多くの大名らが陶工らに土地や屋敷を与え中には武士にも、取り立てて手厚く保護をしていたそうで、日本に帰化をして日本に定住した者も多く、徳川時代に李氏朝鮮と国交が成立し、朝鮮通信使が来日した時に捕虜は共に帰国を許されもしたそして日本に定住をして、日本に焼き物を広めたので有名なのが佐賀藩主の鍋島氏が連れ帰った陶工の李参平(金ヶ江三兵衛)で日本で初めて白い肌の陶磁器「白磁」を制作有田焼(伊万里焼も)の陶祖と呼ばれている薩摩藩の島津氏も80名程の陶工を連れ帰り朴平意や金海(星山仲次)などの朝鮮陶工らが薩摩焼の発祥の祖となった。また薩摩藩から朝鮮陶工が3名、琉球に派遣されて琉球陶器が始まったそうである他に萩焼きも、毛利氏が連れ帰った李勺光 (りじゃくこう) と李敬(“高麗左衛門)の兄弟陶工が開祖とされ、「一楽二萩三唐津」と称されるように、茶器のうち特に茶碗が名高く白色の柔らかな肌合いが特徴で、私も好きな焼き物だ前回の慶州来訪時には仏国寺と石窟庵以外にも、新羅時代の古墳が集まっている大陵苑にある天馬塚の内部拝観や国立慶州博物館の見学あったが、今回は昼前に今回の旅のメイン観光に移動をするのでスルー車窓からは新羅時代の王都を彷彿出来るような古墳や遺跡などもあちこちで見る事も出来たこの塀の向こう側にも、何かあるんだろうね新羅の7世紀の儒学者である弘儒侯薛聡は名僧元暁の子で新羅語を漢字で表す方法を集成し漢文を新羅語で読み解き、中国学芸の摂取と儒学の発展に寄与し神文王(在位681‐692)に道徳規範の順守を説いたそうだ。その墓所がこの道の先にあるようだ何やら遺跡。由来は遠いので?安い旅行にはショッピングタイムが付き物というか水戸黄門でも旅先で、名物を食べて工房を訪ね、温泉に遊ぶ。という訳で慶州名産のアメジスト(紫水晶)のお店に寄り土産の根付のようなものから、ネックレスブレスレットなどが。購入する方もみえたお店の前にもおっきな古墳。かなり後でその存在に気が付いたが、到着時に気が付いていたら近くまで見物に行けたのに残念桜並木の続く慶州もお別れし、次の観光先に行く途中で、お昼ごはんをとる事になったけど、その都市名は忘れてしまった朝から寺だ、石窟だ、焼き物、紫水晶などと歩き回ってお腹もすき、駐車場にバスが到着すると一目散に食堂にGO昨日の夜も、今朝も、この昼食だってスケジュールではみんな食事の名前が違うんだけど、なんか代り映えのしない食事で、真ん中の小さな焼き魚がメインらしいけど・・・あぁラーメンが食べたい 平成30年4月8日に韓国慶州で撮影にほんブログ村
2018年05月24日
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楽天ブログを始めたのは、今から15年程前2004年晩秋だったが、それまでテレビ局の掲示板のようなところでネットをしていたが韓国旅行に出かけた写真を紹介したいな~っ!と思った時に、楽天ブログはどうですか?と掲示板の人に教えて貰って始めたものだった当時の楽天ブログではブログに使用する写真の登録容量が決まっていたので、足らなくなってきたので初期の日記の写真を剥がして、容量を増やしていたので、文字しかない日記になっているが、楽天ブログを始めたきっかけでもある当時の韓国旅行の文章を紹介したいと思う 2004年11月29日「慶州。エミレの鐘」 旅行初日、釜山空港に着いて慶州に直行を しました。そこで写真は可哀そうで撮れな かったのですが、慶州の博物館では韓国の 方ならまず知っているだろうという「エミレの 鐘」を拝見をしました。 日本で見るような梵鐘よりも、随分、大きく かなり低い所に吊るされ、地面が、円形に 掘り下げられています。新羅時代(771年)の 景徳王が、父王の冥福を祈って造をした鐘で、 正式名称は「聖徳大王神鐘」といいます。 高さは3.75m。口径は2.25m。重さ 25トンです 鐘の表面には、華やかな文様などが、彫刻を されており韓国において、もっとも美しく、 大きく古い梵鐘として国宝にも指定をされて もいます。この鐘、「聖徳大王神鐘」では なく、通称の「エミレの鐘」として有名なの ですが、それは・・・・ 天下の名工が、この鐘の鋳造を行ったの ですが、鋳るたびにひびが入ってしまい 失敗の連続になってしまい、果ては小さな 女の子を、煮えだきる坩堝の中へ放り 込んで、生贄に奉げてしまいました 鐘は立派に完成をしましたが、しかし、 その鐘をつくと「エミレ、エミレ、エミレ (古い言葉で、お母さん)」と小さな女の 子の声が聞こえるそうで、人は、この鐘の 事をいつしか「エミレの鐘」と呼ぶように なったそうです 2004年11月30日「花郎(ファラン)と、弥勒菩薩」 慶州に入るとき、乗馬姿の青年の像があった。 青年は「花郎」(ファラン)であるという。 新羅国の貴族階級の青少年組織の事を「花郎 徒」と呼んで、その指導にあたる品行方正、 顔立ちの美しい15、6歳の青年を花郎と 呼ぶそうである 少年達は、普段は、体を鍛え、武術を学び、 音楽をかなで山野に遊ぶ。そして戦時には、 戦いの先頭に立って活躍をしたそうだ。 ふと小学校の時から好きだった、アーサー 王と円卓の騎士の物語を思い出した 慶州の断石山で、修行をしていたそうで、 ここにある神仙寺には、巨大な弥勒立像と、 弥勒半跏思惟像があるそうだ。この仏こそ 花郎にとっての帰依仏であるのだ。花郎は 56億7千万年後に、この世を救うという 弥勒菩薩の化身として、人々の羨望のまとで あったそうだ 慶州の博物館には、奈良の飛鳥時代の弥勒 半跏思惟像にそっくりの仏像がある。半島 から渡来をしてきた帰化人らが、仏教や、 文物、建築、芸術・・・様々な文化、思想、 技術を、日本にもたらしたのだろうといった感じだ。その時は釜山からソウルまでバスで北へ向かっての世界遺産の旅であった。その後に新たに認定されたものもあって、12のうちで百済歴史地域、南漢山城、河回と良洞の3つはまだ行った事がないというか9つも行ってんの?という感じだけど日本は21ケ所のうち、行ったのは11と半分しかない。しかも自然遺産は遠方ばかりなので1つもないという有様だ。それだけ日本列島はとても広く、旅行代金も高いしハードルは高いそんな訳で、楽天ブログをやるきっかけにもなった人に見せたいなと思った写真のお寺がここ慶州の「仏国寺(プルグクサ)」である仏国寺については、ウィキペディアによると>新羅景徳王の時代の751年(景徳王10年)、>宰相だった金大城(キムデソン)により建立が>はじまる。『三国遺事』には、金大城が現世>での父母のために建立したと記述されている。>774年 新羅(恵恭王10年)に完成した。 最盛>期の8世紀は、約60棟の木造建築で寺院は>構成された。>李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の>仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に>名前がなく、既に荒廃しており廃寺になった>ようである。世宗による1424年(世宗6年)の>仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中>にも名前がなく、引き続き廃寺のままだった>ようである>1904年から1905年にかけて紫霞門左右の>行廊も倒壊、石壇も埋もれた状態となったが、>日本統治時代の1924年4月から1925年8月迄の>朝鮮総督府による再建工事によって石壇・石廊を>含む主要構造が修復された。戦後の1973年に>発掘調査後、改修工事で無説殿、観音殿などが>再建された。>青雲橋・白雲橋>国宝第23号。大雄殿正面の紫霞門に掛かる>石橋。751年の時から存在している遺構と>考えられている。上段の16段が白雲橋、>下段の17段が青雲橋である。合わせて33段>であるが、仏教で33は未だ仏の境地に>達せずという意味である。こちらは、先ほどの橋と対するような蓮華橋と七宝橋で安養門に上がる階段。仏国寺建立時に作られたとされ、国宝第22号に指定をされている。ちなみに韓国の国宝は321(2017年)あるそうだ>大雄殿>仏国寺の本殿にあたる。681年ごろ創建>されたと思われる。現在の建物は1765年に>再建された。>釈迦塔>国宝第21号。新羅時代の三層塔。高さは>8.2m。1966年には復元工事中、塔中央部>から世界最古級の木版印刷物である『無垢>浄光陀羅尼経』が発見された。>多宝塔>国宝第20号。新羅時代751年の作と推定される>石造の多宝塔。高さは10.4m。四面に階段が>設置されまた、塔下部は四本の柱で支えられて>いる珍しい塔の形状をしている。また塔の周り>には石獅子が配置されていたが、現在では1体>だけが残っている。>百済に阿斯達(アサダル)という石工がいた。彼は>仏国寺の石塔を造るため、妻の阿斯女(アサニョ)を>国に残して新羅に向かった。3年後、夫を待ちきれ>なくなった阿斯女が仏国寺を訪れ、夫に逢わせて>くれるよう僧侶にお願いした。>しかし僧侶は2人が逢うことを許さず、代わりに>「石塔が完成すれば影池に石塔の影が映るので、>それまで待つように」と阿斯女に教えた。そこで>阿斯女は毎日影池を眺めながら夫を待ち続けた。>ある月夜、影池に石塔の影が映った。阿斯女は>喜び、石塔の影に抱きつこうとして影池に飛び>込んでしまった。翌朝、石塔を完成させた阿斯達が>妻の待つ影池に向かうと、そこには冷たくなった>阿斯女の亡骸があった。阿斯達は慟哭し、自らも>影池に身を投げて妻の後を追ったという。以上、ウィキペディアから転載をさせていただきました。ブログを書くにあたってここの記事や、ネット検索によって初めて知る事も多い。この橋の話もへぇ~という感じで。現地での韓国人添乗員からそんな話は出なかったそれ以前に、各殿舎の入り口は大きく開けられて、中をのぞけ参拝も出来るというのに遠くから眺めるだけなので、添乗員らの姿を横に見つつ、速足で殿舎の中の仏様を参拝させていただいたお寺に出かけて参拝もせず、まわりの建物を鑑賞するというのもなんだかなぁ。新羅時代の作とされる金銅毘盧遮那仏座像は国宝第26号金銅製の阿弥陀如来像は国宝第27号に指定をされている。再び、ウィキペディアの記事によれば>高麗時代に書かれた『新羅国東吐含山華厳宗>仏国寺事蹟』や仏国寺の寺誌『慶尚道江左大都>護府慶州東嶺吐含山大華厳宗仏国寺古今歴代>諸賢継創記』が示すとおり、もとは毘盧遮那>仏を本尊とする華厳宗の寺院だった。>しかし1970年代に再建された現在の仏国寺は、>禅宗系の曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の寺院で>ある。創建時に本尊だった毘盧遮那仏は、現在>寺院奥手の毘盧殿に安置され、本殿である大雄殿>には釈迦三尊仏(釈迦牟尼、文殊菩薩像、普賢>菩薩)が安置されている。>曹渓宗は高麗時代中期の僧、知訥(1158年 - >1210年)を開祖とする。知訥は曹渓山松広寺を>中心に、禅によって天台・華厳などの教学を>包摂する教えを説いた。上流階級に天台宗が>広まったのに対し、曹渓宗の教えは民衆に>浸透した。>韓国の仏教界最大の勢力を有する。僧侶の数は>約1万2000人、公式に登録されている寺院は>1800(禅学院、大覚会などの未登録の寺院を>含めると2800余り)を数え、国家が認定して>いる伝統的な寺院870ヶ所余りの90%以上が>曹渓宗の寺院である今回、ネット検索をするにあたって、かなりここの宗派って反日的な言動を行っているらしくって、従軍慰安婦問題とか、対馬の仏像盗難事件後の対処でも名前が出てくる日本の禅は偽物で、韓国の参禅が本物といった得意の韓国が一番といった言い分もしてたりでちょっとなぁ。中国へ禅を持ち込んだインド人仏教僧の達磨大師が始祖だし。とは言っても遠い昔の今とは別国家である新羅の人たちが信仰の為に作った仏様や寺には全く関係ない話だし。新羅の面影の残る寺と思う事にしよう宗教と権力、お金はなかなか別には出来ないのか日本でも善光寺とか、名古屋の八事興正寺なども揉めてるし。神社だけど富岡八幡宮みたいな事件すら起きていて、庶民には窺いきれない異世界だとりあえず、金運が良くなるという金のイノシシをさすってみた何度か韓国にいっていると、現地の添乗員さんもいろいろで、エステどうですか? コピーもん買いませんか? などとすすめまくる人もいれば日本の国旗を焼くような人は少ししかいないですそうゆう事をしないと、彼らもお金を貰えないから・・・と申し訳なさそうに語る人もいて今回は、ハングルは簡単に覚えられ世界で一番優れている言語で、アフリカで言語を持たない民族にハングルを教えたらすぐに覚えた。一度覚えたら忘れる事は無いと、バスの移動中ではハングル文字のレクチャーを受けたけど、丸だの棒並べたのは、私にはどうも図画にしか見えなくてハングル文字はちんぷんかんぷんでも、稀に漢字表記の看板などもある、韓流ドラマを見てるので音で聴く分には、ほんの少しは言葉は判別できるアジュマ(おばさん)とか、チョナー(殿下)とかアイゴーって感じで中には漢字の読み方が、日本の音読みと全く同じものもあって、突然の聞きなれた言葉にえっ?と思う場合もあったりする。鞄、約束詐欺、気分、無理・・・かなりの数があると思われるが、無論、漢字は韓国起源じゃなく古代中国なのだけどこのお寺は桜の名所だと聞いてきたが、境内にどこもないなぁ~と思っていたら、下の駐車場へ向かう途中に桜の咲くエリアがあった。屋台も出ていたが、ご飯も食べたばかりでつまみ食いしたいという気持ちはまだなかった朝鮮戦争による南北分断の象徴でもある板門店(パンムンジョム)で南北首相による首脳会談が行われるという。両国や日本を含む国際社会にとって、良好な方向にすすんで貰いたいものだ 2018年4月8日に慶州仏国寺で撮影にほんブログ村
2018年04月27日
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30年程前に、新婚旅行先をグアムに決めて初めて作ったパスポート。あれからも懸賞の招待旅行で何度となく海外に行く事となって複数年度のパスポートを発行して貰ってたが数年前に失効してからは、世の中はテロだかなんだかで海外旅行に縁遠くなってしまい懸賞もしなくなったし、前にいた娘の職場はまとまった連休も取れなかったし、姉も大病患って海外はしんどいって感じになってたし家の建て替えなんかもしてドタバタした数年だったけど、娘の今度の職場はオンシーズンオフシーズンがハッキリしてて年の前半はお休みが多く、週末三連休もザラ(ただし後半は二連休どころか週一のお休みなんて事もある。給料は月給制で休みに関係無く定額) だったら遠くは無理だけど近場海外旅行とか一緒に行けるじゃん?っと昨年アタマに、二人でパスポートを習得したけどなんかバタバタしてて未使用なまま今年こそ海外旅行♪なんて言ってたけど、何せ娘の会社の年間休日が判明をする年末になって九份に行きたいし台湾のツアーがいいなぁ~とネットで調べたがゴールデンウィーク明けまで満員御礼。しかも価格帯も8、9万とお高めだ中国や韓国あたりなら安く行けるのにぃ~今年もパスポートも作ったのに、海外旅行に行けないかも・・・なんてへこたれてもいた1月下旬。ネットで「ここに行きたい!」と思うようなツアーを発見。娘の三連休のある週末設定でも5万円弱(平日は4万弱)だし既に催行決定し、空きもある更に有難い事には午後便、午後帰りというもので観光先は減っても、セントレアまで車も電車も2時間はかかる我が家からでは朝便利用の早朝集合は前泊が必要だし、逆に夜便到着だと名古屋からの終電車に乗れるかハラハラもします。それに今回は夜観光もあるので行程的に物足りなさを感じないですそんな訳で、当日は朝7時半位に家を出て車で瑞浪まで出かけ、お安い駅裏駐車場に置き、金山で名鉄に乗り換えて午前10時セントレアの1つ手前の駅で降り、イオンモール常滑に到着。無料のロッカーに荷物も置いて身軽となって店内をウロウロ。招き猫のオブジェがいっぱいあります午後早くにはナッツ姫に続いて水かけ姫の水色の飛行機内でも軽食もでるので、軽くモーニングを食べておけばいいかな。ここからは無料の送迎バスがセントレアに出ているので、お昼過ぎにはセントレアに到着受付カウンターで手続き後機内に持ち込める荷物だけなので、自動チェックイン機で手続きも簡単でしたよセントレアではフラダンスのサークルの舞台を眺めたり、海老せんべいの試食をしたり、あっという間に搭乗時間ですわ並びで娘が窓際に座りまして、空からの景色も楽しみにしていたんですが生憎のお天気で終始、雲の上のフライトとなりました。それどころか少し揺れましたさて今年は以上に桜の開花が早くて、桜を目当てにした旅行やイベントなどは、桜も終わってたり大変だったようです。その為信州などでは、行先を決めずにその時点で花の見頃の所に行くなんてのもありますがハイ、大韓航空の午後の軽食です。おにぎりだけ食べて、お菓子とお水はホテルで助かりました。向かった先は釜山。世界遺産の旅やロッテの懸賞旅行などもあり、これで4回目になりますが、旅のメインはお花見でして桜の開花情報をネットで調べて一喜一憂。例年より釜山も少し早い開花になったみたいでとは言っても、釜山の他にも少し内陸の慶州も行くので、どこかで咲いてはいるだろうなぁと阪急のトラピックスの40名弱のツアー客を乗せたバスを、満開の桜が迎えてくれました良かったぁ~桜がまだ残っているし! そうそう日程は4月7日(土曜)から9日(月曜)の2泊3日の旅でした韓国でも最近は桜の開花が早めで、本当は一週前の週末が良かったけど催行をされず価格が安くて、桜も良さそうな平日の3日前後では、娘の休みが取れずの7日出発既に3月末には開花をしたようだし、前日6日は強い風雨だったけど咲いてました夕暮れの中を、今夜の宿泊地である慶州へ高速道を北上。前来た時ってこんなに高層マンションあったけ? ここに住んでいる人ってどこに仕事にいってるんだろ?とそう思うほど、周囲は山ばかりの田舎っぽい所にも、高層マンションがニョキニョキと建ってました中国とかも、こんな感じと思われますがテレビで中国の若者が日本に来て、一昔前の懐かしい感じだと言って訳ですよでも、私は日本の一戸建て好きなんだけど受刑者が逃げた島とか空き家がすごくあるみたいだし、住宅問題どうなるんだろなんて考えているうちに2度目の慶州に着きました。ここは韓国史上初めて朝鮮半島を統一した新羅の王都だった事もあって、日本での奈良や京都のような存在でもあるのかな暗くなった慶州では、ホテルにチェックインする前に夕食を食べに行った。今夜の食事は日本でもお馴染みのサムパブ料理で、色んな青菜の上にご飯やおかずを乗せて食べるもの2人参加が多いツアーで、無作為に2組4名でテーブルを囲むんだけど・・・個人でわかめのスープもあるけど、味噌チゲは1つ。どうやってこれ食べるんだ。とりあえずわかめスープを空にして、そこに四分の一位をすくった。韓国のりもふりかけみたいに細かくご飯にかけると美味しいのでお土産にも買いましたおかずの料理の小皿は4名分なので、娘相手ならば遠慮なく食べるけど、人様がいたら最後の1口とか、とても手も付けられない。遠慮深くすこしずつ取って葉っぱに乗せて~なんて、上品に食べていたら娘、そんなに大胆に乗せて口に入るんだろうか。ネットなどで見たら慶州でこの料理は名物みたいですよやっぱ白菜キムチは日本のものより辛いのか、どの食事でも最後まで残っていたご夫婦など男の方のいるテーブルなどはビールや、もう一品注文したりしていたが大皿だからとは思うが、結構な料金だし頼まなくって良かったさて、いよいよ最初の観光場所は慶州の夜桜スポットで、地元民らしき花見客の車もずら~っと。バスで最寄りの場所で下して貰ってから、バスは指定の駐車場に向かうようで、下車と乗車の場所が違うし添乗員さんとはぐれない様にしないと日本でも倭の五王とか邪馬台国の卑弥呼など古代中国の文献に残された記述が歴史の糸口になるが、韓国もまた箕子朝鮮や衛氏朝鮮などの古代国家の名が残されている。そして日本の歴史でも習った高句麗、新羅、百済。それに伽耶(加羅)だ古代において、倭の国は半島南部に領有する任那を通じ影響力を持っており、百済救援の為の白村江の戦いでの敗戦なども有名である半島での戦乱から逃れ、日本に渡来した人もいたり密接な関係であったようだ同じように朝鮮半島には、地続きの中国系の民族が数多く流入したので、今の朝鮮半島は後の李氏朝鮮の系統(高麗、漢族、モンゴル系らしい)なので、古来の百済や高句麗などの人たちとは幾分違っているんだとか。という訳で、本当は日本に密接な関係のあった百済の扶余とか見に行きたいんだけど・・・そうゆうマニアックなツアーも少なく、4日周遊とかなので、百済を滅ぼした新羅の都のあった慶州となりました。さて新羅はしらぎ、百済はくだら、高句麗はこうくりと以前は学校で習ってましたが、現地読みが主流になり今ではシルラ、ペクチェ、コグリョというらしい。慶州もキョンジュ「三国遺事」の記述よれば、日本でもドラマを放映した新羅代27代の善徳女王(7世紀)の頃「この王(善徳女王)の時に石を加工して瞻星台(天文台)を築いた」とあるが、用途についての記録は残っていないそうだ。見てましたよトンマン王女とキム・ユシン。ミシルもお綺麗でした高さは9.108メートル。地上部分の直径は4.98メートル、上層部の直径は2.85メートル厚さ約30センチの花崗岩が27段積み上げられているが、地上部分に入口はなく、中腹部分に四角い窓が一つだけあり、ここから梯子をかけ内部に出入りしたといわれてます「三国遺事」によると、奈勿王は新羅第17代の王で、その父は国に貢献したという金末仇であり王妃の保反夫人は新羅初期の味鄒王の娘だとか高句麗に従属をしながらも、前秦に朝貢をしたり百済や倭には対抗をして、海外戦略に務めた王だその王墓である新羅の金城(宮殿)は、丘の上に土と石を混ぜたものを半月状に積んで造られた事から、半月城(パンウォルソン)、別名は月城と呼ばれている「三国遺事」には新羅第4代王の昔脱解が、この地が慶州で一番良い明堂となるだろうと、ここに屋敷を持つ貴族から土地を奪って半月城を築いたそうだこの事で、新羅第2代王の南解王に気に入られて王女と結婚し王となったのだが、一説には海を渡ってやってきた昔脱解は、倭人だというのも?新羅の最後の王となった第56代敬順王に至るまでの九百年に渡りここは新羅の王城であったが10世紀に高麗の太祖王(王建)によって新羅は滅ぼされ朝鮮半島は統一をされたここからは翌日朝の写真。宿泊をしたのはコーロンホテル慶州で、お部屋は至って普通。シャンプー&リンスは環境面から置いてないそうなので、日本のホテルで貰ったのを持ってきましたここの特徴は重炭酸ナトリウム泉の温泉施設(大風呂&サウナ)が併設している事で、入場券を添乗員さんに貰ったので夜9時近くにホテルに着いてから、早速娘と温泉に浸かりました儒城温泉と、東莱温泉に続いて韓国では3つ目の温泉入浴となった。タオルとかミネラルウォーターも、脱衣所に置いてあって良かったし、やっぱ大きな湯船にゆっくり浸かれるのはありがたい普門リゾートの少し高台にあるホテルの部屋からは、周囲ののどかな農村風景が眺められるのがなかなか良かった。日本も同様であるが韓国においても農家の高齢化が問題視されているそうで2016年の農林漁業調査結果によれば、農家人口249万6000人のうちで、65歳以上の高齢者は100万6000人で、40.3%にも達するそうで、米以外の食糧作物の国内自給率は10.6%に過ぎないそうだなんて事は、このブログを書くにあたって農村についてネット検索をしたら出てきた記事だ。朝早くにホテルを出て近くの食堂での朝食タイム今回も一つのテーブルに2組ずつ着席してのもので、やっぱ気を使うなぁ~前に慶州に来た時には小汚い、失礼古風な食堂だったけど、今回はどこも小奇麗なところばかりだったアツアツの湯気が食欲を誘うのは、やっぱ慶州名物だという純豆腐チゲだ。それにしてもヘルシー料理の連続で、体重も減りそうな感じだうちでもこれくらい食卓に並べたらいいけど揚げ物だったり、フライパン料理であったりで。真ん中にお馴染みチャプチェ李氏朝鮮時代の第5代王光海君が王宮で宴会を開いた際、臣下の一人がこの料理を発案して王に献じた事で、出世したというお腹も満たして2日目の観光スタート。どこか奈良公園を思わすような風景にほっこり。続く 2018年4月7、8日に常滑、韓国釜山、慶州で撮影にほんブログ村
2018年04月21日
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初めての娘も、2度目で代表的な 所はだいたい見ている姉にも、それ ぞれに満足をして貰いたいので、観光 内容には気を使いことも多かった やはり釜山の港町の大パノラマを楽しむ 釜山タワーははずせないので、前回 昼間だったから、今回の旅では夜景を 楽しむ事にした 日が西に傾き、今から出かけたら 夜景どころか夕焼けも楽しめそうと 息を切らせながら長い階段を登る 日本と時差の無い韓国は、時計を 直す必要が無く、かわりに日の入りは 日本よりも遅い時刻で、午後7時頃 どんどんと、薄暗くなり、街並が イルミネーションで彩られていく 前回の旅で、釜山でも歴史のある 有名寺院は出かけてしまったので 今回は歴史は浅くても、信徒数が 急増しているという繁華街に近い 普通のお寺に出かけてみた。でかい ドアボーイさんにタクシーの運ちゃんに 行き先を言って貰ったので、車窓から 町並みを眺めているうちに、もうお寺だ 韓国のタクシーは、日本の半分以下の 料金で利用できるので、気軽に使えて 旅行者にはありがたい存在だ こちらは、ロッテホテルのある西面 あたりだが、ぬいぐるみの屋台は 韓国ドラマでも出てくるけど、やっぱ 酔っ払いのお兄ちゃんとかが、勢いで 買っていくのか? 大阪の道頓堀もまた、イルミネーションが あふれかえっているが、もうビルが広告で 覆われていて圧倒された。それが夜とも なると、電飾の海 釜山空港だが出国手続きをしてから 左の方に普通のコンビニがあり、町と 変わらぬ価格で、お菓子や、焼酎などを 購入できるので、最後のウォンを使い 切るにいいかも。私もここで焼酎購入 そして飛行機は飛びたち、あっという 間にわが故郷。福井から滋賀、岐阜 三重、愛知へと見慣れた山々を空から 平成20年3月19~21日に釜山で撮影
2008年04月04日
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娘の要望あって出かけたのは、韓国でも 最大級の海雲台ビーチにある水族館だ ペンギンや、ビーバーなどかわいらしい 生物もいるけど、なんといってもここの 楽しみは巨大水槽に、幾種類ものサメが 泳いでいることだ 釜山の海の水を浄水して使っている 巨大水槽の周囲には、80メートルの 水中トンネルがあり、真横や、真上を サメが悠然と泳いでいく あぁ、なんだか色合いが綺麗なくらげ いやされそう~。事前にネットにより 割引券もプリントアウトをして、安く 楽しめたのも大満足な点だ 前回は時間が無く、出かけられなかった 釜山港に併設をされたチャガルチ市場の あたりなども見物に出かける おばちゃん。いや、おばあちゃんが 元気に商売をしているのを見るだけでも こちらも、元気になるような気がする ピンクとか、華やかな色合いが好きな お国柄は、なんだかイタリアを思い出して しまうのだが、このカジュアルな装いは かっこいいよ~ 海産物を、その場で食べれる屋台なども あちこちにあるので、いいにおいも漂う 朝鮮戦争で、海避難民などが釜山に集中し 食糧不足が起きていたので、海産物露店で 取引を始めたのが、チャガルチ市場の 始まりだそうだ 釜山国際映画祭などでも有名で、南浦洞の 中央のPIFF広場には、映画関係者による 記念の手形もある。世界の北野監督のも! 旦那が、唯一、一緒に見た韓国ドラマの 主人公をやってた女優さんのポスターを 発見したので、お土産に撮影していくか 国際市場でみやげ物も買えたし、もう 日もかなり傾いた。いよいよ今回の 旅のメインイベントだ 平成20年3月20&21日に釜山で撮影
2008年04月01日
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白身魚の刺身丼は、魚の入ったのミソチゲも 昨年の冬のソウルでも円高傾向にあるなぁ などと感じてはいたが、一時は100円で 800ウォンの換金しか出来なかったのが 釜山の旅では100円で約1000ウォンと 更に換金率が良かったのでありがたい 新鮮なタコの足のたっぷり入った大きなチヂミ 韓国旅にリピートするのは歴史だの、人情だの というのもあるけど、やっぱりグルメにつきる メインになる食べ物を頼むと、付け合せの おかずが幾つもついて来るのもまた魅力だ チェーン展開もしている、地元民で盛況の このお店は、石焼ビビンバなど300円程で 餃子なども含めて3人前でも1100円で 食べれたのだが、私のカルグクス(うどん)も 石焼鍋でアツアツだ。やっぱアゲが入るんだ そして昨年もおじゃました郷土食のお店は 一人千円程で、ドルソパッ(石焼き釜飯)や 焼き魚などの20種類ものおかずが所狭しと 並ぶのは壮観だ。しかもケジャン(カニの キムチ)なんかも食べれて、シアワセだ 鶏肉が大好きな娘は、参鶏湯(サムゲダン)を 美味しそうに食べていた。 高麗人参、ナツメ 松の実、しょうが、ゴマ、もち米などを 鶏肉につめたもので、でかい高麗人参をつまみ あげ「これ食べれるの?」などと、娘 姉と私は鶏肉が苦手なので、コリコリとした 鮑の切れ端が幾つも入った、あわび粥で 私の大好きな水キムチも食べれた 日本人観光客に食べて欲しいという気持ち から、日本語でのメニューなども掲示して くれているのだが、なんだかつづりが怪しい でも、これもご愛嬌 ハングルだけのお店は、何が出てくるのか さっぱりなので、すぶたが鶏肉だろうが 大体の料理の特徴はつかめるし、これに 価格表示をしてくれたら、なお嬉しい 自販機の缶ジュースなどは70円ほどで コーヒーは30円? 安い~~ イマイチおいしそうには見えないけど 今回も伝統茶にチャレンジだ。娘は 柚子茶、私は五味子茶、姉は水正果で なぜだかポップコーンが付け合せ ロッテホテルのお部屋には、無料の ミネラルウォーターに、コーヒー、緑茶 とうもろこし茶に、高麗人参茶まで 用意されていた しかもロッテアーモンドの旅行の特典で ウェルカムケーキを食べれるというので 幾つもの中からチョイスして、パクリ そして、娘がド迫力のコリアンスイーツを 食べたいというので、アイスクリームや 果物なども乗ったゴージャスなカキ氷を 食べに出かけた。これで二人前のもので ワッフルもついて600円程だった みんなで一緒につつくのが韓国流だ 平成20年3月19~21日に、釜山で撮影
2008年03月28日
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今年の春もまた、ロッテの優待旅行で 娘と姉と一緒に釜山に出かけてきたの だが、家に帰ってレンタルの映画を借り 釜山でロケをした「チング」を見る つい昨日、歩いたばかりの汎一洞の クルム鉄橋とか、戦後を髣髴させる 古い町並みの、あそこもここもが 映画の中で出てくるのが面白い 朝早かったので、子供達が楽しそうに 学校にむかっていた。チングとは 古くからの長い友人の事を言う チャガルチ市場や国際市場で有名な 釜山港の南浦洞にある、海苔や干物など 乾物の市場もまた、映画の中で学生らが 楽しそうに疾走をしていた 日帝時代に建てられ、日本人が住んで いた日本家屋が、今も数多く残っており 瓦がふけないので、シートをかぶせて 古タイヤで押さえている ところで、韓国では○○洞という地名を よく聞くのだが、この洞は、町にあたる もので、集落を称する名称の一つだとか 小高い山がそこかしこにある、釜山は 坂の多い町で、高いところが好きな私は 長い階段を見るとついつい登りたくなる そんな私をあきれ顔で、娘や姉は早々に 長椅子を見つけて「一人で登っておいで」 と、付き合ってはくれないが、真っ白な 漆喰が、青い空に綺麗に生えていた とても細い路地の両側に、古本屋などが 所狭しと並んでいるのが、寶水洞にあり 学習書の他に、ハングルで訳された 日本の漫画も山のように積んであった 朝鮮戦争の頃に、全国からの難民が 集まり、生活の手段として、珍しい 本を売り始めたのが始まりのようだ 豊臣秀吉が半島を侵略しようとした 文禄・慶長の役で、戦略の根拠地と して築造をされた城(倭城)は、釜山 周辺に幾つもあった 釜山港に近い子城台は、毛利輝元が築き 拠点にしていた「釜山鎮」を母城として その支城である「子の城」というので 名づけられたそうだ。城の石垣ばかりが 当時の様子を物語っていた ここで指揮を執っていた小西行長の名から 「小西城」と呼ばれていもいたそうだが そんな戦いの為の城跡も、釜山の人達が 健康の為に軽い運動や、ジョギングをしに 訪れる憩いの場所となっている 平成20年3月20&21日に釜山で撮影
2008年03月25日
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旅好きの亡き母は、焼失前の金閣寺に訪れ しかも建物の中にも入れたと、生前よく 話していた。1397年に建立をされ 数百年も人々に愛された、金色に輝く 優美なお堂が、青年僧侶に放火をされ 炎上焼失された事件は、三島由紀夫も 小説に書いたほどである 韓国の国宝1号である南大門(崇礼門)が 都の正門として建立されたのは、金閣寺が 出来た次の年、太祖7年(1398年)だ 老齢の男の放火らしいが、いくら復元が 出来たとしても、それは数百年前の創建 当初のものではなく失われてしまったものは もう戻らない。悔しい気持ちで一杯だ 昨年の12月のそうるの旅日記もいよいよ ラスト。ネットで事前に調べた「円丘壇」 王が即位と同時に、天子として吉地を決め 天に向かって祭祀する円丘祭で使われる 1897年に、李氏朝鮮の第26代国王で あり、大韓帝国初代皇帝の高宗が即位した ときに行われたのが、最後といわれている 3つの石鼓は、祭の楽器を象徴しており 躍動感あふれる竜や、蓮の葉など、李氏 朝鮮王朝末期の彫刻が残されている 2日目のお昼は、やっぱり石焼ビビンバ! 地方都市である全州の「全州ビビンバ」は 昨夜、食べた平壌冷麺と並び、朝鮮3大 料理の一つだ(あとは開城タンバンらしい) 全州伝統ビビンバも食べられる「古宮」で それではなく、やっぱ石焼きを賞味する 1897年に英国人ブラウンが造ったという ソウルで初の近代式公園であるタプコル公園 (パコダ公園)は、1919年3月1日に 起こった抗日独立運動の発祥の地で、中央に ある八角亭で、独立宣言書が朗読をされた 園内には、高麗時代に建てられた敬天寺の 十層石塔(国宝86)を模写をした、李氏 朝鮮時代初期に作られた大理石の石塔があり 仏会図相、仁王像、仏座像、花草、動物などが 刻まれ、塔の中にお釈迦様の舎利と円覚経が 奉安され、国宝第2号に指定されている 2日目の夜は、韓国の伝統文化溢れる街 買い物も、食事も楽しい仁寺洞でアサリで ダシをとったスープのカルグクスと、冬季 限定のマンドゥグッ!(ギョーザみたいな マンドゥや、トッ(餅)も入ってる~) 地下鉄の中でも商売をするのは、いつも 見かけているのだが、道路の分離帯で クリスマスのおもちゃを販売中・・・ 韓国最後のお食事は、3日目の昼食で 仁寺洞の路地奥にあっ、風情溢れる 民芸調のお店「チョン」のプルコギや 味噌チゲの定食を食べましたよ~ こうして仁川空港から帰国の途についた 訳だが、3月にはロッテの優待でまたまた 釜山の旅である。さて何を食べようかな 南大門は平成17年11月26日に撮影 それ以外は平成19年12月15日に撮影
2008年02月12日
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いったい幾つあるのだろう。チャングムや 幾つもの時代劇で、馴染みの煌びやかな 宮殿は、ソウルだけでも「世界遺産」に 指定をされている昌徳宮の他に、景福宮 徳寿宮を過去に見学し、ここのブログで 紹介をした事もある 今回の旅では、昌徳宮のすぐ東にある 昌慶宮に出かけてみた。ホテルから 最寄りの地下鉄駅に降りたったのは いいけど、思うように目的地にたどり 着くことが出来ない 「ヨン様が通っていた大学だぁ~」と 姉が素っ頓狂な声を出して、喜ぶが 何気にマニアだなぁ。。。大学路という だけに、若い人も多いし、誰かに道を 聞くしかないかなぁ~などと、何人かを やり過ごして、若い20代の女性に 声をかけてみた すると、ハングルオンリーの彼女は 身振り手振りで「こっちは反対方向よ 私も、今からそっちに行くからついて 来て」とばかりに、腕を組んできたのは 驚いた。いやぁ~人懐こいお国柄だ 彼女は軽い笑みを浮かべて、ちゃんと ついて来てるか、幾度も姉をふり返り 姉もまた、にた~と微笑返し 前日の寺院でも片言の日本語で、どこから 来たのか、ここには○○が奉られていると 説明を、イチイチしてくれたおじいさん 博物館ではすれ違う係員誰もが、みんな ぺこりと頭を下げて「アニョハセヨ~」と やさしげに声をかけて下さるし、そうゆう 人の何げない態度が心地よい さて、この王宮だが李朝第四代の世宗大王が 先代にあたる父の、太宗王を住まわせる為 別宮として寿康宮を1428年に建てたが 後の時代は荒れ果てていた 風の方向と、速度を測っていた気象観測器具 李朝第九代王の成宗王が、祖母の貞熹王后 生母の昭恵王后、養母の安順王后の三人の 大妃(先王の后妃)の為に、この宮を改築を して、名前も寿康宮から昌慶宮に変えた 小簡儀を設置し、天体の位置を観測、時間を 測定していたもの 創建当時の広大な殿閣は、壬辰倭乱(秀吉の 文禄・慶長の役)で、焼失し1616年に 再建をされた明政殿は、現在、残っている 王宮の法殿(王宮内で最高の殿閣)のうちで 最も古いものだそうだ 李氏朝鮮時代、王孫が生まれるとその胎 (胎盤やへその緒)をきれいに洗浄をし 白磁でできたツボに入れて胎室を造った そうで、京畿道おかれたものが、ここに うつされた、李朝第九代王の成宗王のもの 1907年には昌慶苑となって、植物園が 造られ、日本人の設計でフランスの会社が 施工をした韓国最初の洋式温室が作られたが 近年、再び宮殿の復元がなされた 平成19年12月15日。韓国ソウルで撮影
2008年02月05日
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李明博(イ・ミョンバク)氏は、かつて ソウル市長であっただけに、大統領選の 勝利宣言は、ソウル市庁の前で行われて いたのだが、日韓共催ワールドカップ サッカーでは、サポーターらで真っ赤に 染まった広場は、今は華やかなクリスマス イルミネーションで飾られていた 古代においては、百済の都であった 「漢城(ハンソン)」は、五百年に渡る 李氏朝鮮の王都で、背後の山が玄武 前方の水が朱雀、左側の砂が青龍で 右側が白虎という「四神相応」の思想に 基づいて、建都をされたそうだ 日韓の併合によって、漢城は「京城」 (キョンソン・日本読みはけいじょう)に 改められ、朝鮮総督府が置かれ、現在の ソウル市の庁舎は、京城の府庁として 日本人によって、建てられたものだが すぐ脇に、新庁舎が建設中だ 日本統治下の京城は、水道や路面電車など インフラ整備され、本町(鍾路)、明治町(明洞) 黄金町(乙支路)の繁華街には、近代的な 建築が立ち並んでいたそうで、当時の建物が 幾つか残っており、旧朝鮮銀行は韓国銀行 貨幣金融博物館となっている 大韓民国が独立をして、その首都として ソウル特別市となったが、直後に勃発を した朝鮮戦争で、市内は破壊をされてしまい 一時、釜山に臨時首都に移転した事もある 韓国の高度経済成長に伴い、発展を続け 市域を拡大し、実に韓国全国民の4人に 1人がソウル市民という状態だそうである 新羅で都を意味する「徐伐(ソボル)」が 転訛したなど、ソウルの語源は諸説がある 2005年に、ソウルの漢字表記が正式に 「首爾」と定められたという 光の輪の中は、臨時のスケート場になっていた 今回の旅で冷麺を食べたいと、ネットで 事前に調べ、冷麺の本場の北朝鮮仕立ての 冷麺専門店「明洞咸興麺屋」で、ぱくり~ 日本語も良く通じて、口直しのガムも くれたり、サービスも良いお店だった 明洞のロッテデパートのクリスマス☆ イルミネーションでは、ちょんまげ お城のものもあった・・・ 東京のように、網の目のように地下鉄が 発達をしているので、ソウルの移動には もっぱらこれだ。地下街もあって、この エリアにはレトロなものが一杯だった 市庁の「庁」の漢字・・・難しい・・・ ハングルは苦手でも、漢字表記があるので 結構、助かっている 市内中心部から、夜の漢江(ハンガン)を 渡ってホテルへ向かう ロッテの招待だけに、ホテルはもちろん ロッテ。明洞のではなく、遊園地でも 有名なロッテワールドにあるものだ 今回は毎朝食もついていたので、お粥や 韓国のりでヘルシーにアレンジしてみた 前回の痛い失敗クイズでは、何だか皆さん 良いイメージを持っていただいていたようで 嬉しいような、恥ずかしいような思いです 失敗をしてこそ人は成長をします。長い人生 株では失敗をしました キャッチセールスにもひっかかりました。でも 一番悔しかったのは、フィンランド旅行ペア 招待を辞退した事かも。やっぱ、子供の方が 大事です そんな訳で、正解はBでした。新車1ケ月で 交差点で一時停止してたら、目の前で事故った 車が、弾みでぶつかってきて、事故車に なりました。4年程乗ってた車で、見通しの 悪い道で衝突され、こちらは廃車になりました でも新車で廃車の経験は無いです。正解者は わずかにお二人! お見事!! 第5問 私が温泉で、一番好きのは? A 真っ白い群馬の万座温泉 B 黄緑がかった箱根芦之湯温泉 C 水色の別府の鉄輪温泉 D 朱色の歴史ある有馬温泉 正解はCの空のように美しい水色の温泉です 別府の鉄輪温泉「神和苑」は内湯は透明の 濃い青い色で、露天で時間がたつと、空の ような水色に変色します 平成19年12月13日撮影
2007年12月21日
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今までの旅行では、ソウル市長選の 候補者が、ポスター撮りをしていたり 大学入学試験の当日で、お寺で母らが お祈りにいそしみ、テグの地下鉄事故 直後に、日本から家族が心配をして 慌てて電話をよこしたりした 国会議事堂 クリスマスシーズンで、華やかな ソウルではあったが、それよりも 大統領選の横断幕があちらこちらに はられ、またまたいつもとは違う ソウルの様相であった 空港からホテルに向かう途中には いつものように、新羅免税店での ブランドのお買い物タイム 私と姉は早々に抜け出し、7世紀に 朝鮮半島を統一した、新羅国にちなむ 名前を持つ、韓国を代表するホテルの 新羅ホテルの庭を散策する事にした 巨大な岩の上の、高台の八角亭から 迎賓館などを見下ろすのは、なかなか 面白い。宴会の後片付けか、大きな花を 抱えたホテルマンが行き来している 南大門、東大門とあるように、ソウルも 外敵から街を守る城壁で、中心部の 四方が囲まれており、新羅ホテルの 裏手にもそれが残されていた ホテルにチェックインをすると、荷物を 置いて、早々にソウルの一番の繁華街 である明洞に出かけた。夕刻で学校や 通勤帰りの若者があふれかえっている 以前に、道に迷ってたどり着けなかった 明洞聖堂にもリベンジだ キリスト教徒の 多い韓国のカトリック教会の総本山である 夕暮れ刻で、ほんのり明かりの照らされた ステンドガラスも印象的だ ちょうど、目の前でマリア様のまわりの 電球がぱっと点灯をした。家路に急ぐ シスターの足取りも軽やかだ さ、いよいよ4度目のソウルにして 初めてのソウルタワーだ。ガイドさん いわく、香港が百万ドルの夜景なら ソウルは100万1ドルの夜景である そうだ。明洞など繁華街が華やかだ 高層ビルは暗闇に溶け込む江南は 漢江にかかる橋などが、綺麗だった 夜空には、月 ソウルタワーのすぐ脇には、李氏朝鮮の 南山のろし台を復元をしたものがある 夜は火花、昼は煙で、通常の伝達は1つ 敵が現れると2つ、国境に敵が接近すると 3つ、国境を越え、敵が侵入したときは 4つ。接戦したら5つというよう、迅速に 合図を遠方に知らせるものだそうだ 夜空に、燦然と輝くソウルタワーのように 物価高騰、格差社会、就職難、教育過熱 など、様々な問題を抱える韓国を照らす 存在と、新大統領がなればと願うばかりだ さて、今までよりは意見の割れたのだが うちの旦那が似ているのは、Dの水泳の イアン・ソープです。「うちのイアンが」と 使うときがたまにあります 問4問 数々の私の痛い過去で、無かったのは? A 株で100万円も損失 B 新車が、事故でぶつけられ廃車で泣く C キャッチセールスでエステ20万弱。使わず D 海外旅行当選が、娘の卒業式と重なり辞退 正解はBでした。新車1ケ月で交差点で一時停止を してたら、目の前で事故った車が、弾みでぶつ かってきて、事故車になりました。4年程乗って いた車で、見通しの悪い道で衝突され、こちらは 廃車になりました。でも新車で廃車の経験は無いです 平成19年12月13日にソウルで撮影
2007年12月19日
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懸賞を初めて、9年程になるのだがスペイン イタリア、ハワイ、ベトナム(サーズ流行で 日本国内どこでもOKで、九州温泉三昧) フィンランド(子供の高校受験、卒業式と 日程が重なり棄権)、韓国、韓国・・・・・ そして2年ぶりに当たったのは、やっぱり 3度目の韓国はソウルでした。午前便出発 午後便帰り、しかもロッテワールドホテルで 朝食付きはなかなか良い条件です。ちなみに 平日出発なので、暇人の姉を誘ったところ 天国の階段やな!と、飛びつきました(笑) 以前はコカコーラとのタイアップで、ベトナムに 当たった西友サマと、韓国といえばロッテさま! ここのチョコレートなどのバーコードを、沢山 送るキャンペーンで、1口応募したものですが 応募はがきを見た時に、冗談ではなく当たる 気がしたんですよ~ 私のパスポートに、またまた仁川空港の スタンプが押されるのかと思うと、あぁ~ あれを食べようか、ソウルタワーに登るぞ~ などと、クリスマスシーズンの華やかな ソウルに夢馳せるのでした♪
2007年10月05日
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韓国八景にも数えられる、韓国内屈指の 海雲台(ヘウンデ)ビーチに、最終日の 朝に出かけることにした 砂浜が1、8Km続く、弓なりのビーチ ラインが美しく、ホノルルのように浜辺を 見下ろすように高層ホテルが並んでいる 海雲台という地名は、崔致遠という文人が 岩に刻んだという、海雲(ヘウン)という 文字に由来をして、土地の名とされたとか 韓国の青春ドラマでは、必ずといっていいほど 浜辺で、波に戯れるシーンがあって、ありゃ カップルめっけ♪ 中心部のビル郡と違って、海雲台の駅前には 前時代的な、古き良き街並みが残っていた こんな市場が癒されるなぁ~~♪ ワンコも 放し飼いだよ。それともノラ? 昔ながらの大きなお菓子屋さんで、大量に お土産のお菓子などを買い込んだ。コンビ二 などと違って、定価よりも1割引で売ってくれ なんだかラッキー♪ そんな訳で、浜辺でのんびりして、大量の お土産を抱えて帰途に着いた 韓国に出かけると聞いて、息子が開口一番 「ひまわりチョコを買ってきて!」という ので、買い込みましたよ~。箱買いで(笑) 韓国スターの写真入のお菓子は、娘に お土産。日本に比べ安いです 食料品もいつものように購入。なんのかんの 言っても、韓国焼酎も半額くらいだしお得です 旅行社やホテルなどからも、記念品も貰って 韓国の伝統的なお土産は、ソウルより安かった シャチハタの印鑑入れのケースに、車のキー ホルダーなど日常使いに、ただいま活躍中!! 平成19年2月22日撮影 韓国釜山の旅、これにて完
2007年03月14日
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椿咲く春なのに~♪という、チョー・ヨンピルの 歌う「釜山港へ帰れ」で、釜山港(プサンハン)を 知った人も、もしかしたら多いのかもしれないけど 日本に最も近い釜山港は、古くから日本とのつながりも 大きく、歴史の無常なうねりを見つめ続けてきた 秀吉による日本軍が上陸をした港。満州への玄関口と して、夢抱いて旅立ち、命からがら引き揚げた港であり 反対に日本にむかい、故郷に別れを告げた韓半島の人 たちの送別の港でもあった さらには、今なお半島を真っ二つにしている 朝鮮戦争で、釜山は臨時首都の役割を果たし 全土から多くの避難民が、釜山に集まったという そんな歴史の証人としてか、秀吉の文禄・慶長の 役で、亀甲船(コブッソン)という独特の船による 朝鮮水軍を率いたという李舜臣将軍が、青い海を 見下ろしていた。平和を願ってやまない気持ちだ 韓国旅行の楽しみの一つが、伝統茶を楽しむ事だ 色鮮やかなオミジャ(五味子)茶はチョウセンゴミシと いうつる性の低木の実を煎じたもので、甘味、酸味 苦味、辛味、塩味の5つの味を感じるというので 五味子の名がついたそうだが、爽やかで美味しかった この後、姪とそのの女友達は免税店などショッピングに 出かけ、私は姉と二人で、まったりと温泉を楽しむ 事にした かつて朝鮮時代の皇帝も愛浴したという「儒城温泉」を 利用した事があるのだが、今回の旅では新羅時代の 683年に発見をされ、新羅王がしばしば入浴のために 行幸された、歴史ある釜山の「東莱(トンネ)温泉」だ まずは足湯なんぞを軽く楽しみ、大型温泉テーマパーク 虚心庁でチムジルバンを初体験♪ これは麦飯石に玉 雲母といった鉱石を高温で熱した低温のサウナ室で ソウルのものより、釜山の方が熱くないとあったので 姉を口説いて初体験。これは、なかなか心地よかったです さすが温泉テーマパーク! 温泉のお風呂は、洞窟風呂 ジャグジー、露天いろいろとあるのだけど、えぇ~? 南国のプールサイドみたいにドリンクバーがあるの? 前を隠す習慣がなく、あっぱっぱ~なお姉さんたちが お風呂に入って、ペットボトルでジュースを飲むは いくら携帯にすすんだ韓国でも、あっぱっぱ~で 歩きながら、お風呂場で携帯電話してるけど大丈夫?? 前も感じたけど、お風呂場を綺麗に使うという習慣が ないのか、椅子も、洗面器を片付けないどころか 身体を洗った石鹸の泡も床に広がったままで、きたない タオルが、大浴場にも、脱衣所にもそこらじゅうに 落ちてるし・・・飲んだ飲料パックもぽぽぽいのぽい 温泉を存分に楽しんで、外に出ると街並は暗闇に消え 華やかなネオンが輝いていた。ここはカルグクス通り 韓国では同じ料理の店が、同じ通りに集まっており 集中的に、お客さんを集めるのが普通だそうで カルグクス(韓国の手打ちうどん)のお店が何軒も 並んでいた その中で、一番、地元民でにぎわっていたお店に 入ったが、無論、日本語も通じず、日本語メニューも ないのだけど、美味しい看板メニューにありついて かなりの量なのに、うどん好きの姉はぺろり! 東莱温泉の裏通り 平成19年2月21日撮影
2007年03月10日
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お昼時になってきたら、お腹もすいてきたので 国際市場やチャガルチ市場もある、釜山で一番の 歴史ある繁華街「南浦洞」に足を伸ばすことにした 実は、その前にも寄り道もしたのだが、画像的に 辛気臭いので、日記の後半で紹介をしておくので 興味がある方はどうぞ! 第二次大戦後に日本人が引き上げる際、戦時統制 物資を売り始めたのが、国際市場の始まりらしい 朝鮮戦争では、北部からの避難民が商売を始めて 闇市のような存在だった ここで土産物を買ったのだが、ソウルの市場より なんだか安い! え? 1000ウォン? 半額 じゃないの~。しかもお土産まで。おっちゃん感謝! お寺で、一心不乱で拝んでいた奥様方と違って ソウルのタプコル公園もだったが、お父さん達は 路上でも熱心にゲームに興じていた 下のは、中国将棋(象棋)が、朝鮮半島に伝わって ルールが変質した、韓国将棋(チャンギ )だ ネットで検索をして、目星をつけいていた韓定食の お店も、路地裏にあるのだが、写真入の地図で簡単に 見つけることが出来た。ソウルで食べた釜飯が 忘れられなくって、それをメインにした韓定食だか 次から、次へと出てくる。出てくる まだ、写真の他にも、おかわりのおかずのお皿も 出ての4人前なのだが、一人当たり10000ウォンで 日本円で1300円程度かな。しかもバイトなのかな? 店員さんがイケメンなんですがぁ~!! 釜飯のおこげは、お湯をついで、そぎ落として 食べるようになっていて、あっさりして美味しい 食事の前は、伽耶(かや)の遺跡である、街中の もっこっりした小山に広がる、福泉洞古墳群と そこから出土をした宝物などを、展示している 福泉博物館を見学をした 副槨がある木槨墓20基、木槨墓73基、甕棺墓4基 副槨がある竪穴式石槨墓8基、竪穴式石槨墓54基 土,肱2基、木棺墓8基、横口式石室墓1基の膨大な 古墳群から出土した遺物は、1万点もあるそうだ 伽耶(伽耶諸国)は、3世紀から6世紀かけてを 朝鮮半島の中南部において散在していた小国家郡で 古代日本とのつながりも大きい。奈良県の新沢千塚 古墳群は、伽耶から戦争を逃れて渡来した帰化人の お墓があるらしく、伽耶の製品が出土されている 古墳の背後にある慶尚道東莱城は、豊臣秀吉の朝鮮 出兵に際して、他の武将らが撤退した後も、宋象賢は 城に留まり、小西行長らと壮絶な死闘を繰り広げ 戦死をしたという・・・・ 平成19年2月21日撮影
2007年03月02日
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韓国五大寺院にも数えられる梵魚寺(ポモサ)に 出かけるため、まずは地下鉄で、30分程かかる 最寄駅まで向かうことにした 東京など、国内の地下鉄とあまりかわりがない ソウルの地下鉄と違い、釜山のはなんだかスゴイぞ! 乗り込んだ途端に、車内に轟くようなでかい声で 弁論をしてるおやじさんがいる。政治的な事なのか 何を論じているのかはわからないけど、ひたすら 目を合わせないように やっと静かになったかと思ったら、今度は物売り~? ペシッ! ペシッ!と、黒ベルトをしばいて、こんなに 丈夫!!って怒鳴っているのか? あらら、今度は 靴下売りも登場。しかも買ってる乗客もいるんだもん 姉も、私もお隣のおばちゃんとかからハングルで 話かけられて、誰にでも声をかけるのか、乗り合わせた 人たちでガヤガヤと、井戸端会議になってしまうのは 田舎特有の、人懐っこさなんだろうなぁ~ 私のかばんについた、韓国のストラップも手にとって にこっとおばあちゃん。私もにこっと笑い返したのだ 釜山のバスは距離ではなくバスの種類によって 料金が違い、日本の観光バスのような座席の多い バスが一番高く、一般的なのは普通の路線バスで マイクロのような小型バスは一番安いのだ お寺には、普通の路線バスで1000ウォンは やっぱり安いなぁ~~。山道をぐんぐん急ハンドルで 登っていくと、極彩色のお寺があった。四天王まで なんだかギンギラで、異国情緒いっぱいだ 新羅時代の678年、唐から帰国をした義湘大師が 創建をしたお寺は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で、その ほとんどが焼失をしてしまい、創建当時のもので 残っているのは国宝の三層の石塔のみで、建物などは 1614年に再建をされたものだそうだ かつて、金井山の山中で岩の間から湧き出た泉は 黄金色に輝き放ち、五色雲に乗った一匹の魚が 空から舞い降りてきて、その泉で遊んだことから 空の国の魚と、梵魚寺と呼ばれているとか・・・ ソウルのお寺もだったが、なぜ女性の姿しかないのか? 帰りのバスを待っていると、おばあちゃんを乗せた タクシーが目の前で停車して「乗れ! 乗れ!!」 みたいな事を運転手も、おばあちゃんも叫んでいる 乗り合いタクシーらしいけど、私ら4名なんだけど 韓国の乗用車は6名も乗れるの???なんて思いつつ 後ろから押し込まれるように乗り込み、バスと同じく 一人あたり1000ウォンで、即効で駅に着いた そしたら済州島でタクシー運転手に無理にすすめられ 6名で乗り込んだ人のブログがあったので、結構、韓国は アバウトな国なんだなぁ~と。おそるべし韓国のタクシー 平成19年2月21日午前、撮 影
2007年02月27日
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さて昨年は済州島のゴージャスなロッテに泊まった ロッテのチョコレートの懸賞の優待旅行は、今年は 韓国第二の都市、釜山にお安く出かけることにした 姉は無論のこと、姪やその友達と4人の珍道中だ 価格が安いだけに、セントレアを夕刻の出発なので 前から見たかった大エルミタージュ展で、好きな ゴーギャンを名古屋で見物し、更には空港内にある お風呂も利用をしてみた 夕日の中を出発した飛行機は、一路、西を目指し 前にも日記で紹介をした、木曽川、長良川、揖斐川の 木曽三川の河口や、ほんのりと雪化粧をした鈴鹿山脈 琵琶湖などを、鳥瞰図のように見物することが出来た ロッテホテルは、釜山の若い子たちに人気の街 西面のど真ん中にあるだけあって、渋谷のような 賑わいであった。道の真ん中には屋台が並び とってもおいしそうな香りが漂う なんと路上にポスターがはってあるよ。沢山 散らばったチラシの中に、のだめカンタービレで ブレイクした名古屋出身のイケメン玉木宏を発見 「きゃ~~、ヒロシが踏まれてる~」と姪が騒ぐ そんなわけで、事前にネットで調べたおすすめの お店で、夕飯をとることにした。メインの料理を 頼むと、下のお皿はバイキングでいろいろな食べ物を 頼めるのだが、これで4500ウォン。日本円で 数百円だ。韓国5回目で、初めてトッポギを食べたが おいしかった(キャベツの横の赤いお餅) あ~。かわいらしいケーキ。でも観るだけで・・・(泣) 釜山のロッテホテルは、済州島のリゾートの雰囲気は 味わうことは出来ないのだが、快適な都会型のホテルで デパート、免税店、カジノ、ショーも併設をされている 2日目の朝は、ホテルの近くで10000ウォンの あわび粥だったのだが、さすが市場の仕入れだけに 新鮮でおいしい♪ さて、これからどこに出かけようか!? もちろん オプションなどは利用をせず、いつものソウルの ように、地下鉄を利用してのフリーの観光に出発だ 平成19年2月20日、21日撮影
2007年02月23日
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最終日は11時に、ホテルに集合という事なので タクシーを使って、この時期しか見られない絶景 山房山(サンバンサン)を借景にした菜の花畑を 少ない時間で見に行くことにした ホテルの可愛らしいベルガールのお嬢さんが 山房山は交通の便が悪いのでと、現地で1時間位 待機をしてもらって、ホテルに帰ってくるように タクシーの運ちゃんに、値段の交渉もしてくれた 朝早くの山房窟寺は、観光客の姿は見当たらず 山房山の西南側絶壁にある、岩洞窟を目指して ひたすら石段を登った。姉は景色の良いところで 「もう、いい。一人で見てくれ。ここで待ってるで」と 脱落をしてしまった たった一人きりで、岩洞窟で大きな仏と対面すると 荘厳な雰囲気に、息苦しく飲み込まれてしまい そうだった 老婆が洗濯をしていたところ、洗濯棒が誤って 漢拏山の頂上に当たり、その弾みでかけ落ちた 山塊が、標高395メートルの山房山だそうだ 大きな洞窟の中には、石仏が安置をされており 天井からおちてくる水滴を集めた、長寿の水を 飲むことができるのだが、これは夫を無実の 罪で殺されそうになった美しい女性、山房徳が この洞窟にこもり、化石になった彼女の涙で あるとも言われている 山房山の真下には、数千万年の間、積り続けた 沙岩層の海岸絶壁が、丘の地形が風雨と荒波に 侵食をされて作られた、まるで竜が頭をもたげ 海の方へ入っていく様子に似ていると、名づけ られた竜頭海岸がある 奇妙な海岸絶景を、波際を歩きながら見物を することが出来るのだ。とにかくすごい! 海女さんたちが、宴会(?)をしていたが この美しい海で、何が取れるのだろうか 海の中から見上げると、日の光を浴びて、海は どこまでも美しく、青く輝いているのだろう 満開の菜の花の向こうに、山房山の絶景も見て 名残惜しく、タクシーの車窓から次第に小さくなる 山房山を振返った。空港から飛び立つと、真下に 青く輝く渚が広がっており、自然豊かな済州島に 名残を告げた 飛行機は、あまり時間がかからず、天草から九州 四国を横断し、熊野の山々を抜け、伊勢湾に抜ける 西日本の地図そのままの、大パノラマを見せてくれた あの青い海は、もう見ることも無く、日本に帰って きたのだと実感をしたのだった 伊勢あたり 平成18年3月15日 撮影
2006年03月29日
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次の日は、昼食つきで8500円のオプションの お得な一日観光に出かけ、柱状節理の切り 立った崖から海に向かって、水が流れ落ちる という「正房瀑布」に出かけた 風光明媚な風景も素晴らしいが、海がまた美しい そんな「正房瀑布」の検索をしていたら、済州島 4.3事件で、島民がたくさん身を投げたという 文章が目にとまった。4.3事件って? 太平洋戦争後、米ソの介入により、朝鮮南部は 「反共国家」づくりが進められ、自主独立の運動は 社会主義や共産主義と結びつけられ、弾圧を されたそうだ 南朝鮮の単独選挙に反対し、1948年4月3日 左派に率いられた、済州島の「武装自衛隊」が 警察署や、右翼青年団の宿舎などを襲撃をした この済州島民衆の抗争を理由にして、軍や警察 右翼青年団などの討伐隊による「焦土化作戦」が 朝鮮戦争に至るまで展開をされ、島民への 無差別な殺戮が繰り広げられ、犠牲者は島民の 十分の一、3万人以上と推定をされている 18歳から40歳までの男は、皆、ゲリラになる 恐れがあると皆殺しにされた。アカの容疑が かかった人間の家族は子供も、女も、年よりも 虐殺され、村が消滅をしてしまった所までも 韓国のハワイともいわれるような、美しい島で そのような悲劇が起きたとは思いもよらなかった 現地ガイドの人が、在日コリアンの人たちが 自分の蜜柑園に、蜜柑狩りに来ると言って いたが、その虐殺から、日本に逃げ出してきた 島民がたくさんいるという 韓国最大の島である済州島は、韓国で一番 標高が高い漢拏(ハルラ)山(1950m)を 頂点とする火山島であり、溶岩台地上の奇岩や 海食崖、溶岩洞窟など、火山特有の景勝地が多い 日本同様に、寒波で山頂は白く薄化粧をしていた 南国のヤシの樹が園内にそびえ立つ、亜熱帯の 植物園である翰林公園は、済州島民の生活を 再現をした民俗村チェアム村や、天然記念物 第236号の挟才窟・双竜窟など見所も多い 屋根が縄でなってあるのは、風の強い島であり 屋根が吹っ飛ばないように縛り付けてある 家を風から守る石垣は、溶岩がつまれている 挟才窟と双竜窟は、普通の溶岩洞窟と異なり 海岸の貝殻や砂の石灰分が、雨水と共に洞窟の 中に染み込み、鍾乳石や石筍を作っているという 世界的にも珍しい、2次元複合洞窟で知られる 双竜窟は、まるで2頭の竜が抜け出したように 2筋に分かれている 済州島の空港の近くの海岸には、竜頭岩がある 竜王の使者が、霊山である漢拏山に不老不死の 薬草を探しに行き、山神が放った矢に打たれて 海に沈み、頭だけをもたげて固まったという また竜頭岩の近くには、竜が遊んでいたという 竜淵があり、士人や墨客たちの船遊び場として 愛されていたとか・・・・・ 済州島は竜の住む島であったようだ 海を背にした人魚もまた、どことなく東洋的だ 2006年3月14日、午前中に撮影
2006年03月22日
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ホテル内の免税店を見学をしている間に 部屋のチェックインも、出来るように なったので、部屋で少しばかり休んでから 早速、ホテルの近くを、歩いて観光を する事にした 神様に仕える7人の天女が、夜になると 舞い降りて水浴びをし、朝になると また、天に昇っていくという伝説が残る 済州島、最大の滝「天帝淵瀑布」は 3段の滝から出来ている 天女が彫刻されている「仙臨橋」は、遠くから 眺めても美しい橋だ。それを渡って・・・ 滝つぼは深くてなかなか美しい。マイナス イオンもいっぱい浴びてリラックス~ 韓国人のカップルや、家族連れなど観光客は けっこう多いのに、日本人は誰もいない ハワイでもそうだったが、免税店まわりか オプションでないと、観光地にも出かける 事がないのだろうか・・・。ホテルからほんの 数分のところにあるのに、なんだか残念だ 5つの動物の頭のある噴水は、願い事に よって選んだ動物の頭の前から、投げた コインが、真ん中の噴水に一度で入れば 子孫繁栄や、金運などの願いが叶うとか 日本の観光地と同様で、大きな岩に落書きが 彫られていた。書きたてのハートマークには 二人の名前とかが書いてあるのかな? あらら、樹の枝にも書いてあるよ 帰り道、レストランで夕食をしてから戻る ことにした。無論、ここも「オールイン」の ロケが行われている まずは、韓国の焼酎で乾杯~♪ 二人で味付けカルビに、私は冷麺、姉は ビビンバとオレンジジュースも追加 夕食のオプションならば、飲み物抜きで 一人5千円もするのに、これだけ食べて 飲んで、二人で5千円でもお釣りが来た ほろ酔い気分で、まあるいお月様を眺め ながら、幸せな気分でホテルに戻った 次の朝は同じレストランで、あわび粥! さぁ、2日目の観光に出かけるとしよう 2006年3月13日(&14日朝)撮影
2006年03月20日
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世界5大ホテルの一つにも数えられる、南アフリカ 共和国にある、世界的に有名なリゾートホテル 「The Palace Of The Lost City(ザ・パレス)」を 設計をしたWAT&G社が「愛と夢の宮殿」を テーマに手がけたのが「ロッテホテル済州」である 敷地の約3分の1をも占めるガーデン部分には 野外ステージが設置され、 ラスベガスのホテル ミラージュの火山ショーをプロデュースした会社が ラスベガス顔負けの、光と水のショーを展開する 火山ショーは、イ・ビョンホンが主役キム・イナを 演じた、韓流ドラマ「オールイン~運命の愛」にも 登場をしている NHKで放映をされた「オールイン~運命の愛」の 撮影では、「中文ホテル」として撮影が行われ ドラマのメインを飾るカジノ、ロビーラウンジ、階段 廊下、エスカレーター、日本レストラン「桃山」 バー「ウィンザー」、庭、遊歩道など、ホテル内の いたるところがロケ地となっている 海辺側に立つ3つの風車。中央にある最も大きな 風車の内部はラウンジになっていて、きれいな海を 見渡せる展望台にもなっている その風車をバックに、スヨンが母の形見のオルゴールを イナにプレゼントしたベンチは「オールインベンチ」と 名づけられている イナが海を眺めた場所 ホテルの近くには、イナが働く事務所として 撮影されたコンベンションセンターがる 中文観光団地にあるロッテ、新羅、ハイアット・ リージェンシーの3ホテルの下に広がる海水浴場 イナとスヨンが、早朝のデートを楽しんだ浜辺だ 冬のソナタで、韓流ブームが始まったようにも 言われているが、それより早く映画「シュリ」や 「JSA」を注目した映画ファンも多いと思う その「シュリ」のラストシーンで登場をしたのが 新羅ホテルの脇の、見晴らしの良い展望台であり シュリの丘と呼ばれている。シュリベンチからは 美しい海と、中文海水浴場が一望できる そう「オールイン」のロケ地だからこそ、喜び 勇んで、駆けつけた次第だ。サービスも最高! まさに夢のような、ゴージャスなホテルだった 2006年3月 13日から15日撮影
2006年03月18日
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さて、自然がいっぱいの菜の花満開の 済州島から、帰国したばかりであるが 旅行記ばかりが続いたので、まずは お土産からご披露!! 4年連続、4回目の韓国旅行ですでに 定番になっている商品もあるくらいだ またもや、主にコンビニで購入をした 真ん中の缶は、松の芽(ソレヌン)といい 松の葉を使ったジュースで、韓国の伝統 飲料のひとつだそう。お隣の米粒の浮いた 缶も、伝統茶の「シッケ」。昨年の旅行で 韓定食のデザートに出てきたもの 済州島は蜜柑で有名なので、生ものは 持ち帰られないので、ジュースで。そして 定番の甘~い韓国の焼酎はなくては ならない一品。重くても、私のお晩酌~ 頑張って持ち帰りました 次には、子供へのお土産でもある お菓子類ですね。もう、おなじみの ものばかりで、息子のリクエストの ひまわりチョコも箱買いをしちゃいました 家族へのお土産は、済州島ではサボテンの 栽培も有名なのでサボテンチョコも買って みました~ 2月に、韓流ドラマのアジアでのブレイクの きっかけになった「星に願いを」の主題歌 欲しかったアン・ジェウクのCDもゲット 旅行社や、免税店などから無料でいただいた お土産は、やっぱ韓流関連が多いみたい そんな済州島のリゾートを紹介します。続く
2006年03月16日
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「雲硯宮」は第26代王高宗の父である 大院君李是応の、住まいだったそうで 当時の敷地は1万坪もあったのだが、現在は その五分の一ほどが、保存をされている 1863年、大院君李是応の12才の息子が 26代朝鮮王に推挙され、彼は政治の表舞台に 躍り出る事になった。1866年には、ここで 高宗と閔妃(明成皇后)の結婚式もとり行われた そうだ 閔妃は、次第に大院君と覇権を争うようになり ついに1895年、景福宮で彼女は日本側の 手により暗殺をされてしまった 再び権力を握った大院君も、3年後には亡くなり 高宗は、1907年譲位を余儀なくされてしまい 1910年には日韓併合となった 反日のさきがけとなった「三・一独立運動」の舞台 タプゴル公園も、この近くにあり、今では地元の お年寄りの憩いの場になっている この雲硯宮に行く途中、もう地下鉄の登り口にすら 警備員が立っていて、あちらも、こちらも警備員に かこまれた建物があった。姉が、にこっと警備の お兄さんにしたら、彼もにこっと返してるよ あらら、日本国大使館の公報文化院の建物なんだ 外交においては、これだけの警備をしなければ ならないような関係なんですね。日本における 韓国の大使館もまた、同様なんでしょうか? 韓国には7つの世界遺産が、慶州や江華島など 全土にあり、昨年の韓国旅行では、それを全て 観光するものだった その中で「昌徳宮」という、チャングムの誓いの ロケも行われた宮殿と「宗廟」の二つがソウル 市内にある 「宗廟」は、李氏朝鮮時代の歴代の王と王妃の 位牌を祀ったもので、1394年に李朝第1代王 太祖が漢城(ソウル)に遷都をしたさいに この宗廟も造営をされたそうだ さて、これで観光の旅も終わりとなった。旅行と いえば、お土産がつきもの! 特に欲しかったのは 蜂蜜で作ったふわふわの飴で、松の実、くるみなどを くるんだ、繭玉のような伝統飴菓子である「クルタレ」 かつて宮中において、王様が食べていたとか・・・ やっぱ、南大門市場では韓国海苔も買ってしまい ましたね~。美味しいもん! かぼちゃの飴は 芋飴みたいで、素朴な味でした 息子のお気に入りのひまわりの種にチョコを コールティングしたお菓子は、500ウォンが 700ウォンに値上げしてました。このところ 韓国は、物価高騰が激しいそうで韓国の子達が 修学旅行で、日本に来て100円ショップで 安い!と、買い物をしているくらいですから 一番後ろの飴は「おこげの味」がするという もので、南大門の食料品店で、オマケにつけて くれました♪ 南大門市場では、襟巻きもひとつ ペットボトルの焼酎は、持ち運びに便利で 日本で売っているものより、甘口で美味しい♪ ゆず茶をはじめ、韓国伝統茶が出来るパックや 高麗人参の粉末など、体に良いもの 子供に頼まれたマンガに、私のCDは1500円 くらいで買えましたよ。今、車で聞いてますよ 韓国らしい小物は、100円くらいから300円 くらいまでで、人様へのお土産にも喜ばれます 先に言っとくけど、あ、チャーリーさん、自前 ですからね! そんな訳で、2泊3日の短期間ながら、かなり 充実したソウルの旅だった。最初の目標はほとんど かなえられたけど、うどんと、マンドゥを食べて いないのが心残りで、また、行ってしまいますか(笑)
2005年12月10日
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さてソウルの最後の朝、姉と二人で地下鉄を使って 宮殿めぐりなどしようと思っていたのだが、前日の 統一展望台のオプションなどで、ご一緒した姉妹も 同行することになった。ま、姉一人でも、3人も同じ ようなものである 静岡からお越しの、姉よりも一回りは、年上の 日本舞踊のお師匠さんと、義理の妹さんなのだが なんだか森の石松っぽく、きっぷの良い話し方が 格好が良い。にわかガイドに変身をして、後ろを 振り返えつつ、3名を引き連れて、最初の訪問地の 「徳寿宮」(旧・慶運宮)を訪れた 李朝第9代王にあたる成宗の兄、月山大君が 住んでいた邸宅だったが、豊臣秀吉による 文禄・慶長の役で、避難先からソウルに戻った 李朝第14代王の宣祖が、臨時の王宮として 昌徳宮へ居場所を移すまでの一時期、ここが 王宮として使われたそうだ 1897年、李朝第26代王の高宗が修理をし 明成皇后の暗殺に、身の危険を感じた高宗が 慶運宮へ移ったことで、再び王宮として使用を されるようになった 高宗が皇帝として在位した、1907年までの 李氏朝鮮王朝の、波乱万丈な歴史の中心舞台となり 1905年には重明殿で、日韓保護条約(乙巳条約)が 締結をされた この建物は、ロシア建築技師サバティンの設計で 1900年に建てられた、王宮の中に建立された 最初の西洋式(中国風)建物。高宗皇帝が茶菓会を 開催したり音楽を鑑賞したりした休息の場所だ この宮殿は、ソウルの繁華街のど真ん中に位置し 目の前は「パリの恋人」でテヨンとハン・ギジュが 待ち合わせをしたソウル市庁・・・いや、一般的に ワールドカップサッカーで、真っ赤になった所だ 現庁舎の裏庭に新庁舎が建てられて、 日帝時代の 建物である、旧・京城府庁だったソウル市庁舎は 博物館として、保存をする計画があるそうだ ソウル初日に「美しき日々」のソンジェが通った 医大のロケを行った、延世大学のキャンパスの前を 通り、中の様子を垣間見る事ができた 学歴社会の韓国は受験戦争が激しく、小学生の 頃から、母親と海外留学にいくくらい加熱をしている ちょうど、私の到着した日は、韓国大学修学能力試験の 当日にあたっていた。チェ・ジウの「真実」では 替え玉受験を行ったり、実際に、昨年は、携帯電話に よる集団カンニング事件もあったほどだ 社会みんなが受験生に協力的で、パトカーに乗って 受験会場に向うなんて話を聞いてたら、ガイドさんが 実際に体験をされたそうで・・・本当だったんだ(笑) 受験生が、机に向って試験に取り組んでいる間 そして試験結果がわかるまで、父や母は、神さま 仏さまと言うわけで、韓国で一番大きな宗派である 曹渓宗の総本山である「曹渓寺」にも、私と同じ くらいの女性の姿が目立っていたのは、そのせいかも 韓国のお寺も、宮殿のようにきらびやかであった 陶磁器や工芸品の店が軒を連ねる「仁寺洞」は 裏通りに、庶民的な安いお店や、古い韓国の家が 点在し、本格的な韓定食や、伝統茶を味わうことが できます♪ 事前にガイドブックを調べて、韓定食のお店を 物色をしていたので、路地裏をすすんで、無事に 目的のお店「智異山」に到着をした 大きなテーブルいっぱいに、韓国のお袋の味が 並ぶ、並ぶ。姉の好きなお豆腐の料理もある サラダのドレッシングが甘い~? 梨をすった ものを使っているようだった。へぇ~~ 「チャングムの誓い」を見れば、おわかりのように 「医食同源」のお国柄だけに、朝鮮人参なども 料理に使われているよ 食後には、様々な効能のある「伝統茶」が出てきました これは、ご飯粒と麦芽の粉を、水に浸した上澄みで ねかしてつくる「シッケ」 いよいよ、ソウルの旅も、あとわずか。お二人の 同行者のために、世界遺産でも見物をしますか
2005年12月08日
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日が傾き始めてから、地下鉄を使い「南山ゴル韓屋村」に むかいました。ついた途端、韓国人のおやじ同士で すさまじい勢いで、口げんかをしてますよ。いゃ~ びっくりしました。迫力! 迫力! さて、ここはヨン様の映画「スキャンダル」では ロケが行われたところです。伝統的な韓国のお屋敷が 移築された上、無料公開をされています。団体もおり 外国人より、韓国の皆さんが多かったような 先ほどの南大門市場では、ヨン様&ビョン様の顔が プリントされた靴下や、マグカップ、手帳などを 「ファンなのに、ナゼ、買わないんですか~~!」と ガイドさんに山ほど言われたけど、そんなものを 買った日には、家族から総スカンですよ 映画やドラマの中では興味があっても、おっかけとか そうゆうのは興味は無いです。「スキャンダル」の 美しい衣装、怪しげな視線・・・思い出すなぁ~ 少し高台にあって、「美しき日々」でヨンスとセナが 再会を誓った「ソウルタワー」も間近にみえます 建物の話も無いし、話は変わりますが「キムチジャン」と いいまして、この時期の韓国は、キムチ作りの最盛期 らしいです。次の日に、人が行きかうような路上で 白菜を漬け込んでいた人を見ました。茶碗も路上で洗って いたし、路上は生活&商売の一部なのかと・・・・ ま、普通の家庭では、そんな事はされないと思いますが 大八車に、八百屋で買った山盛りの白菜を乗せた オバサンが、坂道を一生懸命に登っていましたが オモニ(お母さん)の号令のもと、娘や、嫁さんや 近所のおばちゃんらが集まって、キムチジャンに 精を出します ガイドさんも、姑さんから電話があって、週末は キムチジャンだぁ~と、話されていました 日本って、そうゆう家族での作業って、無くなって しまったから、なんだかうらやましいなぁ~ 地方によって様々なキムチがあり、南の方は イカなどの入ったキムチ。北の方は野菜だけの キムチなので、ガイドさんは南のキムチは苦手 だそうですよ ペチュキムチ 白菜キムチで、発酵が進んだキムチは 鍋などにも使われます ポッサムキムチ 白菜で、他の具を包むようにしたキムチ 王様のキムチとも呼ばれ、カキ、松の実など 豪華な食材を使用し、かつては上流階級 のみが、作ることを許されていた カクテキ 大根を角切りにして漬けたキムチ オイキムチ キュウリを半分に割って、唐辛子などで漬けたキムチ 水キムチ この後のお粥の写真にありますが、けっこう定食などで 出てきます。このお汁も美味しいですよ 歩いて「美しき日々」の明洞聖堂(教会)に、行く つもりが、あれぇ?、大きなビルの谷間を歩くうちに 気がつけば、ソウルの一番の繁華街「明洞」の 中心部に、迷い込んでいました 服や靴、雑貨、化粧品などファッションに関するお店が 低価格を売り物にする東大門市場とは異なり、韓国の 人気ブランドの他、世界的にも有名なショップが立ち 並んでいます 夕方ですから、会社や学校帰りの若い人たちで一杯です さて、おなかも空いてきたので、以前の旅行で使った 2003年版のガイドブックに紹介をしてあったお店に 行こうと思って、迷路のような路地を、左に曲がって 右に曲がって・・・・ あれ? 無い!? 小さなお店がゴミゴミと集まって いたような路地裏は、巨大ビルの建設予定地で 更地になっていましたよ~ 仕方が無いので、日本の雑誌の切抜きが貼ってある 小奇麗な「お粥」と「伝統茶」の店に入りました やっぱり、日本語が通じるとか、日本語メニューが あるのは安心が出来ます 地元の若い子達も何組も入っていて、繁盛をしてます 姉は「あわび粥」 一切れもらいましたが、いゃ~ 美味しいあわびです♪ 私は黒ゴマのお粥でしたが 白いお粥に、黒ゴマがぱらぱら~と思ったのに いやぁ、驚きました!「くどそう」と、心配でしたが 思いのほか、あっさりしてて美味しかったです ソウルも、町並みはクリスマスイルミネーションで 彩られていて、夕方になってからホテルを飛び出して ホント良かったですよ。こんなに美しいツリーを 見ることが出来たのですから そして、キラキラと輝く光のむこうには あの方の爽やかな笑顔が・・・ まだまだ、旅は続きます
2005年11月30日
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共同警備区域(JSA)で有名な板門店は、なんだか 勇気が無くて、行く気持ちにはなれなかったので 臨津江(イムジン河)のすぐ向こう岸に、北朝鮮の村が 見れる「オドゥ山統一展望台 」は、規制やチェックも 無くって、簡単にいけるというので、オプションで 参加をすることにしました ソウルから、板門店に向う「自由路」は、将来は 韓半島が統一された暁は、板門店から開城、そして 平壌へつながる主要道になる事を、想定して いるそうです 韓国において、朝鮮という言葉は李氏朝鮮などを のぞいては使用はしないそうで、朝鮮半島ではなく 韓半島、北朝鮮ではなく北韓、朝鮮戦争でなく 韓国戦争と言うそうです 南北朝鮮戦争の休戦時に決められた、休戦ラインの 南北2km内のエリアであるDMZ(非武装地帯)は 一般人は立ち入りができない為、入るには厳重な チェックが行われています 臨津江(イムジン河)の手前側、韓国の人たちが 自由にいける「臨津閣」に最初に立ち寄りました 朝鮮戦争において、北から南に来た人たちが 帰ることが出来ない故郷を偲び、先祖を供養を する為に、大きな碑が建てられ、美しい故郷の レリーフが描かれていました 映画「JSA」の女将校の父親は、北の出身者 でしたが、ガイドさんの父方もまた、北からの 移住者だそうです。数え切れない人たちが北と 南に分かれることになり、故郷に訪れ墓参りも 親族に会うことも許されず、引き裂かれたままで あるという事を、ひしひしと感じるました 「自由の橋」は、朝鮮戦争当時に、戦時捕虜が 「自由万歳!」と叫びながら、この橋を渡って きたことから、名づけられたそうで、橋の北端は フェンスでさえぎられており、南北統一を願う 旗などが、数多く掲げられていました 臨津駅から、DMZ(非武装地帯)のすぐ手前の 都羅山(トラサン)駅へと向かう列車が走る橋が ありました。右側には、朝鮮戦争で破壊をされた 橋げたが、そのまま残されています 都羅山駅に、一日に3本運行をされているそうで 偶然、その列車が通りかかり、ガタンゴトン・・・と イムジン河の向こうから、どんどん大きくなる 列車の音は、暗く、重々しく感じました 漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が 合流をする風光明媚なオドゥ山に、統一展望台が 作られ、川向こうに北朝鮮の開豊(ケプン)郡の 農村地帯を見ることができます 写真ではこの程度ですが、肉眼ではさらに近くに 見えて、有料の20倍の双眼鏡を使えば、もう 建物も大きく見えて、人間さえも見えました 井筒監督が映画「パッチギ!」で、京都の鴨川を このイムジン河に見立てて、在日朝鮮人の学生と 日本人の学生を通し、相手に近づき、相手の立場を 理解をする事の難しさを、語っていましたが この「イムジン河」は、北の人が作った歌だそうで 韓国では、あまり語るのは喜ばれません イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ 我が祖国 南の地 想いははるか イムジン河 水清く とうとうと流る 北の大地から 南の空へ 飛び行く鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を 分けてしまったの イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ 河よ 想いを伝えておくれ ふるさとを いつまでも忘れはしない イムジン河 水清く とうとうと流る 南から故郷を思うように、北からもまた 故郷を思う人がいると思います。しかしながら 国家体制も、思想も違った、南と北が統一を する道は、長くて険しいものであるでしょう 南北の歴史や、北朝鮮の生活や、産業などが 様々な展示品によって勉強が出来るように なっています 売店では、北朝鮮の生産品を、韓国側が輸入を したというお酒を売っていたので、購入を したのですが、飲むのも勇気がいるなぁ~ そして、オプションのお昼ご飯は、プルコギでした 肉や野菜に味噌をつけて、葉っぱに包んで 食べるのは、カルビと同じ。肉汁は、ご飯にかけて 混ぜ混ぜして食べるのが地元風らしい 午後、ソウルに戻ってからは、南大門市場に 連れて行ってもらっての、お買い物タイム! 崇礼門(南大門)は、1398年に創建をされ 1448年に改築された、韓国で最も規模が 大きな城門であり、そして最も古い木造建築物で 国宝1号にも指定されたソウルのシンボルです 600年もの歴史を誇るソウル最古の市場である 南大門市場は、キムチや海苔、高麗人参などの 韓国食材、そしてメガネ、革製品、アクセサリー 時計、子供服、お土産・・・生活感のある市場です ガイドさんに連れられて、無事にひまわりチョコも 韓国のりも、ゆず茶もゲットできました♪ 姉は 帽子が素敵だといわれ、25000ウォンを ガイドさんが値切って20000ウォン。帰りの 飛行機の中でよくよく見たら日本製! そりゃ 品質が良いわけだ で、日本の量販店で買った2000円均一の カットソーは、やっぱ韓国製なのでした(笑) ホテルにもどったら、まだ4時前。こりゃ、まだ ホテルにしけこむ時間でもないし、南大門市場で 買い込んだ荷物を降ろし、街に繰り出すぞ~! 続 く ・・・
2005年11月28日
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さて、私は22日に韓国に行った訳ではなく 早朝出発は家族に迷惑をかけ、そそっかしい 姉がパスポートを家に忘れても、取りにいける ように、名古屋駅前で前泊をしました 美味しい夕食を食べ、名古屋駅のライトアップも 楽しみ、新幹線の改札前を通ると、すごい人ごみ カメラもきてるし、午前中に成田空港に着いた フィギュアスケートの新星、浅田真央ちゃんだぁ~! もう間近でお迎えできました。なんだか幸先がイイ 5ペアのところ、キャンセルをされた方がいた ようで、4ペアが現地で集合。当日は日本語の とっても上手な、現地ガイドさんに連れられて 昼食と、午後からの半日観光に向いました ソウル市内にある5大王宮の中で、最も規模が 大きく、李氏朝鮮時代の正宮だった「景福宮」での 観光がメインです 景福宮は、1394を年(太祖4年)に創建され 現在は国の史跡第117号に指定されている古宮で 勤政殿、慶会楼、慈慶殿、慈慶殿十長生煙突など 数多くの文化財(国宝7点、宝物11点)があります 「景福」とは、「詩経」に出てくる言葉であり 王とその子孫や、すべての百姓が、太平の御代の 大きな幸せを得ることを願うという意味だとか 景福宮は、秀吉による文禄・慶長の役で全焼し 1865年(高宗2年)、興宣大院君が再建に着手 3年後に創建当時の規模に復元をし、7月には 「昌徳宮」から、王宮を移転をされました 1910年、日韓併合によって、勤政殿など 10棟程を残し、そのほとんどの殿舎が破壊を されてしまい、日本帝国が、勤政殿の南側正面に 朝鮮総督府庁舎を建立をしました 1991年より「景福宮復元事業」が始まり 総督府の建物が完全に撤去をされ、復元工事が 今も続いています 「禁軍」という王宮の警備を管掌し、大殿を 護衛する軍隊の儀式を再現をした「王宮守門将 交代式」というイベントを、ちょうど見ることが 出来ました 韓国の国鳥であるカササギを、何度も見る機会が ありました。カササギは、珍しい人物やお客さんの 出現を知らせる鳥で、お正月の夜明けに一番先に カササギの声を聞けば、その年は「運数大通」の 吉鳥とされています 豊臣秀吉の朝鮮出兵をしていた時、佐賀藩祖の 鍋島直茂がこの鳥を気に入り持ち帰り、佐賀で 広く生息をするようになり、 その鳴き方が 「カチカチ」と聞こえるので「勝ち」とかけて 「カチカラス」と名づけたそうです 国立民族博物館では、庶民や、貴族などの生活や キムチのつけ方、子供の遊び、結婚式や葬儀など 様々なお勉強が出来ました その後は免税店ですが、行った事が無い所だった のでけっこう新鮮。でも、買う事は、今回も無し 見るだけでした お昼ごはんは、今回もビビンバ。お昼の団体の 定番ですね。ま、手早く、安く済ませられるから 夕食はホテルの近くで、やっぱりソウルフードの 代表「骨付きカルビ」を、清酒付きでいただき ましたよ~。日本酒に比べて甘口だなぁ こうして、一日目は終った!?・・・・いやいやホテルで 韓国ドラマを、0時40分過ぎまで観てましたよ お~、オールイン!のおやじだぁ~、宿敵のお兄ちゃんだ クラブのおばちゃんだ、おじちゃんだぁ(チャングムの 育ての父でもある) コッチの済州島のお姉ちゃんに、その意地悪姑は、また 目つき悪い~~!!なんて、見慣れた俳優さんに拍手!! いよいよ2日目、私は、なりゆきでイムジン河を 見に行く事になったのです ( 続く )
2005年11月26日
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いよいよ3度目の韓国・ソウルに行く事に なった。セントレア・デビューでもあるのだ 世界遺産も一通り見たし、グルメもだいたいは 食べたし、さて、今回は何を目的にするか ある程度は自分で、目標を持ち、下調べを する事によって、充実をした旅が出来るもの 無論、目的の無いまま、うろうろするのも 違った楽しみもあるのだが・・・ 旅の目的 1 「美しき日々」のロケ地を、3つはまわり 出来たら、サントラCDを購入をする 2 食べた事が無いカルクグス(うどん)と マンドゥ(蒸ギョウザ)を食べる 3 伝統茶店で伝統茶か、民族酒場でお酒を楽しむ 4 ソウル五大王宮の残りの2つを見学をする 5 言葉はわからないけど、新作ドラマをチェック! 6 旦那には、ネクタイピン(リクエスト) 娘にハングルのマンガ雑誌(リクエスト) 息子にひまわりの種のチョコ(リクエスト) 伝統茶のパックや、焼酎、扇子のお土産を購入 結局は、買出しみたいな感じにもなるけど 韓国のリなどは、国内のスーパーでも普通に 売っているし、韓国でしか食べれないもの 見れないもの、買えないものを、楽しもうと 思っている というか、年寄りに買っていったお土産を見て ババ様、開口一番「馬籠でも売ってるわ!」 でも、すんごい安いんだけど・・・ホント 嫁の土産に、そんな事を言うんだもんなぁ~ そんな訳で、当分は留守をします。週末まで お元気で。良い毎日でありますように!
2005年11月21日
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「ルネッサンス」を覚えてますか? どなたか 思いつく画家は? モナリザのレオナルド・ダ・ヴィンチ? 最後の審判のミケランジェロ? 聖母子のラファエロ? その発祥の地は、イタリアのトスカーナ州の州都 「屋根のない美術館」とも称される、芸術の都 「フィレンツェ」である。名門メディチ家の加護のもと 巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロ・ ブオナッロティの才能が開花をした街である 華やかなボッティチェッリの「ビーナスの誕生」と「春」 などの絵画も、この街で見ることが出来る。フローラの 口元から、はらはらと花びらが生まれおちる 高台から街を望む。遠くに、花のサンタマリア聖堂の 赤茶けたクーポラが見える。街の中心地は、中世と まったく変わらない。ファサード(教会の正面)に 美しいもようが描かれている サッカー発祥地ともいわれるサンタ・クローチェ広場に 面した教会には、ミケランジェロ・ブオナッロティを始め 「君主論」を著したニコロ・マキャベッリ、作曲家の ロッシーニの墓などがある。もう壁面も、床もお墓まるけ スペインで聞きましたが、キリスト教徒はお墓を踏まれる 事が、供養になるらしいです また、ローマの初日にはバチカンに行きました キリストの一番の弟子であった、聖ペテロの殉教した 土地の上に、ミケランジェロが設計(改築)をしたという サン・ピエトロ大聖堂は壮大で、華やかでした 亡くなったキリストを抱く聖母「ピエタ」の彫刻 システィーナ礼拝堂の、最期の審判、天地創造 まさに、ミケランジェロの集大成が、バチカンです
2005年06月11日
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ローマは「1日の滞在」であったが、朝から 晩まで、めいっぱい楽しんだので、オードリー・ ヘップバーンの「ローマの休日」を思い出した 王女様が新聞記者と、一日だけのローマを 楽しんだのは、ある意味、おのぼりさん用の 定番の観光コースであった為、映画ロケで使われた 見覚えのある名所にも、実際に行く事が出来た 日本人の人が、ローマで思い出すといえば コロッセオ、もしくは、トレビの泉、更には 王女様がアイスクリームを、食べていた スペイン広場あたりではないだろうか。本当は 骸骨寺を見たかったのだが、息子に悪影響を あたえるといけないので、我慢をして、午後は 定番コースを回ることにした フォロ・ロマーノのすぐ横に「グラディエーター」で ご存知の、コロッセオがある。「コロシアム」と いう言葉は、今も有名だが、ローマ皇帝が 人気取りのために、ローマ市民に贈る娯楽の殿堂 剣闘士同士の戦いは、どんどんエキサイトをして 映画にもあったように、凶暴な動物と戦わせたり キリスト教徒は、容赦なく、ここでなぶり殺しにあった どれだけの血が、ここで流れたというのだろう トレビの泉は、小さな路地をたどっていかなければ ならないんで、地図を見ても入り口がわからず 地元のおまわりさんに、教えてもらった。犯罪が 多いからか、二人組みの白バイのおまわりさんが とにかく多い。「チャイナ? 」と、相棒に聞かれ 「ジャパン」といった、会話が聞こえてきた コインが無かったんで、コイン売りもいたけど ま~いいや!って、投げずに終ったので、もう ローマには、いけないのかな? スペイン広場では、ジプシーの女スリに遭遇を してしまったが、すぐに体を振り放したんで カバンのジッパーを開けられるだけで被害は無かった 事前に読んだガイドブックで、「赤ん坊を 背負ったジプシーが、声をかける。その隙に ダンボール紙で、手元を隠して、財布をする」 そのままだった。やはり、事前の予習は、万博と 同じで重要である テベレ河を渡って、サンタンジェロ城に向った ローマ時代に、ハドリアヌス帝の墓所として 築かれたが、中世において要塞化をした城は ローマ法王が、有事の際に、バチカンから 地下道によって、逃げ込めるようになっている 屋上にあがると、ローマ市内が、よく眺められた
2005年05月20日
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今日は、夕方からスキャナーと悪戦苦闘をしていた なぜだか、写真の端に、同じような糸くずのような 汚れが出てしまうのが、訳がわからない。スキャナーに 問題があるのかな? 何はともあれ、ネガを取り込めた これで、デジカメ以前の旅行の紹介ができる 第一回は、息子といった4年前のイタリア周遊の旅 イタリア料理の全国チェーン店の、クイズ式の懸賞で 当選をしたものだ。当時、小学5年生の息子と二人で 参加をした 成田発着であったので、千葉県の兄の家に、前泊、後泊を させてもらい、空港にも、義姉の車で送迎をしてもらった 飛行機は、ありがたい事に、JALの最新鋭ジャンボで 直行便。イタリアは、ドル箱路線らしい。全員の座席に テレビもあり、映画や、ゲームを出来るので、息子も 飽きる事なく、ローマに無事に着いた 次の日は、午前中はローマ市内観光という事で バチカン大聖堂と、コロッセオ、トレビの泉をまわり 食事のできる所で解散らしい。しかし、一日だけのローマ 私は、システィーナ礼拝堂で、ミケランジェロの代表作 「最期の審判」や、天井画を見たかったんで、最初の バチカン大聖堂で、団体から離れ、自由行動をさせて貰った お昼過ぎ、フォロ・ロマーノにいった。ローマのどまんなかに 古代ローマ帝国の中心の遺跡が、そのまま残されている ここをシーザーが歩み、ブルータスらに暗殺をされ血を流し アウグストゥスが皇帝についたのだ。カリグラ帝、ネロ帝 華やかにして、残虐なローマの皇帝達 子供の頃に見た「ベン・ハー」、「サテリコン」、「クレオパトラ」 そして「グラディエーター」などなど・・・。その舞台となった ローマにいると思うと、感慨無量である 「全ての道は、ローマに通ずる」 古代においては、世界の 中心。クレオパトラすらも訪れたローマ。思いのほか 遺跡の保存状態が良いのには驚いた。冬の2月というのに 草は緑で、花も咲き、空は青かった!
2005年05月13日
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今年も残すところ、あと1週間あまり。世間でも 今年の流行語、スポーツベスト10など、様々な形によって 今年を振り返っています。そこで、私も、今週は振り返り企画! 今年の皆さんの、旅行先ベスト5も、是非、教えてくださいな! 今夜は第一弾。「今年の旅行先ベスト5」 第一位 韓国。慶州の歴史巡り(10月) こちらのフリートークで紹介したように、韓国の 7つの世界遺産を見るツアーです。特に慶州のお寺や 仏像、古墳などの歴史遺産は、学生時代から憧れていた 土地なので、余計に感無量。韓国グルメも満喫しました 帰国便が、日本に台風直撃で、次の日に延期。仁川の 現地の方に良くしていただいて、無事に帰国しました 第二位 東京。本郷、柴又下町歩き(3月) 懸賞がらみで、2回。東京ディズニーリゾートに行く事に なりました。しかし、以前から行きたかった、樋口一葉が 住んでいた、本郷の迷路のような坂の町。柴又、両国 浅草など下町巡り。藪蕎麦も、美味しかった♪ 第三位 京都。新撰組の旅(1月、11月) 今年は、京都は、冬の旅と、11月の特別公開と2回 大河ドラマで新撰組!を放映をしたので、新撰組関連の 特別公開が多く、壬生八木家、島原角屋、壬生寺、黒谷 などの縁の地を、幾つもまわりました。特に角屋は圧巻 第四位 滋賀。坂本町の情緒(11月) 姉が西濃地方にいながら、近すぎて、滋賀県の旅をした 事がないというので、以前から泊まりたかった、琵琶湖 ホテルに宿泊。坂本地区はもれなく歩き回って、彦根や 竹生島など・・・ 第五位 伊豆。松崎町のなまこ壁(11月) 伊豆の温泉旅館がペア当選という事で、旦那を運転手に しての、富士、箱根、西伊豆の旅。西伊豆からは、海の かなたに冠雪の富士山が望め、なまこ壁の町の松崎町は 特に雰囲気が良かったな~♪
2004年12月22日
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小泉首相と、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が 鹿児島県指宿市で、首脳会談を行ったそうですね 来年、日本と韓国における、国交正常化40周年に あたっており、「日韓友情年」とするらしく、来年の 1月25日には東京で、1月27日にはソウルでの 記念行事を、開催をするとか・・・ 来年中に、日韓両国の相互の訪問者を、年間5百万人を 目途に「日韓500万人交流時代」の実現を、目指すと いう話であり、日韓間のチャーター便の増発や、韓国人 観光客のビザ免除、姉妹都市交流の拡大が予定されて いるそうですよ そういえば、かのヨン様は、東北地方で、日本を 楽しんでおられるそうですし、恋敵サンヒョク役の パク・ヨンハさんは、鹿児島で、自分の写真が車体に プリントされた九州新幹線の出発式に、出席したとか その挨拶で「(日韓)は過去に厳しい歴史があったが 新幹線が新しい時代を進んでくれる」と話したそうです アジアは、中国の急激な経済成長を背景に、かわりつつ あります。その中で、日本もまた、アジアの一員として 確固たる礎を作る為にも、相互理解を進めるべき良い 機会になると思います 私も韓国にまいりました。お寺もあれば、仏像もあり 温泉も、古墳もある。私好みの観光が出来ますが なにより、韓国グルメが魅力です。安くて、おいしい お料理がいっぱいで、それなりに日本人観光客慣れを しているので、旅先で困ることもありません 骨付きカルビ、プルコギ、カルビタン、韓定食、ビビンバ あわび粥、海鮮チゲ、あわび粥、チヂミ、ヨンヤンパフ 伝統茶。食べるもの、食べるもの・・おいしいではないの♪ 価格も、名古屋からだと、九州や、東北よりも安く行けるし もう、おいしいモノを食べたさに、来年もまた、韓国に いくつもりでいます。韓流ドラマや、韓国エステ、免税店 人によって、何がきっかけになるかはわかりませんが まずは、相手に興味を持つ事が、相手を理解する一歩に なると思います。人に手を差し伸べれば、手を差し伸べ られる。笑顔を向ければ、笑顔が帰ってくるものです 一足先に始まった日本での韓流ブーム。来年は、韓国で 日本ブームが始まれば、良いと思います。
2004年12月17日
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2004年11月30日
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旅行初日、釜山空港に着いて、慶州に直行をしました。そこで 写真は、可哀そうで撮れなかったのですが、慶州の博物館では 韓国の方なら、まず知っているだろうという「エミレの鐘」を 拝見をしました。日本で見るような梵鐘よりも、随分、大きくて かなり低い所に吊るされ、地面が、円形に掘り下げられています 新羅時代(771年)の景徳王が、父王の冥福を祈って 造をした鐘で、正式名称は「聖徳大王神鐘」といいます 高さは3.75m。口径は2.25m。重さ25トンです 鐘の表面には、華やかな文様などが、彫刻をされており 韓国において、もっとも美しく、大きく、古い梵鐘として 国宝にも、指定をされてもいます この鐘、「聖徳大王神鐘」ではなく、通称の「エミレの鐘」 として有名なのですが、それは・・・・ 天下の名工が、この鐘の鋳造を行ったのですが、鋳るたびに ひびが入ってしまい、失敗の連続になってしまい、果ては 小さな女の子を、煮えだきる坩堝の中へ放り込んで、生贄に 奉げてしまいました 鐘は立派に完成をしましたが、しかし、その鐘をつくと 「エミレ、エミレ、エミレ(古い言葉で、お母さん)」と 小さな女の子の声が聞こえるそうで、人は、この鐘の事を いつしか「エミレの鐘」と、呼ぶようになったそうです フリーページで、10月に行った、韓国の7つの世界遺産の 写真を公開してます。よろしかったら、ご覧下さい
2004年11月29日
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「殿上人日記」を、楽天広場に開設をしてから 一週間が過ぎた。毎日、200名以上の方が 訪問をされて、中には、私とおしゃべりをして 下さり、私を楽しませてくれている 昨日は、偶然にも、ネット・サーフィンによって スウェーデン、フランス、カナダに在住をしている 日本人の方と、ネットを通して、話をする機会が出来た 年齢も違う、住む所も違う、仕事も違う・・・・ そういった実生活では、知り合うはずもない人達と おしゃべりが、楽しめるという、この痛快さ! 海外旅行などで、現地に住んでおられ、日本人の方に お会いする機会がよくある。スペインをガイドして 下さった女性は、同郷の方。ハワイで鉄板焼きを披露 された方、先日の韓国の方は、現地の方ではあったが 日本企業に勤務され、日本勤務をされていたそうだ ほんのいっときだけでも、触れ合った人達とも もしかしたら、ネットの中で再会を、果たすのかも しれない。その日を待ちわびて・・・・ また、日本を恋しく思い、海外からネットを、楽しまれ ている方も多い。そういった方にも楽しんでいただく ホムペを作っていく事が、出来たらと思っている
2004年11月25日
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