全23件 (23件中 1-23件目)
1
http://no-one-no.net/archives/38375553.html必死にしがみついている姿がホント可愛い、というか笑えます。
2021年07月31日
コメント(0)
6月29日(火)1回目接種。7月27日(火)2回目接種。職域接種、モデルナです。1回目は左腕に翌々日ぐらいまで痛みが残りましたが、それ以外に大きな副反応はありませんでした。2回目は接種直後の左腕の痛みからして1回目より強めでした。当日就寝時は発熱はなし、36.3度。翌朝は36.5度でしたが、倦怠感と関節痛っぽい痛みがありました。案の定、午前中のうちに熱が上がり始め、昼前に37度を越え、夕刻には37.5度まで上がりました。あらかじめ在宅勤務にしておいてよかったです。38〜9度の高熱を出されている方がザラにいる中、37.5度は大したことないように聞こえますが、私はもともと発熱しずらい体質で、この30年間で38度を超える発熱はゼロ、37.5度以上ですら数えるほどしかありません。37.5度でも身体的には結構しんどかったです。今朝になって熱は下がりましたが、背中や腰の鈍痛と皮膚がピリピリするような不快感がが残っていたので、昨日に続いて在宅勤務にしました。案の定、15時を過ぎたあたりでまた微熱が出てきました。といっても、37度を少し超える程度でしたが。周囲を見渡してみると、2度目の接種で若い人はかなりの割合で発熱しているようです。それも38〜9度という高熱の方が多いように見受けられます。もっとも私ぐらいの年代になると、ほとんど副反応がなかった人も少なくないようで、本当に人それぞれですね。明日には全快したいものです。追記:翌々日→この日も朝起きたときに背中と腰に鈍痛がありましたが、発熱はなかったので、出社して仕事しました。夕刻になって腰痛が酷くなり、ややシンドイ感じでした。4日後→土曜日は一日ゴロゴロして過ごしました。熱はすっかり平熱になり、左腕の痛みもほぼ気にならなくなりました。ただ、背中と腰周りの鈍痛が相変わらず少しあります。もっとも、こうなってみると、もはや副反応なのか、単に私の体調が悪いだけのかよくわからない感じですが・・。
2021年07月29日
コメント(0)

うきうきさんイタリア3本福袋に入っていた1本。他の2本はサシカイアとルーチェでしたが、ルーチェはすでに2018年に飲んでしまいました。エッジにピンク色が混じる濃いめのルビー。しかし、闇雲に濃いというほどではありません。香りはカシスやブラックチェリー、丁子、ナツメグ、それにビターチョコ。飲んでみると、酸が高めで、最初こそ少し薄められた柔らかな味わいに感じられますが、後半かなりの収斂性を感じ、2口、3口と飲み進むうちに、湿った木質的なタンニンが支配的になります。今飲むのなら、デキャンティングや早めの抜栓などで積極的に空気に触れさせたほうがよさそうです。構成要素の緻密さや磨き上げられたようなテクスチャーなど、高級ワインっぽさは十分感じられるのですが、ややヴィンテージの限界と飲んだ時期の悪さを感じさせられる味わいでもあります。ワインバーなどで単体で出されるとちょっとキツいかもしれませんが、肉料理とは思いのほか良好なマリアージュを見せてくれました。ワインは食中酒であることを再認識させてくれた一本でした。案の定、というか、小瓶に残した翌日のほうが全般になめらかな味わいを楽しめました。★★★
2021年07月28日
コメント(0)
スキゾイドパーソナリティについて描いてみましたあなたの周りにもこんな人いませんか? pic.twitter.com/ZjwC12xTYC— ふーと@人間社会の飛行法 (@huutott) September 22, 2018スキゾイドちゃん イラストまとめhttps://ningengiraisurvival.com/wp/2018/10/10/shizoidtyan_matome/私は大学の時に心理学を専攻していましたが、実験心理学だったため、この手の話題には疎いです。もし、また大学or大学院に行けるなら、臨床心理学を学びたいと切に思っていますが、子ども2人の教育費が嵩む現状では夢のまた夢ですね〜。
2021年07月27日
コメント(0)

いつもはベゴニア一色の玄関のプランタ。今年はペチュニアや日々草を植えています。問題は梅雨明け後の夏の日差しなんですよね。その左側、壁伝いにもプランタをひとつ置いてあって、朝顔を育てたり、葉牡丹を育てたりしたのですが、日当たりがいまいちよくないためか、あまり満足に育ったことがありませんでした。今回、試しにししとうとゴーヤを植えてみたところ、思いの外育ってくれているのが嬉しい誤算です。さすがにししとうとゴーヤとあって、カラスも啄もうとしないようです。ゴーヤの花。まだ小さいですけど、実をつけ始めました。シシトウは結構豊作です。
2021年07月26日
コメント(2)

この時期、ぐいぐい飲めますね。タカムラさんのクレマン5本セットシャトー・ディケム95&2005。割田さんより同じく割田さんのシャトー・ラフィット・ロートシルト[2014]同じく割田さんのシャトー・パヴィ [2016]もうひとつ割田さんよりシャトー・オー・ブリオン [2015] 箱入りWA高得点だそうです。シャトー・サン・ピエール[2009]ワッシーさんのオーボンクリマ ピノ ノワール イザベル [2017] 5.7K同じくワッシーさんのダックホーン デコイ リミテッド カベルネ ソーヴィニヨン [2018] お買い物マラソン限定半額、送料無料プレミアム 家飲み ワイン 9本 セットカツダさんのオルネッライア 2017 アートラベル 同じくカツダさんのマッセートみちのくさんよりユーグ・ゴドメのレゼルヴ エクストラ・ブリュット プルミエ・クリュヒグチワインさんのロベール・アンポー、ムルソー・ラ・ピエス・スール・ボワ [1996] ヒグチワインさんのパヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー [2003] 河野酒店さんの19ユドロ・バイエ)河野酒店さんのブルゴーニュ・ピノ・ノワール[2016](ルネ・レクレール)セカンドでも高いですねぇ。河野さんのレ・フォール・ド・ラトゥール[2003]河野酒店さんのロマネ・サン・ヴィヴァン・レ・キャトル・ジュルノー[2012](ドメーヌ・ルイ・ラトゥール)ウメムラさんよりドメーヌ・アルローの シャルム・シャンベルタン [2018]同じくウメムラさんよりドメーヌ・アルローのブルゴーニュ・ルージュ ロンスヴィ [2018]ウメムラさんの95シャトー・レオヴィル・ラス・カーズウメムラさんよりルフレーヴのバタール・モンラッシェ [2017]生産者サイン入りアーベンさんよりダニエル・リオンのエシェゾー [2018]年アーベンさんよりコングスガードのナパヴァレー シャルドネ [2019]年 結構よいチョイスですね。アーベンさんのブルゴーニュ6本6種類セット同じくアーベンさんのシャトー。ラグランジュ 5本 垂直セット子供のVTなので少し欲しいかも。アーベンさんのドンペリニヨン P2[2003]年 同じくアーベンさんの名門 シャンパーニュ ハーフ6本セット 村名でも今やこんな価格なんですね。ウメムラさんよりドメーヌ・ルロワnジュヴレ・シャンベルタン [2003]同じくウメムラさんのシャトー・タルボ [2018]。100周年記念ラベルですウメムラさんよりマルク・コランの18モンラッシェ もうひとつウメムラさんよりジャイエ・ジルのコート・ド・ニュイ・ヴィラージュ [2014]年代を考えれば安いですね。ウメムラさんのポメリー キュヴェ・ルイーズ [1999]すむらさんの75Ch.パルメ個人的に懐かしいドメーヌ。すむらさんよりジャン・シャルトロンの19ブルゴーニュ・ブラン・ヴィエイユ・ヴィーニュ すむらさんよりプリューレロックの18ヴァン・ド・フランス・ガメイ セラー専科さんの送料無料辛口シャンパン6本セット 第20弾
2021年07月25日
コメント(0)

言わずとしれたプスドールの看板モノポールのひとつ。05年といえば、リリース当初は世紀のビンテージのように言われ、値段も(当時としては)かなり跳ね上がりました。「新ブルゴーニュ」なる言葉が流行って、ユドロ・バイエやオーディフレッド、オリヴィエ・ジュアンなどが紹介されたのもこの頃でした。私自身も、05VTについては、グランクリュは諦めてもっぱら1級や村名を買っていました。ただ、その後の熟成具合をみるに、私が購入した05年のボトルに限ってかもしれませんが、概して黒々とした墨っぽいフレーバーが支配的で、どれもイマイチなんですよねぇ。そうかと思えば、当初「灼熱のVT」などと言われ、評判の悪かった03年が思いのほか綺麗に熟成していたりするのをみるにつけ、ワインの熟成って難しいなぁと思ってしまいます。いや、私に熟成のポテンシャルを見極める技量がないだけか。さて、このプスドール、それなりに寝かせただけあって、かなりよい感じに熟成しています。コンポート状の黒い果実やスパイス類、スーボワ、枯葉、それにブランデーっぽいニュアンスもあります。口に含むと、豊富なタンニンがようやくほぐれた感じで、十分飲み頃になっていますが、その一方で、果実味に少し過熟感を感じ、酸もやや引っ込んだ感じです。いわゆる「薄旨系」とは対局にある味わいです。美味しいか否かと問われれば美味しいのですが、期待値以上かと言われれば、そうともいえない微妙なライン。めくるめくような熟成でもないし、フィネスを感じるわけでもない、ここまで待ったならいっそ古酒の領域に到達するまで寝かせた方がよかったかも、という思いはあります。それでもまあリリース直後に購入して、熟成させただけの甲斐はあったかなと一定の納得感は得られる、この作り手の立ち位置そのままのような印象の一本でした。★★★☆p.s.小瓶に残した翌日は、粉っぽいタンニンが主流になってあまり楽しめる味ではありませんでした。
2021年07月25日
コメント(0)
ペルーの世界遺産クスコに「赤い川が流れている」ことが判明 ...ドローンで初めて発見されたそうです。近隣の鉱脈の関係でしょうかね。
2021年07月24日
コメント(0)

年に一度の肝臓の検診のため、先週末、慈恵医大病院に行ったのですが、道すがら、上島珈琲の新しい店舗ができているのを見つけました。以前は近所の外堀通り沿いにあったので、移転したということですかね。で、ここの内装が個性的。コロナ時代に合わせてか、1人用のラウンジのような席が充実しています。奥にはこのように、ネットカフェを思わせるブースもあります。この日は土曜日の午前中だったので空いていましたが、平日は混雑するんでしょうね。
2021年07月23日
コメント(0)

決して満足のいくスコアではなかったとはいえ、曲がりなりにも英検1級に合格することができたので、お祝いにシャンパーニュを開けることにしました。このベル・エポックは、うきうきさんの2017年3月の福袋に入っていたものです。同じ銘柄のボトルをもう一本寺田倉庫に預けてあります。グラスに注ぐと、かなり濃いオレンジがかったサーモンピンクで、アンバーっぽいニュアンスを帯びています。泡は勢いを失っていますが、キメは細かく、優雅に立ち上ります。香りはチェリーやラズベリー、オレンジピール、アセロラ、それにフローラルな要素もあります。飲んでみると、思いのほか力のある味わいに驚かされます。力強いグリップがあり、豊かな果実味がそれを支えています。炭酸は弱くなっていて、味わいはむしろスティルワインに近くなっています。とはいえ、ロゼのスティルワインでこの味わいに匹敵するものは本当に数えるほどのトップ銘柄だけでないかと思います。想像以上に良かったです。記念日に開けるのにふさわしい、貫禄の味わいでした。★★★★☆
2021年07月22日
コメント(0)

なぜかこのところハンバーグづいています。在宅勤務の木曜日、近所の「サードバーガー」で、モッツァレラとルッコラのハンバーガーを注文。その翌日、前のエントリーに掲載した「山本のハンバーグ」で鬼おろしのポン酢ハンバーグランチをいただき、翌土曜日は、新橋の慈恵医大に定期検査に行った帰りに、「グッドモーニングカフェ&グリル」のオープンテラスで、朝からコテコテの「グッドモーニングハンバーガープレート」を食べてしまいました。週明け月曜日は、「ポンヌフ」のハンンバーグナポリタンを注文。さらにこの日は、自宅の晩飯もハンバーグでした。笑グッドモーニングカフェのテラス席からの景色。なんだかんだで梅雨明けですね。
2021年07月20日
コメント(0)

昼は「山本のハンバーグ」、夜は「つくね山本」と名前を変えて営業している店です。以前は昼時のランチもそこそこのお値段だったようですが、今は千円でハンバーグのランチがいただけます。ご飯お代わりあり、生玉子、漬物ありと、至れり尽くせりです。この日は、鬼おろしのポン酢ハンバーグを注文しましたが、初めての時は、素直にデミグラスを注文するのが吉と思います。https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13234975/食べログの点数は低めですが、結構満足感高い店だと思います。
2021年07月19日
コメント(0)

みちのくさんよりコンフュロン・コトティドの16ブルゴーニュ ピノ・ノワール同じくみちのくさんよりバシュレの16ブルゴーニュ ピノ・ノワール同じくみちのくさんよりピエール・カロの11レ・ザヴァ グラン・クリュ エクストラ・ブリュット同じくみちのくさんの15モレ・サン・ドニ(レシュノー)こちらはユベールリニエの15モレ・サン・ドニ トリロジィ割田屋さんの18ローネイ・オリオ。シャンベルタンやポマールなど割田さんよりフェブレの19メルキュレ・クロ・デ・ミグラン割田さんの蔵出しグリオット・シャンベルタン [2017] ルネ・ルクレールウメムラさんの18ピエール・ポワッソン。ムルソーやブランなどウメムラさんの08シャトー・ポンテ・カネ 同じくウメムラさんよりオレリアン・ヴェルデの17ニュイ・サン・ジョルジュ 1er レ・ダモードエスカルゴさんよりユドロバイエのシャンボール ミュジニー ヴィエーユ ヴィーニュ[2019][2019]ユドロ バイエ、1級レ シャルムとレ・クラも入荷しています。単品で売られています。ボンヌ マール特級[2019](ユドロ バイエ)同じくエスカルゴさんよりオーディフレッドのヴォーヌ ロマネ シャン ペルドリ[2019]マル源さんより夏のいろいろ福袋。3万と5万あります同じく夏の福袋 フランスVer。3万&5万飲んだことないので試してみようかなと。河野さんよりヴァンサン・ルグーの18オート・コート・ド・ニュイ・ブラン同じく河野さんよりエマニュエルルジェの18ブルゴーニュ・ルージュとヴォーヌロマネウメムラさんよりユドロ・バイエ 19シャンボール・ミュジニー 1er レ・ボルニックを含む 2本セット (+2016年VVのセット)思い入れのある銘柄です。ウメムラさんのシャトー・リューセック [2009]ウメムラさんよりメゾン・アンヌ・グロのクレマン・ド・ブルゴーニュ・ブリュット ラ・ファン・エン・ビュル同じくウメムラさんよりギィ・アミオの ブルゴーニュ・シャルドネ キュヴェ・フラヴィ [2018]近所の神社にお参りにいったら七夕飾りが飾られていました。都内で旧暦で祝うのは珍しいですね。
2021年07月18日
コメント(0)
「ワイン履歴」などとエラソーに書いていますが、かれこれ10年前に書いた記事(の後半)です。前号で書いたように、2003年から2004年半ばごろまでの私のワインライフは、デフレ不況の影響に加えて、乳児二人の子育てにより、「金もヒマもない」『暗黒時代』に陥っていたが、この停滞期はその後、子供の生まれ年のワイン購入という『特需』により、いったんは息を吹き返した。■子供の生まれ年のワイン購入 2004年に入ると、上の子の生まれ年の02ビンテージが出回り始めた。02ビンテージの作柄はというと、ボルドーはほどほどというところだが、ブルゴーニュについては、その後05年の登場でやや影が薄くなったとはいえ、リリース時にはモニュメンタルな当たり年といわれたものだ。00、01年とやや物足りないビンテージが続いたあとだったこともあり、メジャーな銘柄やスタードメーヌものの入手をめぐっては、実に熾烈な争奪戦が繰り広げられた。 私も当初は、白半ケース、赤1ケースぐらい買っておけば充分だろうと考えていたのだが、いざ争奪戦が始まってみると、これはもう、なんというか「集団催眠」のようなもので、「今買わないと、後がない」「タマがあるのであれば、買っておかなきゃ損」という半ば強迫観念に駆られて猛烈に買い漁ることになった。(ちなみに、05ビンテージにおいても、同様の集団催眠のような争奪戦が繰り広げられたのは、記憶に新しい。)それまでも、ワインの買いすぎで月々の生活費が苦しくなることはあったが、私の場合、純粋に貯金を切り崩してまで購入を続けたのは、後にも先にもこの時期だけである。まあ、おかげで02年のブルゴーニュは、毎年コンスタントに開けたとしても、子供の70歳の誕生日を祝える分ぐらい保有しているわけだが、冷静になってみれば、そんな年まで誕生日を祝うわけもなし、そもそもそこまで当の私が生きながらえているあてもなく、いやもっと言ってしまえば、通常のブルゴーニュワインが70年も保つわけもなく、結局は子供の記念日と関係なく、持ち寄りワイン会などで飲んでしまっている今日この頃である。■余談ところで、02年については、ボルドーをあまり買わなかったことを少しばかり悔やんでいる。ブルゴーニュ好きの私ではあるが、長期に亘っての熟成の安定度という点では、やはりボルドーに軍配を上げたくなるし、02年のボルドーのプリムール価格は、当初非常に安かったのだ。これは、もともとあまりビンテージ自体の評判がよくなかったところに、パーカー氏の渡欧タイミングが遅れて、プリムール時にパーカーポイントが定まっていなかったことにも原因があったらしいが、某社のプリムール第一弾の価格では、ムートンなどは、1本1万円程度だった記憶している。そんなに安いのになぜ買わなかったのかと言われれば、当時愛好家の間では、「02年に金をつぎ込むなら、なんといってもブルゴーニュでしょ。」という雰囲気だったのに加えて、イタリアやローヌと同様、02ボルドーの出来は芳しくない、という風評が広まっていたのだ。それで私も安いとは思いながら、結局プリムールには手を出さなかった。ちなみに、その後出た02ムートンロトシルトのWA誌の点数は、94-96ポイント(最終的には93ポイント)だったが、その頃にはプリムール価格も値上がりしてしまっていて、パーカーポイントの影響の大きさというものを、身をもって知らされた私である。■02年に続いて03年。さて、これと全く反対の状況だったのが、下の子のビンテージの03年である。「上の子の写真やビデオはたくさんあるのに、下の子の写真は少ない」というご家庭が多いように、我が家の記念ワインの数も、上の子の02年と下の子の03年では大きな差が出来てしまった。これはもちろん、子供への愛情に比例しているわけでなくて、ひとつには前の年に買いすぎて、さすがに資金が続かなくなったこと、もうひとつは、この年のワインが、ボルドーにしてもブルゴーニュにしても、WA誌の得点こそ高いものの、酸が低く、焦げたようなフレーバーがあって、いまひとつピンと来なかったことが大きい。前年ブルゴーニュを買い込んだこともあり、当初、この年はボルドー中心にするつもりでいたのだが、プリムール価格があの2000年のものよりも高かったのにも、興ざめさせられた。そんなわけで、03年のワインは、ボルドーの中堅どころを2ケース、ブルゴーニュ1ケースを寺田倉庫に預けてあるのみである。まあ、冷静に考えれば、子供の記念日を祝うのなら、これぐらいあれば十分なわけだし、今改めて振り返っても、02年と同じペースで購入するほど03年が魅力的だとは思えないので、ここらで『正気に戻った』のは、結果オーライだった。それにしても、この時期を振り返って、改めて思うのは、やはり『買う』『消費する』という行為は、モチベーションの向上につながるなぁ、ということだ。購入目的となれば、そのためにメルマガを入念にチェックするし、ショップごとの価格を比べたり、海外誌の点数を調べたりと、真剣度が違ってくる。ワイン仲間ともあれを買ったこれを買った、あそこが安いここが安いなどと話が盛り上がる。そんなこんなで、この2年間は冷めかけていた私のワインへの情熱が再び盛り上がった時期だった。 ■ヤフオク放出その一方で、子供の生まれ年のワイン購入資金の足しにと、それまでに貯め込んだなけなしの銘柄たちをヤフオクで切り売りしてしまったのもこのころだった。80年代のギガルとかグランジとか、DRCとかデュジャックとか、今思うと、なんとも惜しい銘柄たちを惜しげもなく売ってしまったが、当時は、単に金がないというよりも、「高額なワインを所有していても、家で開けることはないし、持ち寄りワイン会に参加するゆとりもないのだから、結局のところ意味がない。」という、妙に醒めた思いがあった。リアルワインガイドの試飲などで高額ワインを経験する機会が増え、良くも悪くも、高価なワインやレアなワインに対する憧憬を失っていたというのもあったかもしれない。ワイン仲間からは「ワインは飲んでナンボだよね~」などと、やんわりと批判されたりしたが、自分としては、限りある予算や収納スペースを、子供たちの生まれ年のワインに集中したいという思いが強迫観念のように働いていた。ちなみに、ヤフオク放出の収支はというと、購入時の価格と比べて、「損はしなかったが、保管コストまで考え合わせればトントン」というレベルだった。■ ブログの開設この時期はネットの世界でもゆっくりと、しかし大きな変動が起きていた。『ブログ』や『SNS』の台頭である。HTMLなどの特別な知識を必要とせずに簡易ホームページを構築できるブログの登場は、情報発信に対するハードルを大きく下げることになった。またミクシィに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)は、かつてのニフティのような中央集権的な大型コミュニティの再来を予感させた。ワインに関しても例外でなく、この頃から雨後の筍のように、多くのワインブログが出現し始めた。それらは、正直、玉石混合の感は否めなかったが、中にはスケール面でも経験や知識の面でも、私など及びもつかないような方々も少なからずいて、ネット上のワインに関する情報量、特に「○○○というワインは美味しかった」とか、「○○酒店でセールをやっている」といった、口コミ情報は圧倒的に増えた。こうした流れの中、私のサイトも例外ではなく、ある時期から、更新のメインをブログに移し、今までのホームページはアーカイブ用途にと、役割分担させることにした。もっとも、我がサイトの場合、そもそもが、単に飲んだワインの感想をアップしているだけの「呑み助日記」的なサイトである。いざブログを始めてみれば、こちらのほうが相性がよいじゃないか、となって、それほど違和感なく移行することができたし、更新の手間も、ブログにしたおかげで飛躍的に楽になった。ありがたかったのは、ブログに移行してからも、それまでの読者の方々が継続してアクセスしてきてくれたことである。おかげさまで、ブログへのアクセスは、今に至るまで、ほぼコンスタントに600件前後で推移している。■ 再び停滞期に。そういうわけで、04年から05年の後半にかけては、子供の記念ビンテージの購入とワインブログの開設とでそれなりに活況を呈していた我がワインライフだったが、生まれ年のワインの購入が一段落したとたん、ぽっかりとエアポケットに入ったようになってしまった。同じ停滞時期でも、子供が生まれた直後は、意欲はあっても金とヒマがない、という状態だったが、この頃は、そもそも興味自体をなくしていたという意味で、おそらく私の十数年のワイン歴の中でも、もっとも内容の乏しかった時期だったと思う。まあ、これも考えてみれば、当然の帰結である。子供のワインを買っていた時期は、貯金を切り崩すなどして、いわば特別予算?を組んでいたにすぎず、「金もなくヒマもない」という、私の置かれた状況は本質的ななにも改善されてはいなかったのだから。加えてこの時期、職場が異動になり、自宅でワインをゆっくり飲む余裕がなくなったことも、ボディブローのように効いた。さらに、子供のビンテージの大量購入を終えたことで、自分の中である種の「達成感」が得られてしまい、こののち「収集する(集める)」ことに関する意欲が、すっかり失せてしまった。(ちなみにこれは今に至るまで続いていて、おかげで05年の争奪戦にもほとんど参戦しなかった。)そんなこんなで、当誌のテイスティングを続ける気力や意欲も枯渇してきて、ついにテイスター紹介欄からも名前を外してもらうことになった。(前号の記事で時系列的に誤りがあったのだが、私の名前が当誌のテイスター欄から消えたのは、05年の冬号からだった。)久しぶりに、この頃の自分のブログを読み返してみたら、05年12月に以下のような自虐的な記事を書いていた。 「今号から、故あって、『テイスター紹介』の欄から名前を外してもらいました。そう書くと意味深に聞こえますが、なんのことなない、忙しくて現実的に参加できないからです。実際前号、今号とひとつもレビューを書いていないし、来年もまともに参加できそうもないので。それにテイスターの方々も錚々たるお歴々になってきて、私のようなド素人の幽霊テイスターが名を連ねているのも申し訳ないし…。いろいろな銘柄を試飲できないのは残念ですけど、やっぱり私には、こちらのブログで育児に振り回されながら晩酌のワインの感想でも書いている方が身分相応だな、と思う昨今です。」■「等身大のワインライフ」しかし、この時期、テイスターからはずれたことは、自分にとってはプラスだった。というのも、想像以上に「肩の荷が下りた」感があって、それ以降は一愛好家として気負いなくワインと向き合えるようになったからだ。創刊以来、リアル誌のテイスターを務めてきたことで、自分でも気付かないうちに気負い過ぎていたというか、背伸びしていた部分があったのかもしれない。もうひとつ、私のワインライフに影響を与えたのは、この頃から顕著になり始めたフランスワインの高騰である。ユーロ高と中国ロシアなどの新興国需要の拡大で、ボルドーやブルゴーニュは目に見えて高くなっていき、ブルの村名、ボルドーの格付けシャトーなどは、もはや日常的に飲める範囲の価格ではなくなってきた。こうした中で、今に至る自分のスタイルのベクトル、すなわち「日常に根ざしたコンパクトなワインライフ」「肩肘張らない等身大のワインライフ」といった方向性がはっきりと定まってきたように思う。ちなみに、この頃、我が家のストックは500本近くあった。単純に計算すれば、一年に50本ずつ消費しても、10年近く持つ計算になる。少し良いワインを飲みたいときは、自宅のセラーのストックでまかなって、あとは近所の酒屋でデイリーワインを買えば十分だ、そんな割り切りが自分の中で出来上がりつつあった。2000年前後の、ワインに対して思い切り前のめりになっていた時期からすれば、メーターの針がいきなり正反対に振り切れたような、そんな時期だった。■日本のワイナリー訪問06年の9月にたまたま山梨に出張する機会があったので、山梨在住のワイン仲間にコーディネートしていただいて、勝沼のワイナリー巡りをした。このとき訪問したのは、フジッコワイナリー、ルバイヤート、中央葡萄酒など。フジッコワイナリーでは、料理との相性なども実演していただき、中央葡萄酒では、畑の見学などもさせていただいた。これらのワイナリー訪問は、非常に大きなインパクトがあった。国産ワインのレベル向上には「目から鱗」の思いだったし、都内からわずか2時間の距離で、こうして生産者たちと身近に接することができるというのも新鮮だった。このときの衝撃の大きさは、1ヶ月後に再び、家族を連れて勝沼を訪問したことからもおわかりいただけようかと思う。日常の和食ともよく合う甲州などの銘柄が千円~二千円程度で買えるというのは、まさしく前項で書いた「日常のデイリーワイン」に対するひとつの回答を発見した思いだった。それから、しばらくの間、私の中で、国産ワインがブームとなったことはいうまでもない。■シニアワインエキスパート受験とはいうものの、さすがに国産ワイン一辺倒では次第に飽きてくる(そうでない人もいるようだが‥)。それで、すっかり疎遠になっていた南仏とかローヌとか、新世界とか、いろいろな地域やジャンルの安価なワインたちにもう一度目を向けようと思っていた矢先、「シニアワインエキスパート」の資格が新たに出来るというのを知った。ワインエキスパートの資格を取得してから8年経過しており、当時覚えた知識はすでに忘却の彼方だったが、いろいろな地域やセパージュのワインと改めて向き合いながら、資格を取得することも出来る良い機会だと思って、チャレンジすることにした。 勉強を始めたのは、06年の12月だったから、翌年4月の試験までの準備期間はおよそ4ヶ月。最初はすべて一から勉強し直しかな、と覚悟したが、いざ始めてみると、人間の脳みそとは面白いもので、かつて勉強したものは比較的簡単に思い出すことができた(逆に、この8年間で新たに増えたDOCGなどを覚えるのが大変だった)。本番の試験では、テイスティングをしくじって、かなり不安な思いをしたが、結果はなんとか合格。まあ、この資格を取得したからといって、目に見えるメリットはなにもないのだが、自分の中では、なんとなくこのシニアワインエキスパート資格の取得が、ひと区切りになったというか、知識の面でも、ワインとの向き合いという面でも、初心に戻ることができたという思いがある。■テイスティングへの復帰07年の4月を過ぎると、次第に風向きが変ってきた。それも好ましい方向に。というのも、ひとつには下の子が幼稚園に入園して、カミサンの負荷が目に見えて軽減された。もうひとつは私自身が新しい職場に移って3年目となり、自分のペースで仕事ができるようになった。そうしたわけで、金欠は相変わらずなれど、時間的な融通が効く様になってきたので、あつかましくも編集部にお願いして、再び試飲のメンバーに加えていただくことにした。もう一度テイスティングに取り組もうと思ったのは、シニアワインエキスパートを受験した際に、テイスティング能力の錆つきを痛感したこと、それに、しばしば当誌で特集されるようになった「旨安ワイン」が、私のデイリーワイン探しのコンセプトと合致しているということが大きな理由だった。 2年以上もブランクのある私がのこのこと出かけていっても、迷惑をかけるだけだろうとは思ったが、突然の申し出にも関わらず、徳丸編集長以下、暖かく迎えてくれたのはありがたかった。吉祥寺の町は、しばらく行かない間に結構様変わりしていたが、編集部のテイスティングが昔どおり変わっていないことにもホッとした。私自身はといえば、テイスティング能力自体は衰えたかもしれないが、以前よりもずっと自然体で参加できるようになった。前号から続いたこのネタ、当初は今号で終わりの予定だったが、もう1回だけおつきあいいただき、次回は、今後のワインとのつきあいや、10年前と現在との比較などを書いてみたい。↑と締めているのですが、「もう1回分」の原稿が見当たりません。どこかで見つけたらまたアップします。
2021年07月17日
コメント(0)
エラソーに「ワイン履歴」などと書いていますが、今から10年前に書いた記事です。もっともその後、今に至るまでの10年は大した活動もしていないのですが。 ■ はじめに私が細々とやっているホームページ「S'sWine」(http://www.asahi-net.or.jp/~mh4k-sri)が今年で10年目を迎えた。飲んだワインのデータを99年から記録しはじめて、ある程度まとまったところで公開したのが2000年の2月のことだから、10周年というより、ようやく10年目に入った、という言い方の方が正しいだろう。日々の更新については、最近はもっぱらブログにシフトしていて、本家のサイトは半ばアーカイブと化しているが、そのブログ版ともども、この10年間、コンスタントにそれなりの数の方にアクセスいただいてきたのはありがたいことだし、私自身、単に飲んだワインの感想を書き連ねるだけのホームページ(最近は金魚や子育てネタばかりという話もあるが…)を、よくもまあ10年間も続けてきたものだと、自分を褒めるよりはむしろ自分に呆れる気持ちだったりする。 もっとも、この10年間、常にフル・スロットルでワインと向き合ってきたかといえば、そうでもなく、時期によってかなり濃淡があった。おそらく一番濃密なワインライフを過ごしたのは、サイトを開設した2000年を挟んだ前後5年ぐらいのことだと思うが、その一方で、ワインとの関わりが薄くなった時期についても、そうならざるをえない事情がありつつ、なんとか途切れることなく続けてきたという意味で、思い出深いものがある。そんなこんなで、本号と次号の2回にわたって、ホームページ開設前後からの10年を中心に、私のワイン履歴についてふりかえってみたい。 読者の中には、私などよりもずっとワイン暦が長かったり、はるかに多くの銘柄を経験されている諸兄も多くおられるはずだ。そんな方々からすれば、「若輩者が何をえらそうに」と思われるかもしれないが、まあこのコラムも、「ワインの保存」時代から数えて、二十数回。たまにはこういうネタにもおつきあいいただければ幸いである。■ ワインに凝り始めた頃 私がワインを趣味として意識しだしたのは、90年代の半ばのことである。きっかけは、独身時代のヨーロッパ旅行だった。当時絵画やクラシック音楽に傾倒していた私は、年に一度、欧州を旅行するのを楽しみにしていたのが、そうこうするうち、現地で飲むワインの美味しさに魅せられて、知らず知らずのうちにこの世界に足を踏み込んでいた。意外と思われるかもしれないが、最初の頃は、旅行先とリンクして、もっぱらイタリアワインを愛飲していた。といっても、まだ生産者や銘柄、畑などに深くのめりこむほどではなく、DOCGやDOC銘柄、それにスーパータスカンなどを入門書片手に手当たりしだい飲むというスタイルだった。 その後、当誌創刊号のコラム「ワインの保存」にも書いた「バッカスの思し召し事件」、すなわち、6年間居間の茶箪笥に置き去りになっていたオーストラリア土産のケープメンテルのシャルドネを飲んで、その熟成状態に目から鱗が落ちたという、私にとってターニングポイントとなった事件があって、それ以来、ワインという飲み物に対する興味がグンと昂じることになった。常温で6年も置いておいたワインが酢にならずにトロトロに熟成していたというのは、今考えても、奇跡のような出来事だったと思えてならない。もうひとつ、このころは、仕事上のストレスが非常に大きかったということも、私をワインにのめりこませる要因になった。休日も昼夜構わず電話がかかってきて、突然出社しなければならなくなる、なんていうこともしばしばだったため、精神衛生上、無理やりにでもオンオフを切り替える必要があったのだ。といっても昼間からワインをあおっていたということではなくて、自宅でワインの本を片手に、格付けシャトーの名前を覚えたり、地図をみながら畑の位置を確認したりしていると、不思議なほど仕事のことを忘れられたのだ。今にして思えば、なにやら屈折したストレス解消方法だったが、精神的に追い詰められる一歩手前のような状況で、私を救ってくれたのもまたワインだったわけだ。■ワインエキスパートの取得とサイトの開設 そうこうするうち、生来の凝り性が災い?して、もっと系統的にワインを「勉強」したいと思うようになってきた。知識に関しては、本を読んだりして独学でもある程度なんとかなるが、テイスティングに関して、直接講師に指導してもらいたいという気持ちが強かったのだ。当時、ちょうど世の中はワインブーム華やかなりし頃で、ワインスクールはどこも混んでいた。会社帰りに通おうと思ったら、「アカデミー・デュ・ヴァン」などは空きがなくて申し込めなかったのを覚えている。それで通い始めたのが、職場とは逆方向になるが比較的通いやすかった「自由が丘ワインスクール」だった。通い始めた当時は、資格を取得しようという気持ちまではなかったのだが、このスクール、受験指導で有名なだけあって、周りの受講生に資格の取得をめざしている方々が多く、私もいつのまにか周囲に感化されて認定試験を受験しようという気になっていた。資格の取得のための勉強は、長らく受験勉強などというものから遠ざかっていた身にはキツいものだったが、反面よい刺激になったし、錆付いた脳ミソの活性化にも役立ったと思う。そんなわけで、98~99年頃の私のワインライフは、ワインスクールと受験勉強が中心だった。スクールの懇切丁寧な指導のおかげで、ワインエキスパートの資格については無事取得することができたのだが、その過程で痛感したのが、ネット上の情報の少なさだった。そもそもワインエキスパートの資格は96年に始まったばかりの資格であり、ネットで検索しても、受験記や経験談などは皆無に近かった。おそらく、翌年受験する人たちも情報の少なさに悩まされるだろう、だったら自分が微力ながら、と思ったのが、ホームページを立ち上げようと思ったきっかけである。ただ、それだけでは、あまりにニッチすぎるので、飲んだワインの感想やコラムのコーナーを作ったわけだが、今ではこちらがメインになっていることは言うまでもない。また、これも今から思えば笑い話のようだが、ワインサイトの数が限られていた当時、ネット上に飲んだワインのコメントを載せるというのは、かなり勇気のいる行為だった。その筋の偉い方から、おまえの表現はおかしいとか、若輩者が何をえらそうにとか、クレームが来るのではないかと真剣に心配したものだ。■ セラーの購入 話の順序が前後してしまったが、スクールに通い始めるよりも前に、個人的には結婚という出来事があった。結婚祝いにずいぶんとワインをいただいたが(ちなみに前述のとおり、この頃はイタリアワイン好きで通っていたので、もらったワインも93サシカイアとか、90アニアとか、92ラ・ポーヤなど、イタリアものばかりだった)、当時は狭い賃貸マンション生活だったため、なかなかセラーを買えず、いただいたワインたちをずいぶん痛めてしまった。熱劣化したお祝いのワインを開けて嘆いている私をみて、カミサンがセラーの購入を許可してくれたのは、結婚後1年たってからのことだった。ワインを楽しむために、セラーが必ずしも必須アイテムだとは思っていないが、セラーの購入が私のワインライフに与えたインパクトは、想像以上のものがあった。購入を決めたのは、これ以上手持ちの良いワインを劣化させたくないという守備的な気持ちからだったが、いざセラーを購入してみると、ワインを「集める」「手元で育てる(熟成させる)」という楽しみが加わったからだ。もっとも、これがきっかけで一時期ワインの購入に歯止めがきかなくなったのも事実であるが。■ ワイン会デビュー90年代の半ばから後半にかけての時期は、今のようにネットショップがあったわけでもなく、愛好家のブログがあったわけでもなかったから、私がワインについての情報を入手していた先は、もっぱら入門書や専門書、それに隆盛を誇っていた「ニフティサーブ」のFSAKEワインフォーラムだった。その一方で、ワインが一大ブームとなり、各誌でワインが特集されたりして、一般人が入手できるワインの情報が飛躍的に増えた時期でもあった。特に、何回かに亘ったブルータス誌の特集は読み応えがあるものだった。マット・クレイマーの「ワインがわかる」、ステファン・タンザーの「International Wine Cellar」、堀賢一さんの「ワインの自由」、山田健氏の「今日からちょっとワイン通」、岡元麻里恵さんの「ワイン・テイスティングを楽しく」などは、当時装丁がボロボロになるまで読んだ。「田崎真也のワインライフ」は、は休刊になって久しいが、当時アンダーラインを引きながら読んだり、テイスティングコメントのページを切り抜いてスクラップしたりしていた。ニフティに関しては、ROM専(読むだけのメンバー)だったが、フォーラムの過去ログを保存して、何度も繰り返し熟読した。ログを読んでいつも羨ましく思っていたのは、豪華絢爛なものありアカデミックなものありと、さまざまな形で開催されているワイン会の報告だった。私自身はといえば、エノテカが主催するテイスティングイベントや東急本店の試飲コーナーには通っていたが、こうした愛好家同士のワイン会にはとんと縁がなかった。ワイン会に顔を出すようになったのは、ホームページを始めて、同じようなワインサイトを運営する方たちと知り合いになってからのことだ。しかし、こちらもワインの購入と同じく、一度参加しだすと、歯止めがきかなくなってしまった。おそらく2000年から2001年ごろは、ワイン会の予定のない週末はほとんどなかったと思うし、土日連チャンなんていうこともザラだった。さまざまなワイン会に参加する中で、当誌のテイスターでもある山路さんや伊部さん、藍原さんなどと面識ができた。まだこの頃は、熱心に飲んだワインのメモをとって、即日HPにアップすることを心がけていたので、ワイン会でメモをとるのが私のトレードマークになっていた。(ちなみに今はワイン会でメモをとることは、ほとんど皆無といってよいほどなくなってしまった。)また、山路さんの紹介で、横浜のワインショップ「平野弥」さんの勉強会に参加するようになったのもこの頃だった。ワイン会といえば、私のサイトによく登場する*F師匠の「Burgandy Night」(http://red.ap.teacup.com/burgundy/)は、ブルゴーニュを垂直で飲むことができる稀有なワイン会で、ここで幾度となくすばらしいブル古酒を堪能させていただいたことが、それまで比較的全方位外交だった私のワインの嗜好をブルゴーニュ中心にシフトさせるきっかけになった。■RWG誌との出会い そんな中、当誌編集長の徳丸さんからこの雑誌のお話をいただいたのは、2001年の5月頃のことだった。最初の打ち合わせの内容はたしか、「2001年12月頃を目安にワイン雑誌を発刊しようと思っている。」 「消費者目線で我々にとって美味しいワインはどれなのかを探る雑誌である。」 「ついては、一緒にテイスティングに参加し、レビューを書いている人を探している。」 「内訳は、ソムリエ等の飲食業従事者、ワインショップの方、それにHPなどで情報発信しているアマチュアの人たちをそれぞれ1/3ずつで計10人程度と考えている。」 「ここ(吉祥寺)で毎回テイスティングをするつもりなので、吉祥寺まで通える人、というのがひとつの条件となる。」 企画書を見せられて(このときは誌名すら仮のままだった)雑誌のコンセプトについての説明を受けたあと、ついては私にも参加してもらえないか、 というような話だった。 私としては、仕事やプライベートの関係上、そうそう毎回参加はできないと最初及び腰だったのだが、できる範囲で参加してくれれば構わないということだったし、会場も我が家から近いので、そうであれば、 趣旨に賛同とかコンセプトがとかいう以前に、タダでいろいろなワインをテイスティングできるという願ってもない申し出をを断る理由はなにもなかった。 この時は、のちのち思い知ることになる、自分のテイスティング能力や経験の不足とか、レビュー文を書く苦しみについてはまったく気にしていなかったのだから、無謀なものであった(笑)。ちなみに、発刊スケジュールは、その後、たびたび延期になり、結局創刊号が発売されたのは当初の計画から9ヶ月遅れの2003年8月末のことだった。そんなわけで、いつのまにかこの雑誌のお手伝いをすることになったのだが、当時は、実のところ、雑誌といっても手作り感覚の吉祥寺発同人誌ぐらいにしか思っていなかった。というか、創刊号が出る直前まで私はそう思い込んでいたので、創刊号の江口さんのすばらしい表紙を見せられたときには、「え?こんなちゃん とした体裁の雑誌だったの??」と驚いたものだ。■ レヴュワーとしての葛藤RWG誌のテイスティングは、系統的網羅的にテイスティングするという意味で、それまでの自分の経験値やテイスティング能力を飛躍的に高めてくれるきっかけとなったはずだが、反面、長く継続するのにはいくつかの困難を伴った。 最初に訪れたのは、日常のワインライフとの葛藤だった。 時間的な制約から、それまでのように毎週末ワイン会に繰り出すということがなくなっただけでなく、ワイン会などに出向くと必ず注がれる興味本位な視線とか半ば挑戦的な態度などに、うんざりしてきたのだ。そもそも、私は上記のようないきさつでアマチュア愛好家の1サンプルとして雑誌のお手伝いをなっただけで、今も昔も、決して世のワインマニアの頂点に君臨するような知識経験技能を持ち合わせているわけではない。しかし、雑誌の創刊当初はその辺を誤解する御仁が少なからずいて、「おまえのような若輩にワインの飲み頃が予想できるのか?」とか「どういう根拠で今飲んだ点数とポテンシャルの点数をつけているんだ?」などというやりとりに嫌気がさして、だんだんとワイン会などの場から遠ざかることになってしまった。 次にやってきたのが、(予想されたことだが)本業の仕事との葛藤である。平日行われるテイスティングについては、仕事が終わったあと、吉祥寺まで行って、毎回テイステイングを行うわけだが、仕事が忙しい時期にさしかかってしまうと、物理的に参加することが難しくなる。たまに体が空いたとしても、疲れ果ててしまい、だんだんと毎回出席するモチベーションを保ち続けられなくなってきていた。また、テイスティングに出席すればしただけレビューの担当が増えるのも、大きな負担になった。私の場合、レビューに加えてコラムも書いていたから、そのしわ寄せは結局、自分のホームページの更新に行くことになってしまい、自分のサイトのコラムの更新頻度は激減してしまった。■ 家庭との両立に苦闘する日々02年に第一子、03年末に第二子が誕生したことは、我が家にとって何にも代えがたい慶事だったが、ワインとの関わりに限って言えば、テイスティングだけでなく、私のワインライフ全般が、これによって一時、「壊滅的な」打撃を受けた。 世に二人子供がいる家庭はいくらでもあるのに、なにを大げさにといわれそうだが、我が家の場合、夫婦ともども比較的高齢だったこと、子供たちが年子だったことに加えて、この時期、義母が癌に犯され、闘病生活と重なったことも大きかった。そんなわけで、まず、物理的にテイスティングやワイン会に出席することがまったくといってよいほどできなくなってしまった。 仕事が早く終わっても、子供の入浴や寝かしつけの手伝いがあって、夕食の時にあまりワインを飲めなくなった。さらに、金銭的家計的な余裕がなくなった。考えてみれば当然のことである。ワインを飲み始めたころは、独身、その後もDINKSだったのが、一気に扶養家族3人になったのだから。 もうひとつ、私のようなネットを機軸にした愛好家にとって痛かったことは、ネットを巡回する時間、すなわちよそのサイトやBBSをのぞく時間が全然なくなってしまったことだった。かろうじて自分のサイトの更新をするのが精一杯。すっかり顔を出さなくなって、親交のとだえてしまったサイトやBBSもこの時期多かった。このように、金もなく、ワインを飲む時間もなく、ネットを覗いている暇もないという状況だったので、自然とワインを買うことも少なくなった。もっともそれは、子供の生まれ年のワインが出始める04年の半ばごろまでのごくわずかな期間にすぎなかったが…。ということで、次号では、「ワインライフ復活編」というわけでもないが(笑)、この頃から、その後今に至るまでのことと、これからのこと、さらに10年前と今を比較した所感などを引き続き書き連ねてみたい。
2021年07月16日
コメント(0)
ネットで山本昭彦さんの「ワインレポート」を読んでいたら、日本人の成人一人あたりのワイン消費は2010年から10年間で60.8%増えて、2019年には1人辺り4リットル(5.3本相当)に達するという見通しだという記事がありました。ちなみに2014年現在では、3.5リットル(約4.6本)とのこと。おや、ずいぶん増えたのだな、と思いました。90年代末に私がワインエキスパートの受験をしたときには、たしか1人当たり2リットル程度と覚えた記憶があります。あらためてメルシャンが出している統計データ(「ワイン消費量推移(1972~2013年)」)を紐解いてみたところ、2013年で2.66リットルとなっています。もう一度本文を読み返して納得がいきました。ひとりあたり4.6本というのは「成人1人あたり」で、メルシャンのデータは「国民1人あたり」という違いのようですね。 ちなみにメルシャンのデータによれば、2013年の2.66リットルという数字は過去最多で、それまでもっとも多かったのは98年の2.36リットルにまで遡ります。2000年代に入って1リットル台に減少した後、2010年以降再び1人あたり2リットルを超え、2012年、13年と過去最高を更新しているようです。我が国の酒類消費量の構成比率をみてみると、ビールとリキュール(いわゆる「新ジャンル」)、それに発泡酒で全体の60%を超えており、焼酎(甲種+乙種で10.6%)、清酒(6.8%)がこれに続きます。ワインを含む果実酒の構成比率は3.9%に過ぎませんが、10年前の2003年には、清酒と果実酒の構成比率はそれぞれ9.1%と2.6%だったので、だいぶ差が縮まってきています。近い将来、日本酒に肉薄するところまで行くかもしれませんね。もっとも、これらはあくまで統計上の話で、例えば20人のうち、私のように年間百数十本消費する愛好家が1人いれば、他の19人は全くワインを飲まなくてもこの数字になるわけです。世界に目を向けると、国民ひとりあたり消費量のトップクラスは、フランス、ポルトガル、ルクセンブルク、イタリア、スロベニアといった国々で、ひとりあたり年間約40リットル前後~50リットル消費しています。わが国のひとりあたり消費量はO.I.V(国際ワイン・ブドウ機構)72ヶ国の中でも52位とのことです。(2011年)前振りのつもりがずいぶんと長くなってしまいました。消費が増えているとか日常に根付いたと言われつつも、まだまだな感もある(好意的な見方をすれば、まだ「伸び代」がある)我が国のワイン環境ですが、そのボリュームのわりにワイン関連に従事している人って多いよなぁと感じます。2015年時点でソムリエ有資格者は2万人以上、シニア職やワインアドバイザーも含めると3万7千人以上もいます。ワインジャーナリストやワインライターと名乗られている方々も少なからずいるように見受けられます。(専業でやっている方はごく少数だろうと推察しますが。)ちなみに、私はいうまでもなく、まったくのアマチュア愛好家です。アマチュアといえば、ワインエキスパートの有資格者だけでも12000人以上もいるそうです。たまたま私は、当誌やヨミウリオンラインでレビューやコラムを書いてきましたが、専門的な知識があるわけでもなく、一次情報を伝えられるような人脈やネタ元をキープしているわけでもありません。コラムの内容は、もっぱら、「日常生活とワインとの関係」が中心です。(それ以外は書きたくても書きようがないともいえます。)具体的なテーマはといえば、時期によって、子育てだったり、懐事情だったり、仕事との兼ね合いだったり、あるいは災害への備えだったりしました。そして50台となった今、その対象は「健康」にフォーカスされています。 おそらくこれは、私だけでなく、多くの愛好家が通る道筋なのでしょう。「何かのきっかけでワインに興味を持つ」→「ワインの世界の奥深さの虜となってのめりこむ」→「結婚したり子供が生まれたりで、身の自由がきかなくなる」→「子供が大きくなれば教育費が嵩み、経済的にしんどくなる」→「責任ある立場や重要な仕事を担うようになると、今度は仕事との兼ね合いが厳しくなる」→「さらに年齢を重ねると、健康問題が大きく浮上してくる」(←今ココ)。とくに、98年をピークとした「第6次ワインブーム」をきっかけにワインを本格的に飲み始めた愛好家の中には、今や私と同じような境遇にさしかかっている方が少なくないように思われます。これまで書いたきたことから想像できるように、我が国のワイン消費は広い裾野に支えられたピラミッド状の構成というよりは、居酒屋ワイン的な消費と、絶対数は少なくとも消費意欲の旺盛な愛好家層とで支えられているような気がします。90年代後半のブームで生まれたマスボリューム層がゆるやかにワイン消費の主役から退きつつある一方で、「団塊ジュニア」層がナチュラルワインや日本ワインなどのブームを担っているのが現在のワイン環境でしょう。さらにその先となると、そもそも少子化が進んでいるところに加えて、若者のアルコール離れが取りざたされる昨今、若者年代が、ワインと出会い、さらにそこからワインを追求したくなるような仕掛けづくりが業界全体で求められているのかもしれませんね。 さて、「ワイン消費の主役から退きつつある」愛好家の人たちを代弁して、などと上段に構えるつもりはありませんが、前々号では、「ワインは老後の趣味にはふさわしくないのではなかろうか?」、前号では、「どのようにして飲むワインの量を削減するか」についてのコラムを書きました。最近の私のコラムにおいては、ワインはすっかり忌避すべき「悪者」扱いになっていますが、今は私の中の振り子の針が思い切り反対に触れてしまっている状態なのでしょう。いずれ落ち着くべきところに落ち着くと思いますので、今しばらく気分を害さずにおつきあいいただければと思います。■ 「ワインに代わる」趣味その後 健康との向き合いや家計の問題、交友関係の縮小、知識欲の低下等、ワインは老後の趣味としてはふさわしくないのではないかと前々号で書きました。老後の「生きがい」として、ワインに代わる趣味を見つけようじゃないか、と口で言うのは至極簡単ですが、趣味というものは、あれにしようこれにしようと机上で決めるようなものでもなく、内側から湧き出てくる衝動がなければ、長く深く続くものにはなりえないと思います。私は比較的多趣味なほうですが、それでも30代半ばから50歳にさしかかるまでのおよそ15年間、ワイン最優先の生活だったので、いきなりこれに代わるものを、といってもそう簡単な話ではありません。それでも、最近ちらほらと、ワインを離れて打ち込める楽しみを見出せるようになってきました。そのひとつが「山歩き」です。といっても本格的なアルペン登山ではありません。沢歩きや街歩きも含めて、広い意味でのハイキングといったところでしょうか。もともとはウォーキングの延長で、もっといろいろと歩いてみようと関東近郊のハイキングガイドを買ってきたのが発端でした。あちこち出かけるようになると、今度はそうした小旅行や散策の記録を残したくなってきました。その流れで、だんだんと「写真やカメラ」が自分の中で大きなポジションをしめるようになってきました。ところで、私は長年ホームページ(ブログ)を続けています。頻繁に更新することをモットーとしてきたおかげか、近年はそこそこ安定したアクセス数を稼いでいますが、健康のためにワインを飲む頻度を減らせば、当然ブログに掲載するコンテンツは枯渇します。ハイキングネタや写真ネタは、そんな「ワインを飲まない日」のコンテンツとして、相互補完の関係になるのです。もっとも、若干見込み違いだったのは、私のブログの読者層はあまりハイキング等のネタを好まないということです。ハイキングネタをアップした日は、格段にアクセス数が落ちこんでしまうのが目下の悩みです。もうひとつの悩みの種は、どちらも相応に「金がかかる」こともあります。ハイキングと言う用語は、ピクニックと語呂が似ていることから、なんとなく弁当を持って草原を散策するようなイメージがありますが、実際はトレッキングシューズや山用の装備などが必要となるようなかなり本格的な山歩きまでを含みます。(ちなみにハイキングとピクニックの違いは「歩くこと」と「食事をとること」だそうです。)そう、それなりのアイテムを揃える必要が出てくるのです。金がかかることに関しては、カメラや写真はそれ以上です。「レンズ沼」などと言う言葉があるように、いったん機材に凝りだすと、それこそキリがない世界に突入する恐れがあります。「あれこれと機材を揃えようとする前に写真の腕を上げろよ」と言われてしまえば、全くもって返す言葉もありませんが。 いざ山歩きを始めてみると、思いのほか、体力が衰えていることも痛感させられます。昨年の秋に木の根につまづいて右足甲を剥離骨折、ようやく治ってこれからと思った矢先に膝痛が再発、年が明けてからは肩痛に悩まされるなど、なかなかペースに乗れずにいます。ウォーキングを長年続けてきたといっても、重たい一眼レフを首から下げて、山を登ったり下ったりするのとでは負荷の大きさが異なるのでしょう。このところ体重が増加傾向であることも大きく影響していると思われます。ここでもやはり行き着く先は「節制」なのでしょう。■ 飲酒量削減計画その後さて、「ワインに代わる趣味」云々といっても、いきなりすっぱりとワインと縁を切るわけでも断酒するわけでもありません。前回のコラムでは、健康問題と向き合いながら長くワインを飲み続けるために、どうしたら飲酒量を減らせるかをいろいろと考察しました。「小瓶に分けることを徹底する」、「つまみを常備することをやめる」、「ノンアルコール飲料で気をまぎらわす」、「小さめのグラスを使うように心がける」、「飲み始めの時間を遅めにする」といったアイデアを書きましたが、年が明けて2ヶ月、経過はどうでしょうか?「休肝日を週に3日以上設ける」という公約(?)については、自分でも意外なほど、守ることができています。 とくに有効なのが「ノンアルコールビール」の存在です。ノンアルコールビールというのは本当に不思議な飲み物です。アルコール0.00%なのにもかかわらず、飲むとなぜか「ほろ酔い気分」になるのです。ネットで調べてみると、私だけのことではないようです。どうやらビールに近い香味によって脳が「騙されて」、ビールを飲んだような気分になるということらしいです。そんなわけで、我が家では最近ノンアルコールビールをケース買いしていますが、それでもあっという間に底をついてしまいます。ケース買いしたところで、価格的にはせいぜいデイリーワイン一本程度なのに、冷蔵庫の中をノンアルコールビールたちが占有している光景をみると、妙に罪悪感を感じてしまうのが不思議です。一本で飲み足らず、二本目、三本目と手を出すと、これまたなんともいえない背徳感にさいなまれます。アルコールはゼロだし、そもそも金額的にもワインを飲むよりもはるかに割安なはずなのですが、ここでも脳が騙されているのかもしれません。■ シャンパーニュ増量計画その後前号では、上記に加えて、飲むワインをアルコール度の低めのものにシフトしていること、とくにシャンパーニュの比率を増やしていることなどを書きました。こちらも順調に進んでいます。年末年始のワインショップの「福袋」や特売セールでかなりの本数のシャンパーニュを仕込んだので、これからしばらく泡物に窮することはなさそうです。自分のワイン歴の中でも、ことシャンパーニュに関しては、ずいぶんと遠回りをしてきたなぁ、と今更ながら実感しています。泡物については、ずっと長いこと、ワイン会のスターターぐらいの認識しかありませんでした。味わいのバリエーションに強く関心を持つこともありませんでした。今になって、過去のワイン会などで飲んだシャンパーニュたちのリストを見返すと、こんなに凄い銘柄ばかりを飲んでいたのかと唖然とします。まったくもって「豚に真珠」とはこのことです。5千円以上のプライスがついているような銘柄は避けて、数本で1万円のセットとか、1本2千円台で買える格安銘柄ばかりを探して買っていました。最近、遅まきながらシャンパーニュに興味を持ち始めて、私がなかなか「シャンパーニュ音痴」から抜け出せなかった大きな原因のひとつに、このような「安物買い」があったのだろうと思い至るようになりました。安売りされている銘柄の多くは、メジャー産地から外れた地域でピノ・ムニエ主体に作られる、名もないレコルタンマニュピュランものだったりします。ブルゴーニュでいえば、聞いたことのないネゴシアンの裾ものばかりを飲んで、「ブルゴーニュって酸っぱいばかりでおいしくないね。」と言っているようなものでした。もちろん、ジェローム・プレヴォートなどを例に出すまでもなく、メジャーでない産地でピノ・ムニエからすばらしいシャンパーニュを作る生産者はいるし、格安シャンパーニュの中にも、「目から鱗」的なおいしいボトルもありました。相応の知識と鑑識眼をもって探せば、安旨なシャンパーニュを探し当てたのかもしれませんが、当時の私では、どうしてもその「打率」は低くなりがちでした。もうひとつの問題は、シャンパーニュに限ったことではありませんが、安価な銘柄や割安なボトルの場合、コンディションのリスクが高くなりがちなことです。おそらく、状態の万全でないボトルを飲んで、こんなものかと見限っていた事例も少なくなかったことでしょう。そんなわけで、目下、シャンパーニュは、ワイン全ジャンルの中で私がもっとも(というか唯一)、モチベーションと関心をもって飲んでいるジャンルです。ただし、デイリーに開けるにしては出費が嵩むのが悩ましいですけどね。■ ワインライフの変化「週に三日の休肝日」を設けて、「週末は山歩き」、帰宅後にはセラーのシャンパーニュを開ける生活。飲む量は二日で一本のペース。こうして文章にしてみると、なんと健康的な生活なのかと自画自賛したくなります。週末に山歩きでたっぷりと汗をかいて、ひと風呂浴びた後に、晩酌で飲むワインやシャンパーニュはさぞ美味しかろうと思われるかもしれません。ところが、です。どうも最近、晩酌にワインを飲んでもあまり美味しいと感じなくなってきているのです。「運動したあとの一杯」としては、ワインよりも水分補給の欲求が先に来てしまうようで、休肝日でもないのにノンアルコールビールの方につい手が出てしまう日もあります。 酒量についてもあきらかに減ってきて、一日あたりボトル半分程度であっても、夜中に喉が渇いたり、早朝に目が冴えてしまったりと持て余すようになってきました。「ふだんワインを飲まない生活」に体が馴染んできた結果なのかもしれません。あるいは加齢に伴って、肝臓や体力が衰えてきているのかもしれません。これではもはや、通常ひとり一本分ぐらい飲むことになるワイン会等には参加できそうもありません。そう考えると、喜ばしい反面、少し寂しい気持ちにもなります。■ これからの課題かつては「飲みたいのだけれども、飲めない(→それに対してどう取り組むか?)」ということをテーマにしてきました。その後、「飲まずに済ませるにはどうするか?」とか「飲む量や頻度を減らすには?」といったテーマに取り組んだ余波で、今はそもそもワインを飲みたい、買いたい、あるいは学びたいといった欲求自体が減退しています。それでも「ワインの趣味をやめる」「ワイン断ちをする」ことまでは考えていません。少ない出費と頻度でも、興味やモチベーションを維持できる「コンパクトなワインライフ」にさらに磨きをかけることが今後の私の目標です。************当ブログを継続的に読んでくださっている方はおわかりかもしれませんが、上記の均衡は長くは続きませんでした。2018年に階段で転倒して右膝内側靭帯断裂。それ以来、山歩きをなかなか再開することができず、コロナ禍とあいまって、すっかりご無沙汰になってしまいました。山歩きも健康な身体があってこその趣味なんだと痛感しました。最近の新たな趣味はといえば、語学学習、ということになるのかもしれませんが、こちらは酔っぱらってしまうとできないため、資格取得をめざすなど、根を詰めれば詰めるほど、ワインとは両立しなくなるのが悩ましいところです。
2021年07月15日
コメント(2)

フーリエといえば、07年以降、新VTが出るたびに半ダースぐらいずつ買い続けていたのですが、13ビンテージを最後に購入するのをやめてしまいました。やめた理由は品質の問題というより、私の懐の事情です。10VTの村名はすでに飲み尽くしたと思っていましたが、セラーの奥に1本残っているのを見つけて、久しぶりに開けてみることにしました。グラスに注ぐと、かなりオレンジがかった色調です。香りは爆発とまではいきませんが、アーシーな心地よい香りとスパイス、紅茶、赤と黒のフルーツなどが入り混じって、心地よいものです。飲んでみると、濃縮感は控えめながら酒質はなめらかで隙がなく、酸はエッジが丸く、タンニンがきれいに溶け込んでいます。改めてこうして飲んでみると、やはりいいですね(この頃の)フーリエは。早くから美味しい生産者なので若くして飲んでしまいがちですが、11年経過した今もなかなかの味わいです。「村名=VTから8年程度が飲み頃」のセオリーからすると、ピークを過ぎて少し下り始め?という声も聞かれそうですが、このボトルを飲んだ限りでは、まだまだ元気で良好な飲み頃を保っていると思います。最近のVTについても、機会があれば飲んでみたいものです。★★★★
2021年07月13日
コメント(0)

AWCさんよりあるヌーラショーの05クロブジョ同じくAWCさんよりシャントレーブの19NSGダモード同じくシャントレーヴのシャサーニュ・モルジョ2019年80年ゆかりの人に良いかと。AWCさんのシャトー・ラネッサン割田屋さんの19ラルロ高評価のようですね。ミシャルラファルジュの16ヴォルネイ・クロデデュック 割田屋さん推しの生産者です。19ドメーヌ・テシエまだ新しいドメーヌみたいですね。エスカルゴさんよりジェラルディーヌ ルイーズの19モンタニー・1級ブラングロフィエは相変わらずリリース早いですね。エスカルゴさんより19ブルゴーニュ・ピノノワールロベール・シリュグの18ヴォーヌロマネ・プティモン。エスカルゴさんより同じくエスカルゴさんのピエール・ジモネ 売り切れ御免、すむらさんのシャトー・パルメ75年珍しいAOCですね。みちのくさんより シャトノワの18ムヌトゥー・サロン赤白ウメムラさんの決算福袋。5本セットも追加。3万以上がオススメのようですウメムラさんよりスイスのカルトワイナリーだそうです。ヴァイングート・ドナッチュのPN、いいお値段ですが。ウメムラさんよりオレリアン・ヴェルデの18フィクサン。珍しいと思ったら日本未入荷だったようです ウメムラさんよりラルロの19コート・ド・ニュイ・ヴィラージュ クロ・デュ・シャポー河野酒店さんのムルソー・シャルム05&ぺリエール02(コント・ラフォン)かわばたさんよりダニエル・リオンの18エシェゾーほかバックVTもいろいろあります同じくかわばたさんのボランジェ・スペシャル・キュヴェ[NV]かわばたさんのドラモット。ブランドブランもあります同じくかわばたさんのグロ・フレール・エ・スール。ブルゴーニュ・ルージュ2017&2018。安いですね。前にも紹介した日本の近代絵画シリーズ切手。今はフォトフレームに入れて寝室に飾っています。
2021年07月11日
コメント(0)
今日のカミサンおすすめ動画はこちらです。(^-^)「よく頑張ったね〜」 病院に行ってきた後輩猫をペロペロ労う先輩猫https://twitter.com/mifuyu_916/status/1410509289249075201癒されますね。
2021年07月07日
コメント(0)

これは珍しいキュベですね。ウメムラさんよりシャトー・ド・フュイッセのプイィ・フィッセ コレクション プリヴェ [2000]ウメムラさんお気に入り生産者のシャンボールミュジニー&NSG赤ワイン飲み比べ 2本セット。ユドロノエラとジャンタルディ同じくウメムラさんよりルイ・ロデレールのブラン・ド・ブラン [2010](並行品)サードでもこのプライス。ウメムラさんのポイヤック・ド・ラトゥール [2015]記事としても面白いです。ココスさんのソーヴィニヨンブラン特集ラベルがややトホホですが。みちのくさんの13エコー・ド・ランシュ・バージュ河野さんのロッソ[2016](ミアーニ)河野さんよりヴォギュエの00&97ミュジニーVVマル源さんのブルゴーニュ・ブラン レ・ヴォー[2019]/バターフィールド同じくマル源さんのエルミタージュ・ブラン・ブランシュ[2017]/ジャン・ルイ・シャーヴ・セレクションエスカルゴさんの19デイモン・デュバル・ファンエスカルゴさんのピエールジモネエスカルゴさんのヴォーヌ ロマネ[2018]ニコル ラマルシュこちらはロベール・シリュグの16ヴォーヌ ロマネキタザワさんのシャプティエ終売セールコート・デュ・ローヌ・ブラン・ベルルーシュ[2019]シャプティエ同じくキタザワさんよりクロデュカイユの17CNPキタザワさんのルチアーノサンドローネ。16バローロ・アレステほかWA99点としては安いかと。割田さんのシャトーヌフ・デュ・パプ『ショーパン』[2007]ジャナス割田さんよりクロ・デュ・カイユの16シャトーヌフ・デュ・パプ・ルージュ『クワルツ』こちらはWA100点、エルミタージュ『レルミット』 [1996] シャプティエ同じく割田さんのコート・ロティ『ラ・ムーリンヌ』[2010]ギガル。これもWA100です。AWCさんの[1971] シャトー コス・デストゥールネル同じくAWCさんよりティボー・リジェ・ベレール の18リシュブール好きな生産者です。ジャック・プリュールの18ムルソー・クロ・ド・マズレー・ブラン・モノポール同じくAWCさんの12クリスチャン・ビネール ヒンテルベルグキタザワさんよりルネ・ロスタンの新VT。ワッシーさんのクリストムヴィンヤード。カレラでワイン造りをしていた人がオレゴンで立ち上げたワイナリーだそうです。みちのくさんよりロッシュ・ド・ベレーヌのクレマン・ド・ブルゴーニュ 同じくみちのくさんよりジャック・カシューの17]ヴォーヌ・ロマネ オー・レアマルシェまるやまさんの18ヤルデン・ピノ・ノワール。シャルドネ、カベルネなども。同じくマルシェさんのコノスル シレンシオ・カベルネ・ソーヴィニヨン[2012]こちらはコノスル ピノ・ノワール オシオ[2017]。高くなりましたね割田さんよりヴィニョーブル・ギョームのヴァン・ムスー同じく割田さんよりフェブレのコルトン・シャルルマーニュ [2017] ウメムラさんよりバンジャマン・ルルーのクロ・サン・ドニ グラン・クリュ [2016]2021年シャトー蔵出し、ウメムラさんのシャトー・パルメ [2010]同じくウメムラさんのシャトー・ブラネール・デュクリュ [2009]こちrはヒグチさんのシャトー ブラネール デュクリュ [2013] 6kです同じくヒグチさんのパヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー [2003]カツダさんのジャクソン キュヴェ #738 ブリュット デゴルジュマン タルディフ NV 同じくカツダさんのボランジェ アール ディー 2004アーベンさんのシャトーラグランジュ 6本垂直セット同じくアーベンさんのブルゴーニュ 村名 3本セット 【送料無料】こちらはボルドー2級セカンド 5本セット
2021年07月04日
コメント(0)
勇敢なカニ、近寄るライオンにハサミをシャキーン ⇒ 群れを魅了しちゃう【動画】https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60dbf6b4e4b0a3e21b3343da取り囲まれて、最後にグシャリ・・というシュールなエンディングでなくてよかったです。
2021年07月02日
コメント(0)

玄関にある60センチ水槽の魚たちが事故で全滅し、残りは自室の60水槽のエンゼルフィッシュ1匹になってしまったので、サイアミー・フォギー・フィッシュとオトシンクルスを新たに購入しました。購入先はいつものcharm 楽天市場店さん。これまでの経験から、オトシンクルスは導入時にやや弱い印象があったので、2時間程度かけて慎重に水合わせをしました。最初は水槽の片隅に固まってたオトシンたちでしたが、時間とともに水槽内を探検するかのように泳ぎはじめました。こちらのエンゼルフィッシュは老体で右目の視力も失っているため、混泳していてもあまり追い回そうとしません。なので、オトシンやサイアミーフォギーフィッシュたちも最近は平気でセパレーターを越え、一緒に泳ぐようになっています。エンゼルフィッシュも同居魚が増えて心なしか活力が増した気がします。もうひとつ不思議な生き物がこの貝です。水草を購入した時にまぎれてきたようで、気づけばずいぶん大きくなりました。石巻貝と異なるのは、このように水面を泳ぐようにただよったり、ものすごいスピードで水槽内を移動することです。異常に生命力が強そうで、可愛いというより不気味です。
2021年07月01日
コメント(0)
「やさぐれリカちゃん」に続いて、もうひとつカミさん推薦のネタです。「凄すぎる…!!間近で見ても枝片にしか見えない」 昆虫の見事な擬態に驚きと好奇心が止まらない声続々https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2106/27/news005.html自然の驚異ですね。
2021年07月01日
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1

