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半年ぶりの日記ですが悲しいお知らせです。昨日の朝刊にコスモスの宮英子先生が亡くなられたという訃報が載っていました。物心がついてからは一度だけ、祖母の葬儀でお会いしているはずなのですが、何しろその時は短歌など眼中になくむしろ家族に迷惑ばかりかけている祖父の趣味を家族で憎んでいたもので…その後、祖父が脳梗塞をおこし入院した時に連絡をいただき、お見舞いにも来てくださいました。その時もお会いできなかったのですが…祖父のことで何度かお電話をいただいたときの優しいお声が忘れられません。ご冥福をお祈りいたします。
2015年07月01日
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とうとう全くブログを更新しないまま、年末となってしまいました。前回…といっても3ヶ月?4ヶ月?前のブログに書いたO先生賞。看護師さんに嘘をついてまでコンビニに行き、コピーを取った力作(?)でしたが…結果は一首も掲載されることなく、とりあえず何とか選考の対象になっただけで終わりました。ま、このまま闇に葬られるのはかわいそうなのでここに発表します~◎気のせいと胸打つ鼓動忘れ去り先祖の墓の草むしりする◎透析中脈の異常をスタッフに言えば張られるパーテーションが◎遠のいた意識が戻るわれのこと囲む透析スタッフの顔◎いつもなら軽口たたく院長がわれの脈取りうろたえており◎サイレント直進しますの音聞こえ私を乗せた救急車行く◎もしかして死ぬのと思うガタガタと上下に揺れる救急車の中◎搬送をされ行くうちに弱ってくわが心臓よ波打ちながら◎心臓は悲鳴をあげどすらすらと医師に答えるわが病歴を◎着てるもの剥かれ目の前次々と検査の為の機械現れ◎乱れ飛ぶ心電図の波ながめつつ突然死という医師の声聞く◎身動きもできぬ体に注射にて薬が入る熱さ感じる◎緊急の措置を終えども目は冴えて眠れずにいるICUに◎幅広きベッドの上が私の行動範囲と医師より言われ◎一杯の水と膿盆渡されてベッドの上で歯磨きをする◎レンタルのパジャマわれには大きすぎ洗濯バサミで胸元留める◎次々と医師や看護師現れて名前と顔を一致もできず◎難聴のわれに声あげ質問す医師たち個人情報気にせず◎お話は大きな声での札揺れる私の寝るベッドの上で◎薄暗きICU出てはじめての透析中も監視は続く◎四時間のわれの透析監視する看護師うとうと頭を垂れる◎三十分揺られ不安は増してゆく転院の為の救急車の中◎私の命を左右する医師は息子くらいの若者ふたり◎病棟の窓から見えるわが夫の母校よ今はそびえ立つビル◎入院し五日が過ぎて夫より鍋のスープの惨状を聞く◎病院のベッドの上でも気にかかる冷蔵庫の中野菜やハムが◎はじめての欠詠悔やむ生命の危機を脱して一息つけば◎入院中寂しくなれば飼い猫の写メを夫に送ってもらう◎寂しさに長きメールを送れどもそっけない文返すよ夫は◎一人居の夫は酒を買い込んで毎日晩酌しているという◎猛暑日の中を四時間かけて来る見舞いの友よ疲れもみせず自分としては「サイレン…」や「乱れ飛ぶ…」の歌が好きです。こうして一連の出来事を歌に詠めるのも生きてるからで、ほんと自分でもしぶといと思います(笑)手術後すっかり弱々しくなってしまったんですが、少し前には義妹とディズニーシーに行くことができて少しづつ元気になってきています。これに懲りず、来年も応募したいです…が、もう入院の歌は嫌なので自己管理をすこーし厳しくして頑張ります!
2014年12月28日
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久しぶりに更新…実は8月12日、初めての救急車体験をしました。ここ何年か時々脈が飛ぶ感じがあって検査などしていたのですが…正常の範囲内と診断されていました。8月の8日くらいからまた不整脈がおこり、今回もしばらくすれば落ち着くと思ったのですが、どうも今回の不整脈は「飛ぶ」のが連続しているような、ちょっといつもと違っていました。12日の透析で回診の時に院長にその事を言うと私の手をとって脈を見て…なんだかすぐにベッドの周りにパーテーションが張りめぐらされ、心電図やらモニター心電図を付けられました。更に、脈を整える薬?というのを注射されたのですが…これがいけなかった。急に血圧が上がったようで、意識はそこそこあるのですが頭がぼーっとして周りの音がどんどん消えていって、思わず死ぬんじゃないかと思いました。その後、この世に戻って?来て、一晩入院して様子を見ることになったのですが、そこから二転三転して救急車で循環器の専門病院に運ばれたのです。救急車に乗って病院に着くころには、自分でもどうしようもなく苦しくて「何とかしてくれ~」という状況。検査している途中に医者から家族に連絡を取りたいと言われ、私がだんなの嫌がる顔を思い浮かべ躊躇していると「今のままじゃ突然死だってあるんだから」と脅されたりして…結局、かなり強い薬を使って、これが良く効いて一晩経った頃にはすっかりおさまっていました。で、そのままそこの病院でカテーテル検査をすることになっていなのですが、検査が決まって同意書に判も押したのに…なぜか検査は中止になり、かかりつけの医科歯科大学病院に転院となりました。多分、私の持っているミトコンドリア病という遺伝子の病気が、循環器の病院では扱えなかったからなのかもしれません。転院したってやることなはく、先生たちがいろんなリスクを考えてカテーテルをやるかどうか考えているようで暇で暇で…そんな時一首浮かんだのです。そこからはなんだか歌の神様が降りてきて、次々に歌が…実は入院したから、8月はコスモスの詠草を送れずはじめての欠詠となってしまい、もともと8月末の「O先生賞」は見送るつもりだったのですが、こうなってみるとこれは是非応募しなくては…という気分になりました。ただ、歌が浮かんだのが21日…入院している病棟の13階から出てはいけないと言われているし、手元にあるのはコスモスの詠草用紙1枚とボールペン。時間との戦いでした。だんなに修正テープとホチキスを持ってきてもらい、更にだんなに付き添ってもらうから売店に行かしてくれと頼み、こっそり売店ではなく院外にあるコンビニに行ってコピーをとり。更には一人で検査に行くためモニター心電図を外したすきに、またまたコンビニに行ったりして。何とか、27日に投稿できました。そしてカテーテル検査は後日またと言うことで退院となりました。まさに奇跡的な感じ。この世に戻ってきたのが奇跡なら、投稿できたのも奇跡。で、もしかしたらこの流れで賞をとれたらいいなぁ…などと欲をかいてます。このポンコツ心臓は治す手立てはないので、これからも上手に付き合っていくしかありません。こいつが動いているうちに一度くらい歌でほめられたいと思うのですが…難しいですかね。
2014年08月30日
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お久しぶりでございます~生きてます。きっとこのブログの読者さんも減ってしまったんじゃないでしょうか?なかなか短歌もUPしていませんし…それでも結社「コスモス」にはちゃんと投稿しています。先ほど5月号が届きましたが3首のみ掲載。先月も3首でしたから不調です。メール歌会では先月は0点を取ってしまいましたし。でも、やっぱりときどき短歌の神様が降りてきて歌ができたときの喜びは忘れられずに細々と詠んでます。で、今は5月に締め切りが迫った「裂織展」に出品するための作品を織っています。3年に一度開催されるのですが、織るのにはそれなりに体力もいるし私も透析15年目、師匠である先生も75歳を超えて…これが最後の応募になるのではないかと思いがんばって織ってます。作品が出来上がったら短歌にもまた力を入れようかと思っています。とりあえず最近の短歌を…気だるさの漂う午後の婦人科にわれと若き妊婦のふたりこれはコスモス茨城支部の方々の「通信いばらき」という紙上での歌会に参加させていただいていてそこで詠んだものです。いつもあまり点が入らないのですが、この歌にはちょこっとだけ点が入っていました。では、明日も織物をしに行ってきます。↑こんなものも作っています。題して「畑の恵み」です。
2014年04月17日
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明けましておめでとうございます。昨年の後半はほとんどブログを更新することなく過ぎてしまい…もちろん、元気であちこち出歩く生活には変わりがないのですが…やはりどこか無理がきているのか、気力の出ない日も多くなりました。そこで今年の目標は「無理な計画は立てない。出来る範囲でがんばる!」です。ということで今年もマイペースな私をよろしくお願いします。新年最初の話題は「O先生賞」のこと。私の所属する短歌結社「コスモス」では年に一度30首連作の短歌を募集している。そのほかの賞が推薦というかコスモスの方で目覚ましい活躍をした方たちを選ぶのに比べ、O先生賞は唯一自分から応募できるもの。過去には佳作をいただいたこともあるのにこのごろはなかなか…結果から言うと今回も「30首選」止まり。先生方に選んでいただくのがまな板の鯉ならば、せいぜい買い物かごに入れられたところ…でしょうか。まあ、少しでも先生方のお目に止まったということを喜んぶべきなのでしょう。お題は「夏の麦茶」…透析患者は水分制限があるので気の向くままにごくごく飲む、ということができないので、そこのところの苦しさを詠んだつもり。しかし、そろそろ透析から離れなくちゃ…と思いつつ、詠めば透析の歌ばかり。そこのところが私の弱いところかもしれない。「夏の麦茶」カラカラの喉を耐えがたし炎天下に朝礼ありし昭和の時は水分を摂るを禁ずる部活動過酷であったわれらの時代友と行く初銭湯よ湯あがりに腰に手を当て牛乳を飲むコンビニの前でビールの缶開ける人のあるなり照りつける午後絶食のあとの朝食まず一杯りんごジュースを舌で転がす水分の制限ありし透析の患者の命よ冷たい氷水分の摂れぬ透析患者等は氷を舐める愛おしみつつ猛暑日はロックアイスを口に入れ赤子のように吸いつつ味わう十四年透析治療受けしわれいまだに慣れぬ水分制限透析を受け始めてより「水」のこと常に頭の中を片隅にあり亡き母と同じ透析治療受く母のようには厳しく生きれず水分の制限守り逝きし母いまその墓にたっぷり水やる母の墓ひと際大きな湯のみには並々と注ぐ暖かい茶を墓に水かけてはならぬと言う人もいるを無視して墓参りする足腰の弱りし母が床を這い水飲み行くを見て見ぬふりする亡き母に厳しく水分制限を課したこと今後悔しており一日の水分量は六〇〇cc守れるままにまた水を飲む小用を足す夢など見る透析を一四年受け無尿となりて水分も除去されるというその不思議透析治療受けつつ思う週末は透析間隔あくゆえにみな浮腫みおり月曜の朝透析の治療が苦痛になる時は水分制限守れなくなり透析は大量の水使うゆえ取水制限人ごとでなし水の歌詠めば詠むほど水分を摂りたくなって台所へ行く制限を超える恐れを抱きつつ水飲む日々よいつまで続く水分を摂れぬ透析患者にはドリンクバーは酷なものなり透析の患者等さまざまドリンクをお代りする人我慢する人お互いに牽制しつつ飲み物をお代りしに行く透析患者水分の制限のある病得て砂糖入りの麦茶よ恋し腎移植受ければ水分二リットル摂れるというは夢のようなり移植受け水分制限無くなればゴクゴク飲みたい真夏の麦茶最近、立て続けに知り合いが移植を(しかも宝くじに当たるより確率が低いと言われる献腎移植)受けたため、なんとなく移植が遠い存在でなくなったので希望的な歌が多いが…反面、実は移植を受けたあと心を病んでしまったり、感染症を恐れ人前に出られなくなった人たちもいたりするのでいいことばかりではないのだけど…やはり大好きな麦茶をお腹がたぷたぷになるくらい飲んでみたいというのが私の夢。いつか叶うといいなぁ…
2014年01月02日
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人形市が終わって、私が役員をしている病人友の会が参加する「障害者まつり」が大雨の20日に無事終了して…なんだか抜け殻になってる~ということで人形市は よそのお店の風景ですが…けっこうな人出。これは私たちの作品が並んでいる風景。一日目には間に合わなかったが、二日目からダッフィの着せ替えに「ふなっしー」コスプレも登場!かなり目立って、お客様の足を止めることに成功!個性の強い「山ぶどう」の集団。毎回何かしらの騒動があるのだが、みんなで同じものを作った「一休さん」今回はこれが騒動の元(笑)しかも、あんまり売れなかったんですね~しかし、その他のものはけっこう売れていたし、私の着せ替えシリーズも好評。今回は抽選に外れて、お仲間のテントをお借りしての販売でしたが…次回はぜひ、テント丸々一つ分で販売したい。
2013年10月22日
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いよいよ今日から。人形市が始まります。私は最後までとりかかっていた作品が完成せずです。しかし、火曜日に先生と生徒さんたちで打ち合わせをして、作品を持ち寄ったところ...かなりの数になりました。みなさん、私たちの他にもたくさんのお店が出ます~ぜひ、足を運んでください。◎人形市 2013年10月17日(木)~19日 10:00~19:00 人形町商店街通り・人形町大観音寺 最寄駅...水天宮前駅(東京メトロ半蔵門線) 人形町駅(都営地下鉄浅草線・東京メトロ日比谷線) ※16番ブースにて販売いたします。 今回は「竹とんぼ」さんのブースをお借りしての販売になります。 ブースの番号の載った地図は当日、本部でお配りしています。
2013年10月16日
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またまたお久しぶりなってしまった。最後の更新が9月下旬(笑)で、久々に短歌関係のことを…私は40名ほどの会員がメールで歌会をする、その名も「メール歌会」というものに入っている。コスモス若手の希望の星、Iくんがまとめ役となっていて、5年ほど前は諏訪湖のほとりで(長野県の方が多いので)はじめてのオフ会が開かれ、私も参加してずいぶん楽しい思いをさせていただいた。で、次は東京で…と言い続け5年。やっと実現されることに。場所は上野、宿泊は最近マスコミに取り上げられることも多い敷地内に森鴎外の旧邸があるという「水月ホテル鴎外荘」にて…まずは上野駅公園口の東京文化会館で待ち合わせ。しかし、田舎者の私は公園口も何もわからず不忍口に出てしまい延々と歩く。しかも公園口に近い文化会館の入り口は納品用になっているからこれは違うと広場の方へ歩いて行き…そこで見事に足をひねり転んでしまった。しかし、都会の人は冷たい。自力で起き上がれない私に目もくれずに歩いて行く…仕方ないからのろのろと起き上がり、恥ずかしいから何事もないように歩きだした。幸いショートブーツが足首を支えてくれてなんとか歩ける。で、やはり最初の納品口の方が集合場所のようでなんとかたどり着く。全員集合となったところでぞろぞろとみんなで歩き鴎外荘を目指す。歌会の会場は地下でちょっと狭く密閉感があったが、これが私には幸いして、難聴なので歌会は見学だけのつもりが、半分くらいお仲間に入れていただいて参加できてうれしかった。しかし部屋の入口に書かれた「メール歌会・句会会場」と書かれていたのが気になった…句会…私が出したのは自由詠が幼き日鶴亀算を解くわれを見守りくれし祖父を忘れず題詠「地名を詠む」が雪道のへっぴり腰を見て笑いスタスタと行く佐渡育ちの人だった。自由詠は実はNHKの短歌講座に出し一度添削されているものを出した。これがNHK短歌講座では題詠で「解く」という題を詠んだもので、姑息な私は祖父(毎度おなじみ短歌の師匠の祖父)のことも詠んでいるしいいじゃないかなぁ…と思って出したのだが「0点」だった。どういったきっかけで「幼き日」のことを思い出したのか、きっかけが描かれていないことによってマンネリ(と先生はそう言われたと思う)化した歌になってしまっている…と。言われてみればそうだな…と思う。題詠に合わせて「解く」から始まって無理やり鶴亀算に結びつけた歌なので単なる思い出の歌になっちゃっているし。題詠の方は面白いと思ってくださる人が2名いて2点…なんとかゼロゼロ行進は免れてほっと一息。これもしかし「スタスタ」までは言いすぎではないだろうかとの指摘が…表現の仕方も慎重にしなければならないかな。歌会が終わって宴会まで1時間。私は宿泊される女性陣のお部屋に呼ばれてのんびりおしゃべり。遠い方は福岡や名古屋や出雲からいらしていて、出雲の方は夜行バスでいらっしゃったそうだ…歌にかける情熱はすごいし、やはり歌会の主宰?である先生のお人柄かなぁ。私の体のことも心配していただいたし。すごくうれしかった。さてさて、宴会でお料理そっちのけで短歌談義があちこちで交わされ、自己紹介では「なんで短歌をはじめたか」ということを説明することになってしまって。みなさん日ごろの熱い思いを語っていた。私は毎度おなじみの短歌詠みの祖父が娘(私の母)を亡くした後、あまりに落ち込んでいたのを励ます意味で歌を詠みはじめた話をした。そこから祖父が宮柊二と親しかった話になって…やはり祖父にはまだまだ生きていてほしかった…なんて思った。そして宴もたけなわ、そろそろお開きというところにおかみ登場!何かと思えばサプライズが用意されているのでお開きをちょっと待ってほしいとのことそのサプライズとは舞妓さんたち~浅草の方からおかみに呼ばれてきたと言い「浅草おどり」を踊ってくれた。きれいどころの登場に先生はじめ男性陣は一気にテンションUP…歌人と言えども普通の「男子」だった。盛り上がったところでお開き…宿泊される方々は幹事のお部屋に集まって2次会。私は帰ることにしていたのでここでさようなら。きっとみなさん、盛り上がったのだろうな。ほんとに実りある一日だった。
2013年10月14日
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前回の日記からずいぶん日にちがたってしまったが…ということは制作にかなり時間がかかってしまったってことなのだが、着物が完成!人形町で行われる人形市で売ろうということで作っていたディズニーシーで売られている「ダッフィー」の着物。というかダッフィーは男の子なのでその相方「シェリーメイ」のもの。 この間、短歌もフラワーアレンジもほったらかしにして写真の着物の他にもダッフィーの甚平3着、ダッフィーの縞の着物1着、中折れハット2個、シェリーメイの甚平と二部式着物各1着、リボンを2個。全部で10個(?)とにかく作って作って作りまくった。写真のものは帯も作って、きれいな生地だけど古く(世田谷の骨董市で手にれたもの)なのでところどころ生地が薄くなっているのでそこにお花の飾りをつけて。 頭のリボンも手作り。ということでなんとか完成!やはり洋服と違い着物は作るのが大変。袖つけがなんといっても面倒くさいしわかりにくい。ということで、明日からは少し早く寝ることができそう。しかし...売れるかな?
2013年09月25日
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毎年10月に開かれる、日本橋人形町の「人形市」テントの数が限られているので、出店できるかは抽選しだい。今年もお店の名前と去年出店できたお仲間の名前との両方で申し込んだ…しかし、結果はどちらもはずれ。だいたい今年は気合いが入っていなくて、先生もお店にある人形を(人形市なので人形に関するもの以外の出品は認められていない)すべて放出して安値で売ろう…くらいにしか考えていなかったので外れても悔しくはなかった。ところがひょんなことから先生のお友達が当選はしたけれど、毎年テントの半分だけくらいしか作品ができずいつも誰かとシェアしていたので、今年はいかがですか?と誘われたという。もちろん、先生は喜んでOKそうなると私も制作意欲がわいてきて、前々から作りたいと思っていたものを作ろうと決心!それがディズニーのキャラクターダッフィ。これの着せ替えを作ろうと。もちろん和物好きなので、着せるのも着物とか浴衣とか。はじめると案外楽しくて、すでに甚平4枚を完成!まだまだ着物とか浴衣とか作りたいのもがあって、このところ毎晩針仕事。今のところ甚平だからミシンがけでも大丈夫だけど、着物地になったらやはり手縫いで仕上げたい。まだまだ針仕事は続きそう~できたら作品をUPします。そうそう移植手術を受けたAさんは無事退院。よかったです。
2013年09月10日
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腎臓病患者病人友の会青年部の役員OBでいつも私たちの活動に寄付してくれたり、会議後のお茶会のお茶代をご馳走してくれるAさんという人がいるのだが…先月末、いつものことながらAさんの地元の七夕祭りに役員仲間で押し掛け、なんと諭吉さん3枚分ほどの焼き肉を御馳走になってしまった。そして、まつりの終わりに花火を見て、みんなそれぞれ帰路に着いた。私が仲間の中で一番家が遠く2時間近くかけて家にたどり着いた。みんなそれぞれAさんに焼き肉のお礼の電話やメールをしているときにその奇跡はおきた。なんと腎臓移植のレシピエント登録をしているAさんの元にドナーが見つかったとの連絡が…Aさんは透析をはじめて比較的すぐに親族から腎臓を移植したのだがあまり経過が良くなくて透析に戻り、さらに数年後、今度は献腎移植を受けこれもあまりよくなくてまたまた透析に戻って20年ほど経つ。そんなAさんにドナーが…第一候補だったので(だいたいひとりのドナーに対して第3候補まで選ばれる)もちろん手術を受けた。手術は成功したのだがやはり長年透析をしてきたためになかなか新しい腎臓もすぐには働かず、透析から離脱するのに3週間ほどかかった。そのAさんからやっと透析離脱ができたとのメールが来たのとほぼ同時に…やはり役員仲間のY君にドナーが現れた!これは奇跡!というのも埼玉はなかなか献腎移植を受けられる人が少なく、年間通して0件なんてしょっちゅう。それが1ヵ月の間に2件だんて本当にすごいこと。Aさんが「地道な啓蒙活動のたまもの」と言ってたように、雨の中をドナーカードを配ったり、埼玉県のマスコット「コバトン」を担ぎだしたり、移植の勉強会を開いたりした結果なのかも。Y君の移植の結果はまだわからないのだが、連絡がないということは逆に手術はうまくいったってことだと思う。Y君も17年待機していたのでAさんと同じようにすぐには動けないのかもしれない。今回、男子が2件続いた。次は女子チームにもなんとかチャンスが回ってきてほしい。もちろん役員仲間ならうれしいが、それ以外にもたくさん待機している人もいるし、中にはもう透析治療がギリギリ(血管が細くて針刺さすだけで1時間かかる人とかけっこういるのだAさんはそんな感じだった)という人もいるのでそういう人が透析から離脱できれば…奇跡が続いて欲しい。今回の移植のドナーとなられた方のご冥福をお祈りするとともにご家族に感謝したい…
2013年08月26日
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さて、旅もとうとう最終日~この日はどうしても私が行きたかった「くまもんスクエア」に。ここで一日2回、くまもんのショーが行われ、生のくまもんとふれあえるというところ。午前中は11時からだから10時半には会場に着きたい。万が一間に合わなくなって見られなかった時の私の狂った恐ろしさを知っているだんなはいつもより早めに支度をして20分には到着。熊本城の駐車場に車を停め、会場までとぼとぼ歩く...がとにかく暑い!で、やっと地図上では会場と思われる場所に到着。といっても通りに面したデパートはお休みで、そのデパートの中に会場があると思っていた私はがっかり。それでもあきらめきれずに裏手にある交番で聞いたら「このビルですよ」という。たぶん一日に何度も聞かれるのだろう、地図が出てきて教えてもらい会場へ...人はまばらだが、たぶんみんなショー目当て。とりあえず偽物?のくまもんの写真をパチリ(くまもん営業部長室というところに座っている) そろそろ30分前で人も増えてきて場所取りが始まると私は真ん中のベストな場所へ...だんなは会場の隅でのんきにデコポンジュースを買って椅子に座って高みの見物。たぶん、開場15分前には入場規制されてしまったみたい。早く来てよかった~そして待ちに待ったくまもん登場~ ショーは子供向けで、くまもんがお姉さんとトークしたり踊ったり。またスクエアの中を案内したりする。この時は舞台から降りて規制ラインの外を歩くから外側の人にも写真を撮るチャンスがあるという仕掛け。 とにかく30分。ゆるキャラ好きの私にはたまらない時間だった。カメラ下手なだんなにくまもんと握手している写真を撮らせたら私が画面の隅に亡霊のように写っているようなものしか撮れなかったけど...まあ、それでも満足。続いて熊本県物産館で山ほどお土産を買い込み宅配便で送る。もう、この辺りからあまりの暑さに二人とも参りはじめているのだが...気力を絞って熊本城に~しかし天守閣まで上がる気力はなく、かき氷を食べ、熊本城の正面の姿をカメラに納めるくらいしかできなかった。 だけど青空にくっきりと浮かぶ熊本城はなかなか素晴らしかった。その後は涼を求めて、水前寺成趣園へ...ところがやはりここも暑い。 茶店でソーメンを食べてから、だんなが大好きな餌やりタイム~とにかく動物でも鳥でも魚でも餌やりが大好きなだんな。今回はあまり餌やりのチャンスがなくてやりたくて仕方なかったのだろう、3袋買いこんでまずは鳩へ...ところが最初は3羽ほどだった鳩が次から次へとやってきて、地面にまいた餌に食らいついているいううちはよかったが、しまいにはだんなの腕に乗り始めた。それを見た私は自分の持っていた餌袋をだんなに渡して遠くに逃げた。私の腕には透析のためのシャントというのがあってこれを傷つけられたら死んでしまうので...遠くから写真は撮ったものの、ブログ用にUPするように撮っている携帯の方で撮るのを忘れてのでみなさんにお見せできないのだが...それは笑える光景だった。「鳩使いの孝雄」って感じかなぁ。鯉に餌をやろうにも目ざとく見つけた鳩に横取りされて...鳩対鯉の壮絶な争いもあったし。旅の終わりに面白いものを見させてもらった。4日間、とりあえず無事に帰って来られました~いつかまた草千里で乗馬したいです。
2013年08月20日
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今日は旅行透析。お宿のある植木温泉から車で30分ほどのところにある山鹿という街中の「山鹿中央病院」...この辺も有名な温泉街で、お湯は豊富に湧くらしい。なので透析室のある5階までエレベーターで上がるとき気がついたのだが6階には温泉設備があってリハビリとか出来るらしい。なんともうらやましい話。やはり臨時透析というのは待たされるもので8時45分にはベッドに入ったのだが、穿刺してもらったのは9時半...ま、文句も言えない。この病院は2人一組で穿刺するらしい。ちょっと中央部分からは死角になっているコーナーなので、私の他に2人の患者さんがいたのだが、常にひとりは看護師さんが見ていてくれて安心できた。で、終わってからロビーに行くと待たされて不機嫌になっただんなが...どうもだんなはどうにもならない理由(今回は旅行透析なのでわがままを言えず穿刺が遅くなった)ということを理解しないで、とにかく病院がらみだと時間がかかったり私の具合が悪くなったりすると不機嫌になる。困ったものだ。不機嫌なままで、街の中で食事ができるところを探したがなく、ますます不機嫌になるだんな。とりあえず宿に向かいながら見つけたのが「JAかもと 夢大地館」...農家の直売所で、有名なのか「米粉」製品も多く、食堂では米粉うどんも食べられるという。ここでだんなは普通のそばを、私は米粉の「肉うどん」を食べた。コシがあるというか固めの麺というか...それでも面白い食感で美味しかった。 けっきょくその後は田原坂公園を目指すけれど見つからずに宿へ...今夜のお夕食は 前菜 伊勢海老のお作りと、例の赤牛「和王」のタタキ。 さらにこれでもかという「和王」のステーキとさっきの伊勢海老の頭のお味噌汁。水分制限のせいであまり飲めなかったけど、味噌汁は海老のだしが出て美味しかったし、ステーキもガーリックが効いて美味しかった。今日は透析も終わったし身も心も軽くなってガッツリいけた~ただし夜の露天風呂は入ったらクラクラして湯あび程度だったけど...
2013年08月19日
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熊本の旅、二日目の朝ごはん。 最近は西の方に旅をしても納豆が出る。いいのだろうか?今日は熊本というかお隣の大分県を...前回、九重(ここのえともくじゅうとも読むらしい)をめぐったのだが、その時どうしても場所がわからず行けなかった「九重夢大吊橋」へ... 九重町観光協会のマスコット「ミヤちゃん」お出迎え~ 携帯カメラなのでいまいち写りが悪いけど大きい~しかも、かなり揺れる。たぶん、高度恐怖症のだんなはあまり楽しくなかったはずだが、どうもここから落ちた人(自殺した人)がいるかが気になって気になって仕方がなかったようで、いつの間にか警備員さんから聞き出していた。で、警備員さんには「いますよ~」的感じで軽く言われたらしい。あとで調べたら、ひとりしかいないみたいだったが。橋の上は適度に風があって気持ちよかったが橋を渡り終えると途端に熱風が~とにかく37度とか38度とかあって、確実に埼玉よりは暑い。その後は、やはり大分の日田というところへ。昔の街並みが残って、風情があるところなのだが...とにかく暑いあまりの暑さにとりあえずお昼ご飯を... 「うなぎの黒田屋」...精をつけないと暑さを乗りきれない気分。写真はだんなが頼んだ蒲焼。関東風の蒸したものではなく、焼いたもの(関東風のものは別メニューで「せいろ蒸し」というのがあってそちらだったかも)しかも写真の左上にあるのは「頭」...ちょっとびっくり。私は控え目に鰻丼を...で、その暑い中をうろうろ。といってもとにかく少し動くだけでも汗がだらだら、太陽が照りつけるから頭が熱い。早々に車に引き返し、今夜のお宿へ... 「今宵の湯宿 悠然」...写真はお部屋の中。白いカーテンの向こうに部屋付きの露天風呂がある。 やはり熊本は馬肉が有名...ということでお夕食には馬刺しが出た。 左側は太刀魚の刺身...これも、珍しい。他にも例の赤牛「和王」のもも肉ステーキ、鰆の西京焼きなどが出た。実は透析が中二日空きで、しかも連日35度以上の暑さで少々ばて気味の私はこの日の夕食はあまり食べられなかった(それでも写真の刺身は完食したけど)かなり残してしまったのが残念だった。
2013年08月18日
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早起きして6時15分に近くの駅から出る高速バスに乗る...が、1本早く乗れてしかも渋滞なしだったので空港についたのは7時前...フライトは8時35分。毎年こんな感じで時間をもてあます。なのでラウンジで、だんなは報知新聞で競馬予想、私は携帯ゲームで時間つぶし。飛行機では金曜日の透析以来、やっとまともな食事にありつけた。サンドイッチとスープ。空きっ腹にしみて美味しかった。さてさて、熊本につくとまずは阿蘇方面に~実は2007年にも熊本を旅行しているの今回は観光したところが重なっていて、そのひとつ白川水源へ...阿蘇は水がきれいで有名、この白川水源も冷たい水が湧き出ている。2007年に行った時にはなかった「足水」があって、だんなはつからなかったが、私はサンダルを脱いでぽちゃぽちゃ。芯から冷えるというのはこういうことかと思うほど冷たくて気持ちよかった。そこから阿蘇神社へ...だんなは神社の屋根に使われる銅版を1枚寄進した。私はみんなの健康と、最近移植した仲間の回復と自分の献腎移植を祈った。で、遅めのランチ。とにかく暑くてぐったりしてた私たちは見つけたお店に飛び込んだのだが... 「江戸や」のとろろそば...あまりブログにはお店の悪口は書かない方だが、これはあまりに美味しくなかった。つゆが薄くて少ないし、梅そば(ピンクの麺ですね)がすっぱすぎるし、量が多いだけで。まあ、「メニュー」を「女乳」と書くセンスもどうかと思うし。気を取り直して阿蘇の噴火口へ。前回は草千里までしか行かなかったので、噴火口ははじめて。注意書きに「喘息、心臓疾患のある方お断り」とあったが喘息持ちで心筋症の私でもぜんぜん大丈夫だった。 ぐつぐつ沸いてます。で、そこからはドライブしながら宿へ... しっかり草千里も見て... 今夜のお宿「あその旅宿 鷹の庄」...すべて離れのお部屋で、私たちが泊った「十の庄」の外観。 部屋付きの露天風呂阿蘇は赤牛という牛肉が有名で、夕飯はその牛肉を使ったすき焼きコース。 仲居さんがすべて具を投入したくれたのですき焼きというか、すき煮。しかも白菜とか春菊ではなくサニーレタスと水菜。今の時期はこれが美味しいとのことだったがどちらも煮たら固くなって苦味が残っていまいちだった。お肉は脂身が多くて「濃厚」って感じ。久しぶりにガッツリ肉を食べた感じ~お腹いっぱいになりました。
2013年08月17日
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意識ある事で受け入れ拒否されて友は二時間救急車の中難聴のわれはひとりで映画行き字幕の付いた邦画楽しむ首元の腫瘍を取りし家猫の毛刈りの跡はなまめかし色窓越しにたっぷリ朝日浴びた猫鼻付け嗅げば良き匂いする樟脳の匂いを好むわが夫よ家のそこここ微かに漂う湯上りに浴衣で伊香保の石段を夢二の女気取って歩く餌ねだる羊の群れに要領の悪き者いるわれ見る思い轟音をたてる真っ赤なフェラーリ―抜きつ抜かれつ旅の道行く真っ青な青空広がるこんな日に洗濯干せぬ花粉恐れて震災の起きた時刻も声を出し募金を募る学生たちは*************************************************またまたご無沙汰してしまいました。6月号の掲載・非掲載短歌…掲載3首…あまり出来はよくない。1首目は病人友の会の患者旅行でのこと。バス旅行先で具合が悪くなった参加者の方…一度は旅先の病院に搬送されたがそこでは何もできないし、具合は悪いままだが容体が安定していたのでそのままバスで一緒に帰ってきた。しかし、具合は良くならないしひとり暮らしなのでどこか病院に入院させようと救急車を呼んだが…手足がしびれ動けないのに意識だけははっきりしているのと透析患ということで受け入れてもらえず。私は役員なので同じく役員の友だちと一緒に3月の寒空の下待っていた(救急車には私たちは乗せてもらえない)。けれどこちらも具合が悪くなり退散。ツアー会社の方が言うには2時間以上待ったらしい。後日、患者さん本人に聞いたら実は5時間だったという~埼玉の救急医療は崩壊している。2首目の映画は「ストロベリーナイト」だんなは邦画は嫌いだし、テレビドラマの時からファンだった私は思い切ってひとりで観に行った。行った価値あり、なかなか面白かった。3首目はドンが首筋にできた瘤をとった時のこと。8針くらいと言われていたがあまりに大きく毛刈りされていたのでびっくり!因幡の白ウサギみたいだった。5首目…だんなはなぜか樟脳(ナフタリン)の香りが好きで、たんすにふりかけのようにパラパラばらまいている。私としては香りがうつって「ババくさい」感じになるので嫌なのだが…6首目から8首目は伊香保の旅行詠。寒い時期だったので旅館の半纏の上にさらに自前のショールをかけて歩いていたのだが、あとで写真を見ると顔をのぞけばなんとなく夢二の絵にでも出てきそうな雰囲気だったので詠んだ歌。自分的にはフェラーリーと競争した歌がお気に入りだったのだが。10首目は震災から2度目の3月11日の市ヶ谷駅の光景。募金の学生たちは震災の起きた時間も募金の募る声をあげていた。私と友達は駅の構内に立ち止まりちょっとだけ手を合わせ頭を下げたが…特にサイレンもなかったので学生さんだけでなくその辺の誰もがそんなことをしてはいなかった。東京では震災は過去のこととなっているような気がして詠んだ歌。以上10首でした…
2013年08月14日
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最近、「手作り工房山ぶどう」の先生が登録した「手作りの会」先生ご自慢の音声入力で操作ができるタブレットでお孫さんに登録してもらったらしいが、その後なしのつぶて...先生は10月20日に八潮で行われるイベントに参加したいらしのだが。その手作りの会が今日と明日、つくば市ふれあいプラザというところでイベントを行うと知って、私と先生と山ぶどうのお仲間2人と行ってきた。地図を見るとどうやら私が学生時代にテリトリーにしていたところに近かったので。残念ながら写真を撮り忘れたのだが、会場はそれほど広くないのだけど人がいっぱい。先日の「裂織フェスタ」と大違いで活気がある。会場によって、お店の感じも違うらしいが、今回はカントリー調の洋ものが多かった。私の戦利品は 洋服は手作りではないがバッグは手作り。かわいい!で、ちゃんと主催者の方に挨拶して、八潮のイベントも申し込んできた。しかし、八潮のイベントは10月20日~病人友の会の「障害者まつり」と重なる...私は行けないかなその後はお昼~今日は私のお任せコースって感じだったので、この前先生が「鰻食べたい」と言っていたような気がしたので、鰻街道と呼ばれる牛久沼のほとりの鰻屋さんへ...ここは鰻好きな母が亡くなる前に最後に来たお店。1階が駐車場でお店が2階だったのですでに歩けなくなっていた母を苦労して2階まで上げた記憶がある。で、やっぱり前と変わらない階段を上がってお店に入る。鰻重が2200円...やはり高い。なので鰻丼1680円にする。だけどボリュームはかなりあった↓ 食べ終えたあと、お仲間が「この辺は農家も多そうだから直売所とかないのかな」と言いだした。私は一ヶ所、思い当るところがあったのだがそれは高速の入り口近く。そこが閉まっていたらアウトなので、とりあえずお店の人に聞いたところを目指す。が、ない...行けども行けども見当たらないので元の方に戻ることにした。しばらく走らせるとあった~直売所の看板が通り過ぎちゃったので、Uターン。しかしなんだか暗くて汚い。それでもトマトとか安いし、取れたて卵とかあったので買う。でも、私的にはなんだか不完全燃焼だったので、私の思い当るところ...に行ってみたら、午後も遅かったがやっていた。で、やはり品ぞろえもいい。桃が安いし、白なすとか甘とうがらしとか面白いものもあるし。お仲間や先生も、さっきのお店で買っていたにも関わらず、ここでも買いこんでいた。そして無事に帰宅。ふれあいプラザでもみんな1品は買っていたし、鰻も私に気を使ってかもしれないが「美味しい」といって満足してくれていたみたいだし、産直所も寄れたし...今日のお出かけはなかなか収穫が多かったかも。
2013年07月19日
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今日は病人友の会青年部の役員会だった。前にも書いたが、透析患者は年齢層が高いので、青年部も50歳までOKなのだ。午前中の会議の後も、仲間とダラダラお茶をしているので帰りは夕方になってしまう。自業自得だが、飲み過ぎ(と言ってもアルコールではないけれど)で地元の駅にたどり着くころは足がパンパンで半分足を引きづりながら帰ってくる。当然(?)帰りはタクシーで、今日乗ったタクシーでこんなステッカーを見た↓グリーンリボンドライバーと書いてある。グリーンリボンは移植医療の推進を目指して活動している証のマーク。たぶん、このドライバーさんは意思表示を免許証の裏に書き込んでいるのだと思う。といったって、移植します…ということではない。意思表示では「移植しない」という項目もあるのだから。自分に何かあって、家族の意思で勝手に臓器を取りだされるのが嫌な人は「しない」に丸をしてほしい。もちろんその意思がある人は丸をしてくれればありがたい。カードを見ればわかるけど、「脳死」「死後」それに移植してもいい臓器も選べるし。カードさえあれば脳死状態になった時に家族が悩むこともない。免許証・保険証・ネット・意思表示カード…今はありとあらゆる方法で意思表示ができる。 みなさん、嫌なら嫌でもいいんです。ぜひ意思表示をしてください。
2013年07月14日
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旗日だと気付く隣家に日の丸が風にはためく月曜の朝 事故起こし落ち込むわれに追い打ちをかける夫の薄ら笑いがパーテーションで囲い透析される人インフルエンザに感染すれば透析中吐くはよくあることなれどウイルス流行れば緊張走る渋滞にはまり透析行けずいる都心の道路雪が積もれば砂浜をさらえばいまだ骨が出る大津波より二年過ぎても還暦を過ぎし夫に十八の年の差強く思うこのごろ声出さず拍子木の音響かせて街の中行く自警団たち中年の男が抱えるぬいぐるみ夢の国ならそれも許され子供なら許し大人は許されぬディズニーランドの中のコスプレ しばらく更新していなかったが、久々に短歌の記事を…やはり身が入っていないせいかこのごろは掲載されるのは三首ばかり。ちょっと不振続き。一首目お隣のうちは律義に祝日には日の丸を掲げる。最近、わけのわからないハッピーマンデーとかできたりしているが、きちんとした祝日に旗が揚がるのは気分がいい。二首目…事故を起こしても、私の体の心配をするどころか「やっぱりお前は下手なんだよ」を鼻で笑うだんな。そういう人だとわかって結婚はしたものの、腹が立つ。 三首目と四首目はインフルエンザが流行したときのこと。透析室は閉ざされた空間なのでウィルスが蔓延しやすい。まして年寄りや免疫力が下がっている人も多い。命取りとなりかねない。五首目。これも透析のことで大雪が降った翌日、各地で道路の渋滞があったが、透析の送迎バスもその渋滞に巻き込まれてしまった。私ではないがいつもの時間より3時間遅く入室した患者さんがいたという。大雪ならばまだしもこれが地震だったらと思うと怖い。六首目は東日本大震災関連のニュースで見たこと。海水浴場だってこれではまだまだ営業は出来ないだろうし、いつになったら復興するのだろうか。八首目…声を出すとうるさいと苦情が来るのだろうか?黙ったまま時折拍子木を鳴らし暗闇をゆく自警団はなんだか秘密めいた感じがする。九首目と十首目はディズニーランドのこと。シーにはダッフィというクマのキャラクターがいて、土産物屋では居並ぶダッフィを吟味しマイダッフィを選ぶという。そしてディズニーランドやシーに行く時はその子を連れて行くのが「通」らしい。着せ替えのお洋服も売られていて万単位の値段がついていたりする。私が見たのは中年のおじさんが大きさが違うダッフィを4匹?も抱えていた。うちの弟は肩車して歩いたりするらしい(馬鹿だなぁ)で、十首目は「通」のお友達に聞いたのだが、子どもがシンデレラやミニーちゃんのコスプレをするのは許されるが大人はダメだという。びっくりしたので歌にしてみた。 8月号が今日届いたが、やはり3首しか掲載されてなかった
2013年07月13日
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いろんな趣味に精を出している私だが...そのひとつにフラワーアレンジがある。ヨーロピアンフラワーデザイン連盟というところの教室で、とりあえず生花の方は先生になれる資格も持っている。生花の他にプリザーブドフラワーという、生花を一度脱色して特殊な液に漬け(なので自然界にない色にも染められる)本物の手ざわりは残したまま...という花のアレンジもしている。これに使うのがワイヤー...太さがいろいろあって細いものはピアノ線くらいな感じ。なのでとても折れやすい。最初に先生になれる資格もあると言ったが、これはその連盟でしか通用しない。資格を取るには受験料もいるし、一発で合格できるわけでもない。まあ、商売上手なのだろうけど、基本の花器の他にもおしゃれな花器も販売しているし(腕前が上がってくると基本の花器では満足できなくなってくる)もちろんワイヤーケースも販売している。それがこれ↓ 筒状になっている。だけどこれだと入れるときに入り口に引っ掛かり折れてしまうことも多い。なんのためのケースかわからない。そこでこんなのを作ってみた↓ 閉じるとこんな感じ↓ 裂織の布が余っていたから作ってみた。中の布は男物の襦袢の古着で川越の骨董市で1000円で買ったもの。ずいぶんあちこちのバッグなどの裏地に使わせてもらった掘り出し物。ま、ちょっと布の強度が足りなくて頼りない感じだがいい出来!最近、フラワーアレンジの方はちょっとなまけ気味なので、これでがんばらなきゃ。
2013年07月03日
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昨日、今日と東京都立産業貿易センター台東館で行われていた「全国裂織フェスタ2013」が終了した。なんとなく嫌な予感はしていたのだが、やはりお客さんが少ない。隣のイベントスペースでは下着のセールが行われており、下の階では旅行用品の老舗のセールや靴の安売りが行われていて大盛況!エレベーターも行列ができたいた。私たちは7階だったのだが、その満員のエレベーターも7階に着くころには人もいなくなって…いてもお隣のイベントスペースに流れ込んで行く…厳しい。スタッフばかりが目立って、お互いのお店を覗き買い合っている感じ。だいたい下着のセールに来た人が「あら、面白そう~」と思っても入場料が500円。しかも閑散としているので入るのを戸惑うのは当たり前。せめて入場料無料にしてほしい…開場前だが開場してもこんな感じ。こんなにたくさんの作品を持って行ったのに…そもそも、裂織というマイナーな展示販売に来るのは、すでにやっている人ばかり。糸や布は売れて行くけど、私たちのように作品になっているものはその技術を盗まれるばかり。今回も、余り布でブックカバーや小物入れを作っていったので「ああ、こういう風に利用すればいいのね」としみじみ眺めて去っていく人ばかり。ま、仕方ないですね。来年はコンクールなので、なにか大きな作品を作れれば…と思っています。
2013年06月29日
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全国裂織フェスタ2013 ○2013年 6月28日(金) 29日(土) ○東京都立産業貿易センター台東館 7階北 〒111-0033 東京都台東区花川戸2-6-5 ○午前10:00~午後4:30 ○入場料 500円 (会員は無料) 私の通っている「手作り工房山ぶどう」が↑で展示販売します。織りのさまざまな講習もありますので、ぜひお立ち寄りください。詳しくは…全国裂織協会のHPをご覧ください~
2013年06月25日
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さて、旅の二日目...温泉の効果もなく、朝起きたら左目は開かない。右目もしょぼしょぼ。しかも痛いし...風邪も悪化してる気が...それでもとにかく朝ごはん! 質素なおかずだけど、コメが美味いから...ということらしいが、コメは美味いのかもしれないけど炊き方がまずいんじゃないかと思う、ちょっとパサパサしていた。それでもやはり日本の朝ごはんはこうでなくちゃ。出発したが私はやはり調子が悪くて、車の中でもうとうと。しかも目はぼんやりかすんだままだし。あんまりわがままは言わない方だけど、だんなにお願いして6時には地元に帰って眼科に行くことにした。それでも途中、だんなの好きな田園風景を満喫し... 有名な棚田。 その後高速をひたすら走り、横川のSAで釜めしをGETして帰った。5時には地元に帰り、私は眼科の前で車を降りて...やはり、結膜炎だそうで薬をもらって帰って来た。温泉はよかったが今回の旅は疲れた~
2013年06月19日
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実は水曜日あたりから風邪っぽくて病院から風邪薬などもらって飲んでいたのだが...新潟への旅を強行!家を出発し、まずは赤城高原SAで昼食...前にはいなかったはずの「ブー次郎」なるキャラクターがいて(豚ですね)これが売り物なのかブー次郎チャーシューが乗っかったラーメンとかあり、これを食べた...しかし豚のキャラクターでチャーシューとは...その後、長い長い関越トンネルを抜けて湯沢インターで降りる。懐かしい湯沢。透析になる前の若かりし頃、愛車「カローラレビン」で何度も訪れたスキー場たち~楽しかったなぁ~実は赤城高原SAから運転していたのは私。その後険しい山道を緊張しながら走ること2時間弱...だんなが来たいといっていた「秋山郷」に到着。と言ったって、世界遺産と比べてはなりません。しかもここは群馬県! ただの田舎っす。 ヘビも... 「蛇淵の滝」で蛇とだんなは喜んでいたけど...ここまで下ってきて帰りは上り坂で死にかけた。ただの田舎を満喫してからお宿に。今夜のお宿は新潟県は松之山温泉「ひなの宿 ちとせ」お風呂は 真っ暗だけど露天風呂↑と大浴場、部屋にも露天風呂がついていた。夕飯は山菜三昧。といっても私の苦手な「きのこ」類は少なくてよかった。 ニシンと山菜の煮物とそばがき。右上は他のお部屋のものが間違って来てしまったもの。だけど箸をつけちゃったのでそのままいただきました。 お肉も...半分しか食べられずだんなにあげてしまった。でも、全体に量が少なく食べやすかった。普段、山菜なんて食べないだんなもモリモリ食べていたし。で、お部屋に帰ってマッサージ。気合いの入ったおばさんで乱暴に転がされながら揉まれた...実は旅館に到着して最初のお風呂に入ったころから左目から目やにが。もしや結膜炎?と怯えつつも、なんだか温泉で洗うとよくなった気がして寝る前にも洗った。さて、温泉は効いたのか...
2013年06月16日
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真面目にブログを更新しなきゃ…と思っているのに、風邪を引いた。こういうとき2日に一度透析のついでに病院で診察を受けられるというのはいいのかもしれないが、出される薬はいつも同じ。ということで今日は一日寝ていた。週末は新潟に旅行に行く予定…治さなくちゃ。体調が悪いと、歌も浮かばない…
2013年06月14日
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私の今や生活のかなりの部分を占めている「手作り工房山ぶどう」での創作(偉そうですが)。最初の出会いは今から13~14年前のこと。新聞販売店を営む我が家…地域のミニコミ紙に「販売店の従業員さんが見つけたお店」的コーナーがあり、うちのだんなが開店したばかりの「山ぶどう」を取材に行ったことから始まった。その時、取材のお礼として先生だんなにくれたのが ↓ この子すっかり色あせちゃって…窓辺に置いておいたから日に焼けて頭からは綿が…かわいいべストも着ていたんだけど破けてしまって…とにかくこの子に一目ぼれ(かわいくはないんだけど)ちょうどそのころ透析導入になったばかりで、今までは朝4時に起きて従業員さんの賄い料理を作ることから、集金、事務、夕方にはまたまた賄い料理作り…とフルに働いていたのになんにもできなくなって。かといって導入直後はあまり活動的にはなれなくて。そんなところにこの子に出合い、お教室も開いていると聞かされ、これなら病気の体でもできそうだということで先生のところに押しかけ弟子として通うことになった。いつかこの子を作ろう…と思いつつ、次から次へと魅力的な作品たちに出合ったりアイデアが浮かんだりで、なかなかたどり着けなかった。そしてついに原点に還り作ってみた。後ろ姿もなかなか。やっぱりかわいい~さて、原点に還ったといってもこれで終わりではなく、まだまだ私の「手作り工房山ぶどう」通いは続くので、作品をお楽しみに…
2013年06月06日
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ブログの更新もなまけて、こんなものを作っていた。幼なじみがだんな様の単身赴任先であるアメリカに子供を連れて移住することになった。まあ、いつかは帰ってくるだろうし一時帰国もするかもしれないが、今でもなかなか会えないのにいよいよ会えなくなってしまうかも…何かお餞別を…と思い浮かんだのがこれ↑向こうの人は和物が好き…という勝手な思い込みで作ったキーホルダー。彼女があちらでお知り合いになった方へのプレゼントとして使ってもらえればと10個も作った。紐の配色は全部変えてある。もちろん紐も手作り。すべて着物地。とにかく、生地を選び出すだけでも大変。押し入れの4分の1を占めている手芸物の中から生地を発掘(?)するところから始まるのだから(笑)組み立てるのは2日ほどでできるがそこのたどり着くまで1週間。仕事ではないから一日せいぜい2時間くらいしかできないのだけど。さて、果たしてこんなものを喜んでくれるのかどうか。ちょっと心配。
2013年06月04日
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機械にて生かされし者元旦の今日も透析受けに家出る制限を守れぬことも許される元旦初日今日の透析元旦の朝刊配り終えし人振る舞う酒を一気に飲み干すお年始に行けばカジキの胃袋を勧める叔母よ漁師なまりで夫宛のものを追いこし増えてゆく私宛の年賀ハガキは文面と合わぬ絵文字を貼りつける夫のメールに戸惑っており霧示す絵文字を気分が「もやもや」とした時使う夫のセンス雪降れば喜々と雪かきした夫も今は社員に任せ指図す原因のわからぬ悪寒は吾が体疲れの度合い計るものさし心電図見ながら左右に首を振る医師に私の心も揺れるなんと2ヵ月ぶりの更新となります。けっして、体調不良とか入院していたわけではありません。コスモスの詠草も休まずに送ってましたし、しばらくお休みしてたメール歌会も復活してます。しかし、趣味の比重が短歌よりも手芸の方が重くなっていること、透析仲間たちがこのごろ一段と衰えている姿を見て、私も動けるうちに動かなきゃ…とお誘いは断らず出歩いていることもありなかなか更新できません。このままこのブログは止めちゃおうかな…と思ったのですが。実は昨日、半年ぶりに訪れた透析患者さんのブログで、本人が亡くなっていたことを知りショックを受けました。彼の後を継いで、同居人の方がぽつぽつとブログを綴っているのですが。同居人の方の書き込みがなければ彼の生死はわからなかったでしょう。ブログ仲間は悶々とする日々を送っていたかもしれません。私のブログも読んでくださる人がいるのだから、特に病気を抱えている私の場合、みなさん最悪なことも考えてしまうかもしれない…そんな思いはさせたくない。と思いました。これからは短歌だけではなく他もことでもぽつぽつ更新していきます。またまたよろしくお願いします。
2013年06月03日
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コスモスのお仲間で、ブログ仲間のnorikoさんからメールが届いた。詳細はnorikoさんの3月22日の日記(noriko5858)に書かれているのだが、「コスモス」の前身ともいえる「多磨」の第一歌集を古本屋さんで手に入れたそうで、そこに私の祖父の歌も載っているので…とわざわざスキャンして送ってくださったのだ。もちろんありがたく読ませていただいて、次に思ったのは「もしや祖母の歌もあるかも」だった。もともと祖母も多磨に所属してて、たぶん祖父ともそこで出会ったはず。なぜ、祖母が短歌をやめたかはわからないが、実は孫である私は祖母が短歌を詠んでいたことすら知らなかった。祖母が亡くなった時、葬儀にいらしたくださったコスモス茨城支部の、今は亡き君島誠氏が何首かピックアップしてくれたものをA4の用紙にまとめてきてくださったものを見てはじめて知ったくらい。残念ながらその紙が、実家を整理するときにさんざん探したのだが出てこなくて、どこかで祖母の歌を見てみたいと思っていたのだ。norikoさんにお願いして、祖母の旧姓「山崎」で探してもらったらやはりあった。これもご親切にスキャンして送ってきてくださった。春淺き土蔵の壁に寄りそひて繪本見る兒の影しづみつつ春いまだ寒き外苑の小砂利道常燈の灯が今つきにける踏切をこえて一筋の坂道なり白き日照りを香る木犀昨日(きぞ)よりはさびしと思ふ寒さなり朝の間を向ふ鏡澄みつつ飼ひなれて膝にのぼり来るこの猫の感情を我はあやまたず知れり祖父の詠む歌は犬ばかりなので犬好きの一家と思われがちだが、祖母は結婚する前は実家で猫を飼っていたらしい。祖母は実は「職業婦人」だったようで英文タイピストをしていたという。外苑はそんな仕事帰りに通った場所なのかもしれない。ちなみに祖母は戸籍上は「隆」という名だったらしいが、気にいらないらしく(当たり前か、男の子みたいな名前だし)最後まで「隆子」で通していた。こうして、祖母の歌に触れることができて本当にうれしい…この場を借りてコスモスのお仲間、佐藤紀子さんにお礼を言いたい。ありがとうございます。
2013年03月31日
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十五年生きる老猫六キロの体をわれに預けて眠る→詠草では「行きし」 老猫の呼気静かな時胸に手を当てて鼓動を確かめてみる親ばかか我が家の猫が一番と密かに思う猫カフェの中老犬と同じくらいに年をとる老婆はゆっくり引き綱を引く飼い主に軽々抱かれ病院のソファーにいる犬白濁した目よ頑なに手術の付き添い拒む父近くて遠い百キロの距離終電で帰れば夫は高いびき起こさぬように化粧を落とす慣れぬ酒飲めば夫は頭皮まで紅に染め呂律回らず総選挙行なわれし日はチャンネルを次々と変え夜は更けゆく次々と患者呼ばれて待合にひとり残りぬ迷子のように→詠草では「残され」3月号は出来過ぎの6首掲載。久々のことに舞い上がってしまった。1首から3首目はうちの猫のこと。ときどき死んだように動かないことがあり、思わずゆすってしまうこともある。もう15歳だし覚悟はしなくてはならないけど、やはりまだまだ長生きしてほしい。4首と5首…そんな我が家の老猫も病院通いが多くなった。行くとよぼよぼのお年寄りがやはりよぼよぼの犬を連れてきている。一目で白内障とわかる犬が多い。6首目は去年の暮、父が腎臓結石の手術をした時のこと。心臓の時はさすがに心細かったらしいが、石ぐらいなんでもないから来なくていいと言われてしまった。まあ、まま母様も付いていることだし無理行くわけにもいかなかったがちょっぴりさびしかった。7首目はジャイアンツファンのお仲間と飲んだ時のこと。いつも行くネイルサロンのオーナーに飲み会の話をしたらおだてられて、ついついお金を払ってフルメイクしてもらってしまったのだ。だんなに見られたら嫌味の一つも言われそうだったが、寝ていてくれてたのでそそくさと化粧を落とした(笑)8首目、だんはな飲むとすぐに赤くなる…頭皮というのはようするに「はげている」という意味も込めたのだがわかってくれただろうか。10首目。私の通う神経内科はそれこそアルツハイマーとかパーキンソン病とか神経に係わる病気がメインなので診察時間も長い。待たされるのはわかっているが持ち合い室に2人とか3人になってくるとなんだか待たされて疲れているのか泣きたくなるのだ…ということでたまには特選欄にも選ばれないとやる気ダウンが激しい私。これでしばらく頑張れそう。
2013年03月24日
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今日は大学病院だった。病院は御茶ノ水にあるので、桜も満開だし見られるかな...と思って駅を降りたんだけどなんだか勘違いしていたようで、病院に近いお茶の水橋の方には桜はなかった...たぶん聖橋の方にあったんだと思う。がっかりしながら病院へ。今日は腎臓内科と耳鼻科。腎臓内科は世間話をしに行くだけなので、今回も透析病院での血液データーを持っていって診てもらうだけ...と、今回はなかなか治らない円形脱毛症の話をして皮膚科を紹介してもらった。この先生は、私と弟の症例を学会で発表した(つまりいつも病院のモルモットと言っているのはこのため)ので覚えもよく、今回も「弟さんとは症状の出方が違うんだよね」と言っていた(前回も同じこと言っていたけど)ま、先生の記憶に刻まれていた方がいざというとき、少しはいいことがあるかも。診察が終わるとランチ~病院の16階にあるレストラン。ホテルオークラの系列だから、値段は高い(しかもおまり美味しくない)それでもここが好きなのは景色がいいから。バカとなんとかは高いところが好きと言うけど...で、今日は久々に窓際の席。 スカイツリーが真正面(実際はもっと大きい)癒された。午後は耳鼻科...最初の担当の先生は優しくてかっこよくてG選手の小笠原に似てて...毎回おしゃれして会いに行っていたんだけど、今の先生はどうもいまいち。診察と同時に補聴器の業者さんにも補聴器の点検をしてもらうんだけど、私の好きなかわいいお兄ちゃんではなく、ひそかに「ゴリラ」と呼んでいるおじさんだったし...そうです、私の通院なんてこの程度のもの。治療法も予防もできない病気だし、そんな楽しみでもなければ通院も続かない!で、満開の桜がどうしても見たかったので、弟にメールして聞いたら「千鳥ヶ淵はどう?」と言われて行ってみた。混んでるかも...という話だったが、人は少なく桜は満開。 もういっちょ! ここでも幸せな気分になった。平日の昼間の千鳥ヶ淵はおすすめです。
2013年03月22日
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伊香保の旅 二日目旅館は朝ごはんも豪華 宿を出てとりあえず昨日の石段へ行き、喫茶店に入る。だんなお目当ての甘味処は開いていなかったので、別のお店に入ったがなかなかレトロな雰囲気でい感じ。お店の2階には私好みの小物類が販売されていてうろうろ。今日は、特に行くところもなく、近くのワイナリーでワインを買い、季節はずれで裸の木しかない「あしかがフラワーパーク」(ここは藤が有名)を冷やかし... ↑(正面の花壇はきれいだったフラワーパーク)最後は、佐野アウトレットパークへところが18日はものすごい強風だったんですね。おかげで目は痛いし、私なんか軽いから飛ばされそうだし。早々に引き揚げてきた。帰ってきたら、鬼の居ぬ間にとだらけていた従業員さんたちがびっくり(笑)それでも温泉三昧の旅行で楽しかった~
2013年03月18日
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ちっともブログを更新していないが元気!しばらく友達の病院の付添とか、家猫のドンの手術とかあって心が落ち着かないまま…短歌もメール歌会とコスモスの茨城支部の通信歌会(郵送で行うもの)をすっ飛ばしてしまった…なのにまたまた~ 今日から1泊で伊香保へ温泉旅行に...少し遅めに家を出て、まず目指すは「赤城クローネンベルグ牧場」何度か行ったことがあるのだが、こじんまりとした施設でなんにもないって言えばなんにもない(笑)子供向けのゴーカートとかゲームセンターとかあり、ドッグランがあるから愛犬家の方にはおすすめ。で、私とだんなの目的は「餌やり」ここにいる羊やラマに餌をやるのだ。だんなは奈良で鹿せんべいだけでは鹿がかわいそうだとわざわざ八百屋で小松菜を購入して鹿にあげ、松島ではかもめにえびせんを何袋も買ってあげたし。餌やり命!あいにく、羊たちは牧羊犬の羊追いショーの真っただ中...しばらくラマに餌をやってショーが終わるのを待ち、お腹をすかせて戻ってきた羊に餌やり...だんなは大満足! 途中、休憩で寄った道の駅でもポニーに人参をあげてた。その後、伊香保温泉に行き、宿にチェックインするとさっそくお風呂へ...伊香保のお湯はぬるめの茶褐色のお湯でなんだか効能がありそう。風呂上がりには、浴衣に丹前に自前のショールといういで立ちで有名な石段に...我ながらちょっと大正浪漫、夢二の世界だな...なんて思ったりして(モデルが悪すぎるが) お料理は「赤城牛」のすき焼きがメインで、リンゴのグラタンがなかなかイケていた。 お風呂は朝まで5回入り、すっかりぽかぽか。だんなはマッサージを受けていたけど、私はパス。のんびりテレビを見たりしてくつろぐ...何しろお宿の部屋は我が家より広い。しかも洗面所とか広縁とか床暖房!もう極楽極楽。床暖房いいなぁ...
2013年03月17日
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今日は(あ、もう昨日だ)はじめてひとりで映画を観てきた。もともとテレビドラマの時から好きだった「ストロベリーナイト」だんなは邦画はあまり好きでなく、洋画のアクション系が好き…と言っても出不精なので結婚してから映画なんて数えるほどしか行ったことがない。なので、だんなと一緒に映画を観ることはあきらめていた…かといってひとりで観に行くのはなんとなく心細く。それでも今回は「観たい!」という気持ちの方が勝って行くことにした。耳が悪い私は洋画はいいのだ、字幕があるから。だが邦画は…以前友達が、私のためにわざわざ字幕付きで上映している映画館を調べてくれて、お台場まで「ハウルの動く城」を見に行ったことがある。でも、その後別の友だちとみた「アマルフィ」は字幕なしで観れたし…聞きとれるかどうか微妙なところ。悩んだのだが、テレビの時も字幕付きでないとセリフがわからなかったこともあり、近くの映画館で一週間限定で字幕つきを上映することがわかったのでチャレンジ!内容はネタばれになってしまうからいえないけど、イケメン好きの私…西島秀俊や大沢たかおの顔もだけど役柄の「いい男」ぶりにドキドキしながら観てしまった。さあ、これでひとり映画も大丈夫になった。次は「コドモ警察」かな。
2013年02月22日
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好奇心強き歌人は柵越えて寺の奥へとずんずん進む 花の無き秋の万葉植物園「うまら」「つちはり」想像できずそれぞれの携帯・デジカメかざし撮る歌碑の側ら柊の木を国分寺復元模型の中に人探してはしゃぐ歌の仲間と吟行の疲れも心地よき夜は三十一文字に包まれ眠る降る落ち葉追う歌仲間の姿見て老いた歌人らみな手を伸ばすへべれけで電話してくる父親のわけのわからぬ話は聞くだけ五十歳迎えまだまだ人生の折り返しという友よ生きよ留守番の夫への土産は不揃いの農家の柿よ網入りの柿「コスモス」の届く予定の日が過ぎてそわそわそわ*******************************************今回は11月18日の日記に書いた、国分寺方面への吟行の時の歌がメイン総勢10名での吟行は宮柊二の歌碑を見たり、万葉植物園を散策したり…歌碑のそばでは偶然に(というか誰かがわざわざ植えたのか?)柊の小さな木があり、それを見つけるとみなカメラやデジカメで盛んに写していた。万葉植物園は晩秋ということもあり、花を咲かせているものはあまりなく、ただでさえ想像しにくい「うまら」(この響きがなんともおかしい~聞くたびに馬の顔が浮かんでくる)なんて見てもただの草にしか見えないし。私が偶然目撃してしまったのだが、この万葉植物園で「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板の奥に何があるのか見に入っていくお仲間がいて…ダメじゃん!と思いつつもその好奇心に驚かされたり。だんなへのお土産の歌も、この時のもの。観光地でもないのでお土産なんてないなぁ…と思っていたら一軒のかなり大きな農家で柿が懐かしい赤い色のネットに入れられて売られていたのでお土産にした。採られた歌は三首だったけど、でも他の歌からこの楽しかった一日の様子を想像していただければありがたい。
2013年02月19日
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「お試し」の補聴器つける弟よ私と同じ苦の道行くか お互いの口元見つめ会話するわれと弟難聴なれば(詠草では難聴を持つわれと弟)花芽まだある朝顔の蔓を切る大型台風来るという夜(詠草では花芽まだ持つ)腎臓も再生される日よ来るかノーベル賞のニュースに夢持つ心を病むわれの希望を打ち砕く世紀の誤報心筋移植ご主人の仕事は何と尋ねれば小声で答える「東電」だよとそれぞれの祭りが見ゆる十月のコスモス誌の中みなの読む歌駅前でドナーカードを手渡せば登録したよと笑む人のあり(詠草では笑む人のいて)病持つ体に鞭打ち駅前で今年も配るドナーカードを麻雀に行く夫の持つ鞄には必勝お守り三つも下がれり(詠草では下がる)**********************************************4首すべて添削が入っていたが1月号も4首。一首目と二首目…弟と私は同じ遺伝子の病。症状の出方は弟の方が比較的緩やかだったが、とうとう耳の方は補聴器に頼らなくてはならなくなった。先生はまだ大丈夫だと言っているようだが、本人は限界を感じているようで…しかし、まだまだ弟はいい方で、これからだんだん聴力が落ちれば私と同じような思いをするのだろう。かわいそうだが仕方がない。三首目は今年の猛暑で朝顔が咲きはじめたのは9月に入ってから。今までの分を取り戻すように咲いていたのだが…台風が来るというので鉢を倒そうにもあまりに茂って、しかも網戸に蔓が絡まって。泣く泣く切ってしまった。四首目と五首目…もちろん腎臓が再生されるなんてできるかもしれないが、少なくとも私が(私もすでに透析13年)行きているうちは無理無理。それでも「もしかしたら…」と夢を見るくらいならいいだろう。しかし、その夢を砕いたあの偽物!許さない!短歌にはいろんな地方の風習や食べ物のことなどが詠まれている。特にお祭りはいろんな呼び方や神様がいて、全国に会員がいるコスモスならではの面白さがある。10月は移植促進月間。埼玉県では毎年最初の日曜日に主要駅でドナーカードを配る。比較的活動が自由にできる腎臓病の患者さんがドナーカード配りに駆り出される。といっても最近はカードはなくて啓発パンフレットとボールペンだったりする。それはインターネットや保険証、免許証で意思表示ができるから。受け取ってくれない人もいるが、歌に詠んだような人が一人いるだけで苦労のし甲斐があるというもの。だんなのお守りだが…誰かに「お守りをたくさん下げていると神様同士が喧嘩してご利益が減るよ」と言われて、最近は一つになっている(笑)
2013年02月19日
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停電に透析中のわれの血が機械の中でどす黒くなる 停電にわれの命を守るため透析機械手回しする技士夕立も夜の涼しき風もなく朝顔咲かず蔓伸びるのみこの夏はにがうりさえも暑さゆえ小さき実のまま色づき爆ぜる火傷した腕を見せれば見慣れない「紫雲膏」なる薬を買わされ紫の色と微妙なその臭い効き目ありそう「紫雲膏」よ腰痛め家具を伝い歩くわれ家猫畏怖の目で見つめおり心病む友のメールの着信があれば全てを投げ出して見る「死ね」という声聞こえるという友のメールに返事書けず時過ぐ母の墓参れど父はあっけなく疲れにじませ車へ戻る********************************************今月も4首。ちょっと好調(笑)一首目と二首目は、透析中落雷で停電した時のこと。もちろん自家発電はありすぐに切り替わったのに、たまたま血圧を一斉に測っていたので透析の機械2台ほどの電力が足りずに私の機械は止まったまま。止まれば血液が循環しないんだからあっという間に機械の中でどす黒くなる。血液の流れる回路は透明なので自分で見えるのだ…こうなるとポンプの部分の取っ手をグルグルと手回しするしかない。10分ほどで回復したがちょっと怖かった。三首目と四首目は、この夏の暑さのせいかおかしくなってしまった朝顔とゴーヤのこと。五首目から七首目までは火傷したり、ぎっくり腰になった歌。特に火傷はたかが「茄子の味噌炒め」を作ろうとしてなったもので不注意としか言いようがない。それでも全治3週間くらいかかった。八首目と九首目は、前にも何度か歌に詠んだことがあるのだが(一度も採られていない)私の透析仲間(今は移植して体の方はばっちり健康な)のこと。会うことはほとんどないが、あまりお友達もいないようで毎日10通前後のメールが来る。最近は少しよくなったがこの半年ほどはとにかく幻聴が激しく、メールの内容もエスカレートするばかりだった。以前に詠んだ歌も同じような内容だったが、以前のものより彼女自体の状態が悪く、歌も切羽詰まったものだったから選者の方の目に触れたのかもしれない。と、ここまで一気に9月号から12月号のコスモス掲載&非掲載短歌をUPしたがさすがに疲れた…残りは明日(あ、もう今日だ)にします。
2013年02月18日
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歯ブラシやティッシュ並べて巣作りす手慣れしものよ入院五度目 病棟のベッドにまどろみふと思う祖母の命日墓参りのこと病棟の静けさの中とりとめもなくわく歌をつぎつぎメモす目の前の学校今日はお休みか子らの声せず病棟静か様々な色ある子等のランドセルそれでも目立つ赤色黒色外遊び危険と行かせぬ四歳児過保護と思う子の無きわれは目の前をトラック行きかう家に住むてっちゃん一人でミニカー遊び金か銀獲れるとわかる試合なら心おきなく堪能できる敗れればメダルを獲れぬ準決勝直視できずに目を手で覆う針跡の小さき穴よりいつまでもジワジワ洩れる血 心もじわじわ**********************************************11月号はなんとか四首掲載一首目から四首目は、大腸ポリープ検査で入院した時の歌。そもそもこんな検査は入院しないで日帰りなので(病院の金儲けのために入院させられたと思っている)あまりにも暇。なので歌だけは浮かぶ。しかし、やっぱり私の詠む病気や入院の歌は採られる確率が高い。あまり人様が体験しないので珍しい歌材なのか…かといって歌のために入院はできないが。六首目と七首目はいつも通っている「手作り工房山ぶどう」の先生のひ孫さんのこと。もう4歳なのだが幼稚園から帰るとどこにも行かないで家で絵を描いたりミニカーで遊んだり。ちょっと年上の子が遊びに誘いに来ても、風邪をひいてるからとか言って外に出さない。先生が言うにはいくら大きな子だからって子どもだけで遊ばせられない…そうだ。今の子どもはみんなそうなのだろうか。八首目…「堪能できる」が詠草では「堪能をする」だった。とにかくオリンピックでは決勝は安心して見られるのだ。まあお家芸と言われ絶対に「金」以外はメダルじゃないようなレスリングや柔道は別だが…十首目。透析の針は、普通の針と違って太い!布団針くらいはある。なのでいつまでも血がにじむ。まあ、たまには噴水のように噴き出すこともあるが、それならそれで気持ちがいいものだが、じわじわはどうにも気持ちが悪くて心もじわじわといやな感じが残るのだ。もしかして私だけ感じることなのかもしれないが。しかし、こうして「子の無きわれは」と子どもがいないことを散々詠んできたので、どうにも血はつながっていないけどいる「子」とか「孫」のことをいまさら歌に詠めなくなっている。
2013年02月18日
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病院の待合室で怒鳴る男われも二時間堪えて待ちおりマニュアルを見ながら観光案内しバスのガイドは入社一年台詞噛むたびに謝るバスガイド初々しさゆえ許してしまう教会のパイプオルガンの音聞けば自然と指がメロディー奏でる透析の機械なければ生きられぬ「脱原発」と声あげられず道路わき日本紫陽花咲く道を「帰還困難」バリケードあり窓口の機械にかければ一分で三億円の夢砕け散る初蝉の声かと見やれば新築の家のコンクリ削りし音よ独り立ちした子を探す母猫の切なき声が闇夜に響く子を探すこと諦めたか母猫は乳房見せつつ日陰で休む********************************************10月号もまた三首…一首目はよく考えれば、こんなことはよくあることで、もう一工夫が必要だったかも。二首目から四首目は会社の旅行の時の歌。この時のバスガイドさんがなんとも頼りないというか、まだ新人さんぽくて、マニュアルを見ながらしゃべり、間違えると謝る…ちょっとした間違いなら謝らなくてスルーしちゃえばわからないのに、たぶん真面目なんだろう。観光で寄ったステンドグラス館ではパイプオルガンの演奏があり、こう見えても小さい頃はピアノを習っていたので、音楽に合わせて指が動いてしまった。まさか指が覚えているとは思わずびっくりした。六首目は、福島原発近くの立ち入り禁止区域を示す巨大なバリケードを閉める映像をテレビで見たとき、きれいな紫陽花が咲いていたのがどうにもやりきれなくて読んだ歌。七首目…私はめんどくさいので宝くじの当たりは窓口で調べてもらう。今は機械にかければパラパラっとあっという間に当たりかはずれかわかる。しかもリアルタイムで窓口に金額も表示されるし…あっけないといえばあっけない。九首目と十首目はもううちに住みついて何度も子どもを産んでいる野良猫のこと。毎回、どこかで産んで少し大きくなるとうちに連れてきて子猫に餌を食べさせろと私たちに向かって鳴くズーズーしさ。最初はお母さんべったりの子猫たちも1匹、また1匹と独立して(この時点では親猫は子どもが減っているのにあまり気がつかないようだ)最後の2匹、1匹になると遊びに行っている子猫をしつこく呼ぶ。その声はなんともせつなく、聞いているとこっちまで涙が出そうになる。そして何日か経つとまるで何事もなかったかのようにいつも通り自分だけ餌を食べて、ちょっとうちの庭で休んで、またどこかに行く…野良猫とは不思議な生き物だ。自分的には六首目が気にいっている。
2013年02月18日
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いまさらながら去年のコスモス9月号の結果をUPしている。今夜は徹夜(大げさだなぁ)してでも一気に今年の2月号まで突っ走りたいと思う。********************************************** 彼岸より生還したる「あの時」を笑顔で語る一年経た父心臓を病んで煙草を止めた父むちむち太り出っ腹さする七十二歳の父が押しゆく乳母車乗る犬太郎十三歳よ実家へと行けば二匹の犬連れて父と散歩す多くは語らず総入れ歯せずにくしゃくしゃ笑う父その顔がもう「わが父」となり庭覆うアスファルト破り葉を伸ばすミントふふめばほんのり苦しいつやむかわからぬ眩暈に襲われて三十一文字の歌さえ詠めず節電に透析室も薄暗く患者われらも息ひそめ寝るカット中櫛落とすこと多くなり十余年われの髪を切る人宮柊二全集開けばそこここに祖父の書き込み付箋紙のあと************************************************9月は三首。一首目から五首目までは夏に実家に帰った時の歌。選ばれた二首目の「七十二歳の」が詠草では「七十二歳」と「の」が入っていなかった。父はとても痩せていて、身長170センチ近くあるのに50キロほどしかなかった。ひょろひょろして亡くなった母には「貫禄がないから出世できない」と言われていたくらい。それが今や60キロを超えて…母が生きていたらどう思っただろうか。八首目…去年の夏も節電で、午後の透析患者の針刺しが終わる2時半くらいになると透析室の電気が半分消される。薄暗いと本も読めないので患者は寝るかテレビを見るかしかないのだが、テレビも見ているうちにだんだん眠くなってしまい、ほとんどの患者さんが寝ている状態なる。九首目…私はあまり美容院とか変えない方なので同じところにずーっと通っている。通い始めたころからすでに「おばさん」だった美容師さん。最近はどうも櫛を落とす回数が多い。まあ、まだまだ手が震えるというほどではないようだが…余談だがだんなが通う床屋のおじいさんは本当に危ないようで、髭を剃ってもらうときには命の危険を感じるそうだ。十首目は、コスモスからの依頼で宮柊二先生のことを書くときに祖父の形見(というか亡くなってから勝手に持ってきたものだが)の宮柊二全集を開いた時のこと。この歌はなんとなく採って欲しかった気がする。
2013年02月18日
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昨日は透析のために行けなかったが、今日は展示会最終日...気合いを入れて行ってきた。行ってびっくり!先生のものがかなり売れていて、なんだか裂織と関係のない先生のお店にあった古布で作られたお人形や服が並べられていて、中には見慣れた私の作品もちらほら...私のものはあまり売れてなかったけど裂織のブックカバーも2点出ていた。実はブックカバーは7つ作ってあって、売れなければ売れないで使い道が別にあったのだが...うれしい悲鳴といったところ。しかも今日も1点出たし。私の展示会でのお仕事は「卓上機織り機」と「高機織り機」の講習がメイン。先生は初日からお客様のお相手で忙しくてとても教えるところまで手が届かないようで...織り機を眺めている人に「織ってみますか?」と声をかけるとたいていの人が「あなた織ってみてよ」という。なので仕方なく説明しながら織る...講師というよりデモンストレーター...ま、興味をもってくれてる人がたくさんいてうれしかったが。売り上げは...先生がたぶん諭吉さんが15人以上。私は諭吉さんひとり分にもならない感じ...それでもものすごい売り上げ。次があるかどうかはわからないが、先生はやる気満々、私も次があればまた頑張っちゃうと思う(笑) 織るだけ織って、仕立ては先生にお願いしたエプロン。2日間、これを着ていたが、お客様みなさんに「素敵」と褒められた...モデルがいいからか...(笑)
2013年02月03日
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今日から始まった、裂織作品展。今まで交通の便の悪い先生の教室兼店舗や市の観光産業センターというマイナーな施設と違い今回は駅前のイトーヨーカドーの上のギャラリー…普段から様々なイベントや展示も行われているので、ギャラリーの常連さんも多いところ。しかも今回は告知として、地方のミニコミ紙(もちろん読売新聞販売店の我が家なのでもちろん読売系)にも載せたので…写真のようにお客様が。今回の展示のために私が織ったのは写真の4本並んでいるうちの左側…グラデーションになるように織っているのだが、わかりますか?で、ここぞとばかりに自分の作品だけを集めたコーナー「一枚の織布からこんな作品ができます」なんていうのも作ってしまった。いや、目立とうとか売ろうとかそういう魂胆でなく、あくまでも「裂織」の楽しさを知ってもらうため(笑)で、今日は先生は何万と売り上げがあったようだが、私は900円の小物入れが1点出ただけだった(目立っても売れるかどうかは別)明日は透析があるので行かれないが、明後日は一日またまた販売。今日一日で、足が象のようになってしまったが…大丈夫だろうか?さて、私の品物はあとどれくらい売れるかな?
2013年02月01日
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告知です~実は今回、いままでにない大きさのギャラリーをお借りして、裂織の作品展を開催することに…不器用な私は、ここ2ヵ月ほどこのことで頭がいっぱい。やっと準備を終えてほっとしているところ。後はインフルエンザとノロウィルスに気をつけるだけ。開催要項は下記の通りです。日時:2月1日(金)~3日(日) 午前10時~午後6時場所:草加アコス6階 ギャラリー (イトーヨーカード6階) 埼玉県草加市高砂2-7-1※東武スカイツリーライン草加駅東口徒歩1分今回は三重県鈴鹿市の「裂織工房 さっこり」さんからも作品をお借りして展示。もちろん、販売も。お買いものがてら、ぜひいらしてください。卓上織り機、高機織り機の体験もできます。私は、金曜日と日曜日は一日中いる予定です。よろしく~
2013年01月28日
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昨年のコスモス誌掲載作品やメール歌会のことなど、怠け者なのでUPが追いついていないが…とりあえず12月の届いたコスモス1月号の「O先生賞」の結果から。残念ながら選者4名の先生方からの点は入らず、各先生が優秀作の他に佳作として選んだ30篇の中にかろうじて入っていた。勧誘の電話切れずにいるわれに夫は受話器を取り上げて切るまとめ髪ほつれてないか見せやれど夫は気のない返事を返す果物の制限のある私に夫はメロンを一匙寄こす重要なことさえメモの端に書く夫のためにゴミも取り置くほろ酔いの人が夜桜見たいなど言えば素直に車を走らす拾わずにいられなかったと夫が言う撥ねられ翼折れた小雀朝夕に鋸に薬を飲ませるを「ミッション」として夫婦でこなす丁寧に面棒使う耳掃除夫にはやらぬ飼い猫のため歌なんて作るのではなく湧くものとしたり顔する人憎々し夫の居ぬ夜は昼間の弁当の残りを温めごちそうとする 緊張を隠すか手術する前の夫は休まず喋り続ける予定より夫の手術長引けば父の声聞くために電話す夫の居ぬ十日間はいつもより濃厚な時家猫とおり再検査良性と知る帰り道饒舌になるわれら二人は風邪をひき味覚なくした大晦日雑煮の味見は夫にまかせる遊覧船の特等席はわれらだけはしゃぐ夫と写真撮り合う夫の居ぬ一人の夜はパソコンの動画サイトで古き歌聴く自営業職業とする夫ならば「夫婦の時間」持て余しおり怒り溜め寝室へ行く人追えず居間で深夜の映画眺める真夜中のわれら夫婦のいさかいを止めるは猫の「ニャー」と鳴く声二十年前に別れし息子へとプレゼント持ち会いに行く夫生き別れ離れ住む子とメールする夫の横顔ほほ笑み揺れて二十年ぶりに再会した息子兄貴に似てたと夫は不満げざわざわと泡立つ心持てあますメール読みつつ笑む夫を見て母親の遺影見ながら千の風吹いておくれと願う夜もあり泣き言をいくら愚痴ても同じ笑み写真の中より返すよ母は家離れ人居ぬ事務所で胸の内友へと吐き出すケイタイする夜胸の奥隠した秘密取り出してまた奥へしまう満月の夜透析を受ける私と還暦を過ぎし夫待つ「老病介護」エプロンは恥ずかしいよとバスタオル巻いて夫は洗いものする連作と言ってもテーマはあってもそれに沿っていれば何も同じ人物や事柄だけ詠めばいいというもではないのだが。どうも、技術がない私はテーマに沿って想像をふくらますことができず、今回のように「夫」ならばそればかりになってしまう。透析短歌はそれなりに評価はされたが…いつまでも同じ手法ではダメってことか。反省。
2013年01月09日
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あけましておめでとうございます~なんて、いまさらだけど。突然ですが、うちのだんなは再婚。前の奥さまのと間に息子さんと娘さんがいる。ずーっと交流がなかったのだけど、去年から交流が復活し、今日はその息子さん夫婦が子どもたちを連れてきた。私は会うのは初めて。小学4年生の女の子と2歳の男の子。それが決まったのが12月のはじめ~その日から家中あちこちを片づけ始め…いまさら狭い家の家具はどうしようもないので、とにかく見えるところやちょっとのぞけば見えるところの埃を取り(まったく見えないところはそのまま)夜中でも「あ、あそこ!」と思うと物を動かしお掃除。落ち着かないったらありゃしません。ということで、なんとか迎えられた今日。最初はお寿司の出前という話で、じゃあ煮物や茶わん蒸しでも作ろうか…ということだったのだけど、最終的にはピザの出前。そんなに食べるの?というくらい注文するだんな。だけど若い人ってすごい!思った以上に食べてくれた。お姉ちゃんの方は、ミカン缶が好きだということで食後に出したら大きな缶の半分以上を食べ、さらにイチゴを1パック、足りないから近くのスーパーまで走って行って買った1パックもほぼ完食。すさまじかった。おちびちゃんはずーっと寝ていたけど、起きてからはおちゃらけっぱなし。だんなと本気で「将来、お笑いか?」と話したくらい。で、帰り際…やっと懐いてくれた感じのお姉ちゃんが手を振りながら、「バイバイ~ばあば~」と…だんなが「じいじ」と呼ばれているので、私も「ばあば」なのだけど…ちと複雑な気持ちでした。また、遊びに来てくれるかな?というか、そうなるとこの部屋の状態をキープし続けなければ…できるかな?※この子たちを歌に詠みたいけど…血のつながりはなくても「孫」になるのか…散々歌で「子の無きわれ」などと詠んでいていきなり「孫」。びっくりですよね(笑)
2013年01月06日
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昨年の11月12月とほとんどブログを更新していませんでしたが、生きています。今年こそ真面目に更新しようと思っています。こんなグータラな私ですが、今年もよろしくお願いいたします。
2012年12月31日
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痛ましき交通事故の跡形も見せず祇園にネオン輝く 2点☆無残な事故のあと平然とネオンが輝いており、祇園であるだけに、なおさら強くつたわります。(2点) *************************************************歌会後のコメント☆事故の日もネオンは輝いていたのだろうか。他人の死の軽さを感じる。良い歌だと思ったが、四句の句割れがリズムを損なっているように感じた。☆祇園にネオン、も今では驚くことではないかもしれない。☆見せず-までとそれ以下の-二つのパートの繋がり方など幾分分かりにくい。☆たしかにそうだと思うが、日本中こういうことはあちこちにある。上のコメントを書かれた方は私の歌にではなく全体の歌に対してこんなコメントも…美味しいものを食べた、こんな前向きな工夫をした、といった内容の歌は、どこかに魅力のある物の見方(視点、解釈)や、表現の工夫がないと、取る気になりません。歌の魅力は、あたりまえでないところに存在しやすいのではないかと思います。京都祇園の暴走事故から一ヵ月しか経っていない時に京都を旅した。こんな歌を詠んでいる私でさえ、事故現場は興味本位で、しかも私以外の3人はすでにほろ酔いだったので「写真を撮ろうか」とか「白いものでも写ってるかも」だの不謹慎なことを言いながら通ったのだ…確かにこういうことは日本中どこにでもあることなのかもしれない。人の死が軽く扱われているとか、事件そのものになにか一言あるわけではない。ただ、思ったことを読んだだけなのだけど…事故現場で写真を撮ろうなんて言った(撮らなかったけど)ことへの後ろめたさからこんな歌ができたのかもしれない。
2012年11月24日
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あまりに下手で大きな声で言えないのだが...私には短歌という趣味がある。 で、短歌や俳句には「吟行」というものがあり、歌の題材を探しに名所・旧跡を訪ねて行ったりする。 私は埼玉に住んでいるので、短歌の会は埼玉支部というところになるのだが、 今回、この埼玉支部で東京は「国分寺」方面を散策する吟行が行われ参加してきた。 総勢、10名が西国分寺の駅に集まり出発!最初はタクシーでなんて話もあったが、歩きで...いや、みなさん50代から70代くらいなんだけどお元気だし健脚。とりあえず唯一の40代なのだけど、すでにこの時から「ああ、タクシー~」と音を上げていた。 私たちの大先生「宮柊二」の歌碑を見たり、万葉植物園を見たり...いや、歌人なんて好奇心の塊だから道端の花だって木だってなんだって歌の材料になるんですね。みんな立ち止まってはああでもないこうでもないとすぐに議論が始まる。 ときどき立ち止まってメモを取っている人がいて「ああ、歌ができたのかしら?」とうらやましくなり、なんにも浮ばず空ばっかり仰いでいる自分が情けなくなったり... しまいに歩けなくなって、お寺の階段に座り込んだり... 最後なんて駅のベンチでお仲間に席を譲られて、ズーズーしく座ってしまったり。 それでも、めったに会えない方々に会えてよかった。 たまにはこうしてそこそこ元気な姿を見せておかないと、歌ではやれ入院しただの動悸がするとか死にかけてるような歌ばかり詠んでいるので... 生存をアピールしないと(笑) 疲れて歌を詠むどころではないので、明日の朝、勝負をかけることにする。
2012年11月18日
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カラスらの鳴き声止まぬお昼時ふと胸よぎる地震のことが 1点☆たどたどしい詠みぶりだが、伝えたいことは分る。結句、これでは弱い。(1点) *********************************************メール歌会後のコメント↓☆沢山の烏が集まって鳴くのは不気味だが、結句がやや平凡ではないか。☆カラスは不吉な鳥と言われているので、地震の不安とはつき過ぎだと思う。カラス以外の鳥にしたら、どうか。☆これも付け合わせだが、下の句がいかがであろうか。歌会後の自作自解は↓ちょうど4年以内に大型の地震が来る確率が70%という発表があった直後のことです。テレビも新聞のこの事ばかりで小心者の私はびくびくしていました。ただの地震ではなく70%の確率...という数字を読み込めれば何におびえているのかをわかっていただけたのかもしれません。さらに自作自解の取りまとめをしているK氏のつぶやき☆ 結句が弱いというご指摘がいくつかありました。「こと」がそう感じさせるのではと思っています。自解にあるように「70パーセント」という具体を入れると説得力が出てきたのではと思いました。「パーセント」が長いので「七割の確率」ではいかがでしょうか。カラスの不気味さを下の句にあてるのはやや常套的かもしれませんが、確率という具体を下の句に入れることで対応できると思います。1点…確かに地震も平凡、烏も平凡、お昼時も平凡。みなさんの言われる通り結句が弱い…烏らの声が闇夜にこだましてわが胸をよぎる地震の確率7割が入らなかったけど…
2012年11月05日
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今年は宮柊二先生が産まれて百年になるそうで…コスモスの8月号で特集が組まれた。その中に「百人が読む宮柊二作品」というコーナーがあった。1 人生2 恋・愛3 社会・時代4 自然(植物・動物・その他)5 リズム・比喩・音喩の魅力6 固有名詞・数詞の魅力の6つのテーマに沿って、自分で選んだ一首について書くのだが…どうやって選んだ百人かわからないか、なぜか私にも原稿依頼が来た。私には三番目の社会・時代について。情けないことに、コスモスに入っていながら宮先生の作品は入会した時にいただいた何千とある歌の中から抜粋された一冊しか読んだことがない。それだってパラパラ…もしかしたらコスモスの人は私が小さいころから親しんできたと思っていたのかもしれないが…仕方ないので祖父の形見(祖父の持っていたたくさんの歌集は事情があってほとんど処分されていたので)である「宮柊二全集」を引っ張りだしてきた。しかしその厚さは10センチを超えていて…軽くパニックになってしまった。全部は読めない。ならば時代というならやはり、戦争中のことだろうということで「山西省」を中心に後は祖父がつけた付箋や○印の付いた歌をピックアップして読んでみた。最終的に見るかげもあらぬ部落の地下深く軍区供給所ありき兵器貯蔵庫ありき 『山西省』「山西省」は一兵士として中国の山奥で戦った歌人による、三十一文字という短い歌の中に戦争の嘘いつわりのない姿が詠まれている、貴重な戦争の記録とも言うべき歌集である。二十七歳で招集された柊二の所属する部隊が向かったのは中国山西省。部隊が戦ったのは八路軍と呼ばれる、中国共産党に協力的な遊撃軍で、村落すべてが敵であることも多い。ただでさえ険しく気候の変化の厳しい山岳地帯である山西省の地で、神出鬼没な彼らのゲリラ的戦法は日本軍を大いに苦しめた。そのため一見ただの部落と思える村も、制圧してみれば武器の供給基地と貯蔵庫であったということも度々あったのだろう...敵地で戦かった厳しい現実が、具体的な具体的な場面として伝わってくる。※緑字は削除されていた部分 赤字は追加されていた部分を選んでみた。他にもいい歌がたくさんあったのだが、小心者の私はあまりにメジャーな歌を選ぶと他の方と重なって自分の情けない批評が目立ってしまうかもしれないとちょっと姑息な考えで選んだ(笑)実はmixiのお仲間にはテーマとあっていないからと再度書きなおしの依頼が来たとかで、とりあえず私のものは、少しだけ直されていただけなのでこれはこれでよかったのだろうか?この原稿の依頼が来てから2ヵ月くらい、いつもこれが頭にあって胃が痛かった。
2012年10月24日
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