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Eさんはギターレッスンに来られてい60代の女性です。30を過ぎた娘さんと社会人1年生の息子さんがいらっしゃいます。初めてEさんの娘さんに会ったときこちらからあいさつするとにっこりしながらあいさつを返してくれて感じのいい人だなあと思いました。でも話しかけても返事が「ネ~(=はい)」だけで後が続かない..あれ?なんだかちょっと??と思っているとEさんが言いました。「娘はね、知的障がい2級なんです」そして「この子は産まれて数ヶ月のとき養子にもらった子なんですよ」と。障がいは生まれたときからだったのかEさんの家に来て数ヶ月後に入院するほどの高熱を出したのが原因なのかはわからないらしいのですが...それまで私の知っている韓国での養子縁組についての知識は以前書いたような(こちら)ものだったのにその当時は国内養子自体もそう多くなかったに違いないのに。そしてこの国はまだまだ障がいを持った人に対する認識、理解が低いという事実...こんな身近にこういう人がいたのだということに本当に驚きました。娘は胸を痛めて産んだ子、息子はお腹を痛めて産んだ子...息子さんには軍隊を除隊してから初めて実はお姉さんが養子であることを知らせたそうです。そしてお父さんとお母さんをとても尊敬する、自分は苦労をかけないように頑張るからとこの就職難の時期に大学卒業と同時に大企業に就職が決まりました。同じ頃、娘さんもキムチ工場に障がい者の枠で就職することができました。交通機関を使って通勤することはできないので、送り迎えをしてあげなければいけない。自分で自分のロッカーを探すのも難しい、仕事を覚えるのも時間がかかる、仕事がはかどらないからときどきは手伝いに行ってあげなければならない。でもシャワーから着替えからなんでもしてあげなければいけなかった娘が仕事を持つことができ自分でお給料を稼げるようになった。30年苦労してきたけれどこれほどうれしいことはないとEさんはとてもうれしがっていました。数日前のこと。Eさんは教会で運営している障がい者の施設に5年ほど前に話をしていたのですがそこから入所の審査を受けないかと電話がきました。これを断われば今度はいつ入れるかわかりません。Eさんの考えは自分は年をとるにつれ体もつらいし、これから先は長くないことを考えたら娘を前もって施設に入れ、ほかの人との生活に慣らしておきたい。娘は結婚もできないし、かといって息子に姉の世話まで任せるわけにはいかない。施設は家からも遠くないし会いたいときに会うこともできる。施設ではいろいろなプログラムもあるし、先を考えたら娘のためにもそのほうがいいと思う。嫁に出したと思って施設に入れたい、ということでした。でもEさんのご主人はなんてことを考えるんだ。自分たちの娘なのに自分たちが死ぬまで一緒にいて面倒を見るのが当然だ。と言って大反対したそうです。その話を聞いて正直少々気分のよくない感じを覚えたのは確かです。死ぬまで一緒にいるのが当然だと思ったし、果たして自分のお腹を痛めた子でも同じ選択をするだろうか?という点でです。でも親が先に逝ってしまうことを考えれば自分で決定することができない子なのだから親が後のことを考えてやっておかなければいけない、というのが親となった責任でしょう。私だったら?と考えましたが私にははっきりと答えをだすことはできません。自分のことではないですが数日間、なんだか心の重い日が続いています。
2011.11.29
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あちこちかけまわって忙しくしていたところ意外な場所で何年も会ってなかった人たちとうれしい再会をした。1人目はコンジュが幼稚園のときのハングルの先生。じーっと見つめられて「誰だ?」と思ってたら彼女。6,7年ぶりなのに覚えてくれていた。コンジュがお姉さんになってるのをみて驚いてた。今はもう先生はやめてホームステイの受け入れをやっているそうで自分の知り合いともつながっててびっくり。お酒好きなことが判明し^^次回食事(お酒?)をご一緒することを約束して電話番号の交換。2人目、以前いた日本語学院の生徒。4年ぶり。「先生!僕、覚えてますか?」と流暢な日本語で話しかけられびっくり。かなりマニアックな日本語学習者だった彼、(難読漢字の読み方を聞いてきたりして私を困らせていた)国際交流関連のボランティアをしているという。結婚して子供も生まれたという。また外国人の参加するような催し物があるときは知らせてくれるように頼んでおいた。3人目、ここに来た当初住んでいた家のお隣さん。とっちが赤ちゃんのとき、ときどき見てもらったりてんぷらを揚げたと言っては持ってきてくれたり引っ越した後もときどきごはんをごちそうになったり愚痴を聞いてもらいに行ったりしていた。電話で話したのも2年前くらいだし、会ったのは5,6年前が最後かな?演奏に行った先で客席から満面笑顔で大きく手を振っている人がいるなあと思ったら彼女。多文化家庭(外国人)対象に韓国語を教える先生をしているそうで全然思いもしないところでの偶然の再会に手をとりあって喜んだ。ふしぎを連れて今度遊びに行くことにした。このほかにもここ数ヶ月の間でfacebookやらmixiやらでなつかしい人たちとつながってびっくりうれしいの連続。一番のびっくりは27年前シンガポールにいたころ父の会社にいた現地スタッフから連絡が来たこと。中国系シンガポーリアンの彼女とは何回かうちに来たり彼女の家に行ったりしたことがあって、高校のときぐらいまでは年の近い彼女の妹と文通をしていたりしていた。名前を覚えていて、検索して探しあてたらしい。父に話すと「なんだか玉手箱だかタイムマシーンみたいな話だなあ」と言っていた。先日も在韓歴の長いフィリピン人の知り合いが言っていた。ここで知り合った人たちは自分の財産だよね、と。本当にそう。自分がここで作った人とのつながりは大事な財産だ。今、自分の携帯電話に入っている連絡先を全部失くしたとしたらきっと生きていけないだろう^^今まで出会ってきたたくさんの人との出会いに感謝!
2011.11.04
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