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2013/05/02
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カテゴリ: 櫻井秀勲の目
この5月4日は寺山修司の没後30年だ。どの時代にも早熟の天才が出現するのもだが、1935(S10)年生まれの寺山は、18際のとき早くも短歌で賞をとっている。後の「短歌研究新人賞」だが、20歳で処女戯曲「忘れた領分」が、早稲田の大隈講堂で上演された。

彼は私より4歳年下だったが、同じ文学の道を志した少年、青年時代において、早くもまぶしい存在だった。昔から同時代に1人の早熟の天才が出ると、その周りの人々の才能は枯れるといわれる。

そうやって書けなくなった人たちを、私は多く知っている。実際、私も太宰治、三島由紀夫、そしてこの寺山修司らの才能にたちすくんでしまい、編集者への道に転向していったのだが、のちに三島、寺山とは親しい間柄になっていったのだから、人生はわからない。

寺山修司は青森県弘前市の出身で、詩人、歌人、作家、劇作家などなど、言葉に関する仕事のすべてを網羅する天才だった。それでいて、ふだんは下駄ばきで東北弁を使う。劇団「天井桟敷」を主宰して、渋谷の小劇場「ジァンジァン」を根城にしていた。

私はよく遊びに行ったが、芝居がはねると喫茶店に入り、深夜までしゃべりつづけた。彼は1983(S58)年、47歳で死ぬのだが、そのしばらく前まで、つき合いはつづいた。

先日、たまたま井の頭線の浜田山に行く用事があり、そのついでに旧松本清張邸に回ってみた。すでに未亡人も亡くなっているので、訪れるわけにもいかなかったが、そのあと、寺山が最後に住んでいた永福に足を向けたが、ふと彼が亡くなって30年たったことを思い出し、なにやら、寺山の魂に呼び寄せられた気がした。





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最終更新日  2013/05/02 07:52:32 PM
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