本日はトレンクル(軽量折りたたみ自転車)を持って、近鉄大和西大寺駅から、あちらこちらに立ち寄りながら、近鉄大和郡山駅経由、矢田寺を訪ね、帰途は富雄川沿いを走り、霊山寺霊園の恩師の墓にお参りし、近鉄富雄駅まで、というコースを銀輪散歩して参りました。
道中日記を2~3回に分けてアップすることといたします。およろしければどうぞご一緒に銀輪でお供下さいませ(笑)。
先日、三菱東京UFJ銀行大阪営業部からハガキが届き、何やら小生の銀行口座があっていくばくかの預金残高があるとのこと。そのような口座を開設していたことなどすっかり失念していたので、勿論通帳もキャッシュカードも行方不明。照会すると解約手続きは何処の支店でも出来るということなので、自宅最寄りの同行の駅前の支店で解約手続きを済ませる。ちょっとした小遣いが舞い込んだ次第(笑)。銀行を出て駅改札でトレンクルを収納バッグに入れ、近鉄瓢箪山駅ホームへ。
ホームの喫煙コーナーで煙草を吸っていると、男性がやって来て彼も一服。自然に会話が始まる。彼は72才。ミナミの歌舞伎座ウラの通りでスナックを経営していたようだが、今は奥さんが取り仕切って居り、彼は引退して遊んでいるとのこと。図書館で本を借りて読むのが楽しみとかで、今日も手にしている紙袋には沢山の本が入っている。図書館からの帰りだという。彼は若い頃は極道だったらしい。左手の小指が欠損している。賭博場での何やらの失態で指を詰めたらしい。しかし、今は人の好さそうな感じにて、昔の「やんちゃ」の影は微塵もない。それにしてもよく喋る「おっさん」だ(笑)。途中の駅で彼が降りたので、小生は暫し読書。
(近鉄・大和西大寺駅)
西大寺駅に着いたら正午になっていたので、駅中のレストランでランチ。駅を出て、先ず西大寺へ。
(喫茶店)
西大寺東門前の喫茶店。ここは色んな紅茶を飲ませてくれる。昔、読書会の人達と入ったことがある。
(西大寺・石落神社)
西大寺境内の飛び地で、西大寺中興の祖、叡尊によって仁治3年(1242年)に、西大寺の鎮守社として祀られたのが始まりとのこと。本殿建物は室町時代中頃の築造と見られるが、建物正面に階段を設けず一面に床を張る、見世棚造になっている。
西大寺は東大寺に対する名称であるが、大仏で有名な東大寺ほどには知られていない。大茶盛のお寺と言えば「ああ、あの寺」という人も多いかも知れない。
この寺は孝謙天皇(聖武天皇の娘、藤原仲麻呂の乱の後に重祚して称徳天皇)の発願で建立された南都七大寺の一つである。真言律宗の総本山である。
(西大寺・本堂、右側の石積みは東塔跡)
本堂は重要文化財。文化5年(1808年)再建。本尊の釈迦如来立像(重要文化財)は建長元年(1249年)仏師善慶作。
(四王金堂)
延宝2年(1674年)再建。十一面観音立像(重文、平安時代後期の作)、四天王立像(重文)が安置されている。四天王像は、藤原仲麻呂の乱の平定を願って、孝謙上皇発願のものであるが、当時のまま残るのは足下の邪鬼のみで立像は後世作のもの。
(護摩堂)
(愛染堂)
宝暦12年(1762年)に京都御所の近衛公政所を移築したもの。愛染明王坐像(重文)、興正菩薩坐像(西大寺中興の祖、叡尊の肖像彫刻)を安置。
(鐘楼) (天武天皇夢見桜)
鐘楼は、奈良市指定文化財。幕末または明治初期に摂津の多田院から移築されたものとか。多田院は寛文年間(1661~73年)に再建されているから、その時にこの鐘楼も建立されたものと考えられている。
(寺山大師堂)
(境内の梅)
(孝謙天皇歌碑)
この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に
わが見し草は もみちたりけり
(万葉集巻19-4268 孝謙天皇)
(この里は霜が降り続くのでしょうか。私が夏に見た野の草がすっかり黄葉している。)
(百萬古柳)
謡曲「百萬」(世阿弥元清作)に出て来るお話。百萬という女性(女曲舞)が西大寺念仏会に詣でた際に古柳の付近で我が子とはぐれてしまい、八方手を尽して探すが見つからないで狂女となってしまう。しかし嵯峨清涼寺の大念仏会にて再会、仏の加護、法力に感謝して共に都に帰るという話。その古柳がこれであるとのこと。
(山門)
例に寄って、予想以上にアップに手間取りました。西大寺で本日は夜も更けてしまいました。続きはまた明日。おやすみなさいませ。
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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