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ルネッサンス時代にアゴステイーノ キジという銀行家がいた。法皇様たちに金を貸すくらいの金持ちだから、政治を動かす力があった人物である。シエナ出身だったので、同郷のバルダッサーレ ペルッツイという建築家、画家に設計させたのが、このお屋敷。場所は、トラステヴェレ、テヴェレ川に近い場所である。古くは古代ローマ時代のやはりヴィッラ、お屋敷があった場所だ。アゴステイーノ キジは一風変わった所があったらしい。高級娼婦と結婚したのである。当時としてはかなり珍しいことだったと言わねばならない。その結婚式がこのお屋敷とテヴェレ川で盛大に行われたという。2階の彼の寝室を見てほしい。そのあと、パウルス3世の孫になるアレッサンドロ ファルネーゼがここを買い取り、テヴェレ川向こうにあるファルネーゼ館とこのヴィッラをつなげようとした。それは結局実行には至らなかったのだが。このファルネーゼがヴィッラの内装などを完成させた。川向こうにある、現在はフランス大使館が入っているファルネーゼ館と区別をつけるためにファルネジーナとここは呼ばれる訳。現在は当時の庭などもかなり縮小されてしまったが、内部はほとんど見学できるので、一度ぜひ訪ねる価値はある。ヴィッラ ファルネジーナこれはロッジアと呼ばれる、開廊である。ラッファエッロの工房によるフレスコ画が美しい。テーマはローマ時代のアプレイウスが書いた「変身」から「アモーレ*キューピッド*とプシケ」。プシケはあまり美しかったのでヴィーナスの妬みを買ってしまったのだ。有名なのは、ここにあるラッファエッロのフレスコ画、「ガラテアの勝利」。ガラテアは、海のニンフである。詳しくはまたそのうち。
2012.01.31
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ミケランジェロの暗号著者:ベンジャミン・ブレック価格:3,150円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るこんな本を読んでいる。今年は、システイーナ礼拝堂の天井画完成500年で、ミケランジェロは必須課題なのだ。これを読むと、フィレンツエのメデイチ家で育った彼が、いかに教養豊かであったか、当時流行っていた人文主義を始めとして、ユダヤ文化*メデイチ家が保護していた*に長けていたかということが、分かる。システイーナ礼拝堂天井画は、システイーナ礼拝堂を作らせたシクストス4世同様、デッラ ロヴェレ家であったユリウス2世がミケランジェロに描かせたものであるが、デッラ ロヴェレ家とメデイチ家というのが敵のような仲。だから、メデイチ家に保護されていたルネッサンス時代の画家たちの法皇様に対抗するような暗号を壁画の中に見つけることができるという訳だ。もちろん、画家たちにとっては命が関わることなので法皇様にも解読できないようなレベルでの暗号な訳。美術ファンはもちろん、なぞなぞが好きな方にお奨め。
2012.01.30
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友人Cの古美術工房ではフレスコ画などを教えているが、今回は、細密画。さて、細密画は、ミニアチュールとも言われるが、イタリア語でminioと言う鉛丹が使われたことから来る。毒の強いミニオで書かれたのが、赤字の手写本になる。ウンベルト エコー原作の映画「バラの名前」を覚えている方は多いだろう。古くはエジプトでもパピルスに描かれていたものだ。印刷技術がなかった中世には、羊皮紙にこのミニアチュールで挿絵や絵文字を入れながら、赤字で書かれていったものなのだ。 1.手順としては、まず羊皮紙に図案を鉛筆で描く。昔は鉛の芯が鉛筆代わりに使われた。2.金箔を貼る部分にmordenteと呼ばれる接着剤をつける。3.金箔をナイフで切り取り、羊皮紙に貼り付け、余分な部分は綿で取り除く。4.色は濃い部分から塗っていく。色を作る場合に、粉の色を水で溶かし、そこに接着剤*アカシアの樹液*を加える。 5.羽ペンにインクで文字を加える。今回入れたのは、19世紀から20世紀にかけてのレバノン出身の詩人、ハリール ジブランの言葉。「l'eterno che ? in voi sa che la vita ? senza tempo」あなた方の中にある永遠は、人生は無時間だということを知っている。
2012.01.29
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先日からローマのサンタ マリア ソプラ ミネルヴァ教会について話しているが、締めくくる前に、この教会はローマで唯一のゴシック式教会であることを言っておこう。ゴシックは、時代的には12世紀から15世紀の中世美術に入る。特徴としては、尖ったアーチとリブ構造天井がある。ロマネスクの特徴であった、全円アーチから内部に光を入れようとして、天井が高く作られるようになる訳だ。現在見られるこの教会のゴシック式はバロック時代後に中世風に作り直されたものだ。祭壇奥のメデイチ家礼拝堂には、メデイチ家出身の法王クレメンス7世*1523~34システイーナ礼拝堂の最後の審判をミケランジェロに命じた法王*とレオ10世*1513~21ラッフェッロのスタンツエ一部であるボルゴの火災の間を彼の工房に描かせた法王*の記念碑*墓*があり、それはアントニオ ダ サンガッロ子作*彼はルネッサンス時代の建築家また戦闘関係の技師でもあった*になるものだということも記しておこう。追記:ミネルヴァ広場のベルニーニの象は、力のシンボルであるが、像の下に書かれているのが、「una robusta mente per sorreggere la solidasapienza」頑丈な精神には堅固な英知が宿る
2012.01.28
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ホロコーストは、イタリア語ではolocausto、神前に捧げる獣の丸焼き、生贄の意味がある。1月27日は、ナチスがアウシュヴィッツのユダヤ人収容所を開いた日であるという。そこで、昨日の夜からイタリアのテレビやラジオではこの悲劇を忘れることがないようにとドキュメンタリや映画、インタヴィユウなどがずっと流れている。ユダヤ人迫害の歴史は長い。カトリックでは、キリストの弟子だったユダの裏切りから始まるとも言われるが、もともと商売上手だったユダヤ人を迫害しようという民族蔑視があったことは間違いない。しかし、このユダヤ人は、ヨーロッパで大きな役割を果たしていたのだ。ユダヤ人は商売上手で、経済を動かす力をもっていたので、ユダヤ人迫害を行った国は大体経済が後退することになる。また、あまり知られていないことだが、彼らの背景にはユダヤ人文化という大きなバックグラウンドがあり、イタリアでもユダヤ人はユダヤ人地区に住まわされながらも、法王様たちの医者は実はユダヤ人が多かったという話を読んだ。幼少の頃はアンナ フランクの日記を読んで、とても悲しかったものだ。ロベルト ベニーニの映画「ライフ イズ ビウテイフル」を是非観て欲しい。本当にひどいことがあったものだと思う。イタリアからも沢山のユダヤ人たちが連れて行かれたのだ。もう2度とこんなことが起きないように。民族蔑視がなくなるように。
2012.01.27
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寒いですねえ。早朝は3,4度、日中でも10度を超すくらいの気温。晴れているので、気持ちはいいけど。モンテイ新首相が実施し始めようとしている、商業の自由化や値上げに対して、反対のデモやストが盛大に行われている。ガソリンスタンドのスト、TIRという大型トラックのスト、交通機関のストに薬屋のスト、それから先日話したタクシーのスト、学校のストまた、弁護士などもストだとか。TIR、大型トラックの役割は思ったよりも大きく、郵便物や、ガソリン、食料品にセメントなど、ほとんどのものがこれで運ばれるので、野菜や果物が南イタリアから輸送されないと困ってしまううえに、ガソリンが切れると車も使えなくなる。更にこの大型トラックが高速道路を占領しているために、道路も渋滞してしまうのだ。学校のストに関しては、前からひどいので、もう慣れているが、日本で先生たちのストというのを見たことがない私は、最初びっくりだった。日本では組合が会社に押さえられて、ストなどできないようになっているのかもしれない。こちらのようにばしばしストがあるのも結構困るものだ。全スト、終わってくれないかな。
2012.01.26
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サンタ マリア ソプラ ミネルヴァ教会には、ミケランジェロのキリスト像がある。ヴァチカンのサン ピエトロ寺院にあるピエタ像同様に、ぴかぴかに大理石が磨かれている。美術史の教授、ストリナーテイ氏に拠れば、ミケランジェロは彫るのが大変早かったが、そのあと磨くのにとても時間をかけていたという。このキリスト像は1521年に教会内に置かれたが、究極を極める彼は、最初に作ったキリスト像が気に食わず、新たに作ったのが、この作品であるという。本当はこれも気に入らなかったらしいが、注文主がこれでは作品を貰えずジマイに終わると心配してこれで妥協したらしい。当時、ミケランジェロは法王ユリウス2世のための広大な墓の設計および製作をしていて、かなり忙しかったのだ。その後、反宗教改革の動きの一部である、トレント宗教会議後、ヌードだったキリストに覆いがかけられることになる。キリストがもっている十字架は、彼がかけられるにしては小さく、シンボルとしてのものである。彼がもっているのは、棒に水とお酢を含ませた海綿であるが*マタイの福音書*、これは最後十字架にかけられた際キリストの口に水分を補給するために棒で海綿をつけたことを語っている。ミケランジェロはラッファエッロと共にマニエリズムの創始者として知られるが、確かにこの像も頭を棒や十字架と反対方向に向けて、くねった動きを出していると言えよう。
2012.01.25
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聖女カテリーナは私のもつ聖人辞典だけでも5人いるのだが、このサンタ カテリーナデイ シエナはイタリアの保護聖女となっているくらいイタリアでは重要な聖女である。さて、このシエナ出身の聖女カテリーナは、1300年代半ば、シエナの染物やの20人いた*25人とも言われる*兄弟姉妹の一番下に生まれた。両親の反対にかかわらず、幼少から祈りに暮れる毎日を過ごし、ドメニコ派修道院に入った。一度は修道院から出て、病院の患者を助ける仕事をしたあと、ドメニコ派やアゴステイニアヌス派のグループに加わって各地を回った。彼女の考えを「対話」や「手紙」で表現した。ただし、彼女は字が書けなかったために、口述した。最後は、アヴィニョンに移っていた法王庁とフィレンツエの和解に努め,最後は健康を損なって亡くなった。*シエナは当時フィレンツエの支配下だった*彼女のシンボルは、清純、純潔を示す百合の花。*聖人、聖女の数が多いので、シンボルを決めておかないと誰が誰か分からないのだ*彼女の聖遺物は、頭と手はシエナの聖ドメニコ教会に、後の部分は、ローマのサンタ マリア ソプラ ミネルヴァ教会に大事に納められている。ちなみに彼女の聖名祝日は、4月29日。流産、看護師、病人の守護聖人だそうである。
2012.01.24
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画家の生涯を知るのは、彼の作品を見る上で大事なことだ。フィリッポ リッピというフィレンツエの僧、兼、画家がいた。時代は1400年代初めのことである。彼のところにボッテイチェッリが修行に来るのだが、確かに画風はかなり似ている。この僧が恋をして、若い修道女ルクレツイアとの間に子供を作ってしまった。その子が、やはり画家になり、フィリッピーノリッピという。父のリッピが年取ってからの子供だったのでフィリピーノが小さいときに父は亡くなってしまい、フィリッピーノは父の弟子であったボッテイチェッリの所に修行に入る訳だ。ボッテイチェッリの工房で働きながら、彼が例えば法王に呼ばれて、システイーナ礼拝堂の壁画を描いていたときには手伝いをしている。そして、ボッテイチェッリを超えるくらいになる訳だが、画風はやはり似ている。これは、サンタ マリア ソプラ ミネルヴァ内のカラファ礼拝堂の天井画である。シヴィッラという4人の巫女が描かれている。これは祭壇画で、受胎告知。右に注文主のカラファ氏*ひざまずいている*と「神学大全」のトマス アクナス*ドメニコ派僧だった*が描かれている。
2012.01.23
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ローマのアルジェンテイーナ広場からパンテオンに向かう途中に、ミネルヴァ広場がある。教会は、サンタ マリア ソプラ ミネルヴァ。広場の真ん中にあるのが、「プルチンデッラ ミネルヴァ」といわれている。バロックの巨匠、ベルニーニ作の象である。プルチーノはひよこだが、もともとは「ポルチーノ」子豚と言われていたそうで、確かに、この象はころころしている。わたしは長生きする象ファンなのでこの彫刻も結構愛着があるが、それはともかく、象が背負っているのがエジプトから持ってこられたオベリスク。ローマには11本のオベリスクがあるがこれはその中で最も小さいものになる。この辺は古代ローマ時代、カンポ マルツイオと言われた地区になる。*もともとはマルス軍神に捧げられた祭壇があった場所からそういう名前がついたという*エジプトの神が流行ったために、イシス神を祭る神殿があった所だが、傍にミネルヴァ神殿もあったために、間違って「ミネルヴァ神殿の上にあるサンタ マリア教会」と命名されてしまったようだ。教会の歴史は大変古く、イシス神殿跡にギリシア人の僧院ができ、そこをドメニコ派修道会が再建したのが、1200年代終わりと言われる。興味深いのは、教会のファッサード右側にテヴェレ側の氾濫年が記されていること。内部は、カラファ礼拝堂のフレスコ画にミケランジェロの彫刻のほか、重要人物の埋葬場所となっていることで有名。*また後日改めて日記で紹介。*また、1633年にガリレオ ガリレイがこの教会付属の修道院で、異端審問のあとに彼の科学的な学説を放棄宣言したことはあまり知られていない。
2012.01.22
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映画監督のジュゼッペ トルナトーレはご存知の方が多いでしょう。シチリアのパレルモ郊外バゲリア出身で、シチリアを舞台にした映画ではきっと誰にも負けない監督と思います。「ニュウシネマパラダイス」や「みんな元気」、最新作では「シチリア、シチリア」と、日本でも彼の映画はほとんど出ています。この映画はイタリア現代作家アレッサンドロバリッコの「novecento」1900年という脚本をもとに作られたものです。1900年代初期の大西洋横断豪華客船で生まれ、ピアニストとして船内だけで生涯を送った男の話ですが、音楽もすごおく良かった。お奨めのひとつです。海の上のピアニストティム・ロス(Tim Roth)楽天ブックスで詳細を見る
2012.01.21
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先日、日本人のKさんと話していて、彼女のお父様がひとりでスペインに旅行していらしたときに、袋叩きのようなことにあって、お金は取られる、怪我をして何週間も入院されるという、大変なことがあったとお聞きした。私はというと、結構うっかりなので、最初にローマを訪ねたときに81番のバスのなかでかばんを切られて、お財布は大丈夫だったが、めがねとそのケース*母の手作りの革工芸だった*をやられた。上の子がベビーカーに入っている時代、ローマの繁華街のひとつであるナショナレ通りをぶらぶらしていて、ベビーカーに下げていたリュックのふたが開いていたらしく、子供がぎゃあぎゃあ泣いている際気をとられているうちに、お財布をとられた。お金はたいした金額ではなかったのだが、そこに、身分証明やら、運転免許証やら入っていたので、さっそく近くの警察で盗難届けを出し、再発行はしょうがないなと思っていた。そうそう、お財布も昔ホンコンでもらった馬毛の変わったものだったが。1ヵ月後、家に不思議な郵便物が届き、爆弾ではないだろうなとおそるおそる開けた所、何と、泥棒がかわいそうにと彼には要らない私の身分証明などを送ってくれたのであった。ときどき、本当に不思議な国と思うことがある。でも、泥棒の手口に感心ばかりはしていられない。大事なことは大金を持ち歩かない、脅されたら持っているお金は抵抗せずに上げてしまうこと。もちろん、混んでいる場所*地下鉄やバスを始め、トレビの泉も*では大注意。
2012.01.20
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モンテイ首相がさっそく経済復興のための政策のひとつとして、商業の自由化を進めている。これで弁護士を始めとする多くの専門家たちのタリフというものがなくなるという。また、今まではかなり規制が厳しかったショップの開店時間が自由になり、24時間営業も可能になるという。タクシーも地域によるライセンスでなくなり、どこでも開業できるらしい。ローマには7800のタクシーがいるらしいが更に最近認められた2000のタクシーが加わるという。今月23日にタクシーの運転手の大ストライキが予定されている。ただでさえカオス混乱のローマなのに大変。大革命と言えばそんな感じだけど、この保守的な国で、果たしてこれがうまくいくのか。とりあえずは、見ているしかない。
2012.01.19
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アートの国イタリアだからわたしの回りにアーチストが多いのか、アート好きのわたしだから、アーチストの人が回りにいるのか、分からない。Mは古い友人で、ミラネーゼである。ヴァイオリンを弾くのだが、それだけでは生活にならないので、高校で数学の先生をしている。ジャンルとしては、ユダヤ系のためか、ジプシーっぽいというか、民族調というのか。前はモニ オヴァデイアというやはりユダヤ系イタリア人で演劇に関わる人と仕事をしていた。昔からトリオで活躍していたが、最近は特に映画のバックミュージックも作ったりして更に油がのってきているようだ。興味がある方は、ラプソデイアトリオのリンクから..。最近知り合った彫刻家のNさんは、奥さんのKさんの動物占いでは私と同じ羊で、やはりおとなしい*わたしはどうか知らないが*感じであるが、素晴らしい作品を作っていらっしゃる。彼の作品でいいなと思うのが、最近、阿弥陀如来とか薬師如来とか。歳を取っていくとだんだんそういう世界に近くなって行くのかも知れない。彼もサイトあり。彫刻家奥村氏のリンクから。
2012.01.18
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ローマの北にあるチヴィタヴェッキアは古代から重要な港であった。現在はイタリア一の乗客数を誇る観光港になっているくらいにクルーズが増えた。チヴィタヴェッキアから北上すると、ローマがあるラツイオ州からトスカーナ州に入る。トスカーナ群島と呼ばれる島じまが見えてくる。日本同様、イタリアも島が多い。今回のクルーズ事件で有名になった、ジーリオ島に、ジアンヌートウリ島、モンテクリスト島にナポレオンが流されていたエルバ島、ピアノーサ島にカプライア島など。問題になるのは、こういった大きなクルーズが海岸や島のすぐ傍を通るということ。現在グロッセートの刑務所で事情聴取をされているコスタ コンドルデイアの船長は、ジーリオ島を見せようとして、島のぎりぎり近くを通り、間違って岩礁に船底をぶつけたらしい。*追記*ジーリオ島には、コスタの引退した船長が住んでいるので、習慣としてその家の前を通るときに彼に挨拶をすることになっているとか。もちろん、そんな間違いがあってはならないのだが、いけなかったのは、船長が動転して、そのあとの操作などを間違えていること。死者や負傷者が出て、楽しいはずのクルーズが「タイタニック」のようだったと被害者たちが話していた。このトスカーナ群島は国立公園に指定されており、事件の起きたジーリオ島は特に風光明媚で有名。クルーズからのオイルなどが出て、環境汚染にならないといいのだが。クルーズの往来が激しい地中海で、これからはこういった大豪華船への規則をもっと厳しくしてもらいたいものだ。これはジーリオ島。
2012.01.17
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時々昔の映画を見直す。この映画は大昔に六本木で見た記憶があるのだがインパクトがとても強かったのを覚えている。この映画を作ったピーター ウイアはいったいいくつなんだろうと、調べてみたら、1944年生まれだから、そうお歳ではない。お話は、時代を1世紀遡って1900年、オーストラリアの女子寄宿学校で女の子たちが暮らしているのが舞台。ある日、学校からそのハンギング ロックと言われる場所にピクニックに出かける。暑さもあって、みんなお昼寝をしてしまううち女の子4人がその岩場そのものに出かけていなくなってしまう。不思議なことに一緒についていた先生のひとりも岩に呼ばれたようにいなくなってしまう。4人の女の子のうち一人は、叫び泣きながら仲間のもとに戻ることが出来るのだが、「何があったのか説明して」と聞かれても泣くばかりで全然分からない。「そういえば、後から先生がスカートをはかずに走っていったのが、何か可笑しかった。」と言う。その後、調査が行われ、女の子ひとりは気絶して岩の陰で横たわっているのを発見され、助かるのだが、あとの3人は見つからなかった。ウイアーは、若い世代を使いながらこういった小社会での問題を扱う。いなくなってしまった女の子とひどく仲良しだった女の子は孤児でそこに預けられていたのだが、学校長に追い出されて最後は自殺をしてしまう。そういえば、ハンギング ロックって首吊り岩ということになる。ミステリ好きは必見。ピクニック at ハンギング・ロック [ディレクターズ・カット版]楽天ブックスで詳細を見る
2012.01.16
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幼少の頃の体験は人間の成長にかなり大きな影響を与えることがある。考えてみると、とても不思議なのだが、名古屋で幼稚園に行っているときにもまた北国に帰って、小学校中高学年でガールスカウトをしていたときにも、毎週日曜日はカトリックの教会に通っていた。わたしはカトリックではない。けれども知らない間にイタリアというものにもうつながっていたのかも知れない。幼稚園のときは、母の友人で教会に行っていた人が私を連れて行ったものかもしれない。覚えているのは、聖母マリアのきれいな昇天の絵カードをもらったこと。スカウトのときには、たまたま所属していた団がイエズス会教会だったからであるが、おかげで幼少のときからカトリックのイベントには詳しくなったかもしれない。当時、北国のそう都会でもなかった町の教会の牧師さんやシスターたちはみんなイタリア人だった。スカウト活動は毎年夏に行くキャンプが楽しみで行っていたものだが、そこにもシスターたちが来た。かなりアクセントの強い日本語を、でもちゃんと話していた。キャンプ中みんなでハイキングに行った際、シスターがいつもつけていたかぶりものを取った折に見た、短い金髪を覚えている。あのシスターたちは故郷のイタリアへはみんな帰れたのだろうか。
2012.01.15
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さて、ローマのシンボルとなるコロッセオはみなさんご存知ですね。正式名をフラヴィウス家の円形闘技場というのですが、もともとネロ帝が作らせた、高さ35mの、コロッソ、大きなブロンズ製のネロ像があったことからコロッセオの名前が来ています。というのも、コロッセオは谷に位置しているのですが、そこはもともとネロ帝の広大な黄金宮殿の一部で人口の巨大な湖があった所なのです。フラヴィウス家のヴェスパシアヌス帝が大衆のためにとそこを干し、作り始め、息子のテイトス帝が80年に落成記念祝いの催し物をしたのです。地下部分がなかった時代は、海戦も行われていましたが、その後、剣闘士同士の戦いや野獣の捕獲、剣闘士と野獣の戦いなどが繰り広げられた場所ということは衆知でしょう。そのコロッセオが修復に入ります。莫大な費用が必要なので*25百万ユーロ*それをTOD'Sという靴やかばんを作る世界的なブランドの持ち主、デッラ ヴァッレ氏が持つと言う話なのですが、この国は何事も難しい。2010年に修復のための入札がありましたが、スポンサーが見つからなかったため、2011年に修復委員会からプライヴェイトでデラ ヴァッレ氏に話が行ったそうです。が、これはアンチトラストつまり独占禁止法にひっかかるとコダコンズという消費者団体などから待ってがかかり、現在は見直しするという経過になっています。デラ ヴァッレ氏は、「コロッセオが駄目でもシチリアのアグリジェントの神殿の谷修復の話も来ているので」と強気。文化省大臣は、デラ ヴァッレ氏に「もう少し待ってください。」と懇願しているそう。(追記:ようやく3月始めにアンチトラストとデッラ ヴァッレ氏との折り合いがついた。ようやく本格的な修復が始まるようだ。)管理や保持にもお金がかかることから、昔コロッセオってただだったものですが、最近はフォロ ロマーノ*古代ローマ時代の重要な神殿やクーリア、元老院などが集まる広場*とローマの7つの丘のひとつ、パラテイーノ*ローマ発祥の地であり、後にローマ皇帝のお屋敷が建つことになる*と共通の入場券で、現在はお金が取られます。コロッセオで展覧会があるときには9ユーロプラス3ユーロ。48時間有効。季節により開館時間が異なり、朝8時半から17時半までは開いていて、夏はもう少し時間が伸びます。サイトでもオンラインでチケットを買えますが、高め。正式のチケット売り場はふたつ。フォリ インペリアリ通りでバジリカ マッセンツイオ前及びコロッセオからチルコ マッシモ方面のサン グレゴリオ通り。最新情報:コロッセオの一部がまた上から落ちてきたそうです。危ないので、きちんと修復に入るまでは、外側のすぐ下を歩かない方がいいでしょう。
2012.01.14
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年に一回している緑内障検査に行って来ました。というのも、祖母が緑内障から失明してしまったと言う話を眼科の先生にしたら、それは危ないと年に一度か2回は検査をするはめになってしまった訳です。緑内障ははっきり遺伝ということはないそうですが、家族に誰かいると気をつけた方がいいみたいです。緑内障は早期発見で最近は目薬だけで進行を遅らせることができるそうです。どういう検査をするかというと、日本でもほとんど同じですが、1.眼圧検査2.視野検査3.PEVという電子眼力検査で、このうち視野検査というのが、毎回イライラしてしまう訳ですが、「今回は大丈夫、前回よりも良好だった。」と先生に言われてホッとして帰宅したのでした。PEV検査をしていたときに、助手がパルレモ出身の人で、*南イタリアの人は人懐っこいのが多いから*彼も実は、と彼の友人の弁護士で、偉い日本ファンがいるんだけれども、と聞かされました。結構隠れ日本ファンというのが多いんですが、みんな昨年の原発事件で恐れをなして、日本への旅行を延期しているんです。一刻も早くの解決をみんなが待っている!まあ今日はお天気も上々だし、*最高気温は14度くらい*眼科もうまくいったので、良かった良かった。
2012.01.13
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時々無性にカレーが食べたくなる。インド料理と日本のカレーとはちょっと違いがある。インド料理屋は、ロンドンでなくてもローマにも結構ある。が、日本のカレーを食べさせてくれるレストランは、ない。昨年母に貰ったレトルト食品のカレーは非常に美味しかった。わが家はみんなわがままなので、今のところ、カレーを食べるのは私一人。で、レトルト食品はとっても便利なのだ。こんなに美味しいなんて、思わなかったのだが、最近のレトルトってすごい。五島軒【函館カレー】レストラン風道産ポーク&シャンピニオン(ご当地カレー)価格:368円(税込、送料別)
2012.01.12
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何年か前からイタリアにpunteruolo rossoという赤かぶと虫の種類が上陸して、イタリアの風景で欠かせないものである、椰子の木を食い尽くすという状態になっている。新聞に拠れば、2015年にはイタリアから椰子の木がなくなってしまうという予想がでているくらいなのである。さて、我が家の庭にもミニ椰子が何本かと、椰子の木がいくつかある。弱っている椰子の木にかかっていくと言う話だったので大丈夫だと思っていた。ところが、この冬、一番大きな椰子の木がやられ始めびっくりしている。問題は、この赤かぶと虫を退治する方法が見つかっていないこと。とりあえず、虫退治の毒を今朝はやられた椰子の幹内部にかけたが、助かるだろうか。なんて、悲しいことか。椰子の木がない、イタリアなんて。
2012.01.11
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先日の新聞によれば、ルーブル美術館でレオナルド ダ ヴィンチの「聖アンナと聖母マリアと子供のキリスト」が現在修復中だが、それをめぐってふたりのエキスパートがやめる事件がおきているという。現在、絵画の修復は以下のような手順で行われる。1.紫外線を使い、作品の手直しや塗料の厚みの調査。2.赤外線を用い、デッサンの変更やキャンバスの継ぎ目を調べる。3.レントゲンで作品の修復を調査。4.Xrfという光線を使い、色素をチェック。5.色のかけらをとり、層状の顕微鏡で地塗りや絵のフィルム,塗料を調査。6.アルコールかマニキュア除光液で後から加えられた塗料を取り除く。7.オリジナルの絵に達した時点で保護するための人口塗料を塗る。8.要らない絵のフィルムを除去。9.tratteggio 線影を通して、取り除きやすい水彩を使い、足りない部分の付け足し。10.最後に絵を保護するための人口塗料を塗る。という気の遠くなるような作業が行われるのだが、ミケランジェロやレオナルド ダ ヴィンチなど有名なアーチストの作品の修復については毎回かなりの議論が繰り返される。例えば、ヴァチカン美術館の一部になるシステイーナ礼拝堂の天井画及び祭壇裏の壁画は、ご存知のようにミケランジェロによるものだが、やはり修復が終わった直後は色のトーンが強すぎるとかなり批判があったものだ。先日ローマの展覧会で見たボッテイチェッリとフィリッピーノリッピの絵で、大変きれいな色がでているのに感動した。それも修復のおかげである。信じられないくらいの美しい青や赤だった。今年はシステイーナ礼拝堂天井画完成500年になり、日本のテレビでも様々なドキュメンタリが予定されているようである。第一号は先日わたしの友人Cがしている古美術工房で撮影があったTV東京のようである。キリンアートギャラリー 美の巨人たち1月14日土曜日夜10時から10時半:ミケランジェロ「システイーナ礼拝堂天井画」及び1月21日土曜日夜10時から10時半:ミケランジェロ「最後の審判」
2012.01.10
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SLOW FOODというのはFAST FOODに対して作られた言葉で、アメリカ文化に影響された私たちの生活は確かにSLOWよりもFAST気味になっているけれども、SLOWな食べ物をじゃんじゃん勧めようという運動がそれ。だけど、イタリアって日本に比べると、スーパーでもお惣菜なんて売っていないし、出来合いのものも少ないし、簡単に済ませたいときは、切り売りピッザを買ったり、ハムとチーズで簡単にとか、TAVOLA CALDAという所で、出来合いのパスタを買ったりするんだけどそれが、そう毎日と言うわけにはいかないので、やはりSLOW FOODの国ではないかと。SALTINPADELLAと言って冷凍のものでフライパンで炒めたら出来上がりというのも売っているけど、使っている家庭はそう多くないでしょう。子供たちが大好きなMACなんかは年に何度か行きます。お腹には良くないと思うけれど、彼らは好きですね。毎日あんなものを食べると、肝臓にも悪いと思うけど。昔、イタリアのお母さんたちは家でパンも焼いていたそうです。ピッザなんかも家で焼く。パスタも手打ちするおばあさんたちはまだいるし。個人的には、どういうわけか、何度挑戦しても義母が作っていたピッザにはならないのだけれど、ごくたまにわたしもピッザとか、フォカッチア*具入りピザ*とか作ります。お料理についてはまだまだのわたし。ということを、今年もMACに行って思ったのでした。
2012.01.09
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ローマの七つの丘のひとつカピトリーノとテヴェレ川の間、ゲットーと呼ばれるユダヤ人地区にも近い、マルケルス劇場という古代ローマ時代に作られた半円形劇場をご存知でしょうか。シーザーが自分の後継者であったにも関わらず早死にしてしまった、甥マルケルスに捧げたためにそう名付けられ、アウグストス帝が完成したもの。コロッセオのように闘技が行われたのではなく、劇場として使われた所です。*もともとギリシャの伝統であったものですが、当時信仰されていた神々に捧げる意味の劇だったようです。*もちろん、屋根はありませんでした。それを16世紀、サヴェッリ家のためにバルダッサーレペルッツイという建築家(画家でもあったけど)が改造して、上部分をお屋敷としたのです。お屋敷はU字型をしており、3つの部分に分かれています。1000平方メートルに及ぶフレスコ画と3つのスイートを含む主屋敷、上階、下階*倉庫*。それプラス587平方メートルのオレンジ園、世紀ものの糸杉に古い噴水など。古い古い貴族であるオルシーニ家が、最終的な現在に至る修復をしています。1950年にイギリス系アメリカ人家族に売られて、現在はその一員であるイリス オルゴという女性作家所有になるそうです。お値段はというと、3200万ユーロでお屋敷の鍵がもらえるそうです。不動産やさんはAylesford Internazionalだとか。
2012.01.08
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昨日から公式にサルデイ、冬のバーゲンセールが始まりました。公式にというのは、不景気のために12月中から多少値引きをしているショップが少なくなかったからです。わたしは特別欲しいというものはないのですが、やはり女ですからどうしてもブーツ類に目が行きます。娘はさっそく長靴みたいなショートブーツをゲット。25%引きだったかな。あとは、家族で空港近くの大きなショッピングセンター、pardo Leonardo をぐるぐる見ていたので、家のもの、マットレスカバーや枕カバーをZUCCHIで。こういうときに気をつけないといけないのは、値引きしているものと、そうでないものが一緒に店内にあるので、何だかんだと買ってしまうこと。ショッピング好きの娘は、ZARA HOMEで自分の手提げ箱を見つけていました。ZARA HOMEはシーツも結構おしゃれっぽいんだけど、品質としてはZUCCHIの方が上と言う気がします。テレビでは不景気でこのサルデイもフロップという話だったけど、まだ始まったばかりじゃない。ちなみに、ローマのコンドッテイ通りにある高級ブテイックにはいつも列ができるのですが、そこは今年も不景気知らずみたい。お金を持っている人は持っているんだね。わたしもお金を使うのは結構好きだけど、これからはちょっと気をつけないとと思うこの頃です。
2012.01.07
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1月6日はイタリアでは祝日。Epifania 広現祭といって、クリスマスから14日後にキリストが3賢王を代表とする異邦人に自己を顕示したというお祭り。子供たちにはBefana 魔法使いのおばあさんと親しまれている日。というのも、このおばあさんは、エピフアニイの前夜に子供たちにプレゼント(クリスマスのあとは特にお菓子が中心だが、悪い子には石炭が来る)を届けてくれるからである。伝統的にはプレゼントはクリスマスでなく、このエピファニアだったらしい。最近では不況のせいか、かなり屋台が減って来ている様だが、ローマのナボナ広場にはこのベファーナを扱った物も売られていて、クリスマスからエピファニイにかけての時期はここに来ると、とても楽しい。いわゆるクリスマス市と言われるものに近い。ナボナ広場は、もともと古代ローマ時代の皇帝ドミテイアヌス帝がアスレチック競技用のスタジオとして作ったところである。だから広場の形は、現在でも北側の短い一辺が丸くなった細長い長方形である。実際にはもっと古く、お祭り用*ベファーナのお祭りではない*に木つくりの柵があったのが、シーザーやアウグストス帝あたりからと言われる。そこに、15世紀になってから法皇様が町の広場をきれいにするようになり、シクストウス4世が、現在ローマ市役所があるカンピドリオ広場から市場をここに移したと言われる。現在その市場は近くのcampo di fiori に残っている。広場でなんと言っても一番の見ものはベルニーニの4大河川の噴水である。その噴水を見下ろしているのが、聖アニェーゼ イン アゴーネというボロミーニ作になる教会だが、ベルニーニの噴水同様、1600年代なかばに作られたもの。どちらもイノケンテイウス10世の命で作られ、ベルニーニとボルミーニのライバル意識が表現されているとも言われる。教会隣は現在ブラジル大使館が入っているが、イノケンテイウス教皇のお屋敷であった所になる。ナボナ広場には地下鉄が近くにないので、徒歩かバスでということになるが、ローマ一のメインストリート、ヴィットリオ エマヌエレ通りからすぐ。アルジェンテイーナ広場からも徒歩5分くらい。ローマ市民にも人気のある広場のひとつ。一度は足を伸ばしたいところだ。
2012.01.06
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これは昔友人のBから教わった特製チョコレートケーキ。おせちが終わって、七草がゆという時期でしょうが、寒い冬を乗り切るために美味しいものを食べましょう。コツはいいブラックチョコレートを使うこと。準備するもの:固形ブラックチョコ200g リコッタチーズ250g 白砂糖200g バター100g リキュール少々 卵2個 ふくらし粉一袋 小麦粉150g 強力粉150gまず、ケーキの上と下になるビスケット部分の準備1.ボールに 小麦粉、強力粉合計300gに全卵1個、バター溶かしたもの100g、リキュール少々、膨らし粉、白砂糖100gを入れて、よくかき混ぜる。耳たぶくらいの硬さにして、しばらくおいておく。中のチョコレート部分の準備。2.ブラックチョコ200gを包丁で細かくする。3.ボールにチョコ、リコッタチーズ、白砂糖100g、リキュール少々、全卵1個を入れて、よく混ぜる。ケーキの型にくっつかないように、オリーブオイルと小麦粉を少し敷いてから、4.ビスケット部分の半分を細かくちぎりながら、敷いていく。5.チョコ部分をその上に敷く。6.残りのビスケット部分をやはり細かくちぎりながら載せて、準備完了。7.あらかじめ180度に暖めておいたオーブンで約45分くらい。8.冷ましてからいただく。とても美味しいので食べすぎに注意!
2012.01.05
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先日の新聞によれば、ノーベル賞受賞のイスラエル人ダニエル カーネマン氏が書いた本、「Thinking, fast and slow」でポジテイブ シンキングの長所と短所を挙げている。どんなものか、簡単に説明を試みたい。1.楽天主義で、困難やストレスをうまく克服していくことができる。2.楽観主義の人間は、例えば結婚生活において、相手が楽観主義でなくてもうまく生活をこなして行くことが多い。3.楽天主義の人間は職業的にも成功を納めることが多い。*実業家、政治家、発明家など。4.楽観主義の人間の脳みそは、ネガテイブなインフォを記憶しないで置く傾向にある。5.楽天主義の人間は、選択をしてから、それは正しいものだったと自分で確信する。6.楽観主義により、将来への不安をつのらせない。7.自生、自制の楽観主義:つまり、どれだか出来るかという認識および願い。これは例えば、サッカーなどのチーム内トレイニングにおいての重要な基礎。8.短所として、過大評価は自分自身への自信をなくさせるので、過大評価をしていると自分で認識することが大事。それが将来への成功へとつながる。9.ヒーローのような楽観主義は危険。10.楽観主義が危険なのは、自己コントロールを失い、盲目の信念になってしまうとき。ということで、この10戒はちょっと難しかったけれど、大事なのは、アウトコントロールを忘れなければ、楽観主義は世界を動かす魔法の薬となるということだった。この時期にちょうど必要なものだと思いませんか。、【送料無料】ダニエル・カーネマン心理と経済を語る
2012.01.04
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クリスマスからずっと食べっぱなしで、しかも日ごろはあまり食べないトッローネやパネットーネなどのdolce、お菓子を食べるものだから、どうも胃腸の調子がオカシイ。昨日夜は重いお腹を抱えて消化を助けるかと思い、お番茶みたいな健康茶を飲んでいたのだが、何と言っても摂食と運動と思う。イタリアでは2日からもうジムも再開していて、お正月明けであまり人も来ないかと思いきや、結構来ている。みんな食べすぎで、少し消化を良くし、脂肪分を落とそうと来ているらしい。太極拳の仲間のひとり、Cさんは「昨日は20人ものお客さんで食べる暇もなかったわ。」また、Vさんは、「両親が来ていて、うるさくて。」みんな体操をしながら、口々に言っている。イタリア人は口がみんな結構達者だから、運動しながらもうるさい。さすがに、試験でも大体、筆記と口答があって小さな頃から鍛えているはずだ。鉄はすぐに熱くなってさめやすいけれど、根性を入れてスポーツも続けることが大事。今年もぼちぼち頑張ろうっと。
2012.01.03
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映画「フリーダ」を観た。フリーダサルマ・ハエック(Salma Hayek)楽天ブックスで詳細を見る1900年代初めのメキシコのアーチスト、フリーダ カーロの名前は聞いたことがある方が多いに違いない。独特の色調でシュールレアリズムっぽい絵を描いた、彼女の生涯についてはおおざっぱにしか知らなかった。若いときにバスでの事故から、生涯痛みが続き、手術を繰り返すことになるのだが、絵に表現されるように激しく強い性格のアーチストだったようだ。映画は彼女の夫となる壁画画家のデイエゴ リベラとの出会いや生活、彼女が強くつながっていた父親や妹との関係、また、一度リベラと別離することになった後また結婚する過程、最後寝たきりになって痛みを訴えながらもメキシコで展覧会をすることになる所など、良く描かれているようだった。スペイン語のバックミュウジックも良かったが、彼女が夫との別離を決意したあと、行き詰まって父親のところを訪ね、「お父さん、わたしが若かった頃、何をしたかったを思い出させて。」と彼女が聞いたときに、父親が「自分自身になりたがっていたよ。」と答えるフレーズが心に残った。監督はアメリカ人ジュリイ テイモアで2007年に「Across the Universe」というビートルズを扱った映画を作った女性。アクロス・ザ・ユニバース【Blu-ray】エヴァン・レイチェル・ウッド(Evan Rachel Wood)楽天ブックスで詳細を見るその映画を観たときも結構いいなと思ったのだが、今回もなかなかいけたので、これはお奨め。
2012.01.02
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明けましておめでとうございます。今年は辰年ですね!年男、年女の方2重におめでとうございます。辰は十二支で唯一のミテイコ、伝説的な実際に存在しない動物ですから、そんなmiticoでポジテイブな年になるといいですね。いやあ、昨年はアポカリッセ世紀末説があって、いつ終わるのかというと2011年から2012年にかけてという話もあったのですが、何とか無事に年が明けて良かったです。実際に昨年は色んなことがあって、北アフリカでは騒動や戦争、NZの地震から日本の地震、原発と本当にびっくりでした。それに世界的な経済不況で全く難しい時代に入ったと思います。確かにイタリアも大変な時期に入ってきたけれども、将来自分たちが何を次の世代にに残していけるかを考えるとこのsacrificio犠牲は大事なものではないかと、モンテイ新首相が言うようにわたしも思うし、またこれを機会に、豊かさが今までの物的なものではなく精神的な部分で豊かになれる、考え方の転換が必要かなと思ったりしています。何だか偉そうなことを言う元旦になってしまいました。初夢って2日でしたっけ、今晩でしたっけ。どうか、今年初のいい夢が見られますように。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
2012.01.01
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