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この国にいると段々度胸がついてくるというか、普通だったら考えられないことが起きてもそうバタバタしなくなるというか。まあいろいろあるわけなのだけれど、今回は娘の学校での音楽について。大体、イタリアの小学校では、日本のように音楽がきちんと教えられていない。そこで、放課後、音楽を習いにどこかレッスンを受けさせる人もある。娘の学校では、今年音楽を学校の授業の中でちゃんと学ばせようという計画があった。ところが、政府からの援助がないために音楽の授業は各家庭がエキストラの金額を出して有料、しかも、有料のために授業は受けても受けなくてもいい。ということで、スタートするまでに時間がかかったのだけれど、(イタリアは秋から新学期が始まる)先週第一回目をしたあと今週突然、音楽の授業は中止という。勿論、支払った金額は戻ってくるらしいけれど、何だあの騒ぎはということになっている。真相が解明できたらまたこのブログで。
2013.01.30
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薔薇の名前 特別版楽天ブックスで詳細を見る懐かしい思いを抱きながら、20年ぶりくらいにこの映画を観た。懐かしいというのは、大学時代に仲の良かったゼミの友人たちと新宿の映画館で観たのを思い出したからである。さて、ご存知のように原作はイタリアが誇るウンベルトエコーの同タイトルの本から来ている。薔薇の名前(上)著者:ウンベルト・エーコ価格:2,415円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るウンベルト エコーは、イタリア北部のアレッサンドリア出身、トリノ大学では神学大全で有名なトマス アクイナスについて論文を書いていることからも知られるように、中世の大家である。現在は、ボローニャ大学で教鞭を取っているが、著作も多い。時代は教皇庁がアヴィニョンに行っていた時代。つまり1300年代半ば。場所は、北イタリアのベネデイクト派修道会がある所らしい。そこへ、フランチェスコ派修道士たちがやって来る訳だが、ショーン コネリーが演じるのは、その修道士の中でも中世にしては開けている視野をもつ修道士。彼が連れているのは、シャーロック ホームズのワトスン役のような修道士見習いの若者。この修道院の中で次次と死体が見つかり、(小さな子供がいる方は見せない方がいいかも)その謎をコネリーと見習いが解いていくというもの。話はそれだけでなく、異端裁判が行われたり、古くから修道院で行われていた細密画の秘密が暴かれたりとさすがエコーらしく、中世がよく描かれている。昔観たけど忘れちゃったという方にも、観た事が無いという方にもお勧めの映画。原作も合わせて読むといいかもしれない。
2013.01.29
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冬になると、ロールキャベツが懐かしい。イタリアのキャベツには種類があるのだが、ヴェルザというちりめんキャベツで良さそうなものが見つかると、たまに作ってみる。材料:ヴェルザ小さめひとつ ひき肉200g サルシッチャ(イタリアンソーセージ)ひとつ 卵ひとつ 小たまねぎひとつ にんじんひとつ 作り方:1)ヴェルザを茹でる 2)やわらかくなったら、鍋からあげて冷ましておく 3)ボールにひき肉、サルシッチャ、たまねぎとにんじんのみじん切り、 卵をよく混ぜておく。 4)ヴェルザを一枚一枚はがして、中にひき肉を丸めたものをおき、 包んでいく。 5)かんぴょうがあれば、かんぴょうでしばる。 6)深めのなべにロールキャベツを敷いて行く。 (イタリアではオーブンでする人も多い) 7)さきほどヴェルザを茹でた水を加え、塩味をつける。好みで小さなトマトを入れてもグッド。ロールキャベツの中身は好みで、サルシッチャにパン粉、牛乳という人もいるし、モッツアレッラチーズを入れるという人もいるので、色々試すのもいいかも。
2013.01.27
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娘の学校の先生から、日本文化を紹介したいということでお話があり、日本の童話のイタリア語訳本を貸すことにした。そこには、三つの話が載っている。舌切り雀、かぐや姫に浦島太郎と典型的なもの。先生は、ネットで童話を探したらしいが、それを読むと結構怪しげな話になっていたり、全く日本のものではなかったりしていた。今月は、浦島太郎の紹介で、先生が授業中に読み、生徒たちが話を要約したり絵を描いたりということが行われている。せっかくだからと折り紙を教えることにした。先日は第一回目。折り紙は、イタリアでもかなりポピュラーで、ネットや本でファンは自分なりにトライしている人も多い。折り紙の簡単な歴史を紹介して、さっそくシンプルな星と猫を作ってみた。きちんと紙を折ったり、切ったりという作業は、簡単なようで、慣れていないとムツカシイ。日本では、小学校から工作、料理、裁縫などがあるけれど、イタリアではそういった手を使う作業というのが、少ないような気がする。案の定、子供たちは大喜びで、大成功に終わった一回目だった。ちなみに私が昔から使っている折り紙用の本は、これ。大学のゼミ友人Wから昔いただいたもので、大事に今も使っている。かんたんおりがみ [ 山口真(折り紙作家) ]
2013.01.26
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古い建造物だらけのローマだが、重要なものは勿論、時々リスタイリング(修復)をしないと崩れたりしてしまう。ローマの旧市街を囲むアウレリアヌスの城壁は今も大部分残っているが、もともと3世紀の城壁は19キロにも及ぶもので、修復が大変。ローマのシンボルとされるコロッセオは、トッズの社長デラ ヴァッレ氏が修復費用を受け持っている。映画「甘い生活」でも有名なトレビの泉は、一方1700年代のものだが、彫刻が崩れてきているとかで、やはり修復に入るという。これは1月末に決定されるらしいが、フェンデイ社長が受け持つことになるらしい。フェンデイは、イタリア、ローマに本拠がある会社だが、現在はルイヴィトングループに入っている。ローマのピラミッドは、高官カイウス ケステイウスの墓で、紀元前1世紀のものだが、これは何と日本人の八木雄三氏(八木商事社長)が受け持つという。工事中は何やかやと複雑なことも多いのだけれど、(通行禁止になる所があったりして)まあほったらかしにされるよりは、リスタイリングされて古い重要建築物がきれいになるほうがいいだろう。
2013.01.25
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を昨年の夏シチリアで買い、冬の間にお料理をしようと思っていた。昨年シチリアのお隣が、乾燥ソラマメ入りのパスタを味見させてくれて、それは結構美味しいものだった。ソラマメは初夏のもの、5月1日のメーデーにはイタリア人たちが新鮮なソラマメとチーズにパンを持ってピクニックに行く習慣がある。家人の大好物だが、乾燥ソラマメのお料理をしたことがなかった。はて。とりあえず、乾燥ソラマメを一晩水に漬けてふやかしておく。調べると、ふやかしたソラマメの皮をむいたりむかなかったり好みのようだが、家人が言うには彼の母は、皮の頭の部分だけナイフで切り取っていたという。皮が結構固そうで、消化に悪そうだったので皮をむいてから、弱火で鍋に水を少々入れ、ことこと煮始める。水はどんどん足していくのだが、乾燥豆なので約2時間くらい。(時間を節約したいときには、もちろん圧力鍋を使えば約30・40分くらい)豆がやわらかくなったら、別の鍋にベーコン、バジリコ、にんにく、オリーブオイルを入れて豆を加え、トマトソース少々に水を足しながら、煮詰める。(最初から入れて行っても良い)これはそのままでもクリームとして食べられるし、(ミキサーで漉してもいい)水を加えてパスタにしてもいい。家人は、シチリアの懐かしい少年時代を思い出したと言って、小さくちぎったパンにクリームをかけて食べていた。
2013.01.22
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イタリア最大、ヨーロッパでもパリ北駅に次ぐというローマテルミニ駅。キャサリン ヘップバーンの「終着駅」を思い出し、ははあ、ここが終着駅だからテルミニというんだなという方も多いかも知れない。実は、駅前に巨大なデイオクレテイアヌス帝の大浴場、テルメがあることから名が来ている。1800年代終わりにもともと駅が出来たのだが、現在の構造になったのは、1950年代になる。(1960年のローマオリンピックのため)恐竜の背骨を思わせる、当時としてはモダンな駅前面の屋根は、デイノサウロとも呼ばれるが、これは、駅左側に残る紀元前6世紀のセルビウスの城壁をモチーフとしている。駅の地下は、地下鉄AとBの駅があり、駅前の500人広場はバスターミナルとなっている。この駅の巨大な構内には、地下のショッピングセンターを始めとして、1階のショップの数々(ナイキ、ベネトン、シスレイ、コインなど)が入っているほか、中1階にはセルフのレストランまた、1階奥には、サン ラッファエレという病院も入っている。トイレは、現在どこも有料になってしまったが、地下とレストランにきれいなお手洗いがある。ここから、レオナルド エクスプレスというローマの空港フィウミチーノへの直行電車が出ている。(30分おき)切符は、ホームでも直接買えるので、便利。14ユーロ。また、イタリア国鉄が現在誇る超特急フレッチャロッサ、フレッチャ アルジェントなどは全部ここを通る。それに対抗するフェッラーリ会長モンテ ゼモロ氏の電車イタロは、一方、オステイエンセ駅か、テイブルテイーナ駅*どちらも地下鉄B*からになるので、注意。ローマテルミニ駅サイト。追伸:昨年きれいになったと噂のミラノ中央駅を久しぶりにみたけれど、やはりローマのテルミニ駅には叶わない。
2013.01.21
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ギリシャ神話では、プロメテウスって人類に火を教えたために神様たちに罰を受けた神様のひとりだったはず。興味を引くタイトルで、チネアスタ(映画ファン)の息子に推されて観たこの映画。公開は2012年のもので、監督は、超有名なリドリー スコット。例えば、「エイリアン」とか、私の好きな「テルマ ルイーズ」とかの数々の大作を作ったイギリス人だが、ハリウッドで売れっ子の監督らしい。さて、映画のストーリーは結構難しいので、ウイキペデイアにここは任せてしまおう。映画の最初15分くらい、とっても素敵な風景(厳しいのだが、美しい)が続く。予想したように、アイスランドで撮影されたものだという。映画全体を観終わって、唯一心に残るのはわたしにはあの風景という気がする。俳優では、ロボット役のファスベンダーが良かったけれど、あとは、グロテスクな感じが残るだけで、あまりパッとしなかった。2000年から構想されていたエイリアンに続く映画ということを考えると、何か足りないものを感じるのは、わたしだけだろうか。とりあえず、リドリー スコットファンは観ておいたらいいかもという感じ。プロメテウスノオミ・ラバス(Noomi Rapace)楽天ブックスで詳細を見る
2013.01.20
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野菜スープ(ミネストローネ)はやはり冬のお料理。寒い寒いこのお天気にぴったりと、週に一度は食べたいもの。(ちなみに今日はローマ7度か8度くらいで雨)大体野菜は何でもOKなのだけれど、例えばこんな感じで作ることができる。材料:たまねぎ ひとつ ジャガイモ ふたつ にんじん ひとつ セロリ 少し ういきょう ひとつ トマト ひとつ キャベツ 半分くらい 作り方: 1)お野菜を全部細かく切ってしまう 2)大なべにオリーブオイルをひき、 野菜を入れてしばらく炒める。 3)野菜がよくいたまったら、水を加え 弱火でことこと煮る。 4)最後に塩味をつける。 5)好みでは食べるときに半分くらい ミキサーで漉してしまうととろっとして 美味しく食べられる。 6)我が家では、最近パンを小さめに切って オーブンでカラカラにし、お皿にパンをしいた 所にミネストローネをかけていただく。好みでオリーブオイル、パルメザンチーズをかけて、ブオナ ペテイ!
2013.01.19
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フォカッチャというのは、具入りピッツア。我が家ではそう呼ぶけれど、本当はカルツオーネというらしい。ピッツアの生地に具を入れて作るもので、オーブンで焼いたり揚げたりする。呼び方は地方によっても異なるらしいが、わたしのレシピは、今は無いシチリアの義母から教わったもの。材料:強力粉500g ビール酵母1個 ブロッコリ(緑のカリフラワー)ひとつ サルシッチャ(イタリアンソーセージ)ひとつかふたつ トマトソース少々作り方:1)最初に強力粉にお湯を混ぜ、そこに ビール酵母を入れて、耳たぶくらいの柔らかさに なるまでこねて、半日ほど寝かしておく。 2)ブロッコリをよく茹でて、(ふにゃふにゃになる くらい)フライパンにオリーブオイル、サルシッチャ、 ブロッコリを炒め、そこにトマトソースを加える。 3)麺棒でピッツアの生地をまな板に薄く広げる。 4)生地の真ん中にブロッコリをのせて、ピッツアを 閉じ、具が落ちないようにぐるりと餃子の皮を閉じる ようにする。 外から具にぶつぶつフォークで穴をあける。 5)予め暖めておいたオーヴンで、180度約40分くらい 美味しそうな焦げ目がつくまで。 生地が余ったら、くるくる細くして、ロテッリーネ(小車輪)を作る。中にはサルシッシャやチーズを入れるとグッド。我が家はブロッコリをフォカッチャに入れるが、玉ねぎにリコッタチーズ、トマトソース、じゃがいもと好みでヴァリエイションを楽しめる。ブオナ ペテイ!
2013.01.18
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現在、莫大なお金をかけて(トッズの社長、デラ ヴァッレ氏が受け持った)コロッセオの修復がされている。昨日の新聞によれば、その修復作業中に発見されたことの中で3階部分の漆喰にポリクロミア、つまり多彩色のフレスコ画がある。(あることは分かっていたのだけれど、改めて)コロッセオは、紀元1世紀後半にフラヴィウス家のヴェスパシアヌス帝により建てられ始めたもので、息子のドミテイアヌス帝により完成されたので、正式名は、「フラヴィウス家の円形劇場」という。もともと、ネロ帝の黄金宮殿(現在もオッピオの丘に残る)の巨大な人口の池があったところを干して、作られた。そこに、ネロ帝の巨大な彼の巨像があったことから、コロッソ、巨大なという名称がある。さて、外側は、大理石の一種であるトラヴァーチンで作られ、内部は、現在のセメントにあたる技術が使われた。そのセメントに漆喰がされて、フレスコ画で覆われていたということが現在改めて再確認されたわけだ。描かれているのは、鮮やかな多彩色で、*剣闘士の*勝利を意味する棕櫚や冠、矢のほか、エロチックなものもあるという。ここで、思い出すのは、現在私たちには白い大理石でしか残らない当時の彫刻や神殿なども、古代ギリシャやエトルリアと同様に多彩色であったということ。詳しくは、こちらのサイトでも。史跡美術局ローマ考古学サイト*info:毎日オープンだが、(朝は8時半より)季節によって閉館時間が異なり、閉館の1時間前にはチケット売り場が閉まるので冬場は、特に注意。*日没の1時間前に閉まると思えばOK.*チケットは、12ユーロで、フォロロマーノやパラテイーノと共通。チケット売り場は、Piazza S.Maria Nova n.53tel.+39.06.39967700
2013.01.17
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仕事の帰り、ローマのオステイエンセ駅を通ると、ちょうどお昼ごはんの時間であったためか、揚げ物の匂いがすごい。昨年6月末にオープンしたEATALYがオステイセンセ駅横になり、揚げ物コーナーからだなと思い出した。昨年夏に紹介したように、世界中に広がるEATALYだが、ここは、世界最大。中は色々な食べ物コーナー(パン、ピッツア、魚、お肉、揚げ物、パスタなど)のほかに普通手に入らないようなちょっと変わった食品などが見つかる。週末は目茶込みなので、出来れば週日に行くことをお勧めしたい。毎週オファーがあり、私が通ったときに先日見つけたのは、ハーブテイー。シナモンと、オレンジ、野ばらとヴァニラのミックス。さっそく蜂蜜とレモンを入れて、飲んでみた。色もきれいだし、美味しい!!寒い日は、これで温まろう。(今週はローマも雪注意報が出ている。)ちなみに、フィレンツエにあるお茶屋さんの製品で、会社はラ ヴィア デル テという。(お茶の道)サイトがあるので、興味がある方はどうぞ。
2013.01.16
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これ、結構面白く読み上げた所。文学少女として過ごしてきたと自負していた私が、これを読むとどれだけ読んでいない本がまだまだあるかに気がつき、ハッとする。読んだものも少しはあるのだけれど(ほっ)。丸谷氏の説明がすごい。本を概説しながらそれぞれの本の背景がしっかり分かっているという。例えば、解説にもあるように、ガルシア マルケスの「百年の孤独」を後ろ側から解説してしまえる人は、そういないのではないだろうか。何か、面白い本探しているんだけどなという方は、これを是非。快楽としての読書(海外篇)著者:丸谷才一価格:1,050円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2013.01.15
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お歳暮にいただいた、グラニャーノのパスタを食べてみた。(イタリアにも、日本ほどではないにしてもお歳暮に近いものがある。クリスマス前に通常はされる)これは、ナポリ近郊のグラニャーノで作られているもので、わたしが食べてみたのは、メッツア マニカ(半そでという名前の短いパスタ)。さすがに歯ごたえがある、ちょっと厚めのパスタだけあって、茹で時間は16分。こしこしした変わったパスタに挑戦したいという方にはお勧め。包装を見ていたら、日本語でも書かれていて、日本にはEATALY日本が輸入している。ちなみに、グラニャーノは、パスタ発祥の地とも言われ、パスタ工場が多い。というのも、こちらの硬水に含まれる石灰分が少ないので、美味しいパスタが出来るという。一概にグラニャーノといっても沢山種類があり、私が食べたのは、リゴローサというちょっと高級なパスタの種類らしい。詳しくは、EATALYの日本語サイトから。
2013.01.14
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山女なのか、海の近くにいると山が恋しい。山から帰ってきて、犬養道子さんの「わたしのスイス」を読み、また山のことを思い出している。スイスの山も好いし、オーストリアの山も良かったのだが、イタリアというとどうしてもドロミテを思う。イタリアは北にアルプス、背骨部分にアペニン山脈を抱え、結構山だらけ。ドロミテは北イタリアの東部分にあたるアルプス群を指すのだが、これが広い。詳しくは、ウイキペデイアの説明を。名前の由来なども分かって、ためになる。そういえば、現在ユネスコ世界遺産のひとつにもなっている。風景明媚なのだが、公共の交通機関だと電車の駅からどうしてもバスの移動か、レンタカーということになってしまう。(空港は、ボルツアーノかヴェネツイア)昔ローマの友人たちと出かけたドロミテでのスキー旅行は車だった。ピエヴェ デイ カドーレ(ヴェネツイアのずっと北)に家を借りて、そこから毎日車で移動していた。何しろ、ドロミテスキーパスを買うと、広いドロミテのどこでも滑ることができるのだ、ゲレンデからゲレンデの移動は車で、山道をくねくね走った記憶がある。ドロミテ最高峰のマルモラーダは素晴らしかったし、有名なアラッバ、クリスタルなど、やはり山道くねくねをする甲斐はあったと思う。2年前の夏、家族でメラーノにいたときには、息子とボルツアーノからすごい山道をバスで上って、高原アルペ デイ シウジまで行ってみたが、そこも広々として非常に良かった。高原の奥にはドロミテ特有の山々の眺め。私の古い友人Pは毎年のようにヴァル プステリア(ほとんどオーストリアとの国境に近い所)に出かけ、そこで少なくとも1週間はのんびりしている。ファンは多く、もうひとりの古い友人Rはドロミテツアーを毎年のように計画している。興味がある方は、わたしのリンクから「暮らすような旅」へ。
2013.01.11
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アルプスから帰宅して、母が日本から送ってくれた犬養道子の「私のスイス」を読み返している。はっきりいって、すごっく面白い。昔読んだときには、まだイタリアに住んでいなかった時代だから、今読むと改めて分かることが多い。また、この犬養道子さんのスイスに対する思い、教養の深さにただただ頭が下がる。観光の国としてしか、日本では知られないスイスを歴史から地理から見直して、分かりやすく解説して行く彼女の頭のよさ。私のスイス再版著者:犬養道子価格:1,580円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る日本ではなかなか手に入りにくい本になっているようだが、アルプスが好きな人は是非読んで欲しい。私も大好きだったサンモリッツ近郊にあるセガンテイーニ美術館が犬養さんも大好きなことを知って何だか嬉しい。
2013.01.10
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近年、スキー用品の開発によって昔のようなくるぶし関係の事故がかなり減っているという。その代わりに、スノウボードによる転倒などからくる脳震盪などの事故が増えているというニュウスを聞いた。オーストリアでは大人もヘルメットをかぶっている人が多かった。確か子供は15歳くらいまで現在強制的にヘルメットをかぶることになっている。ヨーロッパの安全基準をクリアしたスキー用ヘルメットボーイズ・ガールズ ヘルメット 先日北イタリアのスキー場でロシア人の小グループがモータースキーでゲレンデの外を滑っていて転落し、グループ全員が死亡するという事件があった。そのために、イタリアでは大人もスキー場ではヘルメットが必要になるという話もでている。オーストリアのバード ホフガスタインでも毎日のように怪我人がタンクで運ばれるのを見た。くれぐれも気をつけたいものだ。
2013.01.09
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そういえば、1月5日からローマではサルデイが正式に始まった。正式にというのは、不況のためにお店によってはクリスマス前からこっそりサルデイ(バーゲン)をはじめていたところも多いからだ。このサルデイの初日に命をかけるというひとも結構いる。娘の友人を土曜日午後我が家に招待したところ、サルデイに出かけるからという返事が来た。また、ローマの高級ブテイック街、コンドッテイ通り周辺には、土曜日朝早くから人がずらりと列を作っていた。今年は沢山のイタリア人のほかに、ロシア人、日本人、南米人で占められているという。確かに、せっかくなら、サルデイの初日に出かけたほうが、品物の選択余地はあるだろう。だが、消費者団体の調査によれば、今年のサルデイ40%の人は買い物をしないで、見ているだけとの報告がある。だが、サルデイはまだまだ続く、2月の中旬ごろまで。追伸:昨日のニュウスによれば、週末の売り上げは昨年のものと比べると少なくとも10%以上多かったという報告があった。
2013.01.08
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一週間があっという間に過ぎ、出発の朝になった。帰りは、電車を乗り継いでも昼間に移動できる電車があり朝早く出ても夜中には帰宅できるようだった。バードホフガスタインのホテルから予約していたタクシーで駅まで。ホフガスタインの駅は無人駅になっていて、切符を買う機械が現在ひとつあるだけ。ここから、朝8時半発のザルツブルグ行きに乗る。ローカル電車は予約がなくても乗れるのだが、今回は全電車予約が入っていた。ザルツブルグでは、乗り換え時間が14分しかない。幸い電車は時刻どおりで、ホームもそう遠くなかった。北ヨーロッパのホームで、3A ,3B,3Cとか表示があるのはホーム3を区切って、予約の入っている電車の車両を見つけやすくしている。ホームで探すと、電車番号と区別の仕方が書かれているものがあるので、参考までに。ザルツブルグで乗った電車は、例によってウイーンからチューリッヒまでいくもので、かなり混んでいた。国際列車は予約をいれることをお勧めする。ザルツブルグからインスブルッグ。インスブルックはスキーのメッカでもあり、沢山のスキーヤーを見かけた。ホームからの山々が美しい。インスブルックでミュンヘンから来ていた列車に乗り換え。これで国境を越える。国境はブレンネロ。雪が深かったが、電車は時刻どおり。この列車はヴェネツイアまで行くのだが、わたしたちはヴェローナで乗り換え。この列車も予約がなくても乗れるのだが、超混み、韓国人の学生グループは30回くらい座席を変えることになっていたのを見た。この列車で私の好きな北イタリアのアルトアデイジェ地方を通る。ここは、もともとオーストリア領だった所で、味わいが深い。谷間を走る電車の両側にりんご畑やぶどう畑、山の斜面に素敵なお城をいくつも見ることができる。ヴェローナでは、時間があったけれど、席がなくて電車を早い時間に変えることは出来ず、予約が入っていた19時のアルタ ヴェロチタ(超特急)に乗ることになった。機能的なオーストリアの電車に比べると、イタリアの電車は乗り心地が悪いような気がする。ともかく、この電車もかなり混んでいた。電車は、10分の遅れで21時50分にローマのテルミニ駅に到着。無事に電車の乗換えが出来て良かった!!
2013.01.07
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町は、こじんまりして、ショップもそう多くないけれど、散策してもそう疲れないくらいなのがいい。温泉スキーに関しては、言う事がない。幸いお天気にも恵まれ、4日スキーをしたうち3日は晴天だった。ガスタインタルという谷に位置するので、町が曇っていても標高1500m以上に出るとお日様がサンサンということも多い。レンタルは、ホテル前のアルペンショップでしたけれどシュロスアルムバーン前にあるインタースポーツでするという手もある。ホテル内のスキー道具室がきちんとしていて、スキーブーツはかけておくと、高温で内部を乾かし暖めてくれるというもので、感心した。唯一残念に思うのは、町の温泉場、アルペンテルメ内のレストランがエレガントで沢山人が入るにも関わらず、全く美味しくないこと。私と息子がゲレンデで使った、シュロスアルムロッジは最高!とまでは行かなくとも結構美味しい昼食が出来た。息子は、グラーシュや、ポテトフライにヴュースター(巨大なソーセージ)を満足そうに食べていたし、私は毎日同じようなスープ(オーストリアはスープが美味しい)を食べていたけれど全く飽きなかった。ホテルの食事についても、山間の町だから塩味が強いかと思ったが、そういうことはなく、かなり行ける味を出していた。唯、昔ウイーンで通ったような素敵なカフェには回り逢わずじまいで、お菓子も美味しかったのだが、それはちょっと残念だった。スキーに飽きたら、町の真ん中のスケート場でスケートをするのもいい。スケート靴はそこで借りられ、(ガスタインカード:ホテルでタダで作ってもらうと、半額の2ユーロ)スケート場はフリーの入場になっている。慣れない子供用に、重いペンギンをやはり2ユーロ(プラス保険金3ユーロ:あとでペンギンを返すと返してもらえる)で貸してくれるのはイタリアでは見たことがなく、またまた感心してしまった。最終日、子供たちと午前中、午後とスケートで遊んだのはなかなか楽しかった。参考までに、ゲレンデ情報サイトもあげておこう。
2013.01.05
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さて、バード ホフガスタインでは、肝心のゲレンデまでは、街からフリーのスキーバスがシーズン中は10分間隔に出ていて、とても便利。ゲレンデふもとから、ツエルマットのスネガを思い出すような、登山電車シュロスアルムバーンが出ている。電車を降りたところで、リフトにも乗れるのだが、そこからまた巨大なキャビンに乗り換えていくと、もう標高2000mのシュロスアルムに着く。高原のお屋敷というような意味らしい。ホフガスタインのゲレンデはほとんどが中級者以上のレベルが必要。初心者は、お隣のアンジェルタールまで行く必要がある。(スキーバスで行けるようになっている)シュロスアルムからまたリフトがいくつか出ていて、ここは小奇麗なロッジもあり、なかなか居心地がいい。このシュロスアルムロッジで毎日軽い昼食をとっていた。トイレもきれいで、広いのが、嬉しい。リフトを乗りついで、標高2300mのホーエ シャルテまでも行くことができる。或いは、アンジェルタルまで降りて、隣のバード ガスタインのゲレンデにも行くことが出来るようになっているが、友人Rが言っていたように、ホフガスタインのほうが日当たりがいいので、居心地はいいと思う。バード ガスタインのゲレンデ頂上は、標高2251m。ストウーブナー コーゲルという名のように丸い頂上だが、風がすごかった。ゲレンデは、一部アイスバーンになっている所も多いので、注意が必要。ゲレンデは雪がないときも88%人口雪でカバーできるようになっているとか。バード ガスタインとホフガスタインのゲレンデは合計200キロにも及ぶそう。そのほか、バスを乗り継いで、ドルフガスタインやスポーツガスタインのゲレンデにも行くことが出来る。スポーツガスタインは、標高2686mのクラウツ コーゲルまで行くことが出来る。(スキーパスは共通)詳しくは、ガスタインのサイトから。
2013.01.04
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街は標高800m、人口約6000人。こじんまりとした小奇麗な山の街という感じ。ガスタインタルという谷あいに、ザルツブルグから下りてくるとドルフガスタイン、ホフガスタイン、ガスタインと街がある。毎年のように来ているという北イタリアからのファミリーによれば、今年は結構少な目の観光客という話だったが、ゲレンデに向かう登山電車やキャビンは満杯だった。オーストリア通の友人Rが推薦するホテルBがクリスマスシーズンは一杯で予約が出来なかったので、隣のホテルSに予約を入れていた。驚いたことに、東ヨーロッパやロシアからのお客さんが多いようだった。さて、ホテルから徒歩8分くらいの街の真ん中にはホフガスタインの温泉場所、アルペンテルメがある。ここは、毎日営業で、しかも遅くまで開いているのがいい。温泉というが、ここも多分鉱泉を沸かしている気がする。ミネラルウオーターは、ガスタイナーというのがほとんど独占販売のようになっているし、温泉の効用についての但し書きもどこにもない。アルペンテルメの中は、大きな温泉インドアプールと、アウトドアプールに分かれているが、(つながっている)ファミリー用のコーナーに行くと、子供たちが入って映画や漫画を観る事ができる洞窟や、大きなくるくる回る滑り台などもあって、さすが子供を大事にするオーストリアと感心する。実は、宿泊していたホテル内に温泉プールがあったのだが、何故か水温が低すぎていられたものではなかったのだった。アルペンテルメは、水温30度はあったと思うし、ジャグジーはもっと水温が高かった。(一般にヨーロッパの温泉は水温が低い。長く温泉に入っていられるようになっている)アルペンテルメの公式サイトはこちら。
2013.01.03
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昔からずっと一度は行きたいと思っていた。オーストリアのザルツブルグ南に位置する、バード ホフガスタインである。バード ガスタインでも良かったのだが、オーストリア通の友人Rからホフガスタインのゲレンデのほうがいいと勧められていたのだった。わたしはスキーヤーだが、家人はスキーをしないので、温泉を楽しんで過ごすことができるから。家人は、飛行機に乗らなくなってしまったので、電車で行くことになるが、(幸い、ホフガスタインには、電車が通っているのだ。)子供たちも大きいので、大丈夫と思う。さて、時刻表を調べると、昼間はかなり不便だったので(ヴェネツイアからは何故かバス)行きは、夜行列車にしたが、朝早くの乗り換えを避けて、わざと遠回り。何と、ウイーンまでいって、ウイーンからザルツブルグ乗換えでホフガスタイン。夜行列車は、久しぶりだった。夜ローマのテルミニ駅を19時過ぎに出て、4人乗りのコンパートメント。クリスマス前だけに、列車は込んでいるが、もちろん予約制になっている。列車は、オーストリアから来ていた。コンパートメント内は暖房がしっかり効いているし、ちゃんと鍵がかけられるので、安心。朝8時にウイーンに到着するので、7時ごろに朝食*それは含まれている*のサービスがある。川端康成の「雪国」ではないけれど、(トンネルを越えるとそこは雪国だった。)オーストリア内に入ってから目を覚ますと、雪。まるで、ブリューゲルの雪景色のようで嬉しい。ウイーンではメイリングという駅に到着。そこから地下鉄U6に乗り、(とても便利、切符はキオスクで買え、2ユーロ。)サルツブルグへ行く列車が出ているウエスト駅まで移動。ウエスト駅は、昔の駅が思い出せないくらいにきれいになっていて、チケットオフィスは下にあり、上には郵便局を含めてショップが入っているが、特に多いのが食べ物や。ここのチケットオフィスでオーストリア内のチケットを買う。(例によってイタリアではイタリア・オーストリア間の列車の切符は旅行会社やテルミニ駅で買えるが、後はオーストリア鉄道のサイトで買うしかない)ウイーンからサルツブルグまでは、ブタペスト・ミュンヘン間を結ぶ列車を利用したが、超込みで、チケットオフィスで予約をしてもらって良かったとホッとする。但し、列車は40分の遅れ。国際列車は遅延も覚悟しなければならない。サルツブルグからホフガスタインまではローカル電車。ここは座席の予約を入れていなかったが、何とか大丈夫だった。ホフガスタイン駅からはシテイバスが出ているが、駅前にタクシーもかなり待機している。合計何時間の列車の旅になったのか、計算しなかったが、ホテルに着いたのは出発日から数えて翌日の午後早々になった。
2013.01.02
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2013年がついに明けた。大晦日はとってもいいお天気で、年末年始の恒例の花火がなかなかきれいだった。(毎年、けが人や死人が出るのだが)代わって、今日元旦は曇りから小雨のお天気になり、お天気やのわたしにはちょっと不満だが、しょうがない。さて、12月30日ローマの自宅で、1986年に医学部門でノーヴエル賞を受賞したリタ レーヴイモンタルチーノ女史が亡くなった。103歳。彼女は、上院生涯議員としても活躍し、特に女性および、人種差別に対しても運動を続けていた。トリノのユダヤ人の家庭に生まれたが、小さな頃から、「わたしは生涯結婚しない。何故なら、母が父に従っていたような、従う人を持ちたくないから。」と、はっきりした意見をもち、彼女の指には結婚指輪がはめられていたが、それは、彼女の結婚相手、科学を示すものであったという。戦中、ユダヤ人追放を逃れて、ベルギーへ、その後アメリカのセント ルイスに。アメリカでは約30年も過ごしていたらしい。(セント ルイスとローマを行ったり来たりした)そこで見た、黒人差別を見て、「現在まで生きて、アメリカの黒人大統領を見ることが出来たのは、本当に嬉しい」と言っていたという。妻になるとか、母親になるとか言った従来の考えにとらわれず、彼女自身の生き方を貫いた、モンタルチーニ女史は、女性側からも頼もしい存在であった。イタリア大統領ナポリターノ氏は、「イタリアのオルゴリオつまり、尊厳であった」と述べていた。死後の世界については、アニマ魂が残るとか、思わないけれど自分たちのアツイオーニ行動の何かが残るからと言い、死ぬのは怖くないと語っていた。一日一食、2時間の睡眠で過ごしていたという。
2013.01.01
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