心豊かなセカンドライフを求めて
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夕方、会議中に『自宅にすぐ電話してほしい』と伝言が入った。早速、電話をしてみると妻が出て、『病院から危篤の連絡があったので、お母さんが今さっき病院に出かけたわよ。 あなたもすぐ病院に行って。』30分ばかり仕事の段取りを指示して病院へ向かった。途中、駅の公衆電話で自宅で待機している妻に電話すると、『今、無くなったとお母さんから連絡あったわよ。』そうか間に合わなかったか。駅からタクシーに乗って病院へ向かった。この病院は介護施設もあり、とても親切なので気に入っていた。早いもので、入院してからもう1年半が経っていた。この1年半寝たきり状態だったが、とうとうその時が来てしまった。91歳だった。所謂、大往生だ。病院へ着くとすぐ親父の病室へ駆けつけた。2階ホール奥の4人部屋の一番入り口だ。母がちょこんと丸くなってベッドの横に座っていた。私が到着するのを待っていてくれた院長先生が、最期の状況を説明してくれた。静かに苦しむことなく眠るように逝ったそうだ。いつも丁寧に状況を説明してくれる女医先生だ。きょうは淡々と簡潔に、しかし静かにやさしく説明してくれた。『どうもありがとうございました。』静かにお礼を言った。『さっそくお支度にかかりますが、よろしいですか?』『はい、よろしくお願いします。』自宅に帰る準備に取り掛かった。しばらく別室で30分ほど待っていると、『準備が整いましたのでどうぞこちらへ。』と病院関係者の方に呼ばれてまた病室へ戻った。綺麗に体を拭いて白装束になり、担架に乗せられた。いかつい初老の男性がその担架を押してエレベーター近くまで運んでいった。私は病室に忘れ物が無いか確認して少し遅れて病院玄関へ降りていった。院長先生ほか病院関係者に挨拶し、静かに見送られた。覚悟は出来ていたので、自宅までの車中では、夜になった町並をボーっと見ながら、落ち着いていられた。母もじっと黙ったままだった。20分くらいで自宅に到着した。玄関は私の妻が綺麗に掃除しておいてくれた。応接間の畳部屋に静かに寝かせた。もう硬直が始まっており、葬儀屋が手の指を組み直そうとしたが苦労していた。穏やかな静かな寝顔である。葬儀屋が『お寺はどこでなさいますか?』と聞いてきた。『近所の○○寺です。』『そうですか。是非、我々にご葬儀をさせてください。 悪いようにはしませんから。』『そう言われても、そのお寺とは昔からのお付き合いなので、 まず報告してからにしてください。』『わかりました。一緒に伺いますから挨拶だけでもさせてください。』『・・・』『大丈夫です。お車にご一緒に。』よく知っているお寺なので、裏口の呼び鈴を鳴らした。住職の奥さんが出てきた。母と私が一緒だったので、すぐ察した様子だった。うなずきながら、『表の玄関へお回りください。』表から入り応接間に通された。『夜分に恐れ入ります。先ほど病院で亡くなりました。』と母が言った。『そうですか。今、住職が出掛けているので、副住職が参ります。 少しお待ちください。』『失礼します。』葬儀屋が入ってきた。相当な度胸だ。もう60を過ぎたベテランらしい。沈黙が流れた。こういう仕事のせいかわからないが、人相があまり感じよくない。目がきつく、顔もいかついていて子供が見たら恐い顔だ。しばらくして副住職が入ってきた。『どうもお待たせしました。』ちらっと、葬儀屋を横目で見た。『夜遅くにすみません。』母から父が亡くなったことを伝えた。『そうですか。お力を落とさないように。おいくつでしたか?』また、横目でちらっと葬儀屋の様子を窺がった。『この春に91になりました。』『そうですか。早いですね。 ついこの間、道でお会いしたと思っていましたが、病院にはもうどのくらいでしたか?』『はい、1年半くらいになります。その3年位前に自転車で転んで腰の骨を折ってから、 急にボケてきて体が弱っていきました。』『そうですか。道理で最近お見かけしないと思った。』一呼吸間があいたところで、葬儀屋が口を挟んだ。『私は葬儀屋の△△です。』と言いながら名詞を差し出した。
2007.03.25
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