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再び長崎港へ戻ってきました。いよいよ本ツアーのメインイベント軍艦島ツアーです。雲行きも何とか持ちそうですね。船は出るみたいです。軍艦島クルーズは数社運航しているのですが、今回お世話になるのは高島海上交通さんのブラックダイヤモンド号http://www.gunkanjima-cruise.jp/船に乗るのは早い者勝ち、並んだもの勝ちみたいです。我々の後ろはあっという間にすごい列になりました。 いざ出港。高島経由で軍艦島に向かいます。高島に寄るのは、高島海上交通さんの航路のみです。高島には石炭資料館や軍艦島の模型があって、最初に説明を聞いてからのクルーズになるので、船内の説明が分かりやすかったですね。 いよいよ、軍艦島が見えてきました。このブラックダイヤモンド号、2階デッキに屋根がありません。(ほかの会社の船は屋根があるようです。写真撮るのには、邪魔がなくていいのですが、いかんせん寒いです。)上陸前に、島北側の居住区を海上から見せてくれます。こちら側は上陸見学コースから見えない部分です。正面の一番大きな建物は旧端島小中学校、その横は病院です。 近づいてきました。どんよりしていますが、天気もなんとか持ちそうです。 島北側をクルーズします。見えるのは社宅群です。この社宅群は、島の第二の防波堤でもあり、島南東側の炭鉱施設を守るために自然条件の厳しい北西側に配置されいます。 冗談ではなく、台風時に西岸を襲った波の到達点が東岸だったって事が本当にあったそうです。(波が島を越えたってこと?) 社宅群の上に社が見えます。旧端島神社です。 神社もお寺も島内にあったのですが、島の面積の都合上お墓がなかったそうです。火葬場は隣の島にあり、遺骨は本土の実家のお墓に埋葬されていたそうです。 この島の名前は端島。下のアングルが軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と言われる様になりました 。 いよいよ上陸します。 一番高いところの建物は本社職員や鉱長の社宅です。こちら側は鉱山施設があった側です。中央部分が鉱山入り口です。現在はコンクリートで坑口はふさがれています。 四角い枠がドミノのように立ち並んでいますが、この上にベルトコンベアーが乗っていました。精製された石炭はこの上を移動、貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。今はその支柱が残っています。向こう側に見えるひときわ大きな白い建物は、旧端島小中学校です。 端島小中学校。屋上には緑化された屋上庭園が見えます。この端島が元々は岩礁です。まったく緑のない島に、子供の情操教育のために屋上に緑がありました。 見学通路を歩いて島西端へやってきました。さっきの小中学校とは反対側です。 向かって左側のくの字型が31号棟、正面の四角建物が30号棟です。その奥(31号棟の裏)が25号棟。見てのとおり31号棟は島の北側の一番波受けする場所に沿って曲がって立ってます。まさに第二の防波堤です。31号棟の1階には郵便局、公衆電話があり、地下には美容院と理容院がありました。 30号棟アパートは1916(大正5)年に建設され、当時の日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートで、グラバーハウスと呼ばれています。 鉱員住宅として建てられたこの建物は中が吹き抜けになっており、鉄筋コンクリート造としてもまだ試行錯誤の実験的段階でしたので、建築学会上大変貴重な建物です。ちなみに、角部に小さな窓の部分は集合トイレだそうです。夜トイレによういかんな・・・。 島の最西端にあったプール。軍艦島は島とはいえ、外海は高い防波堤で仕切られ遊泳禁止です。プールがあったとはいえ、もちろん水は海水でした。この軍艦島には、当時なんでもありましたが、隣の高島から送水管が接続されるまでは、水が宝物でした。 主力坑であった第二竪坑を含め、鉱山施設は現在ほとんど崩壊していますが、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。第二竪坑の遺構は今ではこれだけです。 鉱山の中枢であったレンガ造りの建物。この島の司令塔的存在でした。軍事機密があり、子供達は入れなかったそうです。会社の職員を70〜80名詰め込んで、島内の指示を出していました。このあたりには多くの建物がありましたが、現在ではそのほとんどが崩壊しています。こんな感じで、ガイドさんが解説してくれます。 この軍艦島ですが、世界遺産になっている部分は、近代文明遺産として手つかずで残っている、この旧護岸だけです。実はそれ以外の廃墟群は世界遺産ではありません。これらの廃墟群は単に世界遺産に隣接しているだけのものであり、今後守られる保証はありません。世界遺産になったことで、廃墟群も守られる機運は高まるでしょうが、これらをこのまま保存することは技術的、金銭的に不可能でしょう。そういった意味で、この軍艦島は常に朽ち行く世界遺産ということになるでしょう。 先人達がが作った物って、スケール感が違いますね 。我々が残したものも、100年後にはこんな風にみられるのでしょうか? 引き上げます。次に来るときは、もっと朽ちているのでしょうか?ガイドさんも「今日の軍艦島は、今日だけで、明日はどうなっているかわかりません」と話の中で言ってましたね。 こんな波の穏やかな日は珍しく、年に数日しかないとのことでした。 一路長崎港に戻ります。長崎港からバスで博多に向かいます。車路2時間強で博多着。新幹線の出発時間まで、1時間弱の自由時間があります。 さすがに、中洲の屋台まで出る時間はありませんから、駅ビルの中のラーメン通りで晩御飯を物色。長浜ラーメンをチョイス。ほんと今回の旅はラーメンばっかだったなあ~ 新幹線で岡山を目指します。もちろん、車中で最後の乾杯もしましたよ。持ってきた差し入れのお酒もおつまみも完食しました。23時前に岡山駅着。そのまま全員流れ解散して帰宅しました。全員無事帰宅しています。皆さんお疲れさま。楽しかったですね。
2016年02月08日

ツアー2日目です。午前中は、長崎市内をまわります。まずは、平和公園。ここは元々長崎刑務所があったそうです。爆発によって、この外周の壁の一部を残して、すべて消し飛んでしまったそうです。 平和祈念像です。 長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。 ちなみに、この指先のポッちは避雷針なんだそうです。わかるかな? 車窓観光で市内を巡って、これまた市内観光の定番の眼鏡橋にやってきました。眼鏡橋周辺はランタン祭りの大小のオブジェが所狭しと並べられてます。 オブジェは川の中にまで配置されています。ここは中国か ちなみにこの眼鏡橋。中学校の修学旅行でも来ました。当時は国内最初の石作アーチ橋って習ったけど、正解は、沖縄県(当時は琉球王国だから国内最古は眼鏡橋って解釈らしい)の、天女橋が現存する最古の石作アーチ橋です。 たくさん見つけたらいいことがあるらしい「ハートストーン」分かるかな?眼鏡橋界隈にもあるし、あとで行くグラバー園にもあるんだって。長崎のあちこちの観光地にあるらしい。 眼鏡橋のたもとの江崎べっ甲店へ、ここでバスが待ってます。約300年の歴史のあるべっ甲店です。車の買える様なべっ甲の眼鏡がありました。なんだか桁が違うぞ。政治家でもない限りこんな眼鏡買えんわ! 午前中の目玉のグラバー園へ。ここでお昼過ぎまで自由行動です。 グラバー園から見る長崎の街並みと長崎港です。 このジャイアントカンチレバークレーンも世界遺産なんです。 1909年(明治42)竣工。現役バリバリの世界遺産です。これば、三菱造船のドックで建造中の豪華客船。建造中に何度も火災が発生しているいわくつきの船です。つい先日も火災騒ぎがありましたね~。部分的に黒くすすけています。少し急ぎ足で、グラバー邸まで下ってきました。急ぎ足には理由がありまして、それが こ・れ・だ !ド・ドーン!長崎ちゃんぽん発祥の店「四海楼」さん。http://www.shikairou.com/index.htmどーしてもここで、お昼にちゃんぽんが食べたかったので、急ぎ足回ってきました。11:30開店だったので、11:30に入店。もうすでにいっぱいで、我々がはいって、席が埋まりました。あれよあれよと待合が一杯になって、廊下に待ってる人が溢れてました。あっさりとした白スープとこしのある麺。超うめ~。たっぷり乗った錦糸卵が上品ですな。 完食です。すみません。スープまで飲み干しました。 急ぎ足で昼食に向かったので、集合時間までたっぷり時間があります。予定では、このあと軍艦島上陸クルーズ→バスで博多→新幹線で帰岡山と、ゆっくりお土産の物色は出来ないので、ここでしっかりお土産探します。お酒を持たせてくれた上司には、お酒でお返しします。試飲して吟味しましたから!あやしい、土産物屋を発見。怪しすぎる・・・。中は僕好みの軍下がり品やジッポ、アクセを扱うお店でした。なんだか、急に天気が怪しくなってきたぞ。風が吹き始めたし、雨がぱらついてきた。波浪注意報が出てる。このいやーな感じの黒い雲・・・。この後の、軍艦島クルーズは大丈夫か?ドキドキしながら その3に続く
2016年02月07日

今日は職場の有志で、職場旅行です。世界遺産の軍艦島へ向かいます。5時起床で6時の電車で岡山に向かいます。6時の電車が事故のため不通です。6時半の電車だったら集合ギリです。6時半の電車もNGなら・・・。幹事だし、持ち込みのお酒やらつまみやら、あれこれグッズを私が運んでます。遅れる訳にはいきません。急遽、嫁さんに岡山駅まで送ってもらって、なんとか事なきを得ました。参加者全員そろって新幹線で小倉へ。新幹線で本日1回目の乾杯。 職場の上司からたくさん差し入れもらってます。こりゃ、たくさん飲めるわ地元の室町酒造のお酒がたくさんです。小瓶飲み比べセットもあります。新幹線は小倉まで。小倉でバスに乗り換えて、高速で鳥栖経由で西進して佐賀を目指します。途中佐賀の武雄温泉で昼食。結構なボリュームでした。佐賀牛うめ~もちろん瓶ビールで本日2回目の乾杯です。再び高速を西へ西へ・・・。佐世保を越えて九十九島が展望できる展海峰へ すごい島々。ツアーの皆さんはこの後オプショナルで島巡りクルーズだそうです。 我々は遊覧船の乗り場のある九十九島パールシーリゾートの芝生大広場で今日からカキ祭りが開催されていることを事前にリサーチしてました。カキだけでなく、木炭も軍手もカキ開けナイフも必要な道具はすべて購入できます。レモンは岡山から持ってきました。サトチャンありがとう!長崎でカキが採れるなんて知らなかったなあ~確かに広島、岡山のカキ漁場は島が多い海流の緩やかな場所だわなそう考えたら、九十九島はベストだわね~結局カキをお代わりして6人で、3キロをペロリ。もちろん持ち込みの酒で、本日3回目の乾杯もしましたよ。時間も計った様に、集合時間前に完食。ツアーも全員集合して、一路長崎へ向かいます。途中、ツアーにつきものの、土産物屋さんへ・・・長崎ですものカステラに決まってるじゃあ、あ~りませんか!しっかり試食させてもらって、その場の雰囲気に押し流されて、カステラたくさんお買い上げその後は、まっすぐ長崎市街へ向かい、予定通りホテル着。前もって予約していた近くの居酒屋に繰り出します。今日何回目の乾杯4回目ですね。ここの居酒屋は中心街から少し外れた立地だったにもかかわらず、しゃれてておいしかったです。 当たりでしたね! 腹ごなしに長崎駅前まで出てみました。長崎は何度か来たことがあるけど、駅前って初めてじゃないかな?駅前も春節のランタン祭りの準備で、巨大オブジェがあちこちに鎮座しています。もともとは長崎新地中華街の人たちが中国の旧正月(春節)を祝う行事だった長崎ランタンフェスティバル。1994年に規模を拡大してから、長崎の冬の一大風物詩として全国的にその名が知られるようとなりました。15日間の期間中、街中に飾られる約1万5000個の極彩色のランタン(中国提灯)と、各会場の大小さまざまなオブジェたちが一帯を幻想的に彩り、訪れる100万超の人々の心を深く魅了するそうです。 さて、宿に戻りますか。帰り道に寄りたい処があるって?これまた、事前にリサーチしていた屋台に寄ります。このリサーチは聞かされていなかったなあ~。 大将曰くここの屋台はおでんとラーメンがおすすめとのこと。もちろんここでも忘れず、ビールで乾杯です。今日6回目ね。次に入ってきたお客さんもラーメン注文してましたが、「売切」って、まだ22時前だよ。大将、ラーメン玉の数準備が少ないじゃない? ちょっと回り道して港に出てみました。 正面の高層マンションの最上階に福山雅治のお母さんが、住んでんだって。福山の親孝行なんだって。 無事ホテルに帰還。もちろんホテルの部屋で持ち込みのお酒による3次会スタートです。ぐだぐだやりながら1日目の夜は更けていきました。もちろん7回目の乾杯はしましたよ 2日目につづく・・・。
2016年02月06日
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