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日本の伝統が途絶えた時期と言えば第二次大戦における断絶を想像するが、明治維新期のそれも相当なものであったように思う。維新を担った者の多くは極貧の中で育った最下層に近い人々である。士農工商は身分の上下というよりも区別であり、下級武士の中には中程度の農民よりも貧しい者がいた。主にそうした人々が維新という大変革をになったわけである。維新の元勲たちは新政府が樹立されると華族令を出し、旧大名とともに自分らも華族におさまった。そういう意味で維新は大幅な階層変革をともなった革命であった。*革命は伝統文化の変革を伴う。江戸時代の伝統の多くは御一新という掛け声のものに放逐され、神仏もこのときに分離された。今でも分からないのがこの廃仏毀釈である。宗教心というのは日本でも根深いものだったはずで、なぜこの時期の人々は仏像を壊したりということをさして抵抗なくおこなったのだろうか。お節句の代わりに様々な祝日が導入されたのもこのころであり、新しい祝日のほとんどは天皇がらみのものであった。天皇崇拝自体はともかく天皇の誕生日を祝ったりするのは日本の伝統にはない。万歳というのも明治時代に始まったようである。*天皇制も維新を契機に大きく変質した。それまでは天皇と言えば御所の中で女官達にかしづかれて暮らしていた。それは明治になって女官ではなく、元武士達が周囲をかためるようになり、軍隊の閲兵なども行なうようになった。いわば平安時代以来の公家文化につかっていたものが、ヨーロッパ的な君主に変質していったのである。真偽のほどはわからないけど、明治天皇すり替え説というのもあるそうである。少年天皇にすり替えるほどの理由があったかどうか理解しがたいが、東京遷都というのは、いわば御所の女官などをとりのこして、新政府の役人達だけで天皇の政府をつくろうとしたわけなので、あのときにすりかえがあっても誰もわからなかったのかもしれない。東京遷都については正式な法令などはなく、ただ一時的に東京に行くということになっていただけであり、その一時的な滞在は今に続いている。
2013年11月28日
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60年前の赤ちゃん取り違え事件で病院側に賠償をみとめる判決があったという。当人のプライバシーもあるし、詳細な報道はできないしすべきでもないのだが、取り違えられたもう一方の方が気になる。そもそも調査を行なったのはそのもう一方の弟だったというのだから。兄だけが他の兄弟に似ていない、母が死ぬ間際に疑問を言い残した…そんな背景があるようだが、間違えられて裕福な家庭に育った方もそれほど幸福だったわけではないのではないか。「恵まれた家庭に育ったはずが苦労の人生になった」という原告の男性も被害者かもしれないが、もう一方の男性だってそれはそれで被害者のような気もする。*だいたい人間なんて容姿、体質、知能、才能、何ひとつ選んで生まれてくるわけではない。親の経済状況だってそんな中の一つにすぎないのではないか。裕福な親というのはなんらかのアドバンテージにはなるけど、それがすべてというわけでもない。間違えられたもう一方の方。そしてまだ存命の貧しい方の家庭の母親。こうした方が損害賠償請求を行なったら、さて、どんな判決がでるのだろうか。まさか「貧しい家庭に育ったはずが裕福な家庭に育つこととなり、進学までしたので損害はない。」ということになるのだろうか。
2013年11月27日
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この頃、米中対立という言葉をよくきく。かつて米ソが対立したように米中が二大強国として国際社会で対決していくという予測だ。そういうことも確かにありそうである。でもかつての米ソ対立と米中対立…似ているようでいて全然違うのではないか。*かって米ソ冷戦たけなわの頃、ソ連から米国に永住するのは亡命者だけであった。もちろん米国には民族としての東欧系、ロシア系という人々はいたが、彼らもまた概ね社会主義化したソ連や東欧には批判的な人々であった。ところが中国は違う。多くの中国人が米国に留学し、そのまた多くが米国にそのまま留まる。なかには米国の国籍を取得する人もいるだろう。彼らは別に亡命者ではない。中国の親族に送金し、中国人としてのアイデンティティも十分にもっている。米国が移民国家としての看板を下ろさない限り中国人の流入はとめようがないし、また、米国が事由の国、機会の国という看板を下ろさない限り能力ある中国人が米国の各界に進出していくことだって止めようがない。そしてまた、こうした移民の波があるかぎり、米中対立は米ソ対立と同じにはならない。実際のところ、中国が軍事力、富、科学技術力など国家としての総合力で米国を凌駕する可能性よりも、米国の中で中国人が様々な分野で頭角をあらわし、中国系の政府高官や、ことによると大統領が出る可能性の方がよほど大きい。*そしてまた米ソ対立は自由主義、資本主義対社会主義という理念の対立でもあった。今の中国も一応社会主義とか共産党とか言っているが、中国が社会主義国家だと思っている人はあまり多くないだろう。だいたい社会主義的市場経済なんてのは白い黒猫というくらい妙な概念である。おそらく中国人にとって、理念とか主義とかそうしたものは、宗教同様にどうでもよいものなのだろう。重要なのはうまい飯をくうこと、多くの金を稼ぐこと、多くの子孫を残し、その子孫が繁栄していくことで、そのためには世界のどこにだっていく。競争相手としてみた場合、かつてのソ連と今の中国のどっちが手ごわいかと言えばおそらく後者ではないか。
2013年11月26日
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こんな話がある。たった一言で家族が崩壊という話である。会社で夫が不本意な辞令を受けて帰宅すると、妻も落胆し、息子に「お父さんみたいにならないように勉強しなさい」と言ったという。「お父さんみたいにならないように…」というのは、まさに傷に塩をすりこむような言葉で、夫は即時に離婚を決意し、後年になってその時のことをふりかえっても離婚という選択について全く後悔していないという。考えてみれば親子と違い、もともと他人である夫婦なんていうのは、非常に脆いきずななのかもしれない。それどころかもともと他人である人間同士のつながりが何十年も続くなんて言う方が奇跡に近いといった方がよいのだろうか。*この話で怖いと思うのは妻の気持ちも夫の気持ちもよくわかるのである。それだけにこんなことは、あちこちにありそうな話なのかもしれない。妻はおそらく夫の学歴、さらにいえば偏差値や知能程度にもともと不満をもっていたのではないか。夫の仕事が順調にいっているうちはよい。それが夫の挫折(出身大学の偏差値の故と妻は解釈)の時に、その不満が爆発したのではないか。寄生虫根性といってしまえばそれまでだが、夫の地位を自分の地位であるかのように考える女性は昔も今も多い。そしてまた、自分は努力したり困難に向きあったりという気はさらさらないのに、夫にだけはそれを期待するという妻も多い。*一般論であるが、そうした寄生虫根性のさしてない妻の場合でも、学歴格差婚、偏差値格差婚というのは壊れる例がどうも多いように思う。この場合の格差というのは妻の方が上位というケースで、夫上位の場合にはほとんど問題はない。その一方で、夫の方が知的レベルが明らかに上位で妻が夫を心から尊敬しているようなカップルはいつまでも幸福そうにみえる。*ただ、性格などと違って学歴や偏差値などは結婚前から分かっていることだ。幸か不幸かそうした結婚をした場合、結婚後は片目あるいは両目をつぶるような智恵も必要なことではないか。
2013年11月25日
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かつて日本経済の一人勝ちと言われた時代があった。そんな経済の一人勝ちを支えたものは日本製品の品質の素晴らさであった。どんな製品をとってみても日本製品の品質は勝っていたので、外国には何もほしいものはない…そんなことをいう人も多かった。記憶は定かでないのだが、勝ちすぎの日本に対するバッシングが酷くなったため、政府は輸入品の購入を呼びかけたこともあった。*そんな時代も今は昔…若い人が自動車の話などをするのをきいても外国車の話しかでてこないし、日本産の家電はすぐに壊れるので外国産のを買おうと言う人もいる。周囲でも徐々に普及しつつある家庭用の掃除ロボットも人気のあるのはもっぱら外国製だ。友人と散歩をしていたときのこと…なにかの拍子に友人が携帯を落としたらあっさりと液晶が割れてしまった。国産メーカーの製品だったのだが、これではサムソンやアップルにかなわないのも無理もない。*過去の成功体験が今に通じるとは限らない。逆に過去の成功体験があしかせになることもある。それでもどうしても考えてしまう。あの頃にあって今の時代にないものは何であろうか。いったい何が変わったのであろうか。
2013年11月24日
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韓国ドラマ「魔王」と「復活」にすっかり夢中になって以来、ハマる韓ドラをいろいろと探している。「京城スキャンダル」はよくできているけど、どうも独立運動に命をかける若者たちの物語というのが先がみえすぎていて続きを見る気にはなれない。「銭の戦争」もやはり最初の2話くらい見たのだが、これももうたくさんという感じである。面白いのだけれども、なんか先がどうなるのかというのが気になるというほどではない。ホームレス達が韓国の高度成長期の流行歌「ああ、大韓民国」を歌う場面がなんとも秀逸ではあるのだが。大河ドラマは興味をひく時代もあるのだが、DVDだけで30巻くらいあるのをみると、ちょっと全部見終わるのにどのくらいかかるのか…などと考えてしまう。DVD視聴者向けに総集編のようなものがあればよいのに。*いろいろと韓国ドラマのことを書いたが、最近、1話と2話をみた「グリーンローズ」はちょっと面白そうで引き続き見てみたいと思う。「魔王」、「復活」同様に復讐ものであり、ラブストーリーもあるので、どうもこうしたものにハマりやすいのかもしれない。最初しかみていないのでネタばれなどしようもないが、「魔王」や「復活」に比べ、ハッピーエンドになりうる設定なのがよい。そしてまた「魔王」や「復活」ほど先が気になるというわけではないので、韓国語コンブも兼ねた試聴にはちょうどよい。それになにより主人公の男っぽい美形とめっちゃ気の強いヒロインがいかにも韓国ドラマという感じだし…。「復活」は二度目も試聴している。一度目では気づかなかった伏線もあって、それもまた面白い。それにしても「復活」ってよく考えると、庶民の視聴者が望む隠し味がある。上流社会の豊かな生活と温かい庶民の生活、それを比べて幸福なのは実は後者ではないかというメッセージである。現実には経済的余裕と温かさは正の相関があるのだが、貧しくとも心豊かにとメッセージはそれはそれで説得力がある。双子の兄弟が一人は上流家庭で、もう一人はまずしい屋台主人の養父の下で育つのだが、最後までみると幸福だったのが後者だったようである。
2013年11月23日
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昔、就職試験をうけたときのこと…四者択一の教養問題だったかと思うが、岳父の意味を問う問題で、選択肢の一つに「中国神話にでてくる山の神」というのがあって、問題を作る方のセンスに感動したことがあった。たしかに中国神話にそんなのがでてきそうだったから。でも、中国神話の神様だったら普通の生活にそんな言葉がでてくるわけもないし、そもそもそんなものが教養問題にでるわけもない。この岳父という言葉は中国の故事に由来して、泰山の神を祭るための宰相に任じられた男の娘婿が急に出世したという話にちなむので、中国神話はともかく、中国の山の神というのも間違いでもない。そのほか、こんな問題もあった。I,my,me→原色→アメリカ国防省→竹林の賢人で次にくるものは何だ…という問題で、野球、電車、山中湖、日本酒の中から選択させる問題だったかと思う。まあ、数字に着目すれば分かるのだが、最初はよくわからなかった。自分が受けた問題ではなかったが、小説「奇病連盟」にでてきた話で思い返しても笑える挿話もある。「日本経済への期待」について文章を書けという問題なのだが、不運なことに二行にわけて書かれたタイトルの半分が柱の陰になってよくみえなかった。そこで「への期待」が課題だと思って、一生懸命、盲腸手術の後に屁を待っている話を書いたという。小説の中でのことなのだが、実際にこんなのはありそうである。
2013年11月22日
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幕末維新といえば俊英が綺羅星のように出現した時代ということになっている。彼らは皆明日の世界をみすえ日本のことを考えていた…とするのがこの時代を語る大前提みたいだ。従ってこうした維新の英傑達の負の側面はあまり語られない。要するにあの時代の悪玉はあくまでも無能な公家や旧時代の武士であって、維新を担った人々は星のように光ってなければならないのだ。*だから、伊藤博文が若き日、英国公館焼き討ちに関与したことや、塙なんとかという人を殺害したことなどはあまり強調されないけど…なんのことはない、若き日の伊藤はテロリストだったわけである。想像をたくましくすれば伊藤博文は百姓の出で親が足軽の養子となったことでかろうじて武士の最下層にはなったけど、寒族であることには間違いない。志士としては桂小五郎にみいだされて出世していくわけなのだが、それだけに動乱の時代の汚れ仕事を引き受けていった面もあるのではないか。伊藤博文が英傑であることには間違いないのだが、手当たりしだいのような女性関係は別にして、若い日々には知られていない暗部もありそうである。そういえば大久保利通も幕末の政争の中で勧王家の父子を惨殺している。明治天皇の子供の頃に世話をしたこともあった人物で、大久保もいる前で帝が●●はどうしているかと聞いたら皆色を失ったという。そういえば佐賀の乱も謎ばかりだ。だいたい反乱の首謀者とされる江藤新平と島義勇は同じ佐賀というだけで接点もほとんどないし、親交もない。そして江藤新平の追討令がでたときには彼はまだ佐賀にも到着しておらず、長崎にいたという。不平士族をなだめようとしたら逆に反乱の首謀者にまつりあげられたというが、通信も発達していない時代に直前まで東京にいた人物がなぜ反乱を主導したのか。その後の暗黒裁判とともに考えると、佐賀の乱は反乱というよりも一種の粛清劇だったのではないか。*明治維新以降の近代化の成功は世界史上の奇跡ともいわれている。維新の元勲は他国の権力者に比べればまともだったのかもしれない。しかしだからといって、そうした元勲たちや明治という時代が無批判にすばらしかったわけではない。その時代の政府高官達の贅沢三昧な生活は世の顰蹙をかっていたし、様々なスキャンダルも続出していた。
2013年11月20日
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特定秘密保護法案の成立が確実となった今の時点でマスコミや野党から反対があいついでいる。なぜもっと前から反対をいわなかったのだろう。単なるアリバイ作りとしか思えない。どうもよくわからないのはこの秘密保護と民主主義との関係である。十分な情報を得てこそ、国民は選挙を通じて国家の方向を決めることができる。ところがそうした情報を得ることができなければ正しい判断もできない。ちょうど大本営発表しかしらなかった庶民が最後まで騙されていたように…。そしてまたこうした「秘密」と外国との関係はどうなるのだろう。例えば原発や放射線に関する情報が「パニックを防ぐ」という理由で公表されなかったら、国内はよいかもしれないけど、外国からはかえって疑心暗鬼をまねくのではないか。海も空も日本だけのものではない。そこから汚染水や放射性物質が放出されれば、場合によっては外国も影響を受ける。軍事などの情報が秘密というのならまだわかる。ただ日本の場合、その「軍事」がたてまえではないことになっているので、秘密の範囲が際限なくひろがりそうな不安がある。*この秘密保護法ではブログも処罰の対象になるという。米国でも「愛国者法」が制定されてから多くのブログが閉鎖されたという。市井の人の書くブログがなぜ国家秘密と関係するのかよくわからないのだが、ブログも書きにくくなることはありそうな話である。今でも、なんだかブログが窮屈になっていくような気がしている。「復興不要」発言をした官僚が袋だたきにあい、職を追われたが、愛犬や家族の記事が主体の個人ブログで件の発言は2年前のものである。匿名ブログで身元をあばき、バッシングする現象に怖さを感じる。あれは官僚だからというよりも、一応名の知られたような企業のサラリーマンであっても同じようなことが起きそうだから。*変なことを変だといえないのは窮屈でフラストレーションがたまる。こうした日記なしの生活はもう考えられない。あ~変なことばっかり。昔から親任大使が馬車で皇居を訪問するなどは行われていた。小国だろうが大国だろうが関係ない。なんで今度の米国大使の馬車訪問を大報道するのだろう。どっかの局が話題として取り上げるのならよいのだけれども、一斉に取り上げるのは異様としか思えない。そもそもそんなのニュースでもなんでもない。飲酒運転での交通事故の刑罰の上限が15年になるという。飲酒は意思が介在する余地があるけど、病気が理由の交通事故でも同様の重刑になるという。そういえば病気をおしてクレーン車の操縦をやっていた人が事故を起こした例があったが、じゃあ、ああいう人は病気だからといって仕事を辞めれば暮らしていけるのかしら。生活保護だって窓口での追い返しが普通にあるというし、貧困の自己責任論や生活保護バッシングもますます隆盛だ。それにしても懲役15年…今の刑法では監禁罪など何年監禁しても上限は10年でしかない、手足をきりとるような(考えるだけで鬱)重大な傷害事件でも殺人未遂でないかぎりこちらも上限は10年である。飲酒運転の重刑もよいが、こっちの方の見直しも急務ではないか。
2013年11月20日
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ちょっと旧聞に属するが、A層、B層、C層、D層という区分けが選挙戦術で行なわれたことがある。正確には与党が委託した広告代理店が考案した戦術が、世に流出してしまったものなのだが、なかなか面白い区分けである。選挙民を二つの軸で四区分にわけたもので、選挙戦略のターゲットはB層であるとする。二つの軸とはIQと構造改革に肯定的か否定的かである。こんな区分けをされれば、怒りの声がきこえてきてもよいようなものだが、不思議にそれはなかった。皆自分はA層かC層だと思っているのかしら。そうではないだろう。テレビ局は大手広告代理店には頭が上がらないのだからこんな区分けの批判をするわけもない。ワイドショーのコメンテーターが怒って見せなければ怒りもわかない。それがB層のB層たるゆえんだ。*IQと言うといやらしいが、政治の問題についてぎりぎりと能動的に考えて投票するのか、わりと短時間の考えで投票するのかで区分けすると、多くの人がB層かD層なのではないか。もちろん小生も含めて…。こうした軸と新自由主義や格差拡大に肯定的か否定的かという軸の二つで分けるのである。どっかに書いてあったのかもしれないが、安倍政権の前回と今回で何が変わったかというと、政策を訴える訴求対象をA層からB層に移したことである。そのかいあって、今回は前回と比べられないほど支持率が高く、安定感がある。前回は「戦後レジームからの脱却」とかなんとかいっていたが、B層にとってはそんな理屈はどうでもよい。それに比べると今回の「アベノミクス」(どうせどっかの代理店の造語だろうけど)で景気回復というのはわかりやすい。生活がよくなりそうな匂いだけをかがせて選挙で勝利した。選挙民には気分や期待感だけでも大いに効果があるという好例である。D層対策だって現政権はぬかりない。人は不満を持てば叩く対象を求める。公務員バッシング、生活保護バッシングはD層対策であろう。*安倍政権はこんなふうにB層、D層対策に余念がないけど…、寒風の中、せっせとC層にむけた演説をやっているご苦労なところもある。憲法9条賛美とかTPPとか秘密保護法とか、こむずかしいことを延々としゃべっても朝の忙しい時間通行人がたちどまるわけないじゃない。どうしてD層に向けた話をしないのかしら。本当に不思議。
2013年11月18日
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韓国ドラマの京城スキャンダルをみた(1~2回)。日帝時代を舞台にしたラブコメディ―という意欲作なのだが、今一つ「植民地時代の悲惨さ」が伝わってこない。基本はラブコメというタッチの明るさもあるのだが、あれでは主人公達が皆最後は独立運動に身をささげるという必然性がよくわからない。1930年代の京城の街は電気が通じ、電話も利用することができ、公共交通機関も整備された文明都市だった。同時代のアジアの都市であれくらいの都市がどのくらいあったのだろう。主人公の一人は大金持ちのぼっちゃまで三流雑誌の記者。女性主人公の一人は書店を営みながら夜学の教師をしている。フィクションとはいえ、そうしたものを職業にできる人がいるためには、社会がある程度豊かである必要がある。日帝植民地時代に半島の人口は二倍に増えている。もう一人の主人公は、高等文官試験の行政科と司法をともに合格した秀才。高等文官試験の合格者には半島出身の者もおり、年とともに増えていた。外国語である日本語で受験することのハンディはあったが、試験では内地出身も半島出身も差別はない。文官もそうなら武官も同様に士官学校には半島出身の秀才青年がいた。総督府の幹部は日本人ばかりであったが、軍隊の方は、半島出身の将官もおり、多くの日本人の部下を引き連れる半島出身の士官は英雄であったという。日本人は能力ある者であれば上にたつものが内地出身であろうが半島出身であろうがこだわらない。今だってたぶんそうである。*植民地支配がよいことだとは思わないし、明治以降の日本の大陸進出政策が間違いであったことには違いない。ただ、日本の植民地支配というのは、現地出身者を奴隷のように農場で酷使し、水田をゴム園にして何万もの人間を餓死させたようなものとはずいぶん違う。もちろん半島に人々にしてみれば、文明としては隣の島国よりも格上だと伝統的に思っており、白人が有色人種を支配したような例とは一緒にするなということだろう。それではポーランドの例に比べたらどうなのだろう。岩倉使節団は欧米をまわった時、出発は一緒であったが、帰国は各自ばらばらであった。最後まで欧州に残った木戸はロシア支配下のポーランドの惨状に衝撃をうけたという。このポーランドの悲劇は日本国内でもかなり喧伝された。ポーランドはロシアの西の隣国であり、東の隣国は日本である。明治以降の日本は植民地支配をする方に向かったが、植民地化される不安というのも当時の人々にはあったのだろう。http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/mizusawaAoki.htmlhttp://pontainpol.nomaki.jp/index2.html#kikiishiki
2013年11月17日
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日本に近代文学なるものが導入されたとき、従来の勧善懲悪、ご都合主義的なストーリーのアンチテーゼとして、高尚なものほどつまらなく、面白さを追求したようなものは俗悪だという刷りこみが生まれたのだろうか。そうでも考えないと、なんで日本の戦前の文学作品はあんなにつまらないものが多いのか説明できない。絶対にわざとつまらなく書いている?*あの隆盛をきわめた私小説という文学ジャンル。こうしたもののほとんどは、せいぜいよく書かれている大人の作文といった程度のもので、金と時間を使ってアカの他人が読むようなものではない。私小説の傑作とされる「暗夜行路」も読んだことがあるが、なんかどこで何を食べたとかそんな描写ばかりで、なぜあれが小説の神様なのかよくわからない。「明暗」も日本を代表する文豪の最高傑作という裏表紙の説明につられて読み始めたがやはりつまらなかった。親戚や友人とのやり取りの描写ばかりで、物語世界がそうした日常の生活や思考にとどまっている。今となっては大正時代初期の中産階級の生活という意味では興味深いのだが、そうしたものは文学的価値とは別物だろう。小説の最後で主人公は湯治場に行く。そこには昔の恋人も投宿している。未完に終わった小説なのだが、おそらく最後まで何も起きないのではないか。*文学イコールつまらないものというのは日本だけなのではないのだろうか。私小説なんてジャンルはおそらく外国の文学にはない。外国の優れた文学、「ジェーンエア」とか「アンナカレーニナ」とかは何度も映画や舞台になっている。それに比べて日本の文学には映画や舞台になったという例は少ない。高校生が夏休みの感想文の宿題でよく読んでいる「こころ」…あれなどはあんなに多くの人が読んでいるのに映画や演劇になったという話はきかない。感想文向きではあるのかもしれないが、やはりつまらないからだろう。
2013年11月15日
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非嫡出子の相続分について嫡出子と区別した民法の規定が改正されるという。それはよいのだが、一連の流れで不思議に思うことがある。それは正当な家族保護という立場かたこの改正に反対している方々のいうその正当な家族とは何なのだろう…ということだ。非嫡出子の相続分の格差是正に反対する人びとが同じくらいのエネルギーで愛人との間に隠し子のいる著名人を批判しているのなんか見たことがない。なんだかなあ。ああいう人達のいう正当でありかつ伝統的な家族というのは、男が愛人を作っても、その間に生まれた子は「日蔭の子」扱いをされるという形態をいうのかもしれない。たしかに、男が外で愛人を作り、子が生まれそうになっても、社会が非嫡出子に対して厳しいものだったら、かなり安心して中絶を勧めることができるし、金ですませることもできる。そういう社会であった方が都合がよいという人もきっと多いのだろう。
2013年11月13日
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なにげなく見ているニュースでもふと気になるときがある。イランと6カ国協議…こういうニュースは本当にききながしていたが、6カ国とはどこなんだろう。北朝鮮の核問題についての6カ国は言わずと知れた周辺6カ国(北朝鮮も入れて)であるが、イランの方はどうも違うようだ。http://sankei.jp.msn.com/world/news/131110/mds13111015580000-n1.htm答えは米国、フランス、ロシア、中国、英国、ドイツのようである。文化的にも地理的にもイランとは関係なさそうな国なので、これは国際社会に影響を持つ重要な国だということなのだろう。そう考えると最初の5カ国は常任理事国なのでわかるがさてドイツはいったい何で入っているのだろうか。ドイツは一応日本とともに国連常任理事国入りを目指していると言うが、実質的にはすでに常任理事国なみの国際政治での重要プレーヤーとしての地位を手にしているのかもしれない。*国連改革は酒クラブ対コーヒークラブの対立が有名だが、これはダミーのようなもので、すでに影響力のある国が国際社会をリードする構図は別のところで形成されているのかもしれない。ちなみに国連改革で常任理事国を拡大することを主唱するのが酒クラブ。メンバーは日本、ドイツ、ブラジル、インドが中心である。これに反対するのがコーヒークラブでイタリア人のコーヒー好きが語源らしいが、イタリア、パキスタン、スペイン、メキシコ、サンマリノ、韓国がメンバーだという。サンマリノなんていう国は初めて聞くので、必ずしもメンバー固定というわけでもないのかもしれない。外務省では「日本の常任理事国入りは悲願」だといって毎年予算をとり、一票を有するアフリカ諸国などをせっせと接待しているのだが、同じようにコーヒークラブの国だって「●●の常任理事国入り阻止は悲願」といってせっせと運動していることだろう。http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/258682/nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01297/contents/258.htm酒クラブで足並みをそろえてといっても、ドイツなど実質的に常任理事国なみの発言力を手にいれれば、形式的な常任理事国の席などにはこだわらないだろう。*常任理事国入りという目標のために海外に金をばらまくのはやめた方がよいのではないか。生活保護など福祉や公共事業で国内に投入した金は、国内で一定の経済効果を生む。ところが、外交に使う金は純然たる国富の流出でしかない。だいたい金を払っているから常任理事国の席をよこせなんていう発想自体が下品。ところで、日本の発言力なのだが、経済誌フォーブズの世界の発言力ランキングで安倍総理はかなり下だという。マスコミは安倍総理に好意的なようだが、国際社会ではあまり相手にされていないようである。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4991.html
2013年11月11日
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社会教育会館での太極拳指導にときどきいく。来るのは多くは70歳代、80歳代で小生などはずっと下の年代になる。年齢が高いだけではない。手術などをし、それをきっかけにして始めたという人もめだつ。「気」の力で病魔退散を願い、練習やその後のおしゃべりなどで気分転換を図る。*高齢化社会というのは様々な病と共存していかなければならないということをつくづくと思う。大病をしたあと、80歳をすぎても元気な人もいれば健康自慢のおじいさんがこの頃来ないなと思っていたら孤独死だったなんていうこともある。確かなことはきっと二つしかない。人間はいつ死ぬかなんてわからないということと、そして人間はいつかは必ず死ぬということだけである。
2013年11月11日
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食材の誤標示が大ニュースになっているのだが、どっかのレストランでバナエイえびをしばえびと表記する嘘と、一国の総理が原発事故の汚染水について、コントロールされていないものを「アンダーコントロール」という嘘とどっちが大きいニュースなのだろうか。総理を批判しないで、レストラン店主を糾弾するような報道は、誤標示の是非は別として、ニュースの軽重を勘違いしているとしか思えない。さらにいえば、現在進行中の秘密保護法案や一度はとん挫したもののどうせ息をふきかえしてくるにちがいない解雇特区の報道がなぜ少ないのかも不思議でならない。食材偽装とか、山本太郎の「不敬行為」の大報道はもしかしたらさらに重要なニュースを隠すためなのかしら。そうだとしたらそれこそが偽装だ。個人的に考えれば外食のエビが何エビと表示されていたのが実は何エビだったなんてことよりも、その外食産業で労働基準法無視の長時間労働がまかりとおっていて辞めていく人があとをたたない…なんてことの方が問題なんじゃないのと思うけど。
2013年11月10日
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人種差別について語る人をみるとある共通点がある。それは人種差別がいかにけしからんかを言い、日本国内の差別者を糾弾するという構図である。日本人には何人を差別している人がいてけしからんとか、日本人には何人種に対する差別が色濃く残っていて問題だといった類である。そういう人達ががんばったせいなのだろう。昔なつかしいカルピスの商標も消えたし、「ちびくろサンボ」の絵本のついぞみない。でも、よく考えてみればよい。自分達は常に「差別する側」であるという前提自体、日本に来る欧米人は金持ちだがアジア人はかわいそうな弱者であるという前提と同じくらいに古びたステレオタイプな考えではないのだろうか。国家の力関係、民族の力関係によっては日本人が差別される可能性だってある。いや、別に国外にでた場合とか国際社会の中だけの話ではない。大量の外国人が流入し、そこに外国人のコミュニティができれば、もともとそこに住んでいた人々が排除されるということは十分にあることではないか。日本国内にいながら日本人立ち入り禁止の場所ができるのである。店舗、礼拝施設…現に英国では警官すらも立ち入れないそうした場所があると聞いている。冷戦の終結だってほとんど予測していた人がいなかったように、未来なんて予測不能だ。「差別する側」と「差別される側」。そして「侵略を謝罪する側」と「侵略を謝罪される側」。そんなものは永久不変でもなんでもない。
2013年11月08日
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食材誤表示の問題って、多くの人がどうでもよいと思っていることをマスコミだけが騒いでいるように思えてならない。だって普通の人が普通に行くようなレストランで何とかエビの何とかが実はその何とかが違っていたからって、頭に来る人がどれくらいいるのだろうか。安いか高いか、おいしいかまずいかの座標軸しか普通の人は考えない。何とかエビが何とかエビになっていたからといって怒るのは何万円もの高級レストランの話で、そんなのは普通の人には関係ない。味もわからないくせに文句をいうな、そして味の分かる人に嘘をつけば二度ときてもらえなくなる…それだけのことだろう。*以前も電車が何メートルかホームをオーバーしたのをニュースにしてオーバーランだと騒いだときがあった。それからしばらくするとエレベーターに何分閉じ込められていたとかをせっせとニュースにした。本来ニュースにしなくてもよいことをニュースにして騒ぐのはもうやめてほしい。だいたいこんなのを騒いで誰が得するのかしら。マスコミがとりあげること、問題提起すべきことってもっとあるのではないのかしら。余談だがよく店で売っている天然石の中には人工的に色を付けたものがあると言う。そうだとしたらそれを「天然石」というのは誤りだろう。同様に、石材の世界では石灰岩を「大理石」とよぶときいたことがあるが、これも誤りになるのだろうか。こうしたものを責めたとしても、買う側の人々が得をするとは思えない。食材誤標示だってそれと同じではないか。
2013年11月06日
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ドラマ「復活」の余韻にすっかりひたっている。以下はネタばれもあるので、これから見ようという人は御用心。先の読めないサスペンスなので、絶対にネタばれなしでみた方が面白いのだから…。基本的には双子が入れ替わっての復讐劇というのが物語の大筋である。こうした話は他にもあるのだが、ばれそうでばれないというそのハラハラ感が面白い。別人になりすましているため恋人の前でもそっけないふりをせざるをえず、恋人は瓜二つの姿(実は本人)をみてどうしても死んだ恋人を思いだしてやはり辛い。けれども、ささいな動作や以前プレゼントした手作りのミサンガを大切にもっていたりということで、なりすましに気づいてしまう。それでも、別人であると突き放されると、涙ながらにうったえるヒロイン。「オッパが違うと言うのだからきっとそうなのね。深いわけがあるので。(死んだ)弟さんには悪いとおもうけど、私はオッパが生きているだけで、いるだけで、感謝しているの。」こんなふうに切々とヒロインがいうと、思わず彼女を抱きしめる主人公。その二人の姿にかぶさるように主題歌が流れ…やはり韓流ドラマはよいなあ~。主人公達をめぐる四角関係の恋愛模様もあるのだが、恋敵に対するいじわるとかそういう要素がないのもよい。まあ、この物語では主人公の愛は強固なので、四角関係といってもまったくライバルというほどでもないのだが。*気にいった登場人物は主人公に想いをよせる女記者。実は復讐のターゲットである有力議員の娘なのだが、父の権力を背景にかさにかかるところが全くなく、ヒロインに対してもよい友人であるところが実にさわやかだ。最後は旧悪を暴かれた父は自殺してしまい、父の潔白を信じていた彼女は非常な衝撃を受けるのだが、最終回では再び元気な姿をみせている。韓国ドラマでは女性主人公も職業人として自立している場合が多いのだが、実社会でもそうなのだろうか、それともドラマの中だけなのだろうか。そのほか、主人公の復讐を助ける謎めいた探偵や正体に築きながらもサポートする誠実な秘書など魅力的な登場人物にはことかかない。秘書(アンピソニム)の方は「魔王」ではすっかり変わり果てたw姿で登場してそれもまた面白い。いろいろと書いてみたが、ぜひ多くの方がこのドラマをみればよいなと思う。感想などをぜひ語り合ってみたいと思うから。(とはいえ、ここに来て下さる方はこういうのは見そうもないなあ。それどころか「いい年をして…」なんてまたバカにされそうTT。
2013年11月05日
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韓国ドラマ「復活」を見終わった。よいなあ…こういう話、そしてこういうラスト。*収賄事件で鍵を握る課長が自殺し、これを自殺ではなく他殺とみて捜査していた刑事も不審な事故死をとげる。これが物語の発端である。そして20年後、事故車に同乗していた刑事の遺児は幼児期の記憶を喪失したまま屋台商人のところで貧しいながらも温かい家庭で育ち、父親同様刑事の途に進む。一方、双子の弟は事故の真相をしらないまま再婚した母親の下で義父の会社の副社長としての仕事にまい進する。事件の真相を究明するサスペンスの要素に、韓流ドラマおなじみの記憶喪失、別人とみえたのが同一人物、これに関連する三角関係、四角関係の恋愛模様もからみ…という話で、恋愛だけならあまり興味はもてないのだが、サスペンスの要素、そしてまた企業小説の要素もあり、一話毎に次が気になってならない。とにかく今まで韓流はどうも、という人にもぜひぜひおすすめのドラマである。*同じ脚本家で俳優もかなり共通している「魔王」と比較すると、前者では、チュジフン演ずる弁護士がとにかくかっこよく、それだけでも一見の価値があるのに比べ、復活ではチュジフンのようなスター的な俳優がいるわけではない。主演俳優は一人三役もの難役をこなし、素晴らしい演技力だと思うが、特にオールバックの髪型にした場面で目元とか輪郭とかが、日本の高嶋なんとかという俳優を連想させてあまり好みではない。まあ、これは好き好きなのだろうけど。また、「魔王」と「復活」に共通にでている俳優の中には、顔すらも変わって見えるくらい別人になりきっている俳優もいて、その対比も面白い。演技とは喜怒哀楽の表現だけでなく、様々な性格を演じ分けることを言うのではないか。きまりきった役だけをやって、それもほとんど地のままというようなのは、厳密な意味では俳優とか女優とかいうのはおこがましいのではないか。いつものあの人のああいった演技をみたいという需要もあるのかもしれないが、それは脚本家や監督によってはめこまれたモデルのようなもので、「芸」として顕彰するようなものではない。
2013年11月04日
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暴言とか暴行とかならわかるけど、誰かが誰かが手紙をわたすのがなんで問題なのだろう。群衆の一人が英国女王に手紙を渡す、ローマ法王に手紙を渡す…こんなことがもしあったとしても、こんな騒ぎになるとは思わない。とはいっても騒ぎにしているのは、一部の議員とそれにのっかって踊っているマスコミだけなのだろうけど。秘密保護法案とか、靖国とか、慰安婦とか、そんなことよりも、もっともっと重要な課題があるのではないか。原発事故とか失業とかワーキングプアとか貧困とか過労死とか。原発事故の放射能なんか怖くないという議論については素人なので反論はできないのだが、失業とか貧困とか過労死とかそういうものを自己責任というのなら、政治家なんかいらないように思う。*こんなことばっかり書いてもつまらないので、今熱中している韓国ドラマについて書く。韓国ドラマ「復活」は本当に面白い。家族ドラマ、企業ドラマ、恋愛ドラマと様々な要素があるのだが、テンポのよさと、よく考えれば荒唐無稽な話に感情移入させる俳優の演技のうまさはかなりのものである。同じ脚本家による「魔王」と同様の復讐譚なのだが、どうみても悲劇で終わるしかないような「魔王」に比べるとこちらの方が救いがある。複雑な話であり、もう一度最初からみてみれば、様々な伏線に気づくのかもしれない。
2013年11月03日
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どうでもよいけど「天皇の政治利用」をいいたてて邪魔な議員の追い落としをはかる方がよほど天皇を政治利用しているのではないのだろうか。それにまた、主権回復記念式典とかに天皇をひっぱりだして最後に「自然発生的」に天皇陛下バンズァ~イなんて方がよほど政治利用に見えるのだが。天皇に手紙をわたしたのがよいとも思わないけど、こんなに騒ぐことでもないのではないのだろうか。別に暴言とか非礼とかがあったわけでもないし。それよりも手紙にもあった原発周辺の住民の権利や作業員の生命…こうしたものをなぜ誰もいわないのだろうか。足に被爆して入院した作業員とかメーターに鉛の蓋をして作業をしていた人とか、その後の続報が全くないなんてなにか変。*マスコミ報道だけみていると、国民の大半が天皇に手紙をわたしたのをけしからんと思っていて、話は変わるが、レストランの食材の誤標示(誤りではなくわざとだと思うけど)に怒っているみたいだけれど、そんなことはないと思う。たぶん大多数の人の関心は別にある。円安、物価上昇政策のせいかガソリンや小麦粉など生活必需品の値段が上昇中だ。その一方、雇用や賃金には改善はみられない。もう少ししたらきっとあちこちから悲鳴がきこえてくるだろう。そういえばこの間、ある駅前の雑踏で、自動販売機の前で財布を出している気の弱そうな女性に向かって手の平をさしだしている中年男性がいた。無言なのは法にふれないためと言い逃れのためだろう。外国ならよくある光景らしいが、日本でこんなのをみたのは初めてだ。健康そうな働き盛りの男性でも困窮すればああなる。手をさしだしているくらいならよいが、そのうちもっと困れば何をやるのだろうか。
2013年11月02日
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最近のよくわからない現象の一つに、日本の伝統を重視するという人びとが非嫡出子の相続格差是正に反対しているということがある。一夫多妻で、ことと次第によっては庶子にも家を継がせる…というのが日本の伝統ではなかったのだろうか。一夫一婦制が制度として導入されたのは明治以降で、それまでは金持ちには妾が、名家には側室がいるのが普通だったのに…。「日本の伝統」を振りかざす人の言うその「伝統」というのはけっこうご都合主義のように思う。*また、そうした日本の伝統をいう人にとっての伝統の中の伝統ともいうべき天皇制。これも時代によって、時期によって違っていたとしか思えない。不思議でならないのは、日本の古典としてずっと読み継がれてきた源氏物語。あれは大きなあらすじは主人公が皇后と不倫して子供が生まれ、その子供が天皇になるというとんでもない話だ。現代にもしこんな小説が書かれたら大問題になりそうなのだが…千年以上の歴史の中でそれが問題にされたという話は聞かない。もう一つ言えば、学者によっては皇室崇拝を植え付けるために伝承をつなぎ合わせたともいわれる古事記。あれも読めば読むほど天皇崇拝だけにおさまらない。史実をどこまで反映しているのかはわからないが、皇位継承をめぐって血で血をあらうような兄弟間の殺戮…兄を生き埋めにして腰まで埋めたところで恐怖のあまり目が飛び出して死んでしまったなんていう記述もある…が描かれていたり、太陽神の子孫も別に天皇家だけではない。アマテラスとスサノオの誓約で生まれたのは皇祖神以外にも出雲国造の祖先神もうまれているし、山幸彦は天皇家の祖先になったが、兄の海幸彦は隼人族の祖先である。時代が下って「大鏡」にも、一日天井の梁に枕を蹴ってのせようと試みていたなどの精神に異常のある天皇の記述もでてくる。これも、今では考えられないことだ。史書や小説だけではなく、実際の歴史でも流刑になった上皇もいるし、殺害された親王もいる。それどころか安徳天皇のように天皇の身分のまま合戦で死んだ例もあるが、それで頼朝や義経が逆族になっているという話もきかない。日本の歴史文化の中に、天皇崇拝という軸があることは否定しないが、そのありかたは時代によって違っている。
2013年11月01日
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