2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全2件 (2件中 1-2件目)
1
「ね、大きいでしょう?」彼女は本当に嬉しそうな顔をしつつ、箸を持った手を大きく動かしていた。それはちょうど大きな円を目の前で描く、という動きでそれはさすがに大袈裟ではないかなと思ったけれど、確かにその茶碗蒸しはよく見掛けるそれに比べて大きかった。この日は生命保険の内容を更新する手続きの最後に、私の健康診断表を返却するという目的で担当の女性と会っていた。職場に来て届けてもらう、というのでもよかったのだが、その担当してくれている女性とはもう長い付き合いでもあったということもあり、こういうときは携帯電話で連絡をとりあってから会って食事がてらに話をする、という事がここのところ多くなっていた。私より4つか5つ上の彼女にはまだ小さい男の子がいて、よくその子と旦那の話を聞く。辛いものが苦手で甘いものがどちらも好きな、仲のいい夫婦のようであった。旦那は釣りが好きで、私も以前はよく海釣りをやっていたから、その辺の話は楽しい。先日その彼女が仕事から帰るとき、テレビ東京でやっている釣り番組に登場する女性を見掛けた、という話になった。「でね、その人を見掛けたとき、ああこの人はあの番組に出てる人だ!とすぐわかったんですよ」「テレビ東京の、あの番組、あれ、何ていったっけ?」「何でしたっけ、まあいいや、それで駅のベンチという場所だったんですけど、あたし携帯取り出して、写真撮らせて下さいってお願いしちゃいました」「あんましそういう女の人はいないんだろうなあ」「そうなんですよ、女性であの番組観てるっていう時点で珍しいって」旦那が観ている番組を仕方なく一緒に観るようにしていたら、いつの間にか登場してくる人も覚えてしまっていたようだった。釣りの知識も私と殆ど同じだったので、ああこれはホントに観ているのだな、仲がいいうえにこの女性は自分でどんどん取り入れていくポジティブな人なのだな、と私は自分の分のハンバーグを頬張りつつそんなことを考えていた。彼女はすらりと背が高く、なかなかの美人だ。そして押しが弱くちょっと流されやすいという保険の営業にかなり向いていない性格だと自他共に認めているという人なのだが、担当している客の数はちょっと驚くくらいの数字になっていて、ひょっとするとこれはそういう作戦なのではないか、と一時期疑ったりもした。しかしプライベートでの会話をしていると、どうもこの人は嘘がない性格であることがどんどんわかり、ひとりでこっそり「疑ってすまなかった・・・」と反省した。こういう人だからこそ、ずっと客が離れずにいるんだろうな、と思った。電話でひるめしを一緒に食べよう、ということになったとき、私はどこがいいかなということをちょっと考えたりもしたのだが、私は明けの勤務で終わっていたから彼女の職場に近いところで食べよう、だから店は頼んます、と伝えて銀座に向かった。地下鉄日比谷線の銀座駅に着き、中目黒方向の一番前にある階段を昇ってすぐの改札を抜けると、担当の彼女が相変わらずの笑顔で待っていた。私はこういう場面のとき、どうも気恥ずかしいので思わず顔を背けたりしてしまう。あんましこういうのよくないよなあ、と思いつつもどんどん歩く彼女の後についていった。どうもおすすめのお店があるらしい。地上にあがる階段を昇っていくとき、そういえば前回も銀座でしたね、という話をしていた。前回は夕方近くになって私が銀座にある彼女の職場に行き、そこで保険の内容と登録情報の変更などをした。それは私が結婚したので、死亡時の保険金受取人を母から妻にするなどの変更も含まれていたのだった。そして帰り際、あたしも終わりですから一緒に帰りましょう、ということになって、あの有名な西銀座にある宝くじ売り場で年末ジャンボ宝くじを一緒に買ったりした。「そうそう、あのときの宝くじ、当たるといいね」私がそう言うと彼女はくるりと振り返り、「あはは、ね」と満面の笑みで答えたのだった。そしてまたくるりと向きを変え、ずんずん歩いていくところを金魚のフンのようにくっついていったら思いがけないほどあっという間にその店についた。入り口はなんとなく高そうな構えをしていて、知らなければ入ることを躊躇うだろう。ここは銀座なのだ。しかし彼女はがらがらと引き戸を開け、ずんずんと地下へ続く階段を降りていく。私は初めての店なのでわくわくしつつ、ちょっと心配しながらまた金魚のフンになっていた。「ここはですね、ときどき同僚と来るんですよ。ランチが安くておいしいの」1,000円前後のメニューをみて、本当にいいのだろうかとこっちが心配するような値段であった。私は石焼のハンバーグ定食を頼み、彼女は刺身定食を頼んだ。刺身はちょっと高くて1,400円くらいだったが、それでもちょっとしたときに充分使える値段だと思いつつ彼女がサブメニューの1品を何か頼んでいる。「ここはね、茶碗蒸しが大きくて有名らしいんですよ」とちょっと得意気にふふん、という感じで言う。店内は地下であることを感じさせないつくりになっていて、入り口から見える客席よりも更に奥があり、そっちは既に満席だった。私達が行ったときも2つのテーブルしか空いておらず、気がつくと食事が来る前に満席で待っている人が列をなしているという状況になっていた。「もう列ができていますねえ」「うん、ここは銀座にしては値段が安いし、なんていうか高級店!という感じでもないから」「デパートにあるお店に行くよりも、こっちを選ぶというほうがなんかいいね」「ああいうところは高いだけで、味はちょっと、という感じですもんね」こういうお店をみつけるのは、やっぱり女性のほうが上だなと私は感心しつつ、今までのなかで最も失敗だったひるめしの事を思い出していた。それは上野での出来事だった。この店はどうしてもそのことを思い出してしまう店だった。ハンバーグのほうが先に来たのに私が箸をつけないので「あ、どうぞ、遠慮しないで食べて下さいよ」と彼女は薦めてくれるのだが、「いや実は猫舌で」というと「あら、実はあたしも旦那もなんですよ」とちょっとおどけた感じで嬉しそうに話す。定食に乗ってきたご飯の量が彼女には多いらしく、私が半分もらった。石焼ハンバーグは最後まで熱いところがあって食べるのに苦労したが、味はとてもよかった。そしてサブメニューの茶碗蒸しは、確かに茶碗というよりどんぶりに近いもので大きかった。これだけ大きいと味はどうなってしまうんであろうか・・・という話をしていたら、「じゃあ今日だけはあげます」といってくれたのでわしわしと食った。いやはや、疑ってすまなかったと心のなかで思いつつ、いい出汁といい具とその量といい、なかなかよくできた1品料理のようであった。私は静かに満足しつつ、ではそろそろ出ますかと時計を眺めてからそう言った。しかし店を出るときに気付いたのは、ここはやはり最近よく見掛ける、もともと夜の呑み屋の営業だけだったのを昼はランチで営業するようになった、というお店のようだった。それはやはり銀座という土地でも、以前のように黙っているだけで客が入るというわけではないということを如実に示しているようであった。店を出るとすぐに彼女が左側を指差し、「ほら、ここには吉野家もあるんですよ」と並びにあるその店を指差したので私は思わず笑ってしまった。彼女は「では、また!」と職場の方向に歩き、私は横断歩道を渡って銀座駅から銀座線で上野に向かった。「ふーむ」などとほざきつつ、妻に何か買っていくかとしばらく上野の街を歩いていた。で、この日行った店はこちら。入り口の時点で「のやろう」という気分になりましたな。
2004年12月28日
コメント(0)
実父は相変わらず、黒が好きなようであった。その日の格好というものが黒一色だったのだ。この人が着る服の殆どは黒で、それもクラシック界の重鎮といった雰囲気の格好を特に好んでいるようであった。確かに好んで着るだけあって似合ってはいるのだが、タチの悪そうな中年チンピラにもみえるので知らなければあんまし関わりたくはない風貌となってしまっている。北海道に住んでいるにしては、実は彼はクルマの運転免許を持っていない。そういうことも考えて、羽田で予め「や、空港でレンタカーを借りて自分で行くから」と電話で伝えておいたのだが、私の低いときの声が更に通ったようないつもの彼の声で「いやあ、迎えにいく」と言い張ってきかないので、なんとなくおかしかった。もっとも彼が住んでいるところは駅から1~2分という便利なところであるし、写真館とはいえ一応は企業形態であるから、必要に応じてタクシーチケットを使えるので免許は特に必要なかったのだろう。羽田で預けておいた荷物を、ぐおんぐおんと唸りながら動くベルトコンベアの上で受け取る。「このベルトは左回りか右回りか」ということで妻と賭けをして見事に負けたので知らない振りをしつつ空港を後にする。どうもこの流れについては共通のルールというものがあるらしい。実父は写真館の従業員である、えーとどう書いておこうか、とりあえず眼鏡のおじさんとしておこう、と一緒であった。私が小さい頃から知っている、とても優しくて、ちょっと投げやりなところがある不思議ないい人だ。そのおじさんが運転するクルマに、私は借りたヴィッツで着いていく。道路といい景色といい、12年前と殆ど変わっていないので記憶とどんどん一致するのが気持ちよかったが、しかしそれは10年経っても特に変わらないと言えるのであって、そこで私はなんとなく複雑な感情になっていた。写真館に着いて早速一番上にある階に行き、父の住んでいる部屋に荷物を置く。結婚した家族の撮影がこの日は2組入っていた。「これでも昔より少なくなったよ」と彼は言うのだが、この地方のなかでそれなりの信用というものがあるからこそ、ここで撮っているのだろうな、ということに気付き少し誇りに思ったりした。ひるめしがまだだ、ということで羽田で電話したなかで話しておいた「北京亭」というラーメン屋に連れて行ってもらうことにする。このラーメン屋の味というものが、私にとってこの帯広におけるひるめしの味の記憶、というもののひとつになっている。もうひとつは「すじこ」をばらして醤油をたらしたイクラめしで、すじこは必ず冷蔵庫に入っていたから、ぬるま湯で解して水を切って醤油を少したらしてあつあつのご飯の上に乗せて食べていたのだ。こういう味の記憶というのは本当に忘れないもので、だから人工イクラの味というのは結構あからさまにわかってしまう。まわっている寿司のイクラというのは、もうほぼ必ず人工モノなので、あれをイクラの味というふうに記憶してしまうのはかなり哀しいことである。ラーメン屋に行くのは結局タクシーになってしまった。これではヴィッツを借りた意味がないではないか、と思ったが懐かしい帯広のタクシーというのも悪くはない。北京亭は私の記憶していた場所ではなく、建物もまったく新しいモノになっていた。どうやら場所を移したらしい。しかし二重になっている入り口を開けた途端、昔の記憶にあった店の匂いと今している匂いとが即座に結びつき、心がジーンとなった。その匂いというのはおそらくスープの匂いなんだろうが、全く変わっていなかったのだ。店は相変わらず夫婦2人でやっているようだった。私は覚えているが、夫婦は私が小さい頃のときしか知らないし、何せ12年振りくらいになるのだから覚えているはずもなかった。しかし相変わらず少ないメニューには「ラーメン(小)」「ラーメン」「チャーシューメン(小)」「チャーシューメン」としかなく、あとはライスの大小、メンマくらいだった。そしてテーブルの上にはドンブリに山盛りになっているゆで玉子があり、つまりラーメン屋「北京亭」として置いてあるものというのは何一つ変わっていなかったのには正直驚きつつもうれしかった。かつてはラーメンを頼んでから、このゆで玉子をゆっくりと剥いて出来上がりを待つということをしていたのだ、と急速に思い出していたら父はやはりそのようにしていたので、私も早速妻にこうするのだ、と話をしつつゆっくりとカラを剥いた。しかし殻を剥く時間というものは、どんなにゆっくりやってもラーメンの出来上がる時間には遠く及ばない。そこで我々3人はその殻を剥いてつるつるに光っているゆで玉子を手にとったまま、ずっとその姿勢で話すという何ともマヌケなことになってしまっていた。そして私が子の頃はあんまし考えずにいたけれど、こういう時間の使い方は一見無駄がないようにみえるが実はかなりマヌケな事態にしかならないのではないか、ということに気付き、つくづく父はヘンな人なのだな、とおかしくなってしまった。そこで「これは実にマヌケな姿だねえ」というと、真剣な顔で「いや、これがいいんだ」といったのでこれは母は大変だったろうな、と更におかしくなった。今でこそこのラーメンのスープは「とんこつ醤油味」と言えるが、12年前にその言葉は世間では殆ど知られていなかったように思う。この脂というのが結構ずしんと腹にくるので、胃の調子が悪いと途端に胃がずんずんと重くなる。しかしこのこってりが本格的な冬の帯広、という状況で食うと実にあったまって具合がいいのだ。12年前より以前の当時、気温は最高でも氷点下10℃くらいにしかならなかったこともよくあった土地なのだ。しみじみとスープを全部飲み干したところで妻のドンブリを横目で眺めたら、まだ半分くらいしか食べていない。「おいしいんだけど、ちょっと脂が・・・」と申し訳なさそうな表情になってしまっている。そうだ妻はあんまし胃が強くはなかったのだ・・・ということを急速に思い出したのでごめんごめんと残りを全部私が食べた。「最初からそう狙ってたんでしょ」と妻がいう。決して最初からじゃないのだ。夜はもうひとつ狙っていた、平和園という焼肉屋に連れていってもらった。ここは冷凍ではなく、生肉を扱っているところなので、そこらのチェーン焼肉店とは味が断然違う。関東で展開している焼肉チェーン店がこの土地に展開してきたこともあったらしいが、やはり本当の肉の味というものを知っている者達ばかりの地ではうまくいかなかったらしく、今では撤退してしまったそうだ。ここでは何種類かの肉と、そして絶対に欠かせないわかめスープを私は頼んだ。妻はそれに加えなんとかビビンバを頼んでいたが、昼のラーメンが重かったのだろう、全部食べられない人になっているので今回も心配ではあったけれど、しかしビビンバだけは何とかきちんと食べていた。自分で選んだものに関する責任感は人一倍強い、妻らしい対応ではあったが、しかし肉に関しては「頑張ってね」の一言で片付けるあたり、さすがとしかいいようがない。北海道のお店には「こあがり」という、いわゆる個室の座敷のようなものがあるところがとても多い。小規模の居酒屋でもあったりするし、この平和園にもあるのだが、こうして久しぶりに上がるとやっぱり関東とは違うのだな、とつくづく感じた。そしてどうしてこの「こあがり」というものができたのだろうか、ということについて考えてみたのだが、おそらくこれは暖房の事情というものがあるのではないだろうか。昔は大きな空間をいっぺんに暖めることができなくて、個室単位程度ならストーブで暖めることができるから、この「こあがり」という単位ができたのではないだろうか。この地はかつて氷点下30℃くらいの日だって珍しくはないところだったのだ。建物全体をきちんと暖めておかないと、水道も凍るし窓は開かなくなるしで色々大変なことになってしまう。そしてこのくらいの外気温になってくると、大きな空間ではいくら暖めようとしても建物の外側全体からどんどん冷やされてしまうものだから全然暖かくなってこないのだ。だから小さくわけて、そこは座敷にして、という最近でこそ東京辺りでもよくある個室空間ではあるが、北海道のそれの生い立ちは必然としてそうするしかない、という深刻且つ知恵の利いたものになっているのだろう、と私はそう思うのだ。お腹が破裂するんではないか、というくらいに食べた。この平和園から宿まで運転しなくてはならないから、焼肉なのにビールも何も呑まなかった。ちょっとつまらないが、まあ仕方ない。「明日はどうするんだ」と父が聞く。「まあ明日は阿寒湖と、近くのオンネトーにでも行こうかと思ってる」「そうか、おれは明日休みなんだが」「・・・はあ」これは一体ナニが言いたいのだ、と最初わからなかったのだが、どうもこれは一緒に行くということではないか、ということが次第にわかってきた。こうなると彼の場合、それを否定するととても面倒なことになるのは私もよく知っているから、まあ仕方ないと思った。だがこれは一応は新婚旅行なのだ、まったく。その夜は十勝川温泉の第一ホテルに泊まった。ここも帯広に行くと必ず1泊はしていた、思い出の宿なのだ。(続く)
2004年12月15日
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1