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書かないでいると結構そのままにしちゃうもんだなあ、と思いつつ何かあると「ああ、これは書くネタになるなあ」などと思ってしまう。しかしそういうネタというのも結構忘れてしまうもので、「ああ、あのとき何かあったんだけどなあ、なんだったっけかなあ」などと1人でブツブツ言い出してしまいそうになって、いやはやなんだかなあ。先日さいたまタワーの建設に向けて、という趣旨の集まりにどういう訳か参加することになって、さいたまスーパーアリーナに行ってきた。これは地上波デジタル放送において、関東エリアをカバーする電波塔建設に、さいたま市が建設する場所としては1番だ!世界一のものをつくるのだ!というモロに建設誘致の集会だったのだが、実はおれそういうものだというの全然知らなかったのね。目的は単純で「華原朋美とコロッケがタダで観られる」というので行きます行きます的返事をしただけなのだ。だから集会の前半はそのテの話を延々とされてしまった。しかし目的を考えれば当然なのだな。100万人を目標にした署名運動は、現在140万人を超えているそうだ。タワーの高さは600mでカナダのトロントにあるCNタワーを抜いて世界一の高さになる!とツバキ飛ばしながら臭そうなオッサンが熱く語っている。他の候補地、というか立候補しているのは豊島区など都区内のエリアらしい。県と民放各社などが共同で事業を行う、ということなのでこれもモロにゼネコンのお仕事になる。埼玉県の各市長も参列していて、つまりそういう集会なのだ。なんとなくいるだけでくたびれてしまうが、仕方ない。その市長や衆議院議員さんたちを前に、その多くの名が書かれている署名名簿が大々的な演出と共に掛けられた幕をとる除幕式のようなものが行われたのだが、幕が取り払われたらただのダンボールが沢山積まれていたので、おれは驚いてしまった。つまりそのなかに名簿が入っていますよ、ということなのだろうが、ハタからみればただのダンボール箱の山である。この演出を考えたのは間違いなく役人なのだろう、と本気で呆れた。その演出にはさすがに各市長さんたちも呆れたらしく、かなりの人が「なんだこりゃ」という感じで舞台の袖からそそくさと降りようとしているのを必死に係の人が「どうか、どうかもう少しお待ちを!」という雰囲気で抑えているので、おれはもう苦笑いしか出なかった。こういう会にもつまりおれらの税金が使われているのですね。あまりにつまらないので外に出て喫煙所に行き煙草をふかしていたら、何やらどおんどおん、という音が建物全体に響いてきた。ああしまった!つまりこれは華原朋美が歌いだしてしまった、ということだ。メインイベントの出だしを逃してしまったがええい構うものか。「ちっ」などと心の中で舌打ちしつつ自分の席に戻り彼女の歌を聴いた。それにしても彼女は歌がとてもウマいのですね。バックダンサーもいなければ演奏もコーラスも全て録音したものを使うので、単純に巨大カラオケと化していたのだがやはりプロというのは凄いもので、舞台に立っているだけで存在感というものが圧倒的に違う。その存在感で当然だが歌もすんごくウマいのだから、単純に聴き惚れてしまった。小室の歌なんかもガシガシ歌って、しかしその視線はあくまで真っ直ぐで力強い。逞しくなったのだな、と感じた。面白かったのはその真ん前に座っているあの各市長さんたちで、もうじっと座ったまま、後ろからみても「ボーゼン」という感じでカハラトモミを眺めているのだ。なんだか酷く場違いなところに来てしまったな、という雰囲気がその席周辺には漂っていて、そのボーゼンぶりがおかしかった。カハラトモミが凄いな、と思ったのは歩き方だ。背筋をピン!とのばし顎を少しひいて、真っ直ぐ歩いていく。その堂々とした歩きっぷりは世界のトップモデルのようで、美しい歩き方をするのだな、と感心した。ここまではよかった。彼女はしかし、ある曲を歌い終わったあと「これは新曲で、何月何日に発売されます、買ってね!」と突然の営業を始めたのだ。少なくとも今回の趣旨というのはタワー建設であって、その辺のサービストークくらいはできないと仕事としては成立しないのではないか、と単純に思ったんである。誰のためのものか、というところを疎かにしてはプロとしては減点だろう。「私のこの姿も、いつかさいたまタワーから飛ぶ電波で、みなさんの家庭に映る日が来ることを願っています!」くらいは必要なんじゃないのかな、と素朴な疑問を抱いてみたりしたが、そんな心配はおれがしても仕方がないのだな、と1人でムナシくなった。うーむ。まあいいか。コロッケは8月に新宿コマ劇場で観たのと同じネタだったので、まあ同じネタを真剣に2度観るとなるとあんまし面白くないのだが、彼は進行の流れというものをしっかり読んでいてその流れを大事にする人のようだった。というのは、進行のなかで予定していなかったモノマネを彼はしたのだ。予定していなかった、というのがなんでわかるかというと、「じゃあダレダレのナニナニ、行きます!」といったまま突っ立っていて、みんながあれれ?化してしまったシーンがあったのだ。コロッケはすぐに舞台の袖に向かって「・・・あれ、これなかったでしたっけ?」と素直にそのままマイクを使って袖にいる人とやりとりをした。最後は結局「じゃあアカペラで!」と自分だけで即興でやっちゃったのだ。すごいなあプロだなあと思った。こういうのが経験から生きている部分、活かしているところなんだろうなあ。こういうのはコマ劇場では全くなかったので驚き感心した。手にあるプログラムの最後に「バーチャルタワー演出」というのがあって、それが表でやっているというのだから帰り掛けにみたのだが、どうもよくわからない。後で知ったのだが、光を一直線に空に向けているだけのことだったのだ。おれはそれは確かにみたのだが、てっきりパチンコ屋のサーチライトだと思っていた。役人はいったい何を考えているのだ、と単純にイライラしつつ大宮に出てちょっと穴場的焼きトリ屋に入り「けっ!」とほざきながらビールの大ジョッキを2杯とウーロンハイを4杯ほど呑んで勝手にもってこられる焼きトリを食いつつシアワセ状態でとっとと帰宅した。おれにとってはなんとかタワーよりも、この大ジョッキと焼酎とうまい食いもんのほうがよっぽど大切なのだ。
2004年09月24日
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我が家の洗濯機が新しくなった。ところでこの洗濯機、言うときは「せんたっき」と言っちゃうんだが、パソコンで文字を入力するときはきちんと正しく「せんたくき」と打つのでなんとなく変な感じがした。ところが「せんたっき」でスペースキーを押して変換モードの表示をみるときちんと「洗濯機」が出るのである!おれ少しMS-IMEを見直しましたね。これはすごいことだ、と思いましたよ。前の洗濯機の最後はヨレヨレのじいさん、という感じになってしまっていた。洗濯そのものはきちんと回転するのだが、脱水するときに何かモーターとドラムが滑っちゃって、つまり殆ど脱水できなくなっていたのだ。うぃーんがらがらがらがらがらがら、とむなしく滑っている音を聞いていると「ああ、こいつもうダメなんだなあ・・・」と妙にシミジミした気分になりつつ、びちゃびちゃの洗濯物を取り出しては自分でしぼっていた。かなりコキ使われていたやつだったから、まあいいよ脱水くらい・・・と思っていたのだ。だがやはり、きちんと動かない洗濯機は痛々しい。修理することも考えたのだが、修理する料金を考えると買い換えたほうが安い。乾燥機能がついたものを選んだので、洗濯機のうえにどでん!と圧倒的存在感を漂わせていた乾燥機も席を外してもらうことにした。この乾燥機も壊れていて、ただ中のドラムが回転するだけの機械になっていたのだ。これはもうさすがにクソの役にも立たない、ただひたすらむなしい機械であった。早速新しい洗濯機を使って驚いたのは、まあとにかく静かなんである。前のが酷くなっていた、というのもあるが、それにしても今の機械はすごいのだなあ。すごいなあ、とは思うのだが、しかし私としては職場にある、2槽式洗濯機でただひたすらぐるぐる回っているだけの洗濯機ドラムを、やや呆然と眺めている時間というのが好きなのであった。
2004年09月16日
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最近どうも油っこいものを好んで食べなくなった。以前はステーキのどん、という店に行くと「どん辛チーズハンバーグ」を必ず頼んでいたのだが、ここのところ店そのものに行かなくなってしまった。どうも肉の脂がクドイ!と感じるようになってきたようなのだ。チーズには罪はない。問題なのはもう1つあって、ここはビールとワインを中心に揃えていて、焼酎がないのだ。しかし日本酒は置いてある、というのがなんとなく気に入らない。けっ!と思いつつ最近は近所の呑み屋に行くことが多い。日本酒には罪はない。焼酎の水割りが好きなんだが、それだとどうも氷をどーん、水をどーん、ボトルがどーんの状態になって自分で水割り製造をするような印象があって、面倒なのでついウーロンハイを頼んでしまう。焼酎はいわば日本のスピリッツだ。ジン、ラム、ウォッカ、テキーラだったけか、これが世界の4大スピリッツとされているらしいんだが、こういう纏め方をするのは日本人くらいなんだろうか。まあそれは置いといて、スピリッツは蒸留酒のことだから焼酎も立派にその仲間に入るのだ。水とアルコールの沸点の差を利用して取り出すのが蒸留酒なので、日本酒などはこれには入らない。面白いのが泡盛で、これは日本酒と焼酎の両方の製造過程を含んでいるような酒だ。味が複雑なのはそのせいかもしれない。今の時期は、もう圧倒的にサンマの刺身でぐいぐいと呑む。ただサンマはそろそろ値上がりが予想されている。日本の海の温度が高めになってしまっているので、北方4島付近にいるサンマ達が南下してこないらしい。サンマはその生涯がせいぜい1年ちょっとという、結構あっけないジンセイの魚なのでしっかり頂きたいのだが、安く堪能できるのは今週までかもしれないなあ。焼いたサンマもうまいが、この時期ならもう刺身で食うほうが絶対にうまい。魚の脂は食ってもいいのだ。このへん結構いい加減だが、獣肉の脂とはなんとなく違うと思う。などと自分に言い訳をしつつ、カンパチも食う。カンパチは昔よく釣った魚で、旬というのは特にない。もう圧倒的に刺身で食うのがうまいのだが、お店で食べるやつは養殖のものが殆どだ。養殖技術が進んで、天然に近いものになったとはいえ、やはり大海原を旅しつつ自分で餌を食う魚のほうがうまい。それに台湾辺りの養殖魚だと薬がものすごい量で使われているらしいから、これはやっぱり問題だと思う。歯ごたえのしっかりした刺身を食いつつ焼酎を呑む、というのはやはり日本人のシアワセのひとときであろう。
2004年09月13日
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なんだかちょっとびっくりするような光が空には広がっていて、私はすっかり目が覚めた。この日は日勤で、台風が前の日の深夜に接近していたものだから、朝も風は強いだろうと思い早めに起きていた。もっとも接近といったって、台風は日本海を進んでいる。こちらは関東だからどうかな、といわば半信半疑のような気持ちだった。けれど先週の16号で記憶の新しい経験があったから、前の日は殆ど呑まないで朝に備えていたのだ。時間は4時頃で、外はやはり風がすばやく重く走っている音が聞こえる。始発はちゃんとに動くだろうか、ということを心配しつつ、シャワーを浴びて髭を剃る。顔を洗っただけのときよりもさっぱりとした気分になる。だが窓を開けたら、外の空気は思っていた以上にもわっとした、多くの湿気を帯びた生暖かい空気になっていた。風も強くやや心配になりつつもテレビを少しぼんやりと眺めていたら、外が突然「ぼわー」というふうに光を放ち出したのだ。あまりにそれは突然だった。まるで夕焼けのような赤い光を太陽は放ち空が受け止め、しかしまだ夜のピースブルーが空の殆どを包んでいる。写真でもわかるかと思うが、赤い部分に階調が潰れてしまっている部分がある。そのくらいに強く、たくさんの色が空に集まっていたのだ。段階的に少しずつそうなるのではなく、部屋の灯かりを点けるような唐突さで空が光り出したものだから、私は本当に驚いてしまった。私は慌てて外の通路に出て、デジカメで写真を撮った。そういう衝動に駆られたのだろう。さあその日の夜にでもアップしよう、と思っていたら唐突に話がきて西船橋で8人くらいの同僚と呑んでしまった。大衆食堂のような店だが6時前にはもう全部の席が埋まっていた。安くてうまく、駅から近いので条件は全て整っている。しかしそれ以上に、みんなが気持ちよく呑める雰囲気を持った店なのだ。いい店だな、と思った。その足で武蔵野線に乗り、最寄の駅まで行く線に乗り換えたら人身事故で止まってしまっているではないか。並行している新幹線が軽やかに駆け抜けていく様子を眺めて、なんだかこれは少しマヌケな状況ではないか、と思いつつAMラジオをイヤホンでその日のニュースなんぞを聞いていた。
2004年09月08日
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出だしの風景が思い出せなくて悩んでいるうちに、どんどんと記憶が失われそうだからとにかく書いておこうと思う。その建物は全体的に壁紙がなんだかチョコレートのような雰囲気を持ったホテルだった。ただし建物の半分は景気が悪いせいで一般のビルとして売られてしまったのか、階段の踊り場を境目にしてゲームセンターのような風景がちらりと観えた。壁や柱にどこか重く厚い印象を受ける。ぼくはそのホテルに、女と泊まったようだった。ぼくは手に、箱に入った額縁を手にしている。なんだかよくわからないけれど、かなりの早足でそのホテルのレストランに向かっている。階は3階だ、3階に向うためにエレベーターを使って降りている。そのとき「2階に行ってはだめだ、そこに行ったらおしまいだ」とずっと考えていた。エレベーターのドアが開くと、天井の高さはせいぜい1.8mという、ワインレッドの絨毯が敷かれた通路を歩いた。早足だ。早足でどんどんロココ調の世界を歩いている。そのとき一緒に泊まった女も一緒だった。顔が思い出せない。やがて調理場に進んだ。フロアとキッチンとを結んでいる、できた料理を置いておくためのスペースに立っている。キッチンのなかに多くのコックが働いているのはわかるが、顔はまったく見えない。胸の部分までしか見えないのだ。そこで女は何かを確かめて、またさっきの通路を歩いていく。女はここでは顔がきくらしく、通路ですれ違う従業員たちに挨拶をしている。何か上等なドレスのような服を纏っている。その色もワインレッド、若干淡くコーデュロイのような表面をしていて(ぼくは上等な生地がわからない)、スカートは膝丈ぐらいだ。ヒールのあまり高くない靴を履いていて、素早く歩くものだからぼくは着いていくのに一所懸命だった。扉をいくつか抜けて、何人かが食事をしている部屋に入る。やはり天井は、2m程度というなかに幅10m、奥行きが15m程度の部屋だった。真ん中にどん!と大きなテーブルがあって、その中心に大きな大きな花たちが天井に届きそうないきおいで飾られている。全体的に薄暗く、ランプの灯かり程度といった感じだ。壁にいくつかの絵や写真があって、そのなかの空いた空間にぼくの手にあった額縁を女は掛けた。それは写真で、ダンディな男の肖像写真といったものだった。全体的にピースブルーに包まれていて、髭があった。西洋人の男だった。その写真を新品のガラスがしっかりと表面を保護していて、その反射する光からまだきれいなガラスなのだな、と感じた。ぼくはそこである人を思い出し(誰かは書かない)、急速に懐かしいようなもどかしいような感覚になって泣きそうになった。額縁を入れていた安っぽい白い箱をそこら辺に投げて、軽く走るくらいのはやさで部屋に戻っていく。レストラン部分の通路を抜け切ったところには、小さな受付のようなカウンターがあって、しかし人は誰もいない。ロココ調の世界はそこまでで、あとは全体的にチョコレートのような雰囲気の階段を昇っていく。階段の構造は複雑で、1つの階を昇るのに4角形を一周するような動きをさせている。そして階の高さの幅が一定じゃなく、エレベーターがある向きの通路というのもバラバラだった。途中にちらりとゲームセンターのような雰囲気の、隣のビルに行く通路がみえて、でもぼくは自分の泊まっている部屋に確実に向かっている。階は5階だった。521、と書かれた部屋だった。あれ、512だったかな。入り口のドアの横に暗証番号を入力するためのテンキーがあって、521(か512だ)、と押すとロックが解除されて部屋に入った。部屋の天井はかなり高く、3m以上はあったと思う。ここも全体的にロココ調のもので揃えられていて、ものすごく大きなダブルベッドが真ん中にどん!と置かれている。そのベッドにはさっきレストランまで一緒だった女が服を着た状態で横になっていた。ぼくはそのベッドには行かず、脇にある椅子に腰掛ける。女とぼくはそこで何か言葉を交わしていた。何を交わしたのか、顔も、思い出せない。場面は急にかわって、かなりの高層階のアパートになった。ものすごく高いところにあって、東側に川が流れている。なんとなく隅田川、という印象を受けている。眼下には昭和のモダンという感じの駅があって、総武線と中央線と、あと何かそれらの線を跨いで横に国電が走っている。朝靄のような景色で、風景は金色に輝いていた。そこはある女の部屋だった。その女はぼくは誰だか実は知っていて、でもその人の実像は、はじめてだった。本名は知らない。ぼくはそこにもう1人、会社のデブな同僚と一緒にいて、楽しい話題で盛り上がっていた。ふと、その女がお風呂をみせてあげるというので、そうだぼくはここにその風呂を見に来たんだったと急速に思い出していた。植物がいっぱい植えられているベランダ、たぶん階数としたら10階以上の高さはあったと思う、そのベランダに沿う壁に、まるで埋め込まれたかのような風呂があった。女が「ほらみて、浴槽がね、トロール色なの」と言ったのをぼくはなんだか特に覚えていて、ぼくも「ああ本当だ、トロールの色だね」と嬉しい声で確かにそう言ったのを覚えている。色褪せた茶色のような色だった。その浴槽は人が1人もまともに入れないくらいの大きさと浅さで、縦長の台形をしていた。そうしてぼくはそこで女と何か楽しい会話をして、また部屋のなかに戻っている。雑然として、足の踏み場もないような部屋だった。どこかアジア的な部屋だった。そのなかで同僚のデブとまた何か楽しい話題で盛り上がっている。部屋の、ベランダとはまた別の面となる大きな窓に面したところで、窓の外に小さなバルコニーがある。女は大きな窓をすこうし開けて、その窓のところによっかかっていた。白いTシャツと、淡く色褪せたジーンズを履いていて、裸足だった。デブはその隣にいて、ぼくはそのデブを正面に、2人を並行にした位置で座布団に座っていた。やがてお暇する時間になり、部屋を立ち去ろうとしたとき、女の髪に外の風景が鏡のように反射しているのをぼくは目にしていた。色褪せた青空に、お日さまの光が金色に強く輝いていた。夕方という雰囲気だった。軽くウェーブのかかったその髪はどこまでも艶やかで、それまで気付かなかったが黒いカチューシャのようなものをしていて、その女の右半分の髪と、特にカチューシャの部分に外の風景がうつっていて、何だかすごくきれいだね、と女に言ったら、そうね、と女は楽しそうに笑顔で答えた。同僚のデブは満足げに顔をほころばせている。じゃあ、またね、という言葉と共にぼくはその部屋を後にしていた。気分はとてもよかった。その後ぼくは唐突に、甲州街道から北に環七に沿っている歩道を、自転車を全速力でこいでいた。北に向かって左側の、割と幅の広い歩道で、薄暗くなったその道を人が邪魔だな、と思うくらいに雑然と歩いていて、ぼくはしかしそのなかを見事なハンドル捌きで走り抜けていて、息は全然あがらない。途中黒いシビックのVTiに接触しそうになったが、その後方にうまく周りこんで軽やかに方南町に向かう上り坂を走り抜けていた。 ◇という夢を16:41まで観ていました。なんとなく面白かったので、夢日記という次第。なんだかさっぱりわかんねえ。
2004年09月07日
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ひるめしにカツ丼をつくったことがある。だがこの丼モノ、かなりのくせものでなかなか「んまい!」というふうにいかない。ところでこの「カツ丼」は地域によってそのイメージがかなり違ってくると思うので、今のうちに言っておくのだが私がここで話すのは「玉子とじカツ丼」である。地域による違いについては、ここを参照するのだ。理想とするのは、カツはあくまで柔らかくコロモはかりりっとしているキツネ色の状態で、そのカツをふんわりとほの甘い玉子がやさしく「いいのよ、かりりっとしてていいのよ」というふうに包んでいて、柔らかくなり過ぎないけれどしかし決してかたくなってはならないタマネギが確かな歯応えと野菜のもつさっぱりした甘さを保ちつつ、ごはんは水分を少なめで少しこわいくらいに炊いたものであること。味としては醤油で全体を調えつつ、前面には決して出ない程度にするのだ。このへんが実にむずかしい。だし汁はごはんに少し馴染むくらいにして、というふうに書いているだけで妙にカツ丼が食いたくなってきてしまったではないか。ええい、我慢するのだ!で、お店で食べるものとの決定的な違いは衣である。つまりこれは「揚げる油の違い」というのがあると思うのだ。あとね、思うのは、衣にもなんか味付けしてるんじゃないのか?と思うのだが、どうなんだろう。食材としてはどれもよくあるものだし、カツは既に揚げてあるのだからあんまし失敗のしようがない料理ではあるが、しかし「んまい!」という完全勝利も難しいのだ。あと三つ葉。これは絶対に忘れてはならない、最後の決まり手押し出し級に重要な食材だと思っている。全体的にふわふわした味をビシリ!と決めるようなチカラがあるのだ。三つ葉のないカツ丼は具のないおみおつけのようなもんだかんね。などということを書きつつ、今日のひるめしはごはんのうえに目玉焼きをのせ醤油をささっとかけた目玉焼き丼なのであった。黄身は絶対にかたくしちゃダメ、という点だけが注意の単純丼だが意外にチカラがあってんまいのだ。海苔があればごはんと目玉焼きの間に敷くと、もう立派な料理になるぞ。しかしなんだな、こりゃ旅館の朝食の食材だな。
2004年09月05日
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高校を卒業してから2年くらい、2人の友人がおれの住んでいる近所までよく遊びに来ていた。その頃のおれらは就職して、なんとなく不安と戸惑いの日々を過ごしていた。1人はモーという奴だ。ものすごく珍しい苗字で、そのなかに「牛」の字があったからモーと呼んでいた。単純なのだ。練馬に住んでいて、コイツはまあ遠くはないところではあったから、割と頻繁に会っては近況をよく話していた。集まるメンバーはもう1人いて、そいつはイトーちゃんという。なんと当時千葉の船橋に住んでいた。木下街道と書いて「きおろしかいどう」と読む道から少し外れたところに住んでいて、兄貴が乗っていたのを譲り受けたらしいオンボロのボロボロカリブでよくうちの方まで来た。そのカリブはマニュアルで、窓も手回しハンドルのやつで、走ると床が抜けそうになるくらいに揺れるとんでもないシロモノだったが、イトーちゃんは「やっぱり4駆だよ!」と陸上で鍛えたカラダを震わせながら、アラブ系の顔をほころばせて満足げに笑っていた。4駆でも何でもいいからこのボロさをなんとかしてくれ、とモーと一緒になって言うと彼は本気で怒って「これがいいんだよ!」とアラブの顔が迫ってくるのだった。集まっていた場所は西永福に近い藍屋で、そこは高校時代の3年間、おれがバイトをしていた店だ。辞めた後も時々会っていたバイト仲間がいて、アルバイト従業員用の割引券が月に3枚もらえるのだが「あたしは使わないから」とおれに全部渡してくれていたから、その券を使って仲間でめしを食っていたのだ。「今度どっか遊びに行こうぜ」これを言い出すのは大抵モーだった。おれは「うむ」と頷き、イトーちゃんに「どうすっか?」と聞く。するとイトーちゃんは我々のとうちゃん、という感じで「そうだなあ、それじゃあ那須の方でも行ってみるか」と僅かに真剣な表情で、しかし場所を明確に指定する。「うんいいねいいね、那須いいね」「何がいいんだよ」「わかんないけどいいね」「3人だけじゃつまんないから、もうちょっと誘ってみよう」「モッチーは」「ああ、あいつなら来るな」「あとは、じゃあカブちゃんか」「うん呼ぼう呼ぼう」などとどんどん増えていって、でも結局集まったのは確か6人程度だった。オンボロカリブはなんだかんだいっても1番人と荷物を載せられるので出動が決定、モーのミラージュも出すことにした。おれのはボディがでかい割に荷物も人もあんまし載らないので「邪魔だ!」という結論に至り自宅待機させることにした。那須は貸し別荘みたいなのに泊まり、えんえんと呑んでいた。そのうち便所に行ったヤツが戻ってくるときはみんなで網戸をピシャリと閉め、合言葉を言うようにしよう、という実にくだらない遊びを思いついた。最初に犠牲になったのはモッチーで、彼は一番最初にクラスの級長に選ばれたヤツだった。勉強も運動もものすごく高いレベルでこなしてしまう、イトーちゃんとそういう部分では重なるところがあって、高校時代は互いによきライバルという感じがしていた。だがこの場ではそういうのは一切通用しないさせない許さない、という「3ない運動」のような仲間だったので、みんなで「合言葉は?」というと、網戸の向こうで彼は明らかに戸惑った表情をした後、とうとう、ちょっとここでは書けないような卑猥な言葉を連呼し出してしまったのでみんな腹がよじれるほど笑った。彼は絶対にそういうことをいう人間ではなかったのだ。モッチーはそのまま「うはははは!」と壊れてしまったので、みんなで「よおしいいぞいいぞ!」と拍手を送った。このときのメンバーは、今でも毎年恒例「男だらけの夏物語」に参加していて、このときの話は「モッチーのち○こま○こ事件」として今でも語り継がれている。などということを、つい最近モーと話していた。それは、来月開かれる同窓会について話をしていたときだった。「それにしても、何であの藍屋だったんだろうな」といったら「わかんねえ」という答えが返ってきた。まあ、そういうもんだろう。「でもさ、今思うとすごいよな」「だってイトーちゃん船橋だぜ」「な、あいつよく来たよな」「まあおれらも、あいつが来るばっかりじゃ悪いから、という話になってよくイトーちゃんとこにも行ったけどな」「よくあいつんち泊まって、そしたらお袋さん朝飯つくってくれちゃったりな」「あれは申し訳なかったなあ」「ああ、ありゃひでえ話だよな」このときおれは、それにしてもいいヤツらだな、と思っていた。何でもいいから、何かを一緒にやってきたヤツというのは、気持ちのうえで確実に繋がっているのだな、と思った。就職してからの不安と戸惑いに包まれていた2年間、心根で話せる場とヤツらがおれらには必要だったのかもしれない。それは互いにそう思っていたからこそ、損得じゃなしに集まっていたのだろう。イトーちゃんのお袋さんは、朝飯のとき豆腐とあげのおみおつけをつくってくれた。おれは、いまでもその具のおみおつけをみる度に、「いいのよいいのよ、おともだちが来るのはうれしいことなんだからね」と顔をほころばせながら朝飯を運んでくれたイトーちゃんのお袋さんの笑顔を思い出してしまうのだった。
2004年09月04日
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「そうなんだよな、あのクセがまたよかったんだよ」今日はひるめしがてら、という私の誘いに3人がのって、4人で職場の近くにある蕎麦屋でひるめしがてらに軽くビールを呑みつつ話をしていた。話は共通する話題のほうがその場にいる全員が参加できるから、結局仕事の話になってしまうんだが、やはり運転士だから車両の話にいってしまう。最近まで走っていたJRの古い車両の話題に少しずつ進んだのは、今の新しいJRの車両について話していたときだった。「あの、新しいJRのヤツ、あれはいいよな」「ブレーキなんか凄く安定してるもんな。回生が不足してもエアの補い方がうまいんだよ」「ウチのもコンピュータで自動割り振りしているはずなんだけど、不安定だよね」「不安定なんてもんじゃないよ、ありゃ酷すぎる」「前のヤツはよかったよな、そういう点では」「よく壊れたけどね」「でもほら、あの最後の、停まる直前にブイン!と立ち上がっちゃうエアの」「ああ、あれね、あのクセ掴むまで苦労したよなあ」「でもさ、あれをピタリとショックなく停められると、嬉しかったな」「車掌がさ、ホントにちゃんと停まったのかわかんなくて、ちょっとドア開けるの躊躇しちゃったりな」「ははは!そうそう!全くショックがないもんだからわかんないんだよな、あれ」新しい車両になればなるほど、運転士の個性というのは不必要になったんだなとつくづく感じる。誰が運転しても、ある一定以上のレベルが確保されてしまうぶん、細かい部分の融通というのは一切介入できなくなってきた。前の車両はそのぶん、乗りこなすまではタイヘンだったが、一度コツを掴んでしまうと結構快適に運転できたのだ。それは我々にとっていわば「誇り」であった。今の車両は「こんなもんだよな」という、なんだか運転士に求められてきた肝心な部分が不必要で、それが失われつつある現状を仕事だから仕方ないと思いつつも、どこかさみしい気持ちになるのだった。「あのクセが、よかったんだよ」その車両は、いずれ大宮に移される交通博物館で展示されるだろう。そのとき、おれはどういう目でその車両を眺めるんだろうか、などということをシメの蕎麦を食いつつ想像したのだった。
2004年09月03日
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