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昨日も忙しい1日でした。朝一にカウンセリングが始まって、昼は今度の日曜日のメンズカウンセリング講座のレジメ作りでした。家人の晩ご飯作りをすませて、夜はカウンセリングが二件。帰宅したのは十一時半ころ。一日で三人の方のお話を聴かせていただきましたが、来談者もそれぞれで、長い付き合いの方もいたし、初の来談の方もおられました。それぞれの体験や思いに寄り添うのは当然ですが、状況によってコンサルしたり、認知療法的なアプローチで聴いたり、ただ気持ちを聴きご本人がその気持ちを明確化するだけの場合もあったり・・・と、いろんな聴き方をしています。特定のメソッドに縛られる事のない私は、専門家からみれば、邪道、無節操、素人、無資格、と言う事になるんでしょうねえ。けれど、どんなスキルでもセオリーでも自由自在にしかも複合的に使えるってのはとても便利で、来談された方には役立ちます。しかも私のスキルもセオリーも権威や権力とは無関係、パワーレスなクライアントにはコントロールされる心配は感じないで済むのかもしれません。もちろん権威や権力が好きなクライアントは、世間に山といるふつーのカウンセラーのの所に行けばいいのだから。understandの立場で傾聴しつつも様々な道具を適宜使えるカウンセラーとしてこれからも、悩み抱える人たちの支援をし続けていきたいと思う私。カウンセリングに関する資格や知識などの立派な道具は持ち合わせてないけれど、生きていくための様々な知識やどんな状況にもぶれる事も揺らぐ事もなく向き合える、人としての存在の力を持つ事こそ、カウンセリングに求められるもの。そんな事をつらつら感じる今日この頃。そんなソウルフルなカウンセラーでありたいと願う私。そんな私が対人支援やカウンセリングを学びたいと言う人たちに伝えたい事・・・・いっぱいあるけれど、こんどの日曜、京都は「ひと・まち交流館京都」で朝から夜までのメンズカウンセリング講座でお伝えできると思います。魂のカウンセリング・・・当事者も含め、いろんな方のお話が聴けますよ・・あなたもぜひご参加くださいねー♡
2013/04/30
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今夜はメンズクツキング第三回でした。メニューは玄米ご飯、豆腐の明石焼風、タラの旨煮、ポテトサラダ、白菜の浅漬け、みそ汁でした。デザートはわらび餅。とっても簡単でしかもヘルシー。1時間もあればできてしまいます。あとは、みんなで食べながらお喋り。ついでに、四十年ぶりに復活したレコードも聴いて頂きました。生活を楽しむってことができたら、人生はとても豊かになりますし、それはさほどお金がなくても可能です。このあたりの事は実践することでしか身に付きませんしね。実際私はあまりお金がないけれど、生活は充分楽しめています。男たちよ、金や仕事に依存するのは、ほどほどにしようねー。自由をゲットして、幸せになろうねー
2013/04/29
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「男」悩みのホットラインという電話相談を仲間と立ち上げたのはもう十数年も昔の話しになりました。当初はメンズリブ研究会と称するミーティングに参加する当事者としての男たちが、自らの体験を他の男性当事者の支援につなげようとの思いで、立ち上げました。それはそれで、意味もありましたし、最近は男性支援の必要性も行政や専門家も少しずつ理解し始めているのはいい事ではありますが・・・・・残念ながら、ホットラインはパワーコントロールという常識的な価値観に浸食されないような仕組みを組み込まなかったから、当事者の組織ではなく、カウンセリングや心理学を専攻する専門家の集団になつていってしまいました。もちろん、行政もアカデミズムも、すべて権力構造によりなりたつ仕組みですから、権力構造に適した組織の方が行政にくみしやすいと言う現実はあります。ホットラインも当事者性を薄め、専門家指向になることで、世間の仕込みに適応的になります。それはそれで世間に周知すると言う意味では有効なことですが・・・ホットラインの本質である当事者が当事者に寄り添うと言う性質はお題目だけになってしまいます。私が危惧するその点はどんどん参加する専門家指向の人たちには伝わりようもありませんし、理解もされないでしょう。これが十数年のホットラインの現実であり、私がホットラインを離れた理由です。女性支援は問題をたくさん内包しつつも一応社会的認知は進んできましたが、男性支援は、まったく進んでいないどころか、その必要性も、存在も知られていませんし、二十年前に男性運動を始めた男たちも当事者性を捨て、女性支援のシステムに乗っかる事で、自らの社会的地位を獲得していきました。権力志向を捨てようと、二十年前にいってた学生が大学教授になったり、仕事がうまく行かないと悩んでた男が、男性運動を利用してどこかの参画センターの館長になったりと、男性運動をフェミニストに売り渡したようなものです。男性運動が発展するはずがありません。当然、男の悩みの本質も、解決策も世に伝わるはずもなく、男の悩みが拡大深化していきました。具体的にはこの十数年で男の自殺は増加し、DVも減る事はありません。男の問題が解決に向かわないのに、女の問題も解決するはずはありません。DV法は運用されてもDV被害は終わらないし、離婚しても、虐待や依存、鬱などで問題を再燃させる女性が増加する一方です。まあ、そんな深い所を理解しての男性支援をやれる人は・・・残念ながら私しかいないのではないか、と豪語したくもないけれど、それが現実。バカな行政はバカな司法判断に惑わされて、私を排除し続けてますが、いつになれば行政、アカデミズム周辺の専門家が私に学びにくるのか・・まあ、期待もせずに待つしかありませんね。それより先に、当事者は私の所で回復し、学びを得ていますから、そちらに期待する私。男たちよ、人生を変えよう、人をパワーコントロールしないで、自由に生きよう、それが私のメツセージ・・ということで今夜は男の料理教室・・・の日だけれど、みんなに伝えるの忘れてた・・やばっ。みなさーん、さんかしてくらさーい。
2013/04/29
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今日と言うか昨日と言うか、十数年ぶりにツーリングに出かけました。片道40キロほどの山道のコースです。単に走るだけでは面白くないので、車も走らせて荷物を運び、アウトドアクッキングも兼ねました。向かった所は日頃からお世話になってる茶師の草庵。作るメニューは肉まんとチキンカツサンドと発酵のための保温は発砲スチロール箱で・・・発酵終わって、蒸します。無事出来上がりーおいしくできましたーカツサンドにするパン生地がなぜか発酵しません。理由は不明・・・イーストを入れ忘れた???ならば、無発酵のチャパティーに変更。チキンカツチャパティー・・・これもうまかった。いろいろあっても状況を楽しめるアホさ加減とそれなりの知恵と。いい学びにしてくれた事でしょう・・・(笑)茶師の茶畑・・いい所でした。
2013/04/27
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心配してた天気もからんと晴れて・・・久々と言うか、何年かぶりのツーリングに行ってきます。ただ、ヒサビサとと言う事もあるし、この歳でもあるしで、走る事自体には重点を置かず、アウトドアを楽しむ事にも重点を置いて・・・むしろこちらの方が大事かな・・・アウトドアでどんな料理を作るか・・・楽しみ楽しみ、間違ってもバーベキューとか焼きそばなんか作りませんよーではではいってきまーす。
2013/04/27
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昨日は2002年から七年間季刊で発行してた「矮・歪・猥(わいわいわい)」のバックナンバーを整理してました。今は休刊中。世間の価値観とは違う価値観を前面に出しての書きたい放題。あれこれ自由に書くのは楽しいけれど、編集、印刷、発行、と一連の作業を継続するのは大変でした。担当者が忙しくなって、休刊を余儀なくされましたが、マイナーだけれどとても鋭い視点で太平の眠りをむさぼる世間にもの申す執筆者ばかりでしたので、私も読んでて結構楽しませて頂きました。昨夜の男ワークは「人生劇場あなたの役者たち」と言うワークでした。ユングは無意識の中に潜む人格的な多様性をアーキタイプとしてあれこれ提案しています。この考えをワークに取り入れてみました。自身の人生においてどんな自分がいたか、いろんな自分を役者として名付けてフォーカスしてみましょうというもの。私にも六人ほどのキャラがいました。ママっぽいのとか、がきんちょとか、老賢人のようなのとか・・・。そしてそれをシェアする事で、自分の中に不足しているキャラとか、過剰なキャラとか、自分の無意識をいろいろ自覚でき、自己成長の指針にする事ができます。ワークの後は夜道を歩いて帰宅。帰って早めに眠って、朝もはや目に起きて・・・6日ぶりのランニング。前回と同じく14キロコースだけれど、タイムも前回と同じ。ランニング後のダメージは前回よりもましかな。それにしても、私は今も昔もやりたいことしかやらずにきたなあ、というのが実感。儲かるとか、常識的判断とか、モラルとかは関係なく、自分の信念に基づいてのみ活動してきました。世間からは理解され辛い人生です。理解されないないから勝手に誤解して勝手に妄想する人もいるし、私にその人の心の影を刺激されて怒りをぶつけてくる人もいるし・・・もちろんそんな私を信頼し、私を支えてくださるたくさんの方が存在するのもまた事実です。まあ、いろいろあったしこれからもいろいろあるだろうけれど・・・私の人生劇場・・・いろんな役者の私がいるので、劇は上手に回っていきます。特に破綻したり上演が難しくなったり、ということはありません。ほんと有り難い話しです。これからもしつかり楽しませて頂きます。花盛りのクレソン落桜何の花でしょ姫シャガは花ざかり牡丹キリシマツツジかなたぶん空木(うつぎ)オオデマリ
2013/04/26
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今朝は子育てママのストレスケア講座の第一回目。さすがに参加は多くはなかったけれど、こじんまりとして中身の濃い話しがたっぷりできたいい時間でした。主催者の方はチラシの受けが悪いのかな、としきりに気にされてましたが・・・・。確かに、エライセンセがお話しするとか、便利なノウハウが満載、なんてあんちょこなキャッチコピーにすれば、もう少し反応はいいのかもしれません。けれど、私はノウハウでは人生も人間関係もいいものにはできないと確信しているので、そんな軽い講座にはしたくないし、軽さを求めてこられても場の雰囲気が違うものになるので、そう言った方達がこなければこないでもいいと考えます。むしろ、自分を理解し他者との共感的な関係を作り上げると言うチラシのメッセージを素直に受け取れる方がきてくださる方がいい場になるのではないかと考えていました。で、その結果、とてもいい時間を過ごす事ができました。確かに経営的にはあまりいい状況とは言えませんが、人をたくさん集めて一儲け、という目的ではありませんから、大きな赤字にさえならなければいい訳です。と言う訳で、初回の講座内容は他己紹介としました。世間で言う自己紹介のようなものではなく、肩書きとか役割とかを一切省いて、あるがままの自分を語って頂きました。それぞれの語りのなんと面白く、機知に富んで豊かな人生を生きておられるのか、よく伝わってきました。ほんとにワークは面白い・・・。これからも少しずつ参加者が増えて、楽しみや喜びを分かち合える仲間が増えたらいいな、と実感しましたとさ。さて、今夜は男ワーク・・こちらはどんなワークになるかな・・楽しみ楽しみ♪
2013/04/25
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今朝の産経の朝刊に私の行うDV加害者プログラムの紹介記事が掲載されました。マスコミ登場はセクハラ訴訟以来なので丁度一年ぶり。一年ほど前にも地元新聞がボランティア活動の取材記事を載せる予定にしてたけれど、訴訟がらみでボツにされちまいました。また四国は某県にも共同配信で、地裁の判決が掲載されて、某県の男女共同参画課はエライさんがじきじきにお出ましになって、グループワークに参加してた私に、自主的に辞めてくれ、と圧力をかけてきました。(笑)別にバカな京都地裁がどんなみっともない判決を出そうが、真実より世間体を気にする新聞が私をどう扱おうが、私は揺らぐ事もなければ、くじける事もありません。けれど、私の活動が誤解され、加害者の脱暴力支援の普及が妨げられたりするのは胸痛みますし、私につながれずに困難を深めてしまう加害者被害者が増えてしまうのは、残念です。ずっと以前、NHKはクローズアップ現代で加害者プログラムが紹介された時も、私がファシリをやってんのに私はモザイクかけられて、ただの一参加者にされ、中村大センセがクローズアップされてました。それから数年後の関西クローズアップとかいう番組でも、当初のディレクターとの合意や経過を無視したデスクの判断でか、落合恵子が『加害者プログラムは有効性が疑わしい」みたいなコメントで締めくくって、せっかくの努力がパアになっちゃいました。ほんとに、真実を語るのは難しいし、真実は伝わらないってことを、この十数年の活動でイヤと言うほど実感させられてきました。司法判断に正義はないし、新聞も真実は行間にしかありません。表面は美しくても一皮めくれば腐りきった世の中、私がもう少しアホならテロリストにでもなったかもしれません。けれど、ニキ・ド・サンファールが「テロリストになるかわりにアーティストになった」ように私もテロリストにならずに、アウトローのカウンセラーになりました。世間に媚を売る事も、権力にへつらう事もせず、ただ、クライアントが幸せになる事が私の喜びである事のためにだけカウンセリングをしています。そしてそのために十年前に立ち上げた家族再生センターです。世間の常識・・・行政も専門家も「DV男は変わらない」という、その根拠無き言説を真っ向から否定し、且つその嘘を証明する私の活動は・・・行政も専門家も怖いだろうなぁ、と言うのが正直な所。先日は某テレビ局記者がやはりDVについてリサーチにきたけれど、その方の私見でも現在の被害者支援はどう見てもおかしいとのことでしたし、私の解説を受けて、なるほど、DVの現実、真実がわかったと、納得してくださいました。けれど、その記者の調査が真実の報道にまでいたるかどうかは、楽観していません。それは私の十数年のマスコミ体験がそうさせるのです。残念な事です・・・・が、私は希望を失った訳ではありません。これからも野にありて真実を語り続ける自分でありたいと思います。
2013/04/24
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今日は朝からあいにくの曇り空。歩いて出勤の途中からぼつぼつと降り始めました。まあ、傘を出すほどでもないので気にもせずに歩いてたら、事務所近くのハナミズキが元気に咲き誇ってました。晴れた日にもきれいだけれど、雨の日もハナミズキってけっこう映えるなあと納得。事務所に着いた早々からカウンセリングでした。ほんとはお散歩セラピーの予定だったけれど、雨だったので事務所でのカウンセリングとさせて頂きました。昼すぎに先日ネットでオーダーしてたレコードプレーヤーが届いたので早速、梱包を解いてセッティングしました。で、ならしてみると・・・おおっ、この音じゃーこの音・・・・・・四十年前の感動が・・・・・あの頃聴いてた曲がそのままよみがえってきました。酒とバイクの日々を過ごしてた私もこんないい世界を感じてたんだーと、少々誇らしく嬉しく感じました。勉強もせず、日々飲んだくれて、遊びほうけて、そのくせ不安発作に怯えてたあの頃の私・・・もなかなか捨てたもんではないなぁーと。パニオニアさーん、ありがとさーん。
2013/04/24
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私が貧乏学生してた頃、私は仕送りがあるとすぐに家賃を払いにいき、米を買いオーディオ機器のローンを払い、残ったわずかの金でレコードを買ってました。当時はデジタル機器はなんにもなくて、貧乏学生は音楽を楽しむには生の楽器を演奏するか、レコード盤を買うしかありません。それでもレコードは私の世界を広げてくれる便利なツールでした。一枚二千円ほどもするレコードとそれを再生するためのプレーヤー、アンプ、スピーカー等など。どれもいい値段していました。月二〜三枚のレコードを買うのが精一杯。私が買ってたのは、主にクラシックとジャズと。買い集めたレコードは百枚ほど。クラシックはバッハ、モーツァルトあたりから、ラベル、ドビュッシー、マーラー、ラフマニノフなど。昨日は、久々にゆっくりしてたので、ストラビンスキーの火の鳥を聴いてみました。先日は鬱でしんどくなってたクライアントとラフマニノフの「晩禱」を聴いてみました。確かに私が有り金はたいて買ってたレコードだけに、聴けば青春の思いがふつふつとよみがえります・・・が、何かが違う・・・そう、音がもうひとつ良くないのです。今使ってるレコードプレーヤーはCD,USB,SD,といろいろデジタルの媒体が使える便利な装置で、とてもお買い得だったので迷わず買いました。確かに便利だけれど・・・アナログのレコードを再生するには、レコード針から信号を拾うカートリッジがお粗末なようで、いい音が拾えません。で、不全感を感じるので、あまりレコードを再生する事はありませんでした。が・・・青春の感動をも一度取り戻したいと発作的にネットで探したのが、パイオニア製のレコードプレーヤー。値段は高くありません。が、利用者の評はそこそこいいので、クリックしてしまいました。嗚呼・・・どんなもんやら・・
2013/04/23
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昨日はもともと比良山で過ごす予定でしたが、山が荒れそうだったので山行きはやめて、ゆっくりと過ごす事にしました。といっても、ほんとにのんびりするという訳ではなく、自宅でのびのびになってた作業を行いました。睡蓮鉢にしてたプラケースが壊れてたのですが、そいつの睡蓮の根っこを掘り起こして、あたらしい睡蓮鉢に植え替えると言うもの。とはいうものの、冬物衣類の収納作業はできないまま、事務所に仕事ではいりましたが・・・・睡蓮鉢で増えた根っこの一部は、事務所裏のメダカ水槽にも沈めました。こちらは日当りがあまり良くないので、花がつくかどうかわかりませんが。それにしても、自宅で日曜日を過ごすなんてほんと何年ぶり?と言うと大げさだけれど、何ヶ月も自宅で日曜を過ごした記憶がありませんねえ。もちろん昨日も自宅で家族と一緒にお昼ご飯を食べた後は、事務所に出かけて仕事です。夕方にはいつも通り、カウンセリングを行いました。考えてみれば、家族と過ごす日曜なんて何年も体験してませんねえ。毎日毎日仕事仕事で過ごしてますから、猛烈サラリーマン並みなんだけれど、家族との断絶はなさそだし、そこそこいい関係は維持できています。猛烈サラリーマンと違う所は、息子の弁当も含め家人の夕食は私が毎日作ってる事とか、連れ合いが肩もみしてくれっていうと、「はい」とためらわずに肩もみをする事とか・・・基本的に朝帰りはしない事とか・・・さきほどのワイドショーでの報道では安倍首相は三本目の矢として女性の就労支援に育児休業を三年にするとか。昔々育児休業法ができる前、私は「男も女も育児時間を連絡会」と言う団体に所属して、関西グループの世話人をしてました。その「いくじれん」では、育児休業ではなく、男女が均等にとれて、就労と育児をともに大切にするために「育児時間の拡充」を求める運動を展開していました。二十数年前の話しです。けれど、結局政府は性別分業意識をなくそうと言う考えには傾かず、事実上女性が育児を負担し就労から遠ざかる育児休業法を通してしまいました。その結果、育児で仕事を休むのは女で、その収入減を補うのは男の過重労働という図式になってしまいました。その結果、男は仕事女は家事育児という性別分業意識が強化されていったような気もします。確かにイクメンとかいう言葉もできたし、バギーを押すパパも増えたと言うものの、それは日曜パパの家族サービスの範囲を超えないのではないかと私は推論します。私は性別分業には徹底的に抵抗しましたから、連れ合いを扶養もしなかったし、家事は当然、妊娠、出産、育児に関しても、連れ合いを手伝うのではなく、私も積極的に関わってきました。あげくに主夫になったり、活動主夫になって、社会活動やボランティア活動、男性運動、対人援助活動等に発展していったと言う訳。特にセンターを立ち上げてからは、家族で日曜とか、家族で旅行なんて、ほんとしなくなりました。今でも続けてるのは、年に一度、連れ合いと一日歩く「ウォーキング」と年一度の仲間とのお泊まりハイキングだけ。連れ合いはひとりで日曜だけでなくしょっちゅう、ハイキングとかウォーキングのイベントに参加しています。とかなんとか、フェミニストも含め、日本人の多くはジェンダーバイアスにまみれているから、女と男と日曜日・・・・家族を巡る問題は無くなりそうもないですねぇ。
2013/04/22
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私は二十年少し前、息子がうちで宿題をするのを禁止しました。なんと言う親でしょう。勉強は学校でやってくれと。うちでは、家族との関わりやこども自身の楽しみの時間にしてほしいからと。こどもは先生に怒られるから・・・というので、私は保護者会の時にその旨先生に伝えたら、ある父親がそんな事して自分のこどもが将来ダメになったらどうしてくれるんだ、と噛み付いてきたんで、ああこりゃ通じないわ、ということで、先生に、うちの息子が宿題しなくても、いっさいしからないように、とお願いしておきました。そんな息子は、小学校の間は宿題はしなかったし、成績も悪いまま、中学になりました。中学になると宿題禁止令も解禁してましたが、それまでの習慣で宿題はしてませんでした。二年の親子面談で、いける高校がないと教師に伝えられた息子は、はじめて、自分で自分の将来を考えたのか勉強をはじめました。その甲斐あって、高校には無事合格。大学には行かずに、高卒でバイトを転々とし、今はバイトから正社員になって三年。もともと、線の細い息子でした。プレッシャーをかけてつぶしてしまう事は避けたくて、世間の価値観に巻き込まれないよう、気をつけてきたつもりです。自身の存在に対する自信、いわゆる自己肯定感を獲得してほしくて・・・表面的にはそれは宿題禁止令のようなかたちになる訳ですが、それは世間には理解されません。私が世間の価値観とは異なる価値観で育児したからといつて、息子は世間に適応できないで人生を誤るということはありません。逆にとても真面目で、律儀な性格になりましたし、それが認められての正社員採用でしょう。零細企業とはいえ今はそこそこの収入を得ています。少なくとも私のトンでも育児が極端に誤りであれば、今の息子の姿はなかったでしょうし、世間の価値観で育てたら、おそらく潰れてしまっているでしょう。その潰れるということがどういうことか・・・それは自己肯定感が得られず、問題行動に依存して、かろうじて自分を支えている子どもたちの姿です。自傷、摂食障害、引きこもり、万引き、イジメ、などの問題行動は、大人たちの価値観に添えない自分を自分で支えるための大切な無意識の防衛作業。その防衛行動を表面的に取り除こうとしても、解決はしません。それはこどもではなくて大人の問題だから。世間がどうであれ、自分は自分として存在していいんだという確固たる自己信頼があれば、どのような状況でも自由に生きていけます。よく大人たちはこどもの人生の選択肢を増やすために大学へやる、と言います。けれど、自分の意志で考え自分で決めて自分で責任を取ると言う、人として当然な力が育たず、親の指示に従い、世間の価値観のままに行動し、自己決定できない人は、自分で責任を取る事もできないし、対人関係の問題が起こります。どこに行っても、まともな仕事ができなくなってしまいます。親がレールを引かなくても、自己信頼に満ちた人は、自己実現のために必要な学びは自ら選び獲得するでしょう。それがなにより、人生の選択肢を増やす事と私は考えるのですが・・・。もちろんそんなこどもの意思に添うために親が協力するのも悪いとは思いませんが、・・・ただ、それが経済的な支援だとすると、すこし疑問も残る私です。経済は世界を巡ります。自分のこどものために使う金を貧しい国の子どもたちのために使う方が、より教育効果はあるし世界の信頼は高まるからです。(アメリカ人が爆弾で世界を支配するのではなく、世界の子どもたちにノートや食料をばらまけば、少なくともそれを食べて育った子どもたちはアメリカに対するテロは起こさないでしょう)そんな私もグルナイやら、カウンセリングの中で、子どもたちと関わる事もすくなくありません。学校や家庭で自己信頼を充分に育む事ができない子どもたちは、いろんな問題を抱えて自分を支えようとしますが、そうなる前に、私なりに子どもたちが自己信頼、自己肯定感を高められるように関わります。あるこどもは、万引きに関わってたけれど、私が大丈夫大好きだしーと言ってぎゅーとしてお話を聴いただけでしたが、そのうちその問題もなくなってしまいました。たまたまそうなつたのかもしれません。けれど、その子と私の信頼関係はいまも強くあります。
2013/04/21
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昨夜はグルメナイト。いつもながらにおとなこどもが賑やかに、食って飲んで騒いで・・・。で、ほんとはグルナイの明けた朝には、比良山縦走の予定でしたが、山が荒れそうとの事で、今回はパス。せっかく新しい登山用ザックを買ったのにぃー。朝はいい天気だったからなおさら、残念。とは言っても、昼から下り坂夜は雨との予報で低気圧が通過するから、寒い雨の夜をビバーグして、雨の中の山行はちと、酷かなと思って、山行は諦めてグルナイの後片付けやたまったうちの仕事やらを済ませる事にしました。とは言っても少し悔しさもあったし、時間もできたので、二週間ぶりにトレーニングしました。いつもの疎水コースから大津へ抜ける峠まで、14キロをとろとろ走りました。二週間ぶりだと言うのもあったし、ひさびさの14キロというのもあって、けっこうきつかったです。つい一年くらい前までは14キロは楽勝で走ってたのに・・・運動不足はてきめんです。今回のグルナイではじめてスイーツをだしました。遅咲きの八重桜満開の菊桃山吹大津に抜ける小関越えの峠まで走りましたあけびの花
2013/04/20
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昨夜は依存症当事者の会「フリークス」の恒例のミーティングでした。テーマはなんとなく「妄想」に。結論としては妄想も悪くないけれど、妄想と自覚してないと危険だよねぇってこと。自身の心の影が投影されて「妄想」がおこるけれど、それが妄想との自覚もないのがふつう。その人はその妄想を現実と思い込んであれこれ動きます。その妄想は本人も大変だけれど、巻き込まれた周辺の人たちは、とんだ迷惑で理不尽な話し。けれど、自身の思考が妄想であると自覚し、現実と分離して判断する事ができれば、人に迷惑をかけたり、自身を苛んだりする事もなくなり、妄想を楽しみや創造のエネルギーにする事ができます。「妄想が世界を作る」と言うのが私の考え。飛行機が空を飛ぶのも、ロケットが月に飛んでいくのも、それを妄想する人がいたからこそ。ナラティブでは、この妄想を構成するのが言語という媒体だとの考えです。一人一人の人生も、妄想を楽しみつつその妄想を現実化させる事でより豊かな人生にし得るのではないか。逆に妄想に支配されて、妄想と現実の判断もつかなくなり、どんどん思考のブラックホールに落ち込んでいくと結局生きていく事もできなくなってしまいます。現代人はすべて存在に意味を必要とするがゆえの呪いでしょう。とかなんとか、お喋りがはずんで夜も更けて・・・はあー、私の夜のひとりのくつろぎはどこへ行ったー、今夜はグルナイだぁ。
2013/04/19
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昨日は現場援助者、研究者たちのささやかな学習の場、事例研修会でした。世間でいう専門家が作る援助や研究の場に関わる人たちです。その方たちが現場では得られない学びを求めて、私の所にきてくださいます。行政だったり、大学だったり、世間ではそういう場は人々のためになる事をやってくれる、学ばせてくれる所、との認識があります。たしかに、そう言う側面もある事はありますが・・・こと社会病理、心理、人権などの分野では、まったく逆で、人のためにならない、何も学べない、そんな現実があります。私はDVを含む家族問題について、援助実践を続けてきました。その中で多くの当事者に学んできました。その学びをさらに援助実践につなげると言う事をこの二十年かけて続けてきました。その結果の当事者による複合的援助でしょうか。こんな援助は日本ではだれもやってないし、世界でもあまりやってないのではないかと思います。だから専門家が理解できないし、私から学ぼうともしないのも当然と言えば当然です。ある参加者の発現では指導教官は「DV加害者がみずから脱暴力のための支援を求めてくるなんてあり得ない。それは特殊な事例だ」との発言を繰り返すとの事。けれど、脱暴力の支援がないから支援を求める加害者がいても、それをピックアップもカウントもできない現実がある事を調べるのが研究なのに、そちらに意識が向かないのはアカデミズムのDVに関する無知、無関心としか言えません。所詮、日本のアカデミズムはその程度です。以前一緒に男性ワークをやってた立命館大学の中村センセは、私の活動に対して支援と言うかたちでは関わる事はありませんでしたし、自らの行うワークの有効性について、世に問う事もしませんでした。あげくに私が不当にも京都地裁でセクハラカウンセラーとラベリングされた時に、保身のために、私との関係を清算しようとしました。当事者の脱暴力支援よりも自らの地位を守る事が優先されるのは、彼の個人的資質と言うより、アカデミズムの体質の問題でしょう。行政のDV支援も然り、被害者のためと言うより、自分たちの組織が責任を問われる事のないように、防衛に防衛を重ねて発言し、当事者の安心や幸福は二の次です。心ある現場の援助者がどれだけ、板挟みで苦しもうと悩もうと・・・。ですから、そういう援助者が潰れようがやめようが組織が潰れないように、嘱託職員にして仕事をさせ、適当な所で人を交代させると言う、きわどい仕組みにしています。これが行政のやるDV支援の現実。根拠ない言説を垂れ流し、当事者家族を翻弄し混乱させるために税金が使われているのに・・・嗚呼。こんな現実ですから、DV法ができても、DVが減るはずはありません。ほんとに被害者が出ないようにするためには、DVをなくすには、もっとしっかり研究し、支援を厚くすることが求められます。言葉だけのポスターを大量に刷ったり、機能しない窓口をつくってたらい回しにしたりしない事です。ほんと困った現実です。まあ、ここでぶーたれててても仕方ないので、とりあえず、当事者をエンパワーメントし、心ある援助者に当事者の現実を伝えていくと言う作業を続けていくしかありませんね。皆さんには温かく見守って頂けたらと思います。またさらに一緒に学びあえたらと思います。
2013/04/18
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思想信条表現の自由は憲法で保証された基本的人権の一部です。思想信条についてはそれがどんなものであれとがめられるものではありません。表現に関しては他者の人権を侵害しない範囲で、と言う事になるでしょうけれど。思考・・考える事についてはまったく自由です。それが社会の価値観とどんなに乖離したものであれ・・・・。けれど、この心の自由と言うのは厄介なもので、自由を奪われていると言う状況が目に見えないし、本人も自覚しにくいという問題があります。そうです、洗脳されている人に取って、心の自由を奪われていると言う実感はあり得ないでしょう。自分とは何か世界との関わりの中で自身を客観視したり、また主観的に自身を眺めてみる、そんなことをやりながら自己洞察を深める事で、自身の心のありようも見えてくることでしょう。けれど、多くの現代人はすでにある社会の仕組みの中から自身を規定する言葉や価値観を得るから、社会の枠組みから離れた自己像は構築し得ないことになります。幸い私はそんな社会の枠組みに適応できなかったが故に、社会の枠組みに縛られた価値観を持たずに済みました。それは病理社会の矛盾を内在化せずに済んだということです。別の言い方をすれば、世間の常識に縛られない価値観を持てたから、心も体も自由に生きる事ができていると言う事。それは、いろんな所で具体的な現象になって見えてきます。この歳になっても身体機能は衰える事もないし、心病んだり、自身の生き甲斐を失う、ということもありません。もちろん、経済的にもお金に縛られる事も依存する事もなく、わずかな収入で暮らしを成り立たせる事もできています。ですから、今の私はとても自由で幸福、と言えなくもないけれど、世界が病んでいる限り私が完全に幸福と言う事もあり得ません。というわけで、生き辛さを感じてる多くの人や暮らしや心にに困難を抱えてこられた来談者の方に、私の幸せのタネをお裾分けできたらと思いつつ、日々を活動の中で暮らしていると言う訳。こんな私ですから、心は自由、暮らしも自由、何かや誰かに縛られたりコントロールされる事もありません。私という自己概念からも縛られず、今、ここであるがままの私で生きてられるから、女らしくなったり、暴力的になったり、アホになったり、賢くなったり・・・いろんな私で生きる事も可能です。けれど、私がここまでくるのには、やはり長い時間を必要としたということも事実です。LD児として問題行動を繰り返してたこども時代から、パニック発作に怯えてアルコールに依存していた青年期。結婚はしたものの、社会の求める家族像を拒否しつつ、経済的にも心理的にも誰にも依存しないで生きる事に不安を感じてた、二十代後半。ほぼ、その三十年の中でやっと私はあるがままの私を受け入れ、小さな社会を超越した世界の中で生きる事ができるようになりました。そんな私は今、不安も困難もなく日々感謝や感動、喜びに満たされて過ごす事ができています。ほんと、有り難い事です。この私のプロセスから得た諸々の知識やスキルをみなさんに還元したく、今はカウンセリングを主体にした複合的な援助わ展開していると言う訳。そうそう、先日もお片付けしてたら十年前のチラシが出てきました。アメリカのDV支援についての学びの旅で得た知見を報告するためのイベントのチラシでした。当時マサチューセッツに在住の加藤洋子さんの主宰するツァーに参加した経験を基に私がおしゃべりしたのですが、私にとって、アメリカは参考にする点は多々あったけれど、決して最善のものでも最先端のものでもなく、いろんな問題点を抱えているってことを話したように記憶しています。そのアメリカの問題点を意識しつつ、加害者プログラムやらビジテーションやらを先駆的に立ち上げてきたけれど、私の意識はあまりに進みすぎてて、誰も理解できないどころか、多くの専門家も抵抗ないしは無視するのが現実でした。で、今、日本の世間はそんなアメリカの問題的に気づきもせず、加害者プログラムやビジテーションセンターを導入しようとしています。嗚呼・・・話しが心の自由からそれちまいましたねえ。社会の価値観から自由である事がいかに人生にとつて大事かってこと、書きすぎたかな・・・失礼しました。最後まで読んでくれて、感謝です。お疲れさまでした。
2013/04/16
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私の所には、様々な問題を抱えていろんな方が来談されます。カウンセリングはおおよそ、女性四割、男性六割、という状況はこの十年間ほとんど変わりません。うち暴力を含む夫婦関係を主訴とする場合が半数以上になります。私は自身の内に男性も女性もいる・・・男性性と女性性が併存しているって言えばいいのかな・・・なので、男性の意識や感情も理解できるし、女性の意識や感情も理解できます。もちろん、性差よりも個人差の方が大きいと言う事はありますが、全般に多くの人はジェンダー意識に囚われていて、そのバイアスのある自己概念を、本来の自然な自己像と思い込んでいるようです。ですから、自身にジェンダーバイアスがあるってことには、あまり思い至らないようです。バイアスがあると言う事は、女も男も変わりません。幸い私はこどものころから反社会的で強制される男らしさのうち、根性とか忍耐、出世や成績、などを拒否していました。かといって、セクシュアリティーが女性的かと言えばそんな事はありません。暴力的と言う意味では、とても男性的だったのかもしれません。そんな私が、強制される男のライフスタイルを拒否して、専業主夫になったり、パートの主夫になったりして、社会的にも男の世界からドロップアウトし女の世界でかなり生きてきましたから、かなり女の文化を学ぶ事もできました。もちろん専業主夫になる以前、結婚当初から連れ合いを扶養する事は拒否してきたし、家事(主に食事関連)を犠牲にしないような働き方をしてきました。当初は完全にダブルインカム、ダブルポケットでしたが、それも結婚して十年目でおわり、私は主夫になったので、どちらかというと、女の世界との付き合いの方が長いような気もします。こんな私ですから、男の文化も女の文化も理解していると言う事。同じ日本語を使っていても、価値観や感性が女と男では随分違うけれど、その両方を理解して日本語を使えると言う事です。夫婦でもめる原因はいろいろあるけれど、根源的には相互不信というか相互理解ができてないと言う事があります。相手の言動や感情について理解できてないから些細な事で食い違い、対話すればするほど不信や対立が深まると言う事になってしまいます。そんな夫婦間の対立で悩んでいる方が来談される訳ですが、そんな方の多くに私は「結果」の男「プロセス」の女のような性差による意識の違いを説明します。カップルで来られた方には通訳しながら話しを進める事も少なくありません。先日も、妻が離婚を求めているけれど、理由がさっぱりわからない、と話す男性がおられましたが、妻さんの言動について聴いてみると、なるほど、だから妻さんは離婚したいんだってことが、私にはよくわかりました。私の推論だけれど、と確認した上で、妻さんの心理状況を説明し妻さんの出してたサインやメツセージを翻訳し、彼に説明しましたが、かれはそれで随分妻さんの事がわかった、と納得してくださいました。善悪で判断して、相手の欠点をあげつらって法的対決に入れば、双方が傷付くし、癒える事のない傷を負ったまま別れざるを得なくなります。相互に相手を理解したうえで対話を重ね、将来を決めることができれば、どのような決定であれ、その結果には責任を持つでしょうし、傷付きも少なくて済みます。むしろその対話は相互信頼だけでなく相互成長のいい機会にもなり得ます。それが離婚であってもなくても。けれどねぇ、ここまで突っ込んでセラピーを行うカウンセラーって・・・なかなかいないだろうなあ。ジェンダーとかについて心理学ではほとんどやらないし、DVについても学ぶ事はないしねぇ。さらに自分の中の異性を育てる体験なんて多くの人はする事はないから、私のような通訳はなかなかできないだろうしねぇ。このあたりの事について学びたい人がいれば、私はしっかりお伝えしたいと考えています。授業料は高くはありませんので、数人が集まればゼミ開催は可能です。学びたいあなた・・・ご連絡くださいね。
2013/04/15
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今日は昼過ぎから十周年記念パーティーなる集まりを行いました。7〜8名の参加ですが、いつもながらにおバカな話しで盛り上がってました。私は聞き役で静かに聴いてましたが・・(笑)それにしても多くの方がこの十年を祝ってくださいました。深く感謝です。とはいうものの、この十年を継続的に関わり続けている人はほとんどなくて、スタッフになった人も多くがセンターを去っていきました。もちろん、私に引き止めるいろんな力がなかったのも事実ですし、よく言われる女の職場にありがちな人間関係のもつれがあったのも事実。また、スタッフに対人援助を行うにはまだ力不足だったり、もともと人格的に疑問符のつきそうな人を疑いもせず、スタッフにした、私の甘さがあった事も事実。いろんな意味で、いろんな問題を抱えながらもそれをひとつひとつ乗り越え、失敗から学び、謙虚に真摯に仕事に向き合い続けた事は、私の自負する所。とは言っても、利用者の方には最大限、納得はして頂いていると自負しています。ですから、今まで、資金的にゆとりはなくても、大きな赤字を抱える事にはならずに済みました。また利用者の方は私が何をしているかと言う事を実際に体験しているので、私を疑う事もなく私を支えてくださいます。これからも、センターを「当事者の当事者による当事者のための援助施設」として、運営を続けていきたいと思います。これからも皆さんには暖かく見守って頂けますよう、お願い申し上げます。
2013/04/14
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昨夜のバスはラッキーにもお隣がキャンセル空席で、二シート独占。おかげさまでかなり眠る事ができました。今回のバスはいつもの京都駅前でなくて山科駅前着なので、電車に乗り継ぎもなく、そのまま事務所に。夜明けの東京駅、駅舎銀座会場近くの民家のお花です。きれいなので思わずパシャ事務所でインコのきいちゃんにご挨拶して餌をあげて、少し事務仕事したあとは、バイクで自宅に帰って、自宅の様子も確認。すぐに事務所にとんぼ返りして、今日の仕事、ビジテーションの準備です。約束のチーズケーキづくりの準備をしてと・・・・スタッフの到着・・・久々に面会するこどもさんや、面会にくる親ごさんも到着して・・・・・・ケースに流したチーズケーキを冷蔵庫に放り込んでと・・・今は、スタッフと親子がお散歩に出かけた所。お散歩から帰ったら、チーズケーキも固まってるという段取り・・・。それにしても、お菓子作りしたり、近所にお散歩に出かけたり、小さな事務室で緊張して対面する面会ではなく、おもちゃや、プレイスペース、ダイニング、などの揃った、ごく日常の生活空間で、ごく日常の親子体験ができる、ビジテーションの意味はとても大切だと実感しています。そのためには、ビジテーションサポーターは、面会交流に関しての法律や制度、その世界標準はもちろん、心理や保育、料理、等に関する様々な知識、それになにより、こどの気持ちを汲み取り、こどもと一緒に遊べるスキルが必要です。たった数時間の面会ですが、その枠を広げる作業とは別に、その枠の中でどれだけこどもに取って有意義で、両親が納得できる面会にできるか、ビジテーションサポーターには高い能力が求められます。このあたり、日本ではまだまだ法律や制度は時代に追いついてなくて、人々の意識も高くありません。最近はいろんな所で、ビジテーションセンターを設立する動きが出てますが、真にこどもの福祉を優先し当事者の視点で面会を実現する所ができるのか、危惧する私です。さてさて、今日はビジテーションの終わったお昼すぎから当センターの開設十周年記念のパーティーを行います。といっても、どこかのホテルを借り切って、とかいう世間並みのものではなく、ごく内輪のいつものお喋り会、しかも一品もちよりの安直なパーティーです。みなさん、お気軽にいらしてくださいね。それにしても、日本家族再生センターを立ち上げてもうはや十年がすぎたなんて・・・感慨深いものです。この十年で事務所も三カ所を移転しました。はじめは駅近のマンションに二年、次は少し離れた所のマンションに五年、さらに今の三階一戸建ての事務所に移りました。今の事務所は駅近ですし、パーキングはあるし、なにより一戸建てで部屋数もあるのでいろいろ自由に使えます。来談室ですシェルターです
2013/04/14
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今日も銀座でワークでした。午前は女ワークを午後は男ワークを。男ワークは昨夜と同じ「他己紹介」でした。男ワークは参加者もそこそこいて、いろんな語りができて、いい学びになりました。パートナーとの付き合い方、なんて言う話しはなかなか、他では聞けない話しが満載でした。♪ワークの後は丁度いい時間にフランス映画「君と歩く世界」を見に行きました。事故で両足を失った女性とヤクザな生活で生きてる男の出会いから生まれるラブストーリーです。とはいうものの、ハリウッドのラブストーリーとはちがった面白さがありました。さすがおフランスざぁますわん♪私の前世のイタリアに近い南フランスが舞台だけに、女と男の関わりが日本とは随分違います。アメリカとも違います。私の感覚は、この感覚に近いんだけれど・・・どうちがうかっていうと・・・まあ、機会あれば、みなさんもぜひこのシネマを。ではバスも出発ですぅ。ではではー
2013/04/13
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今、夜バスで東京に着いたとこ。八重洲のマクドに入りました。で、気がついたのは、パソコンのアダプターを忘れたって事。だもんで後はバッテリーが残ってるぶんまでしかパソコンが使えません。昨夜は女と男のワークで大阪でした。八名の女と男が、自分を語り、聴いた人はそれを人に伝えるという「他己紹介」なるワークをおこないました。お喋りしてるとほんと時間の経つのは早いもの。現代人は自分にフォーカスするトレーニングを受けてないから、他人の事ばかりフォーカスして、自分を理解できていないから、自己概念と現実の自己との不一致が起こり、心病んだり人間関係が難しくなります。ということは、自分を知る、それを正しく人に伝える、これが対人関係の第一歩ということで昨夜のワークでした。今日はこれから、銀座でカウンセリングやらワークやら、いろいろ。さてさて、今日も一日、どーなることやら。楽しみ楽しみ。関東方面の方、昼から銀座で男ワークです。お気軽にご参加くださいねー。
2013/04/13
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昨夜は男の非暴力ワークでした。七人の男たちが行ったワークは「他己紹介」ある人と話し合った後、その人について紹介する、というもの。みんなの前で自己紹介するというのはなかなか難しいもの。特に男性は自分の感情について理解し、それを言語化するのは不得手な方が多いのも確かです。誰かに聴いてもらいながら自分について語ると、比較的自分を説明しやすいのも事実です。また、その人の体験や思いをその人に成り代わって語ると言うのは、気恥ずかしさやプライドを気にせず客観的に語れます。自分(特に無意識や情動部分)を理解し、それを言葉にして人に伝える事、同じように人の感情についてもフォーカスし、理解する事で、コミュニケーション能力が上がるだけでなく、自己理解が進み、自己肯定感が高まります。結果、暴力はもちろん他者をパワーコントロールする必要もなくなります。さらに豊かで多様な人生に変化していきます。DVは犯罪です、被害者が傷付いてます、反省してやめなさい、なんていう教育プログラムでは、自己肯定感が下がるだけで、自身の多様性成長性を阻害し、よりいつそう、パワーに依存する人格になりかねません。こういうプログラムは脱暴力を目指していると言うより、プログラムを行う主催者の自己満足や利益を目指していると言われても仕方ないもの、と私は厳しくみています。一見、加害者(と言われた人たち)に厳しく臨むプログラムは有効性がありそうで、私のメンズプログラムは男にゆるい危険なプログラムだとの、根拠無き言説も語られるようですが・・・。ほんとに危険なのはどちらか・・・世間は理解できていません。と言う訳で、昨夜は、某新聞社の取材を受け入れました。ワークの場そのものは取材拒否ですが、ワークの後、有志に残って頂いて、当事者の体験や思いを記者に語って頂きました。また、ワーク参加者のパートナーである被害女性にも同席頂いて、被害者の立場で見る男ワークや世間の被害者支援の問題点も語ってくださいました。実際にワークで変化していった当事者の語りはとても貴重です。DV男は変わらない、という根拠無き言説が嘘である事を証明する事ですから。ですので、私は「適切な支援がないからDV男は変わらない」のだと、より正しく語るようにしています。一時間ほど楽しく面白く笑いを取りながらの当事者インタビューが進みました。最後は、記者を拍手で送り出す事もできました。拍手で見送られた取材なんてはじめて、なんて記者も笑ってましたが・・・。後は、その記者が当事者の思いやワークの有効性について、うまく記事をまとめてくれて、デスクにボツにされる事なく、紙面に掲載されるのを期待するだけ・・・。さてさてどうなる事やら。
2013/04/12
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昨夜は久々に夜が空いてたので、何か映画を・・・ということで「ザ・マスター」を見に。第二次世界大戦から帰還したもののアル中になり心病む青年は、なかなか社会に適応できずにいたが、新興宗教の教祖と出会い、そこで受け入れられ、自身の回復を目指す。けれど、アルコールをやめられず、結局は袂を分かつ。出会いから別れまでの心の軌跡をホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンが超リアルに演ずる。映画としては日本人には理解しにくいもののように思うのは、復員兵のトラウマが日本では封印されている事や性意識や家族意識が日本人とは多少ことなる事がある。ストーリーにドラマ性もなく、もちろんロマンスもなく、卑猥で猥雑、乱暴で粗野なアル中とそれを受け入れる下世話な教祖のやりとりだけで、映画が展開して行くのだから。ただ、私はカウンセラーとして視点でも眺めているので、心病むアルコール依存症者とそれを無条件に受け入れようとするセラピストの心のありようにフォーカスしつつ見ているので、退屈はしません。ホアキン・フェニックス演ずるクライアントの危うさやそれを平然と受け入れる教祖のしたたかさと。これは面白かった。セラピストとクライアントのドラマ性でいえば、グッドウィルハンティングの方がはるかに映画としては楽しめるし感動できるのは間違いありません。けれど、深く傷付いて心病む者の回復の難しさとそれでもなお、断ち切りがたい愛着、そのリアリティーを表現しているのは、このざ・マスターでしょうか。それにしてもねぇ、私は教祖というのは、やっぱいやだーと感じてしまいました。もちろんうさんくさいセラピストというのもイヤですけれどねえ。いずれにしても、教祖と信者、セラピストとクライアント、この絶対的な権力構造に対して、私のメンズカウンセラーとしての魂が拒否反応を起こしてしまうようです。けれどちょっと心ざわついたのは、アル中の彼がもうろうとしながら、ダンスする女たちを妄想して素っ裸にしているシーン。その女たちの裸体が日本人の女の裸体とは随分違ってて、ああ、これこれ、これですぅ・・と、スケベな私は多少うらやましくなりました。なんで私は日本に生まれたんだーって(笑)そうそう、昨日は昼間もかなり時間があったので、朝買ってきた安売りのイチゴを使ってイチゴのケーキを作りました。久々のイチゴケーキ、うまかったっす。エラソに説教ぶつよりせっせとケーキつくって食べる方が、私は好きですねえ。
2013/04/10
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このところやたら忙しいです。もちろん仕事やら活動やら、自分のしたい事で忙しいので特にストレスにはなってませんが・・・むしろ、私を信頼し、私を頼ってくれて、私を支えてくれるのだから有り難いことですが・・。今日も予約していたカウンセリング以外に急なカウンセリングが二件入って、四件のカウンセリングとなりましたし、裁判所に提出する意見書の作成とか、もちろんシェルターのお食事作りとか、家人のご飯作りとかもその合間をぬって、進めなくてはなりません。ここ数日、久々に来談される方が何人かおられて、今日も数ヶ月ぶりに来られた方がおられました。どの方も、私との付き合いは長くて、十年とか、七年とか、長期にわたって定期的にお話を聴かせていただいてますから、そのご本人だけではなく、家族とか職場とかの状況も私は知ってて、話しが通じやすいのは事実です。いつでも気軽に診てくれる近所のかかりつけの医者がいると安心できるように、家族にも言えない秘密も含め、様々な事を理解し一緒に考えてくれる人がいるのは、心強いものではないかと思います。ですから、私は終結という言葉はあまり用いません。人生には節目節目で大きな転換期があったり困難に遭遇したりするのは当然ですし、そんな時に安心して心預ける事のできる人でありたいと思いつつ、お話を聴かせていただいています。そんな方達、ほんとよく辛抱されてたり、頑張っていたり・・・・やがて問題を解決したり、問題が問題でなくなったりしていく訳ですが、それに至るまで、真摯に問題に向き合っておられる態度は、私にも大きな学びや勇気をあたえてくださいます。有り難いものです。まあ、そんなこんなですから、とっても忙しいけれど、ストレスフルではないって事でしょうか。それにしても、最近の忙しさは尋常ではないっすねえ。我ながら、よーやってるわ、と自嘲気味に笑いつつ・・・
2013/04/09
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昨日は、センターとしては二件のビジテーションと二件のカウンセリングを行いました。ビジテーションの場合は双方の当事者にこどもさんという関係がありますから、援助の枠はかなりタイトです。けれど、カウンセリングはカウンセラーとクライアントの関係なので、枠はフレキシブルに変わっていきます。セラピーをより有効にするためにはその方がよりいいようですから。ですから、クライアントとの語りも、世間でフツーにあるような、傾聴一本のカウンセリングでは当然ないし、カウンセラーがクライアントの認知の歪みを修整すべくコントロールするようなカウンセリングでもないし・・・まさに自由で対等。もちろん社会的責任と言う意味では、厳然と立場を異にしてますが・・・。こんな私のカウンセリング・・もちろんビジテーションもそうですが、私が楽しいのが大切、もちろんそれで利用者やクライアントも楽しいのも大切。共に喜びを分かち合う事で、生きている事、共にある事の喜びに気づき、そんな自分に対する自負・・・いわゆる自己肯定感も育ちます。このあたり、ロジャースの言う、カウンセリングの条件とはまったく異なります。もちろん認知行動療法とも異なります。魂のカウンセリング・・・メンズカウンセリングならではでしょうか。ビジテーションでトランプをして楽しむ親子。スタッフも入って楽しんでましたが、スタッフは一番上がり。クライアントに教えてもらったレンジでプリン。クライアントと一緒につくりました。慣れない事をしたら、このとおり、失敗プリンでみんな大笑い、大喜び・・・。夜は夜で、カウンセリングが長引いたのも、いろいろと面白い話しが出てきますからねえ。法曹界や行政職員、などなどいわゆる専門家がどれだけ力がなくて非常識か・・・なのに世間はそんな人たちに振り回されて、むしられて、騙されて・・・当事者になってはじめてわかる人もいれば、なってもわからず、騙され続けている人もいれば・・・なんて話し出したら、お互い、止まらなくてね。ほんとお喋りは楽しいです。そのクライアントさんもたっぷり話せてすっとした、とおっしゃてくださいましたので゜、私の独りよがりではなくて、ほっとしましたとさ。
2013/04/08
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ユングはいろんな不思議な体験をしています。その事と、かれなりの心理学構築とは無縁とは思えません。正統派心理学からは邪道と見られる超心理学も私には魅力ある分野。というのは私自身の不思議体験もあれこれあるので、それらは既成概念では理解も説明もできない現象ばかりです。そんな私ですから、常識的な判断を超えた理解もありだと考えていて、直感や霊感、超常現象、などいわゆるトンでも世界の話しも大好き。もちろんそれは私のカウンセリングやセラピーにも影響します。クライアントが神を語れば私も私の神を語るし、幽霊や霊魂の話しになれば、私の体験したその手の話しも語ります。クライアントに迎合した作り話を語るのではありません。私の真実を語るのですから。それぞれの真実の語りの中から、新しい物語りが紡がれるのですが、それは単なる妄想を超えたその人なりの真実を投影した物語りなのでしょう。こんな私が以前から感じてるのは、私の直感というか超能力と言うか、人の感情や思考を理解する力が人並みはずれているということ。たぶんこの人は今こういう気持ちで、このように考えている・・・ということが、なんとなくわかってしまうのです。面白く思うのは、カップルカウンセリングで会話している時にしばしばかんじることですが、それぞれが使う言葉とその意味について、私はそれぞれのズレを理解しているのですが、それぞれは違う意味で使っている事に気づいていなくて、対話を重ねるたびにどんどんズレがひどくなって行くと言う事。そんなとき、私は言葉の意味を修正しつつ通訳して行く訳ですが、なんで私にそれができるのか、それは、その人の言葉と感情を深い所で私が理解しているからだろうと思います。このあたりの事は、一般的な心理学の教科書では理解できるものではありませんし、エライセンセの話しを聴いたからってわかるものではありません。けれど、私が何故そうなのか、それは私にも理解できません。けれど、ユングとおなじように、私の不思議体験と私のそんな能力はどこかで関係しているのだろうと思います。そのことと、私が常々考える量子的な理解と、これもどこかで繋がっているように思えてなりません。いずれにしても、近代合理主義的な判断では理解し得ない認知や理解の有り様です。そうそう、最近つらつら思う事・・・フラッシュバックやトラウマ・・・・等の概念はもうすでにたいていの人は理解していると思うけれど、それらの反対の意味を表す言葉ってないよねぇってこと。少なくとも私はしりません。誰か知ってたら教えてくださいね。心の傷とか爆弾とかでなく、まったく逆の現象、刺激すると快感や安心に満たされる心のツボ。便宜上私はそれをウマトラと造語してみるけれど、セラピーの中ではトラウマをほじくりかえすだけではなくて、似たような状況の中で、痛みや恐怖ではなくて、快感と安心を感じる再体験を繰り返す事で、トラウマをウマトラに変えて行くことが可能です。そのためには、セラピストがまったく新しい価値観や方法で、クライアントの再体験を共有する必要があります。その際に役に立つのが常識を超えた、価値観、いわゆるあちらの世界です。それらを昔からやってるのが宗教だとも言えます。けれども宗教は容易に新しい縛りの枠に成り果ててしまいます。また占いもそのひとつかもしれません。シャーマンやイタコもその作業をしているとも言えるかもしれません。私は宗教でもなく、イタコやシャーマンでもなく、セラピーとしてそれをやっているようです。トラウマをウマトラに(笑)
2013/04/06
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今朝も満開の桜咲く疎水べりを走りました。先日の大文字山ナイトハイクの疲れが残ってて、若干筋力が落ちてて、スピードはちょースロー。無理せずのんびりお花の写真を撮りながら、一応12キロは走りました。コブシも満開、賑やかに咲いてます。大島桜も満開。後数日で満開になる常磐マンサク潅水を待つ稲田ムスカリ野生種のすみれ大輪のすみれハナニラ・・・噛めば確かにニラの風味です。野草と言えば、タンポポですかねえ。これは西洋タンポポです。とてもポピュラーだけれどあまり知られていない野草、踊り子草。小さな花が踊り子の見えるかな。事務所のプランターの桜草、やっと本格的に咲き始めました。事務室にはブライダルベルが咲き始めました。オキザリスは花が終わってアリマキが大発生。ほっておいたら二週間ほどでアリマキを捕食するクモが現れました。特に窓もあけてないのに、アリマキが増えたりどこからともなくクモが現れたり、ほんと自然は不思議です。自然の中で生き抜いてる野生の花は、園芸種ほどはあでやかではないけれど、それなりに美しく風情もあり、自己主張もあるように感じる私。なんとなくシンパシーを感じるのは私も野にありて語る者だからでしょうか。そうそう、今日のお題の「パラドックスに合理有り」は以前にも書いたけれど、数ヶ月前の日経サイエンスの表紙にあったタイトル。古典的な合理主義では論理矛盾になるパラドックスも量子的には合理的な結論になるというもの。私もこのサイエンス以前から、カウンセリングの中でそれを実感していて、合理的な判断が必ずしもいい結果を導かず、むしろパラドックスの状況がいい結果を導くというもの。今日もカウンセリングで生きていけないからどうやって死ぬかという話しになりました。合理的にはカウンセラーとしては本人が死を選ぶ事はある意味敗北であり、無力の証しなのかもしれません。ですから、クライアントが死なないような働き掛けをしたくなるのでしょう。これは合理的な判断です。けれど、合理的な判断でクライアントが死ぬのを防げるかと言えば・・・あまり期待はできません。死ぬ時は死ぬのです。私はそれなら、死の誘惑に至る体験や思いに共感し、より良い死のあり方に関しての物語りを共有していきます。死に関して分かち合う事で、共感し共有する事で、安心と喜びが産まれます。その安心や喜びを実感している今は死が不要になります。死んではいけないと言えば死ぬしか無くなり、死ぬしかないよねと言えば死ななくて済む、このパラドックス。人の心は量子的です。死ぬ事と生きる事とは実は命の裏表。どちらかだけの存在と見るのが普通だけれど、量子的にはどちらも同時に存在しています。けれど、死をクライアントと共有するカウンセラーは危険と世間からは避難されるでしょうし、それがわかってるから多くのカウンセラーは死んではいけない、というのでしょう。カウンセラーの保身です。私はすでに世間では(冤罪)セクハラカウンセラーです。世間は私を排除することはあっても守る事はありません。ならば世間に非難されてもちっともかまわない、だから安心してクライアントと自殺についても語り合えます。だから私にリアルに繋がっているクライアントは死ぬことはなく、回復していくのでしょう。パラドックスに合理有り、でしょうねえ。
2013/04/05
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援助施設として電話を開設していますが、これは援助業務の紹介、連絡などに使うもので、相談電話ではありません。また、電話を開設維持するための費用も行政のようにどこかから予算として下りてくる訳ではありません。もちろん、スタンバイしたり対応したりするスタッフの人件費も然り、だれからも手当はありません。ですから、電話を受けるにしても、その目的は窓口対応とはっきりしています。けれど、かけてくる人には、こちらが行政だか民間だか、窓口電話か相談電話か、わからずにあるいは関わりなく、かけてこられる人も少なくありません。もちろんそれはそれでかまわないし、かけてこられた方に必要であればそのあたりを説明し、援助内容そのものに関わる事であれば、相談スタッフが時間を設定して、相談専門の回線にかけてもらうようにしています。その際は、有料の援助業務として、聴かせて頂く事になります。たいていの方はこの対応で問題はおこらないのですが、まれに、こちらの説明に納得できず、いつまでもはっきりしない電話を続けようとされたり、何度も電話してきて、毎回同じ質問をして対応について説教したり、批判したり、いわゆるクレーマーのような方もおられます。今日もそんな電話が何件かありました。無料相談電話として開設しているならそれでも問題はないのですが、無料相談の電話ではありませんので、業務妨害になってしまいます。と言う訳で、先方の語りには応えず、迷惑対応させて頂きました。世間には無料の相談電話はいくつもありますから、そちらを利用してくださればと思いますし、その旨アナウンスはしているのですが・・・。私にあるいはセンターに言いたい事があるなら、直接来談するか、講座やイベントに参加して対話の時間を確保すればいいだけの事ですしねえ。とはいうものの、相手が非通知でこちらをコントロールしようとするコーラーに対して、受容的に聴くことは先述のとおり不可能なので、迷惑対応させて頂きましたが、これもある意味パワーコントロールであって、あまり好きなやり方ではありません。まあ、もやもやした気持ちはのこりましたが・・・さて、これから晩ご飯を作りますか・・・夜は依存症当事者のセルフヘルプミーティング「フリークス」だし。・・・・すっきりしよっと。
2013/04/04
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今朝はうっかりしててカウンセリングに遅刻・・やばっ。幸い10分ほどの遅刻ですみましたが・・・😰お詫びの印と言う訳でもないけれど、昨日のアップルパイを一緒に食べていただきました。やっぱり手作りアップルパイはうまいー、自画自賛。その後は、お散歩セラピーとして疎水べりをお散歩・・いろいろお花が楽しめました。桜は満開です。うっすらピンクのタムシバ咲き始めたハナスオウ小ぶりのヤマツツジ石南花(しゃくなげ)つばきしだれ桜ほんとこの季節、公園にも民家の庭先にも花が多くて、とても心和みます。お散歩セラピーといいつつ、私もしっかり風景を楽しませて頂いてますが、一方的な癒す、癒される関係ではなく、喜びや楽しみを共有する事で、共に癒され、ともに成長しあえる関係であることが、私にとっても嬉しく有り難い事です。でお散歩で摘んできたヨモギの若葉でパスタを作りましたが、これもなかなかおいしく頂く事ができました。ほんとお金はかからないけれど、とても楽しめたお散歩セラピーでした。よもぎよもぎとベーコンのパスタ
2013/04/03
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今日はカウンセリングが一件あったきりで、特に急ぎの仕事がなかったので(急ぎじゃないのはいくつか仕事がたまってるけれど・・・)アップルパイを焼きました。以前、りんごが見切り品に出てたので、思わず買っちゃいましたが、そのリンゴもしばらく置いてると、傷んできそうだったんで、とりあえずコンポートにしておきました。が、それもしばらく冷蔵庫で眠ってたので、そろそろなんとかしなくちゃ・・とのことで、本日のパイ作りになったと言う訳。パイ生地は即席法で比較的簡単に作ります。といっても、かなりの手間ひまはかかるし、ある程度の熟練は必要です。慣れればどうってことはないのですが・・・。パイ生地はバターと小麦生地とが薄い層になって何層にも重なるものを言いますが、バターと小麦生地が同じ硬さにならないと、均一の層にはなりません。と言う訳で、夏場ではバターが柔らかくなりすぎて生地としては作り辛くなります。ですから、パイは冬のお菓子と言えなくもないです。私もパイ作りは秋から春にかけての期間に作ります。とはいうものの、この冬はパイ生地は作ってないように思います・・・。今日がはじめてのパイ生地作りだったかもしれません。今日はまだ食べてないので、味はどうだかわかりませんが・・・一応、膨らんでいる事は間違いありません。・・・そうそう、夜も時間があったし、いいテレビ番組もないので、DVDをみました。99年の「ザ・ハリケーン」です。デンゼルワシントンがまだかなり若さを感じさせていましたが、冤罪で二十数年を投獄されて再審が認められて無罪になった天才ボクサーの実話に基づくドラマです。彼だけではないけれど、日本でも冤罪が認められて無罪になるケースが時々報道されますが、冤罪を作り出した裁判官は処罰がないのが不思議と言えば不思議です。疑わしきは被告人の利益に、と言う原則にもかかわらず冤罪を作ったものの責任はどうなるのでしょう。何年もの投獄や死刑判決等の場合、冤罪と証明されても命や時間は取り替えしようがありません。その激しい人権侵害を行ったものが責任を取らなくていいのはねぇ・・・どうも腑に落ちない私です。私自身の場合でも、たかが五十万という損害賠償命令ですが、私に着せられたセクハラカウンセラーという汚名は消える事はありません。私のアリバイのカウンセリング記録を無視しての判決です。こんな判決はどう見ても、政治的な判断か恣意的な判断としか考えられません。私はそんな正義を投げ捨てた判決をだした織田某を許しません。しかしながら、私は投獄された訳でもないし、命奪われた訳でもありません。ハリケーンの苦悩に比べればお笑いのようなものだし、事実私はあの訴訟で失ったものより得たものが多いと実感するのも事実です。あの事実は私の汚点ではありませんし、何のためらいもやましさもありません。どんな事があっても自身の生き様や援助についてぶれる事も揺らぐ事もないという、信念を表明できたいい体験でしょう。実際カウンセリング依頼も少しずつ増えています。クライアントの安全より世間を気にして保身に走る援助者ではなく、世間がどう批判しようがクライアントを守るためにリスクを引き受けてもかまわないと言う私のスタンスは、セクハラカウンセラーの汚名?でより強固になっているのかもしれません。面白い現実です。そうそう、ハリケーンが最後まで絶望せずに獄中で正義を叫び続けられたのも、自身を貶めた権力者や人種差別に対する怒りの感情、さらに彼のために自身の生活をなげうった援助者仲間との信頼、そして何より、誰にも縛られない魂の自由や尊厳があればこそでしょう。彼とは比べられないけれど、私も誰にも奪えない魂の自由は失っちゃいけないなぁ、と感じた映画でした。
2013/04/02
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私の無謀で後先考えない無茶な暗闇登山のアホアホ提案に、なんと四人のおじさんたちが名乗りをあげました。みなさん翌朝は早出だというのにぃ。今回は二回目。前回はシェルター退出の卒検としてセラピーを兼ねての暗闇登山でしたし、今回も卒検で位置づけて言い出した訳ですが、肝心の卒業生は都合で参加できず・・・卒業は保留、仮卒としておきましょう(笑)せっかくの提案なので、卒業生不在でもやろうと言う事で声かけしたら、無謀無茶にも恐れを知らないおじさんたちが元気よく参加してきたと言う訳。事務所で晩ご飯のカレーライスで腹ごしらえしたあと8時半ころ事務所を出発し、疎水べりをしばらく歩いて天智天皇陵近くから山に入ります。疎水べりの満開のコブシ。大文字山は466メートルなのでさほど高い山ではないけれど、400メートルを一気に登るのはけっこうハードです。少しペースをあげてみたけれど、みなさんしっかりついてきます。私の筋力が落ちたんでしょうねえ、やばいっす。山科盆地の夜景大文字火床からの京都市街夜景闇夜で笑うおじさんたち・・ほんとは若い人もいるけどね。火床から銀閣寺に下りて、哲学の道を歩き、南禅寺を抜け、蹴上げのインクラインを見学して、三条通りを山科にむけて歩きます。事務所に着いたのは丁度一時。四時間半かかりましたが、火床の記念撮影やら、帰り道のコンビニでアイス食ったりして、三十分以上休んでいるので、歩いたのは実質四時間弱と言う所でしょうか。それにしてもけっこう足腰が疲れているのは、やっぱ歳のせいでしょかねえ・・・いえいえ、単に運動不足と思います。これからもしっかり鍛えるとしましょう。参加されたみなさんお疲れさまー。今夜はぐっすりお休みくださいねー。明日朝は頑張って起きてくださいよー♪
2013/04/01
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