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今夜のニュース番組でまたまたDV殺人が報道されてました。被害者をかくまった友人の女性が加害者に刺殺されたというもの。被害者は警察には相談したけれど、穏便に別れたかったから保護を使わなかった、とのことで、コメントでは、DVは危険だからためらわずシェルターに逃げましょう、本人同士で交渉するのは危険です、と。報道で見えてこないのは、何故友人の刺殺にまで至ったのか、ということと、コメントのように危険だから迷わず逃げたとして、その後どうするのかということと。加害者の職場上司のコメントが入ってて、加害者は以上に妻に執着して仕事が手につかないほどだったと。妻に対する恨みや憎しみ、嫉妬やらその妄想やら、様々な心理的な状況がありえるけれど、それらは夫一人で勝手にできるものではなく、相互の関係が状況の変化につれて病理化するのでしょう。この相互の心理状況の変遷について理解し、その病理の原因に対する適切な処方がなされないと、問題はなくなりませんし、下手に関わって刺激すると巻き込まれた人は危険になります。私もこれまでに数百人の加害者に関わってきているけれど、私が危険を感じた事はありません。こいつがキレたら危険だろうなあって言う人は何人もいましたが、その人がキレるような事をしなければ危険ではありません。幸い私の所に来る加害者は自分が問題を抱えているとしてやってくる訳で、問題解決のために共闘関係になり得ます。だからクライアントは世間で言われるような危険な存在ではありません。でー、安全な支援を続けるために、今は当事者として私の支援を良く理解できている方や信頼関係のもてる人たちにボラスタッフとして入ってもらっています。また自身の問題に気づき、ある程度回復している当事者をスタッフとして養成中。相談に来られる方を追いつめたり孤立させたりする事こそ事件化に繋がる事。そのためにはスタッフは巻き込んだり巻き込まれたりしない、確固たる自己信頼感を持っている方でないと、安全な支援になりません。どんな方であっても丁寧によりそい、その方の幸せのために誠心誠意尽くす事ができなければ、安全な支援になりません。自己満足のための支援ではだめですねぇー。けれど現実には援助者のための支援がほとんどではないかな、と思いたくなるのが現実のようです。残念な事です。少なくとも私の所では施設開設からほぼ十年、カウンセリング件数も三千五百件近くなってるけれど、問題になるような事件は起こっていません。当たり前と言えば当たり前ですが・・
2013/01/31
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昨夜もシネマナイト、延々170分の長編「ホビット」でした。この後日譚となるロードオブザリングはまったく見てないので、あらためてその物語り世界を覗いてみたいとの好奇心と、三時間近い映画を見る私を見たくての昨夜のシネマナイトでした。なるほどなるほど、西洋人の考える物語り世界というのは、こーゆーものなんだと納得。ドラゴンだのトロールだのドワーフだの、様々なキャラクターが物語りを作ります。その物語のストーリーはシネマに任せるとして・・・・その物語りは失われた世界を求める旅なんだけれど、なんとその旅での闘いの多い事。凶悪なあるいは邪悪な存在に対して、主人公らはひるむ事なく闘っていくのだけれど、主人公らに感情移入する事で、闘いに勝ち抜く事が正義との設定になんの疑問もなくなるのが、こういう物語り世界の楽しい所でもあり、怖い所でもあるなって俯瞰しつつ、映画を見る私を見てた私です。自分が正義で悪人と闘うっていう設定はどこにでもあって、戦争も離婚訴訟も同じ設定でしょうか。どうにも理解不能で対話不能な存在は悪人として切り捨てる、あるいは処罰するのが正義、なんでしょう。けれど、私はまったく違う文化を持っていて、すべてを理解し調和するための価値観やスキルを大切にしたいと思います。その価値観では理解不能とコミュニケーションを断つのは愚の骨頂で、相手を理解し、対話し、共存を共栄をはかるのが当たり前です。他者を理解しようとせず、他者を理解不能な存在と仮定しそこから自己を防衛するために他者を攻撃する、と言う心理的なメカニズムは、自我の脆弱さから来るのかもしれません。そう言えば先日も私の所を訪ねたけれど私を理解不能な存在と見たのか、防衛的な反応をしてた方もおられました。とても珍しい事だけれど・・・。世間の人は私を理解不能と見て、批判する人が多いのはよくわかるけれど、私の所に来られる方は何らかの支援を求めてこられる方なので、ある程度は私の事を理解できているのが前提、ですから私の非防衛的な態度に触発されてどんどん防衛を解いていくのがフツーなんだけれど・・・いずれにしても、闘争の物語りではなく、対話と調和の物語りを紡ぎたい私・・・そんな私が見えてきたそんな「ホビット」でした。
2013/01/31
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私は自分がLDだったと確信してるし、学校とはそのことで随分軋轢がありました。九九は覚えられない、漢字も書けない子どもであった私は、授業中は机の下のもの入れで「手悪さ」をしながら自分の世界を楽しんでいました。どこかで拾ってきた芋虫と遊んでたり、教科書に落書きしてたり・・・・こんな私だから世間の仕組みにうまく乗れるはずもなく、アウトサイダーの道を歩む事になるのですが、教師がおかしい、世間がおかしい、世の中の仕組みが間違ってると、根拠なき確信をもっていました。ですから、子どもの頃はいつも教師と争っていたし、大人になれば、世間にもの申す作業を地道に続けてこれました。何故私が根拠なき確信を持てたのか、今思うに、私の存在や学校でのトラブルについて私の親はいっさい否定的な発言をしなかった事が大きな意味を持っていたと思います。中学一年のとき、授業を無視する私を宮地先生は、言う事聴かないと殴るぞと脅したから、私は「殴るんなら殴れや、言う事は聴くか」と無視。困り果てた宮地先生は、ある日親父の所に行って、どうにも困ってるからお父さんなんとかしてくれ、と泣きついてきたらしい。それに対して親父は「それは先生であるあなたと生徒である息子の問題ですから、私は関係ありません」と突っぱねたらしい。そしてその事を親父が私に伝えたのは、それから15年後のことです。あの先生がこんな事言ってきたから、こう言うといたし、と。高校生の頃は夜な夜なバイクに乗って出かけている私にやめろと制止することもなく、高校を辞めて別の学校を受け直すと言っても、我慢しろとか言う訳でもなく・・・・・すべて受け入れてくれました。今から思えばよく辛抱してくれました。問題起こしてハラハラさせてばかりのバカ息子をじっと見守るのは並大抵の事ではなかったと思います。大丈夫、大丈夫と思って耐えてたのでしょう。が、耐える根拠もまた両親にあったのも事実ですが・・それはまたいつか書きますね。いずれにしても親が見守ってくれていたから、私は教師とも闘えたし、自分の存在に対して自己受容できたんだろうと思います。世間に適応できないマイノリティーを欠格者として排除したり、抑圧したりする社会の有り様に対して、それはおかしい、と当事者として認識する事ができたんでしょう。小学生の頃からのことですが。できない私の問題ではなく、できない者をラベリングするシステムが問題であると言う事を子どもの頃から実感できたのは、両親が私を受容してくれていたからだと実感しています。そしてこんな私だから今、ラベリングされ、差別抑圧を受ける当事者に無条件に寄り添い、大丈夫一人じゃないし、と言いきれるのでしょう。特に、私のように生育の中でラベリングされて、私以上に家庭や学校、地域で辛い思いをしてきた方のお話を聴くと、過去の自分を見るようでとても「愛おしい」思いが湧いてきます。アホでも大丈夫、アホだから大丈夫、アホにはアホならではの何か特殊なものがどこかに潜んでるから、それを見つけて宝物にしよう、と。先日もDVで問題が表面化した方が来られましたが・・語っているうちに、ご自身の生育体験が語られて・・・・いままで何をやってもうまく行かなかったらしいけれど・・・きっと、これからは自分に自信と勇気をもって、乗り越えて・・いいお仕事をしてくれるでしょう♪。子どもにどう向き合うか・・・それは親自身が自分自身とどう向き合うかってことなんですよね。子どもの問題ではなくて・・・親が無条件に自己受容できていれば、こどもはそんな親から大きなものを学んでくれる・・どんな子どももそんな力は持ってるよねー
2013/01/30
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最近はカウンセリングが増えてきてて、結構大変ですが、なかでも夫婦間のトラブルは問題がこじれるとややこしくなるのが常で、修復的な対応を目指すのも困難になります。夫婦間のトラブルはそれぞれの家意識や夫婦のかたちの有り様に対する価値観の相違がある事、なのにお互いがその違いを認識していない上に自分の問題としてみる事ができない、という二重の困難が前提となります。さらにさらに、単に夫婦の問題としてではなく、それぞれの出自の家の文化にも大きく影響されます。うちの嫁という意識のある旧民法に生きる親世代と、夫婦が独立した戸籍で夫婦が対等という価値観のある娘・息子世代とは、そもそも基本となる価値観が異なるために、議論が噛み合ないのが当然です。けれど、親にコントロールされて育った子どもは、夫婦関係も親のコントロールを受けてしまいます。夫婦の対話よりも親同士の介入と闘争になってしまいます。これが第三の困難でしょうか。このように二重三重の困難があるクライアントの問題に寄り添い、そのクライアントが、あるいはクライアント夫婦が回復していくためのカウンセリングや、様々な支援を提供していく訳です。そんな支援を行うにあたって、家族を巡る様々な価値観や文化について、私が知らないことは致命的ですし、また価値観から自由である事も不可欠です。家族の問題が起こったとき、弁護士に依頼すれば、弁護士は法的正当性を巡ってその経済的利益を求めて、家族同士で闘争することを前提としています。もちろん闘いが好きな弁護士もいるでしょうし、中には争いを避け、対話を重視する弁護士がいるのも少ないけれどいるのも事実でしょう。けれど、弁護士である以上法的正当性を前提に対話するしかないのは現実です。私は法律家ではありませんので、そんな法律の縛りは受けません。もちろんエライセンセでもないので世間の倫理と言う縛りも受けません。まさに野にありて自由に歌う鳥のごとく、自らの欲するままに聴き、語り、物語りを紡ぐ事が可能です。先日も夫婦間の性の問題で来談されたカップルがおられました。世間ではとんでもない事と言われることでも、ご本人はとても真摯に考え、行動されていた事がよく伝わってきました。おそらく、世間の基準と異なる自分の価値観で自分を支えてこられた、その孤独や不安も大変なものがあったろうにと、とても愛おしく思えるだけでなく、その不安や孤独に耐え、自身の信念をささえてこられたその強さには敬服するものを感じた私です。「世間は口は出すけれど、助けてくれない」と言う事を私はしばしば話します。「世間は助けてくれなくても、ご夫婦が理解しあえて信頼しあえたら、いざと言う時に助け合えるのが夫婦ですよね・・・・そのための相互理解、相互成長のために、本音で語り合えたら素敵だと思うけれど・・・」かように、法的正義や倫理を基準に相互対決を求める世間の価値観とは遊離した、価値観から自由な対話の場があれば、夫婦がそれぞれの個性を認めあいながらも相互に信頼し助け合える、新しい関係・・・その夫婦のだけの世界でひとつの物語りを紡ぐ事も可能です。その新しい物語りを産み出す産婆さんでもあり、ともに物語りを育てる共著者でもある私は、なんと素敵な世界に生きてるんだろう・・・と自画自賛・・・わくわくの毎日・・・今日もこれからどんな物語りを紡ぐかな・・・
2013/01/28
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いやー、寒かった・・・マイナス四度くらいの比叡山でした。昼ころ叡山電鉄八瀬を出て一時半ころに登山口に到着。そこでお弁当を食べました。叡電出町柳駅です。登山口気温二度、けれど日だまりは暖かく、おにぎりと手作りカレーパンのお弁当でした。霜柱も立派に育ってます。シカ?の足跡なごり雪を踏んで・・・山頂は吹雪いてた山頂自販機のおしるこがうまい山頂から下りに入る自然歩道が見つからず、山頂から少し下った所でビバーグ、こんな雪の中シュラフと手作りシュラフカバーだけでビバーグするのは、アホです。無謀だから真似しないようにね。携帯は寒くてすぐに充電がなくなりました。皆さんに連絡もできなくなりましたが・・・普通の人はテント泊です。小雪がさらさら舞い落ちて、寒いのなんのって。無事朝まで耐えました。朝5時ころから六時ころまで一時間ほど眠れました。朝ご飯はラーメンとコーヒーにクッキーです。朝日に映える雪景色・・・ああ、琵琶湖は暖かい・・コースを変更して、大文字方面には向かわず、そのまま滋賀県穴太までおりて、唐崎からJRに乗りました。山科まで二駅です。
2013/01/27
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社会構成主義では、人は言葉を用いて世界を構築する、という言い方をするようです。モノにせよ状況にせよ、ある概念に対してそれにふさわしい言葉が当てはめられます。何万という概念に対してそれぞれ言葉が当てはめられ意味付けられています。この意味付けられた言葉の組み合わせで世界が構成され、その世界を私たちは共有する事ができています。もちろんそれぞれの自分自身に対しても言葉によって意味付けられ自己概念が構成されています。自己概念を構成する言葉がより緻密で多様で実感を伴うとき、人は安定した自我を持つと言えるのでしょう。その言葉が曖昧で実感を伴わず、語彙も少なければ、不一致で不安定な自我になるのかもしれません。グループワークでは自分を語ることで、安定し豊かな自我を目指す事も可能です。エライセンセの話しをいくら聞いても知識は豊かになっても自己成長しないのはそう言う事なんです。と言う事で、昨夜のワークも自分を語る、その語りにまたフィードバックして語る、ということを楽しみました。ほんとワークは面白い・・・私の実感です。さてさて、明日は、さっぶい中比叡山から東山を一泊しながら縦走だ。自由そうだ!!。寒そうだ、私は山中ビバーグの予定。どんなになる事やら。
2013/01/25
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昨日のワークはラブさんがファシリテーターをしてくださいました。テーマは行動を変える・・・・私たちは自由に考えて自由に 行動できるとなんとなくかんがえているけれど、実際はけっこう不自由。思考や行動の枠組みに縛られていて、実はさほど自由ではありません。ですから、多様な選択肢も見つけられないし、トラブルを回避する方法もなかなか見つけられません。そう言う意味では問題が起こるのは自分の問題なんですが、自分の問題との認識がないから、相手の問題と認識して自分を正当化します。これでは、なかなか問題はなくならないし、いつまでも困難は続きます。・・・そこで、ワークでは多様な選択肢や多様な行動様式を提示します。それはいろんな人のいろんな語りから見えてくる・・・・体験や知識からその答えがみつかります。私はあれやこれやいろんな行動パターンを持ってるので、あまり困る事もないかな・・・有り難いもんです。今夜はこれから大阪で女と男のワークです。今夜も同じワークをしてみよっかな。
2013/01/25
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マックブックのアダプターが壊れて、昨日は難儀したけれど、今日は一件落着。実は今は使ってない古いパワーブックのアダプターのケーブルを切ってマックブックのアダプターのヘッドをつないでみたら、ちゃんと充電するではありませんか。マックブックのアダプターの表示がほとんど読めなくて、アウトプットのボルトが読めなかったけれど、たぶん、同じアップルだし、同じくらいのマシンだし、たぶん大きな差はないだろうとの判断です。で、順調に充電したので、安心して使えるようになりました。とはいうものの、このマックブックも冷却ファンがなにやらシャラシャラ音を立てて回転するようになったりして・・・いずれ、壊れるのも時間の問題・・と考えています。だもんで、マックブックの買い足しをしようと言う訳。簡単など素人の手当で復活したアダプターそれにしても、まあ思いつく事でやれる事は何でもやってみようと言うのが私のポリシー。非常識もまったくOK。自己決定自己責任の原則です。なんと一年前のカステラです。たまたま見えない所に落ち込んでいて、一年ぶりに見つかったけれど、保存のための処理が適切なんでしょう、まったくカビとか腐敗はありませんでした。感動ものです。もちろん、缶詰でもレトルトでも殺菌処理が適切になされていれば、腐敗する事は原則ありません。で、お菓子材料として使っておいしく頂きました。昨日食べたお昼ご飯は白菜ばかりのうどんのようなスープ。デンプンはないので、ほとんどゼロキロカロリー。そうそう、今日は賞味期限が二ヶ月ほどすぎてた卵が出てきました。これも割ってみると、特に腐敗もしていません。で、スパニッシュオムレツ風にしてみると、まあおいしく頂きましたとさ。いずれにしても、常識に縛られて適切な判断ができないのが普通の人の当たり前。私は常識に縛られず自分で状況を判断するので、自分に取ってベストな判断が可能です。その判断があってこそ、今の日々を楽に生きてる私なのでしょう。もちろん、そのためには、自分なりの確固たる信念なり情報なりが必要だし、それは他人から簡単に与えられるものでもないように思いますが・・・。
2013/01/24
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昨日は難儀なトラブル発生。いつも使ってるマックブックのアダプターが壊れたみたいで、充電しなくなりました。最近は仕事もプライベートも、ほとんどこの薄いノートパソコンを持ち歩いて使っているので、いざ、こいつが使えなくなると・・・まあ、仕事は事務所のデスクトップとリンクさせて使ってるので特に困りはしないけれど、プライベートな方はこのマックブックにしか入ってないので、こいつが使えなくなるとちと困ります。で、いつもパソコンがらみでお世話になってる人に連絡してみると、なんとアダプターは七千円程するとの事。本体含めて五万円程というので、いっその事、買い足しでいこか、となりました。というのは今使っているのも、最近は空冷ファンのモーターがしばしばカラカラと音がするようになったので、ひょつとして、いずれ近いうちにつぶれるかも、と思っていた所だったから。で、どうせ買うならあと一万ほどたして、容量を倍の125ギガのものにしようと言うことになりました。ああ、六万円。来月は四万の固定資産税を払わなくっちゃならないのにぃ・・・・
2013/01/23
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困難に直面したとき、状況にフォーカスするのは程々にして、自身の価値観や行動様式についてフォーカスしよう、というのが、私のセラピーの基本ということは既に書きました。それまでの人生で当たり前の事として内面化してきた様々な価値観や行動様式について、あらためて問い直す事はとても難しい事で、よほどの事がないと、そういうことはできません。それまでのやり方を続ける方が楽だから。けれど、にっちもさっちもいかなくて出口が無くなった時に、死ぬか生きるか、みたいな底打ち体験をする時、死・・・すなわち、無に帰する事と同じ作業として、それまでの人生のデータを捨てきる事で、新たな物語りの書き込みが可能となり、出口を作る事も可能になります。データを消去し初期化した頭の中には様々なデータを書き込む事が可能になります。その際に、どこからデータを求めるかと言うこことがとても大事になります。社会の当たり前、常識からデータ収集してたら無意味です。ですから、それまで取り込まなかったデータすなわち、社会の与えなかった非常識な事とか、社会が無意味と考える自身の身体に宿る自然のメッセージ、さらに、宇宙や、科学では理解不能な未知の世界のデータとか、あらゆる所から発せられるメッセージを取り込む事でしょうか。その事をわかりやすく伝えるために「考えるのはやめて感じてくださいね」と言う事でしょうか。
2013/01/23
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人は悩む力を持ってるけれど、フロイト流に言えば、欲望と理性の対立が葛藤を産むって所でしょうけれど、そもそも欲望とか理性とか言うものも、頭の中から産み出されるもので、その頭の仕組みは遺伝的に組み込まれたプログラムもあるけれど、生育の中で体験やら学習やらによって組み込んでいくプログラムにすぎません。ですから、葛藤の起こる状況にフォーカスするのはやめて、状況によって葛藤の起こるプログラムにフォーカスしようというのが、ナラティブ的な対応といえるかもしれません。昨夜対話してた軽度の躁に転じた双極性の方、長年の鬱に苦しんでおられましたが、最近躁転して、ずいぶん楽に動けるようになったとの事。本人にしてみれば鬱で心身ともに重く動けない苦しさから解放されたようで、表情も言動も随分変られました。けれど主治医はどうも躁転を警戒しているらしく、躁を抑える薬を増やしました。まあ、確かに躁転した時に事故や問題が起きやすいのは事実で、ドクターの気持ちがわからないでもないし、判断が誤りとも言えません。けれど、鬱で辛いのはクライアント本人で、本人が楽になっているのはいい事ではないか、というのが私の判断、このまま軽度の躁で身体や意識のトレーニングをしていく事で、社会復帰や人生の再構築も可能ではないかと思います。この判断の違いは、私が、躁と事故の間には認知や状況の介在があり、その認知や状況にフォーカスする事で、事故は防げると考えている事でしょう。鬱は(躁鬱も)薬ではなおらないと言われる事も少なくないこのごろですが、体験の意味や認知を含めた、クライアントの意識・無意識をごっそり解体して、新しい物語りを書き込んでいく作業こそが、本当の意味でセラピーになるのではないか、と確信する私。世界を意味付ける価値観を解体再構築する事が、人生の物語りを書き変えるためには不可欠。そのセラピーを行うにはセラピストがあらゆる価値観から自由でなければできるはずもありません。その点、私はとんでもなく自由で、顰蹙を変えるくらいですから・・・実はその作業が難しくはないし・・・昨日も充分楽しませて頂いたかな・・感謝
2013/01/22
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昨夜は久々にシネマナイトでした。見たのは「96時間」。リュックベッソン監督の映画ははずれはあまりないので、安心してみてられます。主人公はリーアム・ニーソン演じる元諜報員、家族を守るためにちょーハードな困難を突破していくと言うもの。まあ、映画の物語りで、現実とは違うから、安心して楽しめる訳ですが・・・殺人でも家族を悪党から守るためには・・・(笑)リュックベッソンはこのあたりの心情操作がうまいですよねえ。ハラハラドキドキを楽しませるのはぴか一です。単にシネマを楽しむだけでなく、私が振り返って確認するのは、どんな状況であれ、一番大切なのは冷静である事、状況を理解し、判断し適切に行動する事・・・ができれば、まあたいていの日常生活で起きる事は、問題を処理できます。けれど多くの人は、冷静さを失い、感情的に判断し不適切な行動を繰り返す事でますます状況が悪化していくと言うもの。その冷静さを失い、感情的になるのは、自身の心にインプットしたデータが少なすぎるし、偏っている事、誤っている事、等等。人間や、社会、環境、家族、そして何より、自分自身に対する理解がとても浅く、偏っています。その不十分な思考回路では理解できない状況に直面した時に、恐怖や不安に囚われ、怒りや悲しみが暴走して問題が起こります。けれど、本人は自身の問題とは理解できず、状況の問題と思い込みます。解決はできませんよねえ。まあ、そんなこんなを考えつつ、バイクでさっぶい夜道を帰った私でした。
2013/01/21
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グルナイの後というか明け方眠りについたのが昨日、で昨日もバタバタでした。カウンセリングも三件ほどあったし、急ぎの電話対応とかもたくさんあったし。お泊まりの方や家人のお食事とか後片付けとか・・・こんな中でも、確実に仕事をこなしていけるのは、やっぱり、好きでやってる事だからでしょうねえ。ある意味面白いと思いつつやってるし。人ごとなら、しんどくてたまらなかったり、怖くて手が出せなかったり、めんどくさくていやだったりするんでしょね。やはり自分の主体的な意思で動いてるから、やり続けられるんでしょう。今日はこれからメンズカウンセリング協会の理事会です。これから出勤だっ歩くぞー。♪
2013/01/20
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昨夜のグルナイも常連さんで満員御礼でした。大人十人子ども七人という物理的にマキシムな状態でした。子どもたちも大人たちも、自由に語り合い、遊ぶひととき。もちろん食べて笑って・・・私はオーダーを追っかけるのが精一杯、相変わらずタコライスは人気メニューでした。豆腐春巻きもけっこう出ました。うっかりクリームコロッケをお品書きに乗っけるのを忘れて、準備してたのに・・残念。それにしても、みんなが楽しく集えるのも、場の力があればこそ。その場の力を作るのは参加くださったひとりひとりの個性や思いでしょうか。ここまで場の力がつくまでにそれなりの時間がかかったのも事実です。 簡単サラダ寿司です。
2013/01/19
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依存症当事者のためのセルフヘルプミーティング「フリークス」を昨夜開催しました。オープンミーティングとしては第一回目。男女九人の集いとなりました。依存をテーマにいろいろ語り合いました。依存と言ってもいろいろあります。世間では依存症は病気で、依存は断たなければならない、そのために治療する、という依存に対する治療構造があります。けれど、当事者にしてみれば依存はそんな単純なものではなく、依存を断つても別の依存にシフトするだけ。依存は生きていくために不可欠なものだから依存になってる訳で、すぐにやめられるものではありません。とはいうものの、病的な依存状況とか、問題行動とか、違法行為となることは、生きていく上ではマイナスです。となると、マイナスにならないような依存のあり方、ハッピーな依存の仕方、などなど、考えてもいいし、そもそも何故依存が必要になるに至ったか、も考え、そのプロセスをやり直す事で依存が不要な自己になる可能性もでてきます。その辺りの事は、治療構造で依存を断とうとする専門家とはやり方も違う事になるでしょう。フリークスは治療構造でもないし、教育的集団でもないし、場をコントロールする専門家もいません。実に・・安全で自由な場です。依存と上手に付き合いつつ、よりヘルシーな依存にシフトしたり、自分自身に依存するようになったりできたら、ハッピー・・・と言うような事を語り合えたかな・・。これからも、さまざまな依存体験が語られるでしょう。けれど、それはいけない事をしていた自分を語るのではなく、依存によってのみ自分を支え、生き抜いてきた自身の尊厳を語る事です。フリークスはそのための語りの場です。依存に悩み、苦しんでいる方がおられたら、そっとお伝えくださいね。
2013/01/17
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十年ほど前にいきなり自殺者が年間二万人台から三万人台になって以降、三万人以上が維持されていました。昨年は若干減ったようですが、それでも三万人近くある事は変わりません。毎日八十数名が亡くなっています。殺人事件なら一人二人しんでもニュースになるし、虐待死でも年間百人以下ですが、とても大きく報道されます。けれど自殺では、いじめの場合は最近は報道されやすいけれど、いじめでなければ報道される事はありません。自殺の場合、本人の責任とか病気だからとかで、問題視されません。死に追いやった状況や人間関係についてはほとんど責任は問われません。精神科に入院してたり通院服薬していた場合も、精神科医が責任を問われる事はありません。私の姉の夫は職場のいじめで自殺に追いやられました。幸い証拠のようなものが残ってたので裁判に持ち込みましたが、会社はあまり事を大きくしたくなかったのでしょう、和解と言う形でかなりの保証金を支払う形で終わりました。姉の夫の場合に限らず、当事者は問題がどこにあるのか、そして司法がどれだけ弱者に冷たいか、身にしみて理解しています。けれど、当事者以外、家族も世間も、問題が当事者にあるものと見て、当事者を排除しコントロールすることで、問題解決をはかろうとします。騒ごうが暴れようが、死のうが訴えようが、それはすべて当事者の問題、当事者が悪い、で済まされてしまいます。世間は変わる事はありません。自殺数も減ることはない、いじめ自殺も減る事もない、精神科医療は相変わらず大流行り、虐待もDVも減ることはない、当事者のせいにしているうちは問題のはき違えだから、解決に向かうはずはありません。関連ビジネスが潤うだけ。強者が弱者を力で支配する、権力構造が様々な病理を産み出し、それは個人の悩みや問題行動となって表面化します。問題行動や悩みをなくすために、当事者をいじるのではなく、問題行動や悩みで防衛している当事者をパワーコントロールから守り、権力構造から解放する事、で、個人の問題は霧散していきます。今夜もあるクライアントから電話がありました。いろんな(問題)を抱えている本人をなんとか変えようと家族は必死でコントロールしようとしています。もちろん善意で熱心に。そのことで、本人がどれだけ不安になり辛くなっているか、まったく理解しようともしませんし、変わらない事を責め続けています。殺人事件は家族や親族が半数以上と言う現実がありますが、家族が一番危険と言うのもよくわかります。今夜のケースだけではなく、いろんな事例で、家族病理が権力構造の問題と言う事が理解できます・・・私には。けれど、世間の専門家は権力構造と心理、精神病理との関係なんかについてまったく理解していませんから、問題の本質を理解し得ていません。そうです、専門家が問題の本質です。知識や、権威、経済力や名声、様々なパワーで当事者をコントロールしようとする行動様式が人をして病にするということです。精神科医も教師も、判事も弁護士も警察も行政も、社長も父親も母親も、すべて弱者をパワーコントロールしようとする者が問題です。そんな人がいなくなれば、当事者は悩みや苦しみから解放されるのになあ・・・と私は妄想します。こんやのその方には「そんな、なにもわかってない親父の言う事きいてたらしんどくなるだけでなんも解決しないから、もう親父の話しは聴かなくていいんじゃないか、無視して寝てしまえば?」と伝えたら、少し安心してくれたようで、電話を終わらせる事ができました。役割意識で繋がっている家族関係では、与えられた役割をこなせない家族はコントロールされたり排除されたりしがちです。あるがままの個人を受け入れ、尊重しあえる家族関係であれば、みんなもっと幸せになれるのに・・・ね。
2013/01/16
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昨日も大変な一日でした。緊急相談としてのカウンセリング依頼が次々と入り、四件のカウンセリングを行いましたが、それぞれに、大変な問題で、ふんふんと聴くだけではどうにもならない困難ケース。じっくり聴かせて頂くだけでなく、丁寧に対応しつつ気持ちや状況と考えを擦り合わせ、物語りとしての対話の中で、ご本人のこれからに対するイメージが出来上がる事をお手伝いしていきます。そうしていくと、はい、一時間です、おしまいです、とはいきません。だもんですから、あわせて十時間ほどのカウンセリングとなりました。こんなに長時間のカウンセリングを一日で行ったのは私もはじめて・・・。私もかなりハイテンションになりました。さすがに、仕事が全部終わった時には疲れを感じましたが・・・(笑)カウンセリングの合間に、晩ご飯もつくり・・・よくやりますねー。昨夜のメニューはひさびさの豆腐春巻き。私のオリジナルメニュー。簡単、うまい、安い・・です。有り難い有り難い・・・。
2013/01/16
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私は子どもの頃から、常識・・・当たり前と言われる事にもいろいろ違和感を感じて生きてきました。それは私がLD(学習障害)だったからでもあるでしょうし、両親の価値観の影響もあった事と思います。私は世間一般の常識では自分が楽にもならないし、葛藤を抱えるだけだと子どもながらに理解していましたから、自分が楽になる価値観を自分で構築していたように思います。それがアウトサイダーとしての確信に繋がったのでしょう。みんなと同じようにしたらうまく行かなくて批判される、みんなと違う事をすればうまく行くけれどやり方が違うと批判される、みんなは私のやってる事の意味は理解しない・・などなど・・・こんな私は青年期になるころ一個の独立した個人として、現実の社会で生きていく事に対して、大きな不安を抱えるようになり、それは実存不安となって、パニック発作の恐怖を抱え込む事になり、それから長い間・・・およそ二十年ほど辛い時代を過ごす事になります。けれど実存の不安から解放された時にはすべてを理解し、確固たる実存としての自身を獲得するようになります。世間の価値観や他者の評価など、いわゆる常識的なものから自由に存在しうる自己です。こんな私ですから、常識に依拠して生きている人には理解できるはずもないし、投影や妄想の対象にしかならないでしょう。それもよくわかります。けれど私は、それら常識も含めて自由に俯瞰する事ができますから、実に楽で気持ちよく生きる事が可能です。妄想する事も自由ですし、その妄想は創造と同じ事。世間が常識と言う構造に縛られどんどん閉塞化してやがて崩壊していく中でも、私はその崩壊に巻き込まれる事もなく思考し行動する事も可能。私の提供する援助はこんな所からできているのでしょう。誰かに教わってとか、どこかで資格とって、とかいう常識の枠の中では産み出し得ないものでしょう。状況をみながら自分で判断していく・・これは私には当たり前でも、常識に依拠する人たちは常識に縛られて自分で考える事もできないし、他人の流す情報に支配されてしまうようです。結果、にっちもさっちもいかなくなって崩壊する・・これが社会の歴史でしょうか。そんな私、面白い事、楽しい事を大切にするし、そんなネタも大好き。今回確認したのが、ネットで見た、ツナ缶ランプ。以前、そんなのもありかぁーと見た事がある動画だったけれど、今回、ツナ缶を使って料理するついでに、ネットの記事を自分で検証してみたと言う訳。ツナ缶ランプ ツナ缶とティッシュペーパーだけでつくった簡易ランプ。三十分ほど燃えてたかな。ツナ缶とさんま蒲焼き缶詰を使った、手抜き巻き寿司と、サバ寿司。サバは、塩鯖を甘酢につけてしめ鯖としました。
2013/01/15
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おはようございます。というよりおそようございますかな。昨夜は一時半頃寝たけれど、今朝起きたのは九時過ぎ。およそ八時間ほど寝た事になります。まあ、そりゃそうですよねえ、二夜連続の夜バスでほとんど寝てませんからねえ。連夜の夜バスも慣れたからさほど辛くは感じないけれど、睡眠としては、ほとんどできないと言うのが現実ですから。と言う訳で、昨夜は長時間の睡眠時間でしたが、最近は以前に比べて睡眠時間が長くなっているように感じます。以前は四〜五時間の睡眠で充分だったけれど、最近は五〜六時間眠る事が多くなりました。睡眠の生理的・心理的な意味についてはまだ科学は充分にというより、ほとんど理解できていません。記憶した情報を処理しているらしいけれど、無駄な記憶を捨てていると見る人もいれば、記憶を再統合していると見る人もいて、なんとも判断しかねているというところでしょうか。生理的な意味で言えば、昼間使用して傷んだ筋組織が修復される際に放出される成長ホルモンが睡眠中に全身の細胞を活性化しているらしい、ということはわかっているようです。心理的な意味と生理的な意味で睡眠があるから、レム睡眠とノンレム睡眠の両方が交互に現れる、というのも理屈です。ただ、心理的な意味で、過剰な負荷をかけていると、レム睡眠時に情報を処理しきれず、情動が不安定になって適切な行動になりにくい、と言う事もあるのかもしれません。先日もある方のお話では、歯ぎしりが酷くて歯が壊れる、みたいなお話を伺いました。レム睡眠時に緊張しているのでしょうか。無意識が過剰な情報処理に困難を感じているのかもしれません。たぶん、そんな方、眠りが浅くて、寝起きがすっきりしない方は、脳内に記憶した情報処理のアプリケーションが現実の体験を意味付け再統合する、事が難しくなってる、と仮定することも可能です。ではどうするか、古いアプリを捨てて、新しいアプリをインストールすればいいってことだけれど・・・古いのを捨てるのも新しいものを入れるのも簡単ではありません。パソコンみたいにはいきませんからねぇ。でー、私はその辺りを、アプローチする訳ですが・・・身体を使って新しい体験とそれに伴う感情を受け止め、新しいシェマ(行動図式)を積み重ねる事で、新しい情動が起動するようにしていくってことかな。で、体を使って、感じて、疲れて、眠って、意味を再確認して・・を繰り返すと言う作業になる訳です。これが私のお泊まりセラピーの基本的な意味です。もちろん、私の仮説です。さてさて、今年は、このお泊まりセラピーもどのように発展していくか、楽しみ楽しみ。心理的な、あるいは人間関係で困難を抱えてて、どこに行っても、回復されないで困っておられる方がいたら、ぜひ、この事をお話してみてくださいね。さ、私はこれから、歩いて出勤だ・・いってきますぅー
2013/01/14
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いやー、ここ数日いろいろありましたが、東京に行ったはいいけれど、ワイファイのルーターを忘れてパソコンをネットにつなぐ事ができませんでした。まとめてアップしますぅ・・・・実は・・先ほど夜バスで京都に帰ってきました。昨夜は東京ワークの後、時間があったので、同じく夜バス待ちのワーク参加者と丸の内デートでした。イルミネーションされた街路樹がとてもきれいでした。東京駅駅舎です・・・下は駅舎の前でポーズするピンクおじさん丸の内デートした方も思わずパチリきれいですねえ・・・銀座では午前はミニセミナーを午後は男ワークを。男ワーク参加者はいわゆるDV加害者と言われた人たちですが、どの方も夫婦間葛藤を乗り越えて、修復的なプロセスを歩んでおられます。どの方も、DV男は変わらない、離婚するしかない、と被害者支援で言われる無責任な言葉に、憤りを感じておられました。銀座ワークの前日、夜バスで京都を発つ前に、シェルターの定食作り・・チキンカツでした。そのチキンカツを使ってカツサンドをつくり立ち食いの私・・・ああ。木曜夜は男ワークです。参加されたみなさんリラックスして、自分語りを楽しんでくださいました。テーマは今年の抱負だったかな。ああ、それにしても私もこの一年をどう過ごすかな・・楽しみ楽しみ。皆さんも楽しい一年にしてくださいねー
2013/01/13
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昨日、息子に宿題をさせなかった、とかきましたが、その事について少し・・。息子が小学二年生のときに、うちで夜、イヤイヤ宿題をしていたので、そんなんやめたらいい、と言いました。私は宿題よりも、うちでは、家族との団らんとか、自分の楽しみのために、時間を使うべきと考えていましたから。宿題したければ学校でしてくれ、うちではするな、と言いました。息子は、先生がおこるからしなくちゃならんのだ、と言いましたから、私は教師に、宿題させるな、と言いました。教師は、宿題を出さない訳にはいかない、と言うので、では、うちの息子がやってなくても、いっさい文句言うな、と言いました。それから、息子は実際に宿題をしなくなりました。もちろん成績は良くなるはずがありません。まあ、成績に興味はないので、どんな成績だったか記憶にもありませんが。さすがに中学になったら、自己責任ということもあるので、したければ宿題を勝手にするのはかまわない、と禁止令を解きました。でも彼は相変わらず、うちでは勉強はしてないようでした。さすがに、中二の懇談会の時に、先生に、このままだったら、高校に行けないけれど、いいのかな、と言われた息子、親父の言う事を信用してたら、ほんとに高校に行けなくなるって考えたのか、やにわに勉強をはじめました。その結果、公立専願でうけて無事受かりましたけれど・・。べつに落ちたら落ちたで、働くなり、勉強するなり、好きにすればいいわけで、人生なんとでもなります。実際私自身も高校をひとつ中退して、別の高校に受験し直した経験があるので、一年二年早くても遅くても、どうってことないって考えてますから。世間でふつーに考えられているコースばかりが人生じゃないし、むしろこれからは、多様な思考や体験の方が意味がある時代になってきています。与えられたコースをうまく走るしか能がない人は、いったんコースが荒れたり破綻してたらたちまち生きる術も勇気もなくなって、問題を起こしてしまいます。私も昔は時々批判めいた事も言われました。子どもの人生の可能性を広げてやるのが親の責任で、勉強させるのは可能性を広げてやる事だ。だから宿題させないなんてとんでもない事だ・・・と。学歴とか資格で人生の可能性が広がるって、マジで考えてるんですよねえ、その人たちって。学歴や資格のために遅くまで塾がよいさせられる子どもたちの人生の可能性が広がるなんて、私には考えられませんけれど。与えられたコースにしがみつくしか能のない、可能性の狭い人生になるのが落ち・・じゃないかな。それよりも、学歴や資格以前に、どんな状況でも自分を信頼し、冷静に判断し、他者と良好な関係を維持できる、自己信頼や自己肯定感のほうが、より重要であり、その力がある人は、何歳になっても、自分に学びが必要だと思えば自分で学ぶでしょう。どんな世界でも逞しく生きていけるでしょう。それこそ、人生の可能性が大きく広がる事になります。そうそう、私の息子、結局大学進学はしませんでした。高卒です。まあ、それでよかったと思っています。私には学費なんて出してやるゆとりはありませんから。で、彼はバイトしててそこから正社員になりました。転職もしています。今の所もバイト二年の後、正社員に採用されています。特に能力がある訳でもないし、資格もないし。ただ、馬鹿真面目で、何年も無遅刻無欠席で、その自己管理能力は優れたものがあります。が、真面目すぎて、融通はきかないし、効率的でもないし・・私とは正反対です。少なくとも、自分でバイト探したり、真面目に働いてそれなりに認めてもらえたり、と言う意味では、教育が失敗したということは言えないでしょう。シャイな息子に圧力かけてれば、ひょっとして、潰れてしまったかもしれません。まあ、そう言う意味では、宿題させなかったのはまちがってはなかった、と確信しています。そうそう、親が子どもにしてあげられるのは、たっぷり愛して、受容して、人生の楽しさや深さを暮らしの中で伝えていく事ではないかな。尻を叩いて不安の神経回路を不必要に増大させる事は、その人の人生にとってとても大きなマイナスになるって、このごろつくづく思います。それは、いろんな困難を抱えてこられる方のお話を聴けばよくわかります。人生の基礎は学歴ではありません。実存と言う岩盤にしっかり根付いた杭こそが人生の基礎になり得ます。この基礎があれば、流される事もなければ、現実の重さで人生という家が潰れるということもありません。どんな大きな家でも建築可能です。まあ、そんなこんなで、端から見ればとんでもない人生を送っている私ですが、今、楽しくて幸せ、やりたい放題して生きています。家族を養う事もしなかったし、会社員も十年でやめて専業主夫になったり、活動兼業主夫になったり、と、まあ、ずっとまともに働いた事もない私です。なのに今、楽に幸せに生きていると言う事・・・実は、私には確信があっての事、私にすれば当たり前、当然の結果なんです。人生で一番大切なのは・・・ね。でもその事を理解し、実行できるひとは多くはありません。イヤほとんどいないでしょう。こんな私・・やはり心と体を大切にしたいし、いつまでも元気に美しくありたい、との事で、今夜はひさびさにランニング。先週のナイトランは六キロ、本日は十キロ。少しずつのばしていきたいね。
2013/01/09
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先日の新年会の時に参加者の一人が、片付けものしてたらこんなもんが出てきたと言ってみせてくれました。なんと19年前の私の記事でした。私が、専業主夫になってたころの、男の育児に関する記事ですねえ。男が育児する意味がとても大きい事とか、私は子どもに宿題を家ではやらせない、ということを書いてますねえ。あれから十九年。小学校で宿題しなかった息子は・・ははは、このことはまたいつか書きますね。私は当時も今も同じ事を言い続けていますし、主張にブレはありません。深化はあると思いますが。ある意味安心しました。けれど、その記事のアップの写真は・・今の私よりもはるかに痩せてて、いまより七〜八キロは痩せていると思います、こちらは多少の変化は見られますねえ。(笑)ただ、あの頃までは無理としても、せめてあと四キロほどは落としたい。そうそう、その記事のとなりには、大河内くんがいじめを苦にして自殺した事で、政府が対策をとる、という記事でした。当時も今も同じ事が繰り返されてて、本気でいじめをなくそうなんて、政府の誰も考えていない、ということがよくわかります。いじめの問題だけではなく、薬害問題然り、環境問題然り、自殺問題然り、すべてに渉って、個人の人権なんかより、国家権益が優先され、体制擁護の政策が個人の人権を踏みにじっていきます。自殺は毎日百人近くが亡くなっていると言うのに、真剣に対応をとるなんて話しは聴きませんし、マスコミも騒ぎません。殺人事件なら、大騒ぎするのに・・・。個人の問題に転嫁され、すべて、そのひとが悪い、家庭が悪い、にされてしまいます。体制は変わる事なく、その構造から利益を得る人たちが、金を使って政治を動かします。日本と言う国家体制が問題の本質でしょう。その体制にすり寄るのか、体制にもの申すのか・・・どちらに人生の意味を見いだすのか・・すくまなくとも私は子どもの頃から、もの申し続けてきましたし、体制にすり寄る事もないから、自由で楽しく豊かな日々を暮らせてるんだろうなあ・・・と実感。それにしても、あの頃の私・・・ほんとに若いですねえ。
2013/01/09
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いやー、よく寝ました。昨夜一時過ぎから、今朝の九時近くまで、延々と八時間近くも寝てました。起きがけには、長い夢をみていたのも思い出します。どこか、名前は知ってるけれど、現実とは違う風景の駅のホームにいたり、街を俯瞰してみてたり。もっと早く起きてれば、久々に朝トレしたいなとも思ってたんですが・・・体はあんまり走りたくないって言ってたんでしょうかねえ。一昨夜、久々にお風呂で筋トレして、若干、脚の筋肉が疲労を残しているってわかってるんで、それであまり走るには気分が乗らなかったのかもしれません。まあ、無理しない、嫌な事はやらない、そんな私でいいかと思えているので、走れなかった事をネガティブにとらえてる訳ではないけれどね・・。そうそう、先日の新年会のこと・・・毎年、そのグループの新年会では、去年一年のふりかえりと、新たな一年の抱負をみなさん発表してくださるんですが・・・私の昨年の抱負は、1、訴訟に勝訴する 2、センターの赤字をなくす でした。ふりかえりとしてみれば、1、は、残念ながら不当判決を出されて部分敗訴となりました。 が、2、の方はそのごたごたの結果でもあるけれど、有償スタッフがいなくなったおかげで、恒常的な赤字がなくなり、年間収支がとんとんになりました。有償スタッフがいなくなっても、しっかりしたボラスタッフが入ってくれているので、特に問題にもならず、現場はスムーズに回っています。今後さらに何人かスタッフに加わってくださる方もおられて、心強い次第。もちろん、今のボラスタ採用には、かなり厳しい目で確認させてもらってます。実務能力以前に心理的なあるいは対人関係上の問題を抱えていないか否かってことについて。と言う訳で、事業運営と言う意味では、昨年は一歩前進と言う所でしょうか。私個人の暮らしについても、前向きで、楽しくハッピーな日々を過ごせるようになりました。感謝の一年でした。で今年の抱負ですが・・1、は私にも事業からのお手当が出るようにする・・今は月一万円の通勤費という名目のお手当だけだけれど、これ以外にも、あと少しのお手当が出るようにするってことと、2、月に二度の休日をもらうと言う事と・・今は、ほとんど年中無休で無給という状態。これを月二度の休日を不定期に与えると言うもの。まあ、これでつきに一日は家族福祉に貢献できるし、自分の心身のリフレッシュにも寄与できるというもの。そうそう追加で 3、体重をせめて四キロほど落として、還暦のヌードのアップに備える・・・というのも発表しました。私が身体にこだわるのも、当然セラピー上の意味があって、露出したいという事でやっているのではないので、誤解しないでくださいね。これを猥褻な意味にとらえて大騒ぎするおバカな人たちもいるみたいですけれど(笑)解説の私の文章を読めば、意味が分かるはずなんだけれど・・・。その意味って、心と体は続き物ということであり、身体からのメッセージをちゃんと受け取り、意識や心とちゃんと対話できたら、身体はそれなりに美しく機能的に存在を維持するということ・・・。私はこの事を、たんに理屈ではなく、実証した上で語り伝えたいと思っているのです。まあ、新年会では、こんな理屈っぽい事は喋りませんけれどね。一応、その言葉の背景としての意味付けについて、書かせて頂きました・・・とさ。
2013/01/08
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昨日冷え込んだ朝、いつものように睡蓮鉢にしてるコンテナボックスに氷が張っていました。でよく見るとその一部になにやら不思議な造形が!!?なにこれ珍百景ですよー、こんなのありぃー?三センチくらいの三角の氷の煙突ができてんだものねえ。そのあと、買い物して、事務所で新年会の準備です。カニ鍋、鶏鍋、おでんとサラダ寿司。おでんとサラダ寿司は既に作ってるので、鍋二種類つくって、会場のセッティング・・・。昼前にスタートして十人がゲストです。私はもっぱらホスト役。あれやこれやみんな腹一杯食べて、飲んで、喋って、笑って。ほんと自由に語れるって楽しいですね・・・。新年会がお開きになったのは三時半ころかな。後片付けして、一息ついて、5時ころからカウンセリングでした。カウンセリングでは、興味深いお話を聴かせていただいて、私も元気になりましたとさ。カウンセリングの後はシェルターの晩ご飯を用意して・・・昨日は チキンステーキ定食でした。
2013/01/07
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しばしば、電話で緊急対応する事も少なくありません。私はクライアントにこじれる前に、しんどくなる前にとにかく電話してください、と伝えてますから、当然の事です。数日前の対応では、本人と、その家族と、それぞれに電話に出てもらって、対応させて頂きました。こじれていってる場合、それは言葉が噛み合ってないということがあります。それぞれは、自分の感情にフォーカスできておらず、相手はどうしたこうした、と相手の言動の理不尽さを訴えます。たしかにその語りからは、そう言う心情になるのもよくわかります。それは相手方の話しを聴いても同じ事です。で、それぞれがわかってないのが自身の感情や言動です。自身の言動に刺激されて相手が反応しているのだけれど、相手の言動を誘発しているのは自身の言動である事についてはまったく理解できていません。ですから、相手の理不尽さしか見えず、相手の理不尽さに対応する本人の言動でさらに相手がエスカレートしていくと言う悪循環になり、やがて修復が難しくなるほどにこじれ、不信憎悪が渦巻きます。私は電話で対応する場合、話しをよく聴き、感情と状況を理解し、ヒートした感情を収めつつ、問題点を整理し、相手に変わってもらって、通訳していく、と言う作業をします。ケースワーク的に、ああしよう、こうしようと言う助言も必要に応じてやりますが、緊急電話でできる事はしれています。ただ、ヒートアップしてこじれて事件化することは防げます。その場では応急手当てして、いずれ、来談頂いて、根本的な対応につなげていきます。先日の電話だけではないけれど、多くの方が、自身の認知の問題には気づいていません。認知・・思い込みと言ってもいいでしょう。それはある意味、その人には当たり前過ぎて、意識もしていません。金とか仕事、家族や、性、様々な思考の枠組みにとらわれている事には気づいていませんから、その囚われとは異なる相手の言動が、理解不能で悪意に感じられてしまうのでしょう。私はそれらの価値観から自由なので、どんな視点からでも、その状況を理解する事がむつかしくありません。それぞれの視点に立った感じ方や考え方が理解できます。そしてそのズレ具合もわかります。そのズレ具合を補正して通訳することで、相互理解を測ると言う訳です。簡単ではありませんけれどね。最終的には、みんなが幸せに生きていけるには・・・という所を目指す訳ですが、そのプロセスは様々。・・・それにしても、みなさん常識にとらわれてちいさな世界で生きてるよなあ・・しんどかろうに・・・不安だろうに・・、というのが私の実感。私は何にもとらわれてないから、自由で気楽に生きていけると言う訳。金がないとか、仕事がないとか・・家族がどうだから・・とかいう状況でしんどくなる事はまずありません・・これまでは・・たぶんこれからも。まあ、そのぶん、理解できない人は、嫉妬したり、妄想したり、悪意を感じたり・・があるようですが(笑)・・・みなさんもぜひぜひ自由に生きて幸せになってくださいね・・今日はハイキンググループの新年会・・・さてこれから準備に行かなくちゃ・・私の日常・・・昨日作ったサラダ寿司おでん定食と、事務室放し飼いのインコちゃん
2013/01/06
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昨日の夜も慌ただしい夜でした。昨日夕方、なんと二年ぶりに東北にお住まいのお友達が訪ねてくださいました。しばらくお話しした後、晩ご飯の準備をして、シェルターに長期滞在の方、ショートステイの方、と、三人分の晩ご飯を用意して、私は一旦自宅に晩ご飯の支度に。自宅の晩ご飯が済んだら、また事務所に帰って、みんなでおしゃべりでした。話しはなかなかつきる事はありません。二時間ほどお喋りした後、ショートステイの方と夜トレに。いつもの疎水コースは夜は明かりがなくて走れないので、街中の歩道を南に三キロ少し。往復七キロほどを50分弱で。トレの後は歩いて25分で帰宅。帰ってお風呂に入って体重を測ると、昨日よりも800gほどの減少でした。が、これはランニング後の脱水・発汗によるもので、実際の体重減ではないと思いますが・・まあ、お昼の野菜ランチが多少は効いてるのかもしれません。それにしても、いろんな方がセンターを利用してくださる事、訪ねてくださる事はとても有り難いもので、いろんな人が本音で語り合う事で、センターの援助がどう言うものかとか、お互いの事とかが理解できると言うもの。これからも多くの方が利用しやすく、自由に語り合える場として、機能させていきたいな、と思いました・・・とさ。
2013/01/04
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お正月、特にたくさん食べてた訳ではないけれど、バスゲットダッシュ以外ほとんど体を動かしてないので、体重も加算気味。これでは新年早々あきまへん・・とゆー訳でぇ、ダイエット・・・何からはじめる?とりあえず、通勤を徒歩にしたけれど、それだけでは当然不十分。で、食べる方の見直しを・・・するために、頂き物のおもちゃのような、シリコンスチーマーを使って野菜をチン。材料は、人参、大根、かぼちゃ、ネギ、白菜、合計250gほど。適当に並べて塩こしょうして四分のチンでした。これにシュガーレスのミルクティーでお昼としました。頂き物の、おばまん・・食べたーいけれど・・・やめとこう・・でも・・・
2013/01/04
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昨日は三が日の最終日、カウンセリングの後に行動療法を兼ねてお散歩に。毘沙門堂近くまで行ったけれど、山門には入らずに、初詣はしませんでした。これで今年も初詣無しの三が日になりました。もう何年も初詣には行ってませんねえ。カウンセリングを行う来談室ですよー毘沙門堂ですまあ私は年中おめでたいし、年中神様仏様に念じておりますので、あえてみなさんがこぞって参る三が日は遠慮しておきましょう、というのが本音かな。そうそう、お散歩のあとに少し三階の事務室の床にねっころがってうたた寝も。事務室は日当りもよく、暖房がなくても暖かい。と言う訳で、ちっとも正月らしくない三が日でしたが、お正月を一人で過ごしたくないという方も、家庭の匂いを感じたくてか、センターにいらしてくれました。長期のおとまり研修の方とスポット利用のその方と、二人分の夕食を用意しました。晩ご飯はチキンカツ定食です。ご飯の後、二人のおじさんたちは夜もふけるまでおしゃべりを楽しんだ事と思います。DVおじさんたちの脱暴力のための支えあう家庭のような場所・・彼らは、ここで人と支えあいいたわりあう事を楽しく学んでくれる事と思います。有り難いものです。「メンズハウス」なんて昔、のたまわってたN先生も、私の実践には関わる事もなく、アカデミズムの殿堂で活躍されているだろうけれど、実践の中にこそ人の伝えるべき真実があるのにね。もちろん家族再生センターはメンズハウスではなく、「みんなのうち」でしょうかねえ。男も女も大人も子どもも、みんなが育ちあい癒しあう、そんな家族よりも家族らしい人たちで支えられてますぅ。これからもよろしくぅ
2013/01/04
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今年もまた岡山の山中の老健施設に入所している母、八重ちゃんに会いにいきました。昨年より少し縮んだ感じがしますし、記憶力や聴力が衰えているようでしたが、意識は変わりなく、元気そうでした。元気が何より。このまま少しずつ、体全体が枯れていって、眠りながらやがて目覚めなくなるといいな、と思います。本人は昨年は百まで生きると言ってましたから。昨夜はその老健施設の近くの山中に住んでる姉のうちにお泊まりしました。最近は姉もなかなか動くのも大変なようで、元々は山奥の農園だった敷地も今は荒れ放題になってて、もったいない話し。ペットのロバもほんとは上手に飼えば、いろいろと便利なんだろうけれど・・。なんせ岡山の山奥で、移動も大変なので、私も手伝いにいけないしねえ。ほんとは広い敷地をあれこれ使って作業療法やアニマルセラピーに使う事もできるんだけれどねえ。
2013/01/02
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今、岡山の山中でゆっくり、頂いたお年賀のお返事を書いてました。やっと年を越せて新年がきた、みたいな実感です。昨年を振り返るに、ほんといろいろあった一年でした。前半は訴訟の追い込みで明け暮れて、年半ばで司法の恥さらしの判決を頂いて。以降、行政からは干されてるし、これまでワークや講座で関わってた、男性問題の大先生、中村教授や臨床心理士のHちゃんが袂を分かちました。そもそも男性問題は、男性ジェンダーの権力志向、所有欲、優越指向などにフォーカスし、それが男の抱える病だと喝破しました。そしてそんなジェンダーの囚われから解放されようよ、「男らしさより自分らしさを」との共通認識でした。私はそれを理屈だけでなく、社会的な実践とするために、コミュニケーション教室とかホットラインとかを仲間たちと立ち上げ、メンズセンターとは別の当事者支援の組織も立ち上げようとしましたが、メンズセンターのスタッフ会議で、それを拒否されたので、京都でメンズサポートルームを立ち上げたと言う訳。そこに中村センセが関わったと言う訳。サポートルームでは男の非暴力グループワークを専門に行ってきました。そのサポートルームだけではなく、同じ頃、レターカウンセリングの援助グループも援助活動を開始しました。やってくうちに、ワークだけでは支援が追いつかず、男性だけ、あるいは加害者だけの支援では解決しないということもわかってきました。さらに加害被害性別年齢に関わり無く、家族問題、人間関係などに悩む人ならどんな人でも支援の対象にする複合的な支援が必要と言う事もわかってきました。そこで十年前に「日本家族再生センター」を設立したと言う訳。一応有限と言う形で法人登記しました。このセンターでは、性別に関わらず、ワークやカウンセリング、シェルターやアドボカシー、ビジテーションサポートなど、様々な支援を提供しています。このセンターでは、男性も利用できるシェルターや被害女と加害男が一緒にやる非暴力ワーク、など他ではあり得ない先駆的な援助も行い、ワンステップで様々な支援が受けられます。こんな施設はなかなかあり得ない施設ですが、もともとエライセンセがいないので、当事者視点で援助を提供できます。大先生や世間の仕組みに組み込まれた心理専門家ではなし得ない、当事者主義の支援ができたのは、NPOにせず、当事者で、反権力反構造的な価値観とそれに矛盾しない生活を送っている私が最終責任を負ってきたからでしょう。で、権威権力が大好きで男性運動とは矛盾する人生を送っているセンセや専門家にご退場頂いたのは、昨年の大きなトピックだったと思います。おかげさまで、ワークや講座などで語る、理論と実践が矛盾無くなりました。援助実践がより純粋(ピュア)になりました。けれど、もともと大きくはないとはいえ、行政からの仕事はほとんどなくなりました。資金的にはよりプアになりました。とはいうものの、巻き込む、巻き込まれないという基本のわからないスタッフたちがいなくなったことで人件費が浮き、恒常的な赤字がストップして、プラマイゼロになりました。有り難い話しです。さらに、一方的な提訴・不当判決に怒った多くの当事者や支援者が私を支援してくださいました。おかげさまで司法の不当判決にもかかわらず、私の活動はより確信を深める事となりました。これまで以上にリッチで心温まる支援ができるようになったものと自負しています。それまで続けていたグルナイはさらににぎやかとなり、カウンセリング件数も年間三百件を超え、あらたにキャンプセラピーや宿泊セラピーなども手がける事ができました。他ではなかなか解決する事なく悩みや困難を抱えておられた多くの当事者の回復という事実は私の援助論により確信を与えてくれました。今年は家族再生センターも開設して丁度十年になります。より高度な複合的支援に踏み込みたいと思いますし、そのためにも多くの援助者を育てていきたいとの思いはますます強くなっています。このブログの愛読者も含め、多くの方に見守られ、今年もみんなの笑顔と幸福のために仕事を続けられたらと願っています。
2013/01/02
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新年が明けましておめでとうございます・・と言い忘れてる私ですが、それほどに新年の意識が感じられなくて・・・いつも通りの作業をたんたんとこなしてた訳ですが・・・気がついたら、いい時間・・・電車に乗らねば・・・せっかくだから割安チケットを買おっかなっと思って、そっちを覗いたらクローズで、駅の切符売り場に行ってみると、券売機前に行列で・・・あちゃー走ってホームに上がったけれど、新快速はするすると滑り出したとこ。くっそー。まあいいや、と次の新快速を待つ事15分。待てよー、これってやばいんでないかい・・・・パソコン立ち上げて、次の新快速の到着時刻を確認したら、新大阪到着からバス発車まで七分。これって歩いてたら間に合わんよねえ・・・しゃーないか、走ればなんとか間に合うか・・・で、新快速に乗って、万一遅れたら連絡しようと思ってバス会社を検索してたら・・・・停留所の移転が・・・えっえー、新しい停留所もチケット販売所もよーわかりません。やばいよ・・・あれこれ調べてるうちに新快速は新大阪駅に。時間を見れば2分の遅延。おーおー、五分かよーとりあえず、以前の停留所に向かってダッシュ。荷物をしょっての階段の上り下り、帰省客で混雑する通路をかいくぐりつつ走り抜け、以前の停留所に・・・とそこには取り壊されて停留所の影もありません・・あああっ間に合わん。半分諦めつつも、イヤここで投げ出すのは冷静ではない、まだ一分ある。とりあえず階段を駆け下りて停留所の方に向かうと、階段を下りきった所に、停留所移転の案内が・・おおっ、どこだ・・よく見ると、そこからさらに250メートル。ああっ、もう無理か・・とりあえず最後まで諦めず、ダッシュダッシュ・・・行き着いた所は新設のバスターミナル。チケット買う時間はない、バスはもう出たか・・と、向こうに、最後の客が乗り込んでいるバスが・・◯◯行き、あいつやー、と最後にダッシュ。最後の客に続いて、チケット無いけど、予約してた者でと、ドライバーに説明し、チケットは車中で支払いOKとのことで、ぎりぎりセーフ乗り込む事ができました。ほっ・・とはいうものの、なんでこんなにダッシュしたかと言うと、もともと便数の少ない予約制のバスなんで、これを逃したらおそらく次の空席は取れません。となると今回の岡山行きそのものがキャンセルになるし、母親に会うのが、またずっと先の事になってしまいます。そんな訳でダッシュしたけれど、かなり負荷が強かったみたいで、しばらくぜーぜー言いつつ、気管支も痛んだみたいで、なかなか咳が止まりませんでした。おまけに、バスの中でパソコン開いてたら、乗り物酔いになって気分悪くなってくるし・・嗚呼・・気分わるぅー・・で、パソコン閉じて、視線を車外前方にむけて、ゆっくり深呼吸を繰り返し・・・。なんとか、目的のバス停まで問題も起きずに来れました。やれやれ・・・走るなら気持ちよく走りたいもんだけれど、映画のシーンのような切羽詰まった走りの苦しさもたっぷり堪能できましたとさ。
2013/01/01
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昨日は夜にカウンセリングした以外、仕事らしい事はしていないけれど、なんだかんだと時間が過ぎて、あれあれというまに、カウントダウンを過ぎて・・・何をしてたんでしょうねえ。一番記憶に残っているのが、一週間前にお餅つき大会でできた十数キロのお餅・・・・シェルターの方や、家人、セミナー参加者・・等等の方に食べて頂いたけれど、まだ十キロほど残ってて・・餅ケースの蓋をあけてみると、けっこう黴びてて、ヤバっ。予備の冷蔵庫が数ヶ月前から壊れてて、そちらに冷凍もできずに置いてましたら、この始末。たまたま知り合いが、引っ越しで冷蔵庫余るので・・と言う話しだったので、昨日は冷蔵庫の入れ替えもしました。壊れたのをリサイクル処分に出して、引き受けるのを搬入して・・幸い、その知り合いは、力持ちで私はずいぶん楽させてもらいました。で、新しい冷蔵庫の冷凍庫に餅を保存したいけれど、カビ餅のままではいけませんので、丁寧にナイフでカビを削っていきました。はかると七キロほどの餅でしたが、七キロの小餅を削るなんて・・苦じゃないけれど・・時間がかかって。まっいちおう、全部処理して、冷凍庫に。これで、一年分の餅の在庫ができたかな。あと、夜には息子が通信速度を早めたいとの事で、ルーターを買ってきてましたので、その取り付けと設定と・・なにやら、私はあまりカタログを見るのが得意ではないし、いい加減にやっていく人なんで、その作業にも一時間以上時間がかかってしまいました。年越しのテレビ番組なんて興味ないし・・ただ、シェルターの方とか、家人はふつーの人なんで、一応年越しそばなるものは提供させて頂きましたが・・・それだけが私の年越しらしいイベントだつたでしょうか。今日は、昼から、岡山の山奥の老健施設に入ってる母親に会いにいくために、高速バスで岡山行きです。八重ちゃんは去年のままかなあ。
2013/01/01
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