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昨夜だったかチラ見のテレビ番組でフランス人の衛生観念に対する日本人の違和感に付いて面白おかしく紹介されてました。放送によるとフランス人は食器も床も同じスポンジで洗うけれど、これつてどうなんっていう設問です。きれいとか汚いって言うのはきわめて主観的な事なんだけれど、それがあたかも衛生に関する事実、のように多くの人は誤解していて、不潔ぅーという嫌悪感を感じてしまうのでしょう。テレビCMで「ばいきん」のようなCGイラストを日々見させられている視聴者は、あたかもそのばい菌の存在が事実かのような洗脳を受けてしまいます。私は実際に、生の病原菌を扱いそれを顕微鏡で見るという体験もしていますから、テレビのCGがまったく事実とは異なりイメージにすぎないってことを知ってるけれど、多くの人はその判断はできません。商品については、中身と表示が異なると、写真はイメージです、と断りを入れています。けれどばいきんのイメージはそれがイメージですとは表示されません。結局、妄想のばい菌を除去するためにせっせと、消毒薬や抗菌商品、洗剤や薬剤などを消費する事になります。メーカーにはうれしい話し。CMでもうけるマスコミもおいしい話し。昨年だったか、新型インフル騒ぎで、みんなマスクしてて、マスクメーカーは大儲けした事でしょうねえ。ことは衛生関連だけではなくあらゆる事で、人々は不安をあおられ、不要な消費を余儀なくされます。また、欲求もあおられ購買欲を刺激されます。あげくに生活が苦しい、暮らしていけない、お金が無いと惨め、なんていう馬鹿げた話しになる訳です。けれど当人は真剣です。病原菌と病気の関連に付いてはまたいつかかく事にして、多くの人が清潔だからいい、とする清潔妄想、不潔不安は私に言わせれば病気です。人間の体も心も環境の中でバランスを保って生きていく仕組みがあります。人類で言えば数百万年かけて作り出したシステムです。適度に感染しつつも免疫が働いて、バランスを保つ仕組みが備わっています。身体のシステムでは追いつかない事に対しては、自然療法としてノウハウを文化的に蓄積しています。チンパンジーですら、この自然療法の知識を持っています。滅菌とか除菌とかいう事も、時には必要なステージもありますが、日常的には、不要だし無意味です。完全に無菌にしたら病気にならないどころか、身体の免疫機能が誤作動を起こして別の病気になるのが落ち。自己免疫疾患が増加しているのは、そういう理由もあるだろうと私は考えています。という訳で、私は抗菌ではなく好菌生活を送ってて、元気に過ごしています。常在菌というか、善玉菌とか適度な悪玉菌とか、いろんな菌をバランス良く身体に住まわせて、病気になるのを防いでいます。という訳で、私の身体はきわめて頑健。病気になる事はほとんどないし、擦り傷、切り傷程度では、薬を使わなくても感染もしないし、すぐに治癒してしまいます。なんせまだまだ肌自慢ですからねぇ。さわらせてあげたい、しっとりすべすべ肌ですぅ(笑)こんな体、実に便利です。どんなものを食べてもお腹が酷く壊れる事もありません。どうかなっていうものを食べて、下痢とか嘔吐とかいう事はたまにありますが、それもわかっている事なので、下痢嘔吐で、即回復です。あっ、それでもさすがに床のスポンジで食器を洗う事はありませんので、ご安心ください。また、虫とかカビとかの入った食品を勝手に人に食べさせる事もありません。自分の身体に対する信頼感は絶大です。けれど、それは身体のメッセージに耳を傾け、メッセージに従って、常にメンテナンスしているからと言えなくもありません。という訳で・・・本日のトレーニングは梅雨のお休みをついていつもの疎水コースを14キロ。前回よりも少しスピードアップ。ケマン草?野いちごです。ランニング中の体にはとても甘くておいしい野生のフルーツ。さくらんぼ。甘いけれど、効率が悪いのでたくさん食べるという訳にはいきません。桑の実もでき始めてたけれど、まだ多くは青い実でした。私は野生のモノをそのまま食べる事に違和感も無いし、食べて体を壊す事はありません。ずっーと昔、クワズイモをかじって大変な事になりましたが(笑)野生のモノよりも、添加物などの方が気になる私です。箱根空木はまさに満開日差しをうけて松葉牡丹も輝いています。だれかこの花の名前知ってたら教えてくださーい。それにしても花はいつ見てもきれいですねえ。
2013/05/31
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今日は一日、曇ってたり、パラついてたり。朝は睡蓮の花に黄金虫が。蛙ちゃんも真面目な顔で繁殖活動に励んでます。蓮の葉には雨滴がたまって水玉に蛙さんに見送られて、曇天のもと法務局や府税事務所に。例年申告はちゃんとしています。法務局や府税事務所は街中なのでバイクで行くと駐禁を取られたりするし、電車では交通費がかかる割に時間短縮にはならないし、ついでに運動を兼ねて、自転車にしました。途中御所で一休み帰りは三条通、蹴上げの水力発電所跡蹴上げ浄水場のサツキも満開事務所に帰ってすぐにカウンセリングが一件。曇り空はさらに暗くなり、激しい雨がきそう。夜は依存症当事者の自助ミーティングの予定だけれど、みんな来れそかな。私はのんびり、CDでも聴きながら雑用をこなしましょう。
2013/05/30
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日経サイエンス13/06号の特集が「天才脳の秘密」で、なかなか面白い特集でした。昔は「天才とキチガイは紙一重」と言われていたけれど、キチガイというのを気ちがい、すなわち精神病者として理解すると、精神病者と天才は共通項があると理解できます。実際、天才と言われた人たちの多くは、日常生活では変人ぶりが際だっている人が多く、サイエンスの記事でもいろいろあげられていました。また天才の産まれる家系は精神疾患の家族の割合も多いという事実があり、精神疾患も天才も遺伝的な要素があると考えられます。私たちは五感からリアルタイムに膨大な情報が脳に流入していますが、不要な情報はカットして有意な情報だけ受け取るようなフィルターが脳にあると考えられています。認知の抑制という機能です。このフィルター機能は遺伝的なもので誰しもあるのですが、中にはフィルターの機能が弱い遺伝的な資質を持っている人もいます。こんな人たちは過剰な刺激が意識に流入するので、幻聴や幻覚、等が現れやすくなったり、他人とは異なる感覚や思考スタイルをもったりしやすくなります。これが認知の脱抑制と言われる現象で、統合失調のようなパーソナリティーになります。それが病的なものになるか、天才になるか、その違いは、脱抑制だけでなく、その他の心理的な機能、高いIQや作業記憶能力の高さ、が併存するかどうか、という事らしい。何れにしても、天才も変人も、この世界の仕組みや価値観にはなじみにくいようです。天才というと大げさですが、クリエイティブと言ってもいいでしょう。独創的な思考ができる人は、思考の枠組みがフツーの人とは異なりますから、日常生活でもやはり変人である事が多いようです。私もまたエキセントリックな存在である事は事実です。私は残念ながらLDを自認するだけあって、IQは低い様ですし、作業記憶力も貧弱で天才にはなり得ません。実際、不安障害を長く患っていたし、アルコールにも長い間依存していました。幸わい両親が受容的に養育してくれたから自己肯定感は損なわれる事無く、とことん精神病質者として生きずにすみました。他者と異なる自我を自分一人で支える自己肯定力が育たなければ、独創的、言い換えればエキセントリックな人たちは排除され病者になっていく可能性も高いでしょう。私がクライアントに好感を感じるのは、私に共通する要素、あるいは境遇や体験を持っている方が多いからかもしれません。けれど、変人であること、社会に不適合な価値観を持っている事、その事実を自己受容し、自己信頼に結びつける事ができている今の私は、誰よりも自由で豊かに暮らしているのかもしれません。もちろんそんな私を理解し支えてくれるたくさんの当事者の方達があればこそです。有り難いことです。こんな私・・・ほんと昔から・・・いろいろありましたねぇ。それはまた明日にでも書きますね。変人万歳、変態最高、フリークスOK、♪ケインズが言ったように「困難は新しい考え方を理解する事にあるのではなく、古い考え方から脱客する事にある」とサイエンスにはありましたねー。幸い、私は古い考えに適応する能力が無くて、新しい考えが向こうからやってきたから、ケインズの言う事は当てはまらなかったようです。ラッキーおじさんですね。
2013/05/29
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今朝の新聞に何ページも大学の広告記事がありました。最近は電車の吊り広告にも大学の案内はよく見るし、テレビCMを流している所もあります。また入試前にオープンキャンパスで募集効率を上げたりと、ほんとあの手この手で、学生を集めるのに必死です。そこまでして学生を集めるのに必死なのは、学生が集まらない事には、収益が上がらない事もありますし、定員割れも酷くなると、学校としての設置基準に外れて学校の存亡にも関わると言う、切羽詰まった状況にある大学も少なくない事でしょう。これからますます少子化の影響で学生数が減ってきますから、体力のある大学はキャンパスを駅前に開設したり、新学部を作ったりして、差別化する事で、学生を取り込もうとしています。その力の無い大学は、新しい講座や事業展開する事で切り抜けようとします。何れにしても、弱小大学は消滅するしか無いのが現実です。学生にしてみれば、いい所にこだわらず授業料さえ払えるなら、どこかの大学に入るのは誰にでもできる事で、今は単に大卒という事に、社会的な価値はほとんどありません。大学で何らかの資格とか専門知識を等を身につけているかどうか、どの大学に学んだか・・・は問われる所ですが。私の関わる人たちの中に大学関係者という人たちも何人かいますが、みなさん、今の大学のありように付いて嘆いておられます。入れ物ばかり立派にして、とりあえずその質に関わらず何でもいいから学生を集めるように上から指示されるということ。本来、学びたい学生に学びの機会を与えるのが大学と思うけれど、学びのモチベーションも低いだけではなく、人格的に未熟なこどものような学生にそれなりの学びを得させるのはどだい無理な話。その無理をなんとかするように現場のセンセたちは頭を悩ませるのですが、文科省のおエライさんが頭だけで、あーしろこーしろと指示するから、現場はますます混乱疲弊していってます。安倍ちんも大学教育改革をやるんだーと息まいてるようですが、そもそもこれまでの文教政策の失敗を認めようとせず、小手先の改革でなんとかやれるなんて、まあ無理な話しでしょう。で、子どもたちは一見きらびやかなキャンパスライフやらあれこれ取れる資格に希望を見いだすし、その希望にバカにならない金をつぎ込む親たち。キャンパスライフも中から見ればどうってことない管理社会だし、頑張ってとった資格もさほど就職・就労に役に立つ訳でもない、という現実を知る事になります。そもそも大学は何のためにあるのでしょう。国が大学を設置する意味と、学生が学びのために必要とする大学と、意味は異なるでしょう。また、一人一人の学生あるいは教員にとっても、それぞれ大学の意味は異なるでしょう。自分にとって大学は何なのか、自分の存在というミクロな視点と世界と言うマクロな視点、さらにその過去と未来と言う時間軸をもリンクさせて、意味付ける必要があると思うのですが・・・。何にも考えずにただ大学に行けば人生何とかなる、そのためには少々無理しても金をつぎ込むべきだ、というのは、私にいわせれば、ほとんど博打みたいなもの。そんな金なら、親自身が自分の人生のために使った方がはるかに有意義。それができないなら、その金をプールして、こどもがほんとに困ったとき、起業したいとき、真に学びたいとき、その時にこそ使えばいいのではないか、と私は考えるのですが。私ならそんな余った金があるなら、世界の子どもたちの学びに使いたいと思うけれどね。そうそう、カンヌ映画祭で、日本の映画が受賞したとの事、テーマは「父と子」親子とは何なのかを提起する内容らしいけれど、私は親子の概念も所詮妄想と考えています。ドーキンスは個体はDNAの乗り物だと定義しました。乗りやすく拡大繁殖しやすい個体をDNA自身が作りながら乗り換えていくのが生物の進化だと考えました。さらにDNAは情報量の限界(獲得形質は遺伝しないという原則)を乗り越えるために、シナプスと言う仕組みを使って脳という器官を作りました。生き残るための情報をDNAから脳に徐々に移し替えたのでしょう。進化戦略が変わったのです。しかも、DNAにしても脳にしても情報は一個体によって受け継がれていくのではなく、種としてある程度の変異を維持しながら多様な遺伝様式を保ちつつ全体として情報を維持して進化しています。ある程度の個体数を持った集団として情報が受け継がれていくという意味でいえば、直接の親子であることにさほど大きな意味はありません。特に人類は父親の母親化が進化戦略になっていますから、みんなでみんなのこどもを育てようという戦略が多様な家族形態を可能にし、世界に拡散していく事ができました。何万年と続いたであろう母系社会では男はタネを運ぶこと、誰かのタネで産まれたこどもを自ら育てる事で、社会を存続させてきました。このあたりに気づいたのか、確かドーキンスだった?はミームという概念で、遺伝情報以外の情報と進化を論じたようです。現代人が信じてやまない、家族とか恋愛とかいう概念も、実は人類進化の視点から見れば、ただの幻想にしか過ぎません。私たち人類の存在するありようというものは無限の可能性を秘めていて、一人一人の人生もまた無限の可能性を秘めています。たまたま今の社会の枠組みの中で得られた情報で、世界を作っているだけの事。その枠組みを取っ払えば、まったく新しい人生を再構築する事も可能です。一体、親子って何だ、親が稼いだ金で、こどもが点数のために人生の基本(自己信頼・自己肯定感)をないがしろにしているなんて、壮大な無駄。産もうが産むまいが、金があろうがなかろうが、大人はみんなが世界の子どもたちの親になればいいのに・・・これは私の妄想です。共有できる人がいれば嬉しいなっ♡そーいえば、妊娠五ヶ月から臨月までお腹の中から私と付き合ったこどもが、今は三歳くらいかな、その子が「味くんちいこ」って時々言うんだって、先日お話を聴きました。産まれてからはほとんど付き合いは無いけれど、時々き顔をあわせるだけでも、なんか不思議な信頼感ができてるって・・・・ーん、不思議だよねえ・・・親子って。あっ、DNAでは私とは無関係ですよ、もちろん。
2013/05/28
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今朝も睡蓮が咲きました。先日植え替えた睡蓮で花は小振りでした。紅色の睡蓮も咲きました。ピンクって素敵ですよねえ。今日は1日のんびりと仕事しました。しばらくできてなかった拭き掃除を一階から三階まで。三階のパソコン一台を一階に下ろして、無線LANでつないで、一階でもネットラジオを聴けるようにしました。さらに一階のエアコンも掃除しました。そんなこんなをやりながらもちゃんとカウンセリングも二件、お話を聴かせていただきました。一件は久しぶりの来談の方で以前、家族で私の支援を受けられた方。半年の間、家族は辛く不安な中、よく辛抱されたし頑張ってくださいました。その甲斐あって今は家族みんなが幸せに過ごしています。この家族にとって、私の施設は実家のようなもので、今でも時々家族で挨拶がてら訪ねてくださいますし、何か不安な事や迷う事ができた時はためらわず、相談にきてくださいます。これほどに信頼してくださるのも、行政や警察より、はるかに篤く的確な支援をできた事と自負しています。先日はじめて来談された方も、パートナーの暴力暴言に堪え兼ねて別居をされたけれど、パートナーが他の所に行っても効果もなく、私の所に来られるようになって、嘘のように変化したと、伝えてくださいました。味マジックですねぇと。私はそのパートナーの方の心理や情動もよく聴いてるので、特にマジックをやってるつもりは無くて、ごく当たり前の変化でしか無いのだけれど、どうにもならなかったパートナーの暴言暴力があっさり無くなるのは、やはりマジックのように感じるのかもしれません。世間ではDV男は変わらないと言われてるし、実際どうやっても変わらないパートナーがあっさり変わるんですからねえ。けれど、マジックにネタがあるように、私の援助はそれなりの理屈やスキルもある訳で、何よりクライアント一人一人に対する敬意や愛情があることと、それぞれに必要な援助を的確に選び提供するという事かもしれません。クライアントに対する不信や敵意、嫉妬や憎しみ、差別意識や優越感、などのネガティブな感情はクライアントの成長を阻害しますし、援助の効果を無意味にしてしまいます。さらに、私は援助の時間や場所、内容に付いても、ほとんど枠をもうけずできる事は何でも提供していますから、回復して当たり前、人は誰でも回復し成長する力を持っているのですから、必要なものを提供すれば回復していきます。特に私が特殊能力を持っている訳ではありません。いや、特殊能力があるとすれば、言語と概念の処理能力でしょうか。これはカウンセラーとしての私にはかなり便利な能力でしよう。まあ、この能力のせいでか、ふつーの能力が若干弱く、社会不適合なパーソナリテイーになっていますが(笑)
2013/05/27
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それにしても連ちゃんの夜バスにも随分慣れたもので、うとうととしかできない連夜のバス移動でハードな仕事して・・・我ながら感心しちゃいます。丸の内地下通路の風景1東京では女ワーク・男ワークの後も、カウンセリングが夜まで続いて、はじめての面談の方、一年ぶりくらいの方、など懐かしくあるいはうれしい気持ちでお話を聴かせていただきました。丸の内地下通路の風景2お話を聴かせていただいてる時は苦でもないし、ありがたい思いなのでその後の夜バスもさほど辛くないんだろうと思います。気持ちが疲れてたら、きっと夜バスなんて無理でしょうねえ。丸の内皇居側のバス乗り場近くから東京駅を臨む東京を出たバスは七時間で山科に到着します。そのまま事務所に寄ったあと、バイクで自宅に帰り、シャワーしてコーヒーを飲んで、再び事務所にでて、お便り相談の研修に入ります。お昼を挟んで午後からはメンズカウンセリング協会の理事会でした。理事会のあとも急なカウンセリングが入って・・とかなんとかで、やっとハードな土日を乗り越えましたー。今夜はぐっすり眠るぞー・・あっ明日の朝のゴミ出し・・忘れないように、目覚まし・・・用意しとかなくちゃ・・・おやすみなさーい
2013/05/26
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以前見切り品のサイネリアをアップしたように思うけれど、あの時のサイネリアは一株百円のものを二株、二百円のものを一株買ってきて植えました。そのサイネリア、充分な期間花を楽しませてくれました。そのサイネリア、花が一旦終わっても下からまた花芽が出てたので続けて水やりしてたら、また花をつけてくれました。サイネリアだけでなくて、ベゴニアも一旦冬枯れてたけれど、また新芽が出て若葉が育つています。そうかと言えば、昨秋植えたイチゴ、葉っぱばっかりでかくなって、花も実もつきません。こういうのはつるボケだぁって詳しい人に教えてもらいました。そう言えば、窒素過多カリウム不足でそんな事になるよなあって昔習ったような・・・同じく昨秋に植えたマーガレットはきれいに咲いてくれました。見切り品と言えば、先日もペチュニアが花屋さんの見切り品コーナーにあったんで、いくらって聴いたら、ーん、二つで百円でいいって言ってくれたんで、ラッキー♪ピンクとブルーのペチュニアです。それにしても、見切り品で、誰も買わなければ捨てられてしまうだろうお花でも、ちゃんと世話すれば、長い間花を楽しませてくれるし、何年も続いて花咲くものもあります。一旦は完全に枯れたかな、と思ってたナデシコもちゃんと復活して花咲いてくれました。ほんと有り難いものですね。
2013/05/25
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自宅睡蓮鉢には蛙が住んでいて、冬の間はどこかで眠ってたみたいですが、暖かくなるとどこからともなく現れてきて、最近はケロケロと鳴き出しています。近くに池も川もない山沿いの住宅地だけれど、昨年はどこからとも無く蛙がやってきてケロケロ鳴き始めて、一瞬きれいなアオガエルかななんて期待もしてたのに、実はちっともきれいじゃないツチガエルでした。この蛙が産んだ卵からたくさんのオタマジャクシが産まれて、オタマジャクシも越冬したようです。今では脚も出てきて蛙になるのももうすぐでしょう。今日もまた新しい睡蓮の花が咲きました。私のこどもの頃にはどこにでも蛙がいて、蛙をいじって遊ぶのもごく日常のこどもの姿でした。そんなこどもの時代の風景だけれど、初夏のこの時期は柑橘の花が咲いててとてもいい香りがしました。この香りが忘れられなくて七年前にレモンの苗木を植えました。そのレモンにことしはじめて花が咲きました。今は微かだけれど、とてもいい香りがしています。蛙やトンボ、柑橘の香りや蝉の声、原風景の一部が私の現在の日常に帰ってくるのは、なんかわくわくしてきます。歳をとってるからそんな気持ちになるのかもしれないけれどね・・(笑)
2013/05/24
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昨日は朝もワーク、夜もワーク、でした。午前のワークは大阪はドーンセンターでのワーク、ごく少人数だけれどとても中身の濃い豊かな時間になったように思います。ワークは「どうして?七変化」。言葉と感情の関係を理解するワークです。文字でいうと「どうして?」という言葉ですが、その言葉を発する時にどのような感情を込めて語るか、受け取る側はその感情をどう受け取るかというもの。私たちは日常なにげにく会話し、言葉の意味を考えて対話していると考えていますが、感情レベルでは無意識に相手の感情を受け取り、無意識にこちらの感情が刺激され、次の言葉に感情を乗せる、という事も行っています。常に感情にフォーカスするトレーニングをすることで、会話の重層的な意味を理解する事ができます。このことでコミュニケーションスキルが飛躍的にアップします。夜の男ワークでは「マイルール」を行いました。私たちはこだわりとか、常識とか、モラルとか、様々な価値観を伴う枠組みを意識の中に持っていて、その枠組みの中で、考え行動しています。その枠組みから逸脱することで不安や怒りが生起され、自身の行動修正が行われたり、他者に対するコントロール欲求が起こったりします。子どもが学校に行かない事で、不安や怒りが出てきて、子どもを叱って学校に行かそうとするけれど、そのときの感情は、子どもは学校に行くべきだと言う親のルールを逸脱する子どもを親が受け入れる事ができない、という親の問題です。そんな心の枠組みを、マイルール、社会のルール、家族のルール、といろいろ、整理してみようと言うのが昨夜のワーク「マイルール」でした。一人一人の個性や価値観が大切にされ、なおかつ、その差異が多様性として機能するような関係ができれば、みんな平和に暮らして行けますよね。・・・こんな事に気づきを得られるグループワーク・・ほんと面白いです・・みなさんもお気軽にご参加くださいね。
2013/05/24
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昨日の学習会で語られたのは援助システムの論理と、被援助者のニーズが不一致で、その狭間で援助者が苦悩するというもの。援助は行政であれ民間であれ多くは組織で行われます。組織は経済を媒体に社会と繋がっています。法律や制度、予算や収益などの様々な社会的要因に縛られています。利用者のためにという理念はわかってても、現実その理念の通りに動かせる事はほとんどありません。その縛りの中で最大限利用者の利益のために仕事をしようと、頑張っておられる援助者も少なくないでしょう。けれどその努力も組織の仕組みも背後の力も利用者には知る由もなく、窓口や担当者の対応に不満や不実を感じてしまうのも当然の事。このあたり、真摯に頑張っている援助者ほど負担がかかり、ストレスを抱え込む事になります。利用者の利益なんてほどほどに自分の利益のために組織のシステム、職場上司にのみ気を使う援助者はストレスを抱え込む事も無く、職場に適応して評価される事になります。ひいてはこのような人が職場で責任のある地位に就き、利用者の利益が損なわれる援助組織の理論がまかり通る事になります。・・・・そして今の福祉や医療、行政サービスとしての援助があるという訳・・・。援助職にある人はどんな人も援助を学んでいたころは援助に希望を見ていたのでしょうけれど、現場での実践を重ねるうちに、組織優先の思考に染まってしまうという事でしょうか。心ある援助者が現場で疲れきる事無く、自信と勇気を、時にはしたたかさといい加減さを持って、援助実践を重ねて欲しいと願わずにいられません。そのために、そんな援助者が職場の利害に縛られる事無く、自分の思いや実践を語り、エンパワーメントされるだけでなくより有効な援助につなげていくための事例検討もできたらいいな、との思いが私にあります。そんなこんなを感じた昨日の学習会でした。それにしても、日本は福祉という概念が薄く、カウンセリングも含め援助が弱者・敗者に対する施し、あるいは治療としてしか理解されていないのではないか、と私は感じています。現場の援助者の方、バーンアウトすることなく、いいお仕事してくださいねー。誰にも語れない事、溜め込む前に、私にご連絡くださいねー♪
2013/05/23
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昔々、加藤洋子氏の話しを聞いたとき、彼女はアメリカ(マサチューセッツ)ではひとつの事例をめぐって様々な立場の人たちが集まって事例検討会を行ってるけれど、それをタスクフォースとか呼んでるという話しをしてくれました。カウンセラーやケースワーカー、ドクターや司法関係者など様々な立場の人が集まって、ひとつの事例の処遇について話し合うとのことです。日本では、縦割りで縄張り意識があり、官民意識、派閥意識等があって、事例を共有しようという事はあまり無いようです。結果、当事者はたらい回しにされて、本人の知らない間に本人の意思とは無関係に処遇が決められる、という事がまかり通っています。こういう事が起こらないよう、しっかりしたケースワークができる人が援助についてくれたり、アドボカシーという援助が一般化したりすればいいけれど、そのどちらも、期待できません。ましてや、タスクフォースのような援助形態はほとんど無いのではないかと思います。当事者を含め、様々な立場の人が話し合い、最善の援助を模索する事ができれば、当事者はたらい回しにされる事無く、ワンストップで援助を受けられます。心理的負担も少なくなるし、援助する方も効率よく援助する事ができます。なぜこういう当たり前の事が日本ではできないのか・・・個人の人権より、組織の維持の方が優先される価値観があるからでしょうねえ。そもそも援助を受ける人は、社会のお荷物で本人が困り果てるのも自業自得。そんな人を助けてやるのが援助だから、援助される側は、有り難く援助をうけるべきで、援助者の指示に従うのは当然・・・援助する側が走り回るなんて本末転倒・・・ということかな。今日は朝10時半から、援助者のための学習会でした。長ーい近況報告の後は、私の複合的援助の由来やら援助実践についてお喋りしました。私は私自身がグループワークやカウンセリング、シェルターやアドボカシー、ビジテーションサポート、など様々な援助を行っているので、ほとんどよそにリファーする必要はありません。その人の状況に合わせて、最善と思われる援助を私自身が行うので、当然ワンストップです。このあたりのシステムは日本でも私の所だけにしかないことでしょう。いわゆる加害男性と被害女性が一緒に笑いながら飯食ってる光景なんて、どこのシェルターにもあり得ないでしょう。加害者にも当然、ましてや被害者にも当然の篤い援助が提供されているから、安全・安心が確保されるし、いわゆる加害者も被害者も真に回復していく事が可能です。なのになのに、私にとって当たり前のこの援助スタイルも、世間の専門家には理解される事も無く、あり得ないものとされています。嘆かわしい事です。という意味では、今日のような学習会に援助の現場におられる方がもっともっと参加してほしいな、と願わずにはいられません。次回は6月26日、興味ある方は私にご連絡くださいね。
2013/05/22
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今朝は出張の料理教室でした。メニューは先日のメンズクツキングにほぼ同じ、パエリア、スパニッシュオムレツ、など。会場は公的施設の調理実習室。その部屋から丁度向かいの民家にスモークツリーが・・・私もはじめて見ました。確かにその花は煙ってるように見えなくもありません。不思議な花です。今日の教室は先日と違って女性ばかり・・どちらかというと私と同じか、それ以上かというくらいの主婦の方達がほとんど。スパニッシュオムレツとパエリアとなによりのごちそうは尽きぬお喋り。私たちの年代は高度成長以前の暮らしを知っていて、大量消費と経済依存のライフスタイルに対する疑問は共有する所。さらに不思議な事に、参加されてたみなさん、今の政治状況に対する危機感を感じておられて質の悪い政治家を選ぶ日本人のメンタリティーについて疑問を感じておられました。みなさん「こんな話しはなかなかできないけれどねー」とか言いながら、随分と盛り上がりました。世間の人々がこんな会話が楽しめる人たちばかりなら、日本ももっとまともな国になってるんだろうけれど・・・ねぇ。
2013/05/21
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今朝は昨夜の雨が上がっての曇天。強い日差しを避けるには丁度よい天気・・・今朝は仕事も入ってないし・・と言う事で、十日ぶりのランニング。ほんとはもっとこまめに走りたいけれど・・・。最近は、ふくらはぎの筋肉が走った後のダメージが回復しなくて、なかなか、スピードもアップしないし、距離も伸びません。フルマラソン復活もとうぶん無理そう・・・とはいうものの、筋肉は落としたくないし、脂肪は無くしたい、腰痛も防ぎたい、と言う訳で、スピード、距離に関わらず、走れる時は走るようにしています。無理せず、楽しく・・・と言う訳で、今日もパシャパシャカメラのシャッターを落としました。雨上がりの疎水コース開花をはじめた箱根空木楓の実が舞い落ちるのももうすぐランニングにカメラと携帯は必携品。もちろんカメラはパシャパシャするためだけれど、携帯も緊急電話の可能性もあるので持ち出さない訳にはいきません。カメラと携帯をウエストポーチに入れて、ランニング。今日はランニング途中で携帯が鳴りました。予期せぬ家族の暴力で、どうするか困っておられた様子。とりあえず、安全確保が最優先なので経過や今後のことは落ち着いてから話す事にして、今は距離を置いてクールダウンだけに専念してはどうかと助言。五分ほどの電話が終わって、ランニング再開。きれいに田植えが済んだ、水田水田のあぜ道でのんびりお休みするカモちゃん小関峠近くの山ツツジ・・・ツツジもこれが最後かな自宅睡蓮鉢、ことし最初の睡蓮が咲きました。そうそう、自宅の空きスペースに植えたレモン。もう苗木を植えて七年くらいになるけれど、今年はじめてつぼみが付きました。あと数日で開花するでしよう。楽しみです。たくさんのつぼみでは無いけれど・・・わくわく。レモンの花と言えば、私のこどものころを思い出します。私は瀬戸内の因島という小島で生まれ育ちましたが、因島はミカンの産地。ミカンやはっさく、レモンなどの柑橘畑がたくさんありました。この時期、そんな柑橘類は一斉に白い花を咲かせます。花自体は特に美しいというほどのものでもないのですが、その香りがとてもあまく上品で、こども心にも心地よいものでした。特に穏やかな風の流れる夜、どこからとも無く漂ってくるミカンの花の香りはとても素敵でした。キラキラ輝く穏やかな海や、ミカンの香りは、私が唯一、島を懐かしむ思い出です。
2013/05/20
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先日のグルナイでは、四時間ほどは私は料理しっぱなし。もちろん、その前も仕込みやらなんやらで、ずっと料理をしている訳ですが、特にグルナイをオープンしてからはほとんど休みなく調理しています。よくもまあ、金にもならないのに料理なんかしてられるもんですねえ、我ながらあきれちゃいます。しかも、翌日もお泊まり組のご所望もあって、ほいきたとばかりに、作ってしまったのがイチゴケーキ。やっぱしイチゴケーキはうまいっす。さてさてそして今夜はメンズクッキングでした。メンズクッキングでは簡単、おいしい、安い、をモットーに実用的な料理を目指しています。今夜のメニューは、簡単ピラフ、鮭のホイル焼き、スパニッシュオムレツ、豆腐サラダ、コーヒーゼリーです。スパニッシュオムレツ簡単ピラフ鮭のホイル焼きトーフサラダコーヒーゼリーとチーズケーキわいわいお喋りしながらおじさんたちがお料理する姿・・最近では男の料理教室なるものもフツーの光景になってきましたが、これがどこの家庭でもみられる風景になってほしいものです。自分の生活を自分で支えるために、女たちを家事に縛り付けないために、そしてなにより、食事を自ら料理し、みんなと楽しむために。
2013/05/19
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昨夜はいつもながらにグルメナイトも満員御礼、大人こどもで18人。常連さんにご新規さん、世間の常識やら縛りやらもなく本音で語り合う女と男。メニューはいつも通り五十品目以上でスタンバイ。ビールもお酒も進みます。話しは時間とともに深まります。恋愛談義もあればセックス談義もはばかる事無く、猥談のようで実は人間関係論。女たちの語りで語られるのは家族問題の起こる男のコミュニケーションやら人間関係のまずさ、ズレ具合です。これは私が常々ワークで男たちに語る事ですが、男は本音を語るのが下手、相手の気持ちを受け入れ共感するのも下手。その欠点を、権威や権力、金や知識で補います。クジャクがキラキラした飾り羽でメスの気を惹こうとするするのによく似てます。惹かれてやってきたメスに卵を産ませて万々歳。相手の性格や相性を理解し、相互の対話から関係を作っていくと言う人間としての能力が欠如しているような気がします。脳性理学者は性差を言うんでしようけれど、性差は生育の中でも形作られるもので脳機能も生育の中で学習する内容で変わってきます。男がみんなコミュニケーションが下手な訳ではないし、どんな男も学習すれば感情表現も対話能力も向上します。男に学習の機会を与えない、今のジェンダー社会の問題でしょう。これは昨日にもかきましたね。その社会規範に縛られず、女と男の垣根やら性的抑圧も排除した空間で自由に語りあうことで、女も男も他者理解、自己洞察が深まり、ジェンダーバイアスからも解放される事も可能となります。そしてそんな大人たちの会話を聴く事で、人生モデルを獲得する子どもたち。大人であれこどもであれ、グルナイに集う人たちのこれからが楽しみな私です。オーダーもほぼ終わって、私もおしゃべりに加わって・・・みんなお開きになったのが三時過ぎ・・嗚呼そうそう、彼女と別居中で疑似シングル生活をはじめた男性がとてもすっきり生き生きした表情で登場したけれど、その変貌ぶりに、一同ほぅーとため息、特にファッションとかヘアとか変わった訳ではないのに、みんなが感じた彼の変化は、きっと彼の自立生活が彼に自信とゆとりを与えたからでしょう・・DV男は変わります♪
2013/05/18
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DVだけではないけれど、夫婦であるとないとに関わらず、わかりあえるはずの関係がかえってわかりあえない現実。巷では、DV加害男性はとんでもない悪人、見たいに言われてるけれど、聴いてみればもともと悪人ではなく真面目で頑張り屋。なんでこーなるの、と双方の話しを聞いてみれば、お互いのディスコミュニケーション。私は男の世界で生きてた事もあるし女の世界で生きていた時もあり、私のパーソナリテイーのなかには、暴力青年もいれば味ママもいる、と言う訳で、女の言葉・文化もわかるし、男の言葉・文化もわかります。バイリンガルな私。夫の思考や感性がきちんと言語化できず拙い言葉になって語られます。それを翻訳しながら妻に伝えます。さらに妻の言葉を夫にも理解できるよう翻訳して夫に伝えます。何故私がこんな事ができるか・・・逆に言えばなぜ多くの人が私のようにできないか・・・それは近代社会のジェンダー政策が原因しているでしょう。明治政府の近代化政策の中に、経済発展には資本の蓄積のために戸籍制度を用いて家を管理し、徴税を強化するだけでなく、家の財産と言う概念を普及させて貯蓄を奨励し、それを銀行に預けさせる事で資本を作っていった政策があるでしょう。その幻想の家を現実化させるために、女は母役割として家事育児、男は父役割としての労働が強化されます。当然、父子の親子幻想を維持するための女の貞節も求められます。女と男の生きる世界を分離し、それぞれに異なる文化・言語を与える事で、個別な対話を不可能にし、与えられた役割をこなす事でしか、関係を維持する事ができなくなる、という仕組みです。その役割をこなさせる事で、資本は労働を搾取することが可能です。人々に自由で多様な関係や生活をされては、家族は不定形、経済も不安定になり、資本の拡大強化は難しくなります。今の政治は資本経済を最優先する政治システムだから、明治政府以来の国民管理の戸籍制度はなくすはずも無いでしょう。女と男の自由な対話も関係作りも許さないでしょう。同性愛者の結婚の承認とか、個人単位の保健・年金制度作りとかも当分の間はやりそうにないでしょう。そんな家族のあり方、女と男のあり方をずっと拒否して生きてきたし、家族も維持してきた私。歴史や理論を学んだ訳ではないけれど、直感霊感でその事に気づき判断してきました。間違ってなかったと確信する今、その価値観に基づいて、女と男、家族の問題を考え、支援につなげています。そんな私・・・けさ息子の弁当を作ってたら・・・連れ合いがおにぎり二つのオーダーをしてきました。二つのおにぎりをつくってみました。ずっとまともな収入も無く、家族を扶養した事も無い私が離婚されない理由はこのあたりにあるんでしょね。
2013/05/17
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昨日も忙しい1日でした。朝は明日のグルナイの準備であたふたとし、お昼からカウンセリングが二件、夜は料理教室、その後も電話でのカウンセリングと、1日がめまぐるしく過ぎていきました。急な来談をされた方、かなりしんどい状況を長い間耐えておられましたが、厳しい状況を乗り越えられて、憑き物が落ちたように、すっきりと朗らかな表情でお話をされていたのが印象的でした。これまでその方が誰にもわかってもらえない辛い状況についてしっかりお話をしてくださり、そのお気持ちを私がお聴きする事で、状況を乗り越えるお手伝いができたのであれば、援助者として嬉しく思います。夜の電話カウンセリングでも、急な相談依頼でしたが、自分の行動が世間とは違って個性的な場合、自分の行動は誰にも評価も支持もされず、孤立していて不安がつのってきたとの事です。世間とは違うその人の考え方や感じ方は、私にはよくわかるし、その判断に共感や信頼を感じる私の気持ちを伝えました。そうする事で、その方は自身の感じ方や判断に対する確信を取り戻し、状況につぶされずに対応していけるとの事でした。残念ながら、家庭でも職場でも不安をあおられ、システムに順応しない人は責められ排除され孤立してしまう、という現実があります。多様性を失った社会のいわゆる社会病理の結果でしょう。けれど、排除されるマイノリティーの資質の問題に転嫁されてしまいます。ですから、私はそんな社会的孤立にあるクライアントと世界を共有し、孤立の不安を和らげる事で、クライアント本人の自己信頼を回復させます。特に難しい技法とか理論とかも不要です。強いて言えばナラティブで言う、物語りの共有を行うってことでしょうか。その作業は私には難しい事ではないけれど、世間のカウンセラーはなかなかそう言う事はやらないようです。自殺の方法を一緒に考えるとか、顰蹙を買う事を薦めるとか、世間の価値観からは非常識あるいは、許されない事すら、そのクライアントとの物語りの中では、フツーの事として語り合える・・・死ぬ物語りを語り合う事で、死んで復活するする物語りにつながれていく、このあたり、カウンセラーとしてはとても充実し、中身の濃い体験をする事になり、クライアントとともに喜びを共有させて頂きます。そうそう、料理教室は、簡単中華おこわとか酢鶏とか中華茶碗蒸しとか、中華でまとめましたよー。おいしかったですぅ♪
2013/05/16
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やっちゃいましたー橋下くん。維新の会がじり貧で焦ったのか、いつもながらに威勢のいい事を無責任に吹聴する癖が出たけれど、いつもと違うのは、世界の常識からはあまりにもズレた発言をしちゃった事。従軍慰安婦問題はとてもデリケートで人権問題にも絡むテーマだから、軽々に発言するべきはありませんし、語るにはそれなりの根拠や配慮が必要です。ましてや在沖米兵の買春斡旋発言はもう、聴くのも恥ずかしいお粗末発言。聴いてた米軍司令官の「買春は禁止している、この話しはしたくない」との発言はまともな発言でしょう。どの国でもやっている、当時は当たり前、だから悪くない、悪くないなら今でもやっていいんだ、との短絡した考えで発言したんでしょう。まあ、橋下くんの正直といえば正直な発言なんだけれど、どこかのおっちゃんが一杯飲んで話す事なら、それはそれで一人の価値観の表明だから、特にどうこう言う事もないけれど、大阪市長であるとか維新の会代表という立場での発言としては看過することはできません。過去の常識でも、人権尊重という歴史の流れから現在は非常識と判断される事は少なくありません。DVや虐待、体罰も然り、売買春もしかり。戦争もしかりです。戦争は著しい人権侵害を伴うから戦争によって国家間紛争の処理することはやめよう、との世界的な動きがあります。地雷やクラスター爆弾の製造、使用を禁止しようと言う動きもそのひとつです。人権を考えれば、何をどのように変えていかなくてはならないのか、事実を謙虚に学び冷静に判断する人格的な能力が政治家には求められます。従軍慰安婦については、未解決な様々な問題が含まれますから、その部分に関しては蓋をすることなく、きちんとした調査をやり、それぞれの立場の人たちが納得し合意できる結論を求めるべきでしょう。それが政治的能力です。相手が悪いんだ、僕は何も悪くないから、相手をやっつけてやる。という短絡した発想はまさに幼児的。こんなお粗末な人間を政治家に選ぶ国民の、人権意識というか政治的判断能力も・・・幼児的なんかな・・・悲しい話しです。残念ながら、日本では、政治家も官僚も、法曹界も、アカデミズムも権力構造にある人たちの人権意識はとてもお粗末で、世界標準からは半世紀ほど遅れていると言っても過言ではないでしょう。権力は腐りきっています。こんな権力に組したくない、と言うのが私の自負です。ま、私のブログの読者はたぶん橋下発言に違和感を感じておられる方達ばかりでしょうから、そんな方達の意識には期待する所です。マスコミがどうであれ、人権意識をもって、人々に語りかけてくださる事期待しています。
2013/05/15
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今朝は近くの動物園に集合でした。お天気もよく、日差しを受けると暑いくらい。ですから、私は帽子にタオルというへんなかっこうで紫外線予防しておきました。入ってすぐに大きなバードケージが。虎さんです虎さんを見る人間の子どもたち。二十数歳のアジア像てづくりお弁当も一緒に楽しみます。難しい事は考えず、単純に動物たちをながめたり、そのことで言葉を交わしたり・・・やがて随分緊張もとれて、リラックスしてきます。木陰のベンチに座ってお弁とタイム。その頃はあれこれ突っ込んだ会話もしたり・・・あっというまに2時間が過ぎました。次回のお散歩セラピーは植物園もいいねってことでかいさーん。
2013/05/14
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昨日もいろいろありました。カウンセリングが三件もあつたのに加え、以前から困難にある家族の方からお電話頂いたり、いろんな事で困難に陥っている方の訪問を受けたり・・・。私がクライアントにときどき言われるのが、ママがいるみたいで落ち着く、とか、実家に帰ったみたいでほっとする、とか。たいてい、わたしがお料理したり、雑用してる時にクライアントがそばにいる時です。現実の家族や生活で傷付き疲れ果てたクライアントが私の所に来られますが、カウンセリングだけでは追いつかない時は、しばし家族料法的な対応をすることもありますし、その状況での言葉です。私を見て原風景の家庭の母親を思い出したり、逆に原家族では得られなかった希望の家庭のイメージを私の中に見いだしたりするのかもしれません。昨日は、一緒にお寿司作りをしたり、カード遊び?をしたり・・・さんま寿司といなり寿司。なんと私のカードは 右から過去、現在、未来を現してて、とても素敵なカードになりました。過去は成功(神あるいは他者との契約)現在は魅了する(虹と橋)未来はエロティック(飛ぶカモメ) みなさんはこの私のカードをどう読み解きます?ああっそろそろ時間だ・・・これからお散歩セラピーで動物園に行かなくちゃ。
2013/05/14
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昨夜はとんだハプニング。お鍋を火にかけたまま、うっかりしてて焦がしちゃいました。煙もうもう火災警報機もピーピー鳴り出し、火事ですピー、火事ですピー、をしばらく繰り返してました。窓を開けて換気扇回して・・・しばらく前にもお鍋を焦がしちゃったけれど、警報機が鳴ったのは今回はじめて。うっかりにも気をつけなくちゃね。水分がたくさんあるから、大丈夫とか、弱火だから大丈夫、と油断するとやばいっすね。さすがに油鍋を火にかけてその場を離れるってことはしないけれど・・・。日々のことだから、習慣的に気をつけられるようにしたいなって思いました。部屋から排煙したあと、時間があったのでナイトシネマに。昨夜は「L.A ギャングストーリー」です。実際の事件を基に作られた映画との事ですが、戦後まもないアメリカでのし上がるギャングのボス、ミッキー・コーエンを演じるのがショーンペン。拉致誘拐、売春、麻薬取引、殺人、あらゆる悪事を重ねて、警察や裁判所、も買収してロスを無法支配してしまいます。これに立ち向かうのが、秘密の警察部隊、と言う訳。まあ、ストーリーも役者も、アクションも、楽しむには充分。シネマから帰ったら、日替わりでした。メールチェックなどして、寝たのは二時ころ。のんびりした夜でした。充分睡眠を取ってすっきり起きて・・・ゴミ出しして・・息子のおべんと作って・・・庭木に水やり、メダカの餌やりとを済ませて・・・と。 そうそう、そのあとのニュース番組で、脅迫状が届いた高校が運動会を開催したとかいうニュースでコメンテーターが、なんて酷い事をやるんだ、犯人の気が知れない、みたいなことを発言してました。ああ、これが世間なんだ・・・。私は脅迫状を送りつける犯人の気持ちなんとなくもわかるし、他人事で酷いヤツとコメントする人には、違和感も感じてしまいます。どんな犯罪であれ、犯行を起こす心理と言うのはある訳で、それは他者や社会と無関係ではありません。社会に希望の光が誰の上にもまんべんなく照らされていれば、影を生きる人はいないはずだけれど、光に満ちて何不自由なく生きる者と、本人の努力責任とは無関係に闇にしか生きる場が無い者と、現実に不条理に満ちたこの社会。闇を知らない者は闇に生きる者の思いも人生も理解不能。とんでもない悪人としか見えないのもわかります。私はいろんな価値観から自由で、どんな人のどんな心の世界にも入り込みますから、犯人の心理もとくに理解不能とも思えず、それなりに共感する感性もあります。その感性が、世間並みのコメントに違和感を感じさせるのでしょう・・・これが私の日常・・・ああこんな時間、仕事に行かねば・・・・行ってきますぅー♪
2013/05/13
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夫婦であれ親子であれ、人間関係が困難になった人たちが私の所に繋がってきます。問題が起こったとき、ほとんどの人は相手やお金や健康など、状況の問題と理解しています。会社が潰れて仕事がなくなった、とか、パートナーに家出されてしまったとか、こどもが引きこもってしまった、とか、自身を支えてきた価値観と状況が不一致になるから葛藤が生じます。自分が生きてきた状況をめぐる本人の価値観に反して、現状の状況が違いすぎる、その不一致です。そしてその葛藤から逃れるために、心に蓋をしたり、何かに没頭して現実を忘れる事でその場しのぎをしたり、力で相手をコントロールしようとしたり、時には心病んでしまったり命を断って不一致の苦悩から逃れます。葛藤から逃れるために状況を変えようともします。弁護士を使ったり、医療に頼ったり、学校に怒鳴り込んだり、と様々なことで状況を変えて、自分のもとの価値観に一致させようとしますが、大きな変化の流れにある状況はもとの状況に戻る事はほとんどありません。ここで悩みが深くなり、悩みを誰かに語るということを理解できる人は、カウンセラーのもとを訪れるのかもしれません。けれど多くのカウンセラーは悩みは聴いてくれるけれど、答えは自分で出すもんだからと深入りする事はありません。心理的に孤立し悩みが深くなり、心身に問題が出始めて医療にかかり服薬を受けても状況は良くなるはずもありません。相手は変えられない、自分が変わる事で相手も変わる、とはよく言われる事です。確かにそう言う事なのですが・・・自分は悪くないのに、とか、自分は精一杯やってきた、これ以上自分が変わるための努力はもう無理、とかなどの理由で自分を変える事に抵抗が起こります。それを乗り越えて、自分を変えるために、本を読んだり、講座に参加したり、何か新しい活動をはじめたり、ということもよくある話し。けれど、そういった様々な行為もそれまでの自身を支えてきた価値観と同じ価値観でできた社会構造の一部に過ぎません。いずれ問題の再燃する事も少なくありません。DVが終わらない、とか、出所してもその多くは再犯するとか、断酒はできてるけれど別の依存にはまってるとか、離婚はしたけれど虐待が始まった、とか、問題が変遷するだけで、深い所での問題解決はちっとも進んでない、という現実も多々あります。私ももちろん状況に対するアプローチはカウンセラーとしてはあり得ないほどこまめにやります。コンサル的な支援でスタートが始まる事が多いのは事実です。けれど、状況が落ち着けば、認知やら生育の問題にアプローチが変わっていきます。さらに、自身の存在の意味についても再考し、自己概念やら家族意識、世界観すらも変えていけるように支援していきます。この時に、私自身がどういう存在で社会や世界とどう関わっているのか、はっきりした自己信頼がないと、充分にクライアントに寄り添う事ができなくなります。仕事ができない、生きていけない、あいつを殺したい、変態の自分が許せない、などなど、世間の価値観や社会の枠組みを逸脱した状況でクライアントが葛藤している時、世間の価値観すら相対化しクライアントがあらゆる価値観からの縛りから解放され、自我を再構築していく・・・・産まれ直し、育ち直す・・・お手伝いをする事が私の仕事です。クライアント自身を縛っている価値観やシェマを解体する時、私は悪魔かシバ神のような存在にもなるし、産まれ直す時は産婆にもなり、育てる時には味ママにもなります。あらゆる価値観から自由で、権力構造に依存する事もなく、多様で柔軟な自己概念を持ち、生存能力の高い、そんなセラピストになりたいし、そんなセラピストを目指す私だから、社会には理解もされないし受け入れられもしません。けれど、そんな私だからできる複合的な援助やメンズカウンセリングだろうと考えています。またこんな私の支援を受けて、回復される方達もたくさんおられます。その多くはどこに行ってもうまく行かなかった人たちです。私の援助論の有効性について私が確信を持って語れるのは、そうした多くの回復したクライアントが存在する事、彼らが私を支えてくれているからです。権威や資格はクライアントからもらえば充分。アカデミズムや国家の権威を捨てる事ができるかどうか、それが魂のセラピストになれるかどうかって分かれ道になるのかもしれません。こんなこと・・・できないよねーふつーエライセンセには(笑)
2013/05/12
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今日は朝から小雨模様。仕事がまったく入ってないので、ゆったりのんびりの1日。小雨をついてバイクで少し離れたスーパーにお買い物。このスーパーではけっこういいお魚が安価で出ています。今日の掘り出し物は1.5キロほどの鰹が900円、400gほどのチヌが二枚で400円、なんと。どっちもそこそこ生きがいいので、お造り用に処理しました。十五人分くらいの刺身ができました。一度に全部は食べきれないので、一部は密封して冷凍に。それにしてもお買い得品をみるとついつい衝動買いしてしまうし、しょっちゅう買い物してないとなんか落ち着かないのは私も立派な買い物依存だからでしょう。けれど、幸い私は貧乏性なので、高価なものにはまったく興味なくて、安物にしか興味がわきません。だもんで依存症にありがちな実害は発生しません。強いて言えば、冷蔵庫の過剰在庫が腐ってたり、食べ過ぎて太りやすくなったりってとこかな。還暦ヌードまでに十ヶ月となって体を絞らなくちゃならないのに、なかなか減量が進みません。やばっ、ということで最近はお昼の澱粉を抜いてます。けれど、その分食欲は増してきてついつい、チョコ依存が出てきたり(笑)やばいっす。今日は買い物依存の欲求を満たせたし、澱粉は抜いたけれど、お刺身を食べたりして、なんとかお昼はやり過ごせました。それにしても、料理ができるってのは便利です。料理してる間はけっこう楽しいので、あまり食欲もわいてきませんし、カロリーを考えてメニューを組む事も可能です。ということで、雨音とともにずっと昔に買ったレーナマリアの賛美歌のCDを聴きつつ、くつろいでた所に相談電話が・・妻が家出して離婚調停を立ててきたけれど、弁護士が役に立たないとの相談でした。以前にもそんな事を説明したけれど、なかなか、私の話しが実感として感じられないようで、事態が推移していってやっと私の言ってる事の意味が実感できるようになったとの事。ひとまず、相談の電話が終わって、再びCDをならしています。次はレコードにしよっかな。仕事のない土曜、自分の楽しみのために1日過ごしてもいいよねー。
2013/05/11
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五〜六年前、内閣府はDV被害者の集まる所にDV加害者が集まるようなイベントは相応しくないとの通達をだしました。そのことで、京都府の女性センターで男の非暴力グループワーク開催ができなくなりました。パカな話しです。DV男は何をするかわからない危険な存在、逮捕して刑務所に入れたらいい、と言うような事を真顔で語るセンセもおられますし、そんなDV男性が女性センターに来る事自体危険じゃないか、との実に幼稚で短絡した判断を内閣府はしているようです。けれど、電車の中でも街の路上でも、DV男性は山といる訳だしDV被害女性も山といる訳だし、その人たちの接近遭遇は日常です。けれど、それを分離しろと言う声はきかないし、事実上不可能です。ようするに、行政は被害者の心配をしているのではなく、責任問題を言ってるだけの事。万一、行政施設、特に被害者支援に関わる相談業務関連で事件が起こっては責任問題になると言う事。施設外であれば警察の所管だから問題ないと言う事でしょう。また、DV男は変わらないと真顔で根拠なき言説を語る専門家が多く、行政の相談もそれが事実かのごとく当事者に語ります。その文脈から変わらないなら逃げるしかない離婚するしかない、と言う結論になり、シェルターが用意され、保護命令が出され、離婚弁護士が稼ぐと言う事になります。加害者にはプログラムではなく刑罰を、というバカな事をいうどこかとどこかの大学のセンセもおられますが、刑務所が過剰収容で更生がより困難になり再犯率も高いと言う現実には言及しません。加害者を刑務所に入れるのもかなりの国家予算が使われている事について理解できてるのでしょうか。公正な判断もなく加害者にされる、いわゆる魔女裁判で刑務所にいれられれば、そうさせた関係者に対する憎しみは増えるだけ、中には、その恨みを晴らしてやる、と相手方や相手方弁護士に危害を加えようとする者が出てきても当然です。出所すれば事件を起こすような心理状態であっても、警察は事件になるまで動けないし、緊急対応はしても確信犯に対する対応は不可能です。私にすれば、DVがらみの事件は起こるべくして起こっている訳ですが、被害者支援はそう言った事件を、DV加害者は危険だとの宣伝に利用します。私に言わせれば、加害者が危険なのではなく、人間を加害者にしていくシステムが危険なのですが、加害者が出てくれないと、そのシステムで飯食ってる人は困る訳です。ここにDVが無くならないほんとの理由があります。欧米ではDVは刑事対応ですから立件はポリスマン等の介入によりなされます。通報があれば即警察が動き、容疑者は逮捕され、立件されます。被害者の申告ではありません。加害者は刑務所に入るか脱暴力プログラムを受けるかになります。野放しと言う事はあり得ません。日本のDV法では保護命令が出されても加害者は野放しです。日本のDV法での保護命令は民事対応ですから確固たる証拠も必要なく、公正な立場で判断される事もなく、一方的な主張の申告だけで立件されます。立件された以上それが地裁の司法判断と言う事で、後々の離婚訴訟でも事実として扱われる事になります。内閣府の調査では男性の35%女性の20%が配偶者に身体的な暴力行為を行っています。実際には言葉の暴力も含めるとどっちもどっちですが、現在のDVを巡る法律や制度では公正・中立な司法判断・行政、警察対応はまったく望めません。男性加害者、女性被害者という文脈が一人歩きしています。その文脈を利用して、講演したり弁護活動したり、カウンセリングしたり、のDVビジネスが利権化していると言っても過言ではないでしょう。そこに行政予算が組み込まれています。そのシステムでは、DVは修復しないから分離しかないとの結論になる訳ですが、まんいち加害者と被害者が対話し、相互理解が進み、DVがなくなって修復、という事になってはシステムの根拠が崩壊してしまいます。こんなバカな現実に目をつぶる事もままならず、DVの本質を見極め、個々の事例に相応しいさまざまな手だてを打っていくのが私の援助ですが、最終的には一人一人の幸せが目標です。相互信頼相互扶助の関係を構築し家族みんなが豊かに暮らしいいく事を目的としています。家制度の維持でもないし、婚姻関係の維持あるいは破綻を目的としている訳ではありません。家族に取って婚姻制度からの解放がより望ましいなら、修復的離婚を目指しますし、人間関係の解体再構築で家族修復が可能なら、そのための手だてをうちます。そのための受け皿もあれこれ作りました。男性も利用できるシェルターもそのひとつ。(先日もある地方紙の電話取材を受けました)当事者が育ち直しをしていくための疑似家族を体験する事を可能にするグルメナイトもそのひとつ。昨夜は女と男が対話する「女と男の非暴力トレーニング」もありました。ふー、やっと昨夜の話しにまでこれました。その講座・・・講座と言うよりグループワークですが、そのワークにはDVの加害被害の当事者も含め、いわゆる家族間葛藤を抱える当事者が参加されています。そんな男と女が対話するなんて危険じゃないか、という事でしょうけれど、事実を知らずバカな専門家の根拠なき言説を信じてる世間の判断ではそうなるのであって、真実はまったく違います。ジェンダーギャップの溝を埋めるための対話を進め、自己洞察や相互理解が深まります。その事で、自己肯定感が高まったり、家族間葛藤が減少したり、ということになりひいてはDVが無くなっていったり、修復的な離婚が可能になったりします。分離遮断ではなく女と男の安心、安全な対話の場がDV根絶には不可欠・・・なんですが・・・。世間のように野放しにはせず、適切なケア・・・被害加害に関わらず・・・が入る事で、問題が回避され、リスクも低減します。実際、私の所には多くの加害被害当事者が関わりますが、事件化したことはありません。女と男の非暴力ワークもほとんどどこにもないだろうし、女と男が一緒に食事しながら対話しているシェルターなんてのも、私の所しかないでしょうねえ。けれどそれらを可能にするにはそれなりの、対人スキルなり援助実践、なにより当事者一人一人に対する尊敬と信頼が持てる援助者でないと不可能なんでしょうねえ。日本のカウンセラー他、様々な対人援助者のスキルアツプを切に願う所ですが、そのためにはアカデミズムも解体再編しなくちゃならないのかな・・・嗚呼・・・無理だ・・・どうする?
2013/05/11
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ワークはなまもの・・・私がしばしば口にする言葉・・・ワークは何が出てくるかわかりません。どんな人がくるやらどんな話しが出てくるやら・・・その場勝負です。けれど、この状況は、現代の合理主義的な価値観にはそぐわない状況です。現代の私たちの価値観は、誰かに知識を与えてもらって、それを獲得したら評価され、他者に優越するという心理構造です。そのために優位な知識を与えてくれそうな人や場に人は集まります。権威や権力・・・いわば「寄らば大樹」でしょうか。またそう言った場には、正当で、優位な、建設的な、前向きな、そんな価値観に溢れて、プログラム通り、順調に、知識やスキルが伝達されなければなりませんから、場を作る者の意思を乱すものはコントロールされなければなりません。こういった、近代合理主義的な価値観が、人の意識の多様性を蝕み、社会を疲弊させている事に多くの人は気づきません。権威や権力を振りかざす人たちはなおさらです。そんな価値観に基づいたワークでは、人の本来の力を育てる事も、癒す事もできないのではないかと、私は考えます。ですから、私はそういった合理主義的な価値観を排除し、もっと根源的な人の存在する意味や世界や宇宙との関わりも含めて、参加者本人が、自らの内側から答えを見いだす事のできるよう、場を調整していきます。それがワークはなまもの、と言う言葉に表されることです。何が出てくるかわからない、何が出てきてもそれが排除される事なく、調和していく、そんな場を作っていけたらと思います。その場の中で、参加者は自らの混沌の中から、自らを形作る概念とそれを意味付ける言葉を探し当てる事ができます。自由に語り合えて、コントロールされる事なく、一人一人の自由や安全が保障される、そんな場を維持したいと考えて、これまで、あちこちで様々なワークを開催してきました。子育てママのためのストレスケア 講座の行われる大阪、ドーンセンター。その講座のスタッフがプレゼントしてくださった、玄米おにぎり・・・もち玄米、うまかったっす♪夜の男ワークは家族再生センター一階で。感情言葉を探すワークです。
2013/05/10
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昨夜は仕事もなく、ゆっくりしてたんでレイトショーで見たのはアイアンマン3。ロバート・ダウニーJrの演じるトニーは熱血漢というより、多少性格の悪いおじさん。でも愛する彼女のためなら・・・で、アイアンスーツを装着すれば、たちまちヒーローに。もちろんヒーローにはヒーローの困難や苦悩があるけれど・・敵に倒される事はない・・・。最後には彼女の願いで、そのスーツさえも、脱ぎ捨てるのだけれど・・・「俺はやっぱりアイアンマン」とつぶやいて、次号に続くって感じ。まあアイアンマンだけではないけれど、こうしたヒーローものの映画の楽しみはヒーローに感情移入したり、憧れたりすることができればこそ。現実の自分を一時忘れて感情移入した自分を楽しんだり酔ったり・・・・そうする事で自我の安定を図ろうとしてるのかな。私は今の自分に充分酔えてるので、特にアイアンマンに変身したいとかの思いはないけれど、ヒーローとのラブストーリーを演じるヒロイン、グゥイネス・パルトロウ演じるペッパー・ポッツには多少魅力も感じてて、少し引いた所で映画を楽しんでいました。確かに私にはアイアンスーツはないし、トニーのような財産もスキルもないけれど、自分を守るための心のスーツやいろんなキャラに変身できる、多様な役者としての自我も持ち合わせているので、生きるのがとても楽。いずれ、ペッパーのような、カワイコちゃんとも巡り会えるかも・・・(笑)今日の午前中は大阪はドーンセンターで、子育てママのための講座を行ったけれど、そこではワーク「私の人生劇場」を行いました。自分の中に無意識としてある、キャラを意識化してみようと言うもの。自己と言うものも、実に多様で複雑と言うのもわかってもらえたと思います。いろんな自分がいれば、TPOに応じて、いろいろ演じ分ける事も可能だし、問題解決には至りやすいし、そもそも問題も起きにくいのではないかと言うのが私の考え。トニーやペッパーにはなれなくても、一人一人、唯一の私になれたらいいのではないか、というのが私の考えかな、今の所
2013/05/09
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今朝は目覚めもよく、時間もあったので、十日ぶりのランニング、いつもの疎水14キロコース。体はやたら重くて、のんびりのんびりランニング。前回のトレーニングからは充分時間があるので、前回トレのダメージは残ってないはずだけれど・・・なぜか体が重い。とはいうものの、スピードは気にせず、とりあえず14キロを走る事だけに集中しました。もちろん気になる風景があれば、そく立ち止まってパシャリ・・・。なごりのツツジヒメジョオンキンポウゲひなげし水を湛え、田植えを待つ水田クサフジランニングの後はシャワーして、事務所に・・・事務所では昨日焼いたシュークリームの皮に、カスタードクリームと、ホイップクリームとをダブルで詰めました。・・・ああ、おいしぃ・・幸せっ
2013/05/08
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家族幻想と言う言葉が言われて久しいけれど、家族というものが人間社会にある確固たる仕組み、とふつーはとらえられていて、戸籍制度とか婚姻届とかいう確かなものに守られていると多くの人は考えています。けれど、戸籍制度があるのは世界で、日本、台湾、だけで韓国も既に廃止されています。家族の契約や登録の仕組みは国や文化によって様々。家族について日本人が常識と思ってる事は決して世界では常識ではなくて、むしろ非常識な事が多いのも事実。戸籍制度や単独親権制度もそのさいたるもの。つい百年数十年ほど前までは、日本では戸籍はもちろん、庶民には名字もなければ確かな家族形態もなく、ある意味自由である意味るうずな人間関係を生きていたのが現実。夜ばいもあれば、性を楽しむ宿場もあったりするけれど、このあたりの事は赤松啓介の「村落共同体と性的規範」だったか、彼の著述に学べます。多くの庶民はくまさんはっつぁんでしかなくて、家制度とは無関係に生きていました。けれど、明治政府は国民の管理のために古代の戸籍制度を復活させ、全国民に徹底させました。今では、〇〇家、〇〇家結婚式、入籍は済ませました、なんて事が当たり前だと考えてしまうほどに、家意識が普及しました。このあたりの事も先日のメンズカウンセリング講座の川島さんと私の対談の中で出てきましたが、カウンセリングや対人援助を行う時に、問題の本質が離婚したい相手とか、浮気した妻、の行動にあるのではなく、家族をめぐる制度や価値観にある事に思い至らない、そんな知識もない人が、いいカウンセリングや支援を行えるはずがない、というのが私の考え。ロジャースはもちろん、フロイトにしてもユングにしても、その考えの背景には近代ヨーロツパの家族意識や制度が影響しているのも当然でしょう。日本のカウンセラーにしても本人は正しく学んで正しく行っていると思っているセラピーが、無意識の所で、日本の文化や制度に影響されているのも当然でしょう。けれど、本人はその事に気づいていません。制度や文化の影響を排除してひとりの個人のありようとしての家族や人間関係を考えるとき、そこには正解やあるべきかたちというものすら無くなり、いまここで、本人の思いや情動があるだけで、それすらも過去の体験や思考の記憶でしかなく、真実や現実というものも雲散霧消してしまいます。まさに人の意識も量子的なものととらえるしか無くなります。ここまで、カウンセラーが現実を突き詰めたとき、はじめて、クライアントとの自由で無限な物語りの可能性が開けてくるのかもしれません。その不思議な世界にまで一人で生身の個人として降りていけるかどうか・・・援助やら、カウンセリングやらを学びたい人はしつかりと自分と向き合ってくださいねー、学びの扉はいつも開かれてますからねー先日のメンズカウンセリング講座の最終セッション、グループワーク実践での一こま、感情を表現する言葉、の書き込まれたホワイトボード・・・たくさん出ました。
2013/05/07
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昨日はメンカン講座第二講を無事終了。午前のセッションは男性支援に関わっている協会会員と私が男性支援について対談するというもの。男性支援についてなかなか外では聴けない現場の裏話のようなものもたっぷりと話させて頂きました。下手なテレビ番組よりよほど興味深いかな。午後からは私の講義「カウンセリングに必要なもの」と言う事で、精神分析・ユング心理学についてさっと説明しました。さらに、ナラティブやメンズについても説明しました。その後は、ロールプレイを二回。実践的な相談、それはコンサルから精神分析、認知療法、ナラティブなど、様々なスキルを併用していくと言うもの、その疑似風景を観察して頂きました。そのセッションの後はDV支援についてのフリートーク・・・といっても私がファシリを努めて、場の安全や安心を確保するように計らいました。当事者の語らいも含め、DV支援の薄さ、矛盾等もいろんな話しが語られました。最後の夜のセッションは、テルさんがファシリをしてくれて、ボディーワークも含め、いろんなワークを行いました。人間知恵の輪もするするとほどけて、気持ちよくできました。とても中身の濃い1日でした。こんなに学びの多い(と私は自負してるけど)講座なんだけれど、世の価値観とは異なるから、なかなか世間には伝わらないのが残念。対人支援を目指す人、魂のカウンセリングを目指したい人、ぜひ第三講にはご参加くださいね。八月四日ですよー。講義は認知行動療法からナラティブあたりを話すつもり。実践的なカウンセリングもさらに深めたいと思います。
2013/05/05
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先日なにげなくDVDを見たけれど、それはラフマニノフの半生をモチーフにした映画でした。彼の幼年期からアメリカで成功を収めつつも、妻との葛藤を乗り越えていくまでの歴史をライラックの花を媒体にしてドラマが進みます。そのラフマニノフの作品で以前私が持ってたレコード「ロスティスラフ王子」が紛失していました。確か「ザ・ロック」と裏表で録音されていました。私のお気に入りのレコードだったけれど、いくら探しても出てきませんでした・・・・嗚呼。映画を見てその失われたレコードがなにやら気になって仕方ありません。で一昨日ネットで何気なく見てたら、CDで一枚ロスティスラフ王子が売りにだされていました。おもわず、ポチっとしてしまいました。で、今日そのCDが届いたと言う訳。後は「ザ・ロック」です。ラフマニノフは私の好きな作曲家の一人ですが、彼の甘い旋律は私の青かった青春時代に何やら虚しいときめきを奏でて仕方ありませんでした。ラフマニノフ自身は線が細く、対人関係もうまくない、そんなキャラだったようです。ラフマニノフに刺激されつつも、それから数十年経た今の私は、ラフマニノフに虚しいときめきではなく、私の中に湧いてくる絶える事なき甘く柔らかなときめきを感じます。ラフマニノフがライラックの香りにいつも惹かれていたように。ほんと人が成長する事の意味をしみじみと感じます。様々な困難がありつつも、彼が終世彼であったように、今、私もまた日々、私の人生が終わるまで私でいられたらと思います。もちろんそれは私も成長し続けながら・・・と言う事ですが。そんな私の日々・・・明日は、メンズカウンセリング講座第二講、内容は先日お知らせした通り。今レジメもできあがったし。そしてこれから晩ご飯を作って・・・今夜はゆっくり眠ることにしますぅ。
2013/05/04
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昨夜は京都の山奥百井キャンプ場で星空キャンプでした。アプローチはハイエースで。比較的近くなので移動は1時間半程度で現地に。百井青少年村キャンプ場早速テント設営です。お昼は簡単中華風パンでスープ散歩で見つけた苔ニ種晩ご飯は リゾット、 クリームシチュー、カレイのフライ 完食でーす。キャンプの命、キャンプファイヤー・・・で何時間も・・・・朝食はハムエッグにみそ汁、ご飯です。片付けの後は元気に撤収です。今回のキャンプも、吹雪の比叡山ほどではないけれど、気温三度まで下がって、けっこう寒い夜でした。その分、夜空は町の灯りの照り返しもなく、星が賑やかなくらいに瞬いていました。こんな星空も久しぶり・・・のキャンプでした。おとなり家族キャンパーは、定番のバーベキューででっかい肉を焼いてましたが、バカ話で笑い声ばかりのこちらのキャンプに驚いたかも・・
2013/05/04
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今日は憲法記念日。安倍ちんは憲法を変えたくてウズウズしているみたい。そのためにはまず96条を変えて、本丸の九条を落としたいと言う事でしょう。もちろん、戦争放棄をやめて、戦争のできる国にしたいからに他なりませんが。困ったもんだ・・こんな人が政治のトップになってるなんて。やっぱし「国民はその資質にふさわしい王を選ぶ」のかなあ。憲法は国民が守るのではなくて、国民が権力に対して押し付けてるもので、守らなくちゃならないのは政府です。そんな憲法はやだー、ケンカしたいよー、とだだをこねてる安倍ちんを、はいはいお山の大将だよーと首相にさせたのは国民と言えなくもありません。七十年前の轍をまた踏むのかなあ。ほんとおめでたい国民だからなあ。自分の頭で考えない、力の強い人が好き、寄らば大樹、お上は正義、こんな意識の強い人たちだから、まあ思想統制も簡単です。一人一人の命(あなたの家族)を守りたければ、自分の頭で考える事ですよねえ。テレビや新聞に惑わされてはいけません。ましてやエライセンセ方を信じてはいけません。国民が権力に押し付けている憲法ですから、権力が国民に押し付けるものにしてしまったら、日本国民はもうおしまいですよー。
2013/05/03
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今度の日曜のメンズカウンセリング講座は以下の内容(予定)になっています。興味のある方ぜひご参加くださいね。心理学やカウンセリング、対人援助に携わっておられる方、興味のある方一般参加歓迎ですので、お気軽にご参加ください。参加費は1日五千円ていどです。メンズカウンセリング講座 第二講 2013年5月5日〜 ひと・まち交流館京都 主催 メンズカウンセリング協会 プログラム (予定) 9:15 開場 受付 9:30 対談 援助とジェンダー (2) 川島 味沢 男性相談にみる ジェンダーバイアスと家族問題 11:30 昼休憩 12:30 講義 カウンセリングに求められるもの 味沢 (ロールプレイを含む) 14:30 休憩 14:40 フリートーク DV法に基づく支援の現状と限界 16:40 休憩 18:00 グループワーク実践 (交流タイム) 野入 20:30 修了
2013/05/02
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今日もちょーハードな1日でした。朝は八月のメンズカウンセリング講座の会場確保のための抽選会に出かけました。幸い、問題もなく会場確保ができました。ラッキー♪昼からは、カウンセリングが・・・なんと夜まで連続五件のカウンセリングとなりました。延々八時間ほどお話を聴き続けるのは私としてもはじめての事だけれど、特に疲れるとか、苦しいとかもなくたんたんと・・というより、来談者の心に寄り添うことで得られる私なりの満足があります。来談者一人では歩くのも難しい険しい山道を私が一緒に歩く事で、なんとか乗り越えてやがて一人で歩いてくれるようになります。共に歩く事自体、私には辛い事ではないので、何時間カウンセリングを行ってても疲れると言う事にはならないのでしょう。ところで、明日の夜は依存症当事者のセルフヘルプミーティング「フリークス」です。どんな話しになるのかな。楽しみ楽しみ。お昼は、メンズカウンセリング講座の準備とか・・・・そうだ、今度の金曜土曜はキャンプセラピーだ。こちらの準備もしなくては・・・ああっやっぱし忙しいわ・・ふぅー
2013/05/01
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