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先日、ある方から離婚の報告を頂きました。その方との関わりはもう5年近くになるでしょうか。はじめはその方本人ではなくて、パートナーの方が先に繋がって来られたように記憶していますが・・・。以前にも「美しき離婚」ということで、あるケースを参考に書かせて頂いた事があるけれど、その方たちとは違って今回の方は子どもさんがおられました。5年前・・・下のこどもさんはまだおむつが取れてないくらいだったように記憶しています。夫婦間の対立と不信があって妻さんがあちこち相談に行ったけれど、男は変われないから離婚すべきだとの助言が多く、納得できなかつたとの事。妻さんは夫さんに変わってほしくて、私のところを紹介したらしい。で、彼が私に繋がってきたとのこと。といっても、彼はあまり自分の問題とは考えてなくて、真剣にカウンセリングやワークに来るでもなくて、ときどき電話であれこれ、気持ちをいいつのる程度でしたが・・・いつまでも変わらない夫に対して業を煮やして彼女自身が私のところに繋がって来られました。もちろん私は離婚すべきとは言いませんし、夫さんも変われるとは思いますが・・と反応した事でしょう。また夫さんの問題だけではなくて、相互の関係の問題でもあり、それぞれが問題を抱えているとも、はっきり言ったように思います。しばしば女性相談ではあなたは悪くない、すべて男性が悪い、とだけしか言わないことが多く、その言葉にすがってしまって自分と向き合う事を避ける女性が多いのではないかと思います。が、私はそれぞれの問題を解決する事はそれぞれに取って有益だとも言います。夫は変わらなくてもあなたが変われば、夫も変わるかもしれないし少なくとも関係は変えられる、と。その方は夫さんを変える事よりも自分を変えることに重きを置かれたのか、カウンセリングに時々来られたし、いろんなイベントにも来られるようになりました。その結果随分と自己成長する事ができたようで、夫さんのコントロールを受けなくなりました。パワーバランスも変わっていき、夫婦の関係も変えるべくいろいろ対話を重ね、提案もされたようです。けれど、なかなかその言葉の意味、文脈が夫さんに通じなくて、やむなく彼女が選択したのは離婚でした。けれど、離婚する事を目的とする訳ではありません。結婚生活に意味が見いだせず、むしろ離婚して完全に対等で自由な関係になれた時にいい関係になれると確信した彼女は闘わずに離婚する事を考えられていたし、私もそれぞれに修復的な離婚の意味や実際について、助言を重ねていきました。DVと言う法律や制度を使って、一方的に離婚する事は難しくありません。弁護士を雇えば離婚に向けてまっしぐら。弁護士は相手からいくらむしるかだけを考えて訴訟を進めます。使えるなら嘘でも書くし、勝つためには汚い事でもためらわずやります。当事者同士は話し合う事もないし本音や事実を擦り合せると言う事はありません。その結果、お互いが深く傷付きます。無意味な傷付きを得て勝っても負けても大金を失います。こんな離婚にしてしまうのも当事者同士はいいとして、責任のない子どもは何も知らされないまま両親が傷つけ合い、その結果引き裂かれると言う、とんでもない体験を強いられます。こんな離婚にしてほしくないので、私はお互いが充分に話し合い、離婚の意味や離婚後にどうやって子どもにお互いが関わっていくかについてしっかり話し合うように助言しました。結局、調停という場を利用はしたけれど、対話を重ね、相互理解ができたみたいで、むしり合いのような終わり方ではなく、子育てをどうしていくか生活をどうしていくか、その辺りについて相互に納得できたようで、調停での離婚が成立したようです。はじめは離婚を渋ってた彼も、特に自分に取っても酷い状況ではないと理解できたのか、比較的すんなりと応じてくれたようです。調停の終わった日の夜に、家族みんなで食事に出かけたとのこと。久々に両親がにこやかに乾杯しながら食事しているのをともにした子どもたち・・安心して楽しそうだったとの事。これからは、子どもたちはパパの家とママの家と、行ったり来たり、時にはみんなで食事したりドライブしたりもありそな雰囲気。子どもにあわせるのあわせないのといつまでも争い続ける夫婦の間で辛い思いをする子どもたちも少なくありません。むしろそんな子どもたちのほうが多いのも事実。まったく親に会えなくなつてしまう子どもも少なくないのもまた日本の現実。こんな辛い離婚にしてほしくないし、かといって暴力や不信の中でいがみ合って家族するのも無意味。対立や不信の原因をそれぞれが自分の問題として向き合い、夫婦の関係を変えそれぞれの適正距離を見いだしていく事で、居心地のいい家族になるのではないかと思います。離婚もその選択肢のひとつ。闘わない、修復的離婚です。このご夫婦、ほんとにそれぞれが長い間努力を続けてくださいました。よく辛抱された事と思います。5年間の間、諦めず、少しずつかたちを変えていけたんだろうと思います。ささやかながら、この5年間お二人と子どもたちを見守り、お手伝いさせて頂けた私もうれしくその報告をきかせて頂きました。もちろん、これからもそれぞれのお手伝いを続けていけたらと思っています。離婚が必ずしも不幸ではないし、闘うものでもないということ、法律や制度の問題も大きいけれど、適切な支援があれば傷付かない、相互成長のための離婚も可能であると言う事・・・みんなに伝えたくて・・。参考までに・・Kネットメールニュースの記事に以下のような一文が・・やはりねえ。日本のフェミニストにもほんとわかってほしいものです。私の援助は女性のためになるものだってこと・・・ 全米女性機構の前の代表である Karen DeCrow 氏は、同機構の古くからの主張とは異なって、次のように述べた。「もし、家庭に離婚がもたらされるのであれば、私は、共同養育を原則的に採用することを熱心に勧める。共同養育は、男性や子どもに対して公正であるばかりでなく、女性にとっても最良の選択である。私は、25年以上にわたるフェミニズム活動を通じて、女性の権利や義務を観察してきたのであるが、私が得た結論は、共同養育は女性にとっても素晴らしいものであり、女性にも教育・訓練・仕事・キャリア・職業・レジャーをする時間を提供するということである」。
2013/10/31
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昨日は塩漬けにしたナスを芥子漬けにしました。芥子漬けは本来麹漬けの一種で、麹で漬け込むのですが、これでは手間ひまかかるので、私は簡単に手抜きでそれらしきものを作ります。五十年ほど昔に私の祖母が年に一度松茸狩りにやってくる孫である私に食べさせてくれたのが茄子の芥子漬けでした。あの頃の味・・・今となってはその味かどうかはっきりしてないけれど・・なんとなく記憶に残っているその味を元に作ってみました。それでも、ーんおいしーい・・・と満足な私です。ナスを一キロ半ほど使って作った辛子漬け・・たくさんできました。実際にはこんな感じなんだけれど・・・それにしても、半世紀前の私の体験・・・母の実家に訪れての田舎体験・・・も、それなりに私にいろんな影響を与えてくれていたように思います。電化製品は一切なく、炊事も風呂も薪を燃料とし、子どもたちもその手伝いをした、それらの体験は、今となってはとても貴重な体験だったように思います。ライフラインと言われる生活基盤に依存しきっている現代人だけれど、それらに依存しない生活体験があるのとないのとでは、危機状況にたいする不安の程度は随分違うのかもしれませんね。私はライフラインが破綻した時、生活が立ち行かなくなる事に対する不安はあまりありません。日々の暮らしを手作りするって一見非効率みたいだけれど、大きな安全保障のような気もします。何でもかんでもお金で便利な暮らしを維持していたらいざという時は怖いだろうなあ・・・
2013/10/31
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あれやこれやたくさんの種を蒔くけがれなき心と言う新たな地表に種を蒔く光と水を受けて種は芽吹き葉を茂らせ日照りや嵐もあるけれど・・たくさんの種が蒔かれてるからやがて赤い花、白い花、様々に咲き誇る時も・・・花の後の豊かな実りに・・・・心満たされ・・・だから・・・・不安の種だけ蒔くのはやめて・・ ・・・・悲しみの種だけ蒔くのはやめて・・ ・・・・憎しみの種だけ蒔くのはやめて・・・不安や悲しみや憎しみだけを心に育てても、それを刈り取るのは辛いからできるならば、喜びや信頼や感謝や・・・様々な心の種を蒔きたいもの・・・その種が様々に花開き・・・実り・・・やがて・・また種となり・・風や鳥に運ばれて新たな地表に芽吹くから・・そんな種蒔く人になれるなら・・・・・・
2013/10/30
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先日、男の料理教室のお友達が・・・私の大好きなかすがいのピーナツチョコを届けてくださいました。私が毎日のように通う安物スーパーGS御陵店には以前置いてたかすがいのピーチョコがずっと欠品のままだったんで、そのお友達が気をきかしてくれたもの・・・ああっありがたいっ・・・とはいうものの・・今、ダイエット中じゃー・・どうしてくれるぅーとかなんとか言ってたら、GS御陵店にも昨日そのかすがいピーチョコが山積みに・・あああっ・・あかん・・あかんぞー・・・・つい手が出て、買ってしまいましたとさ・・ああっ甘いもの依存だー
2013/10/30
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このところ野菜が高騰してて、少々困ってます。冷凍物とかはあるけれど、葉ものはやはりフレッシュがいいしね。で、先日、特売品で日焼けした傷物のナスが半額以下で売られてたので、大袋を三袋も買っちゃいました。ナスの芥子漬けにしようと思っての大量購入。全部で二キロ以上のナスでした。二袋分をカットして塩漬けにしました。残りは、久々にナスのはさみ揚げに♪ミンチに調味料スパイスつなぎ等を加えてナスで挟んで天ぷらにしました。やはりナスは油に合いますねえ。ただ、油だけに食べ過ぎは禁物・・・と言いながら、大量に作ってしまいました。八人分くらい作ってしまいました。誰が食べるんだーやはり・・・・うまーいナスのはさみ揚げ・・・・写真は出来上がりの一部です。
2013/10/29
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今朝の京都新聞の連載コラム「心身一如」に佐藤努が筆を執っていて、セラピーに関わる語源を解説してくれてました。私が妙に納得したのは「セラピー」と言う言葉です。私はセラピーと言う言葉が嫌いではないし、自分の事をセラピストと表現もします。けれどこの言葉は日本語では「治療」と訳されて使われます。私はこの治療が好きではありません。この矛盾がいつも少々気がかりでした。以前、虐待防止学会で虐待防止業界では大先生と言われる方が、虐待する親をどうやって治療構造に乗せるか、という議論をしていました。私はムカついて「治療治療というな」と発言した事があります。もちろん発言は許可を得手の事です。治療というイメージは病気を抱える患者と病気を治す医者という権力構造を意味するように思えて、私の価値観にはそぐいません。私の理想とする医者と患者の関係はともにありともに育ち合う関係でしかありません。こんな私がいつもは目にもとめないコラムに目が止まったのも何かシンクロするものがあったのかもしれません。その言葉セラピーなんですが、コラムではセラピーは「召使いとして仕え、世話をすること」であり「心身を温める」こととの語源だとのこと。さらに、ホスピタルは「心からもてなす宿泊所」との事。医者(フィジィシャン)とは「自然を学んだ人」あるいは「自然治癒力を支える人」であり、佐藤は「医者は科学(エビデンス)を信じる宗教家になってはいけない」とも続けます。最後に彼は「ナースログ」の言葉も引用しています。死と再生の命の連鎖の中に私たちの存在がある訳で、すべてに意味があると言う事でしょう。私が直感的に選択してきた援助の基本がこれらの言葉に込められているようです。現代では当然の医療を巡る価値観に対する違和感や抵抗を表現し続けた私ですが、私の直感の意味やその形である日々の援助実践に更なる確信を得られました。佐藤氏に感謝です。これからは私は違和感を感じる事なくセラピストとと自身の事を語れると思います。
2013/10/29
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少し冷え込んだ朝でしたが、急ぎの仕事もなかったので、のびのびになってた庭木の剪定をしました。植えて七年で四メートルほどに育ったクレストの上1.5メートルほどをのこぎりでカットしました。これで、来年は日陰になってたレモンもたくさん実るだろうし、キンモクセイもたくさん薫ってくれるでしょう。他にも伸びて高くなった酔芙蓉もカットしました。それに、稲刈り後ほっといた稲束を脱穀してみました。五十センチ四方の発砲スチロールの水田?からの収量がモミとして280g。あとはこれを籾スリしなければ玄米として食べる事はできません。さてモミすりをどうしましょう。ちなみに脱穀は割り箸で挟んでモミをはずすという実に原始的な方法で行いました。千把扱きが普及する以前は農家の主婦の仕事だったとか・・・。さて、これから、カウンセリングが一件あるだけで・・・・来週11月3日のメンカン講座の準備をする事にしましょう。四回の連続講座の最終講、メンズカウンセリング実践。権威や知識と言った専門家の有する権力性を排除し、当事者と同じ視点で当事者の悩みに寄り添い、且つ、当事者の求める様々なニーズに応えていくと言う、メンズカウンセリング。今度もまた、当事者の語り学びの素材としながら、一人一人が自身の当事者性と向き合いともに育ち合えたらと思います。興味のある方、飛び入り参加も大歓迎ですので、お気軽にご参加くださいねー。
2013/10/28
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今日の男の料理教室は中華ちまき、豆腐の春巻き、春雨スープ、海草サラダ、アップルパイでした。ギャラリーの女性は、口は出しても手は出しません。メニューは野菜たっぷりのヘルシーメニュー。それぞれごま油が香ばしく、くどくなくてさっぱりと。中華料理は油が多く使われますが、肉気を減らしてごま油や菜種油などの中質油を使えば、重くならずしかもヘルシー。アップルパイは手作りに限ります。生地はバターがたっぷりだし、リンゴもたっぷり入ってますから、おいしいのは当たり前と言えば当たり前。女性のギャラリーの前でも手際よく調理がすすみます。女性自身も作った事のないメニューが目の前で男の手で出来上がっていくのを見るのはけっこう面白いようです。中華ちまきは竹の皮ではなく、お手軽なアルミフォイルで包みました。サクサクパイ生地としっとりりんごとスポンジ生地の絶妙なコンビネーション・・・・・もちろん調理だけでなく、お喋りも楽しく、後片付けもしっかりできる男たち・・こんないい男たちばかりなら、世界は平和になるのにねえ。DV男でもでなくても、男はこんなに変われるんですよねえ・・嘘だと思うんなら、来てみてください(笑)
2013/10/27
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今日はこれからレターカウンセリングの研修だけれど、時間変更の案内が不十分だったのか、午前中に来られた方もおられて、楽しくお喋り・・・午後からは欠席の連絡の方もいて・・・何人参加されるやら・・まあ人数少なくても、中身の濃い研修を楽しめたらいいな、と思います。その研修の後は、夕方から男の料理教室・・・男数人で作るのは中華ちまき、豆腐の春巻き、アップルパイ等等・・それをゲストの女性が実演を見学しつつ、出来上がりを頂くと言う、世にも不思議な料理教室です。さてさて、どうなる事やら、また後で報告しますねー。♪
2013/10/27
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今朝は台風もほとんど影響はなく、曇天で多少肌寒い程度、仕事をキャンセルするほどでもなかったけれど、後の祭り。この仕事はあらためて日延べさせて頂けるようお願いしておきました。ということで、時間はたっぷりできたので、久々にランニング。疎水べりはコースが荒れてるだろうから、前回同様山科川どての遊歩道を走りました。距離は前回より少し伸ばして17キロ。終盤、15キロほどあたりから筋肉がぴくぴく痛み始め、ケイレンを起こすほどではないけれど、走りづらくなりました。途中ほとんど補給も不要で、井村屋の小豆バーアイスをかじりながら走りました。ほんとはスーパーカップを食べたかったけれど、走りながらでは食べられないし、落ち着いて食べるには時間が気になるし・・・。あまり汗もかかなかったので水分補給はしなかったけれど、それで筋肉が痛んだのかもしれません。疎水コースとちがってこちらのコースではキンモクセイがまだまだ花盛りで、とてもいい香りを楽しみながら走る事ができました。が他にはあまり花らしい花もなくて、あまりパシャパシャしながら休むこともなく、たんたんと走りました。白のクリスマスローズかなシモツケ草走ってる途中に携帯が鳴って、カウンセリング依頼が二件。ランニングから帰ってシャワーして、カウンセリングでした。そうそう、先日届いた日経サイエンスに「食欲の暴走」なる記事がありました。過食と肥満の心理的メカニズムについて考察している論文です。結論から言えば、過食は薬物等の依存と同じく、報酬系の感受性鈍麻から飢餓感が強まり、食べても食べても満足できない悪循環に陥ってる状況で、食べてる時もさほど満足を感じている訳ではないということらしい。本来なら、血糖があがるとか、満腹中枢が刺激されることで報酬系が刺激されて、満足感と多幸感が沸き、飢餓感を感じなくなってしばらく食欲が無くなるのだけれど、慢性的に血糖が高いとか満腹中枢が刺激されていると、報酬系の感受性が鈍麻し、満足感を感じなくなって常に食欲だけが発動する状況になって悪循環になるとの事。これは、人類の歴史が常に飽食が許されるという体験を持たないからだということで、人は常に飢餓状況の中でサバイバルする事を最優先に進化してきたからだろうというもの。この論理は私が常々感じているのと同じで、よくわかります。で、食欲に限らず依存行為に対する対処法は依存を断つのではなく、依存をよりヘルシーなものにシフトするというもの。過食に対してはたっぷり食べた後、食欲以外で快感を感じるものを楽しんで、食欲以外の刺激で報酬系を満たすと言うもの。要は心の飢餓感を満たすあれやこれやをあてがって食欲の依存回路を薄めていくと言う事でしょうか。ということはやっぱり、人間はあれやこれ楽しみや喜びをたくさん持ってる方がよりヘルシーで依存を必要としないということかな。依存はいけない、依存は断つべきだ、依存は病気だ、などのネガティブなメッセージはより心理的な不安や葛藤を増大させるので、却って依存が深まってしまうのではないか、というのが私の判断です。ほんと人の心は難しい、パラドックスに満ちていますよね。正しい事は正しくない・・・これが結論でしょうか。なんか量子論に似てますよねえ。量子心理学、エラい学者さんが誰にでもわかるよう理論化してくれないかなあ。
2013/10/26
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先日、マイナーなシネマ「トランス」を見てきました。名画オークションの係員が盗難事件に巻き込まれて犯人に殴られ記憶を失ってしまうところから映画は始まります。盗んだはずの名画が無くなっていたのを知った犯人たちはその係員から名画の行方を聞き出そうとするのですが・・・・結局拷問でも聞き出せないので、記憶回復のための催眠療法師に委ねる事になります。そのセラピーで回復するのが真実の記憶なのか、セラピーで植え込まれた疑似記憶なのか、本人も映画の観客も判然としないまま、事態が進展していくのですが・・・・自分の真実を知っていく事がいかに残酷な事であるか・・・そういう映画は以前もありましたが、たしか「メメント」とか言ったかな、15分しか記憶が残らない傷害を持った男が、過去の記憶を取り戻そうとするのですが・・・私たちは過酷な体験をすると、記憶を隠蔽して、日常の心理機能を防衛する機能があります。病的な状況であればそれは乖離と言う状況や記憶喪失、ということになるし、病的でもなくても忘却という機能もあります。けれど、それらの機能で無意識に隠蔽した記憶でも、似たような状況に遭遇するとフラッシュバックして心を混乱させてしまいます。ですから、記憶を隠蔽するのではなく、記憶をよみがえらせ体験の新たな意味を付与し、人生の物語りの一ページに加えて痛みを感じなくて済むようにすることで、本質的な解決になります。これが記憶回復療法の本質的な機能なんですが、隠蔽していた記憶が復活した時にその痛みを終わらせ新たな意味を付与する受け皿がないところだと、再受傷するという二次被害が起こったりもします。また、本来体験していない疑似記憶を真実の記憶と思い込んで、不必要な受傷をしてしまうという被害も起こります。このあたりは「ジュディス・ハーマン」の記憶回復療法がいかに危険で有害なものだったかを解説した「危ない精神分析」なる著書に詳しく述べられています。私たちの人格は体験と記憶の積み重ねで構成されています。過去の事実は変えられないと言う現実の中で、記憶を捨てる、あるいは隠蔽するという自然の防衛システムでは、人生をよりよいモノにできない場合も出てきます。ここに求められるのが、体験を追体験し新たな意味付けによる再統合を行う事でしょうか。過去を穿り出すだけで、新たな意味付けができなかったり、逆により過酷な意味付けを付与しては、セラピーどころか暴力的支配になりかねません。セラピストに求められるのがクライアントのどんな過酷な体験であれ、その体験を自己決定に基づいた愛や信頼、和解や共感に満ちた物語りの一ページに書き変えさせる事のできる能力です。セラピスト自身が癒されていなかったり、問題を隠蔽していたり、愛や信頼に満たされていなかったりした場合、自身の問題をクライアントに投影し、クライアントを巻き込んで二次被害を与えてしまいかねません。今のDV支援が必ずしも被害者が癒されるモノではない残念な事になっているのもそう言う事なんだろうと思います。セラピスト自身が自分の人生の総括を行い、自己一致できているかどうか・・・ですよね。私?・・・私もほんといろいろありました。例の理不尽な訴訟に関しても、それを私の学びや成長の糧として、意味付けられていますから、今は特に損したとか考えたくもないとか言うことはなくて、いつでも誰にでも語れる大切なエピソードにできています。世界をどう読みとくか・・・怒りと憎しみに囚われ、不信や妄想、裏切りで人生を物語るのはあまりに哀しいですし、クライアントにそんな世界から別の世界に至る道を提示できたらと思います。そのためにも、私は日々の体験を意味あるものとして積み重ね、記憶していきたいと思うこのごろ・・・シネマ「トランス」はそんな事を考えさせてくれましたとさ。
2013/10/25
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なんか今年は台風が多いですねえ。仕事と重なる事も多いです。先月も岡山行きが一度流れたし、延期したその日もヤバかったし。今回も明後日、大阪で小さいイベントが予定されてたけれど、台風と重なりそうなのでキャンセルとさせて頂きました。ほんと久々のイベントだったので、残念だし、予定してくださった方には、ほんと申し訳ないけれど・・・荷物持っての移動はかなりハイリスクなので、やむなく中止とさせて頂きました。今夜はセンターで男の非暴力グループワークがあるけれど、みなさん来れそかな・・このところ皆さん忙しいのか、お休みの方が多くて、少しもったいなくも感じています。参加頂いてた男の方達、遅くなってもかまわないので、ぜひご参加くださいね。さすがに日曜は台風も過ぎてるだろうから、メンズクッキングは予定通り行います。今回のメニューは中華ちまきに、豆腐春巻き、アップルパイ等・・そうそう、アップルパイを作るのに、リンゴを買ったけれど、少し買いすぎたようです。どうしましょ
2013/10/24
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今日は先日近くの公園で拾ってきたシイのみをフライパンで煎って食べてみました。拾ったままのシイの実フライパンで煎ってみるとけっこういい感じ。栗と干し芋をミックスして少し乾燥させて堅くした感じでした。このシイの実はマテバシイの実です。ドングリよりもはるかに渋味は少なく、アク抜きしなくても食べられます。ドングリやトチの実はアクが強いのでアク抜きしないとおいしく食べられません。もちろんシカやイノシシはアクの強いドングリでも平気で食べますが・・・。現代は飽食の時代、よりおいしいモノを選んで食べる事ができますが、食べたいモノをいくらでも食べられるようになったのは、歴史で言えばつい最近の事。半世紀前までは、庶民はおいしいモノはスペシャルな日にしか食べられませんでした。飢饉の時はドングリやトチなどの木の実や、彼岸花の球根等、アクや毒を抜いて食べることで餓えを凌いで生き延びてきた事でしょう。もちろん、今でも毎日自由に食事ができない人達も何億人もいる事と思います。その人たちがどうやって生き延びているのか、忘れてはならないと自戒する私。そんな私、シイの実を食べてみる事で、歴史の厚さ、自然の豊かさを感じましたとさ。
2013/10/23
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空も海も森も魚も・・・ひとつひとつに言葉がよりそいその言葉で私たちは世界を理解し世界を感じ世界を思い世界を創る世界も人の心も言葉でできていてあなたの心を作る言葉は何?喜び・・不安・・・悲しみ・・・希望・・・祈り憎しみ・・・怒り・・・愛・・・信頼・・・平和孤独・・・共感・・・友情・・・疑いそれらの言葉があなたの心に降り積もりそれらの言葉があなたを作り、あなたの世界を作るからあなたがあなたを変えたいなら、心に宿った言葉たちとあたなが対話することであなたの心も変わるからあなたが世界に求めれば、新たな言葉も訪れるから・・あなたの言葉が変わるとき、あなたの世界もきっと変わるchange your wards change your warld
2013/10/22
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今日は久々のお散歩セラピー。天気も良くて爽やかな疎水公園のお散歩でした。対人不安を和らげたりその原因の認知を修正するにはカウンセリングだけでは難しい場合もありますし、それには行動療法も有効だと思います・・・・・と言う訳で、お喋りしながらのお散歩。私も秋の風景を楽しませて頂きました。秋空に映える紅葉したハナミズキの葉と実開き始めたススキの穂疎水公園の広場季節外れに開花した桜たぶんお茶の花オキザリス何の花でしょ野菊かなホトトギスコース終点にあるリサイクルショップで買ったジーンズ300円お散歩の後はみんなでお昼ご飯お散歩セラピーでは、特に私が何かすると言う事もなく、お喋りしながらのお散歩ですが、不安を抱える当事者にとっては、それなりに緊張するもので、慣れる事で少しずつその緊張を取り除いていく事をめざしています。他人がどうであろうと、状況がどうであろうと、私は私と、あるがままでいられる日常を感じてほしいと期待しています。そのために、セラピーでは私が状況の中でどのように振る舞っているのか(フツーに散歩しているだけですが)を見て、モデリングしてもらいたいと思っています。怖そうな人がいたり、怖そうな犬がいたり、変な視線を送ってくる人がいたり、クラクションを鳴らす車がいたり・・・どんな状況でも、平然と歩き、フツーにお喋りする私がいる事で、クライアントも安心してお散歩ができると言うもの。お散歩の後にも、視線も評価も気にせず、ただ、安心しておいしいねって言いあいながら食事する事、それはただの日常の行為だけれど、不安に苛まれる人たちに取ってはとても、貴重な体験です。クライアントの方達が子どもの頃、多くの大人たちが、その子どもの心に不安の呪いをかけてしまっています。その呪いは何十年もその人の心の成長を阻み、苦しめます。その呪いを解くのが私の仕事・・・お散歩セラピーで少しずつ呪いが解けていけたらいいな。
2013/10/22
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先日のカウンセリングでは、問題を抱えた家族にどう対応するか、ということについて来談者と語り合っていました。思い通りにならない家族に困り果てて、私のところに繋がってくる方も少なくありません。はじめは家族や親戚、友人、上司などに相談を持ちかけるけれど、ますますこじれていくばかりで、やむなく、公的機関や民間の支援施設に行く事になります。当初は、ふんふんと聴いてくれる相談員もどうしたらいいですかとの問いに、「どうしたらいいですかねえ」と暖簾に腕押しのような、ほとんど無意味な対話になってしまいます。せいぜい常識的な時には的外れな返答がかえって来て、それくらいわかってる、と言いたくなる気持ちを抑えてると、では、専門の機関をご紹介しますから、と、よそに振られてしまいます。結局どこに行ってもたらい回しにされたという気持ちになってしまう方も少なくありません。これは日本に人権とか援助という概念が薄いという文化的な背景の問題もありますし、縦割りややわばり意識、官民意識などの強い、行政の構造的な問題もあります。この問題を解決するために、様々な援助者が分野を超えてひとつの事例を共有するカンファレンスのシステムを作ったり、組織そのものを複合的な支援を提供できるものにし、ワンストップで問題解決にあたれるようにしていくと言う考えが世界的な流れになっているようです。要するに援助者の考える支援から当事者の求める支援にパラダイムシフトが起こっていったと言う事でしょう。もちろん私も、現場で当事者の求める援助を模索していくとやはり複合的な支援に行き着いて今に至る訳です。けれど、私には当たり前の考え方ですが、日本の常識、慣例からはあり得ない事ですから、当事者の当事者による当事者のための支援なんて夢物語にしか思えないのでしょう。で、私は当事者としての体験を持ちながらも回復した者として渦中のクライアントに寄り添いつつ援助を提供していきます。先日の方も、その家族には暴力や発達傷害という問題があって、これまで様々なところに関わってきたけれど、問題は変遷しつつも、根本的には何も解決しないということで困り果てておられました。私はその家族の問題ではなく、来談者自身の問題ととらえる価値観について検証し「問題を問題とする」すなわち、問題を問題と思うのはなぜか、その辺りから対話を進めていきます。多くの方は、自分が思考の枠組みの中で思考している事に気づいていません。そこには善悪とか常識とか、正誤とか、上下とか、性役割意識とか、様々な無意識にしみ込んだ思考の枠組みがあります。私は、クライアントがその枠組みを一旦解体して、状況を別の視点、別の枠組みから再構築していくと言う事のお手伝いをする事になります。その時にとても重要なのが、当事者の視点でしょうか。発達障害や、暴力や、依存について、偉い先生方の分析についていくら聴かされても当事者はなかなか納得できないと言う事が多々あるのも当然で、ではどうするのか、という答えがないからでしょう。少なくとも私は私の体験を語ることは可能です。LDで、暴力的に自己防衛してた私がどうやって非暴力的な行動を獲得したのか、アルコール依存からどうやって脱却したのか、それを語ることは当事者に対する説教にはなりません。ある意味可能性の提示であって、混乱の渦中にいる当事者に取ってかすかながらも希望にもなり得ます。多くの当事者に取って、医療も行政も警察も司法も、ほとんど役には立たなかったという体験はよくある事で、ある意味私自身もその体験を共有していますから、同じ価値観で語り合う事が可能です。司法に正義はないとか、弁護士は人権よりも利益を優先するとか、警察は困った時には動いてくれないとか、当事者になってはじめて理解する現実があります。この現実理解を私はクライアントと共有します。日本の司法は腐ってる、正義はない、と私が語ることで、当事者は随分と気持ちが楽になる事も少なくありません。私は単にお題目でそれを語るのではなく、私の体験を語ることになりますから、説得力はあるようです。また、対話するだけではなく、クライアントやその家族が社会の中で生き抜いていく知識なりスキルを獲得できるよう、あの手この手でサポートしていく訳です。もちろんその時に他人事ではなく当事者目線ははずす事はできません。物語りを紡ぐ共著者としてのスタンスを失わないように自戒しています。とは言うものの、私に過度に依存して却って自立を難しくするとか、私の援助が破綻する事になっては、援助が無意味になってしまいます。話しは少し変わりますが、先ほど、シェルター利用の問い合わせがありました。様々な背景や状況などを聞き取って、それでもなおシェルター利用が不可欠なのか、その方の問題はシェルター利用で解決するのか、など、判断させてもらうと説明させて頂きました。センターのシェルタールーム以前、こちらの同意無くして家族から逃げて来られた方がおられて、仕事の事お金の事、解決のめどもなくただ家では生活できないとのことでお金もなく、逃げて来られたようでした。やむなく、玄関で追い返す事もできず、当面シェルターで保護したものの、なかなか仕事につく事もできず十日ほど後に突然無断で出奔されました。以降何の連絡もありません。実際、こんな方が何人かおられたので、シェルター利用に関しては、身柄の安全や経費の担保を確認してからでないと利用はお断りさせて頂いています。私と当事者との相互信頼と協力関係ができないと、生活を支援するシェルター利用は難しいモノがあります。行政のシェルターや行政の補助を受けている被害者シェルターとは大きく違うところかもしれません。けれど、だからこそ当事者の回復や自立には却って有効なのかもしれません。
2013/10/21
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家族再生センターは三階一戸建ての民家を使っています。ですから、利用者の方に自宅ですかとたまに訊かれる事もあります。けれど、事務所は自宅に使っている訳ではありませんし、また、グルナイ等でいろんな家族がセンターを利用されますが、私の家族が出入りする事はあまりありません。それに私はこのブログでも家族の事を書く事はほとんどありません。対幻想や家族幻想のきつい人は、私の家族について理解できない事から、私が家族を閉じ込めて蹂躙しているようなイメージを持つ事もあるような気がします。ずっと以前、私が自身の体験をミニコミに書いた内容に刺激されたのか、私の連れ合いに「離婚すべきだ」のような電話をしてきた活動仲間もいました。この前の理不尽なセクハラ訴訟の時にも「妻や子どもに謝罪し、センターを閉鎖しなさい」とコメントした人もいました。私が家族とどう言う関係を作っているのか、まったく何も知らないのに、一方的に私の家族の事を案じての陳腐な正義感から、そのようなとんでも失礼な事をいいつのる方もおられます。ほんとに今となっては笑い話ですが。そうそう、突然マスコミが大挙してやってきて、その二時間後にはテレビ画面に大きな顔で「セクハラで訴えられてたカウンセラー」と報じられたけれど、そのニュース報道中に連れ合いから事務所に電話がかかってきて「あんたテレビに出てるで、セクハラしたんか?」とのこと。私は「してへんしてへん、帰って説明するわ」と答えました。自宅に帰ると連れ合いは「裁判に負けたら金取られるんやろ、負けても私は金だせへんしな」と私に言ってきました。「やってもない事やから負ける事はないと思うけれどねえ」と答えときましたが・・・訴訟についてはそれだけのことでした。特に関係が変わる訳でも生活が変わる訳でもありません。判決では部分敗訴はしたけれど、損害賠償金もいろんな人の支援を頂いて、家族に迷惑をかける事もなかったし。家族に謝罪する必要もないし、センターを閉鎖する訳にも行きません。世間の人からすれば、夫がセクハラで訴えられたら、妻が離婚を申し立てるとか家族がもめて崩壊するとか、いかにもありそうな事ですからねえ。ところが私はそうはならない・・・私は結婚して35年。うっかり婚姻制度に乗っかったのはミスだったけれど、選んだ相手や家族の形について判断を間違えたつもりはありません。世間の常識に従うのではなく、それぞれの価値観を擦り合せて、最善と思われる形を維持してきたつもり。世間とは随分ことなる家族のあり方かもしれませんが、世間には理解しづらくても、私にとっても連れ合いにとっても、心地よい関係は維持できているでしょう。これが信頼関係と言うものかもしれません。今のところ、連れ合いとの関係で問題は起こってないし、たぶん、これからもこのまま行くんだろうと思います。そんな連れ合いとの関係で、私が恒例のイベントにしているのが、年に一回のウォーキング。他にも家族福祉は、日課の肩もみとか、ご飯作りとか・・。ウォーキングは、毎年長浜のツーデーマーチなるイベントに参加して一年分の一緒の散歩を一日で済ませてしまうのですが、今年はその長浜ウォークに参加できなくて、今日、比良ウォーキングに参加してきました。あいにくの雨の中、湖西線、近江舞子駅から和爾駅までの14キロのウォーキング。休憩も含めて三時間ほどで完歩。14キロと言えば、いつものランニングの距離なので、特に疲労と言う意味ではほとんど問題はありません。が歩くのと走るのと使う筋肉が違うようで、けっこう筋肉痛を感じてます。湖西線近江舞子駅スタート雨の中、少ない参加者でもペースはハイペース。白砂青松の舞子の浜・・・なんでしょうけれど、あいにく今日は・・・比良山系の権現岳はすっぽり雨雲の中。湖北の風物詩、えり漁のエリ・・・和爾駅に無事到着・・・
2013/10/20
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昨日は一日バタバタしてました。メニューを減らそかな、とも思ったけれど、あれこれ考えだすと、あれも作りたい、これも食べたい、と言う訳で、結局いつも通りの品数になってしまいました。お魚に強いスーパーに行ってみると、さんまのお刺身用が四匹で三百円、こいつは買わない訳にはいきません。で、買ってかえって即、握り寿司にしちゃいました。たくさん食べる事はダイエット中もあって控えましたが、その何個か頂いたさんまの握りのうまい事。さんまとハマチのにぎり寿司。ほんとに採算を考えたら無意味な作業ですが、自分が食べたいものを作ったり食べたりする事が楽しくて。またみんなと一緒にわいわい言いながら食べるのも楽しいもの。ほんとはどこの家庭にもこんな楽しい時間があればいいのだけれど、なかなか現代ではそれも難しいと言うもの。そう言う意味では、参加者はもちろんだけどバタバタしてる私が一番グルナイを楽しんでいるのかもしれません。昨夜も遅くまでゲストの方達の相手をしてたり、今朝は今朝で、元気な子どもたちのおもちゃになってたりして、ほんと大変と言えば大変だけれど、こんな事でも難なく楽しめる私のタフさ加減に感謝です。それにしても、あれこれ料理できる私は、安上がりの男、なんだろーなー(笑)そうそう、グルナイに集う子どもたちも、少しずつ確実に成長していきます。その成長がまぶしく心地よくて。ちっちゃいこどもも、そこそこ大きくなったこどもも、ぎゅっとしたり肩寄せたりが当たり前の関係なんだけれど、これって味ママならではの心地よさ。学校や地域の大人たちとは違う信頼し合える大人がいるってことは子どもたちにとっても、大切な事ですよね。ほんと他人のこどもとは思えない、不思議な関係も楽しめてる私、これもグルナイの楽しみ・・・・
2013/10/19
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今夜はグルメナイト。常連のゲストがお休みになりそう・・今夜は多少静かだったりして・・・(笑)メニューはいつも50品くらいそろえてるので、まあ不足はないでしょう・・今夜は少しダウンサイジングして、ちんまりしようかなあ、そのぶんお喋りして・・・ほんと、子どもたちも自由に楽しめる空間・・なんだけれど、たぶんこの子どもたちは今夜はお休みか・・・女も男も、大人もこどもも・・みんながあるがままでいられる「サンクチュアリーホーム」こんな空間でみんなが育ち合うんよね。読者のみなさんも一度覗いてみてくださいねー。お電話待ってますぅー♪
2013/10/18
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今回の岡山行きではいろんな方にお世話になったけれど、新しい出会いもいくつか・・・。そのうちの一番珍しいのがこれまこもだけというのはマコモなる植物の新芽です。写真はマコモダケとえびの天ぷらを載せた天ぷらうどん。もちろん、いろんな人たちとの出会いもありました。それぞれに感謝です。そうそう、久々に乗った新幹線。これは帰りの700系ひかり。行きはサクラでした。サクラに乗ったのは初体験。やはり新しい出会いって、ワクワクしますね。
2013/10/17
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昨日は岡山の某会社の企業研修でお喋りしてきました。一時間のメンタルケア研修を三回、そのあとは、労務相談で一時間ほど、さらに懇親会で二時間近く。その会社、昨今のぎすぎすした労働環境とは違って、実に暖かみのある人間関係を守って来られていました。人は財産と言う言葉が実践されている希有な会社のように感じました。言葉ばかりのメンタルケア研修ではなく、ほんとに社員の健康や職場環境の改善を目指しておられる思いがひしひしと伝わってきました。私に声かけしてくださった企画担当者のその勇気と先見性に感謝と脱帽です。私も拙いながら、心の健康管理について一人一人が主体的に判断し、思いや体験を分かち合い支え合う仕組みを作るポイントを話させて頂きました。今の精神医療や心理専門家に任せたらいいと言うものではないという、厳しい現実も話させて頂きました。その会社関係のお喋りの後は、岡山でメンズリブサポートを続けてくださってるTさんのうちにお邪魔して、延々と朝方近くまでお喋り。日本のメンズの歴史やら人物やらを検証するという面白い作業を続けました。なんと面白い、ここだけの話し。およそ15時間ほどのお喋りの一日でした。よくもまあ、喋り疲れないものだと我ながら感心してしまいます。(笑)
2013/10/17
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今日は岡山でお喋り。先月は台風で交通がストップしてアウト。その代替です。一時はまた台風が来ててハラハラしたけれど、新幹線のダイヤの乱れはあるものの、一応動いてるので、たまたまサクラに乗り合わせました。今日のお喋りは、職場のメンタルケアについて。最近は正規、非正規に関わらず労働者の状況が厳しく、心病む人が多く、企業としても生産性の低下に繋がりかねません。もちろん労働環境を改善することも大切ですが、職場のメンタルケアも大切です。と言う訳で、まあいろいろあるけど悩まずにやれたらいいね、という私の考えをお喋りできたらいいな、ということ。そのお喋りの後はメンズリブサポート岡山のTさんと秋の夜長の尽きぬお喋りをする予定。さてさて、どんな事になるやら・・・では、いってきます♪
2013/10/16
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昨夜は十日ぶりくらいで、バストレをしました。バスと言っても乗り物ではなくお風呂。スクワットやら腕立てやらで、ほぼ30分ほど汗を流します。10年ほど前の半分くらいの負荷にしてますが、それでも途中、脈は140近くに上がります。ジムに行けばいいのかもしけないけれど、ジムには利用料も必要だし、行くのも面倒だし・・・お風呂はその点簡単、汗もそのまま流せるし、どこかに行って着替えて、なんて手間もいりません。日曜が休みであれば、一日かけてランニングしたりあれこれトレーニングしたりも可能だけれど、最近は日曜がほぼ、仕事でふさがってるので、一日かけてトレーニングする事もできません。と言う訳で、ランニングの足りない時はバストレとなる訳です。それでも汗かいて、多少筋肉疲労を感じて、それはそれで充実しますねえ。やはり筋肉動かしてアドレナリンを活性化するのは心にもよさそな気がします。薬物でアドレナリンだのセロトニンだのをいじるよりもリスクも少ないし依存性もでないし。そうそう、昨日の会話の中でのお話、筋肉の事だったかな・・・筋肉は骨格筋だけでなく、心臓や消化管も筋肉でできています。かなり構造は違うけれど、筋肉である事に変わりありません。筋肉であれば、使えば強化されるし、使わなければ萎縮する、これが原則でしょう。心臓も使うとスポーツ心臓と言われるように肥大します。おそらく消化管も使えば強くなるし使わないと弱くなる・・・というのは私の勝手な思い込みかもしれませんが・・・昨日の話しってのは、最近、男性は胃腸が弱いよねって話しでした。私の考えですが、男性は外食が多く繊維をとらないから、胃腸が物理的な刺激を受けずに、蠕動が促されにくいというもの。柔らかいものを食べ、ビールで流し込むような状況になるから、消化のための運動を胃腸がやらなくなって、結果胃腸の筋力が落ちてるのでは?まあ、これは男性に限らず女性も同じ、現代人すべてに言える事かもしれませんね。幸い、私は昔からそう言う事を意識しているので、玄米、野菜、など繊維質をたっぷり食べるようにしてきてるせいか、胃腸もすこぶる元気です。ある意味何を食べても平気・・・胃腸が受け付けないものを食べれば即ゆるんで出してしまいますし。そうそう、先日知人に借りた本「児童相談所の怖い話」をパラパラっとめくってみましたが、表現さておき、書かれてある状況はまさにその通り・・・誰かがこういう事を書いてほしいと思ってたし、もっともっと世間に知ってほしいと思う内容です。最近は児相がらみの事例はしばらくないけれど、以前いくつかの事例ではほんと児相の問題について考えさせられました。児相と行政と家裁が連携して、私からみればとんでもない処遇を行ってて、当事者は訴える術がないということ。ある事例で、あれこれ努力した母親は結局こどもにはあえないまま永久分離となってしまいました。家裁は児相のでたらめのデータをもとに判断し、そのでたらめを照明すべく行政資料の開示請求しても、出てきたのは真っ黒の記録。虐待と言う言葉が勝手に使われて、とんでもない事が起こっていました。その不当性を訴えても立派な先生方の査問委員会ではむにゃむにゃ言うだけで、人権を守る仕組みがありますと言う立て前とは裏腹に、当事者のためには何も動かない権力構造の仕組みを目の当たりにしました。私は援助者としての無力感を感じてしまいました。幸い、その女性はまた新しい家庭を作る事ができて今はそれなりに幸せになっておられる事が私の救いですが・・・。あえなくなった子どもたちの事を思うと胸痛みます。いっときオレンジリボンキャンペーンが言われてたけれど、私はその動きには単純に協力する気持ちにはなれませんでした。というのも、以前にも書いたけれど虐待防止の専門家集団の学会が、私に言わせれば本当に虐待をなくそうと考えているようには思えなかったどころか、虐待防止といいつつ、虐待防止を言う事で仕事をしているんだなと言う現実。結局虐待が無くなって困るのは虐待防止で飯を食ってる専門家たちだということです。私も以前その学会の会員になってたけれどあまりにバカバカしいので退会しました。この構造はDV支援にも言える事で、DVが無くなって困るのはDV支援者たちということ。だから虐待やDVが無くならないような巧妙な仕組みを作り上げていると言っても言い過ぎではないでしょう。その本当のところはマスコミも報道しませんし、逆に行政のキャンペーンでイメージ操作されている世間の人たち、と言ったところでしょう。マスコミや行政、アカデミズムやら専門家やらの垂れ流す情報に惑わされず、現実をちゃんと理解し、その現実に対して冷静に判断する事ができたら、随分人生も変わっていくのではないかな、というのが私の実感。もちろんそのスタンスで援助する私ですが、それなりに有効性は確信していますし、私自身の人生もそれなりに安心で豊かなものにできていると言うのも確かです。どんな人でも、どんな状況にあっても、たぶん人は幸せになれる・・・そのためのお手伝いができればと思う私。もしお知り合いに、どこに行っても解決しない困難を抱えておられる方がおられたら・・・少し、私のことを知らせてくれると有り難いです。できるだけ、どんな事でもやっていきたい私・・・やっぱし心身ともにタフでないとね。と言う訳で、体も心も鍛え続けるのでした。
2013/10/15
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今朝は朝一で仕込みです。お菓子は昨日作ったので今日はなし。おでん、ピラフ、パスタ、の準備をしつつ・・・まあバタバタしてました。一応、時間内に懇親会のメニューはすべて作れました。昼前から総会でしたが、ほんと小さな身内ばかりの集まりでした。一応、監査も承認されたし、特に問題はなさそう。昼からは懇親会と称する食べて喋る集まりでした。総会の参加者がそのまま懇親会に続けて参加してくださいました。懇親会では、四年ほど前の講座風景のDVDを眺めてたけれど、ほんと随分遠い昔のような気もします。当時参加されてた多くの人は今はほとんどいなくなりましたが、なかなか当事者性を持って援助する事、当事者が回復して援助者になる事の難しさを感じずにいられません。援助者が当事者性を持つと言う事の難しさ・・・・、自身のプライドやらパワー依存に自己洞察がいたらない人は当事者をコントロールしてしまいますから、当事者性は持ち得ませんし。当事者は妄想したり巻き込まれたりしやすく、安定した自我を保つ事が難しいようで、四年前に立派に語ってくださった方も、その後大騒ぎとともに退かれました。さすがに、私もこれだけあれやこれや乗り越えてくると、たいていの事では驚く事もないし、不安や怒りに苛まれる事もありません。現実を受け入れ、自己洞察し、自己をどう成長させていくかということが、あまりりきまずにできるようになったのかもしれません。もちろんゴールはなくて、常に成長のための日常があるばかりです。それにしても、なんだかんだ言いながら、こうしてまた新しい年度を迎える事ができたのも、多くの人たちの理解と支援があればこそ。感謝しすぎる事はありません。今日、参加できなかった会員の皆様はもちろん、日頃から暖かく見守ってくださる方、日々この日記を読んでくださっている読者の皆さん他、多くの方達に、ありがとう・・これかもよろしくお願いします。
2013/10/14
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明日は11時から事務所で、メンズカウンセリング協会の総会です。メンズカウンセリング協会も発足から5年。当初立ち上げた時からの関係者は少なくなったけれど、組織とか運営は変わらず続いています。各種講座、認証研修会、総会、など組織の健全性、公開制を保ちつつ、活動を維持してきました。明日はその総会の日。事業報告も決算報告も特に問題はなく監査も済みましたので、後は新年度の事業計画とか予算案とかを総会で承認してもらうだけ。メンカン協会会員の皆様はお気軽にいらしてくださいねー♪総会のあとは懇親会。グルナイほどではないけれど、ささやかなバイキングでお・も・て・な・しぃー。ケーキバイキングもありまっせー。お菓子は、抹茶シフォンケーキ、かぼちゃごまタルト、シュークリームです。そうそう、近所の公園で拾ったシイの実。栗にもにてそこそこおいしく食べられましたとさ。
2013/10/13
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おはようございます。昨夜はワークの後はビジテーションセミナーを、さらにその後はカウンセリングを一件。カウンセリングの後はその方と銀座のラーメン屋で豚骨味噌ラーメンを頂きました。そのまま彼と別れて私はバス停に。このバス停についた頃は冷たい風が強くなってけっこう冷えました。体もすっかり冷えた頃、やっとバスが到着。そうそう、一昨夜のバス、高速道の事故で渋滞・・・2時間遅れで到着でした。ミニセミナー開始の時間に間に合わずに15分ほど遅刻になりました。・・・昨夜のバスは問題もなく京都に着きました。寝ぼけ眼でバスを降りて京都駅に着いてさて切符を・・・・れれ、財布がない・・・やばっ、バスの中に落とした・・・ダッシュしてバス停に・・・幸い出発ゲートの信号が赤でバスは信号待ちで止まってました。ギリギリセーフ。落としてた財布を回収して、ほっ!確かに現金としてはそんなにたくさんないし大切なカード類もないけれど、なくしたらそれなりに困りますからねえ。それにしても間に合ってよかったよかった。で、再度切符売り場に行って・・・無事早朝の電車にさて、今朝はこれからビジテーション、数年ぶりの親子の初面会・・・いい時間なるといいな・・・
2013/10/13
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昨夜のワークでも、今日のワークでも、いろんなお話し、物語りをきかせて頂いた私です。また私自身も一当事者としてもワークに参加し、語らせて頂きます。そんな私がワーク「言いたかった事」でみんなに語った事・・・・・こどもの頃の教師との葛藤やら対立、高校生頃好きだった女の子に言うべきだったけれど、カッコつけて言えなかった事、それに、突然大勢のマスコミがやってきて「セクハラ事件」が提訴された事・・私も他の参加者もワークの場で、過去の出来事についてその思いや真実を語ります。当時は語れなくて傷付いたり悔しい思いをしていた事でも、語り合う事で、楽になっていきます。その回復のためには、やはりその人の語りを真実として誠実に受けとめ共感してくれる場が回復には不可欠。私の語りもワークに参加された人たちは、理不尽な状況に対する怒りや痛みを分かち合ってくださいます。かように、私自身が癒され育つ事もごく当たり前ですし、また参加者も同じく語り合い分かち合う事で癒され、回復していきます。私が援助者としてその場に臨むとき、人生において問題もなく痛みも苦悩の体験もない人でいるより、様々な困難を体験しつつ回復してきたプロセスを持っているということはとても大切な事で、そのプロセスは途上の当事者の希望にもモデルにもなり得ます。援助者は参加者の成長や回復を自らの喜びにもできます。これはお金では変えない援助者の喜びかもしれません。少なくとも、私は当事者の回復を自らのエネルギー源にできているように思います。ほんと今日もいろいろ深い語りを頂きました。感謝に満ちて・・・・・ああっこれから夜バス修行だぁー。
2013/10/12
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今夜は女と男の非暴力ワークでした。ドーンセンターでちんまりと。テーマは「言いたかった事言ってみよう」でした。過去の体験の中で、言いたかったけれど言えないまま心の奥底にしまい込んでしまった言葉を思い出して、今みんなの前で言葉にしてみよう、というもの。みなさんいろいろ出されました。私もいくつか思い出して、お下品な言葉もためらわず(笑)するとあの頃の感情が沸々とよみがえってくるのです。これは不思議です。すっかり過去の忘れ去ったような出来事なのに、まるであの時のような感覚に戻ります。そしてあの頃の私ではない今の私があの頃の私の体験や感情を俯瞰する事になります。この作業はとても重要だな、と実感。昔々、コントロール欲求の強い教師たちのコントロールに抗って問題を起こしてたこどもの私。それは教師の善意、正論にひそむ不条理に対する怒りとなって、その教師たちにぶつけてた私。懐かしい私です。周りからみれば単に暴力的なこどもが騒いでるとしかみれないでしょう。けれど、その怒りは私の心に深く染み渡り私の人格になったようです。今でこそ教師個人に対して怒りをぶつける事はありませんが、教師のコントロールの背後にある権力支配に対しては怒りをぶつけ続けたいと思う私。それは差別、抑圧社会に対する異議申し立ての活動になっていきます。私の日々の活動が金や地位、名声などを目的とせずにいられるのは、私のこどもの頃からの怒りがあればこそでしよう。こんな私だから行政権力にもおもねることなく活動ができるのかもしれません。有り難い話しです。それにしても、こんな私にあらためて自己一致できて、心地よいひと時となりました。ワークは面白い・・。さて、これから・・夜バスで東京です。・・いってきますぅ。
2013/10/11
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ここ数日東京の女子高生タレントが京都の男に刺殺された事件の報道がにぎわっています。京都の男と言うだけに私の胸も痛みます。事件になる前に誰かが私につないでくれてたら・・・と思うと無念です。警察の不備についてもあれこれ言われていて、被害者をなぜ守れなかったのかいろんな番組で語られています。それはそれで必要な議論でしょう。けれど、事件性を予見するのは警察にとっても難しいもので、人員、予算、制度的限界、いろいろあるだろうから、すべての事例に篤く対応する事もできないでしょう。この議論にすっぽり抜け落ちているのが、加害者対応です。事件性に対してはハードな対応も不可欠ですが、予防的処置については加害者に対するメンタルアプローチも有効と確信する私です。加害者が粗暴化する前に、脱暴力プログラムを受けさせていたり、専門カウンセラーとの信頼関係が築けていれば、事件はかなりの割合で防げるでしょう。加害者は変わらない、プログラムは無意味と言う根拠なき言説が、加害者への脱暴力支援を難しくさせています。特に通り魔的な事件ではなく今回のような親密圏における事件については、両当事者に対する心理的なアプローチは重要です。昨今、デートDVで若者向けの非暴力教育が少しずつ行われているようですが、DVについて深い理解に基づいているようにも思えなくて、有効性に疑問も感じる私です。確かにそれはそれでやらないよりはいいかもしれませんが、むしろ必要なのは当事者に対する具体的な脱暴力支援でしょう。対立や不信に発展した両当事者に対して具体的に暴力を回避し、非暴力化する支援があれば事件化することは防げるのではないか、と確信しています。残念ながら加害者は変わらない、として加害者に対する脱暴力支援に抵抗する被害者支援がほとんどで、被害者の発生を甘んじているのではないかと思えてしまいます。被害者がいなくては被害者支援ができなくて困る、というパラドックスにある被害者支援にだけ予算を充てるのではなく、脱暴力支援についてもわずかでも回してくれても当たり前・・なのですが・・。せめて予算化できなくても、加害者プログラムを行っている私のようなところを、当事者に紹介するだけでもできるはず・・・なのにねぇ。味沢は危険だから紹介しない・・という本末転倒な事をいいつのる関係者の意識が変わってほしいと願わずにはいられません。昨夜の男ワーク・・・なんととてもとてもこじんまりと、少人数でワークを行いましたが、テーマはどつぼの日・・過去の体験をみなさん語ってくださいました。自身の人には言えなかった体験を語ることで、過去を振り返り、問題点を客観的に理解できるようになります。さらにその体験を共有する事で、問題を回避する心のゆとりが育ちます。頭で暴力はダメと理解するだけでは暴力は防げません。もっと深いところ・・無意識領域での変容があれば具体的な暴力回避の力になります。それを昨夜は皆さん実感してくださったものと思います。ああっなのになのに、参加者が少なかったのはとても残念・・もったいなーい。読者の皆さん、暴力で悩んでいる方がおられたらためらわずに、メンズサポートの存在を伝えてくださいねー♪
2013/10/11
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あの人の語ること・・・それはA Aに導く物語り・・この人の語ること・・・それはB Bにいたる物語りその人の語ること・・・それはC Cの絶対的な物語りマスコミの語ること・・それはD Dの真実の顔した嘘ABCD混ぜ合わせてみたときに赤、青、緑、黄色の絵の具を混ぜたように黒く濁った色になるのは心のパレットあの人の語ること・・・それはA Aに導く物語り・・この人の語ること・・・それはB Bにいたる物語りその人の語ること・・・それはC Cの絶対的な物語りマスコミの語ること・・それはD Dの真実の顔した嘘ABCD混ぜ合わせてみたときに赤、青、緑、黄色の光を重ねたように白く輝いた色になるのは心のイルミネーション光源が外にあるのか内なのか・・世界が地獄にも極楽にも見える不思議・・この不思議が語るのは、世界はAでもBでもCでもDでもなく、ただその人の心のありよう・・パレットのごと外の光でみる人と、自らの心に灯を持ちみる人の・・・見える世界の違い・・真実はその人の心の世界の投影・・・
2013/10/10
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昨日は午前中は女ワークをこじんまりと、お昼と夕方にはカウンセリングを行いました。久々に仕事をしたなっと言う実感の1日。カウンセリングでははじめての方がDV問題の解決を目指して来られました。そこのご夫婦は夫婦間の暴力について解決したいとここ数年あれこれ考え、相談にも行ったけれど、どうも目指す方向とは違うと感じておられて、私のところにたどり着いたとの事。そう言えば、女ワークの参加者も、以前別のワークに行ってたけれど、そこでは男は敵という雰囲気が強くて、夫と関係を修復したいと言う願いとは裏腹に、現実の夫婦関係はどんどん悪化していったとの事。最近はストーカー殺人事件とかDV殺人事件とかいろいろ報道されていて、DV男やストーカー男はとても危険、何をするかわからない、早く別れて関わらないようにすべき・・・というイメージが定着しているように感じます。そのイメージは事実ではなく根拠なき集団妄想なんだけれど、そのイメージに基づいて支援が組み立てられると、現実から遊離した支援のための支援になってしまいます。ほんとに問題を解決したいと言う当事者の思いには添えない支援になっているから、先述の方達のような事になるのだろうと思います。家族間や親密圏の関係に於ける暴力は単なる加害者と言われる人の認知の問題だけではなく、それぞれの文化的背景やら生育時の体験の問題、親世代や職場関係の問題、など多くの要素が複雑に絡んでいます。その複雑な問題をひとつひとつ解きほぐして、問題の本質的対応と緊急対応を組み合わせつつ冷静で且つ大胆な支援をする必要があります。そう言う意味で修復的支援を実践するのはとても難しいのかもしれません。縦割り、官民意識、人権意識の低さ、等がある今の日本の援助システムではとても難しいでしょう。そう言う意味で、世間の常識やら現状のシステムに基づいた支援では当然限界はありますから、私は世間ではやらない事を次々ためらわずに行っていきました。クライアントとの関わりにしても援助のシステムにしても、世間ではあり得ない事、やるべきではない事であれ、それがクライアントの回復、関係の修復に役立つならためらいませんでした。その辺り、私のやっている事を理解できない人からは、わたしがうさんくさく見えるんでしょうねえ。きもちとしてはわからないでもありません。そうそう、うさんくさいと言えば、ずっと以前、私がうさんくさいヤツとの嫌がらせのお葉書を頂いた事がありました。もちろん、誰がだしたか今もって確定はできていません。そのうさんくささ・・今も感じてる人も少なくないんでしょう。事実とはまったく異なる事を垂れ流す週刊誌やら一方的な主張のみを伝えるマスコミやらを信じたフツーの人にしてみれば、DV男と同じで、理解不能なカウンセラーは当然うさんくさいヤツ、と言う事になるのかもしれませんね。けれど、そんなヤツだからこそ、クライアントのための様々な支援を行えるのでしょう。対立や不信を招かず、怒りや憎しみ悲しみや不安から解放されるための修復的支援、本当の回復のための支援がどこでも行われるには・・またまだ、数十年が必要なのかもしれません。今は懐かしい嫌がらせ1号・・私の大切なメモリアルです(笑)
2013/10/10
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昨夜はシネマナイト・・・少しマイナーな「サイドエフェクト」、ジュード・ロー主演でルーニー・マーラーやらキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、が助演です。サイドエフェクト(副作用)と言う通り、薬の治験に絡むサスペンスです。ネタバレになるので詳しくは書きませんが・・・・ジュード・ロー演じる主人公バンクスは、自身の処方した薬がもとで事件に巻き込まれ、法廷に立たされる事になる。このあたり、私も懐かしい思いを感じながら見ていました。犯罪者のラベルを貼られたとたんに、仕事も干され、人間関係も壊され・・・あったあった・・・ほんとに思い出しました、二年前のこと(笑)彼は処方の責任を問われるだけでなく、患者との不適切な関係もねつ造され強迫されます。ああっネタバレだ・・やばっそんな彼と私が違うのは、彼は失うものをたくさん持っていたと言う事。私は失って困るものはあまりなかったと言う事。逆に、私はクライアントとの信頼はより深くなって、干された分もなんとか吸収し、人件費が浮いた分経営的には楽なったかな。それに彼はその事で、仕事も失い、妻子も家を出たけれど、私は家族との信頼は壊れてないのでマスコミ報道が家庭に影響する事はありませんでした。それにしても、金や地位、名声や利権、などなど、私はバンクスが持ってた様々なものを、何にも持ってないないなあ、と実感。ほんと丸裸だわ。裸だからある意味強いんですよねえ。司法の不当判決やら、マスコミの報道やら、行政や専門家に干されたことやら、私にもいろいろあったけれど潰れる事もなく、真摯に援助業務を続けて来れましたからねえ。というのは、丸裸とはいうものの、クライアントや仲間たち・・今も多くの人に支えられ、助けられていますから、ほんと有り難い事です。自分にも他人にも偽る事なく、真摯に生きる事が何よりの力なんでしょね、あらためて実感させられたシネマでした。
2013/10/09
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優しくあたたかく・・・争わず控えめで・・・自らを抑え、人に尽くし・・苦しみに耐えつつも思いやりを失わず・・・人の喜びを自らの喜びとし・・・いざとなれば、自らの命をなげうっても他者のために・・・そんな影のように生きる姿こそ・・・最高の美徳の姿、女の生きる道、永遠の誉れこの賞賛を囁くのは・・・天使の衣をまとう悪魔一人一人の女の心に湧く自らを生きるための渇望を怖れ女が自らの人生を選ぶ目をくらまし愛と信頼と言う美徳の名の下に女を弱者に据え置き支配する・・なんと巧妙な、そしてなんと甘美な・・悪徳に生きる者が、知らぬ間に女に仕掛けた見えない罠その罠に気づいて、女が自分自身であらんともがくほど・・・背徳の、羞恥の、堕落の、ラベルが重ねられていく・・・理解されないばかりか、心に鞭打たれ、時には石持て追われ・・世に疎外され、孤独の闘いを強いられる・・果ては絶望か狂気か・・自由である事・・・自身を生きる事の・・・なんと惨い事か・・・しかれば、悪魔のささやきを天使の声と自らを偽れば・・・美しき賞賛とそれそこの安泰が自らの渇望を麻痺させて・・息苦しさにも気づかずに時の流れの虚しさにも思い馳せる事もなく・・・深く深く閉じ込めた、魂の叫びは悪魔のささやきにも似て・・さらなる弱きものへの呪いの言葉に成り果ててしまう・・・パンドラの箱の底に残る唯一の希望があるなら・・・それのみを手がかりとして、生きてゆけぬものか・・・自らを偽る事もなく、絶望に沈む事もなく・・孤独に甘んずることもなく・・・世の指弾の言葉に屈する事なく・・・醜悪なラベルを受け入れてなお・・自由の内に・・真実の自分の選ぶ道を・・誇りを持って生きていけるのではないか・・魂の自由さえあれば・・・悪徳に生きる者が最も怖れ忌み嫌うのは・・自由と真実の愛、何をも怖れぬ真実を生きる人の力・・その力・・・大丈夫・・誰の心にも深く深く備わっていて、それを掘り出せばいいのだから・・・大丈夫・・一人じゃないから、焦らず、ゆっくり・・じっくり・・掘り出せるから・・パンドラの箱の宝石のような・・・希望と言う存在・・・美徳と言う偽りのベールを葬って、汗と涙の中でもその宝石を掘り当てるまで・・・・・・・じっくり焦らず見守り続けられる私でありたい
2013/10/08
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修行の日々・・・なんちゃって、です。実際の宗門での修行は厳しいものがあるのでしょう、きっと。私は厳しいのとか苦しいのとかを強制されるのは・・・どうもねぇ。もちろん不安はないので、痛いの苦しいのも自分でおこなうのは適度に楽しめるMなわけです。このあたりが便利なところ。自分の心身に多少の負荷をかけて、コンディションを維持するのも嫌ではありません。走ったりハイキングしたり。もちろん、めんどいのは何もしたくないーという思いもあるけれど、体動かしてすっきりしたいという思いもあります。さらに達成感や、動かした結果の心地よさとかも。だから結果、何もしないということはありません。むしろ多動過覚醒気味の私です。今、私が身体に負荷かけているのは、ランニングでしょうか。そして、日々の作業としての事務所のお掃除・・・これは仕事とか急ぎの用事とかなければ、一応毎日行う事と自分に課しています。自分の修行としての位置づけでしょうか。事務所は一階のダイニングルーム、二階の来談室とシェルターとしての和室、三階の事務室、それらをつなげる廊下とか階段とか。掃除機をかけてぞうきんがけして、ほぼ一時間。真剣にやるから結構汗も出てきます。掃除したあとはほとんどチリもなくてすっきりキレイ。夏場はフロアでゴロゴロするのもいい気持ち。そうそう、修行とはちょっと違うけれど、今胴囲りの余分な脂肪を取ろうとダイエット中、ランチをほとんどとりません。朝はもともと食べない人ですから、食事として頂くのは夕食のみ。もちろん空腹は感じるので、虫おさえに、少し甘いものをかじったり・・・かじりすぎると意味もなくなるので、少し自制するようにしています。まあ、そんなこんなで減量は、ほんの少しずつ。美しき還暦ヌードを実現するために・・なんちゃって。
2013/10/08
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自分の生きている意味が分からない・・何のために生きているのかわからない自分に何かできる事もないこれから生きていく自信も勇気もないどうせこんな私なんか・・・・せめて誰か自分を必要としてくれたら・・・こんな人は要注意・・・情けない者好きになって、自分より情けない人、問題のある人、哀れな存在・・・・などに依存してしまうから。やがて情けないもの同士の閉じた世界に甘んじて・・・がんじがらめに縛り合って・・傷つけ合ってより情けないものに落ちていってしまうから・・それは幸せや満足への道ではありません。自分を必要としてくれる人ではなく、自分が必要とする人や自分が望む世界のために、祈りでも感謝でもどんなことでもできたなら、世界は少しずつ変わるはず・・・できないはずはありません・・・・今生きているのだから・・親が酷かった・・・・付き合った相手が悪かった・・・・結婚相手に裏切られた・・・・・職場の上司がひどかった・・・・・誰も助けてくれなかった・・・・誰もわかってくれなかった・・・・どうせこんな私なんか・・・・こんな人は要注意・・・・すべては他人のせいと転嫁する事で自分の姿は見なくて済むから・・・付き合う相手を選んだのも、結婚相手に委ねたのも、職場を選んだのも、親の支配から逃れなかったのもすべてその人の選択・・・・自分を助けるために、どれだけのことをしてきたのか・・・わかってもらうためにどれだけ人と関係を作ってきたのか・・・その人の世界を作っているのはその人の心その人の言葉・・・心や言葉で世界ができるのなら・・・新たな言葉で新たな心で・・新しいその人の世界も創れるはず・・できないはずはありません・・・・今生きているのだから・・もちろん、世には不条理が満ちあふれ、理不尽な現実に傷付き、差別され、時にはプライドや命さえも奪われてしまう現実。そんな現実の中で、理不尽な世界の中で今生きている・・・そのかけがえのない事実に対して、どれだけの意味を自身に与えうるのか・・・それはその命を預かるその人だけの命題、誰かに代わってもらえる事はありません。でも大丈夫・・・一人じゃないから・・・そう、ずっと暖かい眼差しで見守ってくれる人もいるから。そう言える私でありたい・・・
2013/10/07
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枠をあまり設けずカウンセリングを行っている私、昨日は緊急電話や夜遅くのカウンセリング等がありました。家族の暴力で警察を呼んだけれど、対応が不十分で、これからが心配との女性からの緊急電話でした。確かに警察は事件にならないと動かないし、法的根拠が無ければ予防的な動きもできません。DVやストーカーなどは法律に基づかなければの予防的な動きはできません。そのためには被害者が司法に申し立てるなどの法的な動きをしなければ、法的な根拠になりません。いくら被害があっても、警察に傷害で訴えるか、地裁に保護命令を申し立てる等しなければ、事実はあって無いようなもの。状況や気持ちをいくら訴えても、社会の仕組みに乗って動いていかないと、社会的にはあまり意味がないという現実があります。その点、社会的な契約であるとか手続きであるとかそのための論理的な自己主張であるとかが不得手な女性は不利益を被りやすいと言えるかもしれません。私がその女性に助言したのは、警察に頼っても解決しないのだから司法的な手続きを進める事じゃないかな、ということ。いろいろあるけれど、その方にも幸せになってほしいものです。夜は遅くになってのカウンセリングでした。別居中の妻との関係修復・・・それが離婚か同居かはわからないけれど・・・を模索しているけれど、どうしたらいいかわからない・・というもの。私がその男性にアドバイスした事・・・彼女の事はさておき、ご自身が楽に生きていくために自分の生活を自分で支える能力を高めてはどうかということ・・・金や力に頼らなくても自分で生活を成り立たせる生活者のスキルを身につければ、自然と対話のあり方や表現の仕方も変わってくるし、それはひいては人間関係も変えていくし、その変化を彼女は感じてくれるのではないか・・と。結果、頑と感じている彼女の心も和らぎ、前向きな対話が始まるのではないか・・との助言です・・・。あくまでこれは可能性であって、うまくいくかどうかやってみないとわかりませんが・・・少なくとも本人の人生を豊かにすると言う事では確実なことなので、決して損にはならないですけれどね・・・私自身が世間の枠から外れて生きてるから・・今日のように枠にこだわらずに人の話しを聴けるし、ジェンダーなどの枠に囚われない助言も自然にできるのかもしれません・・・枠から外れる・・確かにリスクはあるけれどね・・(笑)
2013/10/07
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気温は高めだけれど快晴の朝。久々に山科川に沿って走ってみました。山科川を走るのは一年ぶりくらいでしょうか。昔の風景を思い出しながら・・のんびりランニング。公園のピラカンサも赤く実ってます。コース沿いのどの学校も今日は運動会・・・まだまだ日本は平和です。あちこちでキンモクセイが匂っていました。三週間前の台風の名残・・・ポールに絡み付いたゴミがその水位の高さを知らせてくれます。激しい濁流の山科川だったのに・・小魚が帰ってきています。疎水コースの山沿いの小川にはまだまだ魚影は見られなかつたけれど、山科川本流には数センチの小さなものから三十センチほどのコイまで、ちゃんと泳いでました。いったいこんな魚たち、どうやって豪雨の濁流を耐えていたのか不思議です。カワセミハンターのおじさんたちの砲列・・・山科川から大文字山・比叡山を臨む夏の花カンナ・・最近は珍しい・・・ゼフィランサスかな・・・ポーチュラカ琉球朝顔なんて名の花でしょう。それにしても、久々の山科川コース・・気温がけっこう高かったのもあるし距離も16キロほどなので、けっこう大変でした。途中何度かコンビニでドリンクを補給しながら、のんびり写真を撮りながら・・・それでも体はけっこうハードで自宅に帰っても、しばらくダウンしてました。ああ、しんど・・・とはいうものの、やはりこうして身体に負荷かけながら筋力や心肺機能、骨密度を維持する事で、免疫系や循環系の活性が維持され、身体の若さが保たれるだけでなく、運動中に放出されるアドレナリンは心の状況もヘルシーに活性化してくれます。私としては距離を少しずつ伸ばしてフルマラソンに再チャレンジしたいんだけれど・・・それにはもっともっと走り込まないとねえ・・・それに体重も落とさないとねえ・・・どうなることやら・・・
2013/10/06
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今日はカップルカウンセリングが一件あっただけで、メンカン協会の総会の準備も一応できるとこまでしたし、男性会議も終わったし・・・急ぎの仕事も無いので、のんびり過ごしました。のんびりついでに、鳴らしっぱなしのネットラジォではなく、久々にCDを鳴らしてみました。CDプレーヤーに入ってたのをそのまま鳴らしたら、十数年前頃買ったレーナ・マリアのCDアメイジンググレイスでした。このCDは彼女のコンサートを聞きに行った時に記念に買ったものだった記憶があります。レーナ・マリアは先天性の両腕欠損、片足の発育不全という大きなハンディーを負って生を受けます。現在40代半ば。彼女はその身体を神からの特別な計画のための預かりものとして、神にすべてを委ね、神の愛を伝えるべくゴスペルシンガーになります。彼女の意志の強さはどこからきているのか、私にも興味のあるところだし彼女のメッセージには勇気づけられる私です。それは私も形は違うかもしれないけれど、神の意志を信じ、その意思にすべてを委ねていると言う思いがあるからかもしれません。身体や経済、人間関係や生育の問題・・様々な困難を抱える私たちはややもすれば、そんな状況に囚われその囚われから悩み、傷付き、苦しみます。けれど、本当に苦しいのは・・そういう状況の問題ではなく、自分が誰かに愛されていると言う実感を得られず、孤独の闇の中で自身の存在の意味を見いだせない事でしょうか。レーナ・マリアだからこそ、そのことを真実の事としてゴスペルに乗せて伝えられるのかもしれません。無力な私たちを無条件に愛してくれる存在・・それが神であるとしたら、その神の存在に気づかない事はやはり虚しい事になりかねません。その虚しさから逃れるために、私たちは人に求め、モノを持ちたがるのかもしれません。私もまだまだ俗物なもので、完全に人の評価なり愛なりから自由ではないし、完全にモノを捨て去って、布切れ一枚で生きていく強さはありません。けれど、こんな私でも命に意味を与え導いてくれる神と言う存在がある事で、私は欠乏感や不安から解放され、豊かな日々を暮らせている事もまた事実・・有り難い事です。またそんなこんなを久々に感じさせてくれたレーナ・マリアに感謝です。さて、今夜の晩ご飯はなににしよっかな。
2013/10/05
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多くの男は女が何を考えているのかわかってない・・・と私は感じる事が多い。それが悩んで私のところに来られる方であれ、何も問題が無いと思っている人であれ・・・。悩んでいる男は妻の行動も考えも理解できなくて、ことごとく食い違ってこじれ果ててしまってるし、何も問題がないと考えてる男も問題がないのではなく、妻からすれば話しても問題を理解し得ないとか通じないと判断してるから、諦めて男に何も伝えないだけなのかも知れません。もちろん、そんな男たちに悪意があるとも感じられません。人格的に多少問題があったり無かったりするのは女も男もおんなじ。なのになぜ多くの男たちには女たちの思いや言葉が通じないのか・・・。私はときどき「おっちゃんオカマかー」とか「あなたは女性的ですね」と言われたりする事があります。生物的には男性ホルモンに支配された情動がありますが、文化的には闘いではなく調和を指向する傾向があるのは確かです。このあたり、ジェンダー領域では男と女が併存する自我のような気がします。こんな私ですから、女の気持ちや言葉もよく理解できますし、男の発想や行動もわかります。そしてそのズレもよく見えてきます。妻の言葉の意味が理解できたらそこまでこじれなかったろうに、と思う事は少なくありません。多くの男の言語能力が女に比べて低いと言っていいのかどうかわからないけれど、柔軟性や多様性に欠けていて関係を構築したり再編したりする事が不得手です。これは脳生理学の範疇でしょうけれど、必ずしも性決定論的なものではないと私は考えます。遺伝的なものより文化的な影響が強いのではないかと私は考えています。LDで社会適応不全、不安障害やアルコール依存を抱えていた私は暴力的な思考回路を持っていたにもかかわらず、女性の文化世界で生活していく中で、女性の心や考えを理解し、自分のものとする事ができたのだから。ただ、こどもの頃から言語能力が人並み以上のものがあつたと言う事が、女性領域に適応する事を可能にした訳で、誰にでもジェンダーを超えた学習が簡単にできるとは言えないでしょうけれど。このあたりの事を考えつつ、いろいろ援助の仕事をさせて頂いてますが・・・・昨夜のフリークス・・・依存について語り合ったけれど・・私は少し性的な事を話題にしてみました。私が性依存であるとは思ってないけれど、性は私にとって抑圧されるべきものではなくて、私の人生を豊かにする大きな要因である事は間違いなくて、その辺りの事を話してみました。で、女性の参加者でもその辺りを言語化できてない人は、話しができてすつきりしたと言ってくださいましたし、性と自己のありようを明確化できたのではないかと思います。セックスについても男の勘違いは女たちの話題になる事は多いけれど、男同士の語りではその勘違いについては理解できないですからね。セックスだけではないけれど、あらゆるステージで抑圧の無い対等で自由な対話の場があれば、勘違いする男たちも少なくなるんじゃないかな・・・とは思うけれど・・・そんな場がどこにも無いってのは・・やはり今の社会の構造の問題なんですよねえ・・・はあー先は長いっす。そんなこんなを感じたフリークスの夜。そうそう、フリークスではお腹をすかせた参加者のために、虫押えの簡単メニューを用意しています。昨夜は中華おこわになすの中華風炒め煮・・どちらもおいしく頂きましたー・・・感謝。
2013/10/04
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昨日はある付き合いの長い方のお話を聴かせていただきました。もう10年ほどの付き合いになります。お互いいろいろあったけれど、お互いの変化(たぶん成長)を知っている関係と言うのは貴重なものです。10年前はその方も困難の渦中にあり、それも根の深いものがあるだけに私の非力もあって、解決も簡単ではありませんでした。けれど、その方はいろいろ問題が出てくれば、私に相談を求めてこられます。私を信頼してくださっている事と嬉しくは思います。それにその方といろいろ対話を重ねる中で、私もいろいろ気づきや学び時には元気も頂きました。その方もきっと、私に語る事で、自身の立ち位置やこれからの道のりを確認できた事と思います。それが世間の価値観や当たり前とは随分異なるにしても・・・その人なりのドラマをしっかり生きておられてる事に対して私も、尊敬の念やら愛おしさを感じずにはいられません。そんな時の私の感情は味ママとしてのものかもしれません。見守り慈しみつつ育てていく、そんな感情が私の中に湧いてきます。この感情は私にとっても心地よいものです。地域社会がもっと多様で健全であればこんな心情が多くの人に共有されていて、こどもも大人もそのライフステージに応じてみんなで育ちあって行くのでしょう。けれど、現代社会は孤立し分断し、人々は機能不全な家庭あるいは家族幻想に閉じ込められていて、豊かに心育つ事ができません。もちろんその方だけではないけれど、いろんな方たち・・・大人もこどもも女も男も・・・多くの人たちとともに育っていると言う実感を得ている私の日常・・・ありがたいものです。それはとても豊かさを私に与えてくれるのだもの・・
2013/10/03
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私のところには日々、不安や困難を抱えて困り果てている方が相談に来られます。その多くの方は医者や弁護士、行政や警察、など一般的な援助に関わる施設や援助者に既に関わっておられます。けれど、どこに行っても解決しなかった、楽になれない、との訴えをなされます。もちろん、私はそれら既成の援助組織とは関わり無く援助していますし、医者や弁護士、警察のように状況に対してある程度の強制力をもって関われる訳でもありません。多くの既成の援助は状況に対してそれをどう変えるか、と言うところに視点があります。お金、健康、人間関係、など様々な状況を改善する事で問題解決をはかり、困難から解放されるという理屈です。それはそれで大切なのですが、その視点で解決できなかった場合はどうするのか・・・あれこれたらい回しされてもなんにも解決しなかった・・というように。私は状況に囚われているクライアントが状況から一歩身をひいて洞察できるように聴き込んでいきます。状況が受け入れられないのはなぜか、なぜそういう状況になったのか、いわゆる認知や学習について本人が自分についてフォーカスできるようにカウンセリングを方向付けています。人は変えられないけれど自分は変えられる、と言われるように自分の状況に対する見方やアプローチの仕方を変える事で、問題と思っていた事が問題ではなくなる事も多いもの。パソコンの場合、同じアプリでなんどやってもうまく行かない場合は、新しいアプリをダウンロードし、インストールし直す事で問題が解決するように、人も同じく、新しい価値観を取り入れ、その価値観に基づいて自身の様々なプログラムを組み替えるということで、状況は変わってなくても問題が問題ではなくなるということも多いもの。ただし、新しいアプリをインストールするにしても古いアプリが邪魔してうまく行かない事も多いので、フォーマット(初期化)してインストールします。この作業が人で言えば「アンラーン」でしょうか。けれど、それまで自分を支えていた価値観や無意識に組み込まれた行動様式を捨て去るのはとても怖い事、ひとりでできるものではありません。新しいアプリを提供したり、フォーマットする際には別のパソコンなりデータなりが不可欠。同じく人についても、アンラーンし新しい自己概念を再構築するには、新しい価値観、多様な可能性を持つ援助者が不可欠。不安に苛まれるクライアントの心に寄り添い、不安の根源について深い心の闇に降り立ち、新しい物語りに書き変えるための心の旅をともに歩む・・・そんな事をめざす私です。そうそう、先日、カムイ伝然21巻を読了しました。白土三平が書きたかった事がよく伝わってきます。不条理に満ちあふれる歴史の前に、私たちは何をなし得るのか、果たしてその絶望を超えられるのかとの作者の問いかけでしょう。ややもすれば、勧善懲悪の絶対的正義があって、その力が自分を救ってくれる、との楽観的な物語りを人々は欲します。水戸黄門や金さん、仕事人がロングヒットする理由です。けれど、現実はそんなものではありません。残虐で理不尽な歴史が過去から連綿とくり返されています。そんな歴史の一断面である「今」この命にどう意味を与えるのか・・・目の前の状況の背後にある歴史に対して、いずれ無くなる自らの命をどう、意味付けていくのか・・・どんな人生であっても、そこに意味を見いだす事は可能だけれど、それにはその事に気づかせともに時を重ね物語りを紡ぐ援助者も必要かもしれません。そんな援助者がたくさんいればいいのにな、と妄想する私。そうそう、先日のシネマ「エリジウム」で主人公は自らの人生の意味を見いだし、それを他者に託す事ができました。同じ監督の「第九地区」でも同じテーマが語られていたように思います。自らの人生の意味は他者、あるいは世界との関わり無しに意味付けられないと・・・一人ではなく、ともに分かち合いながら生きているのだから
2013/10/03
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今朝は二週間ぶりのランニング。スタート時は曇天でパラパラの小雨模様。気温はさほど高くもないけれど、低くもない感じ。いつもの疎水から大津の小関峠に至る14キロコース。コスモスが花盛りこどもと手をつないで学校まで見送りのパパ・・・いい感じなので思わずパチリ・・追い越し様にみてみると英語を話すアメリカ人?やはりねえ・・・と少し残念。日本のパパはまだここまで成長してないよねえ。今年も咲いてた寝ぼけ桜あれからひこ生えのでるほど経ったみたい。刈り取られた水田。水害で壊れた道路もきれいに補修されてました。ひさびさに藤尾神社に寄ってみました。ここは無事みたいでした。豊かに実るムラサキシキブたぶんアスターかな?ホトトギスも咲き始めてます。シュウカイドウは花盛りキンモクセイは今たくさんのつぼみが付いてました。後数日で甘い香りが漂い始めるでしょう。楽しみです。走り終わる頃はすっかり晴れて秋空に。今日は来る総会の準備でけっこう忙しくしてました。それにしても14キロのランニングはけっこうハードで、お昼くらいまでは体がしんどーって感じで、なかなか作業も大変でした・・・
2013/10/02
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再生センターのシェルタールームです。六畳の和室です。窓は北向きだけれど疎水の向こうは大文字山につらなる山々を見渡せます。昨日も一泊された方が退出されました。シェルターにはいろんな方が来られます。もちろん暴力夫からのがれて緊急避難として来られる女性もおられますし、保護命令やら妻命令で自宅にいれなくなった男性の長期利用もあります。家出母娘三人の半年近い利用というケースもあれば、昨日のように緊張の続く自宅生活から一息つくために一泊利用をされる女性の方も。一年近く生活された男性はこのシェルターから通勤し、グループワークやカウンセリングを受けられていました。その甲斐あってか、なんとか妻との和解再同居にいたりました。半年ほど利用されてた別の男性もやはりこのシェルターから通勤しつつワークに参加されてましたし、グルメナイトにも積極的に参加されてました。その結果・・・とてもとてもあか抜けた素敵な男性になりました。いわゆる行政の運営しているシェルターと違って、管理はゆるやかだし、食事もわがままがきくし、電話一本5分でガードマン(私)が来るし、テレビもパソコンもオーディオも自由に使えるし、各種セラピーや、グルメナイトも利用可能、お部屋はきれいだし・・・なんと言っても男性も利用できます。ただ、行政のシェルターと違って利用料が若干必要ってことかな。短期だと1泊三千円、長期だと1泊二千円。もちろん食事付きだから、ネカフェよりもはるかにお得・・・とは言っても宿泊施設ではないので、あくまでシェルターとしての利用が前提ですけれど・・・詳しくはお問い合わせくださいね。
2013/10/01
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