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昨日、10月30日、大安吉日で新町屋台蔵の上棟式がありました。今朝、いつものように散歩に行くと頑丈そうな鉄骨で仕上がっていました。これから外装、内装の工事で、来年の春頃には完成の予定とサンテレビの放送で役員さんが云っておられました。太鼓交換用のピットもこれから設置するようです。
Oct 31, 2008
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つづいて芝町屋台です。上の丸交差点までやってきました。今までは前後に町名札がついていましたが、今年。同じものが左右につきました。元区長さんもがんばっています。差したをしています。若者が泥台を担いでいます。
Oct 31, 2008
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県道を東條町屋台が練っています。後には、芝町、大塚、岩宮、大手町屋台と続き、今年は最後に宿原屋台が、3~40年ぶりに参加します。上の丸駅前の交差点で差したをします。差した拍子に屋台が落ちました。東條町としては近年に見られない事です。滑原町が落としても、東條町は落とさなかったのですが・・・布団締めも落ちてしまいました。屋根についているときは感じませんでしたが、人に比べてでっかいですね。1個、10キロだそうです。8個で80キロですか・・・
Oct 30, 2008
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県道を下ってくる滑原町屋台です。区長さんと一緒にパチリ。上の丸駅前を練っています。やっちゃンもがんばっています。駅前の交差点で差したをします。ちょっと後ろが重たそうです。
Oct 29, 2008
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本荘屋台の昼休みに、車を飛ばして魚住住吉神社秋祭りに行って来ました。西島の屋台が宮入している最中でした。雨のため合羽をかぶっているのと、御花の笹で屋台の様子がよく分かりませんでした。次に宮本屋台が宮入しました。ココは合羽を取っていましたので屋台の姿がよく分かりました。水引幕には、絹常の商標が入っていました。意匠は全て絹常でしょうか?この屋台は、雲板、桝組み、隅木、狭間が無く、古い時代の形を残しています。最後の西岡と練り合わせをしています。
Oct 27, 2008
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10月18日の県道運行です。岩壺神社の祭礼日が、本年は宿原、若宮神社と同日となりました。昭和40年ごろ迄は、宿原屋台も岩壺神社屋台と一緒に国鉄三木駅まで町内運行していましたが、その後とりやめとなっていました。当時は、岩宮屋台に続いての運行でしたが、最近は大手町屋台が最後尾となり、この日は岩宮、大手、宿原屋台と続きました。
Oct 27, 2008
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本荘屋台の運行の合間に、御厨神社に行ってきました。西二見屋台が町内を運行しています。公民館に厳重に保管してある、先々代の昼提灯と水引幕を見せてもらいました。水引幕の裏には古文書の下張りがありました。その後、屋台を宮に置いているというので、宮入ですかと聞くと、宮入ではなく置き場所が境内になっているとのこと、よく分からなかったけど見に行きました。4台の屋台が、置かれてあり、上西屋台が練り始めました。担き手が少なく、差したから落とし、青年が担き棒に挟まれ、救急車で病院に運ばれました。祭りも始まっていないのに、なんということだ。本人は、タンカの上でテレ笑いをしていたから重症ではないと思いますが・・・今日の本宮も御安全に!!
Oct 26, 2008
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4月に城戸商店が製作した、本荘屋台の宵宮に行ってきました。宵宮といっても、屋台を町内運行して花寄せが主で、宮入はしません。かなり大きな地域で、5~6キロは巡ります。屋台が、玄関前に来ると住民たちがお花を差し出します。相場は2000円から10000円だそうです。豪華な屋台が新調され、住民の財布も緩みます。役員が拍子木の合図をすると、青年と6年生の4人の乗り子が掛け合いで、いわゆる大阪締めで返礼を二回繰り返します。住民がどんどんお花を持ってきますので、屋台は、中々進みません。三木とは言葉が少し違って「うってくれー」(ド-ンドーン)、「も一度来い」(ド-ンドーン)、「祝うてシャンド(三度)」(ドド-ンドーン)、「シャカシャンシャンド本荘の浦に波清し」昔は漁師町で、本荘の海が平安で大漁を祈る言葉が大阪締めにくっついたものと思われます。役員が、掛け声は「三度(サンド)ではなくシャンド」と教えてくれました。なまっていると言うか、方言ですね。シャン々五々、屋台蔵に集まってきます。本荘橋の上でも「うってくれー」とやっています。やっと蔵の前に帰ってきました。午前9時の出発で、蔵に帰ってきたのが夜の9時半でした。ほとんど、止まっているような速さ(遅さ?)で、途中休憩も挟みますが、12時間以上屋台を運行していました。蔵の前で差し上げて宵宮は終わりです。
Oct 26, 2008
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県道に出た滑原町屋台です。後ろに東條町屋台が続きます。遠くの丹生山ははっきり見えません。小学校の校歌に謳われているのですが最近は空気が濁っていてはっきり見えません。下の写真は、昭和29年の秋祭りで、同じ位置にかかっている昔の陸橋から撮影したものです。さすがに50年ほど前の写真には、丹生山ははっきり写っています。滑原町屋台、東條町屋台と続きます。滑原町屋台は、この翌年から鯱の布団締めになりました。神紋の布団締めに日輪に玉兎の金具です。この写真では正面から降りていますが、別の年の写真を見ると水引幕が割れていますのでバックで下りてきて居ることが分かります。色々面白いですね。
Oct 25, 2008
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湯ノ山街道を行く岩宮屋台です。
Oct 25, 2008
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上の丸保育園のちびっ子たちと滑原町屋台です。早く大きくなって担いでくださいね。
Oct 25, 2008
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18日の宵宮、午前8時ごろに宿原の若宮神社に行きました。早朝から屋台の飾り付けで、あと提灯と高欄掛けをつければ出来上がりです。皆さんご苦労サンです。
Oct 25, 2008
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19日の本宮、宮入宮出を実況中継していただいた、アナウンサーの三条さんです。ご苦労様でした。
Oct 24, 2008
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参道の壊れた玉垣です。本宮の最後で、事故が起こりました。担き棒が、玉垣に当たって壊れました。ずーと昔に、担き棒が当たって玉垣が壊れる事故がありましたがその時は、怪我人は居ませんでした。幸い、怪我人も少なく、大怪我ではありませんが負傷された方はさぞやびっくりされたと思います。こういう事故があると、見物人が規制されてしまって、スリリングな場所での見物ができなくなってしまいます。もし、玉垣の後ろに見物人が居たら大変なことになっていたでしょう。幸い、事故の起こった場所がゴミ置き場で、付近の見物人は少なかったと思われます。
Oct 24, 2008
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岩壺神社、宵宮の朝8時ごろです。ながさわの駐車場の上にお月様がきれいに出ていました。もうすでに太陽も高く上がっているのに、アンマリきれいに出ていましたので、撮影しました。ちょっと分かりにくいかな?それではアップでどうぞ。宵宮、本宮共にすばらしい天候で、良いお祭りができました。ボチボチ屋台の写真もアップしていきます。
Oct 23, 2008
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宿原の若宮神社入口に、でっかい御神燈が立っています。高さ約4メートルです。人物と比べるとその大きさが分かります。ほぼ屋台と同じ高さになります。今日の午後、宿原屋台も岩壺神社の6台の屋台に続き、上の丸駅前の県道を練ります。そのあと、中央公民館駐車場でも初の7台練りを行います。
Oct 18, 2008
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10月19日(日)PM4:30~5:25サンテンレビ「三木の秋まつり(大宮まつり)」で放送されます。CD「勇壮神舞台」を歌っている「愛田幾也さん」が11日に大宮に来たらしいです。サンテレビに出演するのかな?ちなみに、ジャケット写真の屋台は私が撮影しました。改造した滑原町屋台の台車です。滑原町前夜祭です。大勢の皆さんに駆けつけていただき、また大手町稽古屋台も参加していただき、にぎやかに終了しました。
Oct 17, 2008
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今晩8時から、屋台を「ねぼけ」前まで降ろし、台車の試運転を兼ね、前夜祭を行います。簡単にいりこと酒ぐらいで済まします。明日、夜宮を済まし明盛街まで行きます。担き手がいれば屋台を担ぎます。去年は、三木鉄道までは行かなくて、日新信金まででした。今年も日新までだと思います。大体8時半頃だと思います。昼宮ではなく、夜宮のあとです。
Oct 17, 2008
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15日の朝は靄がかかって幻想的な朝でした。場所が分かるでしょうか?雲龍寺の境内を山門から狙いました。庭木の上には蜘蛛の巣が同じようにかかっています。月輪寺です。読み方ですが「ゲツリンジ」ではなく「ガチリンジ」と読みます。住職がこのように云っておられました。仏像のなかにも胎内仏と同時に「心月輪(シンガチリン)」といわれる水晶の玉が入っている場合があります。この月輪と、神功皇后の月の輪の里伝説が加わってお寺が月輪寺と名づけられたのでしょうか?鷹ノ尾墓地から文化会館のシルエットを狙いました。三木とは思えない風景ですね。木の葉越しに見た三木市役所です。未だ白いベールに包まれています。市役所も暗中模索ではなく霧中模索ですね。その原因は、三木市の教育関係者の相次ぐ不祥事です。教育センターが悪いわけではありませんが、なんとなく恥ずかしそうです。
Oct 15, 2008
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一夜明け、13日の朝、7時ごろの大宮八幡宮境内です。ちらほらとハタキも見られます。なんともすごいことになっています。屋台の担き手の出すゴミは、屋台ごとに掃除係が決まっていてきれいに掃除をします。これらのゴミは殆んどが観客の出したゴミです。夜店で買ったお菓子や食べ物の器、ビールやジュースの空き缶などです。石段下のゴミをトラックで運んでいます。この量を見ると夜店の売り上げ高はかなりのものでしょう。その奥では、末広の青年が、ビデオの撮影台を片付けています。役目とはいえ、疲れた体でご苦労様です。今日15日に、同じ時間に散歩に行くときれいに片付けられていました。表舞台だけでなく、目に見えないところでお祭りが支えられています。今週は岩壺神社のお祭りです。いよいよ、お祭り本番です。
Oct 14, 2008
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13日は、久留美八雲社と広野住吉神社の秋祭りに行ってきました。八雲社では、久留美 与呂木屋台と共に元気よく練り上げました。与呂木屋台は、布団台が厚くなり総金具となって全高が3.8とか3.9メーターとか云っていました。広野では、屋台の前後とも女の子が乗り、元気よくハタキを振っていました。懐かしい顔に出会い、お昼までご馳走になりました。ありがとうございました。
Oct 14, 2008
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10日は色々、祭り以外のお仕事があり、せっかくの前夜祭なのにどこの屋台も見にいけませんでした。11日は、時間を見つけて大宮八幡宮に行きましたが、明石町屋台はすでに宮入をしていました。高木が宮入りするまで見物していました。12日は、毎年のことですが、FMみっきーに大宮八幡宮の宮入の解説を依頼されていましたので,石段上のやぐらに3時の約束で、1時間ぐらい余裕を見て見物に行きました。下町の交差点で、上から呼びかける声がありましたので、見上げると、2回のベランダから高校の先輩が手招きして、「あがってこいや」といわれるので、ずうずうしくもお邪魔しました。とりあえずココから下町を練る各屋台を撮影しました。高木が通過するまで撮影していましたが、少し時間に遅刻してしまいました。平田と大村屋台は、いつもの石段上のやぐらから撮影しました。ということで今年の明石町屋台から高木屋台は、他では見られないアングルとなりました。13日の今日は、久留美の八雲社と広野の住吉神社に出かけました。今日のブログは、大宮八幡宮の各屋台をアップしました。まずは明石町屋台続いて末広屋台、屋根の天辺と同じカメラ位置です。下町屋台、どういうわけか看板が壊れています。栄町屋台、屋根の白布が見えていますから、全高はカメラ位置より少し低いのが分かりますね。高木屋台平田屋台大村屋台今年も命綱無しで、見事な宮入でした。
Oct 13, 2008
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大宮八幡宮の秋祭り前々夜祭となる昨夜、元気になったので、栄町、高木、下町の太鼓蔵にお邪魔しました。各町とも最後の仕上げに余念がありません。申し合わせたように屋台本体と稽古用太鼓台を並べて同じ調子で打っていました。高木は水引を付けた状態で練習していました。栄町では太鼓蔵に大きな伊勢音頭の看板が寄贈されていました。寄贈者の名前は書かれていませんでした。栄町は新調してからもう7年目となり、屋台の各部に風格が出てきました。乗り子がジュースをこぼすので屋台の高欄が傷むとこぼしていました。「乗り子は、飲食禁止にするべき」とぼやいておられました。まったく同感です。続いて高木の蔵にお邪魔しました。高木の屋台を見ると、栄町がココの屋台を参考にしたということがよく分かります。高欄から、桝組み、四本柱などそっくりです。蔵の後ろで興味深い物を発見しました。古い子供屋台の井筒から、水切りにかけての物が、きちんと保管用の棚を設けて保存してあるのです。何時頃使われていたものかは、青年に聞いてもまったく分かりません。柱心芯は60センチぐらいの子供屋台です。狭間も人物とか鷲とか入っていて本格的です。ちょうど雰囲気は石野の子供屋台を少し小さくしたような感じです。こんなに丁寧に保存してあるということは、町内で長年にわたり使用されていたと思われますが、自分の知っている限りでは記憶にありません。どなたか教えていただければ幸いです。この後、下町の蔵にお邪魔しました。旧屋台の垂木から水切りにかけての部分と高欄が、梶内から買い戻されて稽古屋台になっていました。これにもいくらか経費がかかっています。しかし下町の旧屋台への愛情がよく分かります。写真を撮るのを忘れました。今日行って写して来よう。
Oct 10, 2008
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今日、午後1時13分ごろ。石が出ました!!!大きいのは横5ミリ、たて3ミリです。小さいのは直径約1ミリです。ちょっとどうかと思いましたが、記念に写真を掲載します。きれいに洗ってあるので汚くはありませんが、自分でもちょっとキモイですね。
Oct 9, 2008
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痛み止めが効いて、熟睡できました。あさ、いつものように6時30分に目が覚めました。トイレでおしっこを見るときれいな透明になっていました。気分もよく、痛みもありません。また、散歩に行くというと妻が「やめとき」と一声。ちょっと心配だったので散歩は休みました。この軟弱ぶり!!時間がたつにつれ、もうすっきり、ばっちり元気になりました。石が出てしまったか、移動して尿管の場所から離れたものと思われます。もうこうなったら現金なもので、直った直ったと朝からはしゃいでいます。とりあえず、二週間分の薬を貰っているので、まじめに飲もうと思っています。良かった良かった!!
Oct 9, 2008
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8日の朝、いつものように散歩に出かけました。いつものように上の丸公園への石段を一段飛ばしに駆け上がります。新町屋台蔵の工事現場を確認します。昨日と変わりはありませんでした。雲龍寺の前を通って大宮八幡宮へ。おしっこがしたくなったのでトイレへ。したいのにまったく出ません。出ないならいいやと、石段へ。いつものように、一回目は一段飛ばし、二回目は一段ごとに駆け上がります。その後、八幡宮の裏へ回って斎場横を通って浄水場へあがります。この頃から気分が悪くなってきて、市役所の前の公衆トイレに駆け込みました。おしっこがたまっているのにまったく出ません。生みの苦しみどころか、出ない苦しみです。ますます気分が悪くなってきて、息も絶え絶えに家にたどり着きました。汗はいつもびっしょりかくのですが、今回は冷や汗です。吐き気もしてきます。下腹も痛くなってきました。以前に経験した、尿管結石の症状とまったく同じです。9時になるのを待って、市民病院へ行きました。すでにたくさんの患者が待合室に居ます。受付を済まし、泌尿器科に行きました。症状を話して早く見てもらえないかとお願いしました。至急と印刷された検尿カップを渡されました。「おしっこが出ないので苦しんでいます」というと「おしっこを調べないと診察が出来ませんのでがんばってだしてきてください」と看護士さんにいわれました。同時に「浣腸の要領でお尻に入れてください」と痛み止めを貰いトイレに行きました。痛み止めの袋が中々破れません。よく見ると、開け口と書いてあり、裏紙をはがすようにあければ難なく開きました。丈夫な包装で、横にも縦にもいくら力を入れても破れませんでした。おしっこは依然として出ません。そうしているうちに「レントゲンを撮ります」といわれ、レントゲン写真を撮りました。その後、待合室で待って居てくださいとのこと。待つこと1時間、他の人はどんどん呼ばれているのに私はまったく呼ばれません。少しずつ痛み止めが効いてきて、気分が楽になりましたので、検尿カップを持ってトイレに行きました。すると真っ赤な血尿がしょぼしょぼと出ました。8年前は、診察を受けている間に石が出てしまって、割合早く帰れましたが、今回は重症かなと思いました。検尿カップを提出し待つこと2時間、午後1時ごろになってやっと診察の順番が来ました。レントゲンを見せられ、石が腎臓に3個、膀胱に2個あるといわれました。そして、あなたは出来やすい体質ですともいわれました。家系も関係しているとも。以前に弟も尿管結石で手術をしています。また、長男も今年の8月に尿管結石で破壊手術をしています。このときは入院費も含め10万円ほどかかりました。「石を溶かす薬を出します。将来、石が大きくなったら破壊処置も出来ないので、今のうちにどうするか良く考えておいてください」といわれ、薬局で薬を貰って帰ってきました。午後二時になっていました。帰ってきてから、二度、血尿が出ました。そんなことで今日の太鼓の練習は休みました。痛み止めの薬が切れてきて、気分が悪くなってきましたので午後11時ごろに二個目の痛み止めを入れ、寝ました。
Oct 8, 2008
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6日の朝には、基礎の掘り方が完了し栗石を敷き詰め、その上にバラスを敷き、転圧してありました。今朝、散歩の途中で立ち寄ると、コンクリートを流しきれいに均してあります。これが基礎の土台になるのでしょう。これから基礎の型枠が作られると思います。
Oct 7, 2008
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今日は、朝早くから細川町大日神社に行ってきました。あいにくの雨で長靴を履いての見物です。神事のビデオを撮って欲しいとのことで、藤江さんの車に同乗させてもらい、7時半頃に神社に行きました。屋台は前日に飾り付けられ、拝殿の前に据えられていました。屋台の合羽と馬が新調されていました。馬は滑原町のものを参考に作られたそうで、そっくりでした。青年や役員さんたちが、神事の準備をされていました。神事は午前8時から始まりました。こんなに早く、細川のお祭りの神事を見物したのは初めてでした。屋台の運行は、11時からだそうで、9時過ぎに三坂神社に行きました。こちらは、ちょうど神事の終わりごろで、保管用の台車から運行用の台車に載せ替えて出発しました。運行表を見ると、口吉川の満月堂まで行くようです。とてもついていく元気はないので何処かで朝食を食べようと探しましたがあまりにも朝早く「割烹 悠庵」も準備中で結局「ジャパン」でハンバーグ弁当を買いました。店員が「レンジで暖めないと食べられない、当店にはレンジを置いていない」とわけの分からんことを云う。朝の早くから、なんちゅうこっちゃと思いました。結局、おにぎりに交換してもらって、藤江さんの車の中でわびしい食事をしました。午後からの2台の屋台の練り合わせも見たかったのですが、家に帰ってきて、写真組合の神戸空港撮影会の表彰式のため神戸に出かけました。表彰は受ける方ではなくて主催者の方です。雨でも受賞される方は、殆んどの方が出席されていました。後援していた「神鍋マラソン」の記念グッズも頂いてきました。全参加者の名前が載っている厚さ1センチもある記念冊子、スタッフ用の帽子、Tシャツ、ディパック、デジカメ用ケース、地酒や地元の名産品です。なんと云っても地酒が嬉しかったですね。今は、豊岡市の主催ですが、合併前は日高町単独で開催していたのですから、観光にかける意気込みは三木市とは違いますね。表題とは違うお話になってしまいました。なお、練り合わせは次男がビデオで撮影して来てくれたので、そのうちユーチューブにアップします。
Oct 6, 2008
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新町屋台蔵の工事現場で、教育委員会の担当者による埋蔵文化財の調査がありました。現場は、盛り土した地層が殆んどで、他所から運ばれてきた土砂の中に土器や磁気の欠片が散見されました。地表から5~60センチほど掘削した地中からは、何も発見することは出来ませんでした。往古、現場の一帯は、三木城西の丸の一部で、城下の仲嶋丸(現在の新町のあたり)から城中に通じる道路、または内堀があったと推測されます。旧三木城内に存在する屋台蔵は、新町と滑原町だけです。雲龍寺の南側に喜春と呼ばれる字がありまして、今は喜春公園の名前で残っていますが、今の大宮町の一部であろうと思います。このあたりまで旧三木城で、三木城が取り壊されたときその部材が明石城に運ばれました。明石城は錦城と呼ばれますが、喜春城とも呼ばれ、三木の喜春という地名が明石 に移っています。
Oct 4, 2008
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今日は、縄張り(ちょうはり、じょうはり)が石灰でしてありました。それによると、蔵の位置が西側で1メーターくらい山側にずれて、入口は従来のとおりで、道路に屋台がまっすぐ出て行く方向になります。中央に鳴太鼓交換用のピットの位置が線引きされていました。最近は屋台庫にピットを掘るのが流行です。屋台を持ち上げるより、太鼓をピットに入れる方が安全です。このピットは滑原町が三木では一番に始めたのですが、当初は2尺5寸の鳴太鼓用に計画したもので、今の2尺七寸の太鼓では小さくなってしまいました。ピットの上には鳴太鼓の吊り上げ用にホイストを設置しています。能力は小さく、一度屋台を吊りましたがまったく上がりませんでした。
Oct 2, 2008
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末広fujioさんのブログに反応しました。男結びの右左ですが、こちらが左手で輪を作って結んだものです。私は右利きですがこちらの方が自然に結べます。こちらは右手で輪を作ったものです。写真を良く見れば左右対称で同じ結びです。分かりやすいように左右で色を変えています。さて、本題はココからですが、その屋台が新調されたとき、最初にどちらで結ばれたかにより、その屋台の伝統となっていくものと考えられます。間違っているか正しいかではなく、その屋台はこうですよ、でよいのかなと思います。
Oct 2, 2008
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1 沖も暗いのに 白帆が見える あれはな~紀伊の国 みかん舟2 めでためでたの 若松様よ 枝もな~栄えて 葉も茂る3 酒は飲め飲め 釜で沸かせ お神酒な~上がらぬ 神は無し4 ボボショボボショと く山鳥は のな~中でも スケベ~鳥5 奈良の大仏 羽織を着せて 会津な~磐梯山を 嫁にとる6 ここの座敷は 目出度の座敷 鶴とな~亀とが 舞を舞う7 丹波笹山 山賀の猿が 花のな~お江戸で 芝居する8 お前、百まで しゃ九十九まで にな~白髪の 生えるまで9 俺とお前とは 卵の仲よ 俺がな~白身で きみを抱く10 息子どこ行く 青筋立てて 生まれな~故郷に 種まきに11 万里の長城から 小便すれば ゴビのな~砂漠に 虹が立つ12 入れておくれよ 痒くてならぬ 私な~一人が 蚊帳の外13 昨日して寝た 朝まだ痛い 二度とな~するまい 箱枕14 浮世離れた さんさえも 木魚のな~割れ目が 気にかかる15 娘島田に 々がとまる まるな~はずじゃやよ 花じゃもの16 どうせやるなら かい事やろぜ 良のな~大仏 屁で飛ばせ17 どうせやるなら 小さい事やろぜ ノミのな~金玉 揉み潰せ18 俺が死んだら 三途の川で 鬼をな~集めて 相撲とぉ~る19 娘十七、八 したがる頃よ 親もな~させたがる 針仕事20 娘十七、八 停車場の汽車よ 早くな~乗らなきゃ 人が~乗る21 娘十七、八 質家ののれん 入れたりな~出したり 流したり22 二階貸します お望みならば 下もな~貸します 後家じゃもの23 俺とお前とは 羽織の紐よ 固くな~結んで 胸に抱く24 父ちゃんの頭に たくわん乗せて これがな~本当の 親孝行25 父ちゃんの頭に 雑巾乗せて これがな~本当の 親不孝26 閉めておくれよ また行きそうよ 猫がな~戸棚の 魚取りに27 仕掛けた所に お客が来て しぶしぶな~止めるは へぼ将棋28 可愛がられて 撫でさすられて 見捨てな~られたか 夏火鉢29 私ゃ広げて あなたが差して 差してな~差される 蛇の目傘30 人の女房と 枯れ木の枝は 上りな~詰めたら 命がけ31 明日は御立ちか お名残りおしや 雨のな~十日も 降ればよし32 色気づいたか 八月蝉よ 小松な~抱えて 腰使う33 色気づいたか うどん屋の娘 入れてな~温めて 汁を出す34 あなた抜いてよ 痛くてならぬ くな~抜いてよ 薔薇のトゲ35 姉の破れ傘 させそうでさせぬ 妹にな~日傘で 昼もさす36 吉田通れば 二階から招く それもな~鹿の子の 振袖で37 茶碗どんぶり鉢 落とせば割れる 娘な~お初は 寝て割れる38 成りた成りたや 風呂屋の椅子に おそそな~舐めたり 眺めたり39 成りた成りたや 娘の下駄に おそそな~眺めて 散歩する40 西行法師は お伊勢へ参り 読んでな~拝んで すすり泣き41 伊勢路なつかし ご先祖さんが 呼んでな~いるよな 春の風42 伊勢参りに 朝熊(あさま)をかけよ 朝熊な~かけねば 片参宮43 伊勢の旅路に うれしいものは 道のな~眺めと 伊勢音頭44 お伊勢音頭に 心も浮いた わしもな~踊ろか 輪の中で45 お伊勢参りに 扇を拾うた 扇な~目出度や 末繁昌(すえはんじょう)46 伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕な~様へは 月参り47 伊勢へ伊勢へと 萱の穂もなびく 伊勢はな~茅葺き 柿葺き48 わしが国さは お伊勢が遠い お伊勢な~恋しや 参りたや49 お伊勢よいとこ 菜の花続き 唄もな~懐かし 伊勢音頭50 帯に短し 襷に長し お伊勢な~参りの 笠の紐51 馬は豆好き 馬子酒が好き 乗せたな~お客は 唄が好き52 伊勢の豊久野(とよくの) 銭懸け松は 今はな~枯れても 名は残る53 お伊勢戻りに この子が出来て お名をな~つけましょ 伊勢松と54 伊勢に行きたい 伊勢路が見たい せめてな~一生に 一度でも55 紅い灯のつく 新古市で 心な~惹かれた 伊勢音頭56 架けたケーブル 朝熊の山へ 通うな~心は 奥の院57 二八乙女の 手で焼き添えて 味もな~二見の 壺さざえ58 さした盃 中見て飲まれ 中にな~鶴亀 五葉の松59 春が来たなら 小春さんを連れて 御伊な~勢街道は はるばーると60 いたら見て来いよ 名古屋の城を 金のな~鯱(しゃちほこ) 雨ざらし61 いざりかつごうか かごの中で 越すにな~越されぬ 箱根山62 ここの裏には みょうがふきはえて みょうがな~めでたい 末繁昌63 傘の骨ほど 数ある中で お前な~ひとりが 俺の妻よ64 竹にすずめが しなよくとまる 止めてな~止まらぬ 色の道よ65 伊勢へ伊勢へと 大漁の船が 帆にはな~的場の 桜の紋よ66 花は桜か 山は富士の 城はな~尾張の 名古屋の城よ67 御伊勢参りで 扇ひろげ 扇な~めでたい 末ひろがり68 伊勢の道中で この子ができて 何とな~つけます 伊勢松と69 今年は世が良い 豊年年よ 枡はな~いらぬで 箕ではかる70 めでためでたが 三つ重なれば 庭にな~鶴亀 五葉の松71 揃た揃たの 踊り子が揃った 稲のな~出穂より よく揃った72 霧の海から 丹波の富士が ぼかしな~絵の様に 浮び出る73 灘のお酒は どなたが造る おらがな~自慢の 丹波杜氏74 雪はちらちら 丹波の宿に 猪がな~とびこむ 牡丹鍋75 デカンショデカンショで 半年暮らす あとのな~半年 ねて暮らす76 丹波篠山 鳳鳴の塾で 文武な~きたえし 美少年77 寒さしのんで 作りし酒で 春はな~三三 九度の式78 私しゃ丹波の かち栗育ち 中にな~甘味も 渋もある79 丹波篠山 その山奥で 一人な~米つく 水車80 一人米つく あの水車 誰れをな~待つやら くるくると81 向うのお山の 紅葉が赤い あれがな~落ちたら 雪になる82 今年初めて 我が子の踊り ほめてな~下さい お月様83 お国とわれて 肩いからせて 俺はな~丹波の 篠山だ84 ほりの櫻が 咲いたよ咲いた 城下な~一面 花吹雪85 踊りつかれて 家路に向かう ほほにな~夜霧の 心地よさ86 涼みしよとて 出てきた娘 またもな~音頭で 汗をかく87 ボート浮かべて お壕の花見 流すな~浮名を 恋でゆく88 風が吹く吹く 篠山城の 松にな~武勇の 声高く89 踊り踊るなら 浮かれて踊れ あすのな~仕事は あすのこと90 月が呼んだか よばれて来たか 踊りな~仲間が ちらほらと91 あの娘可愛いや 霧ふる夜は たもとな~ぬらして 逢いにくる92 姉も妹も でかんしょゆかた どれがな~姉やら 妹やら93 デカンショデカンショで 歌おて廻れ 世界いな~づこの 果てまでも94 富士の白雪 朝日で溶ける 溶けてな~流れて 三島にと95 三島女郎衆は お化粧が長い お化粧な~長けりゃ お客が困る96 石の地蔵さん 頭が丸い 頭な~丸けりゃ カラスがとまる97 娘島田は、 情けにとける とけてな~流れて 三島にと98 高い山から 谷底見れば 瓜やな~茄子の 花盛り99 主と私と 二人で歩きや 人がな~羨む 夫婦雛100 お前一人と 定めて置いて 浮気な~其の日の 出来心101 私の苦労を 半分なりと させてな~見せたい 時がある102 つくり飾りの ない山桜 野暮なな~木振を ありの儘(まま)103 あの子良い子だ 豊浜美人 若いな~俺も 一目ぼれ104 ここは豊浜 祭の町よ 町のな~若い衆 勢揃い105 何を待つのか 郵便ポスト 赤いな~顔して 口開けて106 うちの父ちゃん 狐か狸 夜のな~夜中に 穴探し107 うちの母ちゃん 洗濯好きで 夜のな~夜中に 竿探し108 うちの兄ちゃん 夜釣りが好きで 夜のな~夜中に 竿伸ばす109 うちの姉ちゃん 馬より強い 村のな~若い衆 皆乗せる110 上のザクロは 何見て割れる 下のな~松茸 見て割れる111 下の松茸 何見て伸びる 上のな~ザクロを 見て伸びる112 早い早いと 威張るな新幹線 電気な~止まれば ただの箱113 今日で最後だ 豊浜祭り 町のな~若い衆 舞を舞う114 見ても見事な 屋島の山よ 根からえ~生えたか 浮き島か115 屋島の山には 霞がかかる 鶴がな~舞うような 遊鶴亭116 鯉の滝昇り どなしゅうて昇る 水にな~さかろうて しゃばしゃばと117 今年初めて ボボに毛が生えた 生えたな~ 初ボボ 誰にさす118 ここの娘は いつ来て見ても おめこな~ したそな 顔しとる119 祭りと喧嘩は 男の華よ そのな~華咲かせる 喧遊會120 二つ三つで いろはをおぼえ ハの字な~忘れて 色ばかり121 三十路女と お寺の鐘は 突けばな~つくほど 味がでる122 豊浜祭は ちょうさの祭 豪華な~絢爛 日本一
Oct 1, 2008
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今朝、いつものように散歩していると、新町の屋台蔵でほんの少し、工事が進んでいました。旧基礎、床コンクリートがきれいに撤去され、縄張りを待つばかりとなりました。町内の建設会社の工事で「明春には完成の予定です」と隣の奥さんが教えてくれました。「監督するのが楽しみですね」と云っときました。やっぱり、女性の方々も屋台好きです。
Oct 1, 2008
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