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昨日書いた「中田翔を見に戸田球場へ」に、みぢえさんからコメントをいただいた。「途中で帰ったということは、代打で出場した鵜久森敦志外野手(済美)の代打は見なかったのでしょうか」ん? ボクが帰った後に、鵜久森が出ていたのかぁ? 済美高時代の鵜久森敦志。とにかく打球が早い、というか強いバッティングで、ボクだけでなく、多くの高校野球ファンを魅了したものだ。寒さに負けず、もう少しグラウンドにいれば、ナマで鵜久森を見れたのに・・・------------------------------------------------------さて、今日も中田翔(大阪桐蔭高)のこと。日刊ゲンダイでは、日本ハム・梨田昌孝監督(元近鉄)の嘆き節を伝えていた。「打線がつながりを欠いている。勝てなければ下に行く」言葉どおり、昨日は楽天に敗れ3勝5敗となり最下位に転落。チーム打率もリーグ5位の.216と最悪だ。そんな中で囁かれていることがある。それは、打撃の打開策として中田の一軍昇格説だ中田、二軍での打率は.158とはいえ、本塁打も打っている。気がかかりな素人レベルの守備もDHなら問題ない。現在DHで出場している坪井智哉(PL学園高-青山学院大)は3試合で打率.077、そしてスレッジは4試合で打率.154と、とてもDHのレベルではない。そういった事情が根拠となって、中田の一軍昇格が早まるだろうと、日刊ゲンダイは読んでいる、らしい。---------------------------------------------------------サンケイスポーツも同じような記事を伝えている。頭を使って日々、進歩を見せる姿勢を水上善雄二軍監督は評価。「吸収力が早い。打撃もいい状態。4月が私たちにとって勝負です」鍛錬に励み、確実な技術アップができれば、5月中にも1軍の舞台が見えてくる。 ホンントかね今日は今日で、発表された星野JAPANの候補選手にも挙げられた中田。周囲はやたらに騒がしいが、ボクは決して本人のためにならないと思う。29日にイースタンで中田を見てそう思った。それはセイフティバントを許す守備力の弱さ、そして内野ゴロだと一塁まで全力疾走しない姿勢などなど、しばらくは二軍で徹底的に鍛えるほうが本人のためと思うから。急いで一軍に上げても、客寄せパンダ効果にしかならないぞ、きっと。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.03.31
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昨日29日、ヤクルト戸田球場に行ってみた。ヤクルトvs日本ハム、もちろんお目当ては中田翔(大阪桐蔭高)。三塁側の土手からの観戦である。この球場、知らない方のために説明すると、スタンドはネット裏に僅かしかなく、あとは三塁側にある土手からの観戦しか方法がない。さて中田翔。この試合は「3番・三塁」で出場で、結果は4打席3打数1安打。期待していた快音はまったく聞かれなかった。第1打席、右前安打。変化球に泳がされ右前に小飛球。第2打席、四球第3打席、三振第4打席、遊ゴロ 寒くなって、試合途中で球場を後にしたのだけど、中田の守備機会は3度あった。強めの風が吹く中で、高く上がった飛球を難なく捕球したものの、(意図的に)2度も三塁前にセイフティバントを試みられ、いずれも安打にしてしまったでも、隣りにいたオッサンたちがクチグチに言っていた。「これでも中田、守備はだいぶ上手くなったよ。そして何よりオーラがある」------------------------------------------------------------この試合に行ってみて、ほか日本ハムに何人かの選手を見つけた。今浪隆博(平安高-明治大)2番・二塁手がいたし、金子洋平(国士舘高-青山学院大-ホンダ)も4番・左翼手で出場していた。先発投手は、「亀田興毅」似といわれる木下達生(東邦高)。ただ結果は最悪だった・・・3回2/3、77球を投げて被安打5、与四死球8、自責点2。救援で登板したのは糸数敬作(沖縄・中部商高-亜細亜大)。この糸数、06年秋の明治神宮大会・決勝では早稲田大と対戦。早大・宮本賢(現・日本ハム、関西高)に投げ勝ち、亜大を全国優勝に導いた一線級の投手だった。1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.03.30
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元・中日の選手だった佐野心部長が率いる静岡・常葉菊川高。ピンストライプ、左胸に大きく「TK」の文字をかたどったまるでヤンキースとウリふたつのユニフォームが、いずれも高校生離れした大きな身体の選手たちを包んでいる。昨年のセンバツ、そして明治神宮大会で優勝し、今大会でも優勝候補の筆頭だったが、今日行われた3回戦であっけなく敗退した。出場高の多くが「打倒、常葉菊川!」を掲げていたが、それを成し遂げたのは、最近甲子園の常連になってきた千葉経大付高勝因は、エース・斎藤圭祐の直球とスライダーやチェンジアップを駆使した絶妙な配球、そして野手の絶妙なポジショニングなどのディフェンス面にあったようだ。率いるのは、今ではすっかり有名になった松本吉啓監督。高校(桜美林高)-大学(明治大)-社会人(明治生命)と、常に日本一を経験してきた。強いて言えば、高校野球の監督としては唯一まだ経験していないが。--------------------------------------------------------ボクにとって最も印象深いのは、松本さんが埼玉栄高の監督時代のこと。それは98年夏の甲子園。現西武の大島裕行を主軸に据え、新垣渚(現ホークス)を擁する沖縄水産高を破った試合だ。(これまで何度も書いたので、ここでは省略)その後、「ボタンの掛け違い」があって埼玉栄高を追われるように飛び出し、千葉経大付高の監督に就任して、あらためて強豪校に仕立てた。昨秋の高校生ドラフトで広島に入団した丸佳浩も、もちろん教え子のひとり。ほかに、実の息子2人も甲子園で活躍し、いまでは揃って早稲田大野球部に在籍している。特に兄の松本啓二朗は高校時代、ダルビッシュ有を擁する東北高相手に、延長の末に投げ勝ったこともある。大学に入学後は外野手に転向。神宮でも存在感を示し、いまではドラフトの注目選手に成長している-----------------------------------------------------今年のセンバツ、どうにも「西高東低」が顕著なのだ。現時点で「東」で残っているのは、千葉経大付高をはじめ聖望学園高(埼玉)ぐらいだろうか。とりあえず、ボクはこの2校を応援することにしよう。※ほかに長野日大高もあった・・・1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.03.29
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今日の3回戦、わが埼玉・聖望学園高が大阪・履正社高をスコア7-5で破り、ベスト8に進出した履正 000 000 410 =5 聖望 140 001 10X =76回までは、完全に聖望の完勝ペースだった。だが7回、エース・大塚椋司の調子が突然狂い始め、いつもの笑顔が完全に消えていた。大塚の微妙な変化に気づいたのは、小学生時代からバッテリーを組む捕手の原茂走。 「モーションが速くなって球が浮いたり、シュート回転している」。終盤に入って勝ちを急いでいるのか。上体が突っ込み、体が開き気味だ。右足のためもない。ミットの手応えがどこか違った」 (毎日新聞)だが、相手に傾きかけた流れを、再び引き寄せたのも大塚。七回裏の攻撃で打席に入ると、低めの変化球をすくい上げるように左翼席へ運んだ。この本塁打で、聖望は試合の流れを引き戻し勝利決めた。----------------------------------------------------------センバツ初出場で準々決勝進出を決めた聖望学園高。阪神・鳥谷敬(早稲田大)や読売・門倉健(東北福祉大)の母校として有名。過去にもベスト8まで勝ち進んだことがある。それは03年夏の甲子園。1回戦では香川西高に17-4で大勝、2回戦は天理高を7-3で制したが江の川高に1-2で惜敗。この時、聖望のエースは松村裕二(立教大)だった。さて準々決勝、今日の第3試合で延長15回の末に引き分けた鹿児島工高と平安高の勝者が聖望の対戦相手となる。1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.03.28
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明日開幕するセ・リーグ。ボクは「セ」をあまり見ないのだけど、いま売出し中で「8番・二塁手」としてスタメンに名を連ねるハズの読売・坂本勇人(光星学院高)には興味がある。特に理由があるわけじゃない。國學院大・感情むき出しのエース村松伸哉が好きで、坂本(光星学院高)が高校時代の同級生であることを後から知り、それが縁で興味を持ち始めただけだ。--------------------------------------------------------坂本勇人。彼について先日ブログに書いたところ、読者の方からコメントをいただき、ボク自身初めて知ることが多かった。それは、坂本と田中将大(楽天、駒大苫小牧高)の関係。まず2人の少年時代のことを教えてくれたのはKazu.com7977さん。「兵庫県出身の坂本は、小・中学校は楽天マー君と同級生です」このこと、ボクはまるで知らなかった。 調べてみると、少年野球時代に2人はバッテリーを組んでいた。意外にも田中は捕手、坂本が投手だったという。そして、高校時代のことを教えてくれたのは東洋工業さん。「2人は高校時代に一度対戦してますね」このこともボクは知らなかった。調べたら、そのたった一度の試合のことがわかった。それは、06年6月17日に行われた光星学院高vs駒大苫小牧高戦。光星学院高の創立50周年記念親善試合として行われたものだった。5回裏2死満塁のピンチに田中将大が救援のマウンドに立ち、光星学院の主砲坂本勇人と対峙した。そして「幼なじみ対決」は押し出しの四球となった。 (日刊スポーツ)ボク自身の頭の中では、この2人の間柄はまるで気がつかなかった。だから、遅まきながら知ることができ、嬉しく思っている。交流戦で、必ず2人の対決があるだろうから、ぜひ楽しみにしたい。-------------------------------------------------------------そもそも坂本、06年のドラフトでは堂上直倫(現・中日、愛工大名電高)の外れ1位で読売に入団した経緯がある。ぜひ、雪深い青森で磨かれた強力な「リスト」で、同期たちの一歩先を走ってほしいのだ。1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.03.27
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いまネットで録画を見た。今日行われた高校野球の第三試合、長野・丸子修学館vs智弁和歌山高の試合。智弁和歌山 101 001 072 =12 丸子修学館 000 000 400 = 4 今日のこの試合、スコアを見てわかるように、大荒れに荒れた。勝負を分けたのは、スコア3-4の1点ビハインドで迎えた智弁和歌山高、8回表の攻撃のとき。先頭打者が放ったレフト前への打球。ふらふらっと上がった飛球を追ってショート・平林孝紀が全速力で背走。7回まで好投した後、この回からレフトに入った下村尚之も打球を目で追いながら前進。そして下村のグラブに打球が収まった瞬間、2人の顔面がまともにぶつかって、そのままグラウンドに倒れた。双方、立ちあがれないまま担架で運ばれて退場になってしまう前後してライト・西藤勇人は熱中症から足がけいれんし、これまた退場。いっぺんに3人の選手がいなくなり、秋季大会では試合に出場経験のない選手たちがと一斉に入れ替わることになった。この回から登板した竹内崇馬投手も、状況の急変に動揺したか、智弁和歌山の打線に猛攻を喰らい、大逆転劇を演出してしまった。ま、投手がどうのこうのというより、智弁和歌山の打者一人一人が強振せずに、素直に右方向に打ちかえした巧者ぶりが立派だったといえる。----------------------------------------------丸子修学館高、まるでボクには馴染みのない校名だ。だけど昨年校名を変更し、それまでは「丸子実」だったと聞いて、理解できた。ボクが幼いころ、長野代表校といえばいつも丸子実だった。今回のセンバツ出場は、なんと31年ぶりなんだとか。まさに古豪復活なのだ。昨日の日刊ゲンダイでは、丸子修学館高・竹内政晴監督に取材をしていた。実は以前、長野県の高校野球指導者向けに行われた研修会が行われ、竹内監督は聴衆のひとりとして参加した。そして講師として演壇に立ったのは、甲子園通算勝利数2位(51勝、当時)の智弁和歌山高・高嶋仁監督だったという縁があった。※1位は元PL学園高・中村順司監督で58勝。竹内監督が言っていた。「生徒と先生みたいな違いはありますが、すごい監督さんに胸を借りるつもりで戦います」その言葉どおり、一度は逆転するなど大健闘したものの、8回の守備で一挙に奈落の底に突き落とされてしまった。まさに「甲子園には魔物が棲んでいる」1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.25
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ホークスのルーキー・大場翔太(八千代松陰高-東洋大)、楽天を相手に初登板で完封勝利を挙げた。何しろ大学生時代の戦績がスゴい!東洋大時代の通算成績は33勝11敗で、勝利数はリーグ歴代6位。通算奪三振数410、シーズン最多奪三振115、連勝記録14は、いずれもリーグ歴代1位。シーズン最多勝利数9は、同1位タイの記録だ。これだけの記録をもった男だから、昨日の完封劇くらい、当たり前と言えば当たり前だ。------------------------------------------昨日の戦績、9回。被安打8、奪三振6、与四死球0、自責点0。ただナイスピッチングと合わせて「天然キャラ」も全開だったらしい大場の様子を朝日新聞が伝えている。(朝日がこんなことをマジメに書くのは珍しい)「試合中、必死に大きなペットボトルから、自分の小さなペットボトルへ水を移し替えていた。なぜか置いてあるコップでは飲まない」「そして東京から両親が観戦に来ているのに、『ウイニングボールは実家に送ります』と言ってしまう大場の不思議???」-------------------------------------------ま、細かいことはどうでもいい。大学野球の「鉄腕」が、プロでもその片鱗を見せた。相手が楽天だったのが、ちょいと悲しいが・・・1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.24
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140km前後の速球と鋭く落ちるスライダー、たまに抜いたようなカットボールを散りばめ、聖望学園高の大塚椋司投手は、徳島・小松島高を完封で下した。■聖望学園高 2-0 小松島高■マウンドに立つ大塚には、つねに笑顔があった。八重歯がきらりと光った表情は、ボクの子供の頃の友人・フジモトくんにそっくりだった。大塚椋司。昨年の秋季県大会、ボクは準決勝・決勝を含めて数試合を観戦した。その中には当然、聖望学園高のカードも見ていたが、恥ずかしいことに大塚投手のことはまるで記憶にないのだ。投手名もスコアブックには大塚ではなく、「大久保」と書く失態を演じていた今日の試合での好投は、ここ数年の甲子園において白星のなかった埼玉にとっては朗報だ。実力的には全国レベルに引けを取らないはずの埼玉高校野球、この勝利にキッカケに甲子園でめいっぱい暴れてほしいものだ-------------------------------------------ちょいと気になって、埼玉代表校の最近の戦績を調べてみた。センバツで最後に勝ったのは、なんと5年前03年、花咲徳栄高が三回戦でダルビッシュ有(現・日本ハム)を擁する東北高にスコア10-9でサヨナラ勝ちした時。当時の花咲徳栄高、エースは福本真史(現・TDK千曲川、明治大)。そして準々決勝に進出したが、アン投手(現・東芝)のいる東洋大姫路高に、引き分け再試合の末に敗れ去った。ちなみに夏の大会、最後の勝利は04年。埼玉代表で甲子園に出場した浦和学院高、初戦で広島商高に勝利したものの、2回戦で中京大中京高にスコア4-6で敗退している。当時、浦和学院高のエースは今成純太郎(現・かずさマジック)、バッテリーを組んだ捕手は今成亮太(現・日本ハム)だった。一方の中京大中京高には、現・法政大の伊藤暢啓主将や亀谷信吾らがいた。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.23
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今日はセンバツの開会式。子供の頃から知っている選手も出場しているので、入場行進を興味をもって見ていた。そして午前10時過ぎ。中田翔と神戸拓光を見るため、イースタンリーグ・日本ハムvsロッテが行われている千葉・鎌ヶ谷球場に行くつもりで家を出た。いや、出るつもりだった。ところがマンションのエントランスまで歩を進めたところ事件が起きた。マンションの管理人さんが左手をおさえ、ボウ然と立ちつくしているのだ。「どうかしましたか?」そう訊ねたボクに、管理人さんは傷口から出血する左手を見せつつ、興奮した口調で話し始めた。要約するとこうだ。マンションのごみ置き場で作業中、いきなり背後から酒の臭いを漂わせたホームレスが現れ、持っていた刃物で切りつけて逃げて行ったという。慌てて管理人室に戻って警察に通報。その後、エントランスで警察官を待っている時、ボクとバッタリ出会ったというわけだ。ボクは自宅に戻り、消毒とガーゼを取って応急処置だけしたところに、パトカーに乗った警察官、刑事、そして救急車が相次いで現われた。管理人さんは警察官を伴って事件現場に行き、状況を簡単に説明後、救急車に乗って病院へ。残ったのはボクひとりだ。「あなたが第一発見者ですね?」警察官に声をかけられて、事情聴取がはじまった。その警官、まわりにいた刑事たちにも「このかたが第一発見者です」と声をかけて、他の刑事たちを集めた。それは、まるで福田康夫首相を取り巻く記者たちのぶら下がり取材のようだ。事件の顛末、管理人さんが言ったこと、傷の深さ、出血の状況などなど。そして最後に氏名・住所のほかに、職業や年齢などを聞かれた。その後、管理組合の理事長らと話している内に時間が過ぎ、野球観戦どころではなくなってしまった・・・。しかし、第一発見者ということで「職業」や「年齢」を聞かれたのには違和感があるなぁ、事件と関係ないだろ?1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.22
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先日、テレビでバラエティ番組に出演している元横綱・貴乃花光司さんを見かけた。特に内容はどうってことないのだけど、彼は一言だけ真剣な表情で語っていたのを見て、ボクは思わず聞き入ってしまった。「負けて覚えることがある、そんな言葉がありますが、勝負は勝って覚えることが多いのです。だから常に勝たなければいけません」さすがに勝負師だった男の発言だぁ!ボクは、その言葉に感心しきりだった。-------------------------------------------------昨日の開幕戦・ホークスvs楽天。最後はホークス・柴原洋のサヨナラ逆転3ランが飛び出し、ホークスが接戦を制した。ホークス・王貞治監督は試合後、メガネを監督室に忘れるほどに興奮したらしいが、この王さんも勝ちにこだわり続ける人のように思う。現役時代、努力に努力を重ねて勝ち続けた人物だけに、日頃の言動から見ると、貴乃花さんと同じ「勝ってこそ覚えることがある」と信じている人だと、ボクは思っている。一方、敗戦した楽天・野村克也監督。先日の日刊ゲンダイが紹介していたが、見かけによらず「情に流されがちな人」で、それがアダにならないかと周囲の人がハラハラしているらしい。いまの火種は、息子の野村克則・楽天コーチの存在。他のコーチや選手たちとの間に亀裂が生じているらしい。最悪の場合に「チーム(楽天)をとるか、克則をとるか」と迫られたら、たぶん野村監督は球団を捨てて息子を取るだろうと、周囲にいる多くの人は予想しているようだ。そう言えば南海の監督時代には、愛人の沙知代さんが理由もなく選手たちを怒鳴りつけるなどの悪態をつき、球団関係者を呆れさせた。挙句の果てに「野球をとるか、女(沙知代さん)をとるか」と球団から迫られ、野村さんは女をとって野球から離れた時期もある。阪神監督時代には、沙知代夫人が脱税容疑で逮捕された直後に責任をとって辞職している。そして今度は息子のモメ事がキッカケに辞職するようなことになれば、情に振り回され放しの半生になってしまう。負けて覚えることもあるけれど、情に流されず勝ち続けることが大切、なのかもしれない。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.21
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今日の開幕戦、楽天vsホークスの試合。途中経過しか知らなかったが、楽天が3-1でリードしていると聞いていたので、今日は楽天の勝利、ヒーローは岩隈久志(堀越高)だとボクは勝手に考えていた。ところが・・・試合結果のスコアを聞いて驚いた楽天 100 200 000 =3 ホークス 000 001 003X=4 何ということだ先発の岩隈、7回を自責点1で乗り切ったものの、青山浩二(函館工高-八戸大)、吉崎勝(東山高-日本ハム)とつなぎ、最終回は中日から移籍したドミンゴが締める・・・はずだった。ところが9回から登板したドミンゴ、無死二・三塁のピンチを招き、5番・柴原洋(北九州高-九州共立大)から右翼スタンドに逆転サヨナラ3ランを浴びてしまった。楽天にとって、何とも後味の悪い負け方なのだ。そして近鉄バファローズが14年前の開幕戦で味わった、苦い経験をボクは思い出してしまった。開幕戦の大逆転・サヨナラ負け試合。それは1994年の開幕戦、西武球場で行われた西武vs近鉄戦で起きた。野茂は史上初の開幕戦ノーヒットノーランという記録にあと1回を残すのみという場面に立っていたが、清原和博(現・巨人)のバットに捕まり、記録は夢に消えた。だが、問題はその後だった。続いて四球とエラーで1アウト満塁となった場面で、鈴木啓示監督(当時、以下鈴木氏)がピッチャー交代の指示を出した。野茂はマウンドを降りないと猛抗議するも、監督の采配は変わることはなかった。しかも、野茂がマウンドを降りた後、抑えの赤堀元之が満塁ホームランを打たれ、近鉄はまさかの逆転負けを喫してしまう。(「月刊・野茂英雄」より引用)この交代劇が鈴木啓示監督と野茂英雄(成城工高)の確執を生み、次第に2人の間の亀裂が拡がっていき、同年のオフ、近鉄を飛び出して野茂がメジャーへ挑戦をはじめるきっかけともなった。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.20
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今日はパ・リーグ開幕戦、西武vsオリックス戦をテレビ観戦していた。夕べ、あまり眠っていなかったものだから、途中ウトウトしながら・・・。試合序盤。テレビカメラが西武ベンチを写す。自チームのベンチ入り選手名を書いたホワイトボードが見えた。外野手の欄には「大島裕行」の名が赤い文字で書いていた。---------------------------------------------試合中盤。解説の大塚光二氏(育英高-東北福祉大-西武)が自分の現役時代のことを吐露していた。「外人選手の多くが、たとえ打率が低くても一軍を保証されていることが多い。その程度の打率なら、(ポジションを外人に奪われた)オレを使えよ! そう思うことがよくあった」さすがに一軍と二軍のボーダーラインを、負けずに生き抜いた含蓄のある言葉だ。と同時に、現在の西武にあって同じような境遇にある大島裕行(埼玉栄高)のことをボクは思い出していた。高校時代の本塁打記録は86本。昨年、大阪桐蔭高の中田翔(現・日本ハム)に抜かれるまで、本塁打記録の保持者は、この大島だった。プロに入団以来、守備に難があることで外国人選手らとのポジション争いに敗れることが多く、気がついたら肝心の打撃までもがおかしくなっていた。少なくとも、ボクはそう思える。----------------------------------------------試合終盤・9回裏、西武最後の攻撃。スコア1-2で、二死走者なしの場面。代打で登場したのは、その大島裕行だった。渡辺久信監督(前橋工高-西武)の大島への期待の表れなんだろう!打席に立った大島。だが打撃フォームがまるっきり変わっているのを見て、ボクは驚いた。西武・熊沢とおる打撃コーチ補佐(所沢商高-西武)との二人三脚で生み出したものらしいが、以前の真っ直ぐスーッと立つ「ふつう」の構えではない。両足を大きく開き、腰を落として両ヒザはガニ股状態。バットのトップはわずかに投手のほうを向いて、せわしなくクルクル動いている。そしてオリックスの守護神・加藤大輔(九州国際大付高-神奈川大)が投げた2球目の直球をセンター前に弾き返した。--------------------------------------------------昨年に引き続き、開幕一軍で迎えた今シーズン。そして初打席で初安打は、まさに最先のいいスタート。途中で二軍に落ちることなく、出遅れたはしたがスター街道をまっすぐに突き進んでほしい。西武・大島裕行、今年こそ!1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.20
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駒大苫小牧高・香田誉士史前監督(現・顧問)が退職することになったらしい。夏の甲子園で04、05年に駒大苫小牧を連覇に導いた香田誉士史前監督が、3月末で退職することが決まった。指導者として複数の打診があり今後も野球を続ける。香田前監督は佐賀県出身。95年に同校に赴任し、01年夏に甲子園初出場。春夏を通じて初めて北海道に優勝旗をもたらした。しかし、05年の当時の部長による暴力事件や06年春の部員の喫煙発覚といった不祥事により心身に痛手を負い、昨夏に監督を勇退し、顧問に就任していた。(毎日新聞)----------------------------------------------------現・楽天の田中将大が高校を卒業する時、「天国と地獄を味わい、まるでジェットコースターのようだった」と振り返った高校時代。それはそのまま香田さんにとっても、これまでの監督人生そのものだったかもしれない。思い出すのは駒澤大・太田誠前監督が香田監督に授けたという「放下着」という言葉。今でこそ強豪校になった駒大苫小牧高。でも香田さんの就任時は、ただの荒れ果てた田舎の一高校に過ぎず、困り果てた末に相談したのが恩師・太田前監督だった。※「放下着」(ほうげちゃく)「捨ててしまいなさい。捨てるという言葉も捨てて、雑念をすべて吐き出し、裸になって心を空っぽにしてこそ、初めて人々に受け入れられる」。昨年8月に亡くなった作詞家・阿久悠さんのコラム。06年夏の決勝・対早稲田実戦のことを書いていた。早稲田実が中心に報道される風潮に違和感があったボクは、妙に阿久さんのコラムに納得したものだった。----------------------------------------------------早実に対してシンパシーの空気が偏りがちの空気は、まぁ仕方がない。人々は時代の中からシンパシーの対象を見つけ出す名人なのだ。それが(37年ぶりの優勝を目指す)早実であり、先輩の王貞治であり、斎藤佑樹投手であった。その相手でワリをくった感のあるのが駒大苫小牧であるが、ボクが彼らに用意したキーワードは「偉業」。なにしろ73年ぶりの3連覇に、あと1勝まで迫ったのだから。もっともっと3連覇のほうを期待してもよかった。 (一部を抜粋)-----------------------------------------------------香田さん、次はどこのチームで指揮を執るのだろう?ま、どこにせよ、まずはお疲れ様でした。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.19
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先日の朝日新聞に、こんな記事が出ていた。「『主婦の友』91年で幕」。毎年新年号では「家計簿」を付録につけ、キンキラキンの豪華版を競っていた4大婦人誌。『婦人生活』『婦人倶楽部』『主婦と生活』はとっくになくなってしまい、最後の1誌『主婦の友』がついに休刊に追い込まれたという。創刊は古く、1917年(大正6年)。主婦の友社の幹部の方が、休刊にあたりコメントしていた。「もう30歳前後の女性に、『主婦』という言葉は届かない」えっ、『主婦の友』は30歳前後の若い女性に向けて作っていたのか? と驚いたが、京都大教授(家族史)・小山静子氏の考察は興味深かった。「主婦の時代が終わったと感じる。創刊当時、農作業や自営業で働きながら家事をする女性にとって、家事や育児に専念する主婦は『幸せのシンボル』だった。でも現在では、結婚して主婦になることが女性の幸せではなくなった。女性の生き方を主婦という言葉でくくることはできなくなったのです」----------------------------------------------朝日新聞では、創刊号から開戦時までの記事を紹介していた。創刊号(大正9年)では、このような特集があったらしい。「何といって良人(おっと)を呼ぶか」「新婚の娘に送った母の手紙」「共稼ぎで月収33円の新家庭」そして太平洋戦争の直前。「代用食品の使い方実験集」(昭和14年)「防空壕の作り方」「戦線ルポ」(同15年)「古なべを利用した非常頭巾の作り方」(同16年)ボクは学生時代、雑誌が大好きだった。男性誌はもちろん、女性誌といえば『Can Cam』や『婦人公論』を読んでいた時期がある。その頃、卒論研究と称して戦時中以降の特集を調べたことがあって、懐かしくなり『婦人公論』に関する当時の資料を引っ張り出してみた。例えば昭和18年。「皇国婦人の服装倫理」 決戦下の防寒着は下着から / 寒さに堪へる足もと「明るく戦ふ女性」そして戦後の昭和22~24年、団塊世代の方が生まれた頃。「新しい進路」「新しい指標」「性の解放」「解放された女性たち」など、タイトルに「新」「解放」「性」といった言葉が散見されるようになる。また、現代の女性誌の原型ともいえるタイトルが増え始める。「働く女性の立場」「恋愛と結婚について」「男の貞操」「處女は純潔ではない」「離婚はなぜ増える」「育ちゆく子供たち」「新しい女らしさ」「貞操はいらない」「男ごころ・女ごころ」「男女間の友情について」など この頃の主な執筆陣は、野上彌生子、宮本顕治、柳田國男、石坂洋次郎、林芙美子、坂口安吾、金田一京助、清水幾太郎など。また連載小説は、丹羽文雄「落鮎」や谷崎潤一郎「細雪」。(敬称略)特集ごとのタイトルしかメモしていなかったのが残念だが、「男の貞操」「處女は純潔ではない」「離婚はなぜ増える」などの特集、当時の雑誌が手に入るのなら、ぜひ読んでみたい気がする。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.17
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日本ハム・中田翔(大阪桐蔭高)とヤクルト・佐藤由規(仙台育英高)の2人が五輪代表の1次候補に残ることになったそうだ。JAPANの星野仙一監督(倉敷商高-明治大)が、そう明言したという。いかにも話題づくりにも長けた星野さんらしい。でもこの人には、プロに入って調子の上がらない彼らに、じっくりと練習に集中させてあげる配慮はないもんだろうか? とボクは思った。いや、そんなもん、あるわきゃないか。星野さんには・・・--------------------------------------------------さて話題を変えて、スポニチの記事のこと。「プレイバック甲子園」という連載記事で、今日は元PL学園高・中村順司監督(現・名古屋商大監督)のことを紹介している。言わずと知れた、甲子園通算58勝を記録した歴代1位の「名将」だ。中村さんの甲子園初優勝は81年のセンバツ。エース・西川佳明(法政大、元・南海)や主砲・吉村禎章(元・読売)らを擁して栄冠を勝ち取った。以降、桑田真澄(パイレーツ)、清原和博(オリックス)、立浪和義(中日)、福留孝介(カブス)ら球史に残る教え子を率いて勝ち星を重ねた。最後の58勝目は、いまから10年前のこと。98年のセンバツ・準々決勝で明徳義塾高にサヨナラ勝ちしたとき。そして59勝目を狙った準決勝、PL学園高の前に立ちはだかったのは横浜高・松坂大輔(レッドソックス)。先制したものの、最終回に守備の乱れからピンチを招き、スクイズで決勝点を奪われて、スコア2-3で敗退。中村監督は、その試合を最後に引退した。----------------------------------------------------中村監督が育てた桑田真澄と、中村監督の59勝を妨げた松坂大輔。この2人、わりと比較されることが多い。このことに関して、中村監督自身はこう述壊していた。「投手としての完成度からすれば、松坂君のほうが完成されていた。威力のあるストレートにカーブ、チェンジアップ、スライダー・・・。高校時代の桑田はストレートにカーブしか投げていない」◇マラソン日記◇3月15日(土)6km2月16日からカウント開始して、累計126km1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.15
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読売・坂本勇人が11日、阪神戦に7番・ショートで先発出場し、2本の二塁打を含む4打数4安打と大暴れした。紅白戦、練習試合の6試合で3割5分と高打率をマーク。長嶋終身名誉監督が「いい素質を持っている」と絶賛していた。ただ、道のりは厳しく遠い。同じポジションには二岡智宏(広陵高-近畿大)がいる。左ひざ手術による不安があるとはいえ、昨年のリーグ優勝にも貢献したレギュラーだ。 (日刊スポーツ)坂本勇人(光星学院高)、開幕戦のスタメン入りも夢ではないらしい。すっごいもんだ飽きもせずに巨大補強を続ける読売にあって、高卒2年目の選手が開幕スタメンなんて・・・。当面のライバルは二岡智宏(広陵高-近畿大)。たしか原辰徳監督(東海大相模高-東海大)との相性はよくない。その裏返しなのか、原さんの坂本への応援ぶりは相当なものと聞く。だったら坂本、開幕スタメンは十分に期待できるぞ----------------------------------------------坂本の光星学院高時代、チームメイトであり同級生だった選手に國學院大・村松伸哉(2年)がいる。まだ1年生だった昨年の春季リーグ戦で、いきなり開幕投手を務め、日米野球では早稲田大・斎藤佑樹(2年、早稲田実)を押しのけてMVPも獲得。順風満帆の選手生活だったが、昨秋の入替戦で日本大に敗れ2部に降格してしまった今後マスコミの注目度は減るのかな?ま、それはどうであれ、試合は平日だからあまり見れないけれど、ネットでチェックしてこのブログではキミを追いかけるからね1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.12
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ヤクルトのルーキー投手・加藤幹典(川和高-慶應義塾大)が、オープン戦の対西武戦でメタメタに打ち込まれてしまった。東京六大学で通算30勝を挙げた慣れ親しんだマウンドだったが、4回を投げて、3被弾を含む毎回の2ケタ10安打8失点。改装された本拠地のお披露目ゲームで、プロの洗礼を浴びる結果となった。(日刊スポーツ)たしか評論家の方が、こう加藤を評していた。「身体の開きが早くて球の出どころが打者から見えやすく、球種とくに変化球がモロにわかった。それに腕をもっとしっかりと振らないと・・・」腕をもっと振らないと・・・???その時の試合を見ていないので、何とも言えないけれど加藤は腕をよく振ることに特徴のある投手だった。大学時代もそうだが、ボクは加藤の高校時代の投球フォームをネットで見ことがあって、その「腕の振りぶり」には仰天したものだ。まさに「親の敵(かたき)!」と言わんばかりの腕の振りようだった。なぜ今回は、腕を振れなかったんだろ?調子が悪かったからか、緊張してヨソゆきの投球をしてしまったか?いずれにせよ、加藤が本来の力を出せば大丈夫だよ。特に、右打者の膝もとに落ちるスライダーは、並いるプロの打者に十分通じるよ・・・、(と思う)そういえば、Wikipediaによると、西武から中日に移籍した和田一浩と、昨日の名古屋国際マラソンで27位と惨敗してしまった高橋尚子は、県立岐阜商高の同級生だったらしい。互いに面識はあったものの会話をしたことは一度もなかったらしいが。同級生とはほんとかい?和田が10歳くらい歳上に見えるが・・・。◇マラソン日記◇3月8日(土)2km(ヒザが痛くて、途中でリタイア)3月9日(日)12km2月16日からカウント開始して、累計120km1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.10
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8日行われたオープン戦、ソフトバンクはオリックスから移籍した的山がオープン戦初の先発マスク。三回一死一塁で持ち味の強肩で赤松の二盗を阻止すれば、その裏の攻撃では中前打とバットでもアピール。右ふくらはぎを痛めて出遅れていたが、「瞬間的な動きも大丈夫。あとは試合に出て慣れていくだけ」37歳のベテランが、レギュラーどりに意欲を見せる。(読売新聞)的山哲也(福崎高-新日鐵広畑-近鉄-オリックス-ホークス)。強肩で盗塁阻止率は常にリーグのトップクラス、インサイドワークのリードも巧みなベテラン捕手。ただ打撃がパッとしないのが玉に瑕(キズ)だが。的山、1994年にドラフト4位で入団後、今年はプロ入り15年目を迎える。的山にとって、これまで捕手の座に一番危機感をもったのはいつだったんだろう? ふと、そんなことを思った。ボクの勝手な予測では、それは礒部公一が新人の時以来の捕手に再挑戦した2000年ではなかったろうかと思っている。もともとが打撃に定評のある礒部、ディフェンスも難なくこなすことができれば、とたんに的山は捕手の座を追われる所だった。だが、礒部の捕手には難があり、的山は礒部に救われた格好だ。-------------------------------------------------------在りし日の「近鉄バファローズ」。球団の特徴を何か一つ言え! と言われたら、「外国人選手のスカウティングは確かだった」という点もあるが、一番は「捕手王国だった」ことだとボクは思っている。1970年代、有田修三や梨田昌孝がその原点であり頂点だった。以降、古久保健二や光山英和が正捕手を争い、的山や藤井彰人が参戦した。手前味噌かもしれないが、近鉄の捕手陣のレベルは高く、前述の礒部もそうだが、現・新日本石油ENEOSの大久保秀昭監督も捕手争いに敗れたクチかもしれない。 ---------------------------------------------------ここまで書いて、思い出したことがある。ボクが学生時代、深夜急行で何度か大阪・藤井寺球場に通っていたことがある。そんなある日、ボクは一塁側の内野席で観戦していた。そして有田修三が打席に立った時、たまたま隣りにいた少年が「父さん、がんばれ~」といきなり叫び始めたのだ。ん?その少年を見ると、白いズック(スニーカーではない)には、黒いマジックでしっかり「ありた」と書かれていた。野球選手のご子息と並んで観戦したというのも、珍しい体験ではある。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.08
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大田卓司さん、2日ほど前の日刊ゲンダイに取材記事が掲載されていた。う~ん、懐かしい名前だ・・・この大田さん、西武ライオンズの黄金時代(1980年代中頃)、「必殺仕事人」の異名をとるなど、勝負強い打撃でチームを支え続けた。現役引退後はホークス打撃コーチ、中華職業棒球聯盟・La・New高熊(台湾)の監督を経て、昨年は韓国プロ野球・SKワイバーンズの打撃コーチを務め、韓国シリーズの優勝に貢献もしていた。だが「辛い食べ物が大の苦手」なためにたった1年で退団、今シーズンはヤクルトの打撃コーチに就任している。大田さんが日本に戻っていることを、この記事を読んでボクは初めて知った。さらに驚いたのは、大田さんとヤクルト球団や高田繁監督との接点がまるで見当たらないこと。少なくとも大田さんは現役時代、西鉄(西武)一筋の人だし・・・。さすがに日刊ゲンダイの記者氏も疑問だったのか、そのへんのことを聞いていた。大田さんの答えが面白い。「子供どうしが明大中野高の同級生だったんですよ。うちの長男がライトで、高田監督の息子さんはセンターでした(笑)」ま、それは事実らしい。が、だからといって、それがコーチ招へいに結びついたわけではない(当りまえ!)。「これまでの指導経験を十分に評価している。だから、ぜひヤクルトで存分に生かしてほしいと言われました」(大田さん)-----------------------------------------------大田卓司氏(津久見高)、57歳。高校時代、67年のセンバツで全国制覇を経験している。決勝の相手は高知高。延長12回の熱戦の末、2-1で勝利。大田は背番号「7」をつけていた。68年夏も背番号「8」をつけて甲子園に出場したが、この時は3回戦で岩手・盛岡一高に敗退した。その後、68年のドラフト9位で西鉄に入団。いかにも無骨な感じのする西鉄ぽい選手だった。同期の1位は、東尾修氏(箕島高)。また同年の他球団を調べると、中日1位・星野仙一(倉敷商高-明治大)阪神1位・田淵幸一(法政一高-法政大)広島1位・山本浩二(広島商高-法政大)なんのことはない、現JAPANの監督・コーチが揃ってプロ入りした時期と、大田さんのそれは重なっている。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.07
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石毛宏典という人、ほんとうに不思議な人だ。日刊スポーツが伝えている。来年4月の開幕を目指す野球の関西独立リーグの設立会見が6日、行われた。初年度は和歌山の紀州レンジャーズなど4球団で構成され、紀州以外の大阪チーム、神戸チーム、播磨チーム(いずれも仮名)は今年10月下旬のトライアウトで選手を決める。コミッショナーには、一年前に四国アイランドリーグを辞任した石毛宏典氏(市立銚子高-駒澤大)が就任する予定。------------------------------------------------石毛さん、四国ILを設立したのは04年。3年後の07年末にはコミッショナー職を辞していた。その時の辞任の理由は、「自身の報酬面」や「赤字運営により思い描いていた事業が出来ないこと」などを理由にあげていた。その後、しばらく姿が見えないと思ったら、今度は関西に独立リーグを作るとか。関西でも独立リーグの経営は難しいように思う。なにせ阪神などプロ野球が盛んな地域ゆえ。それにしてもだ。石毛さん、なぜ独立リーグにこれだけこだわるのだろうもうプロ野球に身の置き場がなくなってしまったのか。例え「多くのプロ野球選手を育成したい」という高邁な思想の持ち主だとしても、行きつく先は「負け戦」にしかボクには思えない。終わりのない自分探しの旅を続けているのかな、石毛さん。決してイヤミを言っているのではない。「男のロマンを求める姿」と言えなくもないから。でも、仮にそうであっても、石毛さんだったらもっと違う道もあるように思うのだけど・・・。不思議な人だな、石毛さん1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.06
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一昨年の秋、ボクはいつものように東京新大学リーグの試合を県営大宮球場で観戦していた。神戸拓光(現・ロッテ、土浦日大高)が所属していた流通経済大の試合は、いつものようにガラガラのスタンドだった。神戸を目当てにしたスカウトたちがネット裏に数人と、野球部員やその父兄たちがまばらに応援席に座っている以外、一般客は数十人程度。ボクは、流通経済大の応援席に近い場所で試合を観ていた。すると、ある年配の男性が、流通経済大・父母会の世話役と思しき男性に近づき、何か食べ物を差し入れているのが見えた。「みなさん、こうべさんから差し入れをいただきました」世話役さんは、周辺にまばらに座っている父母たちに向かってこう叫んでいた。いまなんて言った? 「こうべさん」と聞こえたけど。ということは、ひょっとしてプロ注目・神戸拓光のお父さん? ボクは一瞬間をおいて、そのことに気づいた。(間違っていたら、ごめんなさい)その時、学生野球のスター選手の親といえども、まわりへの配慮が大切なのだなぁ・・・、と思ったものだ。いや、今では「スター選手だからこそ」なのかもしれないとも思っているのだが。----------------------------------------------------昨年は一軍の試合出場がなかった神戸、ロッテに入団して2年目を迎えた。まだオープン戦ではあるけど、その存在感を十分にアピールしている。6試合ほとんどが途中出場であるものの、2本塁打を放ち13打数7安打6打点、打率.538の堂々とした成績。2月24日の横浜戦ではバックスクリーンに。そして同28日には、ホークス戦では軽々とライトスタンドに3ランを放り込んだ。大学時代もそうだった。身長191cm、体重98kgの巨漢・神戸の打つ打球は、とにかくよく飛んでいた。当時「穴」が多かったように思うけど、いったん得意なコースに投球が来ると、力強いスイングでピンポン玉のよう強い打球をかっ飛ばしていた。-----------------------------------------------------神戸拓光。日刊ゲンダイによると、茨城・竜ヶ崎シニア時代は投手だった。だが土浦日大高に進学後は、外野手に転向して1年生の秋から4番に座っていた。ふつうに140kmの速球を投げる神戸、当時の監督は投手として育てたい意向をもっていたが、ヒザ痛の持病があってそれを諦めた経緯がある。そして流通経済大へ進学するが、その進路は土浦日大高の菅原進監督(当時)と神戸のお父さんが決めた。なぜなら、神戸のお父さんは、菅原さんが竜ヶ崎一高・監督時代の教え子だったという深い関係がある。当然、系列の日本大からも勧誘もあったが、それは断った。後日、神戸はこんなことを言っていた。「ボクは、走攻守の三拍子を求められる、東京6大学や東都に行かなくて良かったと思う。流経大に入ったからこそ、自慢の打に磨きをかけることができたから」---------------------------------------------------東京新大学リーグを見ていて驚いたことがある。それは、ベンチ入りの選手たちが試合前・途中(5回終了後)・試合後にグランド整備を行っていること。一昨年の10月15日、神戸にとって大学生活最後のゲームが終了した後、秋の夕陽が射しこむマウンド付近で、彼はいつものようにトンボをかけていた。そしてネット裏にいる誰かに気づき、手を休めてその人に向かって帽子をとりお辞儀をしていた。背中に夕陽を受けて映し出される神戸の姿、ボクはなぜか今でもよく憶えている。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.05
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育成枠選手・背番号「107」をつけた隠善智也(広島国際学院高-広島国際学院大)が大活躍だ。3日、オリックスとのオープン戦に「2番左翼」で初のスタメン出場。5回に左翼線へ勝ち越し適時二塁打を放ち、チームにオープン戦初白星を呼び込んだ。打率は5割。小柄ながらスイングが異常に速く、堅実な守備。このままいけばシーズン開幕前の支配下選手登録が決定的で、開幕1軍入りだって夢じゃない。 (日刊スポーツ)推定年俸240万円、巨大戦力を抱える読売にあってボクは、ぜひ芽を出してほしいと願いたい選手だ。----------------------------------------------スポニチでは、評論家・中畑清氏(安積商高-駒澤大)は、隠善をこう評していた。 「走攻守、すべてにおいて一軍レベルの選手。特に打撃は、左打者なのに左投手の球を、フォームを崩さずに対応するのは立派」隠善智也(いんぜん ともや)。wikipediaによると、高い野球センスの持ち主らしく、高校時代のポジションがすごい。一塁手、外野手、そして身長174cmの小柄ながら投手も務める。ま、ここまではわかる。だが、驚くのはこの後。なんと、左利きながらショートを守っていたこともあるのだ 所属していた広島国際学院高、決して弱いボロボロのチームではない。当時広島県内においてベスト4の常連のチームだった。だから、右投げの優秀なショートの選手もいただろうに、あえて隠善が守るのは、それほどにセンスが高かったと言えると思う。------------------------------------------------さて「隠善」という苗字、相当に珍しい。これは広島県のごく限られた地域にある苗字らしく、全国に7軒しかないと言われている。昔は「隠居」と近所で呼ばれていたらしいが、たしか明治時代になってから「隠善」と姓を変えたという。そして、隠善が小学生時代に地元の少年ソフトボールチームに所属していた。が、そのチームの監督は礒部公一(西条農高-三菱重工広島-近鉄)の父親だった。お互いの実家も500メートルほどしか離れていないらしい。----------------------------------------------------なにかと巨大補強が目立つ読売。ところが一昨日の報道では、オープン戦の「盗塁阻止率がゼロ」という珍事も起きているらしい。何か肝心なことが抜けている、「天然○○」の球団に思えなくもないが、隠善のようなハングリー精神旺盛な選手には、ボクは応援したくなるのだ1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.04
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2日に行われたオープン戦。対横浜戦でプロ2年目のヤクルト・増渕竜義投手(鷲宮高)が先発、4回を4安打1失点、3奪三振をマークした。またMAX150キロの剛球も復活。高校生ドラフト1巡目ルーキーの佐藤由規(仙台育英高)、3年目左腕の村中恭兵(東海大甲府高)の陰に隠れていた“高卒ドライチ3兄弟”の“次男”が、開幕ローテ争いに踏みとどまった。 (サンケイスポーツ)何かと若手投手陣に注目が集まるヤクルト投手陣。その中にあって、スポーツ紙の扱いが若干ジミ目だった増渕、その健在ぶりをアピールした。課題だった速球が復活して、いよいよ今年は真価を見せてくれそうだ。 --------------------------------------------------増渕竜義。思い出すのは2006年夏の埼玉県大会・決勝戦。結局、対戦相手の浦和学院高に惜しくも敗れ、甲子園切符を逃してしまうのだけど、もう一人の投手・増渕章弘と試合前、ライトのポール近くでウオーミングアップしていた姿をよく憶えている。「たぶん、この2人が甲子園のマウンドに立つんだろうな」と、多少の感慨をもって見つめていたので、夏の強い日差しを受けた2人の姿がボクの目に焼き付いているのだ。 増渕竜義と増渕章弘。同姓だが、この2人に親戚関係はないらしい。もっともヤクルトに入団した「竜義」のほうが有名だけど、「章弘」だって2006年春・夏の県大会では大車輪の活躍を見せていた。先発はだいたい「章弘」の方。試合中盤まで黙々と投げ続け試合を作り、その後エース格の「竜義」がリリーフするというのが、当時の鷲宮高にとって「勝利の方程式」だった。---------------------------------------------------増渕章弘。投手以外にもたまにショートも守っていた。身のこなしといい、軽快な足の運びといい、ボクにはものすごく野球センスに優れた選手に見えた。いったい彼はどうしているのだろう?ふとそう思って、調べてみた。すると、なんと東京国際大(東京新大学リーグ)の投手として在籍していることがわかった。古葉竹識監督が就任し話題になっているチームだ。そして、鷲宮高時代にチームメイトだった1番打者でファーストを守っていた安田裕樹も外野手として、一年生ながらすでにベンチ入りしていたことを知ることができた。ますます東京国際大、目が離せないなぁ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.03
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「アンパンマン」こと広島カープ・松山竜平(鹿屋中央高-九州国際大)、久し振りにテレビで偶然に、その姿を見た。左打席に入った松山、ランナーを三塁に置いて西武・大沼幸二投手(尽誠学園高)の変化球を、豪快なスイングでライトへ強い打球を放ち、三塁走者を本塁に迎え入れた(犠飛)。解説・ヒゲの木下富雄氏(春日部高-駒澤大-広島)はこう言った。「守備や走塁に課題はあるものの、性格の明るさ、そして、バッティングの上手さが特筆に値する」同じく解説の佐々岡真司氏(浜田商高-NTT中国-広島)も「静かな選手が広島に多い中で、松山の突き抜けた明るさは、過去の選手でいえば西田真二(現・四国IL・香川監督、PL学園高-法政大-広島)以来かもしれない」佐々岡さんのクチから西田の名前が出たが、たしかに明るさだけでなく、松山の豪快な打撃は同じ広島の先輩・西田譲りかもしれない。----------------------------------------------------西田真二氏。PL高時代には、甲子園で全国制覇した投手。法政大に進学してからはレフトに転向した。(一時期、先日このブログに紹介した武藤一邦氏と一緒に外野を守っていたことがある。その時、武藤氏の守備はライトだった)。法政大時代、その明るいキャラで西田は人気者だった。たまに西田に打球が飛ぶたび、応援スタンドから西田コールが起きる、「にしだ~!」と。すると必ずスタンドに手を振るのを忘れないのが西田。次第に西田への(私設)応援団が出来上がり、レフトスタンドがそのファンたちで埋まるようになったことがある。西田、wikipediaによるとこんな逸話がある。評論家・達川光男氏(広島商高-東洋大-広島)の言葉によれば、「前田智徳は努力で天才の域に達した男、努力すればするほど良くなります」「西田は生まれついての天才、(但し)努力したら見事につぶれます」 そういった性格が災いしてか、当時の古葉竹識監督との相性は良くなかったとされている。--------------------------------------------------------古葉竹識氏(済々黌高-専修大-日鉄二瀬)。いま、埼玉県内の駅では古葉さんの71歳の笑顔が印刷されたポスターをよく目にする。このたび埼玉・川越市にある東京国際大野球の監督に就任したことで、大学のPR用ポスターに登場し、宣伝に一役買っているようなのだ。来月から始まる東京新大学リーグ、東京国際大を中心に見てみたい。そういえば古葉氏、先ごろ死去した江藤慎一氏(熊本商高-日鉄二瀬)とは、社会人野球・日鉄二瀬時代はチームメイトだった。◇マラソン日記◇3月2日(休)20km2月16日からカウント開始して、累計106km1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.02
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