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『山月記・李陵』中島敦(岩波文庫) 「山月記」についての報告の4回目になります。 今回は、虎になった理由「その三」、私がこの度の「勉強」で、一番面白かったところであります。(1)李徴の説く虎になった理由・その三 「妻子のことよりも己の詩業を気にかける……自嘲(癖)」 作品終盤にわずか数行で書かれている、妻子と詩業についての李徴の呟きのような部分です。(「昔の青年李徴の自嘲癖」という表現が作品前半部にあります。) 前回報告しました「虎になった理由・その二」に比較して、書かれた分量は比すべくもない少なさです。 しかし「理由・その二」の多くの分析は、いわば「私小説的自我」論を作品分析にあてはめたもので、これがそのまま「山月記」において有効かの疑問はあります。(前々回に指摘しましたラストシーンの印象的な虎の咆哮イメージは捕えきれません。) そこで、この「理由・その三」を詳しく見てみます。 その前に「理由・その一」と「その二」を再確認します。 実は、この二つの理由はセットであるとも考えられます。つまり、「その二」の性情を運命論的に持ち合わせた(「その一」)と、考えることであります。 しかしそうすると、さらにこのように考えられないでしょうか。 ①もしも本当に「その一」が「化虎」の原因だと納得できるなら、 李徴の性情(「その二」)には責任はない。つまり「その二」は 「化虎」の理由とはならない。 ②しかし李徴はそう考え切れなかったから、自らの性情が理由で あるという「その二」の解釈を生み出し、そして苦しんでいる。 なぜ「その二」のような理由を考え出したのでしょうか、それこそが「その三」のもう一つの側面ではないでしょうか。 つまり、「その一」と「その二」が併存しているのは、「その一」の考えを徹底させなかった彼の気の弱さゆえであり、それが作品終盤に至って呟きとして現れた彼の妻子へのヒューマニズムの正体である、と。(彼は「妻子のために節を屈して」再就職しています。) しかし実は、このヒューマニズムこそが、第一級の表現者の自己完成にとって障害であることは、名作「名人伝」の人を食ったような諧謔性あるストーリーの中に明らかであります。 (弓の名人を目指す紀昌は、妻など全く眼中になく、師匠も射殺そうとし、さらに何年も一人勝手に修行を続ける非人間的な徹底男であり、「名人伝」は志を貫き通した男を描く「山月記」の裏面の物語です。) だとすると、「理由・その三」は、従来言われている「飢え凍えようとする」「妻子のことよりも己の詩業を気にかける」李徴の愛や人間性の欠如のせいではありません。 そういった解釈とは全く逆の、ついそのように自嘲してしまう李徴の気の弱さ・信念の弱さ・不徹底さゆえではなかったでしょうか。 (本文を少し読み込めばわかりますが、虎になった李徴は、その虎の姿のままで作品舞台の「商於」から「故山かく略」まで、少なくとも一回以上妻子の様子を見に行っています。そこまで妻子の事を気にかける李徴です。) 前回に書いた、詩人になり切ることをまるで恐れているようにも見える李徴の(そして20代の中島の)不可解な行動の正体は、まさにこれではなかったでしょうか。(優れた詩人=表現者になるためには人間性を捨てねばならないと言う認識への恐怖。) 別の角度からもう一点の分析を付け加えてみます。 「山月記」は、『古潭』という総題で書かれた4つの短編小説の中の一作です。 この『古潭』4作の共通点は、すべて「文字・言葉」をめぐって起こる怪奇話だということです。 そしてそこに描かれている「文字・言葉」の姿は、①永遠のもの、②人智を越え人間(性)を破壊するものであります。 言い換えれば、『古潭』4編の物語は、永遠の力を持つ「文字・言葉」に憧れ取り憑かれた者たちが、人生を破滅させてしまう話ということができます。 中島敦流の「イカロス失墜」の物語といえましょう。 「山月記」に戻ってまとめると、李徴が虎になった理由のその三とは、詩業にとりつかれながら、そのために不可避である「非人情」に徹しきれなかった男の性情であったといえるでしょう。(2)ラストシーン……山月に向かって咆哮する虎 さて、以上、李徴が虎になった理由を中心に見てきましたが、依然残る疑問があります。 それは、「山月記」の大きな魅力の一つである作品のラストシーンの解釈です。 虎を「あさましい」「醜悪」な姿と書き続けながらの小説最後のこの猛々しい誇らかな虎のイメージは、一体どう考えればいいのでしょうか。 結局の所、作品最後に李徴の姿がこのように描かれることについては、明らかに筆者の感傷性、つまり「甘さ」があると言えそうです。 それについては、すでに指摘があります。「虎などという高貴な動物を持ち出してくるのは、まだ己を大事にしすぎている証拠ではないか。」(古屋健三) この指摘を認めた上で、しかし、もしこの変身が虎でなかったとすれば、それはほとんど話にならないものになりはしないでしょうか。例えば梶井基次郎の「檸檬」がミカンでもバナナでもだめなように。また、芥川龍之介の「蜜柑」が、やはり蜜柑でなければいけないのと同じではないでしょうか。 そもそも「山月記」のテーマは、「生活と芸術の背反」とまとめることもできます。しかしそれは、近代文学のテーマとしては決して珍しくはありません。 例えば田山花袋の『田舎教師』は、文学をめざしながら進学も上京もできず片田舎で煩悶の内に生涯を終えてしまう青年の話です。これを描くに当たって花袋は主人公(林清三)の凡庸性・感傷性を執拗に描きつつ、同時にそれに大きな共感を重ね合わせています。 それを花袋の感傷性と言い切ってしまうと、この文学作品は成立しません。この感傷性には普遍性があるのです。 「虎」に一種の感傷性があることは認めつつ、この感傷性は決して低俗なものではありません。むしろ、荒野に吼える一匹の虎の姿で描かれたこの感傷性こそが、読者にとって優れた芸術作品が本質的に持つ大きなカタルシスの役目を果たしています。 あるいは、このようにも考えられます。 一人の人生に挫折した男を、東洋人・日本人には格別な伝統のあるイメージを持つ虎の姿にかぶせてやることによって、彼の苦悩の大きさ、真実さ、美しさを表現したのた、と。 たとえそれが文学の詐術であっても、「山月記」の虎とは、李徴が人生で成し遂げたものの姿ではなく、成し得なかったものの、そして彼の苦悩の姿のイメージに他ならないのではないでしょうか。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.04.28
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『山月記・李陵』中島敦(岩波文庫) 「山月記」についての報告の3回目になります。 今回は、三つのその理由を考えたいと思います。特に三つめが、この度「勉強」をしていて新しく「はっ」と思ったものでありますが……。(1)李徴の説く虎になった理由・その一 ……「存在論的な不安」 李徴の告白の中に、なぜ虎になったかの自己分析が、三点に分けて描かれています。それを順に追っていこうと思います。 まず一点目は「存在論的な不安」ですが、李徴の告白が最初に触れているのがこれですね。 「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。」という李徴の言葉は、ほぼすべての中島作品に通底する「世界のきびしい悪意」であり「存在の懼れ=存在論的不安」であります。 中島は、自らのそんな思考傾向を「狼疾」と解釈し説明しています。 中島の説く「狼疾」とは、そもそもの中国古典においては、指一本が惜しいばかりに、肩や背まで失うのに気が付かない、それを狼疾の人という、というものです。 その概念を中島は、例えば自分が自分であり他者でないことの孤絶感など、根源的な「存在」や「観念」の無根拠性に囚われるあまり、現実の世界や人間存在を見失ってしまう人間、つまり自分がそうであると感じています。 中島のそのような思考傾向の原因については、母親をめぐる出生期から少年期にかけての「不幸・不安」(2歳で両親が離婚し父のもとで育てられ、5歳で最初の継母と住むが14歳でその継母が亡くなり、15歳で二人目の継母と住む)や、青春期に発症し中島の宿痾となった「喘息」という病気の存在がまず挙げられます。(喘息の発症は、彼の小説制作活動の始まりと重なっています。) また、「狼疾記」には、主人公が小学4年時に教師から、地球がいずれ冷却し人類は滅亡するという話を聞かされ激しい肉体的恐怖に襲われたという逸話があり、ここには単なる自我の不安では言い表せないもっと根源的な恐怖感覚が、中島の生来のものとしてあったことをうかがわせます。 「山月記」の「化虎」の論理も、いわば中島の持って生まれたこのような思考傾向の延長上に展開されていることがわかります。(2)李徴の説く虎になった理由・その二 ……「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」 本文の展開から考えれば、おそらく「化虎」の理由の中心として描かれている「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」です。 この部分こそが、「山月記」のテーマが自我の分裂という近代知識人の問題であり、人間の心のダイナミズム、人間の内面劇の葛藤を描いた名作と言わしめた部分であります。 中島の妻(中島たか)は、中島亡き後の文章で、「山月記」を読み「まるで中島の声が聞こえる様」だと書きましたが、確かに中島の生涯にも同様の傾向がみられます。 作品内の話ですが、そもそも李徴の時代に詩人として名を挙げるにはどのような方法があったのでしょうか。 詩集を出せるわけもなく、社交の場で漢詩を読み上げることで名を挙げるしかありませんでした。そんな時代に、李徴はまず最重要な、人と交わることをしなかったのであります。 中島も積極的に小説を世に問おうとしませんでした。 一高在学中は文芸部員として校友会雑誌に作品の発表もありました(昭和5年)が、その後、「中央公論」新人賞に応募した作品(「虎狩」)一作を例外として、出世作「古潭」(昭和17年・「文学界」)まで発表作品は空白となっています。 中島は、李徴と同様、本来作品を世に問うことで自分の文学に新しい展開が開けるはずであったのに、それをほとんどなさなかったのです。 それについては、3点の指摘があります。 ①中島が正真正銘、天性のはにかみやであったという指摘。 ②「虎狩」が選外佳作であったことによる屈辱感。 ③発表の空白期間中に書いていた長編小説「北方行」(未完)の 失敗による自信の喪失。 しかし、李徴の行動からもうかがえますが、中島の行動には、小説家になることを強く願いながら、同時に、小説家(=表現者)になり切ることを恐れ、そのために努力を拒絶しているとしか考えられないような不可解なものがあります。これは、一体何なのでしょうか。 それは、「理由・その三」につながるものです。 次回、「理由・その三」を考えて、一気に最後まで行きます。 すみません、続きます。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.04.21
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『山月記・李陵』中島敦(岩波文庫) 前回から中島敦「山月記」について、わたくしが少々「勉強」いたしましたことを報告しています。 今回は、教科書に少し寄り道をした後、山月記の魅力について、考えてみたいと思います。(1)「山月記」の高校教科書教材としての歴史 ①「山月記」に先んじて最後の国定教科書(昭和22年)に 漢文教科書の補助教材として「弟子」一部の掲載あり。 ②昭和25年→二葉株式会社3年教科書に「山月記」初掲載。 ③昭和26年→三省堂3年教科書に掲載。 ④昭和32年→文学社3年教科書、中央図書3年教科書。 ⑤昭和33年→積文堂2年教科書。 ⑥昭和39年→筑摩書房2年教科書 その後、明治書院、好学社など、しだいに2年用教材として定着。 次に、「山月記」教科書掲載定着に至ったのポイントをまとめてみます。 ①初掲載直前(昭和25年)に『中島敦全集』(筑摩書房)が出版され、 毎日出版文化賞を受賞するなど好評であったこと。 ②「山月記」中の「袁さん」のモデルと目される中島の友人釘本久春 (文部省役人。中島の南洋行きの進言者)が、戦後の国語教科書担 当者であり、日本教育界の重鎮の西尾実とコンビで日本語教育改革 を行っていたこと。 ③教材定着の決め手であった筑摩書房の教科書の中心編集委員が西尾 実であったこと。 高校の国語教材としての「山月記」の歴史について簡単にまとめてみました。 しかし、これは、何ですね。「山月記」が教科書教材として定着した(ということは、国民文学として定着した)その最初の理由は、友達のおかげ、ってことですかね。 ……うーん、吉田兼好ではないですが、持つべきものは出世して世間に顔の利く友人でありますなー。 いえしかし、現在に至るまでの定番教材となるには、当たり前ながら教材としての魅力が「山月記」になくてはなりません。もちろん。(2)教材「山月記」の魅力 ①虎になった理由の告白に描かれる、鮮やかな心理分析の魅力 誰もが青春期に一度は陥る心理状態を描き、またそれが同時に近代 人の宿命ともいうべき、巨大な人間関係の中で素朴な生活実感が失 われ、神経や意識だけが肥大する過剰自意識を描いていること。 ②漢文脈の文章の魅力 極めて硬質な漢文調文体でありながら、いたずらに詠嘆的・抒情的 でなく、論理的な知的操作によって描かれていること。 ③「袁さん」との友情の魅力(魅力的な友の存在) 李徴に同情的だが批判的な目もある「袁さん」。「袁さん」は常識的 な生き方をしつつ、内面には李徴的な要素も持っている。彼はこの 「李徴」的な部分に深い人間論が蔵されることを知っている人物で あり、そしてそれにゆだねるようにして李徴の告白は始まる。青春 期に身近にぜひいて欲しいキャラクターとして描かれている。 ……と、この辺りまでは、教材としての「山月記」の魅力説明としては、ほぼ定説であるようです。 しかしこの度私がいろんな文献を読んで、「あー、そーだよなー。」と思った(思い出した)ことがありました。それが、これです。(3)「虎」の魅力の逆説……「虎」とは何か 前回の報告に書きましたように、中国には古来「化虎」説話が広く存在しています。また佐藤春夫などが解釈しているように、虎とは盗賊の比喩であるとも考えられます。 また、李徴が変身した「虎」も、人間の堕落した姿としての「虎」と考えることができ、事実、「山月記」における李徴の告白文脈の中では、虎は「あさましい姿」「醜悪な今の外形」などと描かれています。 しかし、ラストシーンの月に咆哮する虎の姿は、嫌悪醜悪感を与えるにはあまりに誇り高く高貴ではないでしょうか。(詩人のなりそこないが「虎」とは格好良すぎるという説は、以前よりありますが。) ここには、別の読みの可能性があります。 そもそも虎になった李徴は、カフカの「変身」などと違って、読み方によっては決して不幸な運命に陥ったわけではありません。 そして「山月記」ラストシーンの虎を肯定的イメージととらえるならば、そこに至る理論は下記のようになります。 後述しますが、李徴の告白する虎になった理由の中に、「妻子のことよりも己の乏しい詩業の方を気にかけ」たからだとあります。 もしもそうであるならば、これは自分の好きなことを好き勝手にやって「エゴイズム」の虎となってしまった人間の話となり、そしてさらに、その結果の姿が肯定的に描かれている虎ならば、他者を顧みず自分の好きなことをやり遂げることを肯定している物語ではないでしょうか。 つまり(高校生にとって)教材「山月記」の魅力の一つとしてあるものは、堅牢な漢文脈にまとわれてはいますが、中身は青春期の己の欲望を貫徹すれば不幸になってもかまわないというメッセージが、(たとえ授業内容や展開とは全く異なってはいても)作品全体から肌で感じられるがゆえに、魅力となっているのではないでしょうか。 この「魅力」は、確かにあると思います。(わたくしの高校時代の「授業」を思い出しても。) しかしそれは、実は欲望の貫徹を示すものとしてのそれではありません。それとはいわば、真逆の「魅力」であります。 次回は、李徴がなぜ虎になったのかを中心に考えたいと思います。続きます。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.04.13
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『山月記・李陵』中島敦(岩波文庫) 本短編集には11の作品が収録されています。いずれも甲乙つけがたい名品の集まりですが、今回の読書報告は、その中から「山月記」についてだけ、以下に考えてみたいと思っています。 「山月記」は、高校の国語の授業で習ったなじみある作品で、さらに加えて、実はわたくし、すでに「山月記」について図書館でいろいろ借りて、恥ずかしながらちょっと調べてみたんですね。 その報告を少し兼ねさせてもらおうかな、ということで。 合わせて、以下に書く内容は、当たり前ながら学術的な論文でも何でもありません。この後、先に披歴いたしますが、わたくしが参考にした何冊かの文献の読みかじりの報告です。 それでは剽窃ではないか、といわれると、あたふたと戸惑ってしまうのですが、恐れ入りますが、そのあたりをよろしくご理解ください。お願い。 では、まず参考文献を書きます。あ、ついでに付け加えますと、これらの文献についても隅々までしっかり丁寧に読んだものではありません。重ねてご無礼を謝罪し、重ねてご理解ください。すみません。 《参考文献》 〇『中島敦研究』(筑摩書房) 〇『中島敦の文学』佐々木充(桜楓社) 〇『中島敦論考』奥野政元(桜楓社) 〇『中島敦の遍歴』勝又浩(筑摩書房) 〇『中島敦――生誕100年、永遠に越境する文学』(道の手帖) 〇『中島敦「山月記伝説」の真実』島内景二(文春新書) 〇『狼疾正伝――中島敦の文学と生涯』川村湊(河出書房新社) では、始めます。 まず私が興味を持ったのは、「山月記」の「種本」についてでした。それについて何冊か文献を読んでまとめますと、けっこう詳しいことがわかります。そもそも「人虎伝」には2系列あるそうですが、箇条書きでまとめてみました。(1)大正9年12月刊行『国訳漢文大成』中の「人虎伝」 原文は、唐代の説話集『唐人説會』収録の「人虎伝」(撰者・李景亮) ポイント→ 〇「山月記」に含まれた漢詩があります。 〇虎になった理由が、人妻横恋慕の上放火殺人となっています。 〇後述今東光の翻訳の原作。 〇「山月記」の種本。(2)『宣室志』収録「人虎伝」、その後『太平広記』に収録。 ポイント→ 〇「山月記」に含まれた漢詩がありません。 〇人妻の挿話なく変身原因は「狂気」 〇後述佐藤春夫作品の種本。 実は「人虎伝」は、そのころすでに読書家の中ではかなり有名な作品であったようです。(人間が虎になるという説話は、中国以外にもタイなどアジア一帯に広く見いだされるようです。)中島以前に作品化したものがいくつかあります。(1)今東光による翻訳→大正15年9月『支那文学大観』 第八巻に「人虎伝」翻訳。 ポイント→ 〇漢詩あり。 〇原文にない「夢」の話が何回か用いられている。→ これはそのまま「山月記」に出てくる。 (「夢にちがいない」「風流人士の…夢にだよ」)(2)詩人田中克己の随筆「虎」(昭和12年10月『コギト』掲載) ポイント→ 〇『国訳漢文大成』の「人虎伝」に触れ、「化虎」の話は中国文学に 多いこと、その源流が「人虎伝」であることを説く。 (多くの作品は、「山月記」と異なり再び人間に戻る話である。) 〇「虎」は「盗賊」のロマンティックな比喩であると解釈している。(3)佐藤春夫による翻案作品「親友が虎になっていた話」(昭和16年) ポイント→ 〇『国民五年生』掲載の少年少女用作品。 〇虎になることを山賊の頭などになることと解釈している。 〇立身した友が堕落した友と出会う友情の話がテーマ。 (「山月記」は友との「再会」でなく「別離」が主眼。) 〇「山月記」成立は昭和16年6月頃と推定され、 中島が読んでいる可能性は高い。 (中島の大学卒論は「耽美派の研究」で、佐藤にも触れている。) どうですか。結構いろんな事情があることがわかりますね。学問の楽しさって、こんなところにもあるんですよね。 次回、ちょっと教科書に寄り道をしてみたいと思います。続きます。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.04.05
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