全9件 (9件中 1-9件目)
1

『近代日本人の発想の諸形式』伊藤整(岩波文庫) えーっと、この本は文芸評論ですかね。それとも日本文化論ですかね。 文学作品や文学者を取り上げながら、タイトルのようなテーマを述べていらっしゃいます。 しかしテーマもさることながら、私としては、例として取り上げられた文学作品や文学者の話がとっても面白かったです。 さてこの本には、五つの評論文が収録されています。これです。 『近代日本人の発想の諸形式』(昭和二十八年) 『近代日本の作家の生活』(昭和二十八年) 『近代日本の作家の創作方法』(昭和二十九年) 『昭和文学の死滅したものと生きているもの』(昭和二十八年) 『近代日本における「愛」の虚偽』(昭和三十三年) このうち、総題にもなっている一つ目の評論が最も長く、全体の分量のほぼ半分の長さを締めています。 というより、実はこの一つ目の評論を、各パートに分けて小出しにしたのが残りの四つの文章という感じの構造になっています。そして私としては、「バラ売り」されたうちの、特に文学に関連した部分が、とても興味深かったです。 例えば二つ目の評論ですが、ここには江戸末期から明治維新を経て、大体白樺派あたりに至るまでの作家たちの「生活」についてが書かれてあります。 その時期ごとに様々な集団が主張する「文学的信条」とか「文体」に至るまでのこと、つまり普通「文学的な思弁」と思われているものが、実は極めて「形而下」的な事情や都合によって形成され主張されていったということが、手品の種明かしのように書いてあってとっても面白かったです。 「形而下」的事情の一番手といえば、想像がつきますように、やはり「金銭」のことですね。経済問題は火急の用件であります。 例えば江戸時代は、作家が原稿料だけで生活できるということはほとんど考えられなかったそうです。こんなふうに本文には書いてあります。 山東京伝は、銀座一丁目の東側で店を開いて売薬を営んだ。読書丸、小児無病丸などが彼の売った薬である。また彼は煙管や煙草入れなどを売った。銀座と言うと、その当時は場末であって、木賃宿や大衆食堂などの並んでいるような町であった。 江戸時代、作家の副業といえば伝統的に売薬業が有名であったそうですが、それ以外にも作家が実に様々なアルバイトをしていたかが書かれてあります。 そしてそのような文人達の生活にも、明治維新は大きな変化をもたらしていきます。 その変化こそが、実は各流派の文学的立場や主張を形作っていったのだと、以下書いてあるんですが、とっても面白そうでしょ? はい、とっても面白いんです。 でもみんなを紹介できませんので、キーワードだけ書いておきますね。 キーワードを結ぶ内容を想像してみてください。 西洋文明紹介--新聞の誕生--鹿鳴館風俗の反動-- 文壇の形成(文壇徒弟制度の残存)--出版資本の成立-- 新進作家の登場--国家経済の発展--出版商業主義の隆盛-- さらなる新人作家の発掘 とまー、ここまでが、大体芥川などの「新思潮派」や武者小路・志賀などの「白樺派」の出現くらいまでの「形而下」的事情ですかね。 何となく、このキーワードだけで、流れが分かりそうな気もしますね。 ただ、この「形而下」的事情によって「言文一致運動」の担い手までが決定されていったと説く伊藤整の論理展開は、なかなかアクロバティックに面白いです。 さて伊藤整といえば、そもそも詩人としてデビューした後、翻訳をしたり小説を発表し、ベストセラーも書きつつ、かつ裁判被告にまでなって、そしてさらに名著『小説の方法』では、日本文壇を「逃亡奴隷」と「仮面紳士」というふたつのキーワードを用いて、見事に解体説明しきった、極めてマルチな才を示した文学者であります。 かつて私も、その名著を読んで大いに啓蒙されたのでありますが、今回取り上げた評論からも、そのカミソリの如き切れ味のよい分析と、一種対象を放り投げたようなクールで明晰な文体は十分に味わうことができ、私としては改めて、この亡くなって既に久しい文学者に、「フェイヴァレット」の信仰告白をするのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.29
コメント(0)

『緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道』山本昌代(河出書房文庫) 上記作品読書報告の後半であります。前回はこんな内容でした。 1995年……阪神淡路大震災(1月)、オウム真理教事件・麻原彰晃逮捕(5月) 山本昌代の本作、三島由紀夫賞受賞(5月) 保坂和志『この人の閾』上半期芥川賞受賞(7月) と並べまして、この二作品はとても似ており、そしてそれぞれが受賞したのには95年最大の二つの事件が関係していると、舌鋒鋭く展開したと思ったら、あれっ? その論は成立しないことが分かってとっても困りました。(なぜ成立しないかは前回に書いてあります。) 困った私は「可愛さあまって憎さ百倍」と(この諺の用例、だいぶ違っているような気がしますー。)あっさり前言撤回いたしまして、この保坂作品と山本作品は似ているように見えて実は似ていないのだという、正反対の主張をするに至りました。(無節操!) そして、そのことを以下の三点において説明してみよー、と。 (1)作品中のエピソード (2)語りの視点 (3)作品を覆うイメージ さて、果たしてどうなりますやら。(前回のまとめ、おしまい。) 何級かの等級分けのある身体障害者手帳は一級、つまり最重度の扱いである。 手帳は、何がしかの福祉事業の恩恵を被ることができるための、身分証明書のようなもので、顔写真と、本人の生年月日、それに黒い大きな文字で病名が記されている。 鱈子さんのそれは、バリリロロニ四肢機能全廃、とある。 イタリアの酒のような名前だが、そうではなく、これはバリリさんとロロニさんという二人の医学者が研究をした病気であるという意味である。 この二人がどこの国の人かは、鱈子さんは知らない。 この病気の治療法について、どんな可能性が望めるのか、それも知らない。 鱈子さんだけでなく、誰も知らないのである。 それにしても「機能全廃」とは、またいやにはっきりとした表現の仕方があるものである。 鱈子さんはどう感じているかわからない。ただ可李子は、初めてこの手帳を本人の了解を得て開いた時、何かいうにいわれぬ気持ちに囚われた。 牧師の書く小説というのは、いったいどういう性質のものなのだろう、それが知りたいような気がした。立派な牧師だったのだろうかと、疑われた。 鱈子さんの不安をやわらげるために、今ここでほんの少し、著者スターンについて説明を記しておく。あくまでも簡潔に。もっとも詳しく述べろと求められても、多くを知っているわけではないので、少しだけ。 以前、保坂和志の小説の際だった特徴として、私はこんな感じの説明をしました。 「小説には、必ずその日常の裂け目のようなものが描かれるものだが、この小説にはそれがまるでない。(本当ーーーに、まるでない。)それのない作品自体が、ひとつの裂け目であるといういい方はできるだろうが、実に不思議な読後感を持つ。」 そんな保坂作品に『緑色の……』は酷似していると、初め私は思ったわけです。 しかし丁寧に読めば、山本作品には「日常の裂け目」が間違いなくあります。上記のように登場人物の設定そのものにすでにある上、展開においても、家族に次々と病気が襲ってくる様などが(しかしとても飄々とした描写で)描かれていきます。 定年をすでに過ぎた六十二歳の父親と六十歳の母親、三十二歳の独身文筆業の姉に、二十代後半(たぶん)の上記引用部にある障害を持つ妹、という四人家族を描いていますが、その描き方が、上記二つ目の引用部分からも分かるように、その描写主体について微妙に際だって特徴的です。 これは三人称文体なんでしょうが、語り手の作品内部への「入り込み」の度合いが、一般的な三人称文体より遙かに大きいですね。(ついでに、登場人物の称呼のバラバラさも少し「変」で特徴的です。) この視点は、まるで五人目の家族のようにこの家族に寄り添い、我々読み手には、ゆったりとした親密感と不思議な見通しのよさを感じさせます。 そればかりではありません。 こんな、少し意地悪く眺めると「緩い」ともいえそうな展開と文体を、くっと引き締めているのが、作品全体に微かに漂う、まるで血の臭いのような仄暗いイメージです。 少なくない登場人物の病気を描いていますから、さもありなんと思うそれ以上に、このイメージは、その他の細かいエピソードにも刷毛で擦ったような影を落としています。 さてこんな風に見ていくと、この小説が極めて技巧的に作られていることが分かります。 そして実は言い忘れましたが、そんな技巧に散りばめられたこの小説の読後感は、決して悪くない、あたかも保坂和志の小説が、まるで事件が起こらないにもかかわらずある種の面白さを継続して保っているように。 しかししかし、この「緩さ」は、ストーリーやフィクションの軽視に繋がりかねないかとの気がかりは、迷い迷いしつつ、やはり私にはあることも、最後に申し添えておきますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.26
コメント(4)

『緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道』山本昌代(河出書房文庫) この小説は1995年に三島由紀夫賞を受賞しています。 ところで、1995年と言えば、それ以降の日本という国のあり方、特に危機管理と安全保障について、転換点となるような大きな事件が立て続けに二件起こった年であります。この二つの事件ですね。 一月十七日……阪神淡路大震災 三月二十日……地下鉄サリン事件 ~五月十六日……オウム真理教教祖、麻原彰晃逮捕 で、この年に『緑色の……』が三島賞を受賞し、そして、同年上半期の芥川賞受賞が、 保坂和志『この人の閾』なんですね。 ここで、おやっ、と思った方がきっといらっしゃると思うんですが、どうでしょう。 実は、私はおやっと思いました。 というのは、この両作品は、ぱっと見た時とてもよく似ているんですね。 そして、以前拙ブログで私が保坂和志のこの作品を取り上げた時、この保坂作品の芥川賞受賞には、微妙に大震災と地下鉄サリン事件が影を落としていると言うことを報告いたしました。 いろいろ書いてあるので、ぜひ、ごらんいただきたいのですが(今私も見てみてびっくりしました。なんと四回にも分けて書いてあります。また『緑色の……』の雰囲気も何となく分かります)、その中に、芥川賞受賞時の選者の論評をいくつか挙げてあります。その中から典型的な部分を少し再録してみますね。 (略)それはいうまでもない、阪神淡路大震災とオウム真理教事件です。 選者の選評にもこれが影を落としています。 実は日野啓三の選評には、以下のような文がありました。 「バブルの崩壊、阪神大震災とオウム・サリン事件のあとに、われわれが気がついたのはとくに意味もないこの一日の静かな光ではないだろうか。オウム事件に対抗できる文学は細菌兵器で百万人殺す小説ではないだろう。」 そーかー、じゃ山本昌代の三島賞受賞も同じなのかと思い、ふと、ネットで「山本昌代」と打ってみたんですね。するとある記事にこんな事が書いてありました。 「1995年、『緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道』で三島由紀夫賞を受賞したが、麻原彰晃の逮捕と重なったため、新聞報道されなかったという不遇があった。」 ……ふーむ。私は寡聞にして知りませんでしたが、そうなんだぁ。 (しかし私って馬鹿ですねー。1995年度の三島賞受賞作である本作の発行は1994年10月なんですよねー。ホント、馬鹿。) えっ? それでは、山本昌代の本作の三島賞受賞と、大震災並びに地下鉄サリン事件は無関係と言うことになるではありませんか。 じゃ、これはどう考えるべきなんでしょうね。 えーと、二作の類似から始まったこの話題は、なんだかよくわかんなくなってきましたなー。そこで、わたくし、しばらく、じーーーっと考えてみました。 そして、はたと膝を撲ち、「ユリイカ!」と叫びました。「そうだったのか!」 いえ、別にそんな大層な話ではないんですがね。よーするに、こういう事です。 この二作は、似通っているように見えながら、実は著しく異なっている。 おいおい似ているといったのはお前じゃないか。……いえ、はい、そうでした。ごめんなさい。実はあまり似ていなかったです。 ということで、この二作品がいかに異なっているかを、三点の項目にまとめて報告したいと思います。この三点です。 (1)作品中のエピソード (2)語りの視点 (3)作品を覆うイメージ と、書いたところで次回に続きます。 (上記にも書きましたが、保坂作品なんか四回も書きましたもので。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.22
コメント(0)

『嵐』島崎藤村(岩波文庫) 島崎藤村と言えば、毀誉褒貶の喧しいお方ですね。 近代日本文学史を代表するような文豪の一人でありながら、しかしまっぷたつに分かれた評価があるようです。そして「毀」「貶」の方の直接の対象は、もっぱら藤村本人の「人間性」についてであります。 その原因は、小説のモデル問題などがあったりすることもさりながら、(盟友・田山花袋の臨終シーンの有名なエピソードも、すごくマイナスのインパクトがありますよね。)最も影響あるイメージは、なんといっても小説『新生』をめぐる事件でしょう。 私もそんなイメージに影響されてか、藤村に対して、何となくあまりよい感じは持っていませんでした。 しかしそれは、上記にあるごとく作者の人間性に関する褒貶で、作品は関係ないじゃないかという(極めてもっともな)意見もありますが、ところがさて、それがそう思いづらいものが、私のよくない癖でしょうが、私の中にあります。 それは簡単に言いますと、芸術的な完成を人格的な完成と連動させるという考え方ですね。高い人間性のあるものが、優れた芸術を作り出すのだという考え方であります。 一方で、何を言っている、芸術性と作者の人格など全く関係ないじゃないかと、あっさりとおっしゃる方もいますね。 私も、音楽とか美術とかについてなら、かなりそんな気もします。 音楽・美術といった芸術ジャンルにおいて、作品とはストレートに感性の表出であり、その感性の能力は、「人間性」という一種理性のフィルターを通して現れるものとは、確かにあまり関わり合わないような気がします。 じゃ、文学はどうなんだと言うことについて、先日私は、たまたま伊藤整がこんな事を書いている文章を目にしました。 私小説作家の根本にある考え方の一つとして、自分がいかに生くべきか、という意識がある。そして、いかに生くべきかということが、更に二つに分裂しているので、一つは良心的に生きようとする事であり、もう一つは良心的に作品を書こうとすることである。(「近代日本の作家の創作方法」) 「良心的」という言葉がポイントですよね。 これは小説家(引用部には「私小説作家」と書かれてありますが、伊藤整の文章の別の箇所には「私小説」「客観小説」の差は作家の根元的意識においては、さほど違いはないと書かれてあります。)だけのものでしょうかね、音楽家とか美術家にはあまりそういったものはないんでしょうね。 何となくそんな気がしますよね。「良心的に生きよう」とすることが、やはり文学においては特に、優れた作品に繋がるような気がするのですが、ちょっと荒っぽい理論ですかね。 さて、冒頭の小説の読書報告から大きく離れてしまったような気がしますが(まー、いつものことでありますが)、あまりいい感じを持っていない藤村でしたが、この短編集は、小さいものながらなかなかよかったです。 三つのお話が入っています。これです。 『伸び支度』・『嵐』・『分配』 この三作は、藤村の実際の年譜通り、妻が亡くなって後、子供四人(男児三人に末子の女児)を彼が育てたその日々が書かれてあります。 そして、いつもの藤村の長編に似ず(!?)とってもとっても、素直で素朴です。 『伸び支度』という短編は、娘の初潮を取り上げたお話ですが、父親が娘の初潮に戸惑いを覚えるのは、それが自分の与り知らぬ経験であるという以上に、もはや娘を、お気に入りの縫いぐるみのように扱えなくなるせいだと、さり気なく捉えている所など、「老獪」藤村とはとても思えないいい話です。 後二編の短編小説にしても、子供を思う親心を中心に据えた、いつになく安定した情緒を描いた作品となっています。 しかしそんな作品のタイトルが、『嵐』であるということについて、作中には、子育てに忙しい日々や、背景となった時代の世相が「嵐」なのだと描かれていますが、たぶんそれは「韜晦」でしょう。 「嵐」とは、彼の子育て期間とちょうどきっちり重なった『新生』事件のことであろうと思います。この姪との不倫事件は、それ以外にも幾つかあった藤村の人生の危機の中でも、最も大きな危機であったことは間違いありません。 彼はこの危機に曝され、生きるか死ぬかという瀬戸際まで押し込まれ、そしてそのぎりぎりの土俵際で、自ら作品としてそれを発表するという「破れかぶれ」の離れ業をあみだしました。 後世、このことが自分の評価としてマイナスになろう事はたぶん自覚しながらも、社会的に葬られる可能性まであったその最中において、一か八かのこの決断は、強烈な意志力に基づく判断と実行であったろうと思われます。 そんな「嵐」を、小説『新生』を発表することで何とか凌ぎきった後の、そして次の大作となる『夜明け前』の準備が始まるまでの、束の間のエアポケットのような日々、これが、本作における藤村らしくない「素直・素朴」さの正体ではないかと、私は感じました。 しかし、ねー、……くどいようですが、『嵐』というタイトル。 こんなタイトルをしゃあしゃあと付ける藤村には、やはり「老獪」「狡猾」といったイメージが見え隠れし、そういえばどこか鼻白む感じが、……うーん、しますかねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.19
コメント(2)

『夜半楽』中村真一郎(新潮文庫) 中村真一郎といえば、加藤周一なんかとお友達の方で、そしてあの辺の方というのは、とにかく博覧強記というイメージがあって、私としては、いかにも「敬して遠ざける」というお方でありました。 少し前の話ですが、作家の車谷長吉氏が新聞で人生相談の相談員をなさっていて、ある相談回答の中に少し面白い事が書かれてあったのを読みました。 車谷氏は、人間の頭(知力ですかね)を四つのグループに分けていました。こんな感じです。 良い頭・悪い頭・強い頭・弱い頭 そして、この中で小説家に相応しいのは「強い頭」であり、「良い頭」は実は小説が書けない、と。なぜなら、良い頭は、悪い頭や弱い頭の存在や理解に耐えられないからだ、と。(たぶんこんな内容だったと思いますが、ひょっとしたらいつもの様に、私のバイアスが掛かっているかも知れません。) なかなか面白いまとめ方ですね。(もちろんこのルールからはみ出すものもあろう事は、車谷氏もご存じでありましょうが。) そして、そんな「良い頭」ゆえに小説が書けなかった人の例として、確か明治時代の哲学者を挙げていましたが、残念ながら鶏頭(「ニワトリアタマ」=三歩歩けば忘れてしまう五番目の顰蹙頭)の私は、失念致しました。 えーっと、これもまた、とってもバイアスの掛かった言い方ですが、冒頭に書いたお二人の文学者って、そんな感じ、しませんか?(わー、ごめんなさい。) ま、とにかく、私はこの本を、少し難しそうな小説かなとの予感に怯えながら(とは、もちろん誇張表現ですがー。)読み始め、そして、読了しました。 ……うーん、例えばこんな文章はどうなんでしょうか。 ……人は若し現在の状況から自由になることができれば、運命の手が直ちにありありと見えてくるものだ。一年も経って振り返れば、どうしてこんな自明のことに気付かなかったのか、と己れの愚かさに呆れる筈だ。(しかし、呆れながらも、又、現在の自分の前に、新たな運命の手が差し出されていることには盲目なのだが。)要するに、私たちは遺憾ながら時間の絆から自由にはなれない。その状況から抜け出ることのできるのは、神だけなのだろう、(若し神があるとしての話だが。……いや、神は――それは存在するにせよ、しないにせよ、かかり合ったら大変なことになることは、もう少し先の方に手痛い実例がある。) 全編こんな感じの文章が、続くんですね。 曰わく、エクスキューズが多い、大袈裟な意味づけの予告が多い、といった。 ただ全編が、一人称の告白体と日記や手紙によって構成されていますから、まー、これは筆者の技巧だといえば技巧なんでしょうが、そのことも含めて、技巧的・観念的という言い方もできると思うんですが、どうでしょう。 お話は、四十歳過ぎの旧制高校教師の夫婦と、二十歳の男女学生が2ペアの不倫をするというものなんですね。(不倫舞台は、昭和初年頃です。) 六十歳前に亡くなった教師が書いた十五年前の日記(不倫当時の日記)記述と、三十五歳になった元男子学生の、それを読みながら当時を思い出した告白とが、交互に描かれる構成になっています。 この構成が既に技巧的ですよね。こんな重層的な感じになります。 (1)一つの出来事を、三十五歳の男がかつての二十歳の学生の立場で「近過去回想」として表す。 (2)同じ出来事を、三十五歳の男が現在の立場で「遠過去解釈」として表す。 (3)同じ出来事を、六十歳前で亡くなった別の男が十五年前に書いた日記という形で「リアルタイムの出来事」として表す。 (4)そして、全ての表現において、その内容が作為的無作為的を問わず、実際の出来事通りであったかどうかは分からない。 とっても技巧的ですね。この辺は、沢山の小説を読んで博覧強記になって、そしてそれを生かした「プロの芸」を、筆者が我々に惜しむことなく見せてくれているように思えます。面白いです。 ただ、このように書かれた話のテーマが、最終的には「インテリゲンチャの認識の不毛」という感じで収束してしまうことについて、私はこの作品の歴史的な限界を少し感じました。(特に最終章の「くどさ」。) しかし一方、筆者はそんなことはもとより承知で、「限界」というならば例えば漱石作品などからも伺える「近代知識人の苦悩」、その「歴史的な限界」こそを、パロディとしてシニカルにかつ一種グロテスクなイメージすら伴う書きぶりで表したのである、と。 ……『夜半楽』の意味がよく分からなかったので少し調べてみたのですが、雅楽曲のタイトルであり、どうも人々の集会の終わりに演奏される曲でもあったと知りました。 なるほど『蛍の光』なのか、と。 つまり、「知識人の黄昏」なのでありましょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.15
コメント(0)

『嘉村礒多集』嘉村礒多(新潮文庫) この文庫本は、『嘉村礒多集』ということで、小説ばかりでなく、日記抄があったり、書簡が入っていたりと、ちょっと不思議な構成になっています。 ただ読んでいくと編者の意図が何となくわかるんですが(編者は文芸評論家の山本憲吉です)、これは「私小説の極北」と呼ばれる嘉村礒多の作品集ゆえですね。(全集のハイライト版みたいなもんですね。) さて今、「私小説の極北」と書きましたが、この嘉村礒多の「師匠筋」にあたる葛西善蔵とか、近松秋江とか(実はどちらの作家も私はよく知らないんですが)、といったいわゆる「私小説作家」について、まー、何といいましょうかー、はっきり言って私は余りよい印象を持っていないんですね。 ただ、自分でいうのも何ですがー、このよい印象を持っていないというのは、それらの作品を一応は熟読し、その後に初めておのれ自身の判断をするという、批評をする際の最低限の条件をクリアしてのものではない、つまり、「いい加減きわまる」ものであります。 えー、どうも、すみません。 (ところで、この批評の最低条件を守らないコメントというのが、ネット空間にはとっても多いですよねー。って、お前がそうじゃないかといわれれば面目ないんですがー。先日もある作家の本のコメントを読んでいたら、批判的コメントを書いている人の多くが最後までその作品を読んでいなかったり、その一作しか読まずに筆者をほとんど全否定していたり、また褒めているコメントにしても、今から読み始めまーす、ワクワク、などと、おーい、そんなんありかー、が多すぎると思いません?) えー、話を戻しましてー、なぜ私がいい印象を持っていないかということを述べますと少し大変なので、今回はそこはパスさせてもらって、とにかく、冒頭の一作を読むに際しても、私はあまり期待して読み始めたわけではなかったと、とりあえずそんなところで、えー、よろしいでしょうか。 で、読了しましたが、相反する二方向の感想を持ちました。 ひとつは、これ、けっこうおもしろいかな、と。 その理由は、何といっても、文章力ですね。例えばこんな部分。 妻の過去を知つてからこの方、圭一郎の頭にこびりついて須臾も離れないものは「処女」を知らないといふことであつた。村に居ても東京に居ても束の間もそれが忘れられなかつた。往来で、電車の中で異性を見るたびに先づ心に映るものは容貌の如何ではなくて、処女だらうか? 処女であるまいか? といふことであつた。あはよくば、それは奇跡的にでも闇に咲く女の中にさうした者を探し当てようとあちこちの魔窟を毎夜のやうにほつつき歩いたこともあつた。縦令、乞食の子であつても介意ふまい。仮令獄衣を身に纏ふやうな恥づかしめを受けようと、レエイプしてもとまで思ひ詰めるのだつた。(『業苦』) こんな内容の部分は、現在は笑いながらでないと読めない(事実私はぎゃははと笑いながら読んでしまいました)でしょうが、文章としてみると、まるで志賀直哉からわがままな「自我」を抜き取ったような文章で、巧まぬユーモアも含めてとても丁寧に描かれているのがいいなと思いました。 ところがこんな一種ユーモラスな表現は、この筆者の作品の中では実はきわめてまれなんですねー。 後は、マゾヒスティックに暗いです。まるで、傷口に塩を擦り込むように、いいいーーーっとなってしまうくらい、これでもかこれでもかと、とっても暗いです。 自分は、幼い頃から醜い容貌のせいで周りから蔑まれ、学業成績も著しく劣等で、母親からも愛されずと、そんないじけた青春期を送り、そして結婚後も、上記の引用部からもわかるように、女房が「処女」じゃなかったからとのたうち回るほど運命を悲観し、あげくに仕事先で知り合った若い女と故郷を捨てて東京へ駆け落ちをするというのが、何作かの連作短編の基本的な設定なんですね。 ……あのー、現在の「高み」に立って過去の作品を評価批判することの愚かしさについては、私も分からないではないですが、しかしこういうのって、やはり酷くないですかね。 人間性の歪み、いえ、小説に歪んだ人格を描くことそのものは、いっこうに悪くはないです。 ただ私が少し気になるのは、主人公を徹底的に低めた表現の中に、それゆえの反動のように随所にちらちらと姿を現す「偏見性」、そしてその事に筆者自身気付いてないのではないか、ということです。 そんな後味の悪いものが、残りました。 ただ、読みながら、一般に言われるほどには、筆者は事実そのままに書いているのではないだろうなと感じました。 そして、たぶん事実以上に(事実の歪曲といってもいいほどに)、おのれを被虐的に描くという小説技法を採用した作家という存在について、これは「地獄のようなプライド」なのかも知れないなと、少し背筋の冷たくなるものを感じました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.12
コメント(0)

『蝴蝶』山田美妙(岩波文庫) 以前も述べたことがありますが、文学史の本を読むのがわりと好きなもので、この作家の名前は一応知っていました。 明治初期の「言文一致運動」の項目にほぼ必ず出てくる名前ですね。 たいていこんな風に書かれていると思います。 言文一致体 「だ」調…………二葉亭四迷 「です」調………山田美妙 「である」調……尾崎紅葉 私がこんな感じの説明を初めて見たのは、高校生の頃だったと思いますが、何というか、これを一読しただけで、「山田美妙の負けー」という気がしましたね。 たぶんその感覚は、この比較を見た誰もが感じたことと思います。 だって、そのころはそんなにたくさんの小説を読んでいたわけではありませんが、それでも「です」調の小説なんか、せいぜい児童文学までという(相変わらず若い頃からバイアスの掛かった思いこみですがー)ふうに思うじゃありませんか。 (しかし、現在でも「です」調で浮かぶ小説作品といえば、文体としてあえてそれを用いたという感じのものですよね。例えば谷崎や太宰の告白体の作品なんか。あと、文学者で「です」調で忘れられない人は、中村光夫ですかね。) というわけで、文学史の本では、私が「負けー」と思ったからではもちろんないでしょうが、その後山田美妙は姿を消してしまいます。(そうか。私の記憶はむしろ逆なのかも知れません。この後、山田美妙について触れられなかったから私は「負けー」と思ったのかも知れませんね。) 二葉亭や紅葉は、いくつか個々の作品を取り上げて説明されているのに。 しかし、今回初めて山田美妙の小説を読んでみて、んー、まー、内容的には、文学史的評価は「宜なるかな」かなー、と。 今回の短編集に収録されている作品はこの6作です。 『武蔵野』(M20) 『蝴蝶』(M22) 『戸隠山紀行』(M23) 『里見勝元』(M29) 『嗚呼廣丙号』(M30) 『二郎経高』(M41) これは収録順ではなく、発表順に書いてみたのですが、実はこの初めの二作品を読んで、「あれっ?」と思うんですね。少し引用してみます。 「馬が走るわ。捕へて騎らうわ。和主は好みなさらぬか」。 「それ面白や。騎らうぞや。すはや這方へ近づくよ」。 二人は馬に騎らうと思ッて、近づく群をよく視れば是は野馬の群では無くて、大変だ、敵、足利の騎馬武者だ。 「はッし、ぬかッた、気が注かなかッた。馬ぢや……敵ぢや……敵の馬ぢや」。「敵は多勢ぢや、世良田どの」。「味方は無勢ぢや、秩父どの」。「さても……」「思はぬ……」敵はまぢかく近寄ッた。 (『武蔵野』) 見亙せば浦つゞきは潮曇りに掻暮れて、その懐かしい元の御座船の影さへ見えず、幾百かの親しい人の魂をば夕暮のモヤが秘め鎖して居るかと思はれるばかり、すべて目の触るゝその先の方は茫漠として惨ましく見える塩梅、いとゞ心痛の源です、否、「源」といふのも残念な。 (『蝴蝶』) えー? これって、文学史の説明、合ってるの? って思いませんでしたか。 そうですね、明治20年に書かれた『武蔵野』では、「だ」調が用いられているんですね。 そして、二葉亭が「だ」調を用いたといわれる『浮雲』も同じく明治20年なんですね。 (ついでに紅葉の「である」調の完成作品『多情多恨』は明治29年です。) 一方明治22年の『蝴蝶』においては確かに「です」調が用いられている、と。 うーん、実に「ビミョー」な問題ではないですか。 でもこれって、厳密に説明をするとこう書くべきじゃないんでしょうか。 言文一致運動理論に基づいた最初の小説作品は、山田美妙によって生み出された。 その後、彼の開発した「だ」調は二葉亭四迷が、「である」調は尾崎紅葉が、さらに洗練させていった。 (だって現在では「だ・である」なんてセットで「常体」の文章って呼んでいますものね。) どうです。こう説明すべきですよね。 と書きつつ、私はふっとベートーヴェンの交響曲第9番のことが頭に浮かびました。 音楽史的常識において、交響曲に合唱を付けたのはベートーヴェンのこの9番をもって嚆矢とする、と。 しかし実は、9番に先行する合唱付き交響曲があったということですね。 ただ、まー、当たり前といえば当たり前ながら、最後はやはりその作品の価値が、歴史を自ら作っていくわけで……、優れた栄誉は、優れた作品が手にしてこそふさわしい、と。 うーん、上記の引用部分なんかを読んでいますと、山田美妙が、あれこれ苦労をしながら「言文一致体」を試行錯誤している様が、ありありとわかるのですがねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.08
コメント(0)

『小僧の神様』志賀直哉(岩波文庫) 上記、短編集の読書報告の後半です。 前半は、わたくし、とんでもないことを書いてしまいました。曰く、 「志賀直哉の小説はへたくそだ。」 ……えー、ということでー、上記の一文はとりあえずなかったことにしてー、読書報告を進めます。 しかし、なんとなく、さらに変なほうに進みそうな予感がするんですが……。 前回も少し取り上げた『好人物の夫婦』のことですが、もう少し考えてみますね。 大学時代に読んだ時はとってもいい話に思えたのに、今回読んでみて、少し鼻白むばかりに「違和感」を感じた理由について、それは私が大学時代はまだ結婚していなかったからだ、そして、きっと何となく観念的にこの「細君」みたいな人に憧れていたからだ、と書きました。 まぁ、それも大きな理由だと思いますが、さらに遡って社会的な背景を考えてみれば、いえ、社会的といってもそんな大層なものではありません。 ごくごく一般的な結婚生活のありようとか、あるいは、男女観の話ですかね。 要するに、例えば少し前に私は『和解』を読んだんですが、あの小説にもしょっちゅう出てきていた、ワンマンきわまりない夫の姿、あれは志賀直哉独特のものだとも思いますが、そもそもやはりあの時代においては、あれは読者にも一定の共感を得ることのできる「夫像」でもあったんでしょうね。 しかし、現在においては、もうあれは「共感」を呼ばないでしょう、そんなことないですか? ふっと今、全く別の作家の小説を私は連想したのですが、この小説です。 『たった一人の反乱』丸谷才一 だいぶ以前に読んだ小説なので細かいところはもう完璧に忘れているんですが(でもとってもおもしろい小説だったので確か二回読みましたよ)、ある程度の社会的地位を持った中年男性が主人公です。家には、若い妻がいたり、「ばあや」みたいな使用人がいたり、えーっと、「愛人」みたいな女性もいたかしら。 とにかく、そんな人間関係の中でそれなりに順調に生活を営み、そしてそれなりに主人公は男尊女卑的に「いばって」いました。 ところがどういった切っ掛けからか、彼を取り巻く女性たちが、示し合わせたわけでもないのに小さなことで少しずつ「反乱」を起こすんですね。「たった一人の反乱」。 そのひとつずつは本当に小さなことで、「反乱」などとは呼べない程度のものですが、とにかくなぜかそんな状況になってしまい、そしてそのことによる彼の「違和感」が徐々に増してきて、そこで初めて彼は気が付きます。 自分が普通に生活を営んでいたその陰で、いかに多くの女性たちが、少しずつひっそりと、しかしその総量としては膨大な「自らを殺す」という作業をしながら、慎ましく自分に仕えてくれていたのだろう、と。 この作品が書かれたのが、昭和40年代後半であります。 志賀作品に戻りますが、前回取り上げた『小僧の神様』の本文部分ですが、あそこに描かれていたのは「偽善」に対するナーヴァスな意識なんでしょうが、たぶん筆者があの作品を書いたリアルタイムにおいては、ああいった感じ方は、かなり繊細な感覚として理解されていたのではないでしょうか。 しかし、現代においてあれくらいの感受性は、ケータイでメールのやりとりをする中学生でも当たり前のように感じ、そしてきわめて繊細に人間関係の中でそんな行動を避けるに違いありません。 さて冒頭に私は志賀直哉の作品について、とんでもない一文を書いてしまいましたが、さらに「その2」としてこんな一文を書こうかどうか、迷っていて、……あ、書いてしまった。 「志賀直哉の感覚はもはや古くさい。」 えー、こんな恐ろしいことを書いてしまう私って何者? えー、ごめんなさい。 この一文もなかったことにして、しかし、再読しつつ大いに感心したお話もありました。これです。 『清兵衛と瓢箪』『赤西蠣太』『真鶴』 特に『清兵衛…』はよかったですねー。昔読んだときは『小僧の神様』と甲乙付けがたく思いましたが、今回は、軍配は圧倒的に『清兵衛…』という感じです。 この3つ挙げた内の前2つは、「客観小説」ですよね。 この手の小説はなかなか凄いんじゃないでしょうか。今でも十分に鑑賞に堪えるような気がします。 どこかの出版社で、志賀直哉の客観小説だけをまとめて出版していただけないものでしょうかね、文庫本あたりで。 太宰の小説が見直されていると聞く昨今、志賀直哉の客観小説なら、どの作品でしたっけ太宰治も大いに誉めていたように記憶します。 ぜひぜひ、よろしく。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.05
コメント(4)

『小僧の神様』志賀直哉(岩波文庫) えー、志賀直哉の短編小説を読むなんて、うン十年ぶりであります。 かつて読んだのは、大学時代ですね。あの頃、純文学作品のとっても充実していた(今も充実しているんでしょうかね)新潮文庫を中心に、まとめて読みました。 さて今回、この岩波文庫に収録されている作品は、以下のものです。『小僧の神様』 『正義派』 『赤西蠣太』 『母の死と新しい母』『清兵衛と瓢箪』 『范の犯罪』 『城の崎にて』 『好人物の夫婦』『流行感冒』 『たき火』 『真鶴』 最初この目次を見た時は、なるほどどの作品も、いずれ劣らぬ有名作品揃いであるなと思いました。 で、読んでみたんですがね。 ところが、うーん、私の記憶がアバウトなのか、加齢のせいで私の感じ方がかつてと違ってきたのか、作品の評価というよりもこれは好き嫌いだとも思うのですが、かなり初読時の印象とは異なったものを持ちました。 例えば上記作品中、昔はいい話だなぁと思っていたのは、『小僧の神様』『范の犯罪』『好人物の夫婦』あたりなんですが、今回の読後感は、極めて私的なものではありますが、もちろん悪いなんて事はないですが、特に「凄い」という感想を持ちませんでした。 なぜなんでしょうね。 『好人物の夫婦』なんてお話しは、何となくその理由が分かります。 簡単に言うと、大学時代の私はまだ結婚していなかったからですね。 別にそんなつもりはなくても、やはり独身時は、結婚というものに一種「非現実的」な期待をしていたんでしょうねー。 現在のように結婚してうン十年も経ってしまうと、もはや現代にはこんな「好人物」の女房などいないのだ、と。(こんな風に「相方」のせいにしてしまうところに、たぶん私の人格的な問題があるんでしょうねー。) 『范の犯罪』については、もっと変な印象を持ちました。 裁判官が「無罪」としたその理由が、分かるような気もしつつ、しかし根本的なところが全く分からない、と。 というより、昔読んだ時はこれが本当に納得できたのだろうかと、逆に不思議に思ってしまいました。もちろん、この作品が完璧な「リアリズム小説」とは思わないものの、改めて読んでみると、もうひとつ分からない論理展開ではないかな、と。 実は今回読んでいて、この近代日本を代表する「小説の神様」の諸短編について、私はとっても「恐ろしい」感想を持ってしまったんですがー。……それも複数個の。 まずその1ですが、それは例えばこんな表現です。 もしかしたら、自分のした事が善事だという変な意識があって、それをほんとうの心から批判され、裏切られ、あざけられているのが、こうした寂しい感じで感ぜられるのかしら? もう少しした事を小さく、気楽に考えていればなんでもないのかもしれない。自分は知らず知らずこだわっているのだ。しかしとにかく恥ずべき事を行なったというのではない。少なくとも不快な感じで残らなくてもよさそうなものだ、と彼は考えた。(『小僧の神様』) 私の幼年時代には父はおもに釜山と金沢に行っていた。私は祖父母と母の手で育てられた。そしていっしょにいた母さえ、祖母の盲目的な激しい愛情を受けている私にはもう愛する余地がなかったらしい。まして父はもう愛を与える余地を私の心の中にどこも見いだす事ができなかったに相違ない。この感じは感じとしてその時でもあったから、私には子宝がなんとなくそらぞらしく聞きなされたのである。――それより母に対して気の毒な気がした。(『母の死と新しい母』) こんなところなんですけれどね。 『范の犯罪』の、裁判官の無罪判断根拠がよく分からない、と言うのも同じではあるのですが、そもそも范が、妻の頸動脈にナイフを突き刺してしまった自分の心理を裁判官に説明している部分、この描写、何が説明されているのか、よくわかります? 説明しづらい心理を誠実に書いているという感じはする一方、そもそもいかにも志賀直哉的な心理のあり方を説明するこの表現は、ひょっとしたら、ひょっとしたら、……とっても分かりにくくて、少し「へたくそ」なんじゃないかしら。(うーん、書いてしまいました。) 抽象的な事柄について、十分に論理的な説明ができていないんじゃないか、と。 あるいは、正面から取り組みすぎているのかも知れませんね。他の小説家なら、こんな個所は例えばもっとおしゃれに比喩を用いるとかして、正面からの説明をさけるのかも知れません。 しかしともあれ、私はこの度、とうとうとんでもないことを書いてしまいました。 「志賀直哉の小説はへたくそだ。」と。 ひえーーー、こんな事、志賀直哉をぼろかすに言っているあの『如是我聞』を書いた太宰治ですら書かなかったですよ。 ……うーん、すみません。後半に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.01
コメント(6)
全9件 (9件中 1-9件目)
1