部屋とYシャツとわらG
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写真容量オーバーなどから、すでにこちらのブログには新規記事を書かなくしていたのだが、ブログ移行先は訪問者が少ない(記事更新も少ないけど)ため、「なるべくたくさんの人に見ていただきたい」という今回の記事はこちらにも久しぶりにUPします。この夏、福島県いわき市に住む友人Hのところに遊びに行った。東北でボラしなくていいのか…とか、観光だけしに行っていいのか…とか、また地震起きた時にはどうしよう…とか昨年はいろいろ考えるだけだったが、今回はただもうシンプルに「友人の所に飲みに行く」のに何をいろいろ考える必要がある…とすんなり行くことにした。7月に、『5人以上飲み会に人が集まると休もうとするシャイな友人 I 』と二人で飲んだ時に、そう行動的ではない彼が、「よし、Hの所に行こう!」と決意を語っていて、翌日にはこちらはすっかり忘れていたのだが(かといって自分から動くI ではない)、「何かこの夏にやろうと思っていたことが他にもあったなあ…」と8月の帰省の前になって思いだして、連絡し、やっと8月末に実行の運びとなった。その旅自体はとても楽しく、ほぼ、飲んだり食ったりしているか、車で移動して観光か、地震・津波の爪痕を見学したり…だったのだが、何よりも福島の友人とゆっくりいろいろなことを話せたのがよかった。その上、何かとおごってもらうことが多く、なかなか関東マネーが福島に落ちなかったのだが…(笑)飲み会でその友人が語っていた以下の話は、この地で彼と過ごさなければ感じられなかった感覚で、まさに「東京の人間が日常考えることさえしなくなっいること」を指摘されて、意見に個人差はあるだろうがまさに「福島の声」だなと思ったことである。ちょうどその8月後半のニュースで、放射性廃棄物の中間処理施設を福島第一原発に近い4か所に造るという報道発表があった。人々が避難している放射線量の高い地域である。ニュースを聞いた時に何の疑問も持たず、すんなりと「なるほど、現場から近いし、人もいないし、ちょうどいいか」と恥ずかしくも思ってしまっていた。彼は、「日本国内に放射性廃棄物の『最終処分場』がまだないのに『中間』処理施設というのは言葉自体がおかしいだろう?」と言った。それなのにその言葉をそのまま使い、あたかも「一時的なもの」としてまずは話を進めて行こうという国のやり方やマス・メディアの報道姿勢が腹立たしいと。「どうせそのまま最終処分場にする気だろうけど、オレは本当は『東京に造れよ』と思ってるよ。もし、東京に造るのなら、最新の、最高の技術で、絶対に安全なものをつくろうとするんだろう。で、安全っていうなら、自分たちの所に造って見ろよ。少なくともこれからも電気をたくさん使うのならそういう覚悟で腹をくくれよ、って東京都民に言いたいよ。」「東京都は知事が『東北のがれきを受け入れる』と胸を張って威張っていたけど、それは他県のある意味大変でないごみを受け入れる程度で、逆に『福島のがれきは受け入れない』ってことなんだから、かえって腹が立つよ。最終処分場や放射性物質の受け入れを表明してからいばれよ。」「今まで電気を使ってきたことの責任と、これから使うことへの覚悟を見せて、東京都民が自分たちの口から『最終処分場を東京に造っていい』と言ってくれることに意義があるし、そういうのなしにただ『福島かわいそう』とか『復興したからオリンピック』って完全に他人事だよね」山の中にある仮設住宅とか、駅前のシャッター商店街とか、避難地区に一度なって解除されたけど人が戻ってきていない農村とか、特に津波対策がないまま同じ場所に新築された家(周りは基礎だけ残っているさら地)とか、他地域や外国産のものばかり売っている港の市場とか、そういう福島の現実を目の当たりにすると、私たち…たいした覚悟もなく、ただ推移を見守っている東京在住の者には響くことばだった。しかし、彼の話はこう続いて行く。「移動距離や、その地域を除染しなくて済むようになることとか、コスト面を合理的に考えれば、事故のあった地域に処分場をつくることが最も便利なのはオレたちだってわかってるよ。その地域の住民が嫌がってもそれを進めるのが政府というか国の仕事ってやつだろう。でも、もし、東京都民が『どうぞ僕らの責任で僕らの町に造りますから』という声を盛り上げてくれて、それでも政府が『いや、やはり福島に…』と言うのなら、俺は納得する。」と。つまり、このままなし崩し的にいつのまにか負担を背負わされて、そしてそのことを当然としてしまうような、何事もなかったような感じが嫌なのだと。「知らんぷりで、何の覚悟もなく、何もしないでおいて、大変なことはよろしく…今回の福島への対応は、沖縄の基地問題とまったく同じだと気づいたよ。今まで正直、基地のことも他人事だったけど、同じ立場になって見て、『こうして沖縄の人たちは中央に頭に来てるんだろうな』とやっとわかったよ。」と彼は言っていた。せめてこの「福島の声」を自分の周りの人に伝えようと、「意見には個人差があるけど、福島の人がこう言っていた」として、学校で180人くらいには話した。このブログに載せたことで計200人くらい?には伝えたことになるけど、バタフライ効果があるといいのだが…などともうこれで『自分のやることは終わった』みたいに思っていることが、覚悟してないってことなんだろうなあ…。ということで、この文章の引用・紹介はまったくのフリーですので、なるほどと思っていただけたらぜひ『拡散』お願いします。
2012/09/17
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