全28件 (28件中 1-28件目)
1
始まりを待つより、終りを待つことの多い人生だった。学生時代は学年末や卒業を待ち、社会人となっても月々の終りや行事の終わり、ある一定の期間が終るのを待つことばかりだった。これらは確かに、現在のものが終らなければ、次のものは始まらなかった。 何事にも終りはある。待っても待たなくても、いずれ終りは来る。永遠に続いて欲しいと思うことは、本来あるべき予定よりもずっと早く終ってしまった。 死ぬときに自分で「めでたしめでたし」と言って死ねたらいいが、あいにく自分の場合は、そのせっかくの辞世の言葉をそばで聞いている人はいない。もっとも、悲しむ人はいないほうがいいには違いないから、これはこれでまた「めでたしめでたし」と言えるわけだが。
2009.02.28
昔、温泉が好きだったが、今はそうでもない。どちらかというと面倒だ。出向くのが億劫だというのはもちろん、周囲に他人がいるというのが何よりうっとうしい。自宅風呂で好きな入浴剤でも使っているほうがいい。よけいな気を遣うぐらいなら、狭くても自宅風呂のほうがずっと落ち着く。 というわけで、今日も自宅の風呂にバラの形の入浴剤を入れてのんびりした。
2009.02.27
ラジオから、ジュナンの『ベネチアの謝肉祭』が流れてきた。ひさかたぶりにフルートの音色を聞いたのだが、なにやらブランコやドアのきしむ音に聞こえた。そんなふうに思うことは、これまでになかった。単なる気のせいか、それとも耳がおかしいのか、あるいは感性ごと歪んでしまったのか。いずれにしろ、あまり気にならないことだが。いや、耳が壊れるのだけはやはり困る。
2009.02.26
「姦しい(かしましい)」という字に、女を三つも使っているのが侮辱だと怒っている人がいた。さらに「女三人寄れば姦しい」なぞという諺まである。昔の女は、二人以下なら静かにしていたとみえる。近頃は、一人でも十分姦しい女はザラにいるが。ついでに男にもうるさいのはいる。子どもはなおうるさい。おそらく人間ほどうるさい生き物はいないに違いない。他の動物のほうがよほど静かだ。 ところで、「五月蝿い(うるさい)」も「姦しい」と同じような意味である。女という字を使ったことよりも、ハエと同列に扱われていることを怒ったほうがよさそうだ。
2009.02.25
昨日発売の求人広告誌で、良さそうな企業を見つけた。今日、履歴書を作成し封筒に入れ、宛名も書き切手も貼り、投函するだけとなったのだが、先ほどその企業のホームページを見て、気が変わった。 ここまでうっとうしい会社だとは思わなかった。無駄なところに力を入れすぎている上、万事細かいこと重箱の隅をほじくるが如しだ。給料は比較的いいようだが、理不尽な負担を抱え込むのは嫌だ。あれは、職歴がほとんどない若者(理不尽に気づかず、たとえ気づいても気にしない、理屈抜きの気力だけで行動できる、よく言えば素直、悪く言えば脳天気な人)向きの企業だと思う。 というわけで、せっかく書いた履歴書は破棄と思ったら、幸い日付の記入を忘れていた。ほんじゃまあ取っておいて、他の企業に応募するときに使うとする。
2009.02.24
♪雪やこんこあられやこんこ 降っても降ってもまだ降り や が る
2009.02.23
『よつばと!』3巻の19作冒頭場面を見て、飼い猫の頭にかぶりつきたくなった。そして、実行に及んだ。もっとも正確には、猫の頭がデカすぎて、漫画のようなかぶりつき方はできなかった。それにしても、頭頂の辺りを黙っておとなしくかぶりつかれている猫は、やさしいな。
2009.02.22
夜通し吹雪いていた。朝になって外を見たら、家の前にこんもりと雪の塀ができていた。降雪量はそうでもなかったが、強風が南向きに吹きつづけたので、正面道路や向かいの敷地にたまっていた雪が、こちらに吹き寄せられ、てんこ盛りに積もったらしい。なんだか理不尽な気もするが、しかたがない。雪かきじたいはそう嫌ではない。しかし、自分の敷地内には捨てる場所がほとんどないので、あまり雪が多いと困る。 玄関と車庫際の雪を除けて幅1メートルぐらいの道を造り、さらに幅50センチ程度の道で歩道までつなげた。かき除けた雪は家の裏側に積んだが、歩道までの細道は右側にひとつしか造っていない。この家に用がある人は、そこから入って車庫の前を通り、玄関までたどり着くことになる。敷地内には、車庫の高さ半分ぐらいの雪が積もったままなので、正面通りの細道のないほうから斜めに見ると、まるで放置家屋のようだ。
2009.02.21
何度冷蔵庫や戸棚を開けても、ろくな物がない。インスタントラーメンぐらいしかない。しかたがないから、それを食べている。
2009.02.20
最近、他人を貶めたりトピ主の悩みや欠点に付け込んで自慢したり、また高飛車で傲慢な書き込みが増えたりと、感じ悪いレスが多くなった。数年前は、もっと穏やかな掲示板だったのにと思っていたところ、こんなトピックが出た。こういうのはおもしろい。「発言小町」《もしも江戸時代に小町があったら(超駄)》http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0217/225577.htm?g=01 時代別にトピ組んだら、さらにおもしろくなりそうだな。
2009.02.19
昨年末からずっと気分が優れない。何もできず心身ともに腐っている。ラジオも音楽も聞く気にならない。テレビはもともと見ない。起きていてもすることがない。最低限の掃除片付けや洗濯などをするだけだ。 ふと今日、気が向いて午後の光射す窓辺で、『心にしまっておきたい日本語』(金田一春彦/ベスト新書)を読んだ。なにやら豊かな気持ちになった気がする。元気だった頃は、こんな気分は日常的だったことも思い出した。良い日本語に触れることは、乾いた土が水を得るようなものだと、つくづく思い知った。 そういえば、ここ二年あまりは、そうした本を読んでいなかった。英文法や法律や事件、裁判記事など、殺風景なものばかりだった。ネットを見れば下品な言葉が氾濫し、自分の内にも汚れ荒んだ感情と言葉が、とぐろを巻いていた。小説やエッセイなども読んだが、ほとんどは必要に迫られての外国語であり、あまり楽しくなかった。『心にしまっておきたい日本語』は、特に必要で読んだわけではない。何年も前に読んで、良かった記憶があるから再度手にしたのである。強制的に読んだのではないから気分が良いのだとも言えるが、好きで読んだのでも良い文章でも、やはり母国語に勝るものはない。自分は日本人なのだから当然の感覚ではあるが。
2009.02.18
今月の電気代、なんぼかかるんだろう。灯油もやたらと減るから、来月早々に注文しないとならんしなあ。ほとんど出かけないし、ろくなもの食べていないのに、なぜかお金がない。じわじわと貧乏臭くなってきた。実際貧しいからしかたないが。 肉なしカレーを煮た。ジャガイモとニンジン、ゆで玉子を入れた。ご飯にかけず、カレーだけ食べた。もともと肉は好まないので、自分しかいないときは入れない。ご飯もカレーと一緒に食べると、たちどころに妊婦もどきになってしまうので、最近は無しにしている。肉なし、ご飯なしでもけっこうおいしい。そうそう、ビール酵母をどさっと入れて煮込んだんだった。最近は、煮込み料理にこれを入れている。お肌にいいと美容の本で読んだが、いったいどういいのかは忘れた。 ところで、著しくどうでもいいことだが、ドストエフスキーの小説に『アンナ・カレーニナ』というのがある。あれはどうしても、「(こんなのではなく)あんなカレー煮な」と勧めているように思える。そうしてカレーが食べたくなる。
2009.02.17
「辛」という字が「幸」に似ていることがこれほどつらいとは思わなかった。
2009.02.16
キューピーのカルボナーラソース(レトルトパック入り)をかけて、スパゲッティーを食べた。あまりおいしくなかった。せっかく温めたソースが冷めてしまったのと、冷えたマーガリンをパスタに混ぜ込んだので、すぐに全体が冷めてしまった。しかも心なしか納豆の匂いがしたのは、タバスコと粉チーズの混ざった匂いだと思う。まだ一食分ソースが残っているので、今度はタバスコ無しにする。
2009.02.15
ケーキを6個買った。見えない人と一緒に食べる。
2009.02.14
「無職だ、カネない。貧しい。食べ物すらない。買いに行くのもめんどくさい。そうでなくてもカネがない。住居費、光熱費、保険代、税金その他存在するだけでカネかかる。とにもかくにもカネない。ただひたすらカネがない」と赤貧アピールしたら、ものの見事に誰も寄りつかなくなった。たかられるとでも思っているらしいな。それとも、貧乏人には利用価値なしと思われたか。まあどうでもかまわん、おかげで静かでよろしい。何に対してかは知らんがとりあえず、ざまーみろーい!
2009.02.13
この十数年間で、女子生徒のブルマ着用を廃止した中学校は多い。「時代にそぐわないので」「教育的配慮」(便利な言葉だな)などという無難な理由を挙げてはいるが、要するに、世に潜むブルマヲタのいやらしい視線を懸念してのことらしい。実際、変質者の少ない(と見られている)地域ではまだブルマ姿の女子生徒がいるし、都会でも女子校だという理由で、存続しているところもある。 しかし、ブルマを喜んで穿きたがる女子生徒はほぼ皆無といっていいのに、なぜに学校側は長らくこんなものに執着してきたのだろう。なにしろあれを穿くと、お尻のラインだのデカさだの、ついでに脚の長さやら形の悪さやらが、容赦なく目立つ。走ったり跳ねたりなど、大股開きの動きをすれば、成長期の隆盛したお尻の肉が、遠慮なくはみ出る。それを気にしない少女など、(少なくとも当時は)いなかった。肉づきの豊かな子や、お下がりなどでサイズの合わないものを穿いている子は、なおのこと悲惨だった。ブルマの裾がくいこみ、「お尻が三つか四つに割れる」のを非常に恥じ、行動するごとにはみ出るお尻を直すのだった。 一方体育教師達は、そんな女子生徒達の羞恥心に対し、「おまえらのシリなんか誰も見ねえ!」「色気づきやがって!」などと罵り、「ぐずぐずするな!」とどなりつけていた。今思えば、教師自身もいやらしさを感じており、その後ろめたさを悟られないように、無理な力を入れていたのかもしれない。少なくとも当時の教師による極端な女生徒の「性」蔑視には、そうした含みが垣間見られた。 かといって、これを立場上しかたがなかったと、よろしくご理解する気にはなれない。セクハラという言葉こそ普及していなかったものの、現在ならば明らかにその範疇であるえげつない言動が、教師だというだけで黙認されていた。環境による弊害とはいえ、人格的にいやらしさがなければ、そんな教師にはならなかったはずである。 学校での体操にああまで体の線を出す必要があったのか。などという生徒や保護者からの質問に対し、「伝統だから」(都合のいい言葉だな)という回答でお茶を濁す教師もいた。いやらしい伝統があったもんだ。そんな屈辱的伝統を強いられるぐらいなら、多少おかしくても提灯ブルマやモンペのほうが、よっぽどましだ。中学時代、ブルマが学校指定の体操着だった自分は、真面目にそう思っていた。
2009.02.12
日本の祝日のなかでも、一、二を争う存在感のない祝日に思える。春分の日、秋分の日といい勝負である。一方、クリスマスなぞは、日本の祝日でもないくせに、正月以上に知名度が高く歓迎されているかもしれないな。
2009.02.11
自分が何をしようがしまいが、吠えようが喚こうが、盛大なしかめっ面をしようが、誰も困る人はいない。夜中に洗濯機をまわそうが、オーディオを鳴らそうが、明け方に掃除機をかけようが、朝っぱらから風呂に入ろうが、時間帯を気にせず、好きなときに好きなことができる。食べたければ食べ、食べたくなければ何日でも食べない。したくなければ何もしなくていい。怠惰により不都合が生じても、せいぜい困るのは自分だ。文句を言う者は誰もいない。よほど派手なことをしない限り、近所迷惑のネタにもならぬ。せいぜい町内会費やらゴミ出し清掃やら、回覧板やらといった、町内のルールを守っていればいい。いいぞーう、一人暮らしは。
2009.02.10
出かけるのがめんどくさい。行かねばならぬ所もないのをいいことに、ずっと引きこもっている。新しい生地を買いたいのだが、最寄の手芸店でさえかなり離れている。歩いて行くしか交通手段がない。市内最大の手芸店なら地下鉄で行けるが、人ごみがうっとうしい。まあお金もないことだしと思いつつ、やはり家にひっこんでいる。
2009.02.09
数年前、地元のカトリック系私立女子学園高等部の入学案内パンフレットに、こんなようなことが書かれているのを見た。「思春期に愛されたという思い出は、人生の宝」 生徒を慈愛の心で育み、生徒もお互いの友愛を大切にする校風だという意味らしい。この考え方は、むろん学校生活に限らない。なにより家庭教育の影響は大きい。人格形成期に個人として尊重され、良いしつけを受けた人は、おとなになってからも概ね精神が安定しており、人に対して温厚である。本当の意味で育ちが良い。 省みて自分は、学校でも家庭でも、お世辞にも良い育ちとは言えない。なるほどなるほど。
2009.02.08
先方はそれが仕事なのだからしょうがないのではあろうが、保険屋が煩わしい。もうほっといてくれないか。ただでさえ人に会いたくないうえ、保険屋を見ると苦しんだ時期を思い出す。自分は保険なんかに興味ないし、これ以上掛ける資金もない。話を聞いたところでしょうがない。定期冊子だのテレビガイドだのもいらない。用があればこっちから連絡するから、もう電話も人も寄こさないでほしい。
2009.02.07
猫マンマの話だと思ったのは、自分だけではあるまい。
2009.02.06
昔、研ナオコが歌っていた「一人ぼっちで踊らせて」(というような題名)歌詞に、「やさしくしないでよ、涙が出るから」というのがあった。子どもの頃は、やさしくされてなぜ涙が出るのかわからなかった(しかし、うれし泣きではなさそうだとはなんとなくわかる)が、今はよくわかる。おとなになったからというだけではないだろう。こんなものはわけのわからん感情として一生謎のままでいたほうが、幸せなのだろうか。いや、そうとも言い切れないな。
2009.02.05
先月、いつも買っている化粧品通販サイトで福引した。それが当たり、4千円ぐらいする保湿クリームが今日届いた。このクリーム、使っていた時期もあり、悪くはないのだが、なにしろ高い。格安でもじゅうぶん高品質の他メーカー品を発見、鞍替えしてから、もう1年以上経つ。「また使ってくださいよ~」というメーカー側の意図に取れなくもないが、抽選だからたぶんそうではなかろう。 他の景品は、大画面液晶テレビ、新型の全自動洗濯機で、自分がもらっても困るものだった。
2009.02.04
坦々麺は太りやすいので、食べたいと思いつつもすぐ食べず、何週間あるいは何ヶ月も我慢してから、ようやく食べる。そして食べた後、後悔する。思ったほどおいしくなかったという後悔か、また太ってしまったという後悔か、はたまた別の理由なのか。少なくとも、好きな物を食べたという満足感はない。なぜだろう。自分は坦々麺が好きなのだと思っていたが、実はそうでもないのだろうか。 ちなみに自分が食べるのは、明星「中華三昧」のシリーズで「広東風」「四川風」「坦々麺」である。他のインスタントラーメンは、よほど気が向かなければ食べない。だからなんだというわけではなく、ほんのつまらぬ話だが。
2009.02.03
ますます集中力がなくなった。ものを考えることができなくなった。勉強しても、頭に入らない。やっと理解したと思ったら、数時間後には勉強したことさえ忘れ去る。特に難しくもない内容なのに、長文を読むのが煩わしい。こうやって脳がスポンジ化するらしい。 こうしてまた日が暮れて夜が更けて、朝が来て日が過ぎる。存在意義まるでなし。いつだったか忘れたが、こんな暮らしは嫌だろうなと想像したことがある。現在、そのとおりの生活をしている。
2009.02.02
ないと思い込んでいた外部入力用のコードが見つかった(ずっと目の前に束ねてあったというのに、なんで気づかなかったんだろう)ので、パソコンとAVコンポをつないだ。長らく音なしで不自由していたが、これで音声も聞けるようになった。しかし、動画サイトはなぜか視聴できない。なんとかできるのは、You Tubeだけである。スピーカーが壊れる前は、どこのサイトでも視聴できたのに。
2009.02.01
全28件 (28件中 1-28件目)
1