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自分の携帯で「ひ」を打つと、変換第一候補に「必殺」と出る。その次が「秀」だ。ちなみに、「もんど」と打っても変換候補に「主水」の漢字は出ない。「しごとにん」なら「仕事にン」か、せいぜい「仕事任」である。「じだいげき」に至っては「時代激」となる。実に頭が悪い。持ち主にそっくりだ。
2009.05.31
「育ちがいい」とは、格式ある家柄だとか金持ちだとかいう意味ではないようだ。保護者から惜しみない愛情で育まれることだと思う。さらに、自身で考え行動しその責任をとる知恵と、他者を思いやるしつけを受けることであろう。そのどちらにもあてはならない自分は、育ちが悪いことになる。おかげで、世間で恥をさらしたり、粗末な扱いを受けたりすることが多い。「育ちの良い」人々に追いつこうと今さら鍛練努力してしても、無駄であることがほとんどだ。気づかないで、見当違いなことをしているらしい。なお悪いことに、他人はそれを教えてはくれない。陰で哂っているだけだ。 時折、「我が家の家訓」「両親の教え」などといったことを、誇らしげに語る人を見かける。そうした人々は、家庭を大切にし、両親に対する敬愛が溢れんばかりだ。(少なくともそう見える)立派な社会人になっている人が多い。 振り返って、自分が両親から受け継いだ「教え」の類は何もないということに気がついた。母は、その場そのときの都合で、言うこと成すことはもちろん、価値観も極端に変わる人だった。父は、家庭や子どもに関する面倒事には、知らん顔だった。 いや実は、母が一貫して自分の娘達に言いつけていたことは、いくつかある。しかしそれらはあまりにも恥ずかしくて、とても他人に言えたものではない。自分が母親の立場ならば、子どもに言いたくないという代物だ。 親から受け継いだもの、教わったものを、誇りを持って他人に紹介できる人は、幸せである。おとなになり、支えてくれる人がいなくなったときにも、しかと自立し生きてゆけるだろう。親から離れても死別しても、幼児期から包み込まれ、取り入れられた親の「思想」が、永遠に子を支えてくれるからに違いない。これは、親が子どもに与えられる、最も重要なものではなかろうか。
2009.05.30
定額給付金の申請書が来た。指定書類と、身分証明と振込先通帳のコピーを返送すれば支給されるそうな。予想していたほどめんどうでもないが、12,000円ではたいして得した気もしない。住居生活費として知らないうちに自動引き落としになり、もらったことすら忘れてしまうような額だ。まして、この後消費税を上げるという目論みらしいからな。
2009.05.29
最近、掛け蒲団カバーを替えるたびに、中の羽毛が舞い散る。何年も前に買ったものだから古くなっているのだろうと点検してみたら、なにやら所々に針で突付いたような跡がある。猫の爪に違いない。しかし、こんな穴というほどにも満たないところから、あんなにたくさんの羽毛がはみ出るなんてと思ったとたん、1辺2cmほどの鉤裂きを発見した。これまたまさしく、猫の爪跡だよ。 まあ1箇所だけで、しかも繕いやすい傷だからまだよかった。蒲団にもぐりこんで寝るのはかまわないが、傷つけるのはやめてくれい。蒲団なんか安くはないし、当節は捨てるにも手間がかかるのだ。 今回は捨てずにすんだが、羽毛蒲団を捨てるときは、どうすればいいのだろう。
2009.05.28
バターは匂いがきつい、焦げやすい、高い。乳製品ではないが、代わりとしてマーガリンを使ってきた。しかし、マーガリンが「食べるプラスチック」とまで言われるほど体に悪いとは、知らなかった。自分は太りやすい体質だが、遺伝の他にも、マーガリンなど植物性油を長年摂りつづけていたせいもあるらしい。「トランス脂肪酸」http://www.getwell.co.jp/tr.htm もうマーガリンを使う気にはなれないにしても、バターを好まないことには変わりない。パンにオリーブオイル(液体のまま)を塗って食べているという人がいたが、おいしいのだろうか。
2009.05.27
自分の生涯のうち大半は、なかったこととして葬っている。
2009.05.26
徹夜した。MDを聴きながら、室内用(ほとんど夜着)のサンドレスを作っていた。何年も前に買った木綿の薔薇プリントだが、用尺が不足である。これではかなり膝上の丈になってしまう。買ったときはおそらく、ドレスではなくスカートを作るつもりだったに違いない。 しかたなく、ハギレのように余った部分をつなぎ合わせてフリルを作り、少しでも丈が長くなるようにした。さらに5cm幅の綿レースも裾につけたが、これでようやく膝が隠れる程度である。首、袖、ウエストにゴムを入れるとスカート布が上部にひっぱられ、また短くなるだろう。もう少し丈を長くしたかったが、夏物だし寝巻の代わりにするものだからと、諦めることにする。
2009.05.25
私は「オバサン」という呼び名が嫌いである。 幼児期から児童期にかけて、自分はよく近所のおとな達から嫌われていた。聞こえよがしに私の容姿(デブだのブスだの、服がダサいだの貧乏臭いだの)について悪口を言って笑うなどまだましなほうで、4、5人の主婦に取り囲まれて、じゅうじゅうと意地悪を炙りつけられたこともある。何か悪いことはしたわけではない。友達の家に行こうとしたら、道端でたむろしていた母親グループに粘着された。まるで、不良グループが気に入らない相手に因縁をつける光景さながらである。 友達と一緒に何かいたずらしたときでも、自分だけが詰られ、同じことをした人達はお咎めなしだった。こちらが被害を受けても、一方的に自分だけが怒りつけられ、ありもしないことを言いふらされ、それを鵜呑みにしたまったく関係ない人にまでほじくり返され、辱められた。 学校での親子レクなどでも、同級生の母親達は私を排斥した。母親達から一人を選んで一緒に走るという競争があり、自分の拾った紙には、「佐藤」という名が書かれていた。しかしその「佐藤」は、「ちょっとぉ~。なんで私ばっかり」などとぐずぐず文句を言い、汚いものを避けるかのように私から目をそらした。 この人が何度指名を受けようが、走者のせいではない。たまたま私が拾わなくても、他の誰かが拾っただろう。まして、たかがレクリエーションのゲームである。なにゆえそこまで大問題扱いにして嫌な顔をする必要があろうか。この子どもが嫌い、あるいは見下していたからに他ならない。何度も出馬するのが不満だとしても、言い方というものがあろう。競技中に紙を持ったまま、途方に暮れている子どもを見て平気どころか、そう仕向ける意地の悪さだ。なお、次の回で走者が来たとき、その「佐藤」はまた当たったが、その子とはにこやかに手をつないで走っていた。 ちなみに私は、それ以前にその「佐藤」と話をしたことはない。ついでだが、「佐藤」とその子どもは担任のお気に入りで、クラスでもPTAでも、常に幅をきかせていた。 今にして思えば、あの連中は、私の母親に対する敵意をその子にぶつけていたに違いない。母は気が強く、どちらに非があろうがなかろうが、思ったとおりのことを遠慮なく言う人だった。もっとも、ある時期からPTAには参加しなくなった。さすがに敵意のまなざしは感じていたのかもしれない。親子揃って排斥される図は、子ども心にもつらかったので、自分としては母が来ないことを喜んでいた。 私は「オバサン」という呼び名が嫌いである。姪や甥からそう呼ばれるのはかまわないが、それ以外の人からは言われたくない。また、不特定の年配女性に向かって、自分がそう発音するのも嫌だ。「他人」で「おとなの女達」からろくな扱いを受けなかったという、子ども時代の影響だろう。 昔の母親&教員集団は、現在とは違った意味で、教養がなく下品で身勝手だった。
2009.05.24
マスクが人気(正確には、インフルエンザが流行っている)のため、売り切れ模様らしい。ほとんど家に引っ込んでいる自分には関係ないが、マスクは比較的簡単に手作りできる。手芸店で細ゴムと弱い針金、不織布、またはガーゼ(これは薬屋のほうがたくさんある)を買い、鼻の当たる部分(マスクの上端)に針金を包みこんで縫えばよい。 しかし、同じことを考える人は多くいるに違いないから、上記の材料も品薄かもしれないな。
2009.05.23
自分はこの人に何も悪いことしていないのにな。何が気に入らんのかは知らないが、まあ勝手にするがいいさ。
2009.05.22
初回放送時には見ていなかった「必殺仕事人V(旋風編)」を見ているが、あまりおもしろくない。 仕事人による殺し場面が勇次や秀ほど粋とは思えないのは主観の相違ですむが、順之助の扱いが理不尽だ。バズーカ砲もどきの殺しはかなり派手で効力もあるのに、便利屋お玉の補助という扱いになっている。「必殺IV」時代から数年経ち、すでに自立したおとなという設定なのに、単独で「仕事」しないのはなぜか。 また、「必殺IV」に比べ、人間関係の描写が陰湿である。全体的にぎすぎすしており、笑えるところがほとんどない。仕事人どうしはもちろん、市井の人々にさえ、ほのかに温まるような人間模様が少ない。 なにより、奉行所関連での主水排斥があまりにもえげつない。昔よくいた、意味もなく威張りくさって怒鳴り散らす小学校の教師ふう与力や、左遷された主水を意地悪く皮肉る同僚の存在など、ないほうがいい。筆頭同心田中も雰囲気が変わり、冷淡で意地が悪いだけの上司になってしまった。IVでは、「オカマの田中様」「ツンデレの田中様」と親しまれるほど、よくも悪くも女らしくて可愛げがあったのに、残念である。 中村家のせん、りつの横暴ぶりも過剰で、見ているほうは不快になる。世評が良くないとは聞いていたが、なるほどもっともだ。「必殺IV」が好きだった人には特に、なじみにくい雰囲気と思われる。 「必殺」には多数のシリーズがあり、それぞれにファン、アンチはいるのだろう。自分は「仕事人」のIIIとIV、ことにIVが好きだが、これらは「仕掛人」や「仕置人」などからの古参ファンには、かなり不評らしい。
2009.05.21
「山吹色のお菓子」と「黄金色のお菓子」が届いた。 「黄金色のお菓子」が入っている小判型のポーチは、思っていたよりおしゃれで丈夫そうだ。おいしそうな餡入りパイやガレットをさっそく食べたいが、数週間日持ちするらしいので、数日は仏前に飾っておくことにする。
2009.05.20
カルボナーラソースの余りが、数日前から冷蔵庫にある。いいかげん食べてしまわないと、もったいないことになる。かといって、スパゲティを食べる気はしない。昨日の残りご飯もある。ハムもそろそろ賞味期限が迫っている。 というわけで、カレードリアを作った。ハムとピーマンを具に、チキンスカレールウで炒飯を作り、耐熱皿に盛ってレトルトパックのカルボナーラをかけ、トース用チーズを載せてレンジで焼いた。玉葱があればもっと良かったかもしれないが、これはこれでおいしかった。
2009.05.19
茹でたての卵は、白身にゼリーのような弾力と透明感がある。つやつやつるつるしておいしい。これを刻んでしまうのはもったいないので、丸ごと食べるのがよい。しかし塩をつけると、せっかくの滑らかさが損なわれる。かといってマヨネーズは、あまりのつるつる白身にすべってうまくつかない。
2009.05.18
町内会の掃除がすんでから、近所のスーパーへ買い物に出向いた。野菜や乳製品なども買ったが、今日のお目当てはアイスクリームの半額セールである。実は一昨日、同じスーパーでアイスクリームをたくさん買おうとしたら、レジの人が「明後日は特売で、半額になりますよ」と教えてくれたのだ。それで有り難くご忠告に従い、その日はアイスクリーム以外の物を買った。おかげで今日は、単価200円になったエスキモーの「パルム」を、5箱買えた。これでしばらく、風呂上りのひと時を楽しめる。 買い物から戻ってまもなく、郵便荷物と宅配便が3件来た。それぞれの中身は、化粧品やらサプリやら、処分品と思しきカシミヤストールやらだが、ひときわ心踊るのが、ペットクロック(猫の文字盤)である。見た目が可愛いだけでなく、ちょうどの時刻なると「にゃ~にゃ~にゃ~」と三回鳴く。(光センサーで、夜は鳴かない)何年も前から興味があり、迷っていたのだ。電波どころか、あまり精巧でもないかもしれないが、税込み2079円という安さではしかたがない。 家に来るたびに姪が入り浸る図書室に、早速掛けた。姪のやつ、小粋なニャンコ時計に気づくかな。
2009.05.17
遠い過去、近い過去に受けた屈辱侮辱が突然よみがえる。生きていればまた新たな屈辱侮辱にでくわす。これは一生続くらしい。
2009.05.16
世の中には、他人の手作り品は「気持ち悪くて」食べられないという人が案外多いらしい。素人が作ったのでまずいに決まっているというのではなく、「何が入っているか、どうやって作ったのか知れない」のが「気持ち悪い」という。普段から不潔な人が作った、いかにも怪しげな代物だというのならそう思う気持ちもわかるが、普通の知人が作ったものでも「気持ち悪い」のだそうな。「おなか壊すと嫌だ」「毒でもはいっていそう」「汚い」とまで言った人は、少なくない。 一部のアレルギー性、または神経質な人の言い分かと思っていたら、むしろそれが「常識」になっているらしい。いつのまにそんな常識ができたのか、自分は知らない。そうした人々から見ると、他人様の手作り品をありがたく頂戴し、喜んで食べている自分などは、そのうち毒殺されるに違いない。
2009.05.15
「必殺仕事人IV」が今日で終わった。この最終回を見たことがなかったので、今日を逃さずに良かった。最終回タイトル「秀、夕日の海に消える」を見て、秀が死ぬと思っていたのだが、仕事人は誰も死なずにすんだ。 来週からは、「必殺仕事人V」の再放送が始まるらしい。しかし、初回放送時「必殺仕事人IV」の次に来たのは「必殺仕切人」ではなかったか。なぜ飛ばすのだろう。
2009.05.14
姉と一緒に、都心へ出た。中華レストランで坦々麺セット(980円)を食べたが、麺はラーメンというよりそばに近かった。本物の中華麺はああいうものなのかな。スープはおいしかったが、上に載っている肉が充分温まっていなかったせいで、全体的にぬるかった。店で麺類を食べると、具材でよくこういうことがある。具材の温度ひとつで全体を損ねるのだから、もったいない限りである。 その後、大手レトロ書店で、大島弓子、川崎のぼる、あすなひろしの本を買った。ついでにブックオフなど近在の店にも寄った。歩きづらいパンプスを履いていったので、足が痛い。 それはそうと、ひきこもり生活のせいでむくんだ私の顔を見て、姉が驚いていた。何を言われたわけではないが、妹の老け顔を見たときの表情は、明らかに「吃驚」を表していた。やはり適度に外出して(人前に出て)筋肉に緊張感を与えたほうがいいらしい。
2009.05.13
三階の自室窓から、裏のマンション庭が見える。 その庭には、銀色のでっかい猫がうずくまっている、ように見える。実は、バイクに銀色のカバーをかけたもので、バックミラーがちょうど猫の耳のように突き出ている。車体をカバーで覆われている姿を後ろから見ると、猫が香箱を作っているようだ。 このバイクは、最近購入されたものらしい。数週間前、そのマンションに住む若者が、のっしのっしと庭までバイクを押してきた。そのときはカバーがかかっておらず、夕日を浴びた黒い車体が誇らしげに光っていた。設置にあたって若者は、何度もバイクの位置や角度を変え、吟味していた。やがて満足そうに頷くと、去っていった。 このバイクを手放すとき、あの若者はどんな境遇にいるのだろう。などと余計なことを考える癖は、昔よりいっそう著しくなった。
2009.05.12
いかに自分がモテるか、いかに自分が若く見られるか。多くの女はまず、こうしたことを語りたがりますなー。なんの脈絡もないところから、実に丹念なる計算をもって、さりげなくその話に持ち込む手腕は、いったいどこでどう身につけた技であろうものにて候ぞ。モテ自慢や若見え自慢なぞより、いっそ「自慢話に持ち込むのが得意」自慢でもしたほうが、よほど説得力があるというものである。 どんな自慢をしようがその人の勝手といえばその通りだが、その手の話題はおしなべて発展性がない。それはそれはよかったですね、で終わってしまう。したがって、こんな話ばかりしたがる人と一緒にいても、こちらは楽しくもなんともない。 おとなになってからというもの、自分のまわりにいた女は、このような人種ばかりである。なにゆえ自分は、自慢女に粘着されるのかと考えてみるに、答えはすぐ出た。自慢なんてものはそもそも、自分より「下」相手にするものだ。わざわざ自分より優れた人に向かって自慢してまで屈辱感を味わいたいわけがない。つまり、そうした自慢女にとって私は、「心置きなく優越感を持って存分に自慢できる低レベルの存在」というわけだ。 中でもメガトン級自慢女(正確には虚勢女)は、かれこれ六年ほど前に絶縁したやつだが、その人物の華麗なる自慢話(正確にはホラ話)は、またの機会に書くことにする。 自慢女は他人の活力を実にもって上手に剥ぎ取るものだが、自身の活力生命力は旺盛である。地球が滅びても絶対に死なないであろう。えてして、こういう人ほど幸せをわしづかみにするものだ。それはそれで結構なことだが、自分は関わりたくないので、近寄らないでもらいたい。
2009.05.11
庭のチューリップと水仙が散っている。いつのまに咲いていたのだろう。近所の庭に植わっている梅も桜も、知らないうちに散ってしまったらしい。「今年ばかりは墨染めに咲け」と願ってから、もう何年も経つかのような気がする。 いとしい いとおしい あわれ かなしい かわいそう かわいい 根本を同じくする枝葉に思える。
2009.05.10
家に引っ込んでいれば、その辺の店で買い物をすることもなく、余計なお金を使わずにすむ。かといって、家でネットサーフィンしていると、かえっていろんなものがほしくなる。通販でおいしそうなお菓子を見ると、ついよろめきそうになる。幸か不幸か、送料がバカ高いうえ注文合計金額が大きくても無料にならないので、思い留まっているが。商品価格はそう高くなくても、そのぶん送料にかこつけて稼いでいるのかもしれない。 突然思い出したが、「つーはん」といえば、現在は「通信販売」が思い浮かぶが、小中学生の頃は「ツベルクリン反応」の短縮形(ツ反)だった。今時の子どもはどうなのだろう。
2009.05.09
不二家のカントリーマァムを電子レンジで温めるとできたて風味でおいしい、とパッケージに書いてある。それで、食べるのに困らない程度にレンジで熱してみた(バナナ味)。 このクッキーは、できたてだと柔らかいとみえる。生地がぐんなりして、クッキーらしくなくなった。温めたおかげで格別おいしくなったとも思えない。強いて言えば、バナナの風味が強くなったので、バナナ好きの人なら喜ぶかもしれない。自分としては、温めずにそのまま食べたほうがずっとおいしいと思う。
2009.05.08
気に入ったが、個数のわりに少々高い。注文合計額が増えても、送料無料にはならないらしい。それでも買ってみたいぞー。とはいえ、こういうものを一緒に喜んでくれるような時代劇好きにして冗談の通じる知り合いもいない。つまり、送り先に困る。しかたなく自分用に注文するしかないのだが、なんだかわびしいもんですなあ。「山吹色のお菓子」http://www.yamabukiiro.com/index.html(サイトの随所にある能書きなどもおもしろい。こんな会社に勤めたいな)
2009.05.07
昨日作った(合成粉末プリンを熱湯と牛乳で溶いて固める)プリンを食べてみた。ゼラチンばかりが際立って口当たりも風味も悪い。プリンらしいコクがなく、なめらかさが足りない。プリンというより、ゼリーに近い口当たりだが、ゼリーのような爽やかな清涼感はない。まさかここまでまずいとは思わなかった。妙な苦みが後々まで口に残る。やはり、市販のカップ入り出来合いプリンを買うほうがよさそうだ。 そういえば、子どもの頃食べたプリンは、こんなふうだった。あまりおいしいとは思わず、好きでもなかったので、ずっと食べずにいた。最近気が向いて、明治やグリコなどのデカサイズカップ入りのを食べた。これが意外においしかった。市販プリンはいつのまにか改良されていたらしい。この合成粉末プリンは、昔ながらの味わいということらしい。
2009.05.06
ご飯なしカレーを食べた。およそ5皿分食べた。今、銭湯だの温泉だのに行ったら、妊婦だと思われるに違いない。
2009.05.05
踏み台昇降用の台が、通販カタログに載っていた。なるほど、家の中で手軽にできる運動だが、わざわざ専用の台まで売っているには驚いた。中学高校時代、体力測定のときにやったものだった。あの頃は、すぐ息切れがして脚も疲れ、わずか5分だか10分だかを、非常に長く感じた。測定時間が終わったときには、倒れこむばかりになっていた。 ここ数年の運動不足を解消するべく、少し続けてみる気になった。むろん、そんな専用台なぞ買う必要はない。階段の最下段を使って10分間やってみた。ふわっと汗ばむかそうでもないかというぐらいで、特別疲れもしなかった。中学高校時代の自分は、どれほど体力不足だったのだろう。
2009.05.04
近所のスーパーに入っているベーカリーに、おいしいパンがある。フランスパン1/2本の中に、ベーコンとチーズ、マヨネーズが入って200円である。おおかたこんなような作りだと思うが、試したことはない。もっとも、自分で材料を集めて真似するより、そのベーカリーで200円出して買ったほうが安くつくとは思う。《材料》フランスパン 1/2本プロセスチーズ 20~30gベーコン 1~2枚マヨネーズ 1~2プッシュ《手順》1. チーズ、ベーコンを好みの大きさに切る。2. フランスパンの中身を大雑把にくり抜く。3. 2でくり抜いた中身のパンを細かくちぎる。4. 1、2、3を器に入れ、マヨネーズで和える。5. カンパーニュの空洞に4を詰め、トースターで焼く。6. チーズがとろけたら出来上がり。
2009.05.03
初代ミケが家にやって来た日である。その年の3月12日に生まれたという、手のひらに載るほど小さな仔猫だった。小筆のような細いしっぽが、すっと伸びていた。 その日から19年間一緒に暮らした。人間にとって19年や20年は長い人生のうちほんの一部にすぎないが、猫にとっては全生涯である。自分はあの子を必要とし愛しつづけたつもりだが、猫自身の立場になってみると、足りない点が多々あった。もっとこうしてやればよかった、ああしてやればよかった、と思う。私と一緒に過ごした生涯に満足してくれただろう、と思うだけの自信はない。 初代ミケがこの世を去ってから、旅先で飢えないよう、いつ戻ってきてもいいよう、ずっと陰膳も供えてきた。二代ミケを迎えても、それは続いている。そうして、人生の伴侶だった初代ミケは私の中にとけこみ、今ではもう自分の一部として存在している。私が生きている限り、あの子も生きつづけている。勝手にそう思っている。 二代ミケは、自分の皿とは別にあるもう一つの小皿がなんであるか、わかっていないだろう。「なんだか知んないけど、ごはんがふたつもある~♪」ぐらいに思っているらしく、満足そうに平らげている。しかしなあ二代ミケよ、おまえさんが毎日元気でいられるのも、三毛猫大明神が見守ってくれるおかげなんだぞよ。
2009.05.02
賞味期限8日前の明治Bigプリンを食べた。プリンはいつもデカサイズのが特価になったのを買う。これも賞味期限間近の割引価格で買った。冷蔵庫に入れたまま10日間ほど忘れ去っていたが、腐ってもおらず、変形変色もしていない。ちゃんとおいしい。ホイップクリームをたっぷり盛って食べた。 ちなみに、食べる前とその最中には、太るだの肥満だの贅肉だのメタボだのと、つまらんことを気にしない主義である。
2009.05.01
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