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最近、特に詳しく報道されるようになってきた小中学生の事件。人間がまだきちんと作られていない時期で思春期に突入するこの時期の彼らは、とても強く美しく反面、驚くほど脆いものです。4年間、塾の講師をやって、昔を思い出しながら一緒に遊んでいましたが、面白かったです。(また、お金を稼ぎにいこうかしら・・・。)思春期にありがちな自分探しは、自己の存在意義(レゾンテドール)を探求する旅です。俺もご多分に漏れず、自分を探していました。ただ、探しに行った先が他の人達と少し違っていました。その世界とは、「密教」と「武士道」です。なんてジャパニーズなんでしょう♪密教は「宇宙皇子」という小説ではまって「孔雀王」に行き、そこから仏教やキリスト教や神道などの宗教系にどっぷりはまっていきました。独鈷杵とか金剛索とか大好きです。武士道は池波正太郎氏や司馬遼太郎氏、海音寺潮五郎氏など時代劇小説を片っ端から読みながら、サッカー部を辞めて剣道部に入ろうかと真剣に悩んでいました。少し前までは、中学時代の俺って変なヤツ? と思っていましたが、先日、友達にこの話をしたら「思春期だね~。」と言われて納得しました。ふむ。不安定な自分を安定させるために、既に出来上がっている大いなる安定を取り込む。密教にせよ武士道にせよ『心』といものに密接に関係しているものなので、むべなるかなって感じです。(さもありなんとは少し違うのです)そんなこんなで、少しオッサン臭くて人を高いところからみてしまうようなひねくれ者になってしまいました。自分ではなかなか素敵なアンチクショウだと思うのですが、なかなか周囲との相互理解がなりたたないのが玉に瑕です。さて、そんな俗世界の垢にまみれていない甥っ子に「デカレンジャー」のHPを見せなくては・・・。
2004年06月30日
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世の中には人の数ほどその人にとっての「真実」が存在していますが、時代や民族、性別などを超えてあらゆる人に当てはまる「真理」もまたあります。最近、そのことで考えていたことがあります。「人の行動は自己満足の結果だいうのは真理か」です。人が積極的に行動を起こす場合は、その殆どが何らかの自己の欠けているところを補充したいという欲求に関係しています。(本能も含めて)お腹が空いたから飲み食いする。ヤリたいからヤる。眠たいから寝る。知りたいから勉強する。自己の優位を確信したいから戦う。そういった行動は必ずしも積極的でない場合も存在するのですが、それでも大体の事柄は極論すると、「お母さんが勉強しろって五月蝿いから勉強したくないけど、将来のこともあるし勉強するか」とか「働きたくないけど、働かないと食っていけないから働くかなぁ」とか「眠いけど、こいつはすぐ終わるし多少気持ちいいからヤラしとくかな」とか「食欲ないけど食べないと力が出ないから食べるか」といった自己判断(自己弁護、理由付け)の結果、自分で選んだ結果としてそれをするわけです。恋愛も同じ。人に与え、奪うのも人を憎み、愛するのも相手のことは兎も角として、自分がしたいからするという気持ちからのものです。そこで、相手に何かをしてあげても、見返りを求めてはいけないと思っています。でも、気持ちが擦れ違うと相手に対しても気持ちを要求してしまって自己嫌悪になってしまいます。解って欲しい、好きでいて欲しいという純粋なきもちからなのですが・・・。醜い自分が嫌でたまらなくなったりします。難しいなぁ・・・。
2004年06月29日
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明日から抗がん剤投入の第5クール目が開始になります。抗がん剤を打った週は食欲がなくなってご飯を無理矢理食べなくてはいけなかったり、手先の麻痺部分が広がったりして嫌な感じなのですが、まぁ、頑張ります。今日は病院に行って血液検査をした後に、天気が良かったのでまた海に行って2時間くらい考え事をしながら波を見ていました。(先週は米軍基地の近くで今日は自衛隊基地の近く)隣を、カテキンがたっぷり入ったお茶をがぶ飲みしているビールっ腹のアメリカ人が通り過ぎていったりしてシュールな良い時間だったのですが、思いっきり日焼けをしてしまいました。帰宅後はそれについて、お叱りが。最近、俺の病気や老人介護の関係でやたら健康について開眼してしまった我が両親は、ステレオさながらに(2方向から)「紫外線を浴びると皮膚がんの原因になるから、直射日光をなるべく浴びないように」とお達しを下してきました。そんなこと言ったって多少はしょうがないでしょう、と思うのですが今の俺は免疫力が低下していて多少身体が弱っているので心配しきり。「そんなことを気にしていたら、生活していけないじゃん」と言おうものなら、「お前は病人として認識が甘い」とお目玉が下ります。両親が心配してくれているのは痛いくらいに解るのですが、夏を迎えるこれからの季節に皮膚がんを心配して外を歩けないなら、いっそ・・・。それに、紫外線を含む太陽光線には人に活力を与えたり、骨を強くするビタミンEも含まれているというのに。結果、とんとんだと思うのですが。親には言えません。親が望んでいるのは、理屈ではなく一刻でも長く生き延びること。その気持ちはとてもよく解ります。自分の大切な人のことを考えると、自分もそう考えるでしょう。しかし当事者になってみると、そこまでして病気に怯えて長生きするくらいなら、短くても自分が納得のいくようにやって死にたいと思っています。長生きはしたいですが、密度の濃い生に比べたらあまり魅力を感じません。勿論、死にたいわけでもないし生きる努力を放棄しているわけではありません。生命を軽く思っているわけでもありません。ただ、些末な事柄に囚われることなく、自分自身の納得した道を歩いていきたいと思っています。それがたとえ、茨の道でも。覚悟と納得は、あります。
2004年06月28日
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今の自分の境遇に満足している人はどれくらいいるのでしょうか。自分はこんなもんじゃない、自分はもっとやれると思いつつも、現実との差に悶々としている人というのは老いも若いも男も女もけっこう沢山いるのではないかと思います。じゃあやればいいじゃんという簡単な話なのですが、世の中は意外に上手く出来ているものでエクスキューズの種はごろごろ転がっているわけです。ついつい責任転嫁をしてしまう。そんなone of themのお話。俺は今までの人生で努力をしたことがないと言い切ってしまうほど大した人間ではないのですが、人生25年を本当に頑張ってきたのかと自分に問いかけたとき、胸を張って頑張ってきたと言えない自分に最近、気がつきました。高校受験や浪人して臨んだ大学受験、就職活動や果ては一人暮らしの家探しに至るまで。対外的に、そして自分を納得させるために俺は頑張ってきたんだと言ってきましたが実際はそうではないのではないか。努力してきたつもりだけど、本当にそうかなと。思えば小賢しくも目端が利くため、このぐらいまではこれくらいでいいやという妥協を他人と自分に対して隠しながらやってきたように思います。「みんな、頑張ろうよ!頑張れば何だって出来るよ!頑張らなかったら人間駄目だよ!」的な世の中に拗ねて、「頑張らなくたって出来るもんね~」というスタンスを取ってきたのではないかと。頑張るということはかっこいいと思うけど、自分は頑張っているんだという姿を人に見られるのは恥ずかしい。本当は褒めて欲しいのに、褒められると照れるという自己矛盾もあります。人は自分の望むように人生を送るという言葉のままに、今まで生きてきました。後悔をしている訳ではありませんが、そのことを反省しました。もしかしたら、今まで実は本当に本気でやってきてこの程度なのかもしれません。しかし、ここらで方向転換しなくてはいけないのではないかと思うことしきりな今日この頃。周りに頑張ってるね~と言わせるくらい頑張ってみるのも面白いかなと思っています。これを気付かせてくれた彼女に感謝を込めて。
2004年06月27日
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今日は頭痛が痛いのをおして、Jリーグディビジョン1最終節、横浜F・マリノスvs鹿島アントラーズを観て来ました。思えば、去年の1st最終節と2nd最終節、今年の1st最終節とほとんどいいとこどりの観戦日程。素敵です。今日は前日まで雨とヨシズミ君が言っていたのですが、あにはからんや、蒸し暑い晴れ。ポルトガルはもっとカラッとした暑さなんだろうなぁと思いながら汗をダラダラ出して観戦していました。贔屓の横浜の相手は、一昨年、煮え湯を飲まされた鹿島。黄金の中盤ことトニーニョ・セレーゾ監督が「もはやクラシコだ」という有難いお言葉をのたまってくれましたが、本当に特別な一戦になりました。不快指数MAXのデーゲームということで、のっけからゆるゆるな試合展開。経験ありますが、めちゃくちゃやり辛そうでした。前半は元アゴカルテットの曽ヶ端やバーモント平瀬、そして何故か前線に上がってくるいぶし銀名良橋のプレーで再三のピンチ。双方が万全なコンディションではないので点が入る気はしませんでしたが、どちらかといえば鹿島ペースで試合は展開していきました。ハーフタイムには岡ちゃん監督から「いいプレーはしなくていい」と言われたにしては、少し改善されてきちんとした試合運びが出来ていました。原因は、交代で入った奥大介(D)とドラゴン久保。東福岡の選手権MVP本山が不用意なファールで退場になったのも原因の1つですが、主力2人の投入でここまでというほどサッカーが変わりました。(今日のレフェリーがマリノス寄りの判定でしたが、それは当たり前)1点取られた後は一転して鹿島がフレッシュな若手を送り込んできたのでやや苦しくもなりましたが、前半で疲れてしまい余計なプレーをしなくなった松田を含めたDF陣の頑張りで、攻撃をほぼシャットアウト。磐田ほど質の高いサッカーではないものの、圧倒的な勝負所での粘り腰によってJリーグ史上初のシーズン3連覇を果たしました。来期からは1シーズン制になるので、空前絶後の半期シーズン3連覇を達成!!EURO2004ではイタリアが残念な結果に終わりましたが、ACミランといい横浜F・マリノスといい最高の結果を残してくれたので、大満足でした♪色々あって自分でも知らず知らずのうちにストレスを溜め込んできたので、少し発散が出来て良かったです。
2004年06月26日
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マスメディア(大衆媒体)はマスコミュニケーション(大衆伝達、大量伝達)をします。きちんと勉強したわけではないのでよくわかりませんが、その歴史は産業革命以降に本→新聞→ラジオ→テレビ→インターネットの順番で発展したとみていいでしょう。その黎明期に重要な役割を担った本やラジオは、現代の日本では衰退著しいといわれています。(世界60億人のなかでテレビを見ている人は20億くらいでしょう)それに対し、今や一家に1台テレビがあるのは当たり前(知り合いの家は4人家族なのに5台テレビがある)、パソコンの普及率も右肩上がりです。パソコンは置いておいて、文字を見るだけ音で聞くだけも前者と、目と耳を使うテレビは、情報量と信頼度において格段の違いがあります。テレビを見ていると、これは非常に楽です。ニュースをはじめとした情報からドラマやバラエティなどの娯楽までが、ただで手に入ります。(小学生の頃はテレビ業界の仕組みがわからなくて、なんでテレビは無料なんだろうと不思議だったものです。)この目で見て耳で聞くという行為は、生きていく上で最もよく使う五感のうち2つを使用するので信頼度が違います。更には、絵を見せられることによる安心感も加わって、テレビを見るとその全てが本当のことであると信じ込んでしまいがちです。現実にテレビに映っているものが全て真実ではありません。しかし、その圧倒的な情報量と信頼感から無条件に受け入れてしまいがちになっているのではないでしょうか。その結果生まれてくる想像力を失った人々。画一的な価値観の人々。頭が固くて、ちょっと考えれば解るだろうということが解らない人達が増えている原因はテレビにあるといったら言いすぎですが、大きな要因の1つであるように思います。そんなことを、ハリーポッターことハリポタ(あまり略してないじゃん!)を見ながら考えていました。
2004年06月25日
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サッカーのEURO2004の本大会予選が終わりました。俺の贔屓チームのイタリアは1勝2分けで無敗のまま帰国。優勝候補としてこれからを期待していたところだったので、残念さひとしおです。今のサッカー界の中でイタリアといえば主流から大きくかけ離れてしまった異端児的な存在。よく、顔目当ての女の子が応援するチームで、通ならば見るに耐えないサッカーをすると揶揄されたりしています。確かに攻撃サッカーが全盛の今、二言目には聞かれる「カテナチオ(鳥かごの意)」を遵守して守備に重きを置くそのサッカーは、異質。見ていて華やかで面白い攻撃サッカーを志向する流れに逆行するなんてと批判されていますが、だからこそいいのだと思います。確かに皆が皆、守備的なサッカーをするようになってはつまらなくなりますが、そうでなければいいのではないかと思います。さて、各国の国民性が顕著に出るサッカーを通して世界各国を見てみると面白いですが、何故イタリアが守備的なサッカーをするのか。理由は、歴史を紐解くと見えてきます。地中海に長靴形に突き出している半島国家、イタリア。その歴史はとても古いのですが、関係ない昔話は削除。話はいきなり(?)、ローマ帝国崩壊後から。イタリアというとレオ様(ダヴィンチ)やミケランジェロのどのルネッサンスで有名ですが、東ローマ帝国が崩壊した後は、地方の都市ごとに国が出来て小さな都市国家が群雄割拠します。幸い、半島の付け根にはピレネー山脈などのアルプスがそびえていたので外敵の侵略に対して一致団結して当たることがほとんどなく(数回ありましたが)、近代国家が出来るまでイタリアはばらばらの国の集合体でした。そこで、芽生える対抗意識。そして、かつての栄光ゆえの高いプライド。これを掛け合わせると、負けず嫌いで見栄っ張りというイタリア人の国民性がはじき出されます。(チーン)そんな人々が集まって長いことサッカーを必死にやっていった結果が、「カテナチオ」。とにかく敵に負けないことでプライドを守るという考えから出てきたのが「カテナチオ」。1点取ったらもうずっと守ってたらよくねえ?と、皮肉にも当時、外国人ばっかりのチームで監督をしていたイタリア人が考え出したのが「カテナチオ」。鳥かごのように、人が籠のようになって中でボールをずっとキープしとこうぜというのが「カテナチオ」。1-0で勝つのが最も美しいとされる「カテナチオ」。勝負は勝たないと意味がないと思っている負けず嫌いの俺は、このひたすら負けないサッカーをするイタリアという国が大好きです。決して、すぐ女の子を褒めるので「お前はイタリア人か!」と言われるからではありません。えぇ、決して。
2004年06月24日
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俺はあまり悩み事がありません。それは考え込むという癖が原因。何かをやる際に、何事も1回考えるという癖があります。瞬間にせよ時間をかけるにせよ、まず考えるというを複数回重ねるのです。幸い世の中の大抵のことは頭で考えれば解ります。自分の頭の中で様々な論を予想して、1つ1つシュミレートしていって、切り捨てる。それを重ねて、1本の道をすらっと出していきます。悩んで人に相談をする前に、自分で色々な考えの中から選りすぐられたものを用意しておく。従って、人にする相談はほとんどなく、専ら確認作業のようなものになります。人から違う意見を言われても、大体が既に頭の中で考えている際に除外された意見なのでその通りにすることはあまりありません。なので、他人の話を聞かないとよく批判されるのですが、それはもう切り捨てられたことなのでいわれてもしょうがないって寸法なのです。出来ないことややらなくてもいいことに対してはシビアに切るので、(78%くらいは)エネルギー効率の良い行動をすることが出来ます。これは、長所でもあり短所でもあります。頭で解ることとそれを実行に移すということは別物。なまじ頭で考えてしまうばかりに、可能性やそのために必要な労力を計算してしまってなかなか行動に移さないのです。たとえていうなら、一生懸命走っても間に合わないときは、走らないタイプ。諦めます。出来ないことはしない。それは、ともすれば固定観念に縛られてしまって新たな限界点を設定できないというマイナス作用もあります。成長曲線を自分でシュミレートして限界点を設定するのでほぼ予想通りなのですが、若干、現実との乖離が見られてしまうのです。そして諦めてしまう。(諦める=明らめる。即ち、明かりを照らして物事の境界をハッキリさせることが語源。仏教業界語かな?)諦めずに何かをやり続ける時間を他のことに使おうとするので、なかなか苦手分野のスキルが伸びないということ。また、こういった考え方をしていると答えが出ているのに気持ちが邪魔をして・・・、ということによく出くわします。諦めきれないこと。まぁ、大概は上手く折り合いをつけますが、しばしば決断に苦悩してしまいます。今もそうです。今日は、海を眺めながらずっと考え込んでいました。この問題に関してだけは諦めきれません。人生を賭けてでも。でも、それをすると大切な人が苦しんでしまう。答えは出ているのに、決断ができません。別方向の解決策もあるにはあるのですが・・・。・・・う~ん・・・・・。余談ですが、この前ピアニストの友人と話した際に意見が分ました。人は人生を重ねるにつれ「色々な物事を吸収して重量が増えている」「色々なものを切り捨ててシャープになっている」どちらも正しいイメージですが、これをご覧の方はどちらでしょうか。ちなみに、友人が前者で俺が後者です。
2004年06月23日
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今日は、築地にある国立がんセンターに、セカンド・オピニオンをしに行ってきました。過去にも書きましたが、俺の病気は「悪性リンパ腫」という『血液のがん』といわれる病気。白血病に近いためよくジュッパヒトカラゲにされてしまいますが、似て非なるものです。今までは、その中でも悪性度が低い(※病気の進行が年単位で急激に悪くならないかわりに治療の効果が低い)といわれる「MALTリンパ腫」であると診断されていたのですが、どうやら違うのではないかということになってきました。病気の発症からのスピードが速いことから、中等悪性度(※病気の進行が月単位で治療効果が割合高い)といわれる「びまん性大細胞型リンパ腫」ではないかという診断を受けました。「MALTリンパ腫」は日本人にしては非常に珍しいタイプの病気で、若者の臨床例が世界的に見てもほとんどないといわれるものでしたが、「びまん性大細胞型リンパ腫」は割合日本人に多いタイプなので、進行は速いものの治療も効きかつ臨床例も少なくないので、まぁ、良かったとはいえませんが判って良かったです。複数の医師にかかるというセカンド・オピニオンをやって正解だったかなというところです。ただ、治療自体は今までと変わりはないのですが。国立がんセンターの医師はさらに突っ込んだことも教えてくれたので、見ていてくれている友人達のために参考までに書いておきたいと思います。それは、治療成績。様々な因子を大まかに規定して概算した数値なので確実な数字ではありませんが、参考までに。4つの段階があって、便宜的にレベル1~4と表します。(レベル4:最悪、ひどい~レベル1:最高、まし)今まで自分で計算してレベル4だと思っていたのですが、医師がいうにはレベル3だそうです。完全寛解率(完全に治る率)レベル4は44%→レベル3は55%2年後の無病生存率レベル4は26%→レベル3は33%2年後の全生存率レベル4は34%→レベル3は54%5年後の無病生存率レベル4は18%→レベル3は27%5年後の全生存率レベル4は26%→レベル3は43%まぁ、こんなところです。古い数値なので額面道理に受け取ることは危険ですが、・・・まぁ、プラス10~15%上乗せした数値かなと思います。俺自身はもうちょっと長生き出来ると踏んでいるので、多分、大丈夫なはずです。気楽にいきましょう♪
2004年06月22日
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少しく元気になりました。明日からちゃんと復帰します。
2004年06月21日
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精神的にショックな出来事があって、メチャメチャ凹んでいるので、ちょっとの間、日記を休むことにします。申し訳ありません。
2004年06月20日
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近々、サッカーをしようと思っています。そのことをふと母親に話したら、大騒ぎ。こじれにこじれました。もう言い争いです。父親まで出てきて、サッカー禁止令が出てしまいました。もう25歳なのに・・・。親の言い分は確かに解ります。退院して3週間しかたたないのに、まだ抗がん剤を投与している最中なのに、サッカーなんて言語道断!!でもですよ。最早、病院で寝ている必要がなくなったから退院したわけだし、退院してもう3週間、何事もなく普通に回復してきているのだから・・・。自分で納得出来ない事に関しては絶対に言いなりにならない性分なので、まぁこっそり行ってやろうと思っていました。ところが、さっき風呂に入りながらボーっとしていて解りました。何故こうまで意見がこじれたか。キーワードは「サッカー」です。サッカーという言葉に関しての認識の違いが、こんな面倒くさい事態を引き起こしたのだとやっと気付きました。俺のいうサッカーとは、病人が久々にやる運動なので走らず歩いてゆっくりボールを蹴るお遊びサッカーのこと。親の思っていたサッカーとは、プロに準ずる広さのグラウンドいっぱいに走って蹴りあうガチンコの本気サッカーのことだったのです。そりゃ、意見も食い違います。ちょっとでも考えれば、ちょっとでも常識に照らし合わせれば解りそうなものですが・・・、難しいのでしょうか。親子とはいえ他人ですが、もうちょっと俺を理解していても・・・と甘えた気分になってしまった自分に反省。親であれ恋人であれ、お互いの共通理解にばかり甘えていてはいかんですね。大事な事や言いたい事、解ってほしい事は声に出さんと伝わらないということを強く(でもないけど)感じました。追記彼女さんに心配されたので、やっぱ行くのやめます。
2004年06月18日
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ヨーロッパは、産業革命以降に急速に世界をリードする存在に成長したユーラシア大陸の西の果ての地域です。そこで始まった人類の壮大な実験、EU(欧州連合)。ポルトガルでEURO2004が開幕し注目を集めていますが、EUでも熱い戦いが行われています。EUでは、5月に中東欧諸国など10カ国が加盟し25カ国体制になりましたが、今はその基本法となる欧州憲法制定をめぐり協議が進められています。また、政策決定機関である閣僚理事会の意思決定方式や、EUの閣僚に当たる欧州委員の定数、そして欧州議会の定数-などをめぐって大国とEU内で一定の影響力を確保したい中小国が対立しています。政治世界のEURO2004。このEUの発展如何では、今後、同じような共同体が出来ていく可能性があるので非常に注目です。EUROが行われている「EU」のように、アジアカップが行われている地域で「アジア連合(AU)」コパ・アメリカが行われている地域で「南米連合(SAU)」アフリカ選手権が行われている地域で「アフリカ連合(AU)」など。これはサッカーで区切ったお遊びですが、地域ごとの特性を生かした政治的・経済的な連合共同体は近い将来考えていかなければならない国家の形態だと思います。そこで、注目していきたいのが欧州憲法です。草案にあるアメリカ型の市場経済とは違った「社会的市場経済」というものに注目しています。旧西ドイツの時代の国家戦略で、全員参加と調和による社会安定を重視するという代物。乱暴な言い方をすれば、先進国をはじめとした社会主義化を先鋭的な形で打ち出したといえます。今年の一大関心事となりそうです。要チェックや!!
2004年06月17日
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サディスティックとマゾヒスティック。通常は頭文字のSとMで表記されるが、人間を2つに分けて考える際によく登場するカテゴライズです。大学時代、よくサークルの仲間たちと「お前、S?M?」という頭の悪い質問に興じていました。自分の意識では「MじゃないからSかな」というくらいの認識でしたが、友人の多くは「お前はSだ」とか「いや、ドSだ」なんて言われる始末。しかし彼女は「Mなんじゃない」と言います。人間誰しもがそうであるように、両方持っているのだろうと思っていましたが、とうとう気付いてしまいました。「俺、Mかもしれない」。ここからやっとテーマのサッカーが係わってきます。俺は、もう13年サッカーをやってきました。総てのポジションを経験してきました。しかし、総じて考えてみると大体がDF(守る人)をやっていたのです。そのDFとしての技量を買われて、選抜チームに選ばれたこともあります。習慣というものは恐ろしいもので、今ではサッカーの試合を観る際に1番注目するのはDFラインです。簡単に分けると、DFは攻撃されたときに初めて仕事が出来ます。現代サッカーは攻守の境目がファジーですが、それでも比率にして3:7の7は敵を待っていたり敵に攻撃されている時間になります。攻められて初めて活躍する。攻められれば攻められるほど、輝ける。完全に『M』です。超弩級のMじゃないですか!!そういえば実生活でも、マイナス思考に陥りがちでとりあえず最悪の事態から考えてしまう自分がいます。でも、決して蝋燭を垂らされたいとか縄で縛られたいということではないので誤解のないようにお願いします。ね、彼女さん。
2004年06月16日
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深夜帯のため正直あまり観ていませんが、昨日は注目のイタリア初戦だったのでちゃんと観ました。うーん、面白い。DFの頑張りが目立ってしまう試合展開なので、華やかな攻撃が見たい人や点の取り合いが見たい人には退屈な試合だったと思いますが、見ごたえのあるゲームでした。ボール・ポゼッションの対比から解るように(65:35)、終始デンマークペースの試合。イタリアの監督、トラッパトーニにしてもここまでボールを支配されるとは考えていなかったようで、コメントは渋め。しかし、イタリアらしい堅固な守備で事なきを得ました。組織を主体にサイドを経由してボールを回していくというサッカーのデンマークと、堅固な守備陣をベースに個の力で得点を狙うイタリアという相関関係。ここまで一方的に展開されてしまった原因は、当然イタリアの個が機能しなかったことにあります。早々に交代させられてしまいましたが、デルピエロの輝きがなさすぎでした。シーズン終盤の怪我の影響か、大舞台になると弱いというジンクスかわかりませんが、この試合に関しては全くといっていいほどの出来でした。トッティとデルピエロといった個の力に頼るサッカーの限界が見えた試合でした。ただ、これはあくまで初戦。決勝トーナメントに向けての試運転にすぎないので、ボチボチといったところでしょう。若干、Fカンナバーロのミスが目立ちましたが、十分に修正が可能なので2戦目3戦目が楽しみです。
2004年06月15日
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日曜日、NHKの7時のニュースのトップで報道されていた、近鉄・オリックスの合併問題。他にニュースがないわけではないのでしょうが(長崎のやらイラクやら法律関係やら)、このニュースをトップに持ってくるあたりがお気楽日本といった風情でしょうか。野球に全く興味がない人なんていないだろ、と言わんばかりのトップニュース扱いにややへそを曲げつつ見ていました。以前、ファーム(ウエスタンリーグ)の試合会場にたくさん人がいてすげぇと思った話を書いたのですが、こんなことになっていたとは!相撲に次ぐ日本の国技ともいえるスポーツの運営具合がここまでお粗末なのかと、ちょっぴりショックを受けました。ましてはサッカーをや、です。(反語)サッカーはバブルの終焉と同時にブームが去って、運営側が危機感を持ってなんとかやりくりしているので大丈夫とは思いますが、totoの売り上げは減る一方です。楽観は出来ない状況。企業が母体となって組織運営をしている純然たるビジネスの部分と(現実)、スポーツをして文化育成するという部分(理想)。ここの折り合いをどうやってすり合わせていくのかが、楽しみです。サッカーのように地元やボランティアが立ち上がるか、大富豪が現れて(アブラモ)チームを買い取るか、グズグズでくしゃくしゃになってしまうか。恐らく、日本のスポーツ文化史における重大な分岐点になることは間違いないでしょう。
2004年06月14日
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今日は彼女さんと1週間ぶりに逢ってちょこちょこと話をして考えさせられました。自分では解っているつもりだった事を再確認させられてハッとしてみたり、そうは言われても・・・という事を言われてグッとなってみたり。兼ね合いというか何というか。難しいところもあるのでしょうがないですが、きちんと真正面からぶつかっていこうと思います。俺は自分に甘くなってしまうことが多々あるので、いい加減、そろそろ大人にならなければ。とはいうものの、なかなか解っていても改善が難しくというところが今後の焦点です。危機感だけは抱いているのですが、なかなか。結果を出さないといけないですね。あぁ、弱ぇ~。一歩一歩頑張ります。さて、自己完結の手淫のような日記はここまで・・・。今日、もう一つメインで考えていたのは、見舞い返し問題。先日まで入院していたので、その時にお見舞いに来てくださった方々への返礼について。本当に心配で見舞いに来てくれた方や冷やかしの軽い気持ちで来てくれた方など、いずれも時間とお金を使って来てくれた方々へのお返しに四苦八苦しています。そんなんいらんよ言う人ばかりなのですが、もう社会人なのでそれ相応のリアクションをした方がいいと考えています。でも、自分に置き換えてみるとかえってそんなことをされると気を使うだろうなぁということで、何をどれくらするべきか考えています。クオカードが手っ取り早くて便利なのですが、≒お金みたいな雰囲気を醸し出しーので思案中。親族、目上の人、普通に仲の良い友達、仲の良すぎる友達、5年ぶりくらいに会った友達、それほど仲の良くない友達、教え子など、たくさんのケースがあって困惑気味です。今週中に決めてせねばならぬので、大変です。まずは何より、一番心配してくれた彼女へ感謝。ありがとう。
2004年06月13日
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先日、退院に際して主治医から状況説明と退院後の諸注意を受けたのですが、その中で気になったことがありました。あれ?この人、先週の中間報告と同じ事言ってる。専門知識を解説なしに使って、しかも前回の説明と変わらない同じような事を何回も言ってる。この人はアホなのかな?それとも馬鹿にされているのかな?両親も込みこみでの会合だったのですが、それについての突っ込みはなく淡々と過ぎていきました。俺は聞きたかったことは聞けたので、まぁそれでよかったのですが、何となく釈然としませんでした。俺の人間判断基準は専ら頭の回転が速い人に対する評価が高く、回転の遅い人に対する評価は低くなります。同じ内容を2度も話すなど2度手間以外の何物でもないと思っていました。時間の無駄だと。ところがこの前、そのことについて両親と話していたら咎められました。そうではない。同じ事を2度話すということは、前回と変わっていないということを伝えていて、それは誠意の表れなんだと。目から鱗でした。奥床しげな日本文化を感じました。が、やっぱりそういったコミュニケートは迂遠すぎるように思います。急がなければならない道理はないのですが、余計なことに無駄なロスを作ってしまって効率が悪いのではと、ついつい思ってしまいました。時代なのでしょうか。若さの感性の問題なのでしょうか。人生経験を積まなければなぁと思った出来事でした。追加あ、でも、色恋沙汰になって考えてみると・・・、同じ事を何度も繰り返し聞いて何度も相手の気持ちを確認している自分がいます。怖がりすぎ、甘えすぎです・・・。でも、これがけっこうギリギリまでラインを引いて頑張っての結果なのですけれども・・・。反省・・・。
2004年06月12日
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入院中からよく考えていたことに「普通」って何だろうという項目があります。(思春期かよ、とつっこみたくなるほどの初々しさです。)俺は自分を「普通」だと思っています。まさに、ベスト・オブ・普通を自負しています。世の中の人が86%くらい支持してくれると思っています。この普通とは、身体能力や思考能力、物事に対しての捉え方や考え方です。が、どうやらこれはダウトらしい。とりあえず、10人中10人に否定されます。(これはなかなかのショックでした)どこが違うのかをつらつらと考えていましたが、やっとわかりました。物事に対しての捉え方や考え方、アプローチの仕方が違うのです。(未だに納得いきませんが)人と違うことをしたくないという同化願望。出る杭は打たれるという日本社会の構造の中で、安心して王道を歩きたいという超安定志向を元来持っています。そして人と同じことをしたくないという差別化願望。どうやら、考え方が自分が思っているほどマジョリティではないのか?、と気付いた瞬間から出てきた青い感情です。少年ナイフですね。「貴方が何を考えているか解らない」と言われる度に「解ってたまるかい」という思いが沈殿していったのでした。この正反対のベクトルによって、理解されたい気持ちと理解されないことに優越を感じるという非常に困ったちゃんになってしまいました。思うに、小さい頃から転校を繰り返してきたので社交性は抜群に良かったのですが、その代償として仮面の下では強烈なプレッシャーを感じていました。嫌われたらどうしよう、早く溶け込まなければといった感情が、同化願望を生んだと考えられます。その逆方向のベクトルについては出所がはっきりしません。堅物である立派な両親(主に父親)に対する反抗。読書を通して体感した広く新しい様々な世界。頭の回転が速い遅いによる安易な色分け。こんなところが複合変化したものと思われます。自分と社会のスタンスをようやく何とかはっきりと位置付けできたように思われます。まぁ、それが意味のあるものにせよないものにせよ。少しだけ、気が楽になりました。しかし、雨の日はこんなくだらないことばかりを考えてしまいます。ふぅ。
2004年06月11日
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今日、フジテレビの「アンビリーバボー」をちらりと見ました。現在、劇場で公開中の映画「カレンダーガール」についての内容。イギリスのある婦人会ががん撲滅のための資金集めにヌードカレンダーを作成することになって・・・というストーリーでした。驚いたのはその発端となった人物の夫が、俺と同じ病気の『悪性リンパ腫』という病気で亡くなっていたこと。今まで、悪性リンパ腫という病気になったという人物は、有名なところでジャクリーン・ケネディーさん(故人)と青島幸男氏しか知らなかったので、そんなに世界的な病気なのかと少し驚きました。しかし、驚きはそれだけではありませんでした。以前、「王様のブランチ」か何かで特集されて興味を持ってサイトを調べたのですが、映画の公式サイトでは『白血病』によって死亡と書いてありました(さっき確認済み)。確かに、薄幸の美少女や薄幸の美男子が死んで涙を誘う(「世界の中心で愛を叫ぶ」なんかも然り)物語では『白血病』が出てきますが、そういった解り易いものに揃えてしまうのはどうなのでしょうか?自分の病気として密接に関係があるので少しばかり過敏に搬送してしまったのですが、やっぱり判然としません。解り易いキーワードに括って簡単な理解で安心する日本人の悪い癖が恨めしい。この日記を見てくださった人だけでも、そういった病気があることを知ってもらえたら嬉しいです。
2004年06月10日
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君の名は?真知子巻き?ニッポン放送?今日は、カナダに留学中の友人と約1年ぶりに会ってきました。有楽町で。(集合場所は新橋、長いこといたのは銀座)ピアノのスコアを買うのに付き合ったり、国際免許に書き換える際の写真を撮りに行って笑わせたり、メールチェックをするのに付き合って漫画喫茶にいったり、ユニクロに行って安い洋服を物色するのを手伝ってみたり、と主体的な行動は全くせず楽しい1日でした。写真屋とインターネットカフェを探して銀座→有楽町→銀座→新橋と1時間半ほど歩きっぱなし。途中で、銀座にはそんな店はないんじゃないんかということで、新橋に行ったらものの10分で写真屋とインターネットが出来る漫画喫茶を見つけ、問題解決。よく話す話題があるなぁと思うほど、5時間中4時間くらいずっと喋りっ放しでした。友人は頭の回転がとても速いので(そういえばお互いAB型でした)、ポンポコ話が飛んで面白かったです。ただ、やりとりした情報量が多すぎて40%くらい消えてしまいそうです・・・。この友人やこの前の友人、そして彼女を筆頭に頭の回転が速い人と話すのはとても刺激的なのですが、最近は俺の大脳と海馬がサボタージュ気味なので頭を鍛えなければならんと痛感しています。原因はテレビの見すぎと社会から逸脱していること。早急に何とかしていと思います。昨日、抗がん剤を打ってプレドニンを飲み始めたので、食欲が減退気味。ただ昨日の今日だから、白血球の減り具合はまだまだなので感染症の心配はほぼないです。かしこ。
2004年06月09日
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昨日から、テーマ「リストカット」の方の日記を見たり、人に話を聞いたりして考えていました。何故、リストカットをするのか、と。安易な共感はしたくありません。したり顔で理解者ぶりたくもありません。人格障害などの精神的な病気(鬱など)と併用して発現するようですが、自分ではそういった状況に置かれたことがないので全く気持ちは解りません。ただ、想像してみることは出来ました。人が誰しも持っている不安という感情。愛されたい、理解されたいという願望。私見ですが、ベースはこれだと思います。自分はちゃんと生きているのだろうかという不安。自分が(見た目にはわからないだろうけど)大変なんだというメッセージ。自分に対する罰。その手段として、リストカットをする。恐らく、純粋に手首を切るのが楽しいという人は少ないのではないかと思います。昨夜電話してきた子にしても良くないことをしているのは分かっている、止められるなら止めたい、この状況が辛いと、言っていました。それならば、何故止めないのと考えるでしょう。俺は勝手ながら、それについての原因は繊細さ、弱さ、甘え、逃げだと思います。一言で表現するなら、幼さでしょうか。それが悪いことだとは思いません。誰だって顔や身体が違うのですから、心が他人と違うのは当たり前です。出来ないものは出来ない。ただ、きっと克服出来るという思いはあります。今の位置から一歩踏み出していけばよいのですから。相当困難な一歩であるとは思いますが、未来は確実に前に広がっているのです。一人でその一歩を踏み出せないのなら、誰かに助けてもらえるのです。試験と違って、人生は助っ人も何でもありです。そのかわり、声を出さなくてはいけません。不幸なことに、人は他人が何を考えているのかを完全に理解することは出来ません。声に出して自分が何を考えていて何をしてほしいのか訴えないといけないのです。人は、思っているほど弱くはありませんが、思っているほど強くもないのです。この世の中は、一人で生きていくには辛すぎるのです。当事者にとって、それがとてつもなく難しいことだとは思います。逃げたくなる気持ちもわかりますが、力になってくれる人は必ずいるはずです。そして、俺もそんな力になれたらと思っています。
2004年06月08日
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今日、突然、後輩の子から電話がありました。何やら不安で電話をかけてきたらしく、泣いていました。誰しもが繊細な心を持っていると思うのですが、その子はとりわけ繊細な心の持ち主。対人関係などのストレスでリストカットをするようになり、死んでしまいたいと言っていました。とりあえず話を聞いてあげたので落ち着いたのですが、かける言葉が見つかりませんでした。リストカットをする人は、それが良くないと分かってやっている人が多いと聞きます。その子もそうでした。それでもどうしようもなく、そんな自分も嫌で生きていることも辛くて・・・、と泣いていました。俺はそういったことをあまり考えたことがなかったので、どういった思考の流れでリストカットへと辿り着くのかシュミレーション出来なかったので、今日一晩かけてそういったサイトを見学して自分なりにトレースして考えてみようと思います。明日には、その結論を導き出すつもりですが、さて。
2004年06月07日
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今日は久々に(3年振り)友人と会い、久々に彼女と逢いまして。外界で生身の親しい人と時間を共有するという幸せを堪能していました。気の置けない人々との会話はとてもスリリングで癒されるもので、まだまだ時間が足りないくらいでしたが、逆にまた会える(逢える)ことの喜びというものは、何よりだと感じた所存です。その話の中で、この日記を初めて顔の見える友人(彼女)に公開することになりました。今までは、顔の見えない不特定多数を意識してのものだったのですが、顔の見える数人もそれに加わるということでプレッシャーと照れ臭さにさいなまれ中です。さて、今後この日記がどう変わっていくのかが自分でも少し楽しみになってきました。お楽しみに。
2004年06月06日
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最近、以前の3倍くらいテレビを見るようになってしまって、いささか困っています。先程、TBSの血液型スペシャルの番組を見ました。日本人は血液型談義が大好き!A型・・・几帳面、真面目ー免疫力が低いのが原因。B型・・・自己中心的、楽天的O型・・・おおらか、社交性ありー免疫力が高いから。AB型・・・二面性、天才肌といったことは、恐らく日本人の86%くらいの人は知っていることでしょう。ちなみに、俺はどうしようもなくB型が好きなようで、好きになる女の子は90%の確立でB型です。どうやら、放っておけなくなるみたいな・・・。ただし、この血液型には確か学術的な根拠はほとんどなく外国ではほとんど知られていないとかだったと思いますが、それはまぁさておき。ブラジルはO型が多いだとか、インドはB型が多いだとか、ドイツはA型が多いだとか色々と紹介されていましたが不満が1つ。我がAB型についてのレポートが少ない!!毎回どこへいってもそうです。人口の10%に満たないAB型は献血の時にしか有難がられません。お陰でどこへいっても異端扱いです。表裏がありそうだとか(誰でもあるっちゅーねん!)、何を考えているか分からない(分かってたまるかい!)とか。そんなこんなでAB型同士は互いを引き寄せ合っているのか、なかなかAB型を見かけない時は1人捕まえると芋づる式にAB型をGET出来るでしょう。自分が周りとは少し違うことを自覚しながらなかなか素直になれず、ちょっとは理解してほしいなぁとこっそり思っているAB型でした。
2004年06月05日
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最近たまに見るようになったテレビを見ていた夕食のこと。年金制度改革関連法案の参院本会議採決をめぐって、民主党など野党が牛歩戦術や長時間演説などで、本会議採決の引き延ばしを図っているというニュースを目にしました。本人達はあれを真面目にやっているのでしょうか?だとしたら、・・・最低です。国権の最高機関としての国会であんなみっともないことをして平気な顔をしている国会議員達に、日本の政治を任せて本当に大丈夫なのかと心配というか絶望というか・・・。国民の重大関心事である年金問題とはいえ、あれは酷すぎます。もっと他に頑張らなくっちゃいけないことは沢山あるはずです。それに、法律とはそもそも金科玉条よろしくありがたがっていないで次々に変えていけるものなのですから、そっちに頭と身体を使えばどれだけ良いか。あんな醜態を晒しておいて、投票率が低いと嘆く国会議員達。一体、何様のつもりなのでしょうか?あれを見せられたら政治不信になっても已むをえないなぁと思ってしまいました。(それでも、選挙権を行使しない人は政治に口出しする権利はないとおもっていますが)非常にげんなりした夕食でした。
2004年06月04日
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件の佐世保の事件を含め、最近の若者(~20代まで)は昔よりナイーブになっている気がします。クールで冷静な外面ばかりが注目されていますが、その中身はとても傷つき易く脆いウエットな感情に支配されている。第2次ベビーブーム付近からそれ以降の子供たちに多く見受けられる気がします。平和な世の中が甘やかす風潮を生んだのか、新人類世代が前の世代とは違う道を選んだからか、己の意見を主張しないことを「和」と呼ぶ国民性の問題か、受験戦争に巻き込まれ道徳教育を軽視した教育界の責任か、携帯やPCなどのツールの影響か、その原因は解りません。が、1つの原因ではなく複数の要因によって引き起こされている事態であることは間違いないでしょう。解決策もまた然り。すぐ槍玉に挙げられる「教育」だけでは、到底変えられないと思います。しかし、逆に「教育」で変えなければいけない問題なのかもしれません。ちなみに、佐世保の事件の原因はとてつもなく稀なケースです。これに関しては完全にパーソナルのものだと思います。
2004年06月03日
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昨日、痛ましい事件が長崎県佐世保市で起こってしまいました。同じ街で暮らしていた人間として、教育に携わったことのある人間として、メディアを志す人間として、考えさせられる事件でした。今は亡くなった彼女のご冥福をお祈りします。
2004年06月02日
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先程、U23の日本VSマリの試合を観ました。オーバーエイジ(23歳以上)の選手を入れないで戦う最後の試合ということで、各選手が真剣に戦っている様子は実に素晴らしかった。A代表の試合では見られない切羽詰まった緊張感がありました。本来ならばA代表の親善試合でも、あれほどの試合を出来るはずなのですが近頃のA代表ではあれほど必死になって戦っている様子が見られないのが残念です。今日の試合には、現在、W杯予選を戦っている一国の代表として、近頃の日本代表の試合に足りないものがありました。「戦う気持ち」です。勿論、A代表の選手達に「戦う気持ち」がないわけはありません。国民の期待を背負って戦っている選手達は、観客や評論家が言うほど「戦う気持ち」がないわけではありません。ただ、U23の選手達とA代表の選手達の違うところは危機感の問題だと思われます。両者とも所属チームと違ってサラリーがないのは同じこと。国民のプレッシャーを背負っているのも同じ。環境もほぼ同じといっていいでしょう。(ただし、年代が上になるにつれ、諸外国は強化に力を入れる=諸外国の若年世代は日本ほどオリンピックに力を入れないということはありますが。)違うのは、サバイバルがあるかどうか。現在のA代表は下の世代より上に位置しすぎて、突き上げが深刻になるほどないという状況なのです。監督が同じ選手達を選んで集中的に強化をしているので、しょうがないといえばしょうがないのですが。オリンピックでU23の選手がレベルを上げてA代表の選手を突き上げていけば、変わっていくはずです。アジアカップあたりから、面白くなっていくでしょう。そこがジーコの解任か続投かの判断材料になっていくので、そこも含めて今から楽しみです。とりあえずは、ユーロ直前の怪我をしない程度にマジで戦うイングランド代表に一泡ふかせてほしいものです。
2004年06月01日
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