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だんだん息切れしてきておりますが、やっと「土」にたどり着きました。ちょっと休憩ですが、ここまでの惑星の名前は、古く中国から頂いたもので、中国で発した陰陽五行思想の「木、火、土、金、水」に由来しています。これから以遠の惑星は西洋の命名にちなんでいると思われます。さて、土星なんですが、実は私が望遠鏡で初めて覗いた惑星が土星でした。折悪しく当時はちょうど土星の輪が真横に位置する時期だったため、団子に串をさしたような像になりましておおいに期待していた私にはちょっと肩透かしだったのを覚えています。小学生のころからSFフリークであった私は学校の図書館のSF雑誌を読破していましたがその中に「土星の宇宙船」というわくわくするタイトルの小説があったのを覚えています。内容は…覚えちゃいません。でもそれはそれで、なかなか見られない現象である土星の輪の消失を観測するチャンスだったのですが残念ながらお目にかかれませんでした。これは土星の輪がまさしく真横に位置したときに一瞬消えて見えなくなる現象です。数ある惑星の中で土星はこの輪を有しているおかげで特別な存在です。ご存知かとは思いますが木星にも天王星にも希薄ですが輪はあります。土星の場合はその景観が見事で木星とは違った意味で惑星の王と言えるかもしれませんね。その貧弱な望遠鏡で初めて土星を観測したガリレオは「この惑星には耳がある」と評したそうです。地球上からの観測では大気によるゆらぎのためにはっきりとした姿は捉え難いのですが、探査機ボイジャーによる写真は実に見事で圧巻です。この輪は板状のものではなく細かい物質が連なって輪をなしているのですが、構成している物質は水性の氷、または氷に覆われた岩石と見られています。なぜそんなことがわかるかと言いますと、輪の放つ反射光をスペクトル分析することによっておおよその成分を判定することができるのです。この輪には隙間が開いており、最も大きな隙間はカッシニの間隙として有名ですね。惑星としての内容は先回の木星とほぼ同等の姿・成り立ちをしています。やはりガス惑星なのです。生命にとっては不毛の惑星…しかし、それはわれわれの考える意味での生命であり、神秘に満ちた宇宙にはどのような知的存在がいるのかはわれわれの想像力の埒外なのかもしれません。ガスの海の中を泳ぎまわる不定形の生物がいたとしても不思議ではないのです。さて今回はわが同胞武蔵野唐変木様は土に関するイメージが喚起されずパスされましたが、引き続き己が体と闘争中の氏に励ましのメッセージをよろしくお願いいたします。日記リンクサロン・ド・トーヘンボク
2002年04月30日
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先日の「日本沈没」と同様、小松左京氏のSF小説「さよならジュピター」という小説は映画化もされ、よく読まれたようですが残念ながら私は小説も映画も見ていません。読まれた方で感想を聞かせていただければありがたいです。ジュピターは木星、つまり本日のテーマでリンク日記をして頂いている武蔵野唐変木様の得意分野(といいますかご本人そのもの)なので今回は遠慮しつつ、書かせていただく事に致します。日記リンクサロン・ド・トーヘンボク木星はご存知のように太陽系の5番目の惑星で9つの惑星の中で最大の惑星です。その図体の大きさに見合ってやはり最多の16個の衛星を従えています。惑星の王様と呼ぶに相応しく、ジュピターのギリシャ名はゼウス、つまり神の中の王なのです。その中の4つの惑星は特に大きく、木星の4大衛星と呼ばれています。ガリレオ・ガリレイが最初に望遠鏡でこの4つの衛星を確認したのにちなんでガリレオ衛星とも呼ばれます。私も最初に双眼鏡でこの4大衛星を確認したときはちょっと感動いたしました。公転速度も極めて早く、しばらく眺めているとその動く様を確認することができます。木星はその大きさから膨大な重力で地球であれば軽くて地球大気圏外に飛散してしまうような軽いガスをも取り込んでその引力圏にしっかりとかかえこんでいます。そのガスは水素やヘリウムであり、メタンなのです。そのせいで木星はガスぶくれしており、固体部分は地球の質量のわずか10倍から15倍の核がある程度と言われております。それ以外はほとんどガス状なわけですから巨大なガス惑星ということができます。では木星の直径などは一体どうやって求めているのでしょうか? それは地球換算で1気圧の深度を表面とみなして計算しているのです。それより上のところは便宜的には雲ということになるんでしょうか?もちろん核以外はすべてガスと言うわけではなく、核を覆っているのは液体金属水素の海(正確に海と呼べるかどうかわかりませんが)なのです。液体金属水素などというとなんのことだろうと思われるでしょうが、水素はある条件、つまり400万気圧以上の環境ではこの稀有な形態をとるのです。この状態では電気をよく通しますのでこれが木星の持つ強力な磁場の源となっています。このガスは木星の猛烈な自転速度にそって流れており、地球の貿易風と偏西風の関係のように、いくつかの層になっており互いに逆方向に流れていると見られています。ちょっと大きな望遠鏡で見ると表面はこのベルトによる縞模様と、大赤班を確認することができます。大赤班は地球がまるまる2つも入ってしまうような巨大な楕円状の赤班なのですが、この成因などについてははっきりしたことはわかっていないそうです。地球や火星などと比べるとあまりにも異質な世界ですが、その巨大さゆえに常に注目を浴びていて観測宇宙船も飛ばされていますが過酷な条件のもとでは限界があり、詳しい調査ができるのはかなり先のことになるでしょう。惑星直列の天文ショーも見られることですし、皆さんも一度小さな望遠鏡でも双眼鏡でもいいですから顔を拝んでみられてはいかがでしょう。
2002年04月29日
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ギリシャ神話に出てくるゼウスに頼まれて人間を作った神の話であまりにも有名ですね。実はプロメテウスは巨神族なので巨頭星人には親近感があるのです。確かに火を利用すると言う点では人間は他の生物と一線を画しています。火食をするのは人間だけですし、(サルが焼き芋を食うと言う話もありますが、火をおこす技術は持ってません)これを一次エネルギーとしてさまざまなエネルギーを得る技術を確立しています。まさに火は知的生物としての人間のシンボルかもしれません。ただ、悲しいかな先進的な火は常に破壊つまり戦争という行為において武器としての役割を担ってきました。古くは火矢や爆薬、そして原子力と常に兵器の主役を務めてきたことはまさにパンドラの壺から放たれたあらゆる諸悪の根源が同時に込められているといってもいいかも知れません。その意味ではゼウスの危惧は当たっていたと言えますね。狂気と理性のはざまで火は揺れ動いているのです。ついでですがコンピューターの歴史も最初のニーズは実は戦争だったのですね。大砲の弾道計算に利用されたのです。戦争は憎むべき出来事ですが科学の発達には重要なトリガーの役目を果たしているのです。話が逸れてしまいましたが、このまま続けさせていただきます。古くから人間の歴史は戦争による、略奪、破壊、殺戮にまみれています。人間の本性からきっとこれは避けがたい事実なのかもしれません。しかもその多くが個人あるいは小さなグループ間の些細ないさかいに端を発している場合があまりにも多いのです。為政者は国民の生命と財産を守るために軍隊あるいは相当軍備が必要であると考えているようですが、軍隊は本当に国民の生命と財産を守るのでしょうか?もともと軍隊の使命は敵と戦うことであり、そのレゾンデートルのためには仮想であれ敵が必要なのです。アメリカでは過去にはソ連という一大対立勢力を持っていたためにその巨大な軍隊の存在は是とされていました。ソ連にとってもそれは同様なのですが。その仮想敵を無くしてしまった今、アメリカの軍隊は他に敵を求めなければなりません。それが悪の枢軸国発言になったり、テロとの戦いに形を変えています。かの大統領は自国の軍隊をその規模を維持しながら養っていくだけの理由を見出さなければならないのです。明確な目的をもって作られた組織が常に大きくなろうとするのは自然な成り行きですし、それによって生活をしている多くの人間がいるのです。そして軍隊が守ろうとするのは国民の財産や生命ではなく、国家と言う概念を成す最低限の要素なのです。ある国では国王だったり、ある国では主要な国家機関だったり、しかしそれは国民ではありません。無辜の民である国民が常に戦場において厄介者であり、犠牲を強いられてきた過去を見れば歴然としています。銃を突きつけあって握手をするというような愚かな真似はどこかで断ち切らねばならないと私は思っています。火の話題から妙な方向に逸れたかもしれませんが、マーズ(火星)は軍神ですのであながち無関係ではなかったと思うのですが…。それにプロメテウスの兄弟であるエピメテウスは兄プロメテウスから預かった箱を開けて「希望」を世に放っています。私たちもこの希望を見つめていければいいなと思うのです。
2002年04月28日
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20数年前、SF作家小松左京氏の小説「日本沈没」が人気を博し、映画にもなりましたね。このときプレート(大きな岩盤)という言葉が一般に知られ、地震の仕組みについて国民的な認識が高まりました。氏の功績は大きかったと思います。余談ですが、筒井康隆氏がその後パロディで「日本以外全部沈没」という本を書きましたがこちらはあまり科学的ではなかったようです。しかしながら、仕組みを理解しても地震に対して効力があるわけでありません。人間がいかに無力であったかは私の前回の日記でも感じていただけるかもしれません。問題なのはその後の日本政府の対応で、その杜撰さ、問題意識の希薄さは信じられないほどでした。ま、それはさておきまして本日は地震についての科学的な考察です。地球の表面は2kmから100kmの厚さの固い岩盤で覆われ、いくつかのブロックに分かれています。これがさきほどのプレートと呼ばれるものなのですが、おおむね7つから8つのプレートが存在します。日本はこのうちユーラシアプレートの辺境に位置しています。辺境と言いますのは、丁度ユーラシアプレートが太平洋プレートとその一部フィリッピンプレートと接する部分だからです。いわばプレートとプレートが押し合いへし合いしている場所なのです。このような場所の地理的特徴として、プレート同士が押し合ってめり込んでいるので海溝となっている(日本海溝)、ということと裂け目に当たりますのでマグマ溜まりになりやすく火山の活動がさかんであるということです。事実太平洋プレートは太平洋と同じ形をしており、太平洋を取り巻く大陸は全ての太平洋側がプレートの裂け目に当たっているのです。これがいわゆる環太平洋火山帯となっているのです。(ファイヤーリング)日本が火山国で地震が多いのもこのような地理的条件によるものですね。温泉という恵みもありますので一概に悪いことばかりではないのですが。地震は火山性のものと、プレートとプレートのひずみが解発されるときの起こるもの(プレートテクニクス)といろいろな原因がありますが、震源の位置や岩盤の状態でその影響は微妙に変化します。プレートの沈み込みよって起こる地震は巨大地震になることが多いようですが。ところで地震波は震源地から四方八方に地球内部を伝わり、反対側に達すると言うことをご存知ですか?さらに角度によっては地球内部のコアで反射し、一見無関係な場所に影響をあたえるらしいです。対岸の火事とは言えないことも起こりうるようです。くわばらくわばら。関東は関西に比べると地震が多くて、一般のひとの地震に対する備えは関西などと比べると周到です。関東から移り住んで関西で暮らしている人は、例えばたんすを固定具で留めたりして日ごろからの地震に対する意識が高いようです。関西でもあの地震以来、かなり意識が高まっているのは事実ですけどね。都会では二次災害の危険性とその対策が最も重要な課題ではないでしょうか?阪神淡路大震災の教訓が生かされるのかどうか現状ではどうも疑問が多いような気がします。地震予知の研究も盛んに行われていますが、確度の高い予想をするには条件が複雑で長期スパンの観測データも不足しているようです。狼少年ではありませんが、予報を出して当たらなかったときの経済的な損失などをどう補償するのかといった問題もありますが、事が起こってからでは遅いので疑わしきは注意を促すという姿勢は必要かもしれませんね。昔から世の中で怖いものを順番に挙げると「地震・雷・火事・親父」などと言いますが私の場合、見事に適合するようです。典型的日本人的宇宙人なのです。
2002年04月27日
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本日は「地」の話題であります。武蔵野唐変木さまが前回のテーマ「金」を題材としてすばらしいCGを完成させておられますので、皆様一度訪問して鑑賞してあげてください。氏の今の精神世界をあらわしているようです。というわけで、地球を話題に取り上げたいのですが、あまりに膨大、複雑なので焦点を絞って「地震」について話したいと思います。地震といえば、私自身も7年前のあの日衝撃的な一日を過ごしました。京阪神に住んでおられる方々はいまだにその傷も癒えぬ方も多数いらっしゃることと思います。当時私は神戸市の西隣、明石市の西部に住んでおりました。わけあって私は家を出て、知り合いの会社の寮に仮住まいをさせてもらっていました。一度寝込めば雷が落ちても起きないのではないかというほど熟睡してしまう私でしたが、さすがに目がさめました。部屋が上下に激しく揺すられています。何が起きているのか最初はまったくわからなかったのです。間抜けな話ですが、あんな激しい地震が起きているという事実ににわかには思い至らなかったのです。全く未経験の出来事でしたので…。ベッドの反対側に置いていた大きな本棚がベッドのほうに倒れかかってきて、ベッドの縁のフレームに激しくぶつかって止まりました。そのとき、電灯が消え、あたりは闇に包まれました。不気味な地鳴りのような音が続き、揺れはなかなか収まりません。私はなすすべもなく、ベッドに横たわり放心状態でした。しばらして静けさが戻ってもベッドを出ることはできませんでした。なにしろ闇の中で部屋がどういう状態なのかわからなかったですし、気力が萎えていたのです。夜が明けてあたりがしらじらと確認できるようになって起き出して行きました。本棚の中にあった本はすべて床に散乱しています。注意深くそれらを避けながら部屋を出て、1階の食堂に下りていきました。寮の管理人さんに様子を聞きに行こうと思ったのです。管理人さんは椅子の上にトランジスターラジオを置いて聞き入っていました。私も一緒になって耳を傾けましたが、ラジオ局も混乱しているらしく震源地は北陸だの京都だのと要領を得ません。そんな遠くで起こった地震がこんなに激しいとしたら震源地は一体どうなっているんだ?1,2時間たった頃電源が回復し、テレビが生き返りました。NHKでどこかの町が映し出されています。上空から俯瞰した絵でしたが早朝の光の中で幾筋か煙が立ち昇っています。見覚えのある光景でした。神戸の長田地区です。寮生が次々に現れ、テレビを取り囲んで息をのんでその風景を見つめていました。時が経つにつれ煙の数は増えつづけ、煙の底にはちらちらと炎が見えています。それからのことは皆さんも良くご存知のことと思いますが、数ヵ月後に神戸を訪れたときにその有様に怒れる自然の猛威の前には人間はなんと無力であることかという思いを強く致しました。私自身の体験は実はほんとに軽いものなのです。真っ只中にいた人々はおそらくあの出来事を振り返ったり、綴ることは精神的に苦痛が伴いなかなか出来ないのではないかと思います。さて、次回に地震やその原因について語ることにいたします。
2002年04月26日
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今回の日記は水から始まり、金地火木土天海冥と続きます。つまり太陽系の惑星にちなんだシリーズにしたいというわけです。そういうわけで今回は金です。さるやんごとなきお方は今回は見送られるようですので一人で頑張りたいと思います。おーえんしてね。人間は視覚中心の生物なので、視覚情報の中から特に目を引くものに対して意識が集中する傾向があるようです。金はその眩い輝きと希少性ゆえに特に尊ばれてきました。Mr.ゴールドフィンガーみたいな金に取り憑かれた人もいます。(出典:イアン・フレミング 007)即物的ですが、まず化学的な説明から入りますと、原子量197、元素記号Au、展性・延性に富み、極めて安定な金属です。英語ではGoldと言い、Auはラテン語のAurumに由来しています。派生語としてAurora(オーロラ)などがありますね。金(きん)は金(かね)と同じ漢字で、金本位制では全ての通貨の基準になったりしますね。ところで金属では最も高価なイメージがありそうですが、実は白金の方が値段は高いのです。これはいわゆる需給の関係で白金の方が工業的な利用価値が高いことにより需要が大きいのでその結果なのですね。もちろん装飾品としての白金も人気があるのですが。人目を引くと書きましたが、もともと人間の目は黄色付近の波長に対して最も感度が高く、視認性の高い色なのです。子供のランドセルに黄色いカバーをかけたり、黄色い帽子をかぶせるのはちゃんと理由があったんですね。そして金は可視光線の波長の500ナノメートル以上の光を反射するのであのような黄金色を放つのです。金閣寺は金箔に覆われていますが、金の展性はすさまじく、1gの金がなんと1平方メートルになってしまうのです。これだけ薄くなると光にかざすと透けてしまいますが、光にかざしたときは緑色に見えます。(透過色と反射色の違い)金は水中でも空気中でも非常に安定しており、酸に対しても極めて強いので、歯の被覆材としてよく用いられます。唯一金を溶かす液体として有名なのが王水です。これは硝酸と塩酸を1:3の容積比で混合した溶剤です。実を言いますと海水にもほんのわずかですが溶けています。海水から全部取り出すとかなりの量になるかもしれません。金が安定していることの理由のひとつにイオン化傾向が小さいことがありますが、わたしは高校時代にイオン化傾向を順番に憶えるのにいろいろな語呂合わせを習いました。一番一般的なのは、貸そうかな?まあ、あてにすんな。ひどすぎる、借金。K CaNa MgAl ZnFeNi Sn Pb (H)CuHgAg PtAuっていうものですがほかにも多種多様な憶え方があるようです。参考までにこの憶え方を沢山紹介しているページがあったのでURLを書いておきます。ただし、とーっても不適切な表現に満ち溢れていますので女性の方にはおすすめできません。http://www.d2.dion.ne.jp/~hmurata/goro/ion.html
2002年04月25日
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タイトルでお分かりかと思いますが、地球上で最もありふれた液体、そう水について少し私の知っていることをお話したいと思います。地球と言うよりは水球といったほうが相応しいほど地球は水に満ち溢れています。我々の体の主成分も水ですし、およそあらゆる生物は水なしでは存在できません。実はわれわれにとってあまりにもありふれた液体である水はとても特殊な液体なのです。なぜかと言いますとこの分子量で液体であるのは考えられないことだからです。難しいことは省きますが同じ種類の化合物と比べると異様に凝固点や沸点が高いのです。同種の化合物のH2S(硫化水素)などは分子量が水よりはずっと大きいにも関わらず、常温で気体なのです。このことから水には分子間で特殊な結合力が働いていることがわかります。それは何かというと水素結合という引力です。専門的に述べるととてもわかりにくいのですが、水分子には極性があり分子の中に電気的なむらがあるのです。この偏りにより水分子同士が電気的な力で引き合い、あの安定した液体状でいることが出来るのです。みなさんご存知の電子レンジはこの水の極性の高さを利用して水分子を振動させて発熱させる仕組みなのです。今から25年ほど前に、地球の膨大な量の水はどこからきたのかという問いに一つの仮説を立てて、それをもとに地球の歴史の地学的なイベントを全て説明したという人が居ます。「灼熱の氷惑星」という本を著した物理学者の高橋実氏です。ご存知の方も多いと思いますが、かなり大胆で眉唾ものではありますが、なかなか面白いのでここに紹介させてください。現在知られている9つの太陽系の惑星のほかに、超楕円の軌道を持つ公転周期が3000年におよぶ惑星Mを想定します。この惑星は中心部は金属ですがそれを膨大な量の氷が取り巻いていると仮定しています。これが3000年の周期で太陽に接近したとき、地球にある距離以上に近づくとその惑星の氷が地球に降り注ぎ、大量の水を与えるというのです。この説の面白いところは過去に起こったさまざまなイベント、例えば、恐竜の絶滅、氷河期の生起、炭田の成因、サハラ/ゴビ等の大砂漠の大量の砂の成 因、北極圏の大氷塊、ノアの箱船伝説などなどがそれぞれ合理的に説明が可能であるという点です。現在では高橋氏の説はあまり支持されておらず、地球の水の起源は地球そのものによるとする定説が専らです。しかしながら、科学の世界では定説は常に揺れ動いており、また脚光をあびるときがくるかもしれません。まさに水ものというわけです。
2002年04月24日
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やんごとなきお方に遅れること二日あまり、本日は月について書くことと致します。地球の唯一の衛星、月は古くから夜の空の花形として文学や音楽の対象となってきました。先日は地球が太陽のまわりをどのくらいの速さで公転しているか計算してみましたが、お月様についても同じことをやってみましょう。まず月の地球に対する公転軌道の周の距離を計算します。地球から月までの距離は光で1.3秒、38万kmですのでこの倍が直径となりこれに円周率をかけますと、 38万km×2×円周率=約238万kmとなり、これを月は約29日かけて一回りしていますので 238万km÷29(日)=約8万2000kmのスピードになり、時速に直すと3420km/hとなります。なかなか早いですね。ところで月は常に同じ面を地球に向けていて私たちが見る月の模様はいつも同じですね。もちろんこれは月の自転周期と公転周期がほぼ一致しているためこうなってしまうのですが、こうなった原因として月の形がいびつなために一番ふくらんだ部分が地球に引っ張られてこの状態で安定してしまったという説もあります。ただし、少し首を振りながら回っているので地球から見える面はのべ約59%なのです。たまたま月と太陽の視直径(みかけの大きさ)は同じ(視角30秒)なので見かけ上重なったとき(日食)ほぼ太陽を隠してしまいます。ほんのちょっと月が遠くて視直径が小さいと金環食(ダイアモンドリング)になったりしますね。このことから太陽までの距離を計算することができます。つまり、視直径は距離に単純に反比例します。太陽の直径が地球の108倍ということは良く知られているので太陽は月(直径が地球の3.7分の1)の400倍の直径になります。これから38万km×400を計算すると概ね1億5000万kmとなり実際の距離とよく一致します。欧米の方ではルナティックなどといって満月は人を狂気に導くと言われています。以前の日記でも書きましたが、昔の夜はかなり暗かったこともあって月明かりの夜はかなり明るく感じたと思いますが月の銀色の光で照らされた光景はきっと夢幻的な雰囲気を醸し出して人の神経を失調させるような効果があったのではないかと思われます。最後に月面の模様ですが、日本ではウサギの餅つきに見立てていますが、他の地域ではどうなのでしょう。中国では大きなカニを月面に見、西欧では女性の顔というのが一般的なようです。昔は月面を望遠鏡でよく観察したものですが、クレーターなどを見るには満月よりは半月が適しています。明暗界線がもっともはっきりしていてクレーターの影も長いのでより細かな凹凸を見分けることができます。一度双眼鏡ででもいいですからご覧になってください。見たことのない人には感動物だと思いますよ。
2002年04月23日
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予定通り、本日の話題は風です。そう、明日は月の予定です。ね、武蔵野唐変木様!風というのはもちろん空気の移動による現象です。地球は空気に包まれていますので、地球上のあらゆるところで風は起こります。観測史上最大の風速をご存知ですか?なんと70年程前にアメリカで観測された372km/hだそうです。ちょっと想像を越えてますね!風力計も吹き飛ばされてほんとに測れたのかなって気がしますが…。気温の不均衡や局部的な変動により空気の比重が変わり、高気圧と低気圧が発生しますがものごとの道理からいっても空気は高いほうから低いほうへ流れていきます。このとき気圧の変化の程度が緩やかであれば風は穏やかであり、変化の程度が急激であれば強風が吹きます。等圧線の混み具合でその程度は簡単に見分けることが出来ます。このあたりまではおそらく誰でも知っていることではないかと思います。これが風の成り立ちなのですが、地球規模で恒常的に発生している大きな流れもあります。地球の中で最も気温が高くなるのは当然最も日射量が大きな赤道付近です。一方極付近では太陽光が射さず温度も上がらないので、宇宙空間へ熱が飛散する状態になります。赤道付近で発生した過度の熱は熱の拡散により風や海流に運ばれて極付近へ、そのアンバランスを補うべく運ばれます。このため海流や大気は赤道付近から極方向へ移動するのです。赤道付近で上昇した大気は北緯30度付近で下降し、地表近くで北東貿易風へと変化します。30度以上の地域では逆に南北に脈動しながら吹く西風、偏西風となって熱収支の改善に貢献しているのです。このように風が東や西に吹く原因のひとつにコリオリ力(転向力)があります。ご存知の方も多いと思いますが、回転体の上で直進しようとすると回転方向とは逆方向へ逸れてしまう力をこう呼ぶのです。台風の渦の方向や吸い込まれて落ちていく水の作る渦巻きの方向は、北半球と南半球では逆方向であることはよく知られていますよね。この風と呼ばれる大きな空気の流れは温度分布の不均衡の改善としてだけではなく、雲を作り雨を降らせ、種を運び砂を巻き上げ、およそ地球の環境維持に必要な全てのエネルギーを与えているのです。風速100mを超えるような強烈な風は困りますが、ほほを優しく撫でる程度の風は心地よいものですね。それにしても、よく「空気のような存在」などと、あまり存在を意識しなくても良い関係にたとえられますが、ひとたび怒れば根こそぎ吹き飛ばしてしまうという意味ではある種の夫婦関係には適切な比喩的表現かもしれません。
2002年04月21日
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さるやんごとなきお方からのプレッシャーで本日の題材は「鳥」であります。私はSFファンですので、以前愛読していたSFマガジンという雑誌に手塚治虫大先生の「鳥人体系」という連載漫画がありました。残念ながら定期的には読んでいなかったので詳細は忘れてしまいましたが、高度な知性を持つ鳥族の話でした。人間界では鳥は頭の悪い生き物の代表として、出来事を三歩歩いたらもう忘れてしまうなどといわれているのですが、事実はどうもちょっと異なるようです。たとえば、今東京などの大都会で社会問題にもなっている異常繁殖して、人間に害をなす存在として嫌われているカラスなどはとっても賢いらしいです。カラスが固い木の実を道路上に落として、通過する車の重みで割ってそれを食するという驚くべき習性(学習した結果なのでしょうが)は多くの方がご存知でしょう。さらにいろいろ調べた結果、東京に暮らすカラスは驚異的な知能で生活能力を身に付けているらしいです。生ごみを漁って食糧としていることは言われるまでもなく目にする光景ですが、彼らは巧みにチームワークを組んでいるのです。つまり見張り役がいたり、斥候がいたりという役割分担が明確にあるらしいのです。さらに発展して、主婦などが食料品を入れた袋を持って歩いているとやはりチームを組んでこれを略奪するという小悪党の真似をするようです。一羽が攻撃をしかけ、人間がこれに驚き袋を取り落とした隙にもう一羽がそれを奪うという人間のせこい窃盗団のような真似をするのです。事実、都会のカラスの脳を田舎のカラスのそれと比較すると明らかに神経組織の発達に有意差がみられるということが確認されています。ひょっとしたら人間の食糧には彼らの脳を活性化する環境ホルモンが含まれているかもしれませんね。合理的に考えれば都会の複雑な地形や環境が鳥たちの脳の発達を促していると推理できますが。でも、考えてみれば鳥は眼がとても良く、一部の鳥(九官鳥やオウムなど)は声帯模写などをやってのけるという視神経や言語野(?)が発達している動物ですので知能の高い生物に進化する可能性は十分に持っているような気がします。視覚情報というのは聴覚や嗅覚よりも情報量が多く複雑な処理が要求されますのでそれに見合う脳の活動が必要なはずですからね。ひょっとしたら、遠い将来霊長類ならぬ霊鳥類が地球を支配しているかもしれません。
2002年04月20日
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少し前に北海道の苫小牧の方で精油所の火災がありました。きわめて危険な事態です。続けて韓国のほうで飛行機事故がありました。 そして、先日はイタリアのミラノで軽飛行機が高層ビルに突っ込むという「すわ!テロか?!」と思わせるような常ならぬ重大事故。続けざまにこのような出来事が起こると、なにかしら不安な気持ちにかられますね。今、マスコミは極度に発達し、何かしら変わった出来事があると辺境だろうが危険極まりないところだろうが、それこそ命がけで「絵」にしようとします。おかげでわれわれはお茶の間で寛ぎながら、世界中の出来事を知ることができます。さらに航空機や通信の発達によって数日もかからず世界中を移動したり、リアルタイムでコミュニケーションしたりすることができるようになりました。感覚的にも世界は著しく狭くなったと言えるでしょう。千年以上前であれば、人々は自分の住む村、あるいはその周辺に住む人たちのことを日常的には意識していれば事足りたでしょう。海を隔てた遠い異国の出来事は対岸の火事どころか想像の埒外だったと思います。この狭くなった世界が何をもたらすのでしょうか?人々の相互理解が増し、もっと協力し合わなければならないことを認識できるようになるのでしょうか?そういう効果は確かにありますし、望ましいことだとは思いますが地球全体になると、どうもそうでないケースのほうが多いような気がします。人間には自分と他人の距離があまり近づくと不安になる心理があります。個人的な制空権とも言えるその距離は、民族や国家その他のあらゆる集団にも適用できる生理的反応ではないかと思います。世界中のひとがあたかも首をつき合わせて暮らしているようなこの状況で心理的に嫌悪感や疎外感を感じる機会は増えているかもしれません。しかも世界観や価値観の隔たりは少なくないし、先進国と開発途上国ではその生活感覚に大きな乖離があります。軋轢が生じるのは当然なのかもしれませんね。しかし、世界中の人が同じ思想を共有するのは当面不可能でしょうし、同じレベルの経済生活を享受することも簡単には望めそうにありません。昨年のNYテロ攻撃の衝撃はそれこそ全世界を駆け巡り、人々を疑心暗鬼に駆り立てました。世界が狭くなったことによる負の効果です。このようなときに理性的に振舞える人間はそう多くはなさそうです。このような状態がエスカレートすれば世界はどうなるのでしょうか?あまりにも多くの情報が決して公平とはいえない形で一部先進国の人々の間で飛び交っています。何を信じ、何を否定したらいいのか途方に暮れる人々の姿が見えるような気がします。私はなにか事件がおきたとき、最初に流れる1次情報は明白な事実を除き耳にふたをするようにしています。デマでもそれが多くの人々の口にのぼるときそれは真実であるかのような位置付けで影響を与えてしまいますから。このような場合は情報に対して懐疑的になるほうが、いわゆるフェイルセーフとして機能するのではないかと思うのですがどうでしょう? ほんのちょっとした綻びが瞬く間に全体を揺るがす大事に発展することは現代では簡単に起こりうることなのです。そしてその犠牲者は我々自身なのです。
2002年04月19日
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私は子供の頃から絵を描くのが好きで、また周囲の誉め言葉も手伝って結構それなりに自信を持っていました。もちろん長じて自分が単にちょっと絵が上手な人間のグループの最下層であると認識するに至って、自分の才能については逃避的合理的に諦めたようなわけです。ただ、自分で描くのもそうですがいろいろな絵を見て趣味人な知識は豊富になったと思います。私が絵画に関して昔から感じていることは西洋と東洋の画風というか、取り上げる対象に微妙な違いがありそうだということです。東洋でも西洋でも絵は宗教との結びつきが古いのは共通ですし、時の権力者や支配層に支援されながらその庇護のもとに発展してきた経緯も同じようなものです。なにしろ、絵を描いて生計を立てるというのは古い時代だとどちらかというと非生産的な、穀つぶしと言われそうな職業ですものね。今で言う芸術は一般に古い時代は専門職にはしにくそうですし、生活と密着したものとして付随的に発達してきた部分もあるのではないかと思います。陶器や織物などの日用品のデザインとしてはその腕を振るえたというわけです。衣食足りて芸術を知るということでしょうか。ちょっと脱線しましたが、特徴的だと思うのは西洋の絵画は風景と人物が中心で、動物や単体としての植物を描いたものが少ないのではないかということです。日本や中国などでは花鳥風月を愛でるという感覚があり、鳥獣戯画などずいぶん古くから動物に対しても感情移入をしていますよね。西洋の絵にもももちろん動物は登場しますが、人間の添え物として描かれることが多いようです。日本の場合は神道に象徴されるように八百万の神々として周囲の自然を崇拝するアニミズムに近いものです。そのためか身の回りの自然を自分たちが生かされている環境として捉えています。対して西洋では自然は自分たちが利用し、征服するものであるという感覚が強いのかもしれません。もちろん一概に決め付けるわけではないのでうすが、農耕民族と狩猟民族の基本的な違いがありそうだなと思うのです。私は東洋的な感覚のほうがこれからの時代に即してはいないかと思うのですがどうでしょうか?
2002年04月18日
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本日インターネットでめぼしいニュースを拾っていたら、少し前に日記に書いた人間の脳のニューラルパターンの複製を作って人工知能を実現すると言うアイデアのトピックを見つけました。レイモンド・カーツワイル氏というアメリカの人工知能研究者はこれまで20年以上にわたって様々なアプローチで人工知能の可能性を研究してきた人なのですが、その特異な見解で未来を予測しています。つまり、テクノロジーの進歩は2次曲線を描くように急速な進歩を遂げており、人間の脳の構造をたとえ模擬的にしろ複製してコンピュータ上で動作させる日がそう遠くないことを確信しているというのです。これは人間の脳が同時に100兆個の結合部を同時に機能させることで得ている高度な能力をあと四半世紀もすればコンピュータ上で再現できると予言しているのです。ちょっと眉唾ものかもしれませんが、あながち夢物語というわけではなさそうです。それだけコンピューターの能力が飛躍的に進歩すると言う前提なのですが。カーネギー・メロン大学のアンドレアス・ノワツィク氏という人が、ネズミの脳をニューロンレベルでスキャンするという実験を提案しているらしいのです。これが発展すれば人間の脳もスキャンしてまるでコピーを作るようにコンピューターの擬似ニューロンネットワークに展開できるのでしょう。ただ、それが単にその人と同等の思考能力を持つだけなのか、あるいはその人の意識までも保持するのかは誰も予測できないでしょう。しかし、これも以前に取り上げましたたが、人間の情緒や深いところにある意識というものは、細胞レベルに存するという量子学的推論もあるのでニューロンのコピーだけでは全く不完全ということになるかもしれません。もちろんこのような神の領域まで踏み込むようなテクノロジーのあくなき暴走は決して豊かな未来をもたらさないという意見も一方であります。へたをすればSFのフランケンシュタインの悪夢が現実のものになってしまうかもしれないからです。常にテクノロジーは両刃の剣となって人間自身の存在を脅かすであろうことは明らかなように思いますが人間の知性や良識と言うものを信じて、テクノロジーという無限の可能性を肯定したいと願ってはいるのですが‥。それとも限りなく愚かな振る舞いをときにしてしまう人間の無知蒙昧をもテクノロジーはコントロールしようとするのでしょうか。
2002年04月17日
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だいぶ前に血液型による性格分析についての私の私見を日記に書きましたが、どうも日本人というのは基本的に物事を分類するのをとても好むように思います。ただ困ったことに血液型のように分類したものを既成の事実のように何にでもあてはめて信じ込んでしまう性癖もあるようです。この点についてはやや柔軟性に欠けるのではないかと私は危ぶんでいます。つまり、あることが自分の判定基準に当てはまらないと、それは異常であるとして無視してしまったりするからです。このことについて特に最近思うのは、文系と理系というなんだか大雑把な分類で人をあるいは自分を当てはめてしまうような傾向が強くなっているのではないかということです。これはひょっとして教育現場での問題点かもしれませんが、人間を単純に文科系と理科系に分けてしまうのはとっても危険なことかもしれません。分類されることによって自分を規定してしまいがちになることは否めないし、自分の可能性を閉じてしまうことにもなりかねません。あることを追求していくと、おのずとそれに付随するいろいろな事柄を学ばなければならないし、予想もしていなかったような分野を勉強しなければならなくなるのもよくあることです。私はこの分類で行くとかなり理科系の人間ではありますが、趣味などは思い切り文科系のことが好きです。私の昔勤めていた研究室の先輩も絵画や文学など文科系の趣味を持つ人が多かったように思います。ひょっとしたらある意味でバランスを取ろうとしているのかもしれませんね。学生時代には変った物理化学の先生がいて、数学の優位性を論じるのに、英語では boy と box はまとめてに表現できないが、数学なら bo(x+y) と表現できるだろうとわけのわからないことを言う人もいましたが‥。それにしても文科系の極である哲学とその対極とされてきた科学が、今ほど密接に関連し補完しあわなければならない時代はないのではないかと感じています。若い方は特に、そんな分類に縛られない自由な精神を持っていてほしいと思っています。
2002年04月16日
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まだ懲りずに恐竜の絶滅の原因についていろいろ調べておりましたところ、面白い記事にぶつかりましたのでちょっと紹介してみたいと思います。それは何かというとタイトルからもおわかりかと思いますが地層なのです。白亜紀と第三紀地層の間にある1から3cmの厚みの薄赤い粘土質の層のことで地球的規模で広がっているようです。これをK-T層と呼びます。これの何がユニークかと言いますと、この層には大量のイリジウムという金属が含まれているらしいのです。イリジウムはあまり一般にはなじみの薄い金属なのですが、この金属の放射性同位元素であるイリジウム192は放射線検査の線源としてコバルト60とともによく用いられています。私も昔はしょっちゅうお世話になりました。鉄腕アトムにはウランとコバルトは登場しますがイリジウムはでてきませんでしたね。脱線しましたが、この層は1cmの間隔をおいて5層にも重なっていてこのことから10万年おきに層が重なってきたことを物語っています。この事実から科学者はいろいろな想像をしたようで、地球の近くで超新星爆発があったのでは、とか、巨大隕石衝突説だの、はては彗星シャワーが降り注いだのでは、とかさまざまな説が唱えられたのです。これはいずれもイリジウムの存在の根拠を類推したものでした。結論から言いますと、最も合理的な説として地球内部からのマントルの流出というものが考えられました。マントルは地球コアの外側にある流動層でこれが熱エネルギーを蓄えて溶解すると、比重が軽くなって地表へ噴出してきます。これがどうも10万年おきに起きたのではないかという説なのです。マグマには大量のイリジウムが含まれているのです。地球は磁場がありますが、これは内部のマントルに対流があり、これがモーターのような効果で磁力を発生するためであると推測されています。ところがこの周期で外核の熱によって温度差がなくなり内部の対流層の運動が止まり磁力喪失を引き起こすことがわかっています。もうそろそろ次の噴出の時期にさしかかっているのです。富士山もなんだかもうそろそろ噴火しそうな気配ですしね。ちょっと脅かしてしまいましたが、でも、安心してください。あと1万年は大丈夫だそうです。
2002年04月15日
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テレビで以前見かけたコマーシャルのフレーズで「自然は大きなホスピタル」というのがありました。確かに都市の喧騒を離れ、自然の中で暮らせば神経も身体も癒されるのは事実でしょうね。テレビの番組「特命リサーチXXXX」という番組で座りっぱなしでディスプレイを見つづける職種の人に時折観葉植物を見て休憩をとってもらうと、俄然眼精疲労などの症状が緩和されるとうい実験結果を紹介していました。植物=自然という概念はなぜか一般的事実のように定着しているようです。ところが一方で産業発展に力点が置かれていた頃は、「自然は大きなごみ処理施設」という図式も存在していました。恥ずかしながら私もその一端を直接担っていた過去があります。ただし、その頃はあまり拡散型産業廃棄物質が自然の中のサイクルでどうなって、どういう結果をもたらすかという点にはあまり注目されていませんでした。むしろ、例えば工場からもくもくと立ち昇る煙や忙しく走り回るトラックは産業発展のシンボルとして肯定的な目で見られていた時代なのです。例えば、PCBという物質がありました。非常に安定した工業用油であり、良好な絶縁体であり、工業的にはとても利用価値の高いものだったのです。工業的には有利な性質である高い安定性というものは自然に放たれた場合には逆にとても厄介な性質になってしまうのです。PCBは親油性が非常に高く水には殆ど溶けません。この結果、海にまで流れ出たPCBはどこへ行ったのでしょう?類は友を呼ぶと言いますから油の類が集まるところ、そうです、魚の内臓、特に肝臓に蓄積されていったのです。そして複雑な食物連鎖のなか、人間が好んで食用とした魚たちの肝臓にもたっぷり含まれていたのですね。以前にあったPCBの流出した食用油を食した人たちのような悲惨な過激な事態に比べれば緩やかではありますが確実に魚類愛好民族はこの物質に侵されていったのです。PCBの化学式は実は近年とみに有名になったダイオキシンに類似しているのです。猛毒なのです。これに類する物質がクロロフルオロカーボン、日本でいうところのフロンです。科学的に安定した冷媒として実に広く大量に使用されていました。ご存知のように排出されたフロンは紫外線を減衰し我々生物を護っているオゾン層を次々に破壊していきました。他にも科学的に安定で分解されず、二次的に我々を苦しめる結果となった物質はプラスチックなどがあります。自然は大きなホスピタルなどといいながら、実は自然と相容れぬ存在となってしまったわれわれの姿を象徴するようなこれらの物質。いまさらこの便利な生活からは抜け出せないのは明白な事実だし、さてこれからどうなっていくのでしょう?答えは我々自身の内なる声に耳を傾けることから始めますか。
2002年04月14日
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え、いや、なに、これはですね、かつて人気を博したSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を日本語に直すとこうなるかなと思って…。このようなタイムマシンを扱ったSFはいろいろありますが、いつも話題になるのがタイム・パラドックスの問題ですよね。時間と空間の問題については物理学者などがいろいろな概念や法則を考えていますのでそちらに譲るとして、過去にあの時こうしておけばよかった、あるいは別のほうを選択しておけばよかったという後悔の念を持つことは誰しも少なからずあるのではと思います。ところが実際にはタイムマシン的な修正機能が働いたのだろうなと思われるような事実にはお目にかかれませんよね。もし、あったとすればすでにそこで別の時空間の出来事となり、パラレルワールドとして別の時系列の世界に置き換わっていることでしょう。そういうわけで今現在のわれわれの世界は過去の無数の選択や偶然の産物による蓋然であると言わざるを得ません。そういう意味では過去の出来事つまり歴史を学ぶことはわれわれの未来を考える重要なヒントになると言えるでしょうね。このことはなにも世界全体の様相だけに留まらず、一人一人の人生においてもいえることではないでしょうか?つまり、現在のあなたの境遇はあなた自身もしくはあなたの人生に直接影響を与えた人たちの選択の結果であるということです。小さな水の流れが岩肌を走るとき、物理の法則に従い最も通過しやすい経路を取るごとくそのときそのときの状況で最良または安易な選択をあなたはしてきたのです。(いや、私もですが…)そこで過去を振り返るのはいやだなどとは言わず、一度自分自身がどのような選択を過去になしてそれがどのような結果をもたらしているかを考えてみるのもいいかもしれません。そうすれば、現在に満足していない人や不本意であるという人は、これからの人生で今まで無意識にしていた選択を積極的にいい方向へ変えることができるかもしれませんよ。精神的帰納的思索が演繹的未来を切り開くかも?
2002年04月13日
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小学生でも知っている事実ですが、地球は24時間で1回自転し、さらに365日をかけて太陽のまわりを公転しています。ではいったいどのぐらいのスピードで移動しているのでしょう?ちょっと試しにここで計算をしてみたいと思います。まず、地球の自転速度ですが、地球の外周はほぼ4万kmですので、これを24時間かけて移動するとして(赤道上の話になりますが)4万km÷24時間=1667km/時間 つまり時速1667kmなのです!実際には日本はおおむね北緯35度の位置にありますので周速はこれより小さくなりだいたい時速1370kmほどになりますね。次に太陽のまわりはどのくらいでしょう?まず1年でどのくらいの距離を移動するかを計算してみましょう。地球から太陽までの距離は1億4900万kmですからこの倍が地球が描く軌道円(正確には楕円ですが離心率が小さいので円とみなします)の直径になります。これに円周率をかけると、1億4900万km×2×3.14=9億3620万kmこの距離を365日かけて移動していますので、9億3620万km÷365日=256万kmわかりやすく時速になおすと、10万6670km毎時!です。なんとまあものすごいスピードですねぇ。みんなこんなものすごいスピードで移動しているんですねぇ!これはあくまでも太陽がじっとしているという仮定での話ですが、太陽も実は天の川銀河の中で回転しているわけですが、やはり秒速数kmという猛スピードでヘラクレス座の方向へすっ飛んでいるらしいです。このような猛スピードで移動している割には地球上は極めておだやかでそんなことは露ほどにも感じません。これもいかに地球の環境が精妙にできていてわれわれを含む生物を護っているかということなのでしょうね。まさしく宇宙船地球号。
2002年04月12日
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もともとあまり何事も気に病まず、楽天的楽天主義者のところがある私は子供の頃から苦手なものというのが少なかったのですが成人してから後、いくつか弱点が生まれてしまいました。そのひとつが、雷。ある出来事があってからほんとに雷が怖くなりました。至近距離に雷が落ちたのです。20代のころ、当時勤めていた会社には電車通勤していたのですが、会社から駅までの道で突然夕立に襲われ、それでもしゃーないなとばかりに雨に打たれてずぶ濡れになって駅にたどり着きました。雷は雨が降り始める前からぐぉろぐぉろとあたりにとどろいてはいたのですが、その当時は別に気にも留めていなかったのです。そして駅のホームを歩いていたその時、線路の横に立ち並んでいる4,5m離れた電信柱に落雷したのです。びっくりして飛び上がるという表現がありますが、まさしく私は飛び上がりました。比喩的な言い方だと思っていたのですがほんとうに飛び上がるんですね。10mは飛び上がったような気がします(本人感覚)電柱の真上に真っ白な光電が閃き、音と言うよりは空気を震わせる衝撃でした。そしてしばらくトランスの上で火花が怪しく踊り、線路沿いの民家の電灯が明滅し始めました。私は空気の中に焦げ臭い電磁波の衝撃の残り香を嗅ぎました。待合のベンチに体の震えを抑えながら入っていくと、女子高生が一人座っていました。彼女は顔の前、口のところでに両手を握り締め、わなわなと震えていました。あのとき声を掛けて慰めてあげれば、きっと愛情が芽生え、恋仲に陥り今頃は‥、あれ?線路沿いの話だけに脱線しそうになりました。すみません。要は自分もショックで茫然自失としてたのでとてもそんな余裕はなかったのです。もうそれからは、雷が鳴り出すとその記憶が甦り恐怖感に圧倒されてしまうようになったのです。改源のコマーシャルも見れなくなりました。(うそです)もうひとつが犬、なのです。犬と言ってももともとは動物好きなので人になれている犬に対してはどうってことはないのですが、野犬をみるとアドレナリンが大量分泌されるようになりました。こちらはリビアにいたときの経験からです。30歳に入った頃からやや腹部に好ましからぬたるみを感じていた私は毎朝ジョギングをすることを課題としてキャンプの近くを走っていました。しばらく走ったところでちょっと離れたところに犬を発見し、口笛を鳴らして犬の注意をひこうとしました。そのときです。どこからか別の犬がたいそうな剣幕(犬幕?)で駆け寄ってきて私に吠え掛かるのです。ありゃ?お前さんをよんだわけじゃないよと軽くいなそうと思ったら、その犬、私の周りをぐるぐると回り始めたのです。思わぬ犬の振る舞いにやや面食らった私は、本気で犬を追い払おうとしたのですが犬は巧みに私をかわし徐々にその距離を詰めてくるではありませんか。犬の形相は憤怒の表情で、鼻面には深い皺が刻まれています。これはさすがにちょっとびびりました。犬と言うよりはその祖先である狼に近い表情になっています。そのときは道沿いの他国のキャンプで働いていた白人が一輪車を使って犬を追い払ってくれたのでことなきを得ましたが、それ以来あの犬に似た野犬を見かけるとどうも冷や汗が‥。ところで皆さん同じような経験で苦手になったものはありますか?
2002年04月11日
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わたしのページでは日記やBBSなどでたびたび登場している言葉で皆さんも先刻ご承知の内容だと思いますが題材としてとりあげようと思い立ちました。日本語で言うと「恒常性維持機構」。つまり環境や状況の変化に対応して身体の中の分泌が変動し、正常な状態を保とうとする働きのことなのですが医学的には狭義に循環系統に用いられることが多いようです。たとえば交感神経と副交感神経などはホメオスタシスの例としては適当かもしれません。あるいは汗をかいたり鳥肌がたったりとか。武蔵野唐変木さまなどを筆頭に、後天的な障害により天候により体調が左右されてしまう方々は、このホメオスタシス機構が正常に機能しなくなってしまったのではなかろうかと思います。(というよりその結果身体が鋭敏になってしまったというほうがいいかも知れませんが)これに関連してリスク・ホメオスタシス理論というものがあるようでちょっとご説明しますと、リスクの変動に対してはホメオスタシスが機能し結果的にリスクの総量は変化しないというものです。たとえて言うと、自動車にこれでもかと装備されている安全装置は事故が起こった際には有効に機能する(はず?)のでこれを認識しているひとはつい運転が荒っぽくなり事故を起こしやすくなり、逆にポンコツ車や軽自動車などリスクの大きな車に乗っている人は自然に慎重となり事故は減るというりくつです。ここでは人間の意識というものが介在していますが、おそらくこれ以外でもこの理論はおおむね適用できるのでしょう。ところで数日前に日記に書きましたが、最近人々が短絡的、衝動的になってきているのではと私は思うのですが、これは人間が本来もっているホメオスタシスの限界をはるかにこえる社会ができあがってしまった結果なのではと考えています。本来であれば生物学的にはありえない他者との距離を強制され(はは、なんてことはないですね、満員電車ですね)自力では不可能な速度で移動し、(はは、自動車や電車ですね)はては処理能力をこえるかと思える情報の氾濫、などなど。このように科学の力で獲得した複雑性や速度、自己拡張感は人間の精神的ホメオスタシスをかく乱するレベルに達し、その結果あたまのなかが#になってしまった人々が増えちゃったのかな。なにか対策をとるといっても、精神をこれに慣らしていくのしかありませんね、当分は。人間の精神は相当に柔軟で強靭だと私は信じてますので。
2002年04月10日
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コンピューター技術が飛躍的に発達するにつれて、情報とそれを媒介する装置について新たな考え方が生まれています。それはもうすでに皆さんもご存知であろう量子コンピューター技術というものです。もともと情報は便宜的に電気的な信号の「0」と「1」の状態の連なりとしてコンピュータ素子の中で取り扱われてきましたが、素子の物理的環境が限りなくミクロの世界に近づきつつある中で、実は情報は物理的環境から切り離された概念であるとする思想が生まれても不思議ではないようです。この結果、量子力学によるアプローチやアイデアなど、もう以前から研究されていて原子1個の状態の変化を素子としたコンピューターが実現可能なものとして考えられているようです。米ルーセント・テクノロジー社ベル研究所のフィル・プラッツマン氏は液体ヘリウムの表面に浮かぶ一連の電子から成る演算エンジンをもつ量子コンピューターのアイデアに言及しています。これが現実になればコンピューターでの演算速度は現在の10億倍から50億倍まで向上すると言いますからにわかには信じがたい話です。以前神経ニューロンネットワークによる人間の脳の活動という話を本日記で取り上げたことがありますが、量子神経学によると驚くべき推論がなされています。つまり、人間の精神活動はニューロンのネットワークだけではなくニューロンの構成単位である一部の微小管にその鍵があるとする学説です。たとえばゾウリムシは1個の細胞であるけど、それ自体で運動し、捕食し、さらに子孫をつくるという1個の生物としての機能を持っています。もちろんゾウリムシに知性があるかどうかは疑わしいですし、陽気なゾウリムシだのきまぐれなゾウリムシだのといった個性はないかもしれません。問題はこれと同じレベルのニューロンを構成する細胞がネットワークを形成しなければただの細胞であると考えるのは不自然であるということです。人間の意識の根源はこの微小管の量子過程にあると考える科学者がいるのです。つまり人間の意識は量子的力学によって生み出されているとする理論です。こうなってくると人間の意識とはなんぞやという疑問がますます深まってくるばかりです。量子力学はいろいろな分野と結びついて新たな発想や飛躍の踏み台となっているようですがやがて驚くべき世界が開けてくるのかもしれません。ああ、私の脳内のゾウリムシが悲鳴をあげているような‥。
2002年04月08日
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最近はどうも短絡的、衝動的な犯罪が以前より多いように思います。社会全体の趨勢として人間が不自然なストレスをより多く感じるようになってきたのでしょうか?いざこざがあっても以前はわりとのどかに対処できたような気がします。私が若い頃に体験したいざこざめいたことをちょっと思い出しながら書いてみたいとおもいます。笑い話の類ですので気楽に読んでみてください。ある春のうららかな日、私は何かの用事で近くのH市へ赴き、その帰りの電車の中での出来事でした。電車は昼下がりの平日ということもあって30%ほどの乗車率でした。みんな春の日の温もりについうとうととしているようなのどかな車内風景だったと思います。車両のドアが開き、労務者風の2人連れが隣の車両から入ってきました。一人は片手にタバコを持っています。ちょっとアルコールが入った風で足取りが覚束ない様子でした。タバコを手に持った男が乗客の一人に「火はないか」と尋ねています。尋ねられた乗客が手を振りながら「持っていない」と答えると、男は隣の乗客に同じ事を言っています。そうやって順番に男は乗客にたずね回って、私のところへ来ました。私は何を考えていたのか同じように持ってないと告げればよかったのに、「おっさん車内は禁煙やで」と答えたのです。私はもともとは穏やかな性格で(信用できる?)いざこざはなるべく避けて通るタイプだったのですが、なぜかそのときはそのように対応してしまったのです。まーいわゆる若気の至りというやつですか?そしたらその男「誰が決めたんや?」と聞き返してくるんです。行きがかり上私は「そしたら車掌に聞いてこんかい」と答えました。男は私をじろりと睨むと「ほなちょっと聞いてくるわ」と立ち去っていきました。内心ほっとして、また陽気に誘われてうつらうつらしていると、前方に人の気配を感じます。ふと見上げるとくだんのタバコ男が立っています。私の顔を見ると男は言いました。「車掌に聞いてきたけどな、ええ言うとったで」私は半ば呆れ、半ば律儀なその男にちょっと感銘を(!?)受けました。もちろん持っていたライターでタバコに火をつけてあげました。あとで思いました。車掌さん、それでいいの?
2002年04月07日
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またまた、巨大な小惑星の地球への衝突の可能性が取り沙汰されているようですね。アメリカのジェット推進研究所などの調査と計算によると今から約90年後の2088年に直径1kmほどの小惑星 1950DAが地球に衝突する可能性があるそうです。直径1kmというと相当な大きさでこれが秒速10km以上でぶつかってくるとその威力は広島原爆の100万倍とも言われます。最近(といってもだいぶ以前ですが)では20世紀初頭にシベリアに隕石が落下していますので可能性はゼロではないのです。そんな先のことを今心配する必要はないのでしょうが、子孫の危機として看過できないのも事実です。これだけのサイズとスピードだと直前になって回避するのは非常に困難で映画のアルマゲドンみたいには絶対にいかないのです。とは言っても小惑星が太陽や月あるいは3大小惑星からの重力の効果でどう軌道が変化するか計算できていない部分も多いようですから今後の動向を見守るしかないでしょう。ある程度のサイズの石ころみたいな隕石は年間無数に地球引力に捕えられ落下していますが、大気圏のおかげで直接地表に到達するものは稀ですし、おおむね流れ星として楽しむことができます。太陽からの放射線はオゾン層や大気によって遮蔽されています。加えて太陽から噴出される太陽風や磁場によって太陽系外の強力な星間放射線から守られているのです。非常に精妙なしくみで何重にも地球は護られていることをもう少し認識しないと自らの危機を招いてしまうでしょう。先進各国は科学技術の先導として核兵器を供出し、小惑星の破壊に協力しましょう。全部使っちゃってもいいと思いますよ。巨頭星人としては。
2002年04月06日
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フェイルセーフの試行錯誤フェイルセーフは日本語にすると、安全装置またはそのような仕組みを意味します。例えばシステムに異常が発生したときにそれを構成する部品や装置がどのような状態にあればシステム全体の破壊を免れるかという設計思想に基づいたものです。装置単独でも適用出来るので例えば湯沸し器のサーモスタットは自身に異常が発生したときは回路を開く(電気を通電しなくする)ようにしておけば安全です。それでは、個々の装置が異常にどのような状態にあればいいのかはその機能や役割によって変わりますが、これを交通信号機を例にとって考えてみたいと思います。つまり信号機が壊れたときどのような状態にすれば混乱しないかということです。(1)青と青 うわー。これは危ないな。事故多発ですね。最悪。(2)青と赤 つまり一方が青で一方が赤のままということですね。 赤の信号側が異常に気が付いて警察に連絡…ということになるで しょう。関東より関西の方が運転者の対応は早いでしょう。(3)赤と赤 とりあえずこれは安全かも。すぐ異常にも気が付くでしょうね。 一番お勧めかな?(4)全部点灯 うわ!なんだこりゃ!?たちまち異常に気が付くでしょうね。 でもパニックに陥って事故が起こったりしないかな?(5)全部消灯 実を言うと阪神大震災のとき、表に出たら信号が消灯していまし た。あまり経験しないことだったのでどきどきもんでした。 警戒心をおこさせるにはいいけど…。結局、何がいいのかよくわかりませんでしたが、システムが巨大になるほど危険回避がむずかしくなります。武蔵野唐変木様が運転と性格に関するアンケートをされていましたが人間が一番危ないことは火を見るよりあきらかなので重々慎重にされることを皆様にお願い申し上げます。
2002年04月05日
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今日はちょっとエネルギー問題を考えてみたいと思います。エネルギーと言えば現在最も汎用的で実用的な形態は電気エネルギーですね。昔は直接まきや石炭を燃やして暖をとり、石油を燃やして灯りをともしたものですが、社会的インフラの整備が進むにつれて電線さえ近くにあればふんだんに、自由に電気エネルギーが利用できるようになりました。これなしでは社会は成り立たなくなっています。さて、この電気エネルギーを作る方法が今一番問題になっているんですよね。最近もてはやされている自然エネルギーなどのマイナーなものを除けば、水力、火力、原子力に大別されます。水力は地球の自然のサイクルの中から位置エネルギーをちょっと利用させてもらうという形ですので、不安定で地理条件に左右され、またダム建設という自然破壊の側面もつきまといます。次に火力ですが、最近大きくクローズアップされている化石燃料の利用による二酸化炭素の大量排出がついてまわります。資源もいつまでもつのか心許ないですしね。第二の火として登場した原子力ですが、悲しいかな核兵器への利用という非常にネガティブな側面を伴っていたため一般受けが悪くまたひとたび事故が起こると甚大な被害を招いてしまうというのはチェルノブイリやスリーマイル島の悲劇で知られる通りです。実は私は放射線管理のお仕事で原子力発電所で数ヶ月にわたり、仕事をしていたことがあります。定期検査の期間中のことでしたので休転中の原子炉のまわりでうろうろしていたのですが、それでもかなりの放射線量を被曝しました。炉水は本当に驚くほどきれいで思わずコップですくって飲みたい気分にかられました。イエローケーキもおいしそうでした(うそです!)コバルトなどの放射性物質は半減期と言うものがあり、放出する放射線量は数年単位というスパンで徐々にしか減っていきません。定検で使用した汚染した材料や工具は全てドラム缶に詰めて保存します。その量たるやはんぱではありません。これが何か工事を行うたびに敷地内のどこかに積み上げられていくのです。そこで最近新しい技術はないかと思っていたら、「光子レーザー核融合」というものがあるようです。これは原料に重水素や三重水素を使い、高出力のレーザーを照射し、爆縮を起こさせてプラズマ状態にし、原子核同士を衝突させて核融合に導くという原理だそうです。照射するレーザーがかなりの高出力でないといけないのですが、これも光の粒子性を利用したレーザーの可能性により解決できそうだということです。厄介なウランなどを使用しなくてもよいという最大のメリットがあり、原料の重水素はほとんど無尽蔵といってもいいのですから。ただ、これが本当に実用化されても、核兵器はそのまま残るのでしょうね。それとももっと圧倒的な兵器が開発されるのでしょうか?いっそのこと一発で完全に地球が消滅してしまうくらいのを作ってくれればそれはそれで気が楽かもしれませんが‥。
2002年04月04日
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犬という動物はおそらく家畜の類としては最も人間とは付き合いが深いと思われます。数万年前、まだ人間が原始人として暮らしていた頃から、すでに人間と共に暮らしていたという説もあるくらいですから。このきっかけはたぶんに偶発的だったと考えられていて、哺乳類は元来小さくてもこもこしたものに保護欲をかきたてられる傾向があるらしく、子犬を見た人間が思わず頭を撫でてやった結果、一部の犬が人間になつき徐々に人間に飼われるようになったという考え方が一番説得力がありそうです。その後も、常に人間のそばにいて、今度は人間が犬を特殊化していき例えば猟犬として、例えば番犬として、あるいはペットとして品種改良を繰り返してきたのです。つまり今ある犬の種類のほとんどは人間が作為的に作り上げたものなのですね。結果として、その体格・体型は実にバラエティに富んでいてこれがほんとに同じ犬かと思うほどです。人間の都合で特殊化されたわけですから、当然血は濃くなり、体型は一種奇形ともいえるほどの変化をしています。この結果劣性の遺伝による障害に悩まされたり、特有の欠陥を持っていたりします。それでも、みな同じ犬の特徴をもっていて他の種類の犬と交配をすることができます。野良犬を見てみると、ほとんどが中型犬であり極端に大きな犬も小さな犬も見かけません。つまり自然の淘汰圧にさらされるとおのずとその特徴は均一化されていくようです。生存に適した個体のみが生き延びる世界ですから適者生存ということでしょうね。そういう意味で言うと、特殊化された犬たちはもう人間の生活圏から離れては生きていくことができないのでしょう。人間の方も血統とやらにやたらにこだわる性癖があるので彼らの未来はある程度保証されていると言ってもいいと思います。実はこの血統や種類にこだわる人間の性質は、ちょっと難しい言葉になりますがエントロピーの低下を防ぐことになっているのです。つまりほっておけば均一になって変化する余地を失ってしまうものに働きかけてそれを防いでいるという‥。ノーベル化学賞を受けたイリヤ・ブリゴジンという人が唱えた「散逸構造論」は相対性理論に並ぶ近代の革命的学説なのですが、この中で特殊な条件における「ゆらぎ」に相当する役割を人間が担っているのかもしれません。これついて書き出すと長くなるのでまた後日ご紹介したいと思います。ただ、かわいそうなことに犬はヒンズー教やイスラム教などでは邪悪な動物として排斥されているのです。可愛がっている人間も排斥する人間もいずれも犬を差別しているのではないかと思うのですがどうでしょうか?
2002年04月03日
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前にも触れましたが、恐竜絶滅の謎について最近いろいろ調べていたら面白い説を知ることができましたので、ここに紹介します。それはどういう説かというと、恐竜は花によって滅ぼされたという説なのです。いや、食虫花の巨大版とか(いくらなんでも)そういう話ではありません。順を追って説明しますと、まず恐竜の中でも肉食の餌食となる、つまり食物連鎖の下位にいる草食恐竜は何を餌にしていたかというと、羊歯植物なのです。羊歯植物は通常水辺に生えていまして、胞子が水の仲介を必要としたため、水辺以外では生息できなかったのです。分類としてはいわゆる裸子植物なのです。これに対し、被子植物では風媒という画期的なシステムを発明したのです。風によって飛ばされ、乾いた土地でも繁殖ができるとなるとあらゆるところに飛んでいってに成長できるわけです。あっという間に植物相は被子植物に覆われ、裸子植物の羊歯類は辺境に追いやられていったようです。その結果、これを餌としていた草食恐竜およびその捕食者である肉食恐竜も著しくその食生活を貧しくし、個体数を減らしていったと考えられるそうです。その後、1億5千年ほど前に植物は花という最大の武器を獲得したということです。花は何をもたらしたか?それは昆虫との共生です。風まかせだった繁殖を蜜という積極的な誘惑で虫まかせにすることができたメリットは相当に大きかったようです。さらに花は、恐竜に取って代わろうとしていた哺乳類をも取り込むことに成功したのです。それは果物という武器でした。哺乳類が種とともに果物を食し、あちこちでその糞とともに種を運ばせたわけですね。当然のことながら、成長するための栄養はそこにふんだんにあるわけですから、植物にとっては至れり尽くせりなのです。じっとして動かないという基本的特性にこのような巧妙なしかけをして子孫を残そうという植物の執念には恐れ入ります。こんな事実を知るたびに生物は目に見えぬ神が手慰みに作りたもうたのではないかと本気で考えたりします。折悪しく、もう一つの説として有力な隕石の衝突が多発し、恐竜はとうとう完全にその姿を地球から消してしまったという結末なのです。では花を食べる恐竜が存在していなかったのかというと、白亜紀末期のトリケラトプスという草食恐竜がどうもそういう適応をしたのではと推測されているようです。花を貪り食う恐竜というのはちょっと想像しにくい図ですよね。
2002年04月02日
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もう四月ですね。異様に暖かいので5月くらいの気候に感じますが‥。春という季節は命あふれ、萌え出す世界というイメージですが、同時に捕食者にとっては獲物が溢れる季節ということにもなりますね。(縁起でもないけど故半村良氏の「妖星伝」ではそうなってます)ところで「春眠暁を覚えず」という言葉があるように、ぽかぽかとしてくると頻繁に眠気を催すというのは何故でしょうね?そもそも人間は何故眠らねばならないのか?筒井康隆氏は「眠る技術」なる本を著しましたが、もっと根源的に生物における睡眠の必要性の問題を追及してみたいと思います。とは言ってもこの問題は本やテレビなどにも多く取り上げられ、話題としては少々手垢にまみれておりますが、委細構わず決行します。ある時間以上覚醒していると、脳内にエンドルフィンなる物質が分泌されこれが眠気を起こさせる物質だそうです。なぜこんなものが分泌され、人間は眠りにつかなければならないのか。実を言いますと明確な答えは見つかっていないそうです。残念。私が比較的説得力があるなと思ったのは、昆虫がさなぎのときに体の中で起こるダイナミックな変態への準備のように睡眠中にしかできない生理的活動があり、日常生活に支障のない範囲で定期的にそういう状態になる必要があるという説です。成長期の赤ちゃんはひたすら寝てるでしょ?で、眠りのパターンは90分を1サイクルとし、70分間がノンレム睡眠(深い眠り)で残りの20分がレム睡眠(浅い睡眠)の配分になっているそうです。浅い睡眠のときは脳が盛んに活動していて、これがゆえに「夢」なるのもを見るそうです。覚醒時の意識とは異なり脳が勝手に活動するので脈絡がなかったり、非現実的な夢として現われるようです。眠りが生物として必要な生理的営みであるとして、睡眠時間のコントロールはできるのでしょうか?千日回峰なる荒行をする修行僧は最初に9日間を不眠・不食ですごすそうです。麻雀でもそんなに起きてはいられないですね!これを達成すると、好きなときに望む時間だけ眠る、つまり睡眠をコントロールすることができるようになるらしいです。世の中の天才とか言われる人たちの中には「夢」の中で素晴らしい着想をしたりヒントを掴んでいる人たちが多いそうです。かのアインシュタインも夢うつつのなかで相対性理論の原案を思いついたといいますし、ベンゼン環の構造に悩まされたフリードリッヒ・A・ケクレも夢のなかで六匹の蛇が互いのしっぽを飲みこんで輪になっている夢をみてベンゼンの構造に思い至ったと記録しています。まあ、私なんぞはせいぜい食い物の夢ぐらいしか見ないのでこんな話には縁がないですが。
2002年04月01日
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