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2011年11月06日
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カテゴリ: エネルギー源
1600年 関が原の戦いの後、

11月6日(旧暦10月1日)

かの石田三成が

家康の命により六条河原で斬首された。享年41歳。


「三杯の茶(三献茶)」と呼ばれるエピソード

  近江国伊吹山の観音寺(伊香郡古橋村の三珠院という説もあり)に、
  鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が立ち寄り、
  寺小姓に茶を所望した際、寺小姓は
最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、
  次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、
  最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した。

  まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、
  後の熱い茶を充分味わわせようとする寺小姓の細やかな知恵配り・心遣い
  に感じ入った秀吉は彼を家来として採用した。
  それが後の石田三成である、という逸話がある。



信長の草履を懐で温めた・・・との逸話を持つ秀吉にとって

この三成の所業は、さぞ興味深いものであったと思われます。



三成は、秀吉没後も

一貫して豊臣家を盛り上げ



関が原の戦いに臨みます。



書き出すとキリが無いのでやめておきますが、

私の生まれ育った「岐阜県西部」は

関が原を始め、戦国武将達の縁(ゆかり)の地ばかりで、

戦国時代の話に関しては

他の地方の方々より思い入れが多めなのです。



関が原の戦いに敗れて囚われの身となり

斬首されるまでは、大津城の門前で

生き晒しにされ、斬首の後は首を

三条河原に晒された・・・との事。

それでも、最後まで豊臣への忠誠心を貫き通した





才覚があり、なおかつこれほどの忠誠心も持ち合わせる。

そんな人物を魅了した秀吉もたいしたものですし、

そんな人物だからこそ、

「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」

と歌われるほどの有能な家臣もまた





戦国の世も、現代も

「勝ち馬に乗る」生き様も有れば、

三成、左近のように、不利と感じつつも

忠誠を貫く生き様も有る。



どちらが良いとか悪いとか

軽々しく決めることはできませんが、

「勝ち馬に乗り損ねた」身としては

せめて、自分に手を差し伸べてくれる人たちには

終生の忠誠心を失わぬよう

三成・左近を見習いたいものです。



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最終更新日  2011年11月06日 01時46分51秒
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