2006年02月21日
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カテゴリ: 旅行生活


はじめてパリに行ったのは、今から12年ほど前のことである。当時のワタシは社会人数年目の駆け出しで、当然ながら自分の意思で休みなどとれる立場ではなく、休日の予定も神のみぞ知る状態だったわけだが、その年のGW直前になって、思いがけず仕事がポッカリと空き、人並みにまとまった連休がとれることになった。さてどうしようかと思った。当然海外逃亡しかないのだが、数日ならアジアだが、1週間あるのでヨーロッパかなと思って旅行会社に行き、その時の気分で瞬間的にパリに決定した。

いつものことながら、さして目的があるわけではなかった。現地につくと、やることはただひたすら散歩である。カルチェラタンの安宿を拠点にカメラとノートを手に路地から路地を歩き回り、メトロに乗ったり降りたり、裏町の食堂に入ったり、ブティックを冷やかしたり、路上ミュージシャンを眺めたり、カフェで何時間も過ごしたりしてぶらぶら楽しく過ごしているうちに、気がつけばあっという間に帰国日が迫ってきてしまった。そこでふと思い出したのが、日本から持ってきた電話番号のメモである。

出発前に、妹から「何か困ったら連絡してみれば」とパリに住んでいる女友達を教えてもらったのだ。困ったことは特になかったが、せっかくなので電話をしてみた。「相当変わってる娘」と聞いていたのを思い出しながら公衆電話からダイヤルすると、電話の向こうで、ひどくスローでアンニュイな喋り方の女性が出てきた。少し話をすると、翌日の午後は彼女も時間があるとのことだったので一度会おうかということになり、翌日の夕方オペラ座の近くで待ち合わせる約束をした。

どうせ暇だったワタシは随分早く待ち合わせ場所についてしまった。事前の情報と電話の声からはなんとなく、背が高くて少し陰のある女性を想像しながら、通りを歩く恋人たちなんかを眺めつつ相手が来るのを待った。
約束の時間を少し過ぎた頃、小走りでこちらに向かって来る人影が目に入った。目の前に立った相手は、予想に反してかなり小柄で、アリンコのように複雑によじり上げた髪形で、顔は ビョーク によく似ていた。パリの街にはさほど違和感なく溶け込んでいたが、確かにかなり個性的な風貌。それがテンちゃんであった。

テンちゃんは日本から語学留学で来ている学生で、パリにはすでに3年ほど住んでいた。やはりテンちゃんはなかなか不思議なヒトで、カフェに入ると、初対面のワタシに対してまるで昨日の話の続きを話すように、スローでアンニュイな口調でいろんなことを喋った。偶然にも、お互いの好きな映画や音楽などの趣味がかなり近いことがわかり、予想外に会話に花が咲いた。
場所を替えて食事をしながら、テンちゃんは自分の今の状況をいろいろ話した。彼女には1年ほど半同棲で付き合っているフランス人のカレシがいるという。背も高くて男前なので、どうして自分と付き合っているのかよくわからないのだけれど、それがひどいDVの暴力野郎で、キレると殴る蹴るで凄いんだという。そのうえ、そのカレシは最近フランス人のモデルのおねーちゃんとも付き合いはじめたようで、あたしもうすぐ捨てられるのよねー、というようなことを遠い目をして話していた。

ふたりとも結構飲んで酔っ払ったので、じゃあどっか面白いところに案内してよと言うと、テンちゃんが連れて行ってくれたのはアラブ人街の路地裏をクネクネ入り込んだややこしいところにある、ゲイの集まるクラブであった。甘い煙が充満する薄暗く狭い店内はゲーンズブールのリミックスが激しく轟き、まるでお揃いのように白いTシャツにスキンヘッド&ピアスというスタイルのゲイの兄さんたちがひしめいていた。我々東洋人のカップルは明らかに違和感があったが、周囲をみるとみなピースフルな笑顔で、ワシラのことなど特に気にもとめていない風であった。カウンターにもたれてジントニックを飲んでいると、隣の兄さんがやあやあと肩に手をかけてきてカタコト英語で話しかけてくるので、こちらもエエカゲン英語でたわいもない日仏親善酔っ払い会談に応じた。

気が付くと、いつのまにかテンちゃんはフロアの真ん中でひとり踊り狂っていた。周りのマッチョなゲイカップルたちの谷間で、アリンコのようなテンちゃんが踊っている姿を眺めながら、これは随分シュールな状況だなあと初めは愉快な気分であったが、そのうちなんだか少し切ない光景をみている気分になってきた。パリで何かを始めようと思って来たテンちゃんであったが、語学学校に通う以外は、やくざなフランス人と無為に時間を過ごすだけの毎日に嫌気がさして、煮詰まった末のやけくそ踊りであるように見えた。

夜も更けて店を出ると、昼間は汗ばむ陽気だった外気もすっかり冷え切っていた。別れ道の交差点で、じゃあ、とテンちゃんは少し笑い、ふらつきながらそのまま歩いていった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら「強く生きておくれ」と心の中で思ったのだが、それはもしかすると、当時駆け出しの半人前で日々世の中に翻弄されている自分自身への言葉だったかもしれない。
それっきり、その後のテンちゃんの話は聞いていない。







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最終更新日  2006年02月25日 04時09分51秒
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