ぼけてしまったお年寄りが自分の歳がわからなくなるのは当たり前だという。だって4歳の自分と60歳の自分は外側が変わっても、外側を見る自分相変わらず自分なのだから、と佐野洋子はエッセイで述べる。
しわがふえた自分を鏡でみてギョッとする。しかし、一人でいる時、
「私はいったいいくつのつもりでいるのだろう。青い空に白い雲が流れて行くのを見ると、子供の時と同じに世界は私と共にある。60であろうと4歳であろうと「私」が空をみているだけである。」
なるほど、こころは年をとらないかもしれない。つぎの文を読んだらのけぞって笑ってしまった。農家の働き者のえらい奥さんに、
「農家にお嫁にきてよかったと思う?」ときいたら、「一日も思ったことない」「じゃあ、お商売屋さんは?」「ああ嫌だ。ペコペコおじぎするなんてわたしは嫌いだ。口が下手だから」「それじゃあ、サラリーマンは?」「勤め人は心配だよ。何かあったら、何もないもん」「じゃあ、今度生まれたらどうする?」「どこにも嫁に行かん」ときっぱり云った。
ああ、わたしとおんなじだ!二三日前に答えたばかり。「生まれ変わったら誰とも結婚しない!」
こんな風になにげないするするとした文はこびで、老・苦・死をさらさらと飛び越えられそうな、 「いつ死んでもいい、でも今日でなくていい。」
著者の文庫本表紙絵や挿絵もほのぼの(佐野洋子自身絵本作家)。さらっと読んだ。
よみがえり 2023年12月21日
こういうエンタメが好き 2023年12月19日
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