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Chapter 3-8「透、物騒なことは考えるな。隣の小部屋がなんのためにあるのか知ってるだろう。ちゃんとこちらの様子を伺って、いつでも出て来られる態勢で待機している。」ドアの向こうに誰が居るかは、透にも判っていた。「修二は胸をやられたらしいが、お前はどっちがいい―?胸か、頭か―。」「兄貴をやったのも、お前の差し金だったのか―?!」赤井の言葉が、透を更なる奈落の淵に陥れた。「修二には昔から手を焼かされてな。頭は切れるし、腕っ節は強いし。」赤井は透に銃口を突きつけたまま、じりじりと躪るようにして上体を起こしていった。「わしは、全治三ヶ月程度の痛みを味わってもらう程度でいいと言ったんだが、スナイパーの奴がな...。顔はいいし、目だってたから、妬まれたんだな。」『片岡が集めた男たちは、赤井の息のかかった連中だったのか―!』透は今更ながらに、赤井という怪物の底知れない怖ろしさに、慄然とするしかなかった。「ひ、一つきいていいか?」向かい合うようにして喉元に銃口を突きつけられたまま、透は赤井を見た。「オレが、鍵の行方をとうとう喋らずに消されたなら、次はるり子も狙うのか?」「るり子―?別れたと言ったばかりじゃなかったのか。なんだ、まだ未練でもあるのか。」「るり子は何も知らない。この件については何も関係ない。だからるり子には...。」「分った、約束しよう。あいつには手は出さん。」「2000万で...、手を打つ。」透は腹を固めた。「鍵は印鑑と一緒に、ある場所に隠して保管してある。勿論、現金と引き換えだ。取引の方法は―」 * * * * * * * * * * * * * * ―『逃げるしかない』『幸い例のものは、オレの手にある決してみつかりっこないところに―それがどこなのか判らないうちは命の保証だけはされてると思っていい―』透は逃亡を決め込んだ。ジャケットを羽織ると、るり子との思い出の詰まるテラスハウスを後にして、修二の車に乗り込んだ。「どこへ逃げる―?」エンジンをかけようとして、ルームミラーに付けられたストラップのような飾りが目に付いた。透は手を伸ばすと、それを外してシャツの胸ポケットに仕舞いこんだ。透は車を走らせた。海沿いの道をひたすら逃げた。気が付けば、赤井の別荘の方向に向かっている。『オレは、どこに行こうというんだどうするつもりなんだ出直して、はした金を手に入れて高飛び...?片岡を地獄に落とす...?』河口近くの扇状にひろがる町の上をまたぐように架けられた、緩い坂道の続くバイパス橋を登り始めると、フロントガラスの向こうに、青い海が広がった。ふいに透の胸に、るり子がストラップを付けたときのことが甦った。 ―あなたの幸運のお守りになりますように。橋の中ほどにさしかかった時、透はいきなりブレーキを踏んで、車を路上に停止させた。暫くの間、躊躇っていたが、決心すると、ポケットからバタフライナイフを取り出した。「兄貴、ごめん...!」運転席のシートを引き裂くと、更に、中のウレタンを切り分けるようにナイフを突き刺し、底を探るように片手を突っ込んだ。『こいつのために...』引き出された透の手には、鍵と印章入れが握られていた。透は無造作に座席の上に転がすと、警察に電話を入れた。「路上に車が放置されている。」『決めた』ドアを閉めると、透は駆け出した。『オレはもう逃げない』上着を脱ぐと、手に持ち替えて、今来た道を引き返した。ポケットの中で、ストラップが躍る。「るり子...!」青空の下、潮風を一杯に受けながら、全力で走った。 終わり
Nov 9, 2007

Chapter 3-7外国人バイヤーの仲間割れによる取引の失敗という不測の事態を受けて、警察からも追われる身となった片岡の行方は杳としてしれなかった。透は、赤井なら、地の果てまで片岡を追いかけるだろうと考えた。『やはり狙うは赤井だ―。やるか、やられるか...!』透は赤井の出所に合わせて、赤井興産の本社に行くと、面会を申し込んだ。予想に反して、赤井は透の面会をあっさり受け容れた。『あの男は、なんと言うだろう...』かつて幾度となく開けては閉じた社長室の扉の前に、透は立った。生唾を飲み込み、覚悟を決めたかのように深く息を吸い込むと、ドアノブに手をかけ、力強く扉を押し開けた。赤井が、正面に待っていた。部屋の中ほどで革張りのサロンチェアに腰掛けて、両膝の間にステッキを立て、上に手を重ねた格好で透を見据え、出迎えた。―「小僧、久しぶりだな。」出所したばかりということなどみじんも感じさせないスーツ姿で、ゆっくりと立ち上がると、窓際のデスクのところまで歩み、葉巻を取った。ステッキを突いてはいるものの、獄中での生活は、却って赤井の身体を強靭にし、精悍な顔つきに変えたよう思われた。「お前、るり子と一緒になったそうだな。」「でも、別れました。」「そうか、もう、別れたか―。」赤井は、カラカラと、大きな声で笑うと、葉巻を口にした。『赤井のペースに巻き込まれてはいけない』、と、透が交渉の口火を切ろうとしたとき、くゆらされた煙の間から、赤井の鋭い眼光が透に向けられた。「ところで、お前の用というのは、あの駅前の第一興業不二銀行の貸し金庫のことか―?」透は息をのんだ。戦慄が、全身を駆け抜けた。『ど、どうしてそれを...?!』「どうやってお前に連絡をとろうかと思っていたら、お前の方から出向いて来てくれるとは...。長い間ご苦労だったな―。」「はっはっはぁ...、驚きの余り、声もでないか...?!」赤井は、嘲るように、肩をゆすって笑った。透が目を見開いたまま、声も出せずにいるのを見て取ると、赤井は満足そうに言葉を続けた。「最近は、個人情報保護法がどうしただの、守秘義務がどうとか煩いらしいが、銀行の支店長など、嵌めて締め上げれば簡単なもの。だが、さすがに、銀行強盗や窃盗までするわけにはなかなかいかなくてな―。」そう言うと赤井は再び大笑いした。「銀行の貸し金庫という安全なところに保管してもらっているなら、慌てて取り出す必要もなかろうと、考えを改めることにしたんだ。おかげで、検察にバレずに済んだ。」足元がぐらぐらと揺れる。肩で大きく息をしながら、透はやっとの思いで立っていた。「知って、いつから知って...?!」うわずった渇いた声で、辛うじて透の口から絞り出されたのは赤井への質問だった。「お前があの計理部長をたらしこんだことまで―、わしは知っていたさ。」赤井の言葉が透を震撼させた。脳裏に、るり子の言葉が甦る。 ―「気をつけて。 あの人にとって他人は利用するために存在するようなもの。 あの男が情けをかけたり、親切心だけで動いたりなんかするものですか。」切り札を出そうとして気負いこんだ透の足を掬うどころか、赤井の言葉は、次々と苛烈な衝撃となって、畳み掛けるように透を襲った。『あの時から、もう既に、オレは赤井の監視下にいたという訳か―』赤井に拾われて以来、秘書として甲斐甲斐しく勤め、赤井興産の中枢奥深くに身を潜めていたつもりでいた自分が、なんとも滑稽に思えてきた。驚かすつもりが、逆に驚かされる―。透は、ただ呆然と、その場に立ち竦むしかなかった。混乱した頭に、透はなんとか冷静さを取り戻そうと努めた。呼吸を整え、それまでの経緯は捨て去り、腹を括って居直ることにした。どうにかこうにか平静さを取り繕うと、動揺を隠すかのように威高な態度で切り出した。「そ、そこまで、解っているなら、話が早い。いくら出す―。」赤井に圧倒されまいと、眦を決して、相対した。赤井は透の方をちらとみると、葉巻を吸い込んだ。「そうさな、1000万か。」「1000万?ばかにするのもいい加減にしてくれ!」あまりの金額の低さに、透はすかさず噛み付いた。「片岡か...、誰か他の金を出してくれるヤツに売ってもいいんだぜ!」「片岡...?はぁーはっはっはっは...!ヤツもよく働いてくれたが、今頃は...。」ひくっと、赤井の口角の片方が上がった。「や、やったのか...?」「ヤツには2億円の保険をかけていてな。」透の背筋を、冷たいものが走った。その表情を見て、赤井は歯を見せて不敵に笑った。「冗談だ、小僧。一昨日の夜から連絡がとれなくなっているらしい。警察にまで追われる身になってはな。ま、いずれ捜し出してやるさ。」『やはり、この男は怪物なのか...』透は赤井に、底知れぬ恐怖を覚えずにはいられなかった。『消されずにいるには、条件を飲むしかないのか...?』「では、2000万でどうだ、これ以上は上げられん―。」「どうだ、小僧?!」赤井はステッキを振り上げると、透の顎の下に突き付けた。醜悪な顔を更に歪ませ、じりじりと迫り寄って来る。「手の打ちどころを誤ると、やっかいなことになるぞ。」赤井はステッキの切っ先を、くいっと透の喉に押し付けた。「オ、オレはもう、あんたの運転手じゃない...!」そう言って、ステッキを振り払おうとした透を、赤井は背後から打ち据えた。思わず膝を折り、床に手を付いた透の背中に、更に二、三度、振り下ろす。「...くっ...!」奥歯を噛み締め、頭を上げようとした透の項を、ステッキの柄が押さえ付けた。ステッキで押さえ込んだまま、身体を少し屈めると、赤井は地の底から響くような声で耳打ちした。「2000万だ―、それ以上は出せん。」赤井は以前の主人と使用人の関係そのままに、透に要求の呑ませようとした。「くっ、くそっ...!この野郎...!!」透は片手でステッキを振り払うと、赤井をかわして、組み敷こうとした。が、透がステッキを払うが早いか、赤井は懐から拳銃を取り出すと仰向けの体勢で、自分を押さえ込んだ透の喉元に突きつけた。 続く
Nov 8, 2007

Chapter 3-6赤井の出所を目前に控え、何度か片岡から取引についての提案がなされてきた。片岡から提示される金額は、透にとって、十分とは言い兼ねるものだった。が、何が何でも赤井の出所までにかたをつけたがっている片岡にとっては、それが、精一杯の出し得る金額であるらしく、これ以上交渉を長引かせても、限界があるように見受けられた。透は何とか片岡を出し抜いて、赤井と連絡が取れないかとも考えたが、看守の居る面会室で話を持ちかけるのは、どう考えても不可能と思われた。手持ち資金のない片岡の提案は、赤井の密貿易取引の仲介に際して、金額を操作して、赤井の闇の会社から金を出させるというものだった。「明後日、埠頭で、赤井の部下が、外国人相手に大掛かりな取り引きを行う。売り主の一人として、取引に立ち会ってもらいたい。取引は現金で行われる。その一部を回す。」「―わかった、いいだろう。」透は片岡の提示した金額で納得した訳ではなかったが、金をせしめると同時に、取引が済んだ後、どうやって片岡を陥れるかということに関心が向けられていた。『片岡を赤井に売ってやる―!!』* * * * * * * * * * * * * * 『時間だ―』透はシャワーの栓をひねった。天井に取り付けられた真鍮のシャワーカランから勢いよく水が噴出す。項に水を受けながら、透はきょうの段取りを頭の中で一つ一つシミュレートしてみた。頭を上げ、目覚まし代わりに顔面に浴びる。『片岡...、見てろよ...』軽く手で顔をぬぐいながら、見るともなしに外を眺めた。髪からしたたる水が頬を滑り落ちてゆく。透は再びシャワーカランの下に立つと、肩に水しぶきを受けながら、意識を集中させていった。バスタオルを腰に巻いて出てくると、透は洗面台の前に立った。白い陶器のカップでシェービングフォームを泡立てる。ブラシで丹念に鼻から下に塗りつけ、泡をぬぐうようにT字剃刀を滑らせた。剃り終わって剃刀を軽く水洗いすると、透はじっと鏡の中をみつめた。そこには修二の姿があった。『兄貴...』透は修二と同じ歳になっていた。ワイシャツを着る。ネクタイを結ぶ―。最後に眼鏡をかけ、取引の場所に向かおうとしたそのとき―、不意に携帯が着信を告げた。「もしもし」「おいっ!一体何やってるんた!」「何のことだ?」「取引はどうなった!!」「今から行くところだ」「しらないのかっ!!テレビを見てみろっ!!」透はテレビを点けるとチャンネルを切り替えた。―...とされる現物が発見されておらず、グループの一味によって持ち去られたものとみて、県警と海上保安庁が共同で捜査に当たっています。なお、警視庁ではグループの背後に外国人の...―画面からは取引の失敗を告げるニュースが流れていた。「どういうつもりだ!持ち逃げされたんだぞ!聞いてんのか!おいっ!貴様っ!」透はあの日のことを思い出した。ダーツバーの地下のビリヤード室で、修二を待っていた夜のことを。 ―『ナメやがって』脳裏に記憶が甦る。透はキューを突いた。『片岡―』球が散らばる。『必ず捕まえてやる』くわえ煙草のまま、場所を変え、キューを持ち直す。『できなければ―』次の球に狙いを定め、構える。『オレは...』時間だけが過ぎていった。待っても待っても修二は来なかった。募る焦燥感を紛らわすため、酒をあおり、徒に杯を重ね、ゲームを続けた。『るり子にあんな辛い目をさせてまで...』―「くそっ!」透は携帯を力まかせに床に叩きつけた。 続く
Nov 4, 2007

Chapter 3-5だが、透の行動は改まるどころか、ますますエスカレートしていった。ある日るり子が夜勤から帰ると、見知らぬ若い女がベッドの上で、下着姿のまま髪をとかしていた。「おばさん、だれぇ?」二十歳になるかならないかの女がるり子の方を振り向いた。「あ、あなたこそ誰なの?ここで何をしているの?!」「だってぇ、おにいさんが泊まってもいいって言うんだものぉ。」透は全く悪びれた様子もなく、アルコールの入ったグラスを片手に、ベンチにもたれかかったまま、成り行きを見守っていた。「あたし、帰るぅ。」二人の間に挟まれていたたまれなくなったのか、若い女はそそくさと服を着るとバッグを抱えて出て行った。「透!これは一体どういうこと?!」玄関が閉まると、るり子はツカツカと透の方に歩み寄って、グラスを取り上げるとテーブルの上に置いた。透は無言のまま、立ち上がってグラスに手を伸ばそうとした。「まだ飲むつもり?!」その手をるり子が掴んで争った拍子に、ベンチの隣のサイドテーブルに置かれていたボトルが倒れ、床に転げ落ちた。トクトクと中身が流れ出る。「何するんだ!」顔色を変えて、透がるり子に掴みかかった。そのまま濡れた床にるり子を押し倒すと、るり子の上にのしかかった。片手でるり子の両腕をねじ上げ、もう片方の手で、2,3個ある上着のボタンを外し、カットソーをたくし上げる。「何をするの?!嫌!やめて!!」両足で挟み込んで下半身の自由を奪うと、るり子の下着を引き剥がそうとした。抗うるり子のキャミソールの下から、白い乳房がこぼれる。「お願い、やめて!」るり子は渾身の力を込めて、突き飛ばした。二日酔いで、足元のふらつく透は、簡単に尻餅をついた。「何、お高くとまってるんだ。元運転手じゃ嫌なのか?」るり子は体を起こすと、透をきっと見据えた。「...私のこと、嫌になったのはあなたの方でしょ?!」「あんただって、じいさんの相手ばかりしてて、若い男の身体が恋しかっただけなんだろ!!能無しの捨て犬は、やっぱりダメだって、後悔してんじゃないのか?!」「私たち...、もう終いね...!」目を潤ませて、それだけ言うと、るり子は上着を羽織って駆け出した。透は腰を落とした状態で、手を伸ばして床に転がったボトルを取ると、そのままあおった。口に含みきれなかった液体が、顎を伝って首筋を流れ落ちる。「―るり子...!!」ボトルを投げ捨てると、透は片膝に顔を伏せ、肩を震わせた。* * * * * * * * * * * * * * 目が覚めた。傍らにるり子はもういない―。外は雨だった。透は起き上がると、ベンチに腰掛け、傍らに置いてあった写真立てを手にした。フレームの中で、るり子と自分が笑っている。窓辺に立って外を眺める透の目に、涙が滲んだ。そっと写真を抱く透の胸に、るり子との楽しかった日々が甦る。『君を守るために―』透は写真を抱いたまま、じっと雨を眺めていた。 続く
Nov 3, 2007

Chapter 3-4 翌日、透は珍しくるり子をドライブに誘った。「今度の日曜、確か二人とも休みだったろ?」「ドライブ?あの車で?」「ああ、海かどこか...。」「...それなら、あの海に行ってみたいわ。」「赤井の別荘がある...?」「そう、もう三年にもなるのね。なんだか懐かしくて...。」「分かった。」次の休日、朝から二人は修二の車で思い出の場所に向かった。青空に、刷毛ではいたかのような筋状の雲がうっすらと浮かぶ、穏やかな日和だった。海岸線に沿って、西へ西へと進むと、昼前には目的地に到着した。「あのレストラン、あるかしら。」「あのケーキ屋は?」二人は思い出の記憶を手繰るように、自分達を急速に結びつけた二週間の、軌跡を辿った。「そうだ、ビューティー・トラップはまだ居るかしら。」「行ってみよう。」乗馬クラブに行くと、ビューティー・トラップは以前と変わりなく、繋がれていた。「るり子、いたよ、ビューティー・トラップ、いたよ!」透は先に立つと馬の方へ駆け寄った。「オレだよ、憶えているか?」そう言いながら、透は馬の額を撫で擦った。「ビューティー・トラップ、憶えてる?私よ!」続けて駆け寄るるり子を馬は懐かしそうに迎えた。透は厩務員に頼んで、鞍をつけてもらうと、馬場を何周か、駆けさせて貰った。久しぶりの乗馬で、ややぎこちない透のことを嫌がりもせず、相変わらず、ビューティー・トラップはよく駆けた。夕暮れが徐々に迫りつつある頃、透は、ビューティー・トラップの汗を冷ましてやるかのように、海に連れて行き、砂浜を歩かせた。季節外れの誰も居ない浜辺で、ビューティー・トラップを傍らに、透は一人で、水平線を眺めた。薄く広がる雲が僅かに茜色に染められていく。刻々と変わり行く景色を、透は遠い目をして見つめながら、独り言ちた。―「さよならをしよう。」帰り際、助手席に乗り込むと、るり子は、つい今しがた近くの雑貨屋で買ってきた、ガラス玉のついたストラップのようなものを取り出してきた。「かわいいでしょ?ガラスの中にふくろうのような形をしたトンボ玉が入っているの。」るり子はルームミラーに取り付けると、無邪気な表情を透に向け、にっこり笑った。「あなたの幸運のお守りになりますように。」「ありがとう。」ガラス玉から視線を落として、自分の方に向けられた透の笑顔が、るり子には少しいつもと違って見えた。「邪魔だったかしら?」「いや、そんなことないさ。さあ、帰ろう。」透はキーを回すとエンジンをかけた。 * * * * * * * * * * * * * * いつも変わらない日常が始まるかのように思えた。けれど、あの日以来、透の様子は目に見えて変わっていった。「あなた、私のカード使って、30万引き出したの?」「ああ、ちょっと使わせてもらった。今度給料が入ったら返すから。」無断でるり子の預金が引き出されることが何度か続いた。「一体何に使ったの?」「何だっていいだろ!」もちろん返されたことはなく、問い詰めると逆に切れられた。帰る時間が深夜になることもあれば、前後不覚になるほど酔っ払って帰ってくることもある。るり子が一言何か言えば一々食って掛かるほど、ギスギスした態度をとるようになった。「一体...、何があったの?」るり子は透の肩に手を置くと、優しく問いかけた。「うるさいな!保護者ぶるなよ!」振り向きざまに強く手を払われ、るり子はバランスを崩して、床に倒れた。「そんなにオレがバカに見えるか?頼りなく見えるのか?オレのことを信用できないっていうのか?!」憤怒の表情で透はるり子を見下ろすと、その襟元をつかんで、床に突き伏せた。倒ったるり子を引き回すと、雑言を浴びせる。まるで別人かと思われるような透の豹変ぶりに、るり子は戸惑うばかりだった。「どうしたというの、透...。一体何があったの...?」 続く
Nov 2, 2007

Chapter 3-3 透は、赤井と片岡のどちらから金を引き出してもよかった。ただ、修二のことを思うと、どうしても片岡を許す気にはなれず、出来るなら、片岡を苦しめ恨みを晴らしたいと思っていた。『そもそも、片岡は、自分が横領した分の補填を含めて、赤井を強請るつもりだった...ところが、仕事を依頼した修二の兄貴に知られてしまって...』透は最初から順序立てて考えてみた。『水谷がるり子と話していた、赤井興産の息の根を止めかねない事実...それがオレの手の中にある...しかもそれは同時に片岡にとっても致命傷―兄貴は1億になるかもしれないと言っていた―2億、3億...?片岡から出させるかそれとも直接、赤井と交渉するか...』検察がとうとう切り崩すことの出来なかった、赤井グループの存亡に関わる疑惑とは何なのかを、るり子に訊くのは、透にはさすがに憚られた。が、結局、他に良い手立てを見いだすことも出来ないまま、徒に何日かが過ぎていった。「るり子、...その、教えてくれないか?赤井は何をしてたんだ?」透はためらいがちに切り出した。「何って?」「本当は、インサイダー取引事件はほんのきっかけにすぎなかったときいている。検察は赤井のもっと重大な罪を立件したがっていたって...。」「密輸よ。あとは、闇金融、政治家への贈収賄とか...。」今頃そんなことをきいてどうするのかという表情で、るり子はあっさり答えた。「表でも、法律すれすれのあこぎな真似をしてたのは有名だけど、この前摘発された架空取引や簿外取引、所得隠し以外にも、それこそ...。密貿易は単なる関税逃れの場合もあるようだけど、国外持ち出し禁止の美術品や拳銃、麻薬取引...。最近は覚せい剤だけじゃなく、MDMAなんかの合成麻薬も扱っていたようよ。」「じゃあ、赤井が隠したい裏口座があるとしたら...。」「あるでしょうね。恐らく。資金洗浄用の口座が―。」―『マネー・ローンダリング...!!』「あの男、表の顔は会社経営者だけど、やっていることはヤクザと同じ。ずっと以前から闇社会と繋がっていたのよ。」『あの架空名義の通帳類は、マネ・ロンの証拠というわけか...!』今までも、赤井の伴をして、どれだけあくどい所業を積み重ねてきたか知っているつもりでいた。が、四六時中仕えていた自分にも見せることのなかった裏の顔の存在に、透は改めてその怪物ぶりを思い知らされた。『オレは兄貴と違って、腕っぷしに自信があるわけでもないし、交渉術に長けてる訳でもない...』透は修二の銃の腕前や、企業買収や株式売買、会計監査等に関する書籍が並ぶ本棚を思い出した。『慎重に、余程上手く運ばないと、いいようにあしらわれて、はした金を手にするのが関の山だ...いや、それだけならまだいいオレ一人ぐらい、闇に葬るなんてことは、赤井にとっては何でもない筈―』透はそれまで、多額の金を引き出すだけなら、手持ち資金の少ない片岡より赤井の方が御し易く、片岡への相応な報復も期待できるのではいかと考えていた。しかも出所したばかりで、グループ企業全体の存亡がかかっている赤井の、何がなんでも手に入れなければならないという逼迫感は、横領疑惑を糊塗し、経営コンサルタントとしての社会的地位を保全することが動機の発端だった片岡の比ではないだろうと決めてかかっていた。『取引に成功したとしても...、しかし、その後、どうなる...?高飛びの用意もしなければ...るり子はどうする...?』透の脳裏を数年前の出来事が過った。『オレには、るり子を守りきれる自信がない...!』 * * * * * * * * * * * * * * 赤井の出所が半月後に迫ったある日、透とるり子は珍しく連れ立って買い物に出かけた。紙袋を手に、店を出たるり子に、急に後ろから猛スピードで車が近づいてきた。「危ない!」後から店を出た透が、るり子を歩道側に突き飛ばした。すれすれのところを走り抜け、車はそのまま去って行った。「るり子、大丈夫か?!」「ええ...。」るり子を起こしてやると、手を取り、怪我がないかを確かめた。「ひどい運転ね。」るり子は、やや怒気を含んだ口調で、車の走り去った方を見ながら言った。ぶちまけられた袋の中身を拾い集める透の頭を、不安が掠めた。『まさか、片岡...』が、ことはそれだけでは済まなかった。事故の日以来、透の一番の気がかりはるり子の身の上だった。るり子の出勤日には、勤務先まで送り迎えするようにしていたが、ある日、自分の仕事の方が遅くなってしまい、追いかけるようにして、自宅に向かった。もうそこに見える、というところまで来たとき、るり子の悲鳴が響いた。「るり子―!!」二人の男に腕をつかまれ、るり子は車の中に引きずり込まれようとしていた。透が駆け寄り、二、三発食らわすと、男たちはるり子の拉致を諦め、すぐに走り去って行ってしまった。「るり子、大丈夫か?!るり子!!」透の腕の中で、るり子は傷ついた小鳥のようにガタガタと震えていた。「いったいどうして...?どうして私なんか...!」『済まない、るり子―!』先日の事故に続く、片岡からのメッセージであることは明白だった。「片岡っ、お前、るり子に...!」「驚きましたなあ、まさかあなたの恋人があのるり子夫人だったとは...。」「彼女は何の関係もない!」激昂する透に、片岡はとぼけた調子で返したが、すぐに声を落として迫ってきた。「一度目と二度目は警告だ。でも、三度目は...。そうそう、修二はお前を庇って...。」電話を切った透の手が、わなわなと震えていた。自分ではなくるり子を狙った片岡の卑劣さに憤りを感じるとともに、るり子の身を守る困難さを身に沁みて感じずにはいられなかった。 続く
Nov 1, 2007
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