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Chapter 3-2 ある日、仕事中の透のもとに、一本の電話がかかってきた。「はい、もしもし。」「久しぶりだな。」―『片岡か?!』電話を聴く透の表情がみるみる強張っていく。「似合ってるぜ、そのスーツ。」「―?!今どこだ、どこにいるんだ!」「慌てんなよ。すぐにその生活を壊しに行ってやるよ。」「おい!」一方的にそれだけ喋ると、電話は切れた。拘置所ですれ違って以来だった。片岡が修二を殺ってまで欲しがっていたものを簡単に諦めるとは思ってはいなかった。『が、なぜ今頃...』そんな時だった。二人のもとに、服役中の赤井がもうすぐ出所するとの知らせがもたらされた。検察は当初から把握していた以上の証拠を出すことはできず、結局、公判開始後はとんとん拍子に進み、結審することとなった。赤井は執行猶予なしの懲役三年の実刑判決を言い渡されたが、未決拘留期間を算入され、実質二年余で、刑期が満了することになっていた。「今の私には何の関係もないことだわ。」るり子は何の感慨もなさそうだった。ただ、最後に水谷が言い残して言った言葉を伝えるべきかどうかだけを、迷っていた。『そうか、そういうことか...』赤井の出所を前に、片岡が必死になって探し物の行方を追って、漸く透に辿り着いたのだと想像できた。数日後、再び片岡から連絡が入った。「例のものの行方については、修二が死んだことで半分諦めていたんだが。」「...どうやって判った?」「苦労させられたぜ。この三年。修二の女のところまで家捜しして...。」「赤井が出所するそうだな。」「きいたのか?」「だからあんたはその前になんとか見つけようとしてもう一度―。」「その通りだ。もう一度一から洗い直してたら...。坊や、貸し金庫の使用料、どうなっているのか、知らなかっただろ?偶然、あるところを当たっていたら、使用料の督促状が手に入ってな。」『使用料...?!』うかつだった、と、透は自らの暗愚さを悔いた。「修二は普通預金から引き落とすようにしていたらしいが、こんなに長く借りるとは考えてなかったろう。引き落とし残高が足りないとのお知らせが舞い込んできたのさ。」その後あの貸し金庫の存在が、片岡によって、弁護士を利用するなどして、調べ上げられたということは容易に推測できた。「まさか、あの一匹狼の修二が代人申請してたとはな。しかも、それがあの時の小童とは...。」片岡は電話口で、透を小ばかにしたように鼻先で軽く笑った。「いくら出す?」透は先手必勝とばかりに切り出した。「お前、修二のようになりたいのか?」透は片岡の言葉を無視して続けた。「片岡さん、買い手は何もあんただけじゃない。オレは別に赤井に買ってもらってもいいんだぜ!」一瞬片岡は息を呑んだ。「お、お前、あれが何だか解っているのか?」「ああ、兄貴が懇切丁寧に教えてくれたさ。」透はうそぶいた。「あれが世に出たら、赤井興産が終わりだっていうことまで...!」片岡は、チンピラ同然の透がそこまで詳細を理解しているらしいことに、少し驚いた様子だった。が、すぐに態勢を立て直すと、機嫌をとるように取引を提案してきた。「修二のことは申し訳ないと思っている。どうだ、1000万で―。」「1000万―?」鼻白んだ様子で、透は切り替えした。「片岡さん、あんた兄貴のこと、今、申し訳ないと言ったとこだな。あんただって、兄貴を殺ってわざわざ面倒なことを引き起こすつもりはなかった筈だ。それを...。兄貴の慰謝料と損害賠償を考えただけでも、1000万だなんて、よく言えたものだな!」「そ、それは修二の方が途中で裏切って...。わ、わかった、少し考えさせてくれ。」それだけ言うと、片岡は電話を切ろうとした。が、間髪を入れずに透は続けた。「片岡さん、オレはあんたのことも知ってるんだぜ。あんたはあれが赤井の手に渡る前に、なんとか数字を操作して帳尻を合わせたいと思っているんだろ。ざっとみただけでも、2億、3億はありそうじゃないか―。」一瞬、片岡が顔色を変え、言葉を失ったのが、電話口の透にも伝わった。「わ、分かった、悪いようにはしない、考える。」透がそこまで強気で出てくるとは思っていなかったらしく、苦々しげにそう言うと、一先ず電話を切った。 続く
Oct 31, 2007

Chapter 3-1 白いコットンブランケットに包まれて、透は目を覚ました。窓から明るい朝の光が差し込む。枕元の腕時計で時間を確認すると、軽く伸びをして起き上がった。郊外の洒落たテラスハウスを借りて、透とるり子は住んでいた。円高の折、輸入住宅業者が開発した小さな庭付きの、北米風の連棟家屋で、取っ手一つ壊れても取り寄せに苦労しなければならないような不便さはあったが、そのデザイン性の高さや、モジュールの違いによる若干広めの間取り、機能的な造り、緑に囲まれた静かな環境に、二人は満足していた。「ねえ、起きたの?」キッチンから、るり子の声が掛けられた。「ああ、起きたよ。」窓際に置かれたダイニング・テーブルで、きょう1本目の煙草をふかしながら、透は新聞に目を通す。「ほらっ、新聞とたばこはおしまいにして!」「うん、そうだな、食べよう。いただきますっ!」トーストにベーコンエッグを載せると、透は大口を開けてかぶりついた。口の周りに付いたケチャップと半熟の卵を、るり子がテーブル越しにナフキンで拭ってやる。「いいよ、子供じゃないんだから。」が、透は同じことを繰り返す。るり子は何度も拭いてやった。「はい、ありがと。はい、ありがと...。」赤井の家を出て二年半が経っていた。 るり子の離婚に際しては、世間は妻名義の財産保全のためなどと色々取り沙汰することを忘れなかったが、結局、るり子は自分の身の回りの物以外は赤井名義に変更して、一から透との生活を始めたのだった。るり子は病院にパート勤務し、透は、大手建設会社で店舗デザインの勉強をしながら、営業マンとして忙しく働いていた。たとえ実情が小間使いでも、赤井興産の正社員であったことは、透に辛抱強さや社会人としての常識を身につけさせ、就職を有利にしていた。「るり子、きょう、遅番だったよな?オレ早く帰れるから、晩ご飯作っておくよ。」「ホント?ありがとう。でも、豚の角煮はまた今度にしてね。日付が変わってから頂かなくちゃならないわ。」「わかってるよ、きょうは米もまだ研いでないから...、そうだな、ブロッコリーのぺぺロンチーノ!」「お得意料理ね、嬉しい。でも、それだけじゃ嫌よ。」「後は何かみつくろってくるさ。」以前の透なら、食べたか食べてないかわからないような有り様だった。修二のところに居る時でも、外食か出前、あるいは修二が作ることがほとんどで、透が調理できるものといえば、レトルトカレーか即席麺ぐらいしかなかった。今では、るり子がいない時は代わりに作れるくらい料理の腕も上げ、家のインテリアを変えてみたり、クリエイター気取りでちょっとした小物を作るなど、昔からは考えられないほど地に足のついた、充実した日々を送っていた。「帰ったら、先に洗濯物、取り込どいてね。」「ああ。」るり子は、スーツ姿で黒い鞄と携帯を持って出かける透を見送った。お互い、こんな暮らしをする日が来ようとは考えてもみなかった。そこには高級なシャンパンも宝石も毛皮も、スリリングな駆け引きもなかったが、穏やかで幸せに満ちた暮らしがあった。 続く
Oct 30, 2007

Chapter 2-8 赤井の第一回公判の期日が決まった。赤井はどういう訳か、保釈申請をしなかった。弁護士と経営顧問の片岡に何かを吹き込まれたり、入れ知恵をされるぐらいでは、自分の意志を曲げない性格だったが、すっかり腹を括り、検察の出方を探りながら対決する決心でいるようだった。相変わらず、「保釈金に回す金があるなら、獄中からでも増やしてみせる」と豪語するなどして、マスコミを賑わせたりしていた。「そう、やっぱり赤井はそんなことを...。」退職を決めた水谷が、るり子の元を訪れた。赤井がマスコミに向け、はったりともとれる強気な発言をするのに反して、赤井興産グループの内情はガタガタだった。赤井という、常人とは違う、たたき上げのワンマン社長がいなくなった今、巨艦を指揮できる代わりの者はいなかった。その上事件をきっかけに、粉飾決算等の今まで闇に埋もれていた事実が次々と出てきて、いくつもあった赤井のグループ会社はタガが外れた桶のように、解体、身売りを余儀なくされた。今や、赤井興産グループは、創業当時からグループの基幹をなす、金融、不動産、貿易、運輸、土木建築部門等を残し、縮小されようとしていた。水谷もまた、自ら退職を願い出て、何年か仕えていたるり子に挨拶に来たのだった。「今回、検察の手がそこまで及ぶかどうかはまだ分りません。私もそこまでは詳しくないので...。その件のことは入院中の計理部長と社長周辺のほんの一握り方しかご存知ない筈です。」「そのことが、もし、検察にわかったら...。」「赤井興産は終わりです。」るり子と赤井の忠実な部下だった水谷は、退職に際して、最後に自分の知り得る秘密をるり子に注進に来たのだった。「それから...、もう一つ。」水谷は続けた。「経営顧問の片岡さんに気をつけて下さい。」「片岡さんに...?!」「あの方には、ずっと以前から横領疑惑があります。以前から度々片岡さんを介した送金の一部が不明になるということがあったんです。ざっと、見積もっても、2億、3億...。」「横領―?!」途中から、透はドアに耳を押しつけて水谷とるり子の会話を聞いていた。『そうか、兄貴はその証拠を掴んだんだ...!』るり子の母の死で、透の計画は頓挫したままになっていた。交渉の的を片岡か赤井に絞ることさえ出来ないでいた。「ありがとう、水谷さん。あなたも、どうかお元気でね。」部屋から出てくると、るり子は水谷を見送った。 * * * * * * * * * * * * * * 水谷の去って行った数日後、るり子はいつものように透の運転で、拘置所の赤井の許へ面会に行った。るり子が赤井と会っている間、透は駐車場に車を置いて、玄関脇の喫煙所で、待っていた。正門前にタクシーが止まって、二人のダークスーツの男が降りて来るのが見えた。弁護士と片岡だった。透は驚いたが、すぐに平静を装うと、透の脇を通り過ぎようとした片岡に、声を掛けた。「その節はどうも...。」透に気付いた片岡は、それが誰なのか暫く思い出せない様子だったが、次の瞬間、目を見張り、表情を強張らせた。「しゅ、修二...?!」『い、いや、まさかそんな筈は...』凍りついたように棒立ちになった片岡の前に透は立ちはだかると、顔を寄せて囁いた。「修二の兄貴がどうなったのかは、あんたが一番よく知っている筈じゃなかったのか?」「あ、あの時の小童か...?!」片岡はかすれた声を辛うじて絞り出した。前を歩いていた弁護士が振り向いた。「片岡さん、どうされたんですか?」不敵な笑顔を残すと、透は身を翻して、その場から立ち去り、片岡が建物の奥に入っていくのを確かめて車に戻って行った。暫くすると、るり子が帰って来た。透は後部座席のドアを開け、るり子を迎えた。「今度は、いつ面会に来られるんですか?」エンジンをかけながら透が尋ねた。「次はないわ。」「えっ?」「多分、もう来ない―。」透は視線を上げると、ルームミラーに映るるり子の顔を覗きこんだ。「離婚届けを渡してきたわ。」透は振り向いた。「彼は承知してくれた―。」るり子の左手の薬指から指輪が外されていた。その夜、るり子は家政婦の作る夕食を断り、自分で簡単なカナッペ類を用意して、テラスでワインを傾けていた。部屋着のまま、手摺りにもたれかかり、一人くつろぐるり子の許を、透は訪れた。「赤井はああ見えて、私にはそんな悪い人じゃなかったのよ。父に押し付けられたような私を、親子ほど歳がちがうのに、ちゃんと妻として扱ってくれた。入院中の母の治療費やなんかも、みんなあの人が面倒をみてくれたのよ。でも、やはり、あの男は噂どおり...。」『噂どおり...?』先日の水谷との会話が透の頭を過ぎった。母親が亡くなったことだけではなく、水谷が去り際言いのこしていったことが、るり子に離婚の決意を促したように思われた。「...私が離婚を切り出しても、彼は二つ返事で納得してくれたわ。」「...これからどうするんだ?」透は部屋の方を向いて、るり子の横に並んだ。「どうしようかしらね...。」グラスを傾け、夜景を見ながら、類子は呟いた。透は、真剣な眼差しでるり子の方に向きなおった。「るり子、一緒に暮らそう。どこか、知らない町で―。一から始めるんだ。」 chapter-3 へ続く
Oct 26, 2007

Chapter 2-7「...もう、帰らないとね。」二週間ほど経って、るり子が言った。瞬間、透は胸に小さな風穴が開いたような痛みを覚えた。「明日...、ビューティー・トラップにお別れを言わないと。」るり子は遠い目をして呟いた。「これが本当に最後になるかもしれないし―。」透は一抹の淋しさのようなものを感じながら、るり子の姿を見つめた。次の日の午後、透とるり子はビューティー・トラップを引いて浜辺へ出た。透は波打ち際を何度か往復して駆けさせた。馬にも馴れ、的確に指示を出してよく走らせるようになってきたところだった。「よーしよし...、よく走った。」透は馬の首筋を何度も擦りながら、ねぎらった。「あなたはビューティー・トラップに気に入られたようね。」るり子も、透が愛馬に好かれたことが嬉しそうな様子だった。二人は手綱を引き、たわいもない話をしながら、名残惜しげにビューティートラップとの最後の散歩を楽しんだ。そろそろ引き返そうと、防風林の松並木を通り抜け、厩舎に隣接する広葉樹の林に囲まれた広い牧草地まで来たときだった。一休みさせようと、馬を手頃な木に繋ぐと、ふいに明るい陽射しの中、小粒の雨がパラパラと落ちてきた。「狐の嫁入りだ。」二人は慌てて木の陰に駆け込んだ。空を見渡しても、雨雲らしき雲はなく、ただ雨粒だけがキラキラと輝きながら降り注いでくる。枝を傘代わりに、大木の根元に腰を下ろすと、そのままやり過ごすことにした。が、雨はすぐにやむことはなく、細かいガラスビーズをこぼしたかのように辺りを覆い続けた。透は、片膝を抱え、雨粒が馬の背やたてがみをしっとりと濡らし、その栗色を次第に濃くしてゆくのを眺めていた。馬は、雨に濡れながら、時折尻尾を大きく振ったり、ぶるる...と鼻を鳴らしたりしながら、静かに草を食み続けている。「あんた、あの時、どうしてオレを助けようと思ったんだ?」赤井邸に帰ってしまえば、きっともうきけなくなると思って、透は尋ねた。少し間をおいて、るり子が答えた。「味方が欲しかったの。」「じゃ、あんたはオレを利用しようとして...。」「そうね...、最初はそうだった。」透は少し憮然とした表情をした。「でも、それだけじゃないの。」るり子はくすっと小さく笑うと、透の瞳を覗き込んだ。「本当はあなた、捨てられた仔犬のような目をしてたから。」透は一瞬バツの悪そうな顔をした。が、すぐに笑顔で返した。「じゃ、あんたはかわいい忠犬を手に入れたってわけだ。」静寂の中、馬の草を食む音と、幽かな雨音だけが二人を包む。るり子は透から瞳を逸らすと、うつむき加減に目を伏せた。その唇に、そっと触れるか触れないかの微かさで透は唇を重ねた。小雨に身体を湿らせながら、木漏れ日が模様を描く草地の木陰で、二人は唇を合わせ続けた。「るり子...。」その夜二人は結ばれた。 続く
Oct 25, 2007

Chapter 2-6 初七日が過ぎた。誰の目にも、母を失ったるり子の疲弊ぶりは、明らかだった。沈鬱な表情で、部屋から出ることもなく、透が用意する食事も殆ど手がつけられないまま返されてきた。「こんなことじゃいけない。」透がそう思い始めたころ、るり子が呟いた。「...海が、見たいわ...。」透は目立たないようにるり子を駅に連れて行くと、有無を言わさず、列車に乗せた。家路を急ぐ通勤客らに混じり、特急列車で西へ向かった。透が連れて来たのは赤井が所有する海辺の別荘だった。到着したときは暗くてわからなかったが、翌朝目覚めると、目の前に青い空、そしてどこまでも青い海が広がっていた。ほっとしたのか、るり子は軽い熱を出して二、三日床についた。氷やレトルトのお粥を用意するなどして、透はかいがいしくるり子の世話をした。「お世話をかけるわね。」「いいさ、どうせ行く所もない。あんたのそばか、赤井のそばか...。あんたか赤井の世話をするのがオレの仕事だ。給料はまだ出てる。」「...やさしいのね。」「誰だって一人ぽっちは嫌だろ。」気候がそうさせるのか、海辺の隠れ家で、るり子は次第に健康を取り戻していった。特定の人以外、ほとんど二人を知る者はなく、傍目には、ただの恋人同士としか映らなかった。透はるり子の体調を見計らって、浜辺に誘い出した。るり子を伴って、砂浜に出ると、透ははしゃいだ。波打ち際で、寄せ来る波と戯れた。「あんたも、来いよ!」泳ぐには肌寒かったが、明るい陽射しが二人を包んだ。波に近づいては逃げる―、波とじゃれ合うるり子の顔には笑顔が浮かび、時折笑い声がこぼれた。一度、裾を濡らしてしまうと、もう構うことなど何もなかった。透は浅瀬をどんどん進んでいった。水はあくまで透明で、遮るもののない日差しは、白砂の上に波の影を映していた。 ―明日の今頃は、遠い南の空の上だ。「兄貴...、南の海へ行くの楽しみにしてたな...。」碧空を見上げる透の胸に、修二の面影が去来した。帰り際、思い出したようにるり子は言った。「この近くに厩舎があるの。馬に乗ったことある?」透にはるり子の変化に、ほのかな嬉しさを覚えた。翌日、二人は赤井が馬を預けてある乗馬クラブへ行った。透は初めて乗馬を体験した。「この子はね、ビューティー・トラップっていうの。私の一番のお気に入り。」さすがにるり子は透より上手く、早足で馬場を何周か駆け回った。「内腿が張って痛い...。」「それはちゃんとしたフォームで乗れてる証拠。」お互い立場を忘れ、まるで恋人同士のような二人がそこにいた。ビューティー・トラップはるり子の心を癒したようだった。走らせるだけではなく、何度か厩舎に通い、馬の世話をしているうちに、るり子の内面に元気が戻って来つつあるのを透は感じた。「今夜はエスニック料理なんかどう?近所に見つけたんだ。」「それもいいわね。」二人はそれぞれタイ風の鍋料理をオーダーした。「お鍋は一つでいいですね。」「いえ、別々に...」と、透が言うより早く、るり子が店員に返事をした。「ええ。」たったそれだけのことが、透には嬉しかった。るり子との間の壁が次第になくなっていくように感じられた。遠乗り。馬の世話。浜でのランチタイム。水遊び。慣れない自炊。買い物。別荘の手入れ。隠れ家での二人だけの生活は、二人の距離を縮め、それまで二人の心の中に在ったトゲトゲしさのようなものを溶解していった。 続く
Oct 24, 2007

Chapter 2-5るり子の願いも空しく、その夜遅く、るり子の母親が亡くなったとの連絡が入った。遺体は自宅に帰ることなく、直接、葬祭場へ運ばれ、翌々日荼毘に付された。本来ならば社長夫人の母として、盛大な葬儀になったところであろうが、時期が時期だけに、水谷の手配の元、ひっそりと密葬だけが執り行われた。わずかに親戚だけが集まる、簡素な式だった。るり子の実家で待機していた透の許に、斎場からるり子たちが戻ってきたときには、辺りはもうすでに薄暗くなりかけ、パラパラと雨が降り出していた。透は門の前に佇んで、るり子たちを迎えた。黒塗りの車がゆっくり停止すると、傘を差し掛け、車のドアを開けた。透が手を差し出すと、るり子は素直に、位牌を持っていない方の手をその手に預けた。降りる際、片足が大きな砂利石の上に乗り、一瞬るり子がよろめいた。透は握る手にぐっと力を込めて支えると、傘を差しながら両手をるり子の肩に添え、玄関まで導いた。三々五々親戚たちも帰ると、広い屋敷に、るり子と透の二人きりが残された。仏壇の前の、お骨を安置した白い布を被せた祭壇を背に、るり子は透の方を向いて、頭を下げた。「色々ありがとう。あなたにはすっかりお世話になってしまって...。もう帰ってもらっても大丈夫...。」「あんたは、どうするんだ...?」「私...?」るり子は少し考えると、「しばらく、ここに居るわ。向こうの家には帰れないもの。」と、返事をした。「何だか冷えるわね。」透には、たとえ生まれ育った家だとしても、ガランとした古い屋敷は、一人で居るにはいかにも広く、淋し過ぎるようにように感じられた。辛うじて、電気や水道は通っているものの、室内は目立った調度品もなく殺風景で、障子やカーテンは色あせ、雨戸は締め切られたままだった。かつては立派であったと思わせる庭も荒れ放題で、売り払われることを免れた電燈や、欄間や床柱、天井や床材の板目などが僅かに建築当時の面影を伝えていた。「長いこと誰も住んでいなかったから、暖房器具、どこに仕舞ってあるのか、探さないと...」明るく気丈に言うと、るり子は立ち上がった。が、溢れる涙を止めることは出来ず、透の前で落涙した。「...!」今まで張りつめていた緊張の糸が切れたのか、るり子は涙をこらえることが出来なかった。その場に座り込んで、嗚咽をこらえ切れないでいるるり子の許に、透は後ろからいざり寄った。そぼ降る雨音だけがシトシトと響くほの暗い室内で、透はすすり泣くるり子の肩を優しく撫でさすってやりながら、落ち着くのを待った。次第に、闇が部屋全体に垂れ込めてきた。徐々にるり子が落ち着きを取り戻すと、透はどこからか綿の毛布を探し出してきて、るり子を覆った。明りもつけずに、二人は毛布にくるまり、部屋の壁にもたれながら、肩を寄せ合った。辛うじてお互いの顔の輪郭がわかるくらいの薄暗がりの中で、時間だけが過ぎていく。二人はまんじりともせず、雨音をきいていた。「あなた、この前、どうして赤井と結婚したのか、私にきいたわね...。」口を開いたのはるり子の方だった。「私の実家、昔は結構お金持ちだったのよ。」ポツリポツリとるり子は身の上を語り始めた。「母はお嬢さん育ちで、言われるままに入り婿の父と結婚したの。祖父は一代で財を成すほどのやり手で...。父は、母の父、つまり私の祖父に、頭が上がらなかったんでしょうね。なんとか大きな事業を成功させて見返したいと思ったのか、無理に手を広げて。そこへ丁度バブルに踊る銀行がどんどん融資枠を拡げてきたの。ところが銀行は、バブルがはじけるとそれを不良債権とみなすようになって、手の平を返したように、やっきになって回収し始めたわ。困った父は言葉巧みに近づいてきた赤井から融資を受けるようになって...。」るり子の話は続いた。「当時、私はもう進学も諦めて看護学校に通っていた。最初は親切面してお金を貸していた赤井もそのうち本性を表すと、次々と担保物件を差し押さえるようになって。父は飲んだくれて荒れるようになり、何も出来ない母は病気がちで伏せるようになったの。着物も、祖父が集めた蔵の中の骨董品も、みんな手放した。それでも全然足りなくて...!」「借金でがんじがらめになった父は、私を赤井に差し出すことで、借金を帳消しにしてもらったのよ。」『そうだったのか...。』「父と結婚したばかりに母は...。結局何一つ、いい目を見せてあげることができなかった...。」るり子は潤んだ目を見開いたまま上を向くと、軽く鼻をすすった。透は、毛布の上から、るり子の肩を抱き寄せると、ぐっとその手に力を込めた。 続く
Oct 23, 2007

Chapter 2-4赤井はかねてから、闇社会との取引が取り沙汰されていた。今回の検察の逮捕容疑は、その全容を解明する入口に過ぎない筈だった。透は赤井に直接取引きをもちかけることも考えた。『しかし、片岡はどうする―?あの日兄貴は、片岡自身の悪事の証拠を握ったような口ぶりだった。しかも、片岡は兄貴を殺った―!』が、そんな折も折り、るり子の許に、元世話係りだった水谷から一本の電話が入った。「入院中のおかあさまの具合が急にお悪くなり、集中治療室に移されたということです。」カシャンと音がして、床に携帯が落とされた。「奥様、どうなされたのです?」「く、車を出して...。」るり子の声は震えていた。「お願い、今すぐ車を出して!」電動でゆっくり開かれてゆく赤井邸の扉に、表門付近を取り囲んだ報道陣が色めきたった。車に向かってカメラの放列から、一斉にフラッシュが焚かれた。るり子は顔を背け、後部座席に身を伏せるようにして、病院に向かった。病院で、るり子は殆どの時間を、集中治療室の前の長椅子で過ごした。母親の容態は思わしくなかった。もうずっと長いこと入院しているとのことだったが、ここにきて具合が急変したのだった。水谷だけが、時々、様子を見に病院に来ては、赤井の状況や様子を伝えたり、着替えを運んだりしていたが、とにかく、会社の方が大騒ぎで、他にるり子のことを構っていられる社員などいなかった。赤井との不釣合いな結婚に目をつけたマスコミは、赤井興産の事件だけではなく、るり子までをも標的にした。ワイドショーは、画像処理も行わずにるり子の映像を流すようになり、週刊誌は、結婚の経緯や理由、るり子自身の経歴についてまで、あることないことを書きたてた。病院に詰めるるり子の目や耳にも、それらの放送や、見出しが、否応なく飛び込んでくる。そればかりか記者は病院にまで押しかけ、病院中の衆目に晒されることになった。るり子の疲労は頂点に達していた。母親の容態は変化せず、周りへの迷惑、好奇の視線がるり子をいたたまれなくしていた。「帰るわ!車を回して頂戴!!」透がたしなめるのも構わず、るり子は玄関に走り出た。が、救急車両でない車は、出入り口まで近寄せることは出来なかった。「奥様、こちらです!」透は押し寄せる報道陣を掻き分け、るり子の元に走り寄った。もみくちゃにされながら、るり子に自分の上着を被せ、両肩を抱きかかえるようにして、車のところまで連れて行った。ワイドショーのインタビュアーやカメラの放列を押し切って、車を発進させた。後部座席を狙ったフラッシュの光が途切れることなく浴びせられる。透は追跡の車をまくため、左折を繰り返しながら走ると、赤井邸へは帰らずに、湾の西側の最近開発されつつあるベイエリアにやって来た。海沿いの道路を挟んで、緑地帯の奥に建設中のビルが並ぶスポットに辿り着くと、護岸に、車を停めた。空を映して、海の色は雲っていた。透は類子の側の窓を開けると、自分も運転席の外に出た。「煙草、吸っていいですか。」「私にも一本頂戴。」煙が昇りながら風に溶けてゆく。風に髪を弄らせながら、二人は暫く無言のときを過ごした。ちゃぷちゃぷと岸辺に軽く打ち付ける波の音に混じって、遠くを飛ぶ飛行機や、建設現場の工事の音が風に乗って響いてくる。透は、車にもたれて、ただぼんやりと、海を見ていた。「あんた、どうして赤井と結婚したんだ―?」寄せては返す波を眺めながら、つい気を許して、ずっと不思議に思っていたことを口にしてしまった。るり子が赤井に惚れて結婚したとは到底思えなかった。金の為というには媚びた様子もなく、社員から恐れられている赤井と対等に口をきき、ときにはいいようにあしらっている。到底愛があるとは思えなかったが、憎み合っていると言い切れるだけの関係にも見えなかった。「私はね、赤井に売られたのよ。」透がふとこぼしてしまった独り言のような不躾な質問に、思いがけずるり子から答えが返ってきた。「負債を抱えた父親に。」透は言葉もなかった。時折るり子の中に見え隠れする淋しさの正体のようなものが、なんとなくわかったような気がした。 続く
Oct 22, 2007

Chapter 2-3数ヶ月が経った。相変わらず透は赤井の小間使いのような存在だった。しかも、赤井だけではなく、るり子の身辺の世話まで、任されるようになっていた。透の仕事が増えるに従って、それまで赤井とるり子の世話をしていた水谷という透と同世代の男の仕事が、本社業務に移行していった。るり子は不思議な女だった。自分の味方なのかそうでないのか、透には測りかねた。「オレと組まないか?」あるとき、試しにるり子に訊いてみた。るり子と二人きりのときは、透は相変わらずぞんざいな口の利き方をした。「あんただって、あの傍若無人で他人を人とも思わないジジイにはもう飽き飽きしてるだろう。じいさんにちょっとばかり早く逝ってもらって、財産山分けしないか?」「あなたみたいな顔だけの男に何が出来るっていうの?」きっと透の方に向き直ると、るり子は鼻先で笑った。「赤井グループを束ねるのはあの男だから出来るのよ。放っておいても毎日金の卵を産み続けるガチョウを絞める気はないわ!」るり子の返事は手厳しかった。「あなたなんか連れていても、人にはペットの子犬を連れているとしか映らないでしょうね。」透に返す言葉はなかった。るり子の言う通りだった。『後で吠え面かくなよっ』いつか赤井興産という巨象を根底から揺るがしてやる、と透は心の中で思った。 * * * * * * * * * * * * * * が、意外にもその日は早く訪れた。赤井興産を揺さぶったのは透ではなく、地検の特捜部だった。カメラとテレビカメラの放列が、十重二十重に赤井の会社と自宅を取り囲んだ。何が起こったのかわからないでいるるり子と透に、テレビのニュース映像が状況を伝える。赤井が逮捕された。表向きの容疑は、証券取引法違反と法人税法違反だった。株のインサイダー取引をきっかけに、検察は架空取引や簿外取引、所得隠し疑惑にまで捜査の手を入れようとしていた。『あれはどうなるんだ―?検察はあれを証拠として欲しがっているんじゃないのか?検察があれを見つけたら、オレには一銭も入ってこないいや、でもあれは見つかりっこない筈―だったら、どうなる?証拠がみつからないということは、赤井を助けることになるのか?それより、あの通帳と帳簿がなくなっていることに赤井はまだ気付いていないのだろうか?』 ―けれど、あれはそんなもんじゃねえ。 なぁ、片岡さん、見る者が見ればわかるんだよ―透は修二が電話で話していた内容を思い出した。『架空取引や簿外取引、所得隠しの証拠だと言っていたでも、それだけじゃない...?もっと大変なものだと判ったから、兄貴は電話の男を強請った?』聞きかじった言葉の片鱗を繋げるようにして透は考えた。『―今が赤井から、直接金を引き出すチャンスなのか?』社長逮捕の報道に、本社もグループ会社も上を下への大騒ぎになっていた。赤井には直接連絡がとれず、情報が錯綜する中で、テレビの報道がるり子たちにとって一番の情報源だった。テレビが映す本社の家宅捜索開始と同時に、るり子と透が居る本宅でも、検事の指揮の下、新しい段ボールを抱えた事務官達が一斉になだれ込んできて、二人の目の前で、証拠と思われる物品を次々と押収していった。マスコミに囲まれて、身動きできないでいるるり子の元に、社員達が、今後の対策を練ったり指示を与えたりしに、入れ替わり立ち替わりもみくちゃにされながらやって来た。「片岡さん、よくいらっしゃってくれたわ。」『片岡―?』その中に透が普段見かける男達とは毛色の違う、落ち着いた、中にベストを着込んだダークスーツの男がいた。「もう、私、どうしたらいいのか...。」「ご主人は財産類の保全について何かおっしゃってられましたか?」「いえ、私には何も...。」透は、お茶を出しに席をはずしたるり子に尋ねた。「あの方は?」「ああ、片岡さんよ。赤井興産の経営顧問で、ご自身もコンサルタント会社を経営されているの。」一瞬、透は息を呑んだ。『片岡―!!あいつだ、兄貴をやった...!あの夜の電話の相手は片岡といった!!』早鐘を打つかのように、心臓が激しく鼓動する。透の頭に修二の電話や、修二が殺られた時の状況が蘇ってきた。透は隙間からそっと部屋を覗いて、自分に銃口を向けさせた男を思い出そうとした。『右腕の金時計...!』背を向けて、目の前の立っている男の袖口から、金無垢の時計が覗いていた。『あんな東南アジアでしか売ってないような24金の時計、そうそうつけてるヤツがいるものか間違いない...!』透は確信した。 続く
Oct 21, 2007

Chapter 2-2夜半過ぎ、雨が降り出した。雨粒が激しい音を立てて窓ガラスをたたく。透はシーツにくるまり、まんじりともせずに雨音を聞いていた。―『伏せろっ!透!』自分の目の前で血飛沫を飛ばしながら崩れていった修二の姿が、頭から離れない。『なんで、オレなんか庇ったんだ、なんで...!!』『兄貴、兄貴...!』心の中で透は何度も修二をよんだ。『助けてくれ、兄貴、オレを一人にしないでくれ...!』見知らぬ邸宅の一室で、透はシーツを頭から被ると、幼子のように身体を丸め、慟哭した。 * * * * * * * * * * * * * * 透は熱が下がっても何くれとなく理由をつけて起き上がれない風を装った。この先自分がどうなってしまうのか判らない恐怖に、怯えていた。「お前、行くあてがないのか?」ある日、出て行く様子のない透を、見透かしたかのように、はげ頭の赤井社長が尋ねた。その通りだった。それどころか一歩表に出ればいつ蜂の巣にされるか分からない。ドサクサに紛れてそのままになっている貸し金庫の鍵と印鑑の安否も確かめたかったが、自分が一体どうすればいいのか、何から始めればいいのか、皆目分検討がつかないでいた。「お前、わしの下で働かないか?」「えっ?」「わしの秘書でどうだ。」赤井はにっと笑った。 元々いつまでもホストを続けてられると思ってはなかった。満足に高校も出ていない自分が、上場企業の社員になれるのなら、運転手でも鞄持ちでも構わなかった。透は、赤井興産の中枢奥深くに入り込んで身を潜めるのも悪くない―、と考えた。透は、また、拾われた。 * * * * * * * * * * * * * * 透は身体が回復すると、まず、修二が住んでいた部屋の大家に電話を入れた。「ああ、修二さんの車ならガレージに置いたままだ。どうしたものか気になってたところだ。」大家は透から連絡が入ったのをこれ幸いとばかりに、荷物と車を押し付けた。透は修二の車のために車庫を借りた。車は、何事にもあまり執着しなかった修二の唯一の道楽だった。公道では滅多にお目にかかれない、1970年前後に製造された気難し屋の国産車を、修二は、乗りこなすだけではなく、手をかけ、楽しそうにいじっていた。あの日以来、そのままになっていた修二の車のボディーを、透は心ゆくまで磨いた。拭き終えてから内部を隅々まで眺めると、ハンドルを、ルームミラーを、ギアを、シートを...、透は修二の温もりを確かめるかのように、愛おしげにその手で撫でた。『兄貴...』シートに置かれた手の甲に、涙が一粒、ポタリと落ちた。翌日から、透は赤井興産の社長付き社員として働くようになった。予想した通り、秘書とは名ばかりで、車の運転、鞄持ち、食事の世話、着替えの手伝い...、赤井の身の回りの世話が透の仕事だった。少しでも、赤井の気に入らないことがあれば怒号や拳が飛んでくる。『まるで、ヤクザの舎弟だな』透は思った。『でも、今に見てろ』貸し金庫にしまってある通帳と書類の存在が、陰で透を優位な気持ちにさせていた。「どうやら夫はあなたに利用価値があると思ったようね。」二人きりのとき、るり子がすれ違いざま、囁いた。『まさか、オレのことを知って―?』「気をつけて。あの人にとって他人は利用するために存在するようなもの。あの男が情けをかけたり、親切心だけで動いたりなんかするものですか。」『それとも、一般論での忠告か―?』るり子の真意はよく判らなかった。『それでもいい』透は思った。『切り札の出し方さえ間違わなければ―』 続く
Oct 20, 2007

Chapter 2-1「小僧、起きろ―。」あれから何時間経ったろう。うっすらと開いた透の目に、綺麗に磨き上げられた高級な男物の革靴と、その後ろに、ドレスの裾から覗く白いハイヒールが映った。身体はそのままで、目だけをゆっくり上にあげていくと、頭のはげあがった、シルバーに近い白のタキシード姿の男と、豪奢なロシアン・セーブルのストールをまとったイブニングドレス姿の女が透を見下ろしていた。「おい、お前、どこから入りこんだ。」険しい表情で男が訊いた。「このビルは俺が借金のカタに差し押さえたビルだ。近くを通ったついでにどんな様子なのか見に来たら―」「怪我をしているようね。」女が口を挟んだ。「応急手当ぐらいは出来るわ。」「おい、るり子!」「あなた、水谷さんに、パーティー会場から折り返してこちらへ迎えに来てくれる様、おっしゃって下さるかしら。地下駐車場で待ってるって。斉藤様ご夫妻にはあなたから宜しくお伝えして。」男は女の気紛れには慣れている風だった。「酔狂なことだな。」鍵の束を手渡すと、勝手にしろとばかりに背を向け、先にエレベーターで下りて行った。るり子とよばれたイブニングドレス姿の女は、透の側に寄ると、脇を支えて立ち上がらせた。『ゴージャスな女だな』切羽詰った状況の中でも、透は女の値踏みをすることを忘れなかった。『三十...、いやそれより若いか...?金なら、使い方に困るくらいもってそうだ』透は運転手付きの車に乗せられると、監視カメラがあちこちに設置され、ぐるりと高い塀をめぐらせた、モダンで瀟洒な邸宅の、簡易な家具や家電類の揃った使用人が詰めるような小部屋に連れて行かれた。ソファーを兼ねたシングルベッドに向かい合わせに腰掛けると、るり子は透の傷の具合を確かめた。「これなら、外科手術の必要もなさそうだわ。」「...あんた、看護婦か?」「昔はね。」るり子は、片肌脱ぎになった透の腕を取って、救急箱から薬品や道具を取り出すとテキパキと手当てをした。「身体が熱いわ。熱があるようね。しばらくは安静ね。起き上がれるようになるまで、ここにいてもいいわ。」包帯を巻き終わると、袖に腕を通してやった。「一体、何をしたの?」何の傷なのか見透かしたような口ぶりで、るり子は尋ねた。「安心して。何の怪我かなんて誰にも言ったりしないわ。」救急箱を片付け終わって、立ち上がろうとしたるり子の腕を、ぐっと引き寄せ、いきなり透はキスをした。「何をするの!」るり子の平手が透の頬を打った。「傷の手当てのお礼としては、大したふざけようね。」「あんた、あの男の情婦か?」るり子はぷっと吹き出すと、大きな声で笑った。「あの男がヤクザにでも見えて?あれでも上場会社のオーナー社長よ。赤井興産って聞いたことあるでしょ?私はその社長夫人。」透は絶句した。『オレは、赤井の懐に飛び込んでしまったのか―?!』 続く
Oct 19, 2007

Chapter 1-6指示されたとおり小一時間ほど待っていると、透の携帯に修二から連絡が入った。「俺だ。今裏のビルの入口にいる。いいか、俺の言う通りにしろ。」「あ、ああ。」透はようやくほっとすると、電話を耳に当てたまま立ち上がった。「厨房へ入れてもらって、勝手口から外へ出るんだ。路地を左に曲がって...。ああ、隣のビルとの間をまっすぐ裏の通りの方へ抜けて...。非常階段があるだろう。柵を越えて上るんだ。二階以上だと、非常口の扉が開いている筈だ。中のエレベーターを使って、地下の駐車場へ降りろ。それから管理人室の前を通って階段で一階に出る...。」透は修二の指示に従い、階段を上って行った。内側から鍵を回して難なく鉄の扉を開くと、ぱあっと、明るい外の景色が目の前に広がり、逆光のなか、公衆電話の前からこちらを見ている修二の姿が目に入った。「兄貴...!」口許を綻ばせ、携帯をとじながら、透が駆け寄った。と、同時に、修二の背後からバラバラと二、三人の男達が修二を取り囲むように走りよってきた。「透、逃げろ!」とっさに受話器を投げ出すと修二は駆け出した。思わず透は修二の後を追った。「追え、追うんだ!」追いかけてくる男達に、最後尾のサングラスをかけた地味なダークスーツ姿の男が指示をとばす。「待て、待たないと撃つぞ!」銃口が二人の足元を狙う。乾いた発射音がして、手元の狂った銃弾が透の肩を掠めた。二人は転がるようにして近くの雑居ビルに駆け込んだ。「野郎...!」修二は9ミリのオートマチック銃を取り出すと安全装置を外し、スライドを後ろに引いた。「ばか、死なせてどうする!」追っ手の後ろから男の怒号が飛ぶ。修二は一旦物陰に隠れると、照準を追っ手の足に合わせて引き金を引いた。追っ手がもんどりうって膝を抱えて転がる。「撃つな!やめろ!」後ろの男が叫ぶが、熱くなっている男達の耳には入らない。「この野郎...!!」男の一人が透の背に狙いを定めた。「伏せろっ、透!」腕を押さえて片膝立ちになってしまった透を修二が庇った。同時に銃声がして、修二の身体が受けた衝撃が、透の背にまで伝わった。「あ、兄貴...!!」振り向く透の背を掠めながら、修二の身体がスローモーションのように崩れて行く。「あ、兄貴、兄貴ーー!!」瞳を見開いたまま、修二は頭から仰向けに透の足元に倒れこんだ。胸を抑える修二の手の下から、どくどくと赤い血が噴き出し、修二の黒いシャツと上着にどす黒い染みを拡げていく。やがて脇を伝って床にまで達すると、透の足元近くまで床を赤く染め上げた。『ト、オ、ル...。』唇が透の名をなぞった。透の顔を見つめながら、修二はゆっくりと瞼を閉じる。 ―よせては返す波の音...。 透きとおった水、つき抜けた青い空、降り注ぐ太陽の光ー 日差しを身体一杯に浴びて、透が笑った―一瞬、修二の口許が笑ったかのように見えた。が、その目は二度と開かれることはなかった。『あ、兄貴!兄貴...!!』声を出すことも出来ずに、透はそのままその場に腰を落としてうずくまった。『な、なんで兄貴が...、ウソだろ、兄貴...?』呆然自失の透を両脇から何なく男たちが捕まえる。「なんで...、なんでなんだ、兄貴ーーー!」叫ぶ透の前に、男が立った。「手間をかけさせやがって。」地味なダークスーツの男の右腕から覗く金無垢の時計が、ぼんやりと透の目に映る。「ぼうや...、返答次第ではどうなるか、わかるな?」男の言葉が透を正気に返した。『透、逃げろ―!』修二の言葉が透のなかにこだまする。透は油断していた男たちの腕を、力いっぱい振り払うと、わき目も振らず駆け出した。ビルの裏を通り抜け、塀をよじ登り、鉄柵をくぐり、配管に足をかけ、夢中で駆けた。腕の傷のことなどお構いなしに、細い通路や路地をぬって、外の螺旋階段を駆け上った。やがて透は見知らぬビルの最上階に辿り着いた。耳を澄ましても、もう追っ手の足音は響いてこない。昼なお薄暗く、半ば廃屋のようなビルの奥まった細い廊下のドアの前で透は力尽きた。壁に寄りかかると、その場にずるずると座り込んだ。傷が熱をもってじりじりと痛む。 「兄貴...、どうしてなんだ。どうして、オレなんかを庇って...!」透はそのまま廊下に倒れこんだ。『兄貴、兄貴...!』 が、修二はもういない―。次第に透の意識は遠のいていった。 chapter-2 へ続く
Oct 15, 2007

Chapter 1-5『俺は―いつここへ来てしまったんだろう。逃げなくては―』気が付くと修二は港にいた。周囲が明るく白んでくる中で、ようやく意識を取り戻した。ハンドルに顔を伏せ、何が起こったのか、何をすべきなのかを思い巡らせた。「どこに隠したんだ。」修二はエンジンをかけ、車を発進させた。 * * * * * * * * * * * * * * 透は、その夜店には出勤せず、ダーツバーの地下の、日頃暇さえあれば屯しているビリヤード室で修二を待っていた。 帰りが予定より遅いことに心配になった透は、何度か修二の携帯に電話をかけた。取引に何か手違いがあったような様子だったが、夜半過ぎ、ようやく、相手を追い詰めたような返事が返ってきた。が、その後、修二の携帯は繋がらない。 『兄貴、どうしたんだ、兄貴...!』 透は待った。電波の届かないところに居るのか、電源が切られているのか、電池が切れたのか...。焦燥感が透をさいなむ。『大丈夫だ。きっと兄貴のことだから大丈夫』そう自分に言い聞かせはするものの、電話一本がつながらないということが、こんなにももどかしいことはなかった。透はもって行き処のない不安と苛立ちで一杯になりながら、一晩を過ごした。夜が明けた。店が閉まり、透は憔悴しきった表情で、仕方なく部屋に戻り、ドアを開けた。「部屋が、メチャメチャだ...!」まるで泥棒にでも入られた後のように、部屋中が荒らされていた。引き出しからあらゆるものが引き出され、壁に貼られたものはすべて剥がされ、足の踏み場のないぐらい、床一杯に、ぶちまけられていた。呆然と立ち尽くす透の携帯に、ようやく、修二からの連絡が入った。「逃げろ、透。」冒頭、ビーッという音がして、それが公衆電話からのものであることが伺えた。「あ、兄貴?」「逃げるんだ!」いつもとは違う修二の様子に、透は修二がただならぬ事態の渦中にいることを悟った。「兄貴?!どういうことなんだ、兄貴!」「逃げるんだ、今すぐ!!」「今すぐって...、」「透、空港だ!どこでもいい、とりあえず出国するんだ!」「い、嫌だ、俺も兄貴と一緒に行く!」透は必死に訴えた。「俺と一緒だと、危険なんだ!!」「兄貴、オレを見捨てるのか?!」透は、今修二と別れたら、二度と会えないような気がした―。「...わかった。迎えに行く。階下の喫茶店で待ってろ。奥のテーブルで...。近くまで行ったら指示するから、目立たないようにしてるんだ。」 続く
Oct 14, 2007

Chapter 1-4気だるい午後の太陽が差し込む部屋、ヘリコプターの音がビルの頭上をかすめて行く。朝、帰って来て、そのままベッド代わりのソファーで休んでいた修二は、やや煩わし気に目を開けると、おもむろに手を伸ばして脇においてあった腕時計をとり、時間を確かめた。上半身を起こして、煙草を口にすると、一服くゆらせる。煙草が修二の頭を徐々に覚醒させていく。「兄貴...、起きてる?」中を伺うかのように透がやって来た。「透...、いい頃合に来てくれた。」「例のもの、ちゃんと仕舞っておいてくれたか?」「ああ、ちょっとやそっとのことでは見つからないところに。」「行かなきゃな。」決心したかのように修二は起き上がると、目覚ましのシャワーの栓をひねった。身支度を整え、最後に腰のベルトに拳銃を挟みこむ。「明日の今頃は、遠い南の空の上だ。」親指でキュッと透の頬に触れると、修二は部屋を後にした。 * * * * * * * * * * * * * * 「ああ、俺だ。―いや、大丈夫。やっとみつけた。もう逃がしはしない―」携帯を切ると修二は男を追った。「おまえのおかげで俺は...」クラッチを踏んでギアを入れ替えると、徐々にアクセルを踏み込んでいった。ドスン!鈍い音をさせて車が何かにぶつかった。 続く
Oct 13, 2007

Chapter 1-3計画があらかた練り上げられると、修二は透を連れて、駅前の銀行に出向いた。すでに話は通ってあるのか、ロビーで暫く待っていると、カウンターの中から行員が修二を呼んだ。「少し待っててくれ、いや、お前も来るか?」「何するの?」「貸し金庫を借りる。」「へえっ、凄いね、兄貴こんな銀行と取引あるんだ。」「ばか言え、預けるほどの金なんかありゃしねぇよ。それに銀行ってところはどれだけ大金を積んでも信用がなければ金庫なんて貸しやしない。」「へーっ。」「来な、社会勉強だ。」手続きを進めていく中で、行員は修二にきいた。「代人申請はなさいますか?」「代人申請?」「きょうお越しになられてるのは弟さんで?」行員がそう言うのも無理はないくらい、二人はよく似ていた。一瞬修二は考えると、退屈そうに成り行きを見ていた透の方を振り向いた。「おい、透、お前、代人申請しとくか。」「何、それ?」「俺の代わりにお前でもOKってやつさ。」「ふーん。」「死んだらお前が金庫を開けてくれ。」興味がなさそうな透に、冗談を言いながら修二は手続きを済ませた。銀行を出ると透は修二にきいた。「ねぇ、代人申請をしてないと本人以外は貸し金庫開けられないんじゃ、合鍵作っても意味ないじゃん。」「確かに、いまどきの新しいシステムの貸し金庫では、カードも要れば暗証番号も要る。が、あの店はまだ旧式で、印鑑照合さえパスすればそれで済む。赤井興産は株式会社だ。法人申請してある。社員ならOKだ。」そう言うと、修二は見たこともない名前の名刺と社員証を取り出して見せた。 * * * * * * * * * * * * * * 「兄貴、やったぜ!」数日後、部屋で待つ修二の元に透が息せき切って駆け込んできた。透はその日、女が銀行から出て来るのをずっと待ち伏せしていた。昼下がり偶然の出会いを装い、先日の非礼を詫び、後悔の気持ちを伝え、言葉巧みにホテルに誘った。睡眠薬を使う手間もなしに、女がシャワーを使っている隙に鍵と印鑑を盗み出し、外で待機している男に手渡した。事が済むとルームサービスを装ってコーヒーを運んできた男から物を受け取ると素早く元通りバッグに戻した。「透、よくやったな!」修二は、透の前髪をくしゃっと掴むと破顔した。「もぉー、女はうぜーから嫌なんだよな、しつこくて...。終わったあともあーだこーだって...。最後は勤務中だろって言ってやって...。」「分かったよ、透、分かったよ。」二人はじゃれあいながら事が上手く運んだことを喜び合った。 * * * * * * * * * * * * * * 暫くして、修二は髪型を社員証の顔写真に似せ、サラリーマン風のスーツ姿で、まんまと貸し金庫から書類と通帳を盗んできた。「これが再び同じ銀行の金庫に仕舞われるとは赤井の社長も思わないだろう。」「あれっ、中身、ついでに仕舞ってこなかったの?」「ばか、俺がそのまま俺に戻って隣の金庫に仕舞えるか!」「あはは、そりゃそうだね。」修二は自分の借りた金庫に入れる前に興味深げに書類と通帳を眺めていた。深夜、透が仕事から戻ると、修二が誰かと携帯で話をしていた。「あんた、あれが赤井の裏帳簿代わりって言ってたな。ダミー会社による架空取引や簿外取引、所得隠しの証拠だと。けれど、あれはそんなもんじゃねえ。なぁ、片岡さん、見る者が見ればわかるんだよ。他の証拠品と照らし合わせたら、流れの不明な金があるっていうことも。あんた、赤井から金を引き出すって言ってたけど、ひょっとしてあんた自身が隠蔽しなきゃならない事があるからなんじゃないのか?」電話を切ると、修二は透が立っていることに気が付いた。「透、100万が1億になるかもしれないぞ。」「1億...?」「口止め料としては、安いものさ。」透は金額の大きさとともに、リスクの大きさを感じずにはいられなかった。 続く
Oct 12, 2007

Chapter 1-2修二はこの辺りの裏社会では知らない者のない存在だった。透に詳しいことはわからなかったが、目つきの鋭い若い男たちがしばしば出入りしていた。外では見るからにその筋らしい男たちと会っていることもあれば、身なりのいい紳士然とした男や、ダークスーツをきちんと着こなしたサラリーマン風の男と会うこともあった。女が訪ねてくることもあった。そんなとき透は部屋を出されるが、女を泊めることはなかった。透は相変わらず短期間で店を替えながら気侭にホストを続けていた。工業高校を出るか出ないかで就職して以来、一所で長続きしたことはなかった。一度は好きな自動車の整備工場に就職したこともあったが、それも一年になるかならずやで辞めてしまい、転々としながら身を落としていった。キャッチ、美人局、男娼―。警察のやっかいになり留置所に泊まったのも、一度や二度ではなかった。「ねえ、いいだろ...?」 ベッドの上で暇を持て余して、透は修二の背中に声をかけた。振り向いた修二を、甘えるようにしなを作り、上目遣いに見上げて誘う。透は、自分がどうすればどう見えるかすっかり心得ていた。人を落とすテクニックは長年の生活で身体に染み付いてしまっていた。「お前、きょうは同伴と言ってたんじゃないのか?」「いいんだよ、あんなババア、待たせときゃいい。そんなことより...」他人の客をとろうが、客との約束をすっぽかそうが、遅刻をしようが、修二という後ろ盾を得た透に、制裁を加えられる者はいなかった。「支配人がさり気なく俺に皮肉を言いやがる。」「あのババア、もう金が底を尽いているのにしつこくて。たかがOLのくせに。」「ババアの癖にOLなのか?」「ババアじゃ風俗に売り飛ばすこともできやしない。金の切れ目が縁の切れ目だってことがわかんないのかね。俺と寝たい一心なんだ。」透はくるりと寝返りをうって仰向けになると、やれやれといった表情で、修二を見上げた。「ほら、赤井興産という、屋上に看板の立ったビルがいくつもあるだろ?そこの計理士さ。金庫番に生涯を捧げたような女―。」「おい、お前、本当かそれ?!」修二が顔色を変えて透の元に駆け寄った。「ど、どうしたのさ。」透が思わずたじろぐほど修二の顔色は変わっていた。「赤井興産の金庫番っていうのは本当なのか?!」「あ、ああ...。経理部長してるとかって...。真面目だけが取柄で、肩書きもらって...。」「透...、その女と寝てくれ。」「えっ?!」「上手くいったら50や100万の金では済まない。」「あ、兄貴、俺を売るのか?」「そんなことは言ってやしない。一回でいいんだ、一回で。」透は世話になっている修二のためなら、女と寝るのも「仕事」と割り切ることにした。 * * * * * * * * * * * * * * 数日後、二人は、駅前の銀行の近くで、キャリア・ウーマンを気取った50がらみの黒いパンツスーツ姿の女を確認した。髪型は何年来も頑固に変えたことのなさそうなストレートのセミロングスタイルで、凝り過ぎたアイメイクと濃い朱色のマッドな口紅が彼女の一層彼女の年齢を強調していた。上半身をブランド物の時計や、大振りのアクセサリーで飾り立てているのに対し、足元は不釣合いなほど履き古されたパンプスで、ヒールは潰れ、ところどころ革の地色が覗いているような有様だった。「あの女に間違いないな。」「ああ。」「彼女は、赤井興産の金庫番だ。けど、金の流れまで知ってる訳じゃない。男と違って変な野心を持たないから、社長が全幅の信頼を置いて任せてる。昔は社長の女だったのかもしれない。」「まさか、あのババアが?!」 「彼女はほぼ毎日、銀行に通ってる。あのバッグの中には通帳と印鑑が入っている筈だ。そして、貸し金庫の鍵も。」「銀行帰りか、銀行に行く前か、どちらでもいい。とにかく、あのバッグを持っているときにホテルでもどこでもいい、シケ込んで欲しいんだ。」「真昼間か...。」「彼女のカバンから貸し金庫の鍵と印鑑を盗み出して欲しい。30分、30分あれば偽造できる。人をやるから渡してほしい。」「偽造?」「ああ、ニセの印鑑と合鍵を作る。出来たら現物は返す。」「やれるか?」それくらいお手のもの、とばかりに透は修二の方を向くと、頷いた。「念のため、薬用意して。すぐに眠れて、すぐに目が覚めるヤツ。」 続く
Oct 11, 2007

Chapter 1-1「小僧、起きな―」ゴミ収集業者の車の操業音が遠くから近づいてくる二丁目の歓楽街、ゴミ袋に埋もれて気を失っている若い男に、5つばかり年かさにみえるもう一人の若い男が声をかけた。あちこちで電線のカラスが呼応しあい、高く上った陽がビルの谷間にやや短目の影をつくっている。座り込んでいる男は20代半ばかそれより若いくらいで、目の横や口許にあざをつくり、髪はくしゃくしゃに乱れていた。シャツのカフスピンは外れ、胸元のボタンもかろうじて二つ三つが留められているだけで、少し離れた路上に、ポケットチーフのはみ出たスーツの上着が放られていた。「おい、立てるか?」うっすらと目を開けたのを認めると、言葉を続けた。「お前、何、やったんだ。」徐々に意識を取り戻し、状況を把握した若い方の男は、自嘲気味にふっと軽くせせら笑うと、差し出された手に掴まった。「オンナのことで揉めて、袋叩きだ。」汚れて皺くちゃにはなっているものの、一見地味そうな黒スーツは、ところどころ光の当たり具合によってラメが輝き、シャツの襟の形は微妙に凝られていた。襟元や袖口にちゃらちゃらとアクセサリーが見え隠れし、きれいに手入れがなされた指にシルバーの指輪を嵌めたその姿は、生業を想像させるには十分だった。「ついでに、オンナのところを追い出された。」なんとか立ち上がった男は、前かがみになって軽くズボンをはたくと、顔だけ男の方に向けながら視線を下から上へ流すようにして、もう一方の男の瞳を捕らえた。一階が店舗になっている雑居ビルの階上の、事務所か住居か判らない様な部屋が、声をかけた男のねぐらだった。若い方の男は、シャワーを借り、傷の手当てを済ませた。柄物のシルク地っぽいバスローブや下着も借りて、こざっぱりした姿になると、部屋の主が声をかけた。「腹、減ってないか?」二人は、階下の喫茶店に注文して持ってこさせた軽食を平らげた。部屋の主は、自分が吸うついでに傍らの男にも煙草を勧めた。自分の煙草に火をつけると、直接、煙草の先同士を近づけた。 「いいか...?」向かい合わせに顔を近づけながら、部屋の主は尋ねた。『やっぱり、そんなことか』代償を求められたことに、若い男は却って安堵した。返事をする代わりに、若い男は二、三度煙草をふかすと灰皿に押し付け、ゆっくりと軽く目を閉じた。唇に唇が触れた。若い男が下になってゆっくりとソファーに横たわると、重なった男の唇が首筋を辿った。腕が上の男の背に回され、その白くしなやかな指がシャツをたくし上げていくと、下から、谷川を流れてくる男に、今まさに手を差しのべ、救おうとしている白衣観音の彫り物が現れた。若い男が目覚めたとき、日はすっかり落ち、エスニックな柄の薄いカーテンを通して、点滅するネオンが部屋のオレンジ色の壁にその青や赤の光を映していた。傍らにもう一人の男はおらず、間仕切りの向こうの二畳ばかりの簡易なキッチンで何かを作っている様子が伺えた。暫くすると、いい匂いをさせて、部屋の主はソファーの前の小さなテーブルに切り落とした生ハムとチーズを何切れか載せた皿と、ソテーしたチョリソが盛られた皿を持ってきた。「イケル口か?」赤ワインを出してくると、若い男の前にグラスを置いて、なみなみと注いだ。「お前、なんていうんだ?」「透。」「俺は修二だ。」「ねえ、しばらくここに居てもいいかな...?」「―ああ。」透は修二に拾われた。 続く
Oct 10, 2007
高杉瑞穂氏のファーストDVD 「Montage」、発売!「Montage」、発売記念イベントの時、高杉氏かポニー・キャニオンの藤田プロデューサーが、「ストーリー作ったの読み隊」なんておっしゃったとかどうとか...。(済みません、伝聞です。事実を大きく歪曲してるかも...。)で、調子に乗って書いてみました。「Montage of Invention」DVDのシーンをお題に出された、順番入れ替えありの「あいうえお作文」みたいな感じです。わたくしなりに、コラージュしたというか切り貼りして補充?「Montage」のDVD、ご覧になってるのを前提に書いてますので、DVDとかぶるシーンはそっけないほど描写不足というか、さらっと流しています(だって、わたくしの場合、どんなに書いても映像にはかなわないし、くどくなるだけ...。)。「あー、あのシーンね」、って、思い浮かべて、脳内補完しながら、お読み下されば幸いです。
Oct 9, 2007
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