2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全3件 (3件中 1-3件目)
1
関東地方に雪が降った。もちろん、そんな呑気なレベルでは済まない地域の方々にとっては、文句ばかり言ってるように見えるかもしれませんが・・・。一昨日から「雪が降るぞ」と脅されていたので、心構えは出来ていた。月曜から今日まで恒例の「寒稽古」で5時半に出て行くちき太郎。その段階では雪は降っていなかった。昨日の予報も「昼頃から雪」とのことだったので、『帰りが大変ねぇ』と思いながら、「いってらっしゃい」と送り出した。土曜は平常授業の後、塾の日なので帰りは23時かと思いきや、今帰ってきた。メールで早期帰宅を促した甲斐があった(^^;)。バタバタと息子を送り出し、このところ何故か5時前に起きているちき子に「今日くらいはコートを着ていけ」と声をかけるが、ブレザーの上に羽織るのはさすがに「暑い」んだそうだ。新陳代謝が盛んなのね~。ふと外を見ると、なんか隣家の屋根が白い・・・。「アッレ~?!」と思ってみると僅か30分の間に雪が降り出したらしく、既に積もりつつある。慌てて、「雪で電車が遅れるかもしれないから早めに出ようか」と声をかけ、滑るかもしれないので製靴のローファーではなく、スニーカーを履くように指示を出す。ちき子の学校は製靴以外に、足が疲れたり天候が悪い時のために白のスニーカーを履いていい事になっている。外反母趾が酷いので、登下校以外の校内では履き替えられるように指定のスニーカーを購入してロッカーに置かせていたのだが、「全然履かないし~」と言うので、二学期終了時に持ち帰って家に転がしてあったのだ。勿体無い事をしたと思っていたけど、うまいこと役立つチャンスが巡って来た。「膝が寒いから今日はひざ掛け、持って行く」と袋に詰め込むちき子を、車に載せて駅へと向かった。幸い電車は動いていたし、いつもより10分以上早いので、遅刻の心配も無い。『今日からセンター試験だなぁ』と思い、日本の入試時期は間違っとるぞと思う。昨日から都内の私立中学の願書受付が始まった。埼玉・千葉などは入試も既に始まっている。私が大学受験で上京した時もやはり東京は雪が降っていた。寒くて手が震え字が書けないので試験官に言うと、笑いながら私の目の前のヒーターを指して「コレ、壊れてるのよ。ごめんなさいね」と返された。内心『受かっても絶対来るもんか。こんな設備の悪い大学!』と思っていたらシッカリ落ちた。(^^;)今でもあのかじかんだ手と震える寒さは忘れない。風邪も流行るし、本当に本人も周りも必要以上に気がかりが増える時期に一生を左右しかねない試験をやる必要もなかろうに・・・。地方から上京する人間達は、それでなくても精神の緊張と体力の消耗が重なるのに。とかなんとか言いながら、今年も熾烈な戦いの火蓋は切って落とされた。今年から入ったセンター試験のリスニング、あちこちで不具合が生じたようだがちき太郎の時には是正されているだろう。ちき子の時にはまた違う方式が採用されるかもしれない。文理の選択最終決定の用紙に判を押し、文系に進むことを決めたちき太郎。数学の呪縛から逃れるべく、私大の入試科目を睨み、「ひょい」と私が口にした大学の中に心惹かれる学科を見つけたちき子。私立中学受験が終わり、ホッとするのも束の間だ。一貫校と公立中学の違いは、「次の受験」が「大学入試」である事。中学に入った途端に周りが「大学受験」の話をするので面食らう方も多いかもしれない。私もちき太郎の時にそうだった。それが今では、行くべき大学の話をし尽くした感すらある。ちき子のように厄介な子を持つと、確かに中学受験は向かないパターンだったかもしれず、それゆえの苦労も多かったように思うし本人も大変だっただろう。けれども現在、大学入試までに多くの時間が与えられた事は、本当に有り難い。いくらでも考え、いくらでも迷い、いくらでも夢を持ち、いくらでも試行錯誤が繰り返せる。限られてはいるけれど「一貫校の6年という時間」を与える事が出来たのは、土曜の学校に早起きさせられて辛いけど(^^;)、『本当に良かった』と思える。慣れない雪をそろそろと踏みしめながら、駅からの帰路そう思った。寒い雪の朝、こんな事を思うのもあと何年かの間だけだろうが・・・・。
2006.01.21
コメント(0)
そもそもこのブログを書き始めたキッカケとなった「中学入試」がそろそろ本格化し始める。ちき子の学校からは案の定、「1週間お休みで~す」というプリントが届いた。まぁ、飛び石のように試験をやるからと言って、試験の無い日に授業をする訳にはいかないから予想はしていたが、長いにゃぁ・・・・。ちき太郎の方は、なにせ当日発表をする学校だから2日間の休みのみ。しかもお利口な坊ちゃん達は入試の手伝いをさせられるので、どちらか1日しか休みなし。もちろん、ちき太郎にはそんなお役目は回ってこないので、思い切り2日間お休み。ドジョウ二匹が平日丸二日、家にいるなんて・・・・(ウザイ)。さて先日、無事に終わった高校の同窓会兼新年会。当日、飛行機に飛び乗ってきてくれた人をはじめ、関東近隣からも多くの旧友達が集まった。その日の夕方、正月ゴルフ三昧から成田に帰国した応援団長もその足で二次会に駆けつけてくれ、盛り上がりは留まる所を知らず・・・。「確か、口をきくのは初めてだよね」と語りかける男子とも、一気にツーカー。司会の男の第一声は「**弁で司会してもいいですかね?」。そこからオシャレな会場は、あっという間に「田舎(ふるさと)」に変身(^^;)とは言え、東京暮らしの長い面々、1分スピーチのマイクの前では共通語っぽく話している。けれども、細かいニュアンスは方言に限る!足早に遡る30年を語るには、共通文化を支える「方言」が一番。爆笑の渦の中、両隣ともしゃべるのに本当に忙しく、おいしいブッフェ料理が半分は余ってしまった。コレといった余興など何も考えて無かったけれども、当然の事ながら時間が足らず、「同窓会総幹事」の話もソコソコに〆の校歌斉唱となった。指揮をさせようと思っていた奴が多忙な為欠席、誰に頼もうかと迷っていると「**ちゃん、合唱部だったよね?!」(もちろん方言のイントネーション)「**ちゃんに頼めば、いいが~」で、瞬く間に代役登場、恙無く会はお開きとなった。二次会に流れたら、そこから予想外の人達までJoinして来て、「私、この人達とこんなに親しかったっけ??」と訝る様な連中と高校時代のあだ名で呼び合う。距離を測らなくてよいというのは真によい関係だと改めて思った。高校時代は、親しげに口をきいて誰かにからかわれては困るとか、勘違いされたら面倒とか、自分のキャラに合わなさそうだからと思い止まったちょっとした仕草や気遣いとか、アレコレ気を回しすぎていたように思うのだが、お互いそういう「壁」が不要になっているのを感じる。今のまま・そのまま、等身大の自分を見せる事に抵抗が無い。そんな同級生と「共通言語:方言」でしゃべる心地よさ。「熱い想いがこみ上げて」と言うような濃厚なものではなく、この、水のようにサラッと浸透してくるモノはなんだろう・・・・。三十年と言う月日は、粋な効果を生むものかもしれない。そんな事を思うと、「男子校」「女子校」に6年間通うドジョウ達、『ちょっと残念だったかもね~』とニヤついてしまった。そんな同級生の周りは、中学ではなく高校&大学入試の話題が主だが、サンプル数が多いので情報には事欠かない。ちき太郎の進学も我が子の事のように考えてくれて、何くれと無くアドバイスをくれた。『親になって、こんな風に高校時代の仲間と話せるって良いもんだぞ。共学にしとけばよかったかもよ』無責任に思う母であり元女子高生(^^;)でありました。
2006.01.14
コメント(0)
明けまして、おめでたく2006年が来てしまったで候。今年は「戌年」なので、我が家の柴わんこを改名し「エト」と呼ぼう!と提案したが、ちき子が「可哀想じゃないか!」と猛反発。しょーがねーなぁーってんで、従来通り、本名?で呼んでおります。2日からちき太郎は塾へ・・・と思いきや、私鉄が事故で止まってしまったとかで早速、遅刻。「大きな教室でマイクを持って授業をしていた、初めての経験だったけど、あれはツマラン」そうで、二日目には「湯島天神」に友人とお参りに行ったらしい・・・・結局、暇つぶしに塾に行ってる訳ね。まぁ、それでも家でグダグダやられるよりはマシと思うのが私。ちゅうわけで、ちき子も昨日の朝から塾通いが始まった。冬期講習と言うの名の「コマ数増やし」だけど、こちらもほっとくと何もしないので、場所を借りるツモリで通わせている。今年受験のご近所さん達は、さすがに厳しい顔つきになって来た。あぁ、そう言えば去年の今頃は、5年間の「塾通わせ」に大概疲れて、現実逃避にネットオークションでアレコレ買い捲っていたなぁと思い出す。(^^;)一年なんてアッと言う間だった。このままどんどん時が過ぎていくんだろうけど、下の子が中学に入ると本当に子育てって楽チンになるなぁと言うのが実感。代わりに自分の時間が戻ってくるのは嬉しい。昨年後半から俄かにヨリ?が戻った高校の同級生達とも今週末、再会する事になっている。イロイロ情報交換などをしていて感じるのだが、やぱり「勉強はしておくべき」。何を今更・・・とも思えるけれども、「勉強をするべき時に勉強をしておくべき」と言う事を実感する。まぁこれも価値観の問題だし、別に学歴だけ云えば、私も皆も同じ「大卒」って奴だが「学校歴」を見るとその差が歴然としている。勉強をした人達が選ぶ学校は勉強する学校だったのだと実感し、今でも勉強する学校であり続けている。これは、大学受験の時もその後の就職の時、結婚の時etc・・・実は余り気にならなかった事だったのだが、人生半ば・・・「どうやって生きてきた」「どうやって生きていく」が多少なりとも見えるようになってきて初めて気づいた事だ。てな事を今頃気づくから、やっぱり私は愚かなんだなぁと思うけど(^^;)。どこで実感したかと言うと早い話、使っている「言葉が違う」。言葉が違うと言う事は文化が違う訳だから、これはもう末恐ろしい差が生じたと言う事だ。「やべぇ!」と思ったのは言うまでもなく、もちろん同級生の皆はこんな言葉は使わない。あららら・・・私、どこで道を違えたのかしら??田舎の公立だったから、同級生達が「~~でございます」などと言ってる訳ではない。極端に言うと「ちょ~ラッキー!!」とVサインする私の横で、「恐悦至極」と頭を垂れる奴がいると言う事である。これだけで、この30年、どんな人生だったか想像も付こうってぇもんだ。由々しき問題なのは、この私の文化圏に我が子がいると言う事で・・・・。「これは大変でございますことよ」と思いを新たにした年の初めでありました。今年もよろしくお願いします♪
2006.01.05
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1