2003
全4件 (4件中 1-4件目)
1
亡くなったゴードン・ハスケルがバンド活動を始めたのは1961年のロバート・フリップらとのレイヴンズでしたが、その系統のザ・リーグ・オブ・ジェントルメンが1965年夏、フリップが学業のために脱退し、メンバー補充のかいもなく秋には解散してしまいました。ハスケルは病院で働いてた母の願いで、正業に就くために警察に就職しますが、3日と持たずに辞めてしまいました。その後、かってジャイルズ兄弟もバックバンドにいた「ダウランズ」にツアーメンバーとして加入しロードに出ていた際、見に来ていた観客から「The Fleur De Lysからベースが抜けてメンバー探してるよ」と聞き、すぐに出向き後釜の座を得ました。1965年の年末のことだったそうです。左からハスケル、ドラムのキース・ガスター、女性二人、オルガンのアレックス・チェンバレン、ギターのフランク・スミス。66年春にはフラーデリーズ(以後FDLと称す)のセカンドシングル「サークル」で、ハスケルはレコードデビューを果たしました。FDLはメンバーチェンジの激しいバンドで、オリジナルのギタリストだったフランク・スミスが脱退するとメンバーが再補充され5人編成となりました。66年初夏、左からハスケル、エレピのピート・シアーズ、Voのクリス・アンドリュース、ギターのフィル・ソウヤー、ドラムスのキース・ガスター。その後、バンドはシアーズの解雇やソウヤーのショットガン・エクスプレスへの移籍、ブリン・ハースの加入、クリスのルパート・ピープルへの移籍とメンバーの入れ替わりが進み、トリオ編成になってしまいました。この頃からアトランティック欧州代表のフランク・フェンターの子飼いバンドとして多くのデモやセッションワークに駆り出されるようになります。またフェンターの元妻シャロン・タンディのバックバンドも行うようになりました。ハスケルや元メンバーたちはこのトリオ時代が一番バンドとしてよかった時期だったと証言していました。当時のフランスのTV映像
Oct 21, 2020
コメント(0)
一部FBやツイッターで報じられ始めてますが、まだ10月に亡くなったという話だけで詳細は不明です。 今年ニューアルバムを出して来年のライブの計画もあっただけに残念です。 公式アカウントからも訃報が伝えられました。 英国の音楽マネジメント関係の方によると16日金曜日にゴードン・ハスケル氏は亡くなられたそうです。(その後15日に亡くなったと修正情報あり)。 2017年にハスケル氏とツアーで共演されたハンナズ・ヤードのハンナ・レイトン・ターナーさんによるとハスケル氏はガンで亡くなられたそうです。
Oct 18, 2020
コメント(0)
グレッグ・レイクがプロデュースしたことでも知られるストレイ・ドッグの貴重なライブ映像。いつ消えるかわからないのでお早めにwこちらはTVスタジオ映像
Oct 18, 2020
コメント(0)
BRUFORD ブルーフォード / ROCK GOES TO COLLEGE: CD/DVD EDITIONが、安価で再発売。 欲を言えば、映像やサウンドに制限のあるDVDではなく、ブルーレイで高品位なリマスターをのぞみたかったですね。
Oct 9, 2020
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1