《櫻井ジャーナル》

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2011.06.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 イタリアで行われた原発建設の再開に関する国民投票で、原発の新設や再稼働を無条件で凍結することが決まった。投票率は57%に達し、そのうち95%が原発に「ノー」と表明したのである。福島第一原発の破滅的な事故以来、原発に反対する声は全世界に広がっていることを再確認させる結果だ。

 勿論、原子力利権に執着する人々は巻き返そうと必死だが、福島第一原発の事故という事実に圧倒されている。日本ではマスコミを使って偽情報、いわゆる「安全デマ」を広めてきた。それなりの効果はあったようだが、インターネットの時代には国外からマスコミを経由せずに情報が飛び込んでくる。国内でも、かつてなら封印されていた意見も人々に届くようになっている。

 原発を維持するべきだとする立場から、「電力不足」という話が盛んに語られているのだが、そうした話がウソだと言うことも暴かれている。空調のために大量のエネルギーを必要とする高層ビルを乱立させてきた政策を批判する必要はあるが、そうしたビルを解体しなくても停電は避けられる。電力が足りないから原発が必要という主張は、飢餓の恐怖を煽って毒饅頭を食べさせようとしているようなものだ。

 火力発電の比率を高めれば石油の使用量が増え、中東への依存度が高まると懸念を表明する人も少なくない。そこでアメリカやイギリスは湾岸の独裁産油国の民主化運動を暴力的に弾圧する手助けをしているのだろうが、民主化されてもビジネスは継続される。

 産油国としても、原油価格を抑えたい事情がある。価格が高騰すれば、石油以外のエネルギー源へのシフトが加速される恐れがあるからだ。コスト的に難しかったエネルギー源でもビジネス的に成り立つようになり、新たなエネルギー源の開発も促進されることは避けられない。だからこそ、1973年当時、サウジアラビアは石油価格の値上げに反対していたのである。

 この値上げは「オイル・ショック」とも呼ばれているが、2001年1月14日付けのオブザーバー紙によると、1973年の石油価格高騰はアメリカの巨大石油企業が望んでいたことだった。当時、ファイサル国王の意向でイランを訪問したサウジアラビアのザキ・ヤマニ石油・鉱物資源相(当時)に対し、イランのパーレビ国王は「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」と語ったという。実は、1973年五月に開かれたビルダーバーグ・グループの会合でアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求、その結果が「オイル・ショック」だったのである。

 リビアの内乱では石油だけでなく、金も注目されている。 3月21日付けのフィナンシャル・タイムズ紙によると 、リビアの中央銀行が保有する金の量は少なくとも143.8トン、現在の相場で換算すると65億ドル以上になるという。しかも、通常の国とは違い、その保管場所はリビア国内のようだ。欧米を信用していなかったということだろう。

 こうしたリビアの資産はアフリカ中南部諸国の自立を支援するために使われていたとも言われている。その一例が1993年に設立されたアフリカの衛星通信機構、RASCOM。それまでアフリカは年間5億ドルの衛星使用料を支払っていたが、アフリカが自前の衛星を手にすれば、最初に4億ドルを支払うだけですむのだという。その結果、国際通話、インターネット接続などのサービスを供給し、各国でラジオ、テレビ、およびマルチメディア環境を提供することができる。



 ベンガジで始まった反政府運動の背後には、イタリアのジャーナリスト、フランコ・ベキスによると、リビアの元政府高官とフランスの情報機関が存在するという。その高官とは儀典局長を務めていたノウリ・マスマリ。昨年10月、機密文書を携え、チュニジアを経由して家族と一緒にパリへ降り立ったのである。

 マスマリは治療を受けるという名目で出国、パリではコンコルド・ラファイエット・ホテルに宿泊している。ところがパリでは医者に会わず、フランスの情報機関員やニコラ・サルコジ大統領の側近たちと会談している。

 11月にフランスは「通商代表団」をベンガジに派遣、当然のことながら、その中には情報機関や軍のスタッフが含まれていた。現地では、マスマリから紹介されたリビア軍の将校と会っている。こうした動きをリビア政府も察知したようで、会談の直後にマスマリに対する逮捕令状が出ている。この月にはフランスとイギリスが相互防衛条約を結び、リビアへの軍事介入へ第一歩を踏み出している。

 こうした動きをリビア政府も察知、11月にはマスマリを国際手配、その一方でムサ・コウッサ外相がマスマリ出国の責任を問われることになる。マスマリは滞在していたコンコルド・ラファイエット・ホテルで「軟禁」状態になったとリビア政府には伝えられたようだが、実際は逮捕されていない。逆に、このホテルに入ろうとしたリビア政府の特使は拘束されている。この月、フランスとイギリスは相互防衛条約を結び、リビアへの軍事介入へ第一歩を踏み出している。

 1956年にフランスとイギリスはスエズ運河の利権を確保するため、イスラエルと手を組んでシナイ半島に軍事侵攻(第2次中東戦争)しているが、今回のケースはこの出来事を思い起こさせる。この戦争はアメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領がソ連のニコライ・ブルガーニン首相と協力、停戦と侵略軍の即時全面撤退を通告しているのだが、今回はアメリカも巻き込まれているため、収拾は困難だ。

 石油の供給に不安があるという具体例としてリビアを挙げる人がいるようだが、リビアを不安定化させたのはフランス、イギリス、そしてネオコンを中心とするアメリカなのである。





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最終更新日  2011.06.14 17:27:55


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