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アメリカのピート・ヘグゼス国防長官は3月29日に硫黄島を訪問、石破茂首相や中谷元防衛相と共に日米合同慰霊式典に出席した。バラク・オバマ政権がはじめ、ジョー・バイデン政権が引き継いだウクライナを舞台としたロシアとの戦闘に敗れたアメリカは中東や東アジアに軸を移動させ、東アジアでは中国との戦争を想定した準備を進めてきた。今回の式典で石破首相は両国が「信頼できる同盟国」になったことを強調している。30日にヘグゼス長官は石破首相や中谷大臣と東京で会談、日本におけるアメリカ軍司令部を強化する計画の実施を開始すると述べた。 1991年12月にソ連が消滅したことを受け、アメリカの外交や安全保障の分野をコントロールしてきたネオコン(シオニストの一派)は92年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクトを作成した。 当時の国防長官はリチャード・チェイニー、執筆の中心人物はポール・ウォルフォウィッツ国防次官だが、このドクトリンの基盤を考えたのは国防総省内部のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルだとされている。チェイニー、ウォルフォウィッツ、マーシャル、いずれもネオコンだ。 このプロジェクトの目的は新たなライバルの出現を防ぐことにあり、その対象には旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアも含まれ、ドイツと日本の場合、アメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れて「民主的な平和地域」を創設するともされている。 つまり、アメリカは日本を自国の戦争マシーンに組み込むと宣言したのだが、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して対抗。細川政権が倒れた後、1994年6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗する。 そうした状況をネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。 こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。 1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのはこの1995年だと言えるだろう。 日本は約5万人のアメリカ軍の将兵、そして戦闘機中隊や前方展開空母打撃群を受け入れ、原子力空母ロナルド・レーガンは横須賀海軍基地を母港としているが、21世紀に入ってからアメリカは日本列島にミサイル発射基地を建設してきた。 アメリカの軍事戦略に基づき、2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設したのに続き、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させたが、これは中国や朝鮮を攻撃する準備にほかならない。今後、南西諸島の周辺へアメリカ軍とその装備を移動させる可能性がある。 共同通信は3月16日、日本政府が九州に陸上配備型長距離ミサイルの配備を検討していると報じた。緊急事態の際に敵の標的を攻撃する「反撃能力」を獲得する取り組みの一環だという。そのミサイルとは、射程距離が約1000kmの12式地対艦誘導弾能力向上型で、配備は2026年3月に始まるとされている。 アメリカの軍事戦略を国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。 アメリカはヨーロッパでロシアとの国境近くにミサイルを配備してきたが、ウクライナ制圧にもそうした側面がある。いつでもミサイルで相手を破壊できる態勢を整えてきたのだ。こうした日本の軍事力強化を「専守防衛」の範囲で行なっていると言うことはできない。 また、2017年11月にアメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更。さらにJAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なるものが作られ、アメリカの軍事顧問団は金門諸島と澎湖諸島に駐留して台湾の特殊部隊を訓練している。中国を封じ込めるためにアメリカが計画している「アジアへの回帰」の中心にフィリピンはなりつつある。 2020年6月になるとNATO(北大西洋条約機構)事務総長だったイェンス・ストルテンベルグはオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言し、2021年9月にはアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国が太平洋でAUKUSなる軍事同盟を創設したとする発表があった。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ネオコンがネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナを制圧しようとしたのは、ロシアを攻撃する軍事的な拠点を築くことだけでなく、ロシアとヨーロッパを分断しようとしたのである。両者を結びつけていたのはロシア産の天然ガスで、それを運ぶパイプラインの多くがウクライナを通過していたのだ。そこをコントロールできれば、ロシアからマーケットを奪い、ヨーロッパから安い天然ガスの供給源を断つことができると計算したと見られている。 しかし、ヨーロッパは安いエネルギー資源を断たれて経済が崩壊したものの、ロシアは中国との関係を強化して対応。西側はロシアに経済戦争も仕掛けたが、それがロシアの国内産業を発展させることになり、逆効果になった。 それでも西側は経済戦争を継続、日本はロシアを最恵国待遇貿易制度から除外するなどしている。ヨーロッパと同じように日本は安価な資源と有望な販売市場へのアクセスを失う。自滅行為だ。 それを正当化するため、大政翼賛会的な人びとは「ロシアは苦しいのだ」、「もう少し我慢すればロシアは潰れる」などと宣伝しているが、生産力も戦闘能力もロシアが西側諸国を圧倒している。そうしたプロパガンダと現実との乖離は広がり続け、すでに「欲しがりません勝つまでは」の時代に入っているとも言える。このプロパガンダも6月には限界に達すると見られている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.31
イスラエルはガザに対する軍事攻撃を再び激化させているが、それだけでなく、国境を封鎖してガザへの人道支援、食料、物資の流入をすべて停止している。兵糧攻めでガザは飢餓状態に陥りつつある。イスラエル軍はパレスチナだけでなくシリアやレバノンも攻撃、その上住民を救助するために活動している救急車をイスラエル軍は銃撃。ガザ南部では3月22日には民間防衛隊の救急隊員と救助隊員15名が消息不明になった。 パレスチナ赤新月社によると、彼らはイスラエル軍によって「処刑」された可能性が高い。3月28日にパレスチナ赤新月社は砂に埋まった破壊された4台の救急車を発見したという。救援活動を行っている人びとは、ジャーナリストと同じようにイスラエル軍のターゲットになっている。 3月27日にはワールド・セントラル・キッチン(WCK)のメンバーひとりも殺害されているが、イスラエル軍は昨年4月2日、ガザで支援活動に従事していたWCKのメンバー7名を乗せた自動車の車列をドローンで攻撃、全員を殺害している。 SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)によると、イスラエルの武器輸入の69%はアメリカが占め、その次がドイツで30%。イギリスはイスラエルへ物資を空輸しているほか、偵察機をパレスチナ上空に飛ばし、2021年にはイスラエルと軍事協力協定を締結している。 イスラエル軍によるガザでの破壊や殺戮をイスラム諸国は批判しているが、口先だけの国が少なくない。中には裏でイスラエルに協力している国もあるようだが、そうした中、イエメンのアンサール・アッラー(フーシ派)は紅海、アラビア海、バブ・アル・マンデブ海峡、アデン湾においてイスラエル船を対象とした海上封鎖を再開。そのイエメンの住宅街やインフラをアメリカ軍やイギリス軍は連日空爆している。 イエメンを空爆しているアメリカ軍機は空母ハリー・トルーマンから出撃しているが、イギリス空軍のボイジャー空中給油タンカーがキプロスのアクロティリ空軍基地から紅海北部へ飛行し、そのハリー・S・トルーマンを支援している。イギリス軍はキプロスを中東に対する軍事作戦の拠点として使っている。 イスラエルは核兵器を保有、第4次中東戦争の際には戦況が良くないということもあり、ゴルダ・メイア首相の執務室では核兵器の使用について議論があった。その際、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。 核兵器の開発をめぐり、イスラエル政府はアメリカのジョン・F・ケネディ大統領と対立していたが、そのケネディは暗殺され、核兵器の製造は続いた。 1986年10月5日付けのサンデー・タイムズ紙に掲載されたモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、イスラエルが保有する核弾頭の数は生産のペースから推計して150から200発。水爆の製造に必要なリチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。また、ジミー・カーター元米大統領はイスラエルの保有する核弾頭の数は150発以上だと語っている。SIPRIは90発から300発の核弾頭を保有していると推定、400発という推計もある。 中性子爆弾を保有しているとするならば、イスラエルはすでに使用した可能性がある。イスラエル軍は2006年にレバノン南部を攻撃、その時にアメリカが供給したバンカー・バスター爆弾を使用したとされているのだが、核兵器が使われた疑いもある。同教授はファルージャでも同じものを発見している。 ヒズボラとイスラエル軍が激しい戦闘を繰り広げたキアムとアトティリに残されたクレーターの中を調査したクリス・バスビー博士は濃縮ウランを発見したという。新タイプの核分裂装置/兵器、あるいは濃縮ウランを使用したバンカー・バスター爆弾をイスラエルは使ったのではないかと言われた。 バスビーはイギリスの科学者で、イギリス政府後援のCERRIE(体内放射体からの放射線リスク検討委員会)やイギリス国防省のDUOB(劣化ウラン監視委員会)のメンバーだったこともある。 イスラエルは潜水艦にも核ミサイルを搭載していると言われているのだが、昨年、イギリス政府が発表したデータによると、イスラエルに710万ポンド相当の「潜水艦向け技術」を販売するライセンスが記載されていた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.30
ウラジミル・プーチン露大統領は3月27日、潜水艦アルハンゲリスクのデッキで演説、その中で彼は問題を平和的な手段で解決することに賛成だが、根本的な原因は排除されなければならないと語った。ウクライナにNATOが存在することを許さないだけでなく、同国を非軍事化、非ナチ化した上で中立の立場の維持、そして領土の「現実」を認めることを要求している。 西側では大統領扱いされているウォロディミル・ゼレンスキーの任期は昨年5月に切れ、新大統領を決める選挙が行われていない。そこでロシア大統領はウォロディミル・ゼレンスキーをウクライナ大統領だとすることはできないとしている。そして「大統領自身が正当でなければほかの全員も正当ではない。」というわけだ。 プーチン大統領は国連主導の暫定政権方式の採用を提案、さらに民主的な選挙を実施し、国民に信頼され、世界的に認められる機能的で正当な政府を設立することを求めた。自由な選挙が実施され、有能で国民に信頼される政府が成立すれば、平和条約について国民と交渉を開始し、世界中で認められ、信頼でき安定した合法的な文書に署名することができるとしている。 1991年12月にソ連は消滅し、解体されてしまう。西側では冷戦に勝ったと考える人が少なくなかった。アメリカの好戦派はソ連が消滅して以来、NATOを東へ拡大させ、ロシアへ迫ってきた。1999年3月にはユーゴスラビアを先制攻撃で破壊している。 ウクライナはユーゴスラビアよりも複雑な理由がある。故ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も2014年3月5日付けワシントンポスト紙でネオコンのクーデターによるウクライナ制圧の問題を指摘している このクーデターによってネオ・ナチはクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を2014年2月22日に倒したが、ヤヌコビッチを支持する東部や南部の住民は反発、内戦に突入した。https://www.washingtonpost.com/opinions/henry-kissinger-to-settle-the-ukraine-crisis-start-at-the-end/2014/03/05/46dad868-a496-11e3-8466-d34c451760b9_story.html 内戦勃発の直後は反クーデター軍が優勢だった。軍や治安機関の約7割がクーデター後に離脱、クーデターを仕掛けた西側の勢力は配下のクーデター派の戦力を増強しなければならない。そのためには時間が必要だ。そこで2014年の「ミンスク合意1」と15年の「ミンスク合意2」につながる。 この合意について当時のドイツ首相、アンゲラ・メルケルはキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと後に証言、フランソワ・オランド元仏大統領もその発言を肯定している。https://www.zeit.de/zustimmung?url=https%3A%2F%2Fwww.zeit.de%2F2022%2F51%2Fangela-merkel-russland-fluechtlingskrise-bundeskanzlerhttps://kyivindependent.com/national/hollande-there-will-only-be-a-way-out-of-the-conflict-when-russia-fails-on-the-ground 戦いはクーデターの前、2004年11月から05年1月にかけての「オレンジ革命」から始まったとも言える。当時のアメリカ大統領ははジョージ・W・ブッシュ。その政権は「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチを排除して新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたのだが、その政権は貧富の差を拡大させ、国民の怒りを買う。そこで2010年の選挙ではヤヌコビッチが勝利、オバマ政権はクーデターを実行してヤヌコビッチを排除しなければならなくなった。 8年かけて西側諸国はキエフのクーデター軍を増強、本格的な攻撃を始めつつあった2022年2月、ロシア軍がウクライナ軍への攻撃を開始した。そこですぐに停戦交渉が始まる。 この段階でロシア軍の勝利は確定的。そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉が始まり、双方とも妥協して停戦の見通しが立った。ベネットは3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にウクライナの治安機関であるSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺した。クーデター後、SBUはCIAの下部機関として機能している。https://kyivindependent.com/uncategorized/media-sbu-kills-member-of-ukrainian-negotiations-team-suspected-of-treason/ 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。https://rumble.com/v2uwhgw-putin-shows-treaty-on-ukraines-neutrality-signed-by-kiev-but-dumped-under-w.html ロシアとウクライナだけなら、ここで戦闘は終わっているのだが、言うまでもなく、終わらなかった。こうした停戦交渉を潰すため、2022年4月9日にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令している。ホワイトハウスの指示だと見られている。同年4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓った。それ以降、西側はウクライナに対し、ロシアを疲弊させるため、戦い続けるように要求している。 ソ連が消滅する前の1991年3月、全国でソ連維持に関する国民投票が実施され、ウクライナでは71%がソ連残留に賛成した。1991年12月にボリス・エリツィンはベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連の解体を決めた。 ソ連の消滅だが、その年の1月20日にクリミアでは住民投票が実施され、1945年に廃止された「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」の地位回復とソ連への残留に93.26%の住民が賛成している。以前からクリミアの人びとはロシアとの一体化を望んでいたのだが、ウクライナ議会がソ連からの独立を宣言したのは1991年8月のことだ。 それに対し、クリミアは1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言したが、西側によって潰された。自分たちにとって都合の悪い民意を認めないのが西側流の「民主主義」だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.29
次回の「櫻井ジャーナルトーク」は4月18日午後7時から駒込の「東京琉球館」で開催します。予定しているテーマは「限界に達した欧米の寡頭政治体制」です。予約受付は4月1日午前9時からですので、興味のある方は東京琉球館までEメールで連絡してください。東京琉球館https://dotouch.cocolog-nifty.com住所:東京都豊島区駒込2-17-8Eメール:makato@luna.zaq.jp EUは制度的に民衆の意思が反映されないようになっています。EUを動かす政府的な役割を果たしている欧州委員会の場合、構成する委員は出身国の利益ではなく、EU全体の「一般的な利益」を代表することが求められているのですが、それは民衆の利益を考慮せず、エリートが決める「一般的な利益」を図れということでしょう。アメリカと同じように、EUという制度は事実上、民主主義を否定する寡頭政治体制なのです。 EUの前身はEC(欧州共同体)ですが、このECについて堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いています。 そうした貴族を軸とする欧米の支配システムは第2次世界大戦後、ヨーロッパを統合、支配するためにACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を設立しました。その下にはビルダーバーグ・グループなども存在していると言われています。(Richard J. Aldrich, “OSS, CIA and European Unity,” Diplomacy & Statecraft, 1 March 1997)EUを取り仕切る首脳は大半がそうした支配ネットワークが選出しているのです。 EUのエリートはアメリカの外交や安全保障をコントロールしてきたネオコンと手を組み、ロシアとの戦争を繰り広げています。1991年12月にソ連は解体され、ソ連の中心だったロシアは西側の巨大資本に制圧されました。巨大資本を所有する西側のエリートは制圧したロシアの富を略奪、ロシアの民衆は貧困化し、反欧米感情が高まりました。そうした怒りの中から登場してきたのがウラジミル・プーチンです。 そのプーチンはロシアを再独立させることに成功しましたが、ロシアで甘い汁を吸っていた西側の富豪やその手先のロシア人にとっては怪しからない人物だということになります。そのプーチン体制を倒すため、ネオコンはさまざまなことをしてきましたが、ウクライナの制圧で一線を超えてしまいました。 ウクライナは均一の国ではありません。クリミアやオデッサのような南部やドンバスを含む東部などはソ連時代にロシアからウクライナへ政治的な思惑から割譲されたのです。もっとも新しく割譲されたのはクリミアで、1954年のことでした。ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えたのです。 当然のことながら、東/南部と西部では文化や宗教の面で大きく異なります。宗教は東/南部がロシア正教徒であるのに対し、西部は主にカトリック教徒。東/南部では主にロシア語が話され、西部ではウクライナ語が主に話されています。 微妙なバランスで成り立っていたウクライナをネオコンは全てを支配するため、2004年11月から05年1月にかけて「オレンジ革命」を仕掛け、ビクトル・ヤヌコビッチを排除しました。「革命」とされていますが、ネオコンが行ったクーデターにほかなりません。 イギリスのエコノミスト誌は2007年3月17日号で2057年の世界情勢についての記事を掲載したのですが、そこに書かれていたシナリオでは2011から20年代半ばにEUの当局者が「バラク・オバマ大統領」を説得、ウクライナ危機をめぐってロシアに大規模な核攻撃をちらつかせ、EUは世界帝国の主導的な機関になるとされています。その幻想から欧米の一部支配層は抜け出せないでいるようです。 エコノミスト誌はイギリスの金融資本と緊密な関係にあると言われていますので、この記事は金融資本の計画を反映していると言えるでしょう。ちなみに、その号が発行された時点のアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュ。オバマが勝利した大統領選挙は2008年です。 いわゆる「オレンジ革命」で大統領になったビクトル・ユシチェンコは新自由主義者で、貧富の差を拡大させて国民の反発を買い、2010年の大統領選挙ではヤヌコビッチが当選、ネオコンはネオ・ナチを利用したクーデターを行います。 そのクーデターは2013年11月に始まり、2014年に入るとネオ・ナチのグループが前面に現れ、2月に入るとネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ始め、さらにトラクターやトラックを持ち出します。2月中旬になると広場で無差別の狙撃を始め、ヤヌコビッチ政権を倒しましたが、東部や南部では反クーデターの住民が大多数で、軍や治安機関でも約7割が離脱したと言われています。だからこそ、EUは「ミンスク合意」でロシア政府を騙し、時間稼ぎしたわけです。 西側諸国は8年かけてクーデター体制の戦力を増強、2022年に入ると反クーデター派の住民に対する砲撃を激しくしはじめましたが、その直後にロシア軍がウクライナの軍事基地や生物兵器の研究開発施設を攻撃し、一気にウクライナ軍は劣勢になります。 ロシアが軍事力も経済力も自分たちより劣ると思い込んでいる西側諸国は簡単に勝てると思っていたようですが、シナリオ通りにはなりませんでした。戦闘が始まってからロシアは生産力が向上、戦力も増強されています。被害をできるだけ少なくするため、ロシア軍は慎重に攻めているのですが、ウクライナ軍は欧米諸国から無謀な作戦を強いられ、悲惨な状態になっています。 西側の寡頭政治体制をコントロールしているエリートはそうした惨状を隠し、有力メディアを使って自分たちの責任を回避しようとしていますが、民衆は事実を知り始めています。EUという寡頭政治体制は限界に達したと言えるでしょう。そうした状況について考えたいと思っています。櫻井 春彦
2025.03.28

厚生労働省は3月26日、1月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は17万8412人。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動が始まる前年の2019年の同じ月に比べて3万7120名増えている。増え方がこれまでに比べて大きく、中長期の副作用が顕在化している可能性がある。 本ブログでも繰り返し書いてきたように、COVID-19騒動はアメリカ国防総省のプロジェクトであり、CIAも関係している。2014年にネオコンがネオ・ナチを利用してウクライナを制圧した後、そのウクライナで国防総省は生物兵器の研究開発を進めていた。アンソニー・ファウチが所長を務めていたNIAID(国立アレルギー感染症研究所)はDARPA(国防高等研究計画局)と連携してきた。 また、COVID-19プロジェクトの中心的な存在はアメリカのモンタナにあるロッキー・マウンテン研究所だとも言われ、人工的に作られたコロナウイルスが中国の武漢へ持ち込まれた可能性が高い。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.27

現在、ウクライナには大統領が存在しない。昨年5月にウォロディミル・ゼレンスキーの任期は切れ、新大統領を決める選挙が行われていないからだ。そのゼレンスキーは3月25日、エネルギー施設への攻撃を相互に停止し、黒海での戦闘を停止するというアメリカ政府とロシア政府の合意案を順守する用意があると表明した。 しかし、その日にウクライナのドローンがクルスク地域の電力施設を攻撃、26日にはクリミア半島沿岸のタルハンクート岬付近でウクライナの攻撃用ドローン2機が防空システムによって撃墜されたと伝えられている。その標的はグレボフスコエの地下ガス貯蔵施設だったようだ。ゼレンスキーは信頼に足る人物ではない。 攻撃の一時停止はドナルド・トランプ米大統領が電話会談でウラジミル・プーチン露大統領に提案したもので、ロシア側が同意して同国軍はウクライナのエネルギー施設への攻撃を中止している。これはプーチン大統領のトランプ大統領に対するプレゼントだった。その合意をゼレンスキー、あるいはその後ろ盾は壊そうとしている。 アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターによると、ウォロドミル・ゼレンスキーは2020年10月にイギリスを公式訪問した際、イギリスの対外情報機関MI6(SIS)のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問、会談している。その訪問はジャーナリストに察知され、撮影された。会談後、ゼレンスキーの警護担当者はウクライナ人からイギリス人へ交代になったという。こうした事実から、ゼレンスキーはMI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーア長官だと推測されている。ゼレンスキー政権はMI6政権だということもできる。MI6は歴史的にシティ(ロンドンを拠点とする金融資本)と関係が深い。 イギリスには反ロシアの伝統がある。その象徴的な存在がヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)だ。戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。 彼はロシアをイギリスにとって最大のライバルとみなし、「ウクライナ人はわれわれが反ロシア蜂起のストーブに投げ込む薪だ」と語り、ポーランドをロシアとドイツの間の障壁として復活させる計画を立てていた。 また彼は中国におけるイギリスの権益を守るためにチャールズ・エリオットを1836年に広東へ派遣、東インド艦隊の軍事行動の規制を緩めて清(中国)への軍事的な圧力を強化、1840年にはアヘン戦争を始めた。彼の政策はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、アルフレッド・ミルナー、ウィンストン・チャーチルらが引き継いだ。 その前、エリザベス1世の時代(1533年から1603年)にイギリスでは「ブリティッシュ・イスラエル主義」なる信仰が出現、シオニズムを産み出している。その信仰のベースには、アングロ・サクソンが「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だという妄想がある。 イギリスのエリート以外でも、アメリカにはビクトリア・ヌランドをはじめとするネオコンが反ロシアとして存在、ヨーロッパには欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長(ドイツ人)、EU外務安全保障政策上級代表のカヤ・カラス(エストニア人)、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相、NATOのマルク・ルッテ事務総長(オランダ人)なども反ロシア好戦派だ。 こうした反ロシア派の手先としてロシアと戦ってきたウクライナなのだが、すでに兵士も武器も枯渇、降伏するか全滅するかという状況である。西側の好戦派はウクライナ人に対して「総玉砕」を要求しているのだが、ロシア政府はウクライナに対し、ドネツク、ルガンスク、ザポリージャ、ヘルソンからの完全撤退、ロシア憲法に定められた領土の承認、ウクライナを中立の非核国にすること、ロシア語話者の権利、自由、利益の保証、ロシアに対するすべての制裁の解除を要求している。 それに対し、クーデター時にネオ・ナチが住民を虐殺したオデッサを制圧しなけらばならないと主張する人もいる。2014年2月22日にネオ・ナチはクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、キエフの惨状を知ったクリミアの住民は3月16日にロシアへの加盟の是非を問う住民投票を実施、95%以上が賛成(投票率は80%以上)した。 ドネツクとルガンスクでも5月11日に住民投票が実施された。ドネツクは自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、ドネツクでは89%が自治に賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が独立に賛成(投票率75%)している。この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、プーチン政権は動かない。 それに対し、バラク・オバマ政権は動いた。ジョン・ブレナンCIA長官が4月12日にキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。バイデンの訪問に会わせるようにしてキエフのクーデター政権は黒海に面した港湾都市オデッサでの工作を話し合っている。そして5月2日、オデッサでクーデターに反対していた住民が虐殺されたのだ。 虐殺は5月2日午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導されている。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいる。 その後、外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になる様子は撮影され、インターネット上に流れた。建物へ向かって銃撃する人物も撮られているが、その中にはパルビーから防弾チョッキを受け取った人物も含まれている。 建物の中は火の海になる。焼き殺された人は少なくないが、地下室で殴り殺されたり射殺された人もいた。その際、屋上へ出るためのドアはロックされていたとする情報もある。会館の中で48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられたが、現地の人の話では多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名に達するという。虐殺の詳しい調査をキエフのクーデター政権が拒否しているので、事件の詳細は今でも明確でない。ネオ・ナチ体制がオデッサでの虐殺を調査するはずはなく、犯罪者を処罰するためにもオデッサの制圧は必要だというわけだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.27

統合幕僚長を2012年から14年まで務め、退役してから16年まで防衛大臣政策参与だった岩崎茂を台湾の行政院が政務顧問に任命したと伝えられている。岩崎は退役後も影響力のある人物で、昨年5月に頼清徳が総督に就任した際には式典に代表団のひとりとして出席していた。台湾と日本の軍事的なつながりを強めるだけでなく、アメリカ軍のメッセンジャーとしての役割も果たすのだろう。 アメリカは台湾に対する軍事的な関与を強めている。例えば、同国の軍事顧問団は金門諸島と澎湖諸島に駐留して台湾の特殊部隊を訓練している。今年2月には台湾の独立を支持しないという声明をアメリカの国務省がウェブサイトから削除して中国を刺激したことも記憶に新しい。 台湾は中国を侵略するための重要な軍事的拠点である。中国を軍事侵略していた日本軍は空爆するための「空母」として台湾を利用、ダグラス・マッカーサーは第2次世界大戦や朝鮮戦争の際、台湾を「不沈空母」と呼んでいた。 本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するというアメリカ軍の計画を国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。日本では自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させているが、これはアメリカ軍の計画に基づいているはずだ。 昨年9月25日に海上自衛隊の駆逐艦「さざなみ」がオーストラリアやニュージーランドの軍艦と共に台湾海峡を通過したが、今年2月上旬には駆逐艦「あきづき」が単独で台湾海峡を通過した。中国を威嚇したわけだが、これはアメリカ軍の指示だろう。あきづきは南シナ海でオーストラリア、フィリピンの軍艦と合同で演習を行っている。 また、共同通信は今年3月16日、日本政府が九州に陸上配備型長距離ミサイルの配備を検討していると報じた。緊急事態の際に敵の標的を攻撃する「反撃能力」を獲得する取り組みの一環だという。そのミサイルとは、射程距離が約1000kmの12式地対艦誘導弾能力向上型で、配備は2026年3月に始まるとされている。この配備もアメリカ軍の中国包囲計画に基づく。 日本以外でも、2017年4月に韓国へTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムを強引に持ち込み、昨年4月には射程1600キロのトマホーク巡航ミサイルとSM-6ミサイルを発射できるタイフォン発射装置をフィリピンに配備した。 アメリカに従属する政策を推進していたベニグノ・アキノ3世の後、フィリピンでは自立路線を歩んでいたロドリゴ・ドゥテルテの排除にアメリカは成功、アキノ家と対立していたように見えたボンボン・マルコスは対米従属路線へ舵を切ったと言える。 ところで、旧日本軍の参謀たちは朝鮮戦争に参加したほか、台湾に顧問団として派遣された過去がある。第2次世界大戦後、蒋介石が率いる国民党は大陸から台湾へ逃げ込み、反撃のチャンスを狙ったが、その準備の一環として1949年から岡村寧次大将など旧日本軍の幹部に接近している。岡村は上海で戦犯として裁判にかけられたものの、1949年1月に無罪の判決を受けて帰国、GHQ/SCAPの保護下に入っていた。中国共産党は岡村大将を引き渡すように要求したが、拒否されている。 1949年4月に蒋介石は岡村の下へ曹士徴を密使として派遣。曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して「台湾義勇軍」を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになる。その義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれた。 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡っている。 この白団へ軍事情報を渡していたのは「富士倶楽部」、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たちだ。白団が解散したのは1969年のことで、その間、台湾に大きな影響力を及ぼし続けた。 こうした士官学校出身の軍人と同じ役割を岩崎元統合幕僚長が果たせるのかどうか不明だが、日本と台湾との軍事的なつながりが強まりつつあるとは言える。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.26
4月13日から大阪の夢洲で「2025年 日本国際博覧会」が開催されるのだが、さまざまな問題が指摘されてきた。 夢洲は産業廃棄物処理場として利用されていた埋立地のために地盤が軟弱。そうした場所であることからメタンガスが発生しやすく、引火事故が懸念されていた。実際、昨年3月には建設現場で爆発火災があった。 そうした場所だということもあり、工事が大幅に遅れて開幕日に完成しない建築物もあるようだ。大阪万博では「健康管理」という名目で個人の生体情報を集めるということも行われると建築家の山本理顕は指摘している。 万博終了後に夢洲ではカジノを含むIR(特定複合観光施設)施設を建設する計画なのだが、その計画に資金を投入する口実として万博を開催するのではないかとも言われていた。 日本におけるカジノ建設で需要な役割を果たしたのはユダヤ系の富豪であるシェルドン・アデルソン。2021年1月11日に死亡、遺体は14日にイスラエルへ運ばれ、埋葬された。 生前、彼はアメリカのラスベガス(ネバダ州)、ベスレヘム(ペンシルベニア州)、さらにマカオ(中国)、マリナ湾(シンガポール)でカジノを経営する一方、アメリカの現大統領であるドナルド・トランプのスポンサーであり、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と親しくしていた。2013年10月に彼はイランを核攻撃で脅すべきだと語っている。 核攻撃発言から間もない2013年11月にアデルソンは来日、自民党幹事長代行だった細田博之と会った際、東京の台場エリアで複合リゾート施設、つまりカジノを作るという構想を模型やスライドを使って説明している。日本では2010年4月に「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」が発足していたが、このグループが動き、カジノ解禁を含めたIRを整備するための法案が国会に提出された。 アデルソンはカジノ計画を2020年の東京オリンピックに間に合わせて実現するつもりで、14年2月に日本へ100億ドルを投資したいと語ったという。 アデルソンは単にカジノを経営したかっただけではないという見方もある。ラスベガス、マカオ、モナコといったカジノのある場所はタックスヘイブン(租税回避地)と関係があり、地下経済と地上経済を資金が移動する役割も果たしている。出所のわからない多額の資金が動くカジノはマネーロンダリングの拠点として好ましい環境にある。 アデルソンの要望に対する日本側の動きが鈍かったため、2014年5月に来日したネタニヤフ首相は日本政府の高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が2015年2月5日付け紙面で伝えた。(この記事をハーレツ紙はすぐに削除している。) スイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどがタックス・ヘイブンとして昔から知られているが、1970年代に金融緩和が進み始めると状況が変わる。ロンドンの金融街(シティ)を中心とするネットワークが整備されていくのだ。カネの流れは変わった。 そのネットワークはかつての大英帝国をつなぐもので、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれている。 しかし、21世紀に入ると状況はさらに変化。アメリカが最大のオフショア市場/タックスヘイブンになった。ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーが2015年9月、サンフランシスコ湾を望むある法律事務所で税金を避ける手段について講演した際、税金を払いたくないなら財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけである。ペニーはアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ銀行口座を移動させるべきだと主張、ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。 人間の生体情報を集め、監視するというアイデアの背景には2015年9月に国連で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」で示された「SDGs(持続可能な開発目標)」がある。この行動計画を実現するため、デジタルIDの導入が進められることになったのだ。日本政府が推進してきた住民基本台帳ネットワークやマイナンバーカードもその一種だ。マイナンバーカードを健康保険証や運転免許証と一体化させるのもそうし戦略に沿ってのことだろう。生体情報を集中管理できれば、臓器移植にも利用されるはずだ。 デジタルIDはチップ化され、それを体内にインプラントする計画がある。例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組に出演し、そこでマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。チップを服に取り付けるところから始め、次に皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合、人間を端末化しようと考えている。その一方、人口の削減を見据え、AIロボットの開発を進めている。 1970年代から電子技術は急速に進歩、それに合わせて情報機関は電子的な監視技術を発展させてきた。アメリカの場合、技術の研究開発で中心的な役割を果たしてきたのは国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)プロジェクトでも重要な役割を果たしている。 拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』でも書いたことだが、DARPAで開発されていたTIA(総合情報認識)では個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人データが収集、分析されていた。 2001年9月にはMATRIXと名づけられた監視システムの存在が報じられた。これはフロリダ州を拠点とするシーズント社が開発したもので、スーパー・コンピュータを使い、膨大な量のデータを分析して「潜在的テロリスト」を見つけ出すことを目的にしていた。 どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、個人の性格や思想を洗い出そうとしたのだ。図書館や書籍購入の電子化、スマートテレビの普及などと無縁ではない。 勿論、インターネット上でのアクセス状況も監視されている。街中に張り巡らされた監視カメラもこうした種類のシステムに繋げられる。顔認証で追跡することも可能だ。 アメリカの国防総省にはCIFA(対諜報分野活動)というデータ収集活動があった。TALON(脅威地域監視通告)というデータベースに情報を記録、このデータを分析することで情報活動をモニターし、将来の脅威を見通すのだという。TALONは2007年9月に中止されたとされているが、事実かどうかは不明である。(William D. Hartung, “Prophets Of War”, Nation Books, 2011) アメリカの電子情報機関はNSAだが、CIAにも電子情報活動を行う部門がある。NSAの姉妹組織としてイギリスのGCHQがあり、このNSAとGCHQを中心としてアングロ・サクソン系5カ国はUKUSAを組織している。そのUKUSAとイスラエルの電子情報機関8200部隊は緊密な関係にある。 この8200部隊は「民間企業」を設立し、情報活動に利用してきた。いわば「企業舎弟」だ。そうした企業のひとつであるサイバーリーズンは8200部隊の「元隊員」3名によって2012年に設立された。重要なインフラへのサイバー攻撃からの防御を謳っているが、攻撃側ではないかという疑惑があるのだ。 問題が山積みの大阪万博で、負の遺産を残す可能性が高いと言われているのだが、責任の所在が明確でない。失敗を見越してそうした仕組みにしたのかもしれないが、ここにきて石破茂首相は万博の成功は政府の責任だと言い始めた。国民に尻拭いさせるつもりだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.25

イギリスのキール・スターマー首相はウクライナへ「平和維持」を名目として自国の地上軍だけでなく空軍や海軍も派遣する意向を示しているのだが、ウクライナ軍の敗北が決定的な現在、イギリス軍を派遣できる状況にはない。もし派遣を強行するならば、それはロシア軍と直接交戦するということだが、それは不可能だ。 2019年7月から23年8月までイギリスの国防大臣を務めたベン・ウォレスは退任してまもない10月、テレグラフ紙に寄稿した記事の中でウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘していた。兵士の不足が深刻だということをウクライナでの戦争を煽っていたイギリスの政治家も認めざるをえなかったのである。武器弾薬の不足も深刻だ。そうした状況をイギリス政府も熟知しているはずだ。 戦場において発射された砲弾の数に敵の死傷者数は比例すると言われている。発射している砲弾の数は6対1から10対1でロシア軍が上回るので、ロシア軍の死傷者数はウクライナ軍の6分の1から10分の1だということになる。実際は1割程度だと見る人が少なくない。キエフ政権やその政権を支援している欧米諸国はロシアに降伏するか全滅するしかない状態だ。 スターマー首相は3月2日に安全保障サミットを開催し、ウクライナへの軍事援助を継続、ロシアに対する経済的圧力を強め続けると主張した。ドナルド・トランプ米大統領はロシアがアメリカの命令に従わない場合、経済的に締め上げると脅していたが、同じ趣旨の主張だ。経済封鎖でロシア経済は破綻すると西側諸国は今でも信じているようだが、その分析が間違っていることは事実をチェックすれば明白である。 ソ連消滅後に欧米諸国はロシアを支配、富を奪い始めた。その略奪が難しくなるのは21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアの大統領になってからだ。その後、着実に経済は復活していった。 2022年2月にロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めてから西側諸国はロシアへの経済戦争を本格化させるが、外国資本の引き上げはロシアの国内産業にビジネスチャンスを与えることになり、急速に経済は発展、生産力も向上した。そうした状況をロシア在住の少なからぬアメリカ人がインターネットなどで伝えていた。 プーチン大統領にインタビューするためにモスクワを訪問したアメリカ人ジャーナリストのタッカー・カールソンもロシアの豊かな生活を伝えている。ロシアに対する経済戦争で苦境に陥ったのはヨーロッパであり、アメリカにも悪い影響を及ぼしている。そうした状況にあるにもかかわらず、事実を認識できない人びとはロシア経済が疲弊しているという妄想から抜け出せず、ウクライナ人を犠牲にしながら戦闘を続けていれば勝てると信じている。 ロシアの技術力や生産力は欧米諸国より劣り、武器弾薬の生産力で西側に圧倒され、しかも西側の経済制裁でロシア経済は疲弊、社会は崩壊するというシナリオでネオコンやその従属国はロシアとの戦争を始めたのだが、そのシナリオと事実の乖離は大きい。技術力も生産力もロシアが欧米諸国を圧倒しているのだが、欧米信者はシナリオに描かれた妄想にしがみつこうとしている。事実を見ようとしないのだが、そうした人たちは第2次世界大戦終盤の日本人を連想させる。 アメリカのネオコンが仕掛けたロシアとの戦争をイギリス政府だけでなく、フランス、ドイツ、イタリア、ポーランドの政府は継続しようとしている。ドイツの新首相、フリードリヒ・メルツは選挙公約を投げ捨て、ロシアとの戦争を続けるために多額の負債を国民に追わせることを決めた。 ヨーロッパ諸国はロシアと軍事衝突する能力がないにも関わらず、好戦的な発言が止まない。例えば、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長(ドイツ人)、EU外務安全保障政策上級代表のカヤ・カラス(エストニア人)、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相などいわゆる「チキン・ホーク」だ。こうしたヨーロッパの「エリート」は自爆しようとしている。 現在の状況を理解するためには歴史的な事実を知る必要がある。 1991年3月にソ連全土でソ連維持に関する国民投票が実施され、ウクライナでは71%がソ連残留に賛成したが、その年の12月にボリス・エリツィンはベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連の解体を決めた。 ソ連の消滅だが、その年の1月20日にクリミアでは住民投票が実施され、1945年に廃止された「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」の地位回復とソ連への残留に93.26%の住民が賛成している。以前からクリミアの人びとはロシアとの一体化を望んでいたのだが、ウクライナ議会がソ連からの独立を宣言したのは1991年8月のことだ。 それに対し、クリミアは1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言したが、西側によって潰された。自分たちにとって都合の悪い民意を認めないのが西側流の「民主主義」だ。 クリミアを含む東/南部の人びとがクーデターに強く反対する理由にも歴史的な背景がある。クリミアのほか、ドンバスを含む東部やオデッサを含む南部もソ連時代にロシアからウクライナへ政治的な思惑から割譲されたのであり、自分たちをロシア人だと考える人が少なくない。 クリミアは1954年にウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えた半島であり、住民の60パーセントがロシア系である。 そうした背景があるため、東/南部と西部では文化や宗教の面で大きく異なる。宗教は東/南部がロシア正教徒であるのに対し、西部は主にカトリック教徒。東/南部では主にロシア語が話され、西部ではウクライナ語が主に話される。ウクライナを「均一な国家」だと考えることは根本的に間違っている。 微妙なバランスで成立していたウクライナをネオコンの支配地にするための工作が2013年11月にユーロマイダンで始まった。当初はカーニバル的な集まりだったが、2014年に入るとステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチのグループが前面に現れて様相は一変、2月に入るとそのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ始め、さらにトラクターやトラックを持ち出し、2月中旬になると広場で無差別の狙撃を始めた。 狙撃を指揮したのはネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだということがのちに判明、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相もネオ・ナチが実行した可能性が高いと報告している。その報告をEUの外務安全保障政策上級代表(外相)を務めていたキャサリン・アシュトンは封印した。一連のクーデターを現場で指揮していたのはバラク・オバマ政権で国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドだ。これは本ブログで繰り返し書いてきた。 このクーデターを目撃したウクライナの住民は危機感を抱き、ロシアとの一体化を決める。2014年3月16日にクリミアで実施された住民投票でロシアへの編入に賛成した人の比率は96.77%、投票率は83%だ。ネオコンのクーデターを受け入れるためには、こうした事実を受け入れることはできないのだろう。 どのような政治的な立場であろうと、事実を重視するならこうしたことを理解している。例えば、故ヘンリー・キッシンジャー元国務長官も2014年3月5日付けワシントンポスト紙で、ネオコンのクーデターによるウクライナ制圧の問題を指摘している。 彼はウクライナが複雑な歴史と多言語構成を持つ国であるとしたうえで、そうしたウクライナで一方が他方を支配しようとすれば内戦または分裂につながるだろうと警告している。ネオコンはその警告を無視してネオ・ナチを使ってクーデターを実行、クリミアはロシアと一体化する道を選び、東部の反クーデター派は武装闘争へ入ったのだ。 キエフでクーデターが実行された直後、ウクライナ、特に東/南部では反クーデター派が多かった。軍や治安機関の約7割がクーデター体制から離脱、一部は反クーデター軍へ入ったと言われている。つまりクーデター体制は脆弱で、戦力を増強するための時間を稼ぐ必要があった。2014年の「ミンスク合意1」と15年の「ミンスク合意2」はそのための偽合意だ。 この合意について当時のドイツ首相、アンゲラ・メルケルはキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと後に証言、フランソワ・オランド元仏大統領もその発言を肯定している。 そして2022年に入るとクーデター軍は東部の反クーデター派住民に対する砲撃を強めた。春にはドンバスに対する本格的な軍事侵攻を開始、ロシア軍を要塞線の内側へ誘い込み、その一方でクリミアを別働隊に攻撃させる計画だったとも推測されているが、2022年2月21日にロシアのウラジミル・プーチン大統領はドンバスの独立を承認、2月24日にロシア軍はウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを巡航ミサイルなどで攻撃しはじめた。 東部に対する攻撃を始めようと集結していたウクライナ軍はロシア軍に叩かれ、戦局は一気に悪化、ウォロディミル・ゼレンスキー政権はロシア政府と停戦交渉を始めた。その仲介役のひとりがイスラエルの首相だったナフタリ・ベネット。彼は交渉の内容を長時間のインタビューで詳しく話している。 停戦を両国は受け入れ、ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合った。ゼレンスキーを殺害しないという約束をロシア政府からとりつけることに成功、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会っている。 ところが、その3月5日にウクライナの治安機関であるSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺した。クーデター後、SBUはCIAの配下で活動している治安機関だ。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われ、やはり停戦でほぼ合意に達している。その際に仮調印されているのだが、その文書をプーチン大統領はアフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問した際に示している。2023年6月17日に会談した際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示しているのだ。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 そして4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるように命令(ココやココ)、その後も姿勢を変えることはなかった。4月30日にはナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。こうした動きを見てロシア政府は話し合いで問題を解決できないと腹を括ったようで、2022年9月に部分的動員を発表した。 4月に入ると西側の有力メディアはロシア軍がブチャで住民を虐殺したと宣伝し始めた。マクサー・テクノロジーズなる会社から提供された写真を持ち出し、3月19日に死体が路上に存在していたと主張しているが、疑問が噴出する。 例えば、比較のために載せられた2月28日の写真に比べ、3月19日に撮影されたとする写真の解像度が悪すぎるのはなぜかということ。影や天候の分析からも西側メディアの主張を否定する。19日から約2週間、道路上に死体は放置されていたことになるが、その間、氷点下になったのは28日の早朝だけ。29日には17度まで上昇している。つまり死体は腐敗が進んだはずだ。 キエフの周辺で拷問を受け、殺害された死体が発見されているが、その一部が白い腕章をつけていることも注目されている。ロシア軍を意味するからだ。また、ロシア軍が配った食糧を持っている人もいたとされている。ロシア軍が撤退した後、親衛隊はロシア軍に対して友好的な態度を示していた市民を殺して回ったとも言われている。 4月2日にはネオ・ナチを主体に編成された親衛隊の大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)がブチャに入っているとニューヨーク・タイムズ紙には報じたが、アゾフと同じネオ・ナチでライバル関係にあるというボッツマンのチームも4月2日には現場へウクライナ警察の特殊部隊と入っているという。ボッツマンのチームはウクライナ軍を示す青い腕章をつけいない人物の射殺を許可されていたとされている。 その2日、ウクライナ国家警察は自分たちが行った掃討作戦の様子をインターネット上に公開した。そこには大破した自動車の中に死体が映っていたものの、そのほかに死体は見当たらない。そこで、国家警察は死体を隠したのではないかと疑う人もいる。国家警察はブチャで親衛隊と行動をともにしていたので何が起こったかを知っていたが、その死体を親衛隊が何に使うつもりかを知らなかった可能性がある。 つまり、ブチャでの住民虐殺はロシア軍と友好的に接した住民を親衛隊が殺した可能性が高いのだが、ベネットによると、その事件によってロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は壊れた。 ウクライナを制圧するためにアメリカのネオコンはクーデターを仕掛けた。ビクトリア・ヌランドが表に出ていたが、裏ではCIAが動いていたはずだ。そのCIAが使う工作資金を1980年代から流してきたの機関はUSAID(米国国際開発庁)やNED(ナショナル民主主義基金)。NEDからNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどへ資金は流される。そのUSAIDの機能をトランプ政権は停止、さまざまな影響が現れている。ウクライナの「独立系メディア」や「人権団体」がCIAのプロパガンダ機関にすぎないことも明確になった。 そもそも、ゼレンスキーは大統領時代の2020年10月にイギリスを公式訪問した際、同国の対外情報機関MI6のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問している。スコット・リッターが作成したドキュメンタリーによると、ウクライナ大統領を名乗っているゼレンスキーはイギリスの情報機関MI6のエージェントであり、そのハンドラーはムーア長官である可能性が高い。ロシアと戦争している主体はイギリスの中枢にいるのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.24
アラブ首長国連邦で大統領外交顧問を務めるアンワル・ガルガシュは3月12日にイランのセイエド・アッバス・アラグチ外務大臣と会談、その際にドナルド・トランプ米大統領からの書簡を手渡した。イランに対して新たな核合意に関する協議に参加するよう促す内容で、当初、ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官から渡されたと伝えられていたが、ロシア政府はメッセンジャー役を断ったようだ。 ロシアのドミトリー・ペスコフ大統領府報道官はブルームバーグに対し、「アメリカとイランは交渉を通じてすべての問題を解決すべきだとロシアは考え」、ロシア政府は「そのために全力を尽くす用意がある」と述べたという。そこでトランプ大統領はロシア政府に仲介を頼もうとしたのだろうが、拒否されてしまった。イランの最高指導者であるアリ・ハメネイは書簡を受け取る前、トランプが「約束を守らないとわかっているのに、交渉する意味などあるだろうか」と語っている。 イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は親米派と言われている。昨年5月にエブラヒム・ライシー大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らを乗せたアメリカ製のベル212ヘリコプターが墜落、搭乗者全員が死亡、その2カ月後にペゼシュキアンは大統領に就任した。今年1月17日にはモスクワを訪問、両国の包括的戦略的パートナーシップ協定に署名した。 ペゼシュキアン政権は新自由主義的な政策を採用、通貨の価値が下落してインフレが進み、生活費が高騰して人びとの生活は苦しくなっている。当然、国民の不満は高まり、3月2日にはイスラム諮問議会(マジリス)がアブドゥル・ナセル・ヘマティ経済財務相を解任した。モハメド・ジャバード・ザリーフ戦略担当副大統領が辞表を提出したとする話も流れた。ザリーフは包括的核実験禁止条約(JCPOA)の元交渉者でもある。ペゼシュキアン政権は揺らぎ、国民はイスラエルやアメリカによる爆撃を恐れていると判断、交渉に応じるとアメリカ側は考えたのかもしれない。 中東を不安定にしている最大の原因はイスラエルにある。第2次世界大戦が終わって間もない1948年4月4日、シオニストは先住民であるアラブ系の人びとの排除を目的とする「ダーレット作戦」を発動した。そのうえで「ユダヤ人の国」を作ろうというのだ。 6日にはハガナの副官、イェシュルン・シフがエルサレムでイルグンのモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャングのヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診。イルグンとスターン・ギャングは協力することになる。 まず、イルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲うが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近く、攻撃しやすかったからだという。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプランだった。 4月9日午前4時半にイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンを襲撃。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺され、家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺されていた。そのうち145名が女性で、35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されてしまう。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしない。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) そして5月14日、エドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグといった富豪をスポンサーとするシオニストはイスラエルの建国を宣言したのだが、ユダヤ人はシオニストの思惑通りに集まらなかった。ナチスによる弾圧で多くのユダヤ教徒がドイツ国外へ逃れたが、ヨーロッパの生活様式に慣れた人びとはパレス地でなくアメリカやオーストラリアへ向かったからである。そこでシオニストはイラクに住むユダヤ人に目をつけ、そのユダヤ人をターゲットにしたテロを実行、パレスチナへ集めようとした。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) シオニストの中でも凶暴なイルグンやスターン・ギャングはゼエブ・ジャボチンスキーの「修正主義シオニズム」から生まれている。ジャボチンスキーは1940年にアメリカへ渡ったが、そこでジャボチンスキーの秘書を務めていたベンシオン・ネタニヤフはイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの父親である。 ジャボチンスキーが親しくしていたレオ・シュトラウスは1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にジャボチンスキーのシオニスト運動に加わった。シュトラウスはネオコンの思想的な支柱と言われているが、カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、彼の思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」である。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997) シュトラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003) 1934年にシュトラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。 シュトラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていたが、その判断が間違っていたことはその後、明確になっている。 ジャボチンスキーの系譜に属すネタニヤフ親子やネオコンはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配しようとしている。「大イスラエル構想」だ。この構想は今でも生きている。シュトラウスの思想を受け継ぎ、現在、修正主義シオニストをまとめている人物がさまざまな秘密工作に関係してきたエリオット・エイブラムスだ。エイブラムスはネタニヤフを背後から操り、トランプ大統領をイランと戦わせようと画策している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.23
アメリカのネオコンが仕掛けたロシアとの戦争をイギリス政府だけでなく、フランス、ドイツ、イタリア、ポーランドの政府はそれを継続しようとしている。ドイツの新首相、フリードリヒ・メルツは選挙公約を投げ捨て、ロシアとの戦争を続けるために多額の負債を国民に追わせることを決めた。 勿論、こうした国の他にもロシアとの戦争へ向かっている国がある。そのひとつが2023年4月にNATO加盟国になったフィンランド。フィンランドのNATO加盟に対抗するため、ロシアはレニングラード軍管区を編成した。 当時、同国の大統領だったサウリ・ニーニストはロシアに対する敵対的な発言をしている事で知られているが、現大統領のアレクサンデル・ストゥブは「国際法の範囲内」という条件付きで、西側諸国から提供された武器でウクライナ軍がロシア領土を攻撃することに問題はないと語る。そのストゥブはウクライナへの武器供給政策の拡大を提唱している。フィンランドという国自体が反ロシアになっているように見える。EUの外務安全保障政策上級代表を務めるエストニア人のカヤ・カラスもロシアとの戦争を望んでいる。 ところで、メルツはアンゲラ・メルケルのライバルだった政治家だったが、2004年にはメイヤー・ブラウン法律事務所の上級顧問に就任した起業弁護士でもある。2009年には政界から身を引き、大企業の重役を務めているのだが、そうした会社のひとつがブラックロック・ドイツ。2016年から20年にかけて監査役を務めている。 ブラックロックは「闇の銀行」のひとつ。「闇の銀行」とは銀行のような規制は受けない巨大金融機関で、メディアやシリコンバレーのハイテク企業を含むアメリカの主要500社の9割近くを支配している。 ブラックロックを率いるラリー・フィンクはウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領とも関係が深い。ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントである可能性が高いことは本ブログでも書いてきた。MI6はシティ、つまりイギリスの金融界と関係が深い機関だ。 ウクライナは兵器のほか「復興資金」を西側政府から提供されているが、その資金の使い道に関してアドバイスしているのがブラックロックだという。ゼレンスキーはブラックロックのほか、JPモルガンやゴールドマン・サックスと協力関係にあることを明らかにしている。メルツはこうした金融資本の手先であり、2021年に政界へ舞い戻った。 メルツもアンナレーナ・ベアボックと同じようにドイツを破壊しようとしている。2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行されたクーデターでロシアから天然ガスをヨーロッパへ運ぶパイプラインがアメリカに抑えられ、2022年9月にはウクライナを迂回してロシアからドイツへ天然ガスを運ぶ「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」が爆破された。ジョー・バイデン政権の犯行だった可能性が高い。 クーデターによってビクトル・ヤヌコビッチ政権は2014年2月、ネオ・ナチによるクーデターで倒された。そのネオ・ナチを操っていたのはアメリカのバラク・オバマ政権にほかならない。ウクライナにネオコンの傀儡国家を築き、その傀儡国家をNATOが飲み込むことでロシアを軍事的に威圧すると同時にヨーロッパとロシアを分断しようとしたのだ。 ヨーロッパとロシアは天然ガスで結びつきを強めていた。安価なロシア産天然ガスはヨーロッパ経済を支えていたのだ。ロシアからヨーロッパへ天然ガスを輸送するためにパイプラインが使われているが、その多くがウクライナを経由していたのだ。 アメリカのネオコンはウクライナを制圧することでドイツから安価な天然ガスの供給元を潰し、ロシアからヨーロッパという巨大マーケットを奪う予定だったと見られているが、ロシアは中国との関係が強化されて今では戦略的な同盟関係にある。またロシア国内から外国資本が撤退したため、国内産業が成長している。苦境に陥ったのはヨーロッパである。 それだけでなく、ドイツでは軍がアメリカの命令通りに動いている。ロシアのメディア、RTのマルガリータ・シモニャン編集長はドイツ空軍のインゴ・ゲルハルツ総監や作戦担当参謀次長のフランク・グレーフェ准将、そして連邦軍宇宙本部の2名による会話を録音した38分間の音声記録を公開している。その会話は2024年2月19日に行われたという。宇宙本部の人間は2月21日にウクライナを訪れ、ロシア本土への攻撃準備についても話し合ったとされている。 その4名はクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)の爆破について話し合っている。ドイツ国防省は会話がどのように記録されたかを調査を開始、ドイツ国内で録音を聞けないようにブロックしていることから音声は本物である可能性が高い。この話し合いは長距離ミサイル「タウルスKEPD 350」のウクライナへの供給に絡んで行われたものだ。ドイツ軍はネオコンの命令に従い、ドイツの社会や経済を破壊しようとしている。 ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンもロシアとの関係を強め、2015年9月にはロシアで年間15万基のエンジンを生産する能力がある新工場を始動させた。ロシアとの関係を断てというアメリカから命令を無視したのだ。そのフォルクスワーゲンが排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを一部の自動車に搭載させたとアメリカの環境保護局はその直後に発表した。 昨年10月、フォルクスワーゲンの経営者は従業員代表に対し、ドイツ国内の少なくとも3工場を閉鎖する意向を伝えたという。すでにアメリカがドイツの自動車メーカーを呑み込もうとしているが、中国の自動車会社もドイツの工場に興味を示しているようだ。 フランスの経済界もロシアとの関係を維持しようとしていた。例えば大手石油会社トタルもアメリカからの圧力を押し返し、ロシアとの取り引きを拡大していた。キエフでのクーデターから5カ月後には、トタルの会長兼CEOだったクリストフ・ド・マルジェリが石油取引をドルで決済する必要はないと主張、ユーロの役割を高めれば良いとしていた。その3カ月後の2014年10月、ド・マルジェリはモスクワ・ブヌコボ空港で事故死している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.22
アメリカとロシアの政府代表が週明け直後にサウジアラビアで会談、ウクライナ情勢などについて話し合うと伝えられているが、ロシア側の要求に変化があるとは思えない。ドナルド・トランプ政権は中東情勢を絡めてロシアから譲歩を引き出そうとしているようだが、簡単ではないだろう。 ロシアは西側諸国に対し、NATOの東への拡大を止めること、モスクワを標的にできる攻撃システムをロシアの隣国へ配備しない法的な保証をすること、NATOなど西側諸国によるロシア国境近くでの演習を禁止すること、NATOの船舶や航空機はロシア国境から一定の距離より内側へ入らないこと、定期的に軍同士が協議すること、ヨーロッパに中距離核兵器を配備しないことなどを求めている。ネオ・ナチの排除も求めるだろう。 ネオコンがウクライナで始めた対ロシア戦争はロシアの勝利が決定的な情勢であり、しかも2024年5月に任期が切れたウォロディミル・ゼレンスキーをロシア政府は正当な交渉相手と考えていない。ドナルド・トランプ大統領はウクライナでの戦争を終わらせたいのであれば、まず情報や兵器の提供を辞める必要がある。脅せばロシア政府は妥協すると考えている限り、ロシアは軍事作戦を続けるはずだ。 NATO側は昨年8月、ウクライナ軍にスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻させた。クルスク原子力発電所を制圧する計画だったとも言われている。防御が甘かったこの地域を制圧し、交渉の材料にしようとしたと見られているが、すでに侵攻軍は壊滅、残った部隊は追い出されてしまった。 戦況の悪化は兵士不足を招き、ウクライナでは街角で徴兵機関のメンバーが戦場へ送り込むために男性を拉致、こうした行為は人びとの怒りを呼び起こしている。西側の反ロシア勢力はロシアを少しでも疲弊させることが目的で、ウクライナ人が何人死のうと気にしていないのだが、ロシアを疲弊させるという目的も達成できていない。 すでにロシア軍は何カ所かでウクライナ軍を包囲、ザポリージャやヘルソンなどを制圧し、オデッサへ進撃する準備を進めているようだ。オデッサを含むウクライナの南部も住民の大半は反クーデターだった。もしこの地域をロシア軍が制圧した場合、西部で孤立している親ロシア派を救出できると同時に、ウクライナから黒海へ出ることができなくなってしまう。 本ブログでも繰り返し書いてきたように、ウクライナは東部や南部は西部と文化や宗教などで大きく異なっている。そうした微妙なバランスの上で成立していた国なのだが、それ全体を強引に奪おうとしたのがネオコンにほかならない。 ソ連は1991年12月に消滅したが、その年の1月20日にロシアとの一体化を以前から望んでいたクリミアでは住民投票が実施され、1945年に廃止された「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」の地位回復とソ連への残留に93.26%の住民が賛成している。 1991年3月にはソ連全土でソ連維持に関する国民投票が実施され、ウクライナでは71%がソ連残留に賛成していたが、同年8月にウクライナ議会はソ連からの独立を宣言。そしてボリス・エリツィンは同年12月、ベラルーシにあるベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連の解体を決めた。 それに対し、クリミアは1992年2月にクリミア議会が同地域を「クリミア共和国」と改名、5月にはウクライナからの独立を宣言したが、西側によって潰されてしまう。そして2014年2月のキエフにおけるネオ・ナチのクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権が倒されるのを見てクリミアはロシアとの一体化を決めたのだ。2014年3月16日にクリミアで実施された住民投票でロシアへの編入に賛成した人の比率は96.77%、投票率は83%だった。 2014年当時はロシアと話し合う姿勢を見せていたEUは政権の交代にともなって好戦的な性格を強めている。ロシアと軍事衝突する能力がないにも関わらず、好戦的な発言が止まない。例えば欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長(ドイツ人)、EU外務安全保障政策上級代表のカヤ・カラス(エストニア人)、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相、NATOのマルク・ルッテ事務総長(オランダ人)など。いわゆる「チキン・ホーク」だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.21
アメリカの国立公文書館は3月18日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録コレクションに含まれ、これまで機密扱いのため公開されなかった文書のうち約6万3000ページをウェブサイトにアップロードした。今後、さらに文書が公開される予定になっている。ドナルド・トランプ大統領は就任直後にケネディ大統領、ロバート・F・ケネディ上院議員、公民権運動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺に関連する政府文書の機密解除を求める大統領令に署名していた。 しかし、一般的に言って、最高機密に属す事実の決定や命令は口頭だけで行われ、それに準ずる情報は文書化されていても問題化すれば速やかに廃棄されてしまう。今回の機密解除で決定的な情報が明らかになる可能性は小さいが、想定外の場所から重要な文書が出てくることもあるため、公開を嫌がる人も少なくないはずだ。JFK暗殺の場合、CIAはイスラエルの情報機関に関する情報の開示に異議を唱えていたとされている。 1963年11月22日にダラスで暗殺される前、ケネディ大統領は強大な勢力と緊張関係にあった。 例えば、大統領に就任した直後、ケネディはインフレを回避するために鉄鋼会社の経営者と労働者に協力を求めていたのだが、業界のトップ企業だったUSスチールの会長は1962年4月、大統領と会談した翌日に3.5%の鋼材値上げを発表すると通告、実際に値上げを発表、業界第2位のベツレヘム・スチールなども後を追っている。この決定に大統領は怒り、鋼材の購入先をまだ値上げを発表していないルーケンスに変更、鉄鋼産業とケネディ大統領との関係は悪化した。 第2次世界大戦後、アメリカでは軍や情報機関の好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画、それに対してソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込んで対抗する。この事実をアメリカ政府は1962年8月に察知、9月には地対空ミサイル発射装置を確認した。10月19日にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会い、協議。その中にはCIAのアレン・ダレス長官と同じような好戦派がいた。そのひとりがカーチス・ルメイである。(Jeffrey T. Richelson, "The Wizards of Langley," Westview Press, 2001) 好戦派は運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディ大統領はこうした好戦派の主張を拒否。そのかわり、10月22日にキューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言した。その際に戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。 結局ケネディ大統領とソ連の最高指導者だったニキータ・フルシチョフはキューバ危機を外交的に解決するが、ダニエル・エルズバーグによると、その後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。ちなみに、ジョン・フランケンハイマーが監督した映画「5月の7日間」はケネディ大統領自身の勧めで制作されているが、映画が完成する前にケネディは暗殺された。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015) ケネディ大統領はイスラエルの核兵器の開発を懸念、ダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)しかもケネディはイスラエル建国のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持している。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) キューバ危機を外交的に解決したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、はソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけている。この演説もソ連を核攻撃で破壊しようと目論んでいる勢力を刺激した。 またケネディ大統領は通貨制度へもメスを入れようとしている。1913年に連邦準備法が制定されて以来、アメリカでは通貨政策を民間の銀行が支配、連邦準備制度に加盟する市中銀行の出資する連邦準備銀行が紙幣も発行していた。第2次世界大戦後にドルが世界の基軸通貨になったことから米英の巨大金融資本が世界の金融に大きな影響力を及ぼすことになった。この仕組みが財政問題の根本にあると考えたケネディ大統領は考えていたのだ。ケネディは1963年6月にEO11110と呼ばれている大統領令を出し、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するように命令するのだが、大統領は暗殺され、この命令は取り消されて市中に流通していた紙幣は回収された。 ケネディ大統領が暗殺されたダラスには情報機関のネットワークが存在していた。例えば市長のアール・キャベルは大統領に解任されたCIA副長官だったチャールズ・キャベル元副長官の弟だ。 パレードの警護をしていたダラス警察のジョージ・ランプキン副本部長は予備役の第488情報分遣隊で副隊長を務めていたが、隊長のジャック・クライトンはダラスの石油業者で、同業者のジョージ・H・W・ブッシュと親しかったが、第2次世界大戦中にはCIAの前身であるOSSに所属していた。 大統領がパレードで使ったリムジンは防弾仕様でなく、屋根はシークレット・サービスのウィンストン・ローソンの指示で取り外されていた。またリムジンのリア・バンパーの左右には人の立てるステップがあり、手摺りもついているのだが、パレードのときには誰も乗っていない。 当初、警察は大統領が乗ったリムジンの両側に警察のオートバイを走らせる予定だったのだが、パレードの前日にシークレット・サービスからオートバイを後ろに下げるように言われている。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008) 銃撃が始まると、大統領を乗せたリムジンの後ろを走る自動車にいたシークレット・サービスのエモリー・ロバーツは部下に対し、銃撃だと確認されるまで動くなと命令するのだが、これを無視してクリント・ヒルは前のリムジンに飛び乗った。 ヒルによると、銃撃の後に喉を押さえるケネディ大統領を見てのことで、まだステップに足がかかる前、血、脳の一部、頭骨の破片が自分に向かって飛んできて、顔、衣類、髪の毛についたとしている。ステップにヒルの足がかかった時、大統領夫人のジャクリーンもボンネットの上に乗り、大統領の頭部の一部を手に触れようとしていた。その時、大統領の頭部の中が見えたという。リムジンの前方から銃撃されたことは決定的だ。(Clint Hill with Lisa McCubin, “Mrs. Kennedy and Me”, Gallery Books, 2012) ケネディ大統領の死亡が確認されたのはダラスのパークランド記念病院。死体を見た同病院のスタッフ21名は前から撃たれていたと証言、確認に立ち会ったふたりの医師、マルコム・ペリーとケンプ・クラークは大統領の喉仏直下に入射口があると記者会見で語っている。前から撃たれたということだ。 その後、ペリーにベセズダ海軍病院から電話が執拗にかかり、記者会見での発言を撤回するように求められたという。これは同病院で手術や回復のための病室を統括していた看護師、オードリー・ベルの証言。ペリー本人から23日に聞いたというが、数カ月後にそのペリーは記者会見での発言を取り消し、喉の傷は出射口だとする。ウォーレン委員会でもそのように証言した。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyborse, 2013) 大統領の死体は法律を無視してパークランド記念病院から強引に運び出された。検死の責任者だったアール・ローズは激しく抗議したが、シークレット・サービスは銃口をそのローズに突きつけて持ち去ったのだ。ローズが退かなければ撃たれていただろうと現場にいた医師のチャールズ・クレンショーは語っていた。検死解剖はワシントンDCのベセズダ海軍病院で行われたが、担当した軍医のジェームズ・ヒュームスは検死に不慣れだったとも言われている。(Daniele Ganzer, “USA The Ruthless Empire,” Skyhorse Publishing, 2020) パレードでは沿道の警備も不自然だった。少なくとも沿道の建物の窓は閉めさせ、開いていれば捜査官を派遣してチェックさせるのが当然である。そうした状況下で保安官が警備からはずされ、警察の警備体制を緩くさせたりしている。 シークレット・サービスはパレードのコースも当日になって変更している。当初、本通りを直進する予定で地元紙もそのように報道していたのだが、ヒューストン通りを右折、エルム通りとの交差点、オズワルドが働いていた教科書ビルの直前で左折するよう変えられた。 銃撃の直後、ダラス警察のジョー・マーシャル・スミスは「グラッシー・ノール(草で覆われた丘)」へ駆けつけ、硝煙の臭いを嗅いでいる。そこで近くの駐車場にいた自動車修理工のように見えた男を職務質問したところ、シークレット・サービスのエージェントだということを示されたのだが、そこにシークレット・サービスの人間は配置されていなかったことが後に判明している。 暗殺の直後にリー・ハーベイ・オズワルドが逮捕されたが、そのオズワルドは逮捕当日に硝煙反応テストを受け、反応は出ていない。暗殺当日にオズワルドの妻マリーナから警察は事情聴取しているが、彼女はロシア語しかできないため、イリヤ・ママントフなる人物が通訳として呼ばれた。このママントフは共和党の活動家で、「赤の脅威」についてダラスで講演していたことでも知られている。ウォーレン委員会におけるママントフの証言によると、通訳の件で最初に電話してきたのはクライトン。ついで、ランプキン副本部長が連絡してきたという。 暗殺事件に関する調査はアール・ウォーレン最高裁長官を委員長とする委員会で行われた。この委員会は設置したのは副大統領から大統領へ昇格したリンドン・ジョンンソン。1963年11月29日のことだ。委員会のメンバーはウォーレンのほか、リチャード・ラッセル上院議員(当時、以下同じ)、ジョン・クーバー上院議員、ヘイル・ボッグス下院議員、ジェラルド・フォード下院議員、アレン・ダレス元CIA長官、ジョン・マックロイ元世界銀行総裁がいた。そして主席法律顧問はリー・ランキン。 このうちダレスはウォール街の弁護士で、大戦中から破壊活動を指揮し、ケネディ大統領にCIA長官を辞めさせられた人物。マックロイはウォール街の大物で、大戦の後に世界銀行の総裁を経てドイツの高等弁務官としてナチスの大物たちを守っている。フォードはフーバーFBI長官に近いと言われているが、議会における最良のCIAの友人と評価するメディアもあった。ランキンはCIAとFBIにつながり、ダレスは委員会の中で唯一の専従だ。(Daniele Ganzer, “USA The Ruthless Empire,” Skyhorse Publishing, 2020)ダレスの側近で1966年6月から73年2月までCIA長官を務めたリチャード・ヘルムズによると、彼がダレスを委員にするように説得したのだという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) このウォーレン委員会が報告書を出した3週間後の1964年10月12日にひとりの女性が散歩中に射殺された。その女性、マリー・ピンチョット・メイヤーはケネディ大統領と親しかった。銃弾の1発目は後頭部、2発目は心臓へ至近距離から撃ち込まれている。マリーの元夫であるコード・メイヤーはCIAで秘密工作部門の幹部を務めていた人物。ふたりは1958年に離婚している。 そのケネディ大統領が暗殺された直後にマリーは友人でハーバード大学で心理学の講師をしていたティモシー・リアリーに電話し、泣きじゃくりながら「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」と語ったという。(Timothy F. Leary, Flashbacks, Tarcher, 1983) 実は、ダラスを訪れる前、11月2日にケネディ大統領はシカゴを訪問する予定になっていた。そのシカゴで大統領を暗殺する計画があるとする警告が警備当局に対し、2カ所からもたらされた。ひとつはFBIの情報源から、もうひとつはシカゴ警察のバークレー・モイランド警部補からだ。こうしたこともあり、ケネディにシカゴ訪問は取りやめになる。 そうした情況にあったため、大統領の周辺、例えばウイリアム・フルブライト上院議員たちは大統領に対し、ダラス行きを中止するようにワシントンDCで20日に忠告している。(Anthony Summers, "The Kennedy Conspiracy," Paragon House, 1989) ケネディ大統領暗殺の公式ストーリーはウォーレン委員会の報告書に書かれているが、それが事実に反していることが発表直後から指摘された。研究者やジャーナリストだけでなく一般の人もさまざまな形で調査研究を開始、公式ストーリーは崩れ始めた。その崩壊を食い止めるために編み出された呪文が「陰謀論」にほかならない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.20

共同通信は3月16日、日本政府が九州における陸上配備型長距離ミサイルの配備を検討していると報じた。緊急事態の際に敵の標的を攻撃する「反撃能力」を獲得する取り組みの一環だという。そのミサイルとは、射程距離が約1000kmの12式地対艦誘導弾能力向上型で、配備は2026年3月に始まるとされている。 21世紀に入ってからアメリカは世界制覇に向かい、本格的に動き始めた。日本ではすでに自衛隊が沖縄への配備を進めている。2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設したのに続き、19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させた。これはアメリカの軍事戦略に基づくもので、中国や朝鮮を攻撃する準備にほかならない。今後、南西諸島の周辺へアメリカ軍とその装備を移動させる可能性がある。 その軍事戦略をアメリカ国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」は2022年の4月に説明している。GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲するという計画を公表したのだ。アメリカはヨーロッパでロシアとの国境近くにミサイルを配備してきたが、ウクライナ制圧にもそうした側面がある。いつでもミサイルで相手を破壊できる態勢を整えてきたのだ。こうした日本の軍事力強化を「専守防衛」の範囲で行なっていると言うことはできない。 アメリカの軍事や外交を支配してきたネオコンはソ連が消滅して間もない1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクトを作成した。 このDPG草案はポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれるが、その目的は旧ソ連圏を制圧するだけでなく、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制(戦争マシーン)に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐことにある。この戦争マシーンは世界を軍事的に制圧することが目的であり、自衛隊をそうした攻撃的な軍隊にするということだ。 この世界制覇計画は2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃で始動した。 2022年10月になると、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル『トマホーク』の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。 旧式ではあるが、トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルという。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして2023年2月、浜田靖一防衛大臣は亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。当初、2026年度から最新型を400機を購入するという計画だったが、25年度から旧来型を最大200機に変更するとされている。 さらに、フィリピンのフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)も取り込んでJAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なるものを作り上げ、アメリカの軍事顧問団は金門諸島と澎湖諸島に駐留して台湾の特殊部隊を訓練していると伝えられている。 南西諸島にミサイル発射基地が建設されつつあった2017年11月にアメリカはオーストラリア、インド、日本とクワドの復活を協議、18年5月にはアメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へ名称変更した。 2020年6月になるとNATO(北大西洋条約機構)事務総長だったイェンス・ストルテンベルグはオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言し、2021年9月にはアメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン3カ国が太平洋でAUKUSなる軍事同盟を創設したとする発表があった。 パリでオーストラリア、アメリカ、イギリスが署名したAUKUS契約はオーストラリア海軍に5隻の新世代潜水艦、3隻のバージニア級潜水艦、および関連する通信、諜報、人工知能システムを供給することを目的としていた。 アメリカとイギリスがオーストラリアに原子力潜水艦の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するということだが、そうした潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上、アメリカ海軍の潜水艦になる。その原子力潜水艦を受け入れる可能性があると山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日に表明した。この件でも日本はアメリカの軍事戦略に組み込まれることになる。 与那国島にミサイル発射施設を建設する前年、2015年の6月、総理大臣だった故安倍晋三は赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道されている。安倍首相は南シナ海における中国との軍事衝突を見通していたのだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.19
ガザに対する食料や医療物資などの人道支援をイスラエル軍に許可させるようイエメンのアンサール・アッラー(フーシ派)は求めていた。そのアンサール・アッラーが設定した期限の切れた後、紅海、アラビア海、バブ・アル・マンデブ海峡、アデン湾においてイスラエル船を対象とした海上封鎖を再開、従わないイスラエル船は指定作戦区域内で攻撃されると3月11日に発表した。設定された期限内に人道支援がガザに届かなければイスラエル関連の船舶を標的とした軍事作戦を再開するとアンサール・アッラーは3月9日に宣言していた。アンサール・アッラーの発表があった3月11日、ハマスのスポークスパーソンイスラエル占領軍が10日連続で食糧の流入を封鎖しているため、ガザは飢饉の初期段階に直面していると主張している。 こうしたイエメンからの警告に対し、アメリカのドナルド・トランプ政権はガザへの人道支援をイスラエルに許可させず、同国軍はイギリス軍と共同でイエメンの首都サナアに対する攻撃を3月15日に実施した。アメリカでの報道によると、数十の標的を攻撃する大規模なもの。現地からの報道によると、両国軍は首都北部の住宅街やインフラを狙ったという。アメリカ軍機は紅海にいる空母USSハリー・トルーマンから出撃している。 また、同時にトランプ大統領はアンサール・アッラーに対し、イスラエル船を対象として海上封鎖をやめなければ、これまで見たこともないような地獄がイエメンに降りかかると恫喝した。それに対し、イエメンは空母USSハリー・S・トルーマンをミサイルやドローンで攻撃したとする情報もあるが、アメリカ政府はイエメンがアメリカの艦船を攻撃するのを待っているとする見方もある。そうした事態になれば、それを口実にしてイランを攻撃するというのだ。 シオニストの一派であるネオコンは1980年代からイラクに親イスラエル体制を築いてシリアとイランを分断、両国を破壊する計画を立てていた。残るはイラン。ニューヨークの世界貿易センターや国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された2001年9月11日から10日ほど後にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は統合参謀本部で攻撃予定国リストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていたという。そのリスト通りに破壊されてきた。このリストでも残るはイラン。トランプ政権がイランを狙うのは必然だ。 こうした流れの中、中国、ロシア、そしてイランは北京でイランの核問題に関する会議を開催した。イランが核計画はもっぱら平和目的であると改めて表明したことを中国とロシアは歓迎、アメリカとイランの対話は「相互尊重」に基づかねばならず、すべての制裁は解除されるべきだと表明した。核計画をめぐる対話の再開を求めるアメリカの「脅し」を拒絶したイランを中国とロシアは支持、イランに対する「すべての違法な一方的制裁を解除する」よう求めている。その声明の直前、イランは中国やロシアと年次合同海軍軍事演習を実施していた。アメリカがイランを実際に攻撃した場合、中東全域が火の海に包まれることになりかねないが、イスラエルだけが無傷で残るということはないだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.18

ウクライナを舞台にした戦闘でロシアが勝利したことは明白である。ロシアにはNATO/ウクライナと話し合う意味がないものの、ウクライナや西側諸国は停戦を実現して態勢を立て直す時間が欲しいはずだ。自分たちの好戦的な政策が破綻したことを人びとに気付かれたくないということもあるだろう。 アメリカをはじめとするNATO諸国は2014年から8年かけて反クーデター派の人びとが生活するドンバスの周辺に要塞線を築き、本格的な攻撃の準備が整った2022年にロシア軍が一歩早く攻撃を開始、そこから戦況はロシアが優勢なまま現在に至っている。要塞線はマリウポリ、ソレダル、マリインカ、アウディーウカの地下要塞が軸になっていたが、2024年2月までに全て陥落。この時点でNATO/ウクライナの敗北は決定的だった。 ネオ・ナチを使ったクーデターでNATO諸国は2014年2月22日、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すことに成功するが、軍や治安機関の中にはネオ・ナチ体制に反発する人も少なくなかったようで、約7割が離脱し、一部は半クーデター軍に合流したと言われている。そのためクーデター軍は反クーデター軍に太刀打ちできず、ドンバスでは包囲されて壊滅寸前だった。そうした事態を救ったのが2014年のミンスク1と15年のミンスク2にほかならない。アメリカのドナルド・トランプ政権はロシア政府に対し、「即時暫定30日間停戦」を求めたが、これはミンスク3にしか見えない。ロシア政府は一時的な停戦でなく戦争の恒久的な平和を求めている。 2013年11月にユーロマイダンで始まったカーニバル的な集まりで人を集めるところからネオコンのクーデター工作は始まった。2014年に入るとステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチのグループが前面に現れて様相は一変、2月に入るとそのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ始め、さらにトラクターやトラックを持ち出し、2月中旬になると広場で無差別の狙撃を始めた。 狙撃を指揮したのはネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだということがのちに判明、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相もネオ・ナチが実行した可能性が高いと報告している。その報告をEUの外務安全保障政策上級代表(外相)を務めていたキャサリン・アシュトンは封印した。 しかし、狙撃が始まる前、EU諸国は話し合いでウクライナの戦乱を話し合いで解決しようとしていたようだ。2014年2月上旬、バラク・オバマ政権で国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドがウクライナ駐在アメリカ大使のジェオフリー・パイアットとクーデター後の閣僚人事について電話で話し合ったいる音声が漏れたのだが、その中でヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にしている。この発言について「品のない言葉」で誤魔化そうとする人もいたが、EUがキエフの混乱を話し合いで解決しようとしていたことに対する怒りだった。ヌランドは暴力的にヤヌコビッチを排除したかったと見られている。実際、そうしたことになった。 その後、EUやNATOのロシアに対する姿勢が好戦的になっていく。その象徴的な存在が欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長(ドイツ人)、EU外務安全保障政策上級代表のカヤ・カラス(エストニア人)、ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相、NATOのマルク・ルッテ事務総長(オランダ人)などだろう。 しかし、ヨーロッパにおける好戦的な言動の中心はイギリスだ。この国ではエリザベス1世の時代(1533年から1603年)に「ブリティッシュ・イスラエル主義」なる信仰が出現、シオニズムを産み出した。その信仰のベースには、アングロ・サクソンが「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だという神話がある。この信仰は帝国主義を正当化する思想的な基盤にもなった。 19世紀に入ると、イギリスには強い反ロシア感情を持つ有力政治家が現れた。19世紀前半に首相や外相として暗躍したヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)だ。 彼はロシアをイギリスにとって最大のライバルとみなし、「ウクライナ人はわれわれが反ロシア蜂起のストーブに投げ込む薪だ」と語り、ポーランドをロシアとドイツの間の障壁として復活させる計画を立てていた。 またパーマストン子爵は中国におけるイギリスの権益を守るためにチャールズ・エリオットを1836年に広東へ派遣、東インド艦隊の軍事行動の規制を緩めて清(中国)への軍事的な圧力を強化、1840年にはアヘン戦争を始めた。彼の政策はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、アルフレッド・ミルナー、ウィンストン・チャーチルらが引き継ぐ。その経済的な基盤は金融資本であり、大英帝国は金融帝国として今でも生きている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.17
HTS(ハヤト・タハリール・アル・シャム)やRCA(革命コマンド軍)が昨年12月8日にダマスカスを制圧、アーメド・フセイン・アル-シャラー(アブ・モハメド・アル-ジュラニ)が暫定大統領を務める新政権が誕生したが、それ以来、アラウィー派やキリスト教徒を中心にして住民が虐殺された。アラフィー派だけでも3月に入ってから4000名以上が殺害されたと言われている。そのHTSをクウェートとバーレーンは支持すると表明した。HTSが実権を握って以来、身の危険を感じたアラウィー派やシーア派の人びとはレバノンへ逃げ、数千人の住民がロシア軍の基地へ避難したという。 アラウィー派はシリア人口の約1割を占め、北西部に集中。ダマスカス以外ではトルコ軍やイスラエル軍による攻撃にさらされ、ジハード戦闘員とアラフィ派民兵の軍事衝突も報告されている。地域によってはHTSの部隊が男性を一斉に拘束、路上で射殺し、家や商店で略奪、また放火しているとする報告もある。殺害された民間人の大半は成人男性とされているが、女性や子どもが処刑されたことも確認されている。こうした状況を「水晶の夜」と表現する人もいる。 民間人を虐殺している戦闘員のほとんどはHTSの外国人傭兵。その中心はウイグル人、チェチェン人、ウズベク人で、シリア人は少ないとされている。新疆ウイグルからシリアへ来ている戦闘員は殺害の際に首を切り落とすことで知られている。 HTSはアル・カイダ系戦闘グループのアル・ヌスラ戦線を改名した組織で、アル・ヌスラはシリアで活動を始める前、AQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。アル-シャラーもAQIに参加したが、2006年から11年にかけてアメリカ軍にイラクで拘束され、12年に釈放されている。 アル・カイダはCIAがアフガニスタンでソ連軍と戦わせるために訓練した戦闘員の登録リスト。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックも05年7月、「アル・カイダ」についてCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと説明している。なお、この指摘をした翌月、2005年8月6日にクックは休暇先のスコットランドで散歩中に心臓発作で急死した。HTSやRCAもこうしたジハード戦闘員で構成されている。 シリアでの戦闘は2011年3月に始まった。バラク・オバマ米大統領が2010年8月にPSD-11を承認、ムスリム同胞団を利用した体制転覆プロジェクトを地中海の南部や東部の沿岸で開始、シリアでの戦闘もその一環だった。 プロジェクトはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアのほか、サイクス・ピコ協定コンビのイギリスやフランス、ムスリム同胞団と関係が深いカタールやトルコが加わり、戦場で戦うのはムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)のジハード傭兵を中心とするアル・カイダ系武装集団。 シリアより1カ月早く戦闘が始まったリビアでは2011年11月にムアンマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィ自身を惨殺した。その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団LIFG(リビア・イスラム戦闘団)との連携が明白になっているが、その前、2011年5月に「アル・カイダ」のアイコン的な存在だったオサマ・ビン・ラディンの殺害をオバマ政権が発表している。 カダフィ体制を崩壊させた後、アメリカは軍事支援をシリアの反政府軍へ集中させるが、そうしたオバマ政権の方針を危険だとする報告書をアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年にホワイトハウスへ提出する。反シリア政府軍の主力はAQIであり、その集団の中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、さらにオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告したのだ。その時にDIAを率いていた軍人がマイケル・フリン中将にほかならない。 この警告通り、2014年には新たな武装集団ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が登場する。この武装集団はこの年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック、ハイラックスを連ねてパレードし、その後、残虐さをアピールする。 ダーイッシュの戦闘員はトルコ、ヨルダン、リビアの軍事基地でアメリカの特殊部隊やCIA、そしてイスラエルのモサドから訓練を受けたと中東では伝えられていた。2011年7月から14年7月までトルコ駐在アメリカ大使を務めていたフランシス・リチャールドーネがダーイッシュの軍事作戦を調整していたとされている。(F. William Engdahl, “Whom The Gods Would Destroy,” mine.Books, 2016) 2012年6月、シリアへ入って戦乱の実態を調査したメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のフィリップ・トゥルニョル・クロス大主教はローマ教皇庁のフィデス通信に対し、「誰もが真実を語ればシリアの平和は守られる。紛争の1年後、現地の現実は、西側メディアの偽情報が押し付けるイメージとはかけ離れている」と報告している。それ以降、現在に至るまで西側の有力メディアは真実を語ろうとしていない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.16
ロイターによると、地上発射型小直径爆弾(GLSDB)のウクライナ向け輸送をアメリカ政府は再開する準備を進めているという。この爆弾はGPS補助慣性航法システムで誘導されるGBU-39(SDB)にM26 227 mmロケットモーターを組み合わせたものだ。ウクライナ軍はアメリカから供給されたATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)をほぼ使い果たしているので、その代用兵器なのだろう。すでに提供されたGLSDBはロシア軍のECM(電子対抗手段)で無力化されている。今回のタイプは対抗できるよう改良されたというが、性能は不明だ。 ドナルド・トランプ大統領がスティーブ・ウィトコフ特使をモスクワへ派遣したタイミングでこの記事は出た。ウィトコフはウラジミル・プーチン大統領に「即時暫定30日間停戦」に合意させることはできなかった。もしこの停戦案をロシア政府が認めた場合、その間にアメリカ政府はGLSDBをウクライナへ輸送する予定だったのかもしれないが、そうした時間的な余裕はなくなった。こうした兵器を供給するということは、軍事情報を提供するだけでなく、オペレーターを派遣する可能性がある。 ロシアのニコライ・パトルシェフ大統領補佐官はNATO諸国がそれ以上の攻撃を計画していると考えている。例えばロシアの海底パイプライン、タンカー、貨物船に対するテロ活動、ロシア船の航行装置に対するサイバー攻撃、さらにバルト海を航行するロシアの船舶への脅威も懸念している。ロシアとNATOの戦争がエスカレートしていく危険性があるということだろう。 ここにきて西側の対ロシア戦争でイギリスの果たしている役割が注目されている。第1次世界大戦では帝政ロシアをドイツと戦わせるためにイギリスの情報機関MI6が暗躍していたことは本ブログでも書いてきた通り。その当時、ロシアでは戦争に反対する大地主と戦争に賛成する資本家が対立、グレゴリー・ラスプーチンとフェリックス・ユスポフがそれぞれの象徴的な存在だった。 有力貴族のユスポフはふたりのMI6オフィサーと親しかった。ユスポフ家で生まれたというスティーブン・アリーとオックスフォード大学でユスポフと親しくなったオズワルド・レイナーだ。このふたりを含むMI6のグループが1916年にペトログラードへ派遣され、ユスポフと接触している。ラスプーチンに致命傷を負わせた弾丸を発射できる拳銃を所持していたのはレイナーだ。 ラスプーチン暗殺後、ロシアでは「二月革命」で資本家が実権を握る臨時革命政府が誕生、ドイツとの戦争を続けるが、それを嫌ったドイツは即時停戦を主張していたウラジミル・レーニンを含むボルシェビキの指導者を列車でロシアへ運んだ。そして「十月革命」が起こり、ボルシェビキの体制が成立。そうした経緯があるため、ソ連とドイツはナチスが台頭するまで友好的な関係を維持した。米英金融資本がナチスのスポンサーだということが今では明確になっている。 イギリスには反ロシア政策を推進した有力政治家がいる。19世紀前半に首相や外相として暗躍したヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)だ。彼はロシアをイギリスにとって最大のライバルとみなし、「ウクライナ人はわれわれが反ロシア蜂起のストーブに投げ込む薪だ」と語り、ポーランドをロシアとドイツの間の障壁として復活させる計画を立てていた。 またパーマストン子爵は中国におけるイギリスの権益を守るためにチャールズ・エリオットを1836年に広東へ派遣、東インド艦隊の軍事行動の規制を緩めて清(中国)への軍事的な圧力を強化、1840年にはアヘン戦争を始めた。彼の政策はセシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、アルフレッド・ミルナーが引き継ぎ、それは今でもアメリカやイギリスの支配層に影響を及ぼしている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.15
ロシア軍は3月13日、クルスクでウクライナ軍の拠点になっていたスジャを完全に制圧した。地下に埋設されたパイプラインを利用して工業地帯の北東部を抑えて掃討作戦を展開、3月12日には街の中心部へ入っていた。ウクライナ軍がクルスクへ投入した虎の子の部隊は大きな損害を受けているが、その程度はロシア軍の15倍から20倍と推測されている。クルスク以外のそれ以外の戦線でもロシア軍が圧倒、キエフのクーデター体制を樹立させ、支えてきた欧米諸国にとって厳しい状況だ。 こうした状況でロシア側が「即時暫定30日間停戦」に応じる可能性は小さかったが、ロシアのユーリ・ウシャコフ大統領補佐官はアメリカの停戦案について、「これはウクライナ兵の一時的な時間稼ぎであり、それ以上のものではない」と発言した。ウシャコフはアメリカ側に停戦案を拒否すると伝えたようだ。ドナルド・トランプ政権は、ウクライナへの武器と情報提供を再開するというが、戦況に変化はないだろう。アメリカ政府はロシア政府が拒否すること予想できなかったとは思えず、武器供与を再開するための芝居だと見る人もいる。 アメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月、ネオ・ナチを利用したクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、軍や治安機関の約7割が離脱したと言われている。つまりクーデターの直後、新体制は脆弱だった。そこで欧米諸国はクーデター体制の戦力を増強する時間が必要になる。その時間稼ぎのために使われたのが2014年のミンスク1と15年のミンスク2だ。アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は後にその事実を認めている。 ロシア政府はNATO諸国に対し、NATOの東方への拡大を止め、モスクワを標的にできる攻撃システムをロシアの隣国へ配備しないことを法的に保証、NATOなど西側諸国によるロシア国境近くでの演習を禁止、NATOの船舶や航空機はロシア国境から一定の距離より内側へ入らないこと、定期的な軍同士の協議、ヨーロッパに中距離核兵器を配備しないこと、そしてネオ・ナチの排除などをロシアは要求している。 トランプ大統領が今回のような脅しがロシアに通用すると本当に考えているとするならば、彼はロシアが経済的に悪い状態にあると信じているのだろうが、それは誤情報だ。アメリカの情報機関が大統領に対して偽情報を伝えていることになる。【追加】 3月13日にはトランプの特使としてスティーブ・ウィトコフがモスクワでプーチンと会談、ウクライナの停戦について話し合ったというが、ロシア側の姿勢を変えることは無理だと見られている。それにもかかわらずトランプが特使を派遣したのは、彼の「御伽話」を西側で信じさせるための演出なのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.14
ロシア軍は3月上旬にクルスクのスジャにある工業地帯の北部へ入り込み、ウクライナ軍の背後を制圧して補給路を断つことに成功した。退却できなくなったウクライナ軍はパニック状態だという。 スジャへの侵入は地下に埋設された直径1.4メートルのパイプラインが利用されたと伝えられている。パイプのひとつから天然ガスを排出、酸素を注入した上で特殊部隊がパイプラインから近くの森へ入り、約800名の兵士が続いたという。 ウクライナでの戦闘を話し合いで停止させると言いながら動き回っていたドナルド・トランプ米大統領や、トランプの任期が切れる4年後までロシアとの戦闘を維持しようと目論んでいるというEUのリーダたちもこの展開には驚いたようだ。 そうした中、ウォロディミル・ゼレンスキーはドナルド・トランプ政権が提案したロシアとの「即時暫定30日間停戦」に同意し、アメリカがウクライナの重要な資源にアクセスできるようにする協定に「できるだけ早く」署名する用意があると表明したと伝えられているが、ロシア政府はすでに公表している条件が達成されないかぎり、戦闘を継続するだろう。ロシア政府は西側を全く信用していない。 2023年の段階からロシア軍は優勢で、マリウポリ、ソレダル、マリインカ、アウディーウカの地下要塞を結ぶ要塞戦が2024年2月までに突破された段階でウクライナの敗北は決定的だった。時間の経過に伴ってアメリカが手にできる利権が減っていく。そこでトランプ政権は早く停戦に持ち込みたいのかもしれないが、ロシア側は目的を達成するまで停戦に応じないと見られている。 ロシアの目的は当初からNATOの拡大を止めること、モスクワを標的にできる攻撃システムをロシアの隣国へ配備しない法的な保証、NATOなど西側諸国によるロシア国境近くでの演習を禁止すること、NATOの船舶や航空機はロシア国境から一定の距離より内側へ入らないこと、定期的な軍同士の協議、ヨーロッパに中距離核兵器を配備しないことなどだ。ネオ・ナチの排除も求めるだろう。 しかし、ウォロディミル・ゼレンスキー政権で大統領府長官を務めているアンドリー・イェルマークは「平和な生活」がすぐにでも実現するかのような幻想を振り撒いている。停戦合意の裏付けになる安全保障、ヨーロッパのロシアに対する「制裁」の強化、「凍結」されたロシアの資産をヨーロッパが「管理」してウクライナへの支援に使うという条件を提示している。アメリカ/NATOの軍隊をウクライナへ入れ、ロシアに対する経済戦争を強化、ロシア資産を没収してウクライナへ提供するということだが、そうしたことをロシア政府が看過するとは思えない。 トランプはフォクス・ニュースのインタビューで「ウクライナはいずれにしても生き残れないかもしれない」と指摘、「この戦争は起こってはならないものだ」と発言した。 2014年から8年かけてアメリカをはじめとするNATO諸国はウクライナのクーデター体制の戦力を増強した。2014年のミンスク1と15年のミンスク2が時間稼ぎに使われた。アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は後に、この合意がキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎに使われたと証言している。そして2022年に入るとクーデター軍は反クーデター派の住民に対する砲撃を強めた。春にはドンバスに対する本格的な軍事侵攻を開始、ロシア軍を要塞線の内側へ誘い込み、その一方でクリミアを別働隊に攻撃させる計画だったとも推測されているが、2022年2月21日にロシアのウラジミル・プーチン大統領はドンバスの独立を承認、2月24日にロシア軍はウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを巡航ミサイルなどで攻撃しはじめた。 ジョー・バイデン政権はロシア軍による攻撃を「予言」していたが、その当時、ロシア側はまだ戦争の準備はできていなかった。そこでロシア軍の戦力は当初、ウクライナ軍の数分の1だったと言われているが、ミサイルによる攻撃が効果的だったようで、短期間にキエフ政権側は大きなダメージを受け、そして停戦交渉が始まった。 その交渉を仲介したのはイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットやトルコ政府。2023年2月4日に公開されたインタビューの中で、ロシアとウクライナはともに妥協、停戦は実現しそうだったと語っている。 2022年3月5日にベネットはモスクワでプーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけた。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。ウクライナの治安機関SBUがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺したのはその3月5日だ。 4月に入ると西側の有力メディアはロシア軍がブチャで住民を虐殺したと宣伝し始める。マクサー・テクノロジーズなる会社から提供された写真を持ち出し、3月19日に死体が路上に存在していたと主張しているが、ロシア軍が撤退した時点では住民の殺戮は証言されていない。 ウクライナ軍の撤退は停戦交渉の進展に基づくもので、3月30日にはブチャから撤退を完了。31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない。その後に街へウクライナ内務省の親衛隊が入り、「ロシア軍に寛容だった」とみなされた住民が虐殺されたと言われている。 そして4月9日、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがキエフへ乗り込み、ロシアとの停戦交渉を止めるように命令、その後も姿勢を変えることはなかった。4月30日にはナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めている。こうした動きを見てロシア政府は話し合いで問題を解決できないと腹を括ったようで、2022年9月に部分的動員を発表した。 国家安全保障補佐官だったジェイク・サリバンは2023年2月、CNNのタウンホールで「ロシアはすでに負けている」と主張。軍事の素人である彼は本気でそう信じていたようだ。その際、USAID(米国際開発庁)のサマンサ・パワー長官も同席していた。 欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は2022年当時、ロシア軍は洗濯機からチップを調達していると主張していたが、最近はロシア軍からの差し迫った脅威を叫び、軍事費を膨らませることを正当化している。すでに詐欺師の領域に入っていると言えるだろう。 現在、ウクライナ軍は降伏するか全滅するしかない状態だが、イギリスやフランスを含む反ロシア感情の強い国々はロシアの要求を拒否する姿勢を見せている。イギリスのキール・スターマー首相は3月2日に安全保障サミットを開催し、ウクライナへの軍事援助を継続、ロシアに対する経済的圧力を強め続けると主張している。 さらに西側諸国は地上部隊をウクライナへ派遣、イギリスは地上軍と空軍でその部隊を支援する用意があるとしているのだが、ヨーロッパ諸国の軍隊にはロシア軍と戦う能力はなく、その兵器庫は空だと言われている。アメリカ軍を引き込まなければロシアとの戦争を継続することはできない。 トランプ後に反ロシア政権がアメリカに誕生することをイギリスやフランスは願っているのかもしれないが、トランプ政権もロシアの完全勝利は望んでいないと見られ、ロシアが再び交渉のテーブルに着くことを望んでいるだろう。ロシアが交渉のテーブルにつけば、ウクライナの利権を手にできる可能性があるからだ。バイデン政権に仲介役は不可能だが、トランプ政権なら可能だとする読みもあると見られている。ともかくトランプ大統領は「公正な仲介役」を演じる一方、ロシアを交渉の席へつくまでウクライナ軍を戦わせなければならない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.13
パメラ・ジョ・ボンディ米司法長官は2月27日、ジェフリー・エプスタインに関連する約200ページの文書を公開したが、その内容はすでに公開されているものだった。批判にさらされた長官は公開されなかった数千ページの文書を28日までに提出することをFBI長官のカシュ・パテルに指示、同時にFBIニューヨーク支局長のジェームズ・デネヒーは辞任に追い込まれた。 エプスタインは250人以上の未成年女性に対する性犯罪で2019年7月6日に逮捕されたのだが、翌月の10日にニューヨーク市のメトロポリタン矯正センターで死亡している。女性は世界の有力者へ提供され、部屋での行為は秘密裏に撮影されていたのだが、彼はイスラエル軍の情報機関アマンのために働いていたことから、そうした映像はイスラエルの情報機関が脅しのために利用したと見られている。 2008年6月にもエプスタインは同様の容疑で起訴され、懲役18カ月の判決を受けているが、このときは刑務所に収監されていない。検察の姿勢が異様に甘いと批判されたが、その時に地方検事として事件を担当したのは2017年4月から19年7月まで労働長官を務めたアレキサンダー・アコスタ。エプスタインの事件が発覚し、辞任を余儀なくされたということだ。アコスタによると、上司からエプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。 イスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたこともあるアリ・ベンメナシェによると、エプスタインだけでなく彼と内縁関係にあったギスレイン・マクスウェル、そして彼女の父親であるミラー・グループのロバート・マクスウェルはいずれもアマンに所属していた。アリ・ベンメナシェはエプスタインもギスレインも1980年代の後半からイスラエル軍の情報機関に所属してたとしている。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) ところで、エプスタインは私立大学のクーパー・ユニオンとニューヨーク大学をともに中退しているのだが、有名人の子弟が通う予科学校のドルトン・スクールに教師として1974年に雇われている。雇ったのは校長だったドナルド・バー、つまり第1期のトランプ政権で司法長官を務めたウィリアム・バーの父親だ。ちなみにウィリアムはCIA出身、ドナルドはCIAの前身である戦時情報機関OSSに所属していた。 その学校に通っていた生徒の父親のひとりがベア・スターンズのCEOだったアラン・グリーンバーグ。その縁でエプスタインは1976年に同社へ入り、そこで顧客だった酒造メーカー、シーグラムのエドガー・ブロンフマンと知り合った。エドガー・ブロンフマンの父親、サミュエル・ブロンフマンは密造酒で財をなした人物として知られている。サミュエルの同業者で親しくしていたひとりがルイス・ローゼンスティール。その妻だったスーザン・カウフマンによると、ルイスはユダヤ系マフィアの大物、メイヤー・ランスキーと親しく、CIAとも緊密な関係にあった。ローゼンスティールは1922年、フランスのリビエラに滞在していた際、ウィンストン・チャーチルから、アメリカで酒を合法的に販売できるようになるので準備をするようにとアドバイスされたという。 このローゼンスティールと親子のような関係だったと言われているロイ・コーンは大学を出て間もない頃、性的スキャンダルによる恐喝を生業としている暗黒街の一味の下で働いていたとも言われているが、その後、弁護士として「赤狩り」のジョセフ・マッカーシーの法律顧問になった。その一方、彼はニューヨークの犯罪組織、ガンビーノ・ファミリーのメンバー何人かの法律顧問にもなっている。そのひとりがジョン・ゴッチ。カトリックのフランシス・スペルマン枢機卿とも親しくしていたが、この「聖職者」はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物だった。死の直前にはドナルド・トランプの顧問も務めている。 ところで、数千ページにおよぶ未公開文書はボンディへ提出されたのだが、「国家安全保障上の理由」から公開する前に編集、あるいは削除するということになっている。エプスタインの事件が単なる性犯罪ではないということだろう。 エプスタインはドナルド・トランプ大統領とも親しかったが、それ以外にもハーバード大学の法科大学院で教授を務めていたシオニストのアラン・ダーショウィッツ、イギリス王室のアンドリュー王子、ビル・リチャードソン元ニューメキシコ州知事、ジョージ・ミッチェル元上院議員、ビル・クリントン、イスラエルのエフード・バラク元首相などの名前が出てきているが、「国家安全保障」に関わるような人物がターゲットになっていたのだろう。バラクはロバート・マクスウェルの葬儀でシモン・ペレス元イスラエル首相からエプスタインを紹介されたと伝えられている。 アマンを含むイスラエルの情報機関も情報の公開には抵抗するはずだが、トランプもイスラエルとは緊密な関係にあり、トランプ政権の上級メンバー、例えばトゥルシ・ガバード国家情報長官やロバート・F・ケネディ・ジュニアもイスラエル支持を表明、またJ・D・バンス副大統領やボンディ司法長官も親イスラエル派として知られている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.12

今から80年前の3月9日から10日にかけてアメリカ軍はB-29爆撃機から大量の焼夷弾を東京の下町、深川、城東、浅草などへ投下、地上は火の海になり、7万5000人から20万人の非戦闘員が殺された。逃げ場を失い、川の中へ入った人も少なくないが、小さい川では水が沸騰していたと言われている。その際、劫火に覆われた地上から1500メートルほど上空を飛行する爆撃機の乗員には、人間の肉が焼ける匂いが届いていたという。この爆撃を指揮したカーチス・ルメイ准将(当時)は大阪や名古屋を含む日本の諸都市を同じように空爆、大量殺戮を繰り広げた。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 第2次世界大戦後の1948年にルメイはSAC(戦略空軍総司令部)の司令官になり、朝鮮戦争が勃発した50年6月から53年7月に休戦するまで朝鮮半島で大規模な無差別空爆を展開した。その攻撃で朝鮮半島に住んでいた人の20%を殺したとルメイ本人も認めている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下したのは約16万トンだったが、朝鮮戦争で投下された爆弾は約63万5000トンだと言われている。 日本では1945年8月15日に天皇の声明が放送された。「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれているものだ。そして同年9月2日、重光葵と梅津美治郎が降伏文書に署名しているのだが、その前、8月30日にアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)に対し、ローリス・ノースタッド少将はソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出した。グルーブスはマンハッタン計画を統括していた軍人だ。 9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計。そのうえでソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だとしているが、当時、アメリカはこれだけの原発を持っていなかった。1945年の終わりに2発、46年6月末に9発。1947年11月の時点でも13発、しかも完全な爆弾は7発にすぎなかった。計画の立案者は原爆の生産能力を知らなかったのだ。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) グルーブス少将は1944年、マンハッタン計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語っている。1945年8月6日に広島へ、また8月9日に長崎へ原子爆弾を投下したのはソ連を意識してのことであり、同月30日にノースタッド少将がソ連への核攻撃に関する文書を提出したのは必然だったわけだ。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) そもそもドイツ軍が1943年2月にスターリングラードで降伏した時点でドイツの敗北は決定的だった。米英両国の首脳は同年5月に慌てて協議、7月にシチリア島上陸作戦を敢行した。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。いずれもソ連を意識しての作戦だろう。 ウィンストン・チャーチル英首相よりソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンを信頼していたフランクリン・ルーズベルト米大統領が1945年4月に急死、5月にドイツは降伏する。その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、アンシンカブル作戦が作成された。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだったが、イギリスの参謀本部がこの計画を拒否したので実行されなかったという。 チャーチルは1945年7月26日に辞任するが、46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を宣言、その翌年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。 1951年4月にもチャーチルはソ連を核攻撃するという考えを口にしている。自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見されたというのだ。 こうした核攻撃計画に日本も巻き込まれている。1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだのはそのためであり、核兵器が持ち込まれるのは必然だった。沖縄のアメリカ軍基地は攻撃のためのもの。1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはカーティス・ルメイややアレン・ダレスと同じように、ソ連に対する核攻撃に積極的な人物だ。 そうした好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、攻撃は1963年後半に実行されることになっていた。そこで好戦派はソ連やキューバによるアメリカに対する攻撃を演出する偽旗作戦を立てる。ノースウッズ作戦だ。 しかし、この作戦をケネディ大統領は拒否、レムニッツァー統合参謀本部議長の再任を拒否する。通常、そのまま退役するのだが、この時は違った。イギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥がレムニッツァーに対し、欧州連合軍最高司令官にならないかと声をかけてきたのだ。アレグザンダーはシチリア島上陸作戦以降、レムニッツァーを出世街道へ乗せた人物。イギリスの有力貴族でイギリス女王エリザベス2世の側近として知られている。 また、ソ連との平和共存を訴えていたケネディ大統領は1961年11月にはCIAのアレン・ダレス長官やリチャード・ビッセル計画局長を解任、62年1月にはチャールズ・キャベル副長官もCIAから追い出したが、1963年11月22日にダラスで暗殺された。その翌年、ルメイは勲一等旭日大綬章を授与されている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.11
シリアのバシャール・アル・アサド政権はトルコを後ろ盾とするハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)やアメリカやイギリスに雇われているRCA(革命コマンド軍)を中心とする武装勢力によって倒され、HTSのリーダー、アーメド・フセイン・アル-シャラー(アブ・モハメド・アル-ジュラニ)が暫定大統領に据えられた。アル-シャラーは背広とネクタイを着込んでイメージ・チェンジを図ったが、その実態に変化はない。占領軍に対する抵抗運動が始まったとする報告がある。 HTSはアル・カイダ系戦闘グループのアル・ヌスラ戦線を改名した組織。アル・ヌスラはシリアで活動を始める前、AQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。この集団には、殺害の際に首を切り落とすことで知られている新疆ウイグルの人間も含まれているという。 西側の有力メディアはシリアの状況にさして興味がないようだが、新体制の武装グループによる虐殺が続き、その凄惨な状況を示す映像がインターネット上で伝えられている。狙われているのはキリスト教徒、アラウィー派、シーア派が中心で、すでに女性が子どもを含む数千人が犠牲になっているとされていると伝えられているが、新たなデータが出るたびに犠牲者数は急速に増えているため、その実態は明確でない。 シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いた記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。これはズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めた戦術。2009年にアメリカ大統領となったバラク・オバマの師はそのブレジンスキーだ。 オバマ大統領が2010年8月にPSD-11を承認した。ムスリム同胞団を利用し、地中海の南部や東部の沿岸で体制転覆工作を仕掛けるという計画だった。その計画に基づいて北アフリカや中東の地中海沿岸で体制転覆を目指す運動が活発化、有力メディアはそれを「アラブの春」と呼んでいた。シリアやリビアに対する軍事攻撃もその中で引き起こされている。 しかし、そうした体制転覆工作はその前から始まっているようだ。ネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランの制圧を目論んでいた。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、彼は統合参謀本部で見た攻撃予定国のリストを見ている。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランが記載されていた。(3月、10月)またロラン・デュマ元仏外相によると、2009年に彼がイギリスを訪問した際、イギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたという。 ネオコンは1980年代、まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断してそれぞれを個別撃破する計画を立てていた。その計画は2003年3月、アメリカ主導軍によるイラクへの先制攻撃という形で実現したが、その攻撃を正当化するために利用されたのが2001年9月11日の攻撃だ。この攻撃を誰が何のために行ったのかは詳しく調査されず、今でも「不明」だ。イラクが大量破壊兵器を保有、アメリカに対する攻撃に使うと西側の有力メディアが宣伝していたが、嘘だった。 アサド政権が倒された後、シリアでは住民が虐殺されている。シリアを含む地中海沿岸諸国に対する攻撃を始めたのはバラク・オバマ政権であり、そのプロジェクトをドナルド・トランプ政権やジョー・バイデン政権も踏襲。そして現在、シリアは混乱状態であり、破綻国家と化しつつある。リビアのような無法地帯に向かっているとも言えるだろう。欧米の帝国主義諸国が計画した通りだ。 アル・カイダ系武装集団はイスラエルを攻撃してこなかった。HTSやRCAも例外ではない。そのイスラエルが軍隊をシリアへ侵攻させ、シリア軍の生き残りを殺害、インフラを破壊している。イスラエルの新聞、エルサレム・ポスト紙によると、ヤコブ・ナゲル議員を委員長とする「ナゲル委員会」は、トルコがオスマン帝国時代の影響力を回復しようとする野望によってイスラエルとの緊張が高まる可能性があると指摘、直接対決に備える必要があると警告しているが、そこにはイスラエルの「大イスラエル構想」も隠れている。トランプ政権の現閣僚はそのイスラエルを支持している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.10
バラク・オバマ政権のネイコンがウクライナで始めたロシアとの戦争をドナルド・トランプ大統領は本気で終結させようとしているようだ。そのためにウラジミル・プーチン政権と協議、合意が近いと推測する人がいる。 アメリカ政府とロシア政府の協議は2月18日にサウジアラビアのリヤドで始まったと見られている。その際、さまざまな問題に対処するための専門グループを編成することで米露両国は合意したという。ひとつは戦略的安全保障と軍備管理に関するグループ、第2に地球規模の安全保障構造を見直すグループ、第3に両国相互の外交に関するグループ、第4にエネルギーや制裁に関するグループ、第5にウクライナにおける戦闘の決着をつけるためのグループ、第6にはパレスチナや北極圏を含む国際問題に関するグループだ。 ウクライナに関する問題については話し合いが進んでいると推測する人がいる。2月24日にエマニュエル・マクロン仏大統領がホワイト・ハウスを訪問、27日にキール・スターマー英首相もホワイト・ハウスを訪れている。そしてウォロディミル・ゼレンスキーが28日にやはりホワイト・ハウスへ入り、トランプ大統領と口論になったわけだ。ゼレンスキー、スターマー、マクロンらの言動を見ると、トランプとプーチンの間で話し合われている内容に彼らは不満を持っているように思えるが、受け入れざるを得ないと考えられている。 その28日にロシア政府は連邦安全保障会議のセルゲイ・ショイグを中国へ派遣、その際、習近平主席が出迎えているのだが、その4日前に習近平主席とプーチン首相は電話で会談している。ロシアと中国は新たな戦略安全保障協議を始めるとも伝えられている。 トランプ大統領はホワイト・ハウスでゼレンスキーとレアアースに関する協定に署名する予定だったとされている。レアアースはウクライナ問題のキーワードとして使われているのだが、ウクライナの地下に豊富なレアアースがあるとは考えられていない。少々奇妙だ。 しかし、レアアースを開発するという口実でアメリカ企業がウクライナへ入ることになれば、アメリカとロシアが新たな戦争を始める可能性は小さくなるとも言える。トランプ大統領はそうした発言をしている。そうなれば「平和維持軍」という口実でNATO軍を配備することが難しくなるだろう。軍事的な中立地帯を作ることにもなり、ネオコンが突き進んでいた「第3次世界大戦」を防ぐことにもなる。ゼレンスキーがレアアースに関する協定に署名しなかったのは予定通りだったのではないかと推測する人もいるが、この試みは失敗に終わったようだ。 ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、そしてジョー・バイデンを支えてきたネオコンはロシアの制圧を目指していた。これはイギリスのエリートが作成した長期戦略に基づくもので、1904年にハルフォード・マッキンダーという学者がまとめ、発表している。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論がベースになっている。 中期的な戦略では、ロシアとヨーロッパが経済的に結びつくことを防ぐことがウクライナ制圧の目的だった。ロシアとヨーロッパはロシア産天然ガスで関係を強めていたが、そのガスを輸送する主要なパイプラインがウクライナを通過していたため、ウクライナを制圧することでロシアとヨーロッパを分断できる。そうなればロシアから巨大なマーケットを奪い、ヨーロッパから安いエネルギー資源の供給源を潰せ、いずれも弱体化させられる。 ロシアとドイツはこうしたリスクを認識していたようで、ウクライナを迂回するため、バルト海を通る2本のパイプライン「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」を建設したのだが、バイデン政権はそれらを2022年9月に爆破した。 ネオコンを含むアメリカの一部支配層は1991年12月にソ連が消滅した段階で自分たちが世界の覇者になったと信じ、1992年2月にアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プロジェクトを作成した。この草案はポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 冷戦に勝利したと信じたアメリカの好戦派は核戦争でもロシアや中国に勝ってると信じたことは、外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文を読んでも推測できる。そこにはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカ軍の先制第1撃で破壊できるようになる日は近いと書かれている。 北京の夏季オリンピックに合わせ、2008年8月にジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したが、この攻撃はイスラエルとアメリカが兵器など軍事物資を供給、将兵を訓練しただけでなく、イスラエルが作戦を立てたと言われている。その攻撃でジョージア軍はロシア軍に完敗した。しかも2015年9月にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍は自分たちの戦闘能力が高く、ロシア製兵器の能力が高いことを世界に示したのだが、それでもネオコンたちはロシアが弱いと信じ、バイデンは「ルビコン」を渡った。 2022年4月7日付けRFE/RL(ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティー)に掲載された記事の中で、2013年5月から16年5月まで欧州連合軍の最高司令官(SACEUR)を務めたフィリップ・ブリードラブ米空軍退役大将は、「核兵器と第三次世界大戦を非常に心配していたため、完全に抑止されてしまった」と語っている。ロシアとの核戦争を恐れるべきではないという主張だ。 2022年2月にロシア軍がウクライナへの攻撃を始めた当時、投入されたロシア軍の戦力はウクライナ軍の数分の1だったとされている。戦争の準備ができていない段階で、軍事作戦を始めねばならない事情が生じたということだが、それでもロシア軍は優勢。その年の9月にロシア政府が部分的動員を発表した後になると、ウクライナ軍の敗北は不可避だと見られていた。それでも戦争を続けようとしたのがネオコン。彼らにとってウクライナでの敗北は自分たちの破滅につながりかねないからである。 ウクライナで追い詰められた彼らは戦車やF-16戦闘機を含む兵器を供与、バイデン政権はATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)ミサイルの使用をキエフ政権に許可、ロシアの深奥部に対する攻撃で使われている。その直後、イギリス製ストームシャドウとHIMARSミサイルも使用された。 しかし、これらはウクライナ軍だけで使うことはできない。オペレーターのほか、地上だけでなく衛星からの情報、あるいはミサイルを誘導するためのシステムが必要。つまりNATO諸国の軍が関与していたのである。 ATACMSの使用許可はロシアに核攻撃させることが目的だった可能性があるのだが、ATACMSなどの攻撃の直後、ロシア軍はマッハ10という極超音速で飛行する中距離弾道ミサイル、オレーシニクでドニプロにあるユジュマシュの工場を攻撃した。射程距離は約6000キロメートルだとされている。これは新型極超音速中距離ミサイルのテストを兼ねた警告だ。ロシアは核兵器を使わずにNATOの主要施設を破壊できることを示したのだ。 ロシア軍は3月1日、イスカンデル・ミサイルでドネプロペトロフスク州にあるウクライナ軍の試験場を攻撃し、外国人教官最大30人を含む武装勢力最大150人を殺害したと伝えられている。この訓練場にはウクライナ軍の第157独立機械化旅団の兵士が駐留していたという。当初、この攻撃をウクライナ側が認めなかったことから、被害は深刻なのだろうと推測する人もいた。ロシア軍は外国から入っている「教官」を意図的に狙ったのだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.09
ドナルド・トランプ政権も言っているように、ウクライナで戦っているのはロシアとアメリカである。アメリカがネオ・ナチを使ったクーデターでキエフを制圧した。そのネオ・ナチ体制が崩れようとしているのだが、それをヨーロッパのエリートは恐れている。 クーデターを実行したのはバラク・オバマ政権。2013年11月から14年2月にかけてのことである。2010年の選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチを排除し、ロシアに軍事的な圧力をかけると同時にヨーロッパとロシアを分断することが目的だった。クーデターで実権を握った体制はネオ・ナチだ。 ネオ・ナチを操っているのはMI6やCIAだが、ウクライナの軍や治安機関の約7割はネオ・ナチ体制を嫌って離脱したと言われている。ヤヌコビッチを支持していた東部や南部の住民はクーデターを拒否、オデッサでは住民がネオ・ナチの一団に虐殺されて制圧されたが、クリミアの住民は素早くロシアに保護を求め、東部ドンバスの住民は反クーデター軍を組織して抵抗を始めた。 クーデターから間もない段階では反クーデター軍が優勢で、西側諸国はクーデター体制の戦力を増強する。8年かけて兵器を供給、兵士を訓練、要塞線を築いて準備を整えたのだが、ドンバスを攻撃する直前にロシア軍が戦争の準備をしないままウクライナに対する攻撃を開始、その戦いでロシアの勝利は決定的になっている。 戦いはクーデターの前、2004年11月から05年1月にかけての「オレンジ革命」から始まったとも言える。当時のアメリカ大統領ははジョージ・W・ブッシュ。その政権は「オレンジ革命」でビクトル・ヤヌコビッチを排除して新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えたのだが、その政権は貧富の差を拡大させ、国民の怒りを買う。そこで2010年の選挙ではヤヌコビッチが勝利、オバマ政権はクーデターを実行してヤヌコビッチを排除しなければならなくなった。 ウクライナで内戦が始まった当時、話題になった記事がある。イギリスのエコノミスト誌は2007年3月17日号で2057年の世界情勢についての記事を掲載したのだが、そこに書かれていたシナリオが興味深いのである。この雑誌はイギリスの金融資本と密接な関係にあると言われ、記事の内容はイギリス支配層のプランが反映されていた可能性がある。 そのシナリオでは2011から20年代半ばにEUの当局者が「バラク・オバマ大統領」を説得、ウクライナ危機をめぐってロシアに大規模な核攻撃をちらつかせた結果、EUは世界帝国の主導的な機関になるとされている。その号が発行された時点のアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュだが、2008年の大統領選挙でオバマが次の大統領に選ばれ、17年1月までその職にあった。 ブッシュ・ジュニア政権、オバマ政権、バイデン政権はいずれもネオコンの強い影響下にあり、いずれもロシアとの戦争に積極的だった。ウクライナ制圧はその一環だが、工作には資金が必要である。 クーデターを仕掛けるのは通常CIAで、かつては「CIAの銀行」が暗躍していたが、1980年代からはUSAID(米国国際開発庁)やNED(ナショナル民主主義基金)が工作資金を流す主要機関だ。NEDからNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターなどへ資金は流れている。トランプ政権はUSAIDの機能を停止、さまざまな影響が現れている。ウクライナの「独立系メディア」がCIAのプロパガンダ機関にすぎないことも明確になった。 ウォロドミル・ゼレンスキーは大統領時代の2020年10月にイギリスを公式訪問した際、同国の対外情報機関MI6のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問、その翌年には政権とその政策に反対する見解を表明していた国内のすべてのテレビ局とメディアを閉鎖、すべての左翼政党と社会運動も禁止された。いずれも超法規的な措置だ。勿論、西側の政府から資金提供を受けたメディアや政党は禁止の対象になっていない。 ネオ・ナチのグループ「C14」を率い、人を殺すのが好きだと公言しているイェフヘン・カラスへもUSAIDの資金は渡っていた。このグループは2010年、ネオ・ナチの「社会国家主義者党(のちにスボボダ党へ改名)の青年グループとして設立された。カラスは2022年2月5日、自分たちは西側から「多くの武器を与えられた」が、それは西側が設定した任務を実行する準備ができているのは私たちだけだからだと主張、自分たちは殺すことも、戦うことも楽しんでいると語っている。ウクライナのネオ・ナチは自分たちの正体を隠していない。 ウクライナのネオ・ナチはステパン・バンデラを信奉、組織としては1929年に創設されたOUNからの流れだ。1930年代にはイギリスの情報機関MI6やドイツの防諜機関アプヴェーアをスポンサーにしていた。 OUNは1941年3月に分裂、OUN-M(メルニク派)とOUN-B(バンデラ派)に分裂。バンデラ派のレベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入る。 第2次世界大戦の終盤からアレン・ダレスをはじめとするウォール街人脈はナチス高官を含むファシストの逃亡を助け、保護、雇用。東ヨーロッパ出身のファシストは西側情報機関の支援を受けてABN(反ボルシェビキ国家連合)を組織した。ABNはバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが率いるようになる。 1966年にABNはアジア地域で創設されていたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟へ改名)と合体してWACL(世界反共連盟)を組織、その後、WACLはWLFD(世界自由民主連盟)へ名称を変更している。バンデラは第2次世界大戦後にイギリスのMI6の配下に、またバンデラの側近だったミコラ・レベドはアメリカのアレン・ダレスの配下に入った。 この人脈はKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)も組織、ヤロスラフ・ステツコが指揮するのだが、このステツコもMI6に支援されていた。1986年に彼が死亡すると妻だったスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いることになる。1991年12月にソ連が消滅すると、彼女はミュンヘンからウクライナへ帰国している。 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかならない。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になった。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。ウクライナでの戦争にはこのネットワークも参加、ロシアに敗れたということでもある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.08
ロシアのドミトリー・ペスコフ大統領府報道官はブルームバーグに対し、「アメリカとイランは交渉を通じてすべての問題を解決すべきだとロシアは考え」、ロシア政府は「そのために全力を尽くす用意がある」と述べたという。イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は1月17日にモスクワを訪問した際、両国の包括的戦略的パートナーシップ協定に署名した。 親欧米派と言われているペゼシュキアンは昨年7月から大統領を務めている。その2カ月前、エブラヒム・ライシー大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らが搭乗していたアメリカ製のベル212ヘリコプターが墜落、搭乗者全員が死亡したのだ。 そして後任大統領として選ばれたのがペゼシュキアン。その就任式に出席するためにテヘランを訪れていたハマスのイスマイル・ハニヤが暗殺され、ベイルートでは7月30日にヒズボラのフアド・シュクルが殺された。 ハニヤやシュクルの場合、居場所に関する情報が漏れていた可能性が高い。墜落したベル212ヘリコプターに乗っていたライシーやアミール-アブドラヒヤンたちはダムの落成式に参加、戻る途中だった。濃い霧で視界が悪かったとされているのだが、同行していた2機のロシア製ヘリコプターは問題なく帰還している。 ヘリコプターが墜落する前月の4月1日にイスラエル空軍はゴラン高原方向からダマスカスを攻撃してイラン大使館領事部を破壊、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊コッズの上級司令官だったモハマド・レザー・ザヘディ准将と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害した。 そうした攻撃への報復としてイランは4月13日、ドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃、大半のミサイルは目標にヒットしたと伝えられている。ところが新大統領のペゼシュキアンはイスラエルに対して寛容だった。 ペゼシュキアンの説明によると、イランが報復攻撃をしなければパレスチナでの停戦と二国家解決の進展が約束されたのだという。その説明を聞いて唖然とした人は少なくないだろう。ありえないからだ。その後、イスラエルを攻撃せざるをえない状況になった。 イランがイスラエル南部と中部に200機から400機の弾道ミサイルを発射、イスラエルが誇る防空システム「アイアン・ドーム」を突破して標的に命中させたのは2024年10月1日のことだった。80から90%が標的に命中したとイラン側は主張しているが、現地から流れてくる映像はその主張の信憑性を高めている。 ペゼシュキアン政権は経済政策でも議会で批判されている。新自由主義的な政策で通貨の価値が下落、インフレが進んで生活費が高騰、人びとの生活は苦しくなっている。「改革派」が行う政策の必然的な結果だと言えるだろう。3月2日にはイスラム諮問議会(マジリス)がアブドゥル・ナセル・ヘマティ経済財務相を解任、モハメド・ジャバード・ザリーフ戦略担当副大統領が辞任したとする話が流れている。 ライシーの急死で主導権を握ったイランの親欧米派は窮地に陥った。アメリカとイランの関係が難しくなる可能性がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.07

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は2月4日にドナルド・トランプ米大統領の招待でホワイト・ハウスを訪れて会談したが、その際、トランプがネタニヤフが座ろうとしていた椅子を引いてサポートする様子を撮影した映像が世界に発信され、ウェイターのようだと話題になった。ウォロディミル・ゼレンスキーとの口論とは全く違う。 ウクライナでの戦闘やCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動の問題ではジョー・バイデンやバラク・オバマ政権の闇にメスを入れようとしているトランプ大統領だが、イスラエルによるパレスチナ人虐殺の問題では民主党政権と同じようにイスラエルと連携している。 イスラエル軍によるガザでの住民虐殺は2023年10月7日に始まったのだが、その前からイスラエルは挑発を続けていた。例えば、2023年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だとされているアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/昨年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人が同じモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせて10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。ハマスを中心とする武装グループがイスラエルを攻撃したのはその直後、10月7日のこと。その攻撃は「アル・アクサの洪水」と名付けられた。 ネタニヤフ政権は停戦を第2段階へ進めることを望んでいない。その先には永続的な平和とガザからのイスラエル軍撤退があるからだと言われている。 イスラエルはガザを再び包囲、アメリカ政府の支援ですべての物資がガザへ運び込めないようにしている。人道支援物資も運び入れることができない。パレスチナ人に対する兵糧攻めが強化されている。 イスラエル支持という点でトランプも民主党も変わりはない。イギリスのキア・スターマー首相は親イスラエルを公言、妻ビクトリア・アレキサンダーの家族がユダヤ系だということをアピールしてきた。イギリスでパレスチナ人虐殺を批判した労働党のジェレミー・コービンは有力メディアから「反ユダヤ主義者」だと激しく攻撃され、党首の座から引摺り下ろされた。 欧米でシオニストを批判することは難しいのだが、シオニストの一派であるネオコンはここにきて力が弱まっている。トランプからの攻撃で風前の灯だが、そのトランプもイスラエルを盲目的に支持している。シオニスト全体が弱体化しているわけではない。 トランプに多額の資金を提供してきたシェルドン・アデルソンはラスベガス(ネバダ州)、ベスレヘム(ペンシルベニア州)、さらにマカオ(中国)、マリナ湾(シンガポール)でカジノを経営、日本にもカジノを作らせるように要求していた。この人物は2021年1月に死亡したが、妻のミリアムもトランプに対する大口スポンサーだ。シェルドンはネタニヤフと関係が深く、生前、イランに核兵器を使用することを提案していた。ミリアムは1億ドルの選挙資金を寄付する代償として、イスラエルによるヨルダン川西岸の正式な併合を認めるように求めていた。 アル・カイダ系武装集団ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)が昨年12月8日にシリアの首都ダマスカスを制圧、バシャール・アル・アサド政権は倒された後、イスラエル軍がシリアへ軍事侵攻、シリアの防衛システムの大半を破壊、ゴラン高原の占領地域を拡大、シリア南部に対する激しい空爆を展開している。イスラエルとハマスは1月15日にガザでのに合意、その協定は19日に発効したのだが、すでに本格的な戦闘が再開されそうな雲行きだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.06
ウクライナ議会は3月3日にロシアとの戦争に関する声明を出した。「ウクライナ国民は世界の誰よりも平和を望んでおり、ドナルド・トランプ大統領の個人的役割と彼の平和維持活動が敵対行為の迅速な停止とウクライナ、ヨーロッパ、そして世界全体の平和達成に決定的な影響を与えると信じている」としている。トランプ大統領の和平イニシアチブを歓迎しているのだ。 ウクライナにおける大統領の任期は5年である。ウォロディミル・ゼレンスキーが大統領に就任したのは2019年5月なので、24年5月に任期は切れたわけだが、ゼレンスキー政権や後ろ盾の西側諸国は戒厳令を口実にして大統領選挙を実施せず、居座っている。トランプ大統領はゼレンスキーの支持率は一桁だと言っているが、ウクライナ人に支持されていないことは間違いないだろう。ゼレンスキーは大統領に就任した直後、ロシアとの関係修復に前向きの姿勢を見せていたが、和平に向かって歩き出しはしなかった。 国内では不人気のゼレンスキーだが、イギリスやフランスを含むヨーロッパの一部リーダーからは支持され、そのリーダーたちはロシアとの戦闘に執着している。問題は彼らにロシアと戦争する能力がないこと。そこでアメリカを引き込まなければならないのだが、彼は2月28日にホワイト・ハウスでトランプ大統領と口論、ドナルド・トランプ政権はNATOに相談することなくキエフへの軍事援助停止を決めたと伝えられている。 トランプがロシアとの戦争から手を引こうとしている可能性は高い。大統領に就任した当初、彼はウクライナでの戦闘で戦死したロシア兵を100万人近くだと主張、ウクライナ兵の戦死者約70万人を上回るとしていたが、そうしたことは口にしなくなった。 こうした発言は彼がウクライナ特使に起用したキース・ケロッグ退役陸軍中将の主張に基づいていた。同中将はロシアが軍事的にも経済的にも疲弊しているとしていたのだが、ロシアが制空権を握っている事実だけでも間違いがわかる。 戦場において発射された砲弾の数は死傷者数に反比例すると言われているが、その数は6対1から10対1でロシア軍が上回る。つまりロシア軍の死傷者数はウクライナ軍の6対1から10対1だということだ。実際は1割程度だと見る人が少なくない。 イギリスのベン・ウォレス元国防大臣は2023年10月1日、テレグラフ紙に寄稿した記事の中で、その当時、ウクライナ兵の平均年齢はすでに40歳を超えていると指摘、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求していた。それだけ死傷者数が多いということをイギリスの元国防大臣も認めている。現在の状態はさらに悪化しているはずだ。 ウクライナ軍が保有する武器弾薬が枯渇していることはゼレンスキーの発言でも明確であり、ヨーロッパ諸国の兵器庫も空だ。ヨーロッパのNATO加盟国は何もできない。 NATOを東へ拡大させないという西側諸国の「約束」をソ連やロシアの政府は信じたが、その「約束」は反故にされた。2014年のミンスク1と15年のミンスク2も西側諸国は守らなかった。アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領はミンスク1とミンスク2はキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎだったと発言している。ロシアは何度も煮湯を飲まされてきたのだ。ウラジミル・プーチン露大統領は話し合いでの解決が不可能だと腹を括ったはずである。そのプーチン大統領は2022年9月21日に部分的な動員を実施すると発表した。その時点で戦争の中身が変わった。 崩壊状態のウクライナ軍にトドメを刺すつもりなのか、ロシア軍は春に攻勢をかけると言われている。ゼレンスキーはウクライナ軍が100個以上の旅団を戦場に展開しているとしていたが、ロシア軍はその倍、つまり200個師団以上だと見られている。しかも兵器の質や量でロシアはウクライナを圧倒している。そうした中、ヨーロッパ諸国の軍隊が3個師団程度を派遣しても意味はないのだが、各国の国民に幻影を見せ続けるには、無意味なことでもしなければならないのかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.05

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは3月2日、ロンドンでイギリス国王チャールズ3世と会った。2月28日にホワイト・ハウスでドナルド・トランプ米大統領と口論したことを意識したのか、和やかな雰囲気を演出していた。3月1日にゼレンスキーはキール・スターマー首相と会談、首相から永続的な平和を実現するというイギリスの揺るぎない決意を伝えられたというが、イギリスはフランスなどと同様、戦争の継続を求めている。スターマーは「ロシアを殲滅する」つもりなのかもしれないが、現実的には不可能だ。 ウクライナ軍は降伏するか全滅するしかない状態。スターマーは3月2日に安全保障サミットを開催、ウクライナへの軍事援助を継続し、ロシアに対する経済的圧力を強め続けると主張、さらに西側諸国は地上部隊をウクライナへ派遣、イギリスは地上軍と空軍でその部隊を支援する用意があるとしているのだが、ヨーロッパ諸国の軍隊にはロシア軍と戦う能力はなく、その兵器庫は空だと言われている。アメリカ軍を引き込まなければロシアとの戦争を継続することはできない。それは世界大戦へ突き進むことを意味する。アメリカ軍とロシア軍を戦わせ、共倒れを狙っているのだろうか? 故ヘンリー・キッシンジャー元国務長官は2014年3月5日付けワシントンポスト紙で、ネオコンのウクライナ制圧計画を批判している。キッシンジャーはウクライナが複雑な歴史と多言語構成を持つ国であると指摘、西部は1939年にソ連へ編入され、人口の60パーセントがロシア人であるクリミアは54年にウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフがロシアとコサックの協定300周年記念の一環としてウクライナへ与えたと説明する。ドンバスを含む東部もソ連時代にロシアからウクライナへ割譲されたのだ。 また文化面の問題にも彼は触れている。西部は主にカトリック教徒、東部は主にロシア正教徒、また西部ではウクライナ語が話され、東部では主にロシア語が話されるのだ。こうしたウクライナで一方が他方を支配しようとすれば内戦または分裂につながるだろうとキッシンジャーは指摘しているが、その予測通りになった。 ソ連が消滅する直前にウクライナ議会は独立を宣言するが、すぐ東部や南部ではウクライナからの独立が現実化しそうになった。その地域では7割以上の住民が自分たちをロシア人だと認識しているのだ。その動きを抑え込むために「中立」という方針が掲げられたのだが、それが気に入らないネオコンは2004年11月から05年1月にかけて「オレンジ革命」を仕掛け、新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。 しかし、新自由主義は富を一部の特権集団に集中させ、貧富の差を拡大させる。そこで国民は離反、次の選挙では「オレンジ革命」で排除されたビクトル・ヤヌコビッチが当選した。バラク・オバマ政権はヤヌコビッチ政権を倒すだけでなく、二度と登場しないように別の工作を始めた。それがネオ・ナチを使ったクーデターである。 クーデターは2013年11月から14年2月にかけてキエフで実行され、ヤヌコビッチ政権は倒されたが、リビアとは違い、クーデター軍に拘束されることはなかった。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、軍や治安機関の約7割もネオ・ナチ体制に加わることを嫌って離脱、その一部は反クーデター軍へ合流したと言われている。 そこで当初は反クーデター軍がクーデター軍より強く、オバマ政権はクーデター派を支援するためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだ。また傭兵会社「アカデミ(旧社名:ブラックウォーター、Xe、2014年6月にトリプル・キャノピーと合併してコンステリス・グループ)」の戦闘員約400名がウクライナ東部での戦闘に参加、CIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練している。そのほか、イギリス、フランス、カナダ、リトアニアの特殊部隊員がウクライナ国内出活動しているとも伝えられていた。 その後、2022年までの8年間にクーデター体制の戦力を西側諸国は増強する。兵器など軍事物資を供給、兵士や子どもたちを訓練、反クーデター軍が支配するドンバスの周辺に地下要塞を建設するなどして戦争の準備を進めた。そのための時間を稼ぐために使われたのが停戦協定。つまり、2014年のミンスク1と15年のミンスク2だ。アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は後に、この合意がキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎだったと証言している。 しかし、ネオコンをはじめとする西側の好戦派が描いた計画通りには進まなかった。すでにウクライナ軍が壊滅状態にあることをアメリカ軍は知っているだろう。トランプ大統領の主張にも無理がある。何度も煮湯を飲まされているロシア政府が話し合いに応じるとは思えない。ドナルド・トランプ政権が戦争の終結を望むなら、ロシア側の要求を呑まなければならない。イギリス国王が出てきても状況は変わらない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.04
アメリカを訪問したウォロディミル・ゼレンスキーは2月28日にホワイト・ハウスへ乗り込み、アメリカ側のアドバイスを無視してラフな服装でドナルド・トランプ大統領との会談に臨んだ。その日、レアアースに関する協定に署名、昼食をとり、共同記者会見を開く予定だったのだが、署名の前にドナルド・トランプ大統領やJ・D・バンス副大統領と激しく口論を始め、その予定は取り消された。 口論の切っ掛けは、アメリカ側から和平を求められ、ゼレンスキーが腹を立てたことにあるように見えるが、「ファシストのトランプ」と戦う「民主主義のゼレンスキー」というイメージを作ろうとしたのかもしれない。ただ、小遣いをねだる行儀の悪い子どもにしか見えないが。 結局、口論が始めると同席していた記者は退席させられ、ゼレンスキーたちはホワイトハウスから追い出されてしまったが、この出来事がなくてもゼレンスキー政権に対するアメリカからの資金や兵器などの支援は続きそうもない。本ブログでも繰り返し書いてきたが、ゼレンスキーはイギリスの情報機関に操られている可能性が高く、今回の出来事の背景にはMI6が存在しているかもしれない。 アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターによると、ウォロドミル・ゼレンスキーは2020年10月にイギリスを公式訪問した際、イギリスの対外情報機関MI6(SIS)のリチャード・ムーア長官を非公式に訪問、会談している。 その訪問はジャーナリストに察知され、撮影された。その事実からゼレンスキーはMI6のエージェントであり、そのハンドラー(エージェントを管理する担当オフィサー)はムーア長官だと推測されているのだ。会談後、ゼレンスキーの警護担当者はウクライナ人からイギリス人へ交代になったという。 今回の出来事によって対立を世界に知らせることができ、ヨーロッパ諸国のリーダーから支援の声を引き出せたことは成功だと考える人もいるのだが、ヨーロッパ諸国にはロシアと戦うための資金も戦力もなく、現状ではウクライナを助けようがない。 ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権をアメリカのバラク・オバマ政権がクーデターで倒したのは2014年2月のことだが、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の人びとはクーデターを拒否、軍や治安機関では約7割が離脱したと言われている。そこでクーデター派は軍事力を高めるために8年を要したのだ。その時間を稼ぐために使われたのが2014年のミンスク1と15年のミンスク2をロシアは停戦合意にほかならない。アンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領は後に、この合意がキエフのクーデター体制の軍事力を強化するための時間稼ぎだったと証言している。 クーデター直後からオバマ政権はクーデター派を支援するためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミ(旧社名:ブラックウォーター、Xe、2014年6月にトリプル・キャノピーと合併してコンステリス・グループ)」の戦闘員約400名がウクライナ東部での戦闘に参加。またCIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練している。そのほか、イギリス、フランス、カナダ、リトアニアの特殊部隊員がウクライナ国内出活動しているとも伝えられていた。 その後もウクライナへは国外から傭兵や軍事教官が入っている。昨年1月16日、ロシア軍はハリコフの軍事施設や旧ハリコフ・パレス・ホテルを破壊したが、この旧ホテルは西側の情報機関や軍関係者に使われていて、爆撃された際、200人近くの外国人傭兵が滞在していたと言われている。その攻撃で死傷した戦闘員の大半はフランス人傭兵で、そのうち約60名が死亡、20人以上が医療施設に搬送されたという。 ロシア国防省によると、3月1日にロシア軍はイスカンデル・ミサイルでドネプロペトロフスク州にあるウクライナ軍の試験場を攻撃し、外国人教官最大30人を含む武装勢力最大150人を殺害したという。ここではウクライナ軍第157機械化旅団の戦闘員が訓練を受けていた。ゼレンスキーがアメリカ政府の要人と口論した後、ヨーロッパの一部指導者はゼレンスキーを支持、ロシアとの戦争を煽っていたが、その影響があるかもしれない。 その一方、クーデター政権を支える勢力はウクライナへ供与した資金の一部を受け取っていたと言われ、国防総省はウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めていた。ウクライナに平和がもたらされた場合、資金の流れや生物化学兵器に関する話が浮上してくる可能性もある。そうした展開はウクライナで戦争を推進していた勢力にとって都合が悪い。 2014年2月にヤヌコビッチが排除される前、オバマ政権で国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランドはウクライナ駐在アメリカ大使を務めていたジェオフリー・パイアットとクーデター後の閣僚人事について電話で話し合ったいる音声が漏れ出た。その中でヌランドは「EUなんかくそくらえ」と口にしている。この発言について「品のない言葉」で誤魔化そうとする人もいたが、EUがキエフの混乱を話し合いで解決しようとしていたことに対する怒りだった。 その後、クーデターでロシアからEUへ天然ガスを運ぶパイプラインはアメリカの傀儡体制によって止められた。バルト海を通る迂回ルートの「ノードストリーム(NS1)」と「ノードストリーム2(NS2)」は2022年9月に爆破された。 この爆破をジョー・バイデン政権は予告していた。ヌランドは2022年1月27日、ロシアがウクライナを侵略したらNS2は前進しないと発言し、同年2月7日にバイデン大統領がNS2を終わらせると主張、記者に実行を約束している。そして2022年9月、NS1とNS2は爆破された。これによってヨーロッパ経済は大きなダメージを受け、社会は破壊された。それを現在のEU指導部は容認している。クーデター当時と現在ではEU指導部の考え方が逆だが、その考え方はウクライナ情勢に影響を及ぼすことはできない。話し合いが無意味だと悟ったロシア政府は軍事力で目的を達成しようとするだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.03

厚生労働省は2月27日、昨年12月分の「人口動態統計速報」を発表した。死亡者数は15万6829人。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」が始まる前年、2019年の同じ月に比べて2万9593名増えている。今年1月の死亡者数はさらに増える兆候を見せており、事態は深刻だ。今後、中長期の副作用が出てくることが予想されるが、どのような症状になるかは不明である。 SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)は人工的に作られた可能性が高いが、COVID-19騒動の核心は「ワクチン」というタグがつけられて遺伝子操作薬にあり、その黒幕はアメリカの国防総省だ。医薬品メーカーはその国防総省と契約している企業にすぎず、医薬品メーカーを批判することで終わってしまえば、問題を解決することができない。 長年医薬品業界で研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワは早い段階からCOVID-19騒動と国防総省の関係を指摘していた。アメリカでは裁判所の命令で医薬品メーカーやFDA(食品医薬品局)が隠蔽しようとした文書が公開されたが、それを彼女は分析、バラク・オバマ大統領の時代から国防総省が「COVID-19ワクチン」の接種計画を始めたという結論に達していたのだ。 彼女によると、2020年2月4日に保健福祉長官はCBRN(化学、生物、核、放射線)緊急事態に関するふたつの宣言をしている。そのひとつがEUA(緊急使用許可)で、大量破壊兵器が関与する重大な緊急事態を想定、CBRN物質に対する対抗手段を安全性と有効性を確保するために規制監督なしで使用する許可だ。 ジョン・ラドクリフCIA長官を含む人びとは病原体のウイルスが中国の武漢研究所から漏れたとする説を支持してきたが、ウェルカム・トラストの理事長からWHO(世界保健機関)の主任科学者になったジェレミー・ファラーはCOVID-19の発生が中国にとって最悪のタイミングで発生したと強調していたとされている。多くの中国人が旅行する旧正月の直前に、主要な交通ハブである武漢で始まった。意図的にウイルスが撒かれたのではないか、ということだ。 COVID-19騒動の幕開きは2019年12月、中国の湖北省武漢の病院でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたところから始まる。患者から回収されたサンプルが「上海市公共衛生臨床中心」の張永振へ送られて検査したところ、すぐに「新型コロナウイルス」が発見され、そのウイルスが病気の原因だと断定されたとされている。 中国で伝染病対策の責任者を務めている疾病預防控制中心の高福主任は2020年1月22日、国務院新聞弁公室で開かれた記者会見の席上、武漢市内の海鮮市場で売られていた野生動物から人にウイルスが感染したとする見方を示した。この仮説を有力メディアは世界へ拡げた。 高福は1991年にオックスフォード大学へ留学して94年に博士号を取得、99年から2001年までハーバード大学で研究、その後04年までオックスフォード大学で教えている。また、NIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長を務めてきたアンソニー・ファウチの弟子とも言われている。 SARS-CoV-2が人工的に作り出されたとするならば、ノースカロライナ大学のラルフ・バリックを無視することはできない。武漢病毒研究所(WIV)と彼は協力関係にあり、WIVの石正麗と2015年11月にSARSウイルスのスパイク・タンパク質をコウモリのウイルスのものと取り替えて新しいウイルスを作り出すことに成功している。 しかし、SARS-CoV-2が中国で作り出された可能性は小さい。このウイルスに感染した動物が中国の自然界で発見されていないのだ。ところが北アメリカに生息するシカ、ノネズミ、コウモリを含む5種類の動物が感染していることが判明、それらの種はモンタナ州にあるロッキー・マウンテン研究所で実験動物として使用されていたことが突き止められた。 アメリカの国防総省はウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めてきた。その中心はDTRA(国防脅威削減局)だとロシア側は主張、ロシア議会は2023年4月に報告書を発表している。ロシア軍は2022年2月にウクライナをミサイル攻撃した後、ウクライナの研究施設から機密文書を回収した模様で、その分析はイゴール・キリロフ中将が率いていたロシア軍のNBC防護部隊が中心になって行われてきた。 キリロフ中将は2022年3月7日に分析結果を公表、研究開発はDTRAから資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で進められ、ウクライナにはDTRAにコントロールされた研究施設が約30カ所あったとされている。 2022年8月4日にもキリロフは記者会見を開き、SARS-CoV-2は中国に対して意図的に放出されたアメリカの生物兵器であるという強い証拠があるようだと語っている。 そのキリロフは昨年12月17日、モスクワの自宅の前に仕掛けられていた爆発装置によって暗殺された。実行したのはウクライナの情報機関だが、アメリカ/NATOの承認なしにそうした挑発的な作戦を実行することは不可能だと考えられている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.02
ハマスは2月22日、停戦合意の一環として、拘束していた6名のイスラエル人を解放した。その際、式典が催されたが、そこでイスラエル人オメル・シェム・トフがハマスの戦闘員ふたりの頭部にキス、世界的に話題になった。イスラエルのメディアは大半が無視している。イスラエルは日常的にパレスチナ人を拘束してきたが、22日の人質交換で、そのうち約600名を解放した。 戦闘は2023年10月7日、ハマスを中心とするパレスチナ側の武装勢力がイスラエルを攻撃したところから始まったとされている。いわゆる「アル・アクサの洪水」だ。 アル・アクサとはイスラムにとって第3番目に重要なモスクを指している。2022年4月1日にイスラエルの警察官がアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺し、4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、400名以上のパレスチナ人が拘束された。その間、2022年12月にベンヤミン・ネタニヤフが首相に就任している。 さらに、ユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/2023年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がそのモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。 勿論、パレスチナ問題は1948年5月にシオニストがイスラエルの建国を宣言してから始まっているわけであり、それを忘れてはならないのだが、アル・アクサ・モスクを舞台としたイスラエル側の挑発があったことも間違いない。そして10月7日、ハマスを中心とする武装グループがイスラエルを攻撃して今回の戦闘が始まったのだ。 この作戦でパレスチナ側はイスラエル人を拘束、イスラエルに拘束されているパレスチナ人を解放させるために利用しようとしているはず。そのためには生きたまま拉致する必要がある。それに対し、イスラエル側は拘束者の交換を望んでいないため、イスラエル人が生きたまま拘束されることを嫌う。 10月7日の攻撃の際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされ、その後1200名に訂正された。イスラエルのハーレツ紙によると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊している。イスラエル軍は自国民の殺害を命令したというのだ。いわゆる「ハンニバル指令」である。ハーレツの記事を補充した報道もある。エルサレム・ポスト紙によると、イスラエル軍は10月7日にハンニバル指令を出していたことが判明したという。 イスラエル人が人質として拘束されるのを防ぐため、いかなる手段を使って構わないとする命令が1982年には出されたという。そして1986年、イスラエル軍のヤコブ・アミドロールが中心になり、ハンニバル指令が正式に作成されたと伝えられている。 この指令は2016年に正式に撤回されたというが、2023年10月7日におけるイスラエル軍側の言動は、この指令がネタニヤフ政権によって再び発動されたことを示唆しているとイスラエルの複数のメディアが報じている。その日、相当数のイスラエル人が殺害されたが、その原因はハンニバル指令にあった可能性が高い。イスラエルのヨアブ・ガラント元安全保障相はその指令を実施するよう命じられたと認めている。 なお、ガラントは昨年11月7日付けで安全保障相を解任され、今年1月5日にクネセト(イスラエル議会)を辞任、その直後にハンニバル指令が出ていたと発言した。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2025.03.01
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