《櫻井ジャーナル》

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2011.06.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
カンボジア特別法廷(ECCC)

 1976年にポル・ポトが首相に就任する直前から78年にベトナム軍がカンボジアに軍事侵攻してクメール・ルージュの体制が崩壊するまでの間に、多くのカンボジア人が殺されたと言われている。

 ただ、何人殺されたのかは不明で、エール大学カンボジア虐殺プロジェクトの推測によると170万人、アムネスティ・インターナショナルは140万人、フィンランド政府の調査団によれば、処刑されたカンボジア人が7万5000名から15万名、殺人、飢餓、病気などで約100万人が死亡したと推計している。もっとも、餓死や病死の原因を作ったのはアメリカ軍による爆撃だが。

 アメリカ軍がヘンリー・キッシンジャーの命令でカンボジアに対する大規模な空爆を一方的に始めたのは1969年のこと。第2次世界大戦で使用された爆弾の総数を上回ると言われる爆撃だった。

 当時、ノロドム・シアヌーク国王はアメリカによる爆撃を激しく非難しているのだが、西側のメディアでは、ニューヨーク・タイムズ紙が「ベトコンや北ベトナムの軍事物資集積所や基地への攻撃」について書いた程度で、事実上、無視していた。そして1970年、シアヌークはロン・ノルのクーデターで追放されてしまう。

 このロン・ノルは言うまでもなくアメリカ政府の傀儡。アメリカ軍の爆撃で約60万人のカンボジア人が殺され、約200万人が難民になったと言われている。当然、ロン・ノルはカンボジア国内で憎悪の対象になった。そうした状況の中でクメール・ルージュが実権を握り、虐殺へとつながるわけである。

 この虐殺時代はヘン・サムリン政権の誕生で終わるのだが、この政権を倒すためにアメリカ政府はクメール・ルージュを支援しはじめる。ジョン・ケリー米上院議員の側近だったジョナサン・ウィナーによると、「ワシントンは1980年以来、クメール・ルージュ軍に8500万ドルを提供している」ようである。

 ところで、現在、リビアでは内戦が続いている。フランス、イギリス、アメリカは「NATO軍」を目眩ましに使って軍事介入、ムアンマル・アル・カダフィ政権の打倒を目指しているのだが、反政府派にはアル・カイダ系の武装集団も含まれている。ポル・ポトたちやアル・カイダが犯罪者なら、アメリカの支配者たちも犯罪者だということになる。





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最終更新日  2011.06.28 03:22:50


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