《櫻井ジャーナル》

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2011.08.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 日本では8月15日を「終戦の日(終戦記念日)」と定めている。戦争が終わった日ということなのだろうが、言うまでもなく、自然現象のように終わったわけではない。日本は第2次世界大戦で敗北したのである。

 あくまでアメリカに負けただけ、つまりアジアでは負けていないと思いたい人も少なくないようだが、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃する前からアジアでの戦争は泥沼化していた。その延長線上にアメリカとの戦争がある。

 それはともかく、1945年8月15日とは具体的にどのような日だったのだろうか?

 1944年に入ると戦争の帰趨は決していた。そうした見通しの中、翌年の2月にはアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、ソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長がヤルタで会談、ドイツが降伏してから3カ月後にソ連は日本との戦いに加わることも決められた。

 この決定を受け、ソ連は日ソ中立条約の期間を延長しないと通告、5月7日にドイツは降伏文書に調印し、8月8日にソ連は日本に宣戦している。当然、アメリカもソ連が日本との戦いに参加してくることは知っていた。アメリカは8月6日と9日に原子爆弾を投下しているが、これもソ連参戦のスケジュールに合わせてのことだろう。

 ちなみに、イギリスのチャーチル首相はドイツが降伏する頃には数十万人の米英両軍と約10万人のドイツ兵でソ連を奇襲攻撃する「アンシンカブル作戦」を作成していた。日本がポツダム宣言を受諾すると通告した翌月にはアメリカの統合参謀本部が「必要なら」ソ連を先制攻撃すると決めている。

 ヤルタ会談の2カ月後、ドイツが降伏する1カ月前にルーズベルト大統領が執務中に急死、アメリカ政府の政策は「反ファシスト」から「反コミュニスト」へ大きく変化しつつあった。そうしたこともあり、スターリンはチャーチルがルーズベルトを暗殺したと疑っていた。

 ソ連の参戦や原爆の投下という事態を受け、日本側は「御前会議」を開いている。そこでポツダム宣言の受諾、つまり降服を決め、スイスの日本大使館を経由して連合国へこの決定を伝えた。10日夜半には同盟通信の海外向け放送でポツダム宣言受諾を明らかにしている。

 そして15日。「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれている放送が流されているが、これは日本人向けのものだった。「上海にて」の中でこの放送について堀田善衛さんは次のように書いている。



 戦後日本はポツダム宣言を受け入れることから始まるわけだが、その中で敗戦後の日本の主権が及ぶ範囲を決めている。その範囲とは本州、北海道、九州、四国、そして連合国側が決める小島だけなのである。

 1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令により、その小島は「対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹等を除く」と定められたと孫崎享さんは『日本の国境問題』の中で指摘している。

 ちなみに、日本が降伏文書に調印したのは1945年9月2日のこと。東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦、ミズーリ号で重光葵政府全権と梅津美治郎大本営(日本軍)全権が署名したのである。

 要するに、8月15日とは、天皇が日本国民に対して「負けたとも降服したとも言わぬ」内容の放送を行った記念日にすぎない。





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最終更新日  2011.08.14 13:11:59


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